◆明日3月15日(木)、鹿砦社が李信恵被告を名誉毀損等で訴えた民事訴訟第3回弁論が開かれます!

明日3月15日(木)午後1時30分から、鹿砦社が李信恵被告を名誉毀損等で訴えた民事訴訟の第3回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。これに際して私は鹿砦社を代表して別掲のような「陳述書」を提出いたしました。訴状、およびこの陳述書に私たちの主張の骨格は申し述べたと思いますが、社会的に影響力のある人物、とりわけ崇高な志を持って推し進めるべき「反差別」運動のリーダーたる人物が、「鹿砦社はクソ」といった口汚い言葉を連発することはあってはならないことです。

言葉には、その人の人格や人間性が表われるとするならば、いやしくも「差別」に反対するとか「人権」を守るとか言う者が、こうした言葉を使ってはなりません。「鹿砦社はクソ」という表現がキレイな言葉でないことは言うまでもありませんが、市井の無名人ではなく社会的影響力のある「反差別」運動のリーダーは、こういう汚い言葉を使わないほうがいいとか悪いとかいうレベルの問題ではなく、こういう汚い言葉を使ってはならないのです。差別に反対するという崇高な目的が、こうした汚い言葉によって台無しになりますから――。

李信恵被告は、鹿砦社や、この代表たる私に対し、こういう汚い言葉を連発したことを「意見ないし論評」と反論しています。在特会や極右グループの連中が発する言葉は明らかに「ヘイト・スピーチ」と言ってもいいと思いますが、この伝でいけば李被告が悪意を持って私たちに投げつけた言葉も、同じ位相で「ヘイト・スピーチ」ということになります。なりよりも李被告は私たちに憎しみ(ヘイト)を持って「鹿砦社はクソ」発言を行っているのですから。

また、李被告は、私が40年余りも前に一時関わった、主に学費値上げ反対運動を中心としたノンセクト(無党派)の学生運動に対し、1960年代後半以降血を血で洗う内ゲバを繰り広げ多くの死者を出した中核派や革マル派と同一視し、私があたかもその一味=人殺しのようなマイナスイメージを、社会的に影響力のある自身のツイッターで発信しています。

このような〝思い込み〟を内心抱くことは自由でしょうが、数多くのフォロワーを有するツイッターなどで公にするのは、明らかに名誉毀損であり、時に業務妨害にも当たります。差別の「被害者」だから何を言っても許されるわけではありません。いや、差別に反対する運動のリーダーであるからこそ、自らを厳しく律し、汚い言葉を排し人々に勇気を与えるような清々しい言葉を使うべきではないでしょうか。

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(1/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(2/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(3/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(4/4)

◆3月19日(月)には李信恵被告ら5人による大学院生M君集団リンチ事件の一審判決が下されます!

次いで週を跨ぎ3月19日(月)にはいよいよ、この李信恵被告ら5人による大学院生M君に対する集団リンチ事件の一審判決(大阪地裁第3民事部)が下されます。ひとつの大きな山です。

私たち鹿砦社はこの2年間、社を挙げて、リンチ事件被害者のM君支援と事件の真相究明に当たってきました。李信恵被告らによる集団リンチの凄まじさ、リンチ後の、著名な研究者やジャーナリスト、作家、弁護士らによる、あたかも何もなかったかのように糊塗する隠蔽工作、被害者M君を村八分(差別ではすよね!?)にしバッシングを繰り返し精神的に追い詰めようとしていた(る)ことなどを見て、単純に酷いと感じましたし到底許すことができませんでした。私も老境に入り、怒ることも少なくなり、よほどのことでは怒りませんが、もたらされた〈事実〉は許せませんでしたし、ここで黙っていたら、私がこれまでやって来た出版人生の意味がなくなると思いました。

せめて人間の血が通った事後処理をしていたのならば少しは救われたかもしれません。一例を挙げれば、いったん被害者M君に渡した「謝罪文」さえも一方的に反故にしたことには人間としての心が欠けていると言わざるを得ません。

私たちは、この2年間、被害者支援と真相究明の過程で、いろんなことが判ってきました。この非人間的なリンチという場面に際し、〈事実〉を知りながら隠蔽に加担したり、この現実から逃げたりしている「知識人」といわれる人たちは一体何をやってるんだと弾劾せざるをえません。

30数年も付き合い著書も多数出版した鈴木邦男氏は、本来なら、かつて自らの組織で起きたリンチ殺人、死体遺棄の事件をくぐり抜け、その後、穏健な言論活動に転じたはずでした。このような事件にこそ生きた発言をすべきなのに、この期に及んでなんらの発言もせず、口を濁しています。それどころか加害者側の者らと親しく付き合い、一緒に集会に出て発言したりしています。今でも遅くありません、勇気を振るい発言すべきです。鈴木さん、あなたしかできない仕事があるはずです。鈴木氏が、この国を代表する「知識人」の一人であることは言うまでもありませんが、私のような一零細出版社の人間に言われて何とも思わないのですか、恥ずかしくはないのでしょうか!? 

本件訴訟の原告M君と弁護団、私たち支援者は総力を結集し、やれることはやりました。鹿砦社は、側面支援として、全力で取材し裁判闘争を裏付ける関連書籍を4冊出版し世の心ある人たちにリンチ事件を訴えました。ここまで証拠や資料を摘示していながらリンチがなかったなどとは言わせません! リンチ直後の被害者M君の顔写真を見よ! リンチの最中の録音を聴け!

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる──。(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

裁判所が「人権の砦」「憲法の番人」であるならば、集団リンチによってM君の〈人権〉を暴力的に毀損し踏みにじった李信恵被告ら加害者に対し厳しい判決が下されると信じています。そうでなければ、この国の司法に未来はないと断じます。よもや裁判所が暴力を是認することはないはずですから――。

心ある多くの皆様が、李信恵被告らに対する2つの訴訟を注目されご支援されますようお願い申し上げます。

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『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

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『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

このかんたびたびレポートしてきましたように、朝日新聞社の頑なな取材拒否と非礼な対応は、心あるメディア関係者に波紋を広げています。すでにこの通信でも元読売新聞記者の山口正紀さんや、新聞社の数々の問題について長年取材され発言されてきている黒藪哲哉さんらが喝破されている通りです。朝日新聞東京本社広報部の河野修一部長代理は、私たちの取材要請を「迷惑」として、私たちが当該の記者らに、あたかも異常につきまとっているかのように発言されています。しかし、事実は異なりますので、そういう物言いこそ「迷惑」なことです。

このかんの経緯を簡単に説明してみましょう───。

〈1〉 昨年末、出来たばかりの『カウンターと暴力の病理』を朝日関係者4名に献本送付しました(同封の挨拶状に「献本」と記していました)。

〈2〉 年末・年始を挟んで1月25日付けで質問書(資料1「ご質問」)を郵送(回答期限2月5日)。4人ともほとんど同じ文面なので、大貫記者宛のものを掲載します。

[資料1-1]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

[資料1-2]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

[資料1-3]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

 

〈3〉 期限までに回答がないので、2月6日付けで催告書(資料2「ご連絡と取材申し込み」)をファックス。これも大貫記者へ送ったものを掲載します。

[資料2]2月6日発送分、大貫聡子記者への再度の「ご連絡と取材申し込み」

 
 
〈4〉 これも回答がないので、同社大阪社会部の大貫聡子記者、采澤嘉高記者、静岡総局の阿久沢悦子記者の3氏の携帯に電話取材。取材班が3記者に電話するのは、これが初めてのことです。「迷惑」していると広報部河野部長代理に指摘されましたが、鹿砦社や取材班は、この件に関して当該記者に一度も直接取材したことすらないのです。これで何が「迷惑」なのか到底理解できませんし、つきまといでも何でもありません。むしろ同社の記者には、時に「迷惑」でつきまとわれたりプライバシーを侵害されたりした人もいます。

手前味噌で僭越ですが、私は13年近く前の2005年7月、神戸地検特別刑事部にリークされた同社社会部・平賀拓哉記者が、あたかも私らの主張を〝理解〟しているかのように接してきて、人を信じやすい私は言葉巧みに騙され、神戸地検と通じていることも知らず、求められた書籍や資料などを気前よくほいほいと渡し、これが大阪本社版一面トップのスクープとなり私は逮捕されました。とんだ「迷惑」を蒙ったのは私のほうだ!「迷惑」だ「迷惑」だというのなら、私の前に出てきてはっきり言え! 日本を代表する大新聞社の記者ならできないことはないでしょう。

今回の件で、私たちは私たちなりに順序を踏まえ、本を送り、読んでいただいたであろう頃を見計らって質問書を送り、取材要請をしたつもりです、誰が見ても「迷惑」にはあたらないでしょうし、これが「迷惑」であれば、新聞社(特に社会部)の通常取材はほとんどが「迷惑」ではないでしょうか。

このような経緯で真っ当な対応をしていただけなかったので、やむなく、私は朝日新聞社の登記簿を取り渡辺雅隆社長の自宅に別掲の通知書(資料3「ご通知」)を、関係資料(『カウンターと暴力の病理』、大貫記者への質問書、催告書のコピー、音声データCD)を付けて2月23日に郵送しました。

[資料3-1]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

[資料3-2]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

[資料3-3]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

ところが、渡辺社長は転居(京田辺市→芦屋市)されていたようで(転居したらすぐに登記をし直さないといけないんじゃないんですか?)、転送されて2月27日に受け取られています。

回答期限を「お受け取り後1週間以内」(2月27日受領なので回答期限は3月6日になります)としましたが、未だ回答はありません。ことは激しい暴力による集団リンチ事件ですよ、民主社会にあってはならないことです。小出版社だからといって無視しないでください。

ふだん「人権」だ「人権」だと言うのなら、将来のある若い大学院生(博士課程)が集団でリンチされ瀕死の重傷を負った事件について、人間的な対応をしていただきたいものです。特に朝日は殊更「人権」ということを大事にしている新聞社だと信じています。

勘違いされないように明記しますが、私たちは、右翼のように朝日新聞の存在や言論活動の全てを否定しているわけでも、ヒステリックに反発しているのでもありません。前述しましたように、13年前に、朝日平賀記者にあれだけのことをやられても、それでもまだ私は、この国で数少ない「クオリティーペーパー」と評される朝日新聞には、相応の言論活動を期待しています。少なくとも、他紙よりは相対的にマシだと思っていましたが、だからこそ、今回の対応には失望したわけです。こうした点は、あらためて明確にしておきたいと思います。

渡辺社長が、お送りした『カウンターと暴力の病理』をめくったらすぐにリンチ直後の被害者M君の写真が目に止まるはずで、これを見て、どう感じたか、ぜひ一人の人間として感想なりご意見を聴かせていただきたく思います。新聞社としての事情や都合は関係ありません、渡辺社長、あるいは記者の、一人の人間としての対応こそを問うているのです。渡辺社長、今こそ、この由々しき問題について、社長として責任ある対応をされ、私たちの取材要請に応えていただきたいと切に願っています。

ところで、朝日東京本社広報部・河野部長代理は、「訴訟」を示唆する発言もされています。仮にどちらが訴えるにしろ訴訟になった際、私たちが悩まされることに本人取材があります。しかし今回、朝日の3記者はみずから本人取材を拒否しました。ということは、私たちの主張を認め、つまり記事の内容や記者の言動などについても説明責任を放棄したことになります。訴訟になった場合、それだけでも私たちの勝訴の可能性は低くないでしょう。

私や鹿砦社はこれまで数々の訴訟を経験してき、一時は「訴訟王」と揶揄されたこともあり、また判例になっているものもありますが、私も長い出版人生の、いわば〝花道〟で朝日を相手取り提訴するのも意義があり、大新聞社の社会的責任を問うひとつの方策かもしれません。相手にとって不足はありません。私は冗談で言っているのではありません(私の性格上、私がこんなことで冗談を言わない男だということは、私を知っている人ならおわかりになるでしょう)。一例を挙げれば、「鹿砦社はクソ」発言を連発し、くだんのリンチ事件の現場にもいて加害者とされる李信恵被告に対し名誉毀損等で提訴しましたが、これもおそらく李被告本人は私や鹿砦社を見くびっていたと思われます。私は許せないことは許さない男です。

何度も申し述べますが、ことは人ひとりの〈人権〉を、暴力による肉体的制裁で毀損した集団リンチ事件です。それも極右団体関係者に対して訴訟を起こし社会的に注目を浴び、「反差別」運動の旗手とされる人物(李信恵被告)とこの支持者ら5人による、極めて非人間的で、暴力が排除されるべき現代社会では到底許されない事件です。このことに曖昧な態度をとれば、今後こうした事件が「反差別」運動や社会運動の中で繰り返されるでしょう。この国の反差別運動や社会運動は、かつての反省(暴力を伴った内ゲバや行き過ぎた糾弾闘争など)から、暴力を排除してきたのではなかったのでしょうか? 私たちが言っていることは間違っているでしょうか?

最後に再度繰り返しますが、鹿砦社ならびに私は決して「反朝日新聞」ではないこと、そして朝日新聞には「社会の木鐸」として市民社会の要請に相応しい報道姿勢をとっていただきたいことを申し述べておきたいと思います。

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昨年末『カウンターと暴力の病理』を関係者に送付したあとに、年を挟んで1月25日鹿砦社代表・松岡利康名で、この本について約50名に「質問書」を送り、2月5日を期限に回答を待った。回答者は前回本通信でご報告したとおりだったが、「不回答者」の一部に対し2月19日、鹿砦社本社から電話取材をおこなった。

数名には電話が通じ、回答がない理由の聞き取りが行えたが、取材班は驚くべき事態に直面することになった。この日は主としてマスメディア関係者に電話で事情を聞こうと試みたが、“事件”はそこで生じた。

まず登場人物を確認しておこう。

いずれも朝日新聞で大阪社会部の大貫聡子記者、同じく采澤嘉高(うねざわよしたか)記者。この2人は現在大阪司法記者クラブに在籍している。阿久沢悦子記者は現在静岡総局勤務だ。この3名には、前述の「質問状」を送付してある。そして予期せぬ大物登場者は、朝日新聞東京本社広報部・河野修一部長代理だ。

◆「広報で対応する」一辺倒の大貫聡子記者

大貫記者は、李信恵が対保守速報裁判で勝訴した、11月17日の大阪司法記者クラブでの記者会見の際に、取材班の記者室への入室を拒否した人物だ。またこの裁判についての署名記事も書いている。この記事は明白な事実誤認がある問題記事だ。大貫記者に電話をかけると「この事案については会社の広報で対応しますので答えられません」と一方的に電話をガチャ切りされた。違う電話番号から再度大貫記者に電話をかけるも、やはり同様に「広報で担当しますので答えられません」と再度ガチャ切りされた。

鹿砦社は、ツイッターに「鹿砦社はクソ」などと何度も書き込んだ李信恵を、名誉毀損による損害賠償請求で訴えた際、2017年11月1日大阪司法記者クラブへ、松岡社長みずからが赴き、記者会見開催を要請した。ところが当時幹事社だった朝日新聞の采澤記者は「加盟社全社にはかったうえ」とし、記者会見を開かない旨の回答を、要請から実質的に2時間ほどで返してきた(松岡の携帯電話に着信があったのが要請から2時間後、その時松岡は会合中で実際にはその数時間後に釆澤記者へ松岡から電話をかけ「記者会見拒否」を知ることとなる)。納得のいかない松岡は翌日采澤記者に電話で再度「どうして会見が拒否されたのか」を質問した。

その際の回答は納得のできるものではなかったが、一応の「応答」は成立していた。しかし、19日大貫記者は質問をする前から会話を遮断し、「広報で対応する」とまったくラチが明かない。新聞記者は情報を得るために、取材対象を追い、時にプライバシーにまで踏み込んだ取材に及ぶことも珍しくない(職務上仕方のない面もあろう)。しかし自身が「質問」を受けたり、取材対象となると「広報で対応します」と逃げ出す態度は、報道人としてはズルいのではないか。鹿砦社や取材班が不法行為を行ったり、不当な要求をしているのであれば話は別だが、朝日新聞とは「天と地」ほどの規模の違いはあれ、鹿砦社及び取材班は、「事実」を追い、「真実」を突き止めようと情報収集活動を行っているのだ。都合が悪くなったら「広報で」とはあまりに身勝手にもほどがある。

逮捕と同時に 大々的な実名報道を行うのが大新聞だ(近いところでは元オウム真理教の女性信者を大々的に、あたかも有罪確定かのように報じたが、元信者は無罪が確定している)。あの報道を見れば、多くの人が元信者の女性は「有罪」と思わされたことだろう。大新聞はかように大変な影響力と権力を持っている存在であることは述べるまでもない。その大新聞に署名記事を書いている記者に質問をすることは、「不当な行為」なのだろうか。

◆阿久沢悦子記者も「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので……」

取材班は仕方なく采澤記者に電話をかけて、大貫記者に「回答をするように促す」との言質を得た。しかし釆澤記者は言葉巧みに取材班の要請を交わしながら、腹の中では別のことを考えていた。電話で取材にあたった担当者も采澤記者が大貫記者に回答を「促す」ことなどないだろう、と感じていたという。

静岡総局に勤務する阿久沢悦子記者は、前任の勤務地が阪神支局で、李信恵らによる「大学院生M君リンチ事件」後、比較的早い時期からM君に接触し、一時はM君に同情的な言動を見せていた人物である(またM君を裏切った趙博をM君に紹介したのは阿久沢記者である)。取材班が阿久沢記者に電話をかけたところ、仰天するような言葉を耳にする。「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので、私からは何もお答えできません」というのだ。

阿久沢記者は「その連絡は先ほど私にあった」とも語っていた。ということは、19日の大貫記者、釆澤記者への取材班の電話に対して、両名(もしくはどちらかが)が本社、もしくは上司に「相談」を持ちかけたと推測するのが自然だろう。釆澤記者の「大貫記者へ回答するように促す」との言葉は、やはりまったくの出まかせであったことが阿久沢記者の回答から明らかになった。取材班は「では、担当はどちらの部署か」と尋ねると、待ち受けたように阿久沢記者は「本社の広報部河野修一部長代理です」と電話番号を教えてくれた。

◆朝日新聞東京本社広報部河野修一部長代理との一問一答

おいおい、「天下の朝日新聞」よ、取材に対して拒否だけでなく、本社の広報部部長代理が応対するって? 仕方あるまい。取材班は本社広報部に電話をかけた。以下は取材班と河野氏の一問一答だ。

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広報部 はい朝日新聞社広報部です。
鹿砦社 お邪魔します。株式会社鹿砦社と申します。
広報部 どうもお世話になってます。
鹿砦社 いつもお世話になっております。河野(修一)広報部長代理はいらっしゃいますでしょうか?
広報部 はい、少しお待ちください。
河野  替わりました。河野です。
鹿砦社 突然お電話を差し上げまして恐縮です。株式会社鹿砦社と申します。
河野  はい、承知しています。
鹿砦社 お手を煩わせて恐縮なのですが、先ほど来、おそらく采澤さん(嘉高・大阪司法記者クラブ)とか、いろいろな方からご連絡が入って。
河野  ちょっとやめていただきたいんですよね。
鹿砦社 やめていただきたい?
河野  はい。ええ、まず記者の個々人に連絡を取るのはやめてください!
鹿砦社 ちょっとお待ちくださいね。いまおっしゃった「記者の個々人に連絡を取るのは止めてください!」と。
河野  はい、大変迷惑しておりますので。
鹿砦社 迷惑をしている?
河野  はい、そうなんですよ。で、今後連絡一切は私にお願いします。
鹿砦社 あの、ちょっとお待ちくださいね。
河野  はい。
鹿砦社 「連絡を取るのを止め。迷惑をしている」と、署名記事を書かれている記事についての質問状を送るのが、いけないんですか?
河野  質問状もこちらに送ってください。対外的な窓口はこちらなので。それはそのように、いろんなウチに対する申し入れでもそうしているんですよ、ええ。なので個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたいと思います。
鹿砦社 「個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたい」と。それは要請ですか? あるいは指示ですか?
河野  指示する権利は、こちらはないですのでものね。
鹿砦社 先ほど「迷惑している」というお言葉にちょっと驚愕しているのですけれども。
河野  はい、はい、はい、はい、非常に個々の記者たちは迷惑しています。報告はぜんぶ来ているんですけども。
鹿砦社 具体的にどういったことで、ご迷惑をおかけしているというふうに認識していらっしゃいますか?
河野  はい、そういったことにはお答えいたしませんが。
鹿砦社 いや(驚)?
河野  あの電話切ってよろしいですか!
鹿砦社 電話を切る?
河野  どういう要件ですか?
鹿砦社 ですから、ええといま私は静岡総局の阿久沢(悦子)様にお電話を差し上げて…。
河野  はい、阿久沢は大変迷惑していますので。
鹿砦社 阿久沢は大変迷惑をしている?
河野  それはそうでしょう。会社対応のスマフォとかに電話をかけられたら。
鹿砦社 会社対応のスマフォ?
河野  はい。
鹿砦社 「会社対応のスマフォ」ってどういう意味ですか?
河野  あの携帯に電話をかけているんでしょう。
鹿砦社 ああ、そうですよ。だって携帯電話の番号が入っている名刺を配ってらっしゃるんですから。
河野  いや、だけど迷惑なんですよ!
鹿砦社 ええ!! 名刺に電話番号を入れておいて、その書いてある電話番号にかかってくるのが迷惑というのは、世間では通じませんよ、そんなの。
河野  いや通じますよ。あなたたちのほうが、もうぜんぜんに非常識ですから。
鹿砦社 私たちのどこが非常識とおっしゃって。具体的に誤りがあれば訂正いたしますので。具体的にちょっと教えていただけますか。
河野  本をいきなり送ってきて、で、「その本を読んだか感想を言え」と。
鹿砦社 はい。
河野  その本が読みたくない本だったら迷惑ではありませんか。
鹿砦社 あの「読んでください」ということで、もちろんお送りしていますよ。ただし、送り付け商法ではありませんが、「お金を払え!」とかいうようなことは一切しておりませんよ。
河野  だったら本を送るだけにしてもらえませんか。その後のお便りいりません。
鹿砦社 本を送らせていただくのは、事実関係を理解していただく補助的な資料としてお送りしているのであって。
河野  ええ。
鹿砦社 質問状を送らせていただくにあたっては、こういう背景事実があるんだけども、「どうお考えになるか?」とお尋ねするのが、非常識な行為でしょうか?
河野  はい。
鹿砦社 非常識な行為なんですか?
河野  はい、あの~迷惑です。こちらからなにか読んで言いたいんであれば、連絡することもあるかもしれませんが。ええと、そういう気がまったくございませんので。
鹿砦社 署名記事で書かれていることに、署名記事で書かれるということはありますよねえ。一般的な社会面であっても、地方面であっても書名記事で記事を書くということはありますよねえ。もしもし? もしもし?〈不可思議な間(ま)が続く〉
河野  いや、どうぞ続けてください。
鹿砦社 署名記事を朝日新聞に掲載されることはありますよね。で、署名記事は書かれた方のお名前が分かりますので、それについての意見とか、ご質問とかは読者の方から沸いてこようかと思うんですが、それをお尋ねするというのもいけない行為なんですか?
河野  それは、尋ねたいことがあれば広報に今後お願いしますと。そういうことです。
鹿砦社 それはふつうの読者であってもそうなんですか? 一般読者であっても?
河野  一般読者の場合もお客様専用の、ええと問い合わせ窓口を作っていますんで、そこにかかってきますねえ。記者に直接来ることは、まあ直接取材を受けた方からということはあるでしょうけども。
鹿砦社 署名記事というのは、一定程度その方は、もちろん会社の意向の中で、社論の中で誰々さんが書いたことを明らかにするために、署名にするためじゃないのでしょうか。という理解は間違いでしょうか、私の? それは違っていますか?
━長い沈黙━
鹿砦社 私がお尋ねしている意味がお分かりいただけますでしょうか?
河野  いやーぜんぜん分からないので、返事のしようがない。
鹿砦社 お分かりにならない?
河野  はい。
鹿砦社 え!! 署名記事というは署名のない記事とはちょっと違って、その記事に関して一定の文責、文章を書いた責任を書いた記者の方が明らかにするという性質のものではないでしょう?という質問なんですけども。
河野  う~ん、ぜんぶの署名記事がそうなのかどうなのかというのは、ちょっと分からないですねえ。
鹿砦社 いや、一から百までの責任を個人に個に帰すというのではなくて、誰がどういうふうに書いたか分からないのではなくて、この記者さんはこう書いたものだよと。広い意味で、読者に分かりやすく提示するというので、署名記事というのがあるという理解は間違いでしょうか?
河野  いや、知らないんですけど。それと今回の送り付け行為となんの関係があるんですか?
鹿砦社 「送り付け行為」。
河野  はい。
鹿砦社 ええと恐れ入りますが、河野様ですね。
河野  河野です。
鹿砦社 河野様は、私どもの書籍を送らせていただいたことにはご存知だと思うのですが。
河野  はい、文面もすべて読んでいます。
鹿砦社 はい、その前にですね、私どもが「大阪司法記者クラブに入ることを拒否された」という前段があることは、ご存知でいらっしゃいますか?
河野  それは本にお書きになっているようですねえ。
鹿砦社 いや、事実関係は聞いてらっしゃいますか、記者の方から?
河野  すいません。こちからのお願いは一つで、個々への記者へのそういう……。
鹿砦社 違います! いま私がお尋ねしたのは、「河野さんはその事実をご存知ですか?」とお尋ねしているのです。
河野  あのーこっちは東京の広報なので、細かい大阪のことは知りません。
鹿砦社 だからあなたはご存知ではないわけですよ。なぜ私どもが質問を投げかけなければいけなくなったか、というそもそも発端を。
河野  もうやめてください。こちらとしても、ちょっと迷惑が過ぎるようだったら、ちょっといろんなところに相談しなくちゃいけませんし。
鹿砦社 迷惑?
河野  はい。ええと……。
鹿砦社 ちょっと端的に申し上げますよ。
河野  はい。
鹿砦社 大阪司法記者クラブという、大阪地方高等裁判所の中に記者クラブがあります。東京の裁判所にもあります。
河野  そういう話はいいので、とりあえず……。
鹿砦社 こちらが受けた被害は聴いてくださらないのですか?
河野  はい、なんで聴かなきゃいけないんですか!
鹿砦社 いや、「こちらが受けた被害は聴いてくださらないんですか?」と言っているんです。
河野  被害があるんであれば……。
鹿砦社 いまその話をしているんです。
河野  いいです。被害があるんであれば弊社を訴えるなり、なんなりしてくれればけっこうです。
鹿砦社 訴えるような話じゃなくて、「なんで(記者会見に)「入れていただけないのですか?」ということをお聴きしているのです。
河野  あの、とにかく、ずっと個々への記者へのこれ以上の接触は、この件についてはやめてください。
鹿砦社 いや、ですからその前提事実を、まず顕著な前提事実をご存知ないようですので、その確認を含めてお尋ねしたいと思って。その一つお伺いしたいと思うんです。あの大阪記者クラブ……。
河野  電話切っていいですか?
鹿砦社 あ、聴いていただけないわけですか? こちらは被害申告ですよ。
河野  じゃあいいですよ、別に。あれば書面で私宛てに送ってください。
鹿砦社 被害申告を聞かないわけですか?
河野  はいはい。だから、どうぞ書面で「中央区築地、朝日新聞」で届きますので、あの、どうぞどうぞ被害申告があるというなら。
鹿砦社 さっき「電話で受ける」とおっしゃったんですけれども、電話では受けていただけないんですか?
河野  はい。こちらから、とりあえず個々への記者への接触はやめてほしいということです。
鹿砦社 こちらは一方的に被害を受け続けろと?
河野  だから、そういう被害があるんでしたら改善されなければいけないのでしょうから。
鹿砦社 ですけど、いまお話しようと思うけど、「文書で出せ」というふうに。
河野  被害があれば、どうぞ! それはウチに出すべきものかは分かりませんが。
鹿砦社 じゃあ繰り返しますが、朝日新聞社様は、「非常に迷惑をしている」という認識なんですね。
河野  はい、そうです。
鹿砦社 間違いありませんね。
河野  はい。
鹿砦社 はい、ありがとうございました。失礼いたします。

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◆朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ?

まるで常習クレーマーを相手にするかのような口調と、文字には表れないが、「揚げ足をとってやろう」と明らかに企図した不可思議な「間(ま)」。よくぞここまで「悪者扱い」してくれたものぞと、かえってすっきりするくらいの「馬鹿にした」態度だ。

朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ? 鹿砦社は1987年、「朝日新聞阪神支局襲撃事件」を受けて、先日NHKテレビ『赤報隊事件』の主人公、植田毅記者、辰濃哲郎記者らの取材に協力し、この事件の深刻さを編纂した『テロリズムとメディアの危機』を刊行し、「日本図書館協会選定図書」「全国学校図書館協議会選定図書」に選定された。鹿砦社は朝日新聞に「貸し」はあっても「借り」はないはずだ。

また2005年の「名誉毀損」に名を借りた松岡逮捕劇の際にも、検察の意を受けて松岡を騙し関係資料を入手し「スクープ」を手にしたのは朝日新聞の平賀拓哉記者だった。にもかかわらず、「迷惑」、「個人の記者への接触をしないでくれ」、「しかるべき措置を考えなければならない」などという河野部長代理の言葉は、赤報隊が朝日新聞阪神支局で小尻知博記者の命を奪った散弾銃のように取材班メンバーの心に“銃弾”を打ち込むほどの衝撃だった。ことは人ひとりをリンチし半殺しにした事件だ。昨日(2・19)に対応した記者たちに〈人間〉の心はないのか? 朝日新聞に「ジャーナリズム」を期待するのは無理なのか?

追伸:夕刻、毎日新聞の後藤由耶記者に電話が繋がった。後藤記者は「この件は社長室広報担当になりました。東京本社の代表番号から広報に電話をお願いします」と毎日新聞でも『報道管制』が敷かれた模様だ。取材班はこの通信にしては、長い文章を書きながらこみあげてくる(悲しい)笑いを抑えられない。この程度なのか? 日本の新聞は? 新聞記者は? 自分の行動に責任をもてないのかと。

※[お詫びと訂正]取材過程で、河野氏の表記を誤りました。お詫びして訂正いたします。(2月22日)

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

1月27日、28日2夜連続で放映されたNHKスペシャル「未解決事件File 6 赤報隊事件」を観た。結論から言えば、期待外れだった。(新)右翼犯行説、宗教団体犯行説は当時からさんざん言われたことで目新しい事実はなかった。宗教団体犯行説、途中で上層部から取材打ち切りの指示が出たが、なぜ打ち切りなのか、それ以上の追求はなかった。新たに判ったことは、デジタル的手法を駆使して、幾つか出ている犯行声明文がおそらく同一人物によって書かれたのではないかということぐらいだろうか。国営放送という制約があるのかもしれないが、ここでは具体的には言わないが、もっとディープな取材が欲しかったところだ。

NHKスペシャル「未解決事件File 6 赤報隊事件」

「赤報隊事件」とは、1987年5月3日、憲法記念日、兵庫県西宮市に在る朝日新聞阪神支局が「赤報隊」と称する何者かによって銃撃され、小尻知博記者が死亡、犬飼兵衛記者が重傷を負った事件で、その後も名古屋支局寮、静岡支局などが攻撃されている。

当時から「言論への挑戦」と叫ばれ続けて来たが、時効を迎え、今に至るも未解決のままだ。もう31年も経ったのかと溜息がする。

27日放映ではドラマ仕立てで、樋田毅記者が主人公的存在で、草彅剛が演じている。樋田毅という名は実名で、脇役的存在の辰濃哲郎記者も実名だ。実はこの2人の記者に私も取材を受けている。辰濃記者には本も貸している。朝日新聞にはあと2人、計4人の記者に取材を受けた。他社の記者にも取材を受け、合計23人の記者に取材を受けていると第二弾の『謀略としての朝日新聞襲撃事件』に記載されているが、さらにその後も新たに数人の記者の取材を受けていることも記録されている。そうした中のひとりで当時毎日新聞の阪神支局にいた鈴木琢磨記者は、その後、『サンデー毎日』記者、編集委員となり、朝鮮問題専門家としてテレビでもたびたび登場している。

なぜ、私がこれほど多くの記者に取材を受けたかというと、前年に、28日の放映分にも登場している鈴木邦男氏が主宰する新右翼団体「一水会」の機関紙『レコンキスタ縮刷版1‐100号』を出版し、鈴木氏、及び周囲の新右翼関係者との関係を聞き出したかったからだろうと思われる。鈴木邦男氏とは、その数年前、当時装幀などを担当してくれていたFさんの紹介で知り合い、その頃、鈴木氏や配下の木村三浩氏は新右翼の超大物・野村秋介氏についてよく来阪していたが、それに同席させていただき、野村氏との知己も得た。

私は1977年に西宮に来て、85年から独立し西宮にて事務所を構えていた。阪神支局には自転車で15分くらいの位置にあった。鈴木氏は以後、私が以前に新左翼党派「赤報派」(RG[エルゲー]とも言われていた)と接触があったことを針小棒大に面白おかしく採り上げ、雑誌『Spa!』の連載で「爆弾の松岡」とか揶揄し、あたかも私が赤報隊であるかのような書き方をしている。

『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』(1987年)

私は地元西宮で起きた事件でもあるので、この「デジタル鹿砦社通信」管理人&『NO NUKES voice』編集長の小島卓君と共に、私たちなりに取材を始めた。それは『テロリズムとメディアの危機--朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』として緊急出版された。この際、2人で朝日阪神支局に取材に赴いたところ、けんもほろろ追い返された記憶がある。朝日は、大衆に対しては上から目線で取材を求め、逆に私たちのような小出版社からの取材に対しては拒絶する体質のようだ。これは今も続いている。朝日からは、のちの「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件などたびたび煮え湯を飲まされたが、ここでは触れない。

私が一番違和感を覚えたのは、自社の記者が殺されたにもかかわらず、朝日主催の夏の地元・甲子園球場(意外と間違う人が多いが、甲子園球場は西宮に在る)で行われた、その年の高校野球で黙祷の一つもなかったことだ。阪神支局の方々は、この時期、高校野球の取材などに忙殺されるというが、この時の支局の方々の気持ちはいかばかりだったろうか。

その後、不思議なことに、1年ほどしたら、阪神支局員全員が他の部署に異動している。記憶が曖昧だが、大島支局長はどうだったか、おそらく最後に異動したと思う。

「警察よりも早く犯人をあげる」と意気込み事件取材を指揮していた柴田鉄治大阪編集局長の更迭→関係会社への異動は特に首を傾げさせる出来事だった。

『テロリズムとメディアの危機』は、私にとっても初めて、身近で起きた現実の事件についてまとめた本だし、小島君もそうで、初めて2人で作った本だ。日本図書館協会、全国学校図書館協議会の推薦図書にもなった。赤報隊事件から31年なら、小島君との付き合いも31年ということになる。このかん、いろいろなことがあったな。

西宮には、この前に「グリコ・森永事件」(1984年)があり、もっと前になるが「甲山事件」(1974年)があった。私にとってこれら3つの事件は、小なりと雖も出版人としては生涯の関心事だ。いつか現場や関係箇所を歩き回り、一冊にまとめてみたい。

当時から言われた「言論への挑戦」、果たしてこれに対し(朝日を含め)どれだけのメディアと報道人が体を張って闘っているだろうか? 大いに疑問だ。「言論への挑戦を許すな」と言うのは簡単だ。しかし、大事なのは日々どういうスタンスを持って言論活動に携わっているかだろう。権力のポチになっていないか!? 脚下照顧、あらためて反省しなければならない。

『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』(1988年)

久し振りに、上記に挙げた『テロリズムとメディアの危機』、そして続刊の『謀略としての朝日新聞襲撃事件』を紐解いてみた。31年前の目まぐるしい事件の転回や、私たちなりに真正面から事件に取り組んだことなどが想起された。

まだメジャーになる前の高野孟氏と、まだ共同通信記者時代の浅野健一氏が対談をやっている。高野氏は、グリモリ事件同様「日本の中での関西特有の一種の地下構造というものとの繋がりのところで出て来てる問題」と指摘している。他にも、多くの方々が質問に答えてくださっている。かの奥崎謙三氏もいる。

おそらく朝日上層部や、樋田記者ら特別チームは、当時の大島次郎(故人)支局長にもかなり詳しく話を聞いているはずだから、大島証言がなぜ公にならないのか不思議でならない。このように、朝日は本当に取材した情報をどれだけ公にしたのだろうか? これは当時から他社の記者も言っていることで、朝日の秘密主義が問題の解決を遅らせた、いや、今に至るも未解決のままに至らしめたといえないだろうか?

思い返せば、朝日新聞阪神支局襲撃事件以来、言論をめぐる情況は変わった。大きく変わったことは、メディア自身の委縮、知っていながら報道を控えることではないだろうか。

かの本多勝一氏でさえ、事件の同年末で、月刊『潮』で連載していた「貧困なる精神」を「さらに厳しい自粛令が改めて出ましたので、忠実なサラリーマンとして私はこれに従います」として連載を打ち切った(その後、本多氏は朝日を退社し『週刊金曜日』を起ち上げるのだが、在社中に徹底抗戦してほしかったところだ)。こうした意味では、この事件は、赤報隊の「言論への挑戦」という目的を、はからずも果たしたといえよう。遺憾かつ残念なことだ。

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

乾杯の音頭は椎野礼仁さん

松岡利康=鹿砦社社長

去る1月18日夕刻から吉祥寺「大鵬本店」大広間にて2018年鹿砦社新年会が盛大に開かれ、取引先やライターさんら50人が参加されました。新年の慌しいさなか参加された皆様方、ありがとうございました。

開会に際し、長年お世話になっている大鵬の社長がわざわざご挨拶にみえられました。また、新年会の看板もこしらえて飾っていただきました。社長のご厚意に感謝いたします。

初めて参加された方も少なからずおられましたが、小社の新年会(以前は忘年会)は1年に1度の大盤振る舞い&無礼講です。

これは、12年前の、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で小社は壊滅的な打撃を受け、皆様方のご支援で再起できたお礼の意味を込めて開始したものです。

一貫して会費は無料です。勿論費用はかかりますが(今回も50万円近くかかりました)、それよりも、取引先やライターの皆様方に喜んでいただき、また1年小社のためにご尽力いただければ、これにすぐることはありません。

もう10年ほどになりますが、この間にも晴れた日も、また曇りの日もありつつも継続して来ています。いくら曇ったり雨になっても、地獄に落された12年前の出版弾圧に比べれば大したことはありません。この時の体験は、確かに苦しかったですが、これに耐えることができたことで、逆に私たちに、どのような苦難にも立ち向かえる自信を与えたと思っています。

昨年も会場はトランス状態(定員、及び参加者40人ほど)でしたが、今年は昨年よりも更に多く50名ほどが参加され、スペースの関係上懸念されながらも、なんとか無事終了することができました。

左から三上治さん、松岡社長、板坂剛さん

そして、久し振りに全国の刑務所等を回る「プリズン・コンサート」400回を越えたPaix2(ぺぺ)にも歌っていただきました。

Paix2をご覧になったのが初めての方もおられると思いますが、こういうピュアで強い意志を持って頑張っている人たちを、ささやかながら鹿砦社は応援してきました。これからも応援していきますので、皆様方も応援よろしくお願いいたします。ライターやメディア関係の方、機会あればどんどん採り上げていってほしいと思います。

Paix2(ぺぺ)のManamiさん

Paix2(ぺぺ)のMegumiさん

参加の方全員に挨拶していただくことは時間的にも無理ですので、10人ほどに絞り発言していただきました。口火を切った垣沼真一さんは、私と同期(1970年大学入学)で、昨年私と共著で『遙かなる一九七〇年代‐京都』を上梓しました。参加者の中で私と一番古い付き合いになります。以後、続々と多士済々の方々が挨拶、お褒めの言葉あり、叱咤激励あり苦言あったりでしたが、厳しい中にも温かさが感じられるものでした。

『遙かなる一九七〇年代‐京都』の編著者、垣沼真一さん

『芸能人はなぜ干されるのか?』の著者、星野陽平さん

2次会も半分ほどの方々が残られ、こちらも盛況でした。どなたも鹿砦社を愛され、ずっとサポートしてこられた方々ばかりです。こういう方々によって鹿砦社の出版活動は支えられています。

構造的不況に喘ぐ出版界ですが、当社も例外ではありません。しかし、いつまでもこんなことで嘆いてばかりいても仕方ありません。皆様方のお力をお借りしつつ前進していく決意ですので、本年1年、よろしくお願い申し上げます。

これから1年頑張り、また1年後に新年会を開くことができるよう心より願っています。一定の売上‐利益が挙がらないと新年会も開くことはできないわけですから。
ちなみに本社のある関西では、一昨年から、東京の半分ぐらいの規模で忘年会を開いています。

アンコールに応えるPaix2(ぺぺ)さん

株式会社鹿砦社 代表取締役 松岡利康

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『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

衝撃の第4弾!『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』

 

板坂剛『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(鹿砦社新書004)

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』

来る1月18日午前11時から、李信恵被告による相次ぐ「鹿砦社クソ」発言に対する名誉毀損訴訟第2回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。この期日には被告側の答弁がなされることになっています。

在特会や保守速報等に対する訴訟によって「反差別」運動の旗手ともて囃されている李信恵被告が、裏では大学院生リンチ事件に関わり、当社に対しては連続して「クソ」発言を繰り返すということをなぜ、李被告をもて囃す人たちは目をそむけ黙っているのでしょうか? それは「反差別」運動にとってもマイナスでしかないと思うのですが。

会社や社員を誰よりも愛する私としては、李被告による「鹿砦社クソ」発言は到底許せるものではありませんし、取引先への悪影響を懸念して、やむなく提訴に踏み切りました。以来さすがに当社に対する「クソ」発言は止まりましたが、私が李被告に会ってもいないのに喫茶店で睨み恐怖を与えたかのようなツイートをし、係争中にもかかわらずさらに私を貶めるような発言をしています。どこの喫茶店なのか、問い質しましたが返答がありません。それはそうでしょう、会ってもいないのですから……。

李信恵のツイート

私が李信恵被告の顔を見たのは、リンチ被害者の大学院生M君が李被告ら5人を訴えた裁判の本人尋問(昨年12月11日)が初めてでした。「反差別」運動の旗手として祀り上げられた人物とはどんな顔をしどんな雰囲気を醸しているのだろうか? 興味津々でした。意外にも、社会運動の旗手として君臨するような輝いたイメージではなく、顔色は酒焼けしているのか悪く、目の輝きはなく目つきもよくありませんでした。この人が「反差別」運動の旗手なのか――尋問も聴いていると、明らかに事実と異なる嘘を平然とついていました。「反差別」運動のリーダーたる者、嘘をついてはいけません。

李信恵という人は、M君に対し5人でリンチを加えた現場にいてその場の空気を支配し、ネット上で流行語になった感さえある、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」とリンチの最中に言ったり、半殺しの目に遭ったM君を寒空の下に放置して店を後にしたりした、その人です。こんな人が一方では「人権」を声高に叫ぶのですから、世も末です。

このリンチ事件に出会い、ずっと調査や取材を進めていく過程で、李被告に限らず「反差別」運動(「カウンター」‐「しばき隊」)の周辺の人たちの言葉が殊更汚いことは気になっていましたが、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という言葉に極まった感があります。

私は1970年代以降、この国の部落解放同盟による、いわゆる「糾弾」闘争などを経過し、私なりに「反差別」のなんたるかについて考えてきました。「糾弾」闘争への疑問が語られ始めた頃、師岡祐行さん(故人。当時京都部落史研究所所長)と土方鉄さん(故人。元『解放新聞』編集長)の対談を行い、両氏とも「糾弾」闘争の誤りを指摘されていたことを思い出します。土方さんは喉のガンの手術の後で、絞り出すように語られていました。この対談は記録にも残っています。1992年のことです。その後、さすがに解放同盟も反省したのか今では「糾弾」闘争をしなくなりました。

差別と闘うということは崇高なことです。真逆に「反差別」の看板の裏で平然とリンチを行うことは、差別と闘うという崇高な営為を蔑ろにし「糾弾」闘争の誤りを繰り返すことに他ならないと思います。それもリンチはなかったとか事件を隠蔽し、当初の反省の言葉さえ反故にして開き直っています。これが「反差別」とか「人権」を守るとか言う人のやることとは思えません。いやしくも「反差別」とか「人権」を守るというのであれば、みずからがやった過ちに真摯に立ち向かうべきではないでしょうか?

私(たち)は、大学院生M君リンチ事件に出会い、これを調べていく過程で常に自問自答を繰り返してきました。私(たち)がM君を支援しリンチ事件の真相を追及するのは是か非か――答えは明らかでしょう。リンチの被害者が助けを求めてきているのに放っておけますか? 私(たち)はできませんでした。あなたはどうですか?

私たちはすでにリンチ事件について4冊の本にまとめ世に出しています。事実関係はもう明白です。最新刊の『カウンターと暴力の病理』にはリンチの最中の録音データをCDにし付けていますし、リンチ直後のM君の凄惨な写真も公にしています。これを前にしてあなたはどう思いますか? なんとも思わないのなら、よほど無慈悲な人です。こんな人は、今後「人権」という言葉を遣わないでいただきたい。

李信恵という人に出会って、私は「反差別」運動や「反差別」についての考え方が変わりました。「人権」についてもそうです。平然とリンチを行う「反差別」運動とは一体何ですか? 被害者の「人権」を蔑ろにして「人権」とは? 

◆鹿砦社は「極左」出版社ではない!

李信恵被告の当社に対する罵詈雑言のひとつに、当社が中核派か革マル派、つまり「極左」呼ばわりしているツイートがあります。70年代以降血で血を洗う凄惨な内ゲバを繰り広げた中核‐革マル両派と同一視され、その悪いイメージを強調されることは、由々しき名誉毀損です。

李信恵のツイート

この際、いい機会ですから、このことについて少し申し述べておきたいと思います。

「極左」呼ばわりは、李被告と同一歩調を取る野間易通氏や、李被告の代理人・神原元弁護士らによって悪意を持ってなされています。「極左」という言葉は公安用語だと思いますが、いわば「過激派キャンペーン」で、鹿砦社に対して殊更怖いイメージを与えようとするものといえます。彼らが私たちに対し「極左」呼ばわりするのは何を根拠にしているのかお聞きしたいものです。

鹿砦社には、私以外に7人の社員がいますが、誰一人として左翼運動経験者はいません。私は遙か40年以上も前の学生時代の1970年代前半、ノンセクトの新左翼系の学生運動に関わったことがありますが、大学を離れてからは生活や子育てに追われ、運動からは離れていますし、集会などにもほとんど行っていませんでした。ノンセクトだったから運動から容易に離れられたと思います。考え方は「左」かもしれませんが、いわば「心情左翼」といったところでしょうか。社員ではなく、『紙の爆弾』はじめ鹿砦社の出版物に執筆するライターは左派から保守の方まで幅広いのは当たり前です。

また、鹿砦社は、1960年代末に創業し、当初はロシア革命関係の書籍を精力的に出版してきましたが、現在(1980年代後半以降)はやめています。昨年1年間で強いて左翼関係の本といえば、100点余りの出版物の中で『遙かなる一九七〇年代‐京都』(私と同期の者との共著で、いわば回顧録)だけです。

これで「極左」呼ばわりは、悪意あってのことと言わざるをえません。

さらに、M君リンチ事件について支援と真相究明に理解される方々の中にも、さすがに「極左」呼ばわりはなくとも「ガチ左翼出版社」と言う方もいますが、これも正確ではありません。

1970年代の一時期、当時どこにでもいたノンセクトの学生活動家だったことで、40年以上も経った今でも「極左」呼ばわりされないといけないのでしょうか。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)

松岡 昨年はお疲れ様でした。『カウンターと暴力の病理』は大反響で、発売直後は「しばき隊」は完黙(完全黙秘)状態でしたが本年もよろしくお願いいたします。

A あれにCD付けるアイディアは社長が発案しはったんですか?

松岡 それは「企業秘密」ということで。

B 「鹿砦社どこまで突っ走るの?」って仲間のフリーライターから面白半分に聞かれるんですけど、ここまで来たら一応の区切りまでは突っ走るってことでしょうか?

C もちろんでしょ。だから「サイバー班」から上がってくる情報の分析方法も格段に進歩したでしょ。

E 基本「特別取材班」は「M君リンチ事件」がもちこまれたところからスタートしましたよね。だからM君の一件が片付くまでは、「周辺事態」にも目配りしないと、ってことですかね。

A いやー。正直なところ、自分はちょっと精神的に疲れてるんですわ。

D どうしたの? 毎晩飲み歩いてるじゃない?

A 李信恵とか野間易通とかの書き込みのサマリーが、毎日「サイバー班」からあがってくるやないですか。あれ読んでたら「何がしたいんか、この人ら」って正直思いますよ。

D まあ無理はないだろな。俺もいい加減連中のお供には飽きが来てるし。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

E それでは困るでしょ。まだまだM君の裁判は続くんだし。李信恵の判決後には記者会見を開くのに、M君や鹿砦社は一切無視のマスコミにも一撃くらわさないと。

C 暮れに毎日新聞の後藤由耶(よしや)記者に公開質問状を送ったけど回答はありませんでしたね。

A 毎日新聞もどうかと思うわ。取材対象に癒着してしもうて。あれやったら記者と取材対象やなしに、ただの友達やんか。

D まあ、毎日新聞にしろ、朝日新聞にしろ、原則違反の取材姿勢がはっきりしたから社長から遠からず「突撃命令」が出るんじゃないの。

B え! また「突撃」ですか?

松岡 今回はBさんとCさんにお願いします。

C は、はい・・・。

D まぁ、若いうちに直撃や、現場は踏めるだけ踏んでおいた方がいい。

A そういえばDさんはいまだに「直撃」はゼロですね。

D そのかわり君らの文章の校正は全部俺がやってるぜ。

一同 はあ、それはそうです。

B 『カウンターと暴力の病理』の最後で社長が「隠し玉はまだある!」って宣言してましたよね。

松岡 あれっ。まだ皆さんには送っていませんでしたか?

D 社長、あれは俺に任せたってことだったじゃないですか。

松岡 ああそうだった。Dさんよろしくお願いいたします。

D 「爆弾処理」承りました。毎度ながら今回の爆弾に「しばき隊」は腰を抜かすだろうな。

A どないな内容なんですか?

松岡 まあ、見てのお楽しみということで。ちょっとだけヒントを言うと、「しばき隊」のかなりコアとみられている・・・

D 社長、ストップ!これはメガトン級の衝撃取材だからゲラができるまでは特別取材班内でも秘密にしましょう。

松岡 そうですね。今年は私も徐々に一線から退いて、社長業に専念する方向で行こうと思っています。

B 本当に我慢できますか社長?「しばき隊」関連ではないけど『紙の爆弾』最近評判がうなぎ上りですね。

C うんうん。鹿砦社の仕事してるって話すと「紙爆か? 頑張ってるな」って全国紙の記者の評価も上がって来たよね。僕は「紙爆」の仕事回ってこないけど。社長、僕にも書かせてくださいよ!

松岡 中川(『紙の爆弾』編集長)に相談してみてください。

C  (なんだ、そっけない)

A ところで例の絨毯爆撃の効果はどないでした?

E かなりのものだったらしいよ。住所不明で帰って来たのは1人だけで、1人は「受け取り拒否」だったって。

C 「受け取り拒否」なんかした人には、当然直撃取材が待っているわけですね。

松岡 その人は北陸の人でね。有名人でもないから取材費使って「直撃」するのはどうしようかと考えています。

E 北陸といえば、あの宗教関係者だ!

A しかおらへんやろ。

D 小物はほっときなよ。それより今年はM君や鹿砦社だけじゃなく、対「しばき隊」の新たな訴訟の情報があるよ。

C 聞いてます。聞いてます。それも複数でしょ。

D 安田浩一がさ「こういう記事を書いて最終的に喜ぶ人間の顔がわかるんです」とかなんとか言ってたけど、俺に言わせりゃ「じゃあ連中が喜ぶようなことをするなよ」ってだけのことなんだよね。「不都合な事実」は隠蔽しようとする。でも起きたものは仕方がない。事実は事実でしょ。「しばき隊」は隠蔽せずに、「これはここがまずかった」って反省すれば、ことはそれで簡単に済んだんだよ。けど奴らはそうはしない。だからたちが悪いんだよな。有田もそうだけど。四国の合田夏樹さんは、俺はっきり言って思想的には全然合わないよ。彼は保守でしょ。安倍の支持者で原発にも賛成。でも人間は誠実なんだよな。だから話は通じる。それに有田の選挙カーで職場や自宅を「訪問」されてる。こんな事件聞いたことないぜ。

B 合田さん事件については新たな証拠も入りました。いずれ読者に公開できますね。

松岡 皆さん今年も昨年以上の奮闘を期待します。よろしくお願いしますね。

A 社長、年末年始の出費がかさんでいまキツイんです。ちょっとだけ前借お願いできませんか?

D やめときな。若いくせに前借の癖なんかつけたら、ろくなことにならないぜ。誰かさんみたいに50歳超えてもSNSしか居場所がなくなったら嫌だろう? バイトでもしなよ。

A キツイなー。けど説得力あるわ。「誰かさん」みたいにはなりとうない。夜勤のバイトしますわ。

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

 

新刊書籍『カウンターと暴力の病理』において、精神科医の泰斗‐野田正彰氏に「困った人」と評価された、同じ(格はぐっと落ちるが)精神科医で立教大学教授の香山リカ氏――くだんの一件(「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」事件)以来、鹿砦社に対する発信をしばらく見かけませんでしたが、またしても「困った人」ぶりを発揮しています。小さなことにはいちいち相手しないつもりでしたが、「M君の裁判を支援する会」も反論している通り、ことはお金に関することでもありますので、あらためて抗議いたします。

香山氏は、今や刎頸の同志となった感のある野間易通氏による「(鹿砦社が)支援者のみなさんに広告・宣伝をして本を売るのです。そのために弁護士を雇って裁判を次から次へと起こさなければならないのです」(12月15日)とのツイートに応え、「出版の世界はいま構造的な不況で、最近会う編集者からも景気のよい話は聞かない。その中で『裁判を起こす→支援者からのカンパで費用を集める→本を出して支援者に買わせる』という小口ビジネスモデルに活路を見出したのだろうか。支援者は『カンパ』『本の購入』と二重取りされてることになるが」とリツーイトしています。野間氏にしろ香山氏にしろ、言うに事欠いて、根拠のないことを言わないでいただきたい。事実に反し筋違いの無責任な物言いには憤激を覚えます。

野間氏や香山氏らの同志、李信恵被告ら5人に対して、彼らにリンチを受けた被害者の大学院生M君が起こした民事訴訟は、多くの心ある方々の浄財によって支えられてきています。このお金については、弁護士が管理し、1円たりとも裁判費用以外には使われていません。支援会事務局のメンバーが集まる交通費や飲食費なども自腹です(時たま私がいる時には飲食費について私が負担することはありますが)。また、鹿砦社が李信恵被告を訴えた訴訟費用や鹿砦社の運転資金にも、当然ですが1円たりとも流用されていません。

香山氏の表現を普通に読めば、あたかも鹿砦社が、心ある方々から寄せられた浄財を使って「本を出して支援者に買わせ」て不当な利益を挙げているかのような誤解を与えます。そして「小口ビジネスモデルに活路を見出したのだろうか」だって!? 私はそんなセコいことはしません。鹿砦社は本年も(例年同様)年間100点余りの新刊を発行していますが、リンチ関係本はたった2点だけで、売上の比率は全体の1パーセントほどにすぎません。「小口ビジネス」と言うには小さすぎます。いい加減なことを言わないでいただきたいものです。香山先生、あなたも、それなりに名のある「知識人」でしょう、みずからを貶めるようなことは言わないほうがいいのではないでしょうか。

香山リカ氏のツイッターより

野間氏の言説にしても、全くいわれのないもので、どこからそんな発想が出てくるのか、到底理解できません。裁判ひとつ起こすのにも、それなりの費用も掛かりますし、神経も使います。できるならば、裁判など起こさないほうがいいに決まっています。それでも鹿砦社が李信恵被告を提訴したのは、「鹿砦社はクソ」発言があまりにも酷く、度重なる誹謗中傷が小社に対して名誉を毀損するのみならず、小社と業務上関係のある方々(取引先やライターさんら)への悪影響を懸念してのことです。何が、「支援者のみなさんに広告・宣伝をして本を売るのです。そのために弁護士を雇って裁判を次から次へと起こさなければならないのです」か。想像でものを言うのはやめていただきたい。

さらに香山氏は、「お金取り尽くしたらそこで終わり。この件ではもう本を出す価値なし、となったあと、協力者、支援者が冷たくあしらわれて傷つくことにならなければよいのですが」などとほざいています。

香山リカ氏のツイッターより

やれやれ。ここまで来ると、怒りを通り越して失笑を禁じ得ません。しかし、こうした物言いが続けば、これは名誉毀損であり偽計業務妨害であり提訴もやぶさかではありません。私はめったなことでは提訴することはありませんが、度を過ぎれば、李信恵被告に対する訴訟同様、〝賽を投げる〟こともあります。

私や鹿砦社が、李信恵被告ら「カウンター」による大学院生M君リンチ事件に関わったのは、「小口ビジネス」としてではありません。リンチ直後のM君の顔写真を見、リンチの最中の録音を聴いたりして、あまりに酷すぎると感じたことに発しています。それも1年以上も意図的に隠蔽されたり村八分にされたり、さらに事件隠蔽工作に当社の元社員が関わっていたり……。

香山先生、こうしたことについて、あなた自身は、ひとりの精神科医として、ひとりの人間としてどう感じますか? 正直にお答えいただきたい。今回の本にリンチ直後の被害者の写真はトップに出ていますし、リンチの最中の録音も付けています。香山先生にもお送りしています(「どちらに送付したか、言ってみては?」だって? 事務所です)。「釈迦に説法」かもしれませんが、まともな精神科医なら、まずは激しいリンチを受けた被害者の心中を慮り寄り添うべきではないのでしょうか。

また、このリンチ事件について、鹿砦社は4冊の本にまとめ出版しています。このシリーズは、取材費や製作費などに他の書籍よりも多額の費用がかかっています。「小口ビジネス」で本を出し不当に「利益」を目論んだと言わんばかりの言説は心外です。元々利益よりも義憤に感じて始めたのであって、外から想像するほど利益を出しているわけでもありません。

さらに言えば、この裁判は、個人間の諍いではなく、李信恵被告ら加害者らが平素から「差別」に反対し「人権」を守るとうそぶき「ヘイトスピーチ」に反対する訴訟を起こし社会的にも、いわば「反差別」や「人権を守る」運動の旗手のように認知されながら、裏では激しい暴力を行使し常識では考えられないほど凄惨なリンチを行ったことを顧みると、公共的な意味もあり、多くの皆様方に支えてもらい進めたほうがいいという趣旨で始められたと理解しています。これまでは多くの心ある方々のご厚意でカンパも集まり、それで裁判費用が賄えてきました。もし資金が足りなくなったら、鹿砦社や私の私財を投じてもいいとも思っています。それに対して、妙な言い掛かりをつけるんじゃない!

さて香山先生、あなたがまずやるべきことは、「(鹿砦社が)小口ビジネスモデルに活路を見出した」などという、子ども騙しのデマゴギーを振り撒くことではなく、前述したように、ひとりの精神科医、ひとりの人間として、凄惨なリンチを受けた被害者に寄り添い、被害者の傷ついた心中を慮り、あなたの仲間らがやった過ちを叱責し反省を促すことでしょう? そうではないですか!? もしリンチ事件に曖昧な態度を取ったり隠蔽したりリンチ加害者側に与するようなことがあれば、あなたも〈共犯〉です。

まずは、お送りした『カウンターと暴力の病理』に付録として付けたリンチの最中のCDをお聴きになって、ご感想を述べてください。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

「本書は私たちにとっての『遺言』、あるいは〈政治的遺言〉と言っても過言ではありません。そのつもりで、いつかは若い時の自らの行動や経験をまとめようと思い長年かけて書き綴ってきました」

2017年11月1日、『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』(編著者・松岡利康さん、垣沼真一さん)が鹿砦社より発刊。それにともない20日、出版記念懇親会が、100名超を集めた関西(11月12日。これは本書の底流となっている松岡さんの先輩の児童文学作家・芝田勝茂さんの講演会〔同志社大学学友会倶楽部主催〕ですが、これに間に合わせるために本書が刊行されたそうです)に続き、東京でも30名ほどを集めて開催された。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、本書について冒頭のように説明している。

「全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという〈革命的敗北主義〉」

巻頭では、ニューヨーク州立大学教授で元同志社大学学友会委員長・矢谷暢一郎さんによる特別寄稿が掲載されており、そこには「読みながら時々息詰まって先に進めないのは、レジスタンスのパリで生き残ったジャン・タルジューに似て、生き残った作者自身の悔恨と苦悩に満ちた〈遺書〉を後に続く世代に残すために書かなければならなかった作業を、現在形で読むことから来ている」と記されている。

集会の終盤で議論に応じる松岡利康さん。「僕はほとんどノンセクト暮らし。しかも僕らの頃は、赤軍色は薄れていた」

1972年生まれで、超氷河期・団塊ジュニア・第2次ベビーブーム世代などと呼ばれるところの私は、周囲の同世代や女性による60・70年安保(闘争)世代に対する批判的な声を耳にし続けてきた。だが、個人的には広くおつきあいさせていただくなか、彼らは一定の「役割」を果たしたが、権力によって意図的に追いつめられたと考えている。そして、彼らに惹かれながら、彼らの「自由を求める精神・思想・方法論」などのよいところを自分こそが引き継ぎたいと願っているのだ。また、そのような視点で、彼ら世代が手がける書籍を読んでもきた。

『遙かなる一九七〇年代─京都──学生運動解体期の物語と記憶』は、松岡さんや矢谷さんが語るように、当時の行動・経験・悔恨・苦悩が〈遺言〉として、ある種赤裸々に、率直に記されている。個人的には、事実や知識を得ていくことにもちろん関心はあり、意外なつながりを発見するなどして喜びを感じたりもするが、それ以上に「真実」、そこにいたったり振り返ったりした時の感覚・思考などに関心があるのだ。それは、自分に活動家だという意識があり、現在の運動の苦しさを打破する鍵を探しているからかもしれない。本書を読了し、それらが多く書かれていると思った私は、ぜひ、本書を50代以下や女性たちにも読んでほしいと願う。同世代、特に関西にいた人にとって、より興味深いものであろうことはいうまでもない。本書をもとに議論や振り返りが盛り上がるとさらによいだろう。

たとえば松岡さんは、比較思想史家・早稲田大学教授で元叛旗派の高橋順一さんいわく「奇妙な情熱」でもって、第3章「われわれの内なる〈一九七〇年代〉」で、「私たちの共通の想いは、闘わずして腐臭を放つより、最後の最後まで闘い抜いて解体しよう、ということだった。これは、私たちが最先頭で闘い抜くことで、仮に敗北することはあったにしても、全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという、まさに〈革命的敗北主義〉であった。特に、70年入学という、いわば“遅れてきた青年”であった私(たち)の世代は、68-69年を超える戦闘性を合言葉にした」と当時を振り返る。

さらに、「全学闘の後々の『変質』があったのであれば、それは突然に起きたのではなく、表面化はしなかったにせよ、私たちの世代、さらに69年の創成当時にまで遡って根があると思う」と反省の意を綴った。そして、なかにし礼さん作詞、加藤登紀子さん作曲『わが人生に悔いなし』より、「親にもらった体一つで 戦い続けた気持ちよさ 右だろうと 左だろうと わが人生に 悔いはない」と記す。私の心には、〈革命的敗北主義〉の苦悩が届きつつも、羨望のさざ波が立つ。そのようなある種の爽快感を、現在の運動でもつことの困難を考えてしまう。

ちなみに、第4章「七〇年代初頭の京大学生運動──出来事と解釈 熊野寮に抱かれて」に、垣沼さんは、当時の背景として「民青はオルグする際は言葉としては近いうち革命でプロレタリア独裁を実現すると言っていたころだ」、「三派全学連から数年の実力闘争はかなりの国民から支持されていた。愛されていたと言ってもよい」と書いている。また、大学の生協の仕組みなども活動家の学生に対して「強力的」だった。改めて、時の流れを感じざるをえない。ただし、3章には、10年後の世代A君のメール文や、「最早、(75年前後の)大衆は70年代前半の大衆ではありませんでした」というメールも引用されており、これも興味深い。4章にも、京大総長岡本も「『ノンポリ』教養部生の発言には明らかに動揺している」などの記述もある。本当に、時代が変わる時だったのだろう。

また松岡さんは、寮母の砂野文枝さんに触れ、彼女の背景に戦時下の記憶をみる。このように、それぞれの時代を生きた人同士がつながり合い、何かが受け継がれていくのだろうと思う。

「真に闘ったかどうかということは、自分自身が一番よく知っている」

集会で革命に関する考え方と現在への影響などについて語る、評論家で叛旗派互助会の活動に継続的に参加している神津陽さん

Kさんが神奈川県に対して人事委裁決の取消しと損害賠償とを求めた行政訴訟事件の裁判の勝訴について報告する岡田寿彦さん

30年近くにわたる、たんぽぽ舎の反原発運動について説明し、「向こうも再稼働を思うようにできていない」と語る、柳田真さん

いっぽう、よど号メンバー、リッダ闘争関係者、連合赤軍関係者の特に現在については、個人的には松岡さんとも垣沼さんとも一部異なった印象・評価をもっている。万が一、よろしければ、ぜひ、直接交流してみていただきたい。事実を理解しないとの批判を受けるかもしれないが、自分なりの把握の仕方はある。この「過激な」活動の背景には、運動の歴史はあるものの、どう捉えるか、どこに線を引くかという考え方などに時代や個人によっての差が生まれるとは思う。いずれにせよ私は、自分への教訓としても、総括し、今日と明日とに生かしたいと考え行動する人々を信じる。その意味では、松岡さんも垣沼さんも立派な姿勢を示されたと思う。

さて、この運動衰退期を考える時、内ゲバのことを避けては通れない。松岡さんも垣沼さんも、これに真摯に向き合っている。ただし松岡さんは当時を全体的に振り返り、「闘うべき時に、真に闘ったかどうかということは、知る人は知っているだろうし、なによりも自分自身が一番よく知っているから、それでいいではないか、と最近思うようになってフッ切れた」という。

もちろん、連赤でもよくいわれることだが、運動や闘争にも実際には日常があり、そこには笑顔だってあった。本書にも、ほっとするようなエピソード、思わず笑ってしまうような「小咄(?)」なども盛りこまれている。また、松岡さんの「情念」を代弁するかのごとく、橋田淳さんの作品『夕日の部隊──しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま』が第2章として掲載されてもいる。さらに、垣沼さんは、三里塚で、「農家のおっかさんが我々が逃げていくとあっち行け、こっち来いと声をかけてくれるので皆目土地勘がないけれども何とか動けた」、留置所で「やくざの人から暇つぶしの遊びを教えてもらった」などとも記す。「納豆を食う会」などの、ある種バカバカしい運動も、もちろん批判的にではあるが取り上げている。私は晩年の川上徹さん(同時代社代表・編集者、元全日本学生自治会総連合中央執行委員長・元日本民主青年同盟中央常任委員)ともお付き合いをさせていただき、彼からは「人間とはいかなる存在かを書く」ということを学び、それを受け継ぐこととした。これらも含めて本書には、余すところなく、それがある。

『遙かなる一九七〇年代─京都』を読んで、ともに再び起ち上がろう!

他方、第4章に、垣沼さんは、当時が目に浮かぶような詳細な記録を残している。彼は、このもとになるような膨大なメモを記してきたのだろうか。自身の背景なども書かれており、90年代に学生だった私にも、親近感が湧く。

内ゲバの詳細を綴った個所は圧巻だ。たとえば、75年マル青同の岡山大学での事件においては、「『殺せ、殺せ』と叫びながら乱闘して、多くの人が負傷して、ゆっくりと動く車で轢死させている」とか、気絶するまで殴打する様子が描かれている。このような具体的な状況を知る機会は限られるだろう。しかし、これが殺人や連赤まで結びつくのは簡単なものだろうと思わざるをえない。

4章では特に、垣沼さんを支えてきた言葉が、現在のアクティビストである私たちへの「お告げ」となるかのように、綴られてもいる。たとえば、小説家で中国文学者・高橋和巳の『エコノミスト』(毎日新聞出版)連載より、「人民の代理者である党派は人民に対してだけは常に自らを開示し続けるべき義務をもつ。だから、どのような内部矛盾にもせよ、それを処理する場に、たった一人でもよいから、『大衆』を参加させておかなければならないはずなのである」という言葉を、高橋氏の体験に関する文章とともに引用している。また、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』7章より、「自由は、つねに、思想を異にするものの自由である」も記す。これはたしかに、デモのプラカードに用いたい。さらに、連赤総括で中上健次が「大衆の知恵と才覚」と語ったものこそが武器になるという。

私も、現在の運動については、過去のこと以上に批判的に考える。組織はほとんどが腐り、小さくても権力を握った人はそれを手放そうとせず、運動よりも自己実現・自己満足が優先されている。そして、そこでは議論などなされず、すでに一部の「小さな権力者」によって決められたものに、多くが従わされるだけだ。そのような場に幾度も居合わせては嫌気がさし、私は距離をおいてばかりいる。仲間や友人・知人にも、そのような人は多い。ただし、4章で垣沼さんが触れられているようなエコロジーに関する問題に携わる活動家も多く、もちろんよい運動だってあるし、試行錯誤を重ねている組織も個人も存在する。しかし、打破できぬ苦しさの中、希望も展望もみえず、たとえば私の所属する団体では「100年後」を考えることで現在の運動をどうにか継続することを試みるなどもしているのが現状だ。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、「当時の私たちの想いは『革命的敗北主義』で、たとえ今は孤立してでもたった一人になっても闘いを貫徹する、そしてこれは、一時的に敗北しても、必ず少なからず心ある大衆を捉え、この中から後に続く者が出る──私たちの敗北は『一時的』ではありませんでしたが、このように後の世代に多少なりとも影響を与え意義のあるものだったと考えています。〈敗北における勝利〉と私なりに総括しています」とも綴る。

現在のアクティビストが、本書を手に取ることで何かを得て、再び立ち上がる。またくじけても、何度でも立ち上がる。そのようにつながっていくために私はできることをするし、そのようになっていくことを願っているのだ。まずはぜひ、ご一読ください。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』『デジタル鹿砦社通信』ほかに寄稿・執筆。『紙の爆弾』12月号に「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」寄稿

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

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