貴様!何様!産経様!──全ておかしい産経【主張】に逐一「喝!」を入れてみた

産経新聞は3月24日の【主張】で「道徳教科化『愛国心』を堂々と育もう」を掲載した。この表題自体、記事の見出しとはいえ、日本語として語感がおかしいが、内容は更に凄まじい。抽象的で論理が一貫していないだけではなく、誰に向けて書いているのかも不案内だ。自分で吠えて満足をしているのか、読者に訴えたいのか、あるいは特定の対象がいるのか。新聞の社説としては内容以前に文章の体裁から問題からしてレベルに問題がある。

◆産経新聞は「政府の広報紙」以下の宣伝ビラ

私は産経新聞をまともな新聞であるとは考えていない。出来の悪い歴史改竄主義者と差別者の宣伝ビラのようなものだととらえている。しかし少ない実売部数の割にはネットニュースなどで幅を利かせているので無視はできない。

この際いかにも産経新聞らしいエッセンス満載の【主張】が掲載されたので全文を逐語的に叩かせていただく。産経新聞内にも良心的な記者がいるのかもしれないが、少なくとも下記のような主張を乗せる新聞は「政府の広報紙」以下だ。尚、こんな徒労は出来れば今回限りにしておきたいのが本音である。
(※以下、文頭の「産経」は産経記事引用文、「喝!」が私の見解である)

◆「愛国心」を強制する道徳教育から「多角的」な視点などは生まれはしない

産経 道徳の教科化に対し、相変わらず「価値観の押しつけ」などと反対意見がある。

喝! 当然である。「道徳」の概念は単一ではないのだから国家が義務教育で強制するような性質のものではない。

産経 しかし、道徳は、立場による価値判断の違いを知るなど物事を多角的にみる力を養う。

喝! 物事を多角的にみる力は「価値の強制」によって育成されるものではない。また「愛国心」を強制するような教育から「多角的」な視点などは生まれない。

産経 公共心、愛国心などを否定する偏向教育こそ改め、子供たちの心を捉える指導を工夫したい。

喝! ほら、もう本音が出た。「公共心、愛国心などを否定する偏向教育」の逆は「公共心、愛国心を強制する偏向教育」だ。「公共の理念」ならばいざ知らず、「愛国心」など何故強制されなければならないのか。そもそも「愛」は強制の上に成り立つものなのか。強制しなければ成立しない「愛」などは本来の「愛情」と相いれないじゃないか。さすがに昔のように軍歌を教えて教育勅語を暗記させるわけにはいかないから「子供たちの心を捉える指導を工夫したい」のか。今度はいったいどうやって騙そうとしているのだ?

産経 道徳は、小学校で平成30年度、中学で31年度から教科書を使い、記述式で成績評価が行われる「特別の教科」に格上げされる予定だ。

喝! 勝手に決めるな。迷惑千万だから御免こうむる。

産経 この指導指針となる学習指導要領改定案について文部科学省が意見公募(パブリックコメント)したところ、6千件の意見が寄せられる関心の高さをみせた。賛否の割合は集計されていないが、賛成では「正直、誠実」など徳目を例示した改定案について「分かりやすくてよい」など評価する意見があった。

喝! 組織動員以外は反対意見が多かったのだろう。だから賛否の割合を公開しないのだ。中には賛成意見もあろうが、「分かりやすくてよい」とされた「正直、誠実」など徳目を評価の基準にすれば「嘘つき」で「不誠実」な自公をはじめとする多くの政治家は不合格になるが、それでもいいのか。

産経 一方、反対意見では「偏狭なナショナリズムにつながる」「国の考え方を子供に植え付ける危険性が極めて高い」などの批判があったという。

喝! それ以外に「道徳教科化」の目的があるのであれば教えてほしい。嘘、偽りばかり毎日述べている政治家や文科省の口から出る「道徳」など思想洗脳以外に何の目的があるというのだ

産経 しかしこうした特定の考え方を押しつけるような指導は、教科化を提言した中央教育審議会の答申で、道徳教育とは「対極にある」と明言されたことを知ってほしい。思いやりや正義、公正さなどを教えるのは押しつけではなく、戦後教育に欠けていたことだ。

喝! 中央教育審議会は文科省の意向に沿った答申しか出さない。文科省が隠れ蓑に使っている中教審「答申」が何を「明言」しようと、そんなものが信用できる道理がない。「思いやりや正義、公正さなどを教えるのは押しつけではなく」とある。それはそのとおりだ。根本法である憲法では「思いやり」という言葉自体は用いられていないが「公正と信義」という表現が前文にある。憲法の精神を教育現場で教えることはいわば義務教育の責務であり、それが欠けていたとすれば正されなければならない。但しこの文脈から読み取れるのはそのような批判ではないようだ。産経新聞にとっての「思いやりや正義」主語に「国に対して」がつく「思いやり」や「自己撞着的」な「正義」ではないのか。

産経 改正教育基本法で教育の目標として明示された「国と郷土を愛する態度」も、道徳教科化に伴い重視されているが、「愛国心の押しつけ」と反発がある。だが自国の伝統文化を知らず誇りを持てなければ、他国への尊敬の念も生まれず、国際社会で信頼も得られないだろう。

喝! 改正教育基本法自体が悪意に満ちた悪法だ。前回の安倍政権最大の負の遺産と言ってもいいだろう。またぞろ登場する「国と郷土を愛する態度」などどのような尺度で測るというのだ。「愛する態度がよろしい」、「愛する態度に問題あり」などという馬鹿げた議論や評価は義務教育の場で行われてよいものではない。「自国の伝統文化を知らず誇りを持てなければ」とはとんでもない論理破綻である。

◆日本文化に誇りを持つか否かはあくまで「個」の領域

喝! 産経新聞によると「自国の伝統文化を知れば全員が誇りを持つ」という前提で議論が進められている。勿論日本文化の中に優れた要素はたくさんある。また逆に恥ずべき歴史だってある。それらすべてを知った上で個人がどの程度この国に思いを寄せるかは完全に「内面」の問題であって、いかに親兄弟であっても立ち入ってはならない「個」の領域だ。

さらにその前提がないと「他国への尊敬の念も生まれず、国際社会で信頼も得られないだろう」などと勘違いも甚だしい暴論が展開される。そんなバカなことがあるか。当の産経新聞自体が「日本の歴史文化を充分に理解して他国を尊敬」しているのか。中国や韓国への剥き出しの差別と憎悪を日々誌面に刻んでいる自分の態度をどうやって正当化するのか。

よその国にだって「愛国心」を教育で扱い、あるいは「強制」している国もある。はっきりしていることは「愛国心」を強制しなければいけない国のほとんどは「独裁国家」やそれに近く「自由」の少ない国たちであることだ。民主化が実現され、多様性を認めている国では「愛国心」教育など行われていない。なぜならばそういった国では国家が教育機関で「愛国心」を教えなくとも、多くの国民が自然に自国に好意を抱くからだ。

産経 内閣府の世論調査をみても、「国民の間に『国を愛する』気持ちをもっと育てる必要がある」と考える人は75%と多い。

喝! 恣意的な質問項目によって誘導された数字ではないか、そうでなければ少なくとも調査名くらいは掲載するのが新聞のルールだ(産経新聞に期待しても無理かもしれないけれども)。

産経 これまで学校では、愛国心や公に尽くすことの大切さを教えることを避けてこなかったか。

喝! 「避けて」と表現すると、あたかも卑怯なことをしているかの如き響きだが義務教育の公立学校で、「愛国心や公に尽くすことの大切さを教える」ことなどは間違っても「やってはならない」ことである。この部分の産経新聞の本音を代弁してやろうか。「国のために死ねる国民精神の育成がなされていなかったのではないか」じゃないのか。

産経 先人の偉業だけでなく失敗も含め、社会のために苦闘した物語などを積極的に取り上げ、考えることを通し、育んでいきたい。

喝! こういったことは「道徳」でなく「社会」あるいは「生活」の中で教えればよいことであり、ことさら道徳を教科化する根拠には全くなりえない。

◆「平成男」の小渕でさえ「教育現場で国旗は義務付けられない」と公言していた

産経 意見公募では、道徳の授業を成績評価することについて「教師の求める発言をする子供が増える」など懸念する意見もあった。道徳は教師の資質、指導力が何よりも問われることを肝に銘じ取り組んでほしい。

喝! そんな些末な問題では済まないことはもう実例が証明しているじゃないか。「教師の求める発言をする子供が増える」以前に偏狭な「愛国心」教育を拒否する良心的教師が処罰され、職を追われてゆくだろう。

1999年に成立した国家国旗法審議に当り、当時の首相小渕は国会で以下のように述べていた。

「学校におきましては指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」

「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。

この答弁によれば教育現場で国旗は義務付けられないはずだし、ましてや君が代を歌わない教師への処罰などないはずだが、現状はどうだ? 子供の教育云々の前に教師が校長から監視され処罰を受けているではないか。小渕の「空手形」は懸念通り完全に反故にされているではないか。

「道徳は教師の資質、指導力が何よりも問われることを肝に銘じ取り組んでほしい」という産経新聞はこの【主張】を小学校の教師に向けて書いているのか。だとしたら思い上がりも甚だしいと言わねばならない。「お前は何様なんだ」と。

部数は少なくともこういった極端な分子を利用しながら権力は更に教育の統制を進めようとしている。道徳教育教科化策動は正にそれを証明している。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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自粛しない、潰されない──創刊10周年『紙の爆弾』5月号本日発売!
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怒れ!消費者──「健康」より経済効果を優先する厚労省「食品行政」制度利権

2月10日の本コラムで4月1日から「健康な食事を普及するマーク」が導入されることを紹介した。この制度は販売者が「勝手に」自分の売る商品に「健康な食事マーク」を表示できるという、あまりにも無責任かつ無意味な制度で、消費者に誤解を与えることが必至であることを批判した。

ところが3月22日になって厚生労働省は「基準や認証に関する議論が不足している」との批判をが相次いだのを受け4月からの制度導入を先送りすることを決定した。

ほらみたことか。

しかし導入間近になっての「ドタキャン」だ。弁当会社やコンビニチェーンでは既に「マーク」の印刷などを終え準備してた業者もあろう。

「何やってんだ国は!」と無駄な業務に追いまくられた担当者の恨み節が聞こえてきそうだが、一般の消費者にとっては必ず誤解を生む迷惑以外の何ものでもない「健康マーク」導入が延期されたことは、当たり前とは言え歓迎すべきニュースだ。

◆4月1日実施の「機能性表示食品」は「特定保健用食品」となにが違うのか?

ところが、国が同時に導入を決めていて既に4月1日から実施された同様の制度がある。「機能性表示食品」がそれだ。現在、食品について効果や機能を表示することは原則として認められていない。「健康食品」と呼ばれる類で、国がそれを認めているのは、「特定保健用食品」(トクホ)と「栄養機能食品」だけだ。そこに「機能性表示食品」が加わった。これはいったいどんな代物だろう。

「特定保健用食品」(トクホ)は国の販売許可を得る必要がある。材料や栄養価などの資料を国に提出し、許可を得ないと「トクホ」を名乗ることは出来ない。時間もかかるしメーカーとしては費用もかさむ。一方の栄養機能食品は、国の基準さえ満たせば使えるが、成分ごとに使える文言が決まっている。そこに登場したのが「機能性表示食品」だ。届出制ではあるが、国による個別審査はなく、企業自身の責任で科学的根拠のある機能性を食品に表示できるのが最大の特長とされている。つまり「トクホ」よりも手続きが簡素で、「栄養機能食品」よりも表示の自由度が高い、これまた「あやふや」な制度である。

「○○をたくさん含んでいて、胃腸の働きを良くする効果があると言われています」

といった具合の表現で商品を宣伝することが可能になるらしい。だが、これはあくまで、「健康」に関してだけであり「病気」の治療や予防に効果があるといった表現は認められないようだ。

しかしこの制度も一見「健康」という隠れ蓑を被っていながら、やはり導入の動機は不純なものだ。「栄養機能食品」は安倍政権の成長戦略の一環と位置付けられているのだ。おいおいまた「経済かよ」とげんなりする。

◆成長市場の健康食品分野で許認可や届出制度を増やし、利権を漁る政官癒着

健康食品関連市場は年間売り上げが二兆円ともいわれる成長分野だ。農産物の海外展開も視野に入れたいとの腹黒い思惑で「機能表示制度」制度は、米国の例を参考に導入が決まったのだ。1990年代に同様の緩和を行った米国でサプリメントや健康食品市場が拡大したことを、安倍の取り巻きの誰かあざとい奴が耳打ちしたのだろう。

決して「健康」や「体にいい」ことを真剣に精査しようというのが制度導入の理念ではない。検討委員会の議事録にはあれこれ御託が並べられているけれども、あくまで「売上増加」のためのいわば「広報戦略援助」として同制度が導入されることを私たちは知っておいたほうがよい。

◆新自由主義者は何でも米国のまねをしたがる

新自由主義者は何でも米国のまねをしたがるし、すれば成功すると思っている。しかしそれは勘違いも甚だしい。これも以前、本コラム(粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」)で述べたが、米国には「アメリカ料理」と呼ばれるようなものはない。その代りにスーパーマーケットに行けば夥しい量の缶づめや冷凍食品が売られている。生鮮食品も売られてはいるがバランス良い料理を自分で上手に料理できる人は少ない。

だから肉食に偏りがちで、カロリーを摂取し過ぎ高血圧や肥満が横行するのだ。そこでバランスのとれた栄養を得ようとビタミンやミネラルのサプリメントが80年代前半から売り上げを伸ばし始めた。同時期に健康に良さそうな豆腐など日本食への興味も高まった。そして90年代の制度変更で更にサプリメントの売り上げが上昇した。背景にある食文化が日本とは全く異なるのだ。

「機能性表示食品」は、表示の科学的根拠を示す臨床研究結果や論文を、販売の60日前までに消費者庁に届け出るだけでいい。お手軽な制度だ。「食」に関してこの国は健康や「体に良い」ことよりも明らかに「経済効果」を中心に考えている。

政府の物差しを信じていると健康さえもどうされるかわからない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎制度は作るが責任は取らない厚労省「健康な食事を普及するマーク」の怪
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」
◎関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!
◎『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

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『噂の眞相』から『紙の爆弾』へと連なる反権力とスキャンダリズムの現在

本コラムをお読みいただいている皆さんには言うまでもないことだが、鹿砦社は月刊誌『紙の爆弾』を発行している。『紙の爆弾』は創刊直後の2005年7月に名誉棄損の咎で松岡社長が逮捕されるという前代未聞の「言論弾圧」を乗り越えてこの4月で創刊10周年を迎えることになる。

◆2004年に休刊した『噂の眞相』と2005年に創刊した『紙の爆弾』

『紙の爆弾』が産声を上げる一年ほど前まで、やはり「タブーなきスキャンダりズム」を標榜する『噂の眞相』という月刊誌があった。「ウワシン」と愛読者から呼ばれた『噂の眞相』は政治経済から芸能、風俗までを扱う反権力・反権威雑誌としての立ち位置を確立し、広告収入に頼らずに20万部の購読者を持つ雑誌だった。

編集長は岡留安則氏で彼の個性が強く反映された『噂の眞相』は黒字経営だったが「2000年に廃刊」を宣言していた。だが岡留氏の美学の実践ともいうべき「2000年黒字廃刊」は検察の弾圧の前に実現を阻まれる。後の『紙の爆弾』弾圧に範を示すように、岡留編集長と同誌編集者が「和久俊三・西川りゅうじん」への名誉棄損の刑事被告人とされ、起訴、有罪が確定する(松岡社長のように逮捕はなかったが)。そのため『噂の眞相』の「休刊」は最高裁判決を待ち2004年にずれ込む。とはいえ、2004年時点でも20万部を売り上げる月刊誌は『文芸春秋』をおいて他にはなく、各界から惜しまれながらの「黒字休刊」となった。

◆『噂の眞相』岡留編集長が「読んで欲しくない」と封印した対談本

『闘論・スキャンダリズムの眞相』2001年鹿砦社

「ウワシン」を襲った「和久・西川」事件が争われている最中2001年9月に『闘論・スキャンダリズムの眞相』と題した岡留氏と松岡氏の対談本が鹿砦社から出版されている。これがとてつもなく面白い。

「反権力スキャンダル」雑誌の編集長を自認していたはずの岡留氏が同書「はじめに」で腰を抜かしている。

「『してやられた!』というのが、率直な感想である。表紙のキャッチコピーには『これが究極の闘争白書だ?』とあり、『これが最強のタッグだ?』と続く。前者はともかく後者は『エッ!』と絶句してしまった。かねてより鹿砦社の芸能界暴露本シリーズと『噂の真相』の反権力・反権威スキャンダリズム路線は似て非なるものと考えてきたし、ジャーナリズムの志や指向性にいては天と地ほどの差があると認識してきた。それが『最強のタッグ』などと言われるのは実に心外である」

この原稿のゲラを読んで松岡社長は「フフフ」とほくそ笑んだことだろう。4頁にわたる岡留氏の「はじめに」は次のように結ばれる。

「正直言ってこの本は裁判官や検察官には読んで欲しくない。個人的には完全に封印したい本である。『噂眞』読者にもなるべく読んで欲しくないし、口コミで宣伝することは一切やらず、くれぐれも自分ひとりの密かな蔵書としておさめて欲しい。筆者にとってはブランキスト・松岡利康に挑発されて本音本心を吐露した生涯一度のハズカシイ本だからである」

「読んで欲しくない」と絶叫する巻頭言など読んだ記憶がない。それほどに松岡社長の「岡留籠絡作戦」は完全に成功を収めていたというだ。

もっとも本書の中で岡留氏から繰り返し松岡社長の「イケイケ」振りに注意が促されたにもかかわらず、前述の通り『紙の爆弾』創刊直後に逮捕までされるという前代未聞の苦難に直面することになったのだから、岡留氏の「指導」は命中していたということにはなる。

さて、『噂の眞相』なきあと読者は放り出された形になった。読者として接する限り、創刊当初から『紙の爆弾』は『噂の眞相』の意思を引き継ぐ、という心意気が伺えた。が、正直実力的にはかなりの差があるように感じた。

◆惨憺たる時代の中で「タブーなきメディア」を貫くこと

それから10年余りが過ぎた。週刊誌の凋落ぶりは目を覆うばかりだ。ごくまれに政治家のスキャンダルをネタにすることはあってもそれに腰を据えて権力を撃とうという姿勢はない。固い姿勢を維持しているのは『週刊金曜日』くらいだろうか。月刊誌に至ってはもう右翼の宴会議事録か、ヒステリックな排外主義だけがモチーフの雑誌しかない。

『紙の爆弾」は検察による社長逮捕という弾圧を乗り越え、じわじわと実力を高めてきた。『噂の眞相』は次期検事総長確実と見られた「則貞衛」の首を飛ばしたり、元首相森喜朗の学生時代の売春防止法違反による逮捕を実質的に暴いたりと、華々しいスクープも数々モノにしてきた。

『紙の爆弾』には検察や国家権力に対する十分な反撃理由がある。販売部数はまだまだ『噂の眞相』には及ばないが読者層は確実に広がっている。当然だろう。だって読むに値する月刊誌がないのだ。それに販売部数以上に『紙の爆弾』の存在感が増してきていることには言及しておかなければならないだろう。

これまた、社長のキャラクターによるところであろうが、多彩な講師を招いての「西宮ゼミ」は毎回盛況ながら営業的には赤字のはずだ。イベントを後援したり、昨年にはコンサートを主催したり、地道ながら出版業にとどまらない活動に鹿砦社はウイングを広げている。

◆「石原慎太郎は必要悪」と漏らしてしまった岡留編集長の脇の甘さ

実はその際にぜひ「他山の石」として頂きたい岡留氏の脇の甘さを他ならぬ『闘論・スキャンダリズムの眞相』の中に発見した。第5章「御用文化人の仮面を剥ぐ」の中で岡留氏は以下のように発言している。

「青島幸男なんか、結局何もできなかった。石原慎太郎は嫌いなんだけど、慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」

この部分、岡留氏にしては珍しく取り返しのつかない過ちを犯している。

石原慎太郎が嫌い、まではよしとしても「慎太郎の手法はある種必要悪の部分もあると思う。あのくらいやんなきゃ官僚政治は変わらない。県議会、都議をうまく操るくらいしたたかにやらないとね」は今日的ファシズム土台作り猛進してきたファシスト=石原への賛意に他ならない。岡留氏にしてこのような初歩的な危機意識の欠如に陥れた「時代」を無視してはいけないのかもしれないが、まかり間違っても私は同意しない。「青島幸男なんか、何もしなかった」のは事実にしても悪政の限りを働いた石原に比べれば、何もしない青島の方が数倍ましだったと私は考える。今岡留氏に当該部分を見せて意見を聞けば彼は撤回するのではないだろうか(それとも沖縄で綺麗なねーちゃんに囲まれた暮らしが気に入り、「そんなことはどーでもいい」と一蹴されるか)。それほどの地雷源が言論の世界だということをこの「岡留の石原部分肯定発言」は雄弁に語っている。

10年ひと昔というが、『闘論・スキャンダリズムの眞相』を手にすると時代の速度が加速しているのではないかと感じるとともに、その間の読者諸氏個々の変化にも思いが至ることだろう。今日の言論の惨憺たる状況を理解する「教養書」としても是非ご一読をお勧めする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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4月7日発売の『紙の爆弾』は特別付録付きの創刊10周年号!
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関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!

4月、まもなく関西大学で「事件」が起こる。「事件」といってもキナ臭かったり、危険なものではない。この時代に大学が失いかけている存在理由を根本から問う劇的に素晴らしい「事件」が起こるのだ。

科目の名は『人間の尊厳のために』で春学期に15回行われる。「グローバル」だの「キャリア形成」だの薄っぺらいことばが大手を振るう大学界で、この講義名を目にしただけで胸が熱くなる。『尊厳』という言葉からはドイツ憲法における以下の文言が想起される。

ドイツ基本法(憲法)の第1条 [人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束]として、
(1)人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。

日本国憲法も前文は素晴らしいがドイツ基本法(憲法)は第1条で人間の『尊厳』に言及している。あらゆる場面で人間の『尊厳』など忘れ去られているかの日本においてこの科目名はとりわけ異彩を放つ。

◆脱原発、犯罪報道、タブーなきメディア──衝撃の講師陣が「尊厳」を論じる

京都大学原子炉実験所助教を定年退職されたばかりの小出裕章氏がこの4月から関西大学の教壇に立つ

さらに同講義のシラバスをご覧いただければ読者も腰を抜かすであろう。

科目名 「人間の尊厳のために」
担当者名 新谷英治/浅野健一/松岡利康/小出裕章
授業概要 戦争や被曝、不当な報道などによって多くの人々が人間としての尊厳を踏みにじられ苦しんでいることは厳然とした事実でありながら必ずしも社会全体に正しく知られていません。失礼ながら大学生などの若い世代の皆さんはとりわけ認識が薄く、ほとんど問題意識を持っていないかに見えます。本講義は、深刻重大でありながら(あるいは、それゆえに)隠されがちな社会の問題を、現在第一線で活躍するジャーナリストや出版人、科学者の目で抉り出し、学生の皆さんに自らの問題として考えてもらうことを目指しており、皆さんの社会観、世界観を大いに揺さぶろうとするものです。

到達目標 人間の尊厳が踏みにじられている現状を正しく認識し、現実を踏まえつつ実効ある解決策を考えようとする姿勢を身につけることです。

関西大学文学部の新谷英治教授がコーディネーターとなり、元共同通信記者で『犯罪報道の犯罪』の著者である同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授(京都地裁で地位確認係争中)浅野健一氏

浅野健一=同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授は現在も京都地裁で地位確認係争中

そして驚くまいか鹿砦社社長松岡利康の名が!さらに3月で京都大学原子炉実験所を定年退職された小出裕章氏も教壇に立つ。このような「神業」に近い講義を開講する関西大学の慧眼と叡智は全国の大学が学ぶべきものだ。

「事件」という表現を使った意味がお分かりいただけるだろう。関西大学共通教養科目の中のチャレンジ科目として開講されるこの講義には『哲学』の香りがする。そして生身の人間の迫力が講義内容紹介の文章からだけからでも感じられる。吹田、千里山の春にアカデミックな風が薫ることだろう。受講学生は「覚醒」するに違いない。

 

 

関西大講師として松岡利康=鹿砦社社長も教壇に立つ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」
◎秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」
◎防衛省に公式見解を聞いてみた──「自衛隊は『軍隊』ではありません」

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!

 

就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」

以前、本コラムで「ロースクール」の惨状 について言及したが、法曹の現場では司法改革に端を発する深刻な「事件」が既に起こっている。

新司法試験導入以降、合格者は激増し、昨年も約2000人が合格している。

裁判官、検事に就任するのはその中でも僅かであり、弁護士登録をする人がほとんどである。だから弁護士は毎年凄まじい勢いで増加している。日弁連によると、2000年時点で弁護士登録者は17,126名だったが、2014年には35,045名だ。15年間で倍増しているということだ。

◆人員過剰で就職もままならぬ弁護士たち

だからといって、日本が米国のような「訴訟社会」に急変したわけではないので、弁護士にとっては「仕事」を確保するのがますます困難を極める時代になっている。

特に、登録して日の浅い弁護士にとっては、まず「仕事」が見つけられる「所属事務所」に加わる(弁護士業界でも所属事務所探しを「就職活動」と呼ぶらしい)ところからスタートを切らなければならないが、前述の通り「人員過剰気味」の弁護士業界では「就職活動」自体もかなりの困難を伴うという。

◆基本給も交通費も支給せず弁護士に月12万円を貸し付ける「事務所内独立弁護士契約書」

「弁護士就職難」時代に付け込んで、「とんでもないやりくちを展開している悪徳事務所がある」と読者から情報提供があった。

大阪のP弁護士事務所(以後「P事務所」)は「ボス弁」と呼ばれる高齢弁護士(経営者)が実質的に取り仕切っているが、昨年までは20代から30代を中心に10余名の弁護士が所属していた。ところが現在P弁護士事務所所属の弁護士は5名に減っている。何故だろうか。

それを読み解くカギは、「ボス弁」Qと事務所所属の弁護士の間で交わされた「事務所内独立弁護士契約書」にある。弁護士事務所は一般の企業と異なり「雇用契約」を結ぶわけではない。弁護士は「個人事業主」との考えに基づいているため、「事務所内独立弁護士契約書」という名称になるのだそうだ。

P事務所所属弁護士には「基本給」はない。交通費も支給されない。社会保険も自分で加入しなければならない。そして事務所が受任した仕事を各弁護士に割り振り、そこから個々の弁護士が「着手金」や「成功報酬」を得る契約になっている。

だが、その割合は、「甲(ボス弁)は、乙(事務所所属弁護士)に対し、甲と乙の共同受任案件について、弁護料(着手金,報酬金)のうち原則30%を分配金として配分するものとし、その都度、具体的金額を合意する。」とされている。

50万円の事件を事務所で受けて所属弁護士が業務にあたっても、取り分は15万円にしかならない。勿論、事務所維持のためには固定費用(事務所賃貸料等)の他広告宣伝費用などもかかるだろうから事務所が幾ばくかを持っていくのは仕方ないにしても、固定給、交通費が一切支払われない中で受任事件の「3割」しか弁護士個人の収入にならないような体系で、果たしてP事務所に所属していて「生活」してゆくことが可能な収入を得ることが出来るであろうか。

出来はしない。だから10余名いた弁護士の半数以上がP弁護士事務所を去ったのだ。

◆貸付金は無利息だが返済条件はボス弁が勝手に決める

さらに、「事務所内独立弁護士契約書」内には驚くべき内容が含まれる。

「1 丙は乙に対し、平成00年0月から平成00年00月(契約書中00及び0は特定の月日が記入されている)末まで,毎月25日限り金12万円を貸付する。
2 前項の貸付金は無利息とし、その他の返済条件は丙が取り決める。」

「甲」、「乙」に続き新たに「丙」が登場する。ところが「甲」と「丙」は同一人物(ボス弁)である。実際には2者(ボス弁と個人弁護士)の間でしか交わされていないこの「契約書」にわざわざ同一人物を「甲」と「丙」に分けているあたりは法律の専門家として「犯罪逃れの」の意図があるのであろうか。

どちらにせよ仕事の有無や業績とは一切関係なく、「P事務所は所属弁護士に毎月12万円を一方的に貸し付ける」、「無利息だが返済条件はボス弁が勝手に決める」ということを臆面もなく書いている。

P弁護士事務所は名前の通り「弁護士事務所」であって「サラ金」や「街金」ではないはずだ。何故に弁護士事務所が所属弁護士に「無理矢理毎月貸付」を行うのか。行う必要があるのか。

P事務所の恐ろしさは「強引貸付」だけではない。「事務所内独立弁護士契約書」には「赤字貸付制度」も明文化されている。いわく、

「(赤字貸付金制度)1 前条の規定にかかわらず、乙は,甲の月次損益が赤字となったときには、月額金7万円(年額金84万円)を限度額として甲に対して赤字貸付金として貸付するものとし、赤字貸付金制度の適用の有無及びその具体的金額の算出を甲に委ねる。」

もう一度確認しよう。「甲」はボス弁で「乙」は所属する個人の弁護士だ。だから解り易く言い換えると、

「経営者が月次の赤字を出した時、所属弁護士は月額金7万円(年額金84万円)を限度額として(各弁護士の所得の如何にかかわらず)経営者に赤字分を貸さなければならない。その具体的な金額はボス弁が決める」

ということである。会社に例えれば「月次決算が赤字になった時はその赤字分を従業員の給与から会社へ自動的に天引き貸与させる」ということだ。

収入があろうがなかろうが、毎月12万円を貸し付けるわ、事務所の赤字が出れば「貸付」という名の「供出」を強要するわ、これは「カタギ」のすることではない。

◆弁護士がボス弁に騙されるのが悪いのか?

この情報提供者は「契約についての話をボス弁と交わした(面接)の際に「強引貸付」の話は一切出ず、いざ契約となったらこの文言が含まれていて驚いたが、仕事を確保しなければいけない事情もあり、仕方なく契約書にはサインした」と語っている。

読者の中には「弁護士さんなんだからそんな契約拒否すればいいのに」とお考えになる方もいるかもしれないが、現在の若手弁護士はそれくらい仕事にありつくにあたり弱い立場に置かれているという実情をこそご理解されるべきだろう。

P事務所の場合「騙された方が悪い」というのは間違いだ。相手の足元を見て「騙した奴」が悪なのだ。情報提供者以外にも少なくない若手弁護士がこのような「悪徳契約」を押し付けられ、仕事を得るために仕方なくサインはしたもののP事務所を去っている事実が何よりもこの悪行の本質を物語る。

弁護士は法律の専門家だけにその法知識を市民や正義の為に使ってくれる人は弱者の味方だが、逆もまた真なりで「ワル」はとことん「ワル」である。

◆このままでは「弁護士」という職への信頼自体が地に堕ちる

問題はこの手の詐欺師まがいの弁護士や弁護士事務所がP事務所に限った事ではないことだ。若手弁護士の将来を台無しにしようがお構いなし。「街金」でも驚くような悪徳経営事務所は増加の一途だ。

P事務所を取り仕切るQ弁護士(ボス弁)には正当な制裁が加えられるべきだが、呆れたことにP事務所は現在も懲りずに新人採用広告を出している。日弁連なり各地の弁護士会はこのような悪徳弁護士対策を急ぐべきではないか。そうでなければ「弁護士」という職への信頼自体が地に堕ちる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」
◎秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱
◎防衛省に公式見解を聞いてみた──「自衛隊は『軍隊』ではありません」
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」

[お知らせ]月刊『紙の爆弾』創刊10周年記念の集いを4月7日東京で開催します!

防衛省に公式見解を聞いてみた──「自衛隊は『軍隊』ではありません」

暴走は止まらない。かつての政府見解も、閣議決定もこの男の前では意味がないようだ。ついに安倍は、自衛隊を「わが軍」と呼び本音を吐露した。

いつの間に「お前の軍隊になったのか」といった揶揄ではすますわけにはいかない。

◆防衛省に電話をかけて公式見解を聞いてみた

だから、当の「防衛省」に電話取材した(03-5366-3111)。

「自衛隊の法的位置づけについて教えていただきたいのですが」と代表番号に出た方に告げると、広報課に電話が回された。

「先日、国会で安倍首相が『わが軍』という表現で自衛隊を表現しましたが、防衛省のご見解はいかがでしょうか」

そう尋ねると至極全うな答えが返ってきた。

「憲法上最小限を超える実力を保持してはならない、という制約を政府から受けていますので自衛隊は『軍隊』ではありません」

と、電話応対してくださった方は語った。

私は、「国会で首相(自衛隊の最高指揮官)が『軍』という表現と意味を語ったことについてはどうお考えになりますか」と問うたが、「ここで個人的な意見を述べるのは差し控えさえていただきたい」との回答だった。担当者の氏名を聞いたが「申し訳ございません。お答えできません」との回答だった。

◆防衛省の回答と安倍「わが軍」発言の激しい齟齬

「わが軍」発言で私が確認したかったのは、防衛省の認識だけだ。安倍? あのドアホはどうでもいい(不幸にもこの国の最高権力者だから、本当はどうでもよくはないのだけれども)。

防衛省は明確に自衛隊が「軍隊」であることを否定した。安倍の暴言後、菅官房長官が「問題はない」といつも通りの「ボケ」をかましているけれども、防衛省の公式回答と安倍の発言の齟齬をどう説明するつもりだ。

急ぎ読者にご報告したく短文となったが、再度繰り返す。防衛省は自衛隊を「軍隊」と看做していないのに、安倍は自衛隊が「軍隊」であるかのように発言をした。

これは重大な行政知識不足と本人の思想が先行した暴言以外の何物でもない。
安倍は明日にでも防衛省に出向いて謝罪すべきである。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」

[新刊]内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え─強い国になりたい症候群』

 

私が出会った「身近な名医」高木俊介医師は精神科在宅治療のパイオニア

「精神分裂病」という病名が存在していたことをご記憶だろうか。2002年以降医学界で使われることはなくなり、世間話でも使う人はほとんどいなくなった。現在は「統合失調症」という名称で呼ばれる精神疾患だが、この疾病の名称変更を実現したのは高木俊介医師の尽力によるものである。

高木医師には大学職員時代から大変お世話になってきたが、恥ずべきことに高木医師が「統合失調症」の名づけ親だと知ったのは大学を辞めてからであった。身近に偉人はいるものである。

◆「患者が安心できる」プロフェッショナルな対応に感服

私が最初に高木医師に出会ったのは、それこそ「統合失調症」の学生が手におえないほどの状態に陥り、親御さんもあまり学生の状態に熱心に向かい合ってくれなかったので、保健所の無料相談窓口を訪ねた時だった。相談窓口に高木医師がいた。

偶然にもその学生は自身で高木先生の診察を受けており、高木先生は穏やかな表情で「僕からすると統合失調症の患者さんは可愛いいんですわ。彼はこの間診察中に私の机をひっくり返しましてね。『今度やったら警察呼ぶぞ』って言ってやったら、シュンとしてました。甘えてるんですわ、私にはそのくらい許されるだろうと」と当該学生の病状について解りやすく説明していただいた。穏やかな語り口なのでだいぶ「高齢のベテラン先生か」と思ったが、実は当時まだ40歳前後だった。

医師はその専門にかかわらず、「患者が安心する」対応が求められる。とりわけ精神科医には「心の病気」を扱うプロとして「優しい対応」が期待される。学生や知人、また私自身が不調な際に数々の精神科医にお会いしたが、医師としての能力もさることながら、「患者に寄り添う」姿勢がない医師はなかなか安心して本音を話しにくいし治療も進まない。

◆医師は名声で判断してはいけない

知人に精神科医の世界では「知らない人がいない」と言われる「大御所」のお世話になった人間がいる。事情があり私も同行することになった。私も書籍などでその医師のことは知っていたので、「大御所」がどのように知人の治療に当たってくれるか、失礼ながら興味があった。

知人が自覚症状を話すと「鬱病ですね。一番気をつけなければいけないことは自殺です。この状態の患者さんはしばしば自殺を頭に描きます」と語られた。そんなものなのかと思い、帰路車の中で知人に聞いてみた「俺から見たらお前はだいぶ疲れているのは確かだけど、自殺考えたことあるか?」と聞くと「腹立ってるんだ。自分は鬱病だとは思う。でも今まで自殺なんて考えたこともないし、あんな言葉聴かされてかえって気分悪くなったわ」さらに「会計でいくら払わされたと思う?」と逆に私に聞くので「わからない5000円くらいか?」と言うと「『初診は自費だから』って2万円だよ。俺、鬱病って言われたよな。何で保険使えないんだろう。あの医者自分が偉いからって殿様商売してるんじゃないか」ということがあった。

患者から「殿様商売してるんじゃないか」と思われた時点で医師と患者の信頼関係が成立するはずがない。それでも以降数回、知人の通院に同行した。ある時、知人は「セカンドオピニオン」を別の医師に求め、その医師からも同様に「鬱病」と診察されたが「自殺」への言及はなく、実際の生活で心がけるとよいことを具体的にアドバイスをもらい、たいそう喜んでいた。

「セカンドオピニオン」をもらって心が楽になったことを知人は「大御所」に診察の際話した。すると「そうですか。それではこれからその先生にかかられるということですね、よくわかりました」と診断が終わってしまった。

「大御所」は「セカンドオピニオン」を自分より若輩の医師に求めた知人が気に入らなかったのだろうか。傍で見ていても理解に苦しむ「診察中止(拒否)」だった。

長々と体験談を紹介したが、「医師は名声で判断してはいけない」と身にしみて感じた事例をお伝えしたかったからである。

◆「ACT-K(アクトケー)」という途方もない志とエネルギー

そんな「大御所」と対極の人格と能力さらには熱意を備えた「名医」が高木医師だ(もっとも既に高木医師は精神科医の世界で充分「著名人」ではあるが)。診たては間違いないし、必ず患者本位で診察を進めておられる。

そんな高木医師はかねてより「長期入院型」の精神病治療に疑問を抱いておられた。精神病で入院すると世間から隔離され、長期間病院に閉じ込められる。それがかえって回復を困難にさせているのではないか。長期間病院に閉じ込められている精神病患者の治療を自宅で行おうと言う思いを高木医師は長年抱いておられた。その構想を実現した在宅医療プロジェクト「ACT-K(アクトケー)」を2004年から高木医師は始められている。京都新聞に2011年掲載された記事によると、高木医師はACT-Kについて以下のように語っておられる。

「ACT(Assertive Community Treatment=包括型地域生活支援プログラム)は重症の精神障害で、密接な支援がないと生活しにくい人に、自分が住んでいる場所でそのまま暮らしてもらうための援助です。精神科医、看護師、介護福祉士、作業療法士など医療と福祉のいろいろな職種の人が生活の場に出かけていくのが特徴で、夜間休日を含め365日24時間ケアできる態勢をとります。1970年代にアメリカで始まり、日本では2003年に公文書に登場しました。これを京都でやっているからアクトKと名づけ、主として統合失調症の人を対象にしています。」

日本で初めての「重度統合失調症患者の在宅医療」の試みだ。そして同様の在宅型ケアープログラムの展開を模索し、各方面から注目されている。構想することは簡単だが、実現にはかなりの困難が予想されたが、同じ記事の中で、

「常勤15人で非常勤と学生ボランティアを合わせ、実際に援助に当たるのは20人近くなります。自宅を訪問して買い物など日常的な生活の手伝いやレクリエーションなど、多くの専門職が連携して必要な医療と福祉のすべてを担います。統合失調症の利用者は120人。認知症の人なども一部診ており全部で150人です」(2011年当時)

「診てほしいという要望は患者や家族、福祉事務所などからありますがスタッフ一人当たり10人が限界。住所も車で30分の範囲に限っています。緻密な支援ができないとアクトの特徴がなくなるので、やむを得ず待ってもらっています」

24時間356日のケアーが可能なのかとの質問に、

「不適切なケアで患者が錯乱した状態をイメージするから難しくみえるのでしょうね。実際には昼のケアが十分なら突然悪くなることはありません。精神障害の患者にとって大切なのは▽安心できること▽自由があること▽人との絆があること。アクトKでは電話を24時間受けられる態勢をとり、担当の患者でなくてもケアできるようにスタッフ間で情報交換を図っています」

と語っておられる。語るは簡単だがこれは途方もない「志」とエネルギーがなければ為しえない総合ケアーに違いない。

高木医師は著書に「ACT―Kの挑戦」(批評社)、「こころの医療宅配便」(文藝春秋)、「精神医療の光と影」(日本評論社)等がある。

名医だ!と賞賛しておきながら恐縮だが、現在、高木先生は大変にご多忙で、診察を受けようと希望される方は京都のあるクリニックに足を運ぶしかない。そこで水曜日の午前中だけ外来患者の診察を担当されている。検索エンジン等でお調べ頂ければ当該クリニックはお調べいただけるだろうが、何分限られた診察時間なのであえてここではクリニックの名前は伏せさせて頂くことをご了承いただきたい。

日頃、政治や社会をボロクソに罵倒している私が特定個人を賞賛するのは薄気味悪く感じられる読者もおられようが、高木医師は志の高い精神科在宅治療のパイオニアであると同時に「患者を安心させる」優れた医師としての能力と人格を備えた方だ。

口先だけ穏やかで、老人相手に不要なX線撮影や、検査でぼろ儲けするような開業医(実名を挙げたいが、まだ我慢しておこう)が蔓延るが、医師の皆さんには患者本位での治療を切にお願いしたいものだ。その際のお手本として高木医師を紹介しておく。

[動画]ACT-K 精神疾患 訪問型サービス

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!

◎イオン蔓延で「資本の寡占」──それで暮らしは豊かで便利になったのか?

◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」

◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる

不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」

三原じゅん子というタレント出身の国会議員がいる。こいつは元不良だった。

「不良から与党の国会議員になるやつなど論外だと」持論を展開したら、えらく怒られた経験がある。

だが私の暴論は残念ながら間違ってはいなかった。

事もあろうに、三原は参議院予算委員会で質問としての発言の際に 「八紘一宇」を持ち出し、答弁した麻生に「戦後生まれの人でもこんな言葉を使う人がいるのか」と呆れられていた。麻生は漫画には詳しいが日本語が苦手な政治家として有名だが、その麻生に呆れられるのだから三原は大したものである。

◆中曽根康弘でさえ「失敗のもと」だったと認めている「八紘一宇」

「八紘一宇」がどのように使われた言葉かご存じない読者もいるだろうから、簡単に説明しておこう。

日本書紀に登場した文言から生まれたとされるこの言葉を学術的に解説すると退屈になるだろうから、政治の場で過去、どのように理解されてきたかを見てみよう。

1975年9月、文部大臣の松永東は衆議院文教委員会で、「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります」と発言した。

1983年1月の衆議院本会議では、総理大臣の中曽根康弘も「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と説明している。

要するに大東亜共栄圏を作るにあたって「日本は特別な国だ!」と日本帝国がアジア侵略のスローガンに使った言葉であることを過去、文部大臣や首相が認めている言葉だ。

◆とてつもない国がやらかす「八紘一宇」の無知

その言葉を2015年に三原は、「八紘一宇とは、世界が一家族のように睦(むつ)み合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろう。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族を虐げている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる

「これは戦前に書かれたものだが、八紘一宇という根本原理の中に、現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと、私は思えてならない。麻生大臣! この考えに対して、いかがお考えになるか」

と発言した。これに答えて麻生は、「日本中から各県の石を集めましてね、その石を集めて『八紘一宇の塔』ってのが宮崎県に建っていると思いますが、これは戦前の中で出た歌の中でも、『往(い)け、八紘を宇(いえ)となし』とか、いろいろ歌もありますけれども、そういったものにあってひとつの、メインストリーム(主流)の考え方のひとつなんだと、私はそう思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感」と「八紘一宇」への直接評価は避けた。

日本は第二次大戦で「列強からのアジア解放」を唱えて諸国を侵略し「搾取」した。そこには「神国」である日本こそが「世界中で一番強い国(となり)が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる」との思い込み甚だしい思想があった。

三原に言わせると日本は「神武天皇」が即位した2675年前が「日本建国」の年らしいが、小学校や中学校の社会の時代で教わる2600年前は「縄文時代」である。稲作はおろか、文字すら持っていなかった時代にこの国が「建国」されたという妄動は、不幸にも三原だけではなく、国全体が未だに真実を見つめられていない。2月11日の「建国記念日」は別名「紀元節」とも呼ばれ、この日に「神武天皇」が即位した日とされている、歴史的にも全く誤った解釈に基づく休日であるのだ。

そういった国家的な歴史に対する意識的詐欺行為が根底にある問題を忘れてはならない。

が、その詐欺行為がまだ黙認されていることを良いことに、三原は「八紘一宇」を持ち出した。

有事関連法制=法律的な戦争の準備が全速力で進められる中、この元不良、否「不良国会議員」は精神的な戦争への誘導への為に一翼を担っている。

戦争をしたければ自民党と公明党の議員と党員だけでやってくれ!

不良というのはいつでもそんな奴らだった。最近の「反グレ」の連中はちょっと毛色が違うようだが、意味も分からず「特攻服」を着て日の丸を振り回すのが「暴走族」の標準的装備だった。やってる行為は一見「反社会的」に見えるけれども、本質的にその行為や考えは国家に収斂されていき、やがてその「防護隊」にさえなる。

三原を見ているとその筆頭であることがよく分かる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱
◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている

[新刊]内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え─強い国になりたい症候群』

 

 

無意味な「火災報知器」設置義務化で行政への猜疑心は深まるばかり

消防法により各家庭には「火災報知器」の設置が義務付けられていることを読者の皆さんはご存知だろうか。一戸建て住宅では「寝室」、「台所」、「階段」に設置が義務付けられている。マンション(分譲・賃貸とも)やアパートでも一戸建て同様に「台所」、「寝室」には設置が義務づけられている。義務だが罰則はない。あくまでも居住者の安全確保の観点からということだからだろうか。

◆我が家の火災にこんな報知器が役立つか?

拙宅にも数年前に町内会の回覧板が回ってきた。なんでも町内会で共同購入すると市販の価格よりも安価に購入できるとのことで、半ば行政による誘導のような形で「火災報知器の購入」が促進された。私の知らないうちに家人が購入申し込みをしたので我が家には「火災報知器」が法令通り設置されている。

しかし、消防法により「設置しなさい」と義務化されたのは、火災が発生した時に消防署や、防災センターに直結・緊急で情報が伝わる機能を有するものではない。公的建築物にあるような従来の「火災報知器」と異なり、煙や熱を感知すると「そこだけで鳴る火災報知器」である(勿論各家庭がセキュリティー会社と契約をして火災報知器を設置することも推奨されているけども、そうすればかなりのコスト発生する)。

学校や大規模商店で火災報知機が鳴れば目の前に煙や炎が見えなくても、万が一に備えて心の準備をする効果は誰しも認めるところだろう。大人数の集まる場所では火災自体の被害はもとより、避難の際の二次被害も予防されなければならないから火災報知器の果たす役割は大きい。

でも、我が家で仮に火災が発生したとして、火災報知器はどんな役割を果たしてくれるだろうか。

◆「そこだけで鳴る火災報知器」では役に立たないという結論

まず、家の中に家族の人間誰かがいるケースを想定する。我が家は自慢ではないが広くはない。火の手が上がればまず居宅内のどこからでも目に入る。火事はおそらく火災報知器よりも人間の目によって発見されるだろう(これに対して「寝室等での火災の発生は夜が圧倒的多い」と行政は取り付ける根拠を主張しているが、それは冬季に石油ストーブや火鉢などを利用していた時代の発火原因に注目しているのであり、今日のように石油ストーブや火鉢利用が減少した時代には説得力を持たない論である。さらに「寝たばこ」も理由とされているが、これだけ嫌煙活動が広がった今日「寝たばこ」の危険性は過去よりも低下しているだろう)。

それでも仮に家族全員が就寝中に火災が発生して「火災報知器」が鳴り出したとすれば、驚いて目を覚ますだろうが、そんな高温になるまでゆっくり寝ていられるほどの広さの寝室は我が家にはない。

そもそも「そこだけで鳴る火災報知器」は音を出すだけだから、消火活動や消防への連絡は人間が手で行わなければならない。

したがって、家族の誰かが在宅中に「そこだけで鳴る火災報知器」は役に立たないだろうという結論に至った。

◆設置義務化の真の目的は別にある

では、家族全員外出中の火災ならどうだろうか。我が家から出火して火災報知器が鳴ってもその音は隣家には届かない。「火災報知器」が消防署や防災センターなどに直結していれば、家人不在でも消防車が駆けつけてくれるだろうけども、そうではなくて家の中でだけむなしく音を上げていても誰にも聞こえないし、何の役にも立たない。近隣の方が火災に気が付く頃には天井に火が回っているだろう。

勿論、我が家のような安普請ばかりでなく、寝室が広いお宅もあれば、部屋数が多いお宅だってあるだろうから、そのような住宅では「そこだけで鳴る火災報知器」も一定の役割を果たすのかもしれない。私とて「そこだけで鳴る火災報知器」の役割を全否定しているわけではない。中には被害を食い止めたり難を逃れる人もいるだろう。

だが、「そこだけで鳴る火災報知器」は法律で義務化しなければならないほどの重要性と効果があるのだろうか。厳格に消防法へ従えばワンルームマンションでも2個の「そこだけで鳴る火災報知器」を取り付ける必要がある。部屋数がもう少し増えて二階建てのお宅ならば3つや4つは最低必要だ。

本当に火災被害の低減を考えるのであれば消防署とは言わないけれども、地域ごとに火災の発生を感知するセンターなどへの接続を行っておかなければ意味は薄いのではないか。

くだくだ冗長に屁理屈を並べたが要は「こんな役に立たない物を義務化したのは、メーカーに儲けさせるためではないのか」と私はまたしても捻くれた邪推をしてるのだ。

◆同じく無意味は「チャイルドシート」義務化

同様な例は「チャイルドシート」にも当てはまる。「チャイルドシート」は6歳以下の乳幼児が自家用車に乗る際に設置するよう義務化されている。席数以上の人数が乗車する際などいくつかの例外規定は設けられているが、基本1児に1台が必要だ。

3歳と5歳のお子さんを持つ家族であれば2つの「チャイルドシート」にそれぞれお子さんを乗せなければならない。「チャイルドシート」は助手席にも設置できるけれども、事故の際助手席は最も危険の高い場所であるし、エアーバックの危険もあるので、常識的には後部座席にお子さんを乗せるのが望ましい。だがこれは実践してみればわかることだが、後部座席に2つの「チャイルドシート」を乗せると超大型車でない限り、空間がいっぱいになる。通常自家用車の後部座席は3人座れるが「チャイルドシート」を2つ乗せると3人目が座れるスペースはない。

つまり運転席、若しくは助手席からしか後部座席のお子さんの様子を見たり、世話をすることしかできなくなるのだ。3歳と5歳の子供で長時間おとなしくしているのはよほど「おりこう」な例外であって、長距離ドライブの際はやれ「おしっこ」だ「お腹がすいた」「外で遊びたい」とごねるのが自然だ。そんな時に保護者が隣にいれば、抱いてあげたりあやしてあげたりすることが出来るが、法令を順守し保護者と子供の物理的位置を車内で分離すると、面倒が増える上に、高速道路走行中などに子供が急に体調を悪くさせた時などに対応が出来ない。

なんでこんな無茶を義務化するのか。これまた自動車用品店やメーカーを儲けさせるためではないのか。

私の猜疑心をどなたか取り払っていただけないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

◎《大学異論29》小学校統廃合と「限界集落化」する大都市ニュータウン

◎《大学異論28》気障で詭弁で悪質すぎる竹内洋の「現状肯定」社会学

◎《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から

◎《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文

秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱

気が重い。正直これから御紹介する内容は私の勘違いか、誰かのうっかりミスで「ほら、やっぱりそんなことはなかったじゃないか」と安堵したい。

だが、事実は事実である。いかに残念な事態であろうが正視するしかない。

岩波書店が就業規則の改定を検討している。詳細は同社社員で佐藤優の起用に孤立無援で異を唱えてきた金光翔氏による「岩波書店の就業規則改定案について」(2015年3月15日付け首都圏労働組合特設ブログ) が詳しいので是非ご一読頂きたい。

◆自社関係者を「誹謗中傷」した社員は解雇! 「風紀を乱す恐れ」のある社員は出入禁止!

端的に言えば「岩波で文章を書いたことのある人間や社内の人間、また取引先に対して批判 (改正案では「誹謗中傷」と言う言葉が使われているが実際に意味するところは「批判」も含まれるであろうことは、その他の改定が検討されている内容を見れば明らかだ)をするな。もしそんなことをしたらクビにする ! 」という宣言だ。

また、「会社は他の職員の懲戒に該当する行為に対しほう助または教唆もしくは加担したことが明白な職員については本人に準じて処分する」ともある。
さらに、「会社の風紀を乱し、または乱す恐れのある者」は「社内への入館を禁止し、または退館を命ずることができる」ようにしたいそうだ。

こんな恐ろしい就業規則を持っている出版社があるだろうか。「風紀を乱した」ら会社への立ち入り禁止だそうだが「風紀」て一体なんだ? 小学校なら風紀委員がいて「遅刻」や「喧嘩」した児童を学級会で問題にして反省を促すかもしれないけども、出版社の就業規則に「風紀」と言う言葉は馴染むだろうか。

しかも風紀を乱していなくても「乱す恐れがある者」なんて一体どうやって決め付けるんだ。「お前は風紀を乱す恐れがある」と言われてしまえばそれは確率的にはゼロじゃあないんだから誰一人反論は出来ないじゃないか。社長や役員だって酩酊して人に迷惑をかける「可能性」はあるわけだから、厳格にこの規定を運用すれば岩波書店の社屋には人が一人も居なくならなければならない。

「他の職員の懲戒」に関する、「ほう助」や「教唆」、「加担」という言葉を眺めていると、これは「就業規則」ではなく「特定秘密保護法」の条文ではないかと錯覚してしまう。

◆「戦後リベラルの象徴」岩波書店が日本国憲法の精神を堂々と無視!

この就業規則改定案には「日本国憲法」の精神や明文規定が全く意識されていない。「会社に入ると法律も憲法もない」と名言を吐いた人がいたけれども、そんな会社でも就業規則は法律の範囲内で書かれているはずだ。あくどい会社であればあるほど外部の目や労働基準監督署を気にするから社内規程は綺麗に書いてあるものだ。そしてそれを堂々と無視する、というのが標準的な日本の会社だが、岩波書店が行おうとしている就業規則の改定はそれ自体が「不当労働行為」に該当するのではないか。少なくともこれらの改定案は非合理的であるばかりでなく、社員への恫喝に近い。「風紀を乱す恐れ」のある者にならないように社員が萎縮するのは間違いない。

私のような場末に生きる人間がまさか「あの」 (「あの」は「信頼をおいていた」の意である)岩波書店を批判しなければならない日が訪れるなどとは想像もしていなかった。

今さら私が解説するまでもなく岩波書店は老舗で良書を膨大に出版してきた実績を持つ。数ある出版社の文庫の中でも岩波文庫は別格の評価を得ている。私自身お世話になった岩波書店出版物は200や300冊ではきかない。たしかに『世界』(岩波書店が出版する月刊誌 )はちょっとお高くとまりすぎていて愛読書にはならなかったけれども、良質な文章が頻繁に寄稿されていることは間違いない。

その岩波書店が一体どうしたのだ ! 読売新聞や産経新聞でもこんな就業規則は採用しないだろう。

◆岩波書店の著者たちはこの就業規則改定を是認・黙認してしまうのか?

岩波書店の就業規則改定は笑われるだけでは済まないだろう。少なくない作家や著述業者が疑問を持つに違いない。本当に良心のある作家や研究者はこの事態を知れば黙ってはいまい。真の知識人とはそういうものだ。

この就業規則改定に当たっては、長年孤立無援で会社と戦ってきた金光翔氏個人を狙い撃ちにしたものである可能性も否定出来ない (その辺りの事情は『告発の行方2』鹿砦社に詳しく掲載されている)が常軌を逸していると言わざるを得ない。

岩波書店はリベラルだ、とのイメージを持っていた私は馬鹿だったのだろうか、それとも岩波書店が馬鹿なのだろうか。こんな比較をする日が来ようとは。誠に不幸極まりないし残念至極である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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