伊藤詩織氏の著書『Black Box』

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件に関し、私は3月1日に当欄で次のような記事を発表した。

◎伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=24756

この記事は多くの人に読んでもらえたので、続報を出したいと考えていたのだが、今月上旬に東京地裁で訴訟の記録を閲覧したところ、気になる新情報があったので、お伝えしたい。それは、伊藤氏と山口氏が現場のホテルや部屋に出入りする場面を撮影していた防犯カメラの映像に関することだ。

なお、前回の記事は、山口氏を擁護したい人や伊藤氏を攻撃したい人に好評だったようだが、私自身は山口氏を擁護したい思いもなければ、伊藤氏を攻撃したい思いもない。現時点で判明している事実関係を見る限り、私は、山口氏のことをレイプ犯だと決めつけている報道や世論は不当だと思っているが、伊藤氏がSNSなどで「マクラ営業」などと言われているのもやはり不当なことだと思っている。その点はあらかじめお断りしておく。

◆「出費を強いられた伊藤氏」「映像提出に同意していた山口氏」

伊藤氏と山口氏の訴訟が行われている東京地裁

問題の防犯カメラの映像はすでに伊藤氏側から裁判に証拠として提出されているのだが、お伝えしたい情報は2つある。

1つ目は、伊藤氏側はこの防犯カメラの映像を裁判に提出するに際し、フリーで映像関係の仕事をしている杉並区の女性に依頼し、コマ送りした画像をプリントアウトしてもらっているのだが、そのために伊藤氏が合計で38万0591円の出費を強いられていることだ。その作業は現場のホテルの一室で行われたのだが、ホテルの室料や映像を編集する機材などをホテルに運び込むタクシー代が必要だったため、そんな大きな出費になったようだ。

これは、伊藤氏を支持し、応援している人たちにとっては、許しがたい話のはずだ。なぜ、性犯罪被害者が被害に遭ったことを証明するために、そんな大きな出費をしないといけないのか。そんなふうに思いをめぐらせ、ますます山口氏への怒りがわいてきたことだろう。

一方、2つ目の情報は、山口氏は違法な性行為などしていないと思っている人たちにとって、歓迎すべき情報ではないかと思われる。というのも、伊藤氏側がこの防犯カメラの映像を裁判に提出するに際し、ホテル側は山口氏側の同意を得ることを条件に挙げており、山口氏の同意があったからこそ、この映像は証拠として裁判に提出されたのだ。

記録を見ると、伊藤氏側、山口氏側共にホテル側に対し、防犯カメラ映像を裁判手続きの場以外で使用しないことなどを誓約したうえで、裁判に使用させてくれるように「協力」をお願いしている。つまりこの映像は、伊藤氏側には「レイプされた証拠」と思える一方で、山口氏側には「レイプなどしていない証拠」と思えるということだ。

ちなみにプリントアウトされたコマ送りの画像では、足取りがおぼつかない様子の伊藤氏が山口に支えられ、2人はホテルのロビーを歩いていることがわかるが、私には「どうとでも解釈できる映像」としか思えなかった。訴訟記録の閲覧もせず、この映像を山口氏がクロの決定的証拠であるかのように騒ぎ立てていた取材関係者もいたが、「山口氏に訴えられたらいいのに」と私は心から思う。

なお、私が前回の記事を書いた時以降、新たに2人がこの訴訟の記録を閲覧していたことが確認できたが、いずれも記録閲覧の目的は「取材」ではなかったことを付記しておく。


◎[参考動画]伊藤詩織はレイプで日本の沈黙を破った:結果は残酷だった|スカヴラン(Skavlan 2018/02/19公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入し、社員12人がはねられ、うち1人が亡くなる事件が起きてからもうすぐ8年。無期懲役判決を受けた犯人で同社の元期間工の引寺利明(50)がまた当欄への掲載を希望する手記を便せんに綴り、私のもとに送ってきた。その枚数は全部で39枚。前回は、妄想性障害と認定された引寺が精神鑑定について綴った手記の前半部分を紹介したが、手記の後半部分もまた興味深い内容だ。

◆どうでもいい内容の文章を延々と・・・

引寺の手記の後半部分がいかに興味深いのか。それは、よくぞここまで・・・・・・と逆に感心するほどに、第三者には「どうでもいいこと」を延々と綴っていることだ。

まず、手記の19枚目の最後の2行で、引寺はこう書いている(以下、〈〉内は引用。原文ママ)。

〈話は変わるが、ワシはモータースポーツが大好きなので、言いたい事があるとすぐに手記に書いてしまう〉

そして話はこう続く。

〈いつ頃だったかハッキリとは覚えていないが、岡山国際サーキットにおいて、バイクの練習走行中に多重クラッシュが発生し、3人のライダーが死亡し、4人のライダーがケガをするといった惨事が起きてしまった〉

これは昨年4月、岡山国際サーキットで起きたオートバイライダー7人の死傷事故のことである。この事故をめぐっては今年4月、遺族がサーキットと親会社を相手取り、総額約3億5000万円の損害賠償を求めて提訴することが報道されたが、引寺はこの件に関する私見を手記の20枚目から27枚目まで延々と綴っているのだ。

引寺利明の手記(19-20)

引寺利明の手記(21-22)

引寺利明の手記(23-24)

引寺利明の手記(25-26)

さらにこの話がひと段落つくと、今度は〈ワシはサーキットのレースも好きだが、公道レースにもスゲー興味がある〉と話題を変え、日本でも欧米のように公道でビッグレースが開催されることを望む思いが31枚目まで延々と綴られている。

引寺利明の手記(27-28)

引寺利明の手記(29-30)

さらにそれが終わると、今度は〈テレビで知った事だが、どうやら岡山にはとんでもない才能を秘めた女の子ドライバーがおるみたいじゃのー〉とまたしても話題を変える。そして、「親子鷹 F1レーサー夢見る 岡山の11歳女子小学生」などと報じられた女の子のことを39枚目まで延々と綴るのだ。

そして最後は、〈まあーなんじゃーかんじゃーゆーても、ワシは死ぬまで塀の中の熱狂的なモータースポーツマニアじゃあーーーーーーーー!! 以上〉と結んでいるのだが、本当に第三者にとっては、どうでもいい内容だと評価するほかない。

だが、私には、だからこそ引寺の手記は意味があるように思えるのだ。

引寺利明の手記(31-32)

引寺利明の手記(33-34)

引寺利明の手記(35-36)

◆書き損じはまったく無い

私はこれまで、全国各地の刑事施設(拘置所や刑務所など)に収容されている様々な被告人、受刑者と面会や手紙のやりとりをしてきた。その経験から、刑事施設に収容されていると、人の表現能力は大幅にアップするということを知った。他にやることが何もなく、集中力が高まるからか、とんでもなく長い文章を手書きで短時間のうちに書き上げたり、人生で絵を描いた経験などほとんど無かった者がプロはだしの絵を描けるようになったりすることがよくあるのだ。

引寺が膨大な量の文章を書けるのもその一例だと思うのだが、第三者にはどうでもいい内容の文章をここまで延々と書き連ねる者はこれまでいなかった。獄中で膨大な文章を書く者は何人もいるが、冤罪や刑務所職員からの不当な仕打ちを訴えるなど、何らかの「どうしても伝えずにおれない自分の主張や思い」を綴ってくる場合がほとんどなのだ。

引寺は一体何を期待し、このような文章をインターネット上で公表したいと考えたのか。引寺の真意は、おそらく本人以外にはわからないだろう。わかるのは、便せんで39枚もの手記を手書きするのには相当な労力を要するのは間違いないということだ。

しかも、引寺はこれだけ大量の文章をボールペン書きながら、書き損じはまったく無い。どうでもいい内容の文章を大量に綴りながら、引寺が集中力を研ぎ澄ましていたのは明らかで、それもまた不思議なところである。

精神医学や犯罪心理学の研究対象とすれば、何か発見があるのではないだろうか。

引寺利明の手記(37-38)

引寺利明の手記(39)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入し、社員12人がはねられ、うち1人が亡くなる事件が起きてからもうすぐ8年。無期懲役判決を受けた犯人で同社の元期間工の引寺利明(50)がまた当欄への掲載を希望する手記を便せんに綴り、私のもとに送ってきた。その枚数は全部で39枚。今回も2回に分けて紹介する。

◆「プロである精神科医の連中も、自分なりに解釈しとるだけじゃ」

引寺が岡山刑務所で無反省の日々を過ごしていることは当欄で何度も紹介してきた通りだ。今回の手記を見ても引寺が無反省なのは相変わらずだ。

ただ、手記の前半部分は「精神鑑定」をテーマに綴られていて、その内容は興味深い(以下、〈〉内は引用。とくに断りが無い限り、原文ママ)。

〈殺人事件の裁判において、弁護団が「被告は犯行当時は心神喪失状態だったとして無罪を主張する」といったケースがやたら多いが、こういう茶番はもうヤメよーで〉

そんな書き出しで始まる今回の引寺の手記。引寺は逮捕後、犯行動機について「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)被害に遭い、マツダを恨んでいた」と語ったが、裁判では精神鑑定に基づいて「妄想性障害」に陥っていると認定され、「集スト被害」も妄想だと判断された。引寺はその認定に不満を抱え続けているのだが、今回は自分のことだけでなく、精神鑑定全般について語ろうとしているわけだ。

引寺は起訴の前後で2人の医師の精神鑑定を受けているのだが、その時のことを語った以下の部分からは刑事事件の精神鑑定の実情が窺い知れるように思える。

〈ワシが疑問に思っていた心神喪失状態がどういう状況なのかについて、(筆者注・2人の精神鑑定医に)何度か説明してもらったが、プロである2人ともキッチリとわかっているようには見えんかったで。精神科医の連中も、自分なりに解釈しとるだけじゃ。どこまでが心神喪失状態ではなくて、どこからが心神喪失状態なのか?事件を起こした容疑者本人でさえ、犯行時の記憶があいまいだったり覚えていなかったりする場合が多いのに、犯行シーンを見てもない第三者の精神科医が、心身喪失状態のラインはここですゆーて、キッチリ線引きなんか出来る訳がねーよのー。結局の所、事件から数ヶ月もたった頃に精神鑑定を行い、担当医の独断と偏見により、精神障害におけるいずれかの症例にあてはめるだけじゃ。もし、プロである精神科医がキッチリと正確な精神鑑定を行う事が出来るのであれば、何人もの精神科医が一人の容疑者を精神鑑定したとしても、鑑定結果は全て同じになるはずなんで〉

私も被告人の責任能力が争点になる刑事裁判を取材していて、精神鑑定の結果は鑑定医の主観に大きく左右されるものであるように感じることは多かった。検察側も弁護側も、自分たちの主張に沿う鑑定意見を述べてくれ精神科医を見つけてこようと思えば、たいてい見つけてくることができる。そして最終的に、裁判官が下す結論は検察側に有利なものになることが多いのが現実だ。それゆえに私には、引寺の手記のこの部分は当を得ているように思える。

引寺利明の手記(01-02)

引寺利明の手記(03-04)

引寺利明の手記(05-06)

引寺利明の手記(07-08)

引寺利明の手記(09-10)

引寺利明の手記(11-12)

引寺利明の手記(13-14)

◆裁判官を「ダメおやじ」、弁護人を「おバカな弁護士」呼ばわり

他方、引寺はこの手記で自分の裁判に関する不満も色々述べているのだが、そこでは、裁判官はもとより弁護人のことも感情的な筆致で罵り、容姿を揶揄するようなことまで言っている。たとえば、控訴審の裁判長のことを〈「ダメおやじ」にそっくりなツラをした裁判長〉と言ってみたり、弁護人のことを〈オバカな弁護士〉と言ってみたりという具合だ。

自分の事件以外のことについては、的を得たことを言う一方で、自分の事件のことについて語ると、引寺はなぜこんな風になってしまうのか。精神鑑定が行われるような犯罪者の生態はやはり奥深いものがある。

なお、手記の20枚目以降では、引寺は事件とはまったく無関係のことを延々と綴っているのだが、それもまた興味深い内容だ。それは近日中に稿を改めて紹介したい。

引寺利明の手記(15-16)

引寺利明の手記(17-18)

引寺利明の手記(19)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』6月号 創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

介護に疲弊した人が高齢の親や配偶者を殺めてしまう事件が全国各地で相次いでいる。こうした「介護殺人」については、加害者の心情に寄り添った報道をよく見かけるが、世間には共感を覚える人も多いようである。

私はこの現象を見つめながら、いつもこう思う。マスコミは介護殺人の加害者の立場に思いを馳せることはできるのに、なぜ、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖(28)のことを安易に絶対悪と決めつけるのだろうか、と。「介護殺人の加害者の方々と植松なんかを一緒にするな」と思われた方もいるかもしれないが、私の考えを以下に記そう。

◆介護殺人の加害者には同情的なマスコミ

体を大便まみれにし、奇声を発する認知症の高齢者。親や配偶者がそんな状態になった人たちの心情は察するに余りある。しかも介護では、時間や労力も奪われ、経済的にも疲弊する。身も心もボロボロになり、ついに一線を越えてしまう――。

そんな介護殺人の悲劇は、介護を経験したことがある人はもちろん、介護の経験がない人にも他人事ではない。それゆえにマスコミも加害者の立場に思いを馳せるし、マスコミ報道を見た人たちもわが身に置き換え、加害者たちに同情するのだろう。

一方、2016年7月に相模原市の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、他にも26人の入所者や職員を刺して重軽傷を負わせた植松聖。ほどなく警察に自首して逮捕されたが、マスコミは植松が「障害者は不幸の源だと思った」と供述しているかのように報道。差別主義者が「身勝手な動機」から前代未聞の凶行に及んだ事件だとして一斉に批判した。

この事件に関する報道について、私がまず違和感を覚えるのは、被害者遺族の取り上げられ方である。

◆マスコミは植松と一緒に被害者の遺族や家族まで否定していないか?

植松が収容されている横浜拘置支所

植松が事件を起こした後、マスコミは次々に被害者の遺族を見つけ出し、「娘は不幸ではない」「寂しい思いでいっぱい」などと被害者の死を嘆き悲しむ声を伝えた。たとえば、次のように。

〈ある遺族は「あの子は家族のアイドルでした」と朝日新聞などの取材に語った。娘に抱っこをせがまれ、抱きしめてあげるのが喜びだった。被告は「障害者は周りを不幸にする」と供述したという。それがいかに間違った見方であるかを物語る。

苦労は絶えなかったかもしれない。それでも、一人ひとりが家族や周囲に幸せをもたらす、かけがえのない存在だった〉(朝日新聞2017年7月27日社説より)

あらかじめ断っておくが、私は植松の考えを肯定するつもりもない。しかし、どのマスコミもこの朝日新聞の社説のように「子供が障害者でも幸せだった」という一部の被害者遺族の声ばかりを取り上げ、「障害者やその家族が不幸だという植松の考えは間違いだ」という論調の報道ばかりになっているのを見ていると、私はこう思わずにいられない。

植松聖に殺傷された被害者の遺族や家族の中には、「自分たちを不幸だ」と思っていた人がいた可能性にもっと思いを馳せたほうがいいのではないだろうか?

マスコミが植松の犯行を肯定するわけにいかないのはわかる。しかし、それゆえにマスコミの多くは、植松のみならず、家族が障害者であることを不幸に思うこと自体を「絶対悪」として否定するような報道に陥ってしまっている。それは、被害者の家族や遺族の中に「自分たちは不幸だ」と思っている人がいた場合、そういう人たちのことも「絶対悪」として否定しているに等しい。

相次ぐ介護殺人を見ていれば、「家族ならどんな重い障害を持っていても一緒に生きていられたほうが幸せ」などと第三者が気楽に言ってはいけないことはわかりそうなものである。マスコミは植松のことを批判する前に、植松に殺傷された被害者の遺族や家族の中に「自分たちは不幸だ」と思っていた人がいた可能性に思いを馳せたほうがいい。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』6月号 創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

「余命三年時事日記」は書籍化もされヒットしているらしい

「余命三年時事日記」というブログの呼びかけにより巻き起こったとされる弁護士大量懲戒請求騒動。懲戒請求を受けた弁護士たちが提訴などによる反撃の意向を次々に表明し、注目を集めている。

報道によると、騒動のきっかけは全国各地の弁護士会が朝鮮学校への補助金の交付を求める声明などを出したことだという。在日朝鮮人に差別的なことで知られる同ブログの運営者は、この声明を「犯罪行為」と受け止めて弁護士たちへの懲戒請求を呼びかけ、これに賛同した人たちが一斉に大量の懲戒請求を実行したという。

そのような経緯のため、大量の懲戒請求を行った者たちのことを「差別主義者」と決めつけ、批判する声が多いが、本当に彼らは「差別主義者」なのだろうか? 私はそんな疑問を抱き、問題のブログを調べてみたのだが、結論から言おう。私は彼らのことを「差別主義者」だとみなす意見に賛同できない。

◆あのブログの信者たちが案の定訴えていた「集団ストーカー被害」

私は今回の騒動をうけ、「余命三年時事日記」というブログに初めてアクセスしてみたが、ブログ上では、運営者のファンとみられる人々の投稿が多数紹介されていた。その内容を検証したところ、「案の定」と思える記述が散見された。それは、「集団ストーカー」被害を訴える記述である。

 

問題のブログ「余命三年時事日記」

集団ストーカーとは、統合失調症の患者が訴えることの多い妄想被害の1つとして知られる。訴える具体的な被害は、「24時間盗撮・盗聴されている」とか「尾行されている」とか「部屋に勝手に入られた」などで、犯人としては在日朝鮮人や在日中国人、創価学会、ユダヤ人、同和地区の人たちなどがよく挙げられる。

また、社会的な注目を集める大事件の犯人が統合失調症に陥っており、集団ストーカー被害を訴えているケースもよくあり、私が過去に取材した中では、当欄でお馴染みのマツダ工場暴走事件の引寺利明や淡路島5人刺殺事件の平野達彦らがそうだった。

では、「余命三年時事日記」には、具体的にどんな集団ストーカー被害関係の記述があったかというと、次の通り(以下、〈〉内は引用。行替えと句読点は読みやすくなるように改めたが、それ以外は原文ママ)。

〈反日勢力から組織的嫌がらせ(集団ストーカー・テクノロジー犯罪)を長年受けている日本人です。一年半前から嫌がらせが激化し、ブログを書くようになりました。その流れで、ネットに接する機会が増えました。ある被害者ブロガーさんの記事で、余命三年時事日記を知りました。余命三年時事日記には、今まで受けてきた嫌がらせや違和感の正体が全て書かれていました。主犯(黒幕)が日本人でなかったことに安堵し、ブログ記事に感動し、初めて希望を持つことができました。感謝の念に堪えません〉

〈初めて書き込みさせてもらいます。日本には反日勢力による組織的な殺人、集団ストーカーというものが存在します。これらの被害に遭うのは保守の人たちが多いようです。それらに対抗しうる余命主導の何かを立ち上げて欲しいです〉

〈集団ストーカーについて読者からの投稿を時折、ブログに載せて頂きましてありがとうございます。多くの日本人に、この犯罪を広く認知されるのが解決への第一歩だと思っています。そうすれば、在日帰化人達が声高に叫ぶ「共生」が絵空事だと、日本人に理解して頂けると考えております〉

〈投稿させてもらいます。余命三年時事日記をネットで知らない人のため、集団ストーカー・創価学会・朝鮮人あたりで検索に引っかかるように出来たら余命さんファンも増えるんでは増えるんでは^^;〉

文脈からすると、このブログのファンたちのうち、集団ストーカー被害を訴えている者たちは在日朝鮮人が集団ストーカーの犯人だと思い込んでいるようだ。彼らは今回、それゆえに大量の懲戒請求に走ったのだ。

◆精神疾患に冒された人たちである可能性を念頭に置いた対応を

この他、投稿者の中には「電磁波攻撃」や「テクノロジー犯罪」の被害を訴える者もいたが、それらも統合失調症の患者がよく訴える妄想被害だ。ということは、このブログの運営者や、大量の懲戒請求を行ったこのブログのファンに対処する際には、彼らが統合失調症を患っている可能性を考慮しないわけにはいかない。

今回の大量懲戒請求騒動に関するSNS上の意見を見ていると、懲戒請求を行った者たちのことを「ネトウヨ」とか「差別主義者」と呼んで批判したり、「頭の弱い人たち」とバカにしたりする人が目立つ。マスコミ報道も総じて、そのような論調だ。

それでは、何の解決にもならないどころか、病識の無い彼らを頑なにさせ、むしろ事態を悪化させかねないのではないかと私は懸念する。彼らが「差別主義者」ではなく、精神疾患に冒された人たちである可能性を念頭に置き、慎重な対応をすべきだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

人生をより良く終えるための活動として、すっかり一般化した「終活」。獄中で過ごす高齢の受刑者の中にも、この活動を行っている者がいる。

中村泰(ひろし)という。大阪と名古屋で現金輸送車を襲撃する事件を起こし、現在は岐阜刑務所で無期懲役刑に服している。しかしそんなことより、1995年に起きた歴史的未解決事件「警察庁長官狙撃事件」の真犯人だという説が根強い「東大中退の老スナイパー」として知られている。

この中村については、当欄でこれまでに繰り返し紹介してきたが、今年4月24日で88歳になった。生きているうちに自分のことを警察庁長官狙撃事件の真犯人だと社会に認めさせるべく、獄中にいながらマスコミの取材を積極的に受け続けてきたが、近年はガンやパーキンソン病を患い、健康状態は決して良くない。

そんな中村から私のもとに、「終活」の一環のように思える手紙が届いたのは、3月下旬のことだった。

◆獄中からの「提案」

〈思い返せば、私は長い拘禁生活の間に随分多くの本を読みました。それも多くは熟読といえる形でです。社会で生活していればとうていそれだけの時間的余裕はなかったでしょうから、囚われの生活といえども必ずしも不毛というわけでもなさそうです。

それでこれらの本がどうなったかですが、その大半は他者に贈り、残りは廃棄ということになっています。

そこであらためてご相談したいのですが、今後、私が(所持量規制のため)手離さざるをえなくなった書籍を受け入れていただけないでしょうか。

それには物を書くことを仕事にされている方には多少とも役に立つ場合もあるのではという希望的観測もなくはないのですが。もちろん差し上げるものですから不要となれば適宜処分されても結構です。

それともう一つ提案があるのですが、それはこの新年度から私物の保管容器が更新されまして、従来よりもその容量が小さくなってこれまで保有していた事件関連書類の一部を手離さざるをえなくなりました。そこで、もし関心がおありでしたら、(事件関連の報道記事等を含む)それらを提供したいと思いますので。受け取っていただければ幸いに存じます。

これらの案件につきましてご回答いただきたく待っています〉(以上、中村の手紙より)

中村は大変頭の良い人物で、手紙ではいつも読みやすく、わかりやすい文章を書いてくる。現在はパーキンソン病のため、字は多少震えているが、少なくとも文章力については、年齢による衰えは感じられない。しかし高齢となり、大病を患っていることから、自分の死期が迫っていることをこれまで以上に強く感じるようになったのだろう。私はこの手紙を読み、率直にそう感じたのだった。

◆武力革命を志向した男らしい読書

私はこの中村の手紙に対し、「書籍も事件関係の書類も頂けるなら頂きたい」と手紙で返事をした。それからまもなく中村より届いたのが次の15冊の本だった。

中村泰から送られてきた15冊の本

【1】米中もし戦わば(文藝春秋) 著/ピーター ナヴァロ 訳/赤根洋子
【2】ゲバラのHIROSIMA(双葉社) 著/佐藤美由紀
【3】狙撃兵ローザ・シャニーナ――ナチスと戦った女性兵士(現代書館) 著/秋元健治
【4】スナイパー――現代戦争の鍵を握る者たち(河出書房新社) 著/ハンス・ハルバーシュタット 訳/安原和見
【5】狙撃手のオリンピック(光文社) 著/遠藤武
【6】オン・ザ・ロード(中央公論新社) 著/樋口明雄
【7】逆説の日本史 19 幕末年代史編2 井伊直弼と尊王攘夷の謎 (小学館) 著/井沢元彦
【8】逆説の日本史 20 幕末年代史編3 西郷隆盛と薩英戦争の謎 (小学館) 著/井沢元彦
【9】警察捜査の正体 (講談社) 著/原田宏二
【10】警視庁監察係 (小学館) 著/今井良
【11】へんな星たち 天体物理学が挑んだ10の恒星 (講談社) 著/鳴沢真也
【12】拳銃伝説 昭和史を撃ち抜いた一丁のモーゼルを追って(共栄書房) 著/大橋義輝
【13】狙撃 地下捜査官 (角川書店) 著/永瀬隼介
【14】ヤクザになる理由 (新潮社)  著/廣末登
【15】日本人なら知っておきたい満州国の真実 別冊宝島2203(宝島社)

東大在学中から武力革命を志向した中村は、「個人の力で歴史を変えるような軌跡を残したい」という野心の実現のために長年、銃の腕を磨いてきたという。警察庁長官を狙撃した動機についても、「オウムの犯行に見せかけて警察のトップを殺害し、警察が本気でオウム殲滅に動くように仕向けるためだった」と語っている。私は、そんな中村が獄中で読んでいたという15冊の本を見て、どれもいかにも中村が好みそうな本だと思ったものだった。

中村はおそらく、自分が死去した後も自分のことを警察庁長官狙撃事件の犯人だと語り継いでくれそうな取材関係者たちに対し、同様の「終活」を行っているのだと思われる。私も中村の思いを受け継ぎ、今後も彼こそが警察庁長官狙撃事件の犯人だと言い続けていきたいと改めて思った。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』6月号 創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

6月22日に公判が行われる最高裁

当欄で過去に取り上げた冤罪事件の1つ、米子市のラブホテル支配人殺害事件について、不穏な情報が伝わってきた。控訴審で逆転無罪判決(第一審は懲役18年の有罪判決)を勝ち取った被告人、石田美実さん(60)の上告審で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)が検察側、弁護側双方に弁論をさせる公判を6月22日に開くことを決めたというのだ。

最高裁は通常、書面のみで審理を行うが、(1)控訴審までの結果が死刑の場合と(2)控訴審までの結果を覆す場合には、判決や決定を出す前に公判を開き、検察側、弁護側双方に弁論をさせるのが慣例だ。つまり、石田さんは(2)に該当し、最高裁で「再逆転有罪判決」を受ける可能性が出てきたということだ。

結果はまだわからないが、長く冤罪に苦しめられながら控訴審で逆転無罪判決を勝ち取った石田さんやその家族、弁護人らは今、不安な思いにかられているのは間違いない。この事件を第一審の頃から取材してきた私は、やり切れない思いだ。

◆控訴審では凄まじい努力があってこその逆転無罪判決だったが・・・

この事件について、当欄では2016年12月28日2017年2月17日同4月14日同12月27日で4回に渡り、取り上げてきたので、今回は事件の詳細な説明は省略する。どんな事件かを端的に言えば、予断を排し、丹念に事実関係を検証していけば、まぎれもなく冤罪だと理解できる事件だ。

もっとも、私は一方で、無罪判決を獲得する難易度は高い事件だとも思っていた。予断を排し、丹念に事実関係を検証しなければ、冤罪であることを理解するのが難しい事件でもあるからだ。

その理由は第一に、事件現場に密室性があることだ。2009年9月29日の夜に事件が起きた現場は、米子市郊外のラブホテルの事務所で、ラブホテルと無関係の人間がふらりと被害者の男性支配人を襲うために訪れることはあまり考えられない場所だ。そんな状況の中、このラブホテルの店長だった石田さんは事件が起きた時間帯、その現場に他の従業員らと居合わせてしまったのだ。

名張毒ブドウ酒事件や和歌山カレー事件もそうなのだが、このような現場に密室性があり、「犯人はその場にいた人間の誰か」であることが疑われる事件では、無実の被疑者が身の潔白を証明するのは難しい。そのため、おのずと冤罪判決が生まれやすくなる。

第二に、石田さんには、一見疑わしく見える事実がいくつかあった。たとえば、事件翌日に230枚の1000円札をATMに入金していたり、事件翌日から車で大阪に行くなどして1カ月以上も家をあけ、警察からの再三の事情聴取の呼び出しにも応じなかったりしたことだ。

実際には、230枚の1000円札については、現場のラブホテルの店長だった石田さんがゲーム機の両替のためにストックしておいたものだということは銀行の振込記録などから裏づけられていたし、石田さんは元々長距離トラックの運転手で、過去にも同程度に長く家を空けたことはあった人だった。つまり、長く家をあけたこと自体は、別に石田さんが犯人であることを示す事情ではなかったのだ。

しかし、そういうことは、予断を排し、丹念に事実関係を検証しないと、わからない。「疑わしきは被告人の利益に」という大原則がお題目と化した日本の刑事裁判では、こういう冤罪事件で無罪判決が出ることは極めてマレだ。

それゆえに、石田さんが控訴審で逆転無罪が勝ち取れたことについては、私は内心、一貫して無実を訴え続けた本人や弁護人の凄まじい努力があってこその奇跡的な出来事のように思っていた。それだけに、石田さんが今、最高裁で再び冤罪判決を受ける危険にさらされている状況は理不尽極まりないとも思うのだ。

◆捜査にも問題は多かった

この事件の現場には密室性があると言ったが、実際には、事件発生直後に現場に臨場した警察官たちの捜査が杜撰で、別の真犯人の侵入や逃走の形跡を見逃していた可能性も浮上している。石田さんはこの事件の容疑で逮捕される前、虚偽の申告をしてクレジットカードをつくったという言いがかりのような詐欺容疑で別件逮捕もされている。つまり、捜査段階から色々問題があったこの事件でもあるということだ。石田さんの裁判の結末を見届けたうえ、改めて当欄で報告したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

犯罪の疑惑をマスコミに報じられた人物について、世間の多くの人がクロと決めつけて批判するのは毎度のことだ。それにしても、性犯罪の疑惑の場合、世間の人々が抱く有罪バイアスは他の犯罪よりはるかに凄まじい印象だ。

昨年来、各界の著名な男性たちが性犯罪や性的な不祥事の疑惑を報じられ、社会的に抹殺されていく光景を見ながら、私はそう思わざるを得なかった。具体的には、元TBS記者・山口敬之氏のレイプ疑惑、財務省事務次官・福田淳一氏のセクハラ疑惑、タレント・山口達也氏の強制わいせつ疑惑に関する世間の反応のことを言っている。順に振り返ってみよう。

◆取材の基本を怠った人たちにクロと決めつけられた山口敬之氏

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

まず、元TBS記者・山口敬之氏のケース。昨年5月、週刊新潮でジャーナリストの伊藤詩織氏へのレイプ疑惑を報じられ、さらに伊藤氏が実名・顔出しで山口敬之氏からレイプされたと告発したことなどから、山口敬之氏は「レイプ魔」と決めつけた人々からの大バッシングにさらされた。

しかし、当欄の3月1日付け記事で報告した通り、伊藤氏が山口敬之氏を相手取って東京地裁に起こした民事訴訟について、その記録を「取材目的」で閲覧していた者は今年1月の段階でわずか3人だった。山口敬之氏本人はレイプ疑惑を否定しており、起訴もされていないため、当事者双方の主張内容や事実関係を確認するために民事訴訟の記録を閲覧するというのは取材の基本だが、それを行った取材者が3人しかいなかったということだ。

それにも関わらず、山口敬之氏をクロと決めつけた報道が大量になされ、報道を鵜呑みにした人たちが山口敬之氏をクロと決めつけて批判しているわけである。これは恐ろしいことだと思う。

◆福田氏の発言が事実でもセクハラとは断定できない

続いて、財務省事務次官の福田淳一氏のケース。福田氏がテレビ朝日の女性記者に「胸触っていい?」とか「手縛っていい?」などのセクハラ発言をした疑惑については、そのような発言があったことまでは間違いないようだ。最初に報じた週刊新潮が音声データをインターネットで公開しているからだ。そのため、疑惑を否定している福田氏は、往生際悪く言い逃れをしているだけのように見られ、いっそう厳しい批判にさらされている。

しかし実際問題、男性が女性に対して性的発言をすること自体は、セクハラにはあたらない。それがどれほど卑猥な内容の発言だったとしても、男性と女性の関係性やその発言がなされた経緯によっては必ずしも問題があるとは言い切れないからだ。

つまり、福田氏のセクハラ発言疑惑をクロと断定するには、本来、被害者とされる女性記者との関係性や、問題とされる発言に至った経緯などが十分に検証されなければいけない。しかし、今のところ、信頼に足る検証結果が示されたとは言い難い。

◎[参考動画]“胸触っていい?”「財務省トップ」のセクハラ音声(デイリー新潮 2018年4月12日公開)

◆電話番号を聞いたのは山口達也氏?

そして最後に、女子高生に無理矢理キスをした疑惑が持ち上がった山口達也氏のケース。山口達也氏の場合、疑われているようなことをしたこと自体は本人も認めている点が前2者と異なる。しかし、根拠のない憶測により実際より悪質な事案であるように言われている可能性がないわけでもない。

私がそれを感じたのは、タレント・松本人志氏がテレビで次のような発言をしたという報道を見た時だった。

「高校生に電話番号、聞かないって。連絡先を聞いたときは少なくとも酔ってなかったと思うんでね、だからやっぱり、おかしいんですよ」(MusicVoice4月29日配信記事より)

山口達也氏は事件を起こした時に酔っており、電話で被害者とされる女子高生を呼び出したとされるが、電話番号を聞いたのが山口達也氏だったと松本氏はなぜ、わかったのだろうか。おそらく松本氏は、女子高生のほうが山口達也氏に電話番号を聞いていた可能性を考えていないのだ。


◎[参考動画]【TOKIO 山口達也】緊急記者会見(パパラッチ2018年4月26日公開)

◆「被害者」の主張に異論を述べることは許さないという雰囲気

とまあ、このように性犯罪や性的な不祥事を起こした人物については、世間の人々が抱く有罪バイアスは強力だが、もう1つ怖いことがある。それは、性犯罪や性的な不祥事に関しては、「被害」を訴える女性の主張に異論を述べることを許さないような雰囲気が出来上がりやすいことだ。

実際、この記事を読み、私が伊藤詩織氏やテレビ朝日の女性記者、女子高生らを貶めたように受け取り、不快感を覚えた人もいるのではないだろうか。

もしも不快感を覚えた人がいるとすれば、執筆者として申し訳なく思う。しかし、私は同様のことを今後も言い続けるだろう。なぜなら、「被害」を訴える人の言うことを鵜呑みにしたり、事実関係の検証をおざなりにすることは、冤罪防止の観点から絶対にやってはいけないことだからだ。

この記事を読んだ人の全員がそのことを理解してくれるとは思わないが、少しでも多くの人が理解してくれたらありがたく思う。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

2018年4月13日付時事通信より

2004年10月に広島県廿日市市(はつかいちし)で発生し、長く未解決の状態が続いていた高2女子刺殺事件の容疑者が4月13日、14年ぶりに逮捕された。容疑者は、隣県の山口県宇部市で両親と暮らしていた35歳の男で、被害者とは一面識もなく、過去に1度も捜査線上に浮かんでこなかったという。

そんな男が逮捕されたきっかけは、別件の暴行事件を起こしたことだったとされる。逮捕され、指紋やDNA型が調べられたところ、広島の高2女子殺害事件の現場に残された犯人の指紋やDNA型と一致したという。

科学捜査が進んだからこその逮捕劇と言えるが、私はこのニュースを聞き、複雑な思いにとらわれていた。以前から薄々感じていた「警察は県外からやってくる殺人者に弱いのではないか」という疑念がやはり間違っていないように思えたからである。

◆県外の人間が犯人でも何らおかしくなかった今市事件

容疑者が勾留されている廿日市署

報道を見る限り、今回の容疑者逮捕は間違いなく「たまたま」だ。容疑者の男は、職場の同僚とのいさかいで尻を蹴飛ばし、暴行の容疑で逮捕されたそうだが、そのような事件を起こさなければ、おそらく永遠に逮捕されなかったろう。何も事件を起こさなければ、指紋もDNA型も警察に調べられることなかっただろうからだ。

実を言うと、私は冤罪事件の取材をしていて、事件の真相はこれと同じようなパターンではないかと思うことが少なくない。というのも、真犯人は県外の人間であったとしても何らおかしくないのに、警察が頭から県内の人間を犯人だと決めつけ、そのために生まれたように思える冤罪はわりとよくあるのである。

たとえば、無実を訴える勝又拓哉被告(35。第一審は無期懲役)の控訴審が東京高裁で進行中の今市事件がそうだ。2005年に栃木県今市市(現在の日光市)で市立大沢小学校の小1女児が下校中に失踪し、茨城県の山中で他殺体となって見つかったこの事件。警察の捜査は、犯人は学校のある地域に土地勘のある人物だということを本線に進められたと言われる。実際、2014年に検挙された勝又被告は子供の頃、わずかな期間だが、被害者と同じ大沢小学校に通ったことがある人物だった。

しかし、私は現地も取材したのだが、大沢小学校は高速道路のインターチェンジのすぐ近くにあり、県外から土地勘のない人間がふらりと女の子をさらいに来ても、何らおかしくないように思えた。この事件については、私は様々な事情から冤罪だと思っているが、犯人が土地勘のある人物だという警察の見立てが冤罪を招いた元凶であるように思えてならないのだ。

◆飯塚事件でも「犯人は県外の人間」の可能性はなかったか?

2008年に処刑された久間三千年元死刑囚(享年70)について、冤罪の疑いが根強く指摘されている1992年の飯塚事件もまたしかりだ。殺害された小1女児2人が学校の近くで失踪し、遠く離れた峠道沿いの山林で遺体となって見つかったこの事件。福岡県警は当初から被害者らと同じ地区に住んでいた久間元死刑囚を犯人と決めつけていたと聞く。

しかし、私が関係現場を車で回ってみたところ、土地勘がなければ犯行が不可能だったり、困難だったりするだろうと思える要素は何もなかった。私は久間元死刑囚のことは冤罪だと確信しているが、この事件も真犯人は県外の人間で、それゆえに「犯人は土地勘のある人間」という予断を抱いていた警察からまんまと逃げ切ったのではないかという思いが拭えない。

犯罪を誘発する可能性を考えると、「警察は県外からやってくる殺人者に弱いのではないか」ということは、心の中で思っても口に出さないほうがいいのかもしれない。しかし、そういう視点も必要ではないかと思い、あえて口にした。

飯塚事件では科警研がDNA型鑑定の際、犯人の資料をすべて消費したために再鑑定は不能だが、今市事件はDNA型鑑定を行うための資料はまだ残っている。栃木県以外の警察が被疑者の指紋やDNA型を調べる際には、常に今市事件の犯人とも照合するようにしてもらえないだろうか。そうすれば、この事件の真犯人もいつか捕まるのではないかと私は思うのだ。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

女性記者に対するセクハラ発言の疑惑を報道された財務省の事務次官が辞任した。事務次官本人は疑惑を否定しているが、今のご時世、セクハラ発言は官僚のトップの首が飛ぶような重罪だということだ。

そんな中、私はふと自分が20代、30代だった頃のことを思い出し、「少し前の日本は今では信じられないくらい様々なことに寛容だったなあ…」と感慨にふけってしまった。

というのも、「今やればアウトだが、少し前なら全然OKだった」ということは、歩きタバコや犬の放し飼いなど色々あるが、ワイセツ関係のことに目を向けても、痴漢やレイプ、少女のヌードに至るまで、かつての日本は様々なことに驚くほど寛容だったからである。

◆レイプを〈悪〉として描いていなかった日本映画

 

東映ビデオのVシネマ「痴漢日記」

たとえば、痴漢。今は卑劣な行為の代名詞のように思われているが、少し前まではそうではなかった。もちろん痴漢は昔から犯罪ではあったが、東映ビデオが製作していたVシネマの「痴漢日記」や「新痴漢日記」のシリーズには、全国放送のテレビドラマに出るような有名俳優が普通に出演していたものである。それはきっと痴漢を肯定的に描いた作品に出演しても、イメージが悪くなることはなかったからだろう。

レイプもそうだ。現在、15歳の時に輪姦された女性の実話が映画化された「私は絶対許さない」が公開中だが、今はレイプを映画の題材にする場合、このように絶対悪として描いた社会派作品ではないと許されないのではないかと思われる。

しかし、ひと昔前の日本映画では、田中裕子主演の「ザ・レイプ」という社会派の作品もあるにはあったが、むしろレイプを悪と認識していないような描き方をした作品のほうが圧倒的に多かった。たとえば、「極道の妻たち」シリーズや「鬼龍院花子の生涯」、「瀬戸内少年野球団」などのことを私は言っているのだが、「ああ、そういえば・・・」と思い出された方も少なくないはずだ。

◆宮沢りえの『サンタフェ』は氷山の一角

 

宮沢りえの写真集『サンタフェ(Santa Fe)』(1991年11月朝日出版社)。撮影は篠山紀信。発売当時、宮沢は18歳だった

さらに私が思い出すのは、つい少し前の日本では、街中で小さな女の子の裸を見かける機会も決して珍しくなかったことだ。私が中学生くらいの頃には、コンビニで小さな女の子が裸になっているようなビデオが当たり前のように棚に並んでいたものだ。また、テレビドラマや映画で子役の女の子が全裸で入浴しているシーンもちらほら見かけたものだ。

数年前に児童ポルノが単純所持も処罰対象になった際、宮沢りえが10代の頃に撮影されたヌード写真集『サンタフェ』を所持していた場合はどうなるか・・・・・・ということが話題になったが、あれは「氷山の一角」だ。昔はむしろ、18歳未満の女優やアイドルがヌード写真集を出したり、映画で脱いだりするのは当たり前だったからだ(ちなみに宮沢りえがサンタフェの撮影を行ったのは18歳の時だったそうだ)。

名前を出すことは自主規制しておくが、現在50代後半以上の有名女優たちの中には、高校生くらいの年齢の頃に映画で脱いでいる人は少なくない。今は逆に30代で水着のグラビアをやっている女性タレントが珍しくない時代だが、世の中は随分変わったものである。

くだんの財務省の事務次官は、女性記者に「胸触っていい?」とか「手縛っていい?」などというセクハラ発言をした疑惑を報じられ、辞任せざるをえなくなったが、この疑惑が事実だという前提に立てば、「やむをえない」と思うのが今の日本人の一般的な倫理感覚だろう。

しかし、80年代や90年代くらいの日本人がもしも今の日本にタイムスリップしてきたら、「なぜ、それくらいで?」と首をかしげるのではないだろうか。あるいは、逆に今の若者が80年代、90年代にタイムスリップすれば、街中で普通に少女のヌードをみかける様子を見て、日本人のモラルの低さに驚くのではないだろうか。

霞が関のセクハラ騒動を眺めつつ、ふとそんなことを考えた

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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