「紀州のドン・ファン」こと和歌山県田辺市の資産家・野崎幸助氏(享年77)が2018年5月に急死した事件は、当初から疑われた55歳年下の元妻・須藤早貴被告(25)が逮捕されても、まったく解決したような雰囲気になっていない。

和歌山県警は、早貴被告が野崎氏に致死量の覚せい剤を飲ませたとみているようだが、メディアの取材に応じた法医学者ら専門家たちは、異口同音に「覚せい剤は苦みがすごく、口から飲ませるのは難しい」と指摘。逮捕当初には、県警はスマホの位置情報から早貴被告が田辺市内で覚せい剤の売人と接触したことを突き止めたように報じられたが、その売人が逮捕されたという続報も聞かれない。こうなると、そんな売人がそもそも本当に実在するのかも疑わしく思えてくる。

そんな中、筆者がこの事件のキーマンの1人とみている人物がいる。早貴被告が逮捕前、「真犯人を捕まえて欲しい」と依頼していたとされる探偵・戸塚敦士氏(社団法人探偵協会代表理事)だ。

◆早貴被告の無実を信じていることを公言

戸塚氏は5月から6月の前半までよくメディアに登場し、あれこれと早貴被告の面倒をみていていたことを明かしているが、注目すべきは早貴被告の無実を信じていると公言していることだ。

たとえば、元神奈川県警刑事の犯罪ジャーナリスト・小川泰平氏がホスト役を務めるYouTubeチャンネル『小川泰平の事件考察室』(https://www.youtube.com/watch?v=qCAU0iAxePs)に出演した際には、

「(早貴被告は)嘘はついていないという印象を持っています」
「堅く無罪を信じております」
「(覚せい剤の)売人との交流も考えられません」

などと、早貴被告の冤罪を断定的に主張していたが、その口ぶりは自信に満ちていた。

残念ながら、戸塚氏はメディアでは、怪しい人物のような扱われ方をして、その話にきちんと耳を傾けてもらえていない印象だった。しかし、そもそも、早貴被告が戸塚氏に「真犯人を見つけて欲しい」と依頼していたのが事実なら、自分以外に真犯人が存在すると本気で思っていた可能性を示している。このこと1つとっても、戸塚氏が事件のキーマンの1人であることは間違いない。

戸塚氏は、『小川泰平の事件考察室』に出演した際も早貴被告の無実を信じていることを公言した

◆和歌山県警が受け取らなかった情報とは…

さて、戸塚氏に取材を申し込んだところ、残念ながら応じてもらえなかったのだが(戸塚氏は多数の取材を受けた結果、取材不信に陥っている可能性を感じた)、戸塚氏が6月14日にインスタグラム(https://www.instagram.com/p/CQEvSOsj_QQ/)において、独自に早貴被告のことを調査していたことを明かしたうえ、気になることを書いていたので紹介したい。

・・・・以下、引用・・・・

紀州のドンファンこと野崎幸助さんの最後の妻須藤早貴被告が事件1年後 一人全裸でベットに飛び込みながら「なんで私が殺人犯扱いなんだよ~」と涙ながらに叫び飛び込む様子や私自身が厳しい尋問をあらゆる角度から数十回ぶつけている状況を警察に提供したものの

元警察庁捜査1課長の親家(しんか)和仁率いる和歌山県警察本部長以下精鋭警察官は有罪に繋がる情報以外一切必要無い!と断罪し各種無罪の証拠を徹底隠滅の上で情報操作に奔走暴走する様はまさにこの映画「それでもボクはやっていない」と重なりました。

・・・・以上、引用・・・・

書いていることは必ずしも明瞭ではないが、戸塚氏が無罪心証を抱く原因になった早貴被告の言動について、何らかの形で証拠化しており、それを和歌山県警に提供しようとしたが、県警側が内容を十分に検討せず、門前払いにしたことを訴えているようにも受け取れる。

現時点では、こうした戸塚氏の言動に基づいて何か断定的なことを言うことはできないが、裁判で早貴被告の逮捕前の言動が争点になれば、戸塚氏が証人として証言台に立つ可能性もある。その動向は真面目に注視しておいて、損はないと思う。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

今こそ鹿砦社の雑誌!

不倫の厳罰化が著しい今日この頃。週刊誌などで不倫を報じられた芸能人やスポーツ選手は社会的非難を浴び、仕事を失いかねないほど追い込まれることも珍しくない。

そんな光景を見やりながら、筆者が思い出さずにいられないのが、35年前に起きたビートたけし(74)のフライデー襲撃事件だ。

写真週刊誌フライデーがたけしの不倫相手の存在を報じたことをきっかけに勃発したこの事件。同誌の報道や取材、事後的な対応に激怒したたけしは1986年12月9日未明、たけし軍団とたけし軍団セピアの計11人を引き連れて同誌編集部に乗り込み、編集次長やデスクら5人に暴行し、1週間から1カ月のケガを負わせた。そして現行犯逮捕され、裁判では懲役6月・執行猶予2年の判決を受けたのだが…。

この事件が異例だったのは、加害者であるたけしより被害者であるフライデーが社会の批判を浴びたことだ。

フライデーの記者は事件前、たけしの不倫相手だった女性A子さんに強引な取材をし、けがをさせたうえ、売春婦呼ばわりまでしていた。さらに同誌はたけしの妻が4歳の娘に幼稚園入園の面接試験を受けさせる様子を隠し撮りし、その写真と記事を掲載していた。たけしがフライデー編集部を襲撃した背景にそんな出来事があったとわかったうえ、当時は写真週刊誌の過激報道が社会問題化していたこともあり、たけしに同情が集まったのだ。

そしてその後、たけしは謹慎期間を経て芸能活動を再開し、お笑い界のトップに返り咲くと共に、映画監督として世界的な名声を集めるようになった――。

とまあ、このようなコトの顛末は、多くの方がご存知だろう。だが、この事件をめぐっては、当時見過ごされた問題がある。

◆報道された当時は20歳だった不倫相手のA子さんだが…

それは、たけしの不倫相手A子さんの年齢だ。そのことを説明するうえでまず、フライデーがA子さんの存在を報じた1986年9月5日号の記事の見出しを見て頂こう。

〈ビートたけしの別宅へ通う「美女」あり 19歳の年齢差越え5年間続いたフシギ交際〉

5年間交際が続いたとのことだが、一方で本文を見ると、A子さんについて〈某国立大学の1年生としてデザインの勉強をしているこのA子さん(20)〉と書かれている。となると、A子さんがたけしと交際を始めた当初の年齢が気になるところだろう。

たけしの不倫を報じたフライデー1986年9月5日号。A子さん(黒いシャツの女性)の顔の修正は筆者(片岡健)による

そこで本文を見ていくと、末尾にこう書かれている。

〈15歳のときからの5年間は、A子さんにとって「大ファンのたけしさん」の身辺の世話をしてこれた“幸福な日々”だったのかも知れない〉

見ておわかりの通り、要するにフライデーの記事は、たけしの不倫を報じたというより、淫行疑惑を報じたような内容だったのだ。

この報道があった当時は不倫に対する社会の目が今ほど厳しくなかったのと同様に、淫行に対する社会の目も今ほどは厳しくなかった。だからこそ、まったく問題にならなかったのだろうが、当時も淫行が犯罪だったことに変わりはない。

記事では、たけしとA子さんの間に「不貞行為」があったとは書かれていないが、〈A子さん(20)がたけしの部屋に通う姿は、この夏休みの間、毎日のように目撃された〉と書かれており、2人の間に不貞行為があったと報じられているのも同然だ。仮に令和の今、有名芸能人に関してこのような記事が出れば、不倫問題というより淫行問題として騒がれ、その有名芸能人は当面、仕事ができなくなるだろう。

一方、仮に今、有名芸能人に関してこのような報道が出て、報道内容が事実ではなかった場合、芸能人側は名誉棄損訴訟を起こす可能性が高い。そして報じた側は巨額の賠償金を支払う羽目になるだろう。今はマスコミ報道に対する司法判断も当時よりずっと厳しくなっているからだ。

こうしてみると、たけしのフライデー襲撃事件とその原因になったフライデーの報道は、今ほどコンプライアンスにうるさくない昭和の時代らしい事件であり、報道だったと言えるだろう。

〈追記〉
たけしに下された東京地裁の判決文によると、A子さんは国立大学ではなく専門学校に通っていたとされている。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

1、2審共に死刑判決を受けている「関西連続青酸殺人事件」の筧千佐子被告(74・大阪拘置所に収容中)の上告審で、最高裁第三小法廷は29日、判決を言い渡す。

結婚相談所で知り合った交際相手や結婚相手の男性ら計4人に青酸化合物を飲ませ、うち3人を殺害するなどしたとされる筧被告。被害男性らの遺産を次々に手にしていたことなどから、メディアに「後妻業」などと言われた。

上告審では、弁護側は筧被告が進行した認知症により訴訟能力が無いなどと主張し、審理を差し戻して精神鑑定を実施することを求めているそうだが、最高裁の性質からしてこのまま死刑が確定する公算が大きいだろう。

筆者は、これまで筧被告と収容先の拘置所で面会したり、手紙をやりとりするなどの取材を重ねてきた。裁判の終結が迫ったこの時期、取材で知った筧被告の実像を紹介しておきたい。

◆思った以上に重篤だった認知症

筆者が初めて筧被告に会ったのは2017年12月中旬のこと。筧被告が一審・京都地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた直後の時期だ。当時収容されていた京都拘置所の面会室に現れた彼女が最初に発した言葉は今も強く印象に残っている。

「あなたのこと憶えてるよ」

初対面の筆者に対し、そう言った筧被告はきょとんとした表情で、演技をしているようには見えなかった。本気で筆者のことを他の取材関係者と間違えたのだ。

裁判中、罪を認めたり否認したり、裁判員に食ってかかったりと認知症の影響で不規則な発言を繰り返していたことは聞いていたが、会ってみた印象として認知症は思った以上に重篤なようだった。

筧被告は逮捕前、疑惑を追及する報道陣の前に厚化粧で現れていたが、面会室ではすっぴんで、顔にはシワとシミが目立った。服装も上がニット、下は八分丈のジーンズというラフな感じで、「関西の普通のおばちゃん」というのが率直な第一印象だった。

死刑判決を受けた感想を尋ねても、「今さら、どうのこうの無いです。あす死刑になってもいいという気持ちです」と語る様子は実にサバサバしていた。

「私はたしかに人を殺しましたが、殺したのは筧さん(=逮捕時に婚姻関係にあった被害者の1人・筧勇夫さんのこと)だけです。そのことは声を大にして言います」

そんな筧被告の言葉は明らかに事実と異なっていたが、本人は真顔だった。本気で1人しか殺していないと思い込んでいる可能性も否めないように思われた。

筧被告が現在収容されている大阪拘置所

◆出生の複雑な事情

筧被告は北九州市の出身で、野球の強豪としても有名な地元屈指の進学校・東筑高校を卒業しているが、面会中の会話から母校への愛着が非常に強いことが窺えた。そこで、東筑高校が選抜の甲子園出場を決めた際、ネット上の関連記事を郵送で差し入れたところ、大変喜び、速達でお礼の葉書を届けてきた。

そんな様子からは決して悪い人物には感じられなかった筧被告だが、反面、何の罪もない男性たちを金目当てに次々に殺めてきたことへの罪の意識もまったく感じ取れなかった。月並みな言い方をすれば、サイコパス的な人物だとも思えたが、なぜ、そんな人格になったのか。その謎を解くキーポイントになると思われるのが出生の複雑な事情だ。

筧被告は、八幡製鉄の社員だった父と母に育てられたが、この両親とは血のつながりがなかった。しかし、本人は大人になるまでそのことを知らず、ある日突然、産みの親から手紙が届いたことにより自分の出生の事情を知ったという。

「産みの親には、育ての親が死んでから会いましたよ。向こうは喜んでましたね。私はシラけてましたけど」

淡々とそう振り返った筧被告だが、筆者が「やっぱり育ての親のほうが大事ですか?」と質すと、突然感情を昂らせた。「そうですね。育ての親が大事です。今でも…」と言いつつ、両目から涙をポロポロこぼし始めたのだ。

その様子からは、出生の複雑な事情を知ったことは筧被告にとって、人生で最大級のショッキングな出来事だったことが察せられた。筧被告が次々に金目当てに人を殺めるような人格になったのは、少なくともこの出来事と無関係ではないだろう。

ただ、筧被告本人は進行した認知症のせいで、今は自分がなぜ人を殺すようになったかを思い出すことすら無理だろう。それはすなわち、彼女の心の闇に光が当てられる日も永遠に訪れないだろうということだ。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

Me Too 運動が盛んになるなど、性犯罪やセクハラに対する社会の目が一昔前に比べ、随分厳しくなっている。それ自体はもちろん悪いことではないが、一方で性犯罪やセクハラの濡れ衣を着せられ、取り返しのつかない損害を被る冤罪被害者も全国のあちこちで生まれているのが現実だ。

一審の無罪判決が二審で破棄され、6月9日に差し戻しの一審で懲役7年の判決が出て話題になった福岡の養女性交事件もその疑いが否めない事件の1つだ。

◆信用性に疑問があった養女の証言

この事件の被告人の男性は、2018年1月中旬頃から2月12日までの間に、妻の連れ子である当時14歳の養女と性交したとして監護者性交等の罪で起訴された。そして一審・福岡地裁では、2019年7月に無罪判決を受けた。

しかし、検察官が控訴すると、2020年3月に二審・福岡高裁が無罪判決を破棄し、一審に差し戻す判決を宣告。その後、弁護側の最高裁への上告も棄却され、差し戻しの一審で上述のように逆転有罪という結果になったのだ。

以上が事件の概略だが、裁判の争点はつまるところ、被害を訴える養女の証言が信用できるか否かだ。そして一度目の一審では、養女の証言について「信用性に疑問がある」として男性に無罪が宣告されていたのだが、実際、養女が証言した犯行状況は不自然だった。

というのも、被告人宅は部屋が少なく、夜は被告人夫婦と養女、その下の小さな子供2人の計5人が全員一緒に12畳のリビングで寝ていたのだが、養女の証言によると、被告人による性交は事件の1年ほど前から「多い時は週2回、少ない時でも月1回」という頻度で他の家族も寝ているリビングで行われていたという。しかし、他の家族は誰もそのことに気づいておらず、そもそも性交は架空のことである疑いが浮上していたのだ。

一度目の一審判決はその点に着目し、養女の証言を「不自然、不合理であるといわざるを得ない」と判断。検察官は「養女の証言は14歳の児童が創作できるものとは到底言えない」と主張していたが、養女の証言の多くは検察官の誘導尋問に応える形で単純な内容を述べるにとどまっていたため、「実際に体験しなければ供述できないほどの具体性や迫真性があるとは認められない」と検察官の主張を退けたのだ。

裁判では、嘘をついてまで男性を犯罪者に貶める動機が養女にあったのか否かも争点になったが、男性は養女に対し、携帯電話を使わせないなど厳しく接しており、養女から疎ましく思われていそうな事情もあった。“事件”が発覚した経緯をみても、養女が学校を休みがちであることを母親に叱られた際、突然泣き出し、男性に胸を触られたと訴えたことがきっかけであり、「養女は母親の怒りを男性に向けさせようとした可能性がある」とした一度目の一審判決の判断は合理的なものだった。

◆有罪を立証できなかった検察官を救済すべきだという裁判官

一方、この一度目の一審の無罪判決を破棄した二審判決はどんな内容だったのか。

細かい問題は色々あるが、最大の問題は次の部分に示されている。

「仮に原判決がいうように、具体性、迫真性に欠けることを理由に被害者の原審供述の信用性を否定するのであれば、その前提として、被害者の年齢や知的能力に加え、被害申告の経緯等の供述状況に関する証拠調べを行い、場合によっては専門家の知見を利用するなどして性犯罪被害者や被虐待児童の供述特性等に十分配慮した審理を行うべきである」(二審判決)

言うまでもないことだが、刑事裁判の挙証責任は検察官にある。検察官が有罪を立証できなければ、裁判官は被告人に無罪の言い渡しをしなければならない。しかし、二審の裁判官は、検察官が専門家の知見を利用するなどしなかったため、養女の証言の信用性を立証できなかったことについて、無罪判決を出した一度目の一審の裁判官が救済してやるべきだったかのように言ったのだ。

裁判の舞台となっている福岡高裁・地裁の庁舎

◆無罪を破棄させた「間違った正義感」

なぜ、二審の裁判官はこんな刑事裁判のルールに反することを言ったのか。原因はおそらく、「いたいけな性被害者の少女を救ってやるのは自分だ」という間違った正義感である。判決から、それが現れている部分を抜粋してみよう。

「被害者の原審供述の信用性を正しく評価するに当たっては、前記の被害者の年齢や知的発達の程度に加え、事案の性質上、同居の家族から長期間にわたって継続的な性的虐待を受けた経緯について供述を求められる立場にあることを踏まえる必要がある」(二審判決)

「一般に、性犯罪被害者には、語ること自体が非常に大きな精神的負担になる事柄について、裁判という精神的緊張を強いられる場において供述を求められる」(同)

「また、性犯罪被害者は、犯行による精神的後遺症の影響から、被害の詳細を語ることができずに質問に対する応答がずれてしまったり、逆に感情を露わにせずに淡々と話すために内容がうまく伝わらなかったりすることも決して稀ではないといわれている」(同)

これらもすべて、養女の証言内容に具体性、迫真性がないことについて、二審の裁判官が救済するために述べたことだ。一読しておわかりの通り、裁判で「本当に被害者なのか否か」が争われている養女について、最初から「同居の家族から長期間にわたって継続的な性的虐待を受けた」「性犯罪者被害者」と決めつけているのだ。それはすなわち、最初から被告人をクロだと決めつけているということだ。

ちなみにこの二審を担当した鬼澤友直裁判長は東京地裁にいた頃、大学女子柔道部の部員に対する準強姦罪に問われた金メダリスト内柴正人の事件で裁判長を務めた人物だ。その時も「性交は合意のうえだった」とする内柴の無罪主張を「まったく信用できない」と退け、懲役5年の実刑判決を宣告している。一方で、文教大学に合格を取り消された麻原彰晃の三女の入学を認める仮処分の決定を出すなどしており、弱い立場の人物に感情移入しやすい性質である可能性が窺える。

無罪を破棄された男性に対する差し戻しの一審の懲役7年の判決については、現時点で入手できておらず、批評不能だ。しかし、判例データベースなどに掲載される可能性が高いと思われるので、入手できたら、内容を検証のうえ、当欄でまたお伝えしたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
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GW前から注目を集め続けている紀州のドン・ファン事件。そんな中、この事件は1998年の「和歌山カレー事件」と捜査のやり方が似ていると指摘する報道が散見されるが、実は似ている事件がもう1つある。

1999年に注目を集めた「本庄保険金殺人事件」がそれだ。この事件とドン・ファン事件を比較すると、「あること」が見えてくる。

◆本庄保険金殺人事件の被害者たちは「覚せい剤中毒」だった

 

八木死刑囚の弁護団の著書『偽りの記憶「本庄保険金殺人事件」の真相』。弁護側の無罪主張が詳細に綴られている

埼玉県本庄市で金融業を営んでいた八木茂死刑囚が債務者たちに保険をかけ、殺害していたとされる本庄保険金殺人事件。逮捕前に連日、「有料記者会見」を開いて話題になった八木死刑囚は一貫して無実を訴えたが、裁判では2008年に最高裁で死刑が確定した。

確定判決によると、八木死刑囚は愛人女性3人と共謀のうえ、95年に工員の佐藤修一さんにトリカブトを食べさせて殺害し、保険金約3億円を詐取。さらに98~99年にかけて連日、多額の保険をかけた元パチンコ店店員の森田昭さんと元塗装工の川村富士美さんに大量の風邪薬を飲ませ、その結果、森田さんを殺害し、川村さんに急性肝障害などの傷害を負わせたとされる。

そんな本庄保険金殺人事件とドン・ファン事件が似ていることは2つある。

1つ目は、「被害者」とされる男性が覚せい剤を摂取していたことだ。ドン・ファン事件では、周知のように須藤早貴容疑者(25)が元夫で資産家の野崎幸助さん(享年77)に致死量の覚せい剤を飲ませ、殺害した疑いをかけられている。一方、本庄保険金殺人事件でも、八木死刑囚らに大量の風邪薬を飲まされていたとされる森田さん、川村さんの2人が実は覚せい剤中毒だったことが判明しているのだ。

実は八木死刑囚の裁判では、弁護側が多数の医学的根拠に基づいて、森田さんの死と川村さんの傷害は風邪薬が原因ではないと主張し、2人の症状が実は覚せい剤の接種によるものである可能性も浮上していた。しかし、森田さん、川村さんが覚せい剤中毒だったこと自体がほとんど報じられていないので、そのことを知る人は世間にほとんどいないだろう。

◆報道されなかった「ニコチンコーヒー」の酷い味

本庄保険金殺人事件がドン・ファン事件と似ていることのもう1点は、被疑者が死亡した男性に「味が酷いもの」を経口摂取させた可能性が疑われていることだ。

まず、ドン・ファン事件。須藤容疑者は野崎さんに口から覚せい剤を摂取させた疑いをかけられているが、複数のメディアが覚せい剤は強烈に苦く、口から飲ませるのは難しいと指摘している。一方、本庄保険金殺人事件でも、八木死刑囚らは佐藤さんをトリカブトで殺害する前に連日、タバコの葉とコーヒー豆を煮出して作った「ニコチンコーヒー」なるものを飲ませていたとされている。

このニコチンコーヒーの味に関しては、今日にいたるまで疑問を指摘した報道を見かけない。しかし、筆者がこれを実際に作ってみたところ、臭いが凄い上、口に含むだけで吐き気をもよおすほど強烈な味だった。こんなものを本当に飲ませることができたのか…と疑問を禁じ得なかった。

このニコチンコーヒーを佐藤さんに飲ませる役目を務めたとされる八木死刑囚の愛人女性は、容疑を認めているが、過酷な取り調べで「偽りの記憶」を植えつけられた可能性が心理学者から指摘されている。実際、ニコチンコーヒーを作ってみると、この心理学者の見解に信ぴょう性があるように思われた。

こうしてみると、本庄保険金殺人事件と比べ、ドン・ファン事件では、捜査の筋書きに疑問を抱かせる情報が多少なりとも報道されている。本庄保険金殺人事件の頃以降、20余年の間にインターネットが普及し、裁判員裁判も始まり、重大な冤罪が次々に明らかになったりしているので、事件報道も昔ほどは捜査機関にベッタリではなくなったのだろう。2つの事件を比べると、そういうメディアの変容が見えてくる。

▼片岡 健(かたおか けん)
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報道を見る限り、異常な人物ではあるのだろう。茨城県境町の民家で2019年9月、住人の夫婦が刃物で刺殺され、子供二人も重軽傷を負った「茨城一家殺傷事件」の岡庭由征容疑者(26)のことだ。

報道によると、埼玉県三郷市で暮らしていた無職の岡庭容疑者は昨年11月、自宅で硫黄45キログラムを所持したとして埼玉県警に三郷市火災予防条例違反の容疑で逮捕され、消防法違反の容疑で起訴された。さらに今年2月、警察手帳を偽造したとして公記号偽造の容疑で茨城県警に再び逮捕され、同容疑で起訴。そして今月7日、茨城一家殺傷事件の殺人容疑で同県警に逮捕されたという。

このような「捜査の経緯」を見ると、2019年9月の発生以来、未解決の状態が続いていた茨城一家殺傷事件について、警察は岡庭容疑者の犯行を疑い、微罪での別件逮捕を捜査の突破口にしようとしたのは明らかだ。では、そもそも、岡庭容疑者が茨城一家殺傷事件の捜査線上に浮上したのはなぜなのか。原因は「少年時代の犯罪」にあるとみて、間違いないだろう。

報道によると、岡庭容疑者は16歳だった2011年、三郷市の路上で14歳の少女を刃物で刺し、さらに松戸市の路上で8歳の少女を刃物で刺すという「連続通り魔事件」を起こした。さらに猫の首を切断したり、連続放火事件に関与したりしており、成人同様に裁判員裁判で裁かれた。しかし結局、「保護処分が相当」との判決を受け、家裁の審判を経て、医療少年院に送られていたという。

このような過去があれば、岡庭容疑者が近県で起きた未解決の重大殺傷事件で捜査線上に浮かんだのも自然な流れだと言える。ただ、こうした「少年時代の犯罪」と「捜査の経緯」に関する報道の情報はむしろ、岡庭容疑者が“冤罪”である可能性を示している。なぜ、そんなことが言えるかというと……。

報道を見る限り、異常な人物ではあるようだが……。左上:「日テレNEWS24」5月7日配信、右上:「NHK NEWS WEB」5月11日配信、下:「FNNプライムオンライン」5月10日配信

◆現場で容疑者のDNA型と指紋が見つかっていないのは明白

答えはシンプルだ。報道の情報が事実なら、現場である被害者宅から岡庭容疑者のDNA型と指紋が見つかっていないことは明白だからだ。

というのも、岡庭容疑者が少年時代に起こした犯罪の内容からすると、警察は当時、岡庭容疑者のDNA型や指紋を採取し、保管していないはずはない。一方、2019年9月に茨城一家殺傷事件が起きた際には、警察が現場である被害者宅でDNA型や指紋の採取を念入りにやったことも確実だ。つまり、岡庭容疑のDNA型や指紋が現場で検出されていれば、この時点でとっくに逮捕されているはずなのだ。

おそらく茨城県警は「殺人事件の犯人が必ず現場にDNA型や指紋を残すとは限らない」という前提のもと、他の証拠を根拠に岡庭容疑者を茨城一家殺傷事件の犯人と断定し、逮捕に踏み切ったのだろう。しかし、現在の警察捜査における指紋やDNA型の検出能力はきわめて高い。民家で家族4人が刃物で殺傷されたような事件であれば、普通は現場で犯人のDNA型や指紋が検出されるはずである。

もちろん、犯人が手袋とマスクを着用し、毛髪も1本も落とさないように帽子をかぶるなどして細心の注意を払って犯行に及んだのであれば話は別だが、岡庭容疑者の場合、そこまで注意深くDNA型や指紋を現場に残さないように犯行を実行できるタイプとは思い難い。

これくらい注目度の高い重大事件であれば、茨城県警は検察と相談しながら捜査しているはずなので、岡庭容疑者は起訴される可能性が高い。しかし、岡庭容疑者が裁判でも無罪を主張すれば、現場でそのDNA型も指紋も見つかっていないことは、弁護側が無罪を示す事実として主張するはずだ。さらに岡庭容疑者のものでも被害者家族のものでもないDNA型や指紋が現場で見つかっていれば、弁護側はそれを「真犯人のもの」だと主張するだろう。

今後の展開も要注目の事案である。

▼片岡 健(かたおか けん)
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最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今から6年ほど前、養女を強姦した濡れ衣を着せられた大阪の男性が再審で無罪を勝ち取ったニュースが話題になったことがあった。

男性は、大阪市西淀川区の市営住宅で妻と2人で暮らしていた杉岡光春さん(仮名、70代)。2008年の秋、当時一緒に暮らしていた14歳の養女・雪乃さん(仮名)に「強姦された」と告訴され、無実を訴えたが、裁判では懲役12年の判決を受けて服役。2014年になり、雪乃さんが「私が訴えた強姦被害は嘘でした」と打ち明け、2015年10月に再審で無罪判決を受けたが、結果的に6年余りも獄中生活を強いられた。

この事件は当時、まれに見る酷い冤罪であるかのように大きく報道された。

そもそも、雪乃さんは杉岡さんにとって、妻の連れ子の娘であり、戸籍上は養女だが、孫娘にあたる存在だ。そんな少女を強姦した濡れ衣を着せられただけでも相当酷い話だ。

しかも、雪乃さんが「強姦被害は嘘だった」と告白後の再捜査では、捜査段階に雪乃さんが母親に病院に連れて行かれ、「処女膜が破れていない」と診断されていたことも明らかに。つまり、警察や検察がその事実を見過ごして杉岡さんを立件し、杉岡さんは裁判で有罪判決を受けたのだ。こんな話を聞けば、誰もが同情を禁じ得ないだろう。

ところがその後、杉岡さんが大阪府と国を相手取り、合計約1億4000万円の国家賠償を請求する訴訟を大阪地裁に起こしたところ、審理の中で意外な事件の実相が明らかになった。

杉岡さんはすでにこの国賠訴訟で一、二審共に敗訴していたが、このほど最高裁で上告を退けられ、敗訴が確定したので、この機会にこの事件の深層を報告しておきたい。

メディアは男性が国賠訴訟で敗訴したことを同情的に報じたが…(朝日新聞デジタル2019年1月9日配信記事)

◆冤罪以前に犯していた過ち

国賠訴訟の記録によると、杉岡さんは雪乃さんに対する強姦罪に問われた刑事裁判の第一審の被告人質問で、弁護人とこんなやりとりをしていたという。

弁護人「あなたは、雪乃さんの母親である久美さん(仮名)とは性的な関係があったのですか?」

杉岡 「はい。これは本当に申し訳ないのですが、過去の大きな出来事です」

弁護人「久美さんの証言では、小5から高1にかけてのことだったそうですが、そういう記憶はありますか?」

杉岡 「すぐに記憶が出てきませんが…期間は2、3年はあったでしょうね」

これは、要するにこういうことだ。杉岡さんは、養女・雪乃さんが14歳の時に強姦した罪については、確かに冤罪だった。しかし一方で、妻の連れ子であり、雪乃さんの母親である久美さんに対しては、久美さんが小5から高1の頃に性交を繰り返していたのだ。

日本の法律では、13歳未満の男女と性交すれば、相手が同意していても強姦罪(現在の罪名は強制性交等罪)が成立する。つまり杉岡さんは、養女の雪乃さんを強姦したという容疑は冤罪だったが、雪乃さんの母親の久美さんに対しては犯罪になりうる性行為を行っていたわけだ。

事実関係を見ると、そもそも、14歳だった雪乃さんが杉岡さんに強姦されたと嘘をついたのは、母の久美さんが少女時代に杉岡さんに性交をされていたのが遠因のようだ。

というのも、雪乃さんがある日、「(杉岡さんに)お尻を触られた」と大伯母(杉岡さんの妻の姉)に訴えたところ、これを伝え聞いた久美さんが雪乃さんを「他にも何かされたのではないか」と問い詰めた。久美さんは、杉岡さんが「少女と性交をする男」と知っていたため、娘も自分と同じ被害に遭ったと思い込んだのだ。

そして雪乃さんは何日も母の久美さんから執拗に追及され続けた結果、ついに「強姦された」と虚偽の告白をしてしまったというわけだ。

◆不思議な家族の関係

刑事裁判の第一審の被告人質問の続きを見ると、杉岡さんが久美さんに対して犯していた過ちが詳細につまびらかになっている。

弁護人「最初はどういう経緯で、そのような関係に?」

杉岡 「どちらからともなく…成り行きでそうなりました」

弁護人「頻度はどのくらいだったのですか?」

杉岡 「全部で数回とか10回とかという回数ではなかったです」

弁護人「もっと多かったのですか?」

杉岡 「もっと多かったです」

弁護人「場所はどういうところで?」

杉岡 「家もありますし、車もありますし、何回かラブホテルに行ったこともあります」

弁護人「久美さんとの関係は、奥さんに発覚したそうですが、その経緯は?」

杉岡 「久美が『処女を捧げたんだから、責任をとってくれ』と言い出しまして…」

見ておわかりの通り、杉岡さんは弁護人の質問に曖昧にしか答えていない。自分でも過去の罪が相当恥ずかしかったのだろう。当時は子供だった久美さんに罪を押しつけるような言い方も往生際が悪い印象だ。

それにしても、不思議なのは、この家族の関係だ。

まず、杉岡さんが妻の連れ子である久美さんと性行為をしていたことが発覚しても、妻は杉岡さんと離婚していない。普通はありえないことだ。

また、久美さんも成人後に結婚し、雪乃さんのほかにも男の子を出産したのちに離婚しているのだが、その際、雪乃さんと男の子を杉岡さんに預けている。少女時代の自分と性交していた養父に対し、自分の幼い娘を預けられる感覚も理解しにくいところだ。

取り調べを担当した山吉彩子検事も国賠訴訟で証人出廷した際、こう証言している。

「杉岡さんがそういうこと(=幼い久美さんや雪乃さんとの性行為)をしても仕方ないと黙認している家庭環境なのかな? と思っていました」

いずれにせよ、国賠訴訟で杉岡さんが敗訴したのは、この複雑な家庭環境も一因になったことは間違いない。どんな事情があろうとも、冤罪はあってはならないことである。ただ、警察、検察が引き起こした冤罪の責任を問うために起こした国賠訴訟で、杉岡さんが敗訴したのも致し方ないことだったと思う。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん(享年77)が2018年5月に自宅で亡くなった事件で、殺人の疑いをかけられていた元妻がついに逮捕された。

逮捕されたのは須藤早貴容疑者(25)で、容疑は殺人と覚せい剤取締法違反。証拠の乏しさを伝える報道が散見されるが、須藤容疑者は起訴される可能性が高いだろう。事件の社会的注目度の高さなどからして、和歌山県警は検察に相談しながら捜査を展開したはずだからだ。

ただ、報道を見る限り、証拠は乏しいどころか、むしろ須藤容疑者がシロだと解釈しうる情報も見受けられる。しかも、それは弁護側が裁判に証拠として提出可能なものである。

◆「証拠が乏しい」と指摘されるのは当然

そのことを説明する前にまず、事件の情報を必要最小限まとめておく。

ここまでの報道を見る限り、野崎さんが亡くなった原因は致死量の覚せい剤を口から摂取したことであるのは間違いないようだ。

そして県警は、
(1)須藤容疑者はインターネットで覚せい剤や完全犯罪に関連した情報を検索していた、
(2)野崎さんが自宅で亡くなった時、自宅には野崎さんと須藤容疑者しかいなかった――
などの事実を把握しているように報道されている。

つまり、県警は、「須藤容疑者が自宅で野崎さんと2人きりの時、致死量の覚せい剤を何らかの方法で野崎さんに口から摂取させた」という筋書きを描いているようだ。

そして動機については、県警が「カネ」だと考えているのは間違いないだろう。報道によると、須藤容疑者は「小遣いが月100万円」という条件で野崎さんと結婚したそうだが、野崎さんの死後、野崎さんが営んでいた会社の代表取締役になっていたという。これが事実なら、県警は有罪を裏づける状況証拠としても考えているはずだ。

しかし、仮に須藤容疑者が自宅で野崎さんに致死量の覚せい剤を飲ませていたことが事実だとしても、「野崎さんが自らの意思で飲んだ。私は死ぬとは思わなかった」などと釈明する余地はある。また、野崎さんが営んでいた会社を須藤容疑者が私物化していたとしても、そのこと自体が殺人の有罪を裏づけるわけではない。これでは「証拠が乏しい」と指摘する報道が散見されるのも当然だ。

◆葬儀当日、スマホをいじりながら笑顔だったことの意味

 

週刊ポストがYouTubeで公開した画像より

では、須藤容疑者がシロだと解釈しうる情報とは何か。それは、須藤容疑者が野崎さんの葬儀当日、人前でスマホをいじりながら笑顔だったという報道だ。仮に須藤容疑者がカネ目当てに野崎さんを殺害したのなら、人前ではむしろ悲しんでいるように装っていたほうが自然だからである。

つまり、須藤容疑者が野崎さんの死を悲しんでいないことを人前で堂々と明らかにしていたのは、野崎さんの死について、何もやましいことがなかったからだとも解釈できるということだ。

私はこれまでに何人か、カネのために交際相手の男性や戸籍上の夫を殺害した女性殺人犯を取材したことがある。それはたとえば、鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚や関西連続青酸殺人事件の筧千佐子被告だが、この2人はいずれも被害者が死んだ時に自分は悲しんだように言っていた。本当にクロならば、そうやって取り繕うものなのだ。

須藤容疑者が野崎さんの葬儀当日、スマホをいじりながら笑顔だったことについて、メディアは目撃した人の証言だけをもとに報じているわけではない。この須藤容疑者の不謹慎な行為は、その場にいた人によってスマホで動画撮影されており、それを入手したメディアの1つ、週刊ポストはYouTube(https://www.youtube.com/watch?v=li5Ty_iIufI)でも公開している。この動画をダウンロードすれば、刑事裁判の証拠にも十分になりえるはずだ。


◎[参考動画]【独占入手】紀州のドン・ファン事件 野崎幸助氏の葬儀当日、須藤早貴 容疑者はスマホいじって笑顔|NEWSポストセブン(2021年4月28日)

刑事事件では、被疑者の不謹慎な言動は周囲の人にクロの印象を与えがちだが、実際にはそれが逆に被疑者はシロだと示していることがある。須藤容疑者の場合、そういう事実が他にもありそうに思えるので、今後もめぼしい事実が判明すれば、適時指摘したい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

先日、テレビで未解決事件の特集をやっていて、京都精華大学生通り魔殺人事件も取り上げられていた。私はこの事件について、数年前、公開されている情報をもとに現地を取材したことがある。「犯人像」について確信に近い思いを抱いていることがあるので、ここに記しておきたい。

◆何より重要な情報はママチャリ

この事件が起きたのは、2007年1月15日夜7時45分頃だった。京都精華大学1年生、千葉大作さん(事件当時20歳)が自転車で帰宅中、京都市左京区岩倉幡枝町の歩道上で見知らぬ男とトラブルになり、刃物で刺され、亡くなった。

目撃情報によると、犯人は年齢が20~30歳、身長は170~180センチ、髪はセンター分けだがボサボサ。服装は黒色ジャンパーに黒色のズボン、登山靴のようなものを履いており、いわゆる「ママチャリ」と呼ばれる婦人用の自転車に乗っていた。顔や上半身を左右に振り、言葉尻に「アホ、ボケ」を連発し、目の焦点が合っていない人物だったという。

以上のことは京都府警がホームページで公開している情報に基づくが、私が何より重要な情報として注目しているのは、犯人がママチャリに乗っていたということだ。

◆犯人は遠方からやってきた可能性

というのも、犯人の移動手段がママチャリであれば、普通は近隣に住んでいる人物だ。したがって警察も当然、近隣の不審な人物はしらみつぶしに調べているはずだ。それでもなお、犯人の検挙に至らないのはなぜなのか。それはつまり、犯人は遠方からやって来た可能性があるからにほかならない。

実際、現場の道路は車通りの多い幹線通り沿いの歩道で、この道は東方に進めば滋賀県や東海地方に、西方に進めば福井県に通じている。何十キロとか何百キロ離れた場所で暮らす犯人が何かのきっかけでママチャリでの大遠征を思い立って移動中、通りかかってもおかしくないような場所なのだ。

現場は幹線沿いの歩道。犯人はママチャリで遠方からやって来た可能性も……

◆犯人の検挙に13年半を擁した事件との複数の共通点

私がそのような推測をする理由は、実は似た前例があるからでもある。当欄で昨年、犯人の裁判員裁判の傍聴記を書かせてもらった広島県の廿日市女子高生殺害事件だ。

この事件も2004年の発生当初、被害者の北口聡美さん(事件当時17歳)が自宅敷地内の離れで殺害されていたことなどから、犯人は顔見知りの人間である可能性が高いように思われていた。しかし発生から13年半が過ぎ、ようやく検挙された犯人の鹿嶋学(検挙当時35)は、隣県の山口県で暮らしており、北口さんとはアカの他人だった。

鹿嶋本人の公判証言によると、朝寝坊で仕事を遅刻しそうになった鹿嶋は、やけになって原付バイクで東京に行こうと考えて移動中、「セックスをしたい」と思い立ち、犯行を決意したという。そして路上で見かけた北口さんを家までつけ、自宅敷地内の離れの部屋にいたところを襲おうとしたが、逃げられて逆上し、持っていたナイフで何度も刺したとのことだった。

ちなみに鹿嶋が持っていたナイフは、東京に行く途中に野宿する予定だったため「ナイフがあればどうにかなる」と考えて購入したものだったという。

千葉さんが殺害された事件とこの広島の事件では、現場が幹線道路沿いであることや犯人の移動手段が「遠方からやって来たとは考え難い乗り物」であることが共通している。千葉さんを殺害した犯人は事前に計画して犯行に及んだとは思い難いため、「なぜナイフを持っていたのか?」も謎の1つだが、鹿嶋のような考えからナイフを所持していた可能性を考えてみることもできる。

いずれにせよ、千葉さんを殺害した犯人は、犯行時の言動からして異常な人格であることは動かし難い。犯行に及んだ経緯なども常識にかからないものである可能性は想定したほうがいいだろう。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

去る4月8日は、1986年に自ら命を絶ったアイドル歌手・岡田有希子さん(享年18)の35回目の命日だったため、それに関連した報道が散見された。気になったのは、その中にやや正確性を欠いた報道があったことだ。

それは、ある大手メディアが岡田さんの遺書について、「遺族に渡され、中身は明かされていない」と書いていた記事だ。実際には、遺族は「ある本」で岡田さんの遺書の主要部分を明かしているのだが、意外に知られていないようなので、この機会に紹介しておきたい。

◆遺書に確かに書かれていた「あの年上の俳優」への恋心

その本は、1988年に朝日出版社から発行された『岡田有希子 愛をください』(企画・編集/ウルトラ企画)。岡田さんの生前の写真や、岡田さん本人が遺した日記や詩、絵画などを多数収録し、岡田さんが生きた証の数々を一冊に詰め込んだような本だ。

1988年に発行された『岡田有希子 愛をください』(発行元=朝日出版社/企画・編集=ウルトラ企画)

岡田さんは学力が飛び抜けて高かったことは有名だが、この本に収録された文章や絵画を見ると、文化的な才能も秀でていたことがわかる。そして本では、岡田さんの母・佐藤孝子さんが生前の岡田さんを振り返った長文の手記を寄せており、岡田さんの遺書の主要部分はその冒頭で次のように明かされている(以下、〈〉内は『岡田有希子 愛をください』より引用。すべて原文ママ)。

〈佳代(引用者注・岡田さんの本名は佐藤佳代)の遺書――今でも、あれを遺書と言っていいのかどうか私にはわかりませんが――その中に峰岸徹さんの名前はたしかに書かれていました。

峰岸さんが好きだった、と〉

岡田さんが自ら命を絶った原因としては、死の前年に放送された主演ドラマ『禁じられたマリコ』で共演した俳優・峰岸徹さんの存在が当初から取り沙汰されていた。20歳以上も年上の峰岸さんに思いを寄せ、失恋したために命を絶ったという説だ。そのために峰岸さんは当時、記者会見を開き、沈痛な面持ちで自分に責任があるかのように語ったものだった。

つまり、孝子さんは遺書の中身を明かすことにより、その説が本当であることを打ち明けているわけだ。

◆母親が遺書の中身を明かした意図

では、孝子さんはなぜ、そんなことをしたのか。手記を読み進めると、その意図が見えてくる。

〈峰岸さんとのことについては、女性週刊誌、テレビなどであれこれ取沙汰され、そのたび私は峰岸さんに対して申し訳なく、またお気の毒でなりませんでした。

峰岸さんと佳代の間に子どもができ、すでに妊娠何カ月で、佳代はそのことを苦にして自殺したというような噂まで書きたてたところもありました。

全く根も葉もない話です。こんなことまで書きたくはないのですが、佳代は死ぬ十日程前に、生理用品を買っていたのです。妊娠などということは、だから絶対にあり得ないことなのです〉

娘に先立たれて悲しみにくれる中、娘が死を選んだ原因とされる峰岸さんのことまで気遣えるのは凄いことだと思う。それはともかく、この記述を読めば、孝子さんが遺書の中身を明かした意図は明白だろう。岡田さんに関する酷い報道に反論し、本当のことを伝えたかったのだ。

◆いまだにネット上で流布する「あの有名な怪情報」

岡田さんが死を選んだ原因については、有名な怪情報がある。「本当に恋心を寄せていた相手は、事務所の先輩・松田聖子の夫である神田正輝であり、峰岸徹はダミーだった」という説だ。峰岸さんは2008年に65歳で亡くなったが、いまだにその「峰岸ダミー・神田本命説」はネット上で流布し続けている。それも、岡田さんの遺書の中身が明かされたこの本の存在が意外と知られていないためだろう。

この本は、岡田さんが死を選んだ真相のみならず、今もその夭折が惜しまれる伝説の女性アイドルの素顔もうかがい知れる貴重な一冊だ。すでに絶版となり、古書は高額化しているが、公立図書館では蔵書しているところもあるので、関心のある方には一読をお勧めしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
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