《大学異論33》竹宮恵子学長の褒章受勲は京都精華大学「自由の危機」

「またこいつ捻くれたことをいいやがって」との謗りを承知で敢えて私見を開陳する。

私はいい年をしてよく他人から叱られる。「だから拗ねてるんだろう」と言われるかもしれない。おおよそ「お褒め」にあずかるような人間ではない。

「勲章」という言葉は誰でも知っているだろう。でも抽象的な意味の「勲章」ではなく日本国の「勲章」をもらったことのある人は読者の中にはいないであろう(もしいらしたら失礼!)。

日本国の「勲章」は選考で内閣総理大臣が決定した「叙勲候補者推薦要綱」に基づいて両院の議長、最高裁判所長官、各省大臣、会計検査院長、人事院総裁、宮内庁長官から国家公安委員長などを経て内閣総理大臣に対して受章候補者の推薦が行われる。そして内閣総理大臣が候補者を審査して閣議決定が行われ、その後天皇に意向を確認して承諾を得た後発令されるという手続きを踏む。

つまり、安倍により選考されて「行政司法のほとんどの最高権力者の承認」を得た後、天皇から授けられる「お褒め」であり「ご褒美」である。実際にこれらの人々がいちいち作業をするわけではないのは当たり前にしても、安倍をはじめこんな連中からからほめてもらって恥ずかしくはないのか。

各分野で活躍をしたと「国家」によって認められた人に「勲章」は授与される。22種類の勲章はどういった分野での活躍が認められたかなどにより種類と等級がことなるが、毎年8000名ほどが受勲している。

◆「自由自治」が建学理念の大学学長が「勲章」を受けるという意味

毎日のように他人様から叱咤されている私のような不逞な輩と正反対に「立派な」仕事や「立派」だと国家が認めた人に対しての究極の「ご褒美」が勲章だ。

そんな私が語っても説得力はないけれども、私は「受勲は恥だ」と考える。国家権力への絶対的服従を意味するからだ。

もらわれる方が満足されているのであればそれは結構、余計な口出しはしないけばいいのかもしれないが、せめてボケが回ってから「冥土の土産」程度にしておかないか。若い頃に素敵な芸術作品を創作したり、映画を撮ったりした人が受勲する度にがっかりさせられる。「ああこの人もこの程度だったのか」と。安倍やこの国の権力者連中から褒めてもらうのがそんなに嬉しいのか。

というのには訳がある。

京都精華大学という私立大学がある。全国的にはさほど有名ではないが、特色のある個性的な大学として業界では異彩を放つ大学として知られている。かつて朝日新聞社が発行していた『朝日ジャーナル』の「100万人の大学」というシリーズで第1回目に東京大学が紹介され、それに続く第2回目に登場したのが他ならぬ京都精華大学(短期大学)だった。既存の大学の概念を根底から見直して学園紛争で問われた大学の問題を解決しようという試みは、これぞ大学の本分と感激しながら読んだ記憶がある。この大学にはリベラルな教員も多数在籍し、先進的な取り組みは総じて「東大と逆」の指向性を感じさせるものであり私は好感を抱いていた。

ところが同大学で現在学長の漫画家でもある竹宮恵子氏が昨年11月、紫綬褒章を受け取った。

現役私立大学の学長が「勲章」を受ける。これは「国家権力に大学は刃向かいません」と宣言しているに等しい。同大学の建学の理念は「自由自治」とHPで紹介されている。大学にとっての「自由」はまず何よりも国家権力からの「自由」でなければならないのではないか。「時代錯誤だよ」だとか「そう構えるなよ」とか今日もまた叱られそうだけれども、この大学学長「受勲」は「事件」だと思う。日大や国士舘大で同様なことが起こっても「事件」とは感じないけれども日本の中でも相当精鋭に「リベラル」だったはずの大学でこういう事態が起こる時代なのだ。

「事件」は凄惨な形でもなければ惨たらしくもなく、表面的には慶賀の形を装い進行する。私のような「不遜者」を除いて「受勲」はなかなか批判しにくいはずだ。それだけに余計たちが悪いのだ。国家が表に見える形で大学教育へも猫なで声で侵食を進めてきたということだ。「大学学長とは関係なく漫画家として評価されたんだからいいじゃない」という声があるかもしれない。

たしかに若い頃の苦労のせいだろうか、おおよそ「国家的」な香りと無縁だった漫画家の受勲は少なくない。でも国家意思の侵食は止め処がない。何も戦争を例に取らなくともここ数年の安倍政権を見ていればご理解いただける読者も多いだろう。そして「侵食は止め処ない」証拠を残念ながらすでに竹宮氏は証明してくれてしまった。

◆受勲後に「中教審」入りする学長に精華大はなぜ異議を唱えないのか?

竹宮氏は受勲後、本年2月から「中教審」の委員にも就任している。「中教審」とは「中央教育審議会」の略称だが、文科省の「諮問機関」であり主として教育行政についての提言を行う。行政官庁や政府の「諮問機関」は例外なく「結論ありき」でその政策を正当化するための「一見さまざまな方のご意見を聞きました」と形だけ残すための道具でしかない。竹宮氏個人が特に極端な思想の持ち主だとは思われないけれども、受勲後に「中教審」入りするような学長が、こともあろうにかつては東大と対比された大学から出てくることが恐ろしいのだ。ちなみに現在中教審委員長は北山禎介三井住友銀行取締役会長である。教育行政に提言を行う諮問機関の委員長がメガバンクの会長であるあたりから胡散臭さはうかがい知れるだろう。また委員には櫻井よしこも名を連ねる。いわずと知れた右翼の論客、櫻井あたりに文科省の本音を代弁させたいのだ。

気概のある教育関係者の間で「中教審」といえば「鬱陶しい物」の代名詞である。ろくな提言を行ったためしがない。大学人の間では常識だ。竹宮氏叙勲は個人の話としても、学長として「中教審」入りすることをかつて「リベラル」で名が知れたこの大学の教員や幹部は結局誰も止めなかったという結論に今日的危機の深刻さを改めて痛感させられる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論32》大学・刑務所・造幣局──入学試験で繋がる意外な関係
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日本を問え![話題の新刊]内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え─強い国になりたい症候群』


迷惑メール詐欺を通報しても警察はまともに対応しないことが判明

少なくない数の人の恨みを買っているからだろうか、私には毎日200から300程の新規迷惑メールが届く。そのほとんどは出会い系サイトだったり、物を売り付けようとする、まあよくある種類のジャンクメールだ。メールをチェックする度に受信ボックス内に迷惑メール指定したアドレスから、また同じようなメールが数十は入ってくる。まずは改めてそれらを迷惑メールに放り込むところから仕事を始めなければならない「3千万円もらってください!」だの「こんな私ですが、今日会ってもらえますか?」といった、はいはいわかりましたもう結構ですよとげんなりする内容ばかりだ。

引っかかる人がいるからこんな見え透いた偽の誘いメールを作文する稼業もあるのだろうが、マシンガンのように続々と撃ち込まれると煩わしいことこの上ない。でもそれらはまだ犯罪性はないから「日頃、人に嫌われる文章を書いている代償」として我慢しなけりゃいけないのかもしれない。

◆怪しすぎる迷惑メールが届いたので連絡先に電話をかけてみた

が、先日ちょっと引っかかる内容のメールが来ていた。そこには私個人のことについてかなり詳しく書かれていて「有料サイトを利用した料金が未払いであるのでこのままなら法的措置を取らざるを得ない」から電話連絡をよこせとある。世に言う架空詐欺であることは一目瞭然だ。同様のメールは過去何回か受け取ったことがある。がここまでの特定をしての「脅迫メール」は初めてだ。ちなみに私の携帯電話はネットに接続出来ない設定にしている。だから架空請求はいとも簡単に論破できる。犯罪防止の観点からも無視はできない(本当は送って来た相手に「焼き」を入れたかった)から、連絡先と記された電話番号をダイアルした。

念のため申し上げておくが、仮に読者の皆さんがこのようなメールを受け取ってもその殆どは単なる脅しだから、一番賢明な対応は無視することだ。相手は言葉巧みなプロの詐欺師だ。間違っても私のように連絡をしてはいけない。くれぐれもご注意を。

怪しいメールが来てそこに連絡先電話番号が書かれていたらまず検索エンジンにその電話番号を打ち込んでみよう。この手の業者は短期決戦で仕事をしていて数日で電話番号を変える。俗に「飛ばし」と呼ばれる転送を利用している奴らもいる。が数日悪事を働いている詐欺業者ならその電話番号についての情報が出てくるだろう。

ここで注意しなければいけないのが、悪徳業者が自ら「問題解決のお手伝いをします」と宣伝する自作自演の二重の罠を多数用意していることだ。

信用ができるのは「電話番号検索」というサイトでここに電話番号が上がっていて多数のアクセスや書き込みのあるものは確実に詐欺だから無視しておくのが一番だ。

◆勘違いをしているのにやけに自信満々な初心者業者との会話を録音した

私が電話をかけた先はどうやらまだ開業したての業者だった。検索しても当該電話番号は出てこない。悪い奴は被害が広がる前に芽を摘まねば(繰り返すが読者の皆さんはくれぐれも私の真似をしないで頂きたい)。

出てきた男は「19万円の利用料金が未納になっている」と言う。また大きく出たものである。私は犯罪者にはそれ相応の言葉と表現(世間ではヤクザと呼ばれるような語り口のことだ)を使うからおいそれと餌食になることはない。けれどもこの男はどこでどう勘違いしたのか知らないが、私を専修大学のある教員と決めつけ履歴もはっきりしているなど自信に満ちた態度を崩さない。会話の間に検索してみると、確かにその氏名の先生は存在している。

何故に私をその先生と勘違い(?)したのかわからないけれども、男は自信満々で「大学教授のクセにこんなサイトを見てるんですねー。」などと調子に乗っている。私は気楽なもんだ。勘違いされた先生は気の毒だが詐欺師は全く見当違いの相手だと気がつかない。「いいですよ。受付に電話して先生のしてる事を話しますから」「いいです、いいです。はいはい直ぐに訴訟の書類送りますから。裁判です。はい。払う気なけりゃこっちも仕事なんでね」

「あのなあ、裁判でもチャカでもかまへんけど、お前のケツ何処が持っとんねん?」これは上品に言い換えると「裁判でも拳銃撃ち込まれても結構ですが、お宅様の後ろ盾はどちらの組(ヤクザ)ですか」と言う意味だ。普通、大学の先生が使うことはない「お下品」な話し方だ。

さらに「ワシの携帯のう、ネット繋がらへんねん。せやからお前の言うてることは完全ないいがかりやないか!このドアホ!」とお伝えしておいた。さらに念押ししておいたがこれ以上書くと、私の品性が疑われるから後の会話は伏せておく。

◆「啓発」が必要なのは市民ではなく通報してもまともに対応しない警察の姿勢

詐欺師はあれこれゴタクを並べても結局何もできはしない。問題はその後だ。

メールの証拠もあり明らかな詐欺だから、私は会話の全てを録音していて警察に通報した。ところが警察はそっけない。

「詐欺かどうかは分かりませんから」「ああそうですか、今担当者がいないから明日又連絡してください」とまるでやる気が無い。日頃散々「新手の詐欺にご注意を!」「怪しいと思ったら窓口に連絡を!」と相談窓口の連絡先をポスターやネットで啓発しているくせに、通報してもこちらが伝えようとする内容すら聞こうとしない。

こんな警察の姿勢なら詐欺は繁盛する一方だろう。なんでせっかくの情報提供を聞こうともしないのだろうか。これでは警察の存在意義ないじゃないか。呆れたことに対応した警察官は「民事は警察管轄外ですから」とまで言い放った。声が若かったから新米のお巡りさんだろうか。詐欺が民事? 大丈夫かお巡りさん!

この手の詐欺はどうやら「自衛」するしかなさそうだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

◎《大学異論29》小学校統廃合と「限界集落化」する大都市ニュータウン

◎《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文

より深層へ!横議横行の『NO NUKES Voice』第3号!

 

より深層へ!横議横行の『NO NUKES Voice』第3号!

 

選挙年齢引き下げで自民が狙う「若年保守層」は未熟な大人社会と合わせ鏡

文科省は2月19日講義内容や運営方法などに不備があるとして、改善を求める大学253校を発表した。新設された大学や学部を昨年度から調査対象としており、502校の約半数に問題が指摘されている。大半は学生の定員割れや教学体制への言及だが、以下のような事例もある。

千葉科学大(千葉県銚子市)は、一部の講義で“レベルの低さ”が問題視された。「英語1の講義で同大学のシラバス(講義計画)によると、冒頭から「be動詞」、「過去形」、「進行形」と、中学校で学習しているべき内容が並ぶ。「基礎数学」の講義では、割合(百分率)や小数、四捨五入とは何か、から講義が始まっている。

つくば国際大(茨城県土浦市)では「化学」の講義が元素や周期表の解説から始まり、「生物学」では光合成やメンデルの遺伝法則から取り上げている。

このような講義内容対して文科省は「大学教育水準とは見受けられない」と指摘して改善を求めているそうである。

たしかに「be動詞」、「過去形」、「進行形」は中学校で習得しておくべきレベルであるし、「光合成」や「メンデルの法則」も大学入学以前に習得をしておくべき内容であることは間違いない。しかし、現実に中学生レベルの知識を持ってない学生を受け入れた以上、大学はいきなり英語の講義でヘミングウエィーや英字新聞の読解を学生に提示したところで、誰一人全く理解できないしついてくることは出来ない。

◆「学力低下」は20年ほど前から顕在化していた

大学における「学力低下」は偏差値下位校で、20年ほど前から顕在化しだしていた。千葉科学大学やつくば国際大学は「正直」に学生の能力レベルと講義実態を文科省に「見つけられ」たので名前が挙がってしまっているだけの事であり、同じような内容を教えている大学は100近くはあるだろう。

これはどう考えても大学レベルではない、いや高校レベルにすら達していないという学生まで受け入れないと偏差値下位大学は学生確保がおぼつかない。そこで一部の大学では「導入教育」という名前で単位を付与せず、いわば補習的に学生の学力向上に取り組みが始まった。「導入教育」はその方法と担当教員の熱意などにより成功例と失敗例双方多数の実績がある。大学だって本当はそんなことはしたくはない。大学らしい内容の講義やゼミをしたいけれども、そのレベルまでに学生を引き上げないことに話が始まらないのだ。

ともあれ、まず読者の皆さんに知っておいていただきたいのは「名前さえ書ければ入学できる」大学は、比喩ではなく現実に多数存在しているという事実である。

◆「若年層は保守票に取り込める」と踏んだ政権与党

そこへもってきて、選挙権の18歳への引き下げだ。

もとはと言えば選挙権ではなく改憲の際の国民投票に限定して18歳まで投票資格を引き下げてはどうか、という議論が出発点であったのだが、ここへきて選挙権の引き下げが模索されようとしている。

政権与党は「若年層の非政治化が完成し、若年層は保守票に取り込める」と確信を持ったのだろう。その判断が前述のような一部大学生の学力低下と無関係ではもちろんない。

更に、偏差値が非常に高い大学生の知識、学習能力は依然変化はないけれども、「政治」「社会問題」への関心は70年代後半から一貫して右肩下がりである。極端に表現すれば60年代、70年代の大学生と今日の大学生ではその問題意識と行動において大人と子供ほどの差がある。70年代の政権はまかり間違っても選挙権の18歳引き下げなど考えもしなかったに違いない。

選挙権の引き下げについて、私は明確に反対する。そんなことを行えば反動政権の軍事化政策を利するだけだ。

選挙権の引き下げを議論するのならば、「成人」年齢の概念や運用については再考する方が先ではないか。例えば法律的な「結婚」は成人を待たずに男性18歳、女性16歳で許される。男女で差があるのはおかしくはないか。今日の進学率で言えば9割以上の16歳は高校生である。飲酒喫煙は20歳からしか許されない。ギャンブルを例に挙げれば、パチンコは18歳以上(高校生でなければ)は入店OKだ。あまり知られていないが、20歳を超えても競馬の馬券を買うのは法律上大学生には2005年まで許されていなかった。競艇、競輪、ボートレース等は今でも「学生」である限り何歳でも「賭ける」ことが禁止されている。

◆「学生の幼稚化」は大人社会の反映に過ぎない

「成人」とは一体なんだろうか。

かつて大学に入れば「新歓(新入生歓迎)コンパ」などで飲酒は当たり前の文化だったが、飲酒についての監視の目が大学内では異常なほどに厳しくなっている。20歳になるまでに飲酒をするのはもはや「犯罪者」扱いに近い。

大学では20歳以下の学生の飲酒が見つかると、クラブ活動が停止になったり、厳重に処罰される。大学職員がどこでそれを発見するのかと言えば、SNS上である。ツイッターやフェースブック、などに宴会と思われる書き込みや写真がアップされていないかを常時探している職員がいる。

常軌を逸した大学の異常行動と言わざるを得ないが、SNS上の写真から飲酒が発覚しクラブやサークル活動の停止を受けた学生は実際に存在する。写真を載せる学生も「アホ」だが、それを見つけてとがめる大学職員の行為は「大人」として余程情けない。学生に伝え教えることは他にないのか。

大学生に限らず、現場の先生方に聞くと、高校生、中学生の幼児化は明らかに顕著だ。学習能力の低下もさることながら、社会性や自己表現力の鈍化が著しいと現場の声を異口同音に耳にする。

生徒、学生のありようはその子供たちを育てた社会や家庭、大人の反映だ。選挙権を18歳に下げると言う一見耳触りの良さそうな「罠」の前で、「大人」達はまず自分がどれくらい成熟しているかを振り返ってみよう。立派な「大人」はワイドショーや週刊誌の垂れ流すゴシップではなく、本質を見抜く視点と判断力を持っているはずだ。あなたは大丈夫だろうか。私も大丈夫だろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎イオン蔓延で「資本の寡占」──それで暮らしは豊かで便利になったのか?
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」

炸裂!『紙の爆弾』!

中原徹の越権と橋下徹の無法──憲法軽視の弁護士上がりが大阪を壊す

本コラムで先に取り上げた大阪教育長で「パワハラ」が認定された中原徹 が辞任した。知事の松井が「辞職の必要はない」と「パワハラ擁護」を展開していたが、4月の統一地方選挙を忖度したのか、あるいは「引導」が渡されたのか中原は辞任した。

そもそも中原は公立高校校長として「憲法」(21条:「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」)を踏み倒す学校行事での「君が代」唱の際に、教員が歌っているかどうか口元を調査するような人間だったので、「パワハラ」を起こすこと自体に驚きは全くなかった。むしろ人格的には「当たり前のことをしでかした」といっていいだろう。弁護士でありながら憲法を無視する行為を平然と行い、それを橋下(当時知事)に「素晴らしいマネージメント」と褒められていたが、橋下の気まぐれな賛辞ほど無責任なものはないことはようやく世間でも認識が広まってきた。

日本は憲法を最高規範とする法治国家であるらしい(私はあまり信用していないけれども)。一定の権力を手に入れた法律の専門家である弁護士が行政に関わる際は自身の思想信条を施策として提起することは許されるだろうけれども、最低限常識的法律解釈から外れてはいけないのではないか。

◆支離滅裂に中原を擁護し続ける橋下の「往生際の悪さ」

橋下は中原の辞任に対して「本当に残念で仕方がない」と語っている。だが、あろうことかパワハラ行為については「反省すべき」だとは言及しているものの、被害者である大阪府教委職員に対して「全く言うことを聞かなかったと聞いている。とんでもない」と述べるにとどまらず、中原のハラスメントを審議した第三者委員会の報告書について、「でたらめだ。中原氏の発言が一切採用されていない、名誉にかかわるので思う存分言った方がいい。2年間で改革の道筋をつけてくれた」と全面的に中原擁護の姿勢を崩していない。二重の嫌がらせもいいところだ。橋下の無茶苦茶な言動を追っかけていると本当にきりがない。この男にあれこれ言葉を投げかけること自体が無駄だと思う。「バカは死ななきゃならない」という子供の言葉を思い出した。

だけれども、これが橋下の本性だ。

いいんですか、大阪市の皆さん? くどいと叱られるかもしれないが、こんな人間が中心となってぶち上げている「大阪都構想」の本質は前大阪市長平松邦夫氏が『紙の爆弾』3月号 に明らかにされている。

間近に控えた統一地方選挙で関西にはいくつもの改選議会がある。「維新」勢力に対しては徹底した異議申し立ての投票行動が期待される。

「往生際が悪い」という言葉を理解する格好の例が橋下の支離滅裂な中原擁護だが、それ以外にも橋下のお先棒を担いだ人間を忘れてはならない。

一応スタンスとしては「脱原発」を売り物にしていた飯田哲也を囲ってみたり、経産省出身の古賀茂明を子飼いにしようと試みたり。橋下は確かにテレビ受けする(しかも一見「良心派」と思われる)人物の登用にも抜け目はなかった。

◆橋下徹も中原徹も憲法を軽視する本末転倒な「弁護士」

一方、中央大学の野村修也、中原徹、そして本人橋下徹(大阪弁護士会で懲戒の経歴有)。いずれも弁護士だが些末な法律や条例を盾にとり人権を踏みにじっている。あらゆる法律の前提となる最高規範「憲法」をあまりにも軽視し過ぎる本末転倒弁護士連中だ。

国会議員に西村眞悟という男がいる。この男は行き掛かり上あちこちの党を渡り歩き現在は「次世代の党」の所属しているが、以前は民主党所属だった時期もある。西村は弁護士資格を持っていた。が民主党所属だった時期に「現行憲法でも日本は北朝鮮に宣戦布告をして叩きのめすことが出来る」と怒鳴りまくっていた。資金繰りに困ったためか「弁護士の名義貸し」を行い弁護士法違反で逮捕起訴され有罪が決定し弁護士資格は剥奪されている。

西村は堺の出身だ。現在堺市長は「反維新」だが大阪には理解しがたい感覚の「弁護士」や元弁護士が集まって来る。我々一般人は「弁護士」と言えば法律に詳しい特別職と思いがちだが、どうやらその枠から外れる人間も多数生息しているようだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
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◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
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統一地方選を前にエラー連発!空中分解寸前の自民党大阪府連!『紙の爆弾』4月号

 

3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

4年が過ぎた。2011年3月11日東北を中心に東日本を襲った大震災から。腰を抜かしそうな大津波、首都圏でも長時間にわたる激しい揺れ、交通・通信の途絶と寸断。そして人類史上初めての原発4基爆発。

今私たちがああだのこうだの、まだこの島国に住みながら、くだらない発語が出来ているのは、奇跡かもしれない。いや奇跡だと言い切っていいだろう。

◆「放射能という名の化け物」との格闘は半永久的に続くという現実

昨年12月に福島第一原発4号機の使用済み燃料プールからの燃料取り出しが終了した。

これを「技術の勝利」と呼んだ人がいた。

傲慢に過ぎる。

勿論、技術者や現場での作業に関わった方の「命がけ」の賜物には違いない。彼らの勇気と優秀さには尊敬の念を払う。

だが、それは燃料棒撤去作業を断念させる4号機の建屋崩壊に繋がる、余震が「偶然」起こらなかったことの僥倖に起因することを忘れてはいけない。人間の技術依存への慢心は常に不幸の誘引剤だ。これからまだ3号機、2号機、1号機の燃料取り出しと「廃炉」作業が待ち受ける。政府が言うには「30年程」で片が付くらしい。

馬鹿を言うな。人類的な時間尺で言えばこの「放射能という名の化け物」との格闘は半永久的に避けられない。

◆「復興」は全く進まず、「絆」という言葉の意味が剥奪された

復興?

全く進んではいない。「全く」だ。阪神大震災と比較すればその違いはことさらに際立つ。

勘違いしないで欲しい。私は被災された方々の不幸をことさら取り上げ、それを材料に騒ぎ立てようとしているのではない。被災された方々が納得のいく形で生活再建をなされることだけが「復興」の名に値すると考える。

「絆」という言葉が意味を剥奪された。

「不条理に耐え忍ぶため事実に目をつぶり、ひたすら思考せず支配者へ従うこと」へと意味の蹂躙・変換が行われた。J・オーウェルが『1984』や『動物農場』で予見した「意味の収奪」(Newspeak=新語法) とはこのように2011年以降の日本で現実化している。

屍。累々とした屍。200いや300を超える屍。数時間前まで昨日と変わらぬ日常を過ごしていた人々が津波に飲み込まれ、海の上をたゆたう姿となっとなったその姿を見て、事実のみを本社に伝えた記者が直後号泣し、座り込み立ち上がることが出来ずその後の取材活動が出来なかったことを私は知っている。

勘違いが過ぎたのだ。思い上がりが過ぎたのだ。自然の力に人間はかくも無力だ。

悲しみも、無力感も、後悔も、怒りも、そして疲労の余りに至る諦念。全て「自然に対抗できうる」などとの身の丈を過ぎた傲慢が導いた結果なのだ。

◆人災を「風評被害」と言い換える人々が、原発を輸出し、戦争に邁進する

寒い。しびれるほど寒い。春近いと言ったって東北の冬は地面の底から寒さが突き上げてくる。

どうかマスメディアよ、これ以上無意味な言葉で必死に生きる人間を軽んずる「侮辱」を止めてはくれまいか。

どうかマスメディアよ、自然に対して人間は無力ではあるけども、人間の行為は人間が制御できることを想起してはくれまいか。

どうかマスメディアよ、避けられぬ自然災害にあれこれ意味づけををするのではなく、避けようがいくらでもある「人間によって引き起こされる災害」の意味こそを問うてはくれまいか。

津波、地震によって亡くなった方々の鎮魂は、亡き人を思い忍び前を向く遺族の方々の日常で十分だ。薄っぺらい言葉やイベントなど一時凌ぎの慰めにしかなりはしない。

これ以上苦しめるな!

これ以上蹂躙するな!

被災地の人々、とりわけ子供を放射能で病ませるな、殺すな!

私はあなたに「ねぇ、だから一緒に行動しませんか」などと言うつもりは全くない。

私一人で怒る。

自然災害と人災は違う。

人災を「風評被害」と言い換えて原発の再稼働・輸出、あろうことか「戦争」に邁進する人間どもを満身の怒りで指弾する。殺意に近い感情は消えない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!
◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎渡辺昇一の「朝日憎し」提訴原告数が「在特会」構成員数とほぼ一致

恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている

「テロの脅威」だそうだ。とにかく「テロとの戦い」だそうだ。そして「イスラム国」だそうだ。「何が何でもイスラム国を潰す」のだそうだ。なぜならイスラム国は残虐で過激主義だから。

私には訳が分からない。イスラム国の前は「アルカイダ」だった。その前は「タリバン」だった。小さいところでは「イスラム同胞団」や他にも数知れずイスラム系の組織はある。それらは全て健在だ。アフガニスタンの実効支配面積はタリバンが優勢を保っている。でもそのことは全然問題にされない。何故だ。

◆忘れさせるために、その場その場で政府は「脅威の対象」を変えてくる

それにもまして、直ぐにでも攻めてくるような朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)の脅威が全く語られなくなったが、どうしたことだろう。中国との間だって尖閣諸島あたりで毎日緊張が高まっていたはずじゃなか。全くと言っていいほど政治の場の論戦や報道には登場しなくなっているけど、状況が変わったのだろうか。古いことろでは北方領土問題はどうなったのだろう。ソ連時代はあれほどキャーキャー叫びまくっていた北方領土問題は解決したのか。していないじゃないか。ロシアのチェチェンはどうした? インドネシアのアチェは? ビルマのカレンやカチンは?

どれ一つ大きな変化はないはずなのに何故かこの国の政府やマスコミの関心は「イスラム国」に偏りっぱなしだ。おかしくないか? ああそういうことだったのか。たぶん今日も朝鮮中央放送は例によって金正恩を讃える放送をしているだろう。ロシアではモスクワ中央放送がチェチェンでのタタール人を不安視する放送を流しているだろう。ウクライナ情勢について米国批判が語られているだろう。

◆危機の在りようは変わらず、政府の思惑次第で「危機」が変わる

かように世界のあり様は何一つ変わってはいないのだ。変わっていっているのはこの島国を支配する政府連中の思惑だけだ。「危機」は専ら政府の恣意と目的によって創造される。それをマスコミが下支えする。疑いを知らぬ市民は「そんなに世界は動揺しているのか」と不安になるが、そうではない。不安は創り出されたものなのだ。例えば「朝鮮の新たな軍事計画が明らかになりました」とアナウンサーは冒頭紹介した後に朝鮮中央放送の日常的な放送を流せば、それだけで「また北朝鮮はけしからんことをやっている」と世論形成のお手伝いが出来る。でもそれは日常的な放送内容に過ぎないのだ。

出来もしない「邦人人質救出」のための法整備に的外れな時間を割いてみたり、周辺事態法を「恒久法」に作り替える根拠をあれこれ並べているけれども、そんなものが必要な根拠はもとより何処にもないということだ。軍事国家を目指す安倍を筆頭とした連中は旬の野菜を選ぶように、その時一番国民に不安を煽るような材料を提示する。手下のマスコミも進んで材料探しに日々奔走するのだ。こいつら一体何が目的なんだろう。「陰謀論者」ならば「アメリカが背後で操っていて日本が軍事化を進めて自滅するのを待っている」と言うかもしれない。

私は「イスラム国」なんかどーってことはないと思う。関係ない。日本国内でテロが起きる可能性がある? それはあるだろう。「イスラム国」だけでなく他の勢力からも日本は恨みを買っているから仕方がない。因果応報と言うやつだ。こちらが何もしていないのに一方的に殺されちゃあたまらないけど、戦後の歴史の中だけだって日本はえげつない経済侵略を山ほど行ってきている。このことを日本人は決定的に忘却している。

米国に至っては防御の方法は無いだろう。侵略の歴史を歩み続けてきたこの国は「世襲的罪」ともいうべき逃れることのできない宿命を自ら重ねてきたのだから。個人的に防衛策を考えるのであれば、NYやワシントンD.Cなど大都市に住んだり近寄ったりしないことくらいだろうか。国の背負った罪を個人で贖わされるのは確かに割には合わないのだから。

◆在特会と日本政府に共通する「行動する保守」のご都合主義

それよりも「在特会」元気がないじゃないか? 「行動する保守」(在特会の正式名称は「在日特権を許さない市民の会」である)としては「イスラム国」問題をどう考えるのか、見解を明かすべきじゃないのか? 保守にとっては深刻な問題じゃないのか? それともおたくらは半径1000キロ範囲の世界の事にしか手や思考が回らないのかい。

まあ、仕方なかろう。日本政府のご都合主義だって在特会と大して変りはしない。

ありもしない危機を煽るために、ある時は朝鮮を利用し、ある時は中国、中東で火が付けば嬉々として飛びつく。軽薄な10代の若者がアイドルタレントのケツを追っかけているのと変わらないじゃないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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東電はKDDI、規制委員会は日立が請け負う原発関連コールセンターの無責任

いったい事故の真相はどうなっているのだろうと気がかりで東電に電話をかけてみる。ネット上で東電案内窓口と示されている案内一般のフリーダイアルに電話を掛けると「申し訳ございません」、「この度は大変ご迷惑をおかけしました」と言葉と態度は平身低頭だが、肝心の内容には全く回答してくれないオペレーターが応対に出てくる。

これは2011年事故直後からしばらく続いた東電の「電話対応」体制だ。当時この電話対応を請け負っていたは「TEPCOコールアドバンス」でこの会社は名前が示す通り東電の子会社だ。マスコミや記者を相手にした「記者会見」でもまともな発表を行わない東電が個々の電話問い合わせに真っ当な回答をする道理はないのだが、遠隔地に住む人間としては毎日東電記者会見に通うわけにもいかないから時々、東電に電話をかけて情報収集の真似事と、対応がどう変化してゆくかを追っていた。

◆「正社員は誰も責任を取らず傷つかない」仕組みとしての東電コールセンター

ある時期から東電HP上では一般問い合わせのフリーダイアルがなくなり、賠償対象者のみにフリーダイアルが公開されている。試しにこの番号へかけて事故の内容などを質問すると別の電話番号を案内される。その番号は050からはじまる「ナビダイアル」と呼ばれる番号で、電話をかけた方が通話料金を負担するようになる。

まあ、こちらは質問をしたいので、番号が無料であろが、有料であろうが文句を言う筋合いはないのだが、問題はそこで出てくる人間の応対だ。前述の通り東電は当初(事故前は不明)「TEPCOコールアドバンス」から派遣された電話応対部隊を使っていたのだが、理由は分からないもののある時期にオペレーターの総入れ替えを行う。「TEPCOコールアドバンス」は撤退し、代わって「KDDIエボルバーコールアドバンス」社が電話応対業務にあたるようになる。「エボルバーコールアドバンス」とは何とも強い怪獣のような名前だが、業務自体が変わったわけではないのでこちらが電話をかけた際の応対にさしたる変化は見られない。

この体制を敢えて短い言葉で表現するとすれば「正社員は誰も責任を取らず傷つかない制度」と言えよう。

私を含め東電に電話を書ける人の中には質問や、怒りが煮えたぎっている人が多かったに違いない。それを受け止めるのは正社員ではなく子会社もしくは、別会社で専ら電話受け付けのみを担当する人だ。

その人々には何の権限がないことは言うまでもなく、また「貴重なご意見として承り、必ず上司に伝えておきます」と決して実現することのない慣用句を口にするが、あの電話は直接、東電社員や幹部が時には体験してみるべきだ。そうしない限りいつまでたっても東電正社員の傲慢さと責任感のなさが改めれれることはないだろう。

◆日立システムズが原子力安全規制委員会のコールセンター業務を請け負う

電話対応で、これまた東電以上にえげつないのが「原子力安全規制委員会」だ。「原子力に関するお問い合わせはこちら 03-5114-2190」とHPに電話番号が載っている。こちらは官庁なのでフリーダイアルでないのは当たり前だが、ここへ電話をかけても「絶対」と言ってよいほどに公務員へつないでくれることはない。ここもコールセンターなのだ。「あなたは公務員のですか?」との質問に「こちらはコールセンターです」と答えをはぐらかす回答をするので、こちら意地になり同じ質問を5分ほど続けたことがある。

意固地な女性のオペレータはこれでもか、これでもかと私が質問を投げかけても「こちらはコールセンターです」の一点張りで機械のように回答を続けた。「あなたの所属する会社はどこですか」との質問へも「私はコールセンターの人間です」としか答えなかった。「ややこしい質問へはすべて『私はコールセンターの人間です』と回答しなさい」とのマニュアルがあったのだろう。

その応対が数か月前から変わった。現在「原子力安全規制委員会」コールセンター業務を請け負っているのは「株式会社日立システムズ」だ。こちらは日立の子会社と言うには規模が大きく、資本金が190億円もある大会社だ。その「日立システムズ」から派遣された6、7人が「規制委員会」コールセンターの電話受付業務にあたっている。「どこの会社か」と聞けば正直に答えるし、以前よりも多少人間らしい対応にはなっている。

しかし、原子力安全規制委員会と日立である。

余りにも怪しい組み合わせではないか。オペレーター氏に聞くと「契約は入札で行われた」という。原子力安全規制委員会にアクセスする方法がこちない以上、オペレーター氏の答えを信用するほかない。

日立は福島第一原発原子炉の設計にかかわったていた。原発を売って儲け、爆発させてもまだ儲ける。

公平な入札で「規制委員会」の仕事を日立が落札したとすれば、両者の因縁は断ち切りがたく深いと言わねばならない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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ジャンク化マクドの「疫病神」原田泳幸の経営手腕は「合理化=搾取と混乱」

ベネッセの会長兼社長で日本マクドナルドホールディングス並びに日本マクドナルドの取締役会長の原田泳幸が3月25日の定時株主総会後に辞任することを明らかにした。

◆従業員を使い倒す“ピープル・ビジネス”のどこが「お客様第一」か?

原田は2月20日、マクドナルドを辞任するにあたってこんなコメントを発表している。

「私のマクドナルドでの歩みは常に変革・改革の連続でしたが、マクドナルドは“ピープル・ビジネス”、常に人材を礎としビジネス基盤を強固にしてきたことで成長してきたものと確信しております。幾度のビジネスの危機も、『お客様第一』であり、目の前のお客様に誠心誠意対応させていただくことを肝に銘じてまいりました。『お客様第一』を徹底して追求していく事こそがお客様への価値向上につながり、企業を成長させる最も重要な事であると考えております。日本マクドナルドは真摯な気持ちでふたたびお客様の店舗体験の価値を高めることと私は確信しております。」

原田らしいコメントだと思う。原田の言う「“ピープル・ビジネス”」とは「人々のための仕事」ではなく「従業員や消費者を使い倒す」手法である。元からアルバイト中心で少数の正社員で構成されていたマクドナルドに更なる「合理化」=「搾取」と「競争」原理を持ち込み、自分の人脈の人間を多量に雇い入れ、その連中とも反りが合わなくなり追放し、内輪のゴタゴタが凋落に繋がって行った。「ビジネス基盤を強固にしてきたものと確信して」いるのは原田だけだろう。

「『お客様第一』を徹底して追及してゆく事こそがお客様への価値向上につながり」とはこれと正反対の方針を取る経営者の常套句で「お客様第一」を考えていたらあんな体に悪い商品を臆面もなく売ることなどできないはずだ。あれこれ言いつくろってもジャンクフードの王様、マクドナルドで利益を上げようとした経営者に「お客様第一」を語る資格などない。

◆外資を渡り歩く経営者にありがちな「自己利益と身分確保」優先主義

読者は意外に思われるだろうが私は原田と面識がある。もっとも私が原田と知り合ったのは彼が日本アップルの社長だった頃でまだ白髪も目立たなかった。

その数年後、ある企画で原田に協力を頼めないかと日本アップルに連絡をしたところ原田は既に社長ではなかった。電話に出た人間に転職先を聞いても答えないので調べるとなんとマクドナルドに移っていた。「マック」(アップル製PCの略称)から「マック」へと冗談のような転身だなぁと驚いた記憶がある。が、経営者が大企業を渡り歩くこと自体は珍しくもないので原田の手腕が買われたのだろう程度に考えてた。だがその後マクドナルド内ではかなりえげつない合理化により、内紛と言っていいほどの混乱が起きる。ジャンクフードの売り方よりも自身の利益や身分の確保に凌ぎを削る争いが起きて、一部フランチャイズ店からは訴訟も起こされる。

たぶん原田の運はこのあたりから下降線をたどっていたのだろう。

◆マクドナルド凋落はベネッセでも繰り返される

ベネッセで社長兼会長に就任するとニュースを聞いたときは「いくらなんでもそれはやりすぎだろう」と感じた。ベネッセは福武書店が「進研ゼミ」の商標と名乗っていた岡山に本社がある教育関連企業だ。長く株式を公開せず、社員持ち株を続けていたが株式公開と同時に高騰し、社員が皆「億万長者」になったという噂を持つ会社だ。模擬試験や通信教育から始めた事業は「幼児から取り込めば大学受験まで顧客にできる」と着眼し、「シマジロウ」という虎の縫いぐるみを中心に幼児向けのビデオ教材でも成功を収める。

「幼児から取り込めば大学受験まで顧客にできる」これどこかで聞いたフレーズに似てはいまいか。そうだ。日本マクドナルド初代社長藤田田は「親の舌をハンバーガーに馴染ませたら、子供も食べに連れてくる。徹底的に日本人の舌を変える」と言った。「味覚の強制破壊」とも言うべき手法に限りなく似ている。ベネッセの幼児教材は、ほとんど玩具なのだが研究し尽してあり幼児が喜ぶ材料を毎月送って来る。ビデオなどは幼児のツボをついているらしく、一度見せると「もう一回!」と幼児が何度も繰り返し見たがる光景を私は各所で何度も目にしている。

だから、先ごろ起きた情報流出事件のように膨大な顧客を抱えることに成功していたのだろう。漏えいした個人情報の数はベネッセによると、実に3504万件に上る。大雑把に言えば国民3人に1人の割合だ。情報の内容や区分はともかくこれだけの情報を保持するほどに事業が拡大していたことは驚きに値する。売り上げを見ても2014年3月末で4663億円に上っている。経営も多角化し同時に混乱も多角化している様子が想像される。

そこに現れたのが原田泳幸だ。原田のベネッセ社長兼会長就任は2014年6月21日だからまさにベネッセ社内は情報漏えいでテンヤワンヤの時期だったろう。原田がこの漏えい事件にかかわったわけでは全くないけども、ベネッセに移籍するにあたりこのような混乱の渦中に放り込まれるあたりで原田の運がとことん尽きていることが伺い知れる。

ベネッセは昔通りに進研ゼミの「赤ペン先生」と「模試」を丁寧に行っていれば良いものを、「幼児から取り込めば大学受験まで顧客にできる」などとよこしまな考えを起こしたことがそもそもの過ちだったのだ。そこへ原田の登場である。マクドナルド凋落がベネッセでも繰り返されるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎日本の「新幹線」輸出で最初から破綻が運命づけられていた台湾高速鉄道
◎リクルートの「就活」支配──なぜ国は勧告指導しないのか?
◎渡辺昇一の「朝日憎し」提訴原告数が「在特会」構成員数とほぼ一致

「闘う在米心理学者」矢谷暢一郎の心情溢れる提言『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』

 

橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!

上は総理安倍から下は市会議員、村会議員まであらゆる階層で「毒素」がばら撒かれ蔓延する何とも嫌な時代になってしまった。先日の予算委員会では安倍が民主党の質問者発言の際に「日教組!」「日教組は!」とヤジを飛ばし、委員長から注意されていた。

確かに昔の日教組には骨のある活動実績もあったけども「連合」に加盟してこれといって際立った存在でもなくなった日教組を未だに目の敵にしている安倍の本音が露わになった。時々街で見かける大音量で改造車から軍歌を流している街宣車に乗っている右翼の方々と安倍は同意見なのだ。

◆2次関数の曲線のようにエスカレートする安倍の暴言暴走

安倍の暴走振りは2次関数の曲線のように日に日にエスカレートしているように思えてならない。安倍は「絶対に」、「全く」、「完全に」という言葉を頻繁に使うようになってきた。「絶対に」はイスラム国に向けた敵愾心の中で吐露されていた「卑怯なテロは絶対に許さない」だ。同様に「全く」は日本人人質事件で対応に問題はなかったかとの質問に対する回答だ。この質問への回答の中で「対応に全く問題はなかった」と断言している。「完全に」は政府の姿勢を正当化する答弁の際にしばしば登場する。

前回総理を勤めていた時、安倍の発言は今に比べればまだ慎重だった。やっていたことは「教育基本法」の改悪だったり、防衛庁の防衛省への格上げだったり今同様悪業の限りを尽くしていたのだけれども、言い回しはもっと迂遠(遠回し)で、今のように傲慢ではなかった。衆参両院で公明を入れれば絶対多数を維持しファシズムの下支えが盤石だからだろうか、もうこの男には日本語文法や原則的な憲法論が通用しなくなってきている。内心独裁者気取りだろう。

◆「パワハラ認定」中原徹=大阪府教育長は卑怯者「維新」の代表格

一方、厚顔無恥と屁理屈では安倍と双璧の大阪市長橋下はどうやらとうとう「弾切れ」に陥ったようだ。橋下が「改革」の名の下に行った「暴政」が次々に綻びを見せている。

橋下の手下で許せない人間の一人に大阪府教育長の中原徹がいる。奴は府知事時代の橋下によって大阪府立和泉高等学校の校長に民間出身、歴代最年少で就任した。中原は弁護士資格を持ち橋下とは大学時代からの友人だ。これだけで賢明な読者には怪しさが伝わるだろう。

和泉高校で中原が行った功績と言えば何と言っても行事の際に教員が「君が代」を歌っているかどうか「口の動き」をチェックさせたことだ。当時の大阪府教育委員長ですら「そこまでやらなくても」とコメントするなど多くの批判を浴びた中原だが、橋下はその行為に「素晴らしいマネージメントだ」と太鼓判を押した。戦前の特高警察、現在の公安警察並の行為を校長が行うことのどこが「素晴らしいマネージメント」だというのか。

また中原は「平和教育」と称して、生徒を自衛隊へ連れて行き、実質的な体験入隊に近いことまでさせていた。新聞が疑問も呈さずにあたかも新しい試みのように中原の「平和教育」を掲載していたので、電話取材を何度も試みたが中原はついに電話には出てこなかった。公立高校の校長のくせに卑怯な取材拒否だった。

橋下は調子に乗ると止まらない。手下の松井大阪知事を使って、あろうことか中原を校長から大阪府の教育長に引き上げた(2013年4月)。そして中原は当然のように事件を起こした。中原が「パワハラ」を行っていたことが2月20日認定されたのだ。立川さおり教育委員と教育委員会事務局の職員4人に対し、パワハラに当たる発言を行ったことが明らかになった。認定された「パワハラ」は3件だそうだがこれは「真っ黒」が3件と見るべきで、「グレー」な言動は数限りなくあったことだろう。中原は立川教育委員に対して「誰のおかげで教育委員でいられるのか。罷免要求出します」と発言したそうだ。天に唾吐くとはこのことではないか。「関西ファシズム」台風の目、橋下がいるからこそ、中原は民間出身校長に就任することができ、身分不相応な教育長にまで上り詰めている。橋下がいなければ中原が高校の校長や教育長に就任するような異常事態は起こりえなかった。

◆立地も建築も欠陥だらけの「咲州」府庁機能移転という「維新」幻想

カジノ設置候補地として横浜と大阪が選定されたそうだ。でもそんなことはもう橋下の追い風にはならないだろう。関西以外の読者の皆さんは現在の大阪府庁がどこに位置しているがご存知だろうか。橋下の当初の構想通り進んでいれば、そして東日本大震災が起こっていなければ、今頃、府庁機能は全て住之江区南港北にある「咲州」(さきしま)庁舎に移っていたはずだ。

現在大阪府庁の機能は大阪市中央区大手前にある旧来からの府庁舎と咲州庁舎に分かれている。旧庁舎は老朽化が進んでいるので建て替えか移転を模索していたが、橋下が知事時代に目を付けたのが旧「大阪ワールドトレードセンター」として建築され、財政破たんした大阪湾至近の咲州物件だった。地上55階、地下3階建てのこのビルはバブルの遺産ともいうべき無残な廃墟寸前だった。大阪市が一部を借り切りなんとか最終破綻を食い止めていたところに知事である橋下が「府が買い取る」と名乗りを上げた。もっとも当初は議会に反対されたり紆余曲折があったのだが、最終的に大阪府が買い取ることになった。

しかしだ、このビルがある場所は埋立地だから、海抜ゼロメートル(ひょっとすると海抜マイナス地帯かもしれない)だろう。ちょっとした高波、いわんや津波が来た際に機能しなくなる場所であることは素人にも自明だった。複数研究者の想定によれば南海、東南海地震による最大津波は内陸6キロ以上に及び大阪駅周辺も水没するとされている。なのに、海沿の孤立が確実な場所に庁舎を移転してどうするのだ。職員や知事はボートで庁舎へ行き来するのか。

更に立地だけでなくこのビルはとんでもない「欠陥建築」だということが判明した。東日本大震災時、大阪では震度3の揺れを観測している。日本で震度3と言えば驚きはするけども被害の出るような揺れではないはずだ。ところが咲洲庁舎では天井の落下や床の亀裂など360箇所が損傷、防火戸の破損、エレベーター全26基が緊急停止し、うち4基に男性5人が5時間近く閉じこめられ、エレベーターを支えるワイヤロープが絡まる、地震発生24時間後の12日夜の時点でも8基が復旧しないなどあきらかな「欠陥建築」であることが露呈したのだ。こんな被害が出た場所は関西でここだけだろう。

もう多言は要すまい。そんな場所、そんな建物に災害の時には対策の指揮を執るべき役所をおいているのが橋下を中心とする「維新」勢力だ。これでもあなたはまだ「維新」幻想を抱き続けるだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常

原子力規制委員会(田中俊一委員長)は2月12日、関西電力高浜3、4号機について、新規制基準を満たすと認める「審査書」を正式決定し、安全対策の基本方針についての関電の申請を許可した。既に「安全審査」が許可され再稼働一番手になるのではないかと警戒されていた川内原発よりも先に高浜原発が再稼働される懸念も出てきた。

忘れてならないのは「規制委員会」の審査が通ったからといって「安全」が担保されたわけでは全くないことだ。これは田中委員長自らが認めている。政府は再稼働の可否を「規制委員会」に委ねると言い、「規制委員会」は「最終的には政治決断だ」と言う。どちらも責任は取らない。責任を取れる道理がないから「押し付け合い」という茶番を選択するしかない(『No Nukes Voice』第2号参照)。

◆「当社は今『会社』としての体を成しておりません」と答えた事故直後の東電社員

まだ原子力規制委員会が「原子力保安院」と名乗っていた2011年に日本原電敦賀原発で、燃料のペレットが損傷して放射性物質が大気に漏れだすという事故があった。私は保安院敦賀事務所へ電話取材(抗議)を行い当時の所長遠藤氏をはじめ所員の方々と話をした。私は福島事故に見られるように制御できない技術を使うべきではないと主張し「原子炉即時停止ではなく即時廃炉にしてください」とお願いした。「廃炉ですか!」驚いた声を挙げた遠藤所長は典型的な官僚からはほど遠く、自身の知識で回答できない時は電話を保留にして資料を探しに行ったり、正直に「それは知りません」と回答されたり、姿勢は誠実な方であった。私との会話に1時間以上費やすことも珍しくなかった。

私は放出されたとする放射性物質の量が如何に危険なものであるかを指摘し、ベクレルとキューリーの換算方法などをお伝えした。遠藤所長はベクレルとキューリーの換算や、被爆による人体への影響や致死量もご存知なかったのでこちらからお話した。「そんなに危険なんですか、これから福島ではどのくらいの被害が出るのでしょうか?」との逆質問まで受ける始末。遠藤所長とは忌憚のない話が出来たけれども、彼は原発の安全を司る経済産業省の職員でありその辺の市民とは違うのだから、もう少し知識を備えてほしいと伝えた。「勉強します」と言っていた遠藤所長、最近取材して分かったのだが、私との電話での会話が影響したわけではないだろうが、直後に定年を待たずに退職されていた。

原子力保安院敦賀事務所の中には地元出身の方もいて遠藤所長が不在の際にはしばしば言葉を交わした「端的にこのお仕事(原子力保安院)お好きですか」と問うと「原発が無くなればこの仕事は不要ですから他の仕事をします」との回答が返ってきたこともあった。

それほどに危機意識と緊張感、もっと言えば恐怖が日常を支配していた。その感覚は至極真っ当だった。当時から危機を感じなかった関係者や、マスコミの報道に真実を隠蔽されたとはいえ、何も変わらぬ日常を安穏と送っていた方々の神経こそが愚鈍であったというべきだ。

事故直後、東京電力の社員は電話取材に「当社は今『会社』としての体を成しておりません!」と答えていた。株価は一時1円になった。

◆人類が初めて遭遇した事故の最中に私たちはいまも暮らし続けている

だが、総体としてこの国は、2011年3月11日以降の緊張感をもう忘れてしまっている。日本全滅が大げさではない危機だったあの時期を意識的・無意識的に忘却しようとしている。明白な自滅行為だ。70年前の太平洋戦争や50年程前の東京オリンピックの話をしているわけではない。現在も収束せずに進行しているわずか4年前の「福島第一原発メルトダウンと4機の原発爆発」という人類が初めて遭遇した事故の中を我々は毎日暮らしていることを再度くどいようだが認識しなおすべきだ。

再稼働議論にあたり周辺自治体の中には「避難計画が示されていない」等との疑問を呈する首長がいるが、何をとぼけたことを言っているのかと呆れるしかない。「避難」と言えばいつかは返って来られる印象を受けるが原発事故による「避難」は完全な片道切符だ。二度とその場所へは戻れない。土地が喪失するのと同義であるのに「避難計画」や「安定ヨウ素剤の準備」など全く無意味ではないか。なぜこんな簡単なことが福島で事実によって示されているのに理解できないのか。

はっきりしていることは、福島の被災者の方々を国も東電も購おうとはしていない、そして「誰も何の責任をとらない」ということだ。

国には「死刑」という「合法殺人」や「放射線による緩慢な殺人」が許される。電力会社はいかに健康被害を住民に与え、「死」を強要しても刑事罰に問われることはない。原子力に関する限りこの国は実質的に「無法状態」なのだ。

当時は頼りないことこの上ないと腹が立ったけれども、政治判断で「浜岡原発」を中部電力に止めさせた菅直人が今では立派に思える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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◎円安からデフォルト──税金引上げ、年金引下げ、社保切り捨ての後の総崩れ
◎安倍「国富喪失」解散──アベノミクス失策の責任を問う選挙へ
◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる
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