全国でも有名な未解決事件の1つとなっていた廿日市女子高生殺害事件は、2018年4月、犯人の鹿嶋学(当時35)が別件の傷害事件を起こしたのをきっかけに検挙され、発生から13年半の時を経て、ついに解決した。

そして今年3月3日、広島地裁で開かれた鹿嶋の裁判員裁判の初公判。その法廷では、鹿嶋の逮捕後に作成された被害者・北口聡美さん(享年17)の友人女性2人の供述調書が検察官によって朗読された。

◆「私の話をいつも笑って聞いてくれた」

「私は事件当時、北口聡美さんとは高校のクラスメイトでしたが、一緒に学んだ期間はたったの半年間しかありませんでした」

1人目の友人Aさんの供述はそんな言葉から始まった。

 * * * * * * * * * *

普通の女子高生だった聡美が突然殺されてしまい、殺された理由も犯人もわからず、胸にしこりを抱えたまま、13年半もの長い月日が流れてしまいましたが、ようやく犯人が捕まりました。ニュースで見た犯人はまったく知らない男で、犯人を見ると悔しく、やりきれない思いになります。

私は、聡美とは高校2年生で初めて同じクラスになりました。けれど、聡美のことはクラスメイトになる前から知っていました。私は中学生だった時、廿日市市内の塾に通っていたのですが、a中学の生徒だった聡美もその塾に通っていて、a中から通っていた生徒が少なかったので、憶えていたのです。

中学の時には、私たちは話をしたことはなかったですが、高校2年生で同じクラスになった時、縁を感じて私たちはすぐに仲良くなりました。聡美は、見た目は高校生にしては大人びた感じで、同級生の中でもおしゃれに気を使っているほうで、女性らしかったです。

けれど、聡美は大人びた外見とは裏腹に、おっとりした性格で、天然なところもあり、まじめだけど、意外と抜けていて、そんなところがとてもかわいらしかったです。

聡美は頭がよく、数学が得意で、塾に通うなど、勉強をすごく頑張っていて、私は聡美のことを尊敬していました。聡美はすごく明るい性格で、話も聞き上手で、私が話をすると、いつも笑って聞いてくれていました。

私が2年生になってからクリーニング工場でアルバイトをしていた時に、きっかけは忘れてしまいましたが、聡美を誘って一緒にアルバイトをするようになり、聡美とは週に1、2回、学校帰りに一緒にアルバイト先のクリーニング工場に行っていました。一緒にいて、楽しかったです。

聡美には、クラスメイトに親友のBさんがいました。2人はお互いのことは何でも知っていて、学校では常に一緒にいて、「2人だけの世界」って感じだったので、聡美の交友関係は「広く浅く」というよりは「狭く深く」といった関係が多かったのかな、と思います。

◆「誰かに恨まれるようなことをする子では、絶対になかった」

当時、ニュースで、聡美の事件は怨恨が理由じゃないかと流れた時、「聡美に限ってそんなことはありえない」と思っていました。誰かに恨まれるようなことをする子では、絶対になかったからです。聡美について、あること無いこと噂されていて、中には、尊厳を傷つけるような酷い噂もあって、聡美のことを知っている私たちからすれば、すぐに否定できるようなことでも、聡美のことを知らない人は噂を鵜呑みにしてしまうんだという怖さを感じました。

このことで、聡美のご家族はたくさん傷ついていたと思います。今回、犯人が捕まって、聡美に何の落ち度もなかったことが明らかになったと思うので、その点では良かったと思います。

私たちのクラスは、聡美の存在が根底にあって、ものすごく絆が深いです。聡美と同じ2年4組のクラスメイトは、聡美の命日が近づくと、集まれる人が集まって聡美の墓参りに行っています。

今回、ようやく犯人が捕まったので、クラスメイトが集まって、墓参りに行く予定です。毎年、「早く犯人が捕まればいいね」とやるせない思いで聡美に会いに行っていましたが、今年はようやく聡美にいつもと違う報告ができます。

犯人が捕まったことは良かったです。けれど、ニュースでは、通りすがりでたまたま聡美が被害に遭ったと流れていました。意味がわからない。なぜ、聡美が殺されなければならなかったのでしょう。聡美は優しい子で、頭が良かったし、将来があったのに。本当に許せない。犯人に対しては、聡美の生命を奪ったのだから、同じように生命を奪って償って欲しい。死刑を望みます。

 * * * * * * * * * *

以上、Aさんの供述だ。

◆「いまだに聡美がいない今が現実なのか、よくわからない」

供述調書を朗読されたもう1人の友人は、Aさんの供述の中にも出てきたBさんだ。

「北口聡美さんとは高校の同級生で、1年、2年と同じクラスでした。聡美は、私の一番の親友でした」

Bさんの供述は、そんな言葉から始まった。

 * * * * * * * * * *

あの日、聡美が殺されてから14年。正直、もう犯人が捕まることはないと思っていました。けれど、ようやく捕まり、聡美が導いてくれたんじゃないかと感じていました。

これから、犯人が捕まるまで私がどんな気持ちで生きてきたかをお話します。

聡美のことは、あれから14年経っても、いまだに気持ちの整理がついていません。いまだに聡美がいない今が現実なのか、よくわからなくなります。聡美の夢をよく見ますし、目を覚まし、聡美がもうこの世にいないことを突きつけられると、悲しくなるのです。

聡美は、普通の女子高生でした。いい子だけど、ものすごくいい子ってわけでもなくて、たまに悪口を言い合っていました。好きな人の話では、延々と盛り上がって話し続けました。

聡美は、まじめだったので、塾に通ったりもしていて、私も聡美と一緒に勉強したりと、お互いに高め合える、すごくいい関係でした。

何か特別なことがあるわけじゃないけど、うれしいこと、腹が立つことをいつも共有してくれて、常に味方でいてくれました。だから、聡美といることは心地よくて、私は1年生の時から聡美とずっと一緒にいました。2年のクラス替えで、聡美とまた一緒のクラスになれた時には、うれしくて思わず、叫んでしまいました。

2年生になっても、私たちはずっと一緒にいて、周りから見ると、「2人の世界」って感じだったと思います。家に帰ってからもメールばかりしていました。大切な親友だったのです。

事件が起きた日のことは、何度もフラッシュバックしてしまいます。「なんで、事件のあの日に、一緒にいなかったのかな」って後悔ばかりしています。試験が終わった後、帰ろうとする聡美をとめていれば。ニュースで犯人がたまたま聡美を見かけたと知ってからは、特にそう思います。夜に考えていたら、寝られなくなります。

聡美が殺されたことは、高校の教務室で流れていたラジオで知りました。居残り勉強をしていたら、体育館に移動するように校内放送が流れて、体育館に移動する途中に先生に呼ばれ、「何だろう?」と思って教務室に入ると、「北口聡美さんが刺されて、まもなく死亡しました」ってラジオが流れたのです。

意味がわからなくて、「さっきまで聡美は一緒にいたのに」って、頭がパニックになりました。信じられずにいた時、警察官から「聡美さん、どんな子だった?」と過去形で聞かれたことが、すごく印象に残っています。

◆「テレビ局に話したことが編集で意図とは違う報道をされ、傷ついた」

それからまだ気持ちの整理がつかず、聡美はもう帰ってこない。二度と会えない。犯人はまだ捕まらず、聡美がなぜ殺されたのかわからないままで…。ニュースでは、怨恨ではないかと流れました。けど、17歳で何を恨まれることがあったのか? 私の知らないところで恨まれたのかな? 私は聡美のこと、全然知らないんだ。でも、聡美に限って恨まれるわけがない。私は聡美にとって、いい友達だったのかな? ずっと、そんなことを考えていました。

事件解決の力になればと、テレビ局の取材に応じて話したことが編集されて、聡美には「裏の顔」があったなどと意図とは違う報道をされ、傷ついたこともありました。聡美は、かわいくて頭もいいから妬まれたのか。酷い噂話も広まっていました。今回、犯人がようやく逮捕されて、聡美には何の落ち度もなかったことがわかって、その点では安心しています。

事件が未解決の頃、聡美さんの友人Bさんは解決の力になればとテレビの取材に応じたが…(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロフ)

Bさんは、自分の話を意図とは違う内容で報道され、傷ついたという(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

今回、犯人が捕まったことは良かったけれど、聡美が生き返るわけではありません。私は結婚し、1歳の子供がいます。最近、聡美が生きていたらどうなっていたかな? と考えます。聡美も結婚して子供がいたかな? 聡美はしっかりしているから子供をしっかりしつけていそうだな。子育てで色んな相談ができたかな? 私の子供をすごくかわいがってくれただろうな。もし生きていたら、聡美に会わせたかった。聡美がいないことが無性に悲しいのです。

また、昔はわからなかったけれど、子供が生まれて、親が子供を思う気持ちがわかるようになりました。1年、子育てをするだけでも、すごく沢山の思い出ができます。聡美のご両親なら、17年間もの思い出がある。大切な子供の生命を奪われた親の気持ちを想像すると、とても辛いです。

犯人は、一度も見たことがない男でした。14年間、自首もせずにのうのうと生きてきたかと思うと、腹が立ちます。叶うなら、死刑にして欲しい。けれど、そうもいかないのだろうと思っています。今の世の中は加害者ばかりが守られる世の中です。被害者のプライバシーは全然守られません。犯人はどう思って、生きてきたのでしょうか。自首もしていないのですから、反省もしていないのでしょう。

聡美の生命が奪われたのに、犯人が生きてきたことに腹が立ちます。聡美の最期は、犯人だけが見ていて、それを犯人が憶えていることにも腹が立ちます。聡美の最期を憶えたまま、14年間生きてきたのでしょう。

どうか聡美の最期を抱えたまま、死刑になって死んで欲しいと思っています。

 * * * * * * * * * *

以上、Bさんの供述だ。

Aさん、Bさん共に事件から13年半の月日が流れ、30代になっても、高校時代の聡美さんとの思い出や事件のショックを克明に記憶しており、犯人が捕まらなかった間のやり場のない憤りや、検挙された犯人・鹿嶋学への憎悪を語った部分も当事者の言葉ならではのインパクトがあった。

この2人の供述調書が朗読される間、被告人席の鹿嶋はずっとうつむいたまま表情を変えず、検察官席にいた聡美さんの父・忠さんは時折、感極まりそうになっていた。(次回につづく)

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

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2004年10月5日、広島県廿日市市の高校2年生・北口聡美さんが自宅で何者かに刺殺され、祖母のミチヨさんも刃物で刺されて重傷を負った事件は、長く未解決だった。犯人の鹿嶋学は、2018年4月にようやく検挙されたが、それまで13年半の間、どのように生きていたのか。

3月4日、広島地裁で行われた裁判員裁判第2回公判の被告人質問では、そのことも鹿嶋本人の口から詳細に明かされた。

◆事件後もレイプを扱ったAVを観ていたが、抵抗感はなかった

この事件の真相は、会社を辞めて自暴自棄になった鹿嶋が原付で東京に向かう途中、たまたま路上で見かけた北口聡美さんをレイプしようと考えて聡美さん宅に侵入し、抵抗されたために持参したナイフで刺殺した──というものだった。その後、鹿嶋は山口県宇部市の実家で暮らし、地元の土木関係の会社で逮捕されるまで13年余り働いていた。

会社の社長によると、鹿嶋はこの間、真面目な働きぶりで、信頼できる部下だったという。ただ、鹿嶋には、社長が知らない「ある趣味」があった。弁護人から「事件後もアダルトビデオは観ていましたか?」と質問され、鹿嶋はこう答えた。

「観ていました。その中には、レイプを扱った作品もありましたが、そういう作品を観ることに抵抗感はなかったです。また、そういう作品を観て、事件のことを思い出すこともありませんでした」

ここで弁護人がアダルトビデオの話を持ち出したのは、鹿嶋が犯行に及んだ要因の1つに、アダルトビデオをよく観ていたことがあったと考えられるフシがあるからだ。

というのも、鹿嶋は事件前、「会社の寮でほぼ毎日、エッチなビデオを観ていた」というほどアダルトビデオが好きだった。そして取り調べでは、「会社を辞めて自暴自棄になり、やりたいことをやろうと思い、性行為の経験がなかったので、性行為をしようと思った」と供述していた。さらにこの公判でも検察官の質問に対し、「女子高生が好みだった」「レイプに興味があった」「性行為をしたいと思った時、自分はナンパなどをする性格ではなかったので、レイプ以外の方法は思いつかなかった」などと明かしているのだ。

ただ、鹿嶋によると、事件後に再び「レイプをしたい」と思うことはなかったという。その理由については、こう説明している。

「事件の時は、自暴自棄になって罪を犯すことに抵抗感がなくなっていました。しかし、事件後は、会社に迷惑をかけたらいけないので、罪を犯そうとは思いませんでした」

鹿嶋はそう答えた後、弁護人から「罪を犯さなかったのは、会社に迷惑をかけたくなかったからだけですか」と重ねて質問され、思い出したようにこう答えた。

「いえ、もちろん、人に迷惑をかけたらいけないからというのもありました」

レイプをしたらいけないと考える理由として、普通であれば、まず「被害者となる女性」を傷つけたらいけないからだと答えるだろう。鹿嶋は正直に話しているのかもしれないが、感覚的にズレたところがあるように思えた。

◆「性行為をしてみたい」と思いつつ、風俗店にも行けず……

鹿嶋は事件後も「性行為をしてみたい」という思いは持ちつつ、性行為の経験はないままだったという。風俗店を利用したことすらなかったそうだが、その理由についてはこう説明している。

「自分は性格的にそういうところに踏み出せませんでした」

鹿嶋によると、アダルトビデオを観ること以外の当時の楽しみはオンラインゲームをすることくらい。事件のことは思い出さないようにしていたという。

「事件のことを思い出すと、自分に刺された時の聡美さんの『え、なんで?』という表情や、自分が『クソ』『クソ』と言いながら何回も聡美さんを刺したことを思い出してしまうからです。事件のことをパソコンで調べ、聡美さんが亡くなったことを知りましたが、自分から事件のことを調べたのはそれくらいです。コンビニで未解決事件の本を見かけ、『広島の女子高生』という言葉を見たことはありますが、内容はほとんど見ませんでした」

このように事件のことを考えないようにしていた鹿嶋だが、1つ不思議なことがある。聡美さんを刺したナイフを処分せず、逮捕されるまで自宅の机の引き出しでずっと保管していたことだ。その理由については、こう説明している。

「自分にとって逃げ出したい、忘れたい事件でしたが、ナイフはずっと捨てることができませんでした」

このナイフは鹿嶋が逮捕されたのち、家宅捜索により発見されている。犯人が凶器のナイフを証拠隠滅せず、13年半も自宅で保管しているなどとは、警察も思ってもみなかったことだろう。

事件が未解決の頃、捜査本部が置かれていた廿日市署

◆殺人の容疑で逮捕された時は「ほっとした」

鹿嶋がこの事件の犯人だと判明したきっかけは、2018年4月上旬、部下の従業員の「横着な態度」にカッとなり、尻などを蹴る傷害事件を起こしたことだった。山口県警がこの件で余罪捜査をしたところ、鹿嶋の指紋やDNA型が現場の北口聡美さん宅などで見つかったものと一致したのだ。そして同月13日、広島県警が殺人の容疑で鹿嶋を逮捕した。

鹿嶋は、広島県警が自分を逮捕するために自宅にやってきた時のことをこう振り返った。

「その時、自分は寝ていたので、突然のことに驚きました。ただ、ほっとした気分になりました。ずっと事件のことを引きずって生活し、前向きに生きられていなかったからです」

警察の捜査が自分に及んでこないため、自首せずに過ごしていた鹿嶋だが、元々、「殺人を起こしたのだから捕まって当然だ」と思っており、逮捕されることへの恐怖は感じていなかったという。

弁護人から聡美さんの遺族に対する思いを聞かれると、鹿嶋は「自分の身勝手な行いで、大切な家族の生命を奪ってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです」と言い、金銭的賠償が一切できていないことについては、「自分ができる限りのことをして払いたいと思います」と言った。

そして弁護人が最後に、「この場で言っておきたいことは?」と質問すると、鹿嶋は大きな声で叫ぶようにこう言った。

「私は、取り返しのつかないことをしてしまい……自分でも、自分は死刑がふさわしいと思っております。大変、申し訳ございませんでした!」

鹿嶋はそう言い終わると、しばらくハーハーと荒い息遣いで、感情がかなり高ぶっているようだった。(次回につづく)

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【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

山口県萩市にあるアルミ素材メーカーの工場で働いていた鹿嶋学は2004年10月5日、自暴自棄になり、会社を辞めて東京に向かう途中、広島県廿日市市の路上で見かけた高校2年生・北口聡美さんをレイプしようと考えた。そして聡美さん宅に侵入したが、聡美さんが逃げようとしたために持参したナイフで刺殺。さらに聡美さんの祖母ミチヨさんの背中などを刺して重傷を負わせ、聡美さんの妹で小学6年生のA子さんを追いかけ回し、一生消えないようなトラウマを与えた。

3月4日、広島地裁で開かれた裁判員裁判の第2回公判。鹿嶋はこのような犯行の経緯を打ち明けたのち、犯行後の行動も詳細に語った──。

◆ホームセンターで両手や顔についた血を洗い、服も着替えた

「小さい女の子(A子さんのこと)を追いかけ、追いつけずに追うのをやめた後は原付で再び東京方面に向かいました」

弁護人から犯行後の行動を質問されると、鹿嶋はそう答えた。そして原付を東へ走らせる途中、まずホームセンターに立ち寄ったという。

「ホームセンターに立ち寄ったのは、両手と顔についていた血を洗うためでした。服にも血がついていたので、この時に服も着替えました。血がついていた服はその後、橋の上から川に捨てました」

こうして証拠隠滅を済ませると、鹿嶋は引き続き、野宿を繰り返しながら原付で東京へと向かった。弁護人からその時の気持ちを聞かれ、こう答えている。

「3日間くらいはすごく後悔し、嫌な気持ちになっていました。何も食べずにずっと原付を東へ走らせました」

被告人質問では触れられなかったが、10月だから、野宿は寒かったはずである。それでも鹿嶋は2週間くらいかけ、東京にたどり着いている。東京到着までにそれほどの時間を要したのは、単純に「急ぐ理由がなかったから」だったという。

そして東京到着後、鹿嶋は重大なことに気づく。それは、「東京で何もすることがない」ということだ。

弁護人から「あなたは何のために東京に行ったのですか」と質問され、鹿嶋は「最初は…」と言い、しばらく沈黙した後、こう答えた。

「なんとなく、漠然と東京に行くことだけを考えていたのだと思います」

鹿嶋が東京に行こうと思ったのは、下関市で暮らしていた子供の頃、温泉に入るために自転車で東京から下関に訪ねてきた人物がいたのを思い出したためだった。元々、東京に何か目的があったわけではない。とはいえ、東京到着までに2週間もあったにも関わらず、この間に東京到着後のことを何も考えていないというのは、やはり思考回路に人と違うところがあるのだろう。

未解決事件としてテレビでも取り上げられていた(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

◆東京で所持金が無くなって「飢え死に」が怖くなり……

「東京では、お金が無くなるまで適当に原付を走らせるなどして過ごしていました」

弁護人から東京到着後の行動を質問されると、鹿嶋はそう答えた。そして所持金が無くなると、不安な思いにとらわれたという。

「お金が無くなり、何も食べられず、5日間くらい過ごして、飢え死にするのではないかと怖くなりました」

そして鹿嶋が選択したのは、実家がある山口県の宇部市に帰ることだった。そのために鹿嶋は、上京前に「餞別」として5万円をあげていた友人に電話し、銀行口座に金を振り込んでもらった。その金によりバスで宇部に帰ったという。ちなみに上京する前、地元にはもう戻らないつもりで携帯電話は川に捨てていたので、友人に電話をかける際はパン屋で電話を借りたという。

当時の新聞では、広島県警は事件発生当初、現場周辺を中心に犯人の足取りを追っていたと報じられている。その間に犯人が野宿を重ねながら原付で上京し、山口の実家にバスで戻っていたなどとは、県警の捜査員たちは当時、想像すらできなかったはずだ。犯人の鹿嶋の行動があまりにも特異で、合理性を欠いていたことは、この事件が13年半も未解決だった要因の1つだろう。

事件が未解決の頃の報道には、今思うと的外れなものも……(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

◆事件後に就職した会社の社長との思い出を話し、感極まる

宇部に帰った後、鹿嶋は実家で生活し、2004年12月に土木関係の会社に就職した。そして逮捕される2018年4月まで13年余り、この会社に勤め続けている。弁護人から、「なぜ、長く働き続けられたのですか?」と質問され、鹿嶋はこう答えている。

「今の社長は自分と4歳くらいしか離れていない人ですが、自分が車の免許をまだ持っていない頃には、毎日のように帰りにビールを1杯おごってくれました。自分は、ロクに話もせんのに……」

ここまで話すと、鹿嶋は感極まって沈黙したが、嗚咽しながらこう続けた。

「今の社長の親父さんも、自分が免許を取ったら車をタダでくれたりして…その頃、自分はまだ入社して1年くらいしか経っていなかったのに…そういう人たちに出会えたからだと思います」

毎日、仕事の後にビールを1杯おごってくれるくらいの社長はいくらでもいそうだし、車をタダでもらったという話も「処分することが決まっていた古い車」を与えられただけである可能性を感じた。しかし、前回までに触れてきた通り、鹿嶋は少年時代から血のつながらない父親との関係が複雑だったうえ、高校卒業後に就職し、事件直前まで勤めていた会社も「ブラック企業」と呼ばれて仕方のないような会社だった。それゆえに、社長たちの優しさが深く身に染みたのだろう。

こうして鹿嶋は地元宇部で普通の市民として生活し、警察の捜査が及んでくる気配はまったく無いまま、事件から13年半の月日が流れた。この間、「廿日市女子高生殺害事件」は日本全国でも有名な未解決事件の1つとなり、しばしばメディアで取り上げられたが、鹿嶋は事件のことを思い出さないようにしていたという。(次回につづく)

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2004年10月5日、自暴自棄になって会社を辞めた鹿嶋学は原付で東京に向かう途中、歩く女子高生たちを見たのをきっかけに「レイプをしたい」と考えるようになった。そして広島県廿日市市の路上で見かけた高校2年生の北口聡美さんの自宅に侵入したが、抵抗されたために持参したナイフで刺殺してしまう。この際、聡美さんの当時72歳の祖母ミチヨさんと当時小学6年生の妹A子さんも現場に居合わせ、それぞれ深刻な被害を受けている。

今年の3月3日、広島地裁で開かれた鹿嶋学の初公判。この2人の供述調書が検察官により朗読され、事件の凄惨な様子がつまびらかになった。

◆キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきて……

「13年半前の出来事なので、記憶があいまいになっているところもありますが、現時点で思い出せることを話します」

聡美さんの妹A子さんの調書はそんな一文から始まった。事件のことを「13年半前の出来事」と言っているのは、この調書が2018年4月、鹿嶋が逮捕されてから作成されたものだからだ。

「私はその日、少し体調が悪かったので、学校を休んでおり、祖母のミチヨと母屋にいました。布団を敷いて、横になっていたところ、外から、自転車のスタンドが立てられ、ガチャガチャさせる音が聞こえてきたので、お姉ちゃんが学校から帰ってきたことがわかりました。お姉ちゃんは自転車を止めると、母屋の中に入ってきました」

それは午後2時前のことで、その後しばらく聡美さんは母屋にいたという。

「お姉ちゃんは高校の制服から、上が黒、下がオレンジっぽい色の部屋着に着替え、台所のテーブルに座り、何かをしていました。おそらくお昼ご飯を食べていたのだと思います。その後、お姉ちゃんは『4時に起こしてね』と言って、母屋の勝手口から出ていきました。離れに行ったのだと思います」

聡美さんが離れに行ったのは、自分の部屋が母屋ではなく、離れにあるためだ。そして午後3時頃、異変が起きる――。

「私が母屋で横になってテレビを観ていたところ、離れのほうから、キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきたのです。そしてすぐあと、ゴトゴトゴトッという大きな音が聞こえてきました。後から考えると、あれは何かが階段を転がり落ちる音だったと思います。おかしいと思い、勝手口のドアを少し開け、離れの出入り口のほうを見ました。すると、ギャーギャーと泣くような大きな声や、ドンドンと出入り口の扉を内側から叩くような音が聞こえました」

すでにおわかりだろうが、この時、離れの出入り口の内側で、聡美さんが鹿嶋にナイフで刺され、殺害されていたのだ。

「あまりに異様な光景で、怖くて仕方ありませんでした。そのまま離れの出入り口のほうを見ていると、ほどなくして悲鳴や音がやみ、シーンとしました。その時、お祖母ちゃんがトイレから出てきたので、離れから叫び声が聞こえてきたことを告げ、一緒に離れのほうに向かったのです」

そしてA子さんは祖母ミチヨさんと一緒に離れに向かい、犯行直後の鹿嶋と遭遇してしまうのだ。

◆知らない男が仁王立ちのような体勢で立っていた

事件が未解決だった頃の警察の情報募集のポスター。犯人の似顔絵は、A子さんの目撃証言をもとに描かれた

「離れに向かったあとのことについては、今となっては記憶が曖昧で、はっきりとお話できません。記憶に残っているのは、離れの扉の前で、私か、お祖母ちゃんのどちらかが、扉を開けようとドアノブをつかみ、ガチャガチャと回したのですが、鍵がかかっていて開かなかったことと、お祖母ちゃんが『さっちゃん。さっちゃん』と呼びかけたのに、何の返事もなかったことです」

A子さんの記憶が曖昧なのは、離れに向かったあとに体験したことがあまりにショッキングで、パニック状態になったためではないかと思われる。A子さんの供述はこう続く。

「記憶では、最終的には私が扉を開けました。すると、ドアを開けたと同時に、白目をむいたお姉ちゃんがその場に崩れ落ちるようにして倒れてきたのです。そして、私はお姉ちゃんが崩れ落ちるのを見たのとほぼ同時のタイミングで、そこに立っていた知らない男と思いっきり目が合ったのです。その男は、仁王立ちのような体勢でした」

つまり、A子さんがドアを開けた途端、「ナイフで刺され、殺害された実の姉」と「実の姉を殺害した犯人の男」が目の前に同時に現れたわけである。想像を絶する衝撃だったろう。

「お姉ちゃんが倒れたのとほぼ同時に、お祖母ちゃんがキャーという高い悲鳴をあげましたが、私はその間、ずっとお祖母ちゃんと目が合い続けていました。そして、お祖母ちゃんの長い悲鳴がやんだのを合図のようにして、その場から走って逃げ出したのです。ただ、私は気が動転してパニックになっていたのか、離れの周りを一周するようにして逃げました。その途中、後ろを振り向いてみたわけではないですが、その見知らぬ男が追いかけてきたと思った覚えがあります」

鹿嶋が被告人質問で明かしたところでは、鹿嶋はこの時、実際にA子さんを追いかけていたという。A子さんは近くの花屋に逃げ込み、助けを求めて難を逃れたが、鹿嶋は「追いつけていたら、ナイフで刺していたと思います」と言っている。A子さんはまさしく「九死に一生を得た」という状況だったのだ。

◆自分がなぜ入院しているのかもわからなかった

この時、A子さんと一緒に現場に居合わせた祖母ミチヨさんの記憶は、もっと曖昧だ。事件のショックにより「解離性健忘」に陥ってしまったためだ。

解離性健忘とは、受入れがたい困難な体験をした時などにその情報が思い出せなくなるというものだ。ミチヨさんは、A子さんと一緒に離れに向かい、ドアが開いた時に「知らない男の人」が立っている姿を見たところまでは憶えているが、それより先のことがどうしても思い出せないという。

ミチヨさんは、鹿嶋が逮捕された2018年4月、検察官に対し、次のように供述している。

「意識を取り戻した時、私は病院に入院していましたが、なぜ入院しているのか、まったくわかりませんでした。とにかく背中が痛くて、仕方ありませんでした。家族も何も説明してくれないので、高いところから落ちたのだろうか…と一人で考えていました。数日後、病院の先生から『背中を刺されているから、気をつけて動いてください』と言われ、初めて誰かに刺されたことを知り、大変なことが起きたとわかったのです」

そしてその頃、ミチヨさんは聡美さんの父・忠さんから、「さっちゃんが死んだ」と聞かされ、初めて聡美さんが亡くなったことを知った。しかし、頭が混乱し、まったく信じられず、現実のこととして受け入れられなかったという。

一方、事件のことを記憶しているA子さんは、「事件のことや犯人の顔を憶えているのは自分一人だけ」という状況にずっと苦しみ続けたという。

「2度と思い出したくない、すぐにも忘れたい辛い出来事でしたが、犯人を見たのは私だけです。『犯人が捕まるまで忘れてはいけない』というプレッシャーと、『時間の経過と共に見たことを忘れてしまうかもしれない。そうなったら、犯人が捕まらないかもしれない』という恐怖心がないまぜになり、この13年半の間、心が折れそうなのをなんとか耐えてきました。それが正直な気持ちです」

このように鹿嶋は聡美さんの生命を奪ったうえ、祖母のミチヨさんと妹のA子さんにも深刻な被害を与え、現場から逃走した。被告人質問では、逃走後のことも詳細に語っている――。(次回につづく)

ミチヨさんが救急搬送された広島市民病院。当初は生命が危ぶまれる状態だったという

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2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

事件前日の2004年10月4日、当時21歳だった鹿嶋学は宇部市にある会社の寮を飛び出し、そのまま会社を辞めてしまった。入社してから3年半で初めて「遅刻」をし、自暴自棄になったためだ。精神鑑定を行った医師によると、鹿嶋は「広汎性発達障害の偏り」があり、そのせいで些細な失敗に絶望感を抱いたのだという。

鹿嶋はその日、故郷宇部市の友人に会って別れを告げると、翌5日は朝から東京を目指し、原付を走らせた。東京に何かアテがあるわけではなかったが、とにかく原付で東京に行こうと考えたのだ。そして山口から広島へと入ったあたりで、鹿嶋は制服姿の女子高生たちを見かけ、「レイプしよう」と思い立つ──。

3月4日、広島地裁で行われた被告人質問。鹿嶋は犯行に至る経緯をそのように語った。弁護人から「なぜ、レイプしようと考えたのですか?」と質問されると、こう答えた。

「セックスしてみたいという気持ちがありました。普段はそういう気持ちがあっても、『レイプしよう』というふうにはならないのですが、その時は『捕まってもいい』という気持ちだったので、そういうふうになりました。『人生、どうでもいい』という考えになっていたので、犯罪への抵抗感がなかったのです」

たかだか一度「遅刻」をしたくらいのことで、鹿嶋はここまで思い詰めていたわけだ。ちなみに鹿嶋は当時、会社の寮でほぼ毎日、エッチなビデオを観ていたが、セックスの経験がなかったという。

そして「レイプできる相手」を探し、原付で走り回った鹿嶋は、信号待ちをしていた1人の制服姿の女子高生を目にとめる。ほどなく信号が青になると、女子高生は横断歩道を渡り、自宅と思われる家の敷地内に入っていった。それがこの事件の被害者、北口聡美さんだった。

「その時、聡美さんが入っていた敷地内には1台も車がありませんでした。そこで、保護者、親がいないのではないかと思い、この子をレイプしようと考えました」

こうして聡美さんは、鹿嶋のターゲットになってしまったのだ。

◆聡美さんが離れにいたことに気づいた理由は……

以下、鹿嶋が被告人質問で語った犯行の核心については、弁護人との一問一答の形で紹介する。

── 聡美さんが敷地内に入っていくのを見て、すぐに追いかけたのですか?
鹿嶋「いえ、近くのコンビニに行き、マスクと手袋を購入しました」

── なぜ、マスクと手袋を購入したのですか?
鹿嶋「マスクは変装のために、手袋は指紋がつかないようにするために購入しました」

── マスクと手袋を購入したあと、どうしたのですか?
鹿嶋「聡美さん宅の近くに原付を止め、中の様子を伺いました。そして、敷地の中に入っていきました」

── その時、凶器になった折り畳み式のナイフはどうしていましたか?
鹿嶋「ズボンのポケットに入れていました」

── そのナイフで聡美さんを切りつけるつもりはありましたか?
鹿嶋「なかったです。ナイフで脅そうと思っていました」

── コンビニで購入したマスクと手袋はどうしましたか?
鹿嶋「手袋は、タクシーの運転手がつけるような白いものだったので、つけたら逆に変だと思い、つけませんでした。マスクもつけなかったです」

── 聡美さん宅の敷地に入る時、誰かに見られるとは考えなかったですか?
鹿嶋「考え……考えなかったと思います」

こうして聡美さん宅の敷地に入った鹿嶋だが、その時に聡美さんがいた場所は、母屋ではなく、離れの2階だった。そして鹿嶋は離れの2階に侵入し、聡美さんを襲っている。鹿嶋はなぜ、聡美さんが離れにいたことがわかったのか。それは、この事件の謎の1つだったが、鹿嶋本人の口から答えが明かされた。

── 聡美さんが離れに入るのを見ていたのですか?
鹿嶋「見ていませんでした」

── では、なぜ聡美さんが離れにいると思ったのですか?
鹿嶋「離れの前に履物があったので、そこにいるのではないかと思いました」

これが、離れに聡美さんがいたことに、鹿嶋が気づいた理由だった。真相を聞いてみると、あっけないものである。そして鹿嶋は、離れのドアをあけ、建物に侵入していったという。

◆ナイフで脅かしたら逃げられて……

── 建物に侵入した際、靴はどうしましたか?
鹿嶋「はっきりした記憶はないですが、たしか脱いだと思います」

── 聡美さんのいる2階まで階段はどう昇ったのですか?
鹿嶋「しのび足で昇りました」

── 2階に昇ったら、どうしましたか?
鹿嶋「廊下があり、廊下の右側に部屋があったので、その引き戸をあけました。そして部屋の中をうかがいました」

── 部屋の中に何か見えましたか?
鹿嶋「聡美さんがベッドでうつ伏せの状態で、頭だけを起こした体勢で、こっちを見ていました。自分が部屋の中をのぞく前から、聡美さんが自分に気づいていたのかと思い、びっくりしました」

── あなたと目があってから聡美さんはどうしましたか?
鹿嶋「ベッドに座る体勢になりました」

── あなたはどうしましたか?
鹿嶋「一歩前に出て、ポケットに入れていたナイフを聡美さんに向け、『動くな』と言いました」

── そう言ったら、聡美さんは?
鹿嶋「動きませんでした」

── そのあとは?
鹿嶋「聡美さんに近づき、『他に誰かいるのか』と言いました。聡美さんは首を横に振りました」
 
── そして、どうしたのですか?
鹿嶋「『脱げ』と言いました」

── その時に持っていたナイフは?
鹿嶋「聡美さんに向けたままでした」

── それから、聡美さんはどうしましたか?
鹿嶋「自分の左側を走り抜け、逃げました」

── 聡美さんが逃げようとしたのを、あなたは阻止しなかったのですか?
鹿嶋「咄嗟のことで、阻止できませんでした」

── そのあと、あなたはどうしましたか?
鹿嶋「聡美さんが部屋から走って逃げるところは見ていないのですが、階段のほうからトコトコという音が聞こえてきました。それで、自分は聡美さんを追いかけました」

── なぜ、追いかけたのですか?
鹿嶋「『逃げられる』『通報される』という思いから、追いかけました」

そして鹿嶋は階段を降り切ったところで聡美さんを捕まえ、再び2階に連れ行こうとした。しかし、聡美さんに抵抗されたため、ついに凶行に及んだのだという。

◆恨みを持つ人物による犯行の可能性も指摘されたが……

鹿嶋は、犯行の核心部分とその時の心情をこのように説明している。

「聡美さんに抵抗され、対応をどうしていいかわからなくなったのです。そして、『なんで逃げるんや』という気持ちになり、ナイフで聡美さんのおなかを刺しました。その時、聡美さんは『え、なんで』という表情でした。それから、自分は『クソ』『クソ』と言いながら、何回も聡美さんを刺しました。『なんでこーなったんか』という感情が爆発したのです」

この事件は未解決だった頃、聡美さんが何度も身体に刃物を突き立てられていたため、犯人は聡美さんに恨みを持つ人物である可能性が指摘されていた。しかし実際には、ある日突然、聡美さんの家にレイプ目的で侵入した通りすがりの男が、思い通りにいかないことに逆切れし、感情を爆発させて、何の罪もない聡美さんを何度も刃物で刺したというのが真相だったのだ。(次回につづく)

全公判を傍聴した北口聡美さんの父・忠さんは毎回、娘の遺影を持参していた

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

鹿嶋学が高校を卒業後に就職したアルミの素材メーカーは、大幅な時間外労働を連日強いられる「ブラック企業」だった。鹿嶋はストレスを蓄積させ、寮の部屋が「ゴミ屋敷」のような状態になるほど生活も荒れた。それでも、「会社を辞めてはいけない」という父の言いつけを守り、3年半に渡って辛抱強く働き続けていたのだが──。

事件を起こす前日の2004年10月4日の朝、あることをきっかけに状況は一変する。裁判員裁判の第2回公判で行われた被告人質問では、鹿嶋はその朝のことも詳細に語っている。

◆たった一度の遅刻で「明日、世界が滅びる」と思うほど絶望

「当時住んでいた寮は、勤めていた工場の目の前にあったのですが、その日、朝起きたら、工場のほうから機械が動いている音が聞こえてきました。それで、自分は寝坊し、遅刻をしたことに気づきました。『やばい。怒られる』と思い、怒られるのはいやなので、寝転がったまま、どうしようかと考えました。そして結局、会社に行くのがいやになり、リュックに携帯電話と財布を入れ、寮を飛び出したのです」

鹿嶋は「遅刻をした」と言ったが、起きた時間は「7時から8時の間」だったから、定時の始業時間である午前8時に間に合うように出勤することは可能だった。しかし、鹿嶋は毎日、定時の2時間前である午前6時頃に工場に出勤し、作業の段取りをさせられていたので、「遅刻をした」という認識になったのだ。鹿嶋はそれ以前、遅刻をしたことは一度もなく、これが「初めての遅刻」だったという。

寮を飛び出した鹿嶋は原付で実家のある宇部市に向かった。そしてその道中、自暴自棄な感情にとらわれていく。

「会社を逃げ出すというのは、自分にとって許せないことでした。『もう、どうなってもいい』という気持ちになっていきました」

それにしても、たかだか一度遅刻したくらいのことで、このような極端な行動に出る人間も珍しい。この被告人質問があった日の翌日、精神鑑定を行った医師が証人出廷し、この時の鹿嶋の事情をこう説明している。

「被告人は明らかな発達障害ではないですが、広汎性発達障害的な偏りがありました。普段は社会に適応できているのですが、情緒的な発達が乏しいため、大きなストレスがかかると、極端な行動をとってしまうのです。この時も寝坊をしただけのことで会社を辞めてしまい、さらに会社を辞めてしまったことに『明日、世界が滅びる』というくらいの絶望感を抱いてしまったのです」

◆思い付きで決めた原付での東京行き

鹿嶋は原付で宇部に向かう道中、携帯電話の電源を切ってしまった。会社とは、もう完全に縁を切ったわけである。会社を辞めた後のアテは何もなかったが、原付を走らせているうち、ふとあることを思いつく。

「下関に住んでいた小学生か、中学生の頃、温泉に入るために自転車で東京からやってきた人を家に泊めたことがありました。それを思い出し、自分もすることがないので、原付で東京に行こうと思い立ったのです」

弁護人から「東京に行って、何かやりたいことがあったのですか?」と質問され、鹿嶋は「とくに何もありませんでした」と答えた。話しぶりからすると、とくに東京への憧れがあったわけでもないようで、本当に思いつきだけで東京に行こうとしたようだ。

そして鹿嶋はホームセンターに入ると、方位磁石と折り畳み式のナイフを購入した。

「方位磁石を買ったのは、東京に行くには、東に進めばいいと漠然と思ったからです。ナイフについては、野宿するつもりだったので、『ナイフさえあればどうにかなるだろう』と思って買いました」

鹿嶋によると、この時点ではまだ女性を襲う考えはなかったという。しかし、のちに被害者の北口聡美さんを襲った際、このナイフは聡美さんの生命を奪う凶器となってしまった。

◆「もう地元には戻らない」と決意

原付で宇部に到着した鹿嶋は、両親のいる実家には戻らず、一番仲が良かった友人の家に向かった。そしてこの日は、その友人の家に宿泊している。

「友人の家に行ったのは、別れを告げるためでした。自分は東京に行ったら、もう地元に戻るつもりはなかったからです」

つまり、鹿嶋は東京に行くことを思いつくと、その日のうちに「もう地元には戻らない」と決めていたわけだ。実際、この時に所持していた20万円の現金のうち、その友人に「餞別」として5万円を渡しているから、地元に戻るつもりがなかったのは確かだろう。

ちなみに鹿嶋がこの友人に「餞別」を渡した理由は、「その友人は障害者で、給料が安かったからです」とのことである。

◆「下校中の女子高生」を見て、思いついたことは……

鹿嶋はこの友人の家に一泊すると、翌朝6時半くらいに原付で東京に向かって出発している。そして5、6分走ったところで、信号待ちをしていると、横に停まった車から「学」と名前を呼ばれたのだという。

「車には、父親と母親が乗っていました。しかし、自分はそのまま走り去りました」

そして鹿嶋は両親と別れた後、「もう宇部には帰らない」との思いを強くし、携帯電話を川に捨てたという。こうして自ら退路を断つと、原付でひたすら東に向かったが、山口と広島の県境を越えたあたりで、新たにとんでもないことを思いつく。

「下校中と思われる女子高生を見かけ、それをきっかけに『レイプをしよう』と考えるようになりました」

そして鹿嶋は、レイプできる相手を探し、原付で走り回った──。(次回につづく)

鹿嶋の裁判が行われた広島地裁

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

両親との関係が良くなかった鹿嶋学は、宇部市の私立高校を卒業後、「寮生活ができるから」という理由で選んだアルミの素材メーカーに就職した。そして萩市の工場に配属され、工場の前にある従業員寮で一人暮らしを始めると、親の目が無いのをいいことに好きなゲームに没頭し、エッチなビデオをほぼ毎日観ていたという。

3月4日、広島地裁で行われた被告人質問。鹿嶋はそのよう会社の寮生活について、自分なりに楽しんでいたように語ったが、会社の仕事では大変な思いをしていたことを明かした。

「定時の出勤時間は午前8時でしたが、実際には、午前6時に出社しなければなりませんでした。午前8時に機械を動かせるようにするために暖気運転をするなど、仕事の段取りをしないといけなかったからです。終業時刻も定時は午後5時ですが、実際は午後6時くらいになっていました。遅い時は午後8時や8時半、部署によっては午後10時まで仕事が終わらないこともありました」

このように会社では、日常的に大幅な時間外労働を強いられたうえ、第1、第3、第5土曜日は出勤せねばならず、休日も少なかった。そのため、鹿嶋と同じ寮にいた同期入社の同僚3人は全員、2年もしないうちに会社を辞めていた。そんな中、鹿嶋は我慢して会社で働き続けたが、通常業務以外にも辛いことがあったという。

「作業効率や生産性を上げるための改善案を2カ月に1回、300人くらいの前で発表しなければならなかったのです。案を考えるのがしんどかったですし、作業でクレームを受けていた時には、発表の場でみんなに謝罪しなければなりませんでした。しかも、会社の偉い人が『何か言うことは無いか』と言って、その場にいる者を指名し、謝罪する人に注意をさせるのです。自分は、みんなの前で発表をするのも嫌でしたが、謝罪をする人に注意をしなければならないのがもっと嫌でした」

会社としては、社員の意識を高めるためにやっていたことかもしれない。しかし、このような社員同士で糾弾させるセレモニーのようなものが2カ月に1回もある職場は、確かに社員にとってきついだろう。鹿嶋の場合、「元々、人に怒るのが苦手」だったそうだから、なおさらだ。こうして鹿嶋は就職後、ストレスを蓄積させていった。

鹿嶋が裁判中に勾留されていた広島拘置所

◆作業中にケガをしたら、心配してもらえずに怒られた

たとえ仕事や職場での人間関係が辛くとも、会社から大事にされているという思いを持てれば、まだ精神的に救われる。しかし、鹿嶋の場合、そういう思いも持てなかった。逆に、こんなショックな出来事があったという。

「右手の親指を機械に挟まれてケガをしたことがあるのですが、工場長に『何しよるんか!』と怒られたのです。俺のことを心配してくれんのか…と思いました。病院に行き、何針か縫ったのですが、会社も心配してくれませんでした」

このように会社は鹿嶋に対して冷たかったが、寮は工場の前にあったため、深夜に「作業員が足らんけえ」と呼び出され、仕事をさせられたりもしたという。こうした鹿嶋の話が事実なら、「ブラック企業」と呼ばれても仕方のない会社だったのだろう。

そんな会社で働きながら、鹿嶋は誰にも相談せず、愚痴も言わず、問題を一人で抱え込んでいた。相談する相手がいなかったからだ。先述したように同じ寮にいた同期入社の同僚は全員辞めていたし、宇部の両親は一緒に暮らしていた頃から必要最低限の会話しかしない関係だった。友人がまったくいないわけではなかったが、その友人にも相談しづらかったのだという。

「週末にはいつも原付で3時間かけて宇部に帰っていましたが、実家に寝泊まりすることはなく、ほとんど友だちの家に行っていました。その友だちに会社のことを相談しなかったのは、その友だちが年下だったので、相談するのは恥ずかしいという思いがあったのかもしれません」

◆3年半、1回もゴミを出さずに寮の部屋がゴミ屋敷に…

鹿嶋は就職後、こうしてストレスを蓄積させる中、次第に生活が荒んだ。会社に勤めた期間は3年半に及ぶが、この間、ゴミ出しを1回もせず、「ゴミ屋敷」のような状態にしてしまったという。

弁護人から「他にも寮生活のことで何か覚えている出来事はありますか」と質問され、鹿嶋はこう答えた。

「風呂に入ろうと思って火をつけたのに、つい寝てしまい、ガスが出なくなったことがありました。そのことも恥ずかしくて、しばらく誰にも言えませんでした。会社の人が気づいてくれ、ガスが出るようになるまで1カ月か、2カ月か風呂に入らずに過ごしました」

ガスが出なくなったのは、おそらく安全装置が作動したためで、それを解除すればガスはすぐにまた出る状態になっていたはずだ。鹿嶋は人に相談できず、その程度のことになかなか気づけなかったわけである。いずれにしても、風呂に入れない状態を「1カ月か、2カ月か」という期間も我慢するというのは、ある意味、我慢強い性格でもあるのだろう。

鹿嶋は会社についても、ストレスをため込みながら、辞めることは考えなかったという。その理由をこう明かした。

「会社を辞めなかったのは、父から辞めてはいけないと言われていたからです」

鹿嶋が父と血がつながっておらず、複雑な関係にあったことは前回触れた通りだ。鹿嶋は小さい頃から父のことを「怖い」と思い続けて育ち、中学時代には、本当は剣道をやりたかったのに、父に言われるまま陸上部に入部したりした。そして「ブラック企業」のような会社で、ストレスを溜め込みながら辞めずに働き続けたのも父の存在があったからだったのだ。

しかしある日、鹿嶋は会社を突然辞めてしまう。そしてその翌日、萩市の従業員寮から遠く離れた広島県廿日市市で高校2年生の北口聡美さんを殺害する事件を起こすのだ。そのきっかけは実に些細なことだった――。(次回につづく)

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「思い出せる限り、当時のことを正直に話したいと思っています」

3月4日、広島地裁の第302号法廷。午前10時に始まった鹿嶋学に対する裁判員裁判の第2回公判では、被告人質問が行われた。その冒頭、鹿嶋はそう宣言し、弁護人の質問に答える形で、自分の生い立ちを詳細に語った。

鹿嶋は1983年3月、山口県下関市で生まれた。家族構成は両親と妹が1人。中学2年生の時、家族で宇部市に引っ越したために転校し、中学卒業後は市内の私立高校に進学した。中学、高校を通じて学校の成績は悪かったが、授業をさぼったりはしていないという。つまり、素行が特別悪かったわけではないようだ。

ただ、ワンパクではあったという。鹿嶋はこう打ち明けた。

「小学校の頃には、ニワトリ小屋に野良犬を離して大惨事になったり、友だちと喧嘩した際に代本板(※)で頭を殴り、血が出るようなケガをさせたりしてしまいました。中学時代も、カッとなると周りが見えなくなり、暴力をふるってしまうことがありました」

※「だいほんばん」と読む。図書館で本が本来置かれるべき場所にない時に、本の現物に代わって置かれる板のこと。

このようにワンパクだった鹿嶋だが、家ではおとなしい子供だったという。そうなった事情として語ったのが父親の存在だ。

「父については、『怖い』という思いが昔からありました。挨拶は『おはようございます』と言うように言われ、実際にそうしていました。小さい頃、理由はわかりませんが、父親に家を追い出され、家の前でワンワン泣いたことがありました」

鹿嶋によると、子供の頃、父親や母親とは必要最低限の会話しかしなかった。食事の時も両親、妹は会話をしていたが、鹿嶋は会話に参加せず、黙々と食事をしていたという。

「両親を頼ったり、両親に何かを相談したりすることもありませんでした。子供の頃からそうでした」

両親との関係が良くなかったことは明らかだが、その最大の原因と思われるのが父親と血がつながっていなかったことだ。鹿嶋によると、そのことは「25歳の時、父親から直接聞かされた」とのことだが、実は鹿嶋は生まれる前から複雑な事情を抱えた子供だった。それについては、被告人質問が終わった後、情状証人として出廷した父親自身がこう明かしている。

「妻が自分以外の男の子供を妊娠していることがわかったのは、結婚前に交際していた時期のことでした。しかし、私は自分の子供として育てようと決意し、そのまま妻と結婚したのです」

文章にすると、普通に話しているような印象になるが、この話をしている時の父親は歯切れが悪かった。鹿嶋の出生をめぐる人間模様については、父親にとって人前で話したくないことなのだろう。一方、父親が証言中、鹿嶋は被告人席から父親を険しい表情で凝視しており、父親に対して今も悪感情を抱いていることが察せられた。

広島地裁に入る、鹿嶋を乗せているとみられる車

◆剣道をやりたかったが、父親に言われるまま陸上部に入部

鹿嶋の話を聞いていると、その人間形成に父親との関係が大きく影響したのは間違いない。そのことは、中学、高校時代のクラブ活動に関する証言を聞いていてもよく伝わってきた。

「中学時代、自分は陸上部でしたが、本当にやりたかったの剣道でした。陸上部に入ったのは、小学校の頃にゼンソクで学校を休むことがあったため、父親から『体力をつけるために陸上部に入れ』と言われたからでした」

こうして中学時代、入りたくもない陸上部に入った鹿嶋は、練習に出たり出なかったりした末、3年生になって園芸部に転部。そして高校入学後、再び陸上部に入ったが、今度は練習に出なかったという。父親に入部するクラブを決められたため、屈折した青春時代になった様子が窺える。

その反動が出たのが、高校卒業時の進路選択だ。鹿嶋は大学には進学せず、就職しているのだが、就職先はこんな選び方をしたという。

「就職したのは、アルミを溶かし、板などを製造する会社です。学校から紹介された会社でしたが、選んだ理由は、機械の操作が好きだったことと、寮生活ができることでした。一人暮らしがしたかったのです」

鹿嶋はこの会社に就職を決める際も親には相談していない。とにかく家を出たかったというわけだ。

◆「一人暮らし」をしたくて選んだ会社でゲームとエッチなビデオに没頭

就職後、配属された工場は萩市にあり、実際に工場の前にある寮で生活できるようになった。この寮生活は鹿嶋にとって楽しいものだったようだ。

「自分はゲームが好きなのですが、寮では好き放題にゲームができました。それに、エッチなビデオも自由に観られました。高校の頃もエッチなビデオは観ていましたが、自分の部屋にビデオデッキがないため、親が家にいない時しか観られませんでした」

高校卒業後に一人暮らしを始めた若い男が、親の目が届かないのをいいことにゲームやエッチなビデオに没頭するというのはお決まりのパターンだ(今ならエッチなビデオではなく、エッチなネット動画かもしれないが)。ただ、鹿嶋の場合、「会社に入ってから、エッチビデオはほぼ毎日観ていました」というから、人並み以上にエッチなビデオが好きだったのだろう。

一方、女性との性行為は「してみたい」という気持ちはあったそうだが、性行為の経験は無いままだった。弁護人から「風俗店に行こうという思いはなかったのですか」と質問されると、こう答えた。

「自分は、そういうところに行く性格ではなかったので、当時は考えませんでした」

こうしてエッチなビデオを毎日のように観る一方、女性との性行為の経験が無いまま過ごした鹿嶋。このあとの話を聞く限り、こうした暮らしぶりは事件を起こしたことと決して無関係ではない。(次回につづく)

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全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「持っていたナイフで刺した時、聡美さんは『え、なんで?』という表情をしました。自分は『なんで、こーなったんか』という感情が爆発し、『クソ』『クソ』と言いながら、何回も聡美さんを刺しました。私は、人を刺したことを認められず、聡美さんのせいにしようとしたのです」

2004年10月に広島県廿日市市(はつかいちし)で発生し、13年半も未解決だった「廿日市女子高生殺害事件」。一昨年4月に検挙された鹿嶋学(37)は、3月に広島地裁であった裁判員裁判の被告人質問で、犯行を克明に語った。

事件が未解決の頃、警察が情報を集めるために作成したポスター。ニキビの跡などは本物の鹿嶋と似ている

上は黒い長袖のTシャツ、下は黒いジャージという室内着のようないで立ち。頭髪は坊主刈りにしているが、年齢のわりに白いものが目立つ。大きなマスクをつけているため、顔は目より上しか見えないが、見た目はどこにでもいそうな普通の男だった。

事件当日、当時21歳だった鹿嶋は「女子高生をレイプしたい」と思いつつ、ターゲットを探して原付で走り回っていた。そんな時、路上で見かけた被害者の高校2年生・北口聡美さん(当時17)が家に入っていくのを見かけたのだという。

そこで鹿島は聡美さん宅に侵入し、部屋でくつろいでいた聡美さんにナイフを向け、「脱げ」と迫った。しかし、聡美さんが逃げ出そうとしたため、冒頭の証言のような凶行に及んだのだ。そして──。

「最後は、『これで終わらせよう』と思い、首を切りました」

鹿嶋はこうして聡美さんを殺害すると、聡美さんの悲鳴を聞いて駆けつけた祖母のミチヨさん(同72)も刺し、瀕死の重傷を負わせた。さらに聡美さんの小学生の妹も追いかけ回したが、捕まえられず、現場を立ち去ったのだった。

事件後、精神的ショックも大きかったミチヨさんは「解離性健忘」に陥り、事件のことが思い出せない状態に。幼かった妹は、事件を忘れたいと思いつつ、「犯人を見たのは自分だけだから……」と犯人の顔を忘れないように努め、長年に渡って辛い記憶に囚われ続けたという。

◆勤務先の社長「殺人犯だとは、今でも信じられない」

鹿嶋の裁判員裁判が行なわれた広島地裁

さて、このように鹿嶋の口から明かされた犯行は、弁明の余地がない凶悪な犯行だというほかない。公判で意見陳述した聡美さんの両親はともに死刑を望む思いを明かしたが、それも当然過ぎるほど当然だ。しかし一方で、検察官が公判で朗読した調書によると、鹿嶋が逮捕前に勤めていた山口県宇部市にある土木会社の社長は鹿嶋の人物像について、こんな供述をしていたという。

「鹿嶋は無口で、おとなしい人間でした。人付き合いも苦手だと思います。たばこも吸いませんし、酒も誘わないと飲みません。そして酒を飲んでもまったく変わらず、無口なままでした。ただ、仕事はまじめで、私にとっては信頼でき、憎めない、かわいいやつでした。鹿嶋が殺人犯だとは、今でも信じられません」

事件発生から13年半の年月が過ぎた頃、鹿嶋がこの事件の犯人だと判明したきっかけは、別件の傷害事件だった。鹿島が会社の部下である同僚男性の尻を蹴り、警察に任意で調べられたという事件だ。この際、事件発生当時に聡美さん宅で採取されていたDNA型と指紋が鹿嶋のものと一致すると判明したのだ。

だが、社長はこの別件の傷害事件についても、鹿嶋を擁護するようなことを供述していた。

「鹿嶋は気性も穏やかで、暴力をふるったりする人間ではありません。蹴られた部下のほうが先輩の鹿嶋に対して失礼な態度をとったのが原因だと思います」

つまり、普段の鹿嶋を知る人からすると、鹿嶋が殺人犯だということを信じがたいばかりか、鹿嶋が人に暴力をふるうというのも大変意外なことであるらしい。さらに社長は、鹿嶋のこんな一面を証言していた。

「鹿嶋は、私が知る限り、友人はKくんという人だけで、職場に仲が良かった人間は過去にも今にもいません。趣味はゲームだそうで、休みの日は『家でゲームをしている』と聞いたことがあります。女性の交際については、『無い』と思います。鹿嶋はとにかく女っけがなく、私たちが仕事の時に女性の話や風俗の話をしていても、『僕はいいです』と言って、まったくのってきませんでした」

女性と疎遠で、友だちもほとんどおらず、ゲームが趣味。しかし、無口でありながらも仕事は真面目で、上司からは信頼されていた。そんな男がなぜ、21歳だったあの日、見ず知らずの女子高生をレイプしようなどと思い立ち、生命まで奪ったのか。そもそも、事件を起こすまでの鹿嶋の21年間はどんな人生だったのか。それらのことも鹿嶋は法廷で詳細に語っている──。(次回につづく)

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長く未解決だった広島県廿日市市の女子高生殺害事件は、一昨年検挙された犯人の鹿嶋学が今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受け、ようやく一区切りついた感がある。ただ、この事件に関しては、裁判で明らかになりながら世間に知られないままになっている事実も少なくない。筆者が全5回の公判を傍聴して知った事件の深層をこの場で改めて報告する。

【廿日市女子高生殺害事件】

2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

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▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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「安倍政権の敵=すべて正義」という思考回路になっているのだろうか。いま話題の国会議員夫妻、河井克行氏(57)と案里氏(46)の公選法違反(買収)事件に関し、普段は「反権力」をウリにする識者たちが繰り広げる発言を見ていると、そう思わざるをえない。

これまでの報道などを見る限り、河井夫妻が地元広島で大勢の地方政治家たちに金を渡していたことや、昨年7月の参院選の際に官邸から河井陣営に1億5000万円の資金が渡っていたことは事実で間違いないだろう。ただ、河合夫妻は「買収」目的で金を渡したことは否定し、無罪を主張している。であれば、無罪推定の原則に従い、夫妻の主張の信ぴょう性も慎重に検討されるべきだろう。

しかし、「反権力」がウリの識者たちのメディアやSNSでの発言を見ていると、河井夫妻を有罪と決めつけたうえ、検察の捜査が政権中枢に及ぶことを期待する意見に終始しており、「検察の応援団」と化している趣だ。しかも、彼らの発言内容を見ていると、自分で独自に取材などはしておらず、報道の情報に依拠して発言しているのは明白だ。

彼らは普段、「権力は暴走する」だとか、「権力は監視しないといけない」だとか、「現場に足を運ぶのが取材の鉄則だ」などと言っておきながら、自己矛盾を感じないのだろうか。

筆者自身、安倍首相のことは好きではないし、無罪推定の原則を絶対視しているわけでもない。しかし、普段は「反権力」をウリにする識者らがこの事件に関し、事実関係をないがしろにし、「検察の応援団」となって盛り上がっている様子には、正直げんなりしてしまう。

有罪視報道を繰り広げるマスコミ

◆事実を見極める目を曇らせるものとは……

検察捜査への疑念を表明した橋下氏と堀江氏のツイッターでのやりとり

この事件に関する著名人の発言をチェックしてみると、普段は「反権力」などと声高に言わない人たちのほうが、むしろ「権力監視」や「無罪推定」といった原理原則に沿った発言をしていることがわかる。たとえば、元大阪府知事の橋下徹氏だったり、実業家の堀江貴文氏だったりだ。

スポーツ報知の記事(http://ur2.link/UqHa)によると、橋下氏は報道番組に出演した際、金を受け取った政治家たちが河井夫妻側の意図について「選挙買収目的でした」と検察の有罪立証に資する証言をし、立件されずに済んでいることを問題視。堀江氏もこのスポーツ報知の(グノシーで配信された)記事に、ツイッターで反応し、橋下氏とやりとりする中で、「正式に司法取引してないんですか、、普通にすればいいのに」(http://ur2.link/oZWJ)などとツイートしている。要するに2人は、暗に検察が違法な司法取引をやっている疑いを指摘しているわけだ。

そして橋下氏は結論的に、金を受け取った地元広島の地方政治家たちの証言の信用性に疑問を投げかけたうえ、「有罪心証報道が先行し過ぎ」(http://ur2.link/THKi)と述べている。刑事事件や事件報道の見方として、きわめて的確な意見で、まったくケチのつけようがない。

翻ってみると、橋下氏や堀江氏は普段、「反権力」をウリにする識者たちから批判的されることが多い人たちだ。そういう人たちがこの事件の検察捜査への疑念を表明する一方で、普段は「反権力」をウリにする識者たちが報道の情報に依拠して「検察の応援団」に化している現実を目の当たりにすると、「歪んだ党派性」は事実を見極める目を曇らせるのだということを再認識させられる。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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