4月1日本コラム で紹介した関西大学での『人間の尊厳のために』が4月17日実質上のスタートを切った。

この日に先立つ10日に初回の講義が行われ、講義の進め方などの案内があった。その時点で登録者は80名程度だったが、「履修変更」(学生が一度登録した講義を変更すること)で受講者が140名へと激増したために当初配当された教室では収容しきれず、教室も変更になった。

17日は講義を担当する浅野健一、小出裕章、松岡利康の3氏も揃い、各講師が自己紹介や講義の進め方などを語った。同講義は一方的に講師が話をするだけではなく、学生を5人のグループに分け講義を聴いた上での討論をグループ内で行い、各講師の最終担当回には学生と講師の討論を行うという形式で進められる。

17日は講師の自己紹介の後、学生が予め割り振られていた各グループへと座席を座り直し、グループ内で互いの自己紹介などを行い、共通の興味や関心事を語り合った。

講義前半は講師の話に耳を傾ける静かな進行から、後半は一転して賑やかな教室へと運営がなされ、この講義を運営する新谷教授とそれをサポートする2名の学生スタッフの熱意と手際の良さが際立っていた。

4月17日の講義では全講師が揃って自己紹介や今後の講義の進め方などを説明した(写真右から小出裕章氏、浅野健一氏、松岡利康氏

◆一番大切なはずなのに実は稀有だった「尊厳」をめぐる大学講義

各講師の自己紹介の中で浅野氏は「尊厳という言葉が冠された大学講義は日本では珍しい。私の講義では特に犯罪を犯したあるいは犯したと疑われた人の人権を中心に人間の尊厳を考えていきたい」と語った。

小出氏は京大原子炉実験所3月末に退職したばかりであることから話を切り出し、ホワイトボードに「Nuclear Weapon」、「Nuclear Power plant」、「Nuclear Development」と書きそれぞれが「核」あるいは「原子力」と恣意的な使い方をされていることを示し、「原子力の危険性と社会的な問題について語っていく、皆さんとの議論を楽しみにしている」と語った。

「Nuclear(核)」は同じなのに、なぜ日本では「核兵器(Nuclear Weapon)」と「原子力発電所(Nuclear Power plant)」とで恣意的に呼称が異なるのか?──小出裕章氏

松岡氏は「私は他の2氏のような研究者ではないのでここに立つのが相応しいかどうかわからないが、長年出版に関わった経験から『机上の死んだ教条ではなく、生きた現実』をお話ししていきたい」と意気込みを語った。

前回の記事に対してTwitterで「これは凄い講義だな! 関西大学の学生しっかり勉強しろよ!」と激励を下さった方がいる。講義の内容だけでも充分に関心が高まる『人間の尊厳のために』だが、そこへ学生達がどのような反応を、そして議論を挑んでくれるのか。これからの展開がさらに楽しみになってきた。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎防衛省に公式見解を聞いてみた──「自衛隊は『軍隊』ではありません」
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」
◎マクドナルド最終局面──外食産業が強いる「貧困搾取」ビジネスモデル
◎関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!!

 

4月、まもなく関西大学で「事件」が起こる。「事件」といってもキナ臭かったり、危険なものではない。この時代に大学が失いかけている存在理由を根本から問う劇的に素晴らしい「事件」が起こるのだ。

科目の名は『人間の尊厳のために』で春学期に15回行われる。「グローバル」だの「キャリア形成」だの薄っぺらいことばが大手を振るう大学界で、この講義名を目にしただけで胸が熱くなる。『尊厳』という言葉からはドイツ憲法における以下の文言が想起される。

ドイツ基本法(憲法)の第1条 [人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束]として、
(1)人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。

日本国憲法も前文は素晴らしいがドイツ基本法(憲法)は第1条で人間の『尊厳』に言及している。あらゆる場面で人間の『尊厳』など忘れ去られているかの日本においてこの科目名はとりわけ異彩を放つ。

◆脱原発、犯罪報道、タブーなきメディア──衝撃の講師陣が「尊厳」を論じる

京都大学原子炉実験所助教を定年退職されたばかりの小出裕章氏がこの4月から関西大学の教壇に立つ

さらに同講義のシラバスをご覧いただければ読者も腰を抜かすであろう。

科目名 「人間の尊厳のために」
担当者名 新谷英治/浅野健一/松岡利康/小出裕章
授業概要 戦争や被曝、不当な報道などによって多くの人々が人間としての尊厳を踏みにじられ苦しんでいることは厳然とした事実でありながら必ずしも社会全体に正しく知られていません。失礼ながら大学生などの若い世代の皆さんはとりわけ認識が薄く、ほとんど問題意識を持っていないかに見えます。本講義は、深刻重大でありながら(あるいは、それゆえに)隠されがちな社会の問題を、現在第一線で活躍するジャーナリストや出版人、科学者の目で抉り出し、学生の皆さんに自らの問題として考えてもらうことを目指しており、皆さんの社会観、世界観を大いに揺さぶろうとするものです。

到達目標 人間の尊厳が踏みにじられている現状を正しく認識し、現実を踏まえつつ実効ある解決策を考えようとする姿勢を身につけることです。

関西大学文学部の新谷英治教授がコーディネーターとなり、元共同通信記者で『犯罪報道の犯罪』の著者である同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授(京都地裁で地位確認係争中)浅野健一氏

浅野健一=同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授は現在も京都地裁で地位確認係争中

そして驚くまいか鹿砦社社長松岡利康の名が!さらに3月で京都大学原子炉実験所を定年退職された小出裕章氏も教壇に立つ。このような「神業」に近い講義を開講する関西大学の慧眼と叡智は全国の大学が学ぶべきものだ。

「事件」という表現を使った意味がお分かりいただけるだろう。関西大学共通教養科目の中のチャレンジ科目として開講されるこの講義には『哲学』の香りがする。そして生身の人間の迫力が講義内容紹介の文章からだけからでも感じられる。吹田、千里山の春にアカデミックな風が薫ることだろう。受講学生は「覚醒」するに違いない。

 

 

関西大講師として松岡利康=鹿砦社社長も教壇に立つ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」
◎秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」
◎防衛省に公式見解を聞いてみた──「自衛隊は『軍隊』ではありません」

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編集後記(松岡利康=鹿砦社代表)より

鹿児島川内原発ゲート前(2015年1月25日)

『NO NUKES voice』vol.3をお届けします。3・11から4年の直前ということもあり、vol.1、vol.2に比べ大幅なページ増(24ページも!)となりました。それでも次号に回させていただいた原稿もあります。本来なら定価も上げるところ、えいっ、据え置きました。まだまだ知名度もなく、広く多くの方々に手にとっていただくことを最優先に考えたからです。

vol.1、vol.2は、それなりに反響があったものの、発行部数が多かったこともあり大幅な赤字でした。それでも大幅にページを増やしたり定価を据え置いたり、さらに赤字を増やす危険を冒してイカレてしまったのか!?

今のところは会社も少しは余裕もあり、ははは、大丈夫、大丈夫!(苦笑)しかし、まだ余裕があるうちに黒字化に持って行きたいところです。そうしないと続きませんからね。できるだけ早く本誌だけで採算的に独立できるように努めたいものです。

vol.1、vol.2に続き今号も力作が揃いました。特に若い時から陰ながら尊敬していた水戸巌さん、高木仁三郎さんお二人のご夫人に同じ号でご登場いただけたことは、おそらくこれまでなかったことではないでしょうか。日本の反原発運動の先駆けでありながら、いろんな妨害などで孤立無援に近い闘いを持続してこられた水戸・高木両氏、今こそ私たちはお二人の想いや意志を甦らせねばなりません。

特に(私個人としても)お二人が70年代初めに関わられた三里塚闘争の意味、これが共通項になっていることに着眼していただきたいと思います。私も当時、第二次強制収用阻止闘争前後に一時期三里塚と大学(京都)を往復したりし、この第二次強制収用阻止闘争を闘いました。この体験が今に生きている思っています。あれだけシンドい闘いをやれたのだから、あれ以上の闘いはないし、どのように苦しくても頑張れる……と自分に言い聞かせてきたつもりです。

話が逸れるかもしれませんが、経済産業省前のテントひろばこそ、“もうひとつの三里塚闘争”といえ、かつて三里塚闘争に関わった方々(“老人行動隊”!? 失礼!)が多く支えていますので、これはちょっとやそっとでは潰れないと思います。

同じ時代に三里塚闘争に関わりながら、お二人の想いや意志を理解できず、結果としてお二人を孤立無援に近い情況にしてきたことが悔やまれます。

◆本誌を3号編集して、まだ3号だけですが、多くの方々にご協力賜っています。人間は統一、画一を求めるようで、同じ意見でなければ排除したり、同じ雑誌に意見の異なる人を登場させることを嫌いがちです。しかし、100人の人間がいれば100人、個性も考え方も異なります。今号に登場されている方々を見ても、脱(反)原発という点では同じでも、微妙に、いや、かなり意見が異なっています。確かに寄稿やインタビューを依頼する際、私自身の好き嫌いも否めませんが、最大限本誌は百家争鳴で行きたいと思っています。

この際、少なくとも重きを置きたいことは、まず福島の方々の生の声をできるだけ盛り込む若い世代、研究者、(ノンセクトの)活動家、アーティストら多種多彩な方々に登場いただき、まさに百花繚乱の雑誌にできれば、と考えています。ただ、政党や党派関係の方は、みずからの発表の場や媒体があるでしょうから、べつに本誌に登場いただかなくてもいいでしょう。

◆投稿欄で板坂剛さんが小出裕章先生の「私は喜んで非国民になります」との言にいたく感銘を受けていますが、これに倣って「非国民会議」を設立しようと意志一致しました。官製の「国民会議」というのがありますが、これに対抗し「非国民会議」、いいんじゃないでしょうか。しかし今、原発やオリンピックに反対したりすることは果たして国益に適うのか、むしろ逆説的に「非国民」と開き直る小出先生らのほうが、よっぽど愛国者だと思います。この期に及んでまで、美しい日本の国土をさらに荒廃させる原発推進支持者こそ、真の意味で<非国民>だ!

次号vol.4は5月発行予定です。ご期待ください!

松岡利康(鹿砦社代表)

鹿児島川内原発ゲート前(2015年1月25日)

本日発売『NO NUKES Voice』3号目次はこちら!

阪神淡路大震災は「ボランティア元年」という言葉を生んだ。1995年1月17日は、戦後未曾有の自然災害だった。その後、もっと大規模な東日本大震災が起きたが、20世紀末の阪神淡路大震災が未曾有の自然災害だったことには間違いなく、関西のみならず全国からボランティアが駆けつけ復旧、復興に尽力してくれた。

しかしながら、現在のようにまだネットや携帯電話も普及しておらず、情報伝達の手段に事欠いていた。

こうした中、地元在住のフリーライター、近兼拓史さんらが始めたのが地域(コミュニティ)FMだ。

「『ラジオ局を作ろう』
そんなビラを作って配るところから始めた
小さな街の声、署名運動から始めた
たったマイク一本から始めた
あきらめるのは簡単だった
たった八畳の何もないスタジオ
わずか百メートルも届かない電波
でも気持ちは伝わった、人の輪が広がった
この本はそんなボランティアたちが作った
小さなラジオ局の物語です」

震災から4年後の1998年にまとめられた『FMラルース999日の奇跡~ボランティアの作ったラジオ局』の巻頭には、上記のような言葉が記されている。

近兼さんは今、「鈴木邦男ゼミ」「浅野健一ゼミ」、そして本年2月から開始する「前田日明ゼミ」の会場となっている「カフェ・インティライミ」を主宰されているが、自宅、実家、事務所が全壊しながらも、震災から数年間は、持てる資金や自宅などを投げ打って「FMラルース」という地域(コミュニティ)FMラジオ局を開始し、多くの若者らを集め運営していた。残念ながら、西宮市との半官半民の「さくらFM」として発展的解消し、その後(本書には記述はないが)資金的にも行き詰まり解散、「FMラルース」という名は伝説のコミュニティFMとなり今はない。同時期に神戸市長田で生まれた「FMわぃわぃ」は今も頑張っている。

私たちは当時、この「デジタル鹿砦社通信」の前身にあたる、週刊のファックス通信「鹿砦社通信」を発行し、ジャニーズ事務所などとの裁判闘争レポートや対ジャニーズ事務所批判を行っていたが、震災後4年経っても、阪神間の公園という公園から仮設住宅がなくならない現状に心を痛めてもいた(当時まだ5800世帯、約1万人の方が仮設住まいだったことが記録されている)。それは、時に、いつもとは趣の異なる記事となって配信されている。「われわれは被災地の出版社としてマスコミ・出版関係者に、怒りを込めて問いかける!『君はもう阪神大震災を忘れたのか!と。」「甲子園の出版社=鹿砦社は高校野球の狂騒を怒る!!」「被災地にとって高校野球はいかなる意味を持つのか? 甲子園球場の周囲に仮設住宅があるという風景を、大会関係者は全国に知らせる必要がある!」「被災地に根づくコミュニティFMの遥かなる想い」「風化する震災の記憶の中で」「われわれは被災地の出版社である!! この時期にだけ"震災特集“でお茶を濁す"東京発”マスコミのご都合主義を笑え!」……(当時の「鹿砦社通信」は『紙の爆弾 縮刷版鹿砦社通信』として一冊にまとめられているので、関心のある方はご購読されたい)。

この頃、震災交流誌『WAVE117』という小冊子の発行も引き受けている。これは7号までしか続かなかったが、灰谷健次郎、富野暉一郎、妹尾河童、野田正彰、稲垣美穂子、タケカワユキヒデ、横尾忠則、永六輔、石川好、田中康夫、辻元清美、辛淑玉(敬称略)……といった著名な方々が寄稿、協力されている。もっと頑張れば継続できたかもしれないが、当時、財政的にも精神的にも余裕がなかったことが悔やまれる。

阪神淡路大震災から20年-――私たちは“ある想い”を持って、近兼さんと合意し『FMラルース 999日の奇跡』の「復刻新版」を出版した。

私たちは20年前、「被災地の出版社」を高らかに宣し、爾来20年、拠点を被災地の西宮に置き、私たちなりに一所懸命頑張ってきたつもりだ。浮き沈みはあったが、その苦労も、震災で亡くなられた方々の無念に比すれば取るに足りないもの、お蔭様で何とか生き延びてこれた。

かつて身近にあった仮設住宅も今はなくなり、阪神地方は、曲がりなりにも復興したといえる。本当に復興したかどうか議論も問題もあろうが、東北の現状を思えば、これでよしとしなければならないだろう。

震災直後に甲子園で開かれた高校野球で、亡くなられた方々に黙祷さえしないことに怒り、日々瓦礫を運ぶトラックの行き来を眺めながら、いささか宗教的にさえなった、当時の想いこそ、私たちの<原点>であり、今生きて、生業の出版の仕事を、相変わらずやれる幸せに感謝しなければならない。

[松岡利康=株式会社鹿砦社代表取締役]

【復刻新版】近兼拓史『FMラルース 999日の奇跡』1月15日発売!

 

「もう20年経ったのか」……鹿砦社のホームグラウンド・阪神地域を襲った大震災から20年が経った。無我夢中で生きてきたので、長かったのか短かったのか分からないが、バカはバカなりに真面目に考え、ひとつの感慨はある。

この震災では6500人ほどの方が亡くなり、建物の損壊など被害が甚大だったことは言うまでもない。この震災、全国の人から見れば神戸で起きたイメージが強いが、阪神地域の西宮、芦屋、宝塚などの被害も大きかったことも忘れないでいただきたい。

神戸市は広いので、区を一つの行政区分として亡くなられた数を見てみると、
① 東灘区  1471人
② 西宮市  1126人
③ 灘区   933人
④ 長田区  919人
⑤ 兵庫区  555人
⑥ 芦屋市  443人
⑦ 須磨区  401人
⑧ 中央区  244人
⑨ 宝塚市  117人

意外と思われるかもしれないが、鹿砦社本社の在る西宮市の死者の多さに驚かれる読者も多いだろう。

話は逸れるが、西宮という所は地味な市で、震災の死者数もさることながら、甲子園球場がある市だということも、意外と知られていない。甲子園球場の名は、日本で例えば100人に聞いても100人全員知っているだろうが、(関西以外の人で)それが西宮にあるということを知っている人はあまりいない。

また、面積の狭い芦屋市の死者の多さにも、あらためて驚く。震災直後に、私が見て回ったところでは、芦屋の被害の密度の濃さは印象が強い。当時の女性の市長は、自宅が全壊しながら、市長室に寝泊まりしながら復旧の指揮を執られていたことを思い出す。

阪神・淡路AID SONG『心の糸』 (1995年4月26日発売)

もう一つ、意外と知られていないことを記しておこう。

震災復興の象徴的な歌としては、震災当時、神戸市の中学校の先生が作詞・作曲した『しあわせ運べるように』が有名である。今では全国的にも、名が広まっているので、聴かれた方も多いだろう。

しかし私は、「阪神・淡路AID SONG」と銘打って、当時すでに人気も勢いもあった若手女性演歌歌手、長山洋子、香西かおり、坂本冬美、藤あや子、伍代夏子らが歌った『心の糸』という歌を思い出す。メロディも悲哀に満ち、かつ5人の女性歌手の歌も良く、名曲といっていい歌だが、ほとんど流行らなかった。震災追悼番組で2度ほどテレビに出たのを観たぐらいで、被災地の人でさえ全くといっていいほど知らない“隠れた名曲”だ。「エグゼクティブ・プロデューサー」として「芸能界のドン」周防郁雄バーニングプロ社長の名が記されているが、「芸能界のドン」の威光で流行らせて欲しかったところだ。関心のある方はYou Tubeででもご覧になってほしい。

♪覚えててあなた 私がここにいることを
忘れないであなた 歩いた道のほとり
心の糸を たどりながら 過ぎし日を 重ねてみたい
心の糸を 手さぐりながら 夢の続き さがしていたい

震災から4年経った頃、私は次のように記している(ファックス版「鹿砦社通信」1999年1月18日号)。―――

「いずれにしても、『われわれにとって、阪神大震災とは何だったのか?』という<問い>に常に否応ながら迫られつつ、これからのわれわれの行く末があることは間違いがないだろう。われわれはいやしくも出版人として、これに少しでも<答え>を出していきたい」

阪神淡路大震災から20年、一時は、阪神間の公園という公園には仮設住宅があり、多くの方々が、暑い日も寒い日も過ごされていた。阪神間の公園から仮設住宅が完全に撤去されるまで何年の月日を要したのだろうか。一方、近くの甲子園球場では、高校野球やプロ野球が華々しく開催されていて、そのギャップに心を痛めていたこともあった。

今、3.11からもうすぐ4年、被害の規模、死者数など阪神淡路大震災よりも遥かに被害が大きく、加えて原発事故による放射能の被曝に怯えつつ暮らしている東北の方々のことを想うと、曲がりなりにも復興(この解釈については今は置く)した私たちは、東北の方々のことを一時(いっとき)も絶対に忘れてはならないということを、あらためて肝に銘じなければならない。

[松岡利康=株式会社鹿砦社代表取締役]

1.17も3.11も忘れない!鹿砦社の原発・震災関連書籍

 

昨年は「デジタル鹿砦社通信」のご拝読、ありがとうございました。

本年も、皆様方のご期待に応え、もっと激しく展開したいと思っております。
既存のメディアが権力のポチ化し劣化していく中で、私たちは独立独歩、
タブーなき言論を堅持する決意を更に固めています。

旧年に倍するご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

2015年1月1日

「デジタル鹿砦社通信」編集部/執筆者一同

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