『季節』2025春号をお届けするにあたって

『季節』2025春号がようやく出来上がってまいりましたのでお届けいたします。本日21日書店発売です。

◆『季節』2025春号の発行が10日遅れましたことをお詫びいたします。

本来3月11日発行の『季節』2025春号ですが、10日遅れ3月21日発行(17日発送)となりました。申し訳ございません。例年3・11当日の発行で、今年もそのつもりだったのですが……。これは財政的な問題とは直接関係はございません。編集作業が遅れ、遅れ自体は2、3日のことでしたが、今年の2月は2日少なく、また年度末で印刷・製本の予定ラインから一端外れたことで歯車が狂い10日遅れの発行となりました。とはいえ、工程管理が緩かったのは事実で弁解の余地もございません。何卒ご容赦お願いいたします。

◆「4・5鹿砦社反転攻勢の集い」に総結集し、また圧倒的なご支援をお願いいたします!

コロナ禍で当社は、それまで左団扇(うちわ)状態から一気に奈落の底に落とされました。コロナ前には(会社と個人合わせ)常に数千万円ほどの蓄えがあり、「エンジェル」になって、資金難に喘ぐいくつものグループにカンパしたり、ライターさんらには前払い、先払いしたり、3・11直後にはポンと日本赤十字社に100万円寄付したり、さらにはМ舎というミニコミ書店には50万円も資料代名目で本をまとめ買いしたり、沖縄にルーツを持つ高校の同級生(故人)がライフワークとして始めた島唄野外ライブ「琉球の風」に数年にわたり出資したり……。それは、松岡が「名誉毀損」容疑で逮捕された際に、多くの方々に助けられたことの恩返しという意味もあってのことでした。

しかし、あれだけあった蓄えも、コロナ以降しばらくしてなくなりました。一時は回復したこともありましたが、再び落ち込み現在苦境にあることを隠しません。出版界のみならず全産業の中小零細企業がそうなので、当社も例外ではありませんが、50数年続いてきた鹿砦社の歴史、なかんずく『紙爆』20年、『季節』10年の歴史を守り抜き後進につないでいかねばなりません。

このかん私たちは、4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」を開催することになり、総力で準備に努めています。

4・5の集いを、単なる記念日にするのではなく、逆に低迷打破→反転攻勢の絶好の機会にしたいと考えています。俗に言えば「ピンチをチャンスに変える!」ということです。特に今回は定期購読者、会員、社債引受人、寄稿者などご支援の皆様方に多くご参加いただき直に強く叱咤激励いただきたく望みます。

本号の発行が遅れ直前のお知らせになりますが、一人でも多くの皆様方のご参加を望みます。ご参加を希望の方は今すぐお申し込みください。また、賛同金、ご祝儀、カンパなどもどしどしお寄せください!

鹿砦社はこれまで、栄華を極めたり、逆に地獄を見るほど落ち込んだり、浮沈の激しい歴史を繰り返してきましたが、私たちは必ず復活します! 『季節』も必ず持続します! 今後も圧倒的なご支援を!

2025年3月 
株式会社鹿砦社代表 松岡利康
『季節』編集長   小島 卓

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2025年春号(NO NUKES voice 改題 通巻42号)
紙の爆弾 2025年4月号増刊
A5判 132ページ(巻頭カラー4ページ+本文128ページ)
定価770円(税込み) 2025年3月21日発売

《特集》原発被曝を問い直す 福島十四年後の実相

[グラビア]原発事故の後始末 汚染土2兆2000億円の現場(写真・文=山川剛史

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
[報告]福島原発事故被害者の被曝と原子力ギャング

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
[講演]飯舘村の放射能汚染のこれまでとこれから

山川剛史(東京新聞編集委員)
[報告]迫る汚染土の再利用 解決の道はあるのか

伊藤延由(飯舘村 元「いいたてふぁーむ」管理人)
[報告]「被ばくの実態」調査から原発事故の実像を測る

尾﨑美代子(本誌編集委員/西成「集い処はな」店主)
[報告]自宅の放射線測定記録に疑惑あり
いのちにかかわるデータは捏造されたのか?

子ども脱被ばく裁判の会
[報告]呆れ果てても、諦めない! 子ども脱被ばく裁判で明らかになったこと
 片岡輝美(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
十年間の闘いを経て
 水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
裁判によって知らない事実が明らかになった
 井戸謙一(「子ども脱被ばく裁判の会」弁護団共同代表)
この裁判が生み出したいくつかの成果
 樋口英明(元福井地裁裁判長)
真実はこれを求める人にのみ与えられる

和田央子(放射能拡散に反対する会)
[報告]原子力マフィアが主導する福島汚染土再生利用

後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
[報告]《検証》もしも柏崎刈羽原発が攻撃されたら……

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
[報告]英国の核燃料サイクル政策の大転換

山崎隆敏(元越前市議会議員)
[報告]万博と原子力 「いのち輝く未来」と「核ゴミ・被曝労働」の矛盾撞着

《第2弾》避難対策は全国どこでも「絵に描いた餅」
日野正美(女川原発再稼働差止訴訟原告団事務局長)
[報告]女川原発の避難計画は不備だらけ! 住民無視の運転を中止せよ!
土光 均(米子市議会議員)
[報告]県庁所在地に立地する島根原発で大災害が起きた時
松江市民に逃げ場所はあるか?

森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
[報告]原発避難者にとっての14年 その絶望と希望

原田弘三(翻訳家)[報告]「脱炭素」の本質

佐藤雅彦(翻訳家/ジャーナリスト)
[報告]NUKE WARS――原子力帝国の逆襲
    原子力は地域社会に「核分裂」をもたらす

板坂 剛(作家/舞踊家)
[報告]再び 三島由紀夫生誕百年に想う

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
[報告]山田悦子の語る世界〈26〉最終回 絶望の時代《今》を生きる意味〈下〉
平宮康広(元技術者)
[報告]水冷コンビナートの提案〈3〉

再稼働阻止全国ネットワーク
 東電に原発うごかす資格なし すべての原発の再稼働阻止
 フクシマは終わっていない

《福島》黒田節子(原発いらね!ふくしま女と仲間たち)
「本当のフクシマを知ってください」 西日本スピーキングツアー
《福島》橋本あき(福島県郡山在住)
 東電福島原発事故の残響は続く
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
【ネット署名】深刻な原発事故を起こした東京電力による
 柏崎刈羽原発の再稼動を許すなの声を結集しよう
《北海道》瀬尾英幸(泊原発立地四町村住民連絡協議会)
 泊原発は必ず止める
《静岡》沖基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
「基準津波25.2メートル」に対応するために、またまた防波壁かさあげ!
《福井》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
 関西電力(関電)に、約束を履行させ、全ての老朽原発を廃炉に!
《東海第二》横田朔子(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
 日本原電も東海第二原発も崖っぷち!~東海第二原発の中央制御室で火災発生~
《東海第二》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 防潮堤の修復案を示せない原電は、廃炉事業に専念するよう求めます
《書評》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク)
 小田実の『被災の思想 難死の思想』── 本の〈発掘〉①

[反原発川柳]乱鬼龍

4月5日東京にて月刊『紙の爆弾』創刊20周年、反原発情報誌『季節』創刊10周年を記念し反転攻勢の集いを開催します! 鹿砦社代表 松岡利康 

新型コロナ襲来以来の低迷を打破し再び勢いを取り戻すべく、私たちは来る4月5日、月刊『紙の爆弾』創刊20周年、反原発情報誌『季節』創刊10周年を記念し反転攻勢の集いを開催することになりました。

これを単に記念日とするのではなく、低迷打破→反転攻勢の絶好の機会として皆様方と有意義な時間を過ごすべく準備に取り組んでいます。

どなたでも参加できますので、関東近辺在住でご関心のある方はぜひ、どしどし参加し、ちょっとくたびれた私たちを叱咤激励してやってください。

また、賛同金、カンパ、ご祝儀などをお寄せいただき圧倒的なご支援をお願いいたします!

苦しみの中から立ち上がれ! 闘争勝利!

(松岡利康)

『季節』2025年春号 〈3.11〉に想う── 季節編集委員会

今年も〈3.11〉がやって来ました。──

この頃になるいつも想うのですが、原発事故で狂わされた人の人生、生活、命です。

いまだにフクシマでは棄民政策がなされ、生まれ育った故郷に戻れない人たちも多いです。確かに法律上は戻れることになった町もあるでしょうが、人がほとんどいなくなった町で、どうやって生活していくのでしょうか。

筆者は50歳を過ぎてから、望郷の念が強くなり、中学、高校の同窓会活動に精を出し始めました。多くの同期生もそのようで、いったんは都会へ出ても、かなりの人数が帰郷しています。

フクシマでは、帰るに帰れない人たちが多いです。原発事故を起こした東電に対し、まさに「故郷を返せ!」と叫びたい方も多いでしょう。当時の東電の幹部はどう考え、どう責任を取ろうとしているのでしょうか。いつも素朴な疑問に苛まれます。みずからの意見も公にせず責任も取らず、彼らはひっそりと暮らしているかのように思われます。

昨年10月、当時の東電トップ、勝俣恒久が亡くなりました。一切の責任も取らずに、です。また勝俣死去をマスメディアはほとんど報じませんでした。彼が生前やってきたことの意味の問い直しぐらいやるべきだったのではないでしょうか。

今後、当時の東電の幹部が相次いで亡くなっていくでしょう。責任をどう取るのでしょうか。せめて気持ちだけでも家、屋敷を売って被災者へ寄付するぐらいはやるべきでしょう。被災者はみな人生、生活を狂わされ命を絶った方もいるわけですから──。

ところで本誌も昨年夏・秋合併号で創刊10周年を迎えることができました。本誌は月刊『紙の爆弾』の増刊号として季刊ペースで発行してまいりました。あとの5年は新型コロナとの闘いで苦戦しました。創刊10周年の集いも開く予定が諸事情で開けませんでした。4月5日に『紙の爆弾』20周年と共に、記念の集い(具体的には巻末参照)を開催することになりました。両誌とも、今後10年、20年と続かせようと願って。関東周辺にお住いの方はぜひご参加をお願いいたします。

■『季節』2025春号の発行が10日遅れます。

本来3月11日発行の『季節』2025春号ですが、10日遅れ3月21日発行(17日発送)となりました。申し訳ございません。例年3.11当日の発行で、今年もそのつもりだったのですが……。これは財政的な問題とは直接関係はございません。編集作業が遅れ、遅れ自体は2、3日のことでしたが、今年の2月は2日少なく、また年度末で印刷・製本の予定ラインから一端外れたことで歯車が狂い10日遅れの発行となりました。とはいえ、工程管理が緩かったのは事実で弁解の余地もございません。何卒ご容赦お願いいたします。

2025年3月 季節編集委員会

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2025年春号(NO NUKES voice 改題 通巻42号)
紙の爆弾 2025年4月号増刊
A5判 132ページ(巻頭カラー4ページ+本文128ページ)
定価770円(税込み) 2025年3月21日発売
 
《特集》原発被曝を問い直す 福島十四年後の実相

[グラビア]原発事故の後始末 汚染土2兆2000億円の現場(写真・文=山川剛史

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
[報告]福島原発事故被害者の被曝と原子力ギャング

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
[講演]飯舘村の放射能汚染のこれまでとこれから

山川剛史(東京新聞編集委員)
[報告]迫る汚染土の再利用 解決の道はあるのか

伊藤延由(飯舘村 元「いいたてふぁーむ」管理人)
[報告]「被ばくの実態」調査から原発事故の実像を測る

尾﨑美代子(本誌編集委員/西成「集い処はな」店主)
[報告]自宅の放射線測定記録に疑惑あり
いのちにかかわるデータは捏造されたのか?

子ども脱被ばく裁判の会
[報告]呆れ果てても、諦めない! 子ども脱被ばく裁判で明らかになったこと

片岡輝美(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
十年間の闘いを経て
水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
裁判によって知らない事実が明らかになった
井戸謙一(「子ども脱被ばく裁判の会」弁護団共同代表)
この裁判が生み出したいくつかの成果
樋口英明(元福井地裁裁判長)
真実はこれを求める人にのみ与えられる

和田央子(放射能拡散に反対する会)
[報告]原子力マフィアが主導する福島汚染土再生利用

後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
[報告]《検証》もしも柏崎刈羽原発が攻撃されたら……

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
[報告]英国の核燃料サイクル政策の大転換

山崎隆敏(元越前市議会議員)
[報告]万博と原子力 「いのち輝く未来」と「核ゴミ・被曝労働」の矛盾撞着

《第2弾》避難対策は全国どこでも「絵に描いた餅」

日野正美(女川原発再稼働差止訴訟原告団事務局長)
[報告]女川原発の避難計画は不備だらけ! 住民無視の運転を中止せよ!

土光 均(米子市議会議員)
[報告]県庁所在地に立地する島根原発で大災害が起きた時
松江市民に逃げ場所はあるか?

森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
[報告]原発避難者にとっての14年 その絶望と希望

原田弘三(翻訳家)[報告]「脱炭素」の本質

佐藤雅彦(翻訳家/ジャーナリスト)
[報告]NUKE WARS――原子力帝国の逆襲
    原子力は地域社会に「核分裂」をもたらす

板坂 剛(作家/舞踊家)
[報告]再び 三島由紀夫生誕百年に想う

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
[報告]山田悦子の語る世界〈26〉最終回 絶望の時代《今》を生きる意味〈下〉

平宮康広(元技術者)
[報告]水冷コンビナートの提案〈3〉

再稼働阻止全国ネットワーク
 東電に原発うごかす資格なし すべての原発の再稼働阻止
 フクシマは終わっていない

《福島》黒田節子(原発いらね!ふくしま女と仲間たち)
「本当のフクシマを知ってください」 西日本スピーキングツアー
《福島》橋本あき(福島県郡山在住)
 東電福島原発事故の残響は続く
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
【ネット署名】深刻な原発事故を起こした東京電力による
 柏崎刈羽原発の再稼動を許すなの声を結集しよう
《北海道》瀬尾英幸(泊原発立地四町村住民連絡協議会)
 泊原発は必ず止める
《静岡》沖基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
「基準津波25.2メートル」に対応するために、またまた防波壁かさあげ!
《福井》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
 関西電力(関電)に、約束を履行させ、全ての老朽原発を廃炉に!
《東海第二》横田朔子(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
 日本原電も東海第二原発も崖っぷち!~東海第二原発の中央制御室で火災発生~
《東海第二》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 防潮堤の修復案を示せない原電は、廃炉事業に専念するよう求めます
《書評》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク)
 小田実の『被災の思想 難死の思想』── 本の〈発掘〉①

[反原発川柳]乱鬼龍

《3月のことば》春です 故郷は 桜です 鹿砦社代表 松岡利康

《3月のことば》春です 故郷は桜です(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

3月、年度末です。1月(去ぬ)、2月(逃げる)── 今年はじめの2ヵ月、速かったです。そして3月。

これまでこの冬はほとんど酷寒だったのですぐに桜を想像できませんが、確実に春はやって来ます。故郷の桜が目に浮かびます。3・11のように、みずからの意志に反し故郷を離れた人たちにとって、故郷の桜はどのように脳裏に映るのでしょうか。

もうすぐ今年も3・11がやって来ます。3・11に、あなたはどこで桜を見るのでしょうか。

3月は逃げると言いますが、意義ある月にしたいと思います。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年3月号
『LGBT問題 混乱と対立を超えるために』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著 定価990円(税込み)

「カウンター大学院生リンチ事件」(「しばき隊リンチ事件」)から10年(下)──あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う 鹿砦社代表 松岡利康

くだんの大学院生リンチ事件は、私たちにいろんなことを教えてくれた。元々私は、いわゆる「知識人」もマスメディアも司法(裁判所)も、これまでも数多裏切られてきたことで信用はしていなかったが、このリンチ事件でそれが決定的になった。

◆「知識人」の醜態

このリンチ事件をめぐっては多くの「知識人」が蠢き右往左往してきた。それはそうだろう、「反差別」運動の旗手として自分たちが崇めてきた李信恵とこの親衛隊と言ってもいい者らが、思いもよらない凄惨な事件を起こしたのだから──。

李信恵ら事件現場に連座した者らは一夜明けて、おそらく胸中では『しまった!』と思ったに違いない。実際に五人のうち李信恵ら3人は「謝罪文」を被害者М君に提出し「活動自粛」も約束している。

また、その「反差別」運動を支援したり、なんらかの形で関わった者らは『なんてことをしてくれたんだ!』と愕然としたり絶望したりしたに違いない。当初、この事件を知った辛淑玉は「Мさんリンチ事件に関わった友人たちへ」と題するステートメント(全7枚)を公にしている。のちに撤回することになるが、おそらく事件を知ったショックから執筆した本音だろう。

しかし彼らはこぞってそれを反故にし活動を再開した。ここには人間としての良心の欠片もない。

在日の「知識人」として著名な辛淑玉は、なぜここで踏みとどまらなかったのか、ここに大きな錯誤があり、被害者М君を絶望のどん底に落とした。加害者らに影響力のある彼女が踏みとどまり、厳しく対処していれば、また違った展開になっていただろう。

加害者らと近い、当時参議院議員だった有田芳生や作家で法政大学教授の中沢けいらは事件直後来阪し善後策を練っている。特に有田は事件当日の午後に来阪している。これは偶然だろうか?

「知識人」として加害者らに信頼が篤く「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長だった岸政彦(当時龍谷大学教授。現京都大学教授)は、当初コリアNGOセンターが行った、加害者への事情聴取にも立ち合い、彼の立場からして事件の内容をよく知ったはずだし、人間として研究者として、また「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長として厳正に対処すべきだった。岸が厳正な姿勢を貫けば、彼の株ももっと上がり、事件後の展開ももっと違ったものになったはずである。責任ある立場にあった彼がどう考えているか、みずからの意見を表明しないので鹿砦社特別取材班は彼の研究室(龍谷大学)を訪れ直撃し問い質したが右往左往するばかりだった(この時の彼の発言と画像は『反差別と暴力の正体』に掲載)。

取材班の直撃取材に慌てふためく岸政彦

ちなみに鹿砦社特別取材班は、岸の他に有田芳生、中沢けいらにも直撃取材している(『人権と暴力の深層』に掲載)。

さらに、いわゆる「知識人」として取材を試みたが逃げられた者に師岡康子弁護士、精神科医・香山リカらがいる。

師岡は俗に「師岡メール」(『暴力・暴言型社会運動の終焉』に全文掲載)と言われるメールをМ君の知人・金展克に送り、М君が刑事告訴しないように説得してほしいと依頼している。М君は事件後しばらくは刑事告訴を躊躇したが、加害者らの態度に誠意が見られなかったことなどでやむなく刑事告訴に踏み切った。その後、加害者5名や彼らを支援する周囲の者らは開き直り謝罪文を反故にし活動自粛の約束を破った。さらには、あろうことか加害者と連携する者らによってМ君に対する激しいセカンドリンチが本格化する。

ここで師岡はリンチ被害者М君について「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者」と言って憚らない。なんという「人権派弁護士」だろうか? 真の「反レイシズム運動の破壊者」は、集団リンチを行った者だろうに。

また、香山リカに至っては、精神科医とは思えない対応をした。私たちはまず加害者と何らかの関係がある者らと共に彼女にも質問状を送ったが返答が来ないので、彼女が業務委託している事務所に電話で慇懃丁寧に取材を申し込んだところ取材班のスタッフに電話を「ガチャ切り」されたと嘘をツイートしている。密かに録音されていることもあるので、取材班は殊更慇懃丁寧に電話し、その場に私もいたが、「ガチャ切り」は真っ赤な嘘である。

そうして、質問書を「どこに送付したか、書いてみては?」と言うから正直に送った住所をSNSに書いたところ、本当に書くと思わなかったらしく、しばらくして神原元弁護士から削除要請の電話があった。

さらには、鹿砦社が裁判を起こし「小口ビジネスモデルに活路を見出した」と大ウソをついている。確かに鹿砦社は1995年頃から訴訟まみれになりながらも億を越す資金を費やし闘ってきた。しかし、それで儲けたことはなく、逆に神経を擦り減らし資金を注ぎ込んだだけで「小口ビジネス」などにはなっていない。さらに香山は「嫌がらせされ続けている」とか「『リンチ』ですらなかった」とか「鹿砦社の罪は重い」とか言い放っている。私たちは香山に「嫌がらせ」など続けていないし、香山は判決文を読んだのか、「『リンチ』ですらなかった」ということが妄言で、「罪が重い」のはリンチ事件を隠蔽し、よって被害者М君がPTSDに苛まされていることに手を貸した香山のほうこそ「罪は重い」! 特に香山は精神科医だから、暴力で、未来を嘱望されていた某国立大学大学院博士課程(当時)のМ君の人生を台無しにしたリンチ事件の重みが解っていないのか、精神科医・香山の見識と人間性、精神科医としての資質と職責を問う。

ここでは紙幅の都合上リンチ事件に蠢いた数人を採り上げるにとどまったが、これらの他にも弾劾されるべき人物は決して少なくはない。血の通った人間ならば、胸に手を当てて虚心に反省すべきだ。

◆報じるべき問題を報じないメディアの責任

大小を問わず、本件リンチ事件を報じたメディアは唯一鹿砦社のみだった。『週刊実話』がコラム記事で小さく採り上げたが、加害者らとつながる者による激しい抗議で謝罪した。以来、被害者と鹿砦社へのメディアの援軍は遂に現れなかった。SNSで、この問題に言及する者がいたにすぎない(主に右派とされる者)。

メディアは、朝日新聞はじめほとんどのマスメディアが李信恵を「反差別」運動の旗手として持ち上げてきた手前か、真相が明らかになってきた段階でも無視した。つまり、言ってしまえば犯罪に加担したと言っても過言ではない。メディア、特に大手新聞は社会の木鐸ではなかったのか?

М君や鹿砦社は何度も司法記者クラブに記者会見を申し込んだが、一切拒否された。一方加害者らの記者会見はすんなりと何度も開かれた。リンチ事件の真相が明らかになった段階でも、大手新聞は李信恵の活動や生き方を美談として採り上げ続けた。ジャーナリズムの見識を疑わざるをえない。

特に、当時朝日新聞の大阪社会部記者だった阿久沢悦子は、М君が同紙で事件を採り上げてもらえると期待したが裏切られた。阿久沢記者は「浪速の歌う巨人」と自他称される趙博を紹介し、体よく貴重な資料を趙に渡す。趙は一時は私たちと共闘を約束し一献傾けたが、突然掌を返す。当時まだ公になっていないA級資料ばかりだ。この資料はどこへ行ったのか? まさか権力の元に渡されたのではないか、という危惧が絶えない。趙は、いろんな運動や組織に顔を出し、こうした行為を行っていると聞く。ある党派では「スパイ」視されているそうだ。阿久沢にこうしたことを聞き質そうとしたら、またもや逃げられた。いやしくも朝日の記者ならば、堂々と私たちの取材に応じよ!

メディアで言えば、これに出入りする「ジャーナリスト」と称される者らも責任を問われるべきだ。特に事件の詳細を知る安田浩一、西岡研介らは逃げないだけましだが、終始加害者側に与した。安田は李信恵と公私ともども深い関係にあるとされるし、西岡は先の『週刊実話』謝罪問題に関わったとの情報がある。

いずれにしろ、メディアが事件隠蔽に手を貸し、いまだに李信恵を持て囃し立てていることは大いに問題だと言わざるをえない。

ジャーナリストで本件事件に関心を寄せ被害者に寄り添ってくれたのは山口正紀(故人)、北村肇(故人)、黒薮哲哉、寺澤有ぐらいである。それも私たちが出版した本を渡したりして説明してからだ(私たちとて事件から1年余り経ってから知ったのだが)。加害者側の隠蔽活動が成功したということだろう。それでも事件を発見し社会に摘示するのがメディアの責任だと思うのだが……。

◆果たして司法(裁判所)は公平・公正なのか?

誰しも司法(裁判所)は「憲法の番人」で公平・公正だという神話を信じている。果たしてそうか?

本件一連の裁判闘争に関わるまでは、私もまだその神話をわずかながらも信じていた。だが、一連のリンチ事件関連訴訟を体験する中で、その神話が完全に崩れた。

おそらくリンチ被害者М君も、ようやくしっかりした代理人が就き司法(裁判所)への期待が大きかったようだし、完全勝訴を信じてやまなかった。

ところが、その期待はあえなく裏切られる。

M君が加害者五人組を提訴した民事訴訟、一審大阪地裁は、李信恵がМ君の胸倉を掴み一発殴り(ここのところが、グーなのかパーなのか激しいリンチで記憶が定かでないことを衝き、これは認められなかった)集団リンチへの口火を切ったにもかかわらず免責された。

刑事でも同様だ。なにか在日の李信恵に対して躊躇や遠慮が感じられた。李信恵のみならず、伊藤大介、松本英一らについても同様だ。伊藤は一審では賠償が認められたが控訴審では一転免責された。この訴訟の経過については、山口正紀(故人。元読売新聞記者)の長大なレポート「〈М君の顔〉から目を逸らした裁判官たち──リンチ事件・対5人訴訟“免罪判決”の構造」(『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載)をぜひご一読いただきたい。

結局、高裁で賠償が認められたのは金良平に113万円余プラス金利、一発だけ殴った凡に1万円だけで、あとの3人は免責されるという非常識極まりない判決だった。軽微な判決と断ぜざるを得ない。さすがに裁判所も全面免責というわけにはいかなかったのか、李信恵ら3人だけを免責し、金良平と凡にのみ賠償を課しお茶を濁したということだろうと思う。

また、М君の裁判闘争への応援の意味もあって、鹿砦社は李信恵を訴え、さらに3年間鹿砦社に入り込みほとんどの就業時間に本来の業務を怠りネットで活動を続けたカウンター活動家・藤井正美も訴えた。これらについて李信恵、藤井正美ともに反訴し(李、藤井両人の代理人は神原元弁護士)、鹿砦社の請求は一部は認められたがほぼ棄却され、一方鹿砦社は李信恵に110万円(一審は165万円。控訴審で減額)、同藤井に11万円の支払いが命じられた。

各々の訴訟の詳細は省くが、不公平・不公正感は否めない。特に対藤井訴訟では、あれだけの職務怠慢を平気な顔をして続けながら免責、逆に多大な被害を被った鹿砦社に賠償を課すという非常識な判決だった。この訴訟、鹿砦社の代理人は森野俊彦弁護士、司法を裁判所の中から変えようと「日本裁判官ネットワーク」で現役の裁判官時代から活動され顔を出して会見をされたりしていた。裁判所としては愉快ではない存在だったのだろう、当初からとっちめてやろうという敵意さえ感じられた。

ともあれ、私たちが「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、俗に「しばき隊リンチ事件」といわれる本件から10年が経過した──。

人生を狂わされたМ君にはМ君なりの想いがあろう。事件が隠蔽され1年余り経ってから関わった私にも私なりの想いがあり、その一部を申し述べさせていただいた。
それにしても、なぜ「知識人」は逃げたりメディアは報じなかったり裁判所は真正面から傷ついたМ君に向き合わなかったのか ── なんらかの〈意志〉が働いているとしか思えない。私たちの後から関わってくれた黒薮哲哉が指摘するように一連の訴訟は、司法当局が管理する「報告事件」かもしれない。闇は深い。(本文中敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》  M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/

鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

《2月のことば》敗北における勝利 鹿砦社代表 松岡利康

《2月のことば》敗北における勝利(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

もう半世紀余りも前のことになるが、1972年2月1日、学生運動も最盛期から後退期に入る時期、前年から全国の大学で学費値上げが発表され、これに抗議する学生によって反対闘争が盛り上がっていた。

学生運動が後退期に入るのを見計らったかのような時期だった。

例えば関西大学もバリケードストライキに入っていたが、前年12月、革マル派が、対立する中核派の活動家を急襲し2人が殺された。こんな有り様なので、反対運動は自然消滅した。年を越したのは私のいた大学と、あと数えるばかりだったと記憶する。

私たちは、断固として身を挺し学費値上げを阻止せんと徹底抗戦し学費値上げ阻止の意志表示をした。

百数十名の無差別検挙で40数名逮捕、10名が起訴された。裁判は数年を費やしたが、結果は1人が無罪、あと9名は微罪だった。

学費値上げはなされ、阻止できなかった。──

値上げを阻止できなかったという意味では、私たちの敗北である。

しかし、その敗北は決して無駄ではなかったし無意味でもなかったと今でも思っている。長い人生には勝ちもあれば負けもある。

敗北の中にも、自分なりになんらかの意味を汲み取り、後の人生に活かせればいいんじゃないか ──

〈敗北における勝利〉── いつこの言葉を知ったか記憶が定かではないが、私たちの世代には馴染みが深い、アイザック・ドイッチャーのトロツキー伝の中にあった言葉ではないかと微かに覚えている(違っているかもしれないが)。ドイッチャーのトロツキー伝は三部作の大部の本で、人に貸したまま手元にはない(この言葉の由来を知りたいということもあるが、無性に再読したくなり古書市場で見つけ注文したところだ。高価だと思っていたところ3冊で3000円! そういえば、正月休みに街に出たら古書展をやっていて、吉本隆明の本が1冊500円、3冊も買ってしまった。われらが青春の隆明が1冊500円とは。  

あれから半世紀余りが経った。あっというまだったな。敗北だらけの人生で満身創痍だが、その敗北を教訓化して、果たして勝利への途は見つかったのか――。

【追記】

上記した、古書市場で注文したアイザック・ドイッチャー著トロツキ伝第3巻『追放された預言者・トロツキー』が届いた。早速紐解くと、記憶通り、その末尾に「六 後書 敗北における勝利」とあった。なんともいえない感動!

青春時代のほろ苦い体験が脳裏に過(よぎ)る。──

そのほろ苦い体験とは、同じ大学の先輩の詩人の次のようなものだ。

「不世出の革命家に興味を持った一人の貧乏学生は ひどく暗い京都の下宿で汗のふとんにくるまりながら やたらに赤線をひっぱっていた ついには革命的情熱とやらの蜘蛛の巣のような赤線にひっかかり くるしんでいる夢をみた ほそい肉体をおしながら漆黒の海流 亡命舟は灯を求めて盲目の舟首を軋ませつづけた」(清水昶「トロツキーの家」)

『LGBT問題 混乱と対立を超えるために』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著 定価990円(税込み)

「カウンター大学院生リンチ事件」(「しばき隊リンチ事件」)から10年(中・補)── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う 鹿砦社代表 松岡利康

昨年2月以来、くだんの大学院生リンチ事件の主たる暴行実行犯・金良平(ハンドルネーム・エルネスト金、略称エル金)が鹿砦社と森奈津子さんを提訴し係争中のところ、私たちの代理人を務めていただいていた内藤隆弁護士が、去る1月6日急逝された。

内藤弁護士には1996年以来約30年近く、主に東京での訴訟や法律問題でお世話になった。最初の案件は、大相撲の八百長問題で日本相撲協会から東京地検特捜部に刑事告訴された件だった。内藤弁護士のご尽力で不起訴となった。

また、大手パチスロメーカー・アルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)からの、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧事件の民事訴訟をご担当いただいた。損害賠償請求額、なんと3億円! 最終的には600万円で確定したが、私たちは減額されたとはいえ不当判決と認識している。刑事事件のほうは懲役1年2月、執行猶予4年で確定した。これも不当判決だ。これにも弁護団の一員として名を連ねていただいた。

ちなみに、刑事事件で主任弁護人を務めていただいた中道武美弁護士も、一昨年亡くなられた。謹んでお二人のご冥福をお祈り申し上げ、大学院生リンチ事件の‟延長戦”として係争中の対エル金訴訟勝利の決意を固めるものである。無抵抗の大学院生М君に長時間卑劣な暴行を加えた徒輩に負けるわけにはいかない。

リンチ直前の加害者ら(左から李信恵、金良平、伊藤大介)

◆社会運動内部における暴力の問題 ── 私の体験から

前回、反差別運動や学生運動など社会運動内部における暴力の問題について私的体験を少し記した。もう少し詳しく聞きたいというリクエストが複数あった。ここに私が本件リンチ事件に、被害者の大学院生М君の側に立って関わった要因もあると思うので、私がなぜ金良平らによる集団リンチ事件に怒り、なぜ真剣に取り組んだかを、予定を変更して今回、前回の「中」を補完するもの(「補」)として申し述べておきたい。

私は1970年(昭和45年)に大学に入ってから、当時の多くの若者同様、ノンセクトの学生運動に関わった。最盛期(1968年~69年)は過ぎたとはいえ、まだ集会やデモには多くの若者が参加していた。そして、運動内部における暴力事件を直接的、間接的に体験したり見聞きしてきた。

なにより私自身が対立する日本共産党(以下日共と略記する)・民青(日本民主青年同盟の略。日共の学生青年組織として当時権勢を誇った)のゲバルト部隊に襲撃され1週間ほど入院した経験がある。

1971年春、大学3回生の時だ。早朝3人でビラ撒きをしようとしていた矢先、突然に多勢の短い角材を持った集団に急襲された。たった3人なので捕捉され袋叩き、激しいリンチを受けた。しばらくして助けにきた仲間によって近くの病院に運ばれた。この前年師走には、のちにノーベル賞を受賞する作家の甥っ子で同じ自治会の先輩が、やはり同じ日共のゲバルト部隊によってリンチされ一時は医者も諦めたほどの危篤状態になった(奇跡的に回復)。

2件目は、時々ビラ撒きで顔を合わせていた中核派の活動家だった大学の先輩、正田三郎さんが、71年暮れ、泊まり込みで支援に行っていた関西大学で深夜、当時内ゲバを繰り広げていた革マル派の秘密部隊に襲われ、仲間の京大生Tさんと共に亡くなった事件を知った時には動転した。私が日共ゲバルト部隊に襲われて半年余り後のことだった。

3件目。私は大学時、定員30名ほどの小さな寮にいた。先輩に藤本敏夫(故人)さんがいる(私が入った時にはもういなかった)。

私が在学中(70年代前半)は、比較的平和な時期だったが、卒業後(70年代後半)、学生運動は混乱と対立、分裂の時期になる。私のいた大学や寮も、それに巻き込まれ、遂には学友会、自治会の解散ということに繋がっていったが、79年3月、突然深夜に対立する勢力に襲撃され寮生が監禁され椅子に針金で縛られ激しいリンチを受けているという連絡があった。

寮母さんは、お母さんの時代(戦前)から母子で寮に住み込みで働いており学徒出陣で戦地に赴く学生を見送ったという。だからすごく反戦意識の強い方でデモに行かず寮に残っている寮生には「なんでデモに行かないの?」と叱責されたというエピソードがある人だった。私が学費値上げ反対闘争で逮捕された際には身元引受人を買って出てくれた。

79年3月31日で退職という直前の3月19日、黒百人組(この組織の創設者は元社民党代議士Hだ)的グループによる武装襲撃事件は起きる。寮母さんから悲痛な電話があり、仕事も途中で抜け駆け付けた。そして、後日開かれた寮母さんの退職記念会には、生前の藤本敏夫さんも駆け付けた。

4件目は、前回も触れた「八鹿高校事件」である。70年代、部落解放運動をめぐって部落解放同盟と日共は激しい対立関係にあった。新左翼系は、反日共という立場から解放同盟を応援していた。私たちもそうだった。ところが、私と一緒に自治会運動に関わり、いろいろ指導してくれた先輩が、卒業後教師になり、赴任した高校が、なんと兵庫県立八鹿高校だった。

私の先輩は反日共系だったので、当初日共から殴られたと思っていたが、事実はそうではなく解放同盟からだったので私も混乱した。この情報は水面下で同志社関係者に広まった。この事件で同志社では解放運動は浸透しなかったと私は思っている。先輩が、社会的に大きな話題となったこの事件に巻き込まれ激しいリンチを受けたことを知った時には大きなショックを受けた。いつかネットで凄絶な暴行を受けている場面(裁判資料)を見た時のショックは言葉にならない。

こういうことも、かつては解放同盟の行き過ぎた糾弾闘争もあって表立っては言えなかった。部落解放運動、この中心的担い手組織・部落解放同盟も、時代と共に社会が、こうした暴力を排除する雰囲気になるにつれ、このことを反省したからか、現在ではこうした暴力によって糾弾することをやめている。

かつて解放同盟による糾弾闘争がまだ収束していないさなか、私は出版企画で、当時の解放同盟の幹部であった師岡佑行氏(京都部落史研究所所長。故人)、土方鉄氏(作家で『解放新聞』編集長。故人)の対談をやったことがある。お二人は公の建物である京都部落史研究所内で大声で糾弾闘争を激しく批判され、組織内部に向けても暴力的な糾弾闘争の是正を訴えられていたそうだ。その後、お二人の努力は報われていき、今では(完全ではないが)、解放同盟が糾弾闘争を行うことはなくなった。

さらに、これは私が直接体験したわけではないが、1972年に早稲田大学で起きた川口大三郎君リンチ殺人事件で、昨年映画にもなり話題になった。この大学を暴力的に支配していた革マル派が、文学部の自治会室で、川口君を対立する党派の活動家と見なしリンチ殺人を行った事件だ。

なぜ私がこの事件に戦慄を覚えたかというと、私が通っていた高校は大学の付属高校だったが、この上部の大学が革マル派の拠点で、当時隣接していた女子大もそうだった。両大学とも地方組織ながら、革マル全学連の中央委員を出していたほどの強固な拠点だっだ。

日常なんらかの形で接していたので、この革マル派に違和感はなかった。そして、私は早稲田大学の文学部を第一志望で受験し、地方出身者は素朴なので身近な党派、その大学の主流派の組織に入りやすく、おそらく私は早稲田の文学部に入っていれば革マル派に入り、そのリンチ事件に関わったのではないかと震え上がった。幸か不幸か早稲田には落ちて、殺人犯にならずにすんだ。

この時の、その大学のキャップは草創期からの黒田寛一(故人。同派の創設者)の愛弟子で、九州の同派のトップをも務め、中核派に襲われ、半身不随の障がい者となりその後の人生を送り数年前に死亡した。

◆リンチに連座した者、加害者を擁護した者、被害者を追い詰めた者、事件を闇に葬ろうとした者らを許してはならない!

M君に対する集団リンチ事件の件で相談があった際に、前述したようなことが心の中を過り、「これもなにかの縁、この若い研究者の卵を助けてやらないといけないな」という気持ちになった。

この集団リンチ事件を顧みるに、民主主義社会を自認する、この国の社会運動から暴力はなくなっていなかったということだ。あれだけの凄惨なリンチを行っていながら金良平らは、あろうことか、いったん出した謝罪文を反故にし、約束した活動自粛も撤回し開き直った(このことが被害者М君に更に大きな精神的打撃を与えた)。「エル金は友達」なる村八分運動もなされ、これもМ君の精神を追い詰めていったことはМ君本人が言っている。挙句、リンチの場に連座した伊藤大介はのちに、深夜右翼活動家を呼び出し暴行に至り有罪判決を受けている。

金良平近影。今でも現場で凄んでいる
リンチ被害者М君を精神的に追い詰めた村八分運動「エル金は友達」
同上

金良平の蛮行は、厳しく弾劾されるべきであり、真摯な反省もなく開き直り、被告(森奈津子さんと鹿砦社)らによってみずからの犯歴が暴露されたと、被害者顔して提訴に及んだことは全く遺憾至極だ。М君は、金良平による長時間にわたる激しい暴力によって人生が狂わされたことを決して忘れてはならない。

ことは金良平にとどまらず、このリンチの現場に連座した李信恵ら4人、さらには加害者に加勢し事件の隠蔽に努めたり被害者М君を精神的にも追い詰めた徒輩(有田芳生、岸政彦、中沢けい、香山リカ、安田浩一、神原元、辛淑玉、野間易通、師岡康子ら)の所業を決して許してはならない。リンチ事件は、たとえ10年経ったにせよ、本質的にはなんら終わってはいないのだから──。(本文中、一部を除き敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》  

M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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阪神・淡路大震災から30年──年月の渇きの中で 鹿砦社代表 松岡利康(被災地西宮在住)

1995年1.17の阪神・淡路大震災から30年が経った。光陰矢の如しで、あっというまだった。このかん私たちは何をしてきたのだろうか。真に復旧・復興は成ったのか? 見かけの復旧・復興は成ったかもしれないが、私たちの精神の奥深くの復旧・復興はどうか? 私は、亡くなった6432人の方々に恥じない生き方をしてきたのか、汗顔ものだ。

1995年1.17、当時私は兵庫県西宮市に住んでいた(今も住んでいる)。運命の午前5時46分、当時住んでいたマンションにドカンという衝撃があった。てっきりダンプカーがマンションにぶつかったものと思った。その後、被害の甚大さが判明するが、その衝撃の直後、新聞が投函された(新聞配達の方のその時の様子は想像できないが、いまだに不思議)。

本日1.17には、ここ兵庫、とりわけ阪神間では、いろいろなイベントがあるという。それはそれでいいだろうが、見かけの復旧・復興で取り残された人たちがいることを忘れてはならない。震災後建てられた無機質なコンクリートのビルや復興住宅で、それまであった地域の人々の交流がなくなり孤独死も多くあったという。ハコ物の建物を建てればよしとする行政の復興策は、はたして良かったのか? 

◆被災地・西宮の被害の甚大さを知って欲しい!

阪神・淡路大震災での死者数は全体で6432人、うち兵庫県6402人で、残り僅かが大阪と京都で、死者のほとんどは兵庫県だ。兵庫県では、神戸市が4564人、次いで私が住む西宮市が1126人、隣の芦屋市443人、宝塚市117人となっている。神戸市は範囲が広いので多いのは当たり前といえば当たり前だが、西宮市が1100人以上の死者数だということは、さほど知られていない。熊本地震が277人というから実に4倍近くに及ぶというのに、だ。それほど、西宮は地味な街なのだろう。ちなみに、そのこともそうだが、関西以外の人で甲子園球場が西宮にあることを知っている人も少ない。大阪のイメージが強いようだ。

西宮の公園という公園には長い期間仮設住宅があったことが記憶に蘇る。甲子園球場でプロ野球や高校野球のこだまする時でも、近くの公園において仮設住宅でつましく暮らす人々がいる異様な風景。私は折に触れて、ファックス通信「鹿砦社通信」(現「デジタル鹿砦社通信」)で批判してきた。西宮の公園から仮設住宅がなくなった時、復旧・復興が成るものと思っていたが、実際には仮設住宅がなくなっても復旧・復興は成らなかった。

その年の暮れ、全壊したビルを慌ただしく再建し(西宮市の建築許可第一号という)、そのビルに入ることができた。瓦礫を運ぶ車も日々行き来した。長い間、それを眺めながら過ごした。

東京の取次や出版関係者らが心配して電話してくれた。なかなかつながらず、「マツオカもいよいよ終わりやな」と不謹慎なことがささやかれたようだ。この10年後も同じようなことを言われた。

こういう時に強いのが私の真骨頂、不謹慎な物言いだが、「地震(じしん)で自信(じしん)をつけた」などとうそぶいたこともあった。

混乱した当地で鬱々としていても始まらない。活路を東京に求め文京区音羽、鳩山邸の崖の下に5坪の小さな事務所を借りて東京支社を設置した(会社としては、創業地は東京なので、出戻ったというのが正確)。

ちょうどこの頃を境に、私たちの出版社は、いわゆる〈スキャンダリズム〉、俗にいう「暴露本出版社」に本格的に舵を切り、取次会社のデータでは前年比「999.9%」(正確に言うと伸び率が大き過ぎてこういう数値になったものと思われる)の伸び率だったという。この意味でも、私たちにとって阪神・淡路大震災は、大きなターニング・ポイントだったといえよう。

鹿砦社と松岡の新たな歴史が始まった。──

◆当時感動した歌、『TOMORROW』と『心の糸』

阪神・淡路大震災では人々を勇気づける音楽も流れた。記憶に強く残っているのは岡本真夜の『TOMORROW』と、「阪神・淡路AID SONG」と銘打ち、香西かおり・伍代夏子・坂本冬美・長山洋子・藤あや子らレコード会社や事務所の垣根を越えて当代の若手演歌歌手5人が歌った『心の糸』だろう。

『TOMORROW』と『心の糸』

『TOMORROW』は、新人のシンガーソングライターの岡本真夜が彗星のように現れ、瓦礫の中から日々流れたことを思い出す。

「♪ 涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために」

若いのに凄い歌詞を書くものだと思った。実際に、多くの人々の心を打ち出荷枚数200万枚超(実売約180万枚)で大ヒット、この年のNHK紅白歌合戦にも出場を果たしている。

一方、『心の糸』は公式チャリティソングとして1.17からさほど日が経たない同年4月26日に発売された。「震災ソング」としては、その後、当地の教師が作詞・作曲した『しあわせ運べるように』が作られ、こちらが有名になり定着した。最近では神戸市の公式市歌に選定されているとのことだが、私にとっては『心の糸』だ。

しかし、地元の人でもさほど知らないように(例えば、クールファイブの『そして、神戸』は誰もが知っているが、サザンクロスというグループが歌う『三宮ブルース』は地元の人でもほとんど知らないのと同じケースだ)、これだけ有名歌手を揃えていながら『心の糸』はまったく忘れられてしまった。悲劇の曲だ。アマのほうがプロに勝った格好のケースといえよう。なんとかならなかったのか。本来なら、その年の紅白歌合戦での前川清『そして、神戸』、昨年の石川さゆり『能登半島』のように、紅白歌合戦でみなで歌ってもいいような歌だった、と私は思う。私は毎日社歌のようにラジカセで流していた。──

「♪ そして陽が昇り 朝の幕があく
昨日までの悲しみ 洗い流すように
覚えてて あなた 私がここにいることを
忘れないで あなた 歩いた道のほとり
心の糸を たどりながら
過ぎし日を重ねてみたい
心の糸を 手さぐりながら
夢の続き 捜していたい

時を巻き戻すことが出来たなら
涙なんかみせずに生きてこれたけれど
ありふれた日々を送れることのしあわせを
まぶた閉じてひとり 今更ながら思う
心の糸をほどかないで
この街を捨てて行けない
心の糸を 結び直して
うつむかずに歩いて行くわ

心の糸をほどかないで
この街を捨てて行けない
心の糸を結び直して
うつむかずに歩いて行くわ」

詞の一字一句が心に沁みる。
「時を巻き戻すことが出来たなら
涙なんかみせずに生きてこれたけれど
ありふれた日々を送れることのしあわせを
まぶた閉じてひとり 今更ながら思う」

全くその通りだ。

30年以上前に「時を巻き戻すこ」とはできないけれど、「心の糸を結び直してうつむかずに歩いて行く」ことはできる。次の30年は、おそらく生きていないけれど、残りの人生、もう一度「心の糸を結び直してうつむかずに歩いて行く」ことを、いろんな人に迷惑をかけ愚鈍に生きてきた私だが、震災30年に際し、バカはバカなりに、あらためて決意した次第である。


◎[参考動画]心の糸

鹿砦社が発行した一連の震災関連出版物
鹿砦社が発行した一連の震災関連出版物
鹿砦社が発行した一連の震災関連出版物
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折に触れて書いた震災関係の「鹿砦社通信」の記事(『紙の爆弾 縮刷版・鹿砦社通信』に収録)
折に触れて書いた震災関係の「鹿砦社通信」の記事(『紙の爆弾 縮刷版・鹿砦社通信』に収録)
折に触れて書いた震災関係の「鹿砦社通信」の記事(『紙の爆弾 縮刷版・鹿砦社通信』に収録)

【緊急のお知らせ!】4月5日、『紙の爆弾』創刊20周年、『季節』創刊10周年の集い開催! 鹿砦社反転攻勢への橋頭堡に! 圧倒的なご賛同をお願い申し上げ、共に祝いましょう! 鹿砦社代表取締役社長 中川志大 同会長 松岡利康

『紙の爆弾』『季節』をはじめとする鹿砦社の出版活動を支持されるすべての皆様!

まずは、去る1月6日、1996年以来30年近くに渡り鹿砦社の裁判闘争を支えてくださった内藤隆弁護士が急逝されました。内藤先生は、大学院生リンチ事件関連訴訟をご担当いただいており係争中でした。さらに、一昨年(2023年)7月31日には、こちらも1995年以来30年近く、主に関西での裁判闘争を支えてくださった中道武美弁護士が亡くなられました。中道先生は、『紙の爆弾』創刊直後になされた、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧刑事事件の主任弁護人を務めていただきました。内藤先生には、この民事訴訟の代理人をも務めていただきました。鹿砦社の出版活動を背後から支えていただいたお二人の弁護士を亡くし、私たちは深い悲しみにあります。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。しかし、私たちは両先生のご遺志にお応えするためにも、いつまでも悲しみにふけってばかりもおれません。

さて、2005年に創刊された月刊『紙の爆弾』は、来る4月7日発売号にて創刊20周年を迎えんとしています。また、『紙の爆弾』の姉妹誌ともいうべき反原発情報誌『季節』(季刊)は、逸早く昨年8月5日発売号にて創刊10周年を迎えました。

かの『噂の眞相』休刊後しばらく、いわば“噂眞ロス”が続き、多方面からの強い要請で月刊『紙の爆弾』は創刊されました。創刊に至るまでに、取得が超困難といわれる雑誌コードを取得しなければなりませんでしたが、中川が足繁く取次会社に通い交渉を重ね、奇跡的にも取得できました。この面では『噂の眞相』休刊も吉に働いたようです。 

『噂の眞相』は創刊直後、「皇室ポルノ事件」によって廃刊の危機に瀕しましたが、これを乗り越え、さらには「名誉毀損」刑事事件(在宅起訴。のちに岡留氏に懲役8月、執行猶予2年。デスクに懲役6月、執行猶予2年の有罪判決)など幾多の傷を負いながらも持続し、休刊時には発行部数が10万部を超えるまでになったと聞きました。松岡が、編集長兼発行人だった岡留安則氏(故人)から生前直接聞いたりしたところによれば10年間は赤字だったとのことで、そうした幾多の修羅場を乗り越え発展・継続したそうです。(このあたりのことは松岡と岡留氏との対談集『闘論 スキャンダリズムの眞相』〔鹿砦社刊〕をご参照ください。残り僅か)

『紙の爆弾』も、創刊直後(2005年7月12日)、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧により松岡逮捕→192日間の長期勾留→有罪判決(懲役1年2月、執行猶予4年)、巨額賠償金(一審300万円→控訴審600万円に倍増し最高裁で確定)を食らい鹿砦社は、松岡勾留中に事務所も撤去、壊滅的打撃を受けました。同じ「名誉毀損」事件ですが、岡留氏が在宅起訴、松岡が逮捕―長期勾留(身柄拘束)と、量刑も含め鹿砦社事件がいかに重大だったかが判るでしょう。

メディア・出版界、あるいは周囲のほとんどは、鹿砦社がそのまま沈んでいくことを信じてやまない中、信用不安にもかかわらず、決して多くはない取引先やライターの皆様方がサポートされ、あるいは取次会社も取引を維持して、なんとか会社は継続し、事件から4年余り後、一気にヒット、そのままヒットが続き復活、本社の甲子園返り咲きが実現したのでした。この時の感激は忘れることができません。その後、勢いに乗じ反原発雑誌『NO NUKES voice』(現『季節』)も創刊(2014年8月)しました。

その後、弾圧10周年(2015年)、また鹿砦社創業50周年(2019年)と、東京と西宮(本社所在地)にてお集まりいただき、会社復活・継続を祝っていただきました。そうして『紙の爆弾』創刊20周年を左団扇(うちわ)で迎えることを、私たちも含め誰しもが信じてやみませんでした。

しかし、人の世は何が起きるかわかりません。2020年からの新型コロナ襲来にて、世の中がそうだったように鹿砦社を取り巻く情況が一変いたしました。これを甘く見ていました。当初は売上微減、借入も必要なく、しばらくは“備蓄米”もたっぷりあり余裕さえありました。

ところが、書店の休業が続き、想定外の返品も続き、売上が激減し、途端に“備蓄米”が毎月1千万円前後なくなり、あっというまに青色吐息状態になりました。当社の規模で数千万円の“備蓄米”は何が起きても大丈夫の証だったはずですが認識と見通しが甘かったです。

こうした中、読者、寄稿者の皆様はじめ、これまで『紙の爆弾』『季節』、鹿砦社の出版活動を支えてくださった方々がご支援してくださり、新型コロナ襲撃以来5年間をサポートいただきました。あらためてお礼申し上げます。

あっというまの20年でした。そうして迎える『紙の爆弾』創刊20周年──いろいろなことが去来し胸が熱くなります。あらためて想起すると、20年という年月の重さを感じます。

そういうことで私たちは、創刊20周年記念号が発売になる直前の、来る4月5日に皆様方にお集まりいただき、20年間生き抜いてきたことを祝い、閉塞状況からの反転攻勢の橋頭堡にしたいと考えました。松岡が生きている間には最後になるやもしれません(次の30周年に松岡はおそらく生きていないでしょう。現実問題、生きていてもボケたりして尋常な状態ではないと思います)。こうした意味で松岡にとっては最後の檜舞台のつもりです。20周年の集まりまでに、もうひと山を越え、立派に集いを成し遂げ、次の10年に向けた財政の一助にするために、ぜひご賛同いただき、できれば駆け付け叱咤激励していただければ、とお願いいたします。

私たち鹿砦社は必ず閉塞状況を突破し反転攻勢を勝ち取り、腐朽化し権力のポチと堕したメディアの中で存在感のあるリトルマガジンとして『紙の爆弾』、そして姉妹誌であり唯一の反原発雑誌『季節』(紙の爆弾増刊)の旗を守り抜き、鹿砦社の名の通り、タブーなき言論の砦として皆様方と共に在り続ける決意です。圧倒的なご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

冒頭に挙げた内藤、中道両先生にも良いご報告をさせてください。

*集いの具体的内容が決まりましたら、あらためてお知らせいたします。

左から『紙の爆弾』創刊号、松岡逮捕後に発行された05年9月号、弾圧や裁判の詳細な内容をまとめた『パチンコ業界の アブナい実態』
https://www.kaminobakudan.com/
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年2月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号(NO NUKES voice 改題 通巻41号)

『紙の爆弾』創刊20周年の2025年、メディア総体が腐朽化する中で、『紙の爆弾』と鹿砦社の役割は重大! 皆様のご支援で年末危機突破! コロナによってもたらされた低迷を打破し再復活を勝ち取り、共に『紙の爆弾』創刊20周年を迎えましょう!  鹿砦社代表 松岡利康

定期購読・会員拡大、鹿砦社出版物の積極的購読で圧倒的なご支援を!
2025年年頭にあたって

皆様、新年明けましておめでとうございます。

2025年が始動しました! 本年は4月7日に本誌『紙の爆弾』が創刊20周年を迎えます。また、7月12日には、『紙の爆弾』創刊直後に検察権力によってなされた、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧からも20年となります。これらについて詳細は別の機会に譲るとして、ここでは触れません。

さらに本年は、1月17日に鹿砦社本社の在る兵庫県一帯を襲い小社も(わずかですが)被災した阪神淡路大震災から30年、ベトナム戦争終結50年、敗戦から80年を迎え、社会的、歴史的にも節目の年となります。

こうした中、出版・メディアをめぐる情況は、全部とは言わないまでも多くが権力のポチとなったり腐朽化していき真実が報じられなくなってきています。

わが『紙の爆弾』はミニメディアではありますが、弾圧に屈せず、一貫として愚直に<タブーなき言論>を信条として20年近くせっせせっせと一号一号発行を積み重ねてまいりました。

この間、「名誉毀損」弾圧事件で壊滅打撃を被りつつも、皆様方のご支援で奇跡の復活を遂げることができました。しかし、いいことは長く続かないのか、新型コロナという魔物によって再び地べたに叩きつけられました。

それでも読者の皆様方は見棄てずご支援を続け、青色吐息ながら命脈を保ってきています。

この20年近くの間に、『紙の爆弾』『季節』の定期購読・会員が総計で1千名余りとなりました。この皆様方が中心になって、定期購読・会員の更なる拡大、書籍・雑誌の積極的購読、あるいはまとめ買い(1万円以上)を行っていただくだけで、かなり資金繰りは楽になります。

一昨年(2023年)は一時はコロナ前の水準に回復しましたが、昨年(2024年)に入りドツボに嵌ってしまいました。油断や見通しの誤認などがあったことは否定しません。

毀誉褒貶はありますが、この30年間、鹿砦社の、いわば〝ビジネスモデル〟として芸能(スキャンダル)本を出し続けて、この利益で硬派の社会問題書や『紙の爆弾』『季節』の赤字を埋め、これらを出し続けてきました。『紙の爆弾』はようやく利益が出るようになりましたが、とはいってもこれで人ひとりの人件費が出るほどでもありません。ちょっと黒字といったところです。

しかし、私たちの出版社は芸能出版社ではなく、本丸の勝負所は社会問題書です。そうでないと単なる、どこにでもある柔な芸能出版社になってしまいますから。

ところが、この‟ビジネスモデル”が壊れたのは、コロナ禍を機に最近のことです。儲け頭となっていた芸能本が売れなくなりました。何としても他に‟鉱脈”を発掘しなければなりません。それは何処にあるのでしょうか? 皆様方のアイディアや企画、ご意見を募ります。

このかん、「身を切る改革」ではありませんが、いつのまにか肥大化していた会社の態勢もスリム化し、経費圧縮も最大限行いました。お引き受けいただいた社債は総額2千万円に達しました。コロナ前、鹿砦社創業50周年を機に私松岡は後進に道を譲るつもりでしたが、すぐに新型コロナ襲撃(まさに襲撃という表現が正しい)、これにより、これだけの社債、さらには会員や定期購読などでご支援いただく方々が多くおられ、現状がコロナ前の状態に正常化し、社債の償還が解決するまでは無責任に身を引くわけにはいかなくなりました。若手の後継者・中川志大と二人三脚で頑張ります! 中川には無垢の状態で引き継ぐことができなく申し訳なく忸怩たる想いですが……。

2019年の鹿砦社創業50周年を東京と地元西宮で多くの皆様方にお集まりいただき祝っていただいてから新型コロナ襲撃、そして以来この5年間は、正直大変でした。今もまだ大変な情況は続いています。それは私たちの業界・出版界でもそうで、店閉まいした書店さんも多いです。出版社も、一部を除き大変な情況です(特に中小零細出版社は)。

しかし、私(たち)は諦めません。もう一度復活したい、いや復活するぞとの決意で、年の瀬をやり繰りし新年を迎えました。私たちの出版社・鹿砦社、あるいは『紙の爆弾』『季節』には、社会的にもなすべき仕事がまだまだ多くあります。例えばジャニーズ問題、一昨年英国BBC放送が世界に向けて告発放映したことをきっかけに大きな社会問題になりましたが、この後、日本の大手メディアも追随しましたが、一体それまで何をやっていたのでしょうか。

私たちは大手メディアには無視されつつ「イエロージャーナリズム」と揶揄、蔑視されながらも1995年以来四半世紀余りも細々ながら告発本を出し続け、BBCにも事前に資料提供など協力し、これが実を結んだといえるでしょう。こういうこともありますので、あながち「イエロージャーナリズム」も馬鹿にできません。こういった意味では『紙の爆弾』も「イエロージャーナリズム」の権化といえるでしょうが、こういうメディアは他にありませんので、この意味だけでも存在価値があるでしょう。

また、私たちは以前から、「たとえ便所紙を使ってでも」発行を続けると言い続けてきました。「便所紙」とは、昔々、日本がまださほど裕福ではなく、良質なトイレットペーパーがなかった時代、尻拭き紙として安価な紙を使っていたものを揶揄した言葉です。今では死語かもしれませんが、私たちの決意を表す言葉として使ってきました。これは今でもなんら変わりはありません。

新年を迎え、苦難の中、本年一発目の『紙の爆弾』をお届けするにあたり私松岡の個人的な想いを書き連ねさせていただきました。厳しい経営環境は、決して恥ずべきことでもなく、これを明らかにし、この一年必死で頑張り、来年の年初にはもっと明るいご報告ができるように努めます。

具体的には『紙の爆弾』『季節』の定期購読を1千人→2千人へ倍増、会員も倍増を目指します。そうして、従来の方々に加え新規の定期購読、会員の方々が‟最大のスポンサー”として鹿砦社の出版物の積極的直接購読を促進し、会社の売上や資金繰りに貢献いただきたく強く希望いたします。

本年も旧に倍するご支援、叱咤激励をお願い申し上げます。

株式会社鹿砦社代表 松岡利康

人生に夢や希望を持つ者は誇り高く生きてゆける(揮毫:龍一郎)
人生に夢や希望を持つ者は誇り高く生きてゆける(揮毫:龍一郎)
https://www.kaminobakudan.com/
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年2月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号
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