私の人生にとっても、われわれの会社・鹿砦社にとっても最大の事件となった、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件は、15年前の2005年7月12日に起きました。これを神戸地検特別刑事部からリークされ(いや、密通してと言ったほうがいいでしょう)、一面トップで“官製スクープ”の大きな記事を書いたのが、現在朝日新聞大阪本社司法担当キャップ・平賀拓哉記者でした。同日夕刊にも続編記事があり、ここに「平賀拓哉」の署名がありますが、すべて平賀記者が書いたものです。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊 「解説」に「平賀拓哉」の署名あり

本年はその事件から15年周年となります。地獄も見ました。そのかん、私や鹿砦社は筆舌に尽くし難いほどの困難な目に遭い、しかし、多くの心ある皆様方のご支援で再起し、出版活動を持続しています。このことについては、節目の年でもあり、『紙の爆弾』5月号(創刊15周年記念号)に「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか」という長文の総括文を執筆し、またこの通信においてもたびたび述べてきました。

そうして、神戸地検と密通し15年前の“官製スクープ”記事を書いた平賀拓哉記者が今や大阪本社司法担当キャップを務めていることが、偶然にも4月1日付けの署名記事で判明し、これも何かの因縁、ぜひとも面談し15年目の気持ちや想いなど聞かねばなるまい、と考えた次第です。その総括文が掲載された『紙の爆弾』5月号を同封して手紙を郵送したのが4月5日でした。なんの音沙汰もありませんでしたが、これは緊急事態宣言が出た直後ということもあり、この対応で慌しいのかと思っていました。

朝日新聞(大阪本社版)2020年4月1日朝刊 「司法担当キャップ平賀拓哉」の署名あり

2020年4月5日付けの手紙

実は10周年の際にも平賀記者に話を聞きたいと思っていたところ、聞いていた携帯の番号は使われておらず、また海外に赴任しているとの情報もあったりで面談できませんでした。

しかし、今は大阪本社で司法担当キャップとして活動されている──私から書籍や資料を入手しインタビューを行い署名記事まで書いたぐらいですから、気安く会って面談してくれると信じていました。

ところが、2度目の「面談申込書」を因縁の7月12日に出し(回答締め切り7月20日)、これも回答ナシ。ようやく3度目の7月21日の「催告書」にて届いたのが責任者名なしのメールでした(別掲画像)。

私たち素人考えでは、署名記事というのは書いた本人が責任を持つということでしょう。みなさん、そうですよね? 私は、当該記事の当事者中の当事者で、書いた本人に面談する権利も資格もあると思いますし、また、当日の朝刊一面トップ、夕刊にも連続して大きく採り上げ署名記事まで書いた本人=平賀記者には私と面談する義務があります。そうではないですか?

同年7月12日付けの「面談申込書」

同年7月21日付けの「催告書」

朝日新聞大阪本社(広報)からの発信責任者不明の非礼なメール

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊 平賀記者に渡した書籍の画像あり

その記事と関係のない私以外の者が面談を申し込むのを断るのは理解できますが、平賀記者は、あたかも私たちの理解者顔をし、持っていない書籍や資料を求め、私は、彼が私たちの出版活動を理解して記事にしてくれるものと誤認しタダでそれらを渡しました。それは当該記事(2005年7月12日夕刊)に画像で出ています。私も本当にお人好しですよね(苦笑)。

そうして、運命の2005年7月12日早朝、当日付けの朝日朝刊を見て自分の逮捕を知るという笑い話にもならない物語が始まりました。

その後、192日間もの長期勾留(独居房。うち約3カ月の接見禁止)、勾留中の事務所撤去と事業活動停止、ただ一人踏み止まった編集長の中川以外の全員解雇、第1回公判に神戸地裁の大法廷を埋め尽くしてくれた多くの皆様方、大晦日・正月を酷寒の神戸拘置所で過ごしたこと……走馬灯のように甦ります。こら、平賀さん、少しは私の身にもなってみよ! 私が記事を書かれた当事者中の当事者なら、あなたは私にインタビューし書籍・資料を入手し同日の朝刊、夕刊と連続して大きく採り上げ署名記事まで書いた当事者中の当事者、あなたは私の求めに応じるべきです。そうではないですか? そうでないと、ジャーナリストとして、いや人間として無責任ということになります。「釈迦に説法」かもしれませんが、署名記事というものは、いろんな意味で(無署名記事に比して格段に)重いものです。

平賀記者は、このまま逃げおおせるものと思っているかもしれませんが、そうは問屋が卸しません。私が『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三(故人。生前は神戸市在住)のように厳しく責任を追及するものとビビッているのでしょうか? 私は平賀記者に私怨・私恨などありませんので、責任を追及するつもりはありません。ただ、15年経った現在の気持ちや想い、疑問点などを訊ねたいだけです。特に幾つか疑問点がありますが、これを解明しないと死んでも死に切れません。

平賀さん、あなたは私と面談し、私の疑問や質問に答える義務があります。あれだけ朝刊・夕刊と連続して大きく採り上げ、署名記事まで書いたのですから当然です。

平賀記者と朝日新聞の非礼な対応を弾劾します。平賀記者は即刻私と面談すべきです。平賀さん、逃げないでください!

関連カテゴリー《鹿砦社弾圧報道問題》

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

《8月のことば》八月の空は悲しい(鹿砦社カレンダー2020より/龍一郎・揮毫)

まずは、稀にみる豪雨被害に遭われた皆様方に心よりお見舞い申し上げます。同時に、本年はじめからの新型コロナに感染された皆様にも、一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

8月、私も龍一郎と同じ想いです。

ちょうど50年前の1970年8月6日、大学生として初めての夏、帰省の途中、ヒロシマに降り立ち、広島大学の寮に泊めていただき、慰霊のアクションを行ったことが甦ってきます。戦後25年の夏でした。

それから50年── 本年2020年は戦後75年を迎えます。このまま戦後100年を迎えたいものです。生きて迎えられるかはわかりませんが……。

龍一郎も私も、ささやかながら反戦の声を挙げ、多くの人たちの声が大きくなり、憲法改悪を阻止してきましたし社会の反動化に抗して来ました。

老いてますます盛んとはいきませんが、反戦の志を持続していきたいと、あらためて決意するものです。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

熊本県民に愛されている歌に『火の国旅情』があります。1年に1度行われる関西の熊本県人会総会では最後にこの歌をうたうことが定番になっているほどです。県内の地域に因んで30数番までありますが、この中で、今回豪雨被害を受けた球磨地方と熊本市の部分を引用しておきましょう。──

「球磨のしぶきに泣きながら
古城に独り君憶う
落ち行く先は 九州の
相良さびしや霧が湧く
霧が湧くふるさとよ」
*ここの「古城」は人吉城、「相良(さがら)」は球磨郡相良村で平家の落人が住み着いたといわれる。

「風よ吹け吹け雲よ飛べ
越すに越されぬ田原坂
仰げば光る 天守閣
涙をためて ふりかえる
ふりかえる ふるさとよ」
*ここの「天守閣」は熊本城のそれ。


◎[参考動画]ばってん荒川 火の国旅情

わが故郷・熊本が未曾有の豪雨被害に遭いました。4年前の熊本地震は、熊本市を中心とする県内北部での被災でした。今回は人吉市を中心とする球磨川沿いの県内南部の被災でした。亡くなられた皆様に心より追悼申し上げ、被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。

震災直後の熊本城

4年前の地震で、私の青春の象徴だった熊本城の天守閣や「武者返し」といわれる石垣が損壊いたしました。爾来こつこつと修復中ですが、4年経った今でも完遂していません。自慢するわけではありませんが、例の特別給付金10万円が振り込まれましたので、即全額熊本城修復のために寄付いたしました。もたもたしていると、こういうお金は、何に使ったかわからないうちになくなるものですから、あまり深く考えずに送金しました。

良いことを行えば、なぜか良いことがあるもので、GW前に目の疾患で手術入院した際の保険金35万円が出ました。さらに最近は、このかんの売上減少を見かねてか、在庫の書籍・雑誌を各1冊づつ(1600冊余り)を購入したいという申し出があり、失礼ながらウソかと思っていたところ、ぽんとに140万円が振り込まれ驚きました。こういうこともあるものですね。

在庫リストにない本もありましたので、実際に出版した本は、もっとあり多分2000点近くになると思いますが、今回、あらためてチェックすると、よくもこれだけ硬軟織り交ぜて出版したものだとわれながら感心した次第です。

一方、故郷・熊本では、新型コロナの影響で知人や同級生が経営していた飲食店も2つ閉店しました。残念ですが、これからも、帰郷した折には旧交を温めたいと思います。年初からのコロナ蔓延と併せ故郷・熊本の頑張りを見守りたいと思います。「がまだしなっせ」(がんばりなさいという意味の熊本弁)

同上

手前味噌で恐縮ですが、年初からのコロナ蔓延で、当社も例外ではなく売上減少に見舞われています。近くのショッピングモールの2つの書店は4月、5月とまるまる休業し売上ゼロに近いので、出版社に響かないわけはありません。書店さんや飲食業などのように直接販売ではないので90パーセント減というようなことはありませんが、書店さんの売上減少が反映し、当社もかなり売上減少していることは否定いたしません。どこの出版社もそうでしょう。さらには、本年前半期で出版社・書店で20社余りが倒産したと報告されています。『商業界』とか「おうふう」といった老舗出版社もあります。

「事業継続給付金」は月に50%以上の売上減が対象ですが、さすがに月に50%減といえば1千万円以上の減となりますので、ここまでは落ちていません。ここまで落ちて200万円もらっても夜逃げ資金ぐらいにしかなりません(苦笑)。これに対し、安易に借入するのではなく、まずは「身を切る改革」、私の役員報酬を半額にしたり、広告出広を削減したり、さらに生命保険を解約し、この返戻金を得たりし、月々の保険負担を圧縮したり……このようにして月に150万円ほど圧縮できました。まだまだ圧縮できる余地はあると思います。考えられるどのような手を使ってでも何としてもこの国難ともいうべき災厄を乗り越えようと努めています。諦めずに生き延びてさえいれば、きっと良いこともあります。

基本は、あくまでも社員ファースト、第一は社員の雇用を守ることです。それも金額を減らさず遅れずに。今のところは、それはクリアし、また印刷所、ライターさんら取引先への支払いも遅れることなく迷惑を懸けないでいけています。本年後半は不透明ですが、社員と一致団結して、この困難を乗り越えていきたく考えております。売上が減少したとはいっても、豪雨被害やコロナ感染で亡くなられたり甚大な被害を蒙られた方々に比べれば圧倒的にましです。

私や鹿砦社はこれまで、壊滅的打撃を受けた15年前の出版弾圧(2005年)、その前の阪神大震災(1995年)など、幾度となく困難に見舞われてきましたが、その都度、皆様方のご支援を賜り運良く乗り越えてまいりました。会社を再興したここ10年は、ヒットが続いた際には、高校の同級生がライフワークとして始めた島唄野外ライブ「琉球の風」はじめ志あるイベントや運動に利益を還元してきました。寺脇研さんの映画や3・11東北大震災(日本赤十字社)などにも100万円単位で寄付しました。中には還元する相手を見誤ったこともありましたが(苦笑)。今はそうもいかなくなりましたが、何卒ご容赦ください。

そのようにお金に執着しない生き方をしてきた私もそろそろリタイアーを考えないといけない歳になりましたが、こんなことをやってきましたから、建売の23坪の自宅1軒が残ったぐらいで資産も預金も残せませんでした。無計画な中小企業経営者には退職金もありません。3千万円も4千万円も退職金をもらえる公務員が羨ましくないわけではありませんが、小役人的生き方を拒否してこの仕事に入ったわけなので、まあ仕方ありませんね。今のところはまだましなほうでしょう。なにしろ15年前は地獄に落とされ、「もう終わったな」と思ったぐらいですから──。

とりとめのない話になりましたが、自分を鼓舞するために書いています。たまにはご容赦ください。ともかく今が踏ん張りどころ、「がまだす」しかありません。

訪れた、ある避難所に貼られた寄せ書き

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

〈原発なき社会〉をもとめて『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

前回の通信(7月8日)後、あらい商店・朴敏用が反応したようだと知人がそのtwの魚拓を送ってくれました。

7月10日付けの朴敏用のtw

「あらい商店って屋号に反応するしょーもないやつらが多い」とは私たちのことでしょうか? 私たちが「あらい商店」に「反応」するのは、リンチ被害者M君を精神的に追い詰めた村八分運動=「エル金は友達」祭りをあらい商店店主・朴敏用が主唱し煽ったからです。そうでなければ、カウンター/しばき隊の面々がたむろする飲み屋のオヤジぐらいの認識で、さほど問題にはしません。

◆「黒田ジャーナル」の流れを汲む『うずみ火』

『新聞うずみ火』は、かつて毎年戦争展を開いたり関西で多大の社会的影響力を持った読売新聞大阪社会部長・黒田清が読売内の権力闘争に敗れ(いろいろ評価はありますが私はそう見なしています)不本意ながら同社を去った後に部下の大谷宏昭と創設した「黒田ジャーナル」の流れを汲んでいます。発行部数は1500部前後と少ないながら、ある意味で関西メディア界の「名門」の流れといえるでしょう。黒田死後、「黒田ジャーナル」は解散し、大谷は矢野らと袂を分かちフリーのジャーナリストとして大阪読売本社の近くに事務所を構え活躍しています。

一方、「黒田ジャーナル」のスタッフだった矢野宏(現・株式会社うずみ火の代表兼編集長)と、のちに「黒田ジャーナル」に参画した栗原佳子(上毛新聞出身。現・『新聞うずみ火』副編集長)らは「株式会社うずみ火」を設立し大阪駅北側の古いビルに事務所を構え月刊『新聞うずみ火』(以下『うずみ火』と略記)の発行を始めます。私が「名誉毀損」事件で逮捕され勾留中の2005年暮れのことで、前回記したように、創刊メンバーで戦場ジャーナリストの西谷文和が神戸拘置所を訪れ創刊号に私のインタビュー記事を掲載しました。義理と仁義を人生のモットーとする私は、このことにより、鹿砦社再建後『うずみ火』に有料広告を毎月掲載してきたわけです。もう7、8年になります。

なお、リンチ本で私は、矢野が読売から黒田、大谷と「黒田ジャーナル」にスライドしたと従前から誤認し、「元読売新聞記者」と記載していましたが、矢野の前職は読売ではなく『日刊新愛媛』でした。この場を借りて訂正します。

◆「あらい商店」に通い詰めた『うずみ火』矢野、栗原は、店主・朴敏用が主唱した村八分運動=「エル金は友達」祭りを知っているのか?

ところで、何の因縁か知りませんが『うずみ火』の矢野、栗原は旧「あらい商店」にはよく通ったようで、これまでも彼らのFacebookなどでその様子が記載されていました。一例を挙げておきます。

『うずみ火』代表兼編集長・矢野宏(左)/あらい商店がご贔屓の副編集長・栗原佳子のFB(右)

そうして今回の朴敏用のインタビュー記事、不本意ながら閉店し再起を期してキムチの通販を始め新店舗開店を準備しつつある朴を応援しようということでしょうが、その前に朴がリンチ被害者M君にやった陰湿きわまる「ネットリンチ」「セカンドリンチ」である村八分運動=「エル金は友達」祭りについて総括した上でやっていただきたいものです。M君を支援してきた私たちとしては不快感を覚えざるをえません。激しいリンチを受けたM君が今でもその後遺症(PTSD)に悩まされているのが判っているのでしょうか!?

◆黒田清が生きていればリンチ事件に毅然たる態度をとった! 私たちの「質問書」に真摯に答えない『うずみ火』代表・矢野と、逆ギレした副編集長・栗原

生前の黒田清

黒田清という人は、私個人としては、以前に対談をいったんは承諾しつつも謝礼が安いことで断られたことがありましたが、それはそれとしても、時に独善的に見える、その強権的体質(昔風に言えば「スタ官」)は好きではありません。しかし、彼の正義感というか、悪いことは悪いと断じる性格は高く評価しています。矢野らもその黒田の性格を継承し、くだんのリンチ事件に対しても断固たる態度をとるものと思っていましたが、実際はまったく優柔不断なものでした。

ある方は、次のように述べられました。──

「今にして思えば、『うずみ火』の矢野さんらも事件の後に比較的早い段階で、あらい商店や呉光現らから自分たちに都合のいいような説明を聞いていて、鹿砦社からの話や質問に耳を傾ける気など微塵もなかったのではないでしょうか。
 コリアNGOセンターのマスコミへの売り込み方も相当なものです。
 自分たちを正義の被害者とするためになりふり構わず売り込んで、それが現時点ではうまくいっているのでしょう。」

おっしゃるとおりかもしれないですね。

ある時は、旧知のジャーナリスト・山口正紀(元読売記者)が『うずみ火』主催の講演会に来られるというので、鹿砦社社員が挨拶に伺ったところ、栗原は、何をとち狂ったのか、当社社員に対し凄い勢いで怒り狂い詰め寄ったということです。幸い傍に知人(証人!)がいたこともあり大事には至りませんでした。この頃、リンチ加害者に繋がる人物やメディア関係者らに「質問書」(別掲)を送りましたが、これに「もし黒田さんが生きておられたら、どう対応されたとお思いでしょうか? 正義感を奮って採り上げられたか、逆にずるく立ち振る舞われたか、いかがお考えですか?」(質問書)という箇所があったことが気に触ったからだったようです。

『うずみ火』への「質問書」

ヌエ的な矢野の回答書

「質問書」への回答がまだでしたが、催促し、別掲のような回答書を送ってきました。う~む、黒田精神を継承した者にしては弱いし、誠意のない、ずるい対応だと思いますが、読者の皆様はどうお感じになりますか? 生来鈍愚な私は当時さほど敏感に感じることなく、「回答してくれたんだから、まあいいか」と思いましたが、今あらためて読むと、真摯さに欠け、人を小バカにした回答です。

先の栗原佳子の横暴や、この回答書を読み、普通だったらこれで広告掲載も関係も終わったのでしょうが、人の好い私は、金銭的にさほどの負担でもありませんし、「もうしばらく様子を見るか」と広告掲載を今に至るまで続けたのでした。さすがに関係は疎遠にはなりましたが……。

しかし、専らリンチ被害者を村八分にし精神的に追い詰めることを目的に「エル金は友達」祭りを主唱した「あらい商店」経営者・朴敏用を、あたかもあれほどの村八分行為をやったことなど度外視し、まるでコロナ解雇の被害者の如く持て囃すに至り、私も重大な決断をする決意をしています。遅きに失したかもしれませんが……。

ところで、黒田が生きていたら、どういう態度をとったでしょうか? 黒田の性格、正義感から、リンチやこの加害者らに対しきっぱりした態度をとったとのではないでしょうか。矢野や栗原らが真に黒田精神を継承するというのであれば、リンチという不浄な蛮行に対しては毅然とした態度をとるべきではないのか!? ここでも、私が言っているのは間違っていますか? はっきり答えよ!

ちなみに、講師として講演した山口正紀は、さすがに元新聞記者、その時までリンチ事件を知りませんでしたが、みずから調べM君訴訟で詳細かつ適格で長文の「意見書」まで書いてくれたのでした。ジャーナリストたる者、こうでないといけません。

矢野の回答に対する取材班のコメント(リンチ本第2弾『反差別と暴力の正体』より)

◆「鹿砦社、潰れたらええな」だって!?

呉光現の名誉毀損ツイート

さて、『うずみ火』に幾つか問題のある人物の記事が大きく掲載されています。

まずは、呉光現(オ・グァンヒョン。日本聖公会生野センター総主事/在日本済州4・3犠牲者遺族会会長)。この人はキリスト教団体の幹部ということですが、宗教が決して人格に影響しないことの見本のようなツイートをしています。「鹿砦社、潰れたらええな」だって!? 「文句あったら言ってこいやあ」だって!? 

そう言うから、かの香山リカの「どこに送ったか、ちょっと書いてみては?」と同じく、取材班スタッフが抗議したところ、あえなく謝罪し撤回。鹿砦社に限らずひとつの会社を「潰れたええな」と非難するなど問題ありと判断、鹿砦社として、彼が所属するキリスト教団体上部組織に正式に抗議の内容証明を送ろうと考えましたが、謝罪、撤回したので、心優しい私たちはこれ以上の追及はやめた次第です。

3ページにわたり呉光現が登場する『うずみ火』2018年5月号

◆リンチ事件解決に日和見主義的態度をとり続ける「コリアNGOセンター」を弾劾する!

コリアNGOセンターは、李信恵による「保守速報」らネトウヨに対する訴訟の事務局となり、郭辰雄(カク・チヌン。代表理事)、金光敏(キム・グヮンミン。事務局長)の2人はセンターの執行部を務めています。

リンチ直後には、李信恵ら加害者に対して事情聴取を行っています。当初は、李信恵らに「謝罪文」を書かせたり、それなりに常識的な態度をとり「中立」的立場をとっていたようですが、次第に日和見主義的態度をとり明確に加害者側に立つようになっていきました。

ですから、リンチ事件の真相究明のためにも解決のためにもコリアNGOセンターがどう対応するかが極めて重要だと考え、その2人には各々「質問書」と本を数度送り、その考えを聞こうとしました。

しかし、金光敏は電話取材に応じましたが、郭辰雄はナシの飛礫で一貫して無視しました。コリアNGOセンター、とりわけ幹部の2人が血の通った人間として対応し続けたら、事件の解決も可能だったと私は思っています(甘いかな?)。

なぜ、コリアNGOセンターは日和見主義的対応をとり続けたのでしょうか? 李信恵に弱みを握られているのでしょうか? 私たちが与り知らぬ利害関係があるのでしょうか? あなた方がしっかりしないから、訴訟は中途半端な形で終結したとはいえ、本質的解決には至らないのです。本質的解決には至らないとは、リンチ事件を起こした者たちも、その隠蔽に加担した者らも、M君を誹謗中傷した者らも何ら事件を反省せず、畢竟しばき隊/カウンターやその周辺の社会運動において今後同様の、あるいはもっと取り返しのつかない暴力事件が起こり得るということです。そうではないですか?

そうした中で、『うずみ火』は能天気に2人についてページを多く割きレポートを掲載しています。ジャーナリズムの大義に立ち、真に黒田精神を継承すると言うのなら、こんな偏頗でキレイ事ばかり書き記すのはやめるべきでしょう。

3ページにわたりコリアNGOセンター代表理事・郭辰徳が登場する『うずみ火』2020年1月号(左)/同じく3ぺージにわたりコリアNGOセンター事務局長・金光敏が登場する『うずみ火』2019年9月号(右)

取材班と金光敏との電話のやり取り

同上

矢野さん、栗原さん、あなた方が「反差別」とか「人権」を声高に叫ぶのであれば、リンチ被害者M君を村八分にし、一人の大学院生の人権を物理的に暴力で痛めつけた凄惨なリンチについて、また事後、社会的地位のある者らが多数関与し事件の隠蔽と被害者への不当極まる誹謗中傷が繰り返されたことについて、彼らがとった態度をまずしかと見据え、その上でインタビューなどやればいいでしょう。

また、あなた方も、私たちが投げかけたM君リンチ事件の内容を知り、もっと人間的な対応をとるべきではないでしょうか? すでに5冊のリンチ関連本も送っているので、知らないなどとは言わせません。黒田清の遺志を継ぎ黒田精神を体現するというのは、歯の浮くようなキレイ事を言うのではなく、身近に起きた具体的事件に対して毅然たる態度をとることから始まるのではないでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか? 答えてください。

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4月から始めたこの連載も16回が済みました。M君の訴訟は一応終わりましたが、鹿砦社が抱える2つの対カウンター/しばき隊訴訟(対李信恵、藤井正美)は、このかんのコロナによる非常事態で一時休戦状態に入ったとはいえ、まだまだ続きます。それら訴訟の報告はじめリンチ事件の検証と総括を行うため、この連載も不定期ながら続けていく所存です。ぜひ続けてお読みください。(本文中敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

今年も〈7・12〉がやって来ました──毎年この日になると、私たちなりに思うところがあります。それはそうでしょう、私松岡が逮捕(その後192日間の長期勾留)され、本社、東京支社、松岡自宅、取引先などに大掛かりな家宅捜索がなされ、会社が壊滅的打撃を受けたのですから──。10周年までは毎年集会を開き、この弾圧の意味をみなさん方と共有し、またみずからを鼓舞して来ました。それも10周年の2015年以来開いていませんでした(今年は『紙の爆弾』創刊15周年と併せ節目なので開くつもりでしたが、コロナ蔓延で中止になりました)。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊

わざわざ東京から神戸に出向き裁判を傍聴してきた、ジャーナリスト・山口正紀のレポート

捜査は、のちに厚労省郵便不正事件に連座し逮捕・失脚する大坪弘道神戸地検特別刑事部長(当時)の指揮によって行われ、これに絡んだパチスロ大手アルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)創業者オーナー(当時)岡田和生も海外で逮捕、実子や妻、子飼いの社員らに会社から放逐されたり、この15年の間にいろいろなことが起きました。

大坪弘道逮捕を報じる朝日新聞2010年10月2日朝刊

ユニバーサル(旧アルゼ)のフィリピン・カジノ不正を報じる朝日新聞2012年12月30日朝刊

みずから創業し育てた会社から放逐された岡田の泣き言(『週刊ポスト』2019年3月22日号)

岡田逮捕を報じる2018年8月6日付けロイター電子版

月日の経つのは速いもので、もう15年が過ぎました。当時の新聞記事や資料などを見るたび、15年前の2005年7月12日と、これ以降の出来事が走馬灯のように甦ります。

出版弾圧は『紙の爆弾』創刊(2005年4月7日)直後になされました。このことから『紙の爆弾』が発行され続け定着することに対する先制攻撃とも言われました(元大阪高検公安部長・三井環の指摘)。

比較するにはおこがましいですが、かの『噂の眞相』の「皇室ポルノ事件」も創刊直後でした(張本人は、いまや鹿砦社ライターとなった板坂剛)。

そういうことから、出版弾圧と『紙の爆弾』創刊15周年に絡め同誌5月号巻末に多くの画像と共に長文の総括文「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか?」を掲載いたしました。私なりに長年考えてきたことを書き綴りました。あまり反響はありませんでしたが、一所懸命に書きましたので、今からでもぜひお読みいただきたく望みます。

 

『紙の爆弾』2020年5月号(創刊15周年記念号)。「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか?」(別帳16ページ)掲載

詳しくはそれに譲りますが、今、新型コロナウイルス蔓延で社会や経済が麻痺し、鹿砦社も売上減となり苦しんでいます。いや、書店は休業を余儀なくされ出版界全体が苦しんでいますし、社会全体が苦しんでいます。

しかし、私たちは、15年前、あれだけの壊滅的打撃を受け地獄に落とされましたが、にもかかわらず復活を遂げることができました。読者やライターら社内外の多くの心ある皆様方のご支援や、運が良かったこともあります(自分で言うのも僭越ですが、土壇場で悪運が強い!)。ですから、ちょっとやそっとで潰されない自信があります。

一方、他人の不幸を喜ぶわけではありませんが、私たちを地獄に落とし栄華を謳歌していた弾圧の張本人、大坪弘道や岡田和生らは逮捕・失脚し地獄に落ちました。人をハメた者は、みずからもハメられる、ということです。まさに「因果応報」です。

皆様方、この国難とも言うべき未曾有の困難に対し、共に苦しみの中から起ち上がり共に前進していこうではありませんか! 闘争勝利!

◎6月6日に『紙の爆弾』創刊―出版弾圧15周年集会を予定していましたがコロナ蔓延で中止せざるをえませんでした。これに参加された方には『紙の爆弾』創刊号、もしくは弾圧直後に出版された同誌2005年9月号を贈呈する予定でしたが、かないませんでした。よって、『紙の爆弾』定期購読(新規、更新)された方には、どちらか希望の号を贈呈いたします(どちらを希望か明記してください。なくなり次第終了)。定期購読によって『紙の爆弾』を支えてください!

定期購読は、1年分(12号)6600円(1号分お得!)を郵便振替(01100-9-48334、口座名=(株)鹿砦社)にて送金してください。ご住所、氏名、×号からを明記してください。

左から『紙の爆弾』創刊号(2005年5月号)、『紙の爆弾』2005年9月号(7・12弾圧緊急発行)、『パチンコ業界のアブナい実態』(紙の爆弾特別取材班・編/事件から2年余り経った2007年10月刊行。7・12弾圧から最高裁上告棄却までの経過報告と中間総括)

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

〈原発なき社会〉をもとめて 『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

私の会社・鹿砦社が、ここ7、8年広告を出している月刊『新聞うずみ火』(代表・矢野宏)7月号が届き、ざっと開いてみて驚きました。別掲の通りですが、ここに見開き2ページに渡りインタビュー記事が掲載されている「あらい商店」と、この経営者・朴敏用(パク・ミニョン。日本名・新井俊秀)は、私たちが被害者救済・支援と真相究明に携わってきた「カウンター大学院生リンチ事件」に深く関わっているからです。

『うずみ火』ともあろうものが、あろうことかリンチ事件に深く関わっている者を大きく採り上げるとは……『うずみ火』代表・矢野宏には質問書も送り、リンチ本5冊も発行の都度送ってきました。私たちがこのリンチ事件の被害者M君救済・支援と真相究明に携わってきたことを知らないわけはありません。矢野さん、そうではないですか?

『うずみ火』については別途記述いたしますが、元読売新聞大阪社会部出身の黒田清(故人)が始めた「黒田ジャーナル」の流れを汲み、創刊は『紙の爆弾』と同じ2005年。その創設メンバーの一人、西谷文和が、神戸拘置所に勾留中の私に面会に訪れ、この記事が『新聞うずみ火』創刊号に掲載されました。西谷とは、彼がまだ大阪・吹田市の公務員で、その労組の雑誌に寄稿して以来面識がありました。この恩義もあり、鹿砦社が再起して以来、長年広告を出してきました(『うずみ火』に毎月有料広告を出しているのは鹿砦社のみ)。だからといって内容に口出ししたこともありませんし、くだんのリンチ事件に多少なりとも関わっている者(コリアNGOセンター理事・金光敏ら)が登場しても、これを詰ったこともありません。しかしあらい商店・朴敏用の場合は違います。「『うずみ火』も遂にしばき隊化したのか」との感が否めません。

矢野さん、なんだよ、このインタビュー記事は!? あなたも「反差別」とか「人権」とか言うのなら、朴敏用が首謀者となってリンチ被害者M君に行った村八分行為「エル金は友達」祭りの事実をきちんと踏まえた上でインタビューを行い記事を書くべきではなかったのか? 村八分が差別行為だということは分かっていますよね? 冒頭に記したように、『うずみ火』には、リンチ本は発行の都度送っていますしリンチ本の広告も出していて、知らないわけはないでしょう。知らないなどとは言わせません。朴敏用について耳触りの良い内容の一方で、度し難い村八分行為を黙過しているのなら偏頗な内容と断じざるをえません。

『新聞うずみ火』2020年7月号

◆リンチ事件に至る道程は「あらい商店」から始まった!

私たちが「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、一般に「しばき隊リンチ事件」といわれる集団暴力事件は、かつて「十三(じゅうそう)ベース事件」と呼ばれていました。これは、リンチの舞台が、大阪・十三のホルモン料理屋「あらい商店」で行われたと噂されていたことから発しています。

その後、この事件の全貌が私たちの真相究明の中で明るみに出るに従い、リンチが大阪最大の飲食店街「北新地」で行われていたことが明らかになり「十三ベース事件」は死語になっていきました。

しかし、このリンチ事件は、2014年12月16日、この日は李信恵が「保守速報」らネトウヨを訴えた民事訴訟の弁論の日で、これが終了し、李信恵ら5人はまず「あらい商店」から始め5軒目の北新地のワインバーに至るまで泥酔するほど飲み歩いています。リンチ事件は、日付が変わった17日深夜に起きました。

泥酔した李信恵らはM君を呼び出し激しいリンチを加えたのです。一説には、リンチの謀議をあらい商店で行ったと言った人もいました。リンチ事件はあらい商店で起きたのではありませんが、李信恵ら5人は、このあらい商店から飲み歩きに出発したのです。

また、あらい商店は、カウンター/しばき隊のメンバーらがたむろする根城になっていたことは自他共に認めるものです。有田芳生参議院議員は、なぜかリンチ事件の翌日に訪れています。このことはじめ、有田議員には、四国の自動車販売会社社長・合田夏樹脅迫事件への関与など聞きたいことが山ほどありますが、頑なに取材を拒否していますので確認は今のところできていません。国会議員たる公人は、合田脅迫事件に自らの宣伝カーが使われたという疑惑や、「反差別」運動の中心メンバー5人が行った集団リンチ事件について説明責任があるというのは当然です。私の言っていることは間違っていますか? 有田は「鹿砦社には答えない」と言っていますが、じゃあ鹿砦社以外の者がたずねたら答えるのか? どうですか?

あらい商店の経営者・朴敏用は、カウンター/しばき隊の中心メンバーと言ってよく、娘もかのSEALDs KANSAIの活動家で、名を出してメディアにも登場しています。あらい商店の屋号は、日本名の「新井(あらい)」から名づけているものと思われますが、朴みずから言っているように客を選び、客のほとんどはカウンター/しばき隊界隈の人間だったようで、いきおい一般の客は寄せ付けなかった、あるいは寄り付かなかったのではないでしょうか。あらい商店は、有田議員ら“上客”を常連としつつも3年半ほど前に潰れましたが、このことが要因になっているものと考えられます。

あらい商店閉鎖後、朴は、ある焼肉屋に就職しますが、これもみずから言っていますが厨房でタバコを吸っていて先輩に叱られたということで、勤務態度には疑問符が付くようです。このたびのコロナによる休業で解雇されたということですが、そんな勤務態度だと経営者としては渡りに船だったのかもしれません。

◆朴敏用が主唱した「エル金は友達」祭りとは?

朴敏用について、どうしても忘れられないのは、2015年5月初頭の「エル金は友達」祭りです。これは、朴敏用が主唱しカウンター/しばき隊関係者ぐるみで行ったもので、リンチの実行犯・エル金こと金良平は友達と多人数で発信することで、被害者M君に対し「お前の味方は誰もいない」と見せつけ、M君を村八分にするという陰湿極まる「ネットリンチ」「セカンドリンチ」でした。

M君いわく、「これだけ多くの人物らが自分一人に対し悪意を向けているのか……」と精神的にかなり参ったというものです。かつての仲間だった多くが「エル金は友達」祭りに加担し、M君は「あいつも」「こいつも」と仲間外れされ追い詰められていったそうです。この時期ITOKENこと伊藤健一郎(当時大学院生)が悪名高い「説明テンプレ」をカウンター/しばき隊関係者に送り共有し、M君を悪者にでっち上げる口裏合わせの済んだ後のことですから、「エル金は友達」祭りの参加者相互にM君に対する悪意が共有されていたと考えて間違いないでしょう。

「エル金は友達」祭りに加担した者はかなり多数にわたりますが、なかには、例によって中沢けい、金明秀らの名もありました。

朴が、「エル金は友達」祭りを主唱し、エル金やリンチ加害者らを応援しても、店の売上に貢献し経営を応援してくれる仲間はいなかったのか、旧あらい商店は2016年10月末日に閉店となります。有田芳生や中沢けい、伊藤大介ら高額所得者は金銭的応援はしなかったのでしょうか? 「エル金は友達」ならぬ「あらい商店は友達」なら、閉店するかどうかの正念場にはポンと50万円、100万円出して助けてやれよ。

リンチ被害者M君を村八分にした「エル金は友達」祭り。これに参加した者の人権感覚を問う!

同上

同上

◆「あらい商店」再開後は以前の言動を反省し、特に衛生面には留意してください! 

旧「あらい商店」厨房内でふざける朴敏用(左)と野間易通(右)。朴の後ろに吸い殻山盛りの灰皿が見える

朴は解雇後、キムチの製造・販売(通販)に乗り出し、遂に物件の契約も済ませ店舗の再開に漕ぎ着けようとしているということで慶賀の至りです。早速、西岡研介や中沢けいらがエールを送っています。まだオープンしていませんが、再開後は、以前の反省から、客を選んだり仕事中に厨房でタバコを吸ったりせずに広く愛される店になってほしいものです(以前のあらい商店の写真を見ると、調理台の上に吸い殻が山盛りになった灰皿が無造作に置かれているのが確認できますが、これも飲食店としては大いに問題があると言わざるを得ず、新店舗では、こうしたことも改善してくれるものと期待します)。

ところで、キムチの製造・販売(通販)ですが、値段は高くはありませんか? 相場よりちょっと高いんじゃないかとの声も聞かれますが、従前からの競合業者に割って入るには、まず値段が問題、高いと勝てません。いやいやオレには有田先生や中沢先生ら高くても買ってくれる人がいっぱいいる……とか思っているのかな? 有田先生、中沢先生、大量注文お願いしますね。

読者は目敏い! 吸い殻山盛りの灰皿を拡大しツイート

また、「食品衛生法」とか、こちらはクリアしているのでしょうか? キムチは、自宅の台所で製造して自家用とするのは問題ないとして、素朴な疑問ですが、対外的に販売用に製造するのには保健所の許可など要らないのでしょうか? 

「食品衛生法」は、かなり厳しく、対外的に販売用に家庭の台所で製造することはできないとされていて、「住居部分と完全に区画された専用の製造施設、販売施設が必要です」と定められていますし、また「容器包装に入れられた加工食品は正しく表示しなければ販売できません」と記されています。「正しく表示」していますか?

当初からあらい商店の通販サイトを見ていると、そうしたことは明示してありませんし、そんなことなど眼中になく製造と販売(通販)を始めたように思われますが、問題ないのでしょうか? 問題ないのならいいんですが、くれぐれも衛生面には留意し(作業中にタバコなど吸ったらいけません!)、食中毒とか出さないように頼みますよ。

あっ、それから、再開前にすでに仲間内で齟齬も発生しているようです(別掲画像参照)。なにか新生「あらい商店」の近未来を予兆させる齟齬です。商売人、特に飲食関係なら、もっと鷹揚に対応してほしいものです。(続く。本文中敬称略)

新生「あらい商店」の近未来を予兆させる齟齬

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Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

私は、このかん標記の「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」の検証と総括作業に取り掛かっています。このブレーンストーミングを兼ねて、くだんのリンチ関連本5冊や「デジタル鹿砦社通信」の記事などを読み直し、資料を整理してきました。この作業の一端として4月からこの連載をやって来ました。

誰が撮ったか、ネットに出回る香山リカの雄姿!怖い!

今「平気で嘘をつく人たち」について記述していますが、やはり忘れてならないのが香山リカでしょう。彼女が鹿砦社に対して行った誹謗中傷ツイートはひときわ多いです。

本来なら名誉毀損で提訴するところ、今のところは対李信恵、対藤井正美との訴訟に集中するためにペンディングにしていますが、決して諦めたわけではありません。

「売られた喧嘩は買う!」「挑発には乗る!」を信条としてきた「棺桶に片足を突っ込んだ爺さん」(by藤井正美)としては、このままでは終われません。ここでは、香山のツイートを幾つか挙げてコメントしておくに留めます。

「ガチャ切り」されたとの大ウソ!

◆鹿砦社取材班が電話を「ガチャ切り」した!?

香山には、他のリンチ隠蔽に関わったと推認される者らと同様、質問書を送っています。当初は、自宅住所が把握できませんでしたので大学宛に郵送し回答がないので、彼女が業務委託している事務所に電話しました。ところが、「ガチャ切り」されたなどとの事務所の者の言葉か、香山自身が盛った言葉かわかりませんが、そうツイートしています。

しかし、これはウソです! 取材者は「ガチャ切り」などしていませんし、終始慇懃丁寧に対応しました。これは音声データがありますので、香山のツイートがウソだとわかります。

だってそうでしょう、相手が録音しているかもしれないのに「ガチャ切り」などするわけがありません。取材者は鹿砦社本社から電話しましたが、この場に私もいて聞いていましたので間違いありません。あまりに稚拙なウソです。

◆質問書を「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」というから素直に書いてみましたが……

次は、鹿砦社のツイッターアカウントが一時止められ有名になりましたが、質問書を「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」というから、素直に応じ送った住所を答えました。この頃には、各方面からの情報提供もあり自宅住所も把握でき直撃取材するかと思っていたところでした。

ところが香山は、自らの挑発に私たちが率直に対応したことに慌てふためき、神原元弁護士に連絡し助けを求めたのでした。香山先生、あなたが「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」と言ったんじゃなかったんですか!? 

[左]「どこに送付したかちょっと書いてみては?」というから書いてみました。[右]慌てふためいて守護神・神原元弁護士に事態収拾を依頼

◆鹿砦社が裁判を起こし「小口ビジネスモデルに活路を見出した」という大ウソを捏造した香山の「責任は重い」!

「小口ビジネスモデルに活路を見出した」?

さらに香山は、創業50年にわたり一貫として出版社としての矜持を堅持して出版活動を継続してきた鹿砦社に対し、あろうことか、「『裁判を起こす→支援者からカンパで費用を集める→本を出して支援者に買わせる』という小口ビジネスモデルに活路を見出したのだろうか」などと倒錯した記述をしています。

「カンパで費用を集める」? 「本を出して支援者に買わせる」? M君裁判は、あえて鹿砦社は費用は出さず、広く心ある皆様からのカンパで賄いましたが、そのカンパを鹿砦社が流用し、これで本を出したことは断じてありません。会計報告を出さず資金の行方に疑問譜が付く「李信恵さんの裁判を支援する会」と違い、M君裁判支援会では、弁護士が管理し、皆様方の前に収支を報告しています。

作った5冊の本の費用は鹿砦社が出しカンパ金は1円も使ってはいません。また、本は、広く関心のあるみなさんには任意で買っていただきましたが、(半)強制的に「支援者に買わせる」ことなどしてはいません。むしろ、取材や支援会運営に協力してくれた者には献本しました。さらに鹿砦社 vs 李信恵/藤井正美訴訟の費用は、M君訴訟へのカンパは1円も流用せず、全て鹿砦社自身の資金で遂行しています。

「小口ビジネスモデル」? いい加減なことを言わないでください。香山による、このツイートは鹿砦社に対する度し難い名誉毀損です。

◆私たちに「しつこく嫌がらせをされ続けている」とウソを公言している香山の「責任は重い」!

「お金取り尽くしたらそれで終わり」? 失礼なことを言わないでください!

香山の“毒舌”は続く──「その後しつこく嫌がらせされ続けている。私だけではない。今日、高裁でそれは『リンチ』ですらなかったと確定した。鹿砦社の責任は重い。」

私たちにいつ、どのような「嫌がらせされ続けている」のでしょうか? 具体的に明らかにしていただきたいものです。私たちは、あくまでも取材の範囲内でのアプローチであると認識していて「嫌がらせ」などやったことはありません。このかん特ダネを連発している「文春砲」の足元にも及びません。

裁判所は、判決文のどこに「『リンチですらなかった」と書いていますか? リンチがあったからこそエル金こと金良平らに罰金(刑事)や賠償金(民事)を課したのではないですか? リンチ被害者M君のリンチ直後の写真をしかと見よ! リンチの最中の音声データを聴け! 凄絶な殴る音を聴いて、香山先生、どう感じますか?

「鹿砦社の責任は重い」だって?── 私たちは(少なくとも私は)出版社(者)としての「責任」から、このリンチ事件の被害者救済/支援と真相究明に乗り出しました。これはリンチという現実に直面した時に、一人の血の通った人間として、また出版人の末席を汚す者として、私(たち)の選択は正しかったと今でも思っています。みなさん、そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか?

香山こそ、リンチ事件の隠蔽に加担し、逆に私たちの真相究明の作業に茶々を入れたり、「小口ビジネスモデル」など、ありもしないことを公言したりし、私たちを誹謗中傷し名誉を毀損しました。その「責任は重い」と断じざるを得ません。

「しつこく嫌がらせされ続けてる」というウソをつく香山先生の「責任は重い」!

◆高橋直輝こと添田充啓の死についても香山らの「責任は重い」!

同志・安田浩一と(沖縄にて取材班撮影)

最後にもう一言。高橋直輝こと添田充啓が、死因不明で亡くなり2年が経ちました。香山先生、三回忌はされましたか?

高橋(添田)は、執行猶予中で沖縄に、まさに“鉄砲玉”として送られ逮捕、勾留されました。精神的に追い詰められていたとも耳にしましたが、事実はどうなのでしょうか? 

高橋(添田)の死因が、彼を精神的に追い詰めたことにあるのならば、香山やしばき隊界隈の者らの「責任は重い」と言わざるをえません。

香山は精神科医として、精神的に病んだとされる高橋(添田)に親身になって寄り添うべきではなかったのか、この意味でも香山の「責任は重い」と言わざるをえません。(本文中敬称略)

この連載は今後も続きます。次回は、最近明らかになった“あること”に対し怒りを持って糾弾します。

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《7月のことば》人間万歳 何があっても 生きてゆくんだ(鹿砦社カレンダー2020より/龍一郎・揮毫)

今年も半年が過ぎ後半に入りました。コロナ、コロナで振り回された半年でした。多くの方々が感染され、また不幸にも多くの方々が亡くなられました。

さらには、本来ならお店を閉めたり事業を停止しなくてもいいのに、コロナのせいで休業や事業停止に追い込まれた方々も少なくありません。

幸いにもまだ鹿砦社は、売上の低下は余儀なくされつつも、のた打ち回り奮闘しています。せっかくこれまで頑張ってきたのですから、今自転車を漕ぐのを止めるわけにはいきません。

人間万歳 ── 魂の書家・龍一郎らしい言葉と筆致です。本年後半、日本は、世界はどうなるのでしょうか。なにがあっても生き抜こうではありませんか!

月刊『紙の爆弾』2020年7月号【特集第3弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

〈原発なき社会〉をもとめて『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

朝日新聞・北野隆一編集員渾身の連載、6月19日は第5回目で、これでお終いということです(やれやれ)。

師岡康子弁護士

最後を飾るのは、カウンターの東の理論的支柱で『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波書店)の著書もある師岡康子弁護士です。

師岡登場となると、私としては、やはり一言申し述べておかねばならないでしょう。

師岡、外面的なイメージは悪くはなく、カウンターのスポークスマンとして記者会見にもよく出ています。

しかし、M君リンチ事件について取材班からの質問書はことごとく無視、やむなく電話取材を試みたところ、記者会見での堂々とした態度とは異なり、逃げの一手でした。

師岡との電話のやり取りを再録しておきましょう。──

朝日新聞6月19日夕刊

師岡 はい、もしもし。
── お邪魔いたします。師岡先生の携帯電話で間違いございませんでしょうか?
師岡 はい、師岡です。
── お忙しいところを申し訳ございません。先生に鹿砦社から、郵送で『ご質問』を送らせていただいていると思うのですが、ご覧いただきましたでしょうか?
師岡 あの~、この携帯電話番号は、どちらで聞かれたんでしょうか?
── 取材の情報源は秘匿しなければいけないので、申し訳ございませんが、それは申し上げられません。
師岡 ああ、そうですか。
── はい。
師岡 ちょっと、あの~対応する気はありませんので。
── (『ご質問』は)ご覧はいただいているのでしょうか? 郵送したものは。
師岡 それについてもちょっとノーコメントで。
── 一応レターパック便で送らせていただいておりますので、こちらで届いたという記録は残っているのですけれども(注:レターパックは質問者の誤認で、正確には普通郵便)。
師岡 ええと、あの~私のほうでちょっと対応する気がありませんので、失礼します。
── 対応なさるおつもりがないと……。」(第3弾『人権と暴力の深層』より)

リライトは全然改ざんなどしていません。これを見て読者のみなさんは、私たちがいかに丁寧かつ穏やかに取材したかがイメージできるでしょう。どこに「恐怖」を感じるというのでしょうか?

なぜ、私たちは師岡に対して質問書を送り回答を求め、リンチについての意見を求めたのでしょうか──それは、カウンター運動の理論的支柱として著書もあり、そのスポークスマンとしての役割をし、たびたびマスコミに登場していること、それから、例の「師岡メール」といわれる書面の存在がささやかれていてリンチ事件隠蔽活動の一端を担っていたと推察されたこと、隠蔽のための会議(例えば辛淑玉文書への対応のため)を師岡の事務所で行ったとの情報が入ったこと等によります。「ヘイトスピーチ」を糾弾しながら、それでいてリンチ被害者M君への、カウンターやしばき隊メンバーらによる、まさに〈ヘイトスピーチ〉やネットリンチ、村八分行為を是認(黙認)してきたキーマンとして、ここはぜひ師岡の意見表明を求めなければならないと考えたのです。

「師岡メール」は、第5弾本を出すまで遂に見つけることができませんでした。存在の真偽もあやふやでしたし、『もうないのか』と思っていたところ、第5弾本出版直後、メールの相手・金展克みずからが暴露したのです。

予想した以上の衝撃でした。『やはり本当だったんだ』と思い、金展克はなんでもっと早く公にしてくれなかったのか、と金展克が秘してきたことを嘆いたものです。「師岡メール」がもっと早く公になっていたならば、リンチ事件をめぐる転回もM君の訴訟も、もっと違ったものになっていたとさえ思いました。こういうA級資料は、タイムリーに出さないと効果半減です(金展克さん、聞いてるか?)。

師岡は「人権派」の看板とは裏腹に、トンデモないことを金展克に求めています。歴史に残るほどの内容です。すでにこの連載の「7」(6月8日掲載)でも掲載し私見を申し述べておりますが、あらためて再録しておきますので、とくとご覧ください。これが「人権派」と持て囃される弁護士がやることか!?(喝)

いわゆる「師岡メール」

ヘイトスピーチ規正法の成立のために、凄絶なリンチ被害者M君を黙らせ泣き寝入りするように金展克に説得させようとしています。師岡は、リンチの被害者が刑事告訴すれば、「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たち(注:李信恵ら)を権力に売った人、法制化のチャンスをつぶしたという重い批判を背負いつづけることになります。そのような重い十字架を背負うことは、人生を狂わせることになるのではないでしょうか。」と言っています。

頭の中が倒錯していると言わざるをえません。「重い十字架を背負う」のはリンチ加害者の李信恵らでしょう。盛り上がってきた反ヘイトや反差別の運動に水を差したのですから。リンチ事件は、そうした運動の盛り上がりを「破壊」するに足る蛮行ですから、リンチの加害者が「反レイシズム運動の破壊者」というのならまだしも、なんでリンチ被害者が「重い十字架を背負」い「反レイシズム運動の破壊者」になるのでしょうか? そうならないために泣き寝入りを求めるとは常識的には到底考えられません。

この「師岡メール」、李信恵の「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という“名台詞”と同じぐらいの歴史的“名文”だと思います。みなさん、心して熟読されたい。

私は、この4年余り、全くの白紙の状態から、カウンターとかしばき隊とかいう人たちの「反差別」運動、その主な担い手の言動を見てきました。差別問題については、私なりに若い時から体験したり見聞きしてきました。いつかあらためて書き綴っておこうとも思っていますが、例えば、学生時代1年下の在日の学友と深夜飲んで騒ぎ自転車に二人乗りして警官に呼び止められ、私はすぐに解放されたのに、彼は延々長時間拘束され、幸いそれ以上にはなりませんでしたが、釈放後の彼の悄然とした表情が忘れられません。

また、これもこれまで公には話してはいませんでしたが、かの「八鹿高校事件」に先輩が巻き込まれたことがありました。彼は解放同盟(以下解同)側にも逆の側(共産党系)にもつかない立場を取り、どちらからも責められています(かつて共産党系のライターが書いた、この事件についての本に解同による暴行の被害者に実名で記されていたのを発見し驚きました)。これ以降、解同による激しい糾弾闘争が先鋭化していきました。

こうした事件から、私なりに差別について長年考えてきました。悩んでいた時期にアドバイスいただいたのは、師岡佑行(故人。歴史学者、元京都部落史研究所所長。同じ「師岡」でも師岡康子とは関係がないと思われますが、一時、師岡佑行の父親か縁者ではないかと思ったこともありました)と土方鉄(故人。作家、『解放新聞』元編集長)でした(お二人には対談していただき、これは記録として残っています)。お二人は、いわゆる「糾弾闘争」を批判されていました。

そうした中で、くだんのリンチ事件に遭遇し、現今の「反差別」運動の実態を具体的に知り、驚くと共に義憤、悲哀を感じました。全然進歩していませんし、逆行しているではないか、というのが長年、私なりに差別について考えてきたことからする感想でした。さらに悪いことには、このリンチ事件が起きたことを、真正面から真摯かつ主体的に対応するのではなく、事件をなかったものにしようと隠蔽活動に精を出しています。

本来なら、師岡康子らのような中心的な人物が率先して、人間的な解決の指揮を執るべきではなかったのか? 前田朗の言葉を借りれば、「今からでも遅くない」、真正面から真摯かつ主体的に対応することが必要ではないのでしょうか? 何度でも繰り返します、私の言っていることは間違っていますか?

この朝日の5回連載の執筆者の北野隆一、ちょっと調べてみると“確信犯”だったことが判明しました。けっこう執拗な取材もやり、かの小林よしのりのマンガにもなっているそうですが、北野さんもこれをお読みなっているのなら決して逃げないでください。関西の朝日の記者らは、都合が悪くなると「広報を通してくれ」と逃げましたが、北野編集委員についてはそういうことはないと信じます。今、調査・取材を始めましたので、後日、あらためてこの「通信」にて記述したいと考えています。(本文中敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

6月18日の朝日新聞夕刊は北野隆一署名記事で、性懲りもなく李信恵らを持ち上げています。安田浩一、上瀧浩子といった、いつもの名(笑)もありますが、これまでのこの連載との関連で、ここでは李信恵のみを採り上げます。

リンチ直後の被害者M君の写真。血の通った人間なら、これを見て恐怖を感じませんか?

人を正確に評価するには、その人の表面だけでなく裏面、光だけでなく影、陽の部分だけでなく陰の部分、上辺だけでなく暗部なども採り上げ検討しないと評価が不正確で偏頗なものになってしまうのではないでしょうか? ジャーナリズムの世界では基本中の基本です。そうですよね?

北野編集委員の一連の文章を読んでみると、表面のみ、光のみ、陽のみ、上辺のみをキレイごとにまとめ掲載しているだけで、私如き地方小出版社のオヤジが批判するまでもなく、不正確で偏頗なものになっています。これが現在の、わが国を代表する大新聞社の編集委員ともいう者のレベルというのなら嘆かわしい限りです。みなさん、そう思いませんか?

そうすると、李信恵という人を評価する場合、彼女が連座した大学院生M君リンチ事件という暗部にも触れずに「彼女は差別されてきた」ということばかりを殊更に強調すると、読者に不正確な人物像を伝えることになるのではないでしょうか? 
特に、くだんのリンチ事件は、カウンター運動に関連して、その中心メンバーによって惹起されたのですし、北野の記事にある裁判後に、懇親会のみならず5軒も飲み歩き「日本酒にして一升」(李信恵談)余りも泥酔した中で起きました。

さらに、リンチ被害者M君は、李信恵の仲間やカウンター運動に関わる者らによって激しいネットリンチをなされ村八分にされます。私たちは、この事件を知るまで1年余りも一部の知人ぐらいがM君をサポートするぐらいでM君は孤立していました。

李信恵が発信したツイートの数々

朝日新聞6月18日夕刊

確かに民事訴訟や刑事手続きで李信恵は賠償金も罪も課されませんでした。李信恵や神原元弁護士らは「正義は勝つ」とか狂喜乱舞し酒場でのバカ騒ぎをネットで発信(別掲)していますが、これは、裁判所がよく使う言葉「一般読者の普通の注意と読み方」によれば、明らかに〈誤判〉だと思います。激しいリンチで冒頭の写真のような重傷を負ったM君の気持ちを更に傷つかせた判決でした。ひとりの生身の人間に激しい物理的暴力を加えることは、加えられた人の人権を蔑ろにすることですよね? 裁判所は「人権の砦」ではなかったのではないでしょうか?

李信恵らは、くだんの対ネトウヨ裁判後、飲み歩き泥酔した勢いで日付も変わった深夜、M君を呼び出し、M君が到着するや、李信恵は「なんやねん、お前! おら!」(「反差別」や「人権」の旗手はこんな汚い言葉を使うようです)と胸倉を掴み一発手を出し、これをきっかけにして主に「エル金」こと金良平を実行犯として長時間のリンチが続きました。李信恵はリンチの最中も悠然とワインをたしなみ、なんとそれをSNSで発信しています(別掲記載右側中)。殴られ続け、リンチ直後の写真(別掲)を見れば誰もが恐怖を感じるように、リンチ最中のM君の恐怖はいかばかりだったでしょうか? M君はその後、現在に至るまでPTSDに苦しみ深夜に知人に電話してくるほどだといいます。それはそうでしょう。

さらに、リンチも時間が経ちM君がぐったりしているところで、
「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」
と、一躍有名になった“名台詞”を吐いています。「反差別」の旗手で「人権」を声高に叫ぶ人は、こんな残酷な言葉を吐くのでしょうか。

李信恵が賠償を免れたことで狂喜する李信恵と神原元弁護士ら。不法行為と賠償金を押し付けられた格好になったエル金(金良平)の浮かぬ表情が印象的。エル金は、この後、賠償金支払いに苦慮した

本稿では、李信恵がリンチ後、被害者M君に出した「謝罪文」を全文挙げておきます。これはその後、M君が孤立しているのを見計らってか撤回しますが、「反差別」の旗手で「人権」意識の高い(ん?)人は、時に常人には理解できないことをなされるようです。

李信恵「謝罪文」(P01-P02/全7枚)

李信恵「謝罪文」(P03-P04/全7枚)

李信恵「謝罪文」(P05-P06/全7枚)

李信恵「謝罪文」(P07/全7枚)

李信恵が連座した大学院生M君リンチ事件は、李信恵に連携する徒輩による隠蔽活動にもかかわらず、知る人ぞ知ることになりました。

上瀧浩子弁護士が、李信恵がネトウヨを訴えた件の訴訟に「意見書」執筆を依頼し、これに応じた前田朗東京造形大学教授は、鹿砦社の本で、このリンチ事件を知り李信恵に対し「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」とまで批判しています。

李信恵が「唾棄すべき低劣さ」から脱するには、まずこの「謝罪文」に立ち返り、M君に心から謝罪し、真に主体的に反省するところから始まると思います。

私の言っていることは間違っているでしょうか?(本文中敬称略)

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