◆水素エネルギーは脱炭素社会実現への切り札なのか?

読売新聞は、《【独自】全国125の主要港湾、脱炭素化を推進…船舶や荷役に水素を活用 政府は、横浜や神戸など全国125の主要な港湾で脱炭素に向けた計画の策定に乗り出す。燃焼時に二酸化炭素(CO2)を排出しない水素の利用拡大を柱として掲げる方向だ。政府目標である「2050年までに温室効果ガス排出量の実質ゼロ」達成への目玉政策にも位置づけ、脱炭素社会実現への切り札としたい考えだ。》(2021年5月10日読売新聞)と報じている。

「燃焼時に二酸化炭素を排出しない水素」を「脱炭素社会実現への切り札」としたいのだという。ここに書かれている内容は、自然科学的な観点から、間違いはないだろうか。

間違いがある。水素に対する根本的な解釈だ。以下は日本経済新聞からの引用である。

《▼水素製造 水素を製造する方法は主に、①石油や天然ガスに含まれるメタンなどの炭化水素を水蒸気と反応させて水素と二酸化炭素(CO2)に分離する、②石炭を蒸し焼きにして水素と一酸化炭素(CO)の混合物である石炭ガスをつくる、③水に電流を流して水素と酸素に分離する――の3つに大別される。現在、世界でつくられている水素のほとんどは①の天然ガス由来だ。》(2021年2月26日日本経済新聞)

「燃焼時に二酸化炭素を排出しない」は可能であろが、そもそも水素をつくりだすためには、石油、天然ガスを用いて「水素と二酸化炭素」に分離するか、石炭を蒸し焼きにして、「水素と一酸化炭素」をつくる。つまり「炭素」がつくりだされる(これらとは別にバイオマスから水素を作る方法もあるが、費用が高額で採算が合わないといわれている)。最後には水を電気分解するしか主たる方法はない。電気を使う時点で「では電気はどうやって作るのか」を問わねばならず、電気を使わなければ二酸化炭素や一酸化炭素を「原料(水素)作成時点」で発生させざるをえない。

このロジックは「原発は発電時に二酸化炭素を出さない」と同じような詭弁であることが、素人でも5分あれば調べられる。原発は運転時に二酸化炭素排出量が少ないが、福島第一原発事故現場で問題になっている汚染水のに含まれる、トリチウムを常時排出しているし、1秒に70トンの海水をもとの水温から7度温めて放出し続ける。こんな装置がどうして「地球温暖化」の解決策に寄与するだろうか。

さて、水素は空気中に漏れ出て4%以上になると、爆発の危険があるので、水素そのものを厳重に保管しなければならない。水素が燃料として使えることは間違いないが、着火しやすく、拡散しやすい性質の物質でまた金属劣化を進める性質ももつので、その性質を理解してから、広く導入するのが妥当かどうかの議論をすべきだろう。わたしはいたずらに水素を忌避したり、水素が悪だというつもりはまったくない。水素を製造するためには、上記の方法しかないことから「脱炭素社会」を指向するなら(「脱炭素社会」など実現できないし、無意味だと思うが)基幹エネルギーとして水素を位置づけることが、妥当かどうか、疑問をもつのだ。

実験室や工場で水素は、一般的に赤いタンクの中に納めるられていることが多く、火災が発生したりすれば当然爆発の危険性がある。拙宅の近所では数年前にボヤが発生し、水素タンクに引火の危険性が生じていたことが事後判明し、騒ぎになったことがある。

「港湾で脱炭素化を推進する」ことが、地球環境保全に繋がるのかどうか。大型・小型船舶の燃料はどうするつもりなのだろうか。港を水素で溢れさせても、長期航路を運航するタンカーなどの燃料を、水素でまかなえるだろうか。原子力船や原子力潜水艦のような危険を冒し、タンカーの船中に大型の「電気分解機」を積んで航行するのだろうか。あるいは液体水素はそんなに安価で製造できるものであろうか。

◆大量生産大量消費社会と「地球温暖化二酸化炭素犯人説」

基礎的な疑問だけ列挙しても、どうもおかしい。屁理屈が並べられているが「地球温暖化二酸化炭素犯人説」の根拠には、こんなふうに一見「ほー」と思わせながら、いちまい扉を開けるだけでボッタくりの店だとわかり「あ、ここ入ったらいけない場所だった」と気づかされ、帰ってこなきゃならないような、浅く狡い理屈が蔓延している。

だからといって、今日のようなエネルギー浪費型社会をわたしはまったく肯定しない。注目されるべきは、エネルギー過度消費に陥った社会ではないだろうか。エネルギーが化石燃料由来であろうが、再生可能エネルギーであろうが関係ない。「二酸化炭素」や「地球温暖化」に矮小化、あるいは恣意的に歪曲された議論では、突きつけられている本当の命題がぼやけてしまう。

世界的な政策設計者(「地球温暖化二酸化炭素犯人説」立案者)には、人間が生活に最低必要最低限なエネルギーをはるかに超えるエネルギーを日々膨大に消費して、大量生産大量消費を続ける社会の前提を崩す気はない。あの人たちは、いっけん環境主義者のように振舞うが、こんなにも地球を壊し、あげく人間自身を壊し、自然科学の基礎を無視した、訳の分からない論を声高に叫んで恥じない。「二酸化炭素地球温暖化犯人説」はまさに、これらの矛盾が凝縮され「問題と対策」がほぼ完全にゆがめられている。

炭素を減らしても何の解決にもならない。しかも、水素の製造過程では必然的に炭素が出てくる。この二つの不整合だけで論理の破綻は証明される。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

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前回に引き続き、今回は主に「ヘイトスピーチ」を理論付けした師岡康子弁護士について思う所を申し述べてみたいと思います。

◆正体不詳の師岡康子という人物──いわゆる「師岡メール」に表われた冷酷な人間性

師岡康子弁護士は「カウンター」活動に理論的根拠を与えた人物で、それは前回(上)の冒頭に挙げたように『ヘイト・スピーチとは何か』として結実しています。ところが、不思議なことに師岡弁護士は自己の正体を秘することに努めているようで、生年や出身大学などもみずから明らかにすることはせず(著書にも不記載)、その他、経歴、プライベートなど不詳です。

わずかに父親が共同通信の幹部であったこと、京都大学卒業ぐらいが判明しているほどですが、これまで、あまり私的なことを詮索したり詳しい調査をしていない私たちにはそれ以上の経歴などは不明です。私見ながら、公人、あるいは準公人の人となりや考え方、全体像などを理解するには、プライベートや経歴、失敗の経験を含めて情報を吟味することが必要だと思っています。人生誰しも「常に正しい」わけではありませんから。

師岡康子弁護士

師岡弁護士が学生時代(京都大学)を語った文章や発信を見たことはありません。あまり評判のよくない政治グループ、△△研で活動していたという噂が伝わってきましたが、真偽不明です。ですからこの件も含め諸々質問を直接ぶつけようと、特別取材班が電話取材を試みましたが取材にも応じていただだけませんでした。諸々の疑問への真偽は想像するしかありません。師岡弁護士には質問したいことが山積しています。いつかリンチ直後のM君の壮絶な写真を持って講演会や記者会見に伺おうか、とさえ思ったものです(本気です)。

弁護士として「ヘイトスピーチ解消法」の立法化にも尽力した師岡弁護士はマスコミにも頻繁に登場する「公人」(あるいは「準公人」)です。私たちは誰かさんたちとは違い、暴力をちらつかせ脅迫的な質問などはしません。今からでも取材に応じていただくのが社会的責任というものでしょう。

師岡弁護士に対する私の印象が最も強いのは、いわゆる「師岡メール」と揶揄される、彼女がリンチ被害者M君と共通の知人・金展克氏に送ったメールです。常識では考えられない暴論、暴行事件被害者への人権的配慮はまったくなく、恣意的な法解釈、非人間性が余すところなく露呈したメールです。呆れるほどの暴論を展開し、M君リンチ事件が表面化することを潰そうとの意思を剥き出しにした醜文です。

師岡は、師走の寒さ厳しき大阪・北新地で、深夜1時間にもわたる凄絶なリンチを受けた大学院生(当時)M君の被害を一顧だにせず、刑事告訴を止めさせようと必死に努めました。M君が刑事告訴すれば、M君は、

「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶしたという重い十字架を背負いつづけることになります。そのような重い十字架を背負うことは、人生を狂わせることになるのではないでしょうか」

とまで言い切っています。

師岡の反人権的人間性を表わした、いわゆる「師岡メール」

 

「ヘイトスピーチ解消法」の性格を象徴する有田芳生と西田昌司の握手

頭の中が倒錯しています。この言葉は直接M君に伝えられたものではないにせよ、周辺人物への明かな恫喝ともいえるでしょう。ここにはリンチ被害者M君への人間的な配慮など微塵もありません。師岡の冷酷な性格が表われています。師岡は「人権派」ではなかったのか!? 少なくともそう装っていましたが、メッキは時として剥げるものです。

「重い十字架を背負いつづける」のはリンチの加害者であるべきであり、被害者が「反レイシズム運動の破壊者」として「重い十字架を背負いつづける」という理論はどうのようにすれば成立するのか。どうして被害者が「重い十字架を背負う」必要があるのか。生起した事実へのあまりにも非道で倒錯した(悪意に満ちた)本音の吐露には吐き気がするほどです。「重い十字架を背負いつづける」べきは李信恵ら加害者5人とその隠蔽に加担した人々のはずです。

有田芳生参議院議員と連携し、ともかく「ヘイトスピーチ解消法」を成立させたかったのでしょう。有田は「ヘイトスピーチ解消法」立法化の最終局面で、自民党の中でもとりわけ悪質な差別主義者である極右政治家・西田昌司参議院議員と不可思議な握手をしました。あの「握手」が意味したことは何だったのでしょうか? 水面下で何があったのでしょうか? 5年前のちょうど今頃6月のことです。

しかし、師岡は、その「ヘイトスピーチ解消法」だけでは不満なようで、更なる罰則強化、もしくは新法を企て、さらには関連の省庁の新設までも構想していることが報じられています。今後の師岡の動きが注目されます。

さらなる罰則強化、あるいは新法制定をアジる師岡康子弁護士

◆呪われた「ヘイトスピーチ解消法」──人ひとりを犠牲にして成立した法律が人を幸せにするはずがない!

リンチ事件の存在は1年以上も隠蔽され、「ヘイトスピーチ解消法」は成立しました。深夜、「日本酒に換算して1升近く飲んだ」(李信恵のツイート)李信恵ら加害者が、5人で1人の若者に凄絶な暴力を加えたリンチ事件を隠蔽することによって「ヘイトスピーチ解消法」は成立しました──あまりに呪われた法律と言わざるを得ません。
 
M君リンチ事件と、これに関係した加害者たち、「ヘイトスピーチ解消法」を制定するために隠蔽活動に狂奔した者たち、リンチ事件を知りながら、「見ざる、言わざる、聞かざる」に終始し、わが取材班の取材から逃げ回った者たち……M君リンチ事件は、人の生き方、人間としてのありようを問うものでした。ふだん立派なことを言っていても、現実にこうした事件に直面した時にどう振る舞うかで、その人の人間性なり人となりが明らかになるものです。特に「知識人」といわれる人たちにとって、みずからの学識と、“今そこに在る現実”への対応の乖離を、どう理解すべきでしょうか? 

リンチ事件が起き1年余り経ってから、このことを知った私は仰天し、「現在のような成熟した民主社会にあって、いまだにこうした野蛮なリンチ事件が起きたのか」とショックを受けました。かつて私は学生運動に関わり、そこで起きた、いわゆる「内ゲバ」にもたびたび遭遇しました。私が大学に入学する前年に先輩活動家が死亡していますし、入学した年には有田芳生参議院議員が所属した政党のゲバルト部隊(「ゲバ民」と呼ばれました)によってノーベル賞受賞者の甥っ子の先輩活動家が一時は生死を彷徨うほどの重傷を負った事件があり衝撃を受けました(ちなみに、大学は異なりますが、有田と私は同期で同時期に京都で活動していました)。

さらには翌年、最近映画でも採り上げられましたが、真面目な同大の年長活動家が他大学のキャンパスで殺されるという事件もありました。私自身も、有田議員が所属した政党のゲバ民に襲撃され病院送りにされていますし、また現在某政党の幹事長が創設した政治グループにも襲撃され後頭部を鉄パイプで殴られ重傷を負いました(数年間、時に偏頭痛に悩まされました)。

私はノンセクトで大学時代に活動したぐらいでしたが、卒業後、内ゲバは激化し多くの学生活動家や青年が亡くなると共に、あれだけ盛り上がった学生運動、反戦運動も衰退化していきました。もちろん他にも原因はあるのでしょうが、内ゲバが最大の要因になっていることは言うまでもありません(このことは、『暴力・暴言型社会運動の終焉』の中で山口正紀さんがガンで療養中に必死に書かれた「〈M君の顔〉から目を逸らした裁判官たち」、「デジタル鹿砦社通信」2019年10月28日付け田所敏夫執筆「松岡はなぜ『内ゲバ』を無視できないのか」を参照してください)。

「内ゲバ」問題もそうですが、外形的な「ヘイトスピーチ」を批判するだけではどうにもなりません。「ヘイトスピーチ解消法」成立に至る過程の裏で起きた凄惨なリンチ事件──この根源的な問題を探究することなくしては、同種・同類の事件は再発するでしょう。このことをリンチの被害者M君や私たちは事あるごとに訴えてきました。実際に、M君リンチに連座した者(伊藤大介)が再び暴行傷害事件を起したことは、この「通信」や『暴力・暴言型社会運動の終焉』などで、すでに明らかにした通りです。

そして、「ヘイトスピーチ解消法」の成立は、果たして、本質的な「差別解消」に寄与したのか──私たちの関心の中心はそこにあります。表現規制を設けても、内面は変えられません。犯罪抑止の法律を厳罰化すれば、より陰湿な犯罪が法律外で多発する現象はよく知られています。表現の規制が本質的な「差別解消」にこの5年間どのように作用してきたのでしょうか。定量的な測定が可能な問題ではありませんが、人々の心の中に宿る「差別の総量」は、減少したのでしょうか? そして司法も行政も、法律や条例を設ければ事足れりという「形式主義」(ことなかれ主義)に傾いてはいないでしょうか?

例えば、「教育改革」「大学改革」「政治改革」「司法改革」……この半世紀、「改革」という言葉が喧伝され法律や条例が設けられたり、あれこれ“制度いじり”がなされましたが、ことごとく失敗しています。「仏作って魂入れず」、古人はよく言ったものです。

さらに加えれば、このリンチ事件の被害者M君救済/支援と真相究明の活動を通して、取材班キャップの田所敏夫が広島被爆二世であることで似非反差別主義者を許さないという強い意志を私たちも共有し、取材班内外に於ける在日コリアンの方々らとの交友を通して「原則的に差別に反対する」姿勢であることを、ことあるたびに明らかにしてきました。

同時に私たちは「あらゆる言論規制にも反対」の立場です。しかし「差別を禁止する法律を作ろう」(さらに師岡は省庁まで作ろうと主張しています)などとの発想は、間違っても浮かびません。人間の内面は法律によって規制されるべきものではなく、また法律は人間の内面まで入り込むことも不可能だと考えるからです。こうした意味で、師岡弁護士の『ヘイト・スピーチとは何か』に述べられた思想には到底納得するわけにはいきません。

リンチ事件から6年半──今に至るもM君はリンチのPTSDに悩まされています。就職、研究などもうまくいかず「人生を狂わせ」(師岡メール)られてしまいました。一方、リンチの中心にいた李信恵は、何もなかったかのように、あたかも「反差別」運動を代表する人物として大阪弁護士会、行政、法務局などあちこちに講演行脚して、まことしやかなことを話しています。講演するなら、この冒頭にリンチについて述べてみよ! 

世の中、なにか変だと思いませんか? (了。本文中一部を除き敬称略)

◎あらためて「ヘイトスピーチとは何か?」について考える
(上)(2021年6月12日)http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39239
(下)(2021年6月14日)http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39295

*『暴力・暴言型社会運動の終焉』内に「危険なイデオローグ・師岡康子弁護士」とのタイトルで一項設けていますので、こちらもぜひご一読ください。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

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本日11日、全国の書店やアマゾンなどで『NO NUKES voice』が発売される。本号の特集は「〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉」だ。創刊以来28号を数える本号は、奇しくも〈当たり前の理論〉がますます踏み倒される2021年6月の発売となった。

元福井地裁裁判長の樋口英明さん(『NO NUKES voice』Vol.28グラビアより)

◆理性も理論も科学もない「究極の理不尽」との闘い

 

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

原発を凝視すると、その開発から立地自治体探し、虚飾だらけの「安全神話」構築、そして大事故から、被害隠蔽、棄民政策と、徹頭徹尾〈当たり前の理論〉を政治力や、歪曲された科学が平然と踏み倒してきた歴史が伴走していることに気が付かれるだろう。

南北に細長い島国で、原発4基爆発事故を起こし〈当たり前の理論〉が通用していれば、とうに原発は廃炉に導かれているはずである。が、あろうことか、「原発は運転開始から40年を超えても、さらに運転を続けてよろしい」と真顔で自称科学者、専門家と原子力規制委員会や経産省は「さらなる事故」の召致ともいうべき、あまりにも危険すぎる〈当たり前の理論〉と正反対の基準を認め、電力会社もそちらに向かって突っ走る。

ここには理性も理論も科学もない。わたしたちは原発に凝縮されるこの「究極の理不尽」との闘いを、避けて通ることはできないのである。「究極の理不尽」は希釈の程度こそ違え、もう一つわかりやすい具象を日々われわれに突きつけているではないか。

◆「反原発」と「反五輪」

誰もが呆れるほどに馬鹿げている「東京五輪」である。わたしは「反原発」と「反五輪」はコロナ禍があろうとなかろうと、通底する問題であると考える。それについての総論、各論はこれまで本誌であまたの寄稿者の皆さんが論じてこられた。とりわけ本間龍さんは、大手広告代理店に勤務された経験からの視点で「五輪」と「原発」の相似因子について、詳細に解説を重ねて下さってきた。

絶対的非論理に対しては、遠回りのようであっても〈当たり前の理論〉が最終的には有効であるはずだと、わたしたちは確信する。そのことは、政治や詭弁が人間には通用しても、自然科学の本質にはなんの力ももたないという、例を引き合いに出せば充分お分かりいただけるだろう。

どこまで行っても、新しい屁理屈の創出に熱心な原発推進派には、〈当たり前の理論〉で対峙することが大切なのだ。そのことをわたしたちは多角的な視点と、多様な個性から照らし出したいのであり、当然その中心には福島第一原発事故による、被害者(被災者)の皆さんが、中心に鎮座し、しかしながら過去の被爆者や原発に関わる反対運動にかかわるみなさんとで、同列に位置していただく。

絶対に避けたいことであり、本誌はそのためにも存在する、ともいえようが、たとえば大地震が原発を襲えば(その原発が仮に「停止中」であっても)、次なる福島がやってこない保証はどこにもない。膨大な危険性と危機のなかに、日常があるのだということを『NO NUKES voice』28号は引き続き訴え続ける。本誌創刊からまもなく7年を迎える。収支としてはいまだに赤字続きで、発行元鹿砦社もコロナの影響で売り上げが悪化していると聞く。

原発を巡る状況に部分的には好ましい変化があっても、楽観できる雲行きではない。そんな状況だからこそ〈当たり前の理論〉で〈脱原発社会〉を論じる意味は、過去に比して小さくはないはずだとわたしたちは考える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

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どう考えても、あるいはどこから秘策を探っても、惨憺たる戦後は確定している。では、「戦後」を確信するわたしと、暴走する主体を入れ替えて(ありもしないが)わたしが、開催責任者だったらと、思案してみよう。

嘘を座布団に敷かないかぎり、はたまた政治家のように厚顔無恥な言い放ちに平然と己をおとしめないかぎり、あらゆる条件設定で“Yes!We Can!”とはいえない。匿名であれ、ペンネームであれ、本名であれ絶対に発語できない。「東京五輪」には、従前から極端といわれるであろう激しい物言いで「反対」していたわたしが、精一杯主催者の立場に視点を置き換えようと、この期に及んで無駄が必定な仮説に身をおこうと試みた。

「敵」の心象は、どこまでも、ひつこく、論理にはまったく欠けていて、それでいて傍若無人なのだ。なら、間違いなく存在している、大きな力からの発語者である「そんなひとたち」のお考えは内面どう処理されるのか。IOCのバッハ会長、菅総理大臣、丸川五輪大臣、小池東京都知事、五輪スポンサーにして、毎年部数を減らす全国紙とその系列のテレビ局……。全員気持ち悪い表情で、言語的には整合しない文脈や誌面・番組を、平然と織りなす。この連中の神経はどうなっているんだ?はたして人間の感性を持っているのか。人間の感性は、微笑みながらひとを大混乱や殺戮に導くことに、こうも厚顔でいられるものなのか。

30代になりたての頃、職場で民主的な方法により、トップに選ばれた人が、わたしに「田所いまいくつだ?」と問うた。「30ちょいですよ」と答えると「そりゃ若いな。40超えて45超えると、俺みたいに不感症になってくるんだよ」と彼は仰った。相当にわたしが煙たかったのだろうが、彼の言葉に「そんなことあるものか」と内心では楯突いた記憶は定かだ。ライヒの翻訳者としても知られたあの賢人から、叱責(?)されて四半世紀が経ってもその反応に変化はない。

さて、在野や役職が付かないときには、仲間であったり仲間以上に過激な先導者だったりした先達が、大したこともない(といっては失礼だろうが)肩書の一つも与えられたら、途端にビジネス書を手にしだして、管理職気分になるあの気持ち悪さ。たかが中規模の所帯で中間化離職になろうが、トップになろうが、株主の締め付けがあるわけでもなかった、あの職場でどうしてみなさん「転向」していったのだろうか。

ずいぶん横道にそれたようだが、「裸の大様」だということを「五輪禍」を語る上でに、過去の経験とわたしの変化しない体感からご紹介したかったわけである。IOCも日本政府、組織委員会、東京都、聖火リレーを諾々と行う都道府県…全部が狂っているとしかわたしには思えない。

以前に本通信で書いたが、もう「東京五輪」が開催されようが、中止されようが、この国は「絨毯爆撃」を食らった状態であって、あとは開催されれば「原爆投下」が加わる、つまり1945年の8月初旬と比較しうる惨憺のなかに、すでにわれわれはおかれている。このことだけで充分に悲劇的だし、「敗戦後」には「戦後処理」が急務となる。「戦後処理」とは、今次にあっては、膨大な税金の浪費によって、なにも生み出さないどころか、「泥棒」(大資本や電通など)がますます肥え太り、「真面目な庶民」からの税金で財を成した連中の、焦げ付きにまたしても「尻ぬぐい」のツケが回ってくることだ。増税であったり、行政サービスの低下、年金の切り下げとして形になろう。

MMTなるインチキな理論によれば、「自国通貨で国債を発行している限り財政破綻はない」らしい。そんな理屈が成り立つのならば国債は不要で、税金も不要なはずだ。ひたすら貨幣をすればいい。この理論はリーマンショック後の米国が前述の対応で、さしてインフレにならなかったことに依拠しているらしいが、一方で暴走的に膨らむ「非実体経済」(金融商品などの担保に由来しない価値)の問題には、処方箋を持たず、なによりも資本主義末期にあげく体制への「助け舟」として機能していることを、見逃してはいないだろうか。

今次の「戦後処理」にソフトランディングはない、と直感する。ただし「原爆」は何としても避けたい。「原爆」は世代を超えて禍根を残すのだから。「五輪」、「コロナ」、「MMT」あれもこれも詐欺的である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

簡単に理解できる、絶対矛盾を一つ例示しよう。どうしてこの国では「経済再生担当大臣」が新型コロナウイルスの対策担当に当たっているのであろうか。疫病であるウイルスの蔓延と、「経済再生」がどのような関係にあるのか。

また、ワクチンの担当にどうして「行政改革大臣」が任じられるのか。ワクチン対応にも、旧来とは異なる行政対応を導入したい、との志あってのことなのか。そんなことはあるまい。元防衛大臣で「防衛大臣専用機が欲しい」とのたまった河野太郎は、相変わらず回らない滑舌で、ウイルスの遅滞弁解に忙しいだけだ。河野洋平だってそんなに評価に値する政治家ではなかったけれども、息子のできの悪さを嘆いているのではあるまいか。

行政改革は結構ではあるが、本来厚生省と労働省が担っていた業務には、水と油といってもいい利益相反の業務もあったのだ。それが無理やり合体させられてしまい、結果として医療行政や労働行政には大幅な後退が生じている。全国的な保健所の減少などもその結果である。横浜市はホームページで誇らしげに

《指揮命令系統の一元化により、広域的で緊急的な課題に迅速に対応するとともに、その基盤となる情報を一元管理できるよう18区に分散していた保健所を1か所に集約し、健康危機管理機能の強化を図りました。》

と書いているが、これはつまりかつて18か所あった横浜市の保健所が、現在は一か所だけになっていることをあらわす。

保健所は結核や、感染病が発生したときに、感染源を突き止め消毒を行ったり、医療への誘導を行うのが業務の一環だが、今次のコロナ蔓延には全国的に保健所の数が半数以下に減らされた「行政改革」のしわ寄せが遠因として働いている、ともいえる。京都市では保健所職員の中に昨年1年で2000時間(!)近くの残業を強いられている職員がいたことが判明した。

ひとつき20日の勤務で年間2000時間の残業は、一月あたり160時間の残業を意味するが、一日は誰にも平等に24時間しかない。この保健所勤務の職員さんはコロナでなくて「過労死」してしまっていないか、本当に心配になる。公務員の中には、とくに高級官僚の中には、不労所得や役得にあずかっているものが少なくない実態はあるにせよ、「行政改革」が結果として最低限の行政サービスをおろそかにしてしまっては本末転倒だ。

そもそも「改革」という言葉自体を近年は疑ったほうがよさそうでもある。「司法改革」は雨後の筍のように無意味で、既に半数以上が閉店した法科大学院と、法律の知識を持たない市民に、場合によっては「死刑」判決に立ち会わせる「裁判員裁判」さらには「司法取引」を生み出しただけであるし、企業における「意識改革」は労働者に確立された権利の忘却と、さらなる利益追求のための自己犠牲を強いる。

5月3日憲法記念日、コロナ禍の下とはいえ、いったいどんな営みや議論が交わされ、報じられたことだろうか。「批判する価値はない」とわたしが決めつけた報道各社は、期待にたがわず素っ頓狂な報道に明け暮れた。共同通信は改憲の必要性を誘引する世論調査を行い、わざわざ「改憲における緊急事態条項の必要性」までを質問項目に加えている。コロナにおける緊急事態宣言とを結びつけてある。現憲法で「緊急事態宣言」は発令可能であったのにどうして、改憲が必要なのか、また改憲に「緊急事態条項」を盛り込まなければならないのか。このような基本的な事項すら、論理的に理解できない頭脳が、今次この国におけるマスメディアの実態である。

あなたたちは、菅のイヌか?と罵倒されても仕方あるまい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

以下は前回に続き、李信恵から「名誉毀損」で鹿砦社が提訴され、不当な判決を下した大阪地裁の粗雑極まりない判断に対して、控訴審に提出した、私の「陳述書」をもとに(一部わかりやすいように加筆してあります)鹿砦社、ならびに、特別取材班の想いを綴ったものです。
 
◆鹿砦社は控訴審で、心理学者・矢谷暢一郎先生(ニューヨーク州立大学名誉教授)の「意見書」と精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」を提出! 裁判所(大阪高裁)は、これらの科学的知見を直視すべきであり、もし一審判決を是認するのなら、これらの科学的知見を覆す、それ相当の理由が必須です!

 

リンチ直後のM君の写真。これを見て、あなたはどう思うか?

本件一審判決や、リンチ被害者M君が李信恵ら加害者グループ5人を訴えた訴訟(終結済み)の判決で裁判所は、李信恵によるM君への出合い頭での殴打が「平手」か「手拳」かに異常なまでに拘泥し、M君の記憶が曖昧で発言が変遷したことをもってM君の発言を「信用ならない」(本件一審判決)、「信用性に欠ける」「信用できない」(別訴一審判決)としています。

こうした大阪地裁の2つの判断について、本件訴訟では一審被告とされた私たち鹿砦社(控訴人)は、今回の控訴審に於いて、心理学者・矢谷暢一郎先生(つい最近〔4月20日付け〕ニューヨーク州立大学名誉教授を拝命)の「意見書」と精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」提出しました。「意見書」と「鑑定書」を読めば、凄惨なリンチを受けた被害者M君の記憶が飛んだり曖昧だったりすることはありえ、むしろ当たり前だということが判るでしょう。今回の控訴審で裁判所(高裁)が一審判決を是認するのであれば、矢谷、野田両先生の「意見書」や「鑑定書」を覆す、それ相当の理由が必須です。

素人のリンチではなく、プロのボクサーでも(つまり顔面や胴体を「殴られる」ことを仕事にししている人でも)これだけの凄絶な暴力を1時間近くも受けていれば、記憶は飛びますし曖昧にもなります。裁判官は地裁にしろ高裁にしろ、これまでの人生で、これだけ凄絶な暴力、つまり1時間ほどにも及ぶ暴力を受けたことがあるでしょうか? おそらく、ないでしょうが、裁判所は被害者救済の観点から、虚心坦懐に証拠に向かい合い、法的合理性を持った判断を下すべきです。激しい暴力を受けた者の被害に寄りそうべきですし、その事実を報じた私たち鹿砦社に賠償金やブログ記事の削除を求めるような不当な判断は、司法の名において、その権威を汚すものであると認識すべきです。

M君へのリンチと私たちの出版をめぐる、大阪地裁の2つの判断は、心理学、精神医学の専門家の分析・診断、また一般市民の感覚から、絶望的にかけ離れています。裁判所は真に「一般読者の普通の注意と読み方を基準」(一審判決)として審理し判断しなければなりませんし、この観点を堅持することは当然です。一審判決は「一般読者の普通の注意と読み方を基準」との言い回しを引き合いに出していますが、判決全体を眺めると、これは言葉だけで、「一般読者の普通の注意と読み方を基準」とは到底言い難い判決でした。

私たちは、李信恵の最初の一発が「平手」であろうが「手拳」であろうが、さほど重要だとは考えません。被害者M君が1時間もの間、殴られ蹴られ全身に重傷を負ったという厳然たる事実こそが重要です。大阪高裁の裁判官は、今一度、リンチ直後の被害者の顔写真を見、リンチの最中の音声を聴いてほしいと思います。

そうして、あえて繰り返しますが、いまだにリンチ被害者M君はリンチのPTSDに苦しんでいることを顧みてほしい。裁判官(高裁)に、血の通った一人の人間としての感性があるのなら、ぜひ被害者に寄り添ってほしいと思います。決して加害者に与して暴力を容認しリンチに加担しないでいただきたい。本件訴訟は、直接被害者が訴訟の当事者ではありませんが、「Mの供述は直ちに信用できない」とする一審判決は被害者の精神をさらに追い込みました。控訴審を審理する裁判所(大阪高裁)が真に〈人権の砦〉ならば、そうした一審判決を是認するような判断は絶対にしないように心より願っています。

一審大阪地裁の2つの判決が、異常に「平手」か「手拳」かにこだわり「木を見て森を見ない」判断になり、これを急所隠しの“イチジクの葉”として本件リンチ事件の〈本質〉が見過ごされているのではないでしょうか。

リンチ後になされたセカンドリンチの一例。こんなツイートをした者らに「人権」を語る資格はない!

◆嗚呼! 大阪地裁の初歩的誤判! 裁判所は真に「一般読者の普通の注意と読み方を基準」に慎重な審理を尽くせ!

一審判決で誰にでも判る初歩的誤判の一例を挙げます。特別取材班キャップ・田所敏夫が電話取材したコリアNGOセンター金光敏事務局長の発言を出版物(『反差別と暴力の正体』)に明確に掲載しているにもかかわらず、これを見落とし、あるいは無視し「被告(注・鹿砦社)は、金光敏に対して取材して、その発言の真意や原告の正確な発言内容を確認するなどしていない」(一審判決文)と一審大阪地裁第24民事部は断じています。初歩的な誤判です。

しかし、この判断(誤判)は簡単に片付けられるものではありません。「取材し」その内容を掲載しているのに「していない」と判断され高額な賠償金を課せられれば、出版を生業とする者にとっては、その法的存在意義を揺るがされます。換言すれば、〈事実〉を無視しても、恣意的な判断にうなだれるしかないという“法治国家以前の姿を甘受せよ”と通告されるに等しい激烈に乱暴な判断です。「平手」か「手拳」かに拘泥するあまり、法律以前の基本が蔑ろにされています。本件訴訟は民事事件ですが、原審の粗雑極まりない判断に対し、私たちには予断と偏見による〈冤罪〉とすら感じられます。
 
◆行方不明だったリンチ実行犯・金良平への裁判所の誤認

 

李信恵と暴力実行犯・エル金こと金良平

また、一審判決文には「金(良平)に対して取材を申し入れるなどしていない」と記載されていますが、これも重大な誤りです。提訴時、「エル金」こと金良平は住所不定でした。裁判所から特別送達された訴状すら彼には届かず戻ってきました。この事実は地裁事務局に記録があると思います。一審大阪地裁第24民事部の裁判官は、金良平が初回期日の直前まで行方不明だったことをご存知なかったのでしょうか?

取材班メンバーが、金良平が居住していると把握していたアパートを訪れてももぬけの殻でしたし、別の取材班メンバーがのちに金氏が署名した住所を訪れたら、居住地であるはずの場所は駐車場でした。笑い話にもなりません。金良平が以前に使用していた携帯電話番号は変えられており、取材を多角的に試みましたが、実現できる状況にありませんでした。鹿砦社は強制捜査権のある「捜査機関」ではありませんので、おのずと限界があります。控訴審に於いて大阪高裁は、この点も十分な検討をすべきでしょう。

リンチ被害者M君は、ネットリンチや村八分などのセカンドリンチを受け続け、それは精神を病むほどでした。そうして大阪地裁の2つの不当判決は、まさに法の名の下による“サードリンチ”と言ってもいいでしょう。もうこれ以上、被害者を苦しめないでいただきたいと願います。裁判所は真に〈人権の砦〉として、暴力を排し、「反差別」運動のリーターとされる李信恵を厳しく戒め、これまでの裁判所の判決ごとに精神的に追い込まれてきたリンチ被害者を慰撫する方向で審理し判断することを強く望んでいます。リンチ被害者M君に救済の手を差し延べてください。(本文中敬称略)

[右]李信恵代理人・神原元弁護士のツイート(2016年9月12日)。私たちのリンチ被害者M君への救済・支援活動を「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」と言い放つが、私たちは「私怨と妄想」でこの問題に関わったのではない![左]同じく神原弁護士のツイート(2016年12月2日)。M君訴訟は広く皆様方の浄財で闘ったが、これを「汚い『集金』」と非難。では、李信恵の裁判を支援する会の「集金」はどうか? M君とは桁違いの大金を集めながら、いまだに会計報告もない!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

IOC会長トーマス・バッハは、17日から来日する予定であったが、表面的には緊急事態宣言の延長によって来日が見送られた。バッハ来日は、五輪強行のために日本政府の尻を叩くためか、あるいは現地をIOC会長が視察した結果「開催は無理」と宣言するか、どちらかが目標であろうが、どちらに転ぶかについての観測や予想をわたしは、持ち得ていなかった。


◎「参考動画」IOCバッハ会長の来日は「非常に難しい」橋本会長(ANN 2021年5月7日)

「東京五輪」は、既に膨大な「被害」を実際に生じさせている。わかりすいところで例を挙げれば、香川県では聖火リレーの警備をしていた警察官が新型コロナウイルスに感染していたことが判明したし、鹿児島ではやはり交通整理に当たっていた関係者6名が新型コロナウイルスに感染していたことが判明している。「密になるな」、「家から出るな」と政府は呼びかけ、要請しているいっぽうで、聖火リレーを行うちぐはぐさは、当然のように「感染拡大」を招く。

頭の悪い安倍晋三を長期にわたり、総理大臣の椅子に座らせてきた、日本人総体としての知的劣化は、いまさら嘆いても仕方がないけれども、第二次大戦にたとえれば、1945年の初旬が、今日に匹敵するかもしれない。つまり、既に全国の主要都市だけではなく、地方都市にも空襲が降り注ぎ、多くの非戦闘員がすでに犠牲になっている。そしてここで敗戦を選択したところで、膨大な被害は確定しているのであるけれども、このまま負け戦を続ければ、やがて8月には広島と長崎に原爆が投下されるのだ。

いまでも、散々な目にあっているが、このまま「猛進」すれば、「地獄図絵」が必ず待っている。それが2021年5月初旬の日本が置かれた状況ではないだろうか、とわたしは考える。


◎「参考動画」IOCが安倍前総理に「オリンピック功労章」(ANN 2020年11月14日)

バッハはドイツの弁護士であり、モントリオール五輪では旧西独のフェンシングの選手でもあった。アディダスをはじめとして、多数の企業で責任あるポストを歴任し、ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会議所の会長も歴任している。スポーツから出発し、ビジネス、政治の世界へも踏み入れた経験のある人物らしい。法律を学んでいる最中に五輪選手として活躍、その後83年に博士論文を書き上げ、弁護士としての歩みをはじめたようだ。

運動能力にも、頭脳にも秀で輝かしい経歴を持つバッハ。しかし、IOCの会長とは、巨大利権の差配者である。世界的パンデミックにあって、スポンサーをはじめとする「利権集団」をどのようにコントロールするか、がバッハの最大命題なのであろう。

予定されていた来日には、五輪とは関係のない「広島訪問」の予定もあった。誰が広島に行こうと、文句を言われる筋合いはないが、被爆地を訪れてあたかもIOCや五輪が「平和」と親和性がある、との印象操作に広島を利用しようとしていたのであれば、「不謹慎だ」とわたしは断じる。


◎「参考動画」米紙 五輪中止を主張 バッハ会長の“悪い癖”批判(ANN 2021年5月7日)

実のところ、この先五輪が強行されようが、中止されようがわたしには、もう強い関心はない。既に可視・不可視の膨大な被害は既に生じているのであり、「敗戦後」はいずれにしても、焼け野原をこの国は甘受しなければならない、ということである。緊急事態宣言下でも本年冬季国体を愛知県は開催した。狂気の沙汰だと思って呆れていた。そして、いくらなんでも世界中が、波状攻撃のように変異株にのたうち回る状態での、五輪開催などは、どこかで誰かが「理性」によって止めるだろう、との甘い期待があった。

現生利益的あるいは、気まぐれと言えばその通りかもしれないが、インターネット上の調査では、五輪開催に反対の人の割合は8割を超えている。この精神はまともだと思う。

しかし「理性」は日本においても、世界を見渡しても権力者の中にはないのだ。
背理と反理性が生じさせる五輪被害。地獄図絵を見たくはない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号

疑り深い性格の先ゆえの取り越し苦労、であることをなかば期待しながら憂いていたのであるが、ここまで明確に内閣府から示されると、憂いどころではない。

内閣府の「ムーンショット目標」

同上

同上

20世紀終わりごろから、「コンピューターが人間を支配する世の中がやってくるんじゃないか」との専門家の予想には、皮膚感覚での気持ち悪さもあった。電算技能演算速度の高速化は90年代には、まだ仮想であった「人工知能」を、あらかた現実のものとして、既にわたしたちに差し出している。わたし個人にとっては、限りなく危険で無益、さらには生物種としての存在を否定されているがごとき響きの(哲学的な意味においてではなく、現実に)企てに、いまのところ大きな疑義や否定論は聞かれない。

上記内閣府の「ムーンショット目標」を目にされて、読者諸氏はどのようにお感じになるであろうか。これはどこかのIT企業や多国籍ファンドが投資向けに用意した広告ではない。内閣府の公式ホームページである。

「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」

板坂剛(著名な三島由紀夫研究家にしてフラメンコダンスの指導者)はインターネットを使わないらしいが、板坂に限らず、美文で社会・現象・時代・文化を斬る論者がこの言葉と、それに続く文章を目にしたらどんな反応を示すだろうか。

拙稿にとりかかるまえに、幾人かの自然科学者にこのページを読んでいただいた。貧困な語彙しか持ちえないわたしに代わり、なんらかの示唆を得られるのではないかと考えたからだ。

結果はあまり思わしくなかった。わたしが嫌悪し、薄ら気持ち悪く感じるこの計画に対して、自然科学専門家のかたがたの反応は、なべておとなしく、むしろ「無警戒」ではないかと思われるものであった。

再度、あなたはどのようにお感じになるであろうか。「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」とは実際にどのような状態を指すのか? 「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会」は「人間(「わたし」や「あなた」)が有機体として存在する必要のない社会」という意味ではないのか。「身体からの解放」、「脳からの解放」などという言い回しをよくも平然と創作できたものだ。やはり役人というのは「人格がない」職種なのか。

これは、あれこれ言いつのってもつまるところ「人間不要計画」ではないか。「人間不要計画」などを策案する政府を、放置しておいてもよいのだろうか。「人間不要計画」に直面する際、想像力はおそらくもっとも不幸な状態に照準を合わせて、注意が払われるべきなのだ。

どのような人間が「不要」とされるのか。あるいは「有用」であるがゆえにアバター成代替物で「増殖」が期待される人間はどのような属性と、能力の持ち主であろうか。「優勢思想」などむしろ、その意図するところがむき出しであったぶんだけ、「人間不要計画」よりも、まだ穏やかだったという表現だって可能だろう(もちろんわたしは優勢思想をまったく支持するものではない)。

文明は過去何度も、隆盛と破綻(あるいは淘汰)を繰り返してきた。人間はしょせん動物の一種類に過ぎないのだから、それは当然であり、しかしそこに歴史という視点で教訓とすべき遺産や知恵を見出す、程度に人間も少将は成長した、と思っていた。ところがどうだ。今次の「人間不要計画」は人類史上、真顔で語られた「悪い冗談」のなかでも飛びぬけてはいまいか。

「わたし」、「あなた」、「好きな人」、「嫌いな人」、「いけずな人」、「優しいひと」……。みんながコピー人間になる時代に、わたしは生きたいと思わないし、そんな時代や技術(あるいは思想)は断じて許してはならない、と考える。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

検索エンジンYahoo Japanには掲載された記事によるが、読者がコメントを書き込むことができる機能がある。わたしはこれまで、このような場所にコメントを書き込む行為は、みずからの発信行為に反するので控えてきた。

だけれども「東京五輪」や「原発」についてコメントしたら、どのような反応が返ってくるのか。そのことを試すために、あえていくつかの書き込みを試みた。そのスクリーンショットが以下の通りである。

やや見にくいので解説をすると、Yahoo Japanが掲載した記事の見出しとそれ対してわたしが書き込んだコメントを順番に並べた。返信とあるのはわたしのコメントに対しての返信の数で、わたしのコメントを肯定した数(「いいね」とも呼ばれるらしい)とわたしのコメントに対して否定的な方が意思表示した数が表示されている。

16日の本通信で「東京五輪に対する世論の変化」を体感的なものとしてだけ記した。けれども、わたしの体感は実態から大きく外れてはいなかったことが、数字で証明された(数字は4月16日、なおコメントはすでに消去した)。

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

 

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筆者が書き込んだコメント

 

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筆者が書き込んだコメント

 

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筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出しと筆者が書き込んだコメント

 

Yahoo Japanが掲載した記事の見出し

筆者が書き込んだコメント

ここに示したものは、わたしが書き込んだすべてのコメントではない。特徴的なものだけを抽出していることを、あらかじめ申し上げておく。それにしても総論「五輪開催反対」あるいは「聖火リレーのバカらしさ」をときに感情的に、別の記事には冷静に書き込んだコメントいずれにも、肯定の意を示して下さる方の数が圧倒的である。

わたし自身がもっとも驚いたのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」と記す)が、賢明にも「東京五輪」不参加を決めた記事へコメントへの肯定者数である。通常、朝鮮について記事を書くと、記事の内容にかかわらず、脊髄反応のように否定的な反応や批判が返ってくる。わたしはプロフィールにメールアドレスを明かしているので「非国民」といったメールが届くことも、珍しくはない。

しかし、極めて恣意的に小泉政権時代から植え付けられた「朝鮮アレルギー」をも凌駕して、「東京五輪開催反対」の世論は急激に形成されている。週末に行われる共同通信の世論調査は、かねてより政権与党に甘い設問で埋め尽くされ、政治以外の質問も回答には限られた選択肢しか用意さない。社会調査法の基礎を学んだ人に見せれば、まったく客観性を欠く恣意的な調査である。しかし、その恣意的な調査であっても「五輪反対」の割合が増すことはあれ、減ることはない。

それが、コロナ禍という不幸な理由であったにせよ、五輪の本質が暴かれ、広く認知された事実は注目に値するだろう。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]五輪・原発・コロナ社会の背理

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◆多数派になった「東京五輪反対」世論と権力の背離

2013年9月7日のブエノスアイレスで、長州の大法螺吹き安倍晋三が嘘八百の召致演説を行い、不幸にも決定してしまった「東京五輪」──。「福島復興五輪」だの、「レガシー作り」だの、空疎で犯罪的ですらある虚飾で固めた「東京五輪」開催に、わたしは招致決定直後から、その欺瞞と犯罪性について、極めて強い言葉で批判と開催反対の意を明らかにしてきた。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣プレゼンテーション IOC総会(2013年9月8日)


◎[参考動画]原発処理水の海洋放出を決定(2021年4月14日)

本通信だけではなく、鹿砦社の発刊する日本唯一の反原発季刊誌『NO NUKES voice』などでも、機会があれば「東京五輪反対」を書き続けてきた。統計を取ったわけでもなく、調査を行ってもいないけれども、原発に反対するひとびとの多くは、わたし同様に「東京五輪反対」に同意してくだっさる傾向にあったが、それ以外の皆さんは積極的であったかどうかはともかく、さして強い反対の意向を「東京五輪」」には持っておられなったように感じる。

本コラムでわたしの偏った原稿を読んでくださる読者の皆さんのなかにも、強硬な「東京五輪反対派」はそれほど多くの割合を占めはしなかったのではないかと思う。しかしこの1年で世論は激変した。大手新聞、テレビが煮え切らない態度でコロナの蔓延や、幾度もやってくる感染の波を伝えならが、「東京五輪まであと100日」と報道する姿勢たいして、新聞はただでも減っている部数をさらに減らし、テレビを視聴する人の平均年齢は、ますます上がる。

そして価値基準において絶対に両立しえない「コロナ対策」と「五輪開催」を同じ番組の中で扱うことに慣れた番組構成は、高齢者にすら飽きられてしまう。


◎[参考動画]IOC委員長は開催断言も世論調査7割以上が否定的(2021年4月14日)

◆ワクチン未接種者が多数の国で強行される「東京五輪」

どういう理由かワクチン接種率はイスラエルとモーリシャスが他国を引き離して高い。ワクチン接種が開始されてからこの傾向は一度も変化を見せておらず、日本の接種率は100位前後を行ったり来たりしている。

ワクチン接種については様々な観点から有効性に疑問があるので、わたしは読者の皆さんに積極医的な接種をすすめるものではない。でも、日本政府は数か月前に何と言っていただろう。「7月までには全国民の接種を終える」、「五輪までにワクチンは間に合う」こう語っていたのはよその国の閣僚ではない。それがどうだ。現在でも毎日新しくワクチン接種を受けている人の数は多くても1日あたり2万人を上回わらない。

このままのペースであれば、7月までに接種を希望する全国民にワクチンを行き渡らせることは、完全に無理だ。つまり「東京五輪」を強行するならばワクチン未接種者が多数の国で五輪を開くことになる。

こういうバカげた状態をさすがに、多数の国民は望みはしない。「宴会自粛」や「リモート講義」で家や下宿に閉じ込められた若者たちは、いまひそかに怒りはじめている。

「僕は通信教育を受けるために、大学受験の勉強をしたわけじゃないです」

都内の有名私立大学に昨春入学した若い知人は、昨年1コマしか対面講義はなかったそうだ。その1コマだけの対面講義も、感染者が出てリモートに切り替わった。なんのために下宿をしているのか。疫病が原因とはいえ、若い友人が怒りを感じるのは、無理なかろう。そんな東京で「五輪」を開こうとしている愚か者たちに、若い知人の怒りは向けられているのだ。

日々の感染者が1000人を超えて「医療崩壊」を医師会が宣言した大阪では4月13、14の両日、万博公園で観客を入れずに「聖火リレー」がおこなわれた。この際大阪府のスポーツ振興課員(常時13~14名在籍)は全員万博公園に出向いていたそうだ。維新・吉村府政は、しきりにコロナ対策に力を入れているようにふるまうが、「聖火リレー」における対応を見れば、その本質は推して知るべしである。

美しいほどに馬鹿げて、それでいて人の命を奪う背理が目の前で繰り広げられている。(つづく)


◎[参考動画]ワクチン接種後に60代女性が死亡 因果関係は?(2021年4月14日)

◎[カテゴリー・リンク]五輪・原発・コロナ社会の背理

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