「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」

大阪府羽曳野市の府立懐風館高校に通っていた女性(21)がそのように主張し、府に約220万円の慰謝料などを求めていた訴訟で、大阪地裁(横田典子裁判長)が16日、府に33万円の賠償を命じる判決を出した。

報道によると、判決は「教師たちは女性の髪を直接見て、地毛が黒色だと認識して指導していたため、違法性があったとはいえない」と認定。一方で、女性が2年生の9月から不登校になったのをうけ、学校側が出席名簿から女性の名前を消したことなどについて「女性の心情に配慮したものといえない」と違法性を認めたという(FNNプライムオンライン16日17時21分配信)。

私はこの訴訟について、裁判記録を閲覧するなどの取材をし、当欄でも2018年の時点で以下のような原稿を書いている。

◎大阪「髪染め強要」訴訟 ほとんど報じられない学校側の主張を伝える
・2018年1月18日【前編】 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=24417
・2018年1月22日【後編】 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=24423
私は現時点でまだ判決を見ていないので、判決の当否について踏み込んだことは言えない。しかし、取材で把握した「確定的な事実」によって認められる限りでも、この訴訟を取り巻く現状には見過ごしがたいことがある。

◆教師たちは女生徒に「髪を黒く染め直す」ように指導していた

それは、この訴訟が2017年に最初に話題になった当時の報道に「重大なデマ」があったことだ。

「女生徒の髪は生まれつき茶色なのに、学校側は黒く染めさせていた」

マスコミ各社は当時、女性側のこのような主張を揃って鵜呑みにし、懐風館高校で生徒へのとんでもない人権侵害が行なわれているように報じた。あたかも同校の教師たちが女性の髪は生まれつき茶色だと認識しつつ、校則通りに黒く染めるように強要していたように伝えたのだ。

こうした報道をうけ、ジャーナリストや学者、評論家、弁護士らがSNSなどで一斉に同校で理不尽な指導が行われていたかのように批判した。ツイッターで個人的にそのような批判をしている新聞記者も見受けられた。ひいては、これに同調した有名・無名の無数の人たちによって、同校の教師たちに対する凄絶なバッシングが巻き起こったのだ。

しかし訴訟で本格的な審理が始まると、女性の生まれつきの髪の色が本当に茶色だったか否かは大きな争点になった。つまり、同校の教師たちは「女生徒の髪が生まれつき茶色でも黒く染めさせる」という指導はしておらず、あくまでも「女生徒は生まれつきの髪の色が黒なのに、茶色に染めている」と判断し、黒く染め直すように指導していたのである。

前掲の報道では、判決は「教師たちは女性の髪を直接見て、地毛が黒色だと認識して指導していたため、違法性があったとはいえない」と判断したと伝えられているのに対し、女性側の代理人弁護士が判決の事実認定を不服とし、控訴を検討しているという報道もある。

ただ、いずれにしても、同校の教師たちは「女生徒の髪が生まれつき茶色でも黒く染めさせる」という指導をしていたわけではないので、同校の教師たちがそのような指導をしているように伝えた報道はデマだ。また、報道のデマを信じ、同校の教師たちをSNSなどで批判した者たちは、同校の教師たちを侮辱し、その名誉を不当に傷つけたのである。

◆デマ被害者である教師の方々、そのご家族に伝えたいこと

さらに見過ごしがたいのは、こんな重大なデマが明らかになったのに、デマを報じたマスコミや、デマを信じて同校の教師たちを侮辱したジャーナリストや学者、評論家、弁護士、個人の新聞記者らが何ら訂正もせず、謝罪もせず、しらばくれていることだ。一体、どういう倫理観をしているのか、頭の中をのぞいてみたい思いだ。

これだけ酷いデマ被害を目の当たりにしつつ、被害回復のために何もできない私自身、無力さを痛感している。しかし、せめて理不尽なデマによって傷つけられた同校の教師の方々、そしてそのご家族の方々に「世の中には、この酷いデマに気づいている人間もいないわけではありません」ということを伝えたく、この原稿を書いた。

問題の訴訟が行なわれた大阪地裁

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

個人的に注目している裁判が22日から福島地裁郡山支部で始まる。昨年5月31日の朝、福島県三春町の国道で「ひき逃げ殺人」を起こしたとされる盛藤吉高被告(事件当時50)の裁判員裁判だ。

報道によると、盛藤被告は犯行の2日前まで別の事件の罪で服役。「生活が不安で、刑務所に戻りたかった」という動機から、ボランティアで清掃活動中だった50代の男女2人をトラックでひき逃げし、殺害したとされる。被害者が2人いる殺人事件であるため、死刑適用の可否が争点になる可能性がある。

ところが、裁判所のホームページで公表された審理日程を見ると、公判審理は4回しか行わないという。それが、筆者がこの裁判に注目する最大の理由だ。

◆死刑判決が出るには公判審理の回数は少ないが……

2009年に始まった裁判員裁判は、それ以前の刑事裁判に比べて平均審理期間が随分短くなった。それでも、死刑や無期懲役の判決が出るような殺人事件では、少なくとも10回前後の公判審理があるものだ。また、裁判官、検察官、弁護人が争点や証拠を整理し、審理計画を立てる公判前整理手続きも1年や2年といった長期間に及ぶのが一般的だ。

その点、盛藤被告は昨年6月30日に殺人罪で起訴され、今月(2月)22日から初公判だから、公判前整理手続きは8カ月にも満たない。そして26日までに計4回の公判審理を行って結審。3月11日に判決が宣告される予定という。

これほど迅速に行われる裁判員裁判では、通常、死刑判決が出ることはないし、そもそも、死刑適用の可否も争点にならないものだ。しかし、筆者はこの事件については、むしろ死刑適用の可否は争点になりそうだと予想している。かつて福島地裁郡山支部では、これと同程度に迅速な審理で死刑判決が出た裁判員裁判の前例があるからだ。

◆福島地裁郡山支部では5回の審理で死刑判決が出た裁判員裁判の前例も……

その前例とは、2013年3月14日、同支部の裁判員裁判で死刑判決を受け、控訴、上告も棄却されて確定した高橋明彦死刑囚(事件当時45)のケースだ。裁判の認定によると、高橋死刑囚は2012年7月27日の早朝、福島県会津美里町の民家に侵入し、住人の50代夫婦をナイフで刺殺したうえ、現金やキャッシュカードを奪ったとされたが、その裁判員裁判の公判審理はわずか5回だった。

公判審理は盛藤被告の裁判員裁判より1回多いが、高橋死刑囚は2012年8月17日に強盗殺人罪などで起訴され、初公判は2013年3月4日だったから、公判前整理手続きの期間は7カ月にも満たなかった。公判審理も3月8日の第5回公判で結審し、判決が3月14日なので、結審から判決までの評議の期間は1週間もなかったわけである。

私は、高橋死刑囚が最高裁に上告していた頃に収容先の仙台拘置支所で面会したり、手紙のやりとりをしていた。高橋死刑囚は「死刑判決自体に不満はない」と言っていたが、死刑判決が出るまでの裁判手続きの短さには強い不満を抱いており、こんなことを言っていた。

「公判は月曜日から金曜日まで5日しか審理がなくて、その翌週の木曜日に死刑判決だよ。こんな短い期間でちゃんと審理はできたのか、裁判員たちは考える時間はあったのかと思ったよ。公判の時、裁判員から質問はほとんど無かったしね」

審理の短さに不満を抱いていた高橋死刑囚。『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第14話より

◆国選弁護人が熱心に弁護していない可能性も

高橋死刑囚は一体なぜ、このような短い審理で死刑判決を下されたのか。私は、国選弁護人があまり熱心な弁護活動をしなかったからではないかと考えている。

というのも、この事件では、裁判員の女性が「審理中に殺人現場や遺体の写真を見せられるなどして、ストレス障害に陥った」と主張し、国家賠償請求訴訟を起こして話題になった。その訴訟記録を閲覧したところ、この女性が「弁護人が被告人をまったく弁護しないことにも腹が立った」と書面で訴えていたのだ。

一般論として、弁護人が熱心に弁護活動をしなければ、検察官の思うままに裁判手続きはスムーズに進むので、公判前整理手続きも公判審理も短くなりやすい。それゆえに高橋死刑囚はわずか5日の公判審理で死刑判決を受けたのではないかと私は推察するのである。

そして、私がいま考えているのは、盛藤被告についても同様のことが繰り返されているのではないか、ということだ。高橋死刑囚の例からすると、福島地裁郡山支部の刑事裁判で国選弁護人に選任される弁護士たちの中には、刑事弁護を熱心にやる人が少ない可能性が考えられるからだ。

さて、盛藤被告の裁判員裁判はどのような裁判になるだろうか。

高橋死刑囚が収容されている仙台拘置支所

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を担当した『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)の【分冊版】第14話では高橋明彦との面会物語が紹介されている。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

15日の昼過ぎ、浜名湖連続殺人事件の被告人・川崎竜也(37)が最高裁への上告を取り下げ、一、二審で死刑とされた同被告の死刑判決が確定した。これには、いささか驚いた。私は川崎とは面会や文通をしていたのだが、川崎はこの日の午後3時から最高裁で上告審の判決を言い渡される予定になっていたからだ。

川崎は、裁判員裁判だった静岡地裁の一審、東京高裁の二審共に黙秘したこともあり、その人物像は謎に包まれていた。この機会に、私が取材で知った川崎の素顔を少し紹介しておきたい。

◆弁護人は無罪を主張したが、本人は……

見た目は真面目そうだが…(川崎のFacebookより)

川崎は事件を起こす前、浜松市で宅地建物取引士をしていたとされる。裁判の認定によると、2016年1月、以前の勤務先で同僚だった同市の無職・須藤敦司さん(当時62)を殺害し、遺体を焼いたうえで遺棄。須藤さんのマンションや車を自分の名義にしたり、須藤さんの口座から金を引き出したりした。さらに同7月、川崎は磐田市のアパートで知人だった京都市の工員・出町優人さん(同32)を刺殺。遺体をバラバラに切断して遺棄したという。

静岡地裁は判決でこうした事実を認定し、〈生命軽視の態度が著しく、一連の犯行は冷徹で残忍〉と指弾。川崎が黙秘したこともあり、須藤さんを殺害した方法や、出町さん殺害の動機は解明されなかったが、死刑を宣告したのだ。

そんな川崎について、まず何より知られていないのが「罪を認めているのか否か」ということだ。というのも、弁護人は裁判で一貫して「無罪」を主張しているが、川崎本人は裁判で起訴内容の認否についてさえ、黙秘して答えていないからである。

正解は、「認めている」だ。昨年8月、東京拘置所で面会した私に対し、川崎は笑顔でこう答えた。

「弁護士は無罪を主張していますが、私自身は無罪を主張していません。私は有罪でも納得していますから」

川崎によると、静岡地裁で裁判員裁判が始まる前、接見にきた弁護人に「黙秘する」と告げると、弁護人は「じゃあ、無罪を主張する事案ですね」と言い、「職務」として無罪を主張したという。そして控訴審以降の弁護人も一審の弁護人を踏襲し、無罪を主張したのだそうだ。

◆控訴、上告をした理由

では、有罪に納得しているのであれば、川崎はなぜ、控訴や上告をしたのか。その点を質問すると、川崎はこう答えた。

「黙秘権の判例を打ち立てたかったのです。それが自分の義務だと思いました」

実は川崎は法律に強い関心を持つ人物で、刑事事件の被疑者や被告人の権利についても色々こだわりがあり、そのために拘置所の職員と衝突することがよくあった。たとえば、「被収容者が午前中、身体を横にしてはいけないという東京拘置所の規則はおかしい」と主張し、房内で午前中に身体を横にして、懲罰を食らったこともある。

「無罪が推定される立場の未決拘禁者が、受刑者のように扱われているのはおかしいです」という川崎の主張は、私ももっともだと思った。しかし、人を2人も殺しておきながら、自分の権利をこんなに堂々と主張できるのは、やはりサイコパス的なところがあるのだろう。

◆「反省する気はありません」

実際、川崎は2人の男性の生命を奪い、遺体まで無残に損壊、遺棄したことについて、何ら罪の意識を感じていなかった。そして、こんなことを言っていた。

「懲役刑ならば、社会復帰のために反省し、更生の努力をしないといけないと思います。しかし、私は死刑を宣告され、更生を求められていないわけです。刑死して責任をとるので、反省する気はありません」

死刑になることは怖くないそうで、「それより死刑執行までに刑務官に人道的処遇をしてもらえるか心配です」とニコニコしながら言っていた。また、「6カ月以内に執行してもらっても構わない」とも言っていたが、悪ぶったり、強がったりしている様子はなく、明らかに本気だった。他人の生命だけでなく、自分の生命も軽く考えているわけだ。

ただ、そんな川崎が最高裁の判決が出る前に、上告を取り下げて死刑を確定させたのは、私にもまったく予期できないことだった。何しろ、先に述べたように川崎は、「黙秘権の判例を打ち立てたい」と言い、そのために上告したと言っていたからだ。上告を取り下げたことにより、川崎は結局、最高裁で判決を受けられなかった。これでは、上告した意味が無いのではないだろうか。

私は、川崎が上告を取り下げたのは、「自分の運命を決めるのは、裁判官ではなく、あくまでも自分だ」と意思表明したということではないかとみている。死刑が確定すると、面会や手紙のやりとりはできなくなる可能性が大きいが、川崎本人の考えを確認できたら、また改めて紹介させてもらいたい。

川崎が勾留されている東京拘置所

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

来年4月から民法の成人年齢が18歳になるのに伴い、少年法も改正されることになりそうだ。

法務省が20歳未満の少年のうち、18、19歳については「特定少年」と区分けしたうえ、従来より厳罰化し、起訴されたら成人と同様に実名報道できるようにする改正案を今の国会に提出する予定なのだという。

私はこのニュースに触れ、以前取材していた1人の死刑囚のことを思い出した。名前は千葉祐太郎。2009年に始まった裁判員裁判で唯一、犯行時に少年でありながら死刑判決を受けた人物だ。現在は29歳になっており、仙台拘置支所に確定死刑囚として収容されている。

◆報道やネット上の写真のイメージと異なった少年殺人犯の実像

筆者の面会取材が漫画になった『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】5話(笠倉出版社、作・塚原洋一)より

祐太郎が事件を起こしたのは今から11年前に遡る。2010年2月10日の早朝、当時18歳だった祐太郎は、石巻市にある元交際相手の女性A子さん(当時17)の家に上がり込み、家にいたA子さんの姉(同20)とA子さんの友人女性(同18)を持参した牛刀で刺殺。さらにA子さんの姉の知人男性(同20)に対しても胸を刺して重傷を負わせた。事件前、祐太郎はA子さんにDVを繰り返し、2人を引き離そうとするA子さんの姉らとトラブルになっており、事件はその延長線上で起こしたものだった。

そんな事件は例によって少年による凶悪事件として大きく報道された。そして、同年12月、祐太郎が仙台地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた時には、妥当な判決であるように伝えられた。かくいう私も本人を直接取材するまでは、祐太郎のことをいかにも凶悪そうな少年としてイメージしていた。それは、報じられた犯行内容もさることながら、ネット上に流布した祐太郎の顔写真などの影響が大きかったように思う。

現行の少年法では、事件を起こした少年の名前や容貌を推知できるような報道が禁じられている。しかし、ネット上では、少年法の定めに従わない人たちが、事件を起こした少年の名前や写真を流布させるのが恒例だ。祐太郎の場合もそうなっていた。ネット上に流布した写真を見ると、険しい顔つきをした祐太郎はいかにも暴力的な少年であるように思われた。

私がそんな先入観を抱きつつ、祐太郎と初めて仙台拘置支所で面会したのは、2014年8月のことだった。祐太郎はこの時、すでに第二審・仙台高裁でも死刑判決を支持する控訴棄却の判決を受けており、最高裁に上告中だった。アクリル板越しに向かい合うと、実際の祐太郎は顔つきも話し方も穏やかだった。それから2年ほど面会や手紙のやりとりを重ねたが、実際に付き合ってみても人なつっこく、何も知らなければ殺人犯には思えなそうな人物だった。

◆ほとんど知られていない事件の実相

そしてこの間、事件について意外なことがわかった。祐太郎は、「事件を起こした時の記憶がない」と言うのだ。

祐太郎は犯行時、A子さんを連れ出すため、A子さん宅に赴いた。牛刀を持参したのは、A子さんの姉らに邪魔されたら、脅かすためだったという。実際に人を刺すつもりはなかったのだ。

しかし、祐太郎はA子さんの姉に110番通報されたショックで「解離性障害」なるものを引き起こしてしまう。そのせいで意識や記憶を欠損し、自分で自分をコントロールできない状態に陥った。そして、その場にいた人たちを次々に牛刀で刺してしまったのである。それは、複数の情状鑑定で裏づけられていることだった。

解離性障害を引き起こす人物は、子供の頃に虐待を受けているケースが多いが、祐太郎もそうだった。幼少期に母親からネグレクトに遭っていたうえ、母親の再婚相手から頻繁に暴力を振るわれ、家の中で首輪をつけられていたこともあったという。事件前、元交際相手のA子さんにDVを繰り返していた件についても、2人はいわゆる「共依存」の関係にあり、A子さんが先に祐太郎を殴り、祐太郎がA子さんを殴り返すような関係だったという。

「俺は子供の頃、暴力が身近にあり過ぎたため、暴力に対する感覚が一般の人と違っていたんです。ビンタは3発目から暴力になるという感覚で、1発では暴力になると思っていなかったんですよ」

祐太郎は私にそう明かしたが、幼少期の熾烈な経験により認知が歪んでいたのだろう。

◆本人の意向も確認せず、「実名」「匿名」に関する見解を表明したメディア

さて、少年法改正の話題に関連づけ、知られざる「犯行時少年の死刑囚の素顔」のようなものを色々書いてきた。ここまで読み、少年犯罪者に対する同情を誘うような意図を記事から感じた人もいるだろう。しかし、私にそのような意図はない。

私が祐太郎のことを書いたのは、今回の少年法改正に関するニュースに触れ、祐太郎と面会室で交わした「あるやりとり」を思い出したからだ。それは、最高裁の判決公判が間近に迫り、いよいよ祐太郎の死刑が確定しようとしていた時期のことだった。

祐太郎に関する記事を書く際、名前の表記は実名と匿名、どちらを希望するかと尋ねたら、祐太郎は何ら躊躇せず、「実名で」と答えた。何の変哲も無い一言であるが、それは私にとって、たいへん印象深く感じられる言葉だった。

犯行時少年だった被告人が裁判で死刑確定すると、マスコミ各社は実名報道に切り替えるか、匿名報道を維持するかについて、いつも判断が分かれる。そして自社の判断の理由について、各社がわざわざ表明するのが恒例だ。

たとえば、実名報道に切り替える社は「社会復帰する可能性が事実上無くなった」「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされるべきだ」などと言い、匿名報道を維持する社は「再審や恩赦が認められる可能性がある」などと言うのである。祐太郎が死刑確定した時もそうだった。

私はあの時、それを寒々しい思いで眺めていた。祐太郎本人から「実名報道」を希望する意向を直接聞いていたためだ。端的に言うと、「まずは本人の意向を聞いてみるべきだろう」と思ったのである。とくに「再審や恩赦が認められる可能性がある」などという理由で匿名報道した社については、何か立派な判断をしたような自負を感じたが、自己満足に浸っているだけであるように思われた。祐太郎本人が匿名報道されることを望んでいないからである。

少年法が実際に改正され、18、19歳の「特定少年」に関する報道の規定が変わると、またメディア各社はそれぞれ、もっともらしい見解を表明するだろう。現実を知らず、知ろうともしない人たちがまた例にとって、現実を踏まえない見解をもっともらしく発信したりするのだろうか…私はそんな光景を想像し、少し憂鬱な思いにとらわれた。その思いを吐き出すため、このような原稿を書いたのである。

千葉祐太郎が仙台拘置支所の獄中において、今回の少年法改正に関するニュースに触れているなら、一体どんな思いを抱いただろうか。実際に少年法の報道に関する規定が変わったら、マスコミの見解より、祐太郎の見解を聞いてみたい。

仙台拘置支所。千葉祐太郎は今もここで収容されている

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。著作『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

こんなに長いこと、よく飽きられないな……と、ふと思った。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏による女性蔑視発言、そして元貴乃花親方こと花田光司氏と長男の靴職人・優一氏の親子バトルが連日、メディアを席巻していることに関してだ。

森氏は2000年代初頭の首相在任中、「神の国」発言など様々な失言によりマスコミに「サメの脳みそ」と揶揄され、いじりまわされた。かたや、花田一族の人たちも2000年代初頭から光司氏の両親(先代貴ノ花と藤田紀子さん)の離婚、光司氏と兄の勝氏(元若乃花)の確執など度重なるお家騒動でマスコミに話題を提供し続けてきた。

私はそんな両者の過去の様々な騒動を思い出し、冒頭のような感想を抱いたわけだが、率直に言って、いつまでも「昔の人」にならず、世間の話題になり続ける森氏と花田一族の人たちは「すごい」と思う。

何しろ、ここ1年、マスコミはコロナの話題ばかり扱い、それ以外のニュースがコロナを押しのけて大きく報道されるのはよっぽどのことに限られていた。あの河井議員夫婦の裁判にしたって、現職の法務大臣の大がかりな選挙違反事件であるにもかかわらず、コロナのせいで報道は地味な扱いだ。そんな中、国民生活に重大な影響があるわけでもないのに、これほどメディアを席巻できる森氏と花田一族の人たちはやはり並大抵ではないと思うのだ。

彼らはなぜ、かくも世間の人たちに飽きられず、話題になり続けられるのか。私はこれまでの両者の歩みを見つめ直し、2つの共通点を見出した。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会も公式HPで森氏の発言に関する釈明のコメントを出す羽目に……

◆一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐ

1つ目は、「一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐようなことをする」ということだ。

まず森氏だが、「女性が多いと会議が長引く」という発言を「女性蔑視」として叩かれたが、この程度の失言は通常、謝罪会見を一度すれば、それで幕引きだ。メディアはそれ以上いじりようがないし、メディアがいじらなければ、世間の人たちも忘れてしまうものだ。

ところが、森氏は謝罪会見でわざわざ逆ギレし、記者に逆質問したりして、メディアに再度、いじられるネタを提供した。そして騒動を大きくしたわけである。

かたや、花田一族の人たち。いま、光司氏と優一氏の親子バトルが注目を集めているきっかけは、光司氏が公の場で優一氏について、「勘当している」云々と言ったことだった。これで親子の確執が表面化すると、すかさず優一氏がメディア(週刊女性PRIME)で光司氏の酒に酔っての暴言やDVを告発し、火に油を注いだのである。

森氏が一人で話題を提供し続けているのに対し、花田一族は複数の人が次々に話題をかぶせているという違いはあるにせよ、「自ら火に油を注ぐ」というところは両者の共通点であるのは間違いない。

2月1日の『週刊女性PRIME』で父・花田光司氏のモラハラなどを告発した優一氏

◆森氏も花田一族の人たちも話題になりたいわけではない

そして、森氏と花田一族のもう1つの共通点だが、それは「狙っているわけではない」ということだ。つまり、両者は意図的に世間の話題になろうとしているわけではなく、本人たちにとっては自然な言動が結果的に世間の関心を集めているということだ。

それは説明するまでもないだろう。森氏は「女性蔑視」と叩かれたくて、「女性が多い会議は長引く」と言ったわけではないのは明らかだし、火に油を注ぐために謝罪会見で逆ギレしたわけでもないはずだ。花田一族の人たちだって、世間の注目を集めたくて、お家騒動を繰り返しているわけではないだろう。そんなことをしても何一つ得することはないからだ。

翻って、世間では今、「炎上商法」なるものが花盛りだ。とくにネット上では、あえて人に批判されるような言動をして炎上し、それを何らかの利益につなげようとしている人たちが増えている。その最たる存在がいわゆる「迷惑系YouTuber」だが、最近はタレントや政治家でも炎上商法に走る者が散見されるようになってきた。

もっとも、炎上商法系の人たちはおのずと「かまってちゃん」的な雰囲気が漂ってしまうため、世間の人たちも次第にかまうのがいやになり、相手にしなくなっていく。その点、森氏や花田一族の人たちはその特異な言動の裏に何か思惑があるわけではないので、「かまってちゃん」オーラが出ることもなく、世間の人たちは彼らの特異な言動がいつまでも気になり続けてしまうのだ。

良し悪しを置けば、あらゆるメディアが連日コロナのことばかり扱い、多くの人がこの話題に飽き飽きしていた中、森氏や花田一族の人たちが気を紛らわせてくれたことは確かだ。最近はあまり話題にならなくなっていた東京オリンピックについて、森氏の女性蔑視発言騒動により「そう言えば、まだ中止になっていなかったな」と思い出した人も多かったろう。

結局何が言いたいかというと、やはり「作り物」より「本物」のほうが面白い、ということに尽きる。そんな単純なことを書くために、これだけの長文を書いてしまった。最後まで読んでくれた人には感謝の思いしかない。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

プロ野球12球団のうち、楽天イーグルスと広島東洋カープはよく似たところがいくつかある。

まず、それぞれの本拠地である仙台と広島は、本州の端っこのほうにある地方都市で、両球団共に地元では圧倒的な人気がある。また、楽天は親会社の創業者である三木谷浩史氏、独立採算制のカープはオーナーの松田元氏がいずれも球団内で絶対的な存在であるところも似た点だ。

もっとも、両球団は球団としての歴史が大きく異なり、それゆえに文化や考え方も対照的だ。それが鮮明になったのが、先日、楽天の元エース「マー君」こと田中将大投手がMLBヤンキースから楽天に復帰が決まった時だった。

◆元エースの復帰を球団ホームページで発表した楽天に対し、カープは……

まず、楽天は田中投手が復帰するという情報をどのように発表したか。

球団ホームページで「マー君復帰」を発表した楽天

楽天は1月28日午後5時30分頃、この情報を球団ホームページで正式発表した。それをうけ、各メディアが次々に速報を配信した。球団の正式発表と共にヨーイドンで報道合戦が始まったわけだが、たちまち広まった「マー君が楽天に復帰」という情報は国内はもとより、米国の野球ファンたちにも驚きを与えていたようだ。

一方、カープでも6年余り前によく似たことがあった。かつてチームのエースだったMLBヤンキース黒田博樹投手の電撃復帰だ。MLBで5年連続二桁勝利を収め、複数球団から年俸20億円前後のオファーがあった中、年俸4億円の条件で愛着のある古巣に復帰した黒田投手の決断は「おとこ気」と言われ、社会的な関心事になったほどだった。

そんな黒田投手の復帰について、第一報を伝えたのは中国新聞だった。同紙は2014年12月27日、この情報を朝刊1面で〈黒田、カープ復帰へ〉と単独スクープしている。カープは同日、黒田投手のカープ復帰を正式発表したが、地元紙である同紙にだけは前日に情報を伝えていたわけだ。

田中投手の復帰を球団ホームページで発表した楽天の場合、特定メディアを特別扱いしなかったどころか、全世界に同時にこの情報を伝えたわけで、両球団の情報発信の仕方は好対照である。

黒田投手のカープ復帰を単独スクープした中国新聞(2014年12月27日朝刊1面)

◆元エース復帰の伝え方がなぜ、こうも違うのか

さて、私がここでしたいのは、楽天とカープのどちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。

楽天の場合、親会社はオールドメディアに対抗する形で台頭してきたIT企業の代表格である。それが今回の「球団ホームページで全世界に一斉発表」という形になって現れたのだろう。

一方、カープは戦後間もない被爆地に市民球団として誕生して以来、地元の財界に支えられ、存続してきた歴史がある。他ならぬ中国新聞もカープを支えてきた地元有力企業の1つだ。それが「中国新聞は特別扱いして当たり前」という形になって現れたのだろう。

よく似たところがある2球団でよく似たことが起こり、それによって両球団の歴史の違いが鮮明になった。私は単純にそのことを興味深く感じたのである。

この両球団が今年の秋、日本シリーズで相まみえるようなことがあれば、田中投手が投げる日はぜひ、黒田氏にテレビ中継の解説をお願いしたい……と思ったりもしたが、両球団の戦力的に実現は難しかったりするだろうか?


◎[参考動画]田中将大投手が楽天復帰 背番号は「18」(TBS 2021年1月30日)

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「東京五輪が終わるまでは無いだろう」と言われてきた死刑執行。それは裏返せば、東京五輪が終わるか、正式に中止が決まれば、死刑執行が再び行われる公算が大きいということだ。昨年秋に発足した菅内閣で、16人の死刑を執行した実績を持つ上川陽子氏が法務大臣に再任されていることもその見方を裏づけている。

そんな中、ある死刑囚が人生の集大成のつもりで書いたように思える計6枚の手記が筆者のもとに届いた。今回ここで特別に紹介したい。

◆手記の執筆者は「愛犬の仇討ち」で世間を驚かせた小泉毅死刑囚

手記を綴ったのは、東京拘置所に収容中の小泉毅死刑囚(58)。2008年11月、埼玉と東京で元厚生事務次官の男性宅を相次いで襲撃し、2人を殺害、1人に重傷を負わせ、裁判では2014年に死刑が確定した。警察に自首した際、「子供の頃、保健所で殺処分にされた愛犬の仇討ちをした」と特異な犯行動機を語り、世間を驚かせたことをご記憶の方も多いだろう。

そんな小泉死刑囚が裁判中、筆者は面会や手紙のやりとりを重ねていたのだが、小泉死刑囚は特異な犯行動機と裏腹に国立の佐賀大学理工学部に現役合格した秀才で、獄中では「超ひも理論」など物理学の難しそうな勉強に勤しんでいた。このほど紹介する手記も物理学に関するもので、タイトルは『〈絶対性理論〉完成形はミンコフスキー時空ではない!(絶対性理論が完成するまでの話)』という。

実を言うと、小泉死刑囚は裁判中から「アインシュタインの相対性理論に修正すべき点を見つけた」と語り、その考えをまとめた論文の執筆に没頭していた。筆者は何本か論文を見せてもらったが、なかなか本格的な内容に思え、感心させられたものだった。

裁判が終わり、死刑が確定して以降は小泉死刑囚と面会や手紙のやりとりができなくなっていたのだが、小泉死刑囚は獄中で研究を続けていたらしい。そしてこのほど「絶対性理論」という独自の理論を完成させ、そこに至るまでの過程を手記にまとめたのだ。

小泉死刑囚が綴った手記(P1-P2)

小泉死刑囚が綴った手記(P3-P4)

小泉死刑囚が綴った手記(P5-P6)

◆メディアで「頭がおかしい」ように書かれた小泉死刑囚の知られざる一面

この手記が筆者のもとに届いたのは、小泉死刑囚の死刑が確定して以降も東京拘置所から特別に面会や手紙のやりとりを許可されていた人が転送してくれたからだ。その人によると、小泉死刑囚から届いた手紙にこの手記が同封されており、小泉死刑囚が「何らかの形で世の中の人に見てもらいたい」という希望を有していることを察し、筆者に届けてくれたとのことだ。

小泉死刑囚は、冤罪の疑いはまったく無く、事件のことを何ら反省していない人物だから、「上川法務大臣による次の死刑執行」の対象に選ばれても何の不思議もない。そんな状況を踏まえると、メディアで頭がおかしい殺人犯のように書き立てられた小泉死刑囚にこういう一面があったことを伝えることに意義があるように思えたので、この手記をここで紹介させてもらった次第だ。

なお、筆者は小泉死刑囚と面会や手紙のやりとりをした結果について、拙著『平成監獄面会記』(笠倉出版社)で報告している。関心のある方はご参照頂きたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1999年10月に起きた桶川ストーカー殺人事件で、被害者の女子大生・猪野詩織さん(当時21)に対してストーカー化していた男・小松和人(当時27)が逃亡先の北海道・屈斜路湖で自死したのが見つかって明後日27日で21年になる。

私は2012年頃からこの事件の犯人たちに取材を重ね、和人の兄で「事件の首謀者」とされる無期懲役囚の小松武史(54)が冤罪であることを確信するに至った。そうなった原因の1つが、弟・和人に対する武史の思いを知ったことだった。

武史から私に届いた膨大な手紙のうち、核心的なことを綴ったものを紹介したうえで説明したい。

小松武史から筆者に届いた手紙の一部

◆実行犯が裁判で証言していた「首謀者の冤罪」

小松兄弟は事件当時、東京・池袋などで複数の風俗店を営んでいた。店では、和人がマネージャー、武史がオーナーと呼ばれていたという。事件前、詩織さん宅周辺などにワイセツなビラを大量にばらまくなどした嫌がらせは、兄弟が営む風俗店の従業員たちが行なったものであり、詩織さん刺殺の実行犯・久保田祥史(55)も兄弟が営む風俗店の店長だった。

そして裁判では、武史が事件の首謀者と認定されたが、その根拠は久保田が逮捕当初、「被害者の殺害は、武史に依頼された」と証言していたことだった。武史は「そんな依頼はしていない」と一貫して冤罪を訴えたが、久保田の逮捕当初の証言が信用されたのだ。

しかし実際には、久保田は武史の裁判に証人出廷した際、「逮捕当初の供述は嘘です」と“告白”したうえで、こう訴えていた――。

「本当は和人の無念を晴らすため、被害者の顔に傷をつけてやろうと思ってやったことでした。逮捕された当初、被害者の殺害は武史に依頼されたことだと証言したのは、武史に“とかげのしっぽ切り”のような扱いをうけ、恨んでいたからです」(要旨)

つまり、武史に対する有罪認定の根拠となった実行犯の証言について、実行犯本人が否定していたわけである。となると、冤罪を疑ってみないわけにはいかない。そもそも、詩織さんにふられ、ストーカー化していた和人ならともかく、武史には詩織さんを殺害する確たる動機は見当たらないのだからなおさらだ。

そして私は2012年頃以降、千葉刑務所で服役する武史と手紙のやりとりを重ね、ある重要な事実を知った。裁判の認定では、武史は、詩織さんにふられた弟・和人の無念を晴らすため、久保田に詩織さんの殺害を依頼したかのように認定されていた。しかし実際には、武史は事件前から弟・和人のことを激しく嫌っていたのである。

◆「ある意味、恐ろしい弟でした…」

武史は風俗店のオーナーになる前、東京消防庁に勤める消防士という本業がありながら、副業で中古車の販売を手がけていた。武史によると、その当時、和人から副業に関して嫌がらせを受けていたという。

〈私は、結婚後、友人の車屋でアルバイトをしており(内緒で)、その当時、和人から、職場の本庁の人事課に2回、チンコロされ、私は大変でした…それと、事あるごとに、私の家に嫌がらせ電話をしてきては、妻が切れて、番号も、2回ほど替えた事がある…ある意味、恐ろしい弟でした…〉(2012年7月24日付け手紙より)
※〈〉内は引用。原文ママ。以下同じ。

なぜ、和人が武史にこんな嫌がらせをしたのかはわからない。しかし、ともかく武史が和人を恐れていことは、よく伝わってくる文章ではあるだろう。

さらに武史によると、風俗店のオーナーになったのも、先に1人で風俗店を経営していた和人から脅され、無理やり引き受けさせられたからだという。

〈弟は、マンションの風俗を始める時も、会社の事務所としてマンションの部屋を貸りると、私の親をだまし、貸りさせて(名義だけ)、それだけでは足りず、私にも頼んで来ましたが、断ってましたが、ことある事に、母親から、私にも言ってこさせてきていて、しょうがなく、名義を貸してやると…そこが、池袋の風俗の、お店になってました…そうなると、私には、どうにもならなくなってきました…私が解約や、反対など、となえた時は…「その時は、どうなるか、分ってるだろうなと、公務員が風俗やってた事が、スポーツ新聞にでも出てみろ、首だぞ、そしたら、家のローンは払えない。一家チリジリだと」よくおどしてくるようになり、どうしょうもなく、私は、その時より、店のお金の回収やとわれオーナーとされました…〉(前同)

千葉刑務所。小松武史は現在もここで服役している

◆和人にだまされ、妻まで巻き込まれた

武史によると、和人は詩織さんに嫌がらせをするためだけに広告代理店をつくり、詩織さん宅周辺にばらまいたワイセツなビラもその広告代理店で作成していたという。その広告代理店についても、武史は手紙にこう書いてきた。

〈私を、だまし、当時の私の妻を、その店の役員として登記までされました!和人は、悪ヂエがよく回り、何かあっても、私に、おっつける予定だったようです〉(2012年7月5日付け手紙より)

実際には、和人は事件後に自死しており、武史は和人から罪を押しつけられたわけではない。しかし、武史が手紙で綴る主張を見る限り、和人のことを嫌っていたのは間違いない。武史は、詩織さんにふられた和人の無念を晴らすため、刑罰を科されるリスクを冒してまで詩織さんの殺害を企てるほどに「弟思いの兄」ではなかったのは確かだろう。

誰もが知っている有名な事件でも、実際のことはほとんど誰も知らない、ということは珍しくない。桶川ストーカー殺人事件は、まぎれもなくそういう事件の1つである。

なお、私は昨年10月、実行犯・久保田祥史が事件の裏側を詳細に綴った手記を書籍化した編著『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)を上梓している。関心のある方は参照して頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

昨年来、「東京五輪が終わるまで無いだろう」と言われていた死刑執行だが、新型コロナの感染拡大により、東京五輪の中止が正式に決まるのも時間の問題となってきた。となると、久しぶりに死刑執行が行われる日もそう遠くはないだろう。

そんな情勢の中、筆者が個人的に心配している死刑囚が2人いる。今回はその2人について、書いておきたい。

◆冤罪なのに、再審請求していない死刑囚

1人目は、新井竜太死刑囚(51)である。

確定判決によると、新井死刑囚は従弟の高橋隆宏(47)という男と共謀し、2008年3月、高橋の「養母」を保険金目的で殺害し、さらに2009年8月、金銭トラブルになっていたおじの男性も殺害したとされる。2件の殺人はいずれも高橋が実行したが、罪を認めて深い反省の態度を示した高橋は無期懲役判決を受けるにとどまり、容疑を全面否認した新井死刑囚が犯行の首謀者と認定され、死刑判決を受けたのだ。

しかし、筆者が取材したところ、実際には新井死刑囚は「冤罪」だった。高橋が2件の殺人をいずれも自分1人で勝手に実行しながら、「すべては新井に命令されてやったことだ」と供述し、新井死刑囚に罪を押しつけ、まんまと死刑を免れたというのが真相なのだ。

何しろ、殺害された高橋の「養母」の女性は、そもそも高橋が出会い系サイトでひっかけ、養子縁組して借金をさせるなどし、金をむしり取っていた女性だった。2009年8月に殺害されたおじの男性と金銭トラブルになっていたのも高橋であり、新井死刑囚におじを殺害しなければならない動機は何も無かったのが現実だ。

もっとも、筆者が新井死刑囚のことを心配するのは、「冤罪」だと思っているからだけではない。心配する一番の理由は、新井死刑囚が再審請求をしていないことだ。

そのへんが新井死刑囚の変わったところなのだが、死刑を怖がるそぶりを見せたくないのか、筆者が何度も家族を通じて再審請求するように言ったのだが、聞き入れてくれないままなのだ。そして再審請求をしていないがゆえに、死刑執行の人選をする法務・検察官僚たちから狙われるのではないかという気がしてならないのだ。

新井死刑囚と伊藤死刑囚はいずれも東京拘置所に収容されている

◆最高裁にも同情された死刑囚も再審請求をしていない……

筆者が心配する2人目の死刑囚は、伊藤和史死刑囚(41)である。

確定判決によると、伊藤死刑囚は2010年3月、会社の同僚らと共謀し、勤めていた長野市の会社の経営者とその長男、長男の内妻を殺害し、金を奪ったとされる。そう書くと、とんでもない凶悪犯のようだが、実際はかなり複雑な事情があった。

被害者一家は、地元ではヤクザ顔負けの怖い人たちで、伊藤死刑囚や共犯者の男らを家に強制的に住み込みにさせ、自由を奪い、奴隷のように働かせていたのだ。そのせいで追い詰められた伊藤死刑囚たちが被害者一家から逃げ出すため、犯行を決意したというのが真相だった。

そのような複雑な事情があったため、2016年4月に伊藤死刑囚の上告を退け、死刑を確定させた最高裁の裁判官たちも判決(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/924/085924_hanrei.pdf)で、「動機、経緯には、酌むべき事情として相応に考慮すべき点もある」と言わねばならなかったほどだ。

伊藤死刑囚の上告を退け、死刑を確定させた最高裁判決(2016年4月26日)

そして実を言うと、この伊藤死刑囚も筆者の知る限り、再審請求をしていない。再審請求さえしておけば、最高裁の判決内容から考えても、法務・検察官僚たちが死刑執行の対象に選びづらい死刑囚であるにもかかわらずに、だ。

当欄の1月5日付けの記事で書いた通り、現法務大臣の上川陽子氏は非常に死刑執行に積極的な人物だ。今はおそらく菅内閣最初の死刑執行を早く実現したくてたまらないはずである。それだけに、私はこの2人が心配で仕方ないのだが、万が一、この2人が死刑執行されるようなことがあれば、読者の方は「誤った死刑執行」だと受け止めて頂きたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。分冊版の最新第15話では、寝屋川中1男女殺害事件の山田浩二死刑囚を取り上げている。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件に関し、私は当欄で2018年3月1日、以下のような記事を発表した。

◎伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

この件はこの頃から様々なメディアで大々的に報道されていたが、その大半は訴訟記録の閲覧という初歩的な取材すらされていないものだった。そのことを明るみに出したこの記事は、SNSなどで大きな反響を呼んだ。

訴訟はその後、東京地裁が2019年12月、伊藤氏の訴えを認め、山口氏に330万円の賠償を命じる判決を出したが、山口氏がこれを不服として控訴し、現在は東京高裁で控訴審が行なわれている。この間、私の上記記事に触発されたのか、様々な人が裁判所でこの訴訟の記録を閲覧し、インターネット上では、裁判で明らかになった事実に基づいた議論が活発になされるようになった。

もっとも、この件に関しては、まだ見過ごされている重要なことが1つある。それは、伊藤氏と山口氏の性行為がレイプにあたろうがあたるまいが、この事件には複数の被害者が存在することだ。

この事件の現場となった寿司屋とホテル、そして2人のことをホテルまで乗せたタクシーの運転手である。

◆まぎれもない被害者なのに、沈黙する人たち

まず、寿司屋。伊藤氏は「レイプドラッグを飲まされたと思っている」と公言しているが、それが事実か否かはともかく、伊藤氏が山口氏と共に店で飲食中、前後不覚の状態に陥ってトイレで寝込んでしまったことや、一緒にいた山口氏がそのような事態になるのを防げなかったことは確かだ。店が迷惑を被ったことは間違いない。

また、ホテルも事件の現場にされたばかりか、訴訟の証拠として特別に提供した防犯カメラの映像がインターネット上に流出させられる被害に遭っている。ホテルは伊藤氏と山口氏の双方に対し、「映像の使用は裁判手続きの場に限る」との誓約書を提出させていたにもかかわらず、いずれかがその誓約を破ったのである。

そして2人をホテルまで乗せたタクシーの運転手は、前後不覚になっていた伊藤氏が乗車中にシートに嘔吐し、一緒にいた山口氏がそれを防げなかったため、その日はそれ以後、営業できなかったのだという。タクシーの業務ではたまに起こることだとはいえ、運転手は当然腹が立っただろう。

伊藤氏と山口氏の2人は法廷の内外で「自分こそが被害者だ」と声高に主張し合い、お互いを批判し合っているが、2人の主張はいずれも事実関係に様々な争いがある。事実関係を検証するまでもなく、まぎれもない被害者である寿司屋、ホテル、タクシーの運転手はこの間、伊藤氏や山口の言動やそれを伝える報道をどんな思いで見つめているのだろうか。

沈黙し、何も語らない彼らの心中こそがこの事件の「最大のBLACK BOX」だと私は思う。

伊藤氏と山口氏の訴訟は現在、東京高裁で行われている

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。創業した一人出版社リミアンドテッドから新刊『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史)を発行。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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