鹿砦社がツイッター上で李信恵から、散々な罵詈雑言を浴びせられたため、仕方なく名誉毀損による損害賠償を求め提起した裁判の終結直前になって、李信恵側は「反訴したい」と主張し出した。裁判官はそれを認めず、別の訴訟として李信恵が原告となり、鹿砦社を被告として訴えた民事訴訟の一審(大阪地裁)判決は、あろうことか165万円の賠償金と、本通信記事の一部削除を命じる〈不当判決〉だった。当然われわれは上級審の大阪高裁に控訴し、その判決をいよいよ7月27日に迎える。(控訴人=株式会社鹿砦社、被控訴人=李信恵)

 

因縁の大阪地裁/高裁

◆不可解な判決の連続に首を傾げる

再度強調しておかなければならないが、この一連の裁判を初めに提起したのはわれわれ鹿砦社であり、その訴訟で一審(大阪地裁)、控訴審(大阪高裁)ともに李信恵の不法行為を認定しわれわれは勝訴しているのだ(上告を取り下げ確定)。にもかかわらず、不可思議な別訴に対し、大阪地裁は数々の事実誤認と、思い込みとしか考えられない筋の通らない理屈を根拠に165万円もの賠償金と本通信記事の一部削除命令を内容とする判決を下したのだ。

「カウンター大学院生リンチ事件」とか「しばき隊リンチ事件」といわれる「M君リンチ事件」に関係する訴訟には、純粋な司法判断とはどこか異なる、不自然な“もや”のようなものが常に付きまとっている。政治的な背景があるのではないか、とすら考えざるをえない判決の連続や(このかん和歌山カレー事件再審で話題の元大阪高裁判事の生田暉雄弁護士によれば「報告事件」というものがあり、これは最高裁からの指図で、これに指定されると、どうあがいても勝てない訴訟があるとされ、当初はそんなバカなと思いつつも、こうも不当判決が続くと真実味を実感する)、マスコミの恣意的な報道管制。本来だれにでも使用権限があるはずの司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)からことごとく締め出され、一度も記者会見を開かせてもらえていない現実。これらはやはり“何らかの背景”なしに起こりうる事象ではない。

本人尋問で大川弁護士の追及に答えきれず涙ぐむ仕草で裁判官の心証に訴える李信恵(画・赤木夏)。後ろに代理人の神原・上瀧弁護士。2020年11月24日、大阪地裁で。この後、傍聴に来ていた伊藤大介は深夜暴行・傷害事件を起す

李信恵の「謝罪文」(全7ページの内の2ページ)。のちに撤回したことに李信恵の人間性が表われている

 

リンチの是非を問うた人に開き直って恫喝する李信恵のツイート

◆われわれは死力を尽くした! 

そういった背景の中、一審の大阪地裁は、上記の通り不当判決を下したのであったが、控訴にあたり、われわれは死力を尽くした。まず元裁判官(大阪高裁にも勤務)の森野俊彦弁護士に弁護団に加わっていただいた。『週刊金曜日』によれば、「裁判所の内外で発言を続けた裁判官は、森野俊彦氏しかいない」とされ、失礼な物言いながら、当初予想した以上に優れた方であることがすぐに判った。従前より一連の訴訟を担当していただいている大川伸郎弁護士、森野弁護士を中心に何度も打ち合せを行い、精神科医・野田正彰先生にM君の「精神鑑定」を行っていただき、ニューヨーク州立大学名誉教授で心理学者の矢谷暢一郎先生からも海の向こうから「意見書」を頂いた。いずれも重厚な内容である。

そして地裁判決が素人目にも粗雑であって(例:証拠として提出してある書籍の中にある人物の電話取材を掲載しているが、判決文では「取材をしていない」と断言している。裁判官はろくろく証拠に目を通していないのだ)、重要な事実認定に妥当性を欠き、判決全体が恣意的な内容であることを「控訴理由書」、およびこの補充書で指摘した。さらには、われわれの委託を受けて取材に飛び回ってくれた、ジャーナリスト寺澤有氏の「陳述書」、さらには鹿砦社代表・松岡の渾身の「陳述書」など、これまでになく力を込めた。

勝ち負けは別として、これだけ衆智を結集した。果たして大阪高裁が、これらの知見を越える判断を示すか、興味津々だ。

大阪地裁判決前に、まさかこのような〈不当判決〉が下されるとは、われわれは予想だにしていなかった。だから、控訴審に向けては限られた時間の中で弁護団の先生にはかなりの無理をお願いし、われわれも死力を尽くした。

これ以上の証拠や、地裁判決を弾劾する法的哲学、論理は探求しようがない、といえるところまで「控訴理由書」、この補充書は研ぎ澄ました。野田正彰先生、矢谷暢一郎先生のご尽力には感謝に堪えない。

論理的にわれわれは、負けるはずはないと確信している。しかし、裁判所は証拠と論理を揃えても、一般人の「市民感覚」から遊離した判決を少なからず出すことがあることも知っている。

李信恵の「名言」の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◆7・27控訴審判決に注目を!

繰り返す。われわれは死力を尽くした。当然地裁判決破棄の判決を期待するが、判決の如何に関わらずできうることはすべてやり尽くした。判決の如何を問わず、「やれることはすべてやり切った」との想いが強い。

だから、大阪高裁には“真っ当”な判決を出してもらわねばならない。7月27日(火)13時15分から大阪高裁(別館)82号法廷で判決言い渡しが行われる。猛暑の中であるが、関西在住の方で都合のつく方は傍聴に結集を! 判決は、結果の如何にかかわらず当日速報を打つ予定だ。圧倒的な注目を! 

 

自ら泥酔したことをツイート。常識的に考えれば、1升近く飲んで泥酔しないわけはない

ちなみに、集団リンチの被害者M君は、いまだにリンチの後遺症に苦しんでいる。一方で、加害者グループの一人として実際にリンチの現場に居合わせ、1時間ものリンチを見聞きしつつも止めもせず、救急車やタクシーを呼びもせず、師走の寒空の下に放置して立ち去った李信恵は何の反省もなく、最近も(コロナ禍で少なくなっているとはいえ)各地の「人権団体」や行政などの招聘で講演旅行に回っている。

李信恵は、この時代「反差別」の象徴、あるいは旗手たり得る人格と思想を備えているであろうか。「日本酒に換算して1升近く飲んだ」(李信恵本人のツイート)と平然と公言するほど泥酔した挙句、集団リンチ事件に連座した責任を、どのように申し開きできるのだろうか。われわれは〈あらゆる差別に原則的に反対する〉が故に、この闘いを貫徹してきた。少なからずの傷も負っている。だが、〈差別〉に関する限り〈原則〉は譲ることはできないのだ。〈本当に撃つべきもの〉は何であるのか?この問いに立脚することをわれわれは一時(いっとき)も忘れはしない。

「因果応報」という言葉がある。この通信でもことあるごとに述べているが(7月12日号参照)、かつて「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧事件で鹿砦社弾圧に手を貸した者がことごとく再起不能なまでに失脚したことをわれわれは知っている。それは決して“偶然”だろうか――われわれは「因果応報」という言葉を信じる。リンチの被害者がこの後遺症に苦しみ、加害者が表舞台で「反差別」や「人権」などを語る講演三昧などという世の中は不条理だ。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

今から16年前の2005年7月12日早朝、母親が新聞を持って血相を変え、私が目覚めようとしているところにやって来て、「あんたが逮捕されるみたいよ」と言い、眠気眼で朝日新聞朝刊の一面トップを見ると「出版社社長に逮捕状」の文字が躍っています。と、神戸地検特別刑事部の一群が、甲子園球場の近くに在る私の自宅を襲いました。家宅捜索が始まりました。

おそらく、メディアのカメラが林立し多くの記者らが取り囲んだ家宅捜索の異様な光景を見た人は驚いたことでしょう。自分の逮捕を新聞で知るという、笑うに笑えない経験をしましたが、これから悪夢の日々が続くことになります。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊

[右]勾留が長引き、無念の事務所撤去。相互支援の関係にあった西宮冷蔵の方々が引き受けてくれた。荷物は同社の倉庫に保管された。[左]「日々決戦」の額が床に……

松岡が192日間勾留された神戸拘置所

◆神戸地検と朝日新聞が仕組んだ茶番劇

元検事の話では「風を吹かせる」という言葉があるそうです。検察が特定のマスコミにリークし世間を驚かせ話題にするということのようです。

しかし、私たちの出版社のような地方小出版社に、一面トップを飾るほどの値打ちがあるのかと思うのですが、刑事告訴した者、検察権力、朝日新聞などに思惑があり、それが一致したということでしょう。刑事告訴した警察癒着企業(旧アルゼ、阪神球団)の強いプッシュがあったことが窺えます。

当時のアルゼの社長は警察キャリアでした。アルゼはパチンコ・パチスロメーカー大手のジャスダック上場企業、阪神球団も、あまり知られてはいませんが、兵庫県警の暴対幹部から下部警官まで多くの警察出身者の天下り企業でした。

逮捕後、192日間という予想以上の長期勾留で身体的、精神的にも参りました。逮捕されたのは7月、保釈されたのは翌年の1月20日でした。このかん、本社は閉鎖・撤退を余儀なくされましたが、ただ一人残った中川志大(現在取締役編集長)の踏ん張りで“徳俵”に足を残すことができました。

松岡逮捕直後、『噂の眞相』岡留安則編集長(故人)が吼えた! 『週刊朝日』2005年7月29日号

神戸拘置所が在る神戸市北区ひよどり台を解説する10月31日付け朝日の記事。偶然に勾留中に掲載

松岡は神戸拘置所で年を越し、保釈されたのは2006年1月20日だった

◆「人質司法」は今も変わらない

「人質司法」の弊害は当時から指摘されていましたが、16年経った今でも変わっていません。容疑を認めなければ釈放されることはありません。認めたら認めたで、釈放はされますが、裁判では不利になります。

私は公判ごとに3度保釈請求を行いましたが、ことごとく却下、一番ショックだったのは12月の公判後の保釈請求が却下になったことで、これで拘置所で越年し正月を迎えることが決定したからです。理由は「証拠隠滅の恐れ」です。

最近、カルロス・ゴーンの弁護人の高野隆弁護士の、その名もずばり、『人質司法』という本が出版されましたが、裁判所が「人権の砦」だというのであれば、こんな反人権的で人間を身体的、精神的に痛めつけ追い込む「人質司法」は改善すべきでしょう。

[右]一審神戸地裁は、懲役1年2月、執行猶予4年の有罪判決を下した(毎日新聞2006年7月4日夕刊)。[左]同じ裁判長は同じ週に明石・砂浜陥没事故で行政に無罪判決、高裁で差し戻され誤判が確定(朝日新聞7月8日朝刊)

7月4日松岡一審判決当日のテレビ画像。右は佐野裁判長の画像と“名言”

神戸地検と連携し大々的な”官製スクープ”を展開した朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者

◆神戸地検と連携し“官製スクープ”を展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は私との面談を拒否するな!

本件“官製スクープ”を神戸地検と連携し展開した大阪朝日社会部・平賀拓哉記者は、その後一時中国瀋陽支局長を務めた後(10周年の際、意見を聞こうと探し回ったところ中国に渡っていました)、大阪社会部司法担当キャップに就いています。

昨年、15周年ということで何度も面談を申し込んでも、逃げ回っています。私は当事者中の当事者ですよ、あの“官製スクープ”で会社も壊滅的打撃を蒙り、私自身も192日も勾留され有罪判決も受けました。

15年経ち私怨も遺恨もありません。ただ、“官製スクープ”の裏側を直接聞ければいいだけです。

日本を代表する大手メディアのジャーナリストなら、堂々と会い、私と対話せよ! 私の言っていることは間違っていますか?

日本で活動する外国人記者の関心も大きく、招かれて外国人記者クラブで会見

◆私たちを地獄に落とした者らの不幸と教訓

アルゼ(現ユニバーサル)創業者オーナー岡田和生、海外で逮捕を報じるロイター電子版2018年8月6日号

私たちを地獄に落とした者、旧アルゼの社長・阿南一成、同創業者オーナー岡田和生、神戸地検特別刑事部長・大坪弘道、同主任検事・宮本健志……「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄される所以ですが、その後、再起不能なまでのどん底に落ちています。

16年前、社会的地位も名声も、私などと比較するまでもありませんでした。

「因果応報」──人をハメたものは必ずハメられるということでしょうか。

保釈された後、刑事(懲役1年2月、執行猶予4年の有罪)、民事(600万円の賠償金)共に裁判闘争を闘いましたが、最終的に敗訴が確定しました。特に民事で、一審300万円の賠償金が控訴審で600万円に倍増したことはショックでした。刑事で有罪判決が出ていましたので、これを見て民事の控訴審判決を下したとしか思えません(刑事と民事は別というのはウソです)。

しかし、私たちは、それでも残ったライターさんや印刷所など取引先のご支援により、奇跡的ともいえる再起を勝ち取ることができました。ともかく一所懸命でした。

ちなみに、神戸地検は製本所(埼玉)や倉庫(埼玉)、取次会社、関西の大手書店などを訪れ事情聴取を行っています。ふだん「言論・出版の自由」を声高に叫ぶ取次会社には頑と拒否して欲しかったのですが、協力に応じ資料も提出しています。

一方、阿南、岡田、大坪、宮本らは、栄華に酔い、裏でよからぬことを企てていたのでしょう、不思議と次々とスキャンダルに見舞われ事件に巻き込まれ、地位も名声も失い再起不能な状態にまでになっています。お天道様はお見透しです。

阿南一成アルゼ社長(左)、社会的問題企業との不適切な関係で辞任(朝日新聞2006年1月19日朝刊)。この直後の1月20日、松岡が保釈された

岡田、ユニバーサルから追放。『週刊ポスト』2019年3月18日号

松岡に手錠を掛けた神戸地検・宮本健志主任検事、栄転先で不祥事、降格・戒告処分。徳島新聞2008年3月26日付け

神戸地検特別刑事部長として鹿砦社弾圧を指揮した大坪弘道検事の逮捕を報じる2010年10月2日付け朝日新聞

ところで、私たちはここ5年余り、「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」の被害者支援と真相究明に関わってきました。リンチ被害者M君が加害者らを訴えた訴訟はすべて終結しました。当社関係では来る7月27日に対李信恵訴訟控訴審判決を迎えます(もう1件係争中)。どれも満足のいく判決内容ではありませんし、被害者M君は満足のいく賠償金も得られず、大学院博士課程を修了しながらも希望に沿わない仕事で糊口をしのいでいます。他方加害者の一人、李信恵は法務局関係や行政などにも招かれ講演三昧―─なにかおかしくはないですか? M君がかわいそうです。

しかし、「鹿砦社事件」といわれる、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧で、あれだけペシャンコにされても、自分で言うのも僭越ですが、愚直に頑張ったことは確かです。愚直に頑張っていれば、必ず報われることを思い知りました。一方で事件を画策した者らは上述したとおりです。弾圧は苦しかったけれど、この事件で得た最大の教訓です。

つまり、今は李信恵らは、リンチ事件を大手マスコミの力を得て乗り切り、「反差別」運動の旗手のように栄華に酔っています。私にしろM君にしろ、悔しいですが、社会的地位も名声も李信恵には及びません。私が法務局関係や行政などに招かれ講演することなどありません。

しかし、鍍金はいつか必ず剥げます。あれだけ卑劣で凄惨なリンチに関わった者が、大手を振って、まことしやかに講演するなどということは、常識から言って考えられませんし、あってはならないことです。

今こそ鹿砦社の雑誌‼

先月までは「東京五輪中止」の文字を時々メディアでも見かけたが、いつの間にか問題がすり替えられて「観客を入れるか・入れないか」との不毛テーマに議論が集中しているように感じられる。社風も誌面も主張も異なるはずの、新聞各紙のなかで、明確な「五輪中止」を掲げ続けるものはない(機関紙や個人発行のミニコミを除いて)。

これぞまさに、私たちが懸念してきた「大本営発表」状態の再来と言わねばならない。新聞記者はなにを見ているのだ? なにを取材している? 目の前でデルタ株が猛烈な勢いで広がっているのではないか。空港検疫はほぼ機能せず、「五輪」を錦の御旗にすれば、ほとんど海外からのひとびとは入国してくることができる。

通常時であれば、入管体制は煩くないのが良い。しかし今は特別な時ではないのか。全国各地に常時は発着している国際線航空機の8割以上は運航取りやめになっていて、一般人は日本に居住する人も、海外から来る人も日本を発着点にした「海外旅行」などはできない。

海外旅行どころではなく、東京など大都市をはじめとする飲食店の多くは長期間休業を余儀なくされ、しかしいまだに補償金を手にすることができず休業から、廃業に追い込まれる非常に厳しい状態の真っただなかに置かれている。大手のホテルでも都市部での休館や廃業は出始めており、コロナが仮に終息したとしても、この傷から人々が癒えるのにはどのくらいの時間と、お金が必要なのか想像すらできない。

蒸し暑い梅雨の時期にあっても、マスクをして街を歩く姿は普通であるし、多くの大学ではいまだに半数以上の講義をオンラインによってのみ実施している。つまり、政府が宣言を出そうが出すまいが、市民の(とりわけ都市部に居住したり通勤通学する人々)生活はこの2年ほど常に「非常事態」なのである。入学試験に合格したのに、2年も大学に通えない学生の群れなど今まで私たちは目にしてことがあっただろうか。

新型コロナは次々と変異を繰り返してゆき、どうやら「90%以上有効」とされていたファイザー社のワクチンも変異株の前にはそれほどの効果を発揮できないことが露呈されてきた。世界一接種スピードが速かったイスラエルで、デルタ株が急増しだし、イスラエル政府は解除していた屋外でのマスク着用義務だけではなく、屋内でのマスク着用を再び国民に命令したことから、この事実は伺い知ることができる。

議論を原点に戻そう。感染症に対する基本的な防御措置は「人の流れを止める」ことだ。東京だけではなく、日本のあらゆる都市は今、海外の人々との交流を我慢しなければいけない。

私たちが身勝手にそのように言っているのではなく、政府や各都道府県も相当額の広告費を使い、「感染予防の徹底」を宣伝しているではないか。ならどうして「国策」としてそれに真反対のことを強行しようとするのだ。私たちはことあるごとに「東京五輪」を1945年の日本に例えてきた。7月に入り「観客を入れるか・入れないか」との本末転倒した議論には、心底あきれ返り、再度「東京五輪」は絶対に中止すべきだと、繰り返す。

1945年8月6日、午前8時15分、広島の空は晴れ上がっていた。その後の地獄図絵など誰も想像できないくらい。しかし私たちは「地獄図絵」が予見できるのだ。ならばどこまで行っても「東京五輪反対」を叫び続けるしかない。「観客を入れるか・入れないか」の議論は前提からして間違っている。

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

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しらじらと雨降る中の6・15 10年の負債かへしえぬまま (橋田淳「[創作]夕陽の部隊」より)

6月26日、旧知の長崎浩さんが来阪され「樺(かんば)美智子と私の60年代」の演題で講演をされるということで参加しました。主催は「山﨑博昭プロジェクト」。「山﨑博昭プロジェクト」というのは、1967年10月8日、佐藤訪ベト阻止闘争(第一次羽田闘争)で亡くなった京大生・山﨑博昭さんを偲び、没後50年に際し記録集編纂・出版、墓碑建立、各種イベント開催などを行う目的で、実兄の建夫さんを筆頭に、元東大全共闘代表で高校(大阪・大手前高校)の先輩にあたる山本義隆さん、高校の同級生で詩人の佐々木幹郎さんや作家・三田誠広さんらが発起人となって設立されたものです。私が16年前に「名誉毀損」容疑で逮捕された時に主任弁護人を務めてくれた中道武美弁護士も大手前高校の後輩ということで当初から賛同人に名を連ねておられます。

これまで分厚い記録集『かつて10・8羽田闘争があった』(全2巻)を出版、亡くなった現場の近くのお寺に墓碑を建立したり、山本義隆さんらを中心としてベトナムを訪問し親睦を深めたりしています。

本年、6月12日東京、同26日大阪で長崎浩さんの講演会を開催し激闘の時代・1960年代から70年代はじめにかけての学生運動や反戦運動、反安保闘争の歴史的意義、その過程で権力の弾圧で斃れた犠牲者を弔うと共にこの意味を探究しようということです。東京、大阪、どちらも100人近い参加者でした。私にとってはいまだに直立不動的存在の山本義隆さんも、わざわざ東京からみえられていました。

長崎浩さん(山﨑プロジェクトのサイトより。これは6・12講演会のもの)

◆60年安保闘争と第一次ブントとは? そして樺美智子さんの死

長く読み継がれてきた樺美智子遺稿集『人しれず微笑(ほほえ)まん』

長崎さんは、60年安保闘争ではリーダー格として闘い、その後東大闘争、70年安保闘争に至る歴史の証人として名著『叛乱論』はじめ多くの著書を上梓されています。1960年6月15日、国会前で機動隊に虐殺された樺美智子さんを「引率」(本人談)して共に闘っています。長崎さんはデモ指揮だったとのことです。冒頭に挙げた一句にある「6・15」とは1960年6月15日のことです。6・15は反日共系の全学連主流派に領導された闘争ですので、日本共産党の歴史には記載されていません。実際に当時の全学連主流派は、「全世界を獲得するために」とのスローガンを叫び日本共産党から脱党し結成したブント(共産主義者同盟)、日本共産党が憎しみを込めて言う、いわゆる「トロツキスト」で、「唯一の前衛党」を実戦的に乗り越えましたから、「唯一の前衛党」を自認する日本共産党としては、この歴史的闘いは認めることができないということでしょうか。

しかも、樺さんの葬儀は多くの団体で実行委員会を作り「国民葬」としてなされたということで、今では考えられません。

私たちが学生の頃は、この6・15から、沖縄戦の6・23を「6月闘争」として集会・デモをやったものです。日本共産党は6・23には記念集会・デモをやっても6・15はその歴史にはありませんから、なにかをやるということはしません。

6・15樺さんにしろ10・8山﨑さんにしろ、後続の私たちの世代にとっては、高貴な存在でした。「樺さん、山﨑さんの死を乗り越えて闘おう!」ということです。樺さんの遺稿集『人しれず微笑(ほほえ)まん』は読み継がれ、私たちにとっては必読書の一つでした。

その後、新左翼運動は、対権力闘争で少なからずの死者を出しましたが、遺憾ながら樺、山﨑さんの二人ほど長く高らかに語り伝えられる人はいません(こういうことで山﨑プロジェクトに続き69年安保決戦で機動隊に虐殺された糟谷孝幸さんの当時の仲間によって「糟谷孝幸プロジェクト」が作られ「山﨑プロジェクト」の協力と連携により記念出版がなされました)。私は、山﨑、糟谷両プロジェクトに、身がすくむ想いでささやかながら協力させていただきました。当然です。

樺さんの死亡と権力の暴虐を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(全4ページのうち3ページを掲載)

同上

◆出版を本格的に始める際に、長崎浩さんの本を最初に出した!

やはり「山﨑プロジェクト」の発起人で、このかんは反原発雑誌『NO NUKES voice』でたびたびお世話になっている水戸喜世子さん(夫の水戸巌さんと共に救援連絡センターの創設に奔走されその初代事務局長)もお越しになっていてご挨拶すると「長崎さんをご存知だったんですか」と言われましたが、実は、長崎さんとの関係は古く、私が10年近い会社勤めを辞め出版を生業とする1984年、最初に出した書籍が『革命の問いとマルクス主義』で、その後対談集『70年代を過(よ)ぎる』(88年)を出しました(別掲案内参照)。東京の集会で、司会をされた佐々木幹郎さんとの対談も収録されており、このことに触れられたということでした。もう30数年も経ってしまったのか、と感慨深いものがあります。

前述したように、6・15樺さんにしろ10・8山﨑さんにしろ、後続の私たちの世代にとっては、忘れてはならない記念日であり人物でしたが、「トロツキスト」にことごとく敵対する「唯一の前衛党」を自認する日本共産党には存在しません。

私が出版を生業として始めた頃には、「第一次ブントに返れ!」との想いと、これを下敷きにみずからが関わった運動を検証・総括せんとの目的から、この60年安保闘争と第一次ブントについて性根を入れて研鑽、小冊誌『季節』にて連続して掲載したり、書籍も『敗北における勝利──樺美智子の死から唐牛健太郎の死へ』(85年)、『未完の意志──[資料]六〇年安保闘争と第一次ブント』(同)を上梓しました。あまり評価されませんでしたが、今、あらためて紐解くと、「なかなかいい本じゃないか」と心の中で自画自賛しています。

俗に「新左翼」と言いますが、この起点は、60年安保闘争の前夜、「唯一の前衛党」を自認する日本共産党のスターリン主義を否定し訣別、その内部から「共産主義者同盟(通称ブント)」の結成にあり、60年安保闘争は、僭越な言い方ですが、新左翼の急進主義の最初の派手なお披露目舞台だったといえるでしょう。

他方、主にトロツキーの生き様とこの理論をもって出発した太田竜、黒田寛一らの「日本トロツキスト連盟」、これが解体した後に結成された「革命的共産主義者同盟」(革共同)などがありますが少数派だったようです。その後、革共同から「第四インター」(四トロ)が独立、勢力を増やしていきます。日本共産党からは構造改革派などが除名、脱党し、その左派(「フロント」「プロ学同」)、また社会党から「社青同解放派」(「反帝学評」「革労協」)が出、それらは新左翼に合流していきます。10・8闘争を担った、いわゆる「三派全学連」の「三派」とは、「日本トロツキスト連盟」から出た革共同中核派、日本共産党から出たブント、社会党から出た社青同解放派ということで、10・8闘争は、違う三つの源流を持つ「三派」の勢力の共同闘争でした。構造改革左派(フロント、プロ学同)や四トロなども合流し、新左翼は、この周囲に膨大なノンセクト層も巻き込み60年代後半から70年代初頭にかけてのベトナム反戦運動、安保─沖縄闘争、大学闘争、三里塚闘争をラジカルに闘うことになります。

また、理論的にも水準は高く、長崎さんはじめ、姫岡玲治(ペンネーム)こと青木昌彦さん(故人。京都大学名誉教授)はノーベル経済学賞の候補になったり、哲学者の廣松渉さん(故人。東京大学教授)はマルクス研究、特に『ドイツ・イデオロギー』研究で世界的に評価されています。特に廣松さんには、私のような浅学の徒に対しても気安くお付き合いいただきましたが、廣松さんは左翼活動で福岡の伝習館高校を退学になり、大検で高卒の資格を取得し東大に入学、その後も学生運動に没頭し東大教授にまでなったという異色の経歴で、私たちなどとは別格の頭脳を持たれています。

長崎さんの『70年代を過ぎる』ほかの案内

◆「遅れてきた青年」だった私にも、振り返って語るべき時が来た!

私は、この時代の同伴者・大江健三郎の小説のタイトルを借りれば「遅れてきた青年」として1970年大学入学で、60年、70年の〈二つの安保闘争〉を追体験し、60年安保から10年ほどの間に、10・8はじめ発生した多くの歴史的な出来事を見てきました。そうして変革や革命を希求し、全力で闘い、しかし敗北、絶望感を味わいました。とはいえ、この〈二つの安保闘争〉をメルクマールとする時代は、この国の転換点だったと思います。

あれから半世紀余り──尊敬する先輩方も続々鬼籍に入られています(ちなみに先に名を出した廣松さんは、世界的に認められるような学問的業績を挙げていますが、なんと60歳で若くして亡くなられていることを、あらためて知りました)。私も、先輩らに比して、若い若いと思っていましたが、そうでもなくなり、当時を振り返ってもいい歳になりました。

こういうことを自分なりに悟り、みずからの非才を顧みず数年前から1年に1冊ですが、当時を振り返り語る本を出しています。『遙かなる一九七〇年代‐京都』(2017年)。『思い出そう!一九六八年を!!』(18年)、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』(19年)、『一九七〇年 端境期の時代』(20年)で、今年も11月に続編『絶望と地獄の季節71~72年』(仮)を出す予定です。長崎さんも寄稿予定です。

「懐古趣味」だとか言われれば、それでも構いませんが、私(たち)も先がそう長くはありませんから、生来鈍愚、たとえ拙くてもみずからの言葉で書き綴り、自力で編纂していきたいと考えています。

冒頭に挙げた「橋田淳」さんは大学の先輩(全学闘争委員会を形成する文学部共闘会議)で、今は児童文学作家をされていますが、この「夕陽の部隊」は、彼にとっては特異な作品(短編小説)です。しかし私に言わせれば、彼の作品群の中で5本の指に入る秀作です。

「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だと言ったんだ、だってそうだろう、革命を戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」(「夕陽の部隊」より)

つまるところ、60年安保闘争から60年代、70年代の闘いの高揚と挫折を経て現在に至る〈生きた総括〉とは、そういうことだろうと思われます。

*「[創作]夕陽の部隊」は『季節』6号初出、その後『敗北における勝利』『遙かなる一九七〇年代‐京都』に再録されています。

68年~70年の総括シリーズの案内

《7月のことば》Never Give Up! あきらめないこと つづけること ときどき やすむこと(鹿砦社カレンダー2021より/龍一郎・揮毫)

龍一郎にしては珍しく英字ですが、意味は言わずもがなです。

今、コロナ禍で多くの方々が呻吟しておられます。

これまでの人生を振り返る歳になりましたが、私(たち)も決して平坦な道を歩んできたのではありません。むしろ苦しかったことのほうが多かったのではないでしょうか。

しかし、生来鈍感な性格もあってか、諦めることを知らないこともよかったのかもしれません。たしかに長い人生、一時的に「もうアカン!」と思ったことは何度もありましたが、「明日は明日の風が吹く」ってなもので、シンドさを翌日に引きずらないように努めました。

コロナ禍、まだまだ油断がなりません。なんとしても生き延びましょう! 人生、諦めたら終わりだ! と、自分に言い聞かせながら──。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』8月号

6月19日付け「デジタル鹿砦社通信」に横山茂彦氏の【《書評》月刊『紙の爆弾』7月号〈後編〉「【検証】『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか」(第九回)での鹿砦社編集部への批判に答える 】が掲載されました。

 

〈タブーなき言論〉月刊『紙の爆弾』7月号

鹿砦社ならびに「デジタル鹿砦社通信」、また月刊『紙の爆弾』は〈タブーなき言論〉を目指し、意見の相違があろうとも様々な立場を尊重する姿勢を保つべく、努力しております。横山氏の記事は「鹿砦社編集部の筆者への批判に答える」と表題が示されている通り、現在部落解放同盟と鹿砦社の間で、交わされている表現についての問題について横山氏の意見表明です。

その原稿の元になっている記事は『紙の爆弾』7月号に掲載された、鹿砦社編集部の文章です。関心のある方はぜひ『紙の爆弾』7月号の《「士農工商」は「職階性」か「身分制度」か 再考》をご一読ください。そこでは、私たちの基本的な疑問を、素直に問いかけ、この問題をどのように考えればよいのか?を解放同盟や読者にも問いかけています。黒薮哲哉氏のご指摘もその中で引用させていただいております。

権力者ではない、また社会的に力を持たない誰かを傷つける内容でない限り、また差別を助長する表現ではない限り、広く意見表明を行っていただく場所として存在したい。「デジタル鹿砦社通信」は〈自由な言論の場〉でありたいと考えますし、それはこれまでも実践してきました。意見表明にも「過ち」はあり得ますので、事実関係の誤認や、間違った理解があれば、私たち自身がこれまでも訂正を行ってきました。

私たちがここ5年余り関わって来ている「カウンター大学院生リンチ事件」についても「私たちの言っていることに誤りがあれば指摘してほしい」と公言しています(が、言論での反論らしい反論はありません)。

そして、敢えて付言いたしますが、6月19日掲載の横山氏の意見は、私たちと同じではありません。しかし、活発な議論喚起のためと、〈自由な言論〉確保のために横山氏に訂正や修正を押し付けたりはしません。当然です。

以上、短いですが、言論と個々の意見表明について、私たちの基本的な考えを、表明いたします。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

私たち『NO NUKES voice』編集委員会は、以下の理由で「東京五輪」を絶対に中止すべきだと考えます。

〈1〉そもそも「東京五輪」は「福島第一原発事故」隠蔽のために企図された悪辣な権力犯罪であること

東京五輪招致が決定したのは、2013年9月3日、アルゼンチンのブエノスアイレスへ安倍晋三首相(当時)が直接出向き「福島の放射能は完全にコントロールされており、健康被害は過去、現在、未来において生じません」との100%虚偽な招致演説を行ったが故でした。有名な「under control」発言です。安倍の演説には「五輪を招致して福島第一原発事故被害を隠蔽しよう」との意図が、明確に見てとれます。

ですから私たちは毎号のように反原発雑誌『NO NUKES voice』誌上で「東京五輪」を徹底して糾弾してきました。「東京五輪」開催に加担することは、福島第一原発事故の被害者・被災者の皆さんと対峙することである、と私たちは考えます。

この問題には「中道」や「妥協」などはあり得ません。大手メディアは福島をはじめ、東北の「復興」と同時に「東京五輪」が、あたかも被災者・被害者を救済するかのような印象操作に熱心ですが、そのような効果はまったくありません。精神論で「聖火リレーに感動した」という個人史を各地方紙は掲載することに熱心ですが、であれば「東京五輪」の陰に隠され、健康被害・生活被害を受けた皆さんの声をどう考えるのでしょうか。

東京電力は実質国営化されながら、福島第一原発の廃炉作業に、今後いったいどのくらいの年月・お金が必要なのか、精緻な計算は誰もできません。日本国家1年の予算を何十倍も超える、膨大なお金と労働力が必要なことだけは明白です。では、そのことをしっかりと伝えてくれる、メディアがあるでしょうか? はなはだ疑問です。

全国紙(朝日・毎日・読売・日経・産経)はいずれも「東京五輪」のスポンサーですし、地方紙に記事を配信する共同通信も「オフィシャル通信社」です。新聞社と資本系列を同じくするテレビ局からは、新聞同様本当に必要な情報は流れません。この閉塞状況により私たちは、原発事故について充分には知りえない、不可思議な世の中に置かれていることを認識する必要があるのではないでしょうか。「東京五輪は福島第一原発事故隠蔽のためのイベント」だと私たちは断言します。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013年9月8日)


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANN 2013年9月8日)

〈2〉欺瞞イベントはコロナ禍でも強行されるのか?

「東京五輪は福島第一原発事故隠蔽のためのイベント」──これだけで、開催に到底賛成できない理由としては充分ですが、そこに「コロナ禍」が加わりました。おそらくはほとんどだれも予想できなかった世界的なパンデミックです。

コロナ感染爆発からまだ2年も経過していませんが、一応「ワクチン」は製薬会社各社が開発したとされています(しかし、通常の薬品であれば課される「動物実験」や「治験」は省略されています)。ワクチンの有効性についての報道に日々接しますが、ではワクチンを接種したら「どのくらいの期間ワクチンが有効か」についての科学的知見はまだありません。ワクチンの効果が半年なのか、1年なのか? 変異株に効果はあるのか? 副反応による健康被害は?

私たちはすべて未知の領域の中で暮らさねばならず、ワクチン接種直後に命を落とされた方のケースも知っています。

そして、五輪を強行すれば大会関係者や選手など海外からの来日者は4万人とも5万人とも(実態はもっと多いでしょう)言われていますが、日本政府は空港での検疫を的確には行っていません。

菅首相が英国のG7に出かけて帰国したら、どうしてすぐに公務に復帰できるのですか? ウイルスは権力者にも容赦ないことを、英国のジョンソン首相や、米国のトランプ前大統領の罹患は証明しているではないですか。この検疫体制の下で万を超える関係者が来日すれば、混乱が発生するのは間違いありません。

そして20日に「緊急事態宣言」が終了した地域では既に第5波の傾向が見られますが、「東京五輪」を強行開催すれば、第5波に海外からの五輪関係者の治療も加わることになるでしょう。


◎[参考動画]森会長 五輪に決意「どういう形でもやる」(FNN 2021年2月3日)

〈3〉理性のかけらもない言説や行動には明確な「NO」を!

政府、都道府県はコロナ対策に全力を挙げていなければいけないはずなのに、その片方で「東京五輪」強行を着々と進めています。その姿には「理性」も「科学」も「人間性」もありません。こういった欺瞞的な態度によって日本中の「原発」が建てられ、ついには史上最悪事故に突入したのが、わずか10年前であることを私たちは切実に思い出すべきです。原発事故は「人災」であったし「東京五輪」強行は集団自決にも近い暴挙です。

元々この五輪招致は、嘘と大金と欺瞞に満ちてなされたものです。1964年の五輪とは意味が違います。1964年五輪は、戦後復興の証として一定の意義があったことは否定しませんが、今回の五輪のどこに歴史的な意味の欠片があるというのでしょうか? ましてや、福島の人たちの苦しみと呻吟、そしてコロナ禍の真っ最中の現在を見れば、まともな人間であれば、優先順位はおのずとわかろうというものです。

唯一の反(脱)原発雑誌『NO NUKES voice』を編纂する私たちは、地道に「反原発・脱原発」を闘う皆さんと連帯してきました。その延長線上にどうしても「東京五輪」強行を許すことはできません。あらゆる理性が失せたとき、人類は予想より早い終末を迎えるでしょう。その警鐘が鳴り響いているにもかかわらず──。

呪われた東京五輪を直ちに中止せよ! その資金を福島復興とコロナ退治に回せ!

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

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先日、ミャンマー・サッカー選手が日本での試合を終え帰国の途につこうという直前で、これを拒否し日本政府に保護を求めるという事件が報道されました(画像1参照)。そして難民認定を求め申請しました(22日)。

[画像1]朝日新聞2021年6月17日夕刊

[画像2]共闘していた頃。1971年4・28沖縄闘争(戦旗257号 1971年5月15日号)

ここで中心的に動いたのが空野佳弘弁護士ということが新聞報道で名が出ていて、これを発見し驚きましたが、空野弁護士は、実は「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)被害者M君の父親と同期で同じグループ「京大C戦線」で1970年代初頭の学生運動に関わっていました。71年から72年前半には、「全京都学生連合会」(京学連)を結成し、私たち同志社大学全学闘と共闘していました(画像2)。

京大C戦線は、私たちと別れた後、ある中国派の党派と共に「マルクス主義青年同盟」(マル青同)を結成、全国党派を目指しますが、しばらくして破綻、空野弁護士は、ご自身から伺った話では、それまでに全く単位を取っておらずゼロから勉強し直し、遅くして司法試験に合格し弁護士になったそうです。弁護士登録が1985年ということですから、学生現役時代に合格した者に比べれば10年遅れています。さすがに“腐っても京大”です。同志社ではこうはいきませんが、元々頭の出来が違います(苦笑)。

この「京大C戦線」の指導者は、吉國恒雄さん(故人。ジンバブエ研究の第一人者。生前は専修大学教授)で、マル青同解体後アメリカ西海岸に逃れ研究生活に入ります。ほぼ同時期に活動した矢谷暢一郎さんと同様です(矢谷さんは東海岸)。

そうして68年6・28 ASPAC御堂筋突破闘争で、吉國さんも矢谷さんも逮捕・起訴されます。この闘争、同志社だけで約800名の部隊だったというから凄いです。その後私たちの頃になると、多い時でこの半分ぐらいでしたから。

そうして、71年10月8日、判決を迎えます。これを報じる新聞記事(画像3)には「寛刑」との文字が躍っていますが、軽かったのは判決だけでなく、検察の求刑も、その後、70年代後半以降に比べると、ずいぶん軽いイメージです。

[画像3]1968年ASPAC闘争の判決を報じる読売新聞1971年10月8日夕刊

71年、この年、裁判官に任官されたばかりの森野俊彦先生は、ASPAC闘争の裁判を担当し判決文を起案されたということです。この判決の記事を、当時学友会ボックスでみなで回覧し、あれこれ歓談したことを覚えています。

71年は、いわゆる「青法協」(青年法律家協会)問題が起き、同期の7名が任官されませんでした。この期(23期)には、私たち一般にも知られる方として、宇都宮健児、澤藤統一郎、梓澤和幸といった弁護士がおられます。森野先生も同期の仲間と共に7名の任官を求め闘いますが、森野先生は唯一裁判所の内部から変革を求めて「日本裁判官ネットワーク」を結成されたり定年まで闘い続けられます(画像4参照)。

定年後は、弁護士として活躍されていますが、ひょんなことから出会い私たち鹿砦社の代理人も務めていただいています。森野先生ら23期の方々が最近『司法はこれでいいのか』(現代書館刊)を上梓されましたので、詳しくはこの本をご覧ください。

[画像4]『週刊金曜日』(2021年5月21日号)の森野俊彦弁護士紹介記事

そうして、対李信恵訴訟控訴審、矢谷暢一郎さん(4月20日付けでニューヨーク州立大学名誉教授を拝命。画像5)が心理学者の立場から「意見書」を書いていただき裁判所(大阪高裁)に提出しました。

一方、森野先生には「控訴理由書」、同補充書などの書面作成にご尽力いただきました。大阪高裁の裁判官をも務められたこともあり、(元)裁判官の目から本件リンチ事件の本質を捉え、非常に有益でした。

ちょうど50年前の1971年に、裁く側と裁かれる側に在った、矢谷さんと森野先生が、50年の年月を超えて今、鹿砦社のために一肌抜いていただいたのです。さらには、「京大C戦線」で活動していた方々には、16年前の「名誉毀損」逮捕事件でも奔走いただき、今回の対李信恵訴訟控訴審でも「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」にも重村達郎弁護士と赤川祥夫牧師に提出いただきました。

矢谷さんは、かつて学生運動に関わっていたという理由で1986年、ロンドンの学会から戻りニューヨーク・ケネディ空港に降り立ったとたんに突然逮捕され44日間勾留されますが、同僚教官やオノ・ヨーコさんらが奔走し無罪放免されます。そうして全米を動かした「ブラック・リスト抹消訴訟」、いわゆる「YATANI CASE」といわれ国際的にも司法、法曹関係では有名な事件です。この件は、古い本ですが『アメリカを訴えた日本人』(毎日新聞社刊)を(古書市場で求められるか図書館で借りるかして)お読みください。

[画像5]矢谷さんの講演会の後で加藤登紀子さんが労ってくれました。矢谷さん(左)、加藤さん(中央)、松岡(右)

この50年、矢谷さんは判決前後に大病を患い、これが治り夫婦で再起を期して渡米され、同志社は中退でしたので学士を修めるところからやり直し(この点は先の空野弁護士と同じです)、修士、博士号を取得、ニューヨーク州立大学講師の職も得、ようやく先が見えてきたところで突然逮捕されるなど苦難の人生だったことが窺われます。

一方、森野先生も、若い頃の青法協活動、その後「日本裁判官ネットワーク」の活動など、いわば“危険分子”と見なされていたようで、地方や家裁回りが多かったとのことです。

蛇足ながら私も、お二人に比べれば小さいですが、大波小波、いろいろありました。今では笑って話せますが、一時はもう再起不能と思い絶望の渕にありました。奇跡的と言っていいと思いますが、皆様方のご支援により再起することができました。

今からちょうど50年前の1971年、お二人が法廷で対峙していた年、私たちは、本土「復帰」直前の沖縄返還協定調印→批准阻止闘争、三里塚闘争、そして学費値上げ阻止闘争に走り回っていました。

目をつぶれば走馬灯のように50年前のいろいろな出来事が甦ってきます。もう過去を振り返ってもいい歳になりましたが、当時の初心を想起し、いつまでも社会的不正には怒りを込めて振り返ることを忘れないでいきたいと、あらためて思った次第です。

*鹿砦社からも矢谷さんの著書を出版しています。2014年秋の同志社大学学友会倶楽部主催講演会に間に合わせるために急遽製作しました。『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学——アメリカを訴えた日本人2』です。ぜひご購読お願いいたします。

矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学——アメリカを訴えた日本人2』

矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学——アメリカを訴えた日本人2』https://www.amazon.co.jp/dp/4846310299/

 

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

前回に引き続き、今回は主に「ヘイトスピーチ」を理論付けした師岡康子弁護士について思う所を申し述べてみたいと思います。

◆正体不詳の師岡康子という人物──いわゆる「師岡メール」に表われた冷酷な人間性

師岡康子弁護士は「カウンター」活動に理論的根拠を与えた人物で、それは前回(上)の冒頭に挙げたように『ヘイト・スピーチとは何か』として結実しています。ところが、不思議なことに師岡弁護士は自己の正体を秘することに努めているようで、生年や出身大学などもみずから明らかにすることはせず(著書にも不記載)、その他、経歴、プライベートなど不詳です。

わずかに父親が共同通信の幹部であったこと、京都大学卒業ぐらいが判明しているほどですが、これまで、あまり私的なことを詮索したり詳しい調査をしていない私たちにはそれ以上の経歴などは不明です。私見ながら、公人、あるいは準公人の人となりや考え方、全体像などを理解するには、プライベートや経歴、失敗の経験を含めて情報を吟味することが必要だと思っています。人生誰しも「常に正しい」わけではありませんから。

師岡康子弁護士

師岡弁護士が学生時代(京都大学)を語った文章や発信を見たことはありません。あまり評判のよくない政治グループ、△△研で活動していたという噂が伝わってきましたが、真偽不明です。ですからこの件も含め諸々質問を直接ぶつけようと、特別取材班が電話取材を試みましたが取材にも応じていただだけませんでした。諸々の疑問への真偽は想像するしかありません。師岡弁護士には質問したいことが山積しています。いつかリンチ直後のM君の壮絶な写真を持って講演会や記者会見に伺おうか、とさえ思ったものです(本気です)。

弁護士として「ヘイトスピーチ解消法」の立法化にも尽力した師岡弁護士はマスコミにも頻繁に登場する「公人」(あるいは「準公人」)です。私たちは誰かさんたちとは違い、暴力をちらつかせ脅迫的な質問などはしません。今からでも取材に応じていただくのが社会的責任というものでしょう。

師岡弁護士に対する私の印象が最も強いのは、いわゆる「師岡メール」と揶揄される、彼女がリンチ被害者M君と共通の知人・金展克氏に送ったメールです。常識では考えられない暴論、暴行事件被害者への人権的配慮はまったくなく、恣意的な法解釈、非人間性が余すところなく露呈したメールです。呆れるほどの暴論を展開し、M君リンチ事件が表面化することを潰そうとの意思を剥き出しにした醜文です。

師岡は、師走の寒さ厳しき大阪・北新地で、深夜1時間にもわたる凄絶なリンチを受けた大学院生(当時)M君の被害を一顧だにせず、刑事告訴を止めさせようと必死に努めました。M君が刑事告訴すれば、M君は、

「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶしたという重い十字架を背負いつづけることになります。そのような重い十字架を背負うことは、人生を狂わせることになるのではないでしょうか」

とまで言い切っています。

師岡の反人権的人間性を表わした、いわゆる「師岡メール」

 

「ヘイトスピーチ解消法」の性格を象徴する有田芳生と西田昌司の握手

頭の中が倒錯しています。この言葉は直接M君に伝えられたものではないにせよ、周辺人物への明かな恫喝ともいえるでしょう。ここにはリンチ被害者M君への人間的な配慮など微塵もありません。師岡の冷酷な性格が表われています。師岡は「人権派」ではなかったのか!? 少なくともそう装っていましたが、メッキは時として剥げるものです。

「重い十字架を背負いつづける」のはリンチの加害者であるべきであり、被害者が「反レイシズム運動の破壊者」として「重い十字架を背負いつづける」という理論はどうのようにすれば成立するのか。どうして被害者が「重い十字架を背負う」必要があるのか。生起した事実へのあまりにも非道で倒錯した(悪意に満ちた)本音の吐露には吐き気がするほどです。「重い十字架を背負いつづける」べきは李信恵ら加害者5人とその隠蔽に加担した人々のはずです。

有田芳生参議院議員と連携し、ともかく「ヘイトスピーチ解消法」を成立させたかったのでしょう。有田は「ヘイトスピーチ解消法」立法化の最終局面で、自民党の中でもとりわけ悪質な差別主義者である極右政治家・西田昌司参議院議員と不可思議な握手をしました。あの「握手」が意味したことは何だったのでしょうか? 水面下で何があったのでしょうか? 5年前のちょうど今頃6月のことです。

しかし、師岡は、その「ヘイトスピーチ解消法」だけでは不満なようで、更なる罰則強化、もしくは新法を企て、さらには関連の省庁の新設までも構想していることが報じられています。今後の師岡の動きが注目されます。

さらなる罰則強化、あるいは新法制定をアジる師岡康子弁護士

◆呪われた「ヘイトスピーチ解消法」──人ひとりを犠牲にして成立した法律が人を幸せにするはずがない!

リンチ事件の存在は1年以上も隠蔽され、「ヘイトスピーチ解消法」は成立しました。深夜、「日本酒に換算して1升近く飲んだ」(李信恵のツイート)李信恵ら加害者が、5人で1人の若者に凄絶な暴力を加えたリンチ事件を隠蔽することによって「ヘイトスピーチ解消法」は成立しました──あまりに呪われた法律と言わざるを得ません。
 
M君リンチ事件と、これに関係した加害者たち、「ヘイトスピーチ解消法」を制定するために隠蔽活動に狂奔した者たち、リンチ事件を知りながら、「見ざる、言わざる、聞かざる」に終始し、わが取材班の取材から逃げ回った者たち……M君リンチ事件は、人の生き方、人間としてのありようを問うものでした。ふだん立派なことを言っていても、現実にこうした事件に直面した時にどう振る舞うかで、その人の人間性なり人となりが明らかになるものです。特に「知識人」といわれる人たちにとって、みずからの学識と、“今そこに在る現実”への対応の乖離を、どう理解すべきでしょうか? 

リンチ事件が起き1年余り経ってから、このことを知った私は仰天し、「現在のような成熟した民主社会にあって、いまだにこうした野蛮なリンチ事件が起きたのか」とショックを受けました。かつて私は学生運動に関わり、そこで起きた、いわゆる「内ゲバ」にもたびたび遭遇しました。私が大学に入学する前年に先輩活動家が死亡していますし、入学した年には有田芳生参議院議員が所属した政党のゲバルト部隊(「ゲバ民」と呼ばれました)によってノーベル賞受賞者の甥っ子の先輩活動家が一時は生死を彷徨うほどの重傷を負った事件があり衝撃を受けました(ちなみに、大学は異なりますが、有田と私は同期で同時期に京都で活動していました)。

さらには翌年、最近映画でも採り上げられましたが、真面目な同大の年長活動家が他大学のキャンパスで殺されるという事件もありました。私自身も、有田議員が所属した政党のゲバ民に襲撃され病院送りにされていますし、また現在某政党の幹事長が創設した政治グループにも襲撃され後頭部を鉄パイプで殴られ重傷を負いました(数年間、時に偏頭痛に悩まされました)。

私はノンセクトで大学時代に活動したぐらいでしたが、卒業後、内ゲバは激化し多くの学生活動家や青年が亡くなると共に、あれだけ盛り上がった学生運動、反戦運動も衰退化していきました。もちろん他にも原因はあるのでしょうが、内ゲバが最大の要因になっていることは言うまでもありません(このことは、『暴力・暴言型社会運動の終焉』の中で山口正紀さんがガンで療養中に必死に書かれた「〈M君の顔〉から目を逸らした裁判官たち」、「デジタル鹿砦社通信」2019年10月28日付け田所敏夫執筆「松岡はなぜ『内ゲバ』を無視できないのか」を参照してください)。

「内ゲバ」問題もそうですが、外形的な「ヘイトスピーチ」を批判するだけではどうにもなりません。「ヘイトスピーチ解消法」成立に至る過程の裏で起きた凄惨なリンチ事件──この根源的な問題を探究することなくしては、同種・同類の事件は再発するでしょう。このことをリンチの被害者M君や私たちは事あるごとに訴えてきました。実際に、M君リンチに連座した者(伊藤大介)が再び暴行傷害事件を起したことは、この「通信」や『暴力・暴言型社会運動の終焉』などで、すでに明らかにした通りです。

そして、「ヘイトスピーチ解消法」の成立は、果たして、本質的な「差別解消」に寄与したのか──私たちの関心の中心はそこにあります。表現規制を設けても、内面は変えられません。犯罪抑止の法律を厳罰化すれば、より陰湿な犯罪が法律外で多発する現象はよく知られています。表現の規制が本質的な「差別解消」にこの5年間どのように作用してきたのでしょうか。定量的な測定が可能な問題ではありませんが、人々の心の中に宿る「差別の総量」は、減少したのでしょうか? そして司法も行政も、法律や条例を設ければ事足れりという「形式主義」(ことなかれ主義)に傾いてはいないでしょうか?

例えば、「教育改革」「大学改革」「政治改革」「司法改革」……この半世紀、「改革」という言葉が喧伝され法律や条例が設けられたり、あれこれ“制度いじり”がなされましたが、ことごとく失敗しています。「仏作って魂入れず」、古人はよく言ったものです。

さらに加えれば、このリンチ事件の被害者M君救済/支援と真相究明の活動を通して、取材班キャップの田所敏夫が広島被爆二世であることで似非反差別主義者を許さないという強い意志を私たちも共有し、取材班内外に於ける在日コリアンの方々らとの交友を通して「原則的に差別に反対する」姿勢であることを、ことあるたびに明らかにしてきました。

同時に私たちは「あらゆる言論規制にも反対」の立場です。しかし「差別を禁止する法律を作ろう」(さらに師岡は省庁まで作ろうと主張しています)などとの発想は、間違っても浮かびません。人間の内面は法律によって規制されるべきものではなく、また法律は人間の内面まで入り込むことも不可能だと考えるからです。こうした意味で、師岡弁護士の『ヘイト・スピーチとは何か』に述べられた思想には到底納得するわけにはいきません。

リンチ事件から6年半──今に至るもM君はリンチのPTSDに悩まされています。就職、研究などもうまくいかず「人生を狂わせ」(師岡メール)られてしまいました。一方、リンチの中心にいた李信恵は、何もなかったかのように、あたかも「反差別」運動を代表する人物として大阪弁護士会、行政、法務局などあちこちに講演行脚して、まことしやかなことを話しています。講演するなら、この冒頭にリンチについて述べてみよ! 

世の中、なにか変だと思いませんか? (了。本文中一部を除き敬称略)

◎あらためて「ヘイトスピーチとは何か?」について考える
(上)(2021年6月12日)http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39239
(下)(2021年6月14日)http://www.rokusaisha.com/wp/?p=39295

*『暴力・暴言型社会運動の終焉』内に「危険なイデオローグ・師岡康子弁護士」とのタイトルで一項設けていますので、こちらもぜひご一読ください。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

『ヘイト・スピーチとは何か』は、極右/ネトウヨのヘイトスピーチに対する「カウンター」や「しばき隊」の理論的根拠となっているとされる本です(詳しくは『暴力・暴言型社会運動の終焉』7項「危険なイデオローグ・師岡康子弁護士」参照)。「ヘイトスピーチ解消法」が制定されて5年になりますが、師岡弁護士とは異なった見地から、あらためて「ヘイトスピーチとは何か?」について考えてみようと思います。

◆元SEALDsの女性活動家の勝訴判決に思う

6月1日、元SEALDsの女性活動家2人が、極右/ネトウヨと思しき人物からSNSで受けた夥しい暴言による精神的傷、名誉毀損に対して民事訴訟を起こし100万円の賠償金を勝ち取り勝訴しました(東京地裁)。判決後記者会見も行っています。また、かの神原元弁護士も代理人に名を連ねているということです。

確かに極右/ネトウヨによるSNSを使った暴言は酷いので、この判決は妥当でしょう。しかし、忘れてならないのは、当時のSEALDsメンバーあるいは周辺の者による、SEALDs批判者に対する彼ら・彼女らが行った同種・同類の暴言についてです。これは問題にならないのでしょうか? 上記の元SEALDsの女性のケースだけを問題にし、SEALD以外の他のケースも同等に問題にしなければ偏頗なものになるのではないでしょうか?

 

「しばき隊」のドン・野間易通

例えば、韓国から母子で日本に研究に来ている女性、鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン。当時京大の研修員)さんがSEALDsについての論評を発表するや、野間易通を先頭に「カウンター」「しばき隊」のメンバーによって、SNSを駆使し激しい誹謗中傷、罵詈雑言が鄭さんに浴びせられました。

あまりにも激しい攻撃に、鄭さんの研究者仲間が立ち上がり鄭さんをサポートしました。鄭さん自身も民事訴訟を準備していたようですが、諸事情で断念しています。韓国から来日し、日本人とは同等の権利を持たない不安定さ、また娘さんがいるのも不安だったものと推察します。異国で訴訟沙汰を起こすのが大変なことは容易に想像できます。ここを見透かして野間らが鄭さんを攻撃したのであれば、さらに悪質と言わねばなりません。

 

合田夏樹さんを脅迫する伊藤大介のツイート

「カウンター」「しばき隊」(そしてSEALDs のメンバーの一部は)は、女性や娘さんらに対しては殊に激しく攻撃する傾向がありました。保守系を自称し私たちと思想信条は異なりますが、四国で自動車販売会社を営む合田夏樹さん(当時はツイッター上ではかなりの有名人でした)も恐怖した一人です。合田さんに対しては、伊藤大介らによって有田芳生参議院議員の宣伝カーを使い、会社、自宅(近く)まで出向き、身障者の息子さんを持つ奥さんに恐怖を与え、また東京に進学し一人暮らしを始めた娘さんに対しても襲撃を匂わすツイートを流したり、卑劣な発信が続きました。やりたい放題です。思想信条の違いがあるとはいえ、私たちは数に頼っての卑劣な攻撃は理解できませんし、ましてやそのような手段は絶対に取りません。過去このような行為を主導した(今回の原告個人が関わったかどうかは、わかりません)SEALDs の“負の歴史”は見過ごされ問題にならないのでしょうか? こうしたことを問題にせず、上記の元SEALDsの女性活動家のケースのみを殊更採り上げるのは偏頗だといえるのではないでしょうか? 

さらには、当時は隠蔽され後に発覚するリンチ事件の被害者М君に対する誹謗中傷や罵詈雑言も同様です。М君に対してのツイートは激しい「ヘイト(憎悪)」が満ち満ちており、これこそ「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」ではないのか、と思います。

さらには、リンチ事件に疑問を持ち私たちより少し遅れてМ君リンチ事件に対する批判を実名で公表した、ある公立病院に勤める金剛(キム・ガン)医師に対する攻撃、彼にはSNSによる誹謗中傷に加え病院に電凸攻撃がなされました。人の生死に関わる病院への数多くの電凸攻撃など常識では考えられません。日頃「人権」を口にする者がここまでやるとは言葉がありません。
 
◆「ヘイトスピーチ解消法」制定5年……

「ヘイトスピーチ解消法」が制定されて5年が経ちました――。俗に「ヘイトスピーチ、ヘイトスピーチ」と言いますが、では「ヘイトスピーチ」とは何でしょうか? 条文によれば「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」と規定され、これを「解消」する法律が「ヘイトスピーチ解消法」だということです。法務省のホームページを見れば、「特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に,日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの 一方的な内容の言動が,一般に『ヘイトスピーチ』と呼ばれています」とあります。

これによれば、上記の元SEALDs の原告女性に対する暴言が「ヘイトスピーチ」であるかどうか、法的観点から見れば微妙であると考えられます(「ヘイトスピーチ」ではなく「名誉毀損」であれば法的な合理性はあるでしょう)。原告に浴びせられた言葉が発せられた心因には、暴言=言葉の暴力を喚起させる動機があったのでしょうから、法律によらずとも「ヘイト(憎悪)」に満ちた言葉を発し攻撃するということからすれば、先の合田さんへの攻撃同様に、広義の意味においては「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」と言っていいでしょう。

他方、鄭さんや金剛医師は「本邦外出身者」「特定の国の出身者」です。SEALDs やリンチ事件に批判的な発言をしたからといって、激しい誹謗中傷、罵詈雑言を受けたことは「ヘイトスピーチ解消法」に照らせば、法的には「ヘイトスピーチ」に分類されはしないでしょうか。私は日本人としてこのような言動に加担した属性であることを(私自身の行為ではまったくありませんが)、人間として恥ずかしく思います。「ヘイトスピーチ」を批判する者が、一方で「ヘイトスピーチ」の手法を用いる――「目的のためには手段を選ばず」との疑念がぬぐえません。なにかおかしくはないですか? 

実は私がSEALDsや、これと連携する「反原連(首都圏反原発連合)」や「カウンター」「しばき隊」に、遅ればせながら疑問を持ったのは、彼らによる鄭さんへの攻撃がきっかけでした。それまで「反原連」には年間300万円ほどの資金援助をするほど親密な関係でしたし、反原発雑誌『NO NUKES voice』の6号までは「反原連」色が比較的濃いものでした。

しかし、同誌6号(2015年11月25日発行)で「解題 現代の学生運動――私の体験に照らして」という拙稿で鄭さんへの攻撃やSEALDsの思想、排除の論理などに疑問を呈するや、「反原連」から同年12月2日付けで一方的に「絶縁」を宣せられました。同誌6号発行からわずか1週間後のことです。同誌6号には、SEALDsの代表的人物、奥田愛基のインタビューも掲載されています(帝国ホテルの高級日本料理屋でインタビューするほど厚遇しました)。この時期「反原連」はまだ勢いがあり、カンパもそれなりに集まっていたので、小うるさい私たちなどどうでもよかったのでしょう。

SEALDs奥田愛基と「反原連」ミサオ・レッドウルフ

 

SEALDsとしばき隊の関係を象徴する画像。左からM君リンチに連座した李信恵、伊藤大介、激しいツイートで有名な木野寿紀、SEALDs奥田愛基

「反原連」の「絶縁」宣言に対し私は同誌次号(7号。2016年2月25日発行)で反論、「さらば、反原連」とのタイトルで「反原連」と訣別し独自の道を歩むのですが、「反原連」は世間の関心も薄れ資金的に苦しくなったからと言って、今年3月末で「活動休止」を発表しました。この11日に発売になった同誌28号にて、やはり「反原連」に苛められた植松青児さんが「反原連の運動を乗り越えるために」という題で長文の記事を書かれていますのでぜひご覧になってください。

ともかく、「反原連」「しばき隊」「カウンター」「SEALDs」「TOKYO DEMOCRACY CREW」「SADL」「男組」等々、いろいろな名称を使い、一人でいくつもの団体に関係し、それらをうまく操ることに長けた者(野間易通、ミサオ・レッドウルフ、こたつぬこ=木下ちがやら)が複数名いて、彼らの号令一下、有機的に動いたことは事実であり、一定期間、大衆を惑わせる効果は持ちました。野間、ミサオら非共産党の者らと木下ちがやら共産党系の者らが巧妙に手を組んだといえるでしょう。メディアも彼らの意向に沿って、なにかしら「新しい社会運動」が発生したかのように報じ、M君リンチ事件のような不都合なことは報じず、綺麗事を報道することに終始しました(メディアの社会的責任放棄です)。

反原連「活動休止のご報告」

彼らは暴力をちらつかせ暴言をSNSで発信し、批判者や対抗勢力を排除していきました。リンチ事件が、2015年という安保法制反対運動の盛り上がりに隠れて表面化しなかった背景にはこのような事情もあったのでしょう。「カウンター」や「しばき隊」「SEALDs」らの勢いの蔭に隠れ、あれだけの被害を受けたM君の心中はいかばかりだったのか、と想起すると、若いM君が憐れに思えてきます。M君は、未だにリンチのPTSDに苦しめられています。一方で、リンチに連座した伊藤大介は再び同類の暴行傷害事件を起こしたり、李信恵は、あたかも何もなかったかのように執筆活動や講演などに奔走したり……考えさせられます。なにかおかしいと思うのは私だけでしょうか。(文中、一部を除き敬称略)(つづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

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