昨年12月27日にフジテレビが放送した『報道スクープSP 激!世紀の大事件V』という番組では、和歌山カレー事件で死刑判決を受けた林眞須美死刑囚の長男に取材したうえで「林眞須美の長男が真相告白」と銘打った放送がなされた。

しかし、その放送内容は事実関係に間違いが多いばかりか、虚偽の事実を担造したとみなすほかない場面や、事実を歪める編集がなされたとみなすほかない場面も散見された。

前編では、この番組の和歌山カレー事件に関する放送の6つの問題場面のうち、4つについて検証結果を報告した。後編では、残り2つの問題場面とフジテレビ側の主張について報告する。

◆問題場面5 長男が林死刑囚を犯人視し、動機を知りたがっていると思わせる編集

5つ目の問題場面は、番組の放送が始まって38分を過ぎたあたりで現れる。それは次のような場面だ。

夜の公園でインタビューを受けている長男。「それにしても長男はなぜ私たちの取材を受けてくれたのか」というナレーションに続き、次のような長男の発言が流される。

「ま、裁判の経過を見た時、動機だったり、あのお、そういう部分がちょっとこお、ちゃんと解明されてなくて、真実として、真相っていうんですか、それが一番知りたいです」

そして次に、林死刑囚の裁判の一審の判決文が画面に映し出され、こんなナレーションが流される。

「死刑判決は林眞須美がカレーにヒ素を入れたその動機について、未解明としています。長男はどうしても動機を知りたいのです。なぜなら、あの日の母はいつもと少しも変わらなかったから」

このナレーションの途中から林死刑囚の若い頃の写真が画面に映し出され、「なぜ母はカレーに毒を?」という大きなテロップが画面に映し出される――。

【問題場面5】長男が林死刑囚を犯人視し、動機を知りたがっていると思わせる編集

私はこの場面を観た時も驚きを禁じ得なかった。これでは、あたかも長男が林死刑囚のことを和歌山カレー事件の犯人だと認識したうえで、林死刑囚がカレーにヒ素を入れた動機をどうしても知りたいと思っているかのようだからだ。実際には、前編で述べたように長男は林死刑囚を無実だと信じ、その雪冤のために活動し続けている。なぜ、こんな放送になったのか。

私は放送後、長男に事実関係を確認したが、この番組の取材を受ける中で「動機」云々の話をしたのは、「母がカレーにヒ素を入れた動機を知りたい」という趣旨からではなく、「母が和歌山カレー事件の犯人だという判決を出すならば、裁判所には動機をしっかり説明してほしい」という趣旨からだとのことだった。つまり、裁判で「動機が未解明」とされていることは、林死刑囚が犯人だと認定されていることにも疑いを抱かせる事実ではないかと長男は考えているわけだ。

この場面も事実を歪める編集が施されたものだとみなすほかない。

◆問題場面6 公開済み捜査資料を「未公開」と偽り、新事実がわかったかのような虚偽

問題場面6は、番組の放送が始まって41分30秒あたりで現れる。

ホースで水をまいている林死刑囚の映像。そこで「林眞須美はなぜ、カレー鍋にヒ素を入れたのか」というナレーションが流される。そして次に、『和歌山市園部におけるカレー毒物混入事件捜査概要』というタイトルの捜査資料が「未公開」という大きなテロップと共に画面に映し出され、今度はこんなナレーションが流されるのだ。

「今回入手した、警察の未公開捜査資料には、犯行に至る経緯が記されています。未解明とされた動機に結びつく、警察がそう判断した出来事です」

その後、夏祭り会場の隣にある民家のガレージにおいて、女性たちが夏祭りで提供されたカレーを調理するなどしながら、その場にいない林死刑囚の陰口を言ったり、その場に現れた林死刑囚を阻害したりする再現ドラマが流される。

そして最後は、「こうした対応に疎外感を募らせた眞須美は激高し、犯行に及んだ。それが警察の見立ての1つです。その後、1人で見張り番に立った眞須美は、致死量の1000倍を超える、100グラム以上のヒ素を鍋に入れた」というナレーションが流され、林死刑囚役の女優がガレージに置かれたカレーの鍋の中にヒ素を入れて再現ドラマは終わっている――。

【問題場面6】公開済み捜査資料を「未公開」と偽り、新事実がわかったかのような虚偽

この場面には主に3つの虚偽があった。

第一に、『和歌山市園部におけるカレー毒物混入事件捜査概要』という捜査資料が「未公開」のものだというのが虚偽だ。この捜査資料は2002年の時点で複数の週刊誌の誌上で公開されており、それ以後もコピーを入手した林死刑囚の弁護団によって市民集会で公開されるなどしており、まったく未公開のものではないからだ。

第二に、「林眞須美はカレーの調理をした女性たちの対応に疎外感を募らせて激高し、犯行に及んだ」という“警察の見立ての1つ”の紹介の仕方が問題だ。

実際には、この警察の見立ては林死刑囚の裁判で審理の俎上に載せられながら事実と認められておらず、それもあって裁判では、林死刑囚がカレーにヒ素を入れた動機は未解明とされている。しかし、この問題場面6では、そのことに一切言及せず、実際にはすでに公開されている捜査資料が未公開のものだという虚偽の事実を示したうえ、この捜査資料によりこの“警察の見立ての1つ”が今回初めてわかったかのように紹介している。

虚偽に虚偽を重ねた悪質な放送だとみなすほかない。

第三に、問題場面6の再現ドラマについて、『和歌山市園部におけるカレー毒物混入事件捜査概要』に記された情報のみをもとに制作したかのように紹介しているのも虚偽だ。この再現ドラマで女優たちが述べているセリフには、判例雑誌や判例データベースに収録された林死刑囚の裁判の確定判決(=一審判決)をもとに制作されたことが明白なものが複数あるからだ。

それは、以下のように並べて比べてみれば、一目瞭然だろう。

(1)再現ドラマで「群馬さん」という仮名の女性が述べたセリフ
「朝の調理にこうへんかったし、来るかどうか分からへんわ」

〈1〉『判例タイムズ』第1122号に掲載された林死刑囚の確定判決で、「群馬」という仮名の人物が述べたとされている発言
「朝調理に来なかったから、来るかどうか分からへんわ。」

(2)再現ドラマで林死刑囚が「群馬さん」という仮名の女性に対し、述べたセリフ
「群馬さん、氷、どうなってんやろ」

〈2〉『判例タイムズ』第1122号に掲載された林死刑囚の確定判決で、林死刑囚が「群馬」という仮名の人物に対し、述べたとされている発言
「群馬さん、氷どおなってんのかな。」

(1)と〈1〉、(2)と〈2〉はいずれもセリフが酷似しているのみならず、実在する女性につけられた「群馬」という仮名まで一致している。こんな偶然はありえない。

つまり、林死刑囚の確定判決で事実と認められなかった“警察の見立ての1つ”について、この番組の制作スタッフは林死刑囚の確定判決も参考に再現ドラマ化しておきながら、「すでに公開されているのに、未公開のものだという虚偽の説明をした捜査資料」により初めてわかった事実であるかのように紹介しているわけである。

これは極めて悪質な虚偽だというほかない。

◆「公正な報道」と主張する「株式会社フジテレビジョン報道部」

さて、前後編の2回に渡り紹介したような様々な問題があったこの番組の放送内容について、フジテレビの制作スタッフたちはどのように考えているのだろうか。

私はまず、この番組の和歌山カレー事件の放送部分を担当したディレクター尾崎浩一氏に電話で取材を申し入れた。

しかし、尾崎氏は電話口で責任を免れようとする態度に終始し、結局、「番組の担当者から取材にはこたえないように言われた」とのことで取材に応じなかった。その「番組の担当者」とは誰のことかと尋ねても、尾崎氏はそれすらも答えようとしなかった。

このような尾崎氏とのやりとりのあと、私はどのように取材を進めるべきかを考えた末、フジテレビの代表取締役社長である宮内正喜氏に対し、手紙で取材を申し入れた。手紙では、前後編で報告した6つの問題場面の問題点を書面にまとめて指摘したうえ、これらの放送内容の問題について、どのように受け止め、今後、どのような対処をするつもりかを回答するように宮内氏に依頼した。

結果、配達証明郵便により「株式会社フジテレビジョン報道局」名義で回答があったが、その内容は以下の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご回答

貴殿から当社宮内正喜宛の平成30年2月19日付文書(「貴殿文書」)に対し,以下の通りご回答致します。

当社が昨年12月27日に放送した番組「報道スクープSP 激動!世紀の大事件V」のうち和歌山カレー事件に関する部分(「本件放送」)は,関係者に対するインタビューを含む適切かつ十分な取材に基づいた,公正な報道であり,貴殿文書に「問題場面」として記載された各ご指摘はいずれも本件放送に該当しないものと考えます。

上記の通りですので,当社側は,貴殿による取材には応じかねます。

以上

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり、「株式会社フジテレビジョン報道局」は、前後編で紹介したような様々な問題があるこの番組の放送内容を「公正な報道」だと主張するわけだ。これでは、この番組に限らず、フジテレビの報道全般の公正さを疑われても仕方がない。

なお、この番組では、チーフプロデューサーを石田英史氏、総合演出を加藤健太郎氏がそれぞれ務めている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

67人がヒ素中毒に陥り、うち4人が死亡した和歌山カレー事件は今年7月で発生から20年(1998年発生)を迎える。この事件では、メディア総出の犯人視報道にさらされた林眞須美死刑囚が2009年に死刑が確定したが、林死刑囚は一貫して無実を訴えており、近年は冤罪を疑う声も増えてきた。

かくいう私もこの事件に関しては、10年以上前から林死刑囚が冤罪である可能性を疑って取材を重ね、現在は林死刑囚の無実を確信するに至っている。その過程では、事件発生当時の報道も徹底的に検証したが、林死刑囚を犯人と決めつけていた報道の多くは裏づけ不十分の虚報だったこともわかっている。

そのような事情から、私は今もこの事件に関する報道は常に注視しているのだが、最近は一定のレベル以上の報道が増えたような印象を受けていた。しかし、残念ながら例外もあった。昨年12月27日にフジテレビが放送した『報道スクープSP 激動! 世紀の大事件V』という番組だ。

この番組では、林死刑囚の長男らに取材したうえ、「林眞須美の長男が真相告白」と銘打った放送がなされていた。しかし、その放送内容は事実関係に間違いが多いばかりか、虚偽の事実を捏造したとみなすほかない場面や、事実を歪める編集がなされたとみなすほかない場面も散見された。

この事件を長く取材してきた者として、私はこの番組の放送内容に怒りを禁じ得なかった。また、公共性、公益性の観点からもこのような放送は放置しておけないと思った。

そこで、この番組の和歌山カレー事件に関する放送の6つの問題場面について、ここで前後編の2回に分けて検証結果を報告する。なお、問題場面の映像をここで紹介するに際し、再現ドラマに出演している俳優の顔には、私がモザイクを施した。

◆問題場面1 林死刑囚を犯人視した長男のコメントを捏造した再現ドラマ

この番組はまず、小学5年生だった事件当時の長男が自転車をこいだり、母である林死刑囚と一緒にソーメンを食べたりする再現ドラマから始まる。この再現ドラマで流されたナレーションがいきなり酷かった。それは次のようなものだ。

「19年前、小学5年の夏でした。母が一度に4人もの命を奪い、殺人者となったのは」
「母の名は眞須美といいます」

私はこの場面を観た時、のぞけるほど驚いた。なぜなら、長男は林死刑囚の無実を信じ、その雪冤のために活動し続けており、このナレーションのような林死刑囚を和歌山カレー事件の犯人だと断定したことを言うわけがないからだ。

放送後、私は長男に事実関係を確認したが、案の定、この番組のスタッフから取材を受ける中、林死刑囚のことを犯人と断定するようなことなど「言っていない」とのことだった。この番組の制作スタッフが長男のコメントを捏造したのだ。

【問題場面1】林死刑囚を犯人視した長男のコメントを捏造した再現ドラマ

◆問題場面2 長男が林死刑囚を犯人視し、批判したように事実を歪める編集

【問題場面2】長男が林死刑囚を犯人視し、批判したように事実を歪める編集

2つ目の問題場面は、番組の放送が始まって4分30秒が過ぎたあたりで現れる。それは次のような場面だ。

パソコンの画面で、林死刑囚が逮捕前にインタビューを受けている映像を観ている長男。その映像では、林死刑囚は泣きながら、「なぜこんなにね、私たちだけをね、報道陣がそのように書いてね、なんでこんなひどいことを…」と語っているのだが、長男はこれを観ながら次のように言う。

「涙を流してるからと言って、あのお、なんていうか、これを擁護する気は子供としては無いかな、と。泣いて済む問題じゃないんじゃないかな、と」

この場面にも私は驚いた。文脈からして長男が林死刑囚のことを和歌山カレー事件の犯人だと認識したうえで、「泣いて済む問題じゃない」と批判しているような印象を与える編集が施されていたからだ。

先述したように長男は林死刑囚の無実を信じ、その雪冤のために活動し続けている。林死刑囚のことを和歌山カレー事件の犯人扱いし、批判するようなことを言うわけがない。

実際、私が長男に確認したところ、この発言は和歌山カレー事件に関して述べたものではなく、林死刑囚が事件前に行っていた「保険金詐欺」について述べたものだったという。それを和歌山カレー事件に関して述べた発言であるかのように事実を歪める編集が施されたのだ。

◆問題場面3 長男が両親らの保険金詐欺の犯行を目撃したような虚偽の再現ドラマ

【問題場面3】長男が両親らの保険金詐欺の犯行を目撃したような虚偽の再現ドラマ

3つ目の問題場面は、番組の放送が始まって13分10秒が過ぎたあたりで現れる。

それは、林死刑囚が健治氏と共謀し、保険金詐欺を行うところを再現したドラマだ。そのドラマは、健治氏が自分の足を知人の泉克典氏に金属バットで殴らせて骨折し、交通事故に遭ったように偽る手口で保険金詐欺を行った経緯がドラマ化されたものだ。

この再現ドラマには主に2点の虚偽があった。

1点目は、林死刑囚や健治氏らが保険金詐欺を企て、健治氏が自分の足を泉氏に金属バットで殴らせて骨折するまでの一連の経緯について、長男が常にかたわらで目撃したような内容になっていたことだ。

私はこのドラマを観た時、これも虚偽だとすぐにわかった。というのも、私は健治氏からこの保険金詐欺を行った時のことについては何度も話を聞いているのだが、長男が常にかたわらで健治氏らの犯行を目撃したという話は一度も聞いたことがなかったからだ。

私は念のため、放送後に健治氏と長男に事実関係を確認したが、2人はいずれもこの再現ドラマのように健治氏らの保険金詐欺の犯行を長男が常にかたわらで目撃していた事実など「なかった」と答えた。

2点目の虚偽は、健治氏らが犯行に及んだきっかけだ。

この再現ドラマは、健治氏が階段から落ちて右ひざを負傷した際、林死刑囚から「この程度のケガじゃあ、おりんなあ。事故にでもおうて、骨折れるくらいせんと保険はおりんよ」と言われ、泉氏に金属バットで足を殴らせ、骨折することを思いついたかのような筋書きになっている。

しかし実際には、健治氏はこの犯行に及んだ経緯について、泉氏から「それじゃ、とてもじゃないけど入院できない」「打撲程度じゃ、外来通院になる」と言われたからだと主張している。それは、林死刑囚の裁判の控訴審判決などで確認すれば容易にわかることだ。

私は放送後、改めて健治氏にも事実関係を確認したが、健治氏はこの裁判における主張を今も維持しており、林死刑囚の言葉をきっかけに犯行に及んだかのような再現ドラマの筋書きを否定した。

◆問題場面4 夫らへのヒ素使用を長男が本当だと思っているように思わせる編集

4つ目の問題場面は、番組の放送が始まって15分40秒あたりで現れる。それは、林死刑囚が健治氏や泉氏にヒ素を飲ませ、多額の保険金を手にしていたとされる疑惑について、再現ドラマやナレーション、長男がインタビューを受けている映像などにより紹介した場面だ。

【問題場面4】夫らへのヒ素使用を長男が本当だと思っているように思わせる編集

林死刑囚は裁判で保険金詐欺をしていたことは認めつつ、保険金詐欺のために健治氏や泉氏にヒ素を飲ませていた疑惑は否定しているのだが、結果的にこの疑惑も有罪とされている。この場面はその裁判の認定通り、林死刑囚が健治氏や泉氏にヒ素を飲ませていたとする内容となっている。

ここで問題は、この場面の最初から最後まで画面の右上に「1998和歌山毒物カレー事件」「林眞須美の長男が真相告白」というテロップが表示されていたことだ。なぜなら、長男は林死刑囚が和歌山カレー事件の犯人ではないと信じているのみならず、健治氏や泉氏にヒ素を飲ませていたとされることに関しても林死刑囚は無実だと信じているからだ。

それにも関わらず、上記のテロップを表示させたまま、林死刑囚が健治氏や泉氏にヒ素を飲ませていたとする内容の放送をすれば、あたかも長男は林死刑囚について、健治氏や泉氏にヒ素を飲ませていたのは本当のことだと認識しているかのようだ。

これも事実を歪める編集だとみなすほかない。

以上が前編だ。後編では、残り2つの問題場面とフジテレビ側の主張について報告する。

▼片岡健(かたおかけん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

最新『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

当欄で注目の冤罪裁判の1つとして紹介してきた名古屋地裁の元小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判で3月28日、判決公判があり、安福幸江裁判官は被告人・喜邑拓也さん(37)の無実の訴えを退け、懲役2年・執行猶予3年を宣告した。私は冤罪事件を多く取材し、酷い判決を見慣れているため、今さら冤罪判決が出たくらいで驚かない。しかし、何度経験しても冤罪が生まれる場面に立ち会うのは辛いものだ。少々日が経ってしまったが、いかなる不当判決が出たかを報告しておきたい。

◆傍聴席からは「ええ~っ」と女性の悲鳴

「被告人を懲役2年に処する」

多数の喜邑さん支援者とマスコミが集まって60席の傍聴席が満員になった名古屋地裁の第902号法廷。安福裁判官がそのように判決主文を読み上げた時、傍聴席から「ええ~っ」という女性の悲鳴が上がった。これまで冤罪事件の裁判であまた繰り返されてきた悲劇的な光景だ。

判決によると、喜邑さんは2016年1月、当時勤務していた清須市の小学校の教室内において、小1女児の服の中に襟元から手を入れ、胸を直接触るなどしたとされた。

安福裁判官はそのように認定したうえで「大胆で悪質」「不合理な弁解に終始し、反省していない」と喜邑さんを指弾。一方で、臨時教員だった喜邑さんが職を失ったことから「社会的制裁を受けている」と実刑判決を避けた事情を説明した。この判決を朗読する間、安福裁判官は目の前に立つ喜邑さんを厳しくにらみ続け、正義感に酔いしれている様子が窺えた。

一方、判決の言い渡し中は被告人席で肩を落とし、微動だにせず座ったままだった喜邑さんだが、公判後、支援者たちへの報告集会でこの時の気持ちをこう振り返った

「公判廷なので冷静な態度でいないといけないと思いましたが、正直、裁判官に言ってやりたかったです。不当判決だ、これはおかしい、と」

その気持ちはよくわかる。今まで冤罪とは無縁の世界で生きてきた善良な市民にとっては、まったくもって耐え難いだろう明白な不当判決だったからだ。

判決後、支援者に報告する喜邑拓也さん(右から3人目)と弁護団、両親

◆教室に20人程度の生徒がいながら目撃証言は皆無なのに・・・

当欄で指摘してきた通り、そもそも検察側の主張の筋書きは「20人程度の生徒がいた掃除の時間中の教室」で喜邑さんが上記のような犯行を行ったという非常に不可解なものだった。しかも、その場に20人程度の生徒がいながら、なぜか犯行の目撃証言は皆無だった。

また、喜邑さんの犯行を裏づける唯一の直接的証拠である「被害女児」の供述についても、供述内容に大きな変遷があり、心理学者から「確証バイアスを持った母親が女児から被害状況を聞き取る中、女児が虚偽の記憶を植え付けられた可能性がある」と指摘されていた。

一方、喜邑さんは「事務机で漢字ノートの採点をしていたら、女児がチリトリにゴミをたくさん取って見せてきた。頭を撫でてやろうとしたら、手が女児の首からアゴのあたりに触れてしまっただけ」と一貫して主張していたが、きわめて自然な話であり、どちらの主張に信ぴょう性があるかは明らかだった。

では、なぜ、この無実の訴えが退けられたのか。

安福裁判官はまず、「女児の供述内容は具体的で、実際に体験した者でしか語れない内容」などという定型的な事実認定で、女児の供述が信用できると判示。また、母親の供述のみならず、スクールカウンセラーの供述とも女児の供述内容が整合的であることを根拠に、母親の聞き取りで女児が虚偽の供述を植え付けられた可能性を否定したのだ。

これに対し、喜邑さんは、「生徒の供述は詳細だから信用できると裁判官は言いますが、私はやっていないということを詳細に説明することなどできません」と批判。弁護人の中谷雄二弁護士は「スクールカウンセラーは事前に情報を得たうえで、女児から話を聞いていたのに、判決ではそれに触れていなかった」と事実認定の杜撰さを指摘した。これもまたどちらの主張に分があるかは自明のことだった。

◆母は「もう桜を見ても悲しい思いにしかなれません」と涙

喜邑さんは、「控訴して今後も戦っていきますので、最後まで応援をよろしくお願いします」と支援者たちに誓ったが、「正直、交差点でこのまま飛び込んだら楽になるとも思った」と明かすなど、相当なダメージを受けているようだった。

また、母の優美子さんが「今日は桜が咲いていましたが、もう桜を見ても悲しい思いにしかなれません」と涙ながらに語る様子もあまりに痛ましかった。

何も力になれない筆者もはがゆいが、この事件の動向については、今後も当欄で適時、報告させてもらうつもりだ。少しでも多くの人に注目してもらいたい。

◎[関連記事]冤罪・名古屋の小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判が年度内に決着へ(2018年2月21日)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ 広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

栃木県行政不服審査会の不見識な答申書

2005年に栃木県今市市(現在の日光市)の小1女児・吉田有希ちゃんが殺害された「今市事件」では、無実を訴える勝又拓哉被告(35)が一審・宇都宮地裁で無期懲役判決を受けた。そして現在は東京高裁で控訴審が係属中だが、めぼしい証拠は捜査段階の自白しかないことなどから冤罪を疑う声は少なくない。

この事件の取材を進める中、栃木県警が勝又被告の無罪証拠になりうる行政文書を遺棄していた疑惑が浮上した。それに関する栃木県行政不服審査会の不見識な対応と併せて紹介したい。

◆自白の矛盾を客観的に裏づける栃木県警のポスターが遺棄されていた・・・

まず、「勝又被告の無罪証拠になりうる行政文書」とは何か。それは、勝又被告が検挙される以前、栃木県警が事件の情報提供を求めるために県内各所に張り出していたポスター、県内各所で配布していたチラシなどである。

では、これらがなぜ、勝又被告の無罪証拠になりうるのか。そのことはすでに当欄の昨年4月6日付け記事「今市女児殺害事件をめぐる冤罪疑惑──見過ごされた自白調書の明白なウソ」で説明している。

今もネット上で画像が散見される「無罪証拠になりえるポスター」

県内各地に張り出されていた栃木県警の情報提供募集のポスターなどは今もネット上のあちこちに画像がアップされているが、有希ちゃんの事件当日の服装がイラストや写真で紹介されている。そして捜査段階の自白では、勝又被告は「これらのポスターを見るたびに怖い思いがしていました」と供述している。しかし、一方で勝又被告はなぜか、「有希ちゃんの服装は、赤いランドセルを背負っていたこと以外は憶えていません」と供述しているのだ。ポスターなどで紹介された有希ちゃんの事件当日の服装は、黄色いベレー帽や「とっとこハム太郎」の絵が描かれたピンクの運動靴など非常に特徴的であるにも関わらず・・・。

この捜査段階の自白における勝又被告の供述内容はどう見ても辻褄が合っていない。栃木県警の情報提供募集のポスターなどはそのことを客観的に裏づけ、自白の信用性を否定しうるからこそ、勝又被告の無罪証拠になりうるというわけだ。

そこで私はこのポスターなどについて、より公的な物を入手すべく、昨年1月、栃木県警に対し、公文書の開示請求を行ったのだが・・・。

ほどなくして栃木県警は私に対し、非開示の決定を告げてきた。すでに「廃棄した」というのだ。

これは、被告人が無実を訴えて裁判が係属中の事件について、警察が無罪証拠になりうる公文書を遺棄したという重大不祥事ではないか。私はそう考えた。そこで決定を不服として、栃木県公安委員会に対し、審査請求を行った。すると今度は、栃木県公安委員会から諮問を受けた栃木県行政不服審査会の不見識な対応を目の当たりにすることになったのだ。

◆栃木県警側の言い分を鵜呑みにした栃木県行政不服審査会

栃木県公安委員会からの諮問に対し、栃木県行政不服審査会は今年2月2日付けで答申したという。この答申書の写しはほどなく私のもとにも届いたが、それには「結論」がこう綴られていた。

〈栃木県警察本部長(以下「実施機関」という。)が行った公文書非開示決定(文書不存在)は妥当である。〉

このような「結論」が示されるのは予想の範囲内だった。問題は、栃木県警が「廃棄した」と言っている公文書、すなわち今市事件の情報提供募集のポスターなどについて、廃棄したことの妥当性に関する栃木県行政不服審査会の判断だ。それは次のようなものだった。

〈実施機関は、本件対象公文書を特定し、条例に基づき本件処分を行っていることを踏まえると、実施機関の主張のとおり、刑事訴訟上の証拠となりうる性質の文書でないと判断される。〉

要するには栃木県行政不服審査会は、ポスターなどの内容や勝又被告の捜査段階の自白内容をまったく検証せず、栃木県警側の言い分のみに基づいて、ポスターなどが勝又被告の無罪証拠になりうることを否定したのだ。

これでは、栃木県行政不服審査会が存在する意義はないのではないだろうか。この件に関しては今後も取材を続け、適時報告したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私はこの連載において、鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚の本質は「悪人」というより、「善悪の感覚が一般的な日本人と違う人物」だと指摘してきた。それゆえに私利私欲のために平気で人を殺せるし、人を殺したあとも何ら悪びれることなく、無実を訴え続けることができるのだ。端的に言えば、上田死刑囚とは「サイコパス」ということになるだろう。

その上田死刑囚のサイコパスぶりを示すエピソードとして、非常に印象深いことがある。それは、テレビ朝日「報道ステーション」の敏腕ディレクターだった岩路真樹氏(享年49)が2014年8月末に自死し、しばらくした時のことだった――。

◆岩路氏の死を悼む手紙を次々に送ってきたが・・・

〈岩路さんが亡っちゃいました。もう、ショックでショックでどうしようもありません。10/1に知りました。お亡りになったのは8/29だそうです。私に会いたいと言っておられたそうです。残念です(中略)大好きだったのに岩路さんの事・・・・47才ですよ。若すぎる..〉(2014年10月2日消印の葉書より)※以下〈〉内は引用。句読点を修正した以外、特に断りがない限りは原文ママ。

上田死刑囚からそんな内容の葉書が届いたのは2014年秋のことのだった。

私は当時、まだ裁判中だった上田死刑囚への取材を重ねていたうえ、鹿砦社の月刊誌「紙の爆弾」で上田死刑囚が連載する手記の入稿に協力していたこともあり、上田死刑囚と手紙をひんぱんにやりとりしていた。一方、司法関係の取材に熱心だった岩路氏も上田死刑囚への直接取材を重ねていたのだが、私と岩路氏は知り合いのため、上田死刑囚の手紙に岩路のことが書かれていることは以前からよくあった。そしてこの時も上田死刑囚はマスコミ関係者から岩路氏の死を知らされるや、ショックや悲しみの思いを私に伝えてきたのだ。

私はこの葉書の内容にまず“違和感”を覚えたのだが、そのことは後で述べる。ともかくその後も上田死刑囚は次々に私に対し、岩路氏の死を悼む内容の手紙を送ってきたのだった。

〈岩路さんの死を受け止めれない私に、岩路さんのインターネットの記事送って下さい。どうかお願いします。悲しくて、悲しくて、どうかお願いします〉(2014年10月6日消印の手紙より)

〈ダメです。私、立ち直れない。岩路さんの事が、受け止めれないです〉(2014年10月20日消印の手紙より)

〈私、岩路さんの事、受け止めれない嫌です。何で、私を連れてってくれないの、私を残すのでしょうか? 岩路さんは何で、連れて行ってくれなかったのでしょうか? 思っているよりダメージが大きいです〉(2014年10月30日消印の手紙より)

私はこうした手紙を見て、悲しみの表現が過剰だとは思ったが、上田死刑囚が少なくとも“現時点では”岩路氏の死を本気で悲しんでいるように思えた。それゆえに上田死刑囚から「紙の爆弾の連載で、岩路さんのことを書きたい」と言われた時は無下に断れず、編集部に掛け合った。結果、編集部のゴーサインが出て、同誌2014年12月号では「上田死刑囚による岩路氏への追悼文」を掲載されるはこびとなったのだ。

その内容は、ここでは紹介しないが、鳥取連続不審死事件や上田死刑囚のことを何も知らない人が読めば、岩路氏の死を本当に心から悼んでいるように思えるような内容だった。

◆岩路氏が亡くなる前はむしろ岩路氏のことを悪く言っていた

では、私がなぜ、上田死刑囚が岩路氏の死へのショックや悲しみの思いを綴った葉書に“違和感”を覚えたのか? それは、上田死刑囚がそれ以前、むしろ岩路氏についてネガティブなことを手紙に書いてくることが多かったからだ。たとえば次のように。

〈私は岩路さんを悪い人とは思いませんが、でも疑問が沢山あります〉(2014年2月26日消印の手紙より)

〈たしかに岩路さんは色々報道してる人です。でも、大切な事をスッポリと忘れている気がしました。だから私も連絡するのをやめましたし、母も、岩路さんに会いたくない、友人もイヤと言ったので、会わせませんでした〉(2014年3月17日消印の手紙より)

〈岩路さんに報道ステーションにて手記を出し私を知ってもらった方がいいと何十回も進められました。又、講談社へも声をかけて下さいましたが、当事者の私の気持ちが全く動かなかったんです。そのために岩路さんは東京から面会に来てくれましたが、私はダメでした。片岡さんと面会をし片岡さんの記事を見て私は、片岡さんに全てを話したい全てを知って欲しいと思いました〉(2014年9月26日消印の手紙より)

上田死刑囚が私のことを「同業者をけなせば、喜ぶ人間」と思っているかのようだったという話は以前書いた。手紙で私を褒めつつ、他の取材関係者のことを悪く言うことがとにかく多かったからだ。そんな上田死刑囚はこのように手紙で岩路氏のことを悪く言いつつ、私のことを持ち上げることもよくあったのだ。

上田死刑囚の2014年9月26日消印の手紙。岩路氏のことを悪く言いつつ、筆者を持ち上げている

◆嘆き悲しむ今の自分と以前の自分の矛盾に何も気づかず・・・

さらに岩路氏の死後、あるインターネットメディアで岩路氏が上田死刑囚の告白本を大手出版社から出そうと動いていたという話が報じられると、その記事の写しを私から入手した上田死刑囚はこんなことを言い出した・・・。

〈インターネットに載ってた事は事実です。講談社の方が動いていました。手記もある程度渡っていました。もう少しで出版だったのに弁が止めたのです。悔やみます〉(2017年11月17日消印の手紙より)※原文では、弁という字を〇で囲んでいる。

上田死刑囚の2014年11月17日消印の手紙。岩路氏の死後、あたかも岩路氏の助力で出版が実現しそうだったと言い出した

読者には、上田死刑囚が岩路氏の死を知らなかった時期に書いた前出の2014年9月26日消印の手紙とぜひ読み比べてみて欲しい。「岩路が亡くなったのを知らなかった時期の手紙」と「岩路氏が亡くなったことを知った後の手紙」では、上田死刑囚はまったく真逆のことが書いてきたのである。おそらく本人は、自分の矛盾に何も気づいていないのだと思うが、それにしても凄まじい手の平の返し方である。

もっとも、上田死刑囚が少なくも岩路氏が亡くなった時点では本気で死を悲しんでいるのなら、それは一応、人間らしいと言えるだろう。しかしその後、上田死刑囚は岩路氏の生命をまさに愚弄するようなことを仕出かした。その時は私もさすがに堪忍袋の緒が切れ、上田死刑囚にずいぶん厳しいことを言ったのだが、そのこともまたいつか話したいと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私は1月3日付けの当欄で2018年の注目冤罪裁判の1つとして、「千葉18歳少女生き埋め事件」を紹介した。この事件では、3人の男女が共謀のうえ、被害者の18歳少女を生き埋めにして殺害したとされ、いずれも無期懲役判決を受けている。しかし3人のうち、実行犯の男以外の2人は冤罪だというのが私の見解だ。

しかし、私が冤罪だとみている2人のうち、主犯格とされる井出裕輝被告(23)は3月1日、東京高裁で一審の無期懲役判決を支持する控訴棄却の判決を受けた。おそらく最高裁に上告し、もう一度無罪を主張するとみられるが、厳しい状況に追い込まれた格好だ。

◆実行犯も他2人の無罪主張に沿う証言をしていたが・・・

18歳の少女が成田空港近くの畑で生き埋めにされ、殺害されるという衝撃的な事件が起きたのは2015年4月のことだった。殺人罪に問われたのは、井出被告、被害少女の元同級生で事件当時17歳のA子被告(20)、すでに無期懲役が確定した中野翔太受刑者(22)の3人だ。

3人の裁判の認定によれば、事件のきっかけは被害少女とA子被告の些細なトラブルだったとされる。風俗店従業員だった被害少女は、性風俗店で働くための「身分証」として友人たちから卒業アルバムを借り、返さないことが続いていたのだが、そのことにA子被告が激怒したという。

そしてA子から相談をうけた井出被告が「生き埋め殺人」を計画。井出被告、A子被告、井出被告の「パシリ」だった中野受刑者の3人が共謀し、被害少女を車で現場の畑に連れて行き、生き埋めにした――以上が、これまで3人の裁判で認定されている事件の筋書きだ。

被害少女が生き埋めにされた畑

しかし、この事件については、当初から動機の疑問が指摘されていた。卒業アルバムの貸し借りをめぐるトラブル程度のことで生き埋めにして殺すというのは、いくらなんでも残酷すぎると思われためだ。

そして別々に行われた3人の裁判では、「首謀者」とされた井出被告とA子被告の2人が車で被害少女を監禁したことなどは認めつつ、「生き埋め」については無罪を主張した。井出被告の主張によると、事件の真相はおおよそ次のようなものだったという。

「被害少女のことは、畑に掘った穴の中に入れ、脅かすだけのつもりでした。しかし、被害少女を穴の中に入れた状態で中野に1人で見張らせ、別の場所に車を停めに行ったら、その間に中野が1人で被害少女を生き埋めにしてしまったんです」

この井出被告の主張をにわかに信じがたい人は多いだろう。しかし、実は他ならぬ実行犯の中野受刑者も裁判では、次のような証言をしているのだ。

「1人で見張りをしている時、掘った穴に入れていた被害者が泣き出したので、焦って砂をかけてしまったんです」

人を生き埋めにして殺害した「凶悪犯」にしては、少々間の抜けた証言だが、実は中野受刑者は軽度の知的障害者だった。私は中野受刑者本人にも面会を重ね、事実関係を質したが、中野受刑者も「井出から『殺せ』とか『埋めろ』という指示はなかったです。でも、『人を埋める場所ない?』と言っていたんで、アウトだと思うんですよ」と曖昧なことを言っていた。それもあり、中野受刑者が1人で暴走し、被害少女を生き埋めにした考えることは何ら不自然ではないと私は思うのだ。

◆「どういう経緯とはいえ、命を奪った責任はあります」

もっとも、井出被告は事件の際、中野受刑者が被害者を生き埋めにしたことを責めたりせず、埋められたばかりの被害者を助けようともしていないなど、疑われても仕方のない面はあった。そもそも、井出被告が中野被告に対し、畑に穴を掘るように指示したのは事実で、犯行のきっかけをつくったのは間違いない。それゆえに完全に潔白の冤罪被害者に比べると、同情しづらい面があることは否めないのだが――。

私が昨年、千葉刑務所で井出被告と面会した際には、井出被告本人もそのことは自覚しているようだった。

「どういう経緯だったとはいえ、私には、被害者の方の命を奪った責任があります。被害者の方の命はもちろん、被害者の家族や親族の方々の命も奪ってしまったとも思っています」

私とアクリル板越しに向かい合った井出被告は殊勝な面持ちでそう言っていた。さらに意外だったのは、井出被告が中野受刑者に対しても「嘘ばかり言っていた」と言いつつ、責任を感じていたことだ。

「私が誘わなければ、中野はああいうことをせずに済んだわけですからね。中野が私のことを悪く言うのは仕方がないと思っています。共犯少女(A子被告のこと)についても、悪いことをしたという思いはありますね」

いくら謝ろうとも、被害少女の遺族は決して井出被告らを許さないだろう。仮に生き埋めについては、井出被告らにとって予定外で、想定外のことだったとしてもだ。しかし、それでも、この事件が冤罪なのは確かだと私はここで言っておきたい。心情的なものはどうあれ、事実に忠実でありたいと思うからだ。

なお、A子被告については、まだ控訴審が係属中だ。今後もこの事件については、経過や結果を適時報告したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発した件については、これまで様々なメディアで報道されてきた。その多くは、疑惑を否定する山口氏をクロと決めつけ、伊藤氏の勇気ある告発を支持する内容だった。

ところが、私はこのほど、こうした一連の報道に疑念を抱かざるをえない重大な事実に直面してしまった。伊藤氏が山口氏を相手取り、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に起こした民事訴訟の記録を閲覧したところ、取材目的での閲覧が私以外にわずか3人しかいなかったのだ。

◆メディアは伊藤氏の主張を一方的に伝えたが・・・

伊藤氏に対する山口氏のレイプ疑惑は昨年5月、週刊新潮の報道で表面化した。それ以来、伊藤氏と山口氏の態度は対照的だった。

まず、伊藤氏は会見を開いたり、著書『Black Box』を上梓したりするなどして社会に向け、広くレイプ被害を訴え続けた。これにより、伊藤氏の支持者はすごい勢いで増えていった。その中では、漫画家の小林よりのり氏や、政治家でジャーナリストの有田芳生氏ら著名人も公然と山口氏をレイプ犯扱いし、手厳しく批判した

小林よしのり氏のブロマガ「小林よりのりライジング」

有田芳生氏のツイッター

山口敬之氏が反論手記を寄せた『月刊Hanada』2017年12月号

一方、山口氏は疑惑を否定しながらも、公の場で疑惑について語ることは少なく、『月刊Hanada』の2017年12月号に反論手記を寄せたり、同誌の花田紀凱編集長が手がけるYouTubeチャンネル「週刊誌欠席裁判」に出演して潔白を訴えたりした程度。このような2人の態度からすると、様々なメディアが伊藤氏の主張を一方的に伝える状況になったのは、ある程度仕方のない面もあったろう。

だがしかし、である。伊藤氏は昨年9月28日付けで前記したような民事訴訟を東京地裁に起こし、同12月5日には第1回口頭弁論も開かれている。こうした状態になれば、取材者は裁判所で訴訟記録を閲覧し、原告と被告双方の主張内容や証拠を確認するのが事件取材のイロハのイだ。それゆえに私は当然、この事件を報道している多くの取材者も訴訟記録を閲覧しているものだとばかり思っていたのだが・・・。

◆レイプ犯と決めつけた報道関係者たちは訴えられる可能性も

私が今年1月18日、東京地裁でこの民事訴訟の記録を閲覧したところ、私より先に「取材目的」でこの訴訟の記録を閲覧した者はわずか3人しかいなかった。なぜ、そんなことがわかるかというと、民事訴訟の記録を閲覧する際には、所定の用紙に名前や住所、閲覧の目的などを記入して提出するのだが、提出した用紙は訴訟記録と一緒に編綴されるからだ。

ちなみに私より先に取材目的でこの訴訟の記録を閲覧していたのは、浦野直樹氏(朝日新聞)、上乃久子氏(ニューヨーク・タイムズ)、西口典子氏(所属などは特定できず)の3人。私は2月5日と6日にも東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧したが、この時点でもまだ私以外の取材目的の閲覧者はこの3人だけだった。この事件の報道量は膨大だが、この3人以外は訴訟記録も閲覧せずにこの事件を報道しているわけである。

ちなみに訴訟記録を閲覧すればわかることだが、伊藤氏の主張はこれまでに報道されてきた主張とまったく同じではないし、山口氏の訴訟における主張には、これまでに山口氏が公にしてこなかった主張がかなり多い。現時点ではまだ事実関係に踏み込んだことは言えないが、訴訟記録も閲覧していない者たちが繰り広げている報道はまったくアテにならないということだけは言い切れる。

訴訟記録も閲覧せずに山口氏をレイプ犯と決めつけたような報道をしていた者たちは今後、山口氏に名誉棄損訴訟を起こされる可能性もあると私は思っている。そして、できれば実際にそうなって欲しいとも思う。私は現時点で山口氏に味方するつもりはまったくないが、訴訟記録も閲覧せずに山口氏をレイプ犯扱いしているようないい加減な報道関係者たちのことを心底軽蔑するからである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

おかげさまで150号!衝撃の『紙の爆弾』3月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

去る1月5日、当欄で「2018年の注目冤罪裁判」として紹介した名古屋地裁で進行中の小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判が佳境を迎えている。去る2月7日には、「被害者」の女児の供述を分析した認知心理学者が証人出廷し、女児の供述の信頼性に疑問を投げかけた。裁判の行方については予断を許さないが、そもそも「強制わいせつ事件」自体が虚構のものであることが心理学的にも裏づけられた格好だ。

2月7日の公判後、支援者に報告する喜邑さん、塚田聡子弁護士、中谷弁護士(左から)

◆女児が訴える被害は“偽りの記憶”か

この事件の被告人で、小学校教師だった名古屋市の男性・喜邑(きむら)拓也さん(37)は2016年11月、勤務していた小学校の1年生女児に対する強制わいせつの容疑で逮捕され、2017年1月に起訴された。しかし喜邑さんは一貫して無実を訴え、名古屋地裁で進行中の裁判では、無実を信じる支援者たちが毎回多数傍聴に駆けつける異例の事態になっている。

その理由は、喜邑さんが元々、生徒に人気があり、父兄からの信頼も厚かった教師だったこともある。しかし何より、この事件が冤罪であることを示す事情が散見されることが支援の活発化につながっているのだと思う。

というのも、検察の主張では、喜邑さんは掃除の時間中、教室で「被害者」の女児の服の中に手を入れ、胸を触ったとされているのだが、教室にはその時、約20人の生徒がいながら「喜邑さんの犯行」を目撃した生徒が1人もいないのだ。そもそも、そんな大勢の生徒がいる教室で、教師が女生徒の服の中に手を入れ、胸を触るという犯行に及んだというのも不自然だろう。

そして2月7日、認知心理学者の北神慎司名古屋大学准教授に対する証人尋問が行われたのだが、これにより、そもそも「強制わいせつ事件」は存在しなかったという弁護側の主張が心理学的にも裏づけられることになった。

北神准教授によると、女児の証言には「最初は右の胸を触られたと言っていたのに、2カ月も経ってから触られたのは左胸だったと言い出すなどの不自然な変遷がある」とのこと。喜邑さんのことを「犯人」だという“確証バイアス”を持った母親らが女児に繰り返し質問したことにより、女児が“偽りの記憶”を形成した可能性があるというのだ。

◆判決は3月28日

裁判は今後、2月28日に喜邑さんに対する被告人質問、3月14日に検察官の論告求刑と弁護人の最終弁論などが行われて結審し、3月28日に判決が宣告される予定。担当の安福幸江裁判官が新年度に他の裁判所に異動になる可能性が高いため、年度内に判決が宣告できるように調整し、このような駆け足の日程になった。弁護人の中谷雄二弁護士は、裁判の行方については慎重な見方を示しながらも、「新しい裁判官が被告人質問も聞かずに判決を書くよりは良かった」と語ったが、私もそれは同感だ。

公正な結果が出て欲しいものである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

昨年12月、元看護助手の女性・西山美香さん(38)が大阪高裁で再審開始決定を受けた滋賀県の患者死亡事件。この冤罪が生まれた原因は、2004年の逮捕当時は24歳だった西山さんが滋賀県警の男性刑事に好意を寄せ、虚偽の自白をしてしまったことであるように報道されてきた。

しかし、実はその山本誠刑事は、西山さんの気持ちにつけこんだ悪質な取り調べをしていた疑いがあるばかりか、他の冤罪被害者に対しても暴力をふるうなどの「余罪」があったことが判明している――。

◆初公判の3日前に面会して“自供書”を書かせる

西山さんは、看護助手をしていた2003年、勤務先の病院で男性入院患者の人工呼吸器のチューブを外し、窒息死させたとされて懲役12年の判決を受け、昨年8月に満期出所するまで服役生活を強いられた。しかし再審請求後、弁護団が医師3人に男性の死因を再検証してもらったところ、「致死性不整脈による自然死の可能性がきわめて高い」との意見が示された。これが決め手となり、事実上唯一の証拠だった捜査段階の自白の信用性が否定され、西山さんは再審開始の決定を受けたのだ。

その後、検察が最高裁に特別抗告したが、西山さんが再審無罪に向けて一歩を踏み出した事実に変わりはない。

では、そんな西山さんの気持ちにつけこんだ山本誠刑事の悪質な取り調べの疑いとはどんなものだったのか。

裁判で西山さんが訴えたところでは、西山さんが否認に転じようとすると、山本刑事は「逃げるな」ときつい口調で迫ってきて、時には突き飛ばされたりもした。一方で山本刑事は「ワシに全部任せておいたら大丈夫や」「殺人でも死刑から無罪まである。執行猶予がつくこともあるし、保釈がきくこともある」などと“優しい言葉”もかけてくれたという。

また、弁護士は連日接見に来てくれたが、山本刑事に「起訴前に毎日接見にくるなんておかしい。そんな弁護士は信用できない」などと“助言”され、西山さんはどちらを信用していいか迷ってしまった。そして、多数の自供書を書かされるうちに「否認しても無駄だ」と思うに至ったのだという。

これに対し、裁判の第1審に証人出廷した山本刑事は「自分は過去に一度も裁判で自白の任意性、信用性が争われたことがない」と断言した上、西山さんが訴えるような脅迫や偽計を取り調べで用いたことを否定したのだが――。

実は裁判では、山本刑事が西山さんの初公判の3日前にも不審な行動をしていたことが明らかになっている。勾留先の滋賀刑務所まで面会に訪ね、西山さんに「検事さんへ」という書き出しで始まる次のような“自供書”を書かせていたのだ。

〈もしも罪状認否で否認しても、それは本当の私の気持ちではありません。こういうことのないよう強い気持ちを持ちますので、よろしくお願いします〉

こんなものを書かされたため、西山さんは動揺し、初公判で罪状認否ができない状態にまでなっている。このようなことをする刑事ならば、取り調べで西山さんが訴えるような脅迫や偽計などいくらでも使うと考えたほうが自然ではないだろうか。

山本誠刑事が冤罪被害者に暴行した際に滋賀県警が作成した懲戒処分者名簿

滋賀県警察本部

◆無実の男性を誤認逮捕して暴行も……

さらに西山さんの裁判に証人出廷してから1ヶ月半経った2005年7月中旬、山本刑事には重大な不祥事が発覚している。窃盗の容疑で逮捕した男性を取り調べる際、胸ぐらをつかみ、足を2回蹴るなどの暴行を加えていたというのだ。

しかも、このような暴力取り調べを行ったあとで、実はこの男性は事件と無関係だったことが判明している。つまり、山本刑事は無実の男性を冤罪に貶める捜査に関与したばかりか、暴力までふるっていたのだ。

付言すると、山本刑事がこの無実の男性に暴行したのは、西山さんの裁判で「自分は過去に一度も裁判で自白の任意性、信用性が争われたことがない」と断言した3日後のことだった。こうなると、西山さんの裁判における山本刑事の証言を素直に信じるのは難しい。

ちなみに山本刑事はこの時、特別公務員暴行陵虐容疑で大津地検に書類送検されたものの、起訴猶予処分となっている。一方、滋賀県警はこの件で山本刑事を減給100分の10(1カ月)の懲戒処分にしているが、犯した罪の重大性からすると、甘すぎる処分である感は否めない。西山さんの再審が晴れて始まれば、山本刑事が犯した罪は再審の法廷で改めて裁かれなければならないと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1992年に福岡県飯塚市で小1の女児2人がわいせつ行為をされたうえに殺害され、2008年に無実を訴える男性・久間三千年氏(享年70)が死刑執行された「飯塚事件」で、福岡高裁(岡田信裁判長)は6日、久間氏の遺族が求める再審を認めない決定を出した。

そんな飯塚事件については、これまでDNA型鑑定の杜撰さをはじめ、様々な事実に基づいて冤罪の疑いが指摘されてきたが、実をいうと確定死刑判決(一審の福岡地裁判決)には、事件の事実関係を何も知らない人間が見ても、間違いだとわかる点も散見される――。

飯塚事件の再審を認めなかった福岡高裁

◆存在しない〈一般的な経験則〉により久間氏を犯人に

実際に確定死刑判決から引用すると、次の部分がそうだ。

〈幼女の陰部にいたずらをして、殺害した死体を山中に投棄するという本件事案の陰湿さに照らしてみると、一般的な経験則からいって犯人は一人(それも男)である可能性が高い〉

確定死刑判決がこのような言及をしたのは、単独犯であることを前提にしないと久間氏をこの事件の犯人と認定できないからだ。というのも、科警研のDNA型鑑定では、被害女児2人の膣内容物から検出されたDNA型と久間氏のDNA型が一致したとされている。仮にこのDNA型鑑定の結果が信じられるとしても、犯人が複数なら、「被害女児2人の陰部にいたずらし、膣内にDNAを残した人物」と「被害女児2人を殺害した人物」が別々に存在する可能性も残ってしまうのだ。

それゆえに確定死刑判決は、〈一般的な経験則〉なるものを持ち出し、この事件は単独犯によるものだということにしたのだが、そもそも〈一般的な経験則〉とは何だろうか。

小さな女の子が性的ないたずらをされ、ひいては殺害されて死体を遺棄される事件は数多く存在するが、この飯塚事件のように「2人の小さな女の子が同時に被害に遭っている」ケースはきわめて特殊だ。私は新聞データベースなどで同様の例を探したが、まったく見当たらなかった。そもそも事件自体がきわめて特殊なのに、〈犯人は一人(それも男)〉などという一般的な経験則など存在するわけがない。

◆久間氏が犯人だという思い込みに基づいた事実認定

飯塚事件の主な経過(2018年2月7日付西日本新聞より)

また、次の部分も確定判決からの引用だが、これも事実関係を何も知らない人間が見てもおかしさがわかる認定だ。

〈付近住民の生活道路ともいえるような場所で、午前八時三〇分ころという比較的早い時間帯に右犯行が行われていること(さらに、八丁峠で手嶋が目撃したのが犯人車であるとすると、犯人は被害児童を略取又は誘拐してから約二時間三〇分後には遺留品発見現場及び死体遺棄現場である八丁峠に到着していることになるが、潤野小学校から八丁峠の死体遺棄現場まで自動車で行くだけで前記のとおり三五分ないし五三分かかること)にかんがみると、犯人は右各現場付近に土地勘があり、しかも、これら現場の近隣に居住する人物であると認めるのが相当である〉

これはつまり、犯人が事件の各現場に土地勘があるらしきことを根拠に、犯人は〈現場の近隣に居住する人物〉だと認定しているわけである。この確定死刑判決の見解が正しければ、久間氏はまさに〈現場の近隣に居住する人物〉だから、犯人像に合致することになる。

しかし、事件の各現場に土地勘がある程度のことを根拠に、犯人は〈現場の近隣に居住する人物である認めるのが相当である〉というのは、論理の飛躍も著しい。普通に考えれば、〈現場の近隣に過去に居住したことがある人物〉や〈現場の近隣に友人、知人、親戚が住んでいる人物〉なども現場に土地勘はあるからだ。さらに言えば、現場に縁もゆかりもない人物でも事前に現場を下見したうえで犯行を実行した可能性だってある。確定判決はそんな簡単なことさえわかっていないのだ。

要するに確定死刑判決を書いた裁判官たちは、〈現場の近隣に居住する人物〉である久間氏が犯人だという思い込みに基づいて事実認定をしたのだろう。だからこそ、このような事実関係を何も知らずとも、間違いだとわかる点が判決中に散見されるのだ。

この酷い確定死刑判決により久間氏の生命を奪った裁判官は、陶山博生氏(裁判長)、重富朗氏、柴田寿宏氏の3人。柴田氏は今も現役の裁判官だが、陶山氏は弁護士に、重富氏は公証人に転じている。3人の動向は今後も注視したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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