講談社の漫画雑誌「モーニング」の編集次長が妻を殺害した容疑で警視庁に逮捕された事件が世間の耳目を集めている。まだ冤罪を疑う声はほとんど聞こえてこないが、私はこれまでの冤罪取材の経験からこの事件はとりあえず、冤罪を疑いながら動向を注視すべき事案だと思っている。そこで、この事件に関する報道の情報を読み解くポイントをいくつか挙げてみよう。

警視庁は朴氏が妻の殺害を自殺と偽ったと疑っているという(TBS「News i」より )

◆警視庁は事件の構図をどう描いたか?

報道によると、妻殺害の容疑で逮捕された編集次長は、東京都文京区の自宅で妻や4人の子供と暮らしていた韓国籍の朴鐘顕(パク・チョンヒョン)氏、41歳。2009年に編集長として「別冊少年マガジン」の創刊に携わったほか、様々なヒット作に関与した優秀なマンガ編集者なのだという。

そんな朴氏の逮捕容疑は、昨年8月9日に自宅で妻の佳菜子さん(当時38)を殺害した疑い。朴氏は同日午前2時45分頃、自ら119番通報し、当初は警視庁に「妻は階段から転落した」と話していたが、その後に「自宅にある服で首を吊って自殺した」などと説明が変遷。司法解剖により佳菜子さんの首に絞められたような跡が見つかり、部外者が侵入した形跡もなかったことから、警視庁は他殺との見方を強めていたという。

また、朴氏が子育てのことで佳菜子さんとトラブルになっていたとか、佳菜子さんが3年前、文京区の子育て支援センターに「夫が子育てを手伝ってくれない。教育観の違いからけんかになり、平手打ちをされた」などと複数回相談していたなどの情報も報道されている。朴氏は容疑を否認しているとされるが、警視庁は朴氏が子育てをめぐるトラブルから佳菜子さんを殺害したとみているのだと思われる。

◆警視庁が5カ月も逮捕に踏み切れなかった事情は何か?

では、こうした報道の情報からどのような冤罪の疑いが見出させるのか。

何よりまず、非常に単純なことだが、警視庁が妻の死亡から朴氏の逮捕まで5カ月も要していることである。報道されているような証拠が仮にすべて実在するとしても、その大半は事件から1カ月もあれば収集できるようなものである。にも関わらず、警視庁が5カ月も朴氏を逮捕できなかったのは、朴氏が妻を殺害したとは断定しがたい事情があったということだ。

では、その事情は何なのか。

それは第一に、朴氏には、妻の佳菜子さんを殺害する確たる動機が見当たらないことではないかと思われる。先述したように警視庁は子育てをめぐるトラブルを殺害の動機とみていると思われるが、子育てをめぐるトラブルなど、どんな夫婦にもあることだ。まして事件の起きた時間帯は深夜だから、佳菜子さんが死亡した時、家には4人の子供も在宅していたと思われる。そんな状況下で、朴氏がたとえ佳菜子さんと子育てのことでトラブルになって頭に血がのぼったとしても、殺害行為にまで及ぶかというと疑問だろう。

また、朴氏が「自宅にある服で首を吊って自殺した」と供述する前、「妻は階段から転落した」と証言していたことも疑われた理由になったとみられるが、妻に自殺された夫が妻は事故死だったと偽ろうとするというのは、良し悪しは別として普通にありそうなことである。朴氏が「妻にヘッドロックをした」と供述しているとの報道もあるが、この供述は司法解剖で見つかった妻の首の傷について、朴氏が妻の首を絞めたことをごまかすために嘘の弁明をしていると解釈できる一方で、朴氏が自分に不利になることを承知で真実を告白しているとも解釈できるものである。

警視庁は「子育てをめぐるトラブル」が動機とみているようだが……(毎日新聞HPより)

◆逮捕の決め手と考えられるのは2点

こうやって報道の情報を1つ1つツブしていくと、警視庁が朴氏の逮捕に踏み切る決め手となった証拠や事実関係もおのずと浮かび上がってくる。それはおそらく、

(1)佳菜子さんが亡くなった時間帯、朴氏宅に外部から第三者が侵入した形跡はないという「現場の密室性」、

(2)佳菜子さんの死因は首つり自殺ではなく、他者に首を圧迫されたことによる窒息死だとする「法医学者の鑑定意見」の2点だろう。

このうち、(1)の「現場の密室性」については、裁判になれば検察は、防犯カメラの映像や子供たちの証言から何の問題もなく立証できると思われる。そもそも朴氏側も「妻は自殺した」と主張している以上、外部から第三者が侵入した可能性がないことにはついては、特に争わないだろうと考えられるからである。

そこで裁判になれば、最重要争点になるのではないかと思えるのが、(2)の「法医学者の鑑定意見」だ。これについては、現時点では確たることは言えないが、一般的に法医学者の見解というのは裁判で争いになりやすいのものだ。それはすなわち、この事件においても、司法解剖を手がけた法医学者が「死因は他者に首を圧迫されたことによる窒息死だ」という見解だったとしても、別の法医学者が解剖所見などをみれば「死因は首吊り自殺と推定しても矛盾はない」という見解になっても何ら不思議ではないということだ。

いずれにせよ、ここまでの報道を見る限り、有罪証拠が乏しい事件であることは間違いないと思われる。動向を継続的に注視したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

2007年1月15日、京都市左京区岩倉幡枝町の歩道上で京都精華大1年生の千葉大作さん(当時20)が通りすがりの男に殺害された事件は容疑者が検挙されないまま、この15日で発生から10年を迎える。このほど事件現場を訪ねたところ、改めてミステリアスな事件だと思えたが、何より印象的だったのは現場に花と共に供えられた1冊の本だった――。

犯人に関する情報は多いのに未解決

事件が起きたのは2007年1月15日の午後7時45分頃だった。千葉さんは自転車で帰宅中、通りすがりの男とトラブルになり、胸部や腹部を刃物で10カ所以上刺された。そして通行人に「救急車を呼んでください」と助けを求めたが、搬送先の病院で亡くなったのだった。

千葉さんは当時、全国で京都精華大にしかないマンガ学部の1年生。マンガ家になる夢を叶えるため、故郷の仙台を離れて進学していたのだが、その夢は生命と共に凶刃に奪われてしまった。

目撃情報によると、事件直前、千葉さんは現場で犯人の男とトラブルになり、「あほ」「ぼけ」と怒鳴られていたとされる。男は20~30歳で、身長は170~180センチ。髪はボサボサだがセンター分けで、上下黒っぽい服装をしており、黒っぽいママチャリ風の自転車に乗っていた。目の焦点があっていなかったという。これだけ多くの犯人に関する情報がありながら、事件は10年経った今も未解決というのは不思議である。

現場を訪ねたところ、本当にのどかな田舎町で、よそ者がふらりとママチャリで訪れる場所とは思い難かった。犯人はどうやって逃げおおせたのか。そもそも、一体どこからやってきたのか。実際に現場を訪ねてみて、わかったのは事件が謎めいているということだけだった。

現場には今も献花が絶えない

◆事件は風化していない

そんな現場には、命日でもないのに複数の花や飲み物が供えられており、生前の千葉さんが友人にめぐまれた青年だったことが窺えた。そんな中、目を引かれたのが花と共に供えられた1冊の本だった。透明なプラスチックケースに入れられているのは、雨などをしのぐためだろう。この本のタイトルは――。

「君にさよならを言わない」

私は恥ずかしながら知らなかったが、ライトノベルの人気作品だった。おそらくは千葉さんの友人が、この本はタイトルが千葉さんに贈る言葉としてふさわしいと思い、供え物にしたのだろう。さらに調べてみると、この本の著者である七月隆文さんは京都精華大のOBらしく、学校全体で千葉さんの死を悼んでいるような雰囲気が伝わってきた。

年月が経つうちに証拠は散逸していくものだと言われるが、事件はまだ風化していない。それはつまり、犯人は決して逃げ切れたわけではないということだ。

花と共に供えられた本は「君にさよならを言わない」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

東京拘置所の精神科医官として数多くの死刑囚と接した作家の加賀乙彦は著書「死刑囚の記録」で、「無罪妄想」にとらわれる死刑囚がいたことを紹介している。自分は無実だと嘘をつき続けるうちに自己暗示にかかるという症状らしいが、私が過去に会った死刑囚の中にもこれに該当すると思える者がいる。昨年12月で2011年の発生から5年を経過した長崎ストーカー殺人事件の筒井郷太死刑囚(32)である。

◆手紙だけでわかる特異な人格

長崎県西海市でストーカー被害を訴えていた女性(当時23)の自宅に何者かが侵入し、女性の母(同56)と祖母(同77)を刺殺する事件が起きたのは2011年の12月16日のこと。事件翌日、長崎県警が殺人などの容疑で逮捕したのが筒井郷太(同27)だった。

女性の父らは事件前、筒井による女性への度重なる暴力や脅迫メールなどのストーカー被害を警察に訴えていた。約1年半後に長崎地裁であった裁判員裁判では、筒井は無実を訴えたが、「不合理な弁解に終始し、良心の呵責や改悛の情は全く見い出せない」と死刑を宣告される。そして今年の夏、最高裁で死刑が確定した。

私が筒井に取材依頼の手紙を出したのは、長崎地裁で死刑判決が出てからまもない2013年の夏だった。ほどなく筒井から返事の手紙が届いたが、その文章は意味がわかりにくかった。ただ、「自分は無実」「真犯人はわかっている」「それらのことを証明する証拠があるのに、裁判に出させてもらえない」などと訴えていることは読み取れた。

また、手紙には、私の面会を歓迎するようなことが綴られていた。

〈疑問に思う事や、「お前それは嘘だろ」と思う事は、ハッキリと言って頂いてかまいませんので、気を遣わず質問して下さい。その分、僕も必死に説明するでしょうから。それでは、いづれ会いましょう!〉

この歓迎ぶりには、違和感を覚えた。というのも、私は取材依頼の手紙に都合のいいことを書いたわけではない。「報道を見る限り、あなたに不利な証拠が揃っているように思えるが、直接取材し、犯人か否かを見極めさせてほしい」と正直な考えを伝えていたからだ。筒井が特異な人物であることは、この手紙からだけでも容易に察せられた。

筒井死刑囚が収容されている福岡拘置所

◆満面の笑顔だったが・・・

その約2カ月後、福岡拘置所の面会室。グレーのジャージ姿で現れた筒井は、がっしりした大柄な男だった。照れたような様子を見せつつ、満面笑顔で「どうも」と会釈してきたが、私は正直、筒井の笑顔を薄気味悪く感じてしまった。筒井に対し、「クロ」の先入観を抱いていたせいかもしれない。

筒井はこの日、初対面の私にこんな頼みごとをしてきた。

「僕の2番目のお兄ちゃんに電話かメールで、僕に手紙を出すように伝えてもらえませんか?」

なぜそんなことを頼むのかと尋ねると、「お兄ちゃんに手紙を出したいんですが、今の住所がわからないんです」とのこと。私は「お兄さんはあなたに関わりたくないから、住所も教えないのだろう」と思いつつ、やんわり断ったが、案の定というべきか、筒井は人の気持ちを想像できない人間のようだった。

この時、もう1つ印象的だったのは、筒井から無実を訴えることへの「やましさ」が微塵も感じられないことだった。

◆本気の冤罪主張

ともかくこの日以降、筒井から無実の訴えが綴られた書面や手紙、ノートが次々送られてくるようになった。

〈ノートを読む人、みんな、信じてほしい。刑事や検事や弁護士が作った言葉じゃない、僕自身の、僕の心から出たそのままの言葉を書いたから、伝わってほしい!!〉

〈やってないことで長い間閉じ込められて、外の人には、凶悪犯と日本中に広められて、友人や家族まで思い込んでいて、死刑で殺される〉

こういうことがクセの強い字でノートなどに連綿と綴られているのだが、肝心の主張内容は、真犯人は被害者の身内の人たちだという荒唐無稽なものだった。ただ、筒井の文章からは本気で冤罪を訴えているような切実さが感じられた。筒井によると、自分の主張はDNA型鑑定やメールの履歴など数々の客観的証拠で裏づけられているが、弁護士が「名誉棄損になる」という理由で証拠を法廷に出してくれない――とのことだった。

弁護士も大変だろうと私は同情を禁じ得なかった。

◆怒らないと言いつつ怒る

やがて裁判員裁判の判決を入手できたが、有罪証拠は思った以上に揃っていた。

まず、筒井は事件当時、三重県の実家で暮らしていたが、事件翌日に長崎市内のホテルで警察に身柄確保されている。そして筒井の持っていたバッグからは血痕のついた2本の包丁が見つかり、筒井の着ていた衣服からも血痕が検出されたうえ、これらの血痕のDNA型は被害者のものと一致したという。しかもこの時、筒井は被害者の財布や手帳を所持していた――。

筒井が手紙で、〈僕の今までのコピーの手紙などを見て、どう思いました?〉〈怒らないので正直にお願いします〉と尋ねてきたので、私は手紙で正直に伝えた。

〈まず、内容がわかりにくかったです。また、最初にお手紙を差し上げた時にお伝えしましたように、私はこの事件では、筒井さんに不利な証拠が揃っているように思っていますが、コピーや手紙を見させて頂いても、まだその思いは変わっておりません〉

すると、次に届いた筒井の手紙では、怒っている雰囲気がひしひしと伝わってきた。

〈最初から、僕の書いたものは嘘だと決めて、まともにわかろうとしていないのでは?〉

〈それに、「筒井さんに不利な証拠が揃っているように思っていますが」と書かれていますが、それは、何の証拠のことを言っていますか? 実際にその証拠を手にして見て、(その周囲の関連証拠も)言っていますか?〉

確かに筒井の言う通り、私は有罪証拠の「実物」を手にして見たわけではない。また、警察や検察が証拠を捏造することもないわけではない。しかしこの事件に限っては、警察や検察に筒井を犯人に仕立て上げねばならない事情があったとは考えがたかった。

筒井死刑囚が嗚咽を漏らしながら無実を訴えた福岡高裁

◆無実の訴えは本気か直接質したが・・・

私は、福岡高裁であった筒井の控訴審を傍聴したが、筒井は法廷で「(死刑で)殺されても真犯人が誰かをばらします」と嗚咽を漏らしながら語るなど、逆転無罪に執念を見せていた。一体、どこまで本気で無実を訴えているのか。私がこの最大の疑問について、面会室で筒井に直接確認したのは2015年7月のことだ。

――色々筒井さんの書面を見せてもらいましたが、正直、あまり説得力を感じないんです
「(笑みをうかべ)えっ、あれが?」

――要するに筒井さんの主張は、本当は××さん(被害者の身内の人の名前)が犯人なのに、自分はハメられたということですよね?
「それはあんまり関係ないですね」

――じゃあ、何が問題なんですか?
「アリバイの証拠ですね。僕にアリバイがあるという」

――それもよくわからないんですが 
「ええっ(笑)」

――本気で自分のことを無実だと思っているんですか?
「思ってるとかじゃなくて、そうなんですけど」

――正直、私はやっはり筒井さんは「やってる」と思うんです
「わざと曲解しているんでしょう」

――証拠を捏造されたと言いたいんですよね?
「違います。そういう質問はいらないッ」

本人に直接確認してみても、筒井が「無罪妄想」に陥っているのか否かは断定しかねた。その後はどんな問いかけをしても「僕をビョーキということにしたいんでしょ」「気持ち悪いんですけど」「曲解されるからもういいです」などと言われ、会話にならなかった。そしてこの日以降、筒井は私の面会に応じてくれなくなった。

実を言うと、筒井は精神鑑定で非社会性パーソナリティ障害を有し、事件後の言動には演技性パーソナリティ障害の傾向が含まれると結論されていた。無実の訴えは単なる演技だったのか、それとも――。私は今も時折、面会室での筒井の様子を思い出しながら考え込んでしまう。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

2017年も冤罪関係の新たな動きが色々ありそうだ。とはいえ、あまり先のことを予測しても、予測が当たったか否かの正解が出るまでに、読者は私がどんな予測をしていたのかを忘れていること必至だろう。そこで年度内、つまり3月末までに当たりはずれの結果が出そうな冤罪関係の新たな展開を予測する。

会見で血液型鑑定に関する審理の状況と見通しを説明する徳田弁護士(中央)ら飯塚事件再審弁護団(2016年11月18日)

◆新争点「血液型鑑定」で重大な動きがある飯塚事件

1992年2月に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」では、一貫して無実を訴えていた久間三千年氏(享年70)が2008年に死刑執行されたが、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定は当時まだ技術的に稚拙で、鑑定結果が誤っていた疑いがあることは有名だ。そのため、無実を信じる久間氏の遺族が2009年に再審請求して以来、史上初の死刑執行後の再審無罪がなるかと注目されてきた。

この飯塚事件は現在、福岡高裁で再審請求即時抗告審が行われているが、DNA鑑定に加え、血液型鑑定も誤っていた疑い浮上したことは昨年6月22日付けの当欄でお伝えした通りだ。血液型鑑定を行ったのも警察庁科警研だったのだが、弁護団によると、科警研は鑑定の際、ABO式の血液型判定に必要な「オモテ試験(赤血球を調べる検査)」と「ウラ試験(血清を調べる検査)」という2つの試験のうち、ウラ試験を行っていなかった。昨年11月、科警研の鑑定担当者に対する証人尋問が行われたが、「鑑定資料の量が少なく、ウラ試験はできなかった」と述べたという。

弁護団長の徳田靖之弁護士はこう批判した。

「実際にウラ試験を行ってみた結果、鑑定資料が少なくて、ウラ試験ができなかったというなら話はわかります。しかし実際にウラ試験を行うことなく、最初からウラ試験ができないものだと決めてかかるのはおかしいです」

そんな問題があったため、弁護団は福岡高裁に対し、科警研の鑑定が科学的に妥当かどうかを専門家に再鑑定させることを請求。これに対する福岡高裁の判断は2月に示される見通しだ。科警研の血液型鑑定では、遺体遺棄現場で見つかった犯人の血痕は久間さんと同じB型だと判定されているが、弁護団は筑波大学の本田克也教授の見解に基づき、「AB型」か「AB型もしくはB型」と判定すべきだと主張している。仮に福岡高裁が犯人の血痕はAB型だと認定したら、それだけで再審の開始が確定的になる。

林氏は鑑定人に損害賠償を請求する考えがあることを明かすカレー事件弁護団の安田好弘弁護士(2016年7月21日)

◆鑑定人に損害賠償請求訴訟が行われる見通しの和歌山カレー事件

98年7月、和歌山市園部の夏祭りでカレーに何者かが猛毒の亜ヒ酸を混入し、60人以上が死傷した和歌山カレー事件では、現場近くに住む主婦の林眞須美氏(55)が殺人罪などに問われ、一貫して無実を訴えながら2009年に死刑が確定した。裁判で有罪の決め手となったのは、東京理科大学の中井泉教授が兵庫県の大手放射光施設スプリング8の放射光を使った分析により、「林氏の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「カレーに混入された亜ヒ酸」が「同一の物」だと結論した鑑定結果だった。

ところが、林氏が和歌山地裁に再審請求後、弁護団の相談をうけた京都大学の河合潤教授が中井教授の鑑定データを解析したところ、「林氏の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「カレーに混入された亜ヒ酸」は軽元素の組成が異なっていたことなど中井鑑定に様々な疑義が浮上。それをきっかけに、この事件の冤罪を疑う声は急激に増えていった。

さらに昨年、「もう1つのヒ素の鑑定」についても疑惑が浮上した。というのも、この事件では捜査段階に、「ヒ素の生体影響」の研究を行っている北里大学医療衛生学部の山内博教授(当時は聖マリアンナ医科大学助教授)が林氏の毛髪を鑑定し、「無機の3価ヒ素が検出された」と結論。最高裁はこの鑑定結果をもとに、〈被告人はヒ素を取り扱っていたと推認できる〉と認定し、有罪の根拠として挙げていた。

しかし河合教授が検証を進めたところ、山内教授が鑑定に用いた装置は70年代の老朽化した装置だったうえ、山内教授が91年以降、この装置を用いて実験を行ったことを示す論文が一切見当たらなかったという。また、裁判での証言と論文の記述に矛盾する点もあったという。

こうした状況の中、弁護団によると、和歌山地裁は年度内に再審可否の決定を出す見通し。さらに弁護団は林氏が原告になり、「虚偽の鑑定」を行った中井教授と山内教授を相手に損害賠償請求訴訟を起こす考えもあると表明している。こちらもそんなに先の話ではないと予想され、提訴がなされたら大きな注目を集めそうだ。

広島市の繁華街で支援者らと共に無実を訴える煙石氏(2016年12月11日)

◆当欄が伝え続けた広島の元アナ冤罪事件は劇的な逆転無罪か?

今年は最高裁で2年ぶりとなる逆転無罪判決が出ることが期待されている事件がある。当欄で2013年から注目の冤罪事件として経過をレポートしてきた広島市の元アナウンサー、煙石博氏(70)の「窃盗」事件だ。

煙石氏は2012年、自宅近くの銀行店内で他の客が記帳台の上に置き忘れた封筒から現金6万6600円を盗んだ容疑で検挙された。そして1審・広島地裁で懲役1年・執行猶予3年の有罪判決、2審・広島高裁で控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中である。

しかし裁判では、弁護側が依頼した鑑定会社による防犯カメラ映像の解析により、煙石氏が記帳台上の封筒からお金を盗む場面が映っていなかったと判明。そもそも、被害者とされる女性が記帳台の上に置き忘れていた封筒には、お金が入っていたのか否かという疑問も浮上しており、1、2審共に有罪とされたのがそもそも極めて不当なことだった。

そんな事件が最高裁での逆転無罪を期待されているのは、最高裁が検察官と弁護人双方に弁論させる公判を今年2月17日に開くからだ。というのも、最高裁は通常、公判を開かずに書面だけで審理を行うが、「控訴審までの結果が死刑の事件」と「控訴審までの結果を覆す事件」では検察官、弁護人の双方に弁論させる公判を開くのが慣例だからだ。煙石氏のケースは後者に該当するとみられているわけだ。

2月に弁論が開かれるということは、最高裁は年度内に無罪判決を出す公算が高い。期待すると裏切るのが日本の裁判所なので、信頼し過ぎるのはよくないが、私はこの事件の未来については楽観している。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

2016年の冤罪関係の最も大きな話題といえば、1995年に大阪市東住吉区であった女児焼死事件の再審で、女児を保険金目的で殺害したという濡れ衣を着せられていた母・青木惠子さん(52)と内縁の夫・朴龍晧さん(50)が無罪判決を宣告されて雪冤を果たしたことだろう。だが、そんな明るい話題があった一方で、私が承知しているだけでも裁判員裁判で新たに2件、冤罪判決が生まれている。2016年の終わりにそのことを改めて報告しておきたい。

宇都宮地裁であった勝又氏の裁判には毎回多くの人が集まったが……

◆自白内容に不自然な点が多かった今市事件

1件目は、2005年に栃木県今市市(現在は日光市)で小1の女の子が殺害された通称「今市事件」で、殺人罪に問われた被告人の勝又拓哉氏(34)に無期懲役判決が宣告された宇都宮地裁の裁判員裁判だ。2~4月にあった公判では、法廷のモニターで取り調べの映像が再生されて話題になったが、裁判員らが勝又氏を有罪と判断した決め手がこの取り調べの映像だった。

「決定的な証拠はなかったが、あの映像を観て、(犯人であることは)間違いないかな、と思った」
「取り調べの映像がなかったら、判決はどうなっていたかわかりません」

これらは裁判員らが判決公判後の会見で述べた言葉である。法廷で再生された取り調べ映像では、勝又氏が取り調べ担当検事の前で泣きながら罪を認め、身振り手振りを交えながら詳細に犯行を自白する場面が映し出された。その模様が裁判員らに対し、強烈な有罪心証を抱かせたのである。

ただ、録音録画された勝又氏の取り調べは計80時間に及んだにも関わらず、法廷で再生されたのは約7時間だけだった。また、殺人事件に関する検察官の取り調べは大半が録音録画されていたものの、警察官の取り調べで録音録画されていたのは、勝又氏が女児の殺害を認めた後のわずかな時間だけだった。そのため、裁判員らが取り調べの一部だけを観て、勝又氏が自白するに至る過程にあった問題を見抜けなかったのではないかと指摘する声は多かった。

私はこの事件の全公判を傍聴したが、問題はそういうことにとどまらない。なぜなら、わざわざ取り調べの全過程を映像で確認するまでもなく、勝又氏の自白内容は大変不自然で、典型的な虚偽自白だったからである。

たとえば、法廷で検察官が朗読した勝又氏の自白調書によると、勝又氏は被害者の服をすべて脱がし、デジタルビデオカメラで自撮りしながらワイセツ行為をしたという話になっていた。しかし、勝又氏は被害者が事件当日、どのような服装をしていたのか、まったく自白できていなかった。被害者の服装はきわめて特徴的であったにも関わらず、だ。

また、勝又氏は被害者のランドセルをハサミで細かく裁断し、ゴミ捨て場に捨てたと自白しながら、ランドセルの形状や中に何が入っていたかもまったく自白できていなかった。このように犯人なら語れるはずの事実について、何ら語れていないのが勝又氏の自白の特徴だった。そのほかにも現場の状況と整合しない供述など、自白には不自然な点が散見された。明白な冤罪だと断言できる。

◆鳥取地裁の裁判員裁判でも人知れず生まれていた冤罪

人知れず裁判員裁判の冤罪が生まれていた鳥取地裁

一方、今市事件のように全国的な注目はされなかったが、6~7月に鳥取地裁であった裁判員裁判でも冤罪が生まれている。被告人は石田美実(よしみ)氏(59)という男性だ。

石田氏は2009年9月、店長として勤務していた米子市のラブホテルの事務所で支配人の男性を襲って現金を奪い、植物状態に陥る傷害を負わせて2015年に死亡させたとして強盗殺人罪に問われたが、一貫して無実を訴えていた。結果、鳥取地裁から懲役18年の判決(求刑は無期懲役)を宣告されたのだが、金目的の犯行だったとは認めれず、殺人罪と窃盗罪が適用されている。しかも、判決では、石田氏が被害者を襲った理由について、何らかのいさかいが生じた可能性を指摘することしかできなかった。要するに事件の真相がよくわかっていないのだ。

実際問題、石田氏は事件があった時、現場のラブホテルに居合わせたものの、事件発生直後の時間帯にホテルの館内で従業員たちと普通に会話をしており、石田氏に怪しい様子があったという証言は一切なかった。また、現場の事務所に通じる客室のドアのノブや事務室にあった金庫から検出された石田氏の指紋が有罪の証拠とされてはいるが、そもそも石田氏は現場のラブホテルで働いていたので、その指紋は働いていた時に付着したものと考えてもおかしくなかった。しかも、石田氏の指紋が検出された客室のドアのノブからは、身元不明の第三者の指紋も検出されているなど、むしろ公判では、別の真犯人が存在する可能性が示されていた。この事件も明らかに無罪を宣告されるべきだった。

勝又氏は東京高裁に、石田被告は広島高裁松枝支部にそれぞれ控訴しており、どちらの事件も2017年中には控訴審の初公判があると思われる。何か事態に動きがあれば、当欄でも適時お伝えしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『NO NUKES voice』第10号[特集]原発・基地・震災・闘いの現場

 

商業出版の限界を超えた問題作!

私は近年、死刑事件の取材にも取り組んでいるが、今年は新たに高見素直、高橋明彦、伊藤和史、浅山克己、千葉祐太郎、筒井郷太という6人の被告人に対する死刑判決が裁判で確定した。私はこのうち、高橋、伊藤、千葉、筒井の4人について、面会や手紙のやりとりをするなどの取材をしており、高見についても最高裁であった弁論を傍聴している。どの事件にもマスコミ報道されていない問題があったので、ここで報告しておきたい。

高見素直死刑囚が収容されている大阪拘置所

◆本当に責任能力があったか疑問の高見素直

まず、高見について。殺人事件の裁判では、明らかに重篤な精神障害を持つようにしか思えない被告人に対し、あっさりと責任能力が認められ、刑罰が科されているケースが少なくない。高見がまさにそうだった。

高見は2009年7月、大阪市でパチンコ店の店内にガソリンをまいて火を放ち、5人を焼死させた。その動機は詳しく報道されていないが、本人は裁判でこう訴えていた。

「自分に起こる不都合なことは、自分に取り憑いた『みひ』という超能力者や、その背後にいる『マーク』という集団の嫌がらせにより起きています。世間の人たちもそれを知りながら見て見ぬふりをするので、復讐したのです」

こんな奇想天外なことを言っているだけに、高見については捜査段階から3人の医師が精神鑑定を実施している。その中には、高見が統合失調症妄想型だと診断し、「善悪の判断をし、それに従って行動することは著しく困難だった」との見解を示した医師もいた。また、私が今年1月に傍聴した最高裁の弁論では、弁護側は高見が事件から6年半が経過してもなお「今も『みひ』はそばにいる」と言っていることを明らかにした。結果、最高裁は、「精神症状が及ぼした影響は大きなものではない」と断定し、高見の死刑を確定させたのだが、私は高見に責任能力があったと言えるのか、今も疑問を拭い去れないでいる。

髙橋明彦死刑囚と千葉祐太郎死刑囚が収容されている仙台拘置支所

◆裁判員も死刑に否定的だった髙橋明彦

2012年に福島県の会津美里町で夫婦を殺害し、現金などを奪った髙橋明彦については、本人の裁判以上に裁判員が起こした裁判が注目を集めた珍しいケースだった。髙橋は2013年3月、福島地裁郡山支部であった裁判員裁判で死刑判決を受けているのだが、この裁判で裁判員を務めた女性が「審理中、血の海に横たわる遺体の写真を見せられるなどして、急性ストレス障害になった」などとして国に慰謝料など200万円を求めて提訴したのだ。

この国賠訴訟は結局、女性の敗訴に終わったが、実は女性はこの国賠訴訟で、評議の杜撰な内幕を訴え、死刑判決が出たことに否定的な見解を示していた。具体的には、次のように。

「死刑判決を下したことに間違いはなかったのか、反省と後悔と自責の念に押しつぶされそうです」(女性が控訴審で提出した陳述書より)

このようなことはまったく報道されないまま、高橋は今年3月に上告を棄却され、死刑判決が確定した。裁判員が賛同しない死刑判決が確定してしまったことは本来、裁判員制度を続けるうえでも大きな問題として検証されるべきことだろう。

伊藤和史死刑囚が収容れている東京拘置所

◆最高裁裁判官たちも死刑確定に後ろめたそうだった伊藤和史

一方、伊藤については、4月18日付けの当欄で取り上げたが、2010年に長野市であった一家3人殺害事件の首謀者とされている。だが、事件前には被害者らから奴隷的な拘束を受けており、明らかに同情の余地がある被告人だった。

そんな伊藤に対し、最高裁は4月26日、伊藤の上告を棄却し、死刑を確定させた。この時、マスコミはまったく報道していないが、最高裁は判決で「動機、経緯には、酌むべき事情として相応に考慮すべき点もある」と述べざるをえなかったほどで、裁判官たちが死刑を確定させることに後ろめたい思いを抱いていることが窺えた。げんに判決朗読後、傍聴席からは裁判官に「お前ら同じ立場になってみろ!」と罵声が飛んだが、この時、裁判官らが逃げるように法廷を出ていく様子は非常に印象的だった。

◆裁判で事実誤認の疑いが浮上していた千葉祐太郎

千葉祐太郎については、今年6月に最高裁に上告を棄却された際、犯行時少年だった被告人に対する裁判員裁判の死刑判決が初めて確定する事例として話題になった。私は祐太郎とも面会や手紙のやりとりをしていたが、祐太郎の裁判では、明らかに事実誤認の疑いが浮上していた。

確定判決によると、祐太郎は2010年2月、交際していた女性A子さん(当時18)宅に押し入り、A子さんとの交際に反対するA子さんの姉(同20)やA子さんの友人女性(同18)を持参した牛刀で刺殺。さらに居合わせたA子さんの姉の知人男性(同20)も胸を牛刀で刺して重傷を負わせたとされた。この一連の犯行に「計画性」と「残虐性」が認められたことが、死刑が選択された大きな要因だった。

しかし実を言うと、祐太郎は裁判で「A子の家に行くまでは誰も殺すつもりはなかった。牛刀は、A子と話すのをA子の姉に邪魔されたら脅すために持参していた」と殺害の計画性を否定。A子さんの姉に警察に通報されそうになって頭が真っ白になり、知らないうちに3人を殺傷してしまったのだと主張していた。そして実を言うと、こうした千葉死刑囚の主張を裏づける事実が裁判で示されていたのだ。

まず、千葉死刑囚はA子さん宅に入る前に玄関のチャイムを押しており、殺害行為に及ぶ前にA子さんらと会話をしていたことも明らかになっている。これらは、事前に殺害を計画していた犯人の行動としては不自然だ。

また、A子さんの姉に警察に通報されそうになり、頭が真っ白になったという主張についても、精神科医の鑑定により裏づけられていた。千葉被告は犯行時、自分が自分であるという感覚が失われた「解離性障害」に陥っていたというのだ。解離性障害に陥る者の多くは幼少期に親から虐待を受けているが、千葉死刑囚もそうだったという。

この事件は上告審段階で大弁護団が結成されており、確実に再審請求がなされる事案だ。今後の行方も要注目だ。

筒井郷太死刑囚が収容されている福岡拘置所

◆「無罪妄想」の可能性を感じさせた筒井郷太

最後の筒井郷太は、いわゆる「長崎ストーカー殺人事件」と呼ばれる事件の犯人だ。2011年12月、長崎県西海市にある交際女性の自宅に押し入り、女性の母と祖母を殺害した容疑で検挙され、今年7月、最高裁に上告を棄却されて死刑判決が確定した。

筒井は裁判で無実を訴えているが、有罪証拠は揃っており、冤罪の心配はまったくない事案だと言っていい。ただ、私はこの筒井と面会や手紙のやりとりをしながら、筒井本人は自分のことを本気で無実だと思い込んでいるのではないかと感じることがあった。東京拘置所の元精神科医官で、作家の加賀乙彦が言うところの「無罪妄想」ではないかと私は考えているのだが、そのことについては稿を改めて報告させてもらいたい。

死刑判決が出るような重大事件でもマスコミが報道せず、知られていない事実は少なくない。2017年も当欄では、そういう知られざる事実を随時報告していきたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編)

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当欄で繰り返し冤罪疑惑を伝えしてきた本庄保険金殺人事件で、八木茂死刑囚(66)は11月28日、再審請求特別抗告審で最高裁に無実の訴えを退けられ、再審が開かれないことが確定した。しかし12月6日、弁護団はさいたま地裁にすぐさま2度目の再審請求を行い、再審無罪を目指す闘いの第2ラウンドが始まった。今後注目度が高まると予想されるのが、ある「被害者」たちのタブー情報だ。

確定判決で殺害に使われたとされている風邪薬

◆「風邪薬で殺害」を専門家が否定

埼玉県本庄市で金融業を営んでいた八木死刑囚は1999年の夏、マスコミ報道により債務者たちに保険をかけて殺害していた疑惑が表面化。一貫して無実を訴えたが、2008年に最高裁で死刑が確定した。確定判決によると、八木死刑囚は95年に元行員の佐藤修一氏(当時45)を保険金目的でトリカブトで殺害。さらに98年から99年にかけ、元パチンコ店店員の森田昭氏(同61)、元塗装工の川村富士美氏(同38)の2人に保険金目的で大量の風邪薬と酒を飲ませ、森田氏を殺害、川村氏には急性肝障害などの傷害を負わせたとされた。

しかし、死刑確定後に再審請求すると、トリカブトで毒殺されたとされる佐藤氏について、計3人の法医学者が死因を再鑑定したうえで「溺死」と判定。「佐藤氏は川で自殺した」という弁護側の主張が裏づけられる形となった。

結局、東京高裁は「鑑定結果に依拠できない」と八木死刑囚の無実の訴えを退け、最高裁も同高裁の判断を支持し、八木死刑囚の再審請求は実らなかった。しかし、このほど行われた第2次再審請求で提出された「無罪の新証拠」は興味深いものだ。それは、大量の風邪薬と酒で殺害されたとされる森田氏について、病理学の専門家が服薬と死亡の因果関係が認められないとした鑑定書だというのだが、これを私が興味深く感じる理由は大きく2点ある。

◆検証されていない「覚せい剤で死んだ可能性」

1点目は、確定判決で認定された森田氏に対する八木氏らの殺害の実行方法がそもそも不自然だったことだ。確定判決によると、森田氏は川村氏と共に八木死刑囚の愛人だった武まゆみ受刑者(49)=無期懲役が確定して服役中=から9~11カ月に渡り毎日20~30錠の風邪薬を酒と一緒に飲まされ、体を弱らせて死亡したとされている。武受刑者は2人に「健康食品」と偽る手口で風邪薬を飲ませていたとされるが、大の男がこれほどの長期間、逃げも隠れもせず、体を弱らせながら風邪薬を飲み続け、死んでしまうというのは非現実的である。

2点目は、マスコミはほとんど報道していないが、森田氏と川村氏の2人が事件当時、実は覚せい剤中毒に陥っていたことだ。覚せい剤を過剰に摂取すれば、体調が悪くなり、死ぬこともある。それは一般常識だ。しかし、八木氏の裁判では、森田氏が死んだり、川村氏が体を壊した原因が覚せい剤の摂取にあった可能性がまったく検証されていない。それだけに森田氏の死亡と服薬の因果関係を否定する医学的な鑑定結果が示された意味は大きい。今後、森田氏と川村氏の体調悪化の原因が覚せい剤だった可能性も検証されるべきだろう。

八木死刑囚の金融会社事務所は取り壊されて更地に

弁護団のブログ。事件の情報が随時報告されている。http:www.itsuwarinokioku.jp

◆「被害者」への過剰な配慮で隠されてきた真相

さて、このような指摘をすることに対しては、「被害者のプライバシー」の観点から問題があるのではないかと考える人もいるのだろう。森田氏や川村氏が覚せい剤中毒者だった事実について、マスコミがほとんど報じないのもそのためだと思われる。このように「被害者のプライバシー」が過剰に配慮されるあまり、真相が隠されてきたのもこの事件の特徴だ。

実を言うと、計3人の法医学者が「溺死」だと判定した佐藤氏についても、死の真相がトリカブトによる毒殺ではなく、自殺だったと示す事実は法医学者らの鑑定結果だけではなかった。佐藤氏は川で死んでいるのが見つかった当時、多額の借金を抱えたうえに胃癌に冒され、さらに遺書まで残していたのだ。こういう事実も「被害者のプライバシー」に配慮し、隠していたのでは、公正な裁判が行われている否かを国民は監視できないだろう。

そもそも、この事件の被害者とされている男性3人については、本当に被害者なのか否かというところから事実関係に争いがある。だからこそあえて、もう一度言おう。八木死刑囚に大量の風邪薬と酒で殺害されたとされる「被害者」たちは覚せい剤中毒者だったのである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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出演強要被害を訴える女性の声を伝えるなどAVを「社会問題」として扱った報道が増えている。そんな中、私の脳裏に蘇ってきたのが、10年余り前に「ガチンコ」の輪姦AVが強姦致傷の容疑で立件されて世を騒がせた「バッキー事件」だ。あの事件の「首謀者」とされるバッキー栗山に「冤罪疑惑」があることを、あなたはご存じだろうか――。

◆地獄に堕ちた「AV界の寵児」の腑に落ちない裁判結果

バッキー栗山こと栗山龍(当時40)は2000年代初頭、AVメーカー「バッキービジュアルプランニング」(以下、バッキー社)を設立。それ以前の経歴は謎めいていたが、アメックスのブラックカードを2枚所有する大金持ちというフレコミで、会長の自分自身が広告塔となって会社を売り出した。当時、男性週刊誌やスポーツ紙では、同社の作品や企画を紹介した記事がすさまじい頻度で掲載されており、栗山はまさに「AV界の寵児」だった。

しかし2004年になり、同社がウリにしていたガチンコ輪姦AVの撮影中、女優が肛門などに重傷を負う事故が発生。それ以降、水責めや強制的な飲酒など、同社の非人道的な女優の扱いが社会問題になり、ついに警察も本格的捜査に乗り出した。そして強姦致傷罪などで起訴され、「首謀者」とされた栗山は07年12月に東京地裁で懲役18年の判決を受ける。こうしてAV界の寵児は地獄に堕ちた。

ただ、それ以前に栗山と会い、言葉を交わしたことがある私は、裁判の結果が腑に落ちないでいる。

栗山の裁判が行われた東京地裁

◆子供のように澄んだ瞳

私が栗山と会ったのは03~04年頃、週刊誌の仕事で同社の「AVの虎」というシリーズ作品の撮影現場を取材した際のことだ。この作品は当時の人気テレビ番組「マネーの虎」をパクったもので、参加者がプレゼンするAVの企画が面白ければ栗山が金を出し、実際にAVを撮らせるという内容だ。正直、作品の詳細はまったく覚えていないが、この時一度会っただけの栗山の印象は今も記憶に鮮烈だ。

「栗山です。よろしくお願いします」

それは、とてもソフトな声だった。栗山は金髪に日焼け顔、華奢な体をホスト風のスーツに包み、見た目こそいかにも怪しげだが、物腰の柔らかい人物だった。名刺交換した時、屈託のない笑顔と子供のように澄んだ瞳には、不覚にもドキリとさせられた。栗山はなんとも言えない人を惹きつける力を持っていた。

この時、もう1つ印象的だったのが、栗山が制作スタッフに演技指導されながら「バッキー社の会長」を演じていたことだ。栗山はこの日、現場で制作スタッフに「こんな感じでいい?」と聞きながら、札束を鷲掴みにしてカメラをにらみつける“決めポーズ”をつくっていたのだが、何もかもスタッフに任せて言われるままに演技していた。私が裁判の結果が腑に落ちないのは、この時の彼の様子をよく覚えているからである。

というのも、裁判で栗山は、「バッキー社には資金を提供していただけで、作品の制作には何ら関与していない」と無実を訴えていた。マスコミはこの主張を歯牙にもかけなかったが、私には、現場で目撃した栗山の様子からすると、裁判での主張通りにバッキー社において、「金は出すが、口は出さない」タイプのオーナーだったとしても何ら不思議はないと思えるのだ。

ネット上には、今もバッキー作品を販売するサイトが存在

◆真っ二つに割れていた関係者たちの証言

しかも、実は裁判では、関係者たちの証言が真っ二つに割れているのである。共犯者とされた制作スタッフたちは、栗山が「首謀者」だったという趣旨の証言を重ねた一方で、バッキー社の営業や内勤の社員たちは「栗山は月に数回出社するだけで、出社しても仕事の話はしなかった」と全面的に栗山のAV制作への関与を否定しているのだ。

どちらの証言が正しいかは、私も正直、現在把握している情報だけでは断定しかねる。しかし、一般的に複数犯の事件では、罪のなすり合いなどで事実関係が歪みがちだ。また、このような組織ぐるみの事件では、警察や検察は組織の中で少しでも地位が高い人間を罪に問いたがるものである。少なくとも、世間の多くの人が思うほどには、栗山の有罪は絶対的ではないと私は思っている。

実は数年前、私は栗山本人に取材したいと思い、バッキー社の後継会社とされるAVメーカーに連絡し、どこかしらの刑務所で服役しているはずの栗山への仲介を依頼したことがある。その時、電話口の社員は「私自身は当時会社にいなかったので、当時から会社にいた人に話をしてみて、何かわかればお返事します」と丁寧な対応だった。しかし結局、返事をもらえずにそれっきりになっている。

実際、どうだったのだろうか――。AVを「社会問題」として扱った報道が増える中、私はあの日の栗山の笑顔や澄んだ瞳を思い出し、ふと立ち止まって考えている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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商業出版の限界を超えた問題作!

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊。11月17日発売。定価950円)

どれほど社会を騒がせた重大事件も少し時間が立てば、すぐに人々の記憶から消えていく。あとから次々に新しい重大事件が起こるためである。最近起きた事件では、あの「宇都宮爆発事件」もすでに忘れ去られた感があるが、事件の現場は今、どうなっているのか。

栗原容疑者が爆死したあたりはブルーシートで囲まれていた

◆連続テロとも思われた大事件だったが……

事件が起きたのは10月23日の昼前だった。宇都宮市中心部にある宇都宮城址公園で、元自衛官の栗原敏勝容疑者(72)が自作の爆発物を爆発させて自殺。近くのコインパーキングでも栗原容疑者の車を含む3台の車が炎上したが、これも栗原容疑者の犯行とみられている。当初、凄まじい爆発音は地元の人たちを「連続テロか」と戦慄させたという。栗原容疑者が爆死した周辺では3人が巻き込まれて重軽傷を負った痛ましい事件だった。

もっとも、これほど社会を騒がせた事件も月が変わり、早くも忘れ去られた感がある。5歳の男児が焼死した明治神宮外苑の火災や、博多駅前の道路陥没事故など次々に新しい重大事件が起こり、人々の関心はそちらに移っていったからだ。おそらく12月になる頃には、これらの事件も当事者や関係者以外の人々の記憶から消えていることだろう。

爆死現場のかたわらにある歴史資料館は何事もなかったのように営業を再開していた

◆日常生活を取り戻していた人々

忘れ去られていく事件のその後を知りたく、私が宇都宮爆発事件の現場を訪ねたのは、事件から1週間余り過ぎた日のことだった。そこでわかったのは、現場界隈の人々が思ったより早く日常生活を取り戻していたことである。

公園で栗原容疑者が爆死したあたりは青いブルーシートに囲まれて立ち入れないようになっていたが、そのかたわらにある歴史資料館はすでに何事もなかったかのように営業を再開。3台の車が炎上したコインパーキングは、事件直後の報道の写真、映像では激しく燃えていたが、早くも地面のアスファルトが修復され、やはり何事もなかったかのように営業が再開されていた。

そんな中、事件の痛ましい傷跡が唯一残っていたのが、コインパーキングの隣にある民家の建物側面の焼け跡だった。しかし私が現場界隈を取材して回っていると、修理業者とみられる人がやってきて、民家の住人らしき人たちと何やら話し込んでいた。おそらく近々、この民家の建物の焼け跡も修復されることだろう。

ふと気づけば、そんな光景を見ながら、私は少しばかりの感動を覚えていた。それはおそらく、人間の強さやたくましさのようなものを見せて頂いたような気がしたからである。

◆宇都宮取材で再認識させられたこと

今から70年余り前、広島では原爆が投下されて3日後、早くも路面電車が焼け野原となった街で運転を再開したという。私は数年前から東北に取材で何度も足を運んだが、わずか5年余り前に震災で壊滅的被害を受けた地域でも今は何事もなかったかのように建物が立ち並び、人々が普通に生活している(すべての地域がそうではないが)。原爆や震災と比べると被害規模は小さいが、宇都宮爆発事件の現場の回復ぶりにも相通ずるものがあるように思えた。

どんな重大事件も少し時間が経てば、すぐに人々の記憶から消えていく。あとから次々に起こる新しい重大事件に人々の関心は移っていく。それをなんとなく悪いことのように思っていた私だが、人が辛いことや悲しいことを忘れるのは前を向いて生きていくためだ。よく考えれば当たり前のそんなことを再認識させられた宇都宮取材だった。

巻き添えになり、重軽傷を負った方々に関しては、現状は不明なので軽々しいことは言えないが、一日も早く以前と変わらぬ日常生活を取り戻して頂きたい。

車が燃えたコインパーキング。隣の民家の壁には焼け跡が残っていたが、地面のアスファルトは修復されていた

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊。11月17日発売。定価950円)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!

東京・明治神宮外苑のアートイベント会場で木製のジャングルジム風展示物が燃え、中で遊んでいた5歳の男児が焼死した火災をめぐり、展示物を出展していた日本工業大学の学生たちやイベント主催者らに対するバッシングがインターネット上で巻き起こっている。

「白熱電球が熱くなり、おがくずが燃えるのは素人でもわかることだ。工業大学の学生が何をやっている」
「あんなのはキャンプファイヤーをやっているようなものだ」
「学生も悪いが、周りの大人たちも気づかなかったのか」

目に余る無神経さだな――と私は思う。学生や主催者のことではない。得意げに「後知恵」で、このようなバッシングをしている者たちが、だ。

火災の時に焼けたとみられるパーテーション

◆無自覚のうちに「父親」を愚弄している者たち

報道によると、燃えた木製のジャングルジム風展示物には、大量のおがくずがからめつけられていたという。火災の少し前から、学生らは白熱電球を使った投光器で展示物を照らしており、おがくずが熱せられて出火。たちまち展示物全体が炎上し、中に入って遊んでいた男児が逃げ出せずに焼死したと伝えられている。

火災時、一緒にいた父親も男児を助けようとして火傷を負ったそうだが、目の前で幼い息子が炎に包まれて焼死したのだから、これほど惨い悲劇はない。筆者が事件の2日後に現場を訪ねたところ、献花台には花とお菓子が大量に手向けられていたが、この悲劇を他人事とは思えずに胸を痛めている人がやはり世の中に大勢いるのである。

献花する女性たちと撮影する報道陣

そんな中、インターネット上で巻き起こっているのが、冒頭のような学生や主催者へのバッシングだ。筆者は未見だが、テレビでは、「大学生にもなり、白熱電球が熱くなるのも想像できなかったのか」と批判したキャスターもいたと聞く。重大な事故が起こると、後知恵で「その程度のこともわからなかったのか」と批判する醜悪な人々が大量に現れるのは毎度のことだ。しかし今回に限っては、その醜悪さは看過しがたいものがある。

なぜなら、「その程度のこともわからなかったのか」という趣旨の批判は、目の前で息子が焼け死ぬ悲劇に見舞われた父親を愚弄するものでもあるからだ。父親も学生や主催者と同様、このような惨事になることが予想できなかったからこそ、展示物の中で自分の息子を遊ばせていたのである。後知恵で学生や主催者をバッシングしている者たちは、その程度のことも想像できていないからこそ、目に余る無神経さだと私は言うのだ。

献花に来た女性とコメントを求める報道陣

◆今後は法的責任が問題になるが……

この火災では、今後、学生や主催者に刑事責任や損害賠償責任を問えるか否かということが問題になるが、学生や主催者に法的責任を問うには、注意義務違反が認められる必要がある。つまり、注意をしていれば、今回のような結果になることを予見できたのか否かや、今回のような結果になることを回避できたのか否かが問題になってくる。

今回の悲劇は実際問題、後知恵で学生や主催者を批判している者たちが思うほどには簡単に予見できるものでも回避できるものでもなかったろう。10月26日から開催されていたイベントには何万人もの人が来場しているとみられるが、この悲劇を予見し、警察や消防に通報したような人の存在は現時点でまったく確認できていないからである。

父親をはじめとする遺族たちは、まだ悲劇を現実として受け止められていないかもしれないが、最終的には学生や主催者が処罰されることなどを願うと予想される。しかし、そのためには今回の悲劇が予見できたことや、回避できたことが立証される必要があるわけだ。その過程で父親は再び、自分自身もこの悲劇を予見できず、息子を救えなかったという辛い現実と向き合うことになるだろう。

この火災には、かくも複雑で、デリケートな問題が存在するのだ。後知恵で学生や主催者をバッシングしている人たちは、悪気はないのだろうが、もう少し冷静になろう。

現場に設置された献花台に花を手向け、手を合わせる女性

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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