なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

私は取材など泊りがけで出かけると、安価なのでサウナをよく利用する。ビジネスホテルに比べればずいぶん安いし、長時間大きな風呂に入ることもできるから便利に使っている。

◆垂れ流されるテレビの音が不快過ぎる日本のサウナ

が、唯一閉口することがある。大概サウナはサウナ室にも休憩室にも食堂にもテレビを設置している。休憩室には前面に7つほど大きなテレビがあるのだが、さらに個々のリクライニングシートにも小型のテレビが設置されている。音声は椅子についている小さなスピーカーで自分が選択するのだが、この音声が方々から漏れて来て、やかましいことこの上ない。

どうしてこうもたくさんテレビを設置するのだろうか。休憩室にテレビがあるだけでもやかましいのに、サウナ室でも逃れることはできない。誰が選ぶのか知らないけども、くだらない番組が延々垂れ流される。汗が出る前にテレビの音声が苦痛になり、サウナ室を出る羽目になる。でも悔しいからまた入り、でも喧しいから直ぐに耐え切れず逃げ出して・・・を繰り返す。馬鹿みたいだ。

「目が悪くなるからテレビは2時間以上見てはいけません」と小学校で教わった記憶がある。パソコンと一日中睨めっこするのがホワイトカラー労働者には当たり前になったが、きっと近い将来視力に問題が出てくるだろう。かく言う私自身パソコンに長時間向き合っていると目の疲れだけでなく独特な疲労感を感じる。きっとパソコンは体に悪いだろう。テレビだって「2時間」以上見たら目に悪いと言われていたのに、多くの労働者(いや、遊びで利用する人も含めて)は平気で7、8時間パソコンの画面に向き合っている。そして帰宅した後は「テレビ」を見る──。よくやるなぁ、と思う。

◆「嫌煙権」が絶対正義ならば「テレビ拒否権」も立派な権利

知人に度を越えたテレビ好きがいる。彼は平日見たい番組を録画しておいて、週末にまとめて観るのが楽しみだそうだ。土日のどちらか1日は終日テレビ鑑賞で潰れる。昼食中も連続で録画した番組をぶっ通しで見るので1日10時間以上テレビの前にいることになるが、それだけではない。彼は防水テレビを持っている。お風呂に入るときもそれを持参し、湯船に浸かりながらもテレビ鑑賞は続く。ここまでくると、たいしたもんだと感心するばかりだ。

近隣アジア諸国に比べて日本人のテレビ鑑賞時間は長い。たぶん世界の多くの国と比較してもそうだろう。

大阪と京都を結ぶ京阪電車に「テレビカー」があった(今もあるのかどうかは知らない)。「電車の中でテレビが見られる!」はかつて斬新なサービスだったのだろう。あたかも飛行機機内で映画の映写が行われたように。

でも。スクリーンが下ろされて、そこに映写された飛行機内の映画も、今では個人個人が選択して見る事ができるような小型ディスプレイへと置き換えられた。どうか逃げ場のない場所でテレビを放映することを再考してはもらえまいか。

携帯電話やスマートフォンでもテレビが受信できる時代だ。お好きな方にとっては誠に便利なのだろうけども、携帯電話やインターネットを使っているだけでもNHKは受信料を払えと言ってくる。NHKには「馬鹿もたいがいにしろ!」と言いたい。

「嫌煙権」は絶対正義のように世の中からタバコを駆逐しつつあるけれども、「頭の健康」に有害な「テレビ」を御免こうむる権利も議論してはもらえまいか。

まあ、金があればホテルに宿泊し静かに寝れば良いだけのことなのだが、貧乏人にはこういう悲哀もある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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いつも何度でも福島を想う

 

2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる

1月7日発売の『紙の爆弾』で詳しく紹介されるが、本山美彦京都大学名誉教授に「アベノミクス」を中心にお話を伺った。大学で長く教壇に立った方には独特な語り口がある。とりわけ自由な学風の大学で文科系の学生を育ててこられた先生方には共通する「語り口の優雅さ」を感じる。本山先生も語り口はそのように穏やかではあったけれども、語られた内容は極めてショッキングな内容だった。私のような知識の浅い者にもわかり易くなおかつ「許しがたい」、「憤慨ものだ」、「金につられる経済学者が多すぎる」と熱く語っていただいた。是非『紙の爆弾』2月号を拝読されたい。

◆どうして原発が爆発しても日本はまだ原発を続けるのか?

本山先生をはじめ、この2年ほどその世界で最先端の方々のお話を伺う中で、共通していることがある。外国の方々は「どうして原発が爆発しても日本はまだ原発を続けるのか。そしてどうしてアメリカの尻馬にのって戦争をしたがるのか」と異口同音に仰る。日本の方々は「もうすぐ『憲法改正』となるだろう。そして遠くない将来、日本は戦争に巻き込まれるだろう」と暗い顔でつぶやいていた。

“Twitter”というSNSがある。私は当初よりその語感が気持ち悪かった。なぜに「つぶや」かなければならないのか。だれに「つぶやき」を聞いてほしいというのか。140字余りでまとまった考えなど述べられるはずはないではないかと訝っていた。「つぶやく」とは大声で主張をすることではない。だから”Twitter”の機能を日本語で正確に訳せば「つぶやく」は不適当だ。

◆米国の戦争に巻き込まれる日本

話がそれたが、「戦争に巻きこまれるだろう」と語っていただいた方々はいずれも65歳以上の方々で、大声を張り上げたり、「俺の言うことを聞け!」という姿勢の方は一人もいなかった。むしろ残念至極、己の恥でも語るように苦渋の表情で私に目を合わせず語られる方が多かった。

「何を大げさな」と訝る方々も少なくなかろうが、私も「戦争」は遠くないと思う。

だから、順番が逆のようではあるが遠くない将来、戦争に巻き込まれる若い世代に、あらかじめお詫びしておこうと思う。

「本当に申し分けない。私たちの世代の怠慢のために、君たちに迷惑をかけてしまった。許してくれなどと言うつもりはない」

こんなしみったれた話、20年前には多くの人が、確定しない「未来の可能性」としてのみ語っていた。残念ながら今日、それを語るのは各学問分野の良心的最先頭に立つ方々であり、情報に敏感な市民たちだ。皆さん「戦争が来るぞ!」と大声で語るわけではない。それこそ、こんな話などしたくはなかったとつぶやくように。

断言する。戦争がやってくる。

正確に言えばもう戦争は始まっている。ウジウジ細かい議論を避けるなら、自衛隊をイラク派兵した時から(戦死した自衛官は出なかったけれども、帰国後自殺した自衛官の数は相当数に上るという)戦争への参加は明確に始まっている。21世紀、日本の戦争、始まってもすぐに日本国土が爆撃を受けたり、原爆が落とされたりという姿では進まないだろう。たぶん自衛隊が日本から距離のある地域(中東やアフリカ)に派兵され、そこで戦死者が出ることから国民総動員が完成されるだろう。

イラク派兵時に日本の自衛隊を守るオランダ軍に攻撃があった際は「駆けつけ警備という形で戦闘を行いたかった」と自衛隊の隊長であった髭を生やした現自民党国会議員は堂々と述べていたではないか。イラクに自衛隊を派兵した政府の狙いは「駆けつけ」ではなく「巻き込まれ」によって「戦死者」の実績を作りたかったのではないか。そしてその戦死者を靖国神社に祀りたかったのだ。

◆日本は米国の戦争に一度も反対をしたことはない

カンボジアにPKOを派遣して以来、自衛隊は気が付けば地球の裏まで毎年出かけていっている。軍事行動をするのではない(できない)のだから民生部門の支援(道路建設やインフラ整備)が主たる任務だ。ならば軍隊まがいの自衛隊ではなく民間企業に委託してODAとして行えばいいものを、政府は一貫して自衛隊、海外派兵にこだわってきた。そして「集団的自衛権」である。

「集団的自衛権」は日本が攻撃されなくても、「アメリカが戦争をすればついていかなければならない軍事同盟」と理解すればよい。政府はあれこれ事例を挙げて「この条件が満たされた時だけ」とか「ますます平和になる」など赤ん坊でも呆れるような嘘を平気でつきまくっているが、要はそういうことである。アメリカ合州国という国は建国以来200回以上にわたる海外派兵を行い、(9・11を除き)一度も本土が戦場になったことのない国だ。また、戦争を反省(ブッシュがイラク戦争における「大量破壊兵器はなかったので攻撃は間違っていた」)まがいのことをしたことはあっても、金輪際謝罪や補償をしたことのない国である。その国の戦争(外国攻撃)に日本は一度も反対をしたことはない。

◆WWⅡ時に匹敵する総量の爆弾を小国アフガニスタンに投下する米国

アメリカは毎年のように戦争をする。戦争と呼ぶのが相応しいかどうか微妙だが、現在もシリアに爆撃を行っている。常にイスラム革命後のイランを睨み、フセインを傭兵として育成したけども言うことを聞かなくなったので、殺してしまった。今でもイランを睨み、パレスチナを潰そうとしている。

アフガニスタンの政府の国家予算は年間205億円だ。1ドル110円で換算すると2兆2550万円。日本の国家予算の約50分の1。そんな国に第二次世界大戦中に投じた爆弾の総量に近い爆弾を投下して「戦争に勝った!」と喜んでいるのがアメリカ合州国である。最近はあまり見かけなくなったが、街で言いがかりをつけてくる「ゴロツキ」のような振る舞いををして戦争を行うのが彼の国だ。

繰り返すが、不可逆的に日本は必ず戦争に巻きこまれる。お子さんが、お孫さんが、お知り合いが心配な方は対策を準備したほうがいい。

とても残念ではあるが私たちの生きている2015年とはそういう時代だのだ。そう、つい最近日本を襲った台風並みの寒波のように。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等

箱根駅伝は正月恒例のイベントとして、日本テレビ系列が全国に放送する。関東地方の読売新聞勧誘業者は、12月に契約を結ぶ新規購読者にかなり高価と思われる「箱根駅伝」の文字が大きくプリントされたウィンドブレーカーがプレゼントされる。読売新聞では戦況予想や選手のプロフェールが連日誌面を埋める。

だが、「箱根駅伝」は関東大学の間でだけ競われる「地方大会」だ。あたかも日本で一番駅伝の強い大学を決める競技会のように放送され、見る側もその気になっているかもしれないが、あんなものがあるがために大学陸上部の勢力図が歪められてしまっているのだ。

高校時代に優れた成績を残した選手には、関東の大学からの勧誘が相次ぐ。「練習環境がいい」、「全国から強豪が集まる」そしてきめのセリフが「箱根を走れるよ」だ。

でも大学のリクルート(高校生募集)担当者は1年の半分以上を東海より西の地域で過ごすことになる。陸上競技に興味をお持ちの方であればご存知だろうが、高校の長距離、特に駅伝は近年圧倒的に西日本が強い。特に関西や中国、九州から地力のある選手が例年出ている。今年の全国高校駅伝の優勝は広島の世羅高校だった。

だから、箱根駅伝で各大学から出場している選手の出身校を見ると圧倒的に東海より西の選手が多い。開催地である東京や神奈川出身の選手など数えるほどしかいない。走り始める前の選手たちの間では関西弁が飛び交ていることだろう。

もう何十年もテレビで放送され、あたかも実力日本一を決める大会のように、読売新聞、日本テレビをはじめとするメディアが大きく扱うから、それが悪影響を及ぼし、実力のある選手が東京一極集中という現象が定着してしまった。これは大変不公平な現象である。

全国の大学に出場資格があり(勿論地区大会を勝ち残った上でだが)公平に日本中の大学の実力が競われるのは「全日本大学駅伝大会」だ。選手層が厚い関東勢が近年は必ず優勝するし、上位を占める。それでもこちらは日本中どの大学にでも予選会への出場資格があるという点で、公平な大会といえる。逆に箱根駅伝は関東圏の大学にしか予選会への出場資格がない。

何のことはない。関東周辺の「地方大会」を大騒ぎしているだけのことだ。

その証拠に、こういったスポンサーや大会運営会社の意向がまだあまり及ばない、大学女子駅伝では全く異なった勢力図が展開されている。女子駅伝は高校レベルでは男子ほど「東西格差」が定着していないものの、やはり「西高東低」の傾向は同じだ。そして大学レベルではその勢力図がそのまま反映されている。つまり東海以西、西日本の大学に強豪が多いのだ。

女子駅伝は歴史が浅いこともあり「箱根駅伝」に相当するような特定スポンサーが我儘を通す土壌はない。これは幸いなことだろう。

更に箱根駅伝にケチをつければ、この大会ではあまたの「ヒーロー」が生まれたが、その選手が後に大成したためしがない。近いところでは4年連続往路の山登りで驚異的な走りを見せ、新記録をたたき出し続けた東洋大学の柏原竜二選手が有名だが、彼は普通のトラックやマラソンを走らせても凡庸な記録しか出せない。古いところでは瀬古利彦も箱根を走った。瀬古は最長区間である「4区」を毎年快走したけれども、彼の活躍は箱根駅伝以上に「福岡国際マラソン」で学生として優勝を果たしたことから始まっていたのだ。

このように正月のおとそ気分に付け込んで、読売が仕掛ける悪辣なバイアスがかかった大会が恒例となっている。走る選手に罪はないが、箱根駅伝は、正月早々毎年歪な日本の一面を象徴している。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!
◎速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
◎「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を!
◎秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
◎自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

いつも何度でも福島を想う

 

宮沢賢治の宇宙観と透明感と共に──災禍少なく爽やかな1年でありますように

日付が一つ進んだからといって、自然界に何ら変化があるわけではない。我々が今日世界の支配的時間軸として使っているのはグレゴリオ暦こと「太陽暦」である。他にも「太陰暦」や「ヒジュラ暦」など世界にはいくつもの時間の物差しがある。「暦」によって祝賀の日も当然異なる。

まあ、そういった面倒くさい話は抜きにしよう。昔ほどではないにしろ、日本にとって「お正月」は現在でもやはり一年を通して特別に違いない。

喪中の方々を除いては、とにかく「おめでとうございます」だ。今日に限っては「口うるさい」私も邪魔くさいことは言わない。

新年あけましておめでとうございます!!

さて、お正月である。柄にもなく読者の皆さんに私からのささやかなプレゼントをお届けしたい。といっても人からの借り物だけど・・・。

生徒諸君

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である

諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ
新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史 と
増訂された生物学をわれらに示せ

おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少くとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか

宮沢賢治

私は宮沢賢治の宇宙観と透明感が好きだ。押しつけがましかったらご容赦頂きたい。

たぶんかなわないだろうけども、読者諸氏に災禍少なく爽やかな1年でありますように。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

いつも何度でも福島を想う

 

読者の皆様、本年は大変お世話になりました。幸多き2015年を!

ほとんど想像するのが不可能である人々の群れがある。その方々はたぶん、世間で言われる「普通」より敏感な感性の持ち主で、個性が強い人達だろう、というくらいは見立てがつく。しかし、正直なところその方々の真の「属性」のようなものが掴めない。

私がその姿をあれこれ思い浮かべているのは、ほかでもない「デジタル鹿砦社通信」の読者、つまり「あなた」のことだ。勘違いしないでほしいが私はあなたの年齢や思想傾向、性別などを個人的な趣味で知りたがっているわけではない。

本コラムを読むにあたって、鹿砦社トップページをまず開くと、「デジタル鹿砦社通信」と並んでいるのがいかにも似つかわしくない「ジャニーズ研究会」の見出しが目に入る。どうにも奇異なこの組み合わせだが「ジャニーズ研究会」の読者数はここだけの話、腰を抜かしそうな数にのぼるそうだ。そしてその読者像はだいたい見当がつく。

他方、毎日(毎日ではなく、「時々」であっても)本コラムを読んでくださっている「あなた」の姿は、こちら側からは想像するのがひどく難しいのだ。

毎日更新ながら一貫した主張があるわけでもなく、極めて深刻な冤罪事件から、週刊誌では読めない芸能ネタ、またパロディーや、アジビラかと見まがう内容までを拝読いただいている「あなた」。「あなた」はいったい、どんな方々なのだろうか。

こんな疑問が湧いたのにはそれなりの理由がある。本コラムは2011年に開始され、幾度か執筆陣の入れ替えなどを経て、本年8月から現体制で再スタートしている。現体制での発足後半年にも満たないわけだが、無事年を越せることについて、「あなた」をはじめとする関係各位に年末のご挨拶を申し上げたいのだ。

不肖私ごときが他の執筆者の方々になり替わわるのははなはだ僭越と分かりつつも、本年このコラムをご拝読頂いたことに対して御礼を申し上げたい。

「鹿砦社」というアナーキーな出版社が許容してくれているから本コラムは成立しているが、それにもまして拝読頂ける「あなた」があってのことである。

だから、私は「あなた」のことに興味がある。「あなた」がわかれば、来年はもう少し「あなた」に興味を持っていただけるように、「あなた」に知って頂けるように、「あなた」に怒ってもらえるように、そして「あなた」に笑っていただけるように工夫が出来るのではないかと。

でも、誤解なきようお断りしておかなければならない。仮に「あなた」が分かっても、私は(きっと他の執筆陣も)工夫することはあれ、主張を変えることはないだろう。

自由な言論の領域がみるみる狭まる時代の中で、何のタブーもなく、方針もない本コラムは世間から「尊敬」される存在でありたいなどという勘違いは端から微塵も持ち合わせていない。むしろ権力者や大きなツラをした連中から「鬱陶し」がられ「顰蹙を買う」存在を貫徹したい。

本年は大変お世話になりました。皆様にとりまして幸多き2015年となりますよう祈念いたします。来年も「デジタル鹿砦社通信」をより一層よろしくお願いいたします!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

いつも何度でも福島を想う

 

田所敏夫の《大学異論》──もうひとつの大学を求めて
○140819《01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
○140820《02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
○140821《03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
○140822《04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
○140823《05》私が大学職員だった頃の学生救済策
○140824《06》「立て看板」のない大学なんて!
○140826《07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
○140904《08》5年も経てば激変する大学の内実
○140922《09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事
○140929《10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
○141007《11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!
○141016《12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち
○141025《13》学園祭で「SMショー」は芸術か?ワイセツか?
○141030《14》学園祭のトラブルは大学職員が身体を張って収束させる
○141104《15》北星学園大学を追い詰めた「閾下のファシズム」
○141106《16》京都大学が公安警察の構内潜入を拒否するのは100%当たり前!
○141112《17》学園祭の「ミスコン」から芸能界へ、という人生
○141114《18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
○141115《19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!
○141119《20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ
○141210《21》本気で学ぶ大学の選び方─「グローバル」より「リベラルアーツ」
○141220《22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!
○141226《23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

青山学院大学(高校・中学を含む)教職員の285人(総数の約2割)の人々が原告になり、同学校法人を相手取り一時金の減額を巡り、提訴がなされていたことが明らかになった。

毎日新聞の報道によると、「教職員の一時金は1953年以降、就業規則で定める規定に基づいた額が支給されていた。しかし学院側は2013年7月、『財務状況が非常に厳しい。取り崩し可能な資金にも余裕がない』などとして、規定の削除と一時金の減額を教職員の組合に提案。その後、組合の合意を得ないまま就業規則から規定を削除した。2014年夏の一時金は、規定より0.4カ月分低い2.5カ月分にとどまった。学院側は教職員側に対し、少子化や学校間の競争激化を理由に挙げ、『手当の固定化は時代にそぐわない』などと主張。一方、教職員側は『経営状態の開示は不十分で、一方的な規定削除には労働契約法上の合理的な理由がない。学院と教職員が一体となって努力する態勢が作れない』などと訴えている」そうだ。(毎日新聞2014年12月25日付

なるほど。組合との合意がないままの一方的一時金の減額というのが表面上事件の様相だ。

このような「一時金」あるいは「給与」の一方的カットは、本当に経営状態が思わしくない大学では、珍しいことではない。だが青山学院大学は定数割れを起こしている学部があるわけでもなく、「MARCH」(明治、青山学院、立教、中央、法政)と呼ばれる東京の人気私大の一角を占める、いわば「勝ち組」大学だ。ではなぜ青山学院でこのような争議が起こっているのか。

◆国会議員、ファンド、裏社会まですり寄ってきた青学経営陣の拝金主義

私は「《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち」(2014年10月16日)の中で名前を「AG大学」と伏せて青山学院大学の不祥事を予告していた。

青山学院大学の理事会と理事長は数年前から視野狭窄、拝金主義に走っていた。とりわけ理事長周辺には実に多彩な人間がすり寄っていた。現職の国会議員や新興ファンドの経営者、果ては裏社会の人間までが列をなしているという話を議員会館で何度も耳にした。私にこう教えてくれた人物は自身も企業の社長を務める民主党の議員だった。「金に汚いですよ」と顔に書いてあったし、その腹の内も隠さなかった。彼もおこぼれにあずかろうと息まいていたが、今では落選し落ち穂拾いをしているようだ。理事長はここ10年で数人代わっているけれども、その中でも青山学院の経営を大きく方向転換させたのは2005年から2010年まで理事長を務めた松澤建氏だった。

歴史があり、偏差値も高く、ましてやセンスがいい大学という評判の青山学院大学は、普通の経営をしていれば「財政状況が非常に厳しく」なることはない。大学の財務諸表は、専門知識のある人であれば、収入と支出を簡単に操作できるので、実際は安定的な財政状況であっても、短期的に「厳しく」見える指標を作り出すのはいとも簡単な操作である。が、2012年と2013年の青山学院の財政状況を見たが、収入、支出とも前年度より伸びており、特段の問題は見当たらない。「厳しい」どころかむしろ「拡大路線」まっしぐらだ。

◆拡大路線が引き起こす大学の瓦解

だとすると、ここで起きていることは、この連載コラムの第1回(8月19日)第2回(8月20日)でも紹介した立命館大学での事件、川本八郎氏が引き起こした「一時金減額」事件と同様の性格を帯びていると考えるべきだろう。大学内での歪な権力集中、経営者の暴走が止まらないのだ。

青山学院大学は2015年4月から「地球社会共生学部」を発足させるという。学部のコンセプトとして「青学らしいグローバル人材育成」と謳われている。今年、新興宗教団体である幸福の科学が大学を設立しようと文科省に申請をしたが却下された、設立を目指した幸福の科学大学の学部名には「人間幸福学部」や「経済成功学部」があった。「地球社会共生」も学部に冠する名前としては、不思議な語感と匂いが漂う。幸福の科学大学に似ていなくもない。混迷に陥った大学でしばしば起こる現象ではある。「独りよがり」によりバランス感覚を失ってしまうのだ。

私の知人に青山学院大学の「地球社会共生学部」の受験を考えている人がいれば、迷わず止める。もう合格票を手にしていても他大学への進学を勧める。

青山学院のスキャンダルはこの事件に止まらないだろう。

青山学院は理事長の専制と理事会の正常化が図られなければ、数年以内に凋落が明らかになることは明白だ。「青学ブランド」を経営者自らが壊すのはもったいない話である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち」
速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

いつも何度でも福島を想う

 

病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!

◆営業目標を露骨に掲げるクリニックの事情

忘年会真っ盛りである。「一年間お疲れ様」なのか「理由はどうでもいいからまあ飲もうや」なのか、とにかく忘年会である。

地方都市で個人経営のクリニックに勤務する知人がいる。そのクリニックは地域ではなかなか盛況らしく、医師は一人だがスタッフは常勤非常勤を合わせると20名を超える。例年12月中盤の土曜午後に忘年会が行われるそうでそこには医師、スタッフのほか出入りの製薬会社や関係者も顔を出すので総勢は30名を超える規模になる。

先ごろ行われた忘年会の乾杯前の挨拶で、院長は参加者へのねぎらいを述べた後「まだ目標にする数字○○○人には到達していません!」と目標患者数を挙げたそうだ。常勤スタッフだけでなく、参加者の多くが少し惑いの表情を見せたという。この話を聞いて私自身、開業医が保険会社じゃあるまいに、「患者の来院目標数」を設けているのかと聞いて驚いた。医師不足、病院不足が問題にされる中、個人開業医のなかにはあたかも株式会社のごとく、収益目標を露骨に掲げて経営が行われているクリニックがあるようだ

◆領収書の明細でわかる病院の食い扶持

クリニックや病院から受け取った領収書をお持ちの方はそれをご覧いただきたい。領収書の明細は病院を問わず「区分」がほぼ同じであることがわかる。

「そういえば」と知人は続ける。整形外科であるその医師はやたらと患者に検査を行うそうだ。初診の患者には症状の如何にかかわらず、ほぼ例外なくX線撮影を行う(「画像診断」)。病院の治療代は点数制だ。1点が10円である。厚生労働省に尋ねたところ、X線撮影(画像診断)は同じ部位でも角度や撮影方法により点数が細分化しており、「一概に何点(何円)かかるとは言えない」そうだ。「それではX線撮影の最低は何点からあるか」と聞くと「30、40点くらいですね」という回答だった。いかにもあいまいでわかりにくい。それだけクリニックや病院が自由に判断する幅があるという事だろう。ちなみに今年私自身が大病院で腰を5、6枚撮影してもらった際には581点かかっていた。

このクリニック平日の午前診療時間(9時から12時)で平均20名弱の被撮影者がいるという。現在X線撮影はほとんどデジタル化されており、消耗品は少ない。昔のように現像する必要もない。だからはっきり言えば「X線撮影」は非常に儲かる。患者一人平均のX線撮影点数が仮に200点とすると、1日の撮影人数は午前、午後合わせて約40名だから40×200で8000点となる。8000点は8万円ということだ。クリニックの開業日数は年間240日あまり。だからX線撮影だけでも年間2000万円近い収入があることになる。

平日午前の診療は高齢の患者さんが中心らしい。X線撮影をしても医師はほとんどの場合、「まあ、たいしたことはないわ。お歳もお歳やから、うまく付き合っていくしかあらへんね」としか言わず、リハビリにまわすか投薬をするだけだという。年配者だけならばまだしも、幼稚園にも通わないような年齢の幼児にも通院のたびにX線撮影を行うことが多い。明らかに過剰なX線の乱用だとクリニックスタッフも内心心配しているどうだが、いかんせん医師一人が経営するクリニックだからなかなか進言できる雰囲気ではない。人柄は穏やかだそうだが明らかに「ヤブ医者」だ。

しかも、前述のとおり「営業目標」を掲げるような考えの持ち主である。「営業目標」が語られた忘年会はたぶん出入りの製薬会社が経費の一部(もしくは全部)を負担しているのではないか、と知人は述べる。忘年会のほかにも年数会、同様の会合がありその際は製薬会社が会費を負担するという。

企業がクリニックに便宜をはかるのは構わないが、患者を「営業目標」の対象と見られてはたまったものではない。

◆こんな開業医は要注意!

知人は言う。「開業医でやたらに検査を行う医師は疑ってかかったほうがいい」、「歯科で患者数がさほど多くなさそうなのに虫歯の治療に何ヶ月もかけるクリニックも要注意」、「軽症で患者が積極的に望んでいないのに、やたら注射を打ちたがる医師は要注意」だそうだ。

一方で公立の大病院では過酷な労働条件の下働く医師も多い。やはり知人で大病院に医師として勤務する知人は「開業医と勤務医の収入は別業種位に差があるよ」と言う。彼は最近地方都市に「30年ローン」でマンションを購入したと言うので「お前みたいな高給取りがなんでローンなんや」と聞くと「俺たちの手取りなんか夜勤含めても○○万円くらいやで」と意外に低い数字を口にした。

ともあれ、体にかかわることなので、病院(クリニック)選びは慎重さが必要なようだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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《大学異論22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!

本コラムでも言及していた北星学園大学問題。田村信一学長が至極全うな声明を9月30日付声明を出して以来、同大学をめぐる状況はさらに悪化し、学外からの攻撃が激化した。一時は非常勤講師として勤務する元朝日新聞記者、植村隆氏の非常勤教員としての来年度契約を「結ぶのが難しい」と田村学長がこぼすまで状況は悪化していたが、同大学は英断を下した。

北星学園大学は12月17日付、北星学園大学理事長大山綱夫、北星学園大学学長田村信一両氏の連名で声明を発表した。詳細は北星学園大学のHPを参照されたいが、近年まれに見る格調の高さと、大学としての覚悟に満ちた歴史的とも言える内容だ。

◆「北星、ようがんばっとるやないか」では済まされない

この決断までには、紆余曲折があったことは既に報じられている。卑劣極まりない脅しや攻撃が北星学園大学だけでなく、植村隆氏さらにはそのご家族にまで及んでいた。安寧な生活が送れないほど植村氏の生活は脅かされていた。

大学の非常勤講師というと、名誉ある仕事であるように響くけれども、はっきり申し上げれば極めて給料の安い仕事である。90分講義を1コマ担当して、1か月2~4万円が相場だ。多くの有名大学在学生は「家庭教師」をすることにより、大学の非常勤講師よりもはるかに高い報酬を得ている。

しかし問題は金ではない。植村氏に対する卑劣な攻撃に対して、一時は腰が砕けそうになった北星学園大学が「この時代本当にそんなことがあるのか!」と驚くほどの勇気ある決断を理事長、学長が下した意味は非常に重い。

「決断」を示す文章が何をも「自負」したり、「構えて」いないことに更に頭が下がる。これまでの経緯を誠実に綴り、ブレがあったことを認めながらも最終的に植村氏の雇用継続に至ったことを包み隠さず語っている。

このような決断を前にすれば、その姿勢に賛辞を送り背中を押した人間達にもそれなりの責任が生じてくる。「北星、ようがんばっとるやないか」では済まされない。自らの名前を名乗る勇気も無い、しかしながら攻撃の手段を選ばない卑劣な輩たちは更に攻撃をエスカレートさせているに違いない。

孤立無援、苦境で戦う時、外部からの支援ほど力になるものは無い。理事長、学長が腹をくくったのだから、内部では議論があろうと頑張ってもらうしかない。幸い今日は誰でも気軽に応援する方法がいくらもある。応援の電話やメールは困難内部にいる人間に、勇気を与える。

私自身、かつて大学職員時代に大きな力で潰されかけた時、見知らぬ人からのメールにより、砕けそうになった心を取り戻し再度自分を奮い立たせることが出来た経験を思い出す。

私は暴虐の時代に決然とした姿勢を明らかにした北星学園大学に最大級の賛辞と賞賛、更に少ないけれどもカンパを送る。

◎関連記事?《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!

やはり、そうだったのかと得心した。消息筋によると、元赤軍派議長で現在駐車場管理人を勤める塩見孝也氏(73)が来年行われる東京都清瀬市の市会議員選挙に出馬の意向であることが明らかになった。塩見氏が11月に鹿砦社から『革命バカ一代 たかが駐車場、されど駐車場』を出版したことは以前の記事で触れた。また11月9日に私自身初めて同氏にお会いしたことにも言及した。その時既に「何かやるんじゃないだろうか、この人は・・・」の予感はあった。

が、ご当人の口からは具体的な内容の話はなかったので私の感触に留めておくこととし、記事内での明言は避けた。しかし塩見氏は「議会制民主主義」の中、その最も身近な場所からとはいえ、自身が「政治」の場に身を進める決断を下したそうだ。同氏は先週都内で行われた会合で「国政や、県政に臨む力はないし、まだ早い。でも地方からの変化が必要だ」と語り、市議選への出馬を明言したという。

「たかが市会議員」と侮ってはいけない。全国の市会議員の大半は地域ボスだったり、土建屋の公共事業調整役、はたまた何もしないでひたすら歳費を貪る輩だが、中には1人で市の行政を市長かと見まがうほどに動かしている実力者もいるのだ。ただし、それには相応の行政知識や思想行動力が必要であることは言うまでもない。塩見氏がどんな活躍を見せてくれるか、清瀬市には要注目だ(当選を前提の話だが)。

私は塩見氏の市議選挙出馬をある種の驚きと、逆に納得を持って受け止めている。かつて「革命」を指向し「日本のレーニン」とまで呼ばれた人物が73歳にもなって(ご本人には失礼!)まさか地域の選挙に出るのかとの思いは多くの人共通の驚きだろう。一方ご本人と話をして、『革命バカ一代』を読めば「このままこの人おとなしくしてるんだろうか」との意気込みが嫌でものしかかってくる。勿論往時の体力はないし、「世界革命を!」とは主張されないだろうけども、今日の惨憺たる政治状況に喝を入れる起爆剤になるに違いない。

気が早いが来年の清瀬市会議員選挙の際には清瀬市にぜひご注目を!

塩見孝也氏

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を!
衆議院総選挙──「人間には夢がある。夢を実現する力もある」の物語
秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

絶賛の嵐!『革命バカ一代 たかが駐車場、されど駐車場』

 

「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を! [田所敏夫]

数えられるくらいしかまともに出席しなかった大学時代の講義。マスプロ教室での詰め込みと講義内容の中くだらなさを理由に大いにさぼっていた。気まぐれだったか、友人に誘われてだったか定かではないが差別問題を扱う講義に出席した時のことだ。履修登録者の数は数十名はいるだろうに、教室には学生が4名だけだった。

講師の先生は非常勤の方で、関西の部落解放運動に関わっていて、かつ身体障害を持った方だった。こちらはたった4名出席者だった。嫌でも先生の鋭い視線から逃げられない。でもそんな状況とは関係なく、その先生が日本の戦後社会状況を俯瞰的に語った内容を今でも明確に記憶している。大学講義の中でこれほど明晰に記憶している場面は他にない。

「革新陣営はいつも『守る』ことにことさらこだわり過ぎではなかったのか。憲法を、人権を、平和を『守る』とみんな語る。それらは十分に満足すべき状況なのか? 今日的な危機の根本は変革を求める側が『変える』のではなく『守る』ことに足場をおいたことに端を発するのではないか」

◆「守る」だけでは勝てはしない

この講義を聞いたのは80年代半ばだが、こう語られた先生の言葉を今、当時より実感をもって首肯できるような気がする。「守る」ことが悪いわけではないけれども、「守って」いるだけでは決して勝負に勝つことは出来ない。長時間守備にばかりついていれば、いずれ隙を作り攻撃側に得点を与える。こちらも得点を得なければ。得点を得るためには「攻撃」をしかけなければ。

戦争を露骨に指向する悪辣な自民党の改憲案には平和主義の立場から、憲法(とりわけ9条)を「守り」たいという心境が働くのはごくごく自然なことではある。しかし「守る」だけで勝てはしない。

しかもこの改憲攻撃には一理ある。護憲派は前文から始まる憲法を総体として好感するあまり、前文と9条の間に挟まれた第一章、1条から8条、すなわち「天皇制」の問題、この憲法に凡そ決定的な不協調として無理矢理に押し込まれたような「天皇制」を軽くとらえ過ぎてきたのではないか。憲法前文の中に「天皇」の文字はない。「詔勅」という一文字がほのかにそれを想像させるだけだ。。前文と直接に呼応するのは2章以降の9条であり、21条で、その他の多くの条文もそれに次いで前文と意味のやり取りが成立する。が、1条から8条はどう読んでも全文精神との親和性を持たない。だから、自民党の改憲案は全文を含めて憲法を変えようとしているのだ。

憲法前文(またはその精神)や「9条」を具現化したいと考えるのであれば、「1条から8条まではこの憲法にそぐわない」との論理が成立してもおかしくないのではないか。と、今さら知らないふりをしているのではない。何も私が今頃言い返すまでもなく、そのような議論は何十年も前からあったことは承知している。護憲派はそれは腹に収めた上で、最大公約数的に「9条」を「象徴」として護憲を語りそれを「守る」活動を続けてきたのだろう。

◆「守る」姿勢を構えたのが間違いだった

「わかってるよ、でもな」と面倒くさがられながら「私は改憲派だ」と憲法が話題になる度にぼそっと語ってきた。冒頭紹介した大学時代に聞いた講義の影響が多少はあったように思う。「でも、お前、前文や9条には賛成なんやろ? 天皇制反対ってそりゃこっちの多数はそうやがな、やけど、そんなこと言い出したら混乱するから改憲なんて言わへんだけや」昔はたいていそんな風に叱られた。が、状況ここにいたって、やはり「守り」に徹してきた(そうでなく攻撃をしかけた陣営もあるけども)護憲派の多数は圧倒的に押しまくられている。

憲法も、人権も、平和も、生存権もこの国では、歴史的に時限付きで与えられたものだったのじゃないだろうか。少なくとも私たちの世代はより豊かな社会を獲得するためにそれなりの力を注いだといえるだろうか。80年代以降は60年代、70年代の遺産と預金で辛うじて生き延びてきたのではないか。与えられたものを「守る」ことには無意識に賛成していた。でも「守り」、「保つ」社会的態度は「保守」という言葉に置き換えられなくはないか。

再度、大学時代の講義である。先生はさすがに「保守」という言葉までは引っ張り出さなかった。ましてや「反動」を匂わせることも。でも彼は喉元までそれが出かかっていたと感じた。私なりに推測すれば彼の本音はこうだ。

「戦後革新運動の一部方針に誤りがあった。『守る』姿勢を構えたのが間違いだった。そこから敗北は始まった」

解釈改憲、原発、特定秘密保護法、戦争、消費税値上げ、沖縄の米軍基地・・・それらに反対する勢力の共通の弱点が、実は「守る」こと(あるいは言葉)に依拠していることではないだろうか。

見渡してみればもう「守る」ものなどほぼ実質的に奪われつくしているじゃないか。これから益々寒風の吹きさらす時代が進むだろう。「守る」から「獲得する」へと転換を、と言っても遅すぎる気がしないでもないが、絶望よりははるかにましだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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