昨年暮れ、当欄で冤罪の疑いを伝えていた「滋賀人工呼吸器外し事件」の西山美香さんに対し、大阪高裁が再審開始の決定を出して大きな話題になったが、今年も袴田事件、大崎事件、日野町事件、恵庭OL殺害事件など冤罪が疑われる数々の再審請求事件で再審開始可否の決定が出る見通しだ。

一方、私が取材している冤罪事件の中には、被告人が第一審で冤罪判決を受けながら、今も無実を訴えて裁判中の事件もいくつかある。その中から、2018年の注目冤罪裁判2件を紹介する。

◆今市事件は2月にDNAの重要審理

まず、当欄では2016年から冤罪事件として紹介してきた「今市事件」。2005年に栃木県今市市(現・日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃんが殺害されたこの事件では、同県鹿沼市の勝又拓哉被告が2014年に逮捕され、2016年4月に宇都宮地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。しかし、有罪証拠は事実上、捜査段階の自白しかなく、当時から冤罪を疑う声は決して少なくなかった。

そんな今市事件では、昨年10月から東京高裁で勝又被告の控訴審の公判審理が行われており、「殺害現場や殺害方法に関する勝又被告の自白内容は現場や被害者の遺体の状況に整合するか否か」「被害者の遺体に付着していた獣毛は、勝又被告の飼い猫とミトコンドリアDNA型が一致するか否か」という2つの争点において、すでに審理が終わったが、いずれの争点においても弁護側が優勢だったという見方がもっぱらだ。

とりわけ12月21日の公判では、藤井敏明裁判長が検察官に対し、「殺害現場について、訴因変更をしなくていいのですか?」と確認をしていたが、一審で有罪判決が出ている事件の控訴審で裁判長が検察官にこのような確認をするのは極めて異例だ。藤井裁判長ら控訴審の裁判官たちが一審の有罪判決の筋書きに疑問を抱いていることは間違いない。

勝又被告の控訴審では、2月にも2度の公判審理が予定されているが、その中では、被害者の遺体に付着していた粘着テープ片から検出された「第三者のDNA」について、真犯人のものである可能性があるか否かなどが法医学者らの証言によって争われる。裁判の結果を大きく左右する審理になるはずだ。

◆2人の被告人に無罪が出てもおかしくない「千葉18歳少女生き埋め事件」

もう1つの注目冤罪裁判は、当欄で昨年11月に紹介した「千葉18歳少女生き埋め事件」だ。

2つの注目冤罪裁判が行われている東京高裁

この事件は2015年に発生した当時、「生き埋め」という残酷な手口がセンセーショナルに報道されて社会を震撼させた。その報道のイメージが強いためか、一審・千葉地裁の裁判員裁判で3人の被告人のうち2人が殺人については無実を主張していたにも関わらず、3人全員に無期懲役判決が宣告されたことに疑問を呈する声はまったく聞かれなかった。

だが、実際には、生き埋め行為は、軽度の知的障害がある実行犯の中野翔太受刑者(すでに無期懲役判決が確定)が他の2人の意向とは関係なく、焦って自分1人で勝手にやったことだというのは、私が当欄の昨年11月10日付けの記事で報告した通りだ。無実を訴えていた井出裕輝被告、事件当時未成年だったA子の2人は、そもそも中野受刑者が被害者を生き埋めにした時には、現場を離れていたのだ。

井出被告とA子はいずれも無期懲役判決を不服とし、東京高裁に控訴中だが、A子の控訴審の公判審理はすでに始まっており、1月18日には第2回の公判が開かれる。井出裕輝被告の控訴審も1月23日に初公判が開かれる予定だ。

2人に対する有罪認定については、様々な疑問がある上、実行犯である中野受刑者自身が「1人で見張りをしている時、掘った穴に入れていた被害者が泣き出したので、焦って砂をかけてしまったんです」と証言しており、生き埋めは自分1人で勝手にやったことだと打ち明けているに等しい状態だ。

井出被告、A子共に控訴審で逆転無罪判決を受けても何らおかしくないだけに、冤罪に関心がある人には要注目の事件だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私はこれまで様々な冤罪事件を取材してきたが、今年は取材してきた冤罪事件にかつてないほど多くの朗報がもたらされた1年だった。逆転無罪判決を受けた事件は2件、再審開始の決定を受けた事件が1件、さらに日本弁護士連合会の再審支援が決まった事件が2件あった。この空前の当たり年をここで総括したい。

◆当欄で冤罪の疑いを報告していた2事件で逆転無罪

まず、3月10日には、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)で、銀行店内で他の客の置き忘れた現金を盗んだ濡れ衣を着せられていた広島の放送局「中国放送」の元アナウンサー・煙石博さんに逆転無罪判決がもたらされた。

この事件については、私は当欄で裁判が1審段階にあった2013年から冤罪の疑いを報告してきたが、この約4年間、煙石さん本人はもちろん、家族や大勢の支援者が署名集めや街頭宣伝など、無罪を勝ちとるためにたゆまぬ努力をしていた。それが最高裁での逆転無罪という数千件に1件あるかないのか極めて異例の結果をもたらすことにつながったのだと私は確信している。

最高裁で逆転無罪判決を受け、喜び合う煙石さん、弁護人の久保豊年弁護士、支援団体の佐伯穣会長(左から)

次に、3月27日には、当欄でそれ以前に2度、「知られざる冤罪」として紹介していた米子ラブホテル支配人殺害事件で、2審・広島高裁松江支部(栂村明剛裁判長)が被告人の石田美実さんに対し、1審・鳥取地裁の懲役18年の判決を破棄したうえで逆転無罪判決を宣告した。

この事件については、証拠は乏しく、1審で明らかになった事件当日の現場ラブホテルの状況などを見ても、石田さんが無実なのは明らかだった。しかし、事件翌日に23万円のお金を銀行口座に入金しているなど、石田さんには一見怪しく疑わせる事実があり、1審では結局、有罪が出てしまったという事件だった(詳細は今年2月17日の当欄を参照頂きたい)。

2審・広島高裁松江支部も初公判で即日結審し、逆転無罪は難しいのではないかと思っていたので、逆転無罪判決が出た時、私は正直、少し驚いた。しかし判決では、「~の可能性もある」「~とは断定できない」などという言い方で、一審判決の有罪認定をことごとく否定しており、推定無罪の原則に従った妥当な判断だった。

◆日弁連の再審支援が決まった事件も2件

そして暮れも押し迫った12月20日、大阪から飛び込んできたのが元看護助手・西山美香さんの再審開始決定のニュースだった。西山さんは、2003年に寝たきりの男性入院患者の人工呼吸器のチューブを外し、殺害したとされ、懲役12年の判決を受けて服役した。この事件についても当欄では2012年に紹介しているが、有罪証拠が事実上自白のみで、その自白内容にも不自然な点が多いという明白な冤罪事件だった。しかし、第1次再審請求は実らず、第2次再審請求も大津地裁に退けられていた。

今回、再審開始決定が出た大阪高裁(後藤眞理子裁判長)の第2次再審請求の即時抗告審では、弁護側から患者の本当の死因が「致死性不整脈」であることを示す複数の医師の意見書が提出されており、再審開始への期待が高まっていた。その後、大阪高検が特別抗告し、最高裁で改めて再審可否が判断されることになったのは腹立たしいが、私はこの事件については、最終的に必ず西山さんの雪冤が果たされると確信している。

その他、当欄で紹介していた冤罪事件では、鶴見事件、恵庭OL殺害事件という2つの事件について、日本弁護士連合会が再審請求の支援を決定するという朗報が飛び込んできた。恵庭OL殺害事件については、現在、第2次再審請求審で弁護側の攻勢が続いていると伝えられており、来年は再審開始決定のニュースが飛び込んでくることもおおいに期待される。

以上、今年はこれまで取材してきた冤罪事件に次々と朗報がもたらされ、個人的に大変喜ばしい一年となったが、実は来年以降も朗報が期待できる冤罪事件はいくつもある。それについては、また年明けに書きたいと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2010年に広島市南区の自動車メーカー・マツダ本社工場内で車を暴走させ、12人を殺傷した同社の元期間工・引寺利明(50)=無期懲役判決を受けて岡山刑務所で服役中=については、これまで当欄で服役生活の現状を繰り返しお伝えしてきた。去る11月28日には、引寺が当欄での公表を希望した獄中手記13枚を紹介したが、引寺が現在も自分の罪を何ら反省していないことはよくおわかり頂けたと思う。

そんな引寺から12月になり、また新たに計26枚に及ぶ手記が私のもとに届いた。前回紹介した13枚の続きとして書かれたものだが、内容を検討したところ、犯罪者の生態やその獄中生活の実相を知るための参考になる記述が散見された。そこでまた当欄で紹介させてもらうことにした。

◆刑事ドラマと違う現実の取り調べ

今回の26枚の手記の中でまず目を引かれるのは、引寺が受けた取り調べの状況が克明に綴られている点だ。たとえば次のように。

〈「何で刑事になろーと思ったん?」と聞くと、新人刑事は「やはり刑事ドラマの影響ですかねー、あぶない刑事(デカ)をよく見てましたねー」と語り、取り調べがヒマになる度に、世間話をしていた。〉

引寺は事件を起こしてほどなく警察に自首し、「マツダに勤めていた頃に他の社員たちから集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と犯行動機を語っており、警察の取り調べには協力的だったと思われる。とはいえ、これほどの重大凶悪事件で取り調べ室の雰囲気がここまで和やかなものだったというのは意外に感じる人も少なくないだろう。こういうところ1つとっても、刑事ドラマと現実は違うようだ。

引寺から12月に送られてきた便せん26枚の手記(14~15頁=前回送られてきた13枚の手記の続きのため、頁番号は14頁から始まっている)

同上(16~17頁)

同上(18~19頁)

同上(20~21頁)

◆犯罪被害者遺族の心情に触れても無反省

また、刑務所内で開かれた「命のメッセージ展」という矯正教育のためのイベントに関する描写も興味深い。

〈会場に入ると、人型のメッセージボードがズラーっと並べられていた。ボードには、身内を失ったやるせない遺族の心情、犯人に対する激しい憤りがビッシリと書き込まれていた。ボードのほとんどが、飲酒運転による死亡事故の事例だった。遺族の心情の中には、犯人に対してだけでなく、捜査に関わった警察や検察への不信感や憤りが書き込まれている事例がいくつかあり、ワシの興味を引いた。遺族の心情も様々であり、憤りの捌け口が警察や検察に向かう場合もあるという事だろう。時間が限られていたので、全部のボードをじっくり見る事が出来なかったのが、非常に残念である。機会があれば、また見てみたい。こういうイベントが、矯正教育の一環になるとワシは思う。〉

この「命のメッセージ展」の目的は、犯罪被害者遺族の心情に触れさせることにより受刑者たちに反省や悔悟の念を深めさせることだというのは誰でもわかるだろう。しかし、引寺は相変わらず自分の犯した罪を何ら省みず、犯罪被害者遺族の不信感や怒りが警察、検察に向けられていることに興味を引かれているのである。それでいながら、〈こういうイベントが、矯正教育の一環になるとワシは思う〉ともっともらしく締めくくっており、やはり引寺のようなタイプの犯罪者は一般的な人間と善悪の基準が違うのだと再認識させられる。

同上(22~23頁)

同上(24~25頁)

同上(26~27頁)

後半では、獄中でつくったというラップの歌詞を綴っているが、これも刑務所生活を経験した者でなければ書けないだろう表現が目白押しで、獄中における犯罪者の生活や心情をリアルに想像させられる。手記の原本26枚をスキャニングした画像は本稿にすべて掲載したので、関心がある方は全文にじっくり目を通して頂きたい。

同上(28~29頁)

同上(30~31頁)

同上(32~33頁)

同上(34~35頁)

同上(36~37頁)

同上(38~39頁)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1998年に和歌山市園部で4人が死亡した毒物カレー事件で、殺人罪などに問われた林眞須美死刑囚(56)は今日まで一貫して無実を主張してきた。今年3月、和歌山地裁に再審の請求を棄却されたが、すぐさま即時抗告し、現在も大阪高裁で再審可否の審理が続けられている。

そんな林死刑囚の再審請求をめぐり、密かに興味深いことが起きていた。和歌山地裁の再審請求審に弁護団が「無罪の新証拠」として提出した鑑定書や意見書の作成者である京都大学の河合潤教授(分析化学)が連載中の法律雑誌に、和歌山地裁の再審請求棄却決定に反論する論文を寄稿したのだ。

◆裁判官たちの自信の無さが窺えた再審請求棄却決定

林死刑囚の裁判では、一審段階から「林死刑囚の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「犯行に使われた亜ヒ酸」が同一と認められるか否かが常に大きな争点だった。結果、東京理科大学の中井泉教授(分析化学)が兵庫県の大型放射光施設スプリング8で行なった鑑定などをもとに、これらの亜ヒ酸が同一だと認定され、無実を訴える林死刑囚は死刑が確定した。

ところが、林死刑囚が再審請求後、弁護団の依頼を受けた河合教授が中井教授の鑑定データを解析したところ、中井鑑定に関する様々な疑問が浮上。河合教授は解析結果に基づき、「林死刑囚の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「犯行に使われた亜ヒ酸」が異なるとする鑑定書や意見書をまとめ、弁護団がこれを和歌山地裁の再審請求審に提出した。そしてこの一連の動きの中、林死刑囚の冤罪を疑う声が世間で広まっていったのだ。

結果、先に述べたように和歌山地裁は今年3月、林死刑囚の再審請求を棄却したのだが、実はその決定書をよく読むと、裁判官たちの自信の無さが窺える。死刑判決の最大の拠り所となった中井教授らの鑑定について、〈証明力が減退したこと自体は否定しがたい状況にある〉と述べるなど、河合教授の鑑定書や意見書で指摘された様々な問題を否定し切れなかったことがわかる記述が散見されるのだ。

河合潤=京大教授(分析化学)の論文

河合教授の論文が掲載された「季刊刑事弁護」92号(現代人文社2017年10月20日)

◆「季刊刑事弁護」の連載で発表

そんな和歌山地裁の再審請求棄却決定について、鑑定人である河合教授が自ら反論した論文が掲載されたのは、現在発売中の「季刊刑事弁護」92号(現代人文社)だ。河合教授は、2015年10月に発売された同誌84号から和歌山カレー事件の鑑定を例に「鑑定不正の見抜き方」という連載を手掛けてきたのだが、92号に掲載された最終回(第7回)で、再審請求棄却決定の内容に詳細に反論したのだ。

たとえば、河合教授は和歌山地裁に提出された鑑定書で、犯人がカレーの鍋に亜ヒ酸を入れる際に使ったとみられる紙コップに付着していた亜ヒ酸が、林死刑囚の周辺で見つかった亜ヒ酸より濃度が高いという矛盾を指摘していた。和歌山地裁の再審請求棄却決定はこの矛盾を否定するため、林死刑囚が周辺にあった亜ヒ酸をいったん、押収されている容器「以外の容器」で保管した後に紙コップに入れ、犯行に及んだ可能性があると指摘した。

しかし、河合教授が同誌に寄稿した論文によると、仮に林死刑囚が周辺にあった亜ヒ酸をいったん「以外の容器」なるものに保管したとしても、それで亜ヒ酸の濃度が高くなることはないという。

また、和歌山地裁の再審請求棄却決定は、河合教授が中井鑑定に関して指摘した問題点について、中井教授が1回しか計測を行っていないことを根拠に〈何ら不自然ではない〉と述べている。河合教授はこれに対し、論文で〈人間ドッグで異常値を示したとき「1回しか計測されていない」から大丈夫といって翌年の人間ドッグまで再検査せずに済ますであろうか〉と喝破しているが、このたとえは分析化学の知識がない人間でもわかりやすいはずだ。

再審請求の審理は非公開で行われるため、公正な審理が行われたのか否かを検証するための情報は通常の裁判に比べて乏しい。鑑定人が自ら裁判所の決定に反論した論文を発表するというのは、この現状に風穴をあける試みだと私は思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

最新刊『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私はこれまで数多くの殺人犯を取材してきたが、取材させてもらった人物がのちに殺人犯になったという経験も1度ある。木原武士(事件当時42)という人物で、2003年に起きたフリーライター殺人事件の主犯格である。木原とは20年近く前に一度会っただけだが、その時のことは今も忘れがたい。

被害者の染谷悟さん(筆名=柏原蔵書)の著書『歌舞伎町アンダーグラウンド』(ベストセラーズ2003年)

◆インタビュー取材のために訪ねたが……

この事件の被害者・染谷悟さん(同38)は、柏原蔵書(くらがき)という筆名で「歌舞伎町アンダーグラウンド」という著書があるフリーのライターだった。2003年9月、その刺殺体が東京湾で見つかり、ほどなく都内で鍵会社を経営する木原が2人の共犯者と共に検挙された。主犯格の木原は裁判で2006年に懲役16年の判決が確定したが、染谷さんを殺害した動機は、染谷さんが自分を誹謗する本を出版する計画だと聞いたことなどだとされる。

私がそんな木原に取材させてもらったのは、事件の数年前のことで、たしか1998~1999年頃だった。当時はピッキング被害が続発していた時期で、木原は「防犯アドバイザー」のような形でマスコミに頻繁に登場し、ちょっとした有名人だった。当時20代後半だった私は月刊誌の仕事で、そんな木原の元に成功体験を語ってもらうインタビュー取材に訪ねたのだ。

だが、実を言うと私はこの時、木原のもとに取材に訪ねながら、結果的に何も取材せずに記事を書いてしまったのである。というのも、私はこの日、下調べをほとんどしておらず、木原に対して要領を得ない質問を繰り返した。そんな私に苛立っていた様子の木原はこう言って、過去に取材を受けた雑誌記事のコピーを差し出してきたのだ。

「これを見て、書いてよ。よく書けている記事だから」

本当にその記事をほぼ丸写しにする形で原稿を書いた私もいい加減なものだが、木原は逆らわないほうが無難そうに感じさせる人物だった。

◆面倒見や金離れは良さそうだが……

そんな感じで木原への「取材」は10分程度で終わり、1時間かそこら四方山話をしたのだが、木原からは若い頃に派手に儲けた話や派手に遊んだ話を色々聞かされた。そして適当に話を合わせていたら、木原は「君は27歳か。いいなあ」と、こんなことを言い出したのだった。

「君は今、何をやっても楽しいだろう。俺も27くらいの時はそうだった。30代半ばを過ぎると、いくらお金があっても感動できなくなるんだよ。今、俺が君と替われるんだったら替わりたいもん」

当時は金回りが良かったとされる木原が人生に少々退屈している様子が窺えた。

被害者の染谷さんは元々、木原と良好な関係で、木原から金を随分引っ張りながら裏切り行為を続けて殺害されたように伝えられている。振り返れば、たしかに木原は「面倒見や金離れが良さそう」「怒らせると怖そう」という両方の雰囲気を感じさせる人物で、事件後の報道は得心できるものが多かった。

私は今もたまにこの時の木原の様子を思い出すが、そのたびに下手なことはしないでよかったとつくづく思う。と同時に、46歳になった今の私は、私の若さを羨んだ木原の当時の気持ちがわかるようになった自分に気づくのだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

重大な問題の答えが目の前にわかりやすく示されていると、人は案外、その答えを素直に信じられないものである。「こんな重大な問題の答えが、まさかこんなにわかりやすく示されているとは……」と妙な疑心暗鬼に陥ってしまうからである。

私が取材している冤罪事件の中にも、そのような状況に陥っている事件がある。無実の人が死刑執行された疑いが根強く指摘されている、あの飯塚事件がそれである。

◆無罪の立証に苦労を強いられているが……

1992年に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が何者かに殺害された飯塚事件で、殺人罪などに問われた久間三千年さん(享年70)は、捜査段階から一貫して無実を訴えていた。しかし2006年に最高裁で死刑が確定し、2008年に収容先の福岡拘置所で死刑を執行された。久間さんは当時、再審請求を準備中だったという話は有名だ。

そんな久間さんが冤罪を疑われる一番の理由は、あの「足利事件」との共通性である。

1990年に栃木県足利市で4歳の女の子が殺害された足利事件では、当時は技術的に稚拙だった警察庁科学警察研究所(科警研)のDNA型鑑定のミスにより、無実の男性・菅家利和さんが犯人と誤認されて無期懲役判決を受けた。久間さんも菅家さんと同時期、科警研のほぼ同じメンバーが行ったDNA型鑑定を決め手に有罪とされているため、鑑定ミスによる冤罪を疑う声が後を絶たないわけだ。

だが、久間さんの場合、科警研がDNA型鑑定に必要な試料を全量消費しているため、菅家さんのように再鑑定で冤罪を証明することはできない。そのため、現在行われている再審可否の審理では、弁護側はDNA型鑑定の専門家に科警研の鑑定写真を解析してもらったり、血液型鑑定や目撃証言を再検証したりするなど、無罪を立証するために多角的なアプローチをせねばならず、大変な労力を費やしている状態だ。

だが、実を言うと、久間さんの裁判で示された科警研のDNA型鑑定が間違っていたことは、すでに実にわかりやすく示されている。というのも、科警研のDNA型鑑定では、①足利事件の犯人、②菅家さん、③飯塚事件の犯人、④久間さんの四者のDNA型がすべて「同一」と結論されていたのだ。

◆科警研のDNA型鑑定では久間氏も菅家氏も「16-26型」

順を追って説明すると、こういうことだ。

足利事件、飯塚事件共にDNA型鑑定は、当時主流だったMCT118型検査という手法で行われている。その結果、足利事件の犯人、菅家さん、飯塚事件の犯人、久間さんの四者のDNA型はいずれも「16-26型」と判定されていたのだ。

ちなみにこのDNA型の出現頻度は、菅家さんの一審判決文では0.83%、久間さんの一審判決文では0.0170(1.70%)とされている。10の20乗分の1の精度で個人識別できるといわれる現在のDNA型鑑定に比べると精度はかなり低い。しかし、当時のMCT118型検査が本当にこの程度の精度で個人識別できていたとすれば、別人である菅家さんと久間さんのDNA型が一致し、さらに足利事件と飯塚事件の両事件の犯人まで同じDNA型であるという偶然が起こりうるだろうか?

そんな偶然が起きるわけがなく、これ1つとっても科警研のDNA型鑑定が間違っていたことは明らかだ。実際、足利事件のDNA型鑑定のほうはすでに間違っていたことが証明されているが、飯塚事件のDNA型鑑定だけは間違っていなかったということも考え難いだろう。死刑執行された人が冤罪か否かという重大な問題の答えは、かくもわかりやすく示されているわけだ。

久間さんの再審可否の審理は現在、福岡高裁で行われており、近く決定が出るとみられている。冤罪死刑により奪われた久間さんの生命は戻ってこないが、せめて一日も早く再審が実現し、久間さんの名誉が回復されなければならない。

久間さんの再審可否の審理が行われている福岡高裁

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

社会の注目を集めた殺人事件の犯人が裁判中に奇異な言動をしたことが報道されると、「刑事責任能力が無い精神障害者を装うための詐病」ではないかと疑う声があちらこちらでわき上がる。また、そういう大量殺人犯が実際に刑事責任能力を否定され、無罪放免になることを心配する人も少なくない。

だが、私の取材経験上、現実はまったく逆である。私はこれまで犯人の刑事責任能力の有無や程度が問題になった様々な殺人事件を取材してきたが、精神障害者のふりをしているように思える殺人犯はただの1人もいなかった。むしろ、明らかに重篤な精神障害を患っている殺人犯たちがあっさりと完全責任能力が認められ、次々に死刑や無期懲役という厳罰を科せられているのが日本の刑事裁判の現実なのである。

その中でも印象深かった殺人犯の1人が「大坂パチンコ店放火殺人事件」の高見素直だった。

現場のパチンコ屋があったビルの1階は事件後、ドラッグストアに

◆『みひ』や『マーク』への復讐だった……

高見は41歳だった2009年7月、大阪市此花区の自宅近くにあるパチンコ店で店内にガソリンをまいて火を放ち、5人を焼死させ、他にも10人を負傷させた。そして山口県の岩国市まで逃亡し、岩国署に出頭して逮捕されたのだが、犯行に及んだ動機については当初、次のように語っていると報道されていた。

「仕事も金もなく、人生に嫌気が差した」「誰でもいいので殺したかった」(以上、朝日新聞社会面2009年7月7日朝刊)

「誰でもいいから人を殺したいと思い、人が多数いる所を狙った」「やることをやったので、罰はきちんと受けようと思い、出頭を決めた。死刑しかないと思っている」(以上、読売新聞大阪本社版2009年7月8日夕刊)

こうした報道を見て、負け組の40男が起こした身勝手な事件だと思った人は多かったはずだ。だが、2年余りの月日を経て2011年9~10月に大阪地裁であった裁判員裁判で、高見は次のような「真相」を明かした。

「自分に起こる不都合なことは、自分に取り憑いた『みひ』という超能力者や、その背後にいる『マーク』という集団の嫌がらせにより起きています。世間の人たちもそれを知りながら見て見ぬふりをするので、復讐したのです」

重篤な精神障害を患っていることを疑わざるを得ない供述だが、このように高見が「超能力者の嫌がらせ」を訴えていることはほとんど報道されていない。そのせいもあり、当初はこの事件の取材に乗り出していなかった私がこのような高見の供述を知ったのはかなり遅い。高見がすでに一、二審共に死刑判決を受け、最高裁に上告していた頃、私はようやく一審判決を目にし、高見が法廷でこのような奇想天外な供述をしていたのを知ったのだ。

高見が出頭した岩国署

◆統合失調症だったと診断されても死刑

一、二審判決によると、高見は捜査段階から3度、精神鑑定を受けていた。その中には、高見が妄想型の統合失調症だと診断し、「善悪の判断をし、それに従って行動することは著しく困難だった」との見解を示した医師もいたという。

また、他の2人の医師も高見について、統合失調症だとは認めなかったものの、覚せい剤の使用に起因する精神病だと判定し、高見が「『みひ』や『マーク』のせいで、自分の生活がうまくいかない」という妄想を抱いていたのは認めていたという。

それでいながら高見は一、二審共に完全責任能力を認められ、死刑判決を受けていた。そのことを知った私は最高裁で、高見の上告審弁論が開かれた際に傍聴に赴いた。そこで弁護人が繰り広げた弁論は独特だった。

「いま、イスラム国が人質の首を斬り落とす場面の映像をユーチューブで見て、残虐だと思わない日本人はいません。それ同じで、いま、絞首刑が執行される場面の映像をユーチューブでアップすれば、残虐だと思わない日本人はいないはずです」

つまり、弁護人は絞首刑について、公務員による残虐な刑罰を禁じた憲法第36条に反すると主張したのだが、そのためにイスラム国を例に持ち出したのはわかりやすいといえばわかりやすかった。

◆「今もそばにいます」

そして弁護人は最後にこんなことを訴えた。

「先日、高見さんに接見した際、「『みひ』や『マーク』はどこにいますか?と尋ねてみたのです。すると、高見さんはこう答えました。『今もそばにいます』」

最高裁の法廷には被告人は出廷できないので、その場に高見はいなかった。そこで高見と実際に会い、本人の病状を確かめてみたいと思ったが、収容先の大阪拘置所で何度面会を申し込んでも、高見は一度も応じてくれなかった。ただ、弁護人の弁論を聞く限り、かなり重篤な精神障害を患っているのは確かだろう。

しかし結局、最高裁は2016年2月、犯行時の高見に完全責任能力があったと認め、上告を棄却して死刑を確定させた。「動機形成の過程には妄想が介在するが、それは一因に過ぎない」。それが最高裁の山崎敏充裁判長が示した見解だった。

このように重篤な精神障害者はどんどん刑事責任能力を認められ、厳罰を科されていく。それが日本の刑事裁判の現実なのである。

高見が死刑囚として収容されている大阪拘置所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

社会の耳目を集めるような殺人事件が起こるたび、インターネット上で被疑者に対する凄絶なバッシングが巻き起こるのが恒例だ。それはひとえに、世の中の多くの人たちは、自分が殺人事件の被害者になることは想像できても、加害者になることは想像できないからだろう。普通の人は通常、テレビや新聞を通してしか殺人事件の情報に接しないので、それも無理はないことだ。

だが、私はこれまで様々な殺人事件を取材してきて、自分や家族がいつ殺人事件の被害者になってもおかしくないと思うと同時に、自分がいつ殺人事件の加害者になってもおかしくないと思うようになった。生まれてから40数年に渡り、殺人事件の被害者にも加害者にもならずに生きてこられたのは、幸運なことではないかとさえ思う。

いま、広島地裁で行われているマツダ社員寮同僚殺人事件の上川傑被告(21)の裁判員裁判を傍聴し、そのことを再認識させられた。

◆相当な悪人物であるかのように叩かれた被告

事件は昨年(2016年)9月中旬、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの社員寮で起きた。寮内の非常階段の2階踊り場で、寮の7階で暮らす同社社員の菅野恭平さん(当時19)が頭から血を流し、倒れているのを同僚が発見。菅野さんはすでに死亡しており、広島県警は殺人の疑いで捜査を展開した。そしてほどなく検挙されたのが、同社社員の上川被告だった。

上川被告は菅野さんと同期入社で、やはり寮の7階で暮らしていた。逮捕当初の報道によると、事件当日、菅野さんを車に乗せ、寮の近くにあるコンビニや銀行、郵便局を回り、現金120万円を引き出させたうえ、寮に戻ってから消火器で殴るなどして殺害し、金を奪ったかのように伝えられていた。そして交際していた女性と事件後に宮島でデートしていたことが女性のSNSから判明したこともあり、インターネット上では相当な悪人物であるかのように叩かれていた。

そんな上川被告が強盗殺人の罪に問われた裁判員裁判は、11月14日から広島地裁で始まり、計4回の公判審理を経て同27日に結審。判決は12月6日に宣告される予定だが、検察側が主張した事件の構図はおおよそ事前に報道された通りの内容だった。一方、弁護側は、上川被告が菅野さんに暴行して死なせたことや金を盗んだことを認めつつ、殺意などを否定し、「強盗殺人罪は成立せず、傷害致死罪と窃盗罪が成立するにとどまる」と主張した。そのため、事実関係にはいくつもの争いがあった。

私はこの裁判の大半の審理を傍聴したが、判決の予想から書いておく。検察官の主張する強盗殺人罪はおそらく適用されないだろう。上川被告が強盗目的で犯行に及んだと考えるには、いくつもの疑問が存在するからだ。

事件があったマツダの社員寮

◆強盗殺人を否定するいくつかの疑問

疑問の第1は、上川被告と菅野さんは事件前、共に社員寮の7階で暮らしていたものの、ほとんど付き合いがなかったことである。事件前から2人の間に上下関係があったならともかく、菅野さんがある日突然、単なる同僚に過ぎない上川被告に現金120万円を引き出すことを命じられ、それに従うというのは不自然だ。

第2に、仮に上川被告が強盗目的で菅野さんを殺害するならば、寮に連れて帰ってから犯行に及ぶだろうか。そんなことをすれば、犯行が露呈するのが自明だ。上川被告が菅野さんを殺害して金を奪うなら、車でひと気のない場所に連れて行き、犯行に及ぶのが自然だろう。

第3に、上川被告は事件後、菅野さんから奪った多額の現金(上川被告の主張では、120万ではなく107万円)を自分の銀行口座に入金している。最初から強盗目的で菅野さんを殺害したなら、このようなアシがつくのが自明のことはしないだろう。

上川被告の主張によると、菅野さんを車に乗せ、コンビニや銀行、郵便局を回ったのは、事件当日、菅野さんから「お金をおろしたいんで、車を出してくれない?」と頼まれたからだったという。そして夜勤明けの眠い中、親しくもない菅野さんを車に乗せてコンビニや銀行、郵便局を回った。それにも関わらず、車の中に置いていた交際相手の写真を「上川くんならもっと彼女は可愛いかと思った」と言われて腹が立ち、寮に帰ってから暴行してしまったのだという。

これはあくまで上川被告の主張だが、客観的事実とよく整合していた。凶器の消火器もその場にあったものを使っており、その事実からも強盗の計画があったわけではないことが裏づけられていた。

上川被告の主張が仮にすべて事実だとしても、上川被告は消火器で暴行された菅野さんが倒れて動けなくなったあとでバッグの中の多額の現金を奪い、救急車も呼ばずに逃走しており、弁明の余地はない。上川被告の交際相手に関する菅野さんの発言が仮に事実だとしても、菅野さんに落ち度があったとは到底言えない。しかし、それでもやはり、検察官が主張するような強盗殺人罪の成立は難しいだろう。

先述したように上川被告は逮捕当初、相当な悪人物であるかのように叩かれていたが、法廷で本人を見た印象としては、坊主頭の真面目そうな若者だった。私の経験上、社会を騒がせた殺人事件の犯人と実際に会ってみると、どこにでもいそうな普通の人物であることがほとんどだが、上川被告もまたそうだったというわけだ。

実際のところ、上川被告は事件前にも同僚の車でコンビニに行った際、車内にあった5万円を盗んでおり、品行方正な人物だったとも言い難い。とはいえ、とくに暴力的な人間ではなかったという。公判中は常に苦渋の面持ちで、時折、涙を流していたが、本人も自分が人の生命を奪う事件を起こすなどとは、実際に事件を起こすまで夢にも思っていなかったろう。

私はそんな上川被告の様子を観察しながら、自分のこれまでの人生を振り返り、自分が何かの拍子に彼の立場になっていたとしても何らおかしくなかったように思えてならなかった。

上川被告の裁判が行われている広島地裁

◆殺意が否定されるかも微妙

一方、「傷害致死と窃盗」が成立するにとどまるという弁護側の主張が認められるかというと、それも難しいのではないかと私は予想している。

というのも、上川被告は消火器で菅野さんに暴行したことは認めつつ、「消火器で殴ったのではなく、消火器は手で持ったまま、床にうつ伏せで倒れた菅野さんの背中や後頭部に(重力に任せて)落としただけだった」と弁明し、弁護側はこの行為に殺意はなかったと主張している。しかし、仮に事実が上川被告の説明通りだとしても危険な行為であることに変わりはなく、裁判員たちも殺意の存在を否定しがたいだろう。

また、公判審理には菅野さんの両親が毎回、被害者参加制度を利用して出席していたが、論告求刑公判の際、両親が行った意見陳述は胸に迫るものだった。それもまた裁判官や裁判員の事実認定に影響を与える可能性は否めない。

菅野さんは子供の頃から車が好きで、とくにロータリーエンジンに強い興味を持っていたという。真面目な努力家で、高校卒業後にマツダに入社してからも上司や先輩に可愛がられていたという。母親はそんな菅野さんについて、「自慢の息子だった」「恭平の笑顔が好きだった」「恭平を返して欲しい」「恭平のいない人生は考えられない」などと泣きながら語った。

そして菅野さんの父親と母親が口をそろえたのは、上川被告に「死刑」を望むということだった。父親は「できれば被告人に消火器などで同じことをしてやりたい」と言い、母親も「同じ目に遭わせてやりたい。人の生命を奪っているのだから、生命で償ってもらいたい」と言った。我が子の生命を理不尽に奪われた両親としては、当然の感情だろう。

だが、検察官の求刑は無期懲役だった。つまり、検察官の主張通りに判決で事実関係が認定されても、死刑が宣告される可能性は無いに等しい。そして私の予想通りなら、強盗殺人罪は適用されないから、上川被告の量刑は有期刑になるだろう。

ひとくちに有期刑と言っても、殺意まで否定されて傷害致死罪と窃盗罪が適用されたら、おそらく量刑は懲役10年を上回ることはないだろう。菅野さんの両親の意見陳述を聞いた裁判官や裁判員たちがそのような選択をできるかというと私は疑問だ。

いずれにしろ、自分がいつ殺人事件の被害者や加害者になってもおかしくないし、そうならずに今日まで生きてこれたのは幸運だった。私にとって、そのことを再認識させられる事件だ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

鹿砦社新書創刊!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされるなどの集スト(集団ストーカー)被害に遭い、恨んでいた」

そんな動機から2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場内で車を暴走させ、計12人を殺傷した同社の元期間工、引寺(ひきじ)利明(50)。当欄では、引寺が岡山刑務所で無期懲役刑に服する身となりながら、自分の罪を一切反省していないばかりか、マツダを侮辱する言動を繰り返していることをお伝えしてきた。

11月中旬、そんな引寺からまたしても当欄への掲載を希望する手記が私のもとに届いた。今回の手記を見ても、引寺の無反省な態度は相変わらずだが、殺人犯の実態を知る資料としての価値が認められる内容ではあった。そこで今回も当欄で紹介しよう。

◆警察もマスコミも徹底批判

〈今回の手記は、警察やマスコミへの批判や怒り、刑務所生活で思う事や感じた事などを、一方的に言わせてもらうでー。〉(〈〉内は引用。以下同じ)

そんな書き出しで始まる手記で、引寺が最初に言及したのは、あの広島県警広島中央署で起きた窃盗事件に関してだ。

〈まず広島県警の中央署で発生した窃盗事件に関してだが、事件発生当初は、警察庁長官が記者会見で「キッチリ捜査を尽くす」などとホザいていたが、事件発生から何ケ月も経った今においても、犯人はまだ逮捕されていない。こりゃあーどういう事やあーーー!!〉

同署が金庫に保管していた証拠品(詐欺事件の押収品)の現金8,572万円が盗まれたのは今年5月のこと。内部の犯行が確実視される中、いつまでも犯人が捕まらない事情について、引寺はこう推測する。

〈ワシが思うに、捜査をキッチリとすればするほど、現職の警察官が関与していた事実が浮き彫りになるけえー、いつまで経っても逮捕出来んのんじゃろーのー。犯人を逮捕したら公表せにゃーいけんけーのー〉

引寺から送られてきた便せん13枚の手記(1~2頁)

さらに引寺は警察のみならず、マスコミのこともこう批判する。

〈広島のマスコミもショボイよのー。もっとガンガン突っ込んだ取材せーや。本来なら、例え取材対象が警察や検察だろうが、スポンサーがらみの大企業だろうが、取材でつかんだ事実については、取材対象にとって都合の悪い内容だとしても、キッチリと世間に報道するのが、アンタらマスコミの仕事じゃろーが。それがジャーナリズムじゃないんかい。つまらん事やっとるけえー、世間からマスゴミゆーて叩かれて、笑われるんじゃろーが。わかっとんかあーーーーー!!(怒)〉

引寺は、広島のマスコミが警察に遠慮し、同署の窃盗事件で犯人が捕まらない事情を十分に追及できていないと思っているらしい。

◆「広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢をそのまま喰え!!」

このように警察とマスコミへの批判の言葉を並べ立てた引寺だが、一方で、ある記者のことを絶賛している。

〈ワシの手元には、日本テレビの記者であるSさんが書いた「殺人犯はそこにいる」という本がある。これまでにもう20回ぐらい読み返しているが、読む度に、真実を隠蔽してでも組織の対面を守ろうとする腐りきった警察や検察に対する怒りがこみ上げてくる〉

〈現場取材においては、「小さな声を聞け」というスタンスで取材しているSさんだからこそ、多数の捜査員を投入し、捜査権を振りかざして捜査している警察ですら、気付かずに見のがしてしまうような事件の影に埋もれていた事実をつかむ事が出来るんじゃろーのーー。広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢でも煎じて、いや、爪の垢をそのまま喰え!!そうすりゃーーーもうちーたーージャーナリズムを肝に命じた取材や報道が出来るようになるじゃろーて(笑)。〉

同上(3~4頁)

同上(5~6頁)

引寺がこのように絶賛する日本テレビの記者・Sさんの著書『殺人犯はそこにいる』は、警察やマスコミはアテにならないということが書かれた本だ。引寺は、自分がマツダの社員たちから集団ストーカー行為をされていた事実について、警察やマスコミに隠ぺいされたと考えているため、同書に感銘を受けたのだと思われる。

現時点で私のもとに届いている引寺の手記は、便せん13枚という分量だが、引寺は現在も獄中で続きを執筆中のようだ。ここには、現時点で届いている便せん13枚の手記を転載する形で紹介する。引寺から今後届く手記についても、公表する価値があると思えれば、適時、公表していきたい。

同上(7~8頁)

同上(9~10頁)

同上(11~12頁)

同上(13頁)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

去る11月21日のこと。ヤフーニュースで次のような見出しの記事が配信されているのを見かけ、私はドキリとさせられた。

……………………………………………………………………………
<公判打ち切り>さいたま地裁判断 精神疾患で5年審理停止
……………………………………………………………………………

記事の配信元は毎日新聞。被告人が精神疾患であることなどを理由に5年近く審理が停止されていた2つの事件について、さいたま地裁が「回復の見込みがない」などと判断し、公訴棄却の判決を言い渡したのだという。

私がこの記事にドキリとさせられたのは、動向を気にかけていた「ある被告人」の裁判のことを報じた記事だと勘違いしたからだ。ある被告人とは、埼玉少女誘拐事件の犯人で、千葉大学生(休学中)の寺内樺風被告(25)のことである。

◆判決期日が指定されないまま、時間が過ぎ去り……

埼玉県朝霞市の女子中学生が約2年に渡って失踪し、昨年3月に保護された誘拐事件で、寺内被告は未成年者誘拐と監禁致傷、窃盗の罪に問われた。さいたま地裁で行われた裁判では、当初から「勉強の機会を与えたが、させられなかったのが残念」「結局、何が悪かったんですかね」などと特異な供述をしているように報道されていた(寺内被告の法廷での発言は産経ニュースより。以下同じ)。

そして検察に懲役15年を求刑され、迎えた8月末の判決公判。寺内被告は法廷で奇声をあげ、次のような不規則発言を繰り返したという。

「私はオオニシケンジでございます」「(職業は)森の妖精です」「私はおなかがすいています。今なら1個からあげクン増量中」

松原里美裁判長はこうした寺内被告の異変をうけ、いったん休廷したのち、やむなく判決言い渡しの延期を決定。これにより、寺内被告は逮捕の時以上に世間の注目を集めたのだった。

その後、再び判決言い渡しの期日が指定されることはなく時間が過ぎ去り、次第に世間の人々は寺内被告のことを忘れ去っていった。そんな中、私がひそかに寺内被告のことを気にかけていたのは、その病状が深刻なのではないかと思っていたためだ。

◆やはり病状は深刻か

というのも、重大事件の犯人が取調室や法廷で異常な言動を示したことが報道されると、「精神疾患を患ったふりをして、罪を免れようとしているのではないか」と疑う声がわき上がるのが恒例だ。寺内被告が法廷で不規則発言を繰り返し、判決言い渡しが延期されたときもそうだった。

だが、私の取材経験上、そういう異常な言動を示す重大事件犯は誰もが演技や詐病ではなく、本当に重篤な精神疾患を患っていた。それゆえに寺内被告もそうなのだろうと私は推測したのだった。

実を言うと、私は10月下旬のある日、実際に自分の目で寺内被告の病状を確かめようと、収容先のさいたま拘置支所まで面会に訪ねているのだが……。

さいたま拘置支所。寺内被告も以前収容されていたが……

「その人は今、ここにいませんよ」

拘置所の入口で受付をしている職員は、寺内被告との面会希望を伝えた私に対し、さらりとそう言った。以前はいたのかと尋ねると、「そうですね」とのこと。では、今はどこにいるのかと尋ねても、「それは言えないんですよ」と教えてくれなかったが、考えられる答えは1つだけだ。寺内被告は今、どこかの病院で精神疾患の治療を受けているのだろう。

そんな事情から、私は寺内被告の病状が深刻だとほぼ確信しているのだが、実際問題、本稿を書いている時点でもいまだ判決言い渡しの期日は指定されていない。このままの状態が続けば、先の2事件のように公判が打ち切りになることもあるかもしれない。

忘れ去られつつある事件だが、今後も動向を追い続ける予定なので、何か動きがあれば適時、報告したい。

さいたま拘置支所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

« 次の記事を読む前の記事を読む »