「イスラム国」人質事件で見えてきた「人命軽視」の安倍外交

イスラム国は、日本人人質2名を条件を飲まなければ処刑すると宣言した。前日に安倍が、中東諸国に25億ドルの援助を発表した直後の発覚だった。

しかし人質にされている方は昨日今日に身柄を拘束されたわけではなく、昨年来イスラム国側から保釈の条件を交渉するメールが御家族に届いていたという。御家族はもちろん政府に相談をなさっていたようだが、結果的に政府は身柄釈放に配慮することなく、イスラム国への宣戦布告に等しい周辺諸国への多額の援助を発表した。

◆「命」を救う気があるのか?

私は不思議なのだが、首相とはいえ25億ドルもの援助を事前に国会や政府の了解がなくとも勝手に決めても問題はないのだろうか。巨額の援助は外交政策だけでなく、予算にも関わる事項ではないのか。

何よりも昨年来、身柄を拘束されている方の「命」について何らかの戦略や配慮があるのだろうか。

ジャーナリストでイスラム国と独自のパイプを持つ常岡浩介氏は、人質解放のチャンスはあった、と述べている。もっとも常岡氏自身が大学生がイスラム国へ参加を計画していた嫌疑の協力者との咎により日本政府によりパスポートを没収されているそうで、動きが取れなかったようだ。

私は安倍が中東への対テロ対策援助を発表した時点から、安倍は意識的にイスラム国を刺激したがっているなと感じていた。そしてそれは現実のものとなった。イスラム国は人質開放の条件として中東援助と同額を支払え、と要求している。

武装勢力による人質事件の場合、解決には当事者同士ではなく、仲介役が大きな役割を果たす場合が多い。仲介役は表立って名前を出す時もあるけども、全く報道などに名前を出さないこともある。

日本政府は「英国や欧州の国と情報交換を行って」などとほざいているが、イスラム国からすれば、それらの国はいずれも敵国だ。素人目には全く成果が望めないのではと考えてしまうが、安倍や外務官僚には秘策があるのだろうか。

◆イスラム国から敵視されていない交渉役を抜擢せよ!

安倍は一応、人命尊重と口にはしているけれども、その前後の文脈から人質の命についての真剣味は感じられない。安倍は最初から、過激主義とイスラム教は違う、など的外れも甚だしい無知を毎日のように披歴しているけれども、私は訝る。

安倍の本心はイスラム国による邦人の犠牲者を期待しているのではないか。国内でもテロを警戒するよう指示したというが、その原因を作ったのは誰だ? テロが起これば軍事化へ向けた格好の口実に利用できる。安倍はテロを期待してはいまいか。

イスラム国の本質について私は正確な分析を行う情報を持ち合わせていない。しかし、自分がイスラム国の人間であれば、と仮定して考えれば自ずと展開は予想できる。

今、常岡さんやイスラム国に繋がりがある同志社大学客員教授の中田考さんが交渉役を担っても良いと表明している。人質の解放を望むなら彼らに交渉を依頼すべきではないか。

少なくとも彼らはイスラム国からは敵視されていない。彼らを猜疑的に疑い、前述の大学生がイスラム国参加問題が起きた時二人の自宅を家宅捜索したのは、日本の警察だ。

無能な外務官僚や安倍より交渉に於いては期待できる方々だろう。だが、それを政権が許容するだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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《大学異論28》気障で詭弁で悪質すぎる竹内洋の「現状肯定」社会学

前回の記事で「マスプロ教育」私的経験、「心理学」を担当していた高橋某を引き合いに出した。さて本丸はこの男、「竹内洋」である。

竹内は関西訛りが全くなかったので調べてみたら、東京生まれの佐渡島育ちらしい。1942年生まれだが現在でも写真を見ると年より若く見える。彼の講義を受けたのは約30年前になるが、そういえば「ぼんぼん」の如き顔つきと振る舞いだった。

竹内洋=関西大学東京センター長

◆80年代の大学時代に感じた竹内洋の「現状肯定」主義

竹内は我々の1年次「必修科目」である「社会学」の後期担当だった。前期の担当は徳岡秀雄でこの方は堅実に「社会学」の基礎を語って頂いた記憶がある。真面目一直線で面白味はないけども、彼に教室で教わった学術用語の深みを今でも記憶してるので実直な方だったと思う。

それに対して竹内は「ハイカラ」さんだった。自分のことを「ボク」と称し、こんなところに英語必要なのか?と思うほど話に横文字が多用された。

「つまりさ、ボクの言ってるササイエティーっていうのは、ポピュラーな意味でのそれとはだいぶ違うんだよ。コンセプトのコンフリクトを除外したらメークセンス出来ないんだよ」

ってな具合で、巨人の長嶋が知ってる限りの英単語を多用してカール・ルイスに話しかけたのと少し似た(勿論竹内の英語力を長嶋と比較するのは失礼だけれども)「竹内ワールド」が展開されていた。

でも「竹内ワールド」時々見落とせない片鱗を表出してもいた。彼は様々な社会的制度を例に挙げ、それを彼なりの解釈で読み解いてゆくことを独自の話法としていた。旧来の社会学者の見解を紹介しながらも最後には実に個性的な解釈で事象を解読するのだが、私にはその結論のほとんどが「現状肯定」に落ち着いているように聞こえて仕方がなかった。ある時竹内は「共通一次試験」について語った。今日の「センター試験」と名称を変えた統一大学入試の原型だ。

「ボクはさ、『共通一次』って可愛そうだと思うんだ。だってね導入された時から批判されることが分かりきっていたんだから」

はて、何故かわいそうだのだろうか?と私は彼の真意を理解しかねた。今日の「センター試験」は国公立だけでなく、広く私立大学も利用している。竹内が語った「共通一次」への批判とは「全国の国公立大学受験者が、異なる大学を受験するのに同じ試験を受験しなければならないのは、大学の個性を無視するのではないか。また私立大学の存立の意義に立ち返れば『入試』を『統一試験』に頼るなど、建学の精神を異にする大学間で理念的に可能であるはずがない。文部省(当時)はいずれ私立大学支配の足掛かりに私立大学へも『共通一次』への参加を迫って来るのではないか」という懸念だった。

当時の懸念は、不幸なことに見事すぎるほど的中してしまっている。私立大学で「センター試験」を全く利用しない大学の方が現在では少数になってしまった。竹内が「可愛そう」と言ってみせた「共通一次」はとてつもない成長をとげ、弱小私立大学に重荷を背負わせることになっている。

◆安全地帯から一歩も出ない学者論法

ことほど左様に竹内の論法は紆余曲折した挙句、現状制度を何らかの方便で擁護する、あるいは暗にではあるが革新的な言辞への批判が込められていた。竹内が巧妙なのは「時代」をしっかり認識して、危険を冒さないところだった。その竹内は21世紀に入り小泉が首相に就いたあたりから、本性を見せ始める。『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』 (中央公論新社、2005年)ではまだおとなしく、昔ながらの竹内論法から大きく離れてはいなかったけれども、『革新幻想の戦後史』 (中央公論新社、2011年)では旧来の回りくどさを排除して、革新勢力への総合的な批判を展開するようになる。

私は革新勢力全体を支持するものではないが、2015年1月を生きている身としては、革新勢力が懸念、抵抗していたしていた数々砦が崩壊する姿を安穏と無視できない。現政権権力が行っている政治、あるいは改憲と戦争へ加担する勢力は極めて悪辣だと誇張なく感じる。のっぴきならない時代だ。

30年前から今日的危機の萌芽を竹内はちらつかせていた。自身は常に安全閾に止まりながら。

◆格差社会の現実を「フラット化」、「権威なき時代」と呼ぶ詭弁

そして、行き着くところがこの1月5日の京都新聞朝刊に掲載された「戦後70周年を語る」シリーズにおける、竹内による「日本は限りなくフラット化する社会になっている」だ。

竹内は「昨年11月の衆議院本会議で、議員の万歳三唱をやり直す場面がテレビに映し出された。議長が『日本国憲法第7条により、衆議院を解散する』と解散勅書読み上げ、天皇陛下の署名と公印を示す『御名御璽』という前に、万歳三唱が始まったからだ。戦前ならば考えられない光景だ」と述べ、次いで「議員たる人たちが与党も野党もそろっていた。特別な意識はなかったと思うが、天皇でさえも、さらっと流されてしまう。ヒエラルキーなき、権威なき時代になった」のだと言う。

そうだろうか? 国会解散の際の「万歳三唱」は馬鹿げた習慣だ。にしても「解散」となると与野党問わずに「万歳三唱」は毎度行われる。その意味するところは竹内が指摘するように「解散勅書」、すなはち「天皇」の命を受けての「万歳」である。少なくない数の議員と一部(いや、かなりか?)や国民は、ただの習慣でまたは「またここに帰ってこよう」との意味で万歳をしていると誤解しているが、そうではない。あの万歳は「天皇陛下万歳」に他ならない。

だから「万歳三唱」自体が極めて反動的な行為なのだが、その「フライング」をやり直した光景を見て竹内は「ヒエラルキーなき、権威なき時代になった」と言う。ここだ。竹内流詭弁の骨頂だ。

議員の中には万歳の意味を知らぬ人間が多数いる。だから万歳の「フライング」が起きたのだろう。にしても、「万歳三唱」をやり直させた議長の行為を竹内はどう解説するのだ。天皇の「権威」に慮った伊吹文明(衆議院議長)がやり直しをさせたのではないのか。国会における前代未聞の「天皇」への忠誠行為=万歳三唱のやり直しと見るのが素直ではないか。なにが「ヒエラルキーなき」だ。これほど露骨な国会における「天皇制」の露出はないではないか。これ以上ない「ヒエラルキー」を目にして「天皇さえもさらっと流されてしまう」と語る竹内は単なる詭弁使いではないようだ。

更に竹内は言う。

「一方、論壇では天皇制に対する批判が起こり、天皇制こそが戦争の元凶であり、あがめるシステムこそ問題だとする考えが主流を占めた。戦前の天皇制について丸山真男は『無責任の体系』だと厳しく批判し、大きな影響を与えた。そうかといって庶民感覚からすれば、『天皇制』という言葉さえ受けつけにくい。どちらかと言えば『孤独でおかわいそうな存在』だったのではないか。論壇は草の根の感情を捉えきれなかった」そうだ。

長年本音を隠してきた悪人が本音を吐露するとこういう言葉になるのだなと、大学1年次に感じた違和感の完成形を目にして得心が行った。

「庶民感覚からすれば『天皇制』という言葉さえうけつけにくい」というが、ここでの「庶民」は一体どの時代、どの地域の庶民を指しているのか。竹内は調査や研究の結果を一切示さずに断言している。全く根拠なき独断的な決めつけには呆れるほかない。竹内は学問の世界に長く身を置き「京都大学名誉教授」の肩書を持つ人間なのだから、論理の整合性や論拠の重要性は知っているはずだ。学者という者は根拠を示して論を展開しなければ相手にされない世界であることは基本中の基本。それを30年前に教壇から私たちに説いたのは他ならぬ竹内だったではないか。

しかし、ここで竹内が述べている天皇制に関する「感想」は軽薄な評論家が軽々しく語っている程度の説得力も持ち合わせない。

私は幼少の頃より祖父母や両親、あるいは多くの年長者から戦争中の話、「天皇」あるいは「天皇制」の話は何度も聞かされてきた。また同世代の人間と「天皇制」について議論を交わした。私は自分が「庶民」だと思っていたが竹内の論によると私や私の関わってきた人々は「庶民」ではないことになる。

また、今の天皇はともかく明治憲法下太平洋戦争の最高司令官であった「昭和天皇」の戦争責任は竹内がのんびり語るほど悠長な問題だったのか。竹内の本音はこれに次ぐ文章で完成を見る。

「天皇への人々のまなざしは理屈で割り切れない感情という側面があった。日本には、主体的に自分の頭で考える理念があまりなかった」

「日本には、主体的に自分の頭で考える理念があまりなかった」と仰せられるが、かなり覚悟をして腹を括らなければ吐けない挑発的発言だ。これを読んで民族派右翼の諸君は立腹しないだろうか。「昔の日本人は馬鹿だった」と言っているのに等しい。これこそ本来的な意味で「自虐史観」じゃないのか。また「天皇へのまなざし」は明治維新以降天皇が「現人神」との強制に基づくものであるという事実への視点が竹内には決定的に欠如している。「天皇制」は自然現象ではない。「富国強兵」を進めようとした明治政府が方便として持ち出した「神話」を根拠とする「国家宗教」だったことは誰でも知っている。いわば国家的カルトだ。

「理屈で割り切れない感情」などと竹内はお気楽に解釈するが、反抗すれば命を落としかねない権力構造(三権の長を天皇と定めた明治憲法)と法体系(大逆罪、治安維持法)の中で育ったのが「天皇制」である。実際大逆罪で死刑にされた人間が少なからずいることを竹内は知らないわけではあるまい。「理屈で割り切れない感情」とは敗戦後もその「洗脳」が解けず、後遺症が様々な形で残存してしまった「天皇制PTSD」と言い換えた方がいいのではないか。

竹内によれば「日本は限りなくフラット化する社会になっている」そうだ。所得格差が広がり、差別が平然と横行し、アジア諸国を罵倒する言辞が横行するこの時代。「反日」という言葉(「非国民」と言い換えられる)が若者の間にもあふれる時代が「フラット化する社会になっている」らしい。

合掌

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から
《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

1.17と3.11は忘れない──鹿砦社の震災・原発書籍

 

《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から

大学に進学する学生に学習意欲があろうがなかろうが、大学が学生の「学ぶ権利」を奪ってはいけない。が、近年は少なくなったものの大規模大学や学生数の多い学部を持つ大学では、時に大学側から学生の「学ぶ権利」を奪うに等しい「ズル」が行われる。

教室の収容定員を大幅に超える履修者を配置すると学生の意欲は短期間で低下する。やかましくて講義を聴くどころではなくなるからだ。私は学生として、また大学職員としてこの「定員オーバー」講義に直面した。職員の立場からすれば、大学側が言い訳をしたくなるケースもない訳はない。選択科目で予想をはるかに超える履修者が偏ってしまい、他に使える教室がない場合はやむを得ず「定員オーバー」の教室を配当することしかできない。学生には申し訳ないと思いつつも他に手の打ちようがない。

◆定員オーバーの教室で「講義を静かに聞け」の無茶矛盾

だが逆もある。悪質なのは最初から履修者数が教室の定員を上回ることを承知で、しかも「必修科目」(卒要するためには必ず取得しておかなければならない科目)を「定員オーバー」の教室にあてがう行為だ。「必修科目」は1年次に配置されていることが多いので、入学間もない学生は真面目に教室へ足を運ぶ。そこには出勤時間の満員電車のような混雑が待ち受けている。詰めて座っても到底全員は席に就けない。それどころか立ち見の学生も同じ場所に立っているのがままならず体がぶつかり合う。

そんな状況で「講義を静かに聞け」と要求するほうが無茶だ。またどうあろうとも教室に収まらない学生の講義を担当させられた教員も気の毒と言えなくもないけれども、やはり被害者は学生である。

私の学んだ学部は「社会学」と「心理学」が1年次の「必修科目」だった。収容定員300名の教室に400名以上の学生が詰め込まれた。もっとも「必修科目」と言っても毎回の出席が取られるわけではなく「試験だけ通れば単位が取れる」と学生達が知るに従い教室の混雑は解消されていくのであるが、「全員学ぶように!」と大学が決めておきながら、まともに学べる環境を意図的に提供しなかった大学の姿勢は褒められたものではない。

◆学生の私を幻滅させた「心理学」「社会学」大講義のお粗末さ

しかもだ。その講義の内容が見事にお粗末だった。

まだ真面目な学生だった私は「心理学」、「社会学」とも初回から最終回まで欠かさず出席した。両科目とも前期と後期を別の教員が担当する形式だったが忘れられない教員が2人いる。「心理学」の前期担当で元少年刑務所の所長などを歴任していた高橋某(正しい名前は失念)という男と、後期「社会学」の竹内洋だ。

前置きが長くなったが、本音を明かすとこの二人の批判を書きたくてウズウズしていたのだ。だが彼らの講義がどんな状況下で行われたかも知っておいて頂きたかった。メインターゲットは竹内なのだが竹内は今日に至るも言論活動を続けている。竹内は近く徹底的に叩くこととして、名前を出したから高橋某の事に触れておこう。

高橋はヒステリックだった。初回講義で教室に入って来るなり「うるさーい!、だまれー!」と叫んでから講義を始めた。確かに教室はうるさい、というよりも押し合いへし合いだからざわついている。でもそれは学生の責任ではない。文句があるなら彼は教授会で問題を指摘すべきだった。怒鳴りつけられた学生の方が「なんでやねん」という気分だった。こんなに受講生がいるのであれば、クラスを2つに分けるなり時間をずらして同じ講義をするなりの対応を何故とらないのか、とやや腹立たしかったことだけは記憶している。

高橋の講義を聴き彼の素振りを見て、行政機関上がりの心理学者の権威主義ぶりと、ゆがんだ人間性を思い知った。講義を進めながら高橋は周期的に「うるさーい!、だまれー!」と叫ぶ。その言葉以外は決して喧騒を咎める言葉を口にしない。「話したいんだったら教室の外で話せ」とか「静かにしなさい」だとか言い回しは他にもありそうなものだが、十数分毎に突然発作のように「うるさーい!、だまれー!」と叫んだあとはまた何事もなかったかのように淡々と話を続けていくのだ。同じ言葉を叫ぶことが彼にとってはカタルシスになっていたのだろうか。精神科医に診せれば何らかの病名がついたことだろう。

◆自慢話と勘違いばかりの「心理学」講義が学生を絶望に誘う

高橋には自慢話があった。歴史的政治テロ事件として有名な社会党党首浅沼稲次郎が講演中に刺殺された事件の犯人、山口二矢(おとや)が逮捕された後、高橋が所長を務める東京少年鑑別所に送られてきたそうだ(匿名報道の観点から山口の名前の扱いにつては議論があろうが、もう有名なので実名にしておく)。大江健三郎が山口を主人公に描いた「セブンティーン」は高校時代に読んでいたので、この時は珍しく高橋の話に興味がわいた。

高橋は「こういう事件を起こした少年は自殺をする傾向があるから注意深く見守っておくように」と部下に指示を出したそうだ。だがご承知の通り山口は首を吊って自殺してしまっている。不思議なことに高橋は山口の自殺を防止できなかったことを少しも後悔していなかった。それどころか「自分は適切な指示を出したのに、現場の人間が不出来だった」と語り「どうだ、私は人を見抜く力があるだろう!」とばかりに神経質そうな顔をこの時ばかりはにやつかせ、眼鏡をかけた痩身が教壇の上で胸をはった。何という神経の持ち主か。こんな性格の人間が所長を務める少年鑑別所の中の地獄模様を想起せずにはいられなかった。

また高橋は「毎日5合ほど酒を飲んでいると必ず目の前に虫が飛ぶような幻覚を見るようになる」と頻繁に口にしていた。左党に聞かせたら「何をあほゆうとんねん」と一蹴されるだろうが高橋はそう信じていた。高橋は下戸だったのだろう。もしくは酒に絡んだ嫌な思い出があったのか。

どちらにしても、学生の学習意欲を削ぐために準備されたのではないか、と訝らざるを得ない教員と教室環境だった。高橋の講義を聞いて「心理学」に幻滅した学生は少なくなかったろう。「心理学」だけでなく「大学」そのものへの絶望を誘うに十分な「必須科目」であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
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詩人・中山容さんから聞いた京都「ほんやら洞」奇跡の物語

1月16日未明に京都にある老舗喫茶店「ほんやら洞」が全焼した。京都新聞は被害者が出ていない喫茶店の火災を扱う記事としては異例ともいえる扱いで、1面と社会面へ大きな記事を掲載している。

「ほんやら洞」は1972年に開店した。詩人や歌手、学者が集まる場所で、京都だけでなく全国へ様々な文化発信を行っていた。近年は大きなニュースを聞くことも少なくなっていたけども、その名を聞いて懐かしく思う人は少なくないだろう。京都では京大西部講堂と同様の存在感を長年維持していた。

私はといえば行きがかりで2、3度店に入った事はあるものの、ただそれだけの繋がりしかなかった。でも「ほんやら洞」を創立した人々とは職場が同じだったこともあり、様々な話を聞かせてもらっていた。

◆中山容という素敵な詩人

もう亡くなったけれども中山容という詩人がいた。彼は私の勤務していた大学の教員だった。眼鏡をかけて口髭を生やし、ちょっと前かがみに歩く。私が就職したとき彼は学部長を務めていた。こういっては失礼だが、「指導力」や「政治力」ましてや「政治的野心」とは全く縁のない彼が教授会で司会をこなすのを見ているのは本当にかわいそうだった。「教授会」と言う響きは、なにか荘厳と言わぬまでもある種の権威を持った人間の会議のような誤解を導く罠が、それは間違いだと思い知った。

中山さんが学部長を務めていた学部の教授会は、毎回さながら「サファリパーク」のようだった。肉食獣や草食獣が分け隔てなく会議室に集まり、発言する教員がいても別の教員が同時に発言をする。挙手もしないでそれに対する反論や感想を複数の教員が口にする。小学校の学級会でももう少しおとなしかろうと思うほどに、騒々しく秩序がない。中山さんは大声を張り上げてなんとか議事をまとめようとするが、まとまったのか、そうでないのかもよく分からない。陪席として参加していた新人職員の私には腰を抜かしそうな経験であった。当時その学部の教員には極めて強力な人材がそろっていたのであのような会議になっていたのだろうか。

中山さんは歌手の中山ラビさんの元配偶者だか、それに近い存在だか、人には説明しにくい関係だか(本当のところ私は知らないのだけども)・・・とにかく中山ラビさんと良い仲だったことのある人だ。彼はコーヒーとタバコが大好きで、事務室にやってくると我々の机にコーヒーのカップを置き、独特のしゃがれた声と、語り口で和ませてくれた。そういえば「中山容」と言う名前は就職後数年経てから耳にした。中山さんは職場では別の姓名を名乗っていた(蛇足だが大学教員の中には彼のように「芸名」で通している人が意外に多い)。

◆タイのライブハウスで聞いた「ほんやら洞」の魔法

後年中山さんはタイに関心を持つようになり、熱心にタイ語の勉強をしていた。電車の中で単語カードをめくる受験生のよう中山さんがしょっちゅう目撃されていた。中山さんは戦後第1号のフルブライト奨学生だった。だから語学の才能は並外れていたのだろう。1年余りの学習で横で聞いていると大概の話をタイ語でこなすようになっていた。

ある時仕事で中山さんとタイで合流することになった。昼間の仕事を片付けたあとにライブハウスで時間を過ごした。「このドラムはまだ固いね。クッツクッツとこないとね」。バンドの演奏を聴きながら音楽には疎い私に中山さんはロックについてたくさん楽しい話を教えてくれた。そう、かれはやはりフルブライト奨学生だった片桐ユズル氏と共に「ボブディラン詩集」を訳した人でもあるのだ。私なんかが言葉足らずで説明しなくてもその世界では相当の有名人だ。

タイのライブハウスで「ほんやら洞」の話題になった。「いったい何をやっていたんですか?」と無知な質問をぶつける私に「そうだねー。いろいろあったねー。ああ、即興詩の朗読はいつもやってたね。岡林(信康)とか、(片桐)ユズルさんとか、(中尾)ハジメさんとかね」、「僕がここに1行書くでしょ、次に岡林が1行書くの。でまた次に僕が書いて。それで岡林がギター持ち出すと歌になっちゃうんだな、これが!」

魔法のような話だけど、そんなやり取りの中から有名なフォークソングがいくつも生まれてきたのだと教わった。「ほんやら洞の詩人たち」というCDが発売されているし、書籍にもなってる。酒は大して飲まないけれども中山さんの語りには心地よい味があり教養にあふれていた。才能のある人たちは違うんだなーと感心したものだ。

だが、中山さんは定年を待たずに癌にかかってしまった。もう手術できないほど進行していた。私が病院を私が見舞ったのは確か無くなる3日前だった。高石ともやさんと岡林信康さんが病室にいた。なんて豪華な見舞い人なんだと感心した。でも中山さんは気の毒なほどうめいていた。

「痛いよー」、「死ぬのが怖いよー」

詩人でもある中山さんだったからだろうか。「死ぬのが怖いよー」の言葉が今でも忘れられない。

洒落てて、威張らなくて、女性に優しいく、コーヒーとタバコを愛した中山さんが亡くなって10年以上たつ。

全焼した「ほんやら洞」を見たら中山さんは何というだろうか。

「あーあ。焼けちゃったね。でも怪我人がいなくてよかったよな。何とかなるよ。な、そうだろう」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
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《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

1.17も3.11も忘れない!鹿砦社の震災・原発書籍

 

 

《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文

東京大学総長の濱田純一は1月16日以下の声明を発表した。
下記やや長いが、後世歴史的に重要な文章となろうから敢えて全文を引用する。

◎東京大学における軍事研究の禁止について(広報室)

濱田純一=東京大学総長

学術における軍事研究の禁止は、政府見解にも示されているような第二次世界大戦の惨禍への反省を踏まえて、東京大学の評議会での総長発言を通じて引き継がれてきた、東京大学の教育研究のもっとも重要な基本原則の一つである。この原理は、「世界の公共性に奉仕する大学」たらんことを目指す東京大学憲章によっても裏打ちされている。

日本国民の安心と安全に、東京大学も大きな責任を持つことは言うまでもない。そして、その責任は、何よりも、世界の知との自由闊達な交流を通じた学術の発展によってこそ達成しうるものである。軍事研究がそうした開かれた自由な知の交流の障害となることは回避されるべきである。

軍事研究の意味合いは曖昧であり、防御目的であれば許容されるべきであるという考え方や、攻撃目的と防御目的との区別は困難であるとの考え方もありうる。また、過去の評議会での議論でも出されているように、学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する。実際に、現代において、東京大学での研究成果について、デュアル・ユースの可能性は高まっていると考えられる。

このような状況を考慮すれば、東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく、世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識を前提とし、そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える。

平成27年1月16日
東京大学総長 濱田純一

[東京大学広報室の2015年1月16日掲載「お知らせ」を全文引用転載]

この持ってまわった言い回しは「東大話法」(安冨歩言うところ)の典型であり、浜田純一の得意とする詭弁でもある。あれこれいったい何が言いたいのか、本当の所はどうなのか、と煙に巻きながら結論は「軍事研究を推進します」と言う宣言に他ならない。

◆あまりに支離滅裂な濱田総長声明の「非論理性」

あまりに支離滅裂で、矛盾を全て指摘していると長くなり、読者には退屈だろう。だからこの文章の「非論理性」を象徴している一部だけを指摘しておこう。

「軍事研究の意味合いは曖昧であり」

と濱田は言う。そんなことは全くない。軍事研究は軍事研究に他ならずそれ以外の何物でもありえない。誰にでも分かる極めて自明な事柄を平然と歪曲している。

「学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する」

これは一面事実ではある。科学技術、工業技術は最終的な完成品が何であるかによって、その性格付けがなされる。だから、平和に与するための科学はより慎重でなければならないとこれまで明確に「軍事研究」の禁止を建前にしていたものを、こともあろうに危険極まる「両義性」を理由に「どっちかわからないんだから軍事研究をしてもいいじゃないか」と開き直っているのだ。

東大が平然と軍事研究を行うと宣言したからには、おこぼれにありつこうとこれから雑魚どもが後に続くだろう。解釈改憲、有事法制の悪質な準備、そして大学における「軍事研究」の明確な開始宣言。悪くするとあと5年で徴兵制導入もあながち絵空事ではなくなってきた。

◆2012年3月の質疑応答で感じた濱田総長への不信感

総長一人でこの決定をしたわけだはないだろうけれども、私には濱田に対する決定的な不信感が以前からある。濱田は大学の秋入学実施を提言してみたり、目立ちたがりの人間であるが、研究者としての業績は極めて少ない。確かに話をさせるとなかなかの詭弁使いではあるけれども、その詭弁も以前から「これが東大総長のレベルか」と聞いている方が情けなくなる内容だった。

2012年3月3日東大で「日本マス・コミュニケーション学会60周年記念シンポジウム『震災・原発報道検証ー「3・11」と戦後の日本社会』が開催された。当時この学会の会長だった濱田は基調講演を行った。だが、ご想像の通り「原発報道」に関する問題指摘は一言もなく「表現の自由が、『絆』、あるいは頑張ろうという気持ちを醸しだしている」などと頓珍漢な話に終始した。

シンポジウムの最後に質疑の時間があった。そこで私は濱田に「マスコミの話をする前に原発推進大学の総長としての見解を聞かせろ」と質問をした。濱田は「確かに原発を推進した学者もいたが反対した学者もいた。組織として一定の考えを意見の内容や研究の内容について何か意思決定する、ということはすべきではないと思っています」と答えた。そして「私が今日お話したことは、表現ということ、情報を伝えるということの原点についてのお話しでした。それについてはご理解いただきたい。それと、原発の関係の学者が答えていない、とおっしゃいました。それをご本人たちがどう答えるかはわかりません。しかし、私は、きちんと自分たちで検証しろと。それは促しています。その結果彼らがどういった形で発表していくのか。それはわかりません。私は、組織としては、本人に対して検証しろと言う、それで十分だと思いますと」と語った。

濱田が私に答えた最後の部分は非常に重要な意味を持っている。「私は、きちんと自分たちで検証しろと。それは促しています。その結果彼らがどういった形で発表していくのか。それはわかりません。私は、組織としては、本人に対して検証しろと言う」と学会の場で約束をしたのだ。

東大の原発推進御油学者どもに発表の方法は決めないが「自分で検証しろ」と命じる、と明言したのだ。

さて、その後どうだろう。嘘八百を並べ立ててこの国を、あわや滅亡の危機にまで陥れた学者どもが何らかの反省の弁や、自分の検証をしただろうか。そんな奇特な輩は今のところ一人も見当たらない。

さて、この話には後日談がある。マスコミ学会は主催したシンポジウムなどをまとめて年に1度学会誌を出してる。そこには講演内容だけでなく質疑応答も掲載される。だが、私が質問をし、濱田が答えたこの日の質疑応答だけは学会誌に掲載されていないのだ!

空手形を口にしてしまった濱田が恣意的に削除したか、マスコミ学会の判断かは分からないが、濱田が「御用学者に検証させます」と約束した証拠を残したくなかったのだろう。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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阪神淡路大震災20周年でテレビはなぜ震災の本質映像を流さないのか?

「爆撃を受けた街」──。1995年1月17日早朝に起きた阪神淡路大震災の翌日、阪急電車西宮北口駅を降りた時の感想だ。駅周辺のアーケード商店街は軒並み潰れている。線路沿いを歩くと新築以外の一戸建て住宅はほぼすべて全壊している。ここは閑静な住宅街だった。幼少期を過ごした街は誇張なく「壊滅状態」だ。更に線路に沿って歩いているとかなり強い余震がある。電柱を見上げると揺れている。幾度も幾度も余震はやってくる。

完全に壊れ落ちた二階建て文化住宅の中には人の体の一部が見える。まだそこまで救助の手が回っていないのだ。この寒さの中動かない。もう亡くなっているだろう。新幹線の高架が何か所も落下している。地震発生が早朝であったのが不幸中の幸いだった。揺れがあと2時間遅ければ、落下した高架に突っ込んで更なる惨状が展開したに違いない。

地震発生直後、数分間は普通の電話が使えたけども、すぐに不通になった。関西地域では数日間に渡り電話がかかりにくい状態が続いた。私は事情があって当時既に携帯電話を持っていた。携帯電話は通常通りの通話ができた。

◆芦屋の知人のマンション廊下はひし形に変形していた

被災地を訪れたのはボランティアで普及作業をするためでも、取材のためでもない。知人が何人もそのあたりに住んでいて安否を確認したかったからだ。関西学院大学のあるあたりも相当にやられている。古い家は傾き、新しい家でも内部は家具が倒れるなどして惨憺たる状況だ。

そう、思い出した。まだあるのかどうか知らないが、関西学院大学正門前のパン屋はたった4つのロールパンを1000円で売ろうとしていた。売り主の顔が見たかった。

私の知人は全員無事だった。といっても家が全壊したり、半壊したり被害が少ないわけではない。とにかく命は取りとめていた。その日は別口からの要請もあって、倒壊した阪神高速道路近くの芦屋まで、車を確保して向かった。途中国道は警察が封鎖していると聞いていたので、ボンネットに大きく「重体患者移送中」と書いた紙を貼った。検問所で警察が寄って来たけどもボンネットを指さしたら肯きながらすんなりと通してくれた。救急車を要請しても圧倒的にたらない。119番は機能していなかったから警察も検問を固くはしていなかった。

芦屋の知人宅はマンションだが、廊下が菱形に変形していた。いつ崩れてもおかしくはないように感じた。

次の日は神戸、三ノ宮に出かけた。高層ビルがいくつも倒れてる。倒れないまでも大きく傾いているビルがある。そのビルが倒れる瞬間を撮影しようと多数のテレビカメラが狙っている。人影は極端に少ない。長田で燃えていた火事の煙はまだここからも見て取れる。

◆「記憶の風化」を憂うならばテレビは震災当時の映像をそのまま流せ!

阪神大震災から20年が経った。「記憶の風化」とか「経験を後世に伝えるべきだ」とか長年散々言われてきた。

不思議で仕方ない。そのような心配をするのであれば(私は見ないけども)当時のテレビ映像をそのまま流せばいいのだ。

悲しみを慰める行為として語り継ぎは個人的には大いに意味があるだろう。それを否定はしない。でも文字や人の語りでいくら状況を伝えようとするよりも、実際の映像を見せた方が絶対的に迫力がある。当時を知らない子供にも恐怖は伝わる。勿論PTSD(心的外傷後ストレス障害)の方や、惨状極まる記憶思い出したくもない人もいるだろう。そういう方々は見なければいい。

テレビは今年も「阪神大震災から20周年」の特集を放送した。そこでは身近な人を亡くした悲劇とそれに立ち向かう人の姿が描かれ、「この経験を風化させてはいけない」で結ばれる。

異議あり!だ。

悲劇は無数に起きている。そんな事は先刻承知だ。6000人以上が亡くなっているのだ。悲しい思いやつらい経験の片鱗は私にだってある。だがそれは人々の心的経験だ。

何が起きたか? 震度7の激震が神戸周辺を襲い街が壊滅した。心的悲劇を語る前にその事実の圧倒的な衝撃をこそテレビは繰り返し流すべきだ。「冷蔵庫が宙を飛ぶ」と言われる震度7の激震は人間が構築したものなど数秒で破壊し尽す事をこそ忘れてはならない。

でも不思議なことにその映像は流れない。演歌調のお涙頂戴ストーリーか、そこから立ち上がって前を向く人々の人間模様。テレビが好きなのはそういう「定型的」な物語なのだ。

嘘だとは言わない。でもそれは本質ではない。この国のテレビには「死体を放送してはならい」という不思議な自主規制コードがある。何か大切なことを示唆しているように思う。死体のある光景こそを逃げずに凝視するべきだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?

合計17人の犠牲者を出したフランスでの「シャルリー・エブド」紙襲撃事件に対して、現地時間の11日大規模なデモや集会が行われた。パリの集会では160万人、フランス全土では370万人の参加者があったという。第二次大戦後では最大級の参加者数だったそうだ。

襲撃されたのが風刺週刊誌であったので、人権意識がひときわ高いフランスでは「言論の自由を守る」立場から集会やデモに参加した市民が多数いたに違いない。またフランスだけでなく、ドイツ、英国、イスラエル、そしてPLO議長までが「反テロ」デモに加わっていた。世界中で追悼の意が表明された。

◆「反テロ」デモは「言論の自由」を守ろうとする「国民の決意の表れ」か?

新聞社の襲撃事件と言えば、古くはなるけれども「赤報隊」による「朝日新聞阪神支局殺人事件」(1987年5月3日)を忘れるわけにはいかない。小尻知博記者(当時29)が散弾銃で射殺され、もう一名の記者も瀕死の重傷を負う報道機関を狙った襲撃事件だった。犯人は検挙されず、事件自体はもう忘却されようとしている。

また、大きなニュースにはならないけれども何者かによる襲撃で命を落とすフリーのジャーナリストは毎年100名を超える。

そこで今回のフランスでの襲撃事件後のフランスを中心とした世界の動きをどう見るか、これはジャーナリスムの世界にいる人々にとって、日常どれほど「言論の重要性」を考察しているかどうかが問われる命題になろう。

テレビや大手メディアは「宗教や立場を超えて、言論の自由を守ろうとするフランス国民の決意の表れ」などと、表面しか見ることが出来まい。

調子に乗ったフランスのオランド大統領は「テロとの戦争宣言」などと舞い上がっている。
フランス国会では、開会直後一部の議員が「ラ・マルセイエーズ」(フランス国歌)を歌い出し、議場全体が国歌斉唱でつつまれた。これは第一次大戦勝利以来の出来事だそうだ。

不遜の誹りを覚悟で本音を述べれば、私はこの世界を上げた「反テロ」キャンペーンが気持ち悪い。「テロとの戦争」を21世紀の幕開けとともに傲慢にも言い放ったのは米国のブッシュ元大統領だった。アフガニスタンを攻撃し、イラク、フセイン政権を殲滅した。イラク攻撃の理由は「大量破壊兵器の脅威」だったがイラク戦争後「大量破壊兵器」は無かったことが判明しブッシュは「I made a mistake(私は間違っていた)」と述べた。戦争を仕掛けておいて、何十万人も殺しておいて「私は間違っていた」はないだろう。世界中で少なくない人々がブッシュの罪を断罪しようとしたが奴は今でも健在だ。

◆「テロとの戦争」で舞い上がるオランド大統領は被害者ではない

フランスのオランド大統領から「テロとの戦争」という言葉を聞くと彼が被害者には思えなくなる。この事件のそもそもの原因は「シャルリー・エブド」紙がイスラム教を揶揄するような風刺漫画を掲載したことだった。そして、同紙がイスラム教を揶揄する風刺漫画を掲載したのは、今回が初めてではない。2006年から断続的に同紙はイスラム教を挑発する内容の風刺漫画を掲載しており、その度に、フランス在住のイスラム教徒からデモなどの抗議行動を受けていた。フランス政府も「あまりイスラム教徒を刺激し過ぎないように」と2012年には自粛要請を行っている。

イスラム教風刺にかけて「シャルリー・エブド」は「確信犯」だったわけだ。その証拠に1月14日発売の事件後初の誌面にもまたもや「ムハマンド」の風刺が掲載されている。

同紙は「あらゆる風刺画は許される」とコメントしている。うーん。そうだろうか。「表現の自由は」言わずもがな、貴重な概念だ。世界中で普遍的に認識され浸透すべき基本的人権の一部とさえいえるだろう。だが「表現の自由」は「全く例外なくすべての表現の自由」を意味するのだろうか。確かに言論活動で、「弱者が強者を揶揄(批判)する」ならばかなり普遍的に「自由は」認められるべきだろう。だが逆ならどうだろう。単なる差別にならないだろうか。その実例を近年不幸なことに私たちは国内で「在特会」により見せてもらっているではないか。韓国国旗をゴキブリに見立ててデザインしてみたり、人の首を絞めて殺そうとしている絵を描いて「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」とデザインされたプラカードは「風刺」の名に値するだろうか。「自由な表現活動」というほど高尚なものだろうか。

◆国際社会から「承認」されている「シャルリー・エブド」は弱者か?

“Je suis Charlie”(私はシャルリー)という言葉が襲撃被害者を悼む言葉として、世界中で語られている。

17名の犠牲者、しかも言論を理由に殺された人々を気の毒に思う気持ちは勿論私にもある。だが”Je suis Charlie”と私は口にする気にななれない。

シャルリー・エブドが「あらゆる風刺画は許される」と言うのは各国首脳をはじめとして、国際世論を味方につけているからではないだろうか。イスラエルからパレスチナ、つまり現在の世界で表面上対立していようとも、本質的には今日的世界を構成している「権力者」達から「承認」を受けているからではないだろうか。つまり「シャルリー・エブド」は国際社会から「承認」されている。決して弱者ではない。

私の杞憂であればよい。でも、そうでなければ同様の「テロ」事件は続発するだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益
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JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が昨年12月3日小惑星探査機「はやぶさ2」を打ち上げた。JAXAによると「はやぶさ2」の任務は、「地球などの惑星は、元は小さな天体が集まってできたと考えられています。しかし、惑星が誕生する過程でいったんどろどろに溶けてから固まっているため、惑星をつくった元の物質についての情報は失われています。いっぽう、小惑星や彗星はあまり進化していない天体ですから、太陽系が誕生した頃やその後の進化についての情報を持っていると考えられています。これらの天体は『始原天体』とも呼ばれています。このような天体を調べることにより、、太陽系がどのように生まれ、どのように進化してきたのか、また私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります。そして、このような知識は、太陽系だけでなく、その他の惑星系の誕生や進化を調べる上でも不可欠です」(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)
ということらしい。

また、「小惑星の探査目的は、科学だけではありません。小惑星や彗星は、過去に何度も地球に衝突しており、そのたびに当時の地球に大小様々な影響を与えてきました。6500万年前の恐竜絶滅の原因とされる天体衝突から、最近ではロシアに落下して被害を与えた隕石もありました。『宇宙からの天災』は今後も発生するであろうと容易に推測されます。こうした天体の地球衝突に備える『スペースガード』活動の一環としても、地球に近づく小天体の探査は重要なテーマ」だという。(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)

◆無意味な夢の裏に隠された軍事転用技術開発の本気

宇宙科学についてはずぶの素人なので、こう説明されると「ほーそうなのか」と半分はわかったような気になるけども、どうもすっきり納得ができない。

「始原天体」を調べることにより「私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります」は本当だろうか。もしそうなら、ここで言われている「ロシアに落下して被害を与えた隕石」の構成物質を調べればいいのではないか。わざわざ膨大な資金と長い年月をかけて「重要な手がかりが得られる可能性がある」かもしれない、逆に言えば「何も得られない可能性もある」こんなプロジェクトに意味があるのだろうか。

JAXAも自信があるわけではなく「可能性」と正直に告白しているが、小惑星から「生命誕生」の鍵になる物質が見つかるとは考えにくい。

更に正直すぎて驚くのは「小惑星の探査目的は、科学だけではありません」と非科学的行動であることを認めていることだ。地球に衝突する隕石や小惑星に備える「スペースガード」活動の一環だそうだ。

地球に衝突する可能性のある、小惑星や隕石の存在が分ったところでそれをどうするつもりなのだろうか。「スペースガード」というからには「迎撃ミサイル」さながらに打ち落とすつもりなのだろうか。

そんなものできるわけがないだろう。

隕石など毎日のように地球に降り注いでいる。でもその隕石がどの位置から地球上のどこへ落下するかなど、測定できるはずがないではないか。まあ「科学ではない」と正直にJAXAも言っているからこれ以上突っ込まないけど、要するにこれは対象が「惑星や小天体」ではなく「人工的に作られたもの」=武器(大陸間弾道弾など)への応用を目指しているのだろう。だから「科学」ではなく「軍事目的」なのだがそうは露骨に言えないから、実現可能性がない「スペースガード」などを引き合いに出しているのだろう。

でも「はやぶさ2」の役割はそれだけではない。

「また地球に接近する天体は、月に続く近未来の有人探査のターゲットとして近年大きな注目を集めています。さらに遠い将来、人類が深宇宙空間に進出した暁には、月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体の資源を利用するほうが効率的だと考えられます。このような利用法を探る上でも、小惑星探査は重要なのです」

なのだそうだ。え? 人類は「遠い将来、宇宙空間に進出」するのか?「月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体」ていったいどこのことだ。そんな遠くで人間が暮らすと本気で考えているのだろうか。

◆「ロケット」打ち上げ実験=軍事転用可能「ミサイル」技術の開発

スペースシャトル計画も終了し、国家が宇宙開発に血道を上げる時代はとうに終わっている。火星への有人飛行とか、まだ眠たいことを言っている人間も一部にはいないわけではないけども、それは「宇宙旅行」で一山当てようと計画している民間業者だったり、一部の研究者だ。膨大な金と時間をかけて「有人飛行」を行ったところで、人類に恩恵がもたらされるような特質すべき利益が得られると現実的に考えている人間はほとんどいない。

JAXAによる「はやぶさ2」ミッションの説明から読み取れるのは、極めてあいまいかつ「実り」がほとんど期待できない「金の無駄使い」ということだ。「スペースガード」などという荒唐無稽な理由まで持ち出してくるのにはさすがに驚いたが、「はやぶさ2」に限らず、実は日本の宇宙技術開発は一貫して適当な理由をでっち上げ進められてきた。

つまるところ「ロケット」の打ち上げ実験は、いつでも軍事転用可能な「ミサイル」技術の開発に他ならない。それ以外の人工衛星打ち上げなどはおまけの理由といっていい。さらにその「ミサイル」は「核弾頭」搭載も視野に入れている。安部が副官房長官時代に本音を漏らしたし、過去には科学技術庁(当時)の官僚も暗にそれを認める発言をしている。

JAXAやそれに便乗するマスコミは、相も変わらず「宇宙のロマン」などと、手垢で汚れまくっている古臭い誤魔化しで本質をだまそうとし続けているけれども、「宇宙のロマン」の追求は個人の金でやってくれ。

つい最近も新星発見を趣味にする方がご自身で100個目の新星を発見したではないか。その姿勢こそは「宇宙のロマン」と言う言葉には相応しい。

ついでに言えば、日本人宇宙飛行士はTBSの「宇宙特派員」だった秋山豊寛氏を除いて皆「無賃乗車」、否税金を利用しての公金流用だ。スペースシャトルに乗ったり、宇宙ステーションに滞在したりした人たちは、個人的には興味深い経験だったろうけども、いったい税金からいくら持ち出しをしているのだろうか。

挙句の果て、宇宙飛行士は何か特別偉い存在のように扱われる。その筆頭が毛利衛だ。こいつはあちこち顔を出しては、如何にも「私は特別な人間だ」と言わんばかりに持って回った糞偉そうな言い回しで「宇宙」や「科学」を若者に語っていた。毛利は積水ハウスやSONYなど大企業のCMに出まくった挙句、「九州電力玄海原子力発電所─プルサーマル」のCMにまで登場している。

ここまで紹介すればもうお分かりだろう。宇宙技術開発と原発は共に「ミサイル」と「核弾頭」開発を見越した「今のところ民生技術」だということが。昨今の好戦的政治状況を見れば、あれよあれよと「軍事転用」される日が来ても不思議はない。

金がふんだんに余って、国民が裕福な暮らしをしているのであれば、趣味的な「宇宙探検」をするのも良かろうが、国家財政は破綻寸前、年収200万円以下で食うや食わずの人があふれる今日、税金を使っての「宇宙お遊び」などやっている場合であろうか。JAXAこそ「分割民営化」して民間に任せたらどうか。収益が見込めないから引き受ける企業はないだろうけども。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法

「専門職大学院」と文科省が区分する大学院がある。「大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とするもの」のことである(学校教育法第99条第2項)。

通常の大学院は学部の上に位置し、研究を主たる目的としているのに対して、「専門職大学院」は「職業」を明確に視野に入れた教育研究がなされる場所とうことである。

その範疇に「法科大学院(ロースクール)」がある。法学部を卒業して法曹界に仕事を求めようとする人(司法試験受験を志す人)が学ぶ場所だ。司法試験受験は「法科大学院」進学以外にも方法はあるが、現在大多数の受験生は法科大学院を修了した人だ。

◆全国73校の6校しか募集定員に達していない法科大学院の惨状

そもそも「法科大学院」が設置された背景には法曹界の「人材不足」があった。あるいは「日本の裁判は時間がかかりすぎる」という批判も理由とされた。裁判官、検事、弁護士が足らないのだから人数を増やしましょう、ということで旧司法試験を大幅に改編して「司法改革」(裁判員制度の導入)とも併せて各大学は「法科大学院」を競うように設置した。

設置当初はどの大学も学生募集に関する限りは好調だった。「司法試験が大幅に簡易化される」=「合格しやすくなる」という安易な誤解がその背景にはあった。

だが、予想外の問題が起きた。スタッフを揃えそれなりの教育をしているのだから「司法試験」にはせめて半数位の合格者は出せるだろう、と考えていた大学のほとんどが、受験者中2割の合格者すら出せない有様に陥ってしまったのだ。そうなると「法科大学出身ながら司法試験不合格者」というマイナスのイメージを背負って仕事を探さなければならない。「潰し」が効きにくくなるのだ。たちまちその情報は大学生にも伝わり、志願者の急激な減少が始まる。2014年度、定員を満たしているのは全国にある73の「法科大学院」のうち、わずか6校に過ぎない。

既に募集停止を決めた大学も10以上出てきたし、これからも「法科大学院」の閉校は続くだろう。

◆遠からず破綻するロースクール制度

法科大学院地盤沈下、もとはと言えば明らかな国策の誤りだ。勿論それにホイホイと乗ってしまった各大学の軽薄さも情けなくはあるが、法曹関係者の人材不足だけがこの国の法曹界の問題ではなかったということだ。確かに弁護士不足は(数の上では)解消された。いや、むしろ弁護士の中には仕事にありつけない人が少なからずいる。かつては弁護士になれば余程無能でない限り、食べていくことに困ることはなかった。が現在は年収200万円得ることが出来ない弁護士が山ほどいる。

一方で「過払い金の取り戻し」を専門に派手に広告を打つ弁護士事務所はぼろ儲けしている。いつ世のでもあざとい奴は食いはぐれない。

法科大学院が実質的に「破綻」に陥り、法務省も今後は司法試験合格者数の抑制を打ち出した。何とも場当たり的な対応だ。

大学院は一般的に大学よりも学費が安い。が、専門職大学院は例外だ。入学金を含めると年間200万円を超えるところもある。国立でも年間100万円近くの学費がかかる。これだけでも経済的負担は推して知るべしだ。合格可能性の少ない司法試験を目指すための先行投資としてはあまりにも高すぎる。当然志願者も減る。そこで今法科大学院ではなりふり構わない「割引競争」が始まっている。もとより奨学金制度を持っている大学院は別だが、学費の割引を売り物にしている法科大学院は「志願者が寄り付かない」学校と考えてよい。遠からず潰れる。

◆法意識に疎い「市民感覚」で採決を下す「裁判員裁判」の恐ろしさ

不思議なのは、法科大学院と直結はしないものの「裁判員裁判」制度が日弁連も同意する中で導入されたことだ。裁判員に選考されて人を裁こうと裁判所に出かけるのは「国民の義務」らしいけれども、私は同意しない。どうして法律の素人が凶悪犯罪に限り判断を下すことが出来るというのか。裁判に臨む前に裁判員は報道や噂などから完全に隔絶されていて「ニュートラル」な考えの人ばかりであろうか。たった数日の法廷で被告人の量刑を決める。そんな知識や見識のようなものを裁判員が持ち合わせているだろうか。弁護士、検事、裁判官は皆何年も法律を勉強し、司法試験に合格し、司法修習生を経て法廷でそれぞれの役割の仕事をしている。

そんな学習を一切していない市民の「市民感覚」を参考にする必要なんてあるのか。

批判を恐れずに無茶を言う。裁判員として法廷で被告人を裁くに躊躇ない人は、法に無知であるか、心の中にサディスティックな因子を持っている人が多数だ。

裁判員を勤めたけれども、余りも激烈な内容に心を病み、生活に支障を来たすまでになった方が、国家賠償(国賠)を求める裁判が昨年、提訴された。この方以外にも裁判員を軽い気持ちで引き受けてしまったものの、後悔をしている方は少なくないだろう。

法科大学院と同様、裁判員裁判もこれから問題が噴出してくるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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意味不明な英単語「セレンディピティー」を無理強いする日本新聞協会の愚

はて、何の意味だろうと首をひねったのは昨年の早い時期だったろう。私の英語力が低いから、カタカナで「セレンディピティー」と書かれても何のイメージもわかない。このカタカナ言葉が使われていたのは「日本新聞協会」の広告で、「新聞はセレンディピティー」をキーワードに作文を募集する内容の広告だった。

不勉強を恥じ辞書を引いてみた。確かにある。”serendipity”は手元の辞書によれば、「ものをうまく発見する能力, 掘り出しじょうず;幸運な発見」という意味だそうだ。

しかし、この単語、カタカナ語にしても一体どの程度の割合の人々が理解できるだろう。一般企業の広告なら見過ごすけども、広告の出稿主は「日本新聞協会」だ。いわば日本語を適正に使うのが使命とされている新聞の共同体である。わざわざ「セレンディピティー」なる単語を用いないと表現できない概念を述べようとしたのだろうか。

◆わざわざ注釈をつけ始めた

悔しいから新聞協会に電話をした。

── 広告で使われている『セレンディピティー』という言葉について伺いたいのですが。
新聞協会 はい、どうぞ。
── 『セレンディピティー』とはどういう意味ですか?
新聞協会 「今まで知らなかったり気が付かなかったことに気が付く」という意味です。
── 恐縮ですが、これ読んでもほとんどの人は意味が分からないと思うんですが。
新聞協会 そうでしょうか。ご意見として伺っておきます。
── いや、新聞協会は日本の新聞のほとんどが加盟していますよね。そこが広告を出すに際しては言葉の選択を適切になさった方がよいのではないですか? 私の身近な少し英語が出来る人々にも聞いてみましたが、誰もこの意味理解しませんでしたよ。
新聞協会 はぁ。ご意見として伺っておきます。

という具合だった。

その後も何度もこの「セレンディピティー」は広告で登場して、昨年12月30日の新聞にもまた掲載されていた。ただ「セレンディピティー」に注釈がついていた。おそらく私のように「意味が解りません」という苦情が少なからずあったのだろう。

◆新奇なカタカナを強引に読者に提示する小賢しさ

新聞協会の広告と言っても作成は広告代理店との協議によるからコピーライター等の意向が強く作用したのかもしれない。にしても「言葉」の選び方としてはこれ、いかがなものだろうか。

同様の例は広告では過去に山ほどある。そのほとんどすべては英語か欧米語を引っ張ってきて奇をてらう手法だ。広告とは人目を惹かなければその役割を果たせない。だからそういった欧米語を強引に読者に提示するのは一つの手法として「仕事のやり口」なのだろう。

日本語では適切に意味が伝えられない、それゆえに定着したカタカナ言葉は少なからずある。それはそれで納得できる。けれども日本語でも充分語ることが可能であるのに、敢えてカタカナ言葉を持ってくる時には何かしら不純な意図を感じる。不思議なことにそういった不要なカタカナ言葉は往々にして中央省庁から発せられる。

耳慣れないカタカナ言葉を目や耳ににしたら、それを採用した集団とその意図を疑ってみよう。たぶん小賢しい企みが見えてくる。言葉は意味を伝える媒体であると同時に、それを発する人々の思惑を常に帯びている。

そうそう「アベノミクス」を調べてみた。解説では「弱者を思い切り痛めつけて、大企業の景気向上のみを目指す場当たり的な愚作」とあった。

新聞協会は「セレンディピティー」などという不要なカタカナ語を宣伝に使う前に、各紙の誌面で「アベノミスクスは愚策だ!」と連日解説するのが先決ではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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