当欄で冤罪事件として繰り返し取り上げてきた米子ラブホテル支配人殺害事件。一貫して無実を訴える被告人の石田美実さん(61)は、裁判員裁判だった鳥取地裁の第一審で懲役18年の有罪判決を受けながら、広島高裁松江支部の控訴審で逆転無罪判決を勝ち取った。しかしその後、最高裁で控訴審の無罪判決が破棄され、審理を広島高裁に差し戻されるという憂き目に遭った。

と、ここまでは、すでに新聞などでも大きく報道されていることだが、石田さんは現在、さらに理不尽な目に遭っている。11月27日に広島高裁(多和田隆史裁判長)で差し戻し控訴審の初公判が行われ、即日結審したのだが、その翌日から広島拘置所に勾留されてしまったのだ。

一度は無罪判決を勝ち取った冤罪被害者が、その無罪判決を破棄されたばかりか、有罪判決を受けたわけでもないのに、獄中の身になってしまう……この理不尽な仕打ちを受けた石田さんを広島拘置所に訪ね、現在の心境などを聞いた。

石田さんが勾留されている広島拘置所

◆本人は案外落ち着いた様子

筆者が広島拘置所で石田さんと面会したのは、広島地方は小雨が降っていた12月17日のこと。面会室に現れた石田さんは案外落ち着いていて、「無罪判決が破棄されたので、いつかこういうことになるかもしれないとは思っていたんです」と言った。そして、ここに連れてこられた日のことをこう振り返った。

「初公判の次の日、朝8時頃に広島高検の人たちが私の米子の自宅にやってきたんです。そして、勾引状を見せられ、車で広島高裁まで連れて行かれました。そこで、裁判官たちが協議して、勾留されることになったんです」

石田さんは2014年2月に逮捕され、2017年3月に控訴審で無罪判決を受けて釈放されるまで3年余り身柄を拘束されていた。ようやく勝ち取った自由を奪われ、再び勾留されてしまった現在は精神的にも相当きついはずだ。

しかし、石田さんは淡々とした話しぶりで、自分の置かれた状況を冷静に受け止めているように見えた。

◆現在は手記の公表を検討中

もっとも、静かな口調の中にも怒りは混じる。

「差し戻し控訴審は初公判で即日結審し、あとは判決を待つばかりなので、私が証拠隠滅する恐れはありません。それでも、(検察官や裁判官は)私が逃亡する恐れがあるから勾留するというのですが、私は控訴審で逆転無罪判決を受けて釈放されてから、鳥取県を一歩も出ていません。それに、先日あった差し戻し控訴審の初公判では、私は出廷の義務はないのに、米子から広島までやってきて、出廷したのです。そんな私が逃亡などするはずはありません」

石田さんの差し戻し控訴審が行われている広島高裁

まったくその通りだ。判決公判が来年1月24日なので、石田さんは獄中で年を越すことが確実になったが、あまりに酷い話である。

ただ、石田さん本人は前向きだ。

「これまでマスコミから取材依頼があっても、私は受けないようにしていました。裁判が続く間は、波を立てないようにしようと考えていたためです。しかし、今後は事実に基づいて、検察に言いたいことは言ってやろう、おかしいことはおかしいと言っていこうと思っています」

石田さんは現在、獄中で手記を執筆し、公表することを検討しているという。来年1月24日に無罪判決が勝ち取れたら一番いいが、石田さんの勾留を認めた広島高裁の裁判官たちの態度を見ていると、楽観はできない。この事件の動向については、今後も適時報告したい。

《お断り》
当欄で繰り返し取り上げてきた事件のため、事件の詳細については、今回は説明を省略しました。事件の詳細を新たに知りたい方は、過去の記事をご覧ください。
◎2016年の冤罪判決──再審無罪も出た一方で裁判員裁判で新たに2件の冤罪判決
◎鳥取の「知られざる冤罪」──米子ラブホテル支配人殺害事件、控訴審も結審
◎逆転無罪が相次いで出た広島と米子の冤罪事件「知られざる共通点」
◎2017年冤罪事件回顧 逆転無罪2件、再審開始1件をはじめ空前の当たり年に

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今年7月、教祖の麻原彰晃(享年63)をはじめとするオウム死刑囚13人が一斉に死刑執行され、ようやく一区切りついた感のある一連のオウム真理教事件。筆者は、この歴史的な死刑執行に関し、法務省や全国各地の矯正管区に情報公開請求し、1000枚を超す関連文書を入手した。

それを見ると、オウム死刑囚13人の死刑が2度に分けて執行された舞台裏は、ずいぶんドタバタしていたことが窺えた。

法務省などから1000枚を超す文書が開示された

◆「執行相当」と決裁する押印もかすれていて……

このほど法務省や全国各地の矯正管区から、筆者に開示された文書は、「死刑執行上申書」「死刑執行上申書」「死刑執行について」「死刑事件審査結果」「死刑執行指揮書」「死亡帳」「死刑執行速報」「死刑執行報告書」など。いずれも死刑執行の決裁や死刑執行後の報告に関する重要文書だ。

それらの文書によると、7月6日に執行された麻原ら計7人の死刑は、法務省内部で「執行相当」と決裁されたのが7月3日だから、わずか3日で執行の全手続きが終了していたことになる。また、7月26日に執行された他の6人の死刑については、法務省内部で「執行相当」と決裁されたのが7月24日だから、さらに1日短く2日で執行の全手続きが終了していたわけである。

これほどスケジュールがタイトだったためか、やけに目立ったのが、書類作成上のミスだ。

たとえば、麻原に関する「死刑執行について」という文書。この文書は麻原が敢行した犯罪事実などが記載されており、法務省の矯正局と保護局の幹部職員6人が死刑執行にゴーサインを出す決裁の印を押している。しかし、そのうち保護局の畝本直美局長と磯村建恩赦管理官の印はかすれてほとんど見えず、朱肉を十分につけずに慌てて押印していたのではないかと想像させられた。

とくに畝本保護局長については、麻原のみならず、12人の信者たちに関する「死刑執行について」という文書への押印も多くがかすれており、仕事が雑であるような印象を否めなかった。

また、「死刑事件審査結果」という文書では、法務副大臣の葉梨康弘氏の混乱ぶりが目についた。7月3日に決裁した麻原ら7人の同文書については、“押印”で決裁しているのに、7月24日に決裁した残り6人の同文書については、“サイン”で決裁しているのだ。

ちなみに、「死刑事件審査結果」については、法務大臣と副大臣は“押印”ではなく、“サイン”で決裁するのが慣例だ。葉梨氏は慣れない仕事のため、最初は誤って慣例と異なる“押印”で決裁してしまったのだろう。

麻原の「死刑執行について」。保護局の局長と恩赦管理官の印がかすれている

◆名前を間違われていた人も……

さらに各文書を見ていると、いくら死刑囚とはいえ、扱われ方が気の毒に思えた者もいる。「修行の天才」と言われた井上嘉浩(享年48)だ。

というのも、「嘉」という字が手書きになっていた文書があったばかりか、死刑執行後に作成された「死亡帳」という文書では、名前が「井上嘉弘」と誤って記載されていたのだ。「弘」に二重線が引かれ、「浩」と訂正されてはいたが、いかにもぞんざいな扱いがされている印象だ。

井上の「死亡帳」。名前の漢字を間違っている

死刑執行に関する文書は、情報公開請求に対して開示される際に多くの部分が黒塗りされるのが通例だが、それは今回も同様だった。黒塗りされなかった部分でミスが相次いでいるのを見ていると、黒塗りされた部分でも多くのミスがあったのではないかと思わざるを得なかった。

政治家や法務官僚たちにとって、オウム死刑囚の生命は綿毛より軽いものだったのだろう。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

あの衝撃から3カ月が過ぎてもなお、オウム真理教の教祖・麻原彰晃とその信者の死刑囚たちの同時大量処刑はまだチラホラとマスコミの話題になり続けている。実を言うと、私個人もこの一件については、他の多くの死刑執行のニュースとは違う受け止め方をせざるをえなかった。

処刑された信者の中に1人、面会したことがある人物がいたからだ。このほど両親が再審請求することが報道された井上嘉浩(享年48)である。

私が井上と東京拘置所で面会したのは2009年12月のことだった。地下鉄サリン事件で「現場指揮役」を務めたとされる井上は、少し前に最高裁に上告を棄却されており、この時点で死刑が事実上確定していた。

そんな時期に私が井上の面会に訪ねたのは、井上を支援している知人の男性A氏に「井上と面会するから一緒に行こう」と誘われたためだった。私はそれ以前、オウム真理教にも井上個人にも特別な興味は抱いていなかったが、せっかく誘ってもらったので、物見遊山の気分で面会に同行したのだった。

井上が収容されていた東京拘置所

◆面会室では、ニコニコして愛嬌があった

その日、井上は面会室に上下共にエンジのジョージ姿で現れた。テレビなどで見ていた井上は寡黙で、気難しそうな人物という印象だったが、面会室ではニコニコして、愛嬌があった。当時すでに40歳近かったが、まだ青年の面影を残していた。

この時に印象的だったのは、井上がA氏に発したこんな言葉だった。

「私は今の状況(死刑が事実上確定)について、究極の修行をさせてもらっていると思っているんですよ」

教団内で「修行の天才」と呼ばれていた井上らしい言葉だが、やはり死刑は怖いのだろうな・・・と思ったものだった。

また、井上はこの数日前、ノンフョクション作家の門田隆将氏と面会していたそうなのだが、そのことをA氏に怒られ、反論し切れずに困ったように苦笑いしている様子も印象的だった。A氏としては、「マスコミの人間と会っても良いことは無い」と考え、井上をとがめていたようだが、井上は門田氏と会うことに何らかの目的や狙いがあったのではないかな・・・と私は内心、考えていた。

その5年後の2014年、井上がオウムでの経験や裁判での主張を綴った手記が門田氏の解説付きで「文藝春秋」同年2月号に掲載されているのを見た時には、私は「ああ、やっぱり」と思ったものだった。

文藝春秋2014年2月号に掲載された井上の手記

◆「オウムで損なことばかりやらされていた」

報道によると、井上は確定死刑判決に事実誤認があると主張しており、死刑執行の4カ月前にあたる今年3月に再審請求を行っていたという。しかし実際には、私が面会した時点で再審請求するのを決めていたようで、面会中もA氏に対して「再審請求は焦ってないんですよ」と言っていた。焦っていないにしても、今年3月まで8年以上も再審請求していなかったのは不思議である。

いずにせよ、両親が再審請求することからは、井上が生前、両親に対しても事実誤認を強く訴えていたことが窺える。

井上は、私の職業がライターだと知っていたようで、「せっかくですから、あなたも私に質問したいことがあれば、してください」と言ってくれたが、私は正直、とくに聞きたいことは無かった。そう告げると、「では、あなたのためになる話を何かしたいと思います」と言って、「周囲の人の言うことをよく聞いてくださいね」というような話をしてくれた。正直、あまり頭に入ってこなかったが、井上の生真面目さが窺えた。

A氏によると、「井上はオウムで損なことばかりやらされていたんですよ」とのことだった。今思うと、それゆえに井上は地下鉄サリン事件で重要な役割を任せられ、その結果として死刑囚になってしまったのかもしれない。

処刑台に上がり、首に縄をかけられている時にも井上は、「これは究極の修行だ」と思っていたのだろうか。一度会ったことがある人物なだけに、処刑される直前の井上の心中を想像すると、私は胸が苦しくなるのである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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TBSが10月15日から「1番だけが知っている」という新番組をスタートさせた。番組のホームページでは、その番組内容が次のように紹介されている。

・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・

世の中のあらゆる業界に存在する“その道のNo.1”から、「1番だけが知っている」というとっておきの物語や驚愕の人物を聞き出し、その類まれなエピソードを紹介するこの番組。過去5回の特番では、「ビートたけしが唯一勝てないと思った芸人」や「北村晴男弁護士が魂震えたリアル“99.9”裁判」などを紹介し、その内容が放送終了後にWEBニュースで取り上げられるなど大きな反響を呼んだ。

・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・

要するに過去5回の放送が好評だった特番について、この秋からレギュラー番組化したということだ。MCは、各テレビ局から引っ張りだこの坂上忍氏と森泉氏が務めており、TBSとしては大きな期待を込めた新番組であることが窺える。

だが、私はこの番組が商業的に失敗し、なるべく早く終了して欲しいと心から願っている。なぜなら、この番組は特番だった頃、私のツイッターへの投稿を盗用した上、TBS側は私からそのことを指摘されても、何ら誠意ある対応をしようとしないからである。

◆コピペ同然で盗用

盗用行為が行われたのは、今年5月9日に放送された5回目の特番でのことだ。その放送では、最高裁で無罪判決が出た某冤罪事件について、「北村晴男弁護士が魂震えたリアル“99.9”裁判」として紹介していたのだが(そして大きな反響を呼んだそうなのだが)、私はこの某冤罪事件を裁判の一審段階から取材しており、このデジタル鹿砦社通信など様々なメディアで冤罪だと伝える記事を書いてきた。それもあり、番組を録画して視聴したところ、その放送内容には私が過去に執筆した記事に酷似しているところが目についた。

たとえば、放送では、直近5年(2012年度~2016年度)の司法統計に基づき、最高裁で無罪判決が出る確率が0.029%(10152人中3人)だと強調していたが、それは私がこの某冤罪事件について書いた昨年6月発売の雑誌「冤罪File」第28号の記事中で直近5年(2011年度~2015年度)の司法統計に基づき、最高裁で無罪判決が出る確率が0.038%(4人÷10403人)だと強調しているのと酷似していた。

左は、TBS「1番だけが知っている」5月9日放送の一場面。私が書いた「冤罪File」第28号の記事の一部(右)と酷似している

この部分については、この番組のスタッフが私の記事を真似て制作していたのだとしても、私は問題視するつもりはない。司法統計は、最高裁が全国各地の裁判所のデータを取りまとめ、ホームページなどで公表しているものであり、それをもとに誰がどのような表現活動を行なうのも自由だからだ。

しかし放送中、私のツイッターへの投稿を盗用していた場面は看過しがたかった。

盗用されたのは、私が昨年3月14日、この番組で「リアル“99.9”裁判」として紹介された某冤罪事件の冤罪被害者の男性らが広島市で開催した集会を取材し、その会場で弁護人の男性が語った話を短くまとめ、ツイッターに投稿していた文章だ。この番組のスタッフはそれをコピペしたのと同然の形で盗用し、あたかも自分たちが独自取材によりこの弁護人の男性の話を知り得たかのように装って放送したのだ。以下のように。

私がツイッターに行なった投稿(左)と、それをTBS「1番だけが知っている」が盗用した場面(右)

左の画像は、私が行なったツイッターへの投稿で、右の画像は、この番組の放送を画像化したものだ。私が平仮名で書いていた部分について、この番組では漢字に変えられている部分もあったが、それ以外はほとんど丸ごとコピペである。念のため、文字に起こすと以下の通りである。

【私のツイッターへの投稿】
私が29年で扱った中に絶対無実と思い、無罪にならなかった事件は数十件ある。大半の人は一審で諦めたり二審で疲れ切り、精神的にも経済的にも最高裁までもたなかった。今回の無罪は嬉しいが、それらの事件には悔いがある

【「1番だけが知っている」】
私が29年で扱った中に
絶対無実と思い
無罪にならなかった事件は
数十件ある
大半の人は一審で諦めたり二審で疲れ切り
精神的にも経済的にも最高裁まで持たなかった
今回の無罪は嬉しいが
それらの事件には悔いがある

よく恥ずかしげもなくこんなことを・・・・・・と逆に感心するくらい大胆な盗用ぶりである。なお、音声の紹介は控えるが、放送では、画面に表示されているテロップはナレーターによって読み上げられている。

◆誠意の無い番組プロデューサーとTBS社長

もっとも、私はツイッターへの投稿を盗用されただけなら、正直、このようにTBSの盗用行為を公の場で批判したりしたくなかった。この番組では、冤罪被害者の男性やその家族、支援者、弁護人の男性ら私が取材でお世話になった人たちが好意的に取り上げられていたからだ。そのような番組を公の場で批判すれば、私がお世話になった人たちにまでイヤな思いをさせてしまうかもしれない。私はそうなるのを避けたかった。

また、盗用された私のツイッターへの投稿は、良いコメントを紹介しているとは思うが、良いことを言っているのは私ではなく、あくまでコメント者の弁護人の男性だ。したがって、このツイッターへの投稿について、声高に権利を主張することも正直、避けたかった。

そこで、できれば、この盗用問題は水面下で解決したいと思い、私は簡易書留の手紙でこの番組のプロデューサーであるTBSの谷沢美和氏に対し、「誠意ある対応」を求めたのだが、回答期限までに何の返事もなかった。そこで、今度はTBSテレビ社長の佐々木卓氏に対し、取材を申し入れたのが、やはり回答期限までに何の返事もなかった。そのため、私としてもこの盗用問題を公にし、全面的に批判せざるをえなくなったという次第だ。

このTBS「1番だけが知っている」の盗用問題については今後も追及を続け、適時、経過をお伝えしていく。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

衝撃満載『紙の爆弾』11月号!公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他

社会を騒がせた殺人事件の現場を訪ねると、事件から何年も経っているのに、惨劇をしのばせる形跡を目の当たりにすることが少なくない。2000年代初めに社会を震撼させる大量児童殺傷事件が起きた、大教大付属池田小学校(以下、大教大池田小)を訪ねた時もそうだった。

大教大付属池田小学校旧正門を入ったところにある「祈りと誓いの塔」。追悼式典では現役の生徒が鐘を鳴らす

学校の外壁には鉄線が張り巡らされている

◆児童8人が刺殺された

「死刑になりたかった」

犯人の男が凶行に及んだのは、そんな身勝手な動機からだった。2001年6月8日の朝、大阪府池田市の無職、宅間守(当時37)は、自宅マンションの近くにある大教大池田小に侵入し、出刃包丁で次々に児童8人を刺殺。他にも児童13人と教員2人を刺して傷害を負わせた。

現行犯逮捕された宅間は、大阪地裁であった裁判でも「幼稚園ならもっと殺せた」と言い放つなど不遜な態度に終始。2003年8月に死刑判決を宣告されると、弁護人が大阪高裁に行った控訴を自ら取り下げ、死刑を確定させた。そして翌年9月、死刑の確定から1年に満たない異例の早さで、死刑を執行されたのだった。

◆外壁には鉄線、侵入者を威嚇するような防犯カメラ

校内に設置された防犯カメラ

私がそんな大事件の現場となった大教大池田小を初めて訪ねたのは、2015年6月7日のこと。その翌日は事件から14年の追悼式典が開かれるということで、旧正門を入ったところには、「祈りと誓いの塔」というモニュメントの周囲に参列者用のテントが張られ、パイプ椅子が並べられていた。

そんな大教大池田小で、私が目を奪われたのは、小学校らしからぬ厳重な防犯体制だった。学校の外壁は、部外者の侵入を困難にするために鉄線が張り巡らされ、校内にも侵入しようとする者を威嚇するかのように防犯カメラが設置されていたのである。

小学校というと、休日でも校門が開けられているような無防備なところも少なくない。しかし、この大教大池田小では、何年経っても学校関係者たちがあのような惨劇を2度と起こしてはならないという強い思いを持ち続けているのだろう。

今年の6月で、事件から17年。大教大池田小は今も毎月8日を「学校安全の日」と定め、避難訓練を実施するなどしているという。


◎[参考動画]クローズアップ現代+【傷ついても、きっと歩きだせる~附属池田小事件 15年目】6月8日 2011年度日本記者クラブ賞受賞(rudolph gunnel 2016年9月17日公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

ドラマや小説の殺人事件では、犯人は綿密な計画に基づき、完全犯罪を目指すのがお決まりだ。しかし、現実の殺人事件では、ああいう犯人はあまりいない。むしろ犯人は冷静さを欠いた状態で、無計画に犯行に及んでいる事件が圧倒的に多数なのが現実だ。

私が近年取材した中では、堺市資産家連続殺人事件の西口宗宏(57)がそうだった。

◆非道な犯行内容と裏腹に弱々しい雰囲気の犯人

「パンジョ」の駐車場

西口は2011年11月、堺市のショッピングセンター「パンジョ」の駐車場で、同市の歯科医夫人(当時67)を車に監禁し、河内長野市まで連れ去った。そして現金約31万円やキャッシュカードなどを奪うと、顔にラップを巻いて息ができないようにして殺害。死体は山林でドラム缶に入れて焼却した。

さらに西口は同年12月、知人である象印マホービン元副社長の男性(当時84)の堺市の自宅に押し入り、「騒いだら殺すぞ」と脅したうえで、両手足を結束バンドで拘束。現金約80万円やクレジットカードなどを奪ったうえで、またしても顔にラップを巻き、窒息死させた。

こうして犯行のあらましを見ただけでも、とんでもない凶悪事件であることは間違いない。西口はそれ以前にも保険金目的で自宅に放火した罪で服役しており、この連続殺人事件を起こしたのは出所後まもない時期だった。それゆえに、見るからに狂暴そうな人物を思い描いた人も少なくないはずだ。

だが、事件後ほどなく検挙され、死刑判決を受けた西口と大阪拘置所で面会してみると、実際の西口は小柄で、弱々しい雰囲気の人物だった。事件を起こした動機を聞いてみると、当時同居していた交際相手の女性に「仕事が決まった」と嘘をついてしまい、なんとかお金を得ないといけないと思いつめた末、強盗殺人をするほかないと決意するに至ったという。

◆現場が物語る、犯人の冷静さを欠いた心理状態

犯行現場の駐車場にはこういう防犯カメラがあちらこちらに設置されていた

その程度の事情で、なぜ2人もあんな酷い方法で殺さないといけなかったのか……と思った私だが、第1の犯行現場である「パンジョ」の駐車場を訪ねてみると、西口が当時、冷静な心理状態でなかったことだけはよくわかった。

というのも、その駐車場はあちらこちらに防犯カメラが設置されており、冷静な心理状態なら、こんな場所で犯行に及ぶはずがないことは疑いようがなかったからである。実際、西口が捜査線上に浮かんだ理由の1つが、この駐車場で様々な女性の後をつけている様子が防犯カメラにとらえられていたことだった。

私が「あんなに防犯カメラの多い場所で、あんなことをしたら、すぐに捕まると思わなかったんですか?」と尋ねると、西口は「当時はもう、そういうことを考える余裕はなかったんです……」と申し訳なさそうに言った。

当時の西口の心理を正確に解明するのは難しい。しかし、あんな残酷な殺害方法で生命を奪われた被害者やその遺族たちの無念さは筆舌に尽くしがたいものがある。

西口が駐車場で様々な女性の後をつけていたあたり。天井の防犯カメラにその様子が写っていた

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊紙の爆弾10月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

凄惨な殺人事件の現場を訪ねてみると、事件発生から長い年月が経っているのに、周辺の人たちがいつまでも心に生々しい傷を抱き続けていることがよくある。

18年前に栃木県宇都宮市の繁華街「オリオン通り」の宝石店で起きた放火殺人事件もその1つ。私が現場の宝石店跡地を訪ねたのは、事件から16年近くが過ぎた頃のことだったが、近くで小売業を営む人に当時の話を聞こうとしたところ、「何も話すことはないです」と強く拒絶された。

それは、この事件の世上稀に見る残酷さを物語っているように思われた。

惨劇が起きた宝石店があったオリオン通り

◆手足を拘束した6人をガソリンで焼殺

事件が起きたのは2000年6月のこと。犯人の男S(当時49)は金に困って強盗を企て、馴染みの宝石店に約1億4000万円相当の商品を用意させて来店した。そして宝石を奪い、店長ら女性従業員6人を殺害するのだが、恐るべきはその手口だった。

Sはまず、被害者6人の手足を粘着テープで拘束し、休憩室に押し込めた。そしてガソリンをまくと、ライターで火を放ったのである。

店舗は全焼。焼き殺された6人の遺体は性別の区別もつかない無残な状態だったという。

現場の宝石店があった場所はずっと空き店舗のまま

◆宇都宮に舞い降りた妖精

そんな現場周辺では、なかなか当時の話を聞かせてくれる人はいなかったが、現在も空き店舗のままの建物のシャッターに、切ない思いにさせられた。被害者たちを悼むように、妖精の絵が描かれていたからだ。

「文星アートプロデュース部」という署名があり、絵のタイトルは「宇都宮に舞い降りた妖精」と書かれていた。店舗として借りたいという人は現れないままでも、こうした絵が描いてあれば、地元の人も多少は気持ちが和むだろう。

犯人のSは、裁判で「殺す気はなかった」と主張したが、2007年に最高裁で死刑確定。2010年に東京拘置所で死刑執行された。

シャッターに描かれた「宇都宮の妖精」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』9月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

社会の耳目を集めた重大事件の現場を訪ねると、「こんな何の変哲もない場所で、あんな大事件が起きたのか……」という思いにとらわれることが少なくない。約19年前、東京都文京区の音羽幼稚園で起きた女児殺害事件もその1つだ。

もっとも、殺人の現場となった「公衆トイレ」は現在、取り壊れており、その跡地はうら寂しい雰囲気となっている。

現場の公衆トイレの跡地

◆公衆トイレで引き起こされた惨劇

音羽幼稚園で、母親と一緒に園児の兄を迎えに来た2歳の女児が失踪したのは1999年11月22日のことだった。母親が一瞬目を話したすきに、女児は忽然と姿を消したのだ。

そして3日後、この女児失踪事件は衝撃的な展開をたどる。失踪した次女を殺害したとして警察に1人の女が自首するのだが、それは音羽幼稚園に長男を通わせている別の母親だったのだ。

「被害者の女の子のことは幼稚園の敷地内の公衆トイレに連れ込み、首を絞めて殺しました。遺体は静岡の実家の庭に埋めました」

犯行をそう自供したYは、被害女児の母親とは顔見知りだった。

動機は当初、子供のお受験のことで生じた嫉妬であるように報道されたが、実際はそうではなかった。のちにYの裁判で明らかになったところでは、Yは被害女児の母親に病的な悪意を抱き、「女児を殺せば、母親と会わないで済む」という異常な心理で犯行に及んだとされる。

護国寺と入口は同じ音羽幼稚園

◆同じ敷地内の別の公衆トイレに感じられる防犯意識の高さ

同じ敷地内の護国寺の公衆トイレは警報装置を完備

私がこの現場を訪ねたのは2016年3月のこと。母親の一瞬のすきをつき、女児を公衆トイレに連れ込み、殺害するという犯行がどのようにして可能になったのかを自分の目で確認してみたく思ったのだ。

しかし、その公衆トイレは取り壊されていた。殺人事件の現場となった建物は取り壊されることがよくあるが、この事件の現場になった公衆トイレもやはり、園児や父兄の心情に配慮し、幼稚園側が取り壊したのだろう。

そのため、詳細な犯行状況はイメージしづらかったが、公衆トイレは幼稚園の建物のすぐそばにあったようで、加害者のYはごくわずかなすきをつき、犯行を実行したことはわかった。

同じ敷地にある護国寺の公衆トイレは、警報装置が備えつけられており、防犯意識の高さを感じさせられた。悲惨な事件を2度と繰り返すまいとする関係者たちの思いからの措置だろう。

ちなみに加害者のYは2002年に裁判で懲役14年が確定している。何も問題起こさずに服役生活を送っていれば、すでに刑期を満了し、社会復帰しているはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

英BBCは伊藤氏を取材し、「日本の秘められた恥(Japan's Secret Shame)」というドキュメンタリー番組を放送した(同局のHPより)

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件では、伊藤氏が海外のテレビに出演したりして、ますます注目度を高めている。

ツイッターなどを見ていると、この伊藤氏の活躍を支持者の人たちは大変喜んでいるようだが、1つ注意したほうがいいことがある。それは、山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたという話については、事実であるかのように吹聴しないほうがいいということだ。

なぜなら、伊藤氏はこれまで会見や取材、『Black Box』という著書などで再三、「レイプドラッグを飲まされたと思っている」などと訴えていたが、訴訟の中では、山口氏にレイプドラッグを飲まされたとは主張していないからである。

◆「山口はレイプドラッグを飲ませた」と吹聴するリスクとは

そのことを私が初めて知ったのは、今年1月に東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧した時だった。正直、意外性は感じなかった。なぜなら、伊藤氏本人も著書などでは、山口氏にレイプドラッグを飲まされた確証が得られていないことを明かしていたからだ。

伊藤氏の著書によると、事件があったという日、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと考える根拠は、(1)山口氏と一緒にお酒を飲んではいるが、自分は酒がとても強く、意識を失ったことなど一度もないこと、(2)その時の自分の記憶障害や吐き気などの症状が、インターネットで調べたレイプドラッグの症状と驚くほど一致していること――などだが、その程度の根拠では、たしかに訴訟の場で裁判官に事実と認定してもらえる可能性は低いだろう。

 

BBC「Japan's Secret Shame」より

そう考えると、伊藤氏が訴訟の中で、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと主張していないのは、賢明な判断だ。上記の(1)や(2)程度の根拠でレイプドラッグを飲まされたなどと主張すれば、むしろ裁判官の心証も悪くなりかねないからである。

だが、伊藤氏はそれでいいとして、ツイッターなどで確証もないのに「山口は詩織さんにレイプドラッグを飲ませてレイプした」などと吹聴している支持者の人たちはどうだろうか?

そういう人たちは、山口氏に名誉棄損で訴えられるリスクをもう少し考えたほうがいいと私は思う。ツイッターの発言でも名誉棄損で訴えられることはあるし、名誉棄損訴訟では、訴えられた側が自分の発言の真実性について立証責任を負うからだ。

 

BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

伊藤氏本人が訴訟で立証できないレイプドラッグ被害を、その時の状況などを直接的には知らない無関係の第三者が立証できるわけがない。山口氏に訴えられた場合、負ける可能性は決して小さくないだろう。

この訴訟に関しては、当欄で過去2回報告した通り、報道量は多いわりに訴訟記録を「取材目的」で閲覧している者がほとんどいないのが現実だ。中には、訴訟記録も閲覧せず、確たる根拠もなく山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたのが事実であるかのようにインターネットなどで喧伝している報道関係者もいるが、あまりにも無責任である。そういう人物たちこそ、山口氏に訴えられたらいいのに、と私は心から思う。

なお、伊藤氏は著書などで、山口氏のパソコンにより性行為中の様子を撮られたと感じたとも発言しているが、訴訟では、そのような撮影の被害も主張していない。

◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった 
◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏訴訟続報 ホテルの「防犯カメラ映像」をめぐる新情報 

◎[参考動画]BBC「日本の秘められた恥(Japan’s Secret Shame)」
Daily motion https://www.dailymotion.com/video/x6nih2o
ニコニコ動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm33446417


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

 

弁護士ドットコムニュース2018年6月21日付け記事

テレビ番組の制作費名目で現金を騙し取ったという詐欺の容疑で2016年11月に警視庁に逮捕されていた映画プロデューサーの佐谷秀美さん(58)が今月21日、東京地裁・高裁の庁舎にある司法記者クラブで会見し、裁判で無罪判決を受けていたことを明らかにした。

同日の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは会見を開いた理由として、「無罪判決が出てから一切の報道がされなかった。インターネットは私が逮捕された時点の記録になっている」「作品と私の名誉のために、判決を知って欲しいと思って会見を開きました」と語ったという。

私はこのニュースに、ある種の感慨を覚えた。佐谷さんが逮捕された当初、報道の情報から冤罪の疑いを読み取り、取材に動いたことがあったからだ。色々事情があって、結局、取材を続けられなかったのだが、佐谷さんが無罪判決をとれたのは喜ばしいことだ。

それにしても、なぜ、佐谷さんが2月に無罪判決を受けていたことがこれまで一切報道されなかったのか。この事件が残した教訓は何なのか。ここで少し考えてみたい。


◎[参考動画]映画プロデューサーの無罪確定 捜査を批判(ANNnewsCH 2018/06/21公開)

◆逮捕当初の報道から読み取れた冤罪の疑い

本稿を書いている時点で、この事件に関して私が知っている情報は少ないので、事実関係に踏み込んだことは言えない。だが、逮捕当初の報道を見ただけで、この事件は十分に冤罪の疑いを見出させる事案であった。

たとえば、産経ニュースは佐谷さんが起訴された際、2016年12月14日付けで〈「嫌われ松子の一生」の映画プロデューサーを起訴 5100万円詐取罪〉と題する記事を配信し、起訴内容をこう伝えている

 

産経ニュース2016年12月14日付け記事

〈起訴状では、平成22年2~3月、電子部品製造会社に特撮番組の企画を持ち掛け、関連グッズを商品化したり、映像化したりする権利の取得費や制作費名目で現金を振り込ませたとしている〉

この記事の伝える起訴内容などが仮に全部事実で、佐谷さんの持ちかけた特撮番組の企画が実現せず、電子部品製造会社が現金5100万円を丸ごと失っていたとしても、それだけでは佐谷さんがお金を騙し取るつもりだったのかはわからない。本気で実現に動いた企画が途中で潰れたとしてもおかしくないからだ。報道を見る限り、おおいに冤罪を疑われる事案だった。

実際、私は佐谷さんが起訴される前後のタイミングで、佐谷さんが連行されたという警視庁の目黒警察署の住所に、佐谷さん宛てで取材依頼の手紙を出していた。結果、「あて所にたずね当たりません」ということで手紙が返送されてきたのだが、本当に冤罪だった場合に記事を書くつもりだった『冤罪File』という雑誌が休刊になったため、追跡をしなかったのだ。

ちなみに前掲の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは目黒警察署に連行されたのち、原宿警察署に身柄を移送されていたという。それで私の手紙が届かなかったのかとスッキリした思いである。

◆世間で思われているほど人員が揃っているわけではない記者クラブ

佐谷さんの裁判が行われた東京地裁

では、なぜ、佐谷さんの無罪判決は一切報道されなかったのか。

マスコミが意図的に無罪判決を報道しなかったのではないかと勘繰る人もいそうだが、そうではないと私は思う。佐谷さんの裁判が行われた東京地裁・高裁の庁舎には、テレビや新聞といった司法記者クラブ系のメディアの記者たちが常駐しているが、彼らも世間で思われているほどには人員が揃っているわけではないからだ。

たとえば、私が2011年の春頃に東京地裁で、ある冤罪の疑いが濃厚な殺人事件の裁判員裁判を取材していた際のこと。その公判は事件の重大性のわりにマスコミの傍聴が少なかったのだが、たまに傍聴に来ていた司法記者クラブ詰めの新聞記者から「今、小沢一郎の陸山会事件の裁判をやっているから、この事件はあまり取材できないんですよ」と聞かされたことがある。

日本で最大規模の司法記者クラブである東京地裁・高裁の司法記者クラブの加盟社でも、すべての裁判をくまなくフォローできるほどに人員が揃っているわけではないということだ。

また、広島の元アナウンサー・煙石博さんの冤罪窃盗事件でも、2014年に広島地裁で一審の公判が行われていた頃、ある時を境にマスコミの傍聴取材が皆無に等しくなったことがある。広島土砂災害が発生したのをうけ、裁判を取材していた記者たちがみんな、そちらの取材に駆り出されたためだ。

地方のマスコミだと、そもそも地元で一番大きな裁判所に記者を常駐させておけるだけの人員すら揃っていないので、こんなことになるわけだ。

で、こうした現実を踏まえたうえで、今回の佐谷さんの事例から学べる教訓とは何だろうか?

自分の身の回りで何か報道されるべき出来事が起きた時には、マスコミが取材にくるのを待つのでなく、自分からマスコミに情報をリリースしたほうが良いということではないだろうか。私はそう思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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