八月の空は悲しい(龍一郎 揮毫)

今年も8月6日がやって来ました。── ここ甲子園では平和の象徴ともいえる夏の高校野球が明日7日から始まります。

今年は、ウクライナでの戦火に加えパレスチナでもイスラエルによる無慈悲な攻撃により戦火は収まるどころか拡大しています。日本にあっても、もはや?対岸の火事”ではありません。解決の糸口はあるのでしょうか、絶望的になります。ほとんどの日本人にとっては今に至るも‟対岸の火事”のように感じられます。果たしてこれでいいのでしょうか?

かつて1960年代後半から70年代にかけて(75年のベトナム戦争終結まで)全世界にベトナム反戦運動が拡がりました。これが和平への後押しになったことはいうまでもありません。今はどうか?

8月1日付けの本通信でも記しましたが、戦後79年、日本が曲りなりとも平和を維持できたのは、先の戦争の反省から、歴史の曲がり角にあった60年、70年の〈二つの安保闘争〉を中心として、これ以後も地道な抵抗運動があったからだと考えています。8月15日付けの本通信にて採り上げますが、私の従兄は異国で終戦を迎え必死で故郷熊本に戻り、その後大学生時代に60年安保闘争に参加しています。三里塚闘争はいまだに続いています。

異論もあろうかと思いますが、半世紀余り、時にみずから血を流し闘い、半世紀余り自分なりに社会の動向、反戦運動や社会運動の推移を見てきた上での感慨です。決して机上での平和談議ではありません。日本は、曲がりなりにも民主主義社会です(この規定にも異論はあるでしょうが、少なくとも独裁国家や専制国家ではありません)。まだ声は挙げれます。

大学に入った1970年、帰省の途中で広島に立ち寄りました。これまで長崎には何度か行っていましたが広島を訪れたのは初めてでした。8月6日に毎年広島で行われる抗議活動に参加し、その日は広島大学の寮に泊めていただきました。翌日は京都からやって来たべ平連の人たちと岩国の基地反対運動にも参加し右翼からの攻撃に広島大学の学生(中核派やね)らと一緒に対峙したことが、ついきのうのことのように蘇ります。もう54年かあ。この半世紀余りの間、日本の、そして世界の、言葉の真の意味での平和は維持されたのでしょうか ── もう50年余り前の若き日の記憶から思うところを書き記してみました。

翌年1971年の8・6は歴代首相で初めて当時の佐藤栄作首相が広島の慰霊祭に出席するということで荒れました。いまだに記憶に残るのは、ある女子大生が体当たりで佐藤首相に抗議したことです。これは報道写真でも残っています。この年の夏は三里塚闘争で仲間が逮捕されたり9月に予定されている第二次強制収容阻止闘争や沖縄返還協定批准阻止闘争の準備などで広島には行けませんでしたが、報道で観て非常に感銘を受けました。

1971年8月6日の広島平和公園に来た佐藤栄作首相(当時)に抗議の体当たりをする女子学生

今回は、2年前にウクライナ危機に触発されて、若き日に接した反戦歌について書き記した文章に加筆し、この2年間、状況がまったく変わらず、それどころかますます泥沼化し悲劇が拡大している中で、あらためて加筆、再掲載してみました。ぜひお読みいただければ幸いです。

◆矢沢永吉 『FLASH IN JAPAN』

私はこの曲を聴いて大変ショックを受けました。今こそみなさんに聴いて欲しい一曲です。日本のロック界のスーパースター矢沢永吉は広島被爆二世です。これも意外と知られていません。ご存知でしたか? 父親を被爆治療の途上で亡くしています。矢沢がまだ若い頃(1987年)、『FLASH IN JAPAN』という曲を英語で歌い、その映像(ミュージックビデオ)を原爆ドームの前で撮影し、これを全米で発売するという大胆不敵なことをしでかしています。


◎[参考動画]Longlost Music Video: Eikichi Yazawa “Flash in Japan” 1987

5万枚といいますから矢沢のレコードとしては少ないのでしょうが、矢沢にすれば原爆を人間の頭の上に落としたアメリカ人よ、よく聴け! といったところでしょうか。いかにも矢沢らしい話です。このエネルギーが、部下による35億円もの巨額詐欺事件に遇ってもへこたれず、みずから働き全額弁済し復活したといえるでしょう。やはりこの人、スケールが違います。私より2歳しか違いませんが、私のような凡人とは異なり超人としか言いようがありません。

ちなみに私たちの世代にはカリスマ的存在である秋田明大(日大全共闘代表)さんも被爆二世で、毎年8月6日に開かれる抗議集会には必ず実行委員に名を務められたり参加されています。

アメリカで発売されたこの曲に正式な日本語訳はないようですが、ファンの方が訳されていますので以下に掲載しておきます(英文は割愛。藤井敦子補訳)。私も時間を見つけて、あらためて訳してみたいと思います。

俺たちは学んだのか
 治せるのか
 俺たちは皆あの光を見たのか
 雷みたいに落ちてきて 世界を変えちまった
 稜線を照らし 視界を消し去った
 戦争は終わらないんだよ 誰かが負けるまでは
 人々の群れが塔をなぎ倒し
 敵がどこに隠れているのか知っている
 兄妹たちは炎の中をはいつくばったが
 出口に届くことはなかった
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 彼らに何と言えばよいのか
 子供たちよ聞いてくれ
 俺たちが全てを吹き飛ばしてしまったが
 君たちは再出発してくれ
 朝なのに今は夜のようで 夜は冬のようだが
 いくつか変わったこともある
 いつも忘れないでいてほしい
 戦争は終わらない 誰かが負けるまでは
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか

◆忌野清志郎『花はどこへ行った』/ PP&M『Where Have All the Flowers Gone?』

当初電撃戦で一瞬にしてロシアの勝利と思われたウクライナ戦争が長引いています。電撃戦どころか、ウクライナの予想外の抵抗により(ウクライナとロシアの歴史を見れば、決して「予想外」ではないかもしれません)、もう2年半も続き、解決の糸口は見つからず、さらに長期化する兆しです。ウクライナの予想外の抵抗でロシア軍はなりふり構わず攻撃しウクライナの都市や大地を焦土化し泥沼化しています。かつてのベトナム戦争のように──。

1955年から20年続いたベトナム戦争は60年代には泥沼化し、同時に米国のみならず全世界的なベトナム反戦運動が拡がりました。あの頃の話が「遠い昔の物語」(忌野清志郎の詞)ではなかったことが今になって甦ってきました。ベトナム戦争は、私が幼少の頃に始まり、終わったのは大学を出る頃(1975年)でした。時の経過と生活に追われ長らく忘れていた悲惨な記憶が甦ってきました。

ベトナム反戦の叫びは多くのメッセージソングを生み出しました。

ピート・シーガーが作った『花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone ?)』もその代表作の一つでした。ベトナム戦争が始まった1955年に作られ、1962年にPP&M(Peter, Paul & Mary)が歌い大ヒットします。日本ではPP&M版が一番ポピュラーのようですが、このほか、キングストン・トリオ、ブラザーズフォー、ジョーン・バエズらが歌っています。曲の遠源はウクライナ民謡(子守唄)ともいわれますが、なにか因縁を感じさせます。

PP&M(Peter, Paul & Mary)

しばらくして日本にも輸入され、「反戦フォーク」として当時の若者の間でヒットし耳にタコが出来るほど聴き歌いました。私もそうでした。また、私と同じ歳の忌野清志郎(故人)もそうだったのでしょう、みずから意訳し歌っています。激動の時代を共に過ごし、時に原発問題とか社会問題にコミットする清志郎の想いがわかるような気がします。

今、ウクナイナでの戦火に触発され加藤登紀子、MISIAらが、この曲を歌い始めました。加藤登紀子はともかく、ライブで『君が代』を歌うようなMISHAがこの歌を歌うのには違和感がありますが……。登紀子さんには、この際、今は全くと言っていいほど歌わなくなった『牢獄の炎』とか『ゲバラ・アーミオ』とかも歌ってほしいですけどね。

つい先日(7月8日)、京都のキエフ(登紀子さんの実家経営)で、私がいた大学の学生運動、および寮の大先輩・藤本敏夫さんの23回忌が開かれました。私とは世代が全く異なり直接の面識はなかったので迷ったのですが、先輩に勧められ、資料コピー係(この世代の常として紙の資料が多いんです)を務め出席させていただきました。

その際、登紀子さんに「今はなぜ『牢獄の炎』を歌わないのですか?」と尋ねましたところ、「あなた、なぜこの曲を知っているの?」と驚かれました。「大学に入ってすぐに先輩に勧められ買いました。私に言わせれば『百万本のバラ』もいいが、『牢獄の炎』や、さらには『美しき五月のパリ』も復活させていただきたく熱望します。

ちなみに藤本敏夫さんは、ここ甲子園の出身です(甲子園三番町。鹿砦社は八番町)。

さて、『花はどこへ行った』は、日本でも多くの歌手がカバーしていますが、異色なところでは、古くはザ・ピーナッツ』や、今ではミスチルら、数年前、フォーククルセダーズが再結成された際のコンサートでは、わがネーネーズも一緒に歌っています。

ベトナム戦争が始まってから70年近く経ち、終わってからも50年近く経ちますが、ウクライナやパレスチナに見られるように、残念ながら、決して「遠い昔の物語」ではなくなりました。この曲は、ベトナム戦争終結とともに次第に歌われなくなっていきました。今後ウクライナ戦争のような戦争が起きるたびに歌われる名曲でしょうが、ウクライナやパレスチナに一日も早く平和が戻り、「遠い昔の物語」として、この曲が歌われなくなることを心より祈ります。


◎[参考動画]ピーター・ポール&マリー(PP&M)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)

『Where Have All the Flowers Gone?』
作詞・作曲:Pete Seeger、Joe Hickerson

Where have all the flowers gone
Long time passing?
Where have all the flowers gone
Long time ago?
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the young girls gone
Long time passing?
Where have all the young girls gone
Long time ago?
Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the husbands gone
Long time passing?
Where have all the husbands gone
Long time ago?
Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the soldiers gone
Long time passing?
Where have all the soldiers gone
Long time ago?
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?


◎[参考動画]花はどこへ行った~トランジスタラジオ 忌野清志郎

『花はどこへ行った』
忌野清志郎詞、ピート・シーガー作曲

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

可愛い少女は どこへ行った
遠い昔の物語
可愛い少女は 大人になって
恋もして ある若者に抱かれていた

その若者は どこへ行った
遠い昔の物語
その若者は 兵隊にとられて
戦場の炎に抱かれてしまった

その若者は どうなった
その戦場で どうなった
その若者は死んでしまった 
小さなお墓に埋められた

小さなお墓は どうなった
長い月日が 流れた
お墓のまわりに花が咲いて
そっと優しく抱かれていた

その咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
その咲く花は 少女の胸に
そっと優しく 抱かれていた

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

(松岡利康)

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

本誌『季節』が創刊から10周年を迎えました。創刊時の誌名は『NO NUKES voice』でした。あっというまの10年でした。この間に新型コロナが世界を席巻し、反(脱)原発運動も私たちの出版活動も停滞を余儀なくされました。

創刊は2014年で、まだ反(脱)原発運動も盛り上がっていて、連日国会前には原発事故、再稼働の策動に対する抗議の集会が続いていました。それは翌15年の安保法制に対する運動と連動しピークを迎えました。

その抗議の声も次第に終息していきました。にわか活動家もいつのまにか消えていきました。

しかし、運動の(表向き)後退期にあっても、今に至るも地道な老朽原発の(再)稼働に抗し、被曝問題、避難問題などに取り組んでいる方々がおられます。本誌を毎号紐解いておられる方は感じておられるように、先頭になって全国を奔走されている小出裕章、樋口英明先生らや、全国の現場で地道に活動をされている無名・無数の方々の力を結集し本誌は発行を続けてきました。創刊時は財政的にも比較的余裕がありましたが、新型コロナ襲来で厳しい局面を迎え苦しい中でも発行を継続しています。

そうして創刊10周年―― 財政的にも、友人・知人、未知の方々、著名な方々から無名の市井人まで多くの方々のお力を借りて手作りで発行を継続しています。こうした雑誌は、それが本来の姿かもしれません。

本誌は、本日から次の10年に向けて再出発いたします。私たちの存在や力は小さいです。皆様方と共に、また皆様方と支え合い、時に皆様方のお力をお借りし邁進してまいります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

2024年8月
季節編集委員会

8月5日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年夏・秋合併号(NO NUKES voice 改題)

A5判 148ページ(本文144ページ+巻頭カラー4ページ) 定価880円(税込み)
お陰様で10周年を迎えました!

《グラビア》
「幻の珠洲原発」建設予定地 岩盤隆起4メートルの驚愕(写真=北野 進
「さよなら!志賀原発」金沢集会(写真=Kouji Nakazawa

《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 原子力からこの国が撤退できない理由

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 なぜ日本は原発をやめなければならないのか

《報告》井戸謙一(元裁判官/弁護士)
 事実を知り、それを人々に伝える

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 核武装に執着する者たち

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
 課題は放置されたまま

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
 原発被害の本質を知る

《インタビュー》北野 進(「志賀原発を廃炉に!訴訟」原告団団長)
 珠洲原発・建設阻止の闘いは、民主主義を勝ち取っていく闘いだった

《対談》鎌田 慧(ルポライター)×柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
 東京圏の反原発 ── これまでとこれから

《報告》今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
「核融合発電」蜃気楼に足が生え

※          ※          ※

《回想》松岡利康(鹿砦社代表)
 創刊から10周年を迎えるまでの想い出

《墓碑銘》松岡利康(鹿砦社代表)
 お世話になりながら途上で亡くなった方への追悼記

《季節創刊10周年応援メッセージ》

 菅 直人(衆議院議員・元内閣総理大臣)
 守りに入らず攻めの雑誌を

 中村敦夫(作家・俳優)
 混乱とチャンス  

 中嶌哲演(明通寺住職)
「立地地元」と「消費地元」の連帯で〈犠牲のシステム〉を終わらせる

 水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
『季節』丸の漕ぎ手をふやして、一刻も早く脱原発社会を実現しよう

 山崎隆敏(元越前市議)
「核のゴミ」をこれ以上増やさないために

 今野寿美雄(「子ども脱被ばく裁判」原告代表)
 裁判も出版も「継続は力なり」

 あらかぶ(「福島原発被ばく労災損害賠償裁判」原告)
 隠された「被ばく労働」問題を追及し、報じてほしい

※          ※          ※

《報告》なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)
《検証》あらかぶさん裁判 原発被ばく労働の本質的問題 

《報告》北村敏泰(ジャーナリスト)
 棄民の呻きを聞け 福島第一原発事故被害地から

《講演》和田央子(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
「復興利権」のメガ拠点 「福島イノベーション・コースト構想」の内実〈前編〉

《報告》平宮康広(元技術者)
 水冷コンビナートの提案〈1〉

《報告》原田弘三(翻訳者)
 COP28・原発をめぐる二つの動き
「原発三倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
 総裁選より、政権交代だ

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
   タイガー・ジェット・シンに勲章! 問われる悪役の存在意義

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
   山田悦子の語る世界〈24〉
   甲山事件50年を迎えるにあたり
   誰にでも起こりうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか(下)

《報告》大今 歩(高校講師・農業)
   洋上風力発電を問う 秋本議員収賄事件を受けて

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
 時代遅れの「原発依存社会」から決別を!
 政府と電力各社が画策する再稼働推進の強行をくい止める

《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
 6・9大阪「とめよう!原発依存社会への暴走大集会」に1400人超が結集

《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
 女川原発の再稼働はあり得ない 福島事故を忘れたのか

《福島》黒田節子(請戸川河口テントひろば共同代表)
 浪江町「請戸川河口テントひろば・学ぶ会」で
 北茨城市大津漁協裁判で闘う永山さんと鈴木さんの話を聞く

《柏崎刈羽原発》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 7号機再稼働で惨劇が起きる前に、すべての原発を止めよう!

《首都圏》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 福島原発事故の責任もとれない東京電力に
 柏崎刈羽原発を動かす資格はない!

《浜岡原発》沖基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
 静岡県知事と御前崎市長が交代して
「一番危険な原発」はどうなるか

《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
 政治に忖度し、島根原発2号機運転差止請求を却下
 それでも私たちは諦めない!

《玄海原発》石丸初美(玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会)
 玄海町「高レベル放射性廃棄物・最終処分場に関する文献調査」受入!

《川内原発》向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
 私たちは歩み続ける

《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
 原子力規制委員会を責め続けて11年
 原子力規制委員会は、再稼動推進委員会・被曝強要委員会

《反原発川柳》乱鬼龍

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

龍一郎揮毫

私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

《8月のことば》平和とは世の中が笑顔で満たされること(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

今年も‟暑い夏”がやって来ました。── 鎮魂の8月、ウクライナ、パレスチナでの戦火は一向に収まりません。亡くなった無名・無数の市民、軍人、その家族のみなさん方に心より哀悼の意を表します。戦争が‟対岸の火事”ではなくなった今、ありていな言い方ですが、私たちはあらためて平和であることの意味を問い返さないといけません。

戦後79年間、まがりなりにも日本が再び戦場にならなかったのには、先の戦争の反省から世代世代に引き継がれた反戦の闘いがあったからだと、(異論はあるでしょうが)私なりに思っています。

かつて「平和ボケ」という言葉が否定的な意味で使われていました。しかし、私はいつまでも「平和ボケ」でいたい。

私たちが若かった頃、ベトナム戦争が身近にありました。それは沖縄から直に、あるいは日本国内からも米軍がベトナムに出兵したからであり、傷病兵が日本国内に運ばれ治療したり亡くなったりしたからです。実際に日本の首都東京周辺で、亡くなった米兵の死体処理のアルバイトをした人もいました。

そうしてベトナム反戦運動は、日本のみならず世界的なうねりとして拡がっていきました。

当時若かった私たちも今や高齢者の部類です。年老いた私たちにできることは少なく、また小さいです。若い頃のようにはできませんが、反戦の意志をのちの世代に語り継ぐことだけはやっていきたい。

最近、偶然にYou Tubeで、俳優の藤田まことさん(故人)が生前、歌番組で、『さとうきび畑』を歌った場面を観ました。藤田さんのお兄さんは17歳で沖縄の海の底に亡くなったそうです。藤田さんは『さとうきび畑』を朗々と歌い終えると、最後に「兄貴、沖縄の海の底から大きな声で世界に言うてくれ。戦争はもうええ、戦争はやめてくれ、と」と言って舞台を去りました。去る際に、藤田まことさんの、なんともいえない真剣な眼差しが印象的でした。これまで知らなかった、藤田まことさんの知られざる一面を見たようでした。

この夏、偶然に最近読んだ、幼くして異国の地で終戦を迎え一時強制収容所に送られつつも、命からがら故郷・熊本に生き帰った従兄(60年安保世代)の手記など紹介し、あらためて平和の意味を問い返したいと思います。

(松岡利康)

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

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◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

本日の朝日朝刊を見て驚いた。19年前に「名誉毀損」に名を借りて私を逮捕、鹿砦社に壊滅的打撃を与えた岡田和生が、今度は脱税! 

朝日新聞(大阪本社版)2024年7月24日朝刊

実は岡田は以前も脱税で有罪判決を受けている。1981年、当時の金で1億円。

その後、岡田(と、この会社アルゼ=現ユニバーサル)はアメリカに進出しゲーム機の製造、販売を行うに至る。しかし、アメリカでは、有罪判決を受けた者にライセンスは許可しないという法律がある。にもかかわらず、アルゼは、そのことを秘匿しライセンスを得て来ていた。

その公聴会の記録、そして脱税事件の判決文を取得し、われわれは公益目的、公共性のもとに、これらを暴露したのだった。これまでマスコミタブーでメディアはどこも触れなかったのである。

警察癒着企業アルゼを告発し弾圧の元になった4冊の本[4冊とも品切れ]

ライセンスを下し続けてきた米賭博規制局にも通告し、同局の係官は来日、われわれは弁護士立ち合いで面談に応じたのである。

危機感を持った岡田らは、事件を指揮し、のちに逮捕され失職する大坪弘道検事(当時、神戸地検特別刑事部長。のちに大阪地検特捜部長)らと組んでわれわれを嵌めたのだ! 

人を嵌めた者は、いつかは自らも嵌められることを実証した。”立派”な徒輩らに嵌められたものだ。地獄に堕ちろ! 

(松岡利康)

◎関連記事 松岡利康「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧から19年 ─── 怒りを込めて振り返れ!(2024年7月12日デジタル鹿砦社通信)

【お知らせ】関係書籍として、一部品切れの本がありますが、『紙の爆弾2005年9月号』『パチンコ業界のアブナい実態』『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』は僅かながら在庫あります。当時の雰囲気や弾圧の実態を知っていただきたく、ぜひご購読お願いいたします。
パチンコ業界のアブナい実態[在庫僅少 お早めに]
パチンコ業界 タブーと闇の彼方[在庫僅少 お早めに]

出版弾圧事件を記録した本、『パチンコ業界のアブナい実態』と、この続編『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』

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われわれにとって〈7・12〉という日は、決して忘れることができない屈辱のメモリアル・デーだ。

◆2005年の〈7・12〉に何が起きたのか? 

2005年7月12日、野球開催時以外は閑静な兵庫県西宮市甲子園の住宅街が突然、早朝から大騒ぎとなった。配達されたばかりの朝日新聞を持って母親が血相を変えて階段を上ってきて私を起こし、「あんたが逮捕されるよ」と叫んだ。朝日新聞(大阪本社版)の一面トップ、会社名と私の名は出されてはいないが、「出版社」が鹿砦社で「社長」が私だとすぐ判る。自分の逮捕を新聞報道で知るという奇妙な体験をした。

この日は朝から東京出張の日だった。このことは前週事情聴取の際に検事には言っていたので、これを見越して早朝から検察は動いた。やがて神戸地検の一団がピンポンと呼び鈴を鳴らす。「シャワーぐらい浴びさせろ」と言うほど少しは落ち着いていた。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊。松岡はこれを見てみずからの逮捕を知った。しばらくして神戸地検の一団が家宅捜索─松岡連行にやって来た。

同 夕刊。神戸地検と朝日大阪社会部が連携し周到に準備されたスクープだった。

警察癒着企業アルゼを告発し弾圧の元になった4冊の本

松岡逮捕後急遽発行された『紙の爆弾』2005年9月号

自宅の家宅捜索が始まった。すでに多くのマスコミ記者とカメラマンらが自宅、会社を取り囲むように集まってきた。次いで近くの事務所に同行、事務所の家宅捜索が始まった。検察が持ってきた箱が足りなくて事務所にあった宅急便用の袋まで使うほど多くの資料等を押収していった。

1972年の会社設立関係の貴重な資料も押収され、今に至るまで出てこない。家宅捜索の途中で神戸地検に連行され、そこで逮捕を宣告され手錠を掛けられた。手錠を掛けたのは主任検事、宮本健志。地元・西宮東高校から早稲田に進み検事になった男だ。事務所の家宅捜索の最中に会社関係者も駆けつけ、終了のサインをしたのは近くに住む経理の女性だった(今も勤めている)。同じ頃、東京支社にも家宅捜索が入った。

家宅捜索は他の関係先にも及び、さらに事情聴取は大株主(当時)、製本所、倉庫会社にも、そしてトーハン、日販、大阪屋(現楽天)など大手取次3社にも及び、これら3社社は簡単に応じ取引資料を提出している。日頃「言論・出版の自由」を守れと嘯くのなら断固拒絶して欲しかった。

そうして、昼前には神戸拘置所に移送、全裸にされケツの穴まで見られる“身体検査”後に独房に入れられた。今度は、くだんの逮捕劇をラジオ放送で聴いた ── 。この時点では、すぐに釈放されると安易に考え、まさか以後192日間も勾留されるとは思ってもいなかった。

『週刊朝日』2005年7月29日号。スキャンダリズムの大先輩、『噂の眞相』岡留安則編集長が怒りを込めて検察の横暴を弾劾!

山口組の本拠・神戸だが、当時の神戸拘置所にはヤクザの有名人はおらず、私逮捕のニュースは拘置所内に広まったようで、風呂などで私の房を通るクリカラモンモンの入った人に「頑張ってや」と激励されたこともあった。

松岡が勾留された神戸拘置所の在る神戸市北区ひよどりの紹介した朝日新聞2005年10月31日付け記事。偶然にも勾留中に掲載された。

保釈され、神戸拘置所の前に立つ(2006年1月20日夜)

神戸地検と連携して”官製スクープ”を仕組んだ朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者。逃げ回らずに出てこい!

◆朝日・平賀拓哉記者は逃げずに私と会え!

朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者は、この前に数度取材に訪れ、資料や本などを持ち帰った。オモテはわれわれの出版活動を「理解」しているかのように振る舞い、ウラでは神戸地検特別刑事部・宮本検事と連携し、いや“結託”と言ってもいいだろう、密に連絡を取り合い官製「スクープ」をものにした。

こういうことを、大阪高検公安部長の要職にあり検察の裏金を告発し逮捕された三井環氏によれば「風を吹かせる」ということだ。その後、平賀記者は中国瀋陽支局勤務となり連絡が取れなくなったが、ある冤罪事件の記事を署名入りで寄稿していたことを見つけ、数年前に大阪に戻ってきたことがわかり、恩讐を越えて何度も面談を申し入れたが、本人からではなく広報部からそっけない拒絶のメールがあった。こちらは人生一変したんだぜ、わかっとんのか!? メディア人として以前に一人の血の通った人間として対応すべきではないのか? 逃げ回らず出てきて話そうぜ!

この事件では、刑事裁判)神戸地裁‐大阪高裁)では懲役1年2月、執行猶予4年が確定、また民事訴訟では約600万円の賠償金が確定した。いずれも最高裁まで争ったが遺憾な結果になった。特に民事訴訟では、一審(東京地裁)300万円が控訴審(東京高裁)では倍額600万円になり最高裁で確定した。

一審判決を報じるテレビ画像

一審判決を傍聴した山口正紀さんのレポート(『週刊金曜日』2006年7月14日号)

言論弾圧は、日本で活動する外国人記者にも衝撃を与え記者会見に招かれた(2007年2月14日。東京有楽町・外国人記者クラブにて)

◆私を嵌めた者らに起きた“不幸”

この事件に蠢いた輩には、のちに「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄されるように相次いで“不幸”が訪れている。

まずは当時のアルゼの雇われ社長の警察キャリア・阿南一成は耐震偽装企業との不適切な関係により辞任に追い込まれている。

私に手錠を掛けた主任検事・宮本健志は、徳島地検次席検事として栄転していたが、深夜泥酔して暴れ降格、懲戒処分されている。

弾圧当時のアルゼ社長・阿南一成が耐震不正企業との不適切関係により辞任(朝日新聞2006年1月19日朝刊)。阿南は元中国管区警察局長→参議院議員を経てアルゼ社長に天下り、公判でも出廷し告発本による「被害」について述べた。

松岡に手錠を掛けた、地元出身の主任検事・宮本健志検事が、昇任にして赴任した徳島で泥酔して暴れ降格懲戒処分になった事件を報じる徳島新聞(2008年3月26日付け)

事件を指揮した、神戸地検特別刑事部長・大坪弘道は、厚労省郵便不正証拠隠滅事件で逮捕・失職している。しばらく浮浪人だったが、今は弁護士として活動している。加入を認めた大阪弁護士会の見識を疑う。

弾圧を指揮した大坪弘道検事逮捕を報じる朝日新聞(2012年10月2日付け朝刊)

カジノ建設を狙うユニバーサル(旧アルゼ)による比高官接待を報じる朝日新聞(2012年12月30日付け)

岡田逮捕を報じるロイター通信電子版(2018年8月6日付け)

そうして、アルゼ(現ユニバーサル)の創業者オーナーだった岡田和生、海外で逮捕され、みずからが作り育てた会社から放逐されている。

一時は高額納税者総合1位だったこともあるパチスロ長者だったが、今は実子らに裏切られ風前の灯だ。

事件の関係者に次々と不幸が訪れながら、事件10周年にはまだ岡田は逮捕も追放もされていなかったが、やはり悪いことはできないな。

フィリピンで政府高官に賄賂を贈ったりしてカジノホテル開業に向け精力的に活動している間に、東京の本社では息子や子飼いの雇われ社長、そして、あろうことか後妻らによってクーデターが画策され岡田は放逐される。

こうしたことから思うに、人を嵌めた者はみずからも嵌められるということだろう。

お天道様は見ている。「因果応報」とはよく言ったものだ。

クーデターによって、みずから育てた会社から放逐され愚痴る岡田(『週刊ポスト』2019年3月22日号)

一方われわれは、このかんは新型コロナで苦闘しているが、彼らが不幸に遭っている間にみなさん方と共に奇跡の復活を遂げた。誰もがもう復活はないとささやいていたそうだが(ひどいぞ! 苦笑)、愚直に本業に取り組んでいれば、必ず浮かぶ瀬がある ── 19年前の弾圧以上の事件は滅多にないだろうから、これを乗り越えたわれわれは、どのような困難をも乗り越えることができると信じている。勾留中は電話一本、メール一本、ファックス一枚もできなかったが、今はそれらは勿論できるし、自由に動き回ることができる。

[左上]弾圧10周年記念集会(2015年7月12日。地元・兵庫県西宮市)。[左下]弾圧10周年集会二次会。西宮冷蔵・水谷洋一社長が手配してくれた。[右]弾圧10周年記念集会に大学の後輩にして書家・龍一郎が贈ってくれた書

◆寄り添っていただいた、ジャーナリスト・山口正紀さん、主任弁護人・中道武美弁護士の死を悼む ──

この事件に対しては多くの方々に支えていただいた。特に、公判のたびに毎回東京から自費で傍聴に来られ秀逸な記事を最高裁決定が出るまで連続して『週刊金曜日』に書かれた山口正紀さん(一審判決後のレポートを先に掲載)、主任弁護人を務めていただいた中道武美弁護士(訃報記事掲載)が、20周年を待たずして相次いで亡くなられた。慎んでご冥福を祈り生前のご厚誼に感謝を申し上げたい。合掌

私も山口さんや中道弁護士が亡くなられた歳を過ぎたり過ぎようとしている。思うところも多い。来年20周年までにバカはバカなりに日々思慮しそれらを書き留めていきたい。(松岡利康)

主任弁護人・中道武美弁護士の訃報記事(『救援』2023年10月10日号)

【お知らせ】関係書籍として、一部品切れの本がありますが、『紙の爆弾2005年9月号』『パチンコ業界のアブナい実態』『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』は僅かながら在庫あります。当時の雰囲気や弾圧の実態を知っていただきたく、ぜひご購読お願いいたします。

出版弾圧事件を記録した本、『パチンコ業界のアブナい実態』と、この続編『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』

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《7月のことば》人間 万事塞翁が馬(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

毎年7月は悔しさと怒りが想起される月です。

2005年7月12日早朝、神戸地検特別刑事部の一団が、兵庫県西宮市に在る甲子園球場の近くの私の自宅と、そこから徒歩数分の事務所を急襲しました。

あれからもう19年、来年で20年です。7月12日という日は、私にとっても鹿砦社にとっても屈辱の記念日です。怒りを込めて振り返れ!

この「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧によって鹿砦社は壊滅的打撃を被りました。

松岡は逮捕され、以降192日間、神戸拘置所に勾留、いわゆる「人質司法」で何度も保釈請求は却下され、ようやく保釈されたのは年を越した2006年1月20日でした。

保釈されてもすでに本社、東京支社ともに撤去され、なんとか集めた50万円で東京千代田区三崎町に5坪の事務所を、旧友で不動産業のAさん(私が鹿砦社を引き継ぐ時の立会人)が手配し、ひとり中川志大で再出発しました(現在は同じビルの2室ぶち抜きで13坪を借りています)。本社も、倉庫としていたアパートの1室で、見えない明日を目指して歩み出しました。

しばらくは本当に辛い日々でした──。

しかし、生き残っていさえすればチャンスはやって来るものです。事件から4年後の2009年、実験的にわずか1000冊出した、ある本が一気にブレイク、次々とヒットが続きました。奇跡としか言いようがありません。翌年2010年には、もうダメだろうと思っていた甲子園復帰ができたのです。

突然の逮捕事件によって会社は壊滅的打撃を被るという悲劇が、その後の私たちの運命を変えました。そのまま沈んでしまうのではなく、奇跡(自分でもそう思います)の復活を遂げることができたのでした。

逮捕され壊滅的打撃を被った時は、これ以上の悲劇はないと思っていましたが、なんとか生き残り愚直に頑張っていれば必ず勝機は訪れる、ということを思い知りました。

まさに「人間 万事塞翁が馬」です。

その後、好況は続き、私も左団扇で後進に道を譲ろうとしていたところ、くだんの新型コロナ襲来、一気に奈落の底に落ちました。これもまた「塞翁が馬」、人生にはいろんなことがあるものです。

当初甘く構え、しばらくは持ちこたえていましたが、前代未聞の大混乱を惹き起こしました。いったん回復しつつも(昨年は黒字でした)、不安定で、今またもがいています。

思い返せば、けっこういろいろあったな、浮き沈みの激しい人生で、満身創痍、そのたびにみなさん方に助けていただき這い上がってこれました。

人も会社も苦境にあってこそ、その真価が問われます。

その人や会社に、まだ生き残る価値があるのならば、おそらく潰れないでしょう。

さあ、どうなることやら、勝機を掴むため、もうひと頑張りするしかありません。

Tomorrow is another.

(松岡利康)

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《6月のことば》まっすぐ生きろ 胸張って(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

6月に入りました。

速いもので今年もあっというまに5カ月が経ちました。

今夏もこれから猛暑のようですね。

大学の後輩で、魂の書家・龍一郎の書によって鹿砦社カレンダーを制作始めてもう13年になります。

当時、3・11東日本大震災に接し少しでも励まし、共に在るよとの意志表示のためでした。

爾来ずっと続けています。

まずは書店さんに配布、そして『紙の爆弾』や『季節』(前身の『NO NUKES voice』)の定期購読の方々へ配布、そして友人、知人へ配布し続けてきました。特に『季節』の寄稿者、定期購読者や関係者の方々は被災者の方も多く喜んでいただいております。

もちろんタダ!

好評で、「俺も欲しい」「私にも送って」との声があり、今では当初の倍ほどの部数になっています。

開始した頃は会社も好況で負担になりませんでした。

しかし、コロナによって不況になると正直負担になってきました。

「そろそろやめたら」と仰る方も少なくありません。

しかし、実際に、私も含め龍一郎の言葉に励まされるという方も多いです。後輩に励まされるというのも不本意といえば不本意(苦笑)ですが……。

特に今月の言葉のように短くスパッというものが好評ですしダイレクトに琴線に響きます。

おそらくカレンダーを受け取られたた少なからずの方々もそうだと思います。

「まっすぐ生きろ 胸張って」

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年6月号

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〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

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前田和男さんは鹿砦社創業メンバーの一人、現在ただ一人生き残っている方です。当時、創業時の社長・天野洋一(故人)らと『マルクス主義軍事論』などを編纂し、最近では『続全共闘白書』を編纂したことで有名です。

昨年前田さんは、『昭和 街場のはやり歌 ── 戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと』を刊行、好評を博しました。このたび、その続編が刊行され届きました。

詳しい内容は省きますが、書店で手に取って、どうぞご購読お願いいたします! または、私への手紙(下記)の末尾に記された前田さんの事務所に直接ご注文ください。

鹿砦社 代表
松岡利康

前田和男『続昭和街場のはやり歌 ── 戦後日本の希(のぞ)みと躓(つまず)きと祈りと災いと』彩流社刊 A5判 240ページ 定価2420円〔税込み〕

前田和男さん(2019年、鹿砦社創業50年インタビューの時のもの)

本に挟まれた前田さんから松岡への手紙 ※書籍のご注文は、〒102-0072 東京都千代田区飯田橋4-10-1 セントラルプラザ507 同文社気付 Tel.03-5228-2140

朝日新聞2023年11月4日付け朝刊読書欄

《5月のことば》五月のやわらかい風とあたたかい緑に……(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

今年は逸早く夏が訪れた感がします。

おだやかで平和な季節です。

しかし、目を外に向けると、いまだに戦火は収まりません。

ウクライナ、パレスチナ・ガザ……

ところで、さすがに全米を揺るがしたベトナム反戦運動の歴史を持つアメリカでは、学生運動が拡大しつつあります。

その口火を切ったのはコロンビア大学。

われわれの世代には懐かしい大学名です。

そう、映画『いちご白書』の舞台になった大学です。これは1968年の同大学の学生運動をモチーフにした映画です。

映画は1970年6月米国封切り、日本では同年秋に公開されました。懐かしいな
あ。

さほどヒットしなかったとのことで、私は郷里の映画館で観た記憶がありますが、あまり観客は入っていなかった記憶があります。

主題歌は、バフィ・セントメリーの「サークル・ゲーム」ですが、こちらもあまりヒットしませんでした。

私はどちらも当時から知っていましたけどね。

映画も主題歌も、今また視聴したいものです。

日本では、のちに(1975年)旧姓・荒井由実が作りフォークデュオ「バンバン」が歌ってヒットした「『いちご白書』をもう一度」の名を出せば思い出される方も多いかと思います。むしろこちらのほうが有名で、この曲がヒットしたことで映画「いちご白書」も知られるようになったのではないでしょうか。

反戦運動は、コロンビア大学が口火を切り全米に拡がりつつあります。さらにはフランスにも飛び火したとのニュースを目にしました。日本では?

われわれの「いちご白書」を語ろう! 闘争勝利!

(松岡利康)

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去る4月21日午後、『人権と利権』編著者で「紙の爆弾」「デジタル鹿砦社通信」寄稿者の作家・森奈津子さんに対して殺害予告がSNSにてなされました。文中では「564」「始末します」「透明にする」など殺害するという意味の隠語を使っていますが、かえって不気味さを感じさせます。殺害予告は同時に滝本太郎弁護士にもなされています。両氏とも所轄の警察に相談しているとのことです。

当社としては、当然ながら著者を守るという観点から、断固弾劾するものです。

一部証拠をアップしておきますが、いくら意見が異なるからといって、こういう恫喝はいかなる理由があっても許せません。

◎殺害予告 https://twitter.com/ys5120230930433

翌22日は、「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)の主たる暴行犯・エル金こと金良平との期日(東京地裁立川支部。今回は非公開の電話会議。森さんと鹿砦社が被告。相手方代理人は神原元弁護士)、翌々日23日は森さんが共闘する「女性スペースを守る会」関係の訴訟(横浜地裁。森さんは支援者として傍聴。本件も相手方弁護士は神原元弁護士)の弁論が予定されていました。どちらの訴訟とも相手方はカウンター・しばき隊界隈の人物です。

これまでの経緯から推察するに殺害予告をしたのはカウンター・しばき隊に近いLGBT関係者(自称「保守オカマ」)と見なされますが、エル金こと金良平のケースもありますので、あえて公にし警鐘を鳴らす意味で皆様方にお知らせしておきます。大学院生リンチ事件では、加害者らの周辺の者たちによってSNSで激しい罵詈雑言が被害者に浴びられましたが、言葉だけでなく実際に物理的暴力が振るわれましたので、これを見てきた私たちとしては多大な危惧を覚え、事前抑制の意味でも皆様方に警鐘を鳴らすものです。

2件の訴訟の代理人を務める神原弁護士は、この事態をどう考えられるのでしょうか? 誰が見てもやってはいけない行為ですので、厳しく叱責していただきたいものです。こんなことをやっていれば、神原弁護士が往々にして嘯く「正義」が泣こうというものです。

まずは訴訟の当事者、また著者を守るべき出版社として満腔の怒りを込めて抗議しておきます。

以上

2024年4月24日 
株式会社鹿砦社 代表 
松岡利康

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』

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