犯罪報道では、加害者やその家族の誠意のない言動が批判的にクローズアップされることがある。だが、ああいう報道を額面通りに受け取っていいものか、私は疑問だ。たとえば、私が過去に取材した事件のなかには、こういうケースもあった──。

◆苦悩する父親

「贖罪というか……罪を償うのを父親として支援していくというか……見守っていきたいと思います」

2017年10月、福岡地裁の第5号法廷。息子の裁判員裁判に情状証人として出廷した大柄な父親は、たどたどしい口調でそう証言した。髪はぼさぼさで、目もうつろ。事件以来、相当苦悩してきたのだろう。

彼の息子ユキオ(仮名、事件当時19)が事件を起こしたのは2016年2月のこと。ユキオは当時、熊本の実家を離れ、福岡の予備校に通っていたのだが、予備校の女子同級生ミズキさん(仮名、事件当時19)を尾行し、路上で襲撃。ナイフで顔や頭をめった刺しにし、小型のオノで何度も頭部を殴り、殺害したのだ。

ユキオの犯行動機は、ミズキさんに交際を断られたうえ、周囲に言いふらされたと思い込んだことだとされた。だが、精神鑑定医によると、ユキオは社会的コミュニケーションが困難な「自閉症スペクトラム障害」だったという。この障害の影響でユキオはミズキさんに対し、被害妄想を抱いていたようだ。

事件現場。ユキオはこのあたりで被害者を襲撃した

◆莫大な被害弁償

父親は、熊本からユキオの裁判に毎回傍聴に来ていたが、傍聴席ではいつも小さなメモ張に顔を近づけ、ひたすらメモをとっていた。そして証言台の前に座ると、体を小さくし、謝罪した。

「人の生命を奪ったら生命で償うしかないので、私も死んでしまおうかと思ったこともありました。しかし親なら、生きて息子を見守っていかないといけないと思うようになりました」

弁護人から「被害弁償はどうするのか」と聞かれると、父親はこう答えた。

「家を売り、退職金をあて、生きている限り、償っていきたいと思います」

父親はこの時点で被害者の両親に2500万円を払ったという。そのうえでさらに被害弁償をするというのだから、気が遠くなりそうだ。

さらに父親は「妻は事件後、精神病院に通院するようになりました」と明かした。事件により加害者家族の人生もボロボロになったのだ。

◆遺族に一礼もしなかった父親

ただ、父親は証言を終え、傍聴席に戻る際、遺族席のそばを通り過ぎながら、一礼もしなかった。その様子が気になった私は休廷の際、事情を父親に確認したのだが……。

── 批判するわけではないのですが、ご遺族のそばを通る際、素通りされていましたね。

「お話することはないです」

── ご遺族に頭でも下げないと息子さんに不利になるとは思われなかったですか?

「そんな余裕ないですよ」

父親はそう言い残し、足早に去って行った。法廷では、相当緊張していたのだろう。

重大事件では、おそらく多くの加害者家族は冷静ではいられない。それゆえに、余裕がないからこその言動が、不誠実な態度に見えることもあるのではないか。私は、この父親を知って以来、そう思うようになった。

一方、「自閉症スペクトラム障害」と診断された息子のユキオは裁判中、法廷ではずっと無表情だった。懲役20年の重い刑を受けたが、今後立ち直れるか心配だ。

裁判が行われた福岡地裁

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

死刑は怖いですか──。私が過去、死刑判決を受けた殺人犯に面会した際にしばしば試みた質問だ。そんな中、もっとも変わった答えをしたのが、小泉毅(57)だった。

「死刑がまったく怖くないと言えば、嘘になります。しかし、私は生まれ変われると思っているんですよ」

2013年の春、東京拘置所の面会室でのことだ。そう語る小泉の穏やかな笑顔が今も忘れられない。

◆殺人動機は「愛犬のかたき討ち」

小泉は2008年11月、埼玉と東京で旧厚生省の事務次官経験者の自宅2軒を相次いで襲撃し、2人を刺殺、1人に重傷を負わせた。そしてほどなく警察に自首すると、「子供の頃に保健所で殺処分にされたチロ(飼い犬)のかたき討ちだった」と意外過ぎる犯行動機を告白し、世間を驚かせた。

私が面会に通うようになった頃、小泉は最高裁に上告中だったが、すでに一、二審共に死刑判決を受けていた。報道では、小泉は坊主頭で、無精ひげを生やし、武骨そうな男に思えたが、実際の小泉は小柄で、色白のおとなしそうな男だった。

事件が起きた当時、「なぜ、愛犬のかたき討ちで旧厚生省の事務次官経験者を狙ったのか」と訝る声もあったが、小泉は「保健所を管轄するのが厚生省(現・厚生労働省)だから、そのトップを狙ったんです」と理路整然と説明した。精神障害の疑いは無さそうだった。

そんな小泉は、裁判でも「私が殺したのは、人間ではなくマモノです」と述べて無罪を主張するなど、死刑を本気で回避しようとする様子は皆無。その理由が、「生まれ変われる」と思っているからだったのだ。

◆生まれ変われると思う根拠は「超ひも理論」

では、生まれ変われると思う根拠とは?

小泉は「物理学の『超ひも理論』に基づく考えなんですよ」と言い、後日、手紙でこう解説してくれた。

小泉から届いた2013年5月5日消印の手紙

〈我々1人1人の存在、分子1つ1つの存在、原子1コ1コの存在、クォークやレプトン1コ1コの存在は、我々の住む宇宙よりもはるかに大きなもの、即ち、我々の宇宙が漂っている無限に広がる次元という大きな海の中のどこかに常に記録されていると、私は考えています。だから、この記録されているものを我々の宇宙にダウンロードすれば、私は生まれ変わることができるのです!〉(2013年5月5日消印の手紙より)

学生時代に理科が苦手だった私には理解不能だったが、小泉は国立の佐賀大学理学部で学んだ秀才だ。それなりの科学的根拠がある話なのだろう。

「死刑になっても生まれ変わり、またマモノを殺します」と語っていた小泉は、その後、死刑が確定したが、今も死刑執行されず、東京拘置所に収容されている。

小泉が収容されている東京拘置所

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殺人事件や性犯罪事件では、被害者への配慮から「原因究明」がおざなりにされがちだ。たとえば、強姦殺人事件の被害女性がミニスカートをはいていた場合、そのことに触れただけでも、「悪いのはミニスカートをはいていた被害者ではなく、犯人だ!」とヒステリックに騒ぎ立てる人も少なくない。

もちろん、悪いのはあくまで犯人だが、仮にミニスカートをはいている女性が強姦被害に遭いやすいという傾向が統計データに現れていたなら、それを公表しないのもまた問題だろう。犯罪被害の発生防止につながる情報を封印するに等しいからだ。

そんな考えの私は、殺人事件を取材する時、この事件はどうにかして回避できなかったかと常に考える。しかし、被害者側の立場からでは、回避しようがない事件もやはり少なくない。2008年に起きた江東区マンション神隠し事件がまさにそうだった。

◆「性奴隷」獲得目的の凶行

東京都江東区のマンションで暮らしていた女性会社員(当時23)が帰宅後、忽然と失踪したのは2008年4月のこと。女性宅の玄関には少量の血が残されていたが、防犯カメラに女性が外出した形跡がなく、「神隠し」事件として騒がれた。

現場マンション。被害女性らは918号室、犯人の男は2つ隣の916号室で暮らしていた

捜査の結果、殺人などの容疑で検挙されたのは、2つ隣の部屋に住む派遣社員の男(当時33)だった。男は「性奴隷」獲得目的で、女性を襲って自室に拉致。だが、警察の捜査が始まったため、犯行の発覚を恐れて女性の首を包丁で刺して殺害してしまったのだ。そして遺体は細かく切り刻み、トイレやゴミ捨て場に捨てて処分していた。

事件後、平然と取材に答えていた男の異常性も話題になったものである。

◆現場でわかる被害女性の「安全性重視」の物件選び

私がこの事件の現場を訪ねたのは、2015年の秋だった。被害女性と犯人の男が暮らしていたマンションは、JR潮見駅から徒歩で5分程度の場所だった。

駅からマンションに向かう道中、暗い場所やひとけのない場所など、物騒に思える場所はまったくない。女性が暮らしていたマンションも正面玄関にオートロックが備えられており、セキュリティは悪くなさそうだった。

現場マンションは正面玄関にオートロックが備えられている

一般的に女性は男性に比べ、部屋を借りる際には「綺麗さ」を重視する傾向があるため、家賃との兼ね合いで駅から遠い場所で暮らしているケースも少なくない。しかし、この事件の被害女性の場合、安全性を重視した物件選びをしていたように思われた。しかも、一緒に姉も暮らしていたというから、まさかこんな事件に遭うとは夢にも思わなかったろう。

被害女性とその姉は、事件の前月にこのマンションに引っ越してきたと報じられている。マスコミ報道を見る限り、犯人の男も見た目はどこにでもいそうな普通の人物だけに、「危険な人物」と見抜くことは不可能だったろう。

親御さんとしても、姉妹が一緒に暮らしていた状態には安心感があったはずだ。それにも関わらず、娘がこのような悲劇に遭ってしまった気持ちは、第三者が想像できる範囲を超えている。

最寄り駅からマンションまでの道もいかにも安全そう

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2009年9月に埼玉県熊谷市の小学4年生、小関孝徳君(当時10)が車にひき逃げされ、死亡した事件は今も未解決のまま、公訴時効の成立が今年の9月に迫っている。そんな中、報道を通じて聞こえてくるのは、悲観的な情報ばかりだ。

まずは1月、埼玉県警が証拠品として遺族から預かっていた孝徳君の腕時計を紛失していたことが発覚。そして2月には、県警が遺族から腕時計を預かった際に交付していた押収品目録交付書を破棄したうえ、腕時計の記載がない別の押収品目録交付書を再交付していたことも判明したという。腕時計の紛失を隠蔽する目的の工作が強く疑われる不祥事だ。

そんな悲観的な状況の中、私は2014年の夏、この事件の現場を訪ねた時のことを思い出していた。

◆お母さんと二人暮らしだった被害少年

「家で晩ご飯を食べていたら、外でキィーッ!と車の急ブレーキの音がしたんです。窓から外を見ると、ひと目で死んでいるとわかる男の子が横たわっていて……。一面が血の海の痛ましい光景でした」

事件が起きたのは2009年9月30日の午後7時前だった。現場近くで暮らす男性は、私の取材に対し、事件の時のことをそう回顧した。

孝徳君は4歳の時にお父さんを亡くし、お母さんと二人暮らし。サッカーが大好きで、事件3日後にもお母さんとJリーグを観戦する予定だった。だが、孝徳君は書道教室から自転車で帰宅中に命を奪われ、Jリーグを観戦予定の日が告別式になってしまったのだ。

現場の市道は住宅街にあるが、幹線道路に通じる“抜け道”のため、交通量が多い。地元の女性によると、事件があった頃は信号がなく、スピードを出す車もいたという。

その後、新聞では、タイヤ痕などから犯人の車は排気量1800~2000CCとみられると伝えられたが、有力な情報は得られず、今も未解決の状態が続いているわけである。

孝徳君がひき逃げされた現場

◆犯人を捕まえるために現場で独自調査していた母親

私がそんな事件を今もよく記憶にとどめているのは、前出の現場近くで暮らす男性から、こんな話を聞かされたからだ。

「事件後、被害者の男の子のお母さんは、現場で犯人の手がかりを得ようと、通り過ぎる車のナンバーを書き取るなどの独自調査をしていました。ママ友たちも協力して、一緒に頑張っていましたね」

現場に足を向けるだけでも辛い思いになるだろうに、母親の執念は凄いと思ったが、現場界隈では時折、ワーと泣き叫ぶ女性の声が聞こえてくることもあったという。それが母親の声だったなら、どうしようもない思いにとらわれることもあったのかもしれない。

そんな事件をめぐり、冒頭のような警察不祥事が起きたわけである。証拠品に関する警察不祥事というと、最近では、広島県警広島中央署が特殊詐欺事件の証拠品である現金約8500万円を盗まれた事件が有名だ。金額に換算すると、8500万円と男性小学生の遺品の腕時計は随分と大きな差があるが、証拠品を紛失・盗難した罪の重さは何ら変わらないだろう。

いや、腕時計の紛失のほうが罪は重いのではないかとさえ思う。

現場界隈には情報を求めるポスターが……

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殺人事件の現場というのは、そうだと知らなければ、何の変哲もない場所や建物にしか見えない場合がほとんど。そんな中、いかにも殺人現場らしい不穏な雰囲気を漂わせていた場所もある。

たとえば、2011~2012年頃に話題になった尼崎連続変死事件の現場がそれである。

◆灰色にくすんだ街並み

事件の発覚は2011年の秋だった。主犯と言われる角田美代子(当時63)らに監禁されていた女性が警察に駆け込んだのをきっかけに、尼崎市の貸し倉庫から女性の母親の遺体が発見された。さらに翌年10月には、平屋建ての民家の床下から3遺体が見つかり、大量変死事件として騒がれた。

美代子は複数の家族と同居し、虐待や殺人を繰り返していたとみられ、死者・失踪者は10人を超すと伝えられる。逮捕された美代子が留置場で自殺し、事件の全容解明は困難になったが、共犯者らの裁判では、髪をバーナーで焼いたり、タバコの火を押しつけるなどの凄惨な犯行が明るみになっているという。

筆者がこのおぞましい事件の現場に足を運んだのは、2015年の初夏のことだ。最寄り駅の阪神電車・杭瀬駅に降り立ち、関係現場を訪ねて回った。そしてまず感じたのは、街並みが灰色にくすみ、いかにも怪事件の現場らしい雰囲気だということだ。こういうことは珍しい。

◆3遺体が見つかった民家は更地に

そして駅から歩くこと数分で、3人の遺体が発見された平屋建ての民家があった場所に到着した。が、問題の家はすでにない。家の建物は跡形もなく取り壊され、更地になっていたためだ。

3遺体が見つかった民家は取り壊され、更地に

ただ、隣家のトタンの外壁が何やら異様な雰囲気を醸し出している。ふと見ると、更地に衣装ケースが置かれているが、それもまた不気味に見える。フタをあけると、ゴルフシューズなどが詰め込まれていたが、なぜ、こんなに場所にこんな物が・・・・・・と不思議な思いにさせられた。

一方、ベランダに「監禁部屋」と呼ばれるプレハブ小屋があった美代子宅のマンションは、この更地から歩いて数分の場所にある。

マンションから出てきた住人の男性に話を聞かせてもらおうと思い、話しかけたが、「その事件ならここやけど、話すことはないで」と冷たくあしらわれた。マンションの他の住民たちにとって、あのおぞましい事件はもう思い出したくないことなのだろう。

最上階に暮らしていた美代子宅を見上げると、ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた。ただ、この強烈過ぎる事故物件に、他の誰かが再び暮らすことは無さそうに思われた。

最上階の左端がかつての美代子宅。ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた

◆ドラム缶の遺体があった貸し倉庫も不気味な雰囲気

このマンションからさらに徒歩で数分の場所には、もう1つの遺体発見場所である貸し倉庫があった。この倉庫は、公園のすぐそばにあったが、外壁は錆びたトタンと黒ずんだコンクリートで、いかにも不気味な雰囲気だ。

現場の1つである貸し倉庫。遺体がドラム缶にコンクリート詰めされた状態で見つかった

この倉庫では、警察に駆け込んだ女性の母親の遺体が、ドラム缶でコンクリート詰めにされた状態で見つかったと報じられたが、いかにもそういうことがありそうな場所に思われた。

街を歩いてわかったことだが、この界隈はトタンの建物が非常に多く、街全体が時代の流れから取り残されているような印象だった。この街で暮らす人たちには失礼な言い方だが、尼崎連続不審死事件はこういう街だからこそ起きた事件だったような気がしてならなかった。

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埼玉愛犬家連続殺人事件といえば、90年代を代表する凶悪事件の1つだ。熊谷市を拠点に「アフリカケンネル」という屋号で犬猫の繁殖販売業を営んでいた関根元、風間博子の元夫婦が、犬の売買をめぐりトラブルになった客らを次々に殺害していたとされる。

関根は被害者たちに対し、犬の殺処分に使う劇薬を「栄養剤」と偽って飲ませており、この犯行手口により、暴力団幹部まで殺害していたという。

そんな事件の「内実」を世に広めたのは、志麻永幸という男だった。被害者たちの遺体の処分を手伝っていた「共犯者」である。

「ボディを透明にすればいい」

志麻が出所後、週刊新潮のインタビューで語ったところでは、関根はしばしばそう言っていたという。関根はその考えに基づき、被害者たちの遺体を包丁で細かく解体し、骨などは焼却したうえで灰を山や川に遺棄して徹底的に証拠隠滅しており、志麻はそれを手伝わされていたとのことだった。

志麻の告白は本になり、園子温監督がその本をモデルに映画「冷たい熱帯魚」を製作。この事件の残虐性や猟奇性は後年まで語り継がれることとなった。

主犯格とされる関根と風間は、2009年に最高裁で死刑確定。関根は2017年に東京拘置所で病死したが、風間は一貫して無実を訴え、現在も東京拘置所から再審(裁判のやり直し)を求め続けている。

◆愛想のいい「ゲンさん」

私がこの埼玉愛犬家連続殺人事件の関係現場を訪ねて回ったのは、2013年の夏だった。この時に印象深かったのは、関根や志麻が現場界隈の人たちに大変評判が良かったことだ。

熊谷市郊外にある「アフリカケンネル」の犬舎は、もう10数年も使用されずに放置され、ボロボロになっていたが、周辺にはまだ関根のことを知る女性が住んでいた。その女性は笑顔でこう振り返った。

「ゲンさんはいつも愛想のいい人だったんですよ。たまに犬舎の前で牛を一頭丸ごと包丁でさばいていて、問題になったことはありましたけど。犬のエサにするためだったみたいですね」

関根の犯行を知った今もなお、女性は関根のことを少しも悪く思っていないような話しぶりだった。マスコミ報道では、俳優の泉谷しげる似の武骨な風貌が印象的だった関根だが、普段はきっと、親しみやすいタイプだったのだろう。

ボロボロになっていたアフリカケンネルの犬舎

◆道で会えば挨拶してくる「志麻さん」

一方、志麻は、片品村という群馬県の山間部にある村で、旧国鉄から払い下げられた2両の廃貨車を住居にして暮らし、ブルドッグの繁殖販売をしていた人物だ。関根と志麻は、この家まで被害者の遺体を車で運んできて、風呂場で解体し、庭のドラム缶に入れて燃やしていたという。

この緑豊かな村にも志麻を知る人たちが暮らしていて、ある女性は懐かしそうにこう振り返った。

「志麻さんのお子さんは、うちの子と幼稚園が一緒だったんです。道で会えば挨拶してくる、明るい人で。だから、事件があった時は『え、あの志麻さんが!?』という感じだったんですよ」

この女性が口に手をあて、笑顔で話す様子からは、凶悪殺人に加担した志麻に対し、今も何ら恐怖感を抱いておらず、「保護者同士」という印象のままでいることが窺えた。

社会を震撼させた殺人事件の犯人たちも、普段はどこにでもいる「普通の人」。裏返せば、私たちの近所で暮らす普通の人たちの中にも、関根や志麻のような凶悪殺人事件の犯人が潜んでいても何らおかしくないのである。

志麻の家の跡地は畑になっていた

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福岡拘置所に収容されている奥本章寛死刑囚(30)は、22歳だった2010年の3月1日の明け方、宮崎市の自宅で寝ていた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、同居していた義母(同50)を相次いで殺害した。

その殺害方法は、妻と義母はハンマーで撲殺、長男は水を張った浴槽に入れ、溺死させるという惨たらしいものだった。さらに奥本死刑囚は犯行後、当時勤務していた土木関係の会社の資材置き場まで長男の遺体を運び、土中に埋めていた。

と、このように犯行の概略だけを書くと、冷酷きわまりない殺人犯だったようだが、奥本死刑囚の裁判の過程では、多数の支援者が「死刑の回避」を求め、助命活動を繰り広げる異例の展開になっていた。私の知る限り、冤罪のケースを除けば、今も奥本死刑囚は最も支援者が多い死刑囚である。

というのも、被害者のネガティブな情報を書くのは気が引けるが、奥本死刑囚の義母は厳しい性格の人で、普段から奥本死刑囚に対し、何かときつい言動をとっていたという。奥本死刑囚はそのために精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態に陥った。ひいては、冷静な思考ができなくなり、今の生活を逃れるため、妻や長男と共に義母を殺害するという、とんでもない行動に出てしまったのである。

奥本死刑囚の家があった場所。事件後、取り壊され、更地に。

◆長男を土中に埋めた資材置き場は自宅のすぐ近くに・・・

私がこの奥本死刑囚の家を訪ねたのは、2014年の秋のこと。宮崎市郊外の花ケ島という町の閑静な一角に、その平屋建ての一軒家はあったはずなのだが・・・。

奥本死刑囚たちが長男の誕生を機に移り住んだというその家は、建物が無くなっており、跡地は更地になっていた。3人の生命が奪われる事件現場になったため、大家が取り壊してしまったのだろう。

殺人事件の現場は、アパートやマンションなら「事故物件」として残り、格安で借りられるようになるが、借家の一軒家の場合、取り壊されることが少なくない。とはいえ、家族で幸せになるために借りた家が、このような結末をたどるとはあまりにも悲劇的である。

一方、奥本死刑囚が長男の遺体を土中に埋めた会社の資材置き場は、家があった場所から、歩いてものの数分だった。冷静に考えれば、こんな近場に長男の遺体を埋め、証拠隠滅に成功するはずはない。それは裏返せば、犯行時の奥本死刑囚は正常な思考ができない状態だったということだろう。

私は現場を訪ね歩き、切ない思いにとらわれて宮崎をあとにした。

奥本死刑囚が長男の遺体を埋めた資材置き場

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1992年に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が何者かに連れ去られ、殺害された「飯塚事件」は、2月20日で発生から27年になった。

この事件は今では何より、死刑執行された男性・久間三千年さん(享年70)が実は冤罪だった疑いがあることで有名だ。有罪の決め手となった科警研のDNA型鑑定が当時はまだ技術的に拙く、鑑定ミスがあった可能性が広く知られるようになったためである。

しかし実際には、この事件はDNA型鑑定の問題以外にも冤罪を疑わせる点がいくつもある。その1つが、久間さんが逮捕前、警察の任意捜査に対し、「無知の暴露」をしていたことである。

久間三千年さんの死刑が執行された福岡拘置所

◆被害者2人は姦淫まではされていなかったが・・・

「無知の暴露」とは、供述鑑定の第一人者である奈良女子大学の浜田寿美男名誉教授が定義した供述分析の概念である。

真実犯人である被疑者が自白した場合、自白内容には、犯人でなければ知りえない「秘密の暴露」が含まれる。一方、本当は犯人ではない無実の被疑者が自白した場合、犯人であれば知っているはずのことを知らないため、犯行の現実と矛盾した内容の自白をしてしまう。浜田教授はそれを「無知の暴露」と定義したのである。

では、久間さんはどのような「無知の暴露」をしていたのか。それは、死刑を宣告された福岡地裁の第一審判決の中に記されている。事件が起きてまもない1992年3月21日、久間さんは福岡県警の任意捜査に応じた際、「自分の陰茎の状態」について2人の警察官に次のように話しているのである。

「糖尿病で血糖値が五三〇あり、入院を勧められた。しかし、息子の面倒をみるので入院できなかった。両足が痛いし歩けない。目もくもって悪くなる一方だった。シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった」(第一審判決より。原文ママ)

これは要するに、久間さんが警察官たちに自分の無実を主張するため、「事件が起きた当時、病気のせいで自分の陰茎(シンボル)はセックスができない状態で、自分はセックスへの興味もなかった」と語っているわけだ。

では、この供述がなぜ、「無知の暴露」と言えるのか。

それは、山の中で発見された被害者の女の子2人の遺体は、いずれも下半身が裸の状態で見つかっており、性犯罪目当ての犯行であることは明らかだったが、姦淫まではされていなかったからである。

解剖医によると、被害者2人の性器は、うち1人が「指の爪が挿入されたのであろうと推測される」(第一審判決より)という状態で、もう1人も「恐らく指と爪が挿入されたと推測される」(第一審判決より)という状態だった。犯人ならば当然、このことを知っているから、「事件が起きた当時、病気のせいで自分の陰茎(シンボル)はセックスができない状態で、自分はセックスへの興味もなかった」などという久間さんのような言い訳はしないだろう。

久間さんは、実際に犯行を行っていないからこそ、報道などの断片的な情報に基づいて被害者の女の子たちが犯人に姦淫されているものと思い込み、このような的外れな言い訳をしたのである。

ちなみに、久間さんはマスコミの記者がいる場でも、これと同じような内容の話をしており、その記者はこの「無実だからこその言葉」をテープに録音しているという情報もある。私は、このテープは何らかの形で公開されるべきだと考えている。

被害者2人の遺体が遺棄されていた山の中の草むら

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重大事件の発生当初に「有力証拠」が見つかったように報道され、それがその後に被告人の裁判でガセネタだとわかることは珍しくない。だが、たまに逆のパターンもある。事件発生当初に報道された「有力証拠」は確かに実在するのに、検察官が自分たちの主張の立証に邪魔になるため、裁判では隠ぺいしてしまうパターンだ。

当欄で何度も冤罪の疑いを伝えてきた、あの「今市事件」でもまさにそういうことが起きている。

◆今見ても興味深い2005年の読売新聞のスクープ

2005年12月1日、栃木県今市市(現在は日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が下校中に失踪し、茨城県の山中で遺体となって見つかった今市事件。2014年に逮捕された台湾出身の男性・勝又拓哉氏(36)は、裁判で一、二審共に有罪(無期懲役)とされたが、本人は無実を訴えており、有力な証拠もないことなどから冤罪を疑う声が非常に多くなっている。

そんな今市事件が起きたばかりだった2005年12月5日、読売新聞が東京本社版の朝刊1面で、今見ても興味深い次のようなスクープ記事を掲載していた。

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女児乗せた白いワゴン
栃木・小1殺害
日光道の料金所
ビデオ記録 運転席に男
両県警特定急ぐ

当初は“白いセダン”ではなく、“白いワゴン”が疑われていた(読売新聞東京本社版2005年12月5日朝刊1面)

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この記事によると、有希ちゃんが下校中に行方不明になった後、現場近くにある有料道路「日光宇都宮道路」の大沢インターチェンジ入口の料金所のビデオカメラに、有希ちゃんとみられる女児と男の乗った「白いワゴン車」が映っていたという。

では、なぜこの記事が今見ても興味深いのか。それは、勝又氏が当時乗っていた車は、「白いワゴン車」ではなく、「白いセダン車」だからである。

さらに読売新聞はその後も、《日光道ICの白いワゴン 午後3~5時通過》(同12月6日朝刊1面)、《「白い箱型の車見た」 一緒に下校の女児 別れた直後に》(同12月20日朝刊39面)などと、白いワゴン車が犯人のものであることを示唆する情報を次々に報道。また、朝日新聞も同年12月11日の東京本社版朝刊39面で、「『栃木』ナンバーの白いワゴンを2日朝に(遺体遺棄)現場付近で見た」という内容の目撃証言が捜査本部に寄せられたことを報じている。

つまり、これらの報道が事実なら、「有希ちゃんが行方不明になった現場」と「有希ちゃんの遺体が遺棄されていた現場」の両方で、犯行時間帯と近接する時間に、犯人が運転していた可能性がある「白いワゴン車」を目撃した証人が存在するわけだ。

◆栃木県警は目撃証言に関する証拠を「廃棄済み」

「別の真犯人」が存在する可能性を示す警察の情報募集のポスター。原本は警察が廃棄していた

そして実を言うと、この「白いワゴン車」の目撃証言は実在するものであると確かな「証拠」によって裏づけられている。

ここに掲載した、「懸賞金上限額500万円」と書かれたポスターがそれだ。今市事件は2005年に発生して以来、2014年に勝又氏が逮捕されるまで長く「未解決」の状態が続いていたが、これはその時期、栃木・茨城両県警の合同捜査本部が町中に張り出していた情報募集のポスターだ。

このポスターは原本ではなく、ネット上に浮遊していたものだが、「現場付近で目撃された不審車両です」として「白いセダン車」と「白いワゴン車」が両方紹介されている。先に述べたように勝又氏が事件当時に乗っていた車は「白いセダン車」なので、勝又氏が犯人だとしてもこのポスターの情報とは矛盾しない。しかし、「白いワゴン車」のほうが真犯人の車である可能性は、勝又氏の裁判の一、二審で一切検証されていないのだ。

そこで、私は過去に栃木県警が作成したこの事件の情報募集のポスターを全種類集めるべく、行政文書の開示請求を行ったのだが、栃木県警の回答は「廃棄済みである」の一言だけだった。これでは、栃木県警が別の真犯人の存在を示す証拠を隠滅した可能性を疑わざるを得ない。

勝又氏は現在、逆転無罪を勝ち取るために最高裁に上告中だ。最高裁で無罪判決が出るハードルは高いが、「白いワゴン車」が真犯人のものである可能性が検証されないまま、勝又氏の有罪が確定していいわけはない。

日光市(旧今市市)にある有希ちゃんのお墓

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私は現在、様々な死刑事件を継続的に取材している。そこで、新年早々暗くて申し訳ないが、今年新たに死刑が確定しそうな事件を予想させてもらおう。

結論から言うと、今年は3人の被告人が新たに死刑確定者となりそうだ。

最高裁。1月22日に西口の弁論がある

◆「平成最後の死刑確定者」は西口宗宏か

まず1人目は、堺市資産家連続殺人事件の西口宗宏(57)だ。

西口は2011年11月、歯科医夫人(当時67)を殺害し、現金約31万円やキャッシュカードなどを強奪。死体は山林でドラム缶に入れて焼却した。さらに同12月、知人である象印マホービン元副社長の男性(当時84)の自宅に押し入り、男性を殺害したうえ、現金約80万円やクレジットカードなどを奪った。殺害方法は、いずれも顔にラップを巻き、窒息死させるというもので、残酷極まりなかった。

そんな西口は第一審で死刑判決を受け、すでに控訴も棄却されている。現在は最高裁に上告中だが、最高裁は1月22日、弁護側、検察官の意見を聴く弁論を開くことになっており、これで審理が終結する見通しだ。最高裁は通常、審理終結から1カ月前後で判決を出すので、おそらく西口は2月か3月に上告が棄却され、死刑が確定するだろう。

ちなみに、最高裁は通常、書面のみで審理を行うが、死刑事件については、審理を終結する前に弁護側、検察側双方の意見を聴く弁論を開くのを慣例としている。現在、死刑判決を受けて最高裁に上告中の被告人は西口以外に4人いるが、この4人はまだ誰も弁論の期日が指定されていないので、西口は「平成最後の死刑確定者」となる公算が大きい。


◎[参考動画](大阪)「遺体をドラム缶で燃やした」堺市女性不明 2011/12/17(田中五郎 2012/02/0公開)

◆西口に次ぐ死刑確定者候補は2人

西口に続いて死刑が確定しそうなのは、山口5人殺人放火事件の保見光成(68)だ。

2013年に山口県周南市の山あいの集落で住民5人が木の棒で撲殺された事件で、殺人罪などに問われた保見は、第一審で死刑判決、控訴審で控訴棄却の判決を受け、西口同様、最高裁に上告中だ。まだ最高裁は弁論の期日を指定していないが、保見は控訴審で控訴棄却の判決を宣告されたのが西口より1日早く(西口の控訴棄却は2016年9月14日、保見の控訴棄却は同13日)、西口と比べて審理の進行がそんなに大きく遅れるとは考えにくい。

当欄の2016年9月14日付けの記事で紹介した通り、保見は深刻な妄想性障害を患い、荒唐無稽な冤罪主張を繰り広げているため、そのことが最高裁での審理をややこしくさせているのかもしれない。だが、最高裁の判決が来年以降に持ち越されることは無いだろう。


◎[参考動画]凶器同一か、全員の身元も判明 山口・周南の5人連続殺人放火事件(最新ニュース 2013/08/11公開)

名古屋拘置所。現在、堀が勾留されている

そして今年3人目の死刑確定者となりそうなのは、名古屋闇サイト事件の犯人グループの1人、堀慶末(43)だ。

堀は2007年、闇サイトで知り合った他2人の男と共謀のうえ、会社員の女性を殺害し、金を奪うなどし、第一審で死刑判決を受けた。控訴審で無期懲役に減刑され、命拾いをしたものの、その後、パチンコ店責任者の夫婦を殺害し、現金を奪っていた余罪が発覚した。そして第一審で死刑判決を受け、今度は控訴も棄却され、現在は最高裁に上告中である。

控訴が棄却されたのは2016年11月18日だから、西口や保見より控訴棄却は2カ月遅い。現時点でまだ弁論の期日が指定されていないので、1月22日に弁論が指定されている西口より先に死刑が確定することはないだろうが、保見のことは追い抜いてもおかしくない。


◎[参考動画]闇サイト殺人事件の遺族が講演「何度思い出しても苦しい」(サンテレビ 2018/11/25公開)

つまり、この堀か、保見が新しい元号のもとでの初の死刑確定者となる公算が大きい。

堀の次に死刑が確定しそうなのは、順当なら前橋連続強盗殺人事件の土屋和也(30)だが、控訴棄却されたのは2018年2月14日で、堀や保見より1年以上も遅い。今年中に死刑が確定することはまず無いだろう。

もっとも、死刑事件は通常、被告人が最高裁まで裁判を続けるが、たまに第一審で死刑判決を受け、その時点で裁判を終わらせる被告人もいる。そういう被告人が今年中に現れないとも限らないので、そうなった場合、私の予想は外れることになる。


◎[参考動画]東海テレビ開局60周年記念ドキュメンタリードラマ「Home ~闇サイト事件・娘の贈りもの~」(tokaitvbroadcasting 2018/12/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

新年1月7日発売!月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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