私は小なりと雖も、会社の経営者です。私の経営する出版会社「鹿砦社」には私以外に7人の正社員が日々一所懸命働いてくれています。また、取引先や、ライター、デザイナーさんらが私たちの会社の活動を支えてくれています。感謝に絶えません。特に、12年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で壊滅的打撃を蒙った状態から奇跡的に再興できましたが、これもご支援を賜った皆様方の賜物です。

私たちは会社を芯から愛しています。7人の正社員も、私以上に会社を愛し、在籍している社員の勤続年数も長く、特段の事情がない限り転職・退社する者はいません(例外的に、M君リンチ事件隠蔽工作に関与したり就業時間に業務と無関係のツイッターやメールを行ったりして「特段の事情」で退社を余儀なくされた者が1人いますが)。

◆リンチ事件の処理・解決は正当に、社会的に全うになされなければなりません

また、私たちは、「カウンター」-「しばき隊」と自他称される人たちによる大学院生M君に対してなされた集団リンチ事件について被害者M君支援と真相究明に取り組んでいます。昨年春、偶然にM君と出会い、集団リンチ事件を知るに至りました。あまりにも酷い話であるうえ、この隠蔽工作に当社の元社員も絡んでいたり、それに気づかなかったという反省もあり、私たちは被害者支援・真相究明に取り組み始めたのです。このことについては、本「通信」6月10日号(私はなぜ「カウンター」-「しばき隊」による大学院生リンチ事件の真相究明に関わり、被害者M君を支援するのか)を参照してください。

まず、はっきり申し述べておかねばならないことは、私たちは決して加害者や、「カウンター」-「しばき隊」と称される人たちに私怨も遺恨もないことです。加害者5人には一度も会ったこともありませんし、私怨や遺恨が発生する原因がありません。ただ、実際に酷いリンチを受けた被害者M君の立場や気持ちが私たちとは違うことは当たり前です。いったん受け取った謝罪文を反故にされたM君の想いはいかばかりでしょうか。願わくば、M君の気持ちが悪い方向に行かないよう微力ながら寄り添うのが、年長者としての私たちの役割だと考えて日々彼と接しています。幸いに彼は、俊才な学徒ですから、怒りや憎悪の念を押し殺し前向きに自己の将来を考えているようです。

しかし、リンチ事件の処理・解決は正当に、社会的に全うになされなければなりませんし、きちんとすべきところはきちんとしなくてはなりません。常識的に見て、いくらなんでも、あれだけ酷いリンチを行って、謝罪文を反故にしたり、開き直り「リンチはなかった」などと吹聴したり、事件を隠蔽したりすることは絶対に許されることではありません。そうではないですか!? リンチ直後のM君の顔写真に象徴されるように現実にリンチは間違いなくあったのです。いずれ公開されるやもしれませんが、リンチの一部始終を録音した音声データもあります。それなのに、開き直れる感性が私には理解できません。

リンチ事件直後のM君の顔(『人権と暴力の深層』より)

昨年春から私たちは、裁判闘争を含めた被害者M君支援、事件の真相究明に取り組んできましたが、調べれば調べるほど、酷い話ですし、名のある著名人(国会議員、弁護士、学者、ジャーナリストら)が隠蔽工作に走っているのには驚くばかりです。

◆ここまで言われると私たちも黙っているわけにはいきません

私たちは、事件の真相究明の一環として、李信恵氏の裁判を支援する目的で発行されている『♯安寧通信』の分析を開始し、7月27日の「デジタル鹿砦社通信」(以下「デジ鹿通信」と略称)からコメントを出し始めました。評論、言論活動、表現行為として正当なものです。執筆者の性格で激しい表現も散見されますが、概ね的は射ているものと思います。

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[※上記◇箇所の文字は、裁判所の命で削除しました。(鹿砦社)]

李氏の言葉が汚いことは、この1年余りの取材や調査の過程で感じていて、「反差別」や「人権」を語る人がこんな言葉遣いをしていいのか違和感がありましたが、これは多くの方々も指摘されるところで、「鹿砦社はクソ」発言に極まった感があります。

李信恵氏の2017年7月27日付けツイッター書き込み

取材班の1人が怒りに任せ反論(「デジ鹿通信」7月29日号)を掲載いたしました。これに対して、またもや李氏は30日、酒の勢いと思われますが(同日はカウンター活動の後に仲間内で飲み屋に行ったことが確認されており、この後にツイートされています)、記事と写真の「削除」と「謝罪」を求めるツィートを発信しています。詳しくは、李氏のツイッターと「デジ鹿通信」の両方をご覧いただきたいと思います。

◆「人権」を蔑ろにする発言を軽々に行うことは厳に慎むべきです

私は会社の経営責任者として、「鹿砦社はクソ」とまで誹謗されて黙過することはできません。李氏は記事の「削除」と「謝罪」を求めておられますが、常識的に見て、ツイッターの「削除」と「謝罪」を求められるのは李氏のほうではないでしょうか。リンチ事件について、いったんは謝罪しながら、それを反故にした人ですから、これぐらいのことは屁とも思わないのでしょう。

李氏らは殊更、「反差別」「人権」という言葉を錦の御旗にしているわけですから、少なからずの社員やライターさんらが働き、これで生活の糧を得、また多くの取引先と商取引している会社を名指しして「クソ」発言はいかがなものでしょうか。「人権」を大事にすべき人が、「人権」を蔑ろにする発言を軽々に行うことは厳に慎むべきです。「鹿砦社はクソ」発言は、私たちや会社の存在を否定する言辞であり、私は会社の代表者として断固として抗議いたします。私の言っていることが間違っているのなら指摘していただきたい。

さらに李氏は警察に相談に行く(行ったと思われる表現もあります)ということですが、もし警察が李氏の話に耳を傾けるのなら、その前にリンチ事件についてまともに調べ直すべきでしょう。

◆「私はあなたの意見に反対だ。しかし、それを言う権利は死んでも守る」

なにかといえばすぐに警察や公権力に頼ろうとする姿勢は(それが重大事件であれば別ですが)、李氏も自称「フリーライター」ということですから、出版界やジャーナリズムに在る者としては失格です。「釈迦に説法」かもしれませんが、「私はあなたの意見に反対だ。しかし、それを言う権利は死んでも守る」というヴォルテールの有名な言葉をご存知ですよね? 

 

 

李氏らが時に用いる「仲良くしようぜ」とか「共生」などは空語としか聞こえません。なぜならば、「仲良くしよう」としても「共生」を求めても、彼女・彼らは、自分らと反対の意見の人には攻撃と排除しかしないからです。

さらに、李氏とその周辺の人たちは、自らに異を唱える人たちに集団で攻撃することは今更ここで挙げるまでもありません。その行為の中には人権侵害と思われる事例も少なくありません(証拠資料は多過ぎて整理できないぐらいです)。障害者の息子さんを持つ四国の自動車販売会社社長に対する攻撃は、国会議員の宣伝カーを使った自宅訪問までなされ、さらには最大の取引先のメーカーへの凄まじい電凸攻撃にまで発展しました。勤務する公立病院まで電凸攻撃された医者もいました。とても「人権」を大切にする者がやることではありません。

◆背後に度し難い〈タブー〉が存在している

私たちの出版社・鹿砦社は、1969年に創業して以来一貫して巨悪とタブーには断固たる姿勢で対峙してまいりました。そうした中で、出版社としてのスタンスを固めてきました。

くだんの大学院生集団リンチ事件には、背後に度し難い〈タブー〉が存在していることを、この1年余りの取材・調査で感じています。偽善者らも跋扈しています。偽善者――私たちが最も唾棄する徒輩です。口では「反差別」とか「人権」とか言いながら、その裏では、平気でリンチをやったり、それを隠蔽したりする人たちのことです。

私は「棺桶に片足突っ込んだ」(李氏の裁判を支持する鹿砦社の元社員のツイート)一老出版人であり鹿砦社は一小出版社にすぎませんが、私たちには私たちなりの矜持があります。間違ったことに「ノン!」と言えなくなったら、その時は、私が出版の仕事を辞め鹿砦社がただの出版社に堕す時です。

李信恵氏には、私たちへの謝罪はあえて求めません。謝罪は、李氏らが集団でリンチを加えたM君に行ってください。

大学院生M君リンチ事件加害者・李氏による「鹿砦社はクソ」発言をはじめとする鹿砦社に対する度々の誹謗中傷について鹿砦社の代表者として断固抗議し、李氏に対し重々な反省を求めます。

『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

 

 

  
過日鹿砦社特別取材班の編集会議のあと座談会が行われた。取材に当たって来たスタッフが顔を合わせ、これまでの取材と今後の展望などについて語り合った。

松岡 ご苦労様です。きょうはこれまでの取材成果や課題と今後の展望などについて気楽に話してください。

  正直、骨が折れています。新聞、テレビ関係者の間で「M君リンチ事件」は、もうみんな知っている状態になってるんですが、なぜかうちの後追いがないのが不思議ですね。

  今まで接触したメディアってどこがあったっけ?

  朝日新聞、産経新聞、共同通信、朝日放送……。あと週刊誌なんかからは結構こちらに問い合わせはありますね。

  朴順梨は早い段階で「共同通信の記者から聞いた」って藤井とのメールに書いてたよね。

  ええ、共同通信内では東京の社会部を含めて、ほとんど浸透しています。

  だけど記事にしたのは『週刊実話』だけやったね。

  それも発売当日にネットで謝罪・訂正が出され大騒ぎになった。あの訂正劇はなんだったんだろう?

  当日に西岡研介からクレームが入ったと『週刊実話』の編集部からはリークがありました。編集長判断の前に訂正を出したという説もあります。

  西岡ってそんな力があるんだ。

  みたいですね。でも先鞭をつけた『週刊実話』の記事は一定の評価に値するんじゃないですか。

  いや、あんな折れ方してほしくなかったね。おかげでその後、ネットでの空中戦凄かったじゃない。

  あの頃は夜も眠れんかった(笑)。僕ら参戦してないけど、しばき隊とアンチしばき隊のある意味での天王山やった。しばき隊は「嘘つきども」と勢いづいたけど、「世に倦む日々」高島章弁護士の応戦に結局軍配ですわ。

◆「M君リンチ事件」の現場音声と写真の衝撃、書籍出版の意義

  決定的だったのは高島弁護士が事件を録音した音声の書き起こしと、事件直後の腫れあがった「M君」の写真を発表したことですね。

リンチ事件直後のM君の顔

 

 

  あれは効いたな。あの写真出されたら、さすがに「リンチはなかった」とは言えない。そのあともしばき隊からは散発的に攻撃はあったようだけど、一気にトーンは下がったもんな。

松岡 このかんの展開を振り返ると、初期は主戦場がネット、とくにツイッターだったけれども『ヘイトと暴力の連鎖』を昨年7月14日に出してからはしばき隊がかなりおとなしくなった印象がありますね。

  やっぱり紙媒体でまとめたものが出る意味が大きいことを再確認しましたね。SNSで100回書かれてもやがて忘れられていくし、モノは残らない。その点書籍には書籍の強みがあると。

  それを実感したのは『反差別と暴力の正体』を出した後の反響ですわ。あの取材には(いつもそうやけど)力入ったし、こっちも驚くような事実が山ほど出てきたもんなー。

◆強烈だった沖縄地裁前の顔ぶれ

  龍谷大学に岸政彦の「直撃」に行った時は、ドキドキもんでしたよ。

  なに言ってるんだよ。大学教員なんか「直撃」の対象としては簡単なもんじゃないか。

  すいません……。

岸政彦=龍谷大学教授(当時)

  重要なのは事実を掘り下げることはもちろんだけど、当事者に直接当たるってことだね。

  それはそうなんやけど、『人権と暴力の深層』取材で沖縄地裁前は、すさまじかったですわ。しばき隊幹部勢ぞろいやから。野間なんか僕のすぐ横でビデオ回してた。安田浩一と香山リカのツーショット抑えた時は嬉しくて、松岡社長に電話したら「安田と香山と野間のスリーショットも撮れ!」って……。褒めてもらえると思ったらさらにエゲツない命令が来て冷や汗もんでしたわ。スリーショットはさすがに無理やったけど。

安田浩一と香山リカ

 

 

野間易通

  沖縄地裁前の顔ぶれは強烈でしたね。安田浩一、香山リカ、野間易通、伊藤大介……。あとしばき隊の裏幹部みたいなのも居たんですよね?

  それはまだオフレコやん! 今追ってるところです。

  あっ失礼しました。

◆有田芳生の「鹿砦社ヘイト」と増える編集部への激励

松岡 『人権と暴力の深層』では有田芳生参議院議員と中沢けいの突撃も掲載できました。経費は大幅に予算オーバーでしたが(笑)。

  東京の突撃部隊は今回も大活躍でしたね。

  それにしても有田のあの態度は酷いよね。

  「鹿砦社ヘイト」ですわ。

有田芳生参議院議員

  

 

  

 

 

  言うまでもないことなんだけど、もう一回確認しておきたいのは、われわれは「M君リンチ事件」を追ってるんだけど、決して差別を容認する立場ではないということ。「デジタル鹿砦社通信」の記事なんかは、けっこう右寄りの読者にも読まれてるみたいだけど、それはそれでいい。でもわれわれは原則的に「差別」や「暴力」に反対の立場だということはもう一回再確認しておきたい。

  右、左は関係ないんですよ。取材班の中だって、A君なんか保守じゃない? Bさんはどうかわからないけど、私は原則反自公だし、いろいろな意見の相違はある。でも「差別」と「暴力」を認めないことではしっかり一致できてるんじゃないかな。

  それがあらへんかったら「突撃」なんてでけへんわ。

  あと取材班の外で協力して下さる人が増えているのはありがたいですね。

  いま、ネット監視してくれている人どのくらいいるの?

  詳しくは言えませんが相当な数になりました。ターゲットの発信は全員を24時間監視していますから、何かあれば即座に情報が入手できるようになりました。無償でのボランティアの方には感謝ですね。

  ネットと言えば、最近李信恵がまた暴れてるな。鹿砦社やライターにさんざん噛みついている。まあそれはともかく、事実無根の書き込みはやめてほしいね。

  それは無理な注文だよ。しばき隊は「ないこと」を「あること」にして燃え盛り、気に入らない相手を潰そうとする。常套手段だね。だから李信恵だって記事内容自体には、一切具体的な反論ができていないじゃない。安倍が言った「印象操作」と同じだよな。でも「鹿砦社はクソ」っていくらなんでも下品すぎる。気に入らないのは分かるけど「反差別」の「旗頭」なんだから、もう少しましな表現はないものかとは思うね。

松岡 「鹿砦社はクソ」は酷すぎます。Cさん、「もう少しマシな表現」というレベルではないですよ。鹿砦社には、私以外に7人の正社員がおり、みんな真面目に一所懸命に働いてくれています。また多くの取引先や、ライター、デザイナーらが支えてくれています。いくら温厚な私でも(苦笑)、絶対に許せませんね。そりゃそうでしょう、曲りなりにも「反差別」とか「人権」とかを口にする人が、まともに一所懸命に働いている者らに「クソ」とか、私たちの人権を蔑ろにする汚い言葉を浴びせたり……呆れてものが言えません。私もそろそろ本気で怒らないといけないかもしれません。ところで、名前は出せませんがマスコミ関係者だけでなく、結構な大物からも最近は激励が増えています。私を含めて知らなかったから何とも思わなかったけれども、くだんの「M君リンチ事件」を知ったら常識的な人が驚き、怒るのは当然でしょう。

◆松岡代表による鈴木邦男さん義絶表明の波紋

  社長の怖いところは私たちにも内緒で「隠し玉」を持っているところだね。まだなんかあるんじゃないですか?

松岡 ありませんよ(苦笑)。どこに「隠し玉」があるんですか?

  これが怖いんだよね。鹿砦社。

  何言ってるんですかCさん。Cさんだって鹿砦社一派って散々ネットで書かれてるじゃないですか。

  え! そうなの? 俺あんまりネット見ないし、2ちゃんねるなんか見る方法も知らないから。でもそんなレッテル貼られたら『月刊HANADA』や『諸君』で仕事できなくなっちゃうぜ。

  そんな仕事してへんくせにCさん!

  やかましいわい!

  冗談はともかく、3冊を出したこと影響はさまざま出ているね。今焦点なのは鈴木邦男氏と松岡さんの今後の関係だな。松岡さん本当は、『人権と暴力の深層』の中で書くはずだったんだけど、逡巡して書けなかった。それで僕が背中を押す意味で「デジタル鹿砦社通信」に「鈴木邦男への引退勧告」を先に書いたのが内幕なんだ。

 

 

  自分は鈴木先生の本の出版も手掛けていたので正直複雑ではあります。

  厳しい選択だったと思うよ。横からちょろちょろ香山リカがちょっかい出したりしてきてるけど、30年の濃密な付き合いを真剣に思慮している人に、他人が口出すなと言いたい。

  週刊誌や新聞でごっつい扱いになることは今のところあらへんけど、松岡社長の鈴木邦男さんへの意思表明は、業界では相当な話題になってます。自分のところにも「どうなってんねん」と、問い合わせが結構あります。「松岡社長に直接取材しなはれ」言うてますけど。

 

  いずれにしてもわれわれに夏休みはないようだね。例のミッションみんな進んでるかな?

一同 ……。

  絶対に8月末までにあげること! でしょ社長?

松岡 そうだね。次はこれまでの3冊を超える「爆弾本」になるから、皆さんしっかり頼みます。

  夏休みなしか……。

(鹿砦社特別取材班)

◎[参考記事]私はなぜ「カウンター」-「しばき隊」による大学院生リンチ事件の真相究明に関わり、被害者M君を支援するのか[松岡利康=鹿砦社代表]
 

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盛者必衰!? 奢れる者、久しからず!?
私を逮捕-勾留に追い込み、鹿砦社に壊滅的打撃を与えた
岡田和生(旧アルゼ創業者、前ユニバーサルエンターテインメント取締役会長)が失脚!
自らが設立し育てた会社を追われる!

6月29日の大手パチスロメーカー「ユニバーサルエンターテインメント(旧アルゼ)」の株主総会において、創業者で、事実上のオーナーとして同社を支配していた岡田和生が放逐されたニュースには驚かされた。自ら1969年の創業以来育ててきた会社の株主総会への入場を拒絶される姿は、(放映されてはいないので想像するに)絶頂期を知る一人として哀れを感じさせる。「盛者必衰」、「奢れる者、久しからず」とは古人もよく言ったものだ。

ユニバーサルエンターテインメント(UE社)といってもピンとこず、われわれにとっては旧社名の「アルゼ」といったほうが馴染みが深い。かつて岡田和生はアルゼの株式の過半を持つ創業者オーナーだった。それを、岡田一族の資産管理会社「オカダ・ホールディングス」に移行させ、オカダ・ホールディングがUE社の株式の過半を持つ。また、ここがポイントだが、オカダ・ホールディングスの株式の約46パーセントを岡田和生が保有するが過半ではない。残りは岡田の長男、長女らが保有していて、この長男・長女の株式を合わせると過半となり、岡田兄妹らは本年5月、岡田和生をオカダ・ホールディングの取締役から解任する。長男・知裕が父・和生と不仲なのは、15年ほど前に私たちがアルゼに取材を開始し関連書籍4冊を出版した頃から囁かれていた。

鹿砦社が出版したアルゼ関係4部作。右から『アルゼ王国の闇』(2003年4月)、『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』(2003年8月)、『アルゼ王国の崩壊』(2004年2月)、『アルゼ王国 地獄への道』(2005年3月)

◆父・和生の横槍で頓挫した長男・知裕による「アルゼ-松竹」の蜜月

当時経営難に喘いでいた「松竹」と提携、大阪道頓堀「中座」の買収に成功。さらに映画配給の共同出資会社「松竹アルゼコミュニケーションズ」を設立、長男・知裕が担当取締役に就任し『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ラッシュアワー2』『ドリブン』『ショコラ』『陽だまりのグラウンド』などヒット作を立て続けて配給。しかし、そうした長男・知裕が担当となって進めていたアルゼ-松竹の蜜月関係も、父・和生の横槍で頓挫し訴訟沙汰にまで発展する。「松竹アルゼコミュニケーションズ」は解散、この後一時、知裕はアルゼを去っている。

この事件が父・和生と長男・知裕の関係に亀裂を生じさせる一要因になっていることは否めない。それが、今回の放逐劇に繋がっているとは……。ちなみに、松竹との関係悪化と共に、くだんの「中座」は原因不明の火事に見舞われている。

◆カリスマ岡田和生なき「アルゼ王国」はやがて「崩壊」に向かう?

今回の「クーデター劇」は、子飼いのUE富士本淳社長、岡田実子らが組んで挙行したものといわれている。さらには、岡田和生の妻も関わっているとの情報もあるが定かではない(取締役として残っているので情報が錯綜しているのだろう)。発端となったのは、20億円を経理担当者に命じて自らが支配する関連会社に不正に送金させたことだといわれている。これについて真相究明の特別調査委員会を設置し岡田和生らの不正の有無の調査を開始したという。

UE社については、この数年、朝日新聞とロイター通信が、フィリピンでのカジノ進出について政府高官らへの接待や資金の不正流出などがあったことを報じ、これも訴訟に発展している(ロイター、朝日両社とも実質勝訴)。このように、なにか批判的記事を書けばすぐに巨額訴訟に打って出ることで、アルゼは一時マスコミタブーになっていた。そのタブーを破ったのがわれわれだったが、警察天下り企業をナメてかかっていたことは大反省点だ。当時、警察キャリア出身の阿南一成が社長として雇われていたが、メンツにかけて牙を剥いてくるだろう。

UE社のフィリピン・カジノスキャンダルを報じる朝日新聞2012年12月30日朝刊

松岡逮捕につながった『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』

UE社(アルゼ)のカジノ進出については、カジノ王といわれるスティーブ・ウィンと組んで開業したラスベガスやマカオでの「ウィン・リゾーツ」を発端として開始されたが、Sウィンと対立し放逐され訴訟沙汰に発展している。フィリピンはUE社単独での開発だが、カリスマ岡田和生なき後、今後どうなるのか、興味深々だ。

鹿砦社が出版したアルゼ関係書籍は4冊、『アルゼ王国の闇』(2003年4月)『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』(2003年8月) 、『アルゼ王国の崩壊』(2004年2月)、『アルゼ王国 地獄への道』(2005年3月)である。

このうち『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』により、岡田和生らにより刑事告訴され、私の逮捕→192日の勾留→有罪判決(懲役1年2カ月、執行猶予4年)が最高裁で確定。また民事でも、出版差止仮処分→損害賠償300万円(一審)→同600万円(控訴審)が最高裁で確定、まさに「地獄への道」に落とされたが、今の岡田和生もまさに「地獄への道」に落とされた気分だろう。人をハメた者は、いつかは自らもハメられる――因果応報だ。カリスマなき「アルゼ王国」も、やがて「崩壊」するだろうと私は予測する。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

◆呪いか、祟りか──鹿砦社を地獄に落とした者たちに降りかかる因果応報

ところで、私や鹿砦社を地獄に落とした、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件、岡田和生はじめ、これに関わった者らに、偶然だが不幸が訪れている。「鹿砦社の呪いか、マツオカの祟りか」と揶揄される所以だ。人の不幸を喜ぶわけではないが、あえて挙げておこう。――

大坪弘道検事(当時、神戸地検特別刑事部長) 
 のちに栄転した大阪地検特捜部長の時に、厚労省郵便不正証拠隠滅事件に連座し逮捕、有罪確定、失職。

宮本健志検事(当時、主任検事で私に手錠を掛け取り調べた) 
 のちに栄転した徳島地検次席検事の時、深夜に泥酔し一般人の車を傷つけ戒告・降格処分を受けた。

阿南一成(当時、アルゼ社長。元警察キャリア。元参議院議員) 
 耐震偽装会社との不適切な関係を問われ辞任。

鹿砦社代表 松岡利康
【公開書簡】鈴木邦男さんへの手紙(2017年6月27日)
遙かなる「6・15」──「共謀罪」成立にちなんで(2017年6月16日)

『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

先の「デジタル鹿砦社通信」6月20日号で、ここ1年余り「カウンター」-「しばき隊」による大学院生M君リンチ事件の真相究明と被害者M君支援(裁判、権利回復など)で共に動いている「鹿砦社特別取材班」の一人「A生」(社外メンバー)が、鈴木邦男さんに対して直截的で激しい意見を述べています。会社としての見解ではなく「A生」の個人的意見ですが、身近で私の「逡巡と苦悶」を見て、やむにやまれぬ気持ちで書いたのでしょう。

あくまでも社外取材班「A生」の個人的意見にもかかわらず、それをそのまま即鹿砦社の見解と早とちりし誤認して香山リカ氏がツイッターで絡んでこられましたが、鹿砦社のHP「デジタル鹿砦社通信」に意見をアップしたからといって、即鹿砦社の見解ではありません。「A生」の意見に基本的に同意しつつも私の気持ちや会社の方針と違う箇所も散見されますし、小なりと雖も会社経営を担い、社員の生活に責任を持つ私や会社は、「A生」ほど過激ではなく、一定のバランスはとっているつもりです。

【注】鹿砦社特別取材班 李信恵氏ら「カウンター」5人による大学院生集団リンチ事件の真相究明と被害者M君支援のために鹿砦社社内と社外のメンバーが集まった有志のグループ。メンバー個々の思想・信条は右から左まで幅広い。リンチ加害者らの代理人・神原元弁護士が詰るように、間違っても「極左」ではない。神原弁護士らによる「極左」認定は、ためにする批判だ。

さて、そこでも述べられているように、鈴木さんとは1980年代前半以来30数年の付き合いになります。月日の経つのは速いものですね。出会ったのは、まだ「統一戦線義勇軍」のリンチ・殺人事件の前だったと記憶しますが、鈴木さんは「新右翼の若き理論家」として売り出したばかりの頃です。いろいろなことが走馬灯のように思い出されます。今闘病中の装丁家で私に出版・編集の手ほどきを実践的にやってくれたFさんの紹介でした。鈴木さんとFさんとも組んで何冊も本を出しました。

まだこの頃はサラリーマンをしながら『季節』という思想・運動系の小冊誌を不定期に出していて、鈴木さんの伝手で、その「現代ファシズム論」の特集に、前記のリンチ・殺人事件の首謀者で、後に見澤知廉を名乗る清水浩司氏(故人)に獄中から寄稿していただき、主に新左翼周辺の読者から顰蹙を買った記憶があります。

1984年暮れに10年間のサラリーマン生活を辞め独立、しばらくして同じ西宮市内で朝日新聞阪神支局襲撃事件があり、鈴木さんとの関係で、私も疑われました。

そうこうしている中で、朝日襲撃3部作『テロリズムとメディアの危機』『謀略としての朝日新聞襲撃事件』『赤報隊の秘密』を出し、そして鈴木さんにとっても私にとってもターニング・ポイントになった『がんばれ!! 新左翼』(全3巻)を刊行しました。

『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』(1987年)、『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』(1988年)、『赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相』(1990年)

『がんばれ!! 新左翼 「わが敵わが友」過激派再起へのエール』(〈初版〉1989年、〈復刻新版〉1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part2 激闘篇』(1999年)、『がんばれ!! 新左翼 Part3 望郷篇』(2000年)

この本を出したことで、私は新左翼界隈から大変な非難を浴び顰蹙を買いました。この頃から、プロレス・格闘技関係も含め数多くの書籍を刊行させていただきました。共著を含めると何点になるでしょうか、すぐには数え切れないほどです。鈴木さんが創設された新右翼団体「一水会」の機関紙『レコンキスタ縮刷版』(2巻。1~200号)も刊行しました。

【注】統一戦線義勇軍 1980年代はじめ、一水会を中心に結成された新右翼、行動右翼の連合組織。初代議長は木村三浩氏(現一水会代表)、書記長は清水浩司氏。結成後すぐに清水浩司氏らによるリンチ・殺人事件が起き「新右翼版連合赤軍事件」と揶揄された。現在でも活動を継続している。

さらには、12年前の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件で会社が壊滅的打撃を蒙り、その後、多くの方々のご支援により復活、鈴木さんへの長年のお付き合いのお礼も兼ね、私たちの思想的総括を懸けて、いわゆる「西宮ゼミ」といわれる、市民向けのゼミナール「鈴木邦男ゼミ」を2010年9月から隔月ペースで3期3年にわたり開催しました。多くの著名な方々が当地(兵庫県西宮市)までお越しになりました。18回開催し(「西宮ゼミ」はその後「浅野健一ゼミ」「前田日明ゼミ」と続き計30回で一応終了しました)、一度たりとも採算に合ったことはありませんが、それでも私は清々しい気分でした。これは記録に残っていて、今これを紐解きながら、鈴木さんとの長い付き合いを想起しため息をついています。なぜ、ため息をついているのか、鈴木さんにはもうお分かりのことと察します。

『生きた思想を求めて 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.1〉』(2012年)、『思想の混迷、混迷の時代に 鈴木邦男ゼミ in 西宮 報告集〈Vol.2〉』(2013年)、『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉 鈴木邦男ゼミ in 西宮報告集〈Vol.3〉』(2014年)

ここ1年3カ月余り、私(たち)は、「カウンター」とか「しばき隊」と自称他称される「反差別」運動内で、「カウンター」-「しばき隊」のメンバーによって惹き起こされた大学院生集団リンチ事件の真相究明と、裁判闘争を含めた被害者M君支援を行ってきました。私たちなりに事実関係を整理し精査していく過程で多くのことを知ることができました。幸か不幸か……。

その成果は、このかんに出した3冊の本に編纂し出版いたしました。「カウンター」-「しばき隊」界隈の人たちからは「デマ本」とか非難されていますが、その内部にいた人たち複数にチェックしてもらったらほぼ事実だということでした。事実関係には、全く白紙の状態から取材や調査をし、裁判も絡んでいますから特に厳しく留意しています。

驚いたことは幾つかありますが、その一つが、鈴木さんも「共同代表」に名を連ねる「のりこえねっと」、及びこれに群がる人たちがリンチの加害者を擁護し、この唾棄すべきリンチ事件の隠蔽工作、さらには被害者M君へのセカンド・リンチを積極的に行っていることでした。私(たち)に言わせたら「のりこえねっと」は「コリアNGOセンター」と同じく、リンチ事件隠蔽工作の〝特A級戦犯〟です。

「共同代表」の中で、事実上のトップといえる辛淑玉氏は、当初は被害者側に立ち、「これはまごうことなきリンチです」としてリンチ事件の真相究明と被害者M君への慰謝、問題の根本的解決を進めるかと思いきや、すぐに沈黙、昨年9月には逆に掌を返し、挙句には被害者M君が「裁判所の和解勧告を拒否」しているとまでウソの記述をして、あれだけ証拠が揃っていながら、深刻な事情があるのか、「リンチはなかった」という加害者側に寝返ってしまいました。

その3冊の本で集団リンチが確かにあったことが公にされ、佐高信氏ら他の「共同代表」の方々は、ひたすら沈黙です。普段歯切れの良い物言いで人気があり私もファンだった佐高氏でさえ黙殺されています。これも意外でした。中沢けい氏に至っては、電話でガチャ切りされ、ようやく直撃することができましたが、取材担当の若者を前にして、したたかにずるく交わしています(『人権と暴力の深層』参照)。人間として醜いです。

さらには、「共同代表」ではありませんが、「のりこえねっと」に巣食い「のりこえ」の名を冠したネット放送を頻繁に行う実質的中心メンバー、野間易通、安田浩一氏らは、被害者へのセカンド・リンチを執拗に行い続けています。

鈴木さんのサイト『鈴木邦男をぶっとばせ!』では、彼らと和気あいあいと写っている画像が頻繁にアップされています。今週号(6月26日更新)でも3枚の画像がアップされ、うち1枚は鈴木さんが発言されている場面、さらに1枚は辛淑玉氏とのツーショット──「共同代表」、普通考えれば、この会にそれ相当の立場があるわけですから、それも当然と言えば当然かもしれません。

とはいえ、一般にはさほど知名度がなくセカンド・リンチの旗振り役・金明秀(関西学院大学教授)氏の写真をアップされた(『鈴木邦男をぶっとばせ!!』6月12日号)のには驚きました。「松岡さんへの当てつけでしょう」と言う方もいますが、どうなのでしょうか? 金明秀氏がどういう言動を行っているかは、辛淑玉氏や「のりこえねっと」がリンチ事件隠蔽工作について、どう動き、どのような役割を果たしているかは、お送りしている3冊の本をご覧になれば分かるはずです。読み飛ばされましたか? 

しかし、鈴木さんには、佐高氏らのような対応をしてほしくはありませんし、そうした「のりこえねっと」の「共同代表」を務め、辛淑玉氏ら中心メンバーと昵懇であれば、M君リンチ事件や、この隠蔽工作について立場や意見などを明確にされるべきではないでしょうか。そう思いませんか?

鈴木さんは、かの野村秋介氏(故人)をして「人間のやることではない」と言わしめた、見澤知廉氏らが惹き起こしたリンチ・殺人事件を境に、言論に主たる活動の場を求め舵を転換されました。このリンチ・殺人事件は、鈴木さんにとって大きな衝撃だったことが、長い付き合いの私には判ります。僭越ながら、鈴木さんとの付き合いで、現一水会代表の木村三浩氏ら一部を除いて、30数年の長きにわたる人はさほど多くはないものと察します。特に出版関係者では……。こういう意味でも、鈴木さんとは全く付き合いのない、社外取材班メンバー「A生」とは、立場も思うところも異なります。

昨年来、私は鈴木さんに、リンチの加害者を擁護しこのリンチ事件隠蔽工作を行う辛淑玉氏ら「のりこえねっと」を採るか、被害者側に立ちリンチ事件の真相究明と被害者支援を行っている私や鹿砦社を採るか、選択を迫っています。回答がございません。鈴木さんほどのひとかどの方が、八方美人的に振る舞われることはやめたほうがいいいのではないでしょうか。思想界でも、社会的にも大きな存在となった鈴木さんは、その泰斗として、いいことはいい、悪いことは悪いとはっきり物言うべきです。それができなければ、厳しい言い方になりますが、「A生」が言うように「言論界からの引退」も考えられたほうがいいでしょう。

鈴木さんの日和見主義的態度に、ある読者は「手持ちの安田浩一氏、鈴木邦男氏の著作は全て処分することに決定しました」と言ってきました。リンチ加害者を擁護してやまない安田氏は当然として、鈴木さん、恥ずかしくありませんか?

鈴木さんは見澤知廉氏ら統一戦線義勇軍によるリンチ・殺人事件に直面し、運動内における暴力の問題に苦慮され、その結果として言論による活動にシフトされたと私は思ってきました。では、ふたたびリンチ事件に接し、この国屈指の思想家であり知識人であり社会運動家である鈴木さんは、どう振る舞われるのでしょうか?

先の「デジタル鹿砦社通信」で、このかん私と共に活動してきた「A生」は、私がいまだに「逡巡と苦悶」をしていることを感じ取り、ダイレクトな表現でネット上に明らかにしました。同じ取材班の田所敏夫は、私と鈴木さんほど長くはありませんが、辛淑玉氏との長い関係を清算し「決別状」を、この「デジタル鹿砦社通信」で明らかにしました(『反差別と暴力の正体』に再録)。

リンチ事件追及第三弾『人権と暴力の深層』で、私は、「鈴木邦男さんへの手紙」を書くつもりでしたが、「逡巡と苦悶」を繰り返し書けませんでした。いろんな意味で、やはりこのままではいけないと思い、気持ちを整理しつつ、こうして「鈴木さんへの手紙」を書き始めた次第です。私と鈴木さんとの関係を知る人はおそらく大なり小なり驚かれるでしょう。

人は、ここぞという時に、どう振る舞うかで、その人の人格なり人間性が現われるのではないでしょうか。とりわけ、知識人のレゾンデートル(存在理由)はそこにあると私は考えています。ふだん立派なことを言っていても、ここぞという時に日和見主義的態度をとったり、逃げたりするような人は、「知識人」としてのみならず人間としても失格です。私と知り合い、言論活動に舵を切られて以降、生来頭脳明晰な鈴木さんは、この国の言論界でも存在感を示すようになられました。知り合った頃の、言論界から異物、異端としか思われていなかった鈴木さんを知る私としては喜びにたえません。今、鈴木さんの発言は、この国の言論界でも受け入れられ、その優等生的な発言に面と向かって非難や罵倒をする人はいないでしょう。いまや一介の右翼活動家、右派系知識人ではなくなりました。

鈴木さん、リンチ直後の被害者M君の写真を見て、どう思われますか? 失礼な言い方になりますが、被害者M君は幸いにも死に至らなかったから、間違っても、見澤氏によるリンチ殺人よりはマシだなどとは思ってはおられないでしょうね? くだんのリンチ事件に接して、日頃「非暴力」とか「暴力はいけない」と言っている人たち(この代表は、「のりこえねっと」が支援している、「しばき隊」内の最過激派「男組」組長で暴力行為や傷害で前科3犯、そして昨年も沖縄で逮捕され公判中の高橋直輝こと添田充啓氏です)、とりわけ「カウンター」運動や「のりこえねっと」に関わる人たちがこぞって隠蔽に走ったり沈黙しています。著名な方々も少なくありません。なんのために知識を培ってきたのか、情けないことです。事実に真摯に向き合い自らのスタンスをはっきりさせるべきでしょう。

本来ならば、こういう時こそ鈴木さんの出番ではないでしょうか。私と知り合った直後に統一戦線義勇軍のリンチ・殺人事件に直面し、のた打ち回られたのではないですか。こういう経験を今こそ活かし、大学院生リンチ事件の内容を当初から知り隠蔽工作に走る辛淑玉氏ら「のりこえねっと」の「共同代表」の方々に厳しく進言し、逃げないで問題の本質的解決に汗を流すべきではないでしょうか。鈴木さん本当にこれでいいんですか!? 私の言っていることは間違っていますか?

長年、私には常に鈴木さんの<影>がありました。80年代からの私と鈴木さんとの付き合いの経緯を知らない香山リカ氏などちゃらちゃらした人たちが言う以上に、口では表現できないような、あまりにも濃密な関係があり、もし決別することになれば、大仰な言い方ですが、出版人としての私の30数年そのものを全否定することにもなりかねません。

しかし、人付き合いに不器用で、あちらにも良い顔、こちらにも良い顔ができない私は八方美人にはなれません。要領よく振る舞えず、どこにも良い顔はできません。

私ももうすぐ66歳、決して若くはありません。鈴木さんは70歳を越えられました。自らの心を押し殺し、なあなあで行くほうが簡単ですし、正直、この歳になって義絶したくはありませんが、頑固な鈴木さんは、「のりこえねっと」共同代表をお辞めになる気はなさそうですし、お考えを変えられそうもありませんので、義絶するのも致し方ないかもしれません。一方、私は、辛淑玉氏ら「のりこえねっと」界隈の人たちによるリンチ事件隠蔽に反対しこれを突き崩し、被害者M君へのセカンド・リンチから彼を守ることに尽力していく決意です。

「老兵は去るのみ」── 実は私は、昨年65歳になったところで、会社も再建し黒字体質になったことだし第一線から引退し、いわば「相談役」的な立場に退くつもりでした。これは周囲に公言していましたので覚えておられる方もいらっしゃるかと思います。しかし、その少し前にリンチ被害者のM君に出会い、この理不尽な事件の真相究明とM君支援に汗を流すことにし、引退を先延ばししました。

鈴木さん、厳しい言い方になりますが、いいことはいい、悪いことは悪いと言えなくなった鈴木さんは、「A生」が言うように「言論界からの引退」も考えられたほうがいいのではないでしょうか。私にしろ鈴木さんにしろ、けっして若くはありませんから、どこかの時点で、「老兵」は去らないといけません。「老兵」松岡は、早晩M君問題が解決したら、当初の予定通り第一線から退き、近い将来出版の世界から去るつもりです。鈴木さんはどうですか?

ここに至り私は、このM君リンチ事件の真相究明と被害者M君支援に、私自身の出版人生の総括を懸けて、この最後の仕事とするというぐらいの覚悟で臨んでいます。それはそうでしょう、目の前にリンチの被害者が現われ、誰にも相手にされず助けを求めてきたら、人間ならば手助けしようとするでしょう。そして、そのリンチ事件、及び以降の隠蔽工作やセカンド・リンチが理不尽なものであったら、歳とってフットワークが鈍くなったとはいえ、真相究明をしたくなるでしょう。そうではありませんか?

このリンチ事件は、人間としてのありようを問うものです。鈴木さん、これでいいんですか!? これを蔑ろにして、鈴木さんのみならず「人権」だとか「反差別」だとか口にする人を今後私は信じません。

鈴木さんとは生きる方向性が真逆になってしまいました。このまま鈴木さんが「のりこえねっと」や「しばき隊」、この界隈の人たちと関係を続けられるのであれば、残念ながら、私は静かに去るしかありません。ほとんど私のほうがご面倒をおかけしお世話になったと思います。長年のご交誼に感謝いたします。

この手紙も、そろそろお終いにしますが、鈴木さん、大学院生M君集団リンチを肯定し事件の存在を隠蔽しようとしている「のりこえねっと」や「しばき隊」と手を切ってください。そうでないと、鈴木さんもリンチ隠蔽やセカンド・リンチの<加害者>となり、せっかく日本を代表する思想家として名を成したのに晩節を汚すことになりますよ。鈴木さんには<偽善者>になってほしくありません。これが最後の忠告です。

蛇足ながら、「のりこえねっと」や「しばき隊」と特段に密接な関係のある香山リカ氏は、「デジタル鹿砦社通信」6月20日号の「鹿砦社特別取材班 A生」の個人的意見を即鹿砦社の見解と誤認し「A生」が「言論界からの『引退』を勧告する」のは「鈴木氏に御社(引用者注 鹿砦社)からのすべての出版物の版権引き上げをおすすめし、新たな版元の紹介や手続きなどすべて御社で行ったのち、が出版界の常識でしょう」と、ネットで話題になった「どこに(本を)送付したか、ちょっと書いてみては?」(そう言うから書いたら神原弁護士から内容証明が届きました)という挑発に続き、またまた〝挑発〟されていますが、出版界に30数年いる私にも、はたして香山氏の言うようなことが「出版界の常識」かどうかは判りません。ここは香山氏の〝挑発〟に乗って申し上げますが、鈴木さん、どうされますか? 鈴木さんが「版権引き上げ」や絶版を希望されるのなら、それもよし、私に異存はございません(もし鈴木さんが版権引き上げや絶版を希望される場合、香山氏が言うように「新たな版元の紹介や手続きなどすべて」をやるのが前か後かは別として事務処理はきちんと行わせていただく所存です)。

長い手紙になりました。これでも自分では整理して書き連ねたつもりですが、感情が入り乱れている箇所や、内容が繰り返されている箇所もあるやもしれません。30数年の重みは、思った以上に肩にのしかかり堪えるものです。

いろんなことが過りました。時に感傷的にもなりました。鈴木さんとリンチ事件に対する構え方や目指す方向性が決定的に違ってしまいました。私はあくまでもリンチ事件の真相究明と被害者M君支援を継続しますが、鈴木さんは、そうした私(たち)と対立する「のりこえねっと」共同代表を継続されるようですから、やむをえません、喧嘩別れではありませんが、ここは袂を分かち、各々信じる道を進みましょう。

鹿砦社代表 松岡利康

『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)694円+税 ※本広告クリックでamazonへ繋がります。

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

6月15日早朝、「現代の治安維持法」といわれる「共謀罪」が成立した。絶望感に襲われる。2015年の「安保法」に引き続き、この国は確実にファシズムへの道を突き進んでいる。

◆1960年「6・15」国会前 ── 警官隊に轢殺された樺美智子さん

「共謀罪」の具体的内容や危険性の分析については法律学者らに任せるとして、私が咄嗟に思い浮かんだのは、遙か57年前の1960年6月15日に安保反対の抗議行動で轢殺された東大生・樺(かんば)美智子さんのことだ。最近の若い世代はほとんど知らないだろうが、われわれの世代にとって樺美智子という名は伝説的だった。当時若かった学生も今や老境に入ったが、気持ちは今でもそうだろう。

樺美智子遺稿集『人しれず微笑えまん』表紙(三一新書版)

このかんの国会前の反対運動と1960年の国会前の抗議行動では雲泥の差がある。国会に押し掛けた人の数も違う。60年には実力で国会に突入、議場占拠し、国会審議を止め安保条約を粉砕するという意志があったことは確実だ。巨万の労働者、学生、市民、大衆が国会周辺を席巻した。これを、「暴力で…」とか言う前に、労働者、学生、市民、大衆一人ひとりの、「安保を潰そう!」という必死な意志が、自然発生的にあれほどの国民的闘争になったことを思い知るべきだろう。今はどうだろうか? 私は学生先駆性論を今でも信奉する者だが、若いんだから、たった一人になっても国会に突入して審議を止めんかい、と思うし、そんな学生や若者がいないのが残念だ。

60年安保は、今以上に大きな国民的運動だったにもかかわらず敗北(つまり国会通過→成立)し、10年後の1970年の改訂に向けて、60年代後半から、ベトナム反戦や沖縄「返還」問題も絡んでふたたび盛り上がったことは周知の通りだ。これもまた敗北、しかし、その〈二つの安保闘争〉で培われた抵抗の精神と運動は連綿と引き継がれてきた。これが、改憲への蠢動を抑え込んできたと私は考えている。

話が逸れるが、先月、30数年前に私が独立する際に仕事場として借り(当時新築)、ここ数年は資料や一部在庫置き場にしていた部屋が建て替えられるというので数日かけて整理し立ち退いた。この際、かつての(つまり60年代、70年代の)資料や奇観本が出てきた。ガリ版刷りのチラシやパンフレットなどもあり、当時の雰囲気が伝わってくるようだ。その多くを、当時の資料を収集・整理している「リベラシオン社」のIさんが持ち帰ったが、その中に、奇しくも樺美智子さんの名著『人しれず微笑えまん』(三一新書版)があった。初版は60年10月1日、先輩に勧められ私がそれを買ったのは、大学に入った1970年のことだ。少なくとも10年間は版を重ね多くの人たちに読まれていた。以降は、徐々に忘れられていったのだろうか。

『全学連通信』1960年6月25日号

『全学連通信』1960年6月25日号

『全学連通信』1960年6月25日号

◆1971年「11・14」沖縄返還協定批准阻止闘争 ── 機動隊に撲殺された永田典子さん

またまた話が逸れる。先に1971年の沖縄返還協定批准阻止の闘いで「機動隊員殺害」の容疑で逮捕されたO氏(まだ容疑とされている事件の真偽が確定していないので、あえてO氏とする)に因んで、ここでも機動隊に撲殺された若い女性教師・永田典子さんのことを思い出した。私は中核派でもなんでもないが、立場は違え当時沖縄闘争に必死で闘っていた者として一言記しておきたい。当時の政府の判断の誤りが、今の沖縄の現状に繋がっていることで、立場は違え当時必死に闘っていたことは間違いではなかったと今でも思っている。

「機動隊員殺害」を言うのであれば、樺さんと違い無名だが、機動隊による、この若い女性教師惨殺のことも公平に報じるべきだろう。この女性教師も樺さんの『人しれず微笑えまん』を読んでいたという……。樺さんも永田さんも、どのような想いで闘いに参加し、殺される間際、何を思ったのだろうか。なんとも言えない気持ちになる。

『救援』1971年12月10日号

『救援』1971年12月10日号

◆ラップ調のコールはもう飽きた ── 骨抜きにされた抵抗の志

昨夜からの国会前の様子が報じられる。ラップ調のコールはもう飽きた。彼ら彼女らに樺さんや永田さんらのような必死さは感じられない。異様に明るい。おそらく挫折感や敗北感もないだろう。辺見庸に「国会前で、ひとりふたり死にもせで、なにが共謀罪反対ですか、白菖蒲。」と揶揄されるのもむべなるかなだ。

1960年6月15日は、日本が敗戦から立ち直りながらも、アメリカとの同盟の下、アメリカのアジア侵略戦争擁護と支援(具体的には沖縄の侵略前線基地化)、ファシズムへの第一歩を記したメモリアル・デーだった。一女子学生を犠牲にしつつ(傷ついた人たちは数知れず)……。

時を越えて2017年6月15日は、多くの国民の犠牲と抵抗の中で70年間死守されてきた憲法の精神が殺されたメモリアル・デーといえよう。抵抗の志を骨抜きにされた「左派」や「リベラル」を自称他称する者も巻き込みながらファシズムの足音が響いてきた。次は何か? 言うまでもないだろう。

毎年この日、国会前では樺さんへの慰霊の集まりがなされているが、今年は行われたであろうか。樺さんは、黄泉の向こうで何を思うのか……。

最後に、私の先輩の作家Sさんが、若い頃に書いた短編小説の巻頭に記した一句を挙げておきたい。……

「しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま」

鹿砦社代表 松岡利康

6月15日発売『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)

 

 

『NO NUKES voice』vol.12発行にあたって

ファシズムの足音が聞こえる! ―― 先月5月は、3日の憲法記念日に安倍首相の「新憲法2020年施行」発言に始まり、「現代の治安維持法」といわれる「共謀罪」衆議院通過→参議院審議開始、そして軌を一にするかのような高浜原発4号機再稼働と、安倍政権は一気に攻めてきました。

ご承知のように、安倍政権をめぐっては、当の安倍夫妻はじめスキャンダルがどんどん噴出しています。にもかかわらず、私たちの側は有効な反撃をできないでいます。

これだけ多くの問題が出てくれば、(昔はよかったなどとは言いませんが)かつてなら国会を取り巻く人たちの数は一桁違ったでしょうし、たちまち内閣総辞職でしょう。

思い返せば、この国は1960年、70年という〈二つの安保〉をめぐり国論が二分され反対派が敗北しつつも、底流として根強い抵抗意識と運動があり、これが日本国憲法を70年も守り権力の横暴を食い止めてきました。改憲のみならず原発についても、3・11以降数年間原発稼働なしの状態にしてきました。

しかし、あれだけの甚大な被害を起こし故郷を廃墟にしながら、ふたたび原発再稼働をするという愚が繰り返されつつあります。そうして「共謀罪」、改憲へとファシズムの足音が聞こえてきています。

世界に誇るべき日本国憲法70年――いわゆる「リベラル」とか「左派」といわれる人たちの中でも、うまく(ずるく)なしくずし的に改憲に方向転換しつつあります。情けない限りです。

私たちは、みずからの持ち場持ち場で、原発再稼働阻止、改憲阻止の闘いを頑固に持続していこうではありませんか!

ささやかながら本誌はそのための〈拠点〉としてあり続けます!

2017年6月『NO NUKES voice』編集委員会

6月15日発売開始『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

 

 

 
この「デジタル鹿砦社通信」でも再三再四記載されてきましたように、「カウンター」-「しばき隊」による大学院生リンチ事件の真相究明について、私たちなりの作業をまとめた第3弾となる『人権と暴力の深層』が完成し発売となりました。昨年発行した第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』、第2弾『反差別と暴力の正体』に続くもので、まだ発売2週間ですが、堅調な売れ行きで、手に取られた心ある方々には概ね好評裡に迎えられています。

ここで、私がなぜこのリンチ事件真相究明に関わるようになったのか、被害者M君を支援するのか、あらためて考えてみました。

◆〈1〉私が本件リンチ事件を知った経緯と被害者M君を支援する理由、3冊の本の出版について

昨年(2016年)3月はじめ、偶然に知人から某国立大学大学院博士課程に学ぶM君が、「反差別」を謳う「カウンター」、あるいは「しばき隊」と称するメンバー5人らから蒙った集団リンチ事件のことを知り、そのあまりにも酷い内容からM君への同情と本件リンチ事件への義憤により爾来M君への支援を行っています。

リンチ事件が起きた2014年師走から1年2カ月余り経っていましたが、それまでこのリンチ事件のことを知りませんでした。それも、事件以来これを知りつつ隠蔽工作にも関与していた者が、私の会社の社員として在籍していながらです。この社員は、一昨年(2015年)12月初めに退社いたしましたが、退社後に詳細が判明しました。なんということか、忸怩たる想いです。

そうしたことから、半殺し(M君がラクビーをやっていて頑強な体格でなければ、おそらく死んでいたでしょう)と言っても過言ではない被害を受けたM君への同情と共に自らに呵責の念が起き、このリンチ事件の真相究明を開始することにいたしました。

まずは被害者M君への聴取と、彼が持ってきた主だった資料の解析です。何よりも驚いたのは、リンチ事件直後の酷い顔写真と、リンチの最中の録音です。暴力団でもあるまいし、今の社会にまだこういう野蛮なことがあるのか――M君の話と資料には信憑性を感じ、嘘はないと思いました。私は、この若い大学院生が必死に訴えることを信じることにしました。僭越ながら私も、それなりの年月生きて来て、また出版の世界でやって来て、何が真実か嘘かの区別ぐらいは動物的な勘で判ります。

2014年12月16日深夜から17日未明にかけて起きたリンチ事件直後のM君の顔(『人権と暴力の深層』より)

 

 

 
私の生業は出版業ですので、その内容が公共性、公益性があるものと判断、世に問うことにし、その具体的産物として、これまで上記の3点、それに関連した人気ブログ「世に倦む日日」を主宰される田中宏和氏の著書2点の出版物を刊行いたしました。これまでどれも発行直後から大きな反響を及ぼしており、「こんな酷いリンチ事件があったのか」「言葉に出ない」等々の声が寄せられています。私もリンチ事件を知った直後に感じたことで当然です。

私は、私の呼びかけに共感してくれた人たちと、被害者M君が、李信恵氏ら加害者5人によって蒙ったリンチ事件の内容と経緯を私たちなりに一所懸命に取材し編集いたしました。加害者の周辺にも少なからず取材を試みましたが、なぜかほとんどの方々が答えてくれませんでした。まだ一部解明しえていない点はあるやもしれませんが、事実関係の概要は明らかにし得たと、私たちは自信を持って世に送りました。もし、読まれた方の中で、事実誤認など見つけられましたらご指摘ください。調査し訂正するにやぶさかではありません。

加害者やこの界隈の者らがあれこれ三百代言を弄し弁明しようとも、この3冊の本の内容を越えるものでない以上、社会的に説得力はないと思いますし、裁判所も、この3冊の本の内容を踏まえた判断をすることを強く望み信じています。また、万が一不幸にも被害者M君の主張を棄却する場合、この3冊の本の内容を越えた判断でない限り、私たちや、この3冊の本でリンチ事件の事実を知った多くの人たちは納得しないでしょう。

◆〈2〉被害者M君が心身共に受けた傷を蔑ろにし開き直る加害者らの言動は許せません

被害者M君が心身共に受けた傷は、リンチ直後の顔写真に象徴されています。みなさんも、この写真をご覧になったら驚かれるでしょうし、逆に何も感じないとしたら、もはや人間ではないと断じます。人間として失格です。

また、被害者M君は、これだけの傷を受けていながら未だ1円の医療費、慰謝料も受けていません。加害者5人に対して民事訴訟に打って出たのは、その正当な民事責任を求めることも目的にあると思われますが、何よりも、いったんは謝罪文を寄越し(たとえ形式的、ヌエ的ではあれ)反省の意思を表わしていながら、突然それを覆し「リンチはなかった」「無実」と開き直る加害者らの、人間として到底考えられない言動に真摯な反省と正当な損害賠償を求めること、さらには、これだけの酷いリンチと、その後の事件隠蔽やセカンド・リンチを受けていることに対する名誉回復もあろうかと思います。

常識的に考えて、リンチ直後の写真やリンチ最中の録音を目の当たりにしたら、「リンチはなかった」とか加害者らが「無実」とは考えられず、まともな人間としての感覚があるならば、非人間的で酷いと感じるはずです。今、加害者5人に対する民事訴訟は大阪地裁で係争中ですが、裁判官も血の通った人間ならば、そうしたことは当然理解されるものと信じています。

また、あろうことか、加害者らは「反差別」を金看板に、彼らと繋がる者たちと連携し、被害者M君や、これを支援する人たちに対して、あらん限りの罵詈雑言、誹謗中傷を続けています。

考えてみましょう、真に差別に反対するという崇高な目的をなさんとするならば、まずはみずからが犯した過ちを真摯に反省し、集団リンチ被害者のM君に心から謝罪することから始めるべきではないでしょうか。人間として当然です。それなしには、いくら「反差別」だとか公言しても空語、空虚です。特に加害者のリーダー的存在の李信恵氏は、在特会らに対する2件の差別事件訴訟の原告となっていますが、相手方の差別行為を批判する前に、まずはみずからを律すべきではないでしょうか。

これだけの厳然たる事実が明らかになりながら、かつて出した「謝罪文」を覆し、未だに加害者らが開き直り、この訴訟に対し争う意思を示していることは驚きですし全くもって遺憾です。加害者らがまずやるべきことは、被害者M君への謝罪ではないでしょうか。

加害者の一人、エル金が2015年1月29日に書いた謝罪文の一部(全文は『ヘイトと暴力の連鎖』に掲載)

2015年2月3日に李信恵が書いた謝罪文の一部(全文は『ヘイトと暴力の連鎖』に掲載)

2015年2月3日に李信恵が書いた謝罪文の一部(全文は『ヘイトと暴力の連鎖』に掲載)

「李信恵さんの裁判を支援する会」から2015年4月8日付でM君の代理人宛てに届いた書面(全文は『ヘイトと暴力の連鎖』に掲載)

李信恵とエル金(『ヘイトと暴力の連鎖』に掲載)

 

 

 
さらには、私たちが原告への支援を行っていること、また3冊の出版物を発行したことを、加害者らへの「遺恨」「私怨」からだとする、加害者やその界隈の人たちの恣意的な意見も流布されていますが、これもひどい言い掛かりです。決してそうではありません。加害者らと付き合いがあったわけでもなく、いまだに加害者に一度も会ったこともないのに「遺恨」も「私怨」もあるわけがありません。あくまでも被害者M君への同情、このリンチ事件そのものや、加害者とこの界隈の人たちの不誠実な態度に対する義憤です。

◆〈3〉「人間の尊厳」や「人権」に反する大学院生リンチ事件の事実を多くの方々が知り、メディアが報じ、加害者の周囲にいる著名人(弁護士、ジャーナリスト、研究者ら)はみずからの言葉で語り、裁判所は公平、公正に判断すべきです

ところで私事に渡りますが、私は、縁あって2015年4月から関西大学で「人間の尊厳のために~人権と出版」というテーマで教壇に立たせていただきました。このリンチ事件と、その後の加害者らの言動、また被害者M君への不当な扱い(=セカンド・リンチ)は、まさに「人間の尊厳」も「人権」も蔑ろにしたものと断じます。私は学生に「人間の尊厳」や「人権」を教えるとき、普段いくら机上で立派なことを言っても、「人間の尊厳」や「人権」に関わる現実に遭遇した場合、みずからが、いかに対処するかで、あなた方一人ひとりの人間性が問われると話しました。「人間の尊厳」や「人権」は、「死んだ教条」ではなく、まさに〈生きた現実〉だからです。

普段立派なことを言っている人たちが、このリンチ事件の現実から逃げ、語ることさえやめ、ほとんどが沈黙しています。こういう人を私は〈偽善者〉と言います。くだんの3冊の本に、リンチ事件(と、その後の隠蔽)に陰に陽に、大なり小なり、直接的間接的に関わっている人たちの名が挙げられ、質問状や取材依頼を再三送りましたが、ほとんどがナシの礫(つぶて)です。ほとんどが、この国を代表するような、その分野で著名な人たちです。公人中の公人たる国会議員もいます。あなた方は良心に恥じないのか!?

私も偶然に、このリンチ事件に遭遇しましたが、学生に「人間の尊厳」や「人権」を話したのに、実際に「人間の尊厳」や「人権」を蔑ろにする事件を前にみずからが日和見主義的、傍観者的な態度を取ることは決して許されないものと考え、このリンチ事件の真相究明や、被害者M君が起こした訴訟の支援に関わっています。

裁判所は「人権の砦」と言われます。そうであれば、リンチ被害者の「人権」について裁判所がなすべき判断は自明です。それが判りながら加害者らが三百代言を弄し続け、被害者M君を苦しめることは、普段「人権」だ「反差別」だ「リベラル」だというような耳触りの良い言葉を口にする者がやるべきことでしょうか? 素朴に大いに疑問です。

また、メディアが報じないのにも疑問を感じます。時にどうでもいいような事件を殊更針小棒大に報じるメディアが、国会議員や多くの著名人が隠蔽に関わるリンチ事件をなぜ報じないのでしょうか? さらには、多くの著名な知識人らも〝見ざる、言わざる、聞かざる〟で、こういう人たちに、知識人としての矜持はあるのか!? 良心に沿ってみずからの言葉で〈真実〉や思いのたけを語っていただきたい。

「反差別」を謳う「カウンター」運動内部で、その中心的なメンバーによって起こされた悲惨な大学院生リンチ事件について私の率直な意見を申し述べさせていただきました。以上の内容を盛り込み「陳述書」として裁判所にも提出いたしました。

裁判所も、これまで裏切られたことのほうが多かったですが、今回だけは公正、公平な判断を下してくれるものと信じてやみません。

松岡利康=鹿砦社代表

『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)694円+税 ※本広告クリックでamazonへ繋がります。

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

久しぶりの講演に会場は満員!
「共謀罪」が政治過程に上る中、
「名誉毀損」に名を借りた自らの逮捕・勾留事件の体験を話す!

松岡利康=鹿砦社代表

4月15日(土)夕刻、東京・水道橋の「たんぽぽ舎」が運営する会議室「スペースたんぽぽ」に多くの方々に集まっていただきました。久しぶりに私が12年近く前(2005年7月12日)の自らの逮捕・勾留事件について話す機会を与えていただいたからです。会場は、予想を越えて90名近くの方々で満員、熱気溢れる講座でした。菅直人元首相の講演以来の盛況だったとのこと、当初用意したレジメ・資料30セットでは足りずに、慌てて増刷りをしたほどでした。

この集まりは、たんぽぽ舎が3・11以来適宜継続的に行っている講座の一環で、実に今回が460回目だということです。今回は「浅野健一が選ぶ講師による『人権とメディア連続講座』」の第8回で、テーマは「表現の自由弾圧事件--懲罰としての逮捕、長期勾留」。私は「私が巻き込まれた、『名誉毀損』に名を借りた出版弾圧事件」について自らの体験と、逮捕以来12年近く思ってきたことを話させていただきました。

単なる地方小出版社の経営者にすぎない私の話になぜ多くの方々が関心を抱き参加されたかというと、「共謀罪」なる稀代の悪法が政治過程に上り国会審議が始まったからだと思われます。主催のたんぽぽ舎や浅野健一さんの狙いもここにあるのでしょうか。

つまり、私が逮捕・勾留された当時は、これに至るには刑事告訴→検察(あるいは警察)受理→捜査という一定のプロセスを経るわけで、それなりの日数もかかりますが、「共謀罪」が制定されれば、法的なお墨付きが出来るわけですから、そのプロセスは必要なく、すぐに逮捕することが可能になります。参加者が多かったのは、この危機感をみなさんが感じ取られていたからでしょうか。

◆「表現の自由」「言論・出版の自由」は〈生きた現実〉の中で語るべきだ

講座の内容は、追ってYou Tubeでも配信されるということですから、詳しく知りたい方はそれをご覧になっていただきたいと思いますが、私の話の概要は次の通りです。

一 事件の経緯、二 人権上問題となること、三「表現の自由」「言論・出版の自由」とは何か?、四「表現の自由」「言論・出版の自由」上の問題
ということでした。

私が最も言いたかったことは、憲法21条に高らかに謳われながらも形骸化、空洞化しつつある「表現の自由」「言論・出版の自由」──耳障りの良いこれらの言葉を机上でこねくりまわすのは簡単ですが、それではまさに〈死んだ教条〉になってしまいます。「共謀罪」や権力弾圧がリアルに〈生きた現実〉として迫っているのですから、私たちも〈生きた現実〉として語らなければならないということです。

事件の経緯を振り返れば、事件の一因となった書籍を刊行したのが2002年4月、それから出版差止仮処分、刑事告訴、逮捕→勾留、有罪判決(懲役1年2カ月、執行猶予4年)と民事訴訟での高額賠償金(600万円+利息)、控訴審、上告審を経て確定、執行猶予を不服とする再告訴、これが不起訴となる2011年6月まで9年間の月日が掛かり苦しめられました。本当にきつかった。これは体験した者でないとわかりません。

この間に、私が経営する出版社「鹿砦社」は壊滅的打撃を蒙り、いちどは地獄に堕ちました。正直「もうあかん」と思いましたし、弁護士もそう思ったとのことでした。しかしながら多くの方々のご支援により運良く再起できました。私も「このままでは終われない」と死に物狂いで働き運良く再起できましたが、普通は死に物狂いにもがいて地獄に堕ちたままでしょう。

「こいつはイジメたらんといかん」と警察・検察・権力に目をつけられたら、それは凄まじいものです。当時「ペンのテロリスト」を自称し、「巨悪に立ち向かう」と豪語、これが当時警察キャリアを社長に据えていた警察癒着企業や警察・検察を刺激し、警察のメンツにかけて本気にさせてしまったようです。

今でも「われわれにタブーはない!」をモットーとする私たちの出版活動に対しては批判も少なからずありますが、私たちを批判する人たちの多くは、自らは〈安全地帯〉にいてのものです。果たしてどれだけ体を張った言論を行っているのか!? 私は半年余り(192日間)ですが、1カ月でも2カ月でも拘置所に幽閉されたらキツいぞっ!

◆心ある方々のご支援で奇跡的再起を果たした私たちは〝支援する側〟に回ります

私、および私の出版社「鹿砦社」は、奇跡的ともいえる再起を果たすことができました。私も死に物狂いに働きましたが、保釈後挨拶に出向き塩でも撒かれ追い返されるかと思いきや高級すし屋に招いてくれ、「人生にはいろんなことがあります。私は支援しますので頑張ってください」と激励し仕事を受けてくださった印刷所の社長(当時)はじめライター、デザイナーさんら多くの方々のご支援の賜物と言わざるをえません。私の能力など、出版業界では並で、大したことはありませんから。本当に有り難い話で、事件から12年近く経ち、あらためて感謝する次第です。

私たちは今、再建なった中で、3・11以降、たんぽぽ舎はじめ幾つかの脱原発の運動グループを継続して些少ながら支援しています。いちどは壊滅的打撃を蒙りながら地獄から這い上がってこれたことへの〝恩返し〟です。かつて支援された側が、今度は支援する側に回ります。もう支援される側には戻りたくありません。

また、私たち鹿砦社は脱原発を今後の出版方針の一つとして定め、たんぽぽ舎のお力を借りて脱原発情報マガジン『NO NUKES voice』を創刊し、すでに11号を数えました。脱原発の老舗市民グループ・たんぽぽ舎はもう30年近くになるということですが、脱原発をライフワークとされる柳田・鈴木両共同代表はじめスタッフの方々のピュアな想いにも励まされ、齢65になった私の今後の方針も見えてきました。鹿砦社東京編集室の〝隣組〟ということもありますが、今後共、最大限共同歩調を取っていきたいと思います。

最後になりましたが、今回の講座で東京で久しぶりに、くだんの「名誉毀損」逮捕事件について話す機会を与えてくださったたんぽぽ舎のみなさん、及び逮捕直後から支援され今回も自身の連続講座の一つに組み入れてくださった浅野健一さんに感謝いたします。 

(鹿砦社代表・松岡利康)

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!

『NO NUKES voice』11号

 

10月2日(日)熊本「琉球の風2016」開催!

出直しとなった「琉球の風2016」が、いよいよ10月2日(日)に開催! 鹿砦社も協賛企業として出資、さらに先着1000名に特製エコバッグと、抽選で100名に『島唄よ、風になれ!~「琉球の風」と東濱弘憲』を提供!

当初、5月15日に開催予定だった「琉球の風2016」が、いよいよ10月2日(日)に開催の運びとなりました。

今回で8回目、4月の熊本地震で休止(延期)を余儀なくされましたが、実行委員長が経営する結婚式場も被災を受けながら、地元熊本の方々、沖縄のアーティストの方々のご支援にて、出直し開催の運びとなりました。

◆内田勘太郎さん(元・憂歌団)、南こうせつさん、島袋優さん(BEGIN)、宮沢和史さんらも駆けつけ出演決定!

5月には予定になかった、沖縄に移住されている内田勘太郎さん(元・憂歌団)南こうせつさん島袋優さん(BEGIN)、お馴染みの宮沢和史さんらが急遽駆けつけてくださることになりました。当初からの予定の夏川りみさんかりゆし58ネーネーズも駆けつけます。

昨年5月の「琉球の風」開催風景

また、沖縄からは、なんと100人でツアーを組んできてくれることになりました! 義に篤い琉球人の友情を感じさせます。義援金も集めていただき、持参いただけるとのことです。

鹿砦社関係も、100人には到底及びませんが(笑)7人+αが駆けつけます。また、例年好評の特製エコバッグを先着1000名にプレゼントするのみならず、今年は5回までの記録集『島唄よ、風になれ!』(通常版)を抽選で100名にプレゼントします。太っ腹やで!

◆故・東濱弘憲君が遺した「琉球の風」

このイベントは、父が沖縄・与那国島出身、戦後すぐに熊本に流れて来た父を持つ、私の高校の同級生の東濱弘憲君(故人)が、みずからの琉球の血を自覚し始めたものです。

今年は「トークゲスト」として参加してくださる宮沢和史さん(左)

東濱君は熊本で生まれ育ちましたが、高校時代は、まったくのワルゴロで、こういうことを真面目に考えるような男ではありませんでした。高校卒業後、熊本を離れ、職を転々としながら(マグロ船にも乗ったこともある)、あるいはガンに罹ったりし、そうした中で、彼なりに考えた末に、帰郷し熊本で沖縄料理店を開き、お店での小さなライブを重ね、また沖縄に何度も通いつめ現地のアーティストの信用を得ながら、遂に2008年、沖縄島唄の大御所・知名定男先生を総合プロデューサーに開始されたものです。1回目には、名曲中の名曲『島唄』の宮沢和史さんも出られ、これまでほぼ常連で出演されてきました。「琉球の風」の功労者の一人です。

しかし、1回目、2回目は大赤字、熊本という地方都市で大きなイベントを開催する難しさを思い知らされました。

総合プロデューサーは沖縄島唄の大御所・知名定男先生

◆宇崎竜童さんの男気に感謝! 

ようやく第3回目、宮沢和史さんに加え、BEGIN、われわれの世代には馴染み深い宇崎竜童さんが出演し、ようやく黒字に転化、以降、ほとんど赤字かトントンでアップアップしつつも、「黒糖ドーナツ棒」で急成長した大口協賛企業「フジバンビ」はじめ多くの支援を得て、これまで継続してきました。東濱君の想いに答え、われわれ鹿砦社も協賛企業の一角として支えてきました。

実行委員会が宇崎さんに、出演料を払おうとして口座番号を教えてほしいと連絡したところ、「教えません」と一喝されたとのこと、1回目、2回目の赤字に苦慮してきた実行委員会に配慮された宇崎さんの男気がうかがえるエピソードです。

このかん、東濱君は再度のガンに倒れ、2012年4月逝去、通夜・葬儀には500人以上の人たちが参集し、多くの人たちに愛された彼を象徴する出来事でした。

◆今年の「琉球の風」は熊本震災復興と共に!

そうして多くの心ある方々のサポートで継続してきた「琉球の風」ですが、今年は、あの熊本地震の直後でもあり、特別の意味を持ちます。復興への象徴として――。

私個人にとっても、生まれ育ち少年時代を過ごした、わが故郷・熊本が呻吟する中で、復興への記念すべき「琉球の風2016」になれば、と願います。

今からでも熊本行きのチケットを買い、駆けつけてください! 
なお、「琉球の風2016」の報告は、直後に「デジタル鹿砦社通信」で行います。

▼松岡利康(鹿砦社代表)

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