衆議院総選挙──「人間には夢がある。夢を実現する力もある」の物語

極寒の中、投票日を迎えた総選挙の結果劇的だった。低投票率が懸念されたが最終投票率は80%を超え、史上最高を記録した。自公が200も議席を減らすとはどのメディアも予想しなかったし、私だってまさかと思っていた。事前の新聞報道では「自民単独で300超えも」とか「自公安定多数確定」などの見出しが躍り、連日これでもか、これでもかと与党有利の報道が続いていたが、あれはやはり自民党に恫喝された報道機関が泣く泣く世論誘導に協力させられていたのだろう。

選挙期間中に特別秘密保護後法が施行されたり、何とも嫌な雰囲気ではあった。「この国も本当に終わるのかな」と暗い気分になってはいたけれども、まだこの国の有権者は捨てたもんじゃない。理性と良心が勝利したということだろう。今後の焦点は連立の組み合わせがどう進むかだ。意外にも議席数を復活させた「民主」が政権の中核を担うことにはなろうが、前回国民を無視した「原発再稼働」や「消費税引き上げ」と言った裏切りを行ったことの愚を猛省して運営にあたって欲しい。

全員当選の「生活」と「社民」の発言力も無視はできまい。「民主」は今回積極的に「維新」と選挙協力を進めたが、「維新」は連立に入らないと既に表明している。またしても橋下は江田と共同代表として意見が合わないらしい。近く「維新」は解党になるだろう。橋下の自爆はもとより想像できたことであるので驚きはない。

60議席を獲得した「共産」が連立に加わることへ前向きな意向だ。「自社さ」政権を超える「民主」から「共産」まで幅広い大連立政権の調整が政権運営のカギになるだろう。日本版「オリーブの木」は何と命名されるだろうか。

原発の再稼働・推進勢力は絶対少数になった。民主党内の「連合」密着議員も、ここにきて「原子力村との決別宣言」を発表した。安倍政権横暴の象徴「解釈改憲」は組閣後速やかに取り消されることが、連立政権参加予定各党党首の会談でいち早く同意をみたことが明らかになった。特定秘密保護法案は施行を一時止めて、法律自体の破棄も含めて議論が始まるらしい。

何より喜ばしいのは東京電力を倒産させ資産を整理し、被災者への賠償と避難を早急に行うことで各党が一致したことだ。東電幹部の私有財産や天下り先へも債権の取り立てを行うらしい。これで原発事故被害者の方々には遅きに失したといえようやく手が差し伸べられるだろう。捻出できる東電関連資産の合計は8兆円近いという。派遣法の見直し(廃止)と、TPP不参加についてもほぼ同意が固まったようだ。今朝の報道では、名護市辺野古周辺から防衛施設庁と海上保安庁の職員の姿が消えたという。

一部議員の間からは「消費税廃止法案」の提案が議論になっているそうだ。所得税の累進課税最高税率を75%へ引き上げれば、消費税は不要とのシンクタンクの試算がある。自民党と経団連が主張していた「法人税」の引き下げは白紙見直しとなるそうだ。

超党派の「奨学金を考える議員連盟」は現在、日本学生機構が行っている有利子の「2種」奨学金の全廃を実現すると表明した。代わりに成績優秀かつ経済的に困難な学生には返還不要な「給付奨学金」を2万人の枠確保することを目的に、臨時国会で早くも議員立法として提出する。

一方「自民」は選挙敗北の責任を取って、安倍が党総裁の辞任を明らかにした。「この道しかない」道は故郷山口へ帰る一方通行の道だった。安倍は政界引退をほのめかすコメントも口にしている。「お腹がいたい」そうだ。

「産まないほうが悪い」とまたしても本音を吐露し総叩きにあった麻生も「総理までやってみたが、正直面白くなかったのでこれからは趣味の漫画を中心に福岡で活動したい」と発言。まずは自身の蔵書(マンガ)を中心に漫画喫茶「ア・ソウ」を始めるという。身の丈を知るとはこのことを言うのだろう。

おやじの横暴が乗り移り、放射性廃棄物の中間(実際は「最終」)処分施設について「最後は金目でしょ」と発言した石原伸晃はまさかの落選にうなだれ、記者会見にも姿を見せなかった。さすが環境大臣を歴任しただけのことはある。空気は読めるらしい。

法務大臣として11人の死刑執行命令に署名した谷垣禎一は、日弁連から「殺人罪」で告発され、落選を嘆く間もなく、今朝身柄を検察庁に拘束された。元法務省が職責により逮捕されるのは異例中の異例であるが、検察幹部は「いくら合法と主張されても11名の命を奪う行為は正当化できない。国連の勧告もあるので」と語っている。

予想もしなかった方向にこの国が変わりつつあるのかもしれない。

人間には夢がある。夢を実現する力もある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた

12月10日、特定秘密保護法案(秘密保護法)が施行された。12月では太平洋戦争奇襲開戦の日(12月8日)と並んで後世惨禍時代の始まりの日として歴史に刻まれることになろう。

施行されたからといって即日誰かが逮捕されたり、集会に警察が押し掛けたりするわけではないけれども、暗黒時代への階段をまた一つ下ってゆく日になったことは間違いない。地方紙の多くは一面トップでかなり大きく取り上げている。首都圏に止まらず全国各地で昨日秘密保護法施行反対の集会やデモが行われたことが報じられているし、論説にも秘密保護法の危険性を指摘する記事が目立つ。

新聞はここまで危機を感じるのであれば、何故、国会審議以前に同じ程度の扱いで報道してくれなかったものかと残念に思う。時を同じくして総選挙となり、やれ「アベノミクス」の評価だ、「消費税」だ、「解釈改憲」だと、争点は山ほどある中でこの日を迎え、意図したわけではなかろうが、秘密保護法を制定した安倍自公政権への直接の批判は緩和されているように思われる。

◆なぜ金沢弁護士会は「活動自粛」を決定したのか?

が、既にこの悪法が人々を委縮させるかのごとき印象を与える報道に接した。施行日と同じ12月10日、金沢弁護士会は秘密保護法への反対行動を予定していたが、弁護士会が県の選挙管理委員会に確認したところ、「公職選挙法に抵触する可能性が高い」と、指摘を受け金沢弁護士会の飯森和彦会長が「活動が公職選挙法に抵触するという認識はないが、慎重に検討し活動を中止した」と書かれている。
東京でも、大阪でも、地方都市でも施行前日の12月9日には弁護士を含む多数の人々が抗議活動に参加している。施行当日の10日もそうだろう。選挙期間中であるから抗議活動を行ってはならない、などとは公職選挙法のどこにも書いていないし、選挙中こそ今後我々の生活に影響を与える政策や法律についての議論がなされるのは至極当然だ。何を考えて金沢弁護士会は「活動自粛」の決定をしたのだろうか?

◆「報道は正確ではない」という飯森和彦=金沢弁護士会会長

真偽のほどを確かめるべく、金沢弁護士会に電話取材した。
金沢弁護士会事務局の宮嶋氏は「マスコミの報道は正しくない。活動は中止ではく延期だ、次回は12月24日を予定している」と回答した。また「そもそも弁護士会が選挙管理委員会にお伺いを立てるというのはおかしいのではないか」との質問には「弁護士会の総意ではなく、ある人物(弁護士)がたまたま電話をかけてしまった」そうだ。「金沢弁護士会としては選挙管理委員会へ問い合わせたこと自体に問題があるとは考えないか」と問うと「それは分からないので会長へ直接聞いてくれ」との回答だった。

そこで金沢弁護士会会長の飯森和彦弁護士にも電話で事情を聞いた。
「報道は正しいか」との問いに「正確ではない」と言う。飯森会長によると、金沢弁護士会執行部の一人が県の選挙管理委員会に質問をしたのは事実だそうだ。その際選管は「公職選挙法に抵触する可能性がある」と回答したそうだ。それを受け疑問に感じた飯森会長自身が公職選挙法を読み返したところ、どこにもそのような条文は見当たらない。そこで選管に再質問すると「政治団体や政治献金を行う団体には公職選挙法205条の10号が適応されるので」との説明があったという。

しかし弁護士会は政治団体ではないし、政治献金を行うこともない。飯森会長はその説明は弁護士会には該当しないと判断した。但し、選管に質問した弁護士を含め弁護士会が団結して末永く闘っていくためには、なるべく余計な要素を排除しようと考え、10日の予定を24日に延期するとの決定を行ったそうだ。また1月、2月、3月にも連続して秘密保護法及び解釈改憲反対のビラ配りやデモなどの運動を続けていくという。

「弁護士会として選管にお伺いを立てたことについて問題は感じないか」との問いには「ある弁護士が念のために個人の判断で確認をしたが、それ自体が問題だとは考えていない、むしろ長期的に弁護士会が団結していく方向を維持することを重視した」との回答だった。「金沢弁護士会としては秘密保護法に反対なのですね」との私の質問に飯森氏は「当然です。解釈改憲にも反対です。末永く戦って観点から今回の延期をしましたが、その趣旨を歪めて報道されていて迷惑しています。弁護士を『甘く見るな!』と言いたいです」とのコメントが返ってきた。
ベタ記事であったが、新聞はあたかも金沢弁護士会が「圧力に屈した自粛した」印象を与える報道をしてしまっていたのだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
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《大学異論21》本気で学ぶ大学の選び方─「グローバル」より「リベラルアーツ」

多くの大学で既に推薦試験が始まっている。志望校から合格通知を受け取って一安心の受験生もいるだろう。が、この時期になっても確信を持って志望大学、学部を決めきれていない受験生もいるのではないか。それはそれで無理もない話である。大学の情報はインターネットやオープンキャンパスでかなり得ることができるが、肝心の「自分の将来像」が描けていなければ、その準備期間を過ごすこととなる大学選択は容易ではない。高校生で「自分の将来像」が描けてる生徒など一握りに過ぎず、それは企業への勤労者(会社員)が社会の中で多数を占める現代において無理からぬことである。

そこで受験生が進学先学部を決めるにあたって、参考にして頂きたい視点を以下何点か紹介してゆこう。ただし大学、学部選択の要素はこれだけに止まらない。ほかの視点からの大学選択法は近くご紹介したい。

◆大学が列挙する「資格取得」に騙されるな!

大学を無事卒業すると「学士」号が授与される。これが大学を卒業した証になるわけだが、各大学は「付加価値」を高めようと各種資格の取得(または受験資格)が可能となる課程を設けている。

一般的なところでは「教職課程」だ。文系の学部であれば中学・高校の「国語」、「社会」、「英語」などが多く、理系であれば「理科」、「数学」が主流となる。教職課程は「将来何かあったら教師になれるから」と比較的受講人数が多い。

しかしながら、将来教師を職業として目指す人以外には教職課程の取得はお勧めできない。その理由は第一に少子化が進展する中で、教員採用数自体が右肩下がりで、仮に教職免許を持っていても実際の採用試験に合格できる可能性が極めて低いからだ。第二に20単位以上の必修科目履修しなければならず、プラス教育実習、最近ではそれに加えて介護体験なども加わり、大学生として過ごせる時間のかなりを取られてしまう。大学の卒業要件は一般に124単位だが、教職課程履修者は150単位近くを習得しなければならないのだ。本気で教師を目指す人以外には無用な資格だろう。

また、「図書館司書」、「博物館学芸員」なども教職同様に設置している大学が多く、取得自体は可能だが、採用数が極端に少なく、この2つの資格を持っていなくとも図書館や博物館で働く人もいるなどほとんど取得するに値しない資格だ。履歴書の資格欄に「図書館司書」や「博物館学芸員」と書いてもほぼメリットはないと考えてよい。

これら国家資格の他にも実に様々な資格が準備されているが、資格課程を多く並べている大学ほど、本来の教育内容に自信がない、という傾向がある。大学は本来学問を究める場所であるので、予備的に供えられた資格課程に惑わされてはいけない。

◆看護、薬学、心理学を選択する際の留意点

近年、急増している「看護」、「薬学」、「心理」についても慎重な検討が必要だ。看護師不足は確かに深刻であり、「看護師」の資格を得ればほぼ就職からあぶれることはない。4年生大学の看護学部は概ね9割以上の国家試験合格率を出しているので、看護学部進学は就職へ直結と考えられる。

が、一部大学の看護学部はそのスタッフ、学生の扱い、学費などに深刻な問題がある。詳しくは延べないが、病院経営と大学経営の両輪で運営している私大には要注意大学が少なくない。また「看護学」は世界的にも未だ確固たる学問領域として確立されたと言い切れない部分があり(「看護」自体の歴史は古いが「学問」としては新しい分野である)ので、教員スタッフや大学自体についてしっかり調べたうえでの大学選択が重要だ。

文科省の方針で、医学部の新設はほぼ認められていないので、代わりに薬学部を開設する大学がここ10年ほど目立っていた。薬学部は薬剤師の資格習得を基本的には目指す学部で6年制だ。私学であれば学費も安くはない。薬剤師資格の社会的価値(マーケットバリュー)と薬学部への学費を天秤にかけるのは、あまりにも単純な比較だが、「医薬分業」(医学的治療は病院若しくは開業医で、薬の処方は薬局で)という国の施策の中、一般薬局に勤務する薬剤師の給与はどんどん下がっている。大病院や研究所、大学などに勤務していると一般の会社員より安定的に良い待遇を得られるが、大資本のチェーン店のドラッグストアなどでは時給が1500円を下回るケースも少なくない。

薬剤師免許は確かに有効な資格だが、それが豊かな収入の必ずしも保証するものではないということは、知っておいてよいだろう。

近年、総合大学でも新設が相次いで、やや過剰な感があるのが「心理学部」だ。心理学自体は欧米に比べると日本では大学で学部単位の学習の場の設立が遅れていたことは事実だ。ただ、心理学という学問の基礎知識を持ってこの学部を選択しないと、後悔が待っている。「心理学」という響きから受験生が思いつくイメージは圧倒的に「臨床心理学」に偏っている。将来の職業像も「カウンセラー」や、「臨床心理士」だろう。

しかし、「心理学部」を卒業しただけでは「臨床心理士」は取得できない。「臨床心理士」取得のためには修士号(大学院進学)が必要だ。しかも「臨床心理士」は公的資格ではあるが「国家資格」ではない。

心理学部への進学が「カウンセラー」関連の職業に直結しないことも(勿論その基礎知識を学ぶことは出来る)知られておくべきだろう。しかし純粋に学問として心理学を勉強した人は社会の幅広い分野で活躍している。

◆「グローバル」は疑え!

世は「グローバリズム」の時代だという。人、モノ、金が国境を越えて多量、急速に行き来するのが「グローバリズム」や「グローバリゼーション」らしい。大学にも「グローバル」を謳う学部が急増しているし、どこもかしこも「グローバル時代に」を枕詞に特徴を語ろうとする。でも、「グローバリズム」の本質は何であろうか。なぜ「国際化」という日本語があるのにわざわざ「グローバリズム」と言い換えるのだろうか。私の偏った見方では、大学における「グローバリズム」はたぶんこれある種の国策と一時の流行だ。確かに国外に出かける人や来日する人の数は増加している(大学の交換留学なども増加した)。

しかし、その現象は1980年代から既に始まっていた現象で、それが拡大したに過ぎない。何も21世紀に入ってから急に世界が「グローバル化」(国際化)してきたわけではない。そして近年、世間で言われるような「グローバリズム」は米国と多国籍資本主導の「新自由主義」を押し付けるとの意図が見え隠れする。大学が嬉々として飛びつくような概念ではないと思う。

「時代の要請」というと錦の御旗のように聞こえるが、意地悪な言い方をすれば「流行になびく」だけのことだ。

例えば、かつて「21世紀にはソフト開発技術者が20万人不足する」と政府が吹聴した時代があった。SE(システムエンジニア)と呼ばれる職種を中心とするプログラム開発従事者がコンピューターの能力向上と汎用化で枯渇するから、「大学はその人材を育成せよ」、と国が指令を出したのだ。しかし実際にはSEの職場に就職したのは半数以上が文科系学部出身者であった。電子工学やコンピューターを専門としない人間たちによってSEの現場は担われていた。しかしこの職種は大企業であっても過酷な労働環境がほとんどで、仕事は覚えたもののほぼ20代後半から30代半ばで使いつぶされ、体を壊す、というパターンが当たり前になった。

当時、大学では「コミュニケーション」が新設学部の流行キーワードだった。「マルチメディア」などという言葉も散々飛び交っていた。で、現状はどうだろうか。確かにクライアントの要請に応じてプログラムを作成し、調整するSEの仕事の需要は確実に存在するけれども、「BASIC」、「C言語」、「COBOL」などのコンピューター言語だけを知っていても実務はこなせない。もう古いのだ。「JAVA」が登場し、さらに次の言語が開発されるだろう。SEとして会社勤務を経験した人のほとんどが転職を経験している。

一時的な産業界の要請に人生を合わせていこうとすると、「時代」という気まぐれに梯子を外される。私には「グローバル」も似たような軽薄な流行に思われる。時代は何年も前から「国際化」が進展しているのだ。

◆「リベラルアーツ」の再発見

大学の学部名は昨今新聞紙上で問題にされるくらいに多様化している。多分その歴史の最初が「経営学部」の誕生だったろう。「経済学」でも「法学」でもなく「経営」は企業や組織の運営を労働者ではなく「経営者」の立場から科学する学問だ。家業を継ぐ予定のある受験生や、本当に「企業経営」に関心がある受験生は別だが、「経営学部」を出たからと言って、就職に有利だとか、経営者の考え方が分かるなどということはない。

「リベラルアーツ」という言葉がある。平たく言えば「広い基礎教養」とでも訳せばよいだろうか。かつて大学には必須科目として「一般教養」が置かれていたが、それよりも広い概念で人文科学、社会科学、自然科学を網羅的に学ぶことを目指すのが「リベラルアーツ」の考え方だ。

例えば、法学部に進学すれば基本的に法律の勉強をする。4年間かけて自分が専門とするテーマを絞っていき法学の中で専門を極めるわけだが、「リベラルアーツ」は言わば「広く浅く」(時には「広く深く」)知識、教養を身に着けることを目指す。やたらと細分化した学部名が増えた大学の中では「リベラルアーツ」教育を価値を見直す動きがあり、その名前を冠した学部もあるし、「教養学部」、「人文学部」などといった名前の学部はおおよそ「リベラルアーツ」志向の学部だ。

将来像が描きにくい受験生には豊かな教養を身に着ける観点から一度検討をお勧めしたい領域だ。

また、先の「グローバル批判」と矛盾するようだが、比較的社会で通りがよいのは語学関連の資格試験だ。英検、TOEFL、TOEICなどで高得点を得ておくことは単に体面上の武器になるだけでなく実際の社会生活でも役立つのでお勧めできる。

そして出来れば英語以外にもう一つ意思疎通可能な言語を習得しておくと知識吸収やコミュニケーションの幅が格段に広がる。大学時代は幸い時間にゆとりがあり、まだ脳も硬直化していない。大学の講義を受講するだけでなく、自己で外国語の習得を試みることだって可能だ。

以上述べたように、大学選択もさることながら、学部の名前である程度のふるい分けをすることが可能だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!田中俊一委員長をおっかけ直撃!

「被曝強要作文」に内閣総理大臣賞を与えるこの国の「人権週間」とは?

12月4日から10日まで「人権週間」であるという。法務省のHPには、

平成26年度北朝鮮人権侵害問題啓発週間ポスター(法務省)

「国際連合は,1948年(昭和23年)12月10日の第3回総会において,世界における自由,正義及び平和の基礎である基本的人権を確保するため,全ての人民と全ての国とが達成すべき共通の基準として,世界人権宣言を採択したのに続き,1950年(昭和25年)12月4日の第5回総会においては,世界人権宣言が採択された日である12月10日を「人権デー」と定め,全ての加盟国及び関係機関が,この日を祝賀する日として,人権活動を推進するための諸行事を行うよう,要請する決議を採択しました。我が国においては,法務省と全国人権擁護委員連合会が,同宣言が採択されたことを記念して,1949年(昭和24年)から毎年12月10日を最終日とする1週間(12月4日から同月10日まで)を,「人権週間」と定めており,その期間中,各関係機関及び団体の協力の下,世界人権宣言の趣旨及びその重要性を広く国民に訴えかけるとともに,人権尊重思想の普及高揚を図るため,全国各地においてシンポジウム,講演会,座談会,映画会等を開催するほか,テレビ・ラジオなど各種のマスメディアを利用した集中的な啓発活動を行っています。皆さんもお近くの催しに参加して,「思いやりの心」や「かけがえのない命」について,もう1度考えてみませんか?」とある。

なるほど、「人権」意識の啓発は確かに意義がある。殊に「個人情報保護法」や「特定秘密保護法」が「人権」侵害の蹂躙を巧みに準備している今日、また隠された放射能汚染により命の危険が身に迫る庶民にとっては、国の横暴から身を守るすべとして「人権」の正しい理解が進むべきだ。

第33回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集(法務省)

◆奴らは無垢な中学生さえも悪用する

と、書き出したのは新聞に不思議な広告を目にしたからだ。

北朝鮮人権侵害問題啓発週間 12月10日(水)~16日(火)」との見出しで横には「日本に帰る! その日を信じて・・・」と書かれたポスターが掲載されている。どこかの拉致問題関係団体か民間右翼が主催するのかな、と思い紹介文に目を通したら、何と法務省がスポンサーの広告ではないか。

その横には「全国中学生人権作文コンテスト」で昨年、内閣総理大臣賞を受賞した中学生の顔写真と作文の要旨が紹介されている。

作文の題は「それでも僕は桃を買う」だ。

記事では「昨年度は、○○(記事では本名)さんの『それでも僕は桃を買う』が内閣総理大臣賞を受賞しました。この作文は、福島産であることを理由に、国籍の違いで差別を受けた自分を投影し、偏見を持たない差別をしない姿勢の大切さを訴えかけています」とある。

中学生はこの作文で一番伝えたかったことして、「福島産の桃が偏見を持たれて差別されていることと実体験と重なり、差別される側の気持ちを知っている身として、この間違いを伝えていかなければいけないと思い、この作文を書きました」と記している。

無知な善意を悪用する政治権力の薄汚さにムカつきを覚える。奴らは無垢な中学生さえも悪用する。

法務省のHPで作文の全文を読んでみた。中学生は心優しい子に違いない。自分が差別された経験から想像を豊かにして「偏見」や「差別」は許されないと考えている。そこまでは間違ってはいない。だが中学生は「差別」と「区別」を混同してしまっている。全くもって仕方のないことではある。大人でも放射性物質の危険性を正しく認識できていない人も多数いるし、テレビ、新聞では放射性物資の「正しい危険性」などほとんど報道されないし、学校でも教えてはもらえないのだから。

年齢が低いほど人間は放射線への感受性が強いこと、現在流通している食物、ここで言えば「桃」の出荷規制基準は1キログラムあたり100ベクレルであり、それは福島原発事故前の汚染濃度の1000倍に相当すること、同時に事故前1キロあたり100ベクレルは「低レベル放射性汚染物」であったことなどをこの中学生は知らないに違いない。中学生の「無知」を謗るのは気の毒だ。

同時に福島の農家への温かい眼差しには何の悪意もないどころか、人間的な視点にあふれている。

だが(もうここで私が繰り返すまでもないが)、福島(福島だけではない、広く東日本)は深刻に汚染されてしまった事実は消し去れない。農家には全く罪がない。いや罪がないどころか農家は明らかな「被害者」だ。「被害者」などという言葉では足りない。物静かで我慢強い東北の農家。彼らの糧である土地を修復不可能に汚染した犯罪者は東京電力とこの国の政府だ。贖われるべきは放射能被害被災地の人々の生活であり、健康だ。中学生が善意で「桃を買う」ことは犯罪を隠ぺいする行為に加担させられているだけであると気が付いてほしい。

東京の駅頭などで地元から持ってきた作物を売っている福島県の農家の方を目にすると、何とも複雑な気持ちになる。心の中で「ごめんなさい」とつぶやきながら目を合わせることができない。こんな関係性を作り出した連中を心底許せないと思う。

◆「拉致問題」解決を「北朝鮮敵視」にすり替えた安倍自民

で、「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」である。

「北朝鮮当局による人権侵害問題に対する認識を深めましょう」とのリードで始まる文章はもうここで紹介したくない。

私は朝鮮民主主義人民共和国の政治が好ましい状態だとは全く思わない。同国は独裁国家であり人権問題が多数存在するだろうと認識している。日本人拉致も重大な犯罪だ。拉致されたご本人、ご家族の苦境は底知れないと思う。

しかし、拉致被害者の家族は明らかに恣意的な勢力に利用されている。私は拉致問題を本気で解決しようと思うなら朝鮮と直接交渉をして、机の下で幾らの金を渡してもいいから人命第一で交渉するしか方法は無いと考えてきた。そうしなければいたずらに時間が過ぎるし、被害者ご当人、家族にとっての心労が増すだけだからだ。

が、安倍を先頭に、拉致被害者家族を取り巻く連中はそうはさせなかった。「拉致問題」の解決を「北朝鮮敵視」にすり替えて、被害者家族を利用し尽した。「北朝鮮は危険な国だぞ!北朝鮮はミサイルを飛ばしてくるぞ!支援なんかもってのほかだ!」と世論を煽り、国会議員の多くは「拉致被害者救出に協力する意思表示」の青いバッチを身に着け始めた。在日朝鮮人、韓国人の人への差別も「拉致問題」をきっかけに極めて悪辣になり、「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」というプラカードが平然と街を闊歩するようになる。「拉致問題」を政府は軍事化に利用し、民間右翼は更なる「差別」の助長に利用しただけだ。奴らに「拉致被害者の早急な解決」意思など微塵もない。

独裁国家に「圧力」をかけたら意固地になるに決まっているじゃないか。現代の国際紛争や過去の戦争を見れば一つの例外もなく「サンクション」(経済制裁)は当該独裁国の反発しか生んでいない。更に「拉致問題」を米国の力を借りて解決しようと被害者家族を米国議会に送って発言させるに至っては、狂気の沙汰としか表現できない。問題解決を目指すなら決定的な逆効果だ。

かつて拉致被害者家族会の事務局長を務めていた蓮池薫はやがてこのことに気が付き、「家族会」を離れることになる。最近の蓮池さんは「家族会事務局長」当時の憑き物が落ちたように穏やかな表情になり、私同様「北朝鮮を潰しては被害者も返って来ない」との立場から発言されることも多い。

だいたい「人権週間」に税金を使い特定の国を名指しで攻撃する「啓発」などどのように合理的な理由づけができるというのだ。人権問題を抱えた国など世界中にあるではないか。いや、世界を見渡さなくとも「人権週間」に「被曝強要作文」に最高賞を与えたり、特定の国に言いがかりをつけて無駄金を使う国の権力者にこそ「人権教育」がなされるべきだ。しかし、ここまでの「確信的」人権蹂躙犯罪者には「教育」で矯正は無理だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!

 


自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

ついに政権権力が牙を剥き出しにメディア恫喝を始めた。自民党がNHKと在京民放テレビ局に対し、選挙報道の公平中立などを求める要望書を渡していたことが11月27日判明した。街頭インタビューの集め方など、番組の構成について細かに注意を求める内容は異例中の異例であり、テレビ関係者からは「編集権への介入に当たる」と懸念の声もあがっているそうだ。

だが、そんな軽いものではないだろうと私は思う。この恫喝は12月10日に施行される「特定秘密保護法」を受け皿に、現与党権力が「選挙中に俺たちに不利な報道をしたら、痛い目にあわせるぞ!わかってるだろうな!」という明確なメッセージを発したと理解すべきである。

「新党ひとりひとり」の山本太郎=参議院議員
「新党ひとりひとり」の山本太郎=参議院議員

毎日新聞によると、「要望書は、解散前日の20日付。萩生田光一・自民党筆頭副幹事長、福井照・報道局長の両衆院議員の連名。それによると、出演者の発言回数や時間▽ゲスト出演者の選定▽テーマ選び▽街頭インタビューや資料映像の使い方--の4項目について『公平中立、公正』を要望する内容になっている。街頭インタビューをめぐっては11月18日、TBSの報道番組に出演した安倍晋三首相が、アベノミクスへの市民の厳しい意見が相次いだ映像が流れた後、『これ全然、声が反映されてません。おかしいじゃありませんか』と不快感を示していた。また要望書では、『過去にはあるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、大きな社会問題になった事例も現実にあった」とも記し、「1993年の総選挙報道が国会の証人喚問に発展したテレビ朝日の『椿問題』とみられる事例をあげ、各局の報道姿勢をけん制している」そうだ。

出演者の選定や、テーマ選び、果ては街頭インタビューにまで選挙前に事細かく指示するなど「編集権」への配慮など微塵もなく、明らかな「放送法」違反である。さすが「大企業の利益と戦争をする国造り」だけに熱を入れる安倍政権らしい行為と呆れるほかない。違法行為も不法行為もやりたい放題(解釈改憲)。嘘もオッケー、ねつ造問題なし(オリンピック招致演説で「福島原発の放射能は完全にブロックされています! 過去も、現在も、未来も健康被害は生じません!」と言い放った安倍をまだ読者もご記憶だろう)を旨とする安倍自民党らしい暴挙と拍手を送っておこう。

◆テレビがたれ流す「どちらかと言えば」世論の誘導政治

さすがの無茶苦茶ぶりに日本民間放送労働組合連合会(赤塚オホロ委員長)は11月28日、抗議声明を発表した。

声明では「政権政党が、報道番組の具体的な表現手法にまで立ち入って事細かに要請することは前代未聞であり、許し難い蛮行と言わざるを得ない」として報道への介入を厳しく批判している。当然だ。だが、労組だけで何故、民放各局は抗議をいないのだろうか。

自民党がそんなに気を遣わなくてもマスコミ(特にテレビ)は十分権力者に対して過剰なほど従順になっているようだが、それでもでもまだ奴らには不満なようだ。

争点の分かれる問題について「中立報道」など、どだいありえないのだ。「両論併記」という腰の引けた報道姿勢もないではないけども、過去の両論併記報道のほとんどは結果として政府与党意見への誘導へと導かれている。「原発再稼働」、「消費税」、「解釈改憲」などは問題の性質上、「賛成」か「反対」しか選択肢はありない。あたかも中間の選択肢があるかのごとく、世論調査では「どちらかと言えば賛成」、「どちらかと言えば反対」などという選択肢が恣意的に設けられるが、それ自体が世論の間違った誘導なのだ。

そもそも「報道」の役割は「権力チェック」だ。「権力チェック」を基本スタンスに持たない報道などに存在意義はない。「権力チェック」を行えば、たとえどのような政党が与党であろうが、与党に批判的な言説を中心に据えることが、「公平」の原則となる。

権力は必ず腐敗する。自民党の腐臭など地方に居てもプンプン嫌というほどに鼻をつくし、短期間だったけども民主党だって充分に腐敗したのを我々は目にしたじゃないか。自民党による「要望書」の内容は「報道機関はその本務を捨てて、与党に有利な報道をせよ」と迫っている。このような行為を「権力による悪質な圧力」というのだ。

◆「解釈改憲」は最大級の「違憲犯罪」

自公巨大与党が、やりたい放題の暴挙を続けてきたこの2年間、報道(一部の良心的メディアを除いて)は決して「中立」ではなかった。「特定秘密保護法案」は戦前の「治安維持法」よりも下手をしたら危険な法律であるのに、その危険性を国会審議前からしっかり報道がなされていただろうか。

消費税8%への引き上げは、増税に止まらず物価上昇を引き起こし、弱者を直撃することは明らかだったが、その引き上げを問題にしたメディアがどれだけあったか。新聞は民主党菅政権時代に「軽減税率適応」の裏約束を政権と交わしていたという噂があるが、それを信じてしまうほど、消費税の引き上げに対する報道は腰が引けていなかったか。そして、「解釈改憲」という最大級の「違憲犯罪」こそ報道機関であれば、その存立をかけて言論で挑むべき重大課題だったはずだが、そんな覚悟がどこかのメディアにあっただろうか。

地方紙の中には目を見張る論陣を張るものもあるにはある。『琉球新報』や『沖縄タイムス』、『東京新聞』などには全国紙に比較して余程読むべき記事や論説が目立つ。が、全国紙の凋落は「無残」の極みである。

「あなたが自民党に投票した一票は、『赤紙』になって帰ってきますよ!」
昨年の参議院議員選挙で山本太郎さんが訴えていた言葉はこの選挙にも通じている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎田所敏夫の《大学異論》
《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記

『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!
『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!

 

読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

読売新聞社は、同社発行の英字紙「デイリー・ヨミウリ」(現ジャパン・ニューズ)が1992~2013年、従軍慰安婦問題を報道する際に「性奴隷」(sex slaves)などの不適切な表現をしていたとして、読売新聞の11月28日付朝刊に謝罪記事を掲載したという。

「性奴隷」は事実であるからその表現がそれほど大きな間違いであろうか。一般的に「慰安婦」を英訳する際には”comfort women”が用いられるが、これは「慰安」を”comfort”と直訳しているのであり、英語の語感としては、注釈でもつけないと違和感があるし、正しく理解しにくい。「慰安婦」は実態として「性奴隷」であったわけで、”Slave”が適切性を欠く表現とは思われない。

謝罪記事の中では、「慰安婦問題に関する読売本紙の翻訳など計97本の記事に不適切な表現があったことが社内調査で判明。このうち85本が『性奴隷』に当たる単語を不適切に使用し、政府・軍による強制連行や売春の強要が客観的事実であるかのように記述した記事も12本確認された」としている。

ちょっと待て。「政府・軍による強制連行や売春の強要が客観的事実であるかのように記述した記事も12本確認された」のどこが謝罪の対象となるというのだ。事実ではないか。

これは「謝罪」に名を借りた「慰安婦は無かった」と歴史のねつ造を画策する首相安倍や、右翼連中の主張を後押し、推進するための開き直りに他ならないではないか。読売新聞は「新聞がどこまで翼賛化できるか」の実験をしているようだが、歴史事実までを捻じ曲げないと「翼賛化」の先頭には立てないということか。朝日の「吉田問題」を散々叩いた以上、それに符合する歴史事実は全て歪曲しないと「翼賛化」は担えないということかこの新聞、中には良心的な記者もいるのだろうが、総体としては「市民の敵」でしかない。新聞の名に値するレベルに到底到達していない。嘘をばら撒く歴史改竄主義のアジビラだ。

◆トンデモ過ぎる2002年早大講演での安倍発言

安倍がまだ小泉政権の官房副長官であった2002年、早稲田大学で講演をした。その際安倍は以下のように述べている。

「有事法制を整えたとしてもですね、ミサイル基地を攻撃することは出来ます」

「先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定してはいないのです」

(日本に対するミサイル攻撃を準備した)基地を叩くことは出来るんです、憲法上ですね」

「大陸間弾道弾はですね、その、憲法上はですね、憲法上は問題ではない」

「日本は非核三原則があるからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で、違憲ではない、という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」

「憲法自体を変えるというのは(中略)ちゃんとやらなければいけないと思うのですが、安全保障の問題というのはいつ突然起こるか分かりませんから、解釈を変えておかないとですね、もう詭弁に詭弁を弄していますから、限界なんですよね」

この発言「サンデー毎日」6月9日号でスクープされたが、読売新聞はその時だって何もコメントを発していない。

安倍が首相になるなど、当時は「悪い夢」でしかなかったけれども、その後不幸なことに我々は、奴を2度も首相に頂いてしまった。

第一次安倍内閣では、「防衛庁」が「防衛省」に格上げされた。教育基本法が改悪された。そして安倍は本気で改憲に向かっていたところ、持病で辞任に追い込まれた。

その後自民党政権が崩壊して民主党が政権を取った際、私は大して期待はしなかったけれども、最低「改憲」や「軍事化」への速度が収まるなぁと少し安堵していた。当時自民党の総裁は谷垣。谷垣は宏池会(自民党の中では比較的リベラルとされる派閥)に属する人間で党内での受けはよくなかった。

野党時代の自民凋落が止まらないので谷垣は総裁選挙で出馬すら認められず、安倍が総裁に就任する。暗雲はこのあたりから見えてはいた。

そして民主党の野田政権の「自爆解散」により、安倍自民党が圧勝し、今日の暗黒時代へと続く。

◆詭弁に詭弁を弄す安倍、読売の「愚弄」行為

読売新聞は、万々歳だろう。そして安倍は2002年に早稲田大学の講演で言い放ったように、「憲法自体を変えるというのは(中略)ちゃんとやらなければいけないと思うのですが、安全保障の問題というのはいつ突然起こるか分かりませんから、解釈を変えておかないとですね、もう詭弁に詭弁を弄していますから、限界なんですよね」を「解釈改憲」で強行した。

注目すべきは安倍自身がこの講演の中で、「もう詭弁に詭弁を弄していますから、限界なんですよね」と本音を述べていることだ。

そうだ。「詭弁に詭弁を弄して」きたのだ。詭弁とは「大辞泉」(小学館)によると、「道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ」となっている。

「道理に合わないことを強引に正当化しようと弁論してきた」と自認するのが安倍なのだ。そしてその「詭弁使い」の尻馬を足らと血道を上げてるのが読売新聞だ(「産経新聞は新聞ではない(週刊金曜日社長北村氏)」の見解に私も賛同するので「産経新聞」は議論の対象とはしない)。

安倍や、読売の行為を日本語で「愚弄」という。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

『NO NUKES voice』本領発揮の第2号!田中俊一委員長をおっかけ直撃!

 

橋下市政に「違憲」判決の天誅!──大阪に「偏狭なファシスト」はいらない!

すっかり影が薄くなった小沢一郎が自民党の幹事長時代に記者団に向かって「君たち、『反権力』っていきまいてるけど、この国の権力は国民にあるんだ!何を勘違いしてるんだ!」と怒鳴ったことがあった。当時の小沢は田中角栄の後釜よろしく、土建屋政治の継承者。少なくとも評価に値する人間ではなかったが、今となってはこの恫喝が新鮮に響く。

湾岸戦争(1990年)に90億ドルを支出した小沢にしたところで、立憲政治の根本が「国民主権」にあることは意識されていた、と解釈することができなくもない。無法、乱暴をを働きながらも「建前」としての「国民主権」を否定することは自民党幹事長として許されなかった。

◆「教職員組合に便宜供与を禁じる」条例を成立させた大阪市の「違憲」性

さて翻って毎度、毎度で恐縮だが、大阪市長の橋下である。

11月26日、またしても裁判所から断罪された。今回は教職員組合に「便宜供与を禁じる」条例に基づき大阪市教組に小学校を使わせなかったことが大阪地裁で「違憲」(違法ではない)と認定された。教員が組合活動に学校を使うのが「便宜供与」とする条例自体の違憲性も指弾されたわけだが、この判決も当たり前と言えば、当たり前過ぎる判決である。

学校の教諭が職場で組合活動を禁じられたら、どこで組合活動を行えというのか。工場労働者が工場で組合の会議を開こうとして経営者から「工場を組合活動に使ってはいけない」などと明言したら、労基局は即座に「不当労働行為」として経営者に指導若しくは勧告を行うだろう。

時代の風とは恐ろしいもので、「教職員組合に便宜供与を禁じる」という趣旨の条例が大阪市では成立してしまっているのである。何が「便宜供与」だ。

労組は職場に存在するのであり、そこでの活動を「便宜供与」などと言い換えるのは詭弁でしかない。このような条例は「違憲立法審査権」により本来速やかに廃止されるべき性格のものであるが、橋下のやりたい放題はあまりにもえげつなく、多岐にわたったし、マスコミの応援もあり、こと手の「違憲」行為を2,3年前まで連発していた。

◆橋下市政は「反中央」でなく、ただの「無法」

もっと悪質かつ分かりやすい「違憲行為」に、市職員への「思想調査」があった。これを主導したのは橋下と中央大学教授の野村修也である。野村は弁護士資格も有しているが、橋下と同様に憲法の基礎さえ理解できない人間だ。「政治運動にかかわったことがあるか」、「どの政党に投票したか」などを実名記入の上全職員に提出を義務づける「アンケート」と称する「思想調査」を行ったのである。こんな無茶は民間企業でも余程の独裁経営者でなければ行いないだろうに、マスコミはその当時橋下に対して大した批判も行わず、むしろ後押しとも取れる報道がほとんどだった。野村は今でも平然とマスコミに登場しているようだが、マスコミの諸君もこの大罪人を少しは批判しようとは思わないものか。

前後するが大阪市の労組も情けないことに、知事から市長へと橋下が転じた直後、組合幹部が頭を下げ、橋下に握手を求めに行っていた。「何をしとんねん!このドアホ幹部が!」と頭に来たのを記憶している。

その後、どう考えても「違法」かつ「違憲」な行為を連発する橋下に対して、ようやく反撃が始まる。しかしその間大阪市は教育委員長に民間出身で公募で公立高校の校長も歴任した大ばか者を就任させている。この人物は高校の校長時代に教員が卒業式、入学式の際に「君が代」しっかり歌っているかどうか、口の動きを監視させ人物だ。さらに「平和教育を実践する」として生徒を自衛隊に体験入隊までさせている。橋下の言う「開かれた学校」とは「戦争に」が主語につくことを忘れてはいけない。

大阪は「浪速文化」とか「反東京、反中央、反権力」とか言われることもあるけども、こと行政の内部に限ってはこの数年「無法、無憲法」状態に置かれていたといってもいい。

◆大阪に橋下のような「偏狭なファシスト」はいらない!

前述した教職員組合への弾圧に対して橋下は「労組を弱体化させる意図があれば労使交渉していない」とか「むしろ労働組合法の原理原則にかなっている」などと「バカもたいがいにしとけよ」としかコメントできない言い訳を並べている。この男、気ままに知事から市長へ、そして無意味な辞職で再選挙、さらには「大阪都構想」(大阪ファシズム化構想)が進展しないので総選挙への出馬もにおわせたが、公明党から裏取引の申し出があると直ぐに出馬を引っ込めた。

橋下はことあるごとに「人、モノ、金を大阪に集めて!」と連呼する。で、どうなるのだ? 大阪が人、モノ、金の集積都市になれば大阪市民は幸せになるのか? 朝夕の地下鉄御堂筋線に乗ってみろ。あれ以上人間が乗車できるのか? 大阪(梅田)駅周辺に百貨店や大規模商業施設を乱立させたが、既に大阪駅上の商用施設で閑古鳥が泣き始めているじゃないか。大阪駅前の第一から第四ビルも空室だらけだ。

在特会会長桜井誠と共同で猿芝居を演じた橋下が共同代表の「維新の党」に、間違っても期待などしてはいけない。自民、公明は勿論論外だし、民主だって前科者だ。が、橋下は絶対に許せない。

大阪が必要としているのは橋下のような偏狭なファシストではない。

[関連記事]
橋下・桜井面会はファシスト差別者同志の猿芝居!(2014年10月23日)

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

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塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』──日本のレーニンのほのぼの革命録

塩見孝也さん──。この人の発するエキスは雑誌や映画、あるいは友人を通じて何度も触れはしていた。ニアミスは過去何度もあった。が、ついに本物の塩見孝也さんにお会いすることとなった。

といっても偶然ではない。先に本コラムで紹介した同志社大学での矢谷暢一郎ニューヨーク州立大学教授講演会(同志社学友会倶楽部主催)の聴衆としてはるばる東京からお越しになっていたのだ。昔お会いしていないにもかかわらずお世話になったことがあったので、そのお礼を述べるとひとしきり昔話に花が咲いた。

丁度鹿砦社から、『革命バカ一代駐車場日記 たかが駐車場 されど駐車場』が発刊されたこともあり、鹿砦社の松岡社長が「自分の本は自分で売りに来い!」と呼びつけたとの説もあるが、真偽のほどは定かではない。もし松岡社長が元赤軍派議長の塩見氏の行動を指図できる人物であるとすれば、これはエライ大事件だ。なんせ塩見氏はかつて「日本のレーニン」と呼ばれた人物だ。レーニンに指示できるのはマルクスぐらいだろう。ということは松岡社長は「日本のマルクス」か? いや、いくらなんでもそれはないだろう。もしそうであれば我々は完全に表層に騙されていたことになる(いや、実はそうかもしれない)。

◆塩見さんなしに生まれなかった70年代「赤軍派」世界闘争の歴史

ともあれ、塩見さんである。20年の獄中生活後、娑婆に出てからの活動ぶりはさすが元赤軍派議長にふさわしいアクティブさだった。朝鮮民主主義人民共和国へ「よど号」ハイジャックで渡ったかつての仲間を訪ねに40回近くも訪朝し旧交を温める。いやそんな穏やかなもんじゃない。田宮高麿さん(故人)をはじめとするよど号グループに触発された塩見さんは「自主日本」という言葉を多用するようになる。当時はきっと何かたくらんでいたに違いない。

また、やはり元赤軍派でアラブに渡った重信房子さんを拘置所に訪ね、癌と闘病中の重信さんとプラスチックの壁越しに手を合わせ、帰路、感極まったという。「赤軍」といっても歴史の中でその主張や行動は随分変遷してゆく。「赤軍派」、「連合赤軍」、「日本赤軍」などの違い、定義をご存じない向きには本書を現代史のテキストとしてお勧めしたい。

実際1970年代、国内だけではなく朝鮮へ、中東へ戦線を広げた「赤軍」の闘争は世界史に確実に刻まれるべきものだ(それがどのような意味を持つかの判断はそれぞれの立場で異なろうが)。塩見さんなしにはそれらの歴史は生まれなかった。

また、左翼陣営のみならず、鈴木邦男さんらとの邂逅から彼は従来の新左翼の枠にとらわれない「パトリ」という概念(用語)を多用するようになる。鈴木邦男さんに限らず、右派へも人脈が広がって行き、その主張も一見「愛国主義者」と見まがう(実際現在の彼の思想にはある種の愛国主義が包含されている)様相を呈し、かつて「国際根拠地論」、「世界革命戦争宣言」を発した赤軍派イデオローグの思想はどうなっているのか?とかなりの論争を呼んだものである。

◆変わってないけど変化はしている

塩見さんは矢谷さんの講演会後の懇親会の席で挨拶をされた。要旨は「現在の日本は非常に危険な状態にある。日本は憲法を守り抜き軍事国家化してはいけない」という極めて穏当な主張だった。

『革命バカ一代駐車場日記 たかが駐車場 されど駐車場』を読むと、なるほど塩見さんの思想とは凡そ社会のほとんどの事象に適応可能なのだということが理解できた。「適応可能」は「解決可能」を意味するわけではないが、駐車場の管理人という職を得てからも彼の思索の中には常にマルクスや社会主義を根底にしたの現状分析や問題意識がある。しかしながら視点はそれだけではない。自然と人間、革命後の男女の性、広くは宇宙の成り立ちにまでを彼は思弁しながら日々の業務をこなしているという。

変わらないと言えば原則がこれほど変わらない人はやはり稀有な存在だ。逆に変わりうると見れば、思想において人間の変化の可能性を体現してもいる(しかし彼は「転向者」ではない)。「変わってないけど変化はしている」のだ。言葉足らずが悔しい。

私が述べるまでもなく彼に対する言説は世にあふれている。実際懇親会の席でも塩見さんに批判的論争を投げかける人が1人ならずいた。近くで聞いていたわけではないが彼は飄々と議論に応じていた。

私が塩見さんの立場で「総括しろ」と言われれば、何事も口にできないような気がする。でも塩見さんはこれまで何度も赤軍派議長としての総括を堂々と語ってきた(勿論反省も含めて)。総括にしてあの堂々ぶりだ。アジテーションはさぞや激烈だったことだろう。

と、構えて読むと拍子抜けする。実に実直。ひたむきに日常に立ち向かう塩見氏の日常が描かれており、微笑ましくさえある。しかしこの人怒らせたら怖いだろうな。

▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
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安倍「国富喪失」解散──アベノミクス失策の責任を問う選挙へ

安倍首相が衆議院の解散を決定した。「アベノミクスをよりしっかりしたものにするために国民の真を問う。消費税の10%への引き上げは1年8ヶ月延期する」らしい。

先に発表された6-9月のGDPが前期よりさらに悪化し、年間で見れば1.8%以上のマイナス成長になることがすでに判明している。しかし、こんなことは経済に疎い私にすらわかりきっていたことだ。

消費税は1988年竹下政権時代に「社会保障目的税」(全額を社会保障に使う)を謳い3%で課税が始まった。1997年村山政権時代に5%へアップし、民主党政権下で8-10%への段階的増税が自民、民主、公明の3党によってなされ、今春から8%に上がったばかりだ。

経済を冷静に見る複数のエコノミストは、消費税が導入された1989年以降日本は長期にわたるデフレに突入しているという。消費税を導入したものの税収自体は落ち込み、1997年の5%への引き上げの際も、増税前である1996年の国税収入52.1兆円と比較して国税収入が2.7兆円減少している。ほぼ間違いなく今年度の国税収入も前年比減収になるだろう。

導入時、5%への引き上げ時、いずれも国税収入が減収になっている実績を見れば今回の減収も当たり前ではないか。

◆「土建屋公共事業景気」を当て込んだド素人の経済失策

「アベノミクス」とは、財務省が目先の帳尻あわせに消費税増税と合わせ、従来型の箱物、道路整備といった「土建屋公共事業景気」を当て込んだド素人の経済失策で、最初から破綻するに決まっていたシナリオだ。

安倍は「株価が上昇した。民主党政権ではなかったことだ」と自画自賛するが、株価の上昇など庶民には何の関係もない。一部大企業と機関投資家がその売り買いをインサイダーまがいに繰り返し利益を上げているだけのことであり、かといって大企業は利益が上がってもそれを労働者には配分しはしない。内部留保として溜め込むだけだ。しかもそんな大企業には「法人税の引き下げ」をプレゼントしようというのが安倍である。現行法人税の最高税率は35%だが、財務省主税局によれば、この国で35%の法人税を納付している企業の数は「ゼロ」だそうだ。

それでもさらに法人税を引き下げる。消費税は8%に上げた。安倍の読みでは一時の落ち込みはあっても円安による輸出企業の持ち直しと企業の設備投資が勢いを取り戻し、株高とあいまって、つかの間の「バブル」を演出できるはずだったのだろう。本当に浅知恵、救いがたい馬鹿だ。馬鹿は馬鹿でいいけども、そんな輩はその辺りの飲み屋で愚痴を言いながらクダを巻いていればいいのだ。まかり間違っても権力者になんてなってはならない。その能力がないのだから。

戦後歴代、ろくな政治があった試しはないけども、その中にあって中曽根、岸に匹敵する悪党に安倍を並べなければならないだろう。

◆「徴税=富の再配分」という大義の破綻

どだい、1億3千万の人口でここまで商工業中心に経済発展して一時は世界2位の経済大国になった日本の豊かさとは一体何だ? 我々は世界有数の豊かな暮らしと生活を享受しているか? 逆だろう。

かつて、それが幻想であっても「1億総中流」と言われた時代があった。焼け跡貧乏の中から経済発展を遂げた日本には消費税はなかったし、所得税の累進税率の最高は75%だったが、今は最高が40%だ(高額所得者ほど今より多くの所得税を納付せねばならなかった)。健康保険も本人は負担ゼロ(今は3割)、73歳以上は医療費完全無料だった。もちろんその当時だって格差はあったし、食い詰める人もいたけども、今日のように大学を出ても正規雇用の職が得にくく年収200万円代が精一杯と言うような惨状ではなかった。「富の再配分」は今に比べれば余程公平さが保たれていた。

このような構造的な庶民の貧困化は偶然起こったことではなく、小泉、竹中らが「雇用の多様化」と言いながら派遣労働の大幅緩和を行ったことと直結している。企業は使いたい時に、使いたいだけの労働力を確保すればよい。要らなくなれば即雇い止めだ。また労働組合の実質的解体(連合の結成)=御用組合化により資本家、経営者へ労働者が対抗軸を失ったことも大きく影響している。最近行われた消費税に関する有識者会議で消費税の10%への再引き上げに連合の会長は賛成していた。もはや労組とは呼べない。

忘れられがちだが、東京都知事のねずみ男が厚生大臣時代に発覚した年金問題も国民には深刻(いや、もう諦めるしかない)だ。ねずみ男は「3年以内に完全に解決する」と大ぼらをふいたが、失われた年金記録の照合作業は、現在もまだ終わっていない。

「社会保険庁」を「日本年金機構」と名前を変えたって、問題が解決するはずがないだろう。失われた年金記録問題も深刻だが、年金の原資自体が確実に枯渇しつつある。政府は国民にこっそりと年金の原資を株式運用などに使える制度を導入しており、この運用は選挙などの際に恣意的に行われている(PKO=Price Keeping Operetionとも呼ばれる)。

そんな投機的に年金原資を使っていいはずがないだろう。現に国民年金や介護保険の徴収額が上がっているのに、年金支給額は下がっているではないか。今50代後半の世代まではかろうじて持つかもしれないが、それ以降の世代の方々は「年金は払ったけど貰えない」覚悟をしておいたほうがいい。政府の約束と私の予想どちらが当たるか、それは読者の皆さんの判断に任せるが、私の試算(人口減、税収の低下、国債の払い戻しなどを勘案すれば)では年金はほぼ確実に破綻する。

そのことについて安倍は一言でも言及しているか。奴の披瀝する「アベノミクス」などまったく何の意義もないものだったことはもはや自明だ。さらに今日の経済は大企業がいくら収益を上げようとも、それが労働者や社会に還元されないと言う特徴を持つ。大企業に勤務している方々は「私は大樹に寄りかかっているから」と安心しているかも知れないが、その幻想だっていつまでも続くものではない。韓国のサムソンを見れば明らかだ。寡占大企業は多国籍金融のターゲットとなりその餌食になっていくのだ。

はっきり申し上げれば、安倍は何ひとつ経済を安定化させ国民生活に資する政策を行っていない。異論があれば聞きたい。

今日、私は敢えて安倍の政治的な悪辣さには一切言及していない。

素人の私が見るだけでも、安倍が「真を問う」とする経済政策は無残極まりないものだ。

 
▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
◎《大学異論19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!
◎《大学異論20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ

 

闘う心理学者、矢谷暢一郎さんの書き下ろし最新刊『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』

 

《大学異論20》過去を披歴しない「闘士」矢谷暢一郎──同志社の良心を継ぐ

11月9日、同志社大学学友会倶楽部の主催でニューヨーク州立大学教授、矢谷暢一郎さんの講演会「新島襄の良心と今日のアメリカ」が行われた。前日の「浅野健一ゼミ」にもゲストとして登場され、連日の講演ながら会場には同志社大学卒業生を中心に約200名の聴衆が集まった。

矢谷さんはベトナム反戦運動が燃え盛る中、同志社大学で学友会(全学自治会)の委員長として活躍し、京都府学連委員長も経験されている。いわば同志社大学学生運動の花形だ。

私自身は矢谷さんと面識はなかったが、何人も知人を介せば必ず行き当たる、いつかはお会いしたい方だった。講演前に昼食をご一緒させて頂いた。面構えはジェントルマン、隠岐の島ご出身とのことで特有の語り口をなさる。受け答えは軽妙、気さくで優しい方だ。

講演の内容は矢谷さんが米国当局に不当逮捕された「ヤタニ・ケース」も含めて、米国でのご経験から現在日本の危険な状況、特にアジア諸国への侵略視点を失って80年代以降の繁栄を享受してしまった過ち、更には福島原発事件で日本が国際的に「加害者」となった。など卓越した視点から今日の日本、世界の危機を鋭く浮かび上がらせる内容であった。そのエッセンスは今月、鹿砦社から発刊された『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』にもおさめられている。

矢谷暢一郎(やたに ちょういちろう)ニューヨーク州立アルフレッド工科大学教授(心理学)。同志社大学在学中の1960年代末、学友会中央執行委員長としてヴェトナム反戦デモの指揮をとった

◆米国を揺るがした「ヤタニ・ケース」

先に触れた「ヤタニ・ケース」は、米国全土を揺るがした大事件だ。

「ヤタニ・ケース」は1986年、矢谷さんの過去に因縁をつけた米国当局が当時、ニューヨーク州立大学講師だった矢谷さんを海外の学会から米国に戻った際、空港で逮捕したことに端を発する。これに対し、オノヨーコをはじめ多数の支援の輪が広がり、ついには米国議会の公聴会に矢谷さんは呼ばれることとなり、米国の法律がこの事件を機に変更を余儀なくされたという前代未聞の大事件だ。矢谷さんは望んでこのような闘争に引き込まれたのではなく、あくまで米国による嫌がらせに端を発している事件である。

講演は「ヤタニ・ケース」への言及も含め、独自の語りと内容の深さに於いて極めて卓越していた。矢谷さんが大学教授となった今も、立場は異なれ「闘い」を放棄していないことの宣言のようでもあった。

しかしこの日、私にとって最も印象的かつ胸に迫ったのは「質疑」の時間だった。矢谷さんは講演の中でも自身がかかわった運動で、「運動にかかわった為に後輩が命を落とすことになった。せめてその落とし前として大学を卒業しないこととした」と語られていた。それに関連してた問いが投げかけられた。

「あの当時の運動が内ゲバなどを引き起こしたことの原因は私達自身の中にあるのではないか」

質問者はたしかこのような趣旨を聞かれたと思う。矢谷さんは檀上でしばし黙した。2、3回軽く肯いたようにも見えた。絞り出すようにして一言、「そうだと思います」とだけ答えた。矢谷さんが黙している間に会場からは「そんなこともうどうでもいいだろう!」、「未来をみろよ!」などいくつかの声が交錯した。

質問者が問いを発してから、矢谷さんが「そうだと思います」答えるまでの数十秒、自分が何の関係もないはずなのに、私は自身に矢のような質問を突き付けられた気がして気脈が乱れた。「そうだと思います」と答えた矢谷さんの目には涙が溢れていた。自分の責任から逃げない。過去から逃げない。後悔した過去を軽く忘却しない。闘う人間の誠実な心が「そうだと思います」たる短い答えに凝縮されていた。ああ矢谷さんはあの人に通じているんだな、と姓を同じくする私の先輩を思い出した。胸が熱くなった。

◆良心を継ぐ者たち

矢谷さんはこの日の講演でご自身が学友会の委員長や府学連委員長を経験された「事実」は語られたけれども、それを自負したり、自分が如何に闘ったなどは一言も語られなかった。「責任者になったものは責任を取らんといかんのです」と述べられただけだ。あの先輩もそうだった。矢谷さん同様、学友会委員長、府学連委員長に就き、学内で学生による殺人的なリンチを受け瀕死の状態になっても「あくまで学内問題です。後は任せてください」と病院で語り警察の大学介入を断固阻止した田所伴樹さん(故人)。

加害学生を裁く法廷に証人として呼ばれたが「宣誓」を拒否し、被害者が逆に逮捕されるという歴史に残る闘いを貫いた田所さん。警察権力・国家権力の大学介入を身をもって阻止した彼も、こちらが余程酔わせても滅多に「昔の話」には乗ってこなかった。

『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』では、矢谷さんが敬愛した藤本敏夫さん(故人)への思いが綴られている。加藤登紀子さんのお連れ合いであった藤本敏夫さんも、矢谷さん、田所さんと同様、学生運動経験者の中で知らないものはいない。矢谷さんと藤本さんは、藤本さんと田所さんがそうであったように、頼れる先輩を持った共に重責を苦悩する若き闘士だったのだろう。

威勢のいいデモやアジテーションの話なんて彼らはそうそう簡単にはしてくれない。「わしらの若いころはな!」と口角泡を飛ばし懐古趣味を語る老人にはない迫力がその沈黙の中にある。久しぶりに本物の「闘士」に出会った気がした。私の知る「闘士」は皆優しい。

▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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闘う心理学者、矢谷暢一郎さんの書き下ろし最新刊『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』(鹿砦社)