社会の耳目を集めた広島のマツダ社員寮男性社員殺害事件は、被害者の同僚の男性社員が強盗殺人の容疑で逮捕、起訴され、事件が解決したようなムードが漂った。そんな折、1人の無期懲役囚がこの事件について物申すべく、デジタル鹿砦社通信に手記を寄稿した。男の名前は、引寺利明(49)。2010年に起きたマツダ工場暴走殺傷事件の犯人である。

事件があったマツダの社員寮(広島市南区向洋大原町)

◆暴走犯から届いた手記

自動車メーカー・マツダの広島市南区向洋大原町にある社員寮で暮らしていた男性社員・菅野恭平さん(19)の他殺体が寮内の非常階段の2階踊り場で見つかったのは9月14日のこと。同24日に強盗殺人の容疑で検挙された上川傑被告(20)は菅野さんと寮の同じ階で暮らす同期入社の社員で、菅野さんを消火器で殴るなどして殺害し、現金約120万円を奪った疑いをかけられている。

一方、マツダの元期間工である引寺は2010年6月、広島市南区仁保沖町にあるマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、12人を殺傷。ほどなく自首して逮捕されたが、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」という特異な犯行動機を語り、世間を驚かせた。その後、精神鑑定を経て起訴され、2013年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。裁判では、責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

この引寺が裁判の終結後も服役先の刑務所で無反省な日々を送っていることは、当欄で繰り返しお伝えしてきた。引寺が反省できない最大の原因は、マツダで働いていた頃に「集スト被害」に遭っていたと今も頑なに信じていることだ。そんな引寺だけに今回のマツダ社員寮事件についても黙っておられず、当欄に手記の掲載を希望し、私のもとに郵送してきたわけである。

引寺が書いた手記は読む人によっては、気分の悪くなる内容だと思う。しかし、引寺のような社会の耳目を集めた重大殺人事件の犯人がどのような考え、どのような精神状態で服役生活を送っているのかということは社会の大きな関心事であるはずだ。そこで、引寺から寄せられた手記を余すことなく紹介しよう。ただ、引寺は現在も自分が犯した罪について、まったく反省していないので、読んで気分が悪くなるのが耐えられない人はここから先を読むのは控えたほうがいいかもしれない(※以下、手記は行替えを除き、とくに断りがない限りは原文ママで引用)。

引寺から届いた手記

================以下、手記================

「ワシはイライラしていた」

片岡さんも御存知と思いますが、マツダの社員寮で起こった事件に関してですが、発生当初から世間の見方では、同じ寮に住んでいる従業員による内部犯行の可能性が高い事は明らかだったのですが、犯人が逮捕されるまでは、新聞の記事やテレビのニュースでは、内部犯行説に関してはほとんど言及せず、何度も「警察は慎重に捜査している模様です。」と報道するばかりで、ワシはイライラしていた。

おそらくどこのマスコミも、内部犯行の可能性が高い事に関して、マツダに突っ込んだ取材はしていないでしょう。テレビ局のスタッフが、犯行現場である社員寮に出向き、寮に出入りしている社員達に逆取材した時も、インタビューを受けた社員が内部犯行の可能性が高い事について語った場合、その映像はニュースでは使われなかったでしょう。マスコミのボケどもがスポンサーであるマツダに配慮して、気をつかった報道ばかりをしている様子に、大人の事情が垣間見えて、カチーンときた。(怒)

マツダ事件(筆者注・引寺が起こしたマツダ工場暴走事件のこと。以下同じ)当時、一審を担当した主任弁護士の事務所に、マツダの従業員と名のる人達から「引寺容疑者が取り調べで語っているような嫌がらせをする連中がマツダにはおります。そういった連中による、嫌がらせ、パワハラ、セクハラ、暴行などの行為が、社内では日常的に起こっております。私も被害にあいました。」と訴えかけてくる電話が次々とかかってきた。主任弁護士は、電話をかけてきた人達の一人と実際に会い、直接、その人から被害の状況を聞いている。

ワシは広拘(筆者注・広島拘置所)で面会していた記者連中にこの件を話し、「こういった事態が実際に起こっとるんじゃけぇー、主任弁護士から裏をとってキッチリ報道しんさいや。それが現場の記者がやらにゃーいけん仕事じゃないんね」と持ち掛けた所、記者連中は「わかりました。主任弁護士から話を聞いてきます。」と動いたのだが、結局、この件はテレビや新聞では、一切、報道されなかった。

記者連中に報道されなかった理由を聞くと「デスクに止められてダメでした。」と回答する記者ばかりだった。この時は本当に頭に来た。スポンサーであるマツダのイメージが悪くなるような報道は出来んとゆう事か。(怒)

「マツダのバチクソがあー!!」

マツダ事件には、この件のように現場の記者連中は知っていたのに、マスコミの都合により報道されなかった裏事情がたくさんある。ワシは裏事情に関して、一審の法廷で何度も主張したのに、一切、報道されなかった。報道されなければ世間には伝わらない。自分達にとって都合の悪い情報を握りつぶすんなら、マスコミも腐った警察や検察と変わらんよのー。所詮マスコミにとって大事なのは、真実である現場の声を報道する事よりも、スポンサーの御機嫌を損なわないようにする事が最優先!!という事なのでしょう。ホンマ、腐っとりやがるでえー。(怒)

もし、犯行現場がマツダの社員寮ではなく、マスコミにとってスポンサーのからみなど全くないような、従業員が20~30人程度のチンケな工場の社員寮だったとしたら、マスコミは「内部の者による犯行の可能性が非常に高い」という言葉を、事件報道の中で普通に使っていたと思いますよ。

事件から1週間が過ぎた頃に犯人が逮捕され、被害者と同じ寮に住んでいた従業員である事が明らかになった時には、ざまあみさらせマツダのバチクソがあー!!といった感じで溜飲が下がりました。まさしく自演乙(筆者注・おつ。以下同じ)じゃのー。(爆笑)

マツダ事件発生当時には、事件発生から数時間後にマツダのトップ連中が記者会見を行い、マツダは被害を受けた事をアピールしまくり、「警察の捜査には全面的に協力します」などとホザいて、世間からの同情を買っておりましたが、今回の事件については、内部犯行の可能性が高い為、ヘタな記者会見は出来なかった訳です。

もし、逮捕された犯人が従業員ではなく、外部の者である事実が明らかになっていたら、おそらくマツダのトップ連中はシレッと記者会見を行い、その中で「今回、我が社の社員寮において、社員が殺害されるという大変痛ましい事件が発生し、真に遺憾であります。亡くなられた〇〇さんの冥福を全社員で祈っております。これからは社員寮などの施設のセキュリティを強化し、警備員を常駐させ、金銭トラブルに巻き込まれる事のないよう、コンプライアンスを重視した社員教育を徹底して行い、二度とこのような事態が発生する事の無いように全社を上げて努力していく所存であります。」などと語るんじゃろーのー。(笑)

「大企業とマスコミの関係はヘドが出る」

大企業がマスコミのスポンサーになるというのは、今回みたいな自演乙の事件が発生した時に、マスコミに気をつかった報道をさせる口止め的なメリットがあるんじゃろーのー。ホンマ、大企業とマスコミによるこういった関係というのは、ヘドが出るで。(怒)長いものにはグルグル巻きじゃのー。(笑)

今回逮捕された従業員のアンチャンが、かつてワシが取り調べを受けていた南署(筆者注・広島南署)におるというのも、なんか笑えるのー。テレビのニュースで南署の建物が写っておりましたが、な~んかなつかしく感じてしまい、留置場生活の事をあれこれと思い出しちゃいました。(笑)どーでもえーが、南署の建物は早いとこ建て替えた方がええでー。震度3程度の地震でも倒壊しちゃうぜえーーー!!(笑)

================以上、手記================

念のために断っておくが、重大事件の犯人は引寺のような無反省な人物ばかりではない。また、自分の犯した罪については徹底的に無反省な引寺もそれ以外のことでは、意外に真面目な顔を見せることもある。しかし、こういう悪ふざけをしたような手記を書くのも間違いなく引寺の特徴の1つだ。この手記は殺人犯の生態を知るために有効な資料だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

横浜市の大口病院で点滴を受けた高齢の男性入院患者2人が相次いで死亡した「点滴殺人事件」は、表面化してから1カ月以上過ぎても容疑者が捕まらない。テレビや新聞では、警察の捜査が難航している様子が伝えられているが、もうそろそろ、こんな疑問が指摘されてもいい頃だろう。この事件はそもそも、本当に殺人事件なのだろうか――。

事件の舞台となった大口病院(横浜市)

◆思い出される「あの事件」

報道によると、大口病院で点滴を受けて亡くなった2人の入院患者、西川惣藏さん(88)と八巻信雄さん(88)の体内からはいずれも医療用消毒液「ヂアミトール」に含まれる界面活性剤の成分が検出されたという。神奈川県警は何者かが注射器を使って点滴にヂアミトールを混入し、2人を中毒死させたと殺人事件とみて、捜査を展開しているとのことである。

しかし、物証は乏しく、捜査は難航。さらに事件後、ナースステーションにあった約10個の未使用点滴袋のゴム栓部分にも針で刺したような小さな穴があいていることがわかり、そのうちのいくつかからは消毒液の成分が検出され、無差別に患者を狙った犯行である可能性も浮上。そのため、動機から犯人を絞り込むこともできないでいる――。

とまあ、報道されている捜査状況を見る限り、容疑者が検挙されそうな雰囲気はまったく感じられないが、こうした情報から、私の脳裏には、かつて日本全国を騒がせた「あの事件」が蘇ってきた。1998年7月に起きた和歌山カレー事件である。

◆1998年の過ち

夏祭りのカレーに何者かがヒ素を混入し、それを食べた60人以上がヒ素中毒に罹患、うち4人が死亡した和歌山カレー事件では、当初、和歌山県警科捜研がカレーに混入された毒物を青酸化合物と誤認。これにより、無差別の大量毒殺事件という見立てで大々的に報じられ、のちに原因毒物が青酸化合物ではなく、ヒ素だったと判明しても、マスコミはその見立てを改めなかった。

そして事件発生の1カ月後、現場近くに住んでいた主婦の林眞須美(55)が事件前にヒ素を使って保険金詐欺を繰り返していた疑惑が浮上すると、マスコミは一斉に犯人と決めつけた報道を展開。結果、眞須美は無実を訴えながら死刑判決を受けたが、動機は未解明のままで、やがて冤罪疑惑が持ち上がる。そうなってからようやく、毒物に関する知識のない人間には「白い粉」にしか見えないヒ素ならば、犯人は殺害目的ではなく、「いたずら」や「いやがらせ」でカレーに混入した可能性もあるのでは・・・という疑問が指摘されるようになった。

「点滴殺人事件」とか「入院患者連続殺人事件」などと報道されている大口病院事件で、同じ過ちが繰り返されている恐れはないだろうか。

◆「傷害致死事件」の可能性

実際、大口病院事件の捜査が難航する中では、「過去にヂアミトールが人体に注入されたケースは少なく、どの程度の量を投与すると死に至るのか明らかではない」(毎日新聞ホームページ10月23日配信記事)などという報道も出始めた。それはつまり、他ならぬ犯人もヂアミトールを点滴に混入することにより、患者が死ぬとは思いもよらなかった可能性もあるということだ。本当にそうならば殺意は認定できないので、この事件は殺人事件ではなく、傷害致死事件ということになり、想定される犯人像も当然変わってくる。

もちろん、神奈川県警はそういう可能性も踏まえて、捜査を展開しているだろう。しかし、テレビや新聞の報道で「殺人事件」と決めつけられている状態と、「本当に殺人事件なのか」という疑問も提示されている状態では、警察のもとに集まる情報も違ってくる。捜査の難航が続く中、この事件を「殺人事件」と決めつけるのは、そろそろやめたほうがいいのではないか。

大口病院の正面入口の貼り紙。外来診療は現在、すべて休診中

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

1992年2月に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、一貫して無実を訴えていた死刑囚の久間三千年氏(享年70)に対する死刑が執行されてこの10月28日で8年。足利事件と同じく科警研による黎明期の稚拙なDNA型鑑定が有罪の決め手とされていたことなどから「冤罪処刑」を疑う声が根強く、福岡高裁で現在進行中の再審請求即時抗告審の行方は予断を許さない。久間氏の死刑執行に関与した「責任者」たちはこの事件に関し、どのように考えているのか――。

◆情報公開請求により死刑執行責任者たちを特定

死刑は、法務大臣の命令により執行されるが、執行手続きには他にも多くの者が関わっている。そこで、法務省と福岡矯正管区に対して情報公開請求したところ、責任ある立場で久間氏の死刑執行に関与した者たちが多数特定できた。執行手続きの流れに沿い、紹介しよう。

死刑判決が確定すると、まず「執行の指揮をすべき検察官の属する検察庁の長」が法務大臣に対し、死刑執行に関する上申をする決まりだ。久間氏の場合は上告棄却の約5カ月後の2007年2月7日、福岡高検の佐渡賢一検事長が長勢甚遠法務大臣に対し、死刑執行命令を求める「上申書」を提出している。法務省では、この上申があると、刑事局で参事官や局付検事が裁判の記録などを検証し、死刑執行に問題がないという結論に至れば、死刑執行に必要な文書を起案するのである。

では、久間氏の死刑が執行された際、法務省では具体的にどんな決裁がなされたのか。

まず、上申から1年8カ月余り経った2008年10月24日、刑事局総務課名義で「死刑執行について」と題する文書が起案され、同日中に決裁されていた。開示された文書は久間氏の姓名や生年月日、裁判で認定された犯罪事実以外の部分がほとんど黒塗りされていたが、表紙にはこの文書を決裁した法務省幹部6人(尾﨑道明矯正局長、大塲亮太郎矯正局総務課長、富山聡矯正局成人矯正課長、坂井文雄保護局長、柿澤正夫保護局総務課長、大矢裕保護局総務課恩赦管理官)の押印が確認できた。

また、同じ日に「死刑事件審査結果(執行相当)」という文書が作成され、森英介法務大臣と佐藤剛男(たつお)法務副大臣の2人がサインし、法務省幹部5人(小津博司事務次官、稲田伸夫官房長、中川清明秘書課長、大野恒太郎刑事局長、甲斐行夫刑事局総務課長)が押印していたこともわかった。つまり、判明した限りでも森法務大臣と佐藤法務副大臣に加え、計11人の法務省幹部が久間氏に対する死刑執行が相当だという決裁をしたわけである。

◆1日の間に慌ただしく進められた死刑執行手続き

久間氏に対する死刑執行が相当だという決裁がなされると、同日中に早くも死刑執行命令書が作成されていた。それは次のような内容だった。

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福岡高等検察庁検事長 栃木庄太郎

平成19年2月7日上申に係る久間3千年に対する死刑執行の件は、裁判言渡しのとおり執行せよ。

平成20年10月24日 法務大臣 森英介

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法務省が開示した文書によると、福岡高検の栃木庄太郎検事長はこの死刑執行命令書を作成当日に受領したとされているが、これにはさすがに違和感がある。1日のうちに起案から決裁をすべて済ませ、死刑執行命令書を作成し、さらにそれを法務省がある東京・霞が関から福岡まで運ぶのは時間的に無理だと思えるからだ。法務省の担当者たちは、各文書に記載された決裁の日付よりずいぶん前に実質的な決裁を済ませていたことは間違いない。

しかしともかく刑事訴訟法では、法務大臣の命令があったときから5日以内に死刑は執行されなければならないと定められている。関係文書によると、久間氏の場合も3日後の10月27日、福岡高検の担当検察官により「死刑執行指揮書」が作成され、翌28日に福岡拘置所で死刑が執行されている。こうして久間氏は再審請求を準備していた中、絞首刑に処され、生命を奪われたのだ。

今も現職の衆議院議員として活動する森英介氏の事務所のHP

◆死刑執行の責任者たちに取材を申し入れた

私は、執行手続きに関与した責任者たちのうち、とくに責任が重い立場にあった3人に取材を申し入れた。

まず、森英介氏。2008年9月に法務大臣に就任し、その翌月に早くも久間氏に対する死刑執行命令を発した森氏は、現在も現職の衆議院議員だ。私は森氏に対し、電話とファックスで取材を申し入れたが、担当秘書から次のような回答があった。

「森に確認したところ、とくにお答えすることがないと申しております」

公式ホームページによると、森氏の座右の銘は「人生の最も苦しい、いやな、辛い損な場面を真っ先に微笑をもって担当せよ」とのことだが、森氏の態度はこれに反するように思えた。

一方、死刑執行を相当だと決裁した11人の法務省の幹部の中からは2人に取材を申し入れた。

トヨタのHPに監査役として紹介されている小津博司氏

まず、法務省の事務方ではトップの事務次官だった小津博司氏。1974年に検事任官し、最終的に法務・検察の最高位である検事総長に上り詰めたエリートだ。退官後は弁護士に転じ、現在はトヨタ自動車や三井物産の監査役を務めている。私が昨年6月、この小津氏に手紙で取材を申し入れたところ、次のような返事の手紙が届いた。

〈6月16日付のお手紙拝受いたしました。小生に対する取材のお申し込みですが、退官後、このような取材は全くお受けしておりません。この度のお申し出もお受けすることはできませんので、悪しからずご了解いただき、今後の連絡もお控えいただきますよう、お願いいたします。用件のみにて失礼いたします。〉

言葉は丁寧だが、強い拒絶の意思が感じ取れる文章だ。

法務省のHPで検事を志す若者にメッセージを送った大野恒太郎氏

当時の法務省幹部の中から取材対象者に選んだもう1人は、死刑執行に必要な文書を起案した刑事局の局長だった大野恒太郎氏。小津氏の退官後に検事総長を務め、今年の9月に勇退。執筆時点で勇退後の進路は不明だが、天下りするなら「選び放題」なのは間違いない。

私が大野氏に手紙で取材を申し入れたのは、大野氏がまだ検事総長の地位にあった昨年6月のこと。ほどなくして最高検企画調査課の検察事務官から電話で次のような返事があった。

「今回の取材申し入れに関しては、大変恐縮なんですが、お断りさせて頂きたいということです」

私はこの検察事務官に対し、大野氏がいかなる理由で取材を断るのか尋ねたが、「とくに賜っておりません」とのこと。取材を断られたのは予想通りだが、大野氏はもちろん、周辺の検察職員たちも飯塚事件関係の話題にはナーバスになっている雰囲気が窺えた。

このように久間氏の死刑執行に責任ある立場で関与した者たちから木で鼻をくくったような対応で取材を拒否され、私は改めて思った。奪われた生命は取り戻せないが、一日も早く久間氏の雪冤、名誉回復が果たされて欲しい、と――。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

<追記>
久間氏の死刑執行に関与しながら、私の取材に応じた検察幹部も実は2人いるのだが、その詳細は、2月に発売された私の編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)で報告している。また、同書では、本稿で紹介したものをはじめ、久間氏に対する死刑執行の過程で作成された文書を多数公開している。

島根県立大学1年生の平岡都さん(当時19)が2009年10月26日、アルバイト先から帰宅途中に行方不明になり、バラバラ遺体で見つかった事件から7年が過ぎた。社会を震撼させた事件は今も未解決だが、犯人は一体どんな人物なのか。現場を訪ね、事件の真相に思いを馳せた。

◆「犯人は土地勘あり」と示す遺体遺棄現場

平岡さんの遺体が見つかったのは広島県北広島町の臥龍山の山中だった。平岡さんが行方不明になって10日後の11月6日、キノコ狩りに来ていた男性が崖下で人間の頭部を発見し、警察に通報。警察の捜査で周辺から胴体、左足の一部などバラバラになった遺体が見つかり、DNA型鑑定で平岡さんの遺体と特定された。このように遺体の発見状況が凄惨だったため、この事件は猟奇的な性癖を持つ人物による犯行ではないかと報道され、社会を震撼させたのだ。

私が現地を訪ね、まず最初に感じたのは、犯人は遺体遺棄現場に土地勘があった可能性が高いのではないかということだ。というのも、平岡さんが生前最後に目撃されたアルバイト先のショッピングセンター「ゆめタウン浜田」から臥龍山の遺体遺棄現場までは最短ルートを通っても40キロ以上ある。しかも国道191号から臥龍山の登山道に入る地点には道案内の標識が出ているが、遺体遺棄現場までたどり着くにはクネクネした登山道をけっこう登らねばならない。平岡さんが殺害された時間や場所は不明だが、土地勘のない人物が訪ねそうな場所には到底思えなかったのだ。

臥龍山の車が走れる道の最も高い場所にある転回場。この周辺の崖下で遺体が見つかった

◆遺体がバラバラゆえに猟奇的事件と報道されたが・・・

私がもう1つ疑問に感じたのは、この事件が本当に猟奇的な事件なのか、ということだ。というのも、バラバラになった遺体が見つかった臥龍山の現場は草木が生い茂り、いかにも多くの野生動物が生息していそうな雰囲気だった。要するに、遺体をバラバラにしたのは犯人ではなく、野生動物の可能性もあるのではないかと思えたのである。

私は過去、この事件と同じように山中に若い女性の遺体が遺棄された殺人事件を取材したことがあるが、その事件で女性の遺体はそのままの状態で遺棄されたにも関わらず、短期間で頭部と胴体が分断され、バラバラの状態で発見されていた。マスコミは殺人事件をセンセーショナルに報道したがるが、遺体の悲惨な状況だけを根拠にこの事件を猟奇的な人物による犯行だと決めつけると、社会をミスリードする危険もあるように思えた。

この事件は警察庁の捜査特別報奨金制度の対象事件となっており、警察に提供した情報が事件解決につながれば、最大で300万円の支払いを受けられる。気になる情報を持ちながら、「猟奇的な殺人事件」と関係ない情報に思えて警察に通報できないでいる人がいれば、臆せずに警察に情報提供してみるべきだろう。

遺体遺棄現場近くの転回場には、警察が情報を求める看板

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

外部との交流を厳しく制限され、獄中生活の実相が世間にほとんど知られていない死刑囚たち。その中には、実際には無実の者も少なくない。冤罪死刑囚8人が冤死の淵で書き綴った貴重な文書を紹介する。8人目は、山梨キャンプ場殺人事件の阿佐吉廣氏(67)。

阿佐氏が綴った手記の原本計16枚

◆「虚偽証言だけで死刑が確定」

〈今、私は、山梨キャンプ場殺人事件で共犯と呼ばれる、元社員達の、自分の罪を軽くしたい、あるいは逃がれたいと思う虚偽証言だけで死刑が確定いたしました。他に証拠は何ひとつありません。〉

これは、今年2月に発売された私の編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)に、阿佐氏が寄稿した手記の一節だ。

事件が発覚したのは03年の秋だった。山梨県警がタレコミ情報をもとに都留市のキャンプ場で、3人の遺体が埋められているのを発見。3人は阿佐氏が営む会社「朝日建設」の元従業員だった。阿佐氏は、部下らと共に殺人などの罪に問われ、「自分は無関係」と無実を訴えたが、12年に最高裁で死刑が確定。現在は死刑囚として東京拘置所に収容されつつ、甲府地裁に再審請求中である。

阿佐氏が収容されている東京拘置所

◆冤罪を疑う声が多い理由

専門筋の間では、阿佐氏の冤罪を疑う声は非常に多いのだが、その最大の理由は、裁判で共犯者とされる元部下がこんな証言をしたことである。

「取り調べや裁判の最初の頃には、阿佐社長が被害者らを殺し、私たちも手伝ったと証言していましたが、あれは嘘です。本当は、阿佐社長は殺害の現場にいなかったのです」

この元部下によると、殺害行為を実行したのは、事件発覚時にはすでに死去していた「副社長格のY」だった。Yは被害者らとトラブルになり、首を絞めて殺害したが、その時に元部下も被害者の足を押さえるなどして手伝った。しかし警察の取り調べでは、阿佐氏が主犯だというストーリーを押しつけられたという。

「私は朝日建設を辞める際、阿佐社長に見捨てられたように感じて恨んでいたので、阿佐社長が被害者を殺害したとみていた警察に、話を合わせてしまったのです。でも、自分の嘘で阿佐社長が死刑にされたことに耐えられなくなり、本当のことを話したのです」(同)

一方、東京拘置所で収容中の阿佐氏は、前掲の手記で、自分を貶めるウソの供述をした共犯者たちへの思いも次のように綴っている。

〈彼らの虚偽「供述」や虚偽「証言」は決して彼らが意図して言ったものでは無く、取調官に誘導され、強要されて出来上ったものです。その冤罪の被害者は私だけでなく、彼らも被害者なのです。私は、だからこそ一日も早く、真実を明らかにして、楽な気持にさせてやりたいとの思いで一杯なのです。〉

この文章からは、凶悪殺人犯として死刑判決を受けた阿佐氏が本来、暖かい人柄の人物であることが窺える。

阿佐氏の再審請求が審理されている甲府地裁

◆一目でいい、母に会って・・・

徳島県出身の阿佐氏には、裁判中から遠路はるばる面会に来てくれていた母親がいる。80代後半になり、現在は認知症に陥っているというが、前掲の手記には、その母親への思いも綴られている。

〈私の大切な、たった一人の母も、ときどきは正気に戻る時には、私に会いたいと切望していることでしょう。私も一目でいい、母に会ってこの胸、一杯にある感謝の言葉を伝えたいと思っております。〉

人は極限的な状況に置かれた時、何より心の拠り所にするのはやはり肉親ではないか。阿佐氏の手記はそんな感想を抱かせる。前掲書に掲載された手記全文には、母との思い出や阿佐氏の半生、事件の経緯などが克明に綴られている。
 
【冤死】
1 動詞 ぬれぎぬを着せられて死ぬ。不当な仕打ちを受けて死ぬ。
2 動詞+結果補語 ひどいぬれぎぬを着せる、ひどい仕打ちをする。
白水社中国語辞典より)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

2002年に大阪市平野区で起きた母子殺害事件で、1度は死刑判決を受けながら逆転無罪を勝ち取った大阪刑務所の刑務官、森健充被告(59、現在は休職中)に対する大阪高裁の第2次控訴審が9月13日、結審した。判決は来年3月2日に宣告されるが、無罪判決が維持されるだろうというのが大方の見方だ。もっとも、そうなっても森被告は手放しで喜べないかもしれない。森被告はこの事件のこと以外でもう1つ、冤罪を訴えているからだ。

森被告の第2次控訴審が行われている大阪高裁

◆逆転無罪の経緯

事件の経緯は次のようなものである。

大阪市平野区でマンションの一室が全焼し、焼け跡から住人で主婦の森まゆみさん(当時28)と長男の瞳真(とうま)くん(同1)の遺体が見つかったのは2002年4月のこと。まゆみさんの首には、犬のリードが巻きつけられており、瞳真くんは浴槽の水に服を着たままの姿で浮かんでいたという。そして事件の7カ月後、大阪府警が殺人の容疑で逮捕したのが、まゆみさんの義父である森被告だった

森被告は一貫して無実を主張。裁判は第1審が無期懲役、第2審が死刑という結果になりながら、最高裁が審理を差し戻した大阪地裁の第2次第1審で逆転無罪判決が宣告されるという劇的な展開を辿った。これを検察が不服として控訴し、現在は第2次控訴審が行われているわけである。

もっとも、元々物証が乏しかったうえ、第2次控訴審で検察側が「最後の抵抗」として行ったDNA鑑定では、むしろ森被告の無実を裏づけるような結果が示された。凶器である犬のリードや、2人の被害者の着衣が徹底的に調べられたにも関わらず、森被告のDNA型が一切検出されなかったのである。

それゆえに、第2次控訴審では無罪判決が維持される公算が高いとみられているのだが、では、森被告が訴えている「もう1つの冤罪」とは何なのか。それは、事件前に被害者のまゆみさんに行っていたとされる「求愛」や「性的な接触」に関することである。

現場のマンションはこの通り沿いにある。今は地元でも事件を知らない人が多い

◆「求愛」や「性的な接触」は本当にあったのか

そもそも、この事件で森被告が警察に疑われた理由は、事件前にまゆみさん夫婦との間で人間関係の問題が生じていたことだった。

まず、森被告は事件当時、妻の連れ子である「まゆみさんの夫」と非常に仲が悪かった。森被告がまゆみさんの夫の金銭問題の尻拭いで大変な目に遭っていたにも関わらず、まゆみさんの夫が不義理な態度をとり続けていたことなどが原因だ。それに加え、まゆみさんは事件前、義理の母である森被告の妻に対し、次のようなことを訴えていたのである。

「一緒に古新聞を運んでいる際に、エレベーターの中でお義父さんに抱きつかれた」

「キッチンでいきなり、お義父さんに首にキスされた」

「お義父さんに『まゆみのことが好きや』と言われたり、無理やり手を引っ張られて、勃起した部分を触らせられたりした。また、自分はセックスが上手であるという話をされ、『一回試してみよう』と手を引っ張られたので、流し台のワゴンをつかんで抵抗した」

「お義父さんから、愛を告白する『あいこくめーる』が送られてきた」

まゆみさんのこうした訴えは第1審判決、控訴審判決共に事実と認めているのだが、審理を差し戻した最高裁判決や差し戻し審の無罪判決でも、これらの事実関係はとくに否定されていない。しかし、実を言うと森被告は、まゆみさんに対するこれらの行為についても事実関係を否定しているのである。

実際問題、森被告がこれらの行為をまゆみさんに行っていたと示す証拠は、亡くなったまゆみさんの証言以外には存在しない。そういう意味では、「もう1つの冤罪」である可能性も否定し難いところなのである。来年3月2日に宣告される第2次控訴審の判決では、この部分についても何らかの判断が示されて欲しいものである。

なお、私は現在発売中の「冤罪File」第26号で、検察側の「真犯人放置疑惑」についてもレポートしている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

ひと昔前に比べると、テレビや新聞で冤罪の話題が取り上げられる機会が増えているが、それでもまだ「知られざる冤罪」は数多い。私がその1つかもしれないと思っているのが、10月5日で発生から15年を迎えた大阪市都島区の現金輸送車襲撃事件だ。この事件の犯人とされる男は、「ある事情」からマスコミで頻繁に取り上げられた有名人だが、現在も獄中で冤罪を訴え続けている。

中村に無期懲役判決を宣告した大阪地裁

◆冤罪を訴えているのは「警察庁長官狙撃犯」

大阪市都島区の三井住友銀行都島支店(現在は都島出張所)の駐車場で、男性警備員(当時53)が左下腿部(ヒザから足首までの部分)を銃撃される事件が起きたのは2001年10月5日の午前10時半頃だった。犯人は、男性警備員が現金輸送車から下ろし、行内に運び込もうとしていた現金500万円入りのジュラルミンケースを奪って逃走。撃たれた男性警備員は生命に別条はなかったものの、全治まで1年5カ月も要した重傷だった。

そんな大事件の捜査は思いのほか難航したが、容疑者は意外なところから浮上した。2002年11月、名古屋市のUFJ銀行押切支店の駐車場で、現金輸送車から現金を行内に運んでいた2人の警備員が銃撃されるという類似事件が発生。1人は両足に銃弾を受けて重傷を負ったが、無傷で済んだもう1人の警備員が勇敢にも犯人の男をその場で取り押さえ、現行犯逮捕した。そして警察がこの男を調べたところ、実は大阪市都島区の事件にも関与している疑いが浮上したのである。

男の名は、中村泰(ひろし)という。逮捕当時72歳。事件モノのノンフィクションに関心を持つ人ならすぐにピンときただろうが、歴史的未解決事件の1つである警察庁長官狙撃事件の「真犯人」とめされる男だ。

◆現在は岐阜刑務所に服役中

中村は名古屋市の現金輸送車襲撃事件の容疑で逮捕されて以降、獄中にいながら様々な報道関係者と接触し、自分が警察庁長官狙撃事件の犯人だと訴えてきた。その訴えは非常に詳細かつ具体的で、事件に関する様々な事実関係とも整合するため、中村のことを「警察庁長官狙撃犯」だと信じている取材者は少なくない。かくいう私もその1人である。

しかし、大阪市の現金輸送車襲撃事件については、中村は2004年6月にこの事件の容疑で再逮捕されて以降、一貫して無実を訴えてきた。裁判では、2007年3月に大阪地裁で無期懲役判決を受け、控訴、上告も棄却されて2008年6月に有罪が確定したのだが、今も岐阜刑務所で服役生活を送りながら、冤罪を訴え続けているのである。

私は中村と手紙のやりとりをするようになって、かれこれ4年ほどになるが、ある時、大阪の現金輸送車襲撃事件が冤罪だと裏づける有力な根拠は何かあるのかと手紙で尋ねたところ、中村からこんな答えが返ってきた(以下、引用は原文ママ)。

「警察庁長官を撃った男」(鹿島圭介著・新潮文庫)。長官狙撃事件の真相に肉迫した一冊

◆冤罪の根拠は「銃弾の腔旋痕」

〈詳細に述べると一冊の本を書くほどにもなるかと思われるくらい錯綜した複雑な経緯がありますので、とうていこの書状だけで意を尽くせるものではありません。しかし、あえて結論を申せば、検察官の提示した証拠と論旨にはすべて反論できますし(現に公判でもそうしてきましたが)、疑わしきは被告人の利益にという道理が通るならば当然無罪になるべきものなのです。

最も決定的なものは銃弾の腔旋痕(旋条痕ともいわれます)ですが、これについては日本で最も権威があると認められる鑑定者が最新の機器を用いて得た鑑定結果と大阪府警の科捜研から出された通常のそれとのいずれかを採択するかの問題に集約されるといえましょう。

裁判所は遺棄薬莢については科警研の鑑定結果を、使用銃弾には(大阪府警)科捜研のものを採用するというきわめてご都合主義的な措置をとりました。このような対応は目撃者についても同様で、肯定的な証言は受け入れ、否定的なそれは排除したのです。こういうやり方をすれば冤罪を作り上げるのは容易になりましょう〉(2014年1月14日付けの手紙)

私は手紙で、「日本で最も権威があると認められる鑑定者が最新の機器を用いて得た鑑定結果」とはどういうものなのかと再質問した。すると、中村は次のように回答してきた。

〈鑑定者は(全国警察の鑑定業務の総元締ともいえる)科警研の内山常雄技官(現在は退官)で、この人は確か日本人では唯一USAで最も権威がある銃器鑑定員の資格を取得しています。私は法廷で直接対決しましたが、その見識は(名古屋の事件で登場した)愛知県警科捜研の鑑定員などとは雲泥の差でした〉(2014年3月2日付けの手紙)

〈「最新の機器」の詳しい内容までは承知していませんが、全国でも科警研にしかないものだとは聞いています。だからこそ府警の鑑定結果がかなり大ざっぱなのに対して、科警研のそれは小数点下一位までの精細な数字が明示されているのだと思います〉(前同)

この中村の話だけで安易に冤罪だと決めつけるわけにもいかない。しかし私は、理路整然とした中村の主張には安易に否定したがい説得力があるように思えた。現在86歳になった中村は昨年、ガンの手術をするなど健康状態が良くないが、元気になってくれたら、この大阪の現金輸送車襲撃事件の真相も改めて詳細に語ってもらいたいと私は考えている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

重大な未解決事件でありながら、警察が継続的に捜査している様子が見受けられない事件は案外少なくない。10月1日で発生から17年を迎えた東京都目黒区の「バラバラ殺人」事件もその1つだ。事件は今、一体どうなっているのか。

猟奇的バラバラ事件の舞台となった目黒不動尊瀧泉寺

◆見つかった遺体の断片は計30以上

サツマイモを日本全国に広めた江戸時代の蘭学者・青木昆陽の墓があることで有名な目黒区の目黒不動尊(瀧泉寺)の駐車場で、男性の「下腹部」が見つかったのは1999年10月1日のことだった。見つかった下腹部は鋭利な刃物で切り取られていたが、周辺に血痕は確認されず、何者かが別の場所から持ち込んだものと推定された。

警視庁が殺人・死体遺棄事件とみて、捜査に乗り出したところ、翌日までに目黒不動尊の境内の植え込みの土中から手首や内臓など、新たに10以上の遺体の断片が見つかった。さらに目黒不動尊の約200メートル西方にある「都立林試の森公園」の雑木林からも、同じ男性のものとみられる足の骨や背中が見つかった。発見された遺体の断片は計30を超えたといい、あまりに異常な猟奇的事件だった。

頭部は結局見つからずじまいだったが、ほどなく指紋などから遺体の身元は判明する。被害者は生衛群さん、当時37歳。豊島区南大塚で電気部品の販売業を営んでいた中国人の男性だった。遺体が見つかる数日前から行方がわからなくなっていたという。

「林試の森公園」でも足の骨や背中が見つかった

◆事件直後に「重要参考人」が浮上していたが・・・

この猟奇的事件は結局、現在に至るまで未解決なのだが、実は事件発覚直後、1人の男性が「重要参考人」として、捜査線上に浮上していた。その男性は現場の近くに住む40代の中国人A氏で、被害者の生衛群さんに借金の返済を求めていたという。

当時から地元で暮らす男性はこの中国人男性A氏について、次のように話した。

「警察は私のところに色々話を聞きに来ましたけど、その中国人の男が犯人ということで間違いないと言っていましたよ。ただ、自白がとれなかったんで、逮捕できなかったみたいです。その人はもうこのへんには住んでいません。中国に帰ったんだろうと思います」

この地元男性の話は憶測交じりの内容で、鵜呑みにするのは危険だと思えた。そもそも、本当にA氏が犯人なら、自宅周辺に被害者のバラバラ死体をばらまいて回るように遺棄するだろうかという疑問もある。むしろ、この地元男性が言うように本当に警察が早い段階から中国人男性A氏を犯人と決めつけていたのなら、真犯人を取り逃していても不思議ではないように思われた。

目黒不動尊の境内の階段には、人の毛髪が大量に落ちていたという情報もある

◆情報提供を呼びかけない警視庁

警視庁はホームページで、様々な未解決事件に関する情報提供を呼び掛けている。だが、この目黒の「バラバラ殺人」事件に関する情報提供は一切呼びかけていない。この事実からは、警視庁がこの事件について、もはや捜査する意欲を有していないことが読み取れる。それはやはり、警視庁としては「重要参考人」とみていた中国人A氏のことを犯人だと結論づけているからだろうか。

いずれにせよ、異国の地で生命を落とし、遺体をバラバラにされて遺棄された中国人男性の無念は計り知れない。その魂は今も成仏できず、目黒不動尊の境内やその周辺で彷徨っているのではないか。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

2014年に神戸市長田区で小1の女児が失踪し、バラバラの遺体となって見つかった猟奇的殺人事件が起きてから9月23日(=遺体が見つかった日)で2年が過ぎた。殺人や死体遺棄などの罪に問われた君野康弘被告(49)は今年3月18日、神戸地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けたが、年月が過ぎても事件の現場に刻まれた傷跡は生々しいままだ。

金網で囲まれた遺体遺棄現場の雑木林。花が供えられていた

◆金網が醸し出すワケアリ感

私が事件の現場を歩いたのは、君野被告に死刑判決が宣告されてからちょうど一週間後の今年3月25日のことだった。判決によると、君野被告は2014年9月11日、自宅アパート近くの路上で被害女児に対し、わいせつ行為をするために「絵のモデルになって」と声をかけて自室に誘い込んだ。そして女児の首をビニールロープで絞めたうえ、首を包丁で少なくとも4回刺して殺害。遺体を切断し、複数のビニール袋に入れて、近くの雑木林などに遺棄した――とされている。

現地を訪ね、まず何より痛ましく感じたのは、女児の遺体が遺棄された雑木林が金網のフェンスで囲まれていたことだった。この近くに住んでいる男性によると、「事件後に神戸市が土地を買い取って、誰も中に入れない状態にしたんです」とのことだが、金網のフェンスで囲まれた雑木林には、なんともいえないワケアリ感が漂っていた。このまま雑木林が放置されたら、周辺の住民はいつまでも事件の痛ましい記憶を消し去ることができないだろう。

金網で囲まれた遺体遺棄現場はワケアリ感が漂っている

◆被告の自宅アパートには大量のツタが……

しかし現地には、それ以上に生々しく事件を思い出させる場所があった。それは、君野被告が暮らしていた殺害現場のアパートである。ゆうに築30年は経っていそうな古びた建物の外壁には、生い茂ったツタが張りついていて、なんとも不気味な様相を呈していた。とりわけ君野被告が住んでいた部屋やその広々としたベランダには、大量のツタがまるで意思を持っているかのようにまとわりついていた。大家が手入れをせず、放置しているのだと思われるが、これでは次の借り手は到底見つからないだろう。

外から様子を窺ったところ、アパートにはまだ一室、住人がいる気配のある部屋もあったが、それ以外は空き部屋のようだった。私には、このアパートの大家も事件の被害者であるように思えた。

君野被告の住んでいた部屋とベランダは大量のツタがまとわりついていた…

◆事件に残された疑問

一方、君野被告は裁判員裁判の死刑判決を不服とし、現在は大阪高裁に上告中である。君野被告は公判で自分が犯人であることを認めつつ、誘拐の動機については、わいせつ目的だったことを否定し、「女児と話をしたかっただけ」と主張しており、控訴審でもこの主張を維持するとみられる。実際問題、君野被告は犯行前にアダルトサイトをかなり熱心に観ていたとされ、性的に興奮していたと考えられる一方、女児にわいせつ行為をしたという事実はないようなので、事件の真相がすべて解明されたかというと疑問も残る。この事件については、今後も折をみて、取材結果を報告したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

外部との交流を厳しく制限され、獄中生活の実相が世間にほとんど知られていない死刑囚たち。その中には、実際には無実の者も少なくない。冤罪死刑囚8人が冤死の淵で書き綴った貴重な文書を紹介する。7人目は、鶴見事件の高橋和利氏(82)。

◆80代まで生き永らえた原動力

今年2月に発売された私の編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)には、高橋氏も手記を寄稿してくれている。その手記は次のような冒頭の一文が非常に印象的である。

〈八十一歳。私をこの歳まで生き永らえさせているものは、足の先から頭の天辺にまで詰まり凝り固まっている司法権力への失望と満腔の怒りだ〉

横浜市鶴見区の小さな金融会社で、経営者の夫婦が殺害される事件が起きたのは1988年6月20日のこと。ほどなく殺人の容疑で検挙されたのが、現場の金融会社に出入りしていた電気工事会社の経営者で、当時54歳の高橋氏だった。それから28年。この間に高橋氏は無実を訴えながら死刑判決が確定し、再審請求も退けられているが、裁判の過程では、冤罪であることを示す数々の事実が浮き彫りになっていた。それゆえに高橋氏は、司法権力に対し、〈満腔の怒り〉を抱くに至ったのである。

髙橋氏が綴った手記の原本計20枚

◆捜査や裁判を舌鋒鋭く批判

そもそも、高橋氏がこの事件の犯人ではないかと疑われた原因は、事件の日に現場の金融会社を訪ね、被害者夫婦が殺害されているのを目撃しながら、警察に通報せず、その場にあった現金を持ち逃げしたことによる。つまり、第一発見者が犯人にすり替わってしまったのだが、この経緯を見る限り、高橋さんにも落ち度はある。

しかし裁判では、事実上唯一の有罪証拠である自白には、様々な不自然な点が見つかった。しかも、高橋さんは取り調べに対し「凶器のバールやプラスドライバーはゴミ集積場に捨てた」と自白しているにも関わらず、なぜか凶器は見つかっていない。しかも、現場の金融会社は事件の4カ月前にも窃盗に入られ、融資の借用証や不動産の権利証などの重要書類を盗まれているなど、「別の真犯人」が存在することを窺わせる事情も色々存在したのである。

高橋氏が収容されている東京拘置所

それゆえに高橋氏の捜査批判、裁判批判の舌鋒は鋭い。

〈取り調べの凄まじさは話の外で、思うだけで抑え難い怒りでむかついてくる。(略)大声で罵倒、椅子、机を蹴り、足や脇腹を蹴り、髪を掴んで振り回し、体重をかけて覆いかぶさり机に押さえ付ける。そうしたことをいくら裁判官に訴えても、証人として出廷した警察官が捜査段階での暴力や脅しはなかったと証言しているのだから、そういう事実はなかったのだ。(略)裁判官には洞察眼の欠けらもない。被告に向けるのと同じ疑いの眼を、なぜ証人の警察官にも向けて見ようとはしないのか。〉

◆妻が語る冤罪死刑囚の実像

手記だけを読むと、雪冤に執念を燃やす高橋氏について、読者は気難しい人物なのではないかという印象を持ちそうだ。しかし、妻の京子氏によると、実際の高橋氏は会社に入ってきたカマキリを追い払うことすらできない優しい性格の人だったという。前掲書では、事件の詳細のほか、京子氏へのインタビューにより高橋氏の誠実な人柄も浮かび上がっている。
 
【冤死】
1 動詞 ぬれぎぬを着せられて死ぬ。不当な仕打ちを受けて死ぬ。
2 動詞+結果補語 ひどいぬれぎぬを着せる、ひどい仕打ちをする。
白水社中国語辞典より)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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