《大学異論10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私

大学生が「学生運動」に大挙して参加した時代は遠い昔だが、私の勤務していた大学には社会問題を研究するサークルがあり、そのサークルの周辺には学外での社会運動に参加する学生が常時何名か在学していた。特定のセクトに所属するわけでもなく、さして目立った行動もしないが、世の中自身がおとなしすぎるので、集会やデモに参加しただけで、公安警察は要注意学生としてマークするターゲットを必ず視野に入れていた。

私をよく訪れるようになっていた所轄の公安警察のQさんは、一見おとなしい田舎のオッチャン風で薄暗い雰囲気はどこにも漂わせていなかった。彼には私を訪問する際には必ず電話でアポを取ってから来ること、学内をうろつかず私の事務室にだけ来るようにと強く要請していた。当時私が公安警察と連絡を取っていることを知っている同僚は極わずかであったし、大学敷地内に警察を入れる行為は「大学の自治」の原則に反する行為だったからだ。

◆公安警察恐るべし!

彼は訪問の際必ず明確な目標を持ってやってくる。

「田所さん、来週東京で大きな集会があるんですわ。たぶんA君が参加すると見とるんですがどうでしょう?」
「A君とは昨日も話しましたがそんは話はしてませんでしたよ」
「ほぼまちがいないんですわ」
「でも、学生が集会に参加することは自由ですし大学としては止めることは出来ませんよ」
「いえいえ、そんなことまではお願いしません。で、A君が学割を申請してないかどうか調べてもらえませんでしょうか」
「ああ、それなら調べますけど、学割は私の部署では発行しないのでちょっと時間かかりますよ」
「すんません、いつもお手を煩わせて」
「では、分かり次第電話します。ところでその集会はどんな内容の集会なんですか?」
「これがですね、過激派の○○派が裏で操ってる可能性が高いんですわ。作家の○○とか、歌手の〇〇も出よるんですけど、全国動員かけとるようなんですわ」
「そうなんですか。○○派ってまだあったんですか?」
「ええ、○○派は・・・・」

と○○派について公安がどう見ているかのレクチャーが始まる。○○派については私なりに知識を持っていたのだが、敢えて何も知らない素振りで質問するのがポイントだ。質問を重ねるとかなり踏み込んだ情報を語ってくれる。Qさんが帰ると私はすぐにA君に電話を入れ私のところに来るように告げる。

「来週東京で集会あるんやて?」
「そうそう、××反対の全国集会が日比谷であるよ」
「行くの?」
「そのつもりB君と一緒に」
「今日公安来たわ。君が行くかどうか聞きに」
「で、なんて答えたの?」
「知らないから、知らんと言っといたがな」
「ふーん」
「まあ、ええわ。とにかく下宿見張られてるから気いつけや、それからB君はまだ公安には割れてないようだから注意事項をちゃんと教えてやっとくんやで」
「はーい、わかりました。サンキュー」

といった具合で要注意ターゲットにされた学生には、公安の動向をすべて教えていた。犯罪行為の嫌疑があるなら別だが集会参加するのは自由だし、不当に日常生活を見張られる学生がいれば、公安の情報を教えてやるのは私の義務ですらある、と考えていた(公安にばれたらこっぴどい仕返しをされたろうが、退職後もそのようなことは幸いない)。

翌日Qさんに電話を入れる。

「昨日はご苦労様でした、A君の件ですけどね、学割は申請してないですね」
「え!そうですか・・おかしいなー。行くのは確実やと思うんですけどね」
「学割申請してないことだけはわかりました。ほかに何かお手伝いできますか?」
「実は今朝になってわかったんですが、B君という学生さん、これも行きそうなんですわ」
「B君・・顔と名前が一致しないなー。何回生ですか?」
「1回生ですわ。これA君が誘っとるんです」
「B君の学割を調べろと・・・?」
「すんません、度々お願い出来ますやろか?」
「わかりました。夕方また電話します」

公安警察恐るべしである。数日の間にA君がB君を誘ったことを察知しているわけだ。
でも、実はからくりは簡単。A君の下宿電話は常に盗聴されているのだ。私がA君に電話で公安の話をせず、事務室に呼び出したのは盗聴されていることを知っていたからであり、B君に対して「注意事項を教えておくように」と言ったことの中身には下宿電話の盗聴のことも含まれている。

再びA君を事務室に呼んだ。
たまたまB君も学内にいたから二人で来てもらった。

「B君のこともう公安知っとったで」
「うっかりなんだ。Bが俺に電話かけてきて、注意する前に集会の話し始めたから、それが原因じゃないかな」
「たぶんそうだろうよ、B君!今の日本はな、君らみたいに学生が集会行くだけで公安警察が電話を盗聴する国なんや(当時は盗聴法成立前であるから警察といえども盗聴は立派な犯罪行為だ)、だから何も法律違反していなくてもちょっとしたことで捕まるし、盗聴もされる。君の下宿の電話も今日からは盗聴されていると覚悟しときや」
「そんなん法律違反やんか!」
「そうや、でもそれが現実だからしゃーない。その代り私は出来るだけ公安から情報引っ張って君らに教える。公安には絶対肝心な情報は流さない。これまでもそうやって来たからA君は何でもしゃべってくれるんや。まあ初体面で信用しろという方が無理やけどな」

初体面のB君は釈然としない表情でA君に促されて事務室を出ていく。それはそうだろう。大学に入ってまだ間もない学生が下宿の電話を盗聴される、さらにそれを大学の職員から聞かされる。いったい何がどうなっているのか頭が混乱するのも無理もない。

QさんにはまたしてもB君の学割申請はなかったと伝える。

実際この時はA君もB君も学割の申請はしていなかった。公安警察は捜査において盗聴など手段を選ばない怖い組織であると同時に、学生の動向を学割の申請があるかないかで探ろうとするといった幼児性を併せ持つ不思議な団体だ。関西から東京への移動方法はJRに限ったことではなく、夜行バスもあれば、知人の車に同乗させてもらうことだってあるだろう。勿論Qさんが学割の申請状況を尋ねてきたのは、公安としてもひょっとして情報が掴めれば、程度の期待値だったのかもしれないが、その後彼が開陳してくれた○○派についての情報には所々に間違いがあった。

このように一方的に袖にしていてはQさんも点数が稼げない。私から公安への一番のプレゼントは学生が警察官採用試験を受験した時だ。数にすればそう多くの受験者がいるわけではないが、毎年何人かは警察官採用試験の受験者がおり、その都度Qさんが電話をかけてくる。

「またいつもの件ですねんけど、今度は島根県警ですねん。名前は◎×□君です。よろしゅうお願いします」
「はい、わかりました。30分後に」

◆学生の身辺調査に協力せざるをえない大学職員

警察官採用試験の際、受験学生の身元は徹底的に洗われる。Qさんが当時私に示したチェック項目は、1.親の職業、2.所属クラブ、サークルなど学生生活の様子、3.親戚、身内に共産党員や社会党員がいないか(右派は許容、左派はダメ)などだった。1は入学時に提出させる身上カードを見ればわかるし、2は在学中の行動はサークル、クラブなどに属していれば掴める。3はその学生と私がよほど親しいか、あるいは本人に聞かない限りわからないから、Qさんとしても「もしわかったら」という程度の要請だった。

ざっと調べてQさんに報告だ。
「調べましたよ。お父さんは自営業ですね。職種は販売関係です。サークルに入ってました。体育会系ですわ。「赤」はたぶんいないんじゃないかなー。保守的な田舎が実家ですからね」
「はいはい。ありがとうございます。助かりましたわ。またよろしゅうお願いします」

といった塩梅だ。私はQさんにおおよその情報は伝える。警察官志望の学生だから問題学生であることはまずないので嘘をつく必要もほとんどなかった。これだけの情報でもQさんとしては点数稼ぎになるのだと言っていた。

まだ携帯電話が普及していない時代だったので固定電話の盗聴は技術的には簡単だった(私でも固定電話の盗聴ならちょっとした道具がそろえば出来る)。「個人情報保護法」といった面倒臭い法律もなかったから公安も平気で身辺情報の質問を投げかけて来たし、私も学生に不利にならない範囲で情報提供が可能だった(道義や倫理の問題は度外視して)。

今私が同じ職場にとどまっていたら公安とのやり取りはどんな具合になっていただろうか。おそらく法律や技術が変化しても公安警察の行動原則は変わっていないと思う。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策
《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて
《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
《大学異論09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事

最前線の声を集めた日本初の「脱原発」情報雑誌!?『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

《大学異論09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事

一般的に大学職員と言えば、市役所の窓口職員など、いわゆる官吏的な定型業務が中心で、お堅い保守的な仕事をイメージされる方が多いのではないだろうか。国公立大学大学の職員は確かにそのような側面が強いことは確かであるし、私学でも大規模大学の職員は、業務が細分化されているのでその印象もあながち外れてはない。

何を隠そう私自身、大学職員に転職した本当の動機は「会社より楽そうだから」が本音だった。

ところが、学生と密に接触をする学風の小規模大学の場合、事情はかなり異なる。

大学の事務室で仕事をしていると、実に多彩な人々から電話がかかってくる。また普通はお目にかからない職種の方が訪ねてくる。

◆オウム真理教との遭遇

1993年頃、私の机の電話が鳴った。かけてきた主は「留学生をイベントに招待したいのだけれども、大学にポスターを貼らせてくれないか」と言う。

ケースによってはありがたい話である可能性もあるから一応「どのような団体の方ですか」と問うと、「オウム真理教と申します」と(!)。

当時はまだオウム真理教が発展期で麻原彰晃が北野武とテレビで語らったり、特段危険団体とは認識されておらず、宗教学者の中沢新一は「オウム真理教は宗教のディズニーランドだ」などと、後で取り返しのつかないような軽薄さでオウム真理教を賞賛するエッセーを書いたりしていた時代であった。が、すでに「空中浮遊」(あぐらをかいたまま床から浮き上がる)などというオカルト振りを既に発揮していたこともあり、私は丁重にお断りをした。

電話の主は「またよろしくお願いします」と礼儀正しく会話を終了したのだが、会話の際に私が名前を名乗ったためであろうか、後日15キロはあろうかと思われる段ボールが私宛に送られてきた。中にはオウム真理教の教義をマンガにした本や信者の修行の様子の写真集、極めつけは麻原彰晃の「空中浮遊」の写真集まで多彩な書籍が詰め込まれていた。

麻原彰晃「空中浮遊」写真集(勿論、写真集の名前はもっと意味ありげだったと思うが、覚えていない)では、これでもか、これでもかと長い髪の毛を振り乱しながら力任せにとしか思えない「飛び上がり」を撮影した写真だけで構成されていて、「空中浮遊」が「空中への飛び上がり」であることをわかりやすく見て取ることができた。

麻原彰晃には失礼だが、どう見ても力任せに「ぴょん」と瞬間的に飛び上がっている写真の羅列に「これ、絶対図書館に入れとこな。歴史的な資料になるで」と同僚と腹を抱えながら笑った。誰かに頼んで図書館に運んでもらったはずだが、果たして蔵書として残っているであろうか。

◆公安警察官とのお付き合い

所轄の警察から電話がかかってくることも年に数回は必ずあった。学生の事故、落し物などは序の口で、窃盗、麻薬、密輸、偽造パスポート、果ては地下銀行から殺人まで。警察からの電話は勿論訪問アポの取り付けで、こちらも学生が事故、事件に巻き込まれている以上、訪問を断るわけにはいかない。かくして私と所轄警察署の付き合いは年々増加してゆき、担当の公安警察官は御用聞きのように頻繁に現れるようになった。

私の勤務していた大学は当時「学生を罰しない」と言う不文律があり、たとえ刑事犯罪を犯しても何とかして救済し更正させ、卒業まで面倒を見る、という良い過激とも言ってよいヒューマニズムに徹していた。これといって明文化されたスローガンや理念があるわけではないが、それこそ空気として「何があっても学生は守る」のが学風であった。

なので、誤解をされると困るのだが、私が警察官、取り分け公安警察と懇意な関係となったのは全て学生の利益のためであり、そのためには警察へどうでもいい情報は提供する、その代りそれを超える情報を頂く。この原則は絶対に崩さなかった。

「田所さん、○○君と言う学生さんどんなもんでっしゃろか」と電話がかかってくる。

「Qさん、お約束は?」

「あ、クスリですわ」

「この学生は直接面識ないなー。調べますから2,3日時間くださいな」

「はい、よろしゅうたのんます」と言う具合だ。

早速学生を呼び出して面談をする。何年か問題学生との面談をしていると、その学生がクロかシロかだいたいの感触はつかめるようになる。そのケースは明らかに学生がドラッグをやっていることが面談中に直ぐわかった。しかも単純使用ではなく、どうやら学内で売りさばきをしているらしい。学生名まで特定されて令状を持ってこられたらこちらの対応も難しくなる。

「警察が君の名前で連絡してきたんや。このままなら確実に逮捕や。しかも単純使用じゃないから、執行猶予はつかない。どないする?」と冷たく言い放つ。

「どうしたらええんですか? 俺、自分では確かにやってるけど、人には売ってません」

「嘘つけ!こら!ここが大学やからて眠たいことゆうてたらお前明日にはわっぱ(手錠)はまんねんぞ!わしの言う通りにせなお前は逮捕されるんや。それだけちゃう。お前から買った学生も引っ張られる。ワシはそうはさせん!ごちゃごちゃ言い訳ぬかさんと持ってるクスリ今すぐ下宿に取りに帰れ!1時間以内にワシにもってこい。それから売った学生名前全部書き出せ!ええか!」

「はい」

学生は複数種類のドラッグを素直に持ってきた。

「よく言うことを聞いてくれたね。ありがとう。絶対これ以上もってへんな?」

「はい、これで全部です」

目を見れば嘘ではないのがわかる。

「売った学生のリストは?」

「これです」

「こんなにようけおんのか!」

「・・・」

「今貯金いくらある?」

「え?」

「今自由になる金ナンボあんねん?」

「3万くらいです」

「ちょっと待ちや」

まず担当の警察官に電話をかける。

「○○の件です。今お母さんが入院してはってで実家に帰ってますわ。1週間くらいで戻る言うてますから、帰ってきたら私が聞いときますわ」

「はいはい、ほな先生よろしゅうに」

このケースはたぶん「学生を挙げる(逮捕する)よ」と言うメッセージを親心で警察官が流してくれたのだろう。日頃付き合いがなければこうは行きはしまい。

私は手持ちの3万円を学生に手渡し、

「九州かどっか遠い場所に一週間行って来い。毎日サウナに泊まってサウナに入りまくれ。一週間したらこの番号(事務室の私の電話)に電話を必ずかけるように、後はその時指示するから」

自白した学生は正直なもので、その足で私の指示通り九州に出向きサウナに泊まり、1週間後に電話をかけてきた。彼からの電話かかる前に、私はクスリを買っていた学生をひとまとめに集めてそちらの処置はすませていた。

「君らが○○君からクスリ買ってやってたことはわかってる。もう今後絶対やったらあかんぞ。警察も動いてる。君らが約束を守ってくれたら大学は何があっても君らを守る。その代り嘘をつかれたら大学は責任持てない。まだ未使用のクスリ持ってる人手を挙げて」

学生たちは不安そうにお互い顔を見合わせて逡巡しているが、やがてぱらぱらと手が上がる。この連中は単純使用なので、やはりすぐに私に所持しているクスリを持参させ、私宛の念書を書かせる。

きれいな顔になって九州から学生が戻ってきた。再度強く注意し彼にも私宛の念書を書かせる。仕上げは警察への報告だ。

「今日○○帰ってきましたので面談しました。シロですわ」

「そうでっか、お手数かけましたな先生」

「いえいえ、こちらこそお世話になりました」

全て実話である。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

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《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実

 

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「朝日新聞叩き」で進行する「原発事故の本質」隠し

断言する。吉田調書、慰安婦報道問題で朝日新聞に対する批判は全く不当だ。双方の問題に共通するのは、細部に誤報があったのは事実にしても、それによって報道被害を受けたのが一体誰であるかという視点での批判、報道が決定的に欠落している点である。

私は朝日新聞の信者でも擁護者でもない。破格の給料を得て、エリート面した一部の朝日新聞記者の顔を思い出すと庇ってやるのは気が引ける。しかし朝日新聞を攻撃する陣営(安倍、読売新聞、産経新聞、週刊文春、週刊新潮)の攻撃論拠には全く同意できないし、明確な悪意に満ちている。攻撃者が批判したいのは「朝日新聞」自体ではなく、慰安婦問題、原発問題における「朝日新聞的主張」ではないのか。

吉田調書の扱いなどそもそも勘違いしようが、しまいが何一つ未来が変わることがない枝葉末節の問題だ。産経だって朝日に先立ちネット記事に吉田調書の要約を掲載していたし、その中には「これが産経の記事か!」思われるような記述もあった。9月12日の朝刊に「吉田調書」の全文が掲載されていたので読んだ。やはり枝葉末節の勘違いに過ぎない。これによって市民が傷つくことはない。

◆原発事故の本質をなぜ放置する?

そうだ。留意すべきは、この報道により、一体誰が傷つくとかということである。困るのは東電と国だけではないのか。しかもそれがどのような経緯であったにせよ、争われている事実関係は、既に3年前のことであり、その時に作業員が福島第二に退避していようが、いまいが今日の惨状になんら影響するものではないではないか。

事故検証の間違いを指摘するならば、「政府事故調査委員会」(畑村洋太郎会長)が「個人の責任は問わない」として始めた事故調査のあり様を批判した報道機関がどれほどあったというのか。航空事故や食中毒で国の「調査委員会」が発足すれば、必ず責任者や問題点を特定する。そして警察や検察が責任を追及する。そうしなければ「調査委員会」の意義はないから当然だ。だが、原発事故の「政府事故調査委員会」は当初より個人責任の追求を放棄して調査を行った。そんな調査のどこに意味があるのかという議論は、今回の朝日新聞叩きに比べれば行われなかったに等しい。

大手全国紙、地方紙、週刊誌などがこぞって朝日批判を展開しているが、それよりも現在も連続的に進行している原発事故の本質をなぜ放置するのだろうか。今回、ここぞとばかりに朝日新聞批判に熱心な勢力は、原発推進の旗色を明確にしているメディアが中心だ。

慰安婦問題も同様である。週刊誌は「1億人が被害者」などと書き立てるが、バカもいい加減にしろだ。吉田発言が虚構であっても、それを凌駕する日本軍自体の公式文書や当時の政府文書で「慰安所」設置が行われたことは既に立証済みであり、吉田清治発言は傍証に過ぎない。政府の公式見解だって「慰安婦」の存在を認めている。朝日新聞叩きに熱心な連中は吉田発言を朝日が掲載したことよりも、「従軍慰安婦」は無かったことに葬り去ろうという本音を隠さない。桜井よし子など右派の論客を多用して「この国の誇り」だの「自尊心」だのを相も変わらず繰り返しているが、この国の「ホコリ」を問題にするのであれば、東日本、いや世界中に拡散した放射性物質の「ホコリ」をなぜ取り上げないのだ。

◆「朝日叩き」が示すのは日本社会の「戦時下」状態

奇しくも同姓の「吉田」発言が引き金となって異なる2つの事件で総攻撃を受けている朝日新聞。でもこの2事件には共通点がある。

まず加害者とされる立場の者がいずれも国である点。次にその被害者に対して加害者は保障を頑なに拒み続けている点、さらにいずれも国民を騙しながら進められ詭弁によって正当化を図ろうとしていた欺瞞に満ちた国策である点である。

つまり、メディアが結託して国が犯した、裁ききれないほど重大な犯罪を「無かったもの」に仕立て上げようとする大規模な世論操作・誘導であるのだ。

朝日新聞を叩くのであれば、その社名の後ろにはためく旭日旗のような社章をいまだに使い続けていることや、2011年に福島県健康リスクアドバイザーとしてわざわざ長崎から着任し「100ミリシーベルト以下は安全」と大嘘をのたまった山下俊一(現福島県立医大副学長)に「日本癌大賞」を授けたことこそ指弾されるべきだ。

体制派マスコミにそのような視点は見当たらなし、今後も期待するのは無理であろう。言論も既に「戦時下」状態に置かれていることを示したのが今回の朝日新聞叩きの本質と見るべきだ。

(田所敏夫)

 

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《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実

前回は、選り好みさえしなければ大学に入学することは極めて簡単な時代になっている(数字的には大学受験者よりも大学の入学定員の方が多く実質的には既に「希望者全入」状態なのだ)ことを述べた。

他方、学校教育への不信感からか、小学生で猛烈な塾通いをする児童が増加している現象にも言及した。どちらにせよかつてのように東大を頂点とする「超硬化した学歴社会」は、かなり緩和されたものの、未だに学歴(大学名)への信仰は揺るぎのないものとして、保護者や社会に依然共有されている。

その学歴(大学名)信仰は、大学の入試難易度(偏差値)にほぼ並行し信頼度が上がり、そこにこれまでのイメージが加わり総合評価が構成される。実際偏差値の高い大学にはよく勉強のできる学生が集まり入試倍率も高く、偏差値の低い大学には定員割れを起こしているところが多い。

ただし、大学は生き物だ。各大学を取り巻く状況や教鞭を取る専任教員の力量、経営方針などによって5年も経てば、内実が激変する。

◆同志社大学社会学部メディア学科は教授陣の質に疑問あり!

例えば、同志社大学社会学部メディア学科は、かつての文学部新聞専攻を出自としており、西日本の私学の中でもトップクラスの偏差値の高さである。

だが、在籍している専任教員はとてもではないが、学生のレベルにふさわしい人材とは言い難い。メディア学とは何の関係もない江戸時代の遊女の研究を主としている者、メディア学を教えていながら本人がメディアを悪用し、名誉棄損で2度も民事裁判で敗訴している者、単著が一本も無い者、強制的に学生を割り振らないと一人もゼミ生が集まらないほど人格自体が嫌悪されている者……。

このような内実は受験生が知る由もない。大学難易度を示す偏差値の数字と、過去に多くの有名教員が在籍していたことや「同志社大学」というブランドで入学してくるのだ。大学業界を長年ウオッチしている者からすると、現在の在学生には気の毒だが、決して受験生にはお勧めできない受験先である。

◆他大買収で凋落した南山大学のブランドイメージ

逆もまた真である。愛知県にある中京大学と言えば、言葉は悪いがかつては決して学業面で評価の高い大学ではなかった。スポーツでのみ全国区に名前の知れた大学であったと言っても過言ではない。

愛知県には多数の大学が乱立していることと、この地域の特性として、成績上位生徒以外が県外の大学に進学することは珍しい。公立高校で平均以下のレベルの学校からは大学進学で県外進学者がゼロという学校も珍しくない。

そんな愛知県で長年私学のトップに君臨していたのは南山大学だった。しかし、南山大学は瀬戸市にある聖霊大学を1995年に買収したあと、急激な凋落に陥る。

それまで決して競争の相手にすらならなかった中京大学とさえ、現在では学部により偏差値で肩を並べるというところまで下降している。偏差値以上に南山大学のイメージ低下は愛知県の中で顕著だ。

こうやって見てくると、大学選択の意味がさらに困難に感じられてくる。学歴を重視する向きには尚更だろう。今、好評を得ている大学が将来もその「誇り」を保持させてくれる保証はないのだ。

「学歴を将来のステータスに」と考えている方には、このような変動が(良い方向にも、悪い方向にも)生じる可能性があることを知っておいて損はない。

(田所敏夫)

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《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?

8月23日、老舗予備校である「代々木ゼミナール」が全国に27保有する校舎のうち20か所を閉鎖する、というニュースが流れた。

代々木ゼミナールは、河合塾、駿台予備校と並び大学受験ではかつてトップクラスの生徒数を抱えていたが、少子高齢化と経営判断のミスにより大幅な業務縮小を余儀なくされることになった。その背景には全国の大学のうち6割を超える大学が収容定員を確保できていない現実がある。選り好みさえしなければ大学に入ることは極めて簡単な時代にすでに突入しているのだ。

長引くデフレ経済のため保護者の給与所得は横ばいであり、大学進学で浪人させるよりは、入ることのできる大学に入学させておこう、という学費思弁者の事情もあり、「大学受験浪人」は2000年あたりから激減を始める。

◆少子化なのに定員を増やす大学の愚

少子高齢化は受験生人口の減少に直結する。大学業界では20年ほど前から「18歳人口の減少」が深刻な問題と認識されていたはずであった。受験生の人数が減るのだからそれに対しては従来から持っている定員の確保のために教学内容や学生サービスの充実を図る、というのがまっとうな判断なのだが、不思議なことに多くの中小大学は「18歳人口減少」期に学部や学科の増設を行い定員の増加に熱を入れるという理解に苦しむ行動を選択した。

このあたりが、民間企業の感覚と私立学校経営者の感覚との違いなのかもしれない。マーケットが確実に縮小することがわかっている分野に新たな設備投資を行う企業経営者はそうはいないし、そんなことをすれば経営にマイナス影響が必ず出る。

ところが多くの私大は、受験生の激減が明らかで定員の増加を行えば学生募集が従来以上に困難になり、経営的にも苦境に陥ることが明白であるにもかかわらず、定員の増加を行ったのだ。この期に及んでも毎年、学部、学科の新設を文科省に申請する大学は後を絶たないし、数は少ないものの新たな大学の設置申請すらある。要するに大学受験人口は毎年減少しているのに反比例し、大学に入学できる総定員は毎年増加の一途をいまだに辿っているのだ。

代々木ゼミナールは現役高校生の受験指導も行っていたが、浪人マーケットで名を馳せていた過去に引きずられたため、大幅な校舎閉鎖に追い込まれた。

◆入試問題の作成業務でも収益を上げる河合塾

一方、河合塾は30年以上前から中学生、高校生を指導するコースを持っており、浪人依存率は代々木ゼミナールに比べれば当初より低かった。また、講師陣に多彩な人材を揃え、浪人コースであってもあたかも大学名物教授のように一見受験準備に直結をしないような授業を行いながら、浪人生の実力を高めてゆくという講師が多く、その評判の高さが浪人コースの集客力を維持している。

また、これはあまり世間では知られていないが、多くの私立大学は入試問題の作成を自ら行わず予備校に依頼している。

大学入試と言えば、かつては「推薦入試」と「一般入試」の2回というのが常識だった。しかし、近年は学生確保のために様々な形態で1年間に4回、5回と入試を行う大学も珍しくない。入試には当然「入試問題」が必要だが、大学内部で度々問題作成をするのは大変な加重であり、力量的に無理な大学もある。そこで受験指導の専門家集団である大手予備校に問題作成を依頼するのだ。

確かな数字は明らかにされていないが、私の周囲の大学関係者の意見を総合すると、入試問題作成を依頼している予備校の中では河合塾が群を抜いている。講師が問題作成を担っているのだから大学入試の指導も容易になるに決まっているし。何よりも「入試問題作成」による収入が馬鹿にならない。

◆「学校教育への不安」が塾通いの低年齢化を引き起こす?

少子化が進行する中で、大学浪人にメインターゲットを絞った予備校が代々木ゼミナールのように苦境に落ち込んでいる一方、私立中学入試、高校入試指導に特化した塾はむしろ好景気だ。前述したように大学を選ばなければどこかには入れる時代であり、企業の採用活動でも昔ほど大学の名前による利益不利益が無くなっているのに、毎晩夜9時過ぎまで塾で勉強をする小学生の数は増える一方だ。

私はこの現象の分析を何度か試みたのだが、今のところ明確な回答が出せていない。というのは、激烈な塾通い小学生は自らも納得はしているものの、基本は親の意向に依るところが大きいからだ。

では、親は将来どのような成長像を抱いているのかと問うと、その回答は実に曖昧であるのだ。「一流企業に入って欲しい」、「医者になって欲しい」などという答えはまず帰ってこない。最も多い回答は「学校の授業だけでは不安だから」である。親の学歴を問わず「学校の授業だけでは不安」の回答が飛びぬけて多い。

そんなに勉強させなくても、大学なんか入れるのになー。

(田所敏夫)

『NO NUKES voice』(紙の爆弾9月増刊号)創刊!

《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて!

◆いま一度、「大学の自治」を考える

「大学の自治」あるいは「学問の自治」という概念がある。
若い読者にはその意味するところすらあやふやかもしれないので、簡単に説明しておこう。

「大学の自治」とは、学問研究を行う大学は政治、行政権力や経済界からの干渉や抑圧を受けずに自立的に運営されるべきだから、少々の問題が学内で発生しても、その対応を警察や学外機関に委ねるのではなく、大学が自らの責任と決断を持って解決に当たるべき、という考え方だ(細部には様々な異論があるかもしれないが大筋こんな考え方だろう)。

「学問の自治」とは、学問研究は特定の企業や団体の利害と結びついてはならず、その成果は広く社会に還元されるべきだとも解釈される。

「大学の自治」は当然、「学生の自治」に結びつき、大学の運営は教員、職員だけでなく、最大の受益者たる学生もその一端を担う権利があり、学生は学生独自の視点から大学に物を申す、あるいは学生活動に大学当局の不当な介入は認めないという考え方が導かれる。

これら「大学の自治」や「学問の自治」が重要な概念として認識されたのは、第二次大戦で日本が敗戦して以降である。戦争中に大学も様々な形で帝国主義戦争に加担を強制されてきたことへの反省として、これらの概念は、機関としての大学、教員また学生にも共有される。大学が保持する基本的性格として戦後数十年、「大学の自治」は当然の概念として社会的にも認知されてきた。

◆管理強化で消えゆく「立て看板」文化

ところが今日、それらの概念は基礎から揺らいでいる。
とりわけ「学生の自治」は風前の灯だ。大学だけでなく、社会を見渡せば「労働組合」組織率も下がり、かつ「連合」などは労働貴族が仕切る「総御用組合化」している現象との連動なのだろうが、大学内において学生に許される表現の自由の領域はどんどん狭くなっている。

「立て看板」はクラブ、サークルの部員勧誘や催し物の告知に一般的に使われる道具であるが、今日多くの大学では大学が決めた場所に大学が準備してた規格(定型的な大きさ)を利用しての立て看板しか認めていない。しかも申込制となっており、大学によっては大学公認団体にしか利用を認めないケースもある。

かつて「立て看板」と言えば、その大きさや字体、設置場所などを工夫することにより、よりインパクトのある伝達媒体に仕上げようとする、学生の「表現活動」の感があったが、規格枠内にそれが限定された時点で表現の幅は大きく制約を受ける。

まだ比較的学風が自由とされる京都大学では昔ながらの手作り立て看板が見受けられるが、首都圏、関西の大学でそれを許容しているのはごく限られた数の大学でしかない。

さらに、ビラ配りにも細かい制約を設けられつつある。
前述の通り新入生の勧誘や、講演会・学習会などの宣伝で学生が学内(若しくは大学の敷地近隣)でビラ配りをする場合は、事前に大学に届けが必要としている大学もある。

また、チラシポスターなどを学内に貼りだそうとする場合は事前に許可のスタンプをもらい、これまた決まった場所へしか貼ることが出来ない。そんな大学はキャンパスを訪れると確かに表面上景観は整っているが、果たしてここで学生が有機的な活動をしているのかどうか、薄気味悪くなるくらいに無表情だ。

◆ビラに「許可印」など不要

かつて私が大学職員だった時、学内に貼るビラに「許可印」を押す部署に配属されていたことがある。「許可印」といっても形式的な作業で、学生がビラを持ってくれば、内容のいかんにかかわらず、すべてのビラに許可印を押すことになっていた。

学内には一応ビラを貼るスペースは設けられていたが、学生はそんなものはお構いなく、校舎の壁や廊下に好き放題ビラを貼っていた。個人的にはそのような情景の方が大学の雰囲気として私は好きだった。そしてある時、考えた。無条件に許可印を押すのであれば意味はないから、いっそ許可印自体を廃止してしまえばいいのではないかと。

職場の先輩や同僚の理解も得られ、許可印は廃止することとなった。但し、学生には一定期間が経過した後のビラは貼った者が責任をもって処分することを求めた。そのように運用を変更してからさしたる問題は発生しなかった。

ただし、無数のビラに紛れて学外の業者や宗教団体、怪しげな旅行の勧誘などが貼られるので、週に一度程度は学内のビラを見て回ることが新たな業務となった。学外の怪しいビラは無条件に剥がす。学生のビラは誠に様々なので課外活動の実態を知る一助にもなる。

◆大学職員は「官憲」ではない!

昨年、ある問題で大学生に「どうやって意見を訴えたらいいのか」と相談を受けた時の話だ。
「立て看板やビラやマイクで昼休みに話するなどしたら」と私が提案したら、「全部、許可制だから個人では難しいんです」とその学生が答えたので驚いた。

大学はくだらない管理強化ばかりに熱心なようだが、学生の「表現の自由」を時には思い出してみるべきだ。
大学職員は「官憲」ではないのだから。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策

《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策

近年、非正規職員で契約満期やその他の事情で職を失った人たちが労組を結成し、大学との「非正規問題」を議論する争議が増えてきている。大規模大学の労組は概して非正規職員には冷たく組合に加入できない場合がほとんどであるので、職を失った人たちが中心となり、労組を結成しなければ交渉の場すら得ることが出来ない。

◆卒論「遅刻」学生の救い方

もう時効だろうから、私自身の経験を告白しておこう。
私はかつて大学の職員だった。
そして、ほぼ同様の卒論の遅刻提出を専任職員時代に何度か経験した。

広い事務室ではないが、私以外にも複数の専任職員がいる前で学生は卒論を提出しようとする。「はい、わかりました」と受け取るのでは時間を厳守した学生に申し開きできない。

大学を卒業するためには卒業要件を満たしていること(決められた単位数を取得していること)と、学費が完全に納付されていることが条件となる。だから、まず卒論遅刻提出学生が発生した場合は事務室ではなく、別の場所で学生を待たせて、単位取得状況と学費が完納されているかどうか、さらには指導教授が誰であるか、所属サークルなどを調べ上げる。中には卒業要件の半分ほどしか単位を取得していないのに卒論を提出しようとする猛者もいるが、そのような学生はどうあがこうが留年決定なので卒論は受け取らない。

卒業要件ををすべて満たし、卒論の提出時刻のみが遅れてしまった学生の場合、私は受領印を隠し持ち事務室を出て、待機する学生から卒論を受け取り、そこに受付印を押印する。他の学生、ことに下級生にこのことは口外しないように言い聞かせ、卒論を封筒に入れて事務室に持ち帰る。

やや時間をおいて、すでに提出済みの卒論を収納した段ボールを取り出し、整理に取り掛かる。ほとんどの学生は定刻以前に卒論提出を終えているが、それは受け付け順に段ボールに収められているだけであるので、学籍番号順に揃え直す必要がある。その作業の最中に何気ない顔をしながら受け取った「遅刻」卒論をダンボールに放り込めば一件落着である。

◆お礼は無用だったのに!

ところが後日、困った事態が起こった。「口外しないように」と伝えていたにもかかわらず、学生が紙袋を持って「田所さんこの間はありがとうございました! これお礼です」と再び事務室にやってきたのだ。

紙袋の中身はウイスキーだ。誰に聞いたのか知らないが、その学生は私が酒好きであることを知り、ありがたくも迷惑なお礼を持参してくれたのだ。

まさか「おおきに」と言って受け取るわけにはいかない。「なんか勘違いしてるで。私は君に何にもお礼言われるようなことはしてへんよ。でも一緒に飲むんやったら断らへんから5時以降に来てくれるか」といってお帰り頂いた。

そんな牧歌的な話は20年以上前のことである。今日では「コンプライアンス」重視は大学にも行き渡っているので私のような不届きな職員はいないであろう。
(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

 

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

定刻を過ぎての卒論提出に非正規の大学職員はどう対応すべきか?

規則通りに仕事をすれば、「門前払い」(受け取らない)で問題はないはずだ。しかし、事は一人の学生の一生に関わる問題だ。卒論が受け付けられなければ卒業ができないし、せっかく努力して得た就職先の内定がフイになる。留年となれば、余分に一年分の学費が必要となるし、下宿生ならば生活費も馬鹿にならない。

ある程度の期間、大学で仕事の経験を積んだ人であれば、非正規職員でもそういった事情は当然、理解している。だから簡単に「門前払い」をするのにためらいを覚えるのは自然だといえる。

◆「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ!」

難問に直面したその女性職員は結局、悩んだ末に学生を事務室近くで待機させ、事務室の責任者宅へ電話をかけ、判断を仰ぐことにした。しかし、事務責任者からは「それは私では判断できないから、学部長と相談してくれ」との答えが返ってきた。

仕方なく彼女は学部長の自宅に電話をかけ、事情を説明しようとするが、学部長はあいにく自宅に不在だった。判断権限がない非常勤職員はどう処理してよいものか困惑が深まるばかりだ。

再度、事務責任者宅に電話をかけ、学部長が不在で連絡できない旨を伝えかけると、事務責任者は、「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ!」と言われ、一方的に電話を切られたという。大学も企業と同じだ。上司のご機嫌取りには熱心だが、部下には冷酷な性格を持つ管理職が、大学にも少なからずいるのも事実である。

事務室の中では対処方法がわからず困惑する非常勤職員が自身も不安に駆られる。この間、定刻を過ぎて卒論を持参した学生は、いったいどうなることやらと不安げに時間を過ごしていた。

僅かに時間をおいて、学生の指導教授から事務室に電話がかかってきた。おそらく指導教授は日頃からその学生の行動に不安感を抱いていたのだろう。卒論提出が無事に行われたのかを尋ねる内容の電話だった。これ幸いと彼女は事情を説明し、指導教授に意見を求める。

教授の回答は「私がすべて責任を持つのでとりあえず受理しておいて下さい」であった。正式に認められるか否かはともかく、教授からの明確な回答を得て、一安心した彼女は事務室外で待機していた学生を呼び、卒論を受け取り、「提出証明書」に事務室のスタンプを押す(このスタンプは日付と時刻が押印されるタイプのものだった)。一応の決着はみたが、あくまで仮の受理であるので、そのことを学生に伝えて彼女も帰路についた。

◆「非正規」職員にトラブルの全責任を転嫁する正規職員

ところが翌日、彼女が出勤すると事務責任者に呼び出され、「学部長に相談しろと伝えたのになぜ一教員の指示に従ったのか!」ときつい口調で彼女を責めあげられた。

「こんな遅い時間にもう電話せんといてくれ」と言った責任放棄の事務責任者は、自身に事務手続き上の問題の矛先が向けられるのを防御するために、全責任を彼女一人に負わせようと考えたのだろう。彼女としては、もとよりあまり信頼のおけなかった事務責任者に不当な責めを受けて反論することもできず、精神的に追い詰められる。

他方、「全責任を負う」と発言した指導教授は、受け取り証明書に日付と時刻が押印されていることを盾に「事務室が時間外でもちゃんと受け取っているんだから受理すべきだ」と事務室にねじ込んできた。しかし、事務責任者は「担当者が勝手に押印したものだから私は責任を負えない」と答え、埒があかない。彼女は自分の横で交わされる無責任な人間同士の会話にほとほと疲れ果てたという。

結局、彼女はそのような職場の人たちに嫌気がさし、翌週には自主的に退職してしまう。そして、仮受付されたと喜んだ学生も卒論は「不受理」となり、留年することになってしまった。

この経緯では、定刻を過ぎて提出を試みた学生に一義的には責任があるのだから、結果的に不受理は仕方ないかもしれない。しかし、その間、専任職員責任者が適切な指示を出さず、また指導教員も「全責任を負う」など発言したのであれば、学部長との折衝に自ら動くなどの調整努力をすべきだった。結果的には非常勤職員の女性一人があたかも不適切な判断を勝手に行ったかのごとき無責任な議論に事実を歪曲し、彼女を退職に追いやってしまった。

そもそも卒論提出日にはこのような事が起こりうることは、大学に勤務する正規職員にとっては常識である。最大の問題は、その日に専任職員が一人も出勤していなかったことである。

◆「学生の卒業を一緒に迎えられない」契約職員たち

「学生」相手に仕事をする「大学」では、マニュアルや職務権限もさることながら、人間性や責任感が仕事上、問われることが少なくない。規定や手順はもちろん大切であるが、それ以上に相対する人間に誠実であろうとする姿勢はもっと大切で、ケース毎に異なった判断を求められるのがまっとうな業務倫理のはずだ。

そんな性格の職場での仕事にやりがいを見出し、自分の適性もあると感じながら、契約により三年や五年で大学を去っていかなければならない「契約職員」は気の毒な存在である。契約時に「三年あるいは五年を上限に」との明文契約書に納得し、就任しているものの、仕事に慣れ、学生とも親しい関係ができてくると、大学事務は「収入」よりも「生きがい」になってくる。だから大学を離れたくない、と感じる人が少なからず出てくる。そんな気概のある人材は大学にとっては極めて有力な武器になるはずだ。

三年契約で就任した契約職員Aは、その熱心な仕事ぶりで専任職員の間でも評判だったし、学生からの信頼も厚かった。しかし、退職に際してこんな一言を残して、大学を去っていった。

「入学してきた学生の卒業を一緒に迎えられない制度とは一体なんなんだろうと思います」

原則論に立てば、極めて定型化された単純作業でありながら、多くの稼働を要するもの(郵便物の発送・図書館の窓口・入試の際の一時的事務作業など)を除いて大学職員という仕事は本来、正規職員が担当すべきだと私は考える。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

民間企業では派遣社員や契約社員を利用しない会社の方が珍しい時代になった。同様の現象は大学でも生じている。ごく稀にほとんど非正規職員を使わない大学もあるにはあるが、事務室の中の7割以上が非正規職員といった職場もざらにある。

「官から民へ」とか「雇用形態の自由化」とかいう政府のメッセージは、経営者にとって「人件費」を減らしやすくするために、これまで認められなかったオプションを提供したに過ぎない。大学教育現場でも様々な問題が発生しており、根源的には大学の力量を低下させる要因となっている。

◆一日中、正規職員が出勤しない事務室も

アルバイトや嘱託職員を採用する時は、必ず面接を行うが、派遣職員を採用する際に大学は本人と面接することが法律で許されていない。書類審査のみで人選を行う。その結果担当業務に適した能力や性格と不一致の人がやってくるというミスマッチはもう日常茶飯事だ。これは雇用する側にとってもリスクの大きい問題だと思うのだが、大学事務室内での派遣職員の数が減る様子はない。

そもそも大学職員の業務には管理部門を含めて、学生や教員のプライバシーに深くかかわる業務が多い。学部事務室や学生の相談を担当する部署では、学生が相談にやってくることは日常的な風景だ。学生の相談には履修方法や単位についてといった比較的簡単な内容もあるが、自身の体調不良や精神的な悩み、あるいはそれ以上に深刻な課題の解決方法を求めてやってくることも少なくない。

そのような場合、学生にとってカウンターの向こう側で仕事をしている人たちの雇用形態などは関係なく、全員が「職員」として認識される。大学によっては正職員、派遣職員、嘱託職員、アルバイトの業務分担を厳密に分け(それが当たり前なのであるが)学生の相談には正職員のみがあたる運用を厳守している場合もあるが、前述の通り職場の7割を非正規職員が占めているような事務室では、そもそも休暇や出張などで一日中、正規職員が出勤しないという状況も生まれる。そうなると学生の相談を受けた非正規職員は(その人が誠実あればあるほど)学生の相談に付き合わざるを得ない。

一度限りの会話で解決策が見つかるような、特に判断を要しない軽微な相談事であれば、さほど問題はない、しかし、卒業、就職や休学、退学といった判断を要するような相談がなされると非常勤職員では明快な回答を出せないし、出してはいけないはずだ。

◆管理職がすべき基幹業務まで非正規職員が担当

しかしながら正規職員が圧倒的少数という職場では本来、職責と待遇の差によって当然区別されるべき業務内容の境界が次第にあいまいになってくる。正規職員が行うべき業務を非正規職員が泥縄式に担当させられている状態が続くと、正規職員のモラルが低下し、「ああこれもアルバイトさんにやってもらっていいんだ」といった誤解が現実を徐々に支配していくからだ。正規職員の4分の1ほどしか給与を得ていないアルバイト職員に「判断」や「責任」を委ねることをまったく不自然と感じなくなる。これは「同一労働同一賃金」の原則からすれば、言語道断の事態である。

学生相談への対応は大学にとって基本的な業務である。が、より重要な責任を伴う業務、例えば、次年度予算の作成や決算といった本来ならば管理職が担当すべき基幹業務を非正規職員が毎年行っている大学も少なくない。

更に驚くべきところでは、正規職員の課長が体調不良で移動したために、その後任課長に非正規職員を任命した大学を私は知っている。そのケースでは、当初の非正規職員としての契約待遇がどのように変化したのかは聞き及んでいないが、理事や監事といった「役員」に非常勤の学外者が名前を連ねることはあっても、毎日出勤してルーティン業務をこなす事務職の管理者に非正規労働者を配置するという行為は驚くに値する。

◆まるごと職員アウトソーシングの波紋

昨日の東京新聞(8月20日朝刊)では、戸籍窓口業務を全面的に民間委託していた東京都足立区が「偽装請負」を理由に厚生労働省から是正を求められたという事件が報じられている。

この事件は今日、行政機関や大学が抱いている大きな「誤解」を理解するのに好例だ。戸籍や住民票は極めて秘匿義務が高い個人の情報であるが、足立区はその担当をまるごと民間企業に委託していたのだ。人権感覚や行政としての責任感は微塵も感じられない暴挙だ。

納税者、住民が求めているのは「安心して任せられる」情報管理ではないだろうか。いくら委託業者と厳密な契約を交わしたところで情報漏えいが発生することは、先の「ベネッセ」の事件が雄弁に物語っている。このようなバカげた行政判断を「他の行政機関に先駆け」などと報じている東京新聞も頭を冷やすべきだ(原発報道では群を抜く活躍が目を引くだけにここでは敢えて批判しておく)。

大学に置き換えれば、学生や保護者は教育内容もさることながら、学生生活が安心して送れることを期待して高い学費を払っている。

ところが経営陣が「コスト」優先で正規職員の人数を抑え、非正規職員で職場を回そうとすれば、表面的には経費削減というプラスに見える。だが、相談に来た学生が非正規職員の無責任さ(本当は無責任ではなく対応することが職責上できないのであるが)を「大学の冷たさ」と認識するし、正規職員にとっては学生が抱える様々なトラブル解決に当たるという一見面倒ではあるが、大学職員としての能力向上に資する絶好のケーススタディーチャンスを逸することになるのだ。

◆卒論提出日の受付に正規職員が一人もいない!

ある大学で実際に起こった事例を最後に紹介しておこう。

卒業論文の提出は当然のことながら日時と場所、提出方法が厳密に定められている。定刻になればそれ以降受け付けるわけにいかない、というのが原則である。

関西にある某大学では卒業論文の提出日に正規職員が一人も出勤していなかった。定刻を過ぎたので事務室にいた非常勤職員はカウンターのシャッターを下し受付を終了した。ところが、帰り支度を始めた事務室に卒論を持った学生がやってきた。

さて、あなたがその担当者であれば、どのように対応するだろうか? [次号へつづく]

(田所敏夫)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

◆新設学部の入学定員超過で「Beyond Borders」

更に追い打ちをかけたのが2008年に起きた「入学時転籍」問題だ。新設の「生命科学部」の合格者を多く出し過ぎてしまった立命館大学は、合格者に「貴方は優秀だから生命科学部以外にも入れますよ。理工学部へはいりませんか?」といった誘導を行ったのである。

受験生からすれば青天の霹靂だ。自分が受験したのは「生命科学部」であって、その合格通知を手にしたところ「ほかの学部はいかがですか?」と大学が聞いてくることなど想像を超えている。なぜ、このような転籍を強行しなければならなかったのか?

その理由は文科省による補助金である。大学は入学定員が決まっており、その1.3倍(この数字は時代により変動するので今日の正確な基準は異なっているかもしれない)以内であれば問題はない。だが、入学者(あるいは同一学部学科の総員)が定員の1.3倍を超えると補助金を削減されるというルールがある。

志願者が多く、競合大学が多彩な大学にとって、合格者を何名にするかの決定は極めて神経を使う作業である。特に受験日が重なったり、新規の同内容学部が他大学に新設された年などは、それまでの経験則やある種の「勘」が役に立たないことがある。まさに、その失敗を「生命科学部」は犯してしまった。合格者を出しすぎてしまったのだ。

文科省も一度限りの定員超過について厳罰は課さず、注意程度に収める場合が多いが、その後に新しい学部の新設や大学院の設置を予定している場合にはそれに悪影響を及ぼす。
立命館大学は当時、更なる学部新設を計画していたことから「生命科学部」の入学者定員大幅超過は何としても避けたかった。そこで他学部への「入学時転籍」という荒業に手を染めたのだ。

◆岐阜の公立高校買収でも「Beyond Borders」!

更に立命館大学の快進撃(?)は続く。立命館大学は岐阜県の「市立岐阜商業高校」買収を水面下で進めていたのだ。この報道を新聞紙面で目にしたとき、私は「おいおい、いくらなんでもそれはないやろ」と腰を抜かしかけた。

何と「岐阜県」にある「公立高校」の買収に本気で取り組んでいたのである。大学校地が全国に広がる日本大学、東海大学といった経営方針の大学ならば、新たに「出店」を開業することにさしたる驚きもない。だが、立命館大学はAPU(立命館アジア太平洋大学)を大分県に持っているとはいえ、実質的にはあくまで「京都」中心の大学である。関西とは文化園の異なる岐阜県の、しかも公立高校を買収にかかるとは、いったい何を考えているのか? そんな話がうまくまとまるのか?と注目していたが、案の定、岐阜市議会で猛烈な反対を喰らい、この買収計画は失敗に終わる。

◆びわこ草津キャンパスでは爆発未遂事故で「Beyond Borders」!

また、立命館大学びわこ草津キャンパス(BKC)では昨年、「火災による水素ボンベ爆発未遂事故」(!)が起きている。BKC校舎内でボヤが発生し、実験用の水素ボンベに引火の危険性が生じたため、ボンベから半径200mからの避難を指示が出された。

ところがボンベから半径200mは大学の敷地のみならず、近隣の住宅街にも及ぶ。学生だけではなく当然、近隣住民にも避難の指示が伝えられるべきところ、連絡は何と自治会長にのみ伝えられた。自治会長一人で当該地域の住民全員に迅速な連絡ができるはずはなく、後日、大学と自治会、草津市役所も含めて検証の場が持たれ、地元からは強い不安と不満の声が上がったという。これは物理的に極めて危険性の高かった「Beyond Borders」といえよう。

◆大阪「茨木」校地開設では関西大と「Beyond Borders」!

そして、極め付けは「茨木」校地建設だ。茨木と言えば関西になじみの深い方には容易に位置を認識していただけようが、関西地域以外の方には少々説明しておいた方がよいだろう。

茨木市は大阪府に位置する。JR、阪急電車などで大阪駅へのアクセスも良いため、古くからのベットタウンでもある。参考までに茨木市の北東(茨木市より京都寄り)は高槻市である。JR高槻駅前には関西大学の校舎が建っており、高槻市には高橋大輔や織田信也などの有名アイススケート選手を産み出した関西大学のスケートリンクもある。

関西大学のメインキャンパスはこれまた茨木市より大阪寄りの吹田市である。つまり地理的には立命館大の茨木校地は関西大学のメインキャンパスと高槻キャンパスに挟まれる場所に来年3月開設に向けて現在急ピッチで校舎建設が進んでいる。

この「茨木」校地建設問題について詳述しだすと紙数がいくらあっても足りないが、その危うさを示す立命館大学職員のコメントを紹介しておこう。
「茨木校地を建設すれば、いずれ財政的に立ち行かなくなる」
ある現職財務担当職員の見解だ。

現在の理事長、執行部は「関西大学との戦いに勝つために」と茨木校地開設の意義を語っているという。おいおい! 立命館大学のライバルは同志社大学ではなかったのか? 「京都のりっちゃん(立命館大の愛称)が大阪に足伸ばしてどないすんねん。イメージ崩れるで」と言うのが多くの大阪人の見方だ。

同じ関西エリアといっても、京都と大阪では文化も気質も大きく異なる。この茨木校地設立こそ、立命館大学が選択した究極の「Beyond Borders」といえよう。

◆「ボーダー越えすぎ」で見えてきた「ゲームオーバー」

大学業界人の多くは「茨木校地開設はひょっとすると株式会社立命館の終わりの始まりになるかもしれない」と考えている。ゼネコンに莫大な利益もたらすことはあっても、立命館大学がまとまった校地を茨木市に開設する積極的な理由は見当たらない。

大学は企業と異なり、経営状態が多少悪化しても即座に「倒産」とはならない。立命館クラスの大規模大学になれば尚更だ。但し「貧すれば窮す」で経営ミスや財務状況の悪化は教学内容(教員、学生の質など)を直撃する。大学内での無用の雑務や対立も起きてくるだろう。

立命館大学が越えてきた数々の「Borders」。
その選択が妥当であったか否かそう遠くない将来、回答が出るだろう。
私の直観ではズバリ、アウトだ。

(田所敏夫)