「困った人」香山リカ氏らによる鹿砦社への、筋違いな侮辱発言に抗議する!  株式会社鹿砦社 代表取締役 松岡利康

新刊書籍『カウンターと暴力の病理』において、精神科医の泰斗‐野田正彰氏に「困った人」と評価された、同じ(格はぐっと落ちるが)精神科医で立教大学教授の香山リカ氏――くだんの一件(「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」事件)以来、鹿砦社に対する発信をしばらく見かけませんでしたが、またしても「困った人」ぶりを発揮しています。小さなことにはいちいち相手しないつもりでしたが、「M君の裁判を支援する会」も反論している通り、ことはお金に関することでもありますので、あらためて抗議いたします。

香山氏は、今や刎頸の同志となった感のある野間易通氏による「(鹿砦社が)支援者のみなさんに広告・宣伝をして本を売るのです。そのために弁護士を雇って裁判を次から次へと起こさなければならないのです」(12月15日)とのツイートに応え、「出版の世界はいま構造的な不況で、最近会う編集者からも景気のよい話は聞かない。その中で『裁判を起こす→支援者からのカンパで費用を集める→本を出して支援者に買わせる』という小口ビジネスモデルに活路を見出したのだろうか。支援者は『カンパ』『本の購入』と二重取りされてることになるが」とリツーイトしています。野間氏にしろ香山氏にしろ、言うに事欠いて、根拠のないことを言わないでいただきたい。事実に反し筋違いの無責任な物言いには憤激を覚えます。

野間氏や香山氏らの同志、李信恵被告ら5人に対して、彼らにリンチを受けた被害者の大学院生M君が起こした民事訴訟は、多くの心ある方々の浄財によって支えられてきています。このお金については、弁護士が管理し、1円たりとも裁判費用以外には使われていません。支援会事務局のメンバーが集まる交通費や飲食費なども自腹です(時たま私がいる時には飲食費について私が負担することはありますが)。また、鹿砦社が李信恵被告を訴えた訴訟費用や鹿砦社の運転資金にも、当然ですが1円たりとも流用されていません。

香山氏の表現を普通に読めば、あたかも鹿砦社が、心ある方々から寄せられた浄財を使って「本を出して支援者に買わせ」て不当な利益を挙げているかのような誤解を与えます。そして「小口ビジネスモデルに活路を見出したのだろうか」だって!? 私はそんなセコいことはしません。鹿砦社は本年も(例年同様)年間100点余りの新刊を発行していますが、リンチ関係本はたった2点だけで、売上の比率は全体の1パーセントほどにすぎません。「小口ビジネス」と言うには小さすぎます。いい加減なことを言わないでいただきたいものです。香山先生、あなたも、それなりに名のある「知識人」でしょう、みずからを貶めるようなことは言わないほうがいいのではないでしょうか。

香山リカ氏のツイッターより

野間氏の言説にしても、全くいわれのないもので、どこからそんな発想が出てくるのか、到底理解できません。裁判ひとつ起こすのにも、それなりの費用も掛かりますし、神経も使います。できるならば、裁判など起こさないほうがいいに決まっています。それでも鹿砦社が李信恵被告を提訴したのは、「鹿砦社はクソ」発言があまりにも酷く、度重なる誹謗中傷が小社に対して名誉を毀損するのみならず、小社と業務上関係のある方々(取引先やライターさんら)への悪影響を懸念してのことです。何が、「支援者のみなさんに広告・宣伝をして本を売るのです。そのために弁護士を雇って裁判を次から次へと起こさなければならないのです」か。想像でものを言うのはやめていただきたい。

さらに香山氏は、「お金取り尽くしたらそこで終わり。この件ではもう本を出す価値なし、となったあと、協力者、支援者が冷たくあしらわれて傷つくことにならなければよいのですが」などとほざいています。

香山リカ氏のツイッターより

やれやれ。ここまで来ると、怒りを通り越して失笑を禁じ得ません。しかし、こうした物言いが続けば、これは名誉毀損であり偽計業務妨害であり提訴もやぶさかではありません。私はめったなことでは提訴することはありませんが、度を過ぎれば、李信恵被告に対する訴訟同様、〝賽を投げる〟こともあります。

私や鹿砦社が、李信恵被告ら「カウンター」による大学院生M君リンチ事件に関わったのは、「小口ビジネス」としてではありません。リンチ直後のM君の顔写真を見、リンチの最中の録音を聴いたりして、あまりに酷すぎると感じたことに発しています。それも1年以上も意図的に隠蔽されたり村八分にされたり、さらに事件隠蔽工作に当社の元社員が関わっていたり……。

香山先生、こうしたことについて、あなた自身は、ひとりの精神科医として、ひとりの人間としてどう感じますか? 正直にお答えいただきたい。今回の本にリンチ直後の被害者の写真はトップに出ていますし、リンチの最中の録音も付けています。香山先生にもお送りしています(「どちらに送付したか、言ってみては?」だって? 事務所です)。「釈迦に説法」かもしれませんが、まともな精神科医なら、まずは激しいリンチを受けた被害者の心中を慮り寄り添うべきではないのでしょうか。

また、このリンチ事件について、鹿砦社は4冊の本にまとめ出版しています。このシリーズは、取材費や製作費などに他の書籍よりも多額の費用がかかっています。「小口ビジネス」で本を出し不当に「利益」を目論んだと言わんばかりの言説は心外です。元々利益よりも義憤に感じて始めたのであって、外から想像するほど利益を出しているわけでもありません。

さらに言えば、この裁判は、個人間の諍いではなく、李信恵被告ら加害者らが平素から「差別」に反対し「人権」を守るとうそぶき「ヘイトスピーチ」に反対する訴訟を起こし社会的にも、いわば「反差別」や「人権を守る」運動の旗手のように認知されながら、裏では激しい暴力を行使し常識では考えられないほど凄惨なリンチを行ったことを顧みると、公共的な意味もあり、多くの皆様方に支えてもらい進めたほうがいいという趣旨で始められたと理解しています。これまでは多くの心ある方々のご厚意でカンパも集まり、それで裁判費用が賄えてきました。もし資金が足りなくなったら、鹿砦社や私の私財を投じてもいいとも思っています。それに対して、妙な言い掛かりをつけるんじゃない!

さて香山先生、あなたがまずやるべきことは、「(鹿砦社が)小口ビジネスモデルに活路を見出した」などという、子ども騙しのデマゴギーを振り撒くことではなく、前述したように、ひとりの精神科医、ひとりの人間として、凄惨なリンチを受けた被害者に寄り添い、被害者の傷ついた心中を慮り、あなたの仲間らがやった過ちを叱責し反省を促すことでしょう? そうではないですか!? もしリンチ事件に曖昧な態度を取ったり隠蔽したりリンチ加害者側に与するようなことがあれば、あなたも〈共犯〉です。

まずは、お送りした『カウンターと暴力の病理』に付録として付けたリンチの最中のCDをお聴きになって、ご感想を述べてください。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

現在のアクティビストに送られた遺言『遙かなる一九七〇年代─京都』

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

「本書は私たちにとっての『遺言』、あるいは〈政治的遺言〉と言っても過言ではありません。そのつもりで、いつかは若い時の自らの行動や経験をまとめようと思い長年かけて書き綴ってきました」

2017年11月1日、『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』(編著者・松岡利康さん、垣沼真一さん)が鹿砦社より発刊。それにともない20日、出版記念懇親会が、100名超を集めた関西(11月12日。これは本書の底流となっている松岡さんの先輩の児童文学作家・芝田勝茂さんの講演会〔同志社大学学友会倶楽部主催〕ですが、これに間に合わせるために本書が刊行されたそうです)に続き、東京でも30名ほどを集めて開催された。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、本書について冒頭のように説明している。

「全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという〈革命的敗北主義〉」

巻頭では、ニューヨーク州立大学教授で元同志社大学学友会委員長・矢谷暢一郎さんによる特別寄稿が掲載されており、そこには「読みながら時々息詰まって先に進めないのは、レジスタンスのパリで生き残ったジャン・タルジューに似て、生き残った作者自身の悔恨と苦悩に満ちた〈遺書〉を後に続く世代に残すために書かなければならなかった作業を、現在形で読むことから来ている」と記されている。

集会の終盤で議論に応じる松岡利康さん。「僕はほとんどノンセクト暮らし。しかも僕らの頃は、赤軍色は薄れていた」

1972年生まれで、超氷河期・団塊ジュニア・第2次ベビーブーム世代などと呼ばれるところの私は、周囲の同世代や女性による60・70年安保(闘争)世代に対する批判的な声を耳にし続けてきた。だが、個人的には広くおつきあいさせていただくなか、彼らは一定の「役割」を果たしたが、権力によって意図的に追いつめられたと考えている。そして、彼らに惹かれながら、彼らの「自由を求める精神・思想・方法論」などのよいところを自分こそが引き継ぎたいと願っているのだ。また、そのような視点で、彼ら世代が手がける書籍を読んでもきた。

『遙かなる一九七〇年代─京都──学生運動解体期の物語と記憶』は、松岡さんや矢谷さんが語るように、当時の行動・経験・悔恨・苦悩が〈遺言〉として、ある種赤裸々に、率直に記されている。個人的には、事実や知識を得ていくことにもちろん関心はあり、意外なつながりを発見するなどして喜びを感じたりもするが、それ以上に「真実」、そこにいたったり振り返ったりした時の感覚・思考などに関心があるのだ。それは、自分に活動家だという意識があり、現在の運動の苦しさを打破する鍵を探しているからかもしれない。本書を読了し、それらが多く書かれていると思った私は、ぜひ、本書を50代以下や女性たちにも読んでほしいと願う。同世代、特に関西にいた人にとって、より興味深いものであろうことはいうまでもない。本書をもとに議論や振り返りが盛り上がるとさらによいだろう。

たとえば松岡さんは、比較思想史家・早稲田大学教授で元叛旗派の高橋順一さんいわく「奇妙な情熱」でもって、第3章「われわれの内なる〈一九七〇年代〉」で、「私たちの共通の想いは、闘わずして腐臭を放つより、最後の最後まで闘い抜いて解体しよう、ということだった。これは、私たちが最先頭で闘い抜くことで、仮に敗北することはあったにしても、全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという、まさに〈革命的敗北主義〉であった。特に、70年入学という、いわば“遅れてきた青年”であった私(たち)の世代は、68-69年を超える戦闘性を合言葉にした」と当時を振り返る。

さらに、「全学闘の後々の『変質』があったのであれば、それは突然に起きたのではなく、表面化はしなかったにせよ、私たちの世代、さらに69年の創成当時にまで遡って根があると思う」と反省の意を綴った。そして、なかにし礼さん作詞、加藤登紀子さん作曲『わが人生に悔いなし』より、「親にもらった体一つで 戦い続けた気持ちよさ 右だろうと 左だろうと わが人生に 悔いはない」と記す。私の心には、〈革命的敗北主義〉の苦悩が届きつつも、羨望のさざ波が立つ。そのようなある種の爽快感を、現在の運動でもつことの困難を考えてしまう。

ちなみに、第4章「七〇年代初頭の京大学生運動──出来事と解釈 熊野寮に抱かれて」に、垣沼さんは、当時の背景として「民青はオルグする際は言葉としては近いうち革命でプロレタリア独裁を実現すると言っていたころだ」、「三派全学連から数年の実力闘争はかなりの国民から支持されていた。愛されていたと言ってもよい」と書いている。また、大学の生協の仕組みなども活動家の学生に対して「強力的」だった。改めて、時の流れを感じざるをえない。ただし、3章には、10年後の世代A君のメール文や、「最早、(75年前後の)大衆は70年代前半の大衆ではありませんでした」というメールも引用されており、これも興味深い。4章にも、京大総長岡本も「『ノンポリ』教養部生の発言には明らかに動揺している」などの記述もある。本当に、時代が変わる時だったのだろう。

また松岡さんは、寮母の砂野文枝さんに触れ、彼女の背景に戦時下の記憶をみる。このように、それぞれの時代を生きた人同士がつながり合い、何かが受け継がれていくのだろうと思う。

「真に闘ったかどうかということは、自分自身が一番よく知っている」

集会で革命に関する考え方と現在への影響などについて語る、評論家で叛旗派互助会の活動に継続的に参加している神津陽さん
Kさんが神奈川県に対して人事委裁決の取消しと損害賠償とを求めた行政訴訟事件の裁判の勝訴について報告する岡田寿彦さん
30年近くにわたる、たんぽぽ舎の反原発運動について説明し、「向こうも再稼働を思うようにできていない」と語る、柳田真さん

いっぽう、よど号メンバー、リッダ闘争関係者、連合赤軍関係者の特に現在については、個人的には松岡さんとも垣沼さんとも一部異なった印象・評価をもっている。万が一、よろしければ、ぜひ、直接交流してみていただきたい。事実を理解しないとの批判を受けるかもしれないが、自分なりの把握の仕方はある。この「過激な」活動の背景には、運動の歴史はあるものの、どう捉えるか、どこに線を引くかという考え方などに時代や個人によっての差が生まれるとは思う。いずれにせよ私は、自分への教訓としても、総括し、今日と明日とに生かしたいと考え行動する人々を信じる。その意味では、松岡さんも垣沼さんも立派な姿勢を示されたと思う。

さて、この運動衰退期を考える時、内ゲバのことを避けては通れない。松岡さんも垣沼さんも、これに真摯に向き合っている。ただし松岡さんは当時を全体的に振り返り、「闘うべき時に、真に闘ったかどうかということは、知る人は知っているだろうし、なによりも自分自身が一番よく知っているから、それでいいではないか、と最近思うようになってフッ切れた」という。

もちろん、連赤でもよくいわれることだが、運動や闘争にも実際には日常があり、そこには笑顔だってあった。本書にも、ほっとするようなエピソード、思わず笑ってしまうような「小咄(?)」なども盛りこまれている。また、松岡さんの「情念」を代弁するかのごとく、橋田淳さんの作品『夕日の部隊──しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま』が第2章として掲載されてもいる。さらに、垣沼さんは、三里塚で、「農家のおっかさんが我々が逃げていくとあっち行け、こっち来いと声をかけてくれるので皆目土地勘がないけれども何とか動けた」、留置所で「やくざの人から暇つぶしの遊びを教えてもらった」などとも記す。「納豆を食う会」などの、ある種バカバカしい運動も、もちろん批判的にではあるが取り上げている。私は晩年の川上徹さん(同時代社代表・編集者、元全日本学生自治会総連合中央執行委員長・元日本民主青年同盟中央常任委員)ともお付き合いをさせていただき、彼からは「人間とはいかなる存在かを書く」ということを学び、それを受け継ぐこととした。これらも含めて本書には、余すところなく、それがある。

『遙かなる一九七〇年代─京都』を読んで、ともに再び起ち上がろう!

他方、第4章に、垣沼さんは、当時が目に浮かぶような詳細な記録を残している。彼は、このもとになるような膨大なメモを記してきたのだろうか。自身の背景なども書かれており、90年代に学生だった私にも、親近感が湧く。

内ゲバの詳細を綴った個所は圧巻だ。たとえば、75年マル青同の岡山大学での事件においては、「『殺せ、殺せ』と叫びながら乱闘して、多くの人が負傷して、ゆっくりと動く車で轢死させている」とか、気絶するまで殴打する様子が描かれている。このような具体的な状況を知る機会は限られるだろう。しかし、これが殺人や連赤まで結びつくのは簡単なものだろうと思わざるをえない。

4章では特に、垣沼さんを支えてきた言葉が、現在のアクティビストである私たちへの「お告げ」となるかのように、綴られてもいる。たとえば、小説家で中国文学者・高橋和巳の『エコノミスト』(毎日新聞出版)連載より、「人民の代理者である党派は人民に対してだけは常に自らを開示し続けるべき義務をもつ。だから、どのような内部矛盾にもせよ、それを処理する場に、たった一人でもよいから、『大衆』を参加させておかなければならないはずなのである」という言葉を、高橋氏の体験に関する文章とともに引用している。また、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』7章より、「自由は、つねに、思想を異にするものの自由である」も記す。これはたしかに、デモのプラカードに用いたい。さらに、連赤総括で中上健次が「大衆の知恵と才覚」と語ったものこそが武器になるという。

私も、現在の運動については、過去のこと以上に批判的に考える。組織はほとんどが腐り、小さくても権力を握った人はそれを手放そうとせず、運動よりも自己実現・自己満足が優先されている。そして、そこでは議論などなされず、すでに一部の「小さな権力者」によって決められたものに、多くが従わされるだけだ。そのような場に幾度も居合わせては嫌気がさし、私は距離をおいてばかりいる。仲間や友人・知人にも、そのような人は多い。ただし、4章で垣沼さんが触れられているようなエコロジーに関する問題に携わる活動家も多く、もちろんよい運動だってあるし、試行錯誤を重ねている組織も個人も存在する。しかし、打破できぬ苦しさの中、希望も展望もみえず、たとえば私の所属する団体では「100年後」を考えることで現在の運動をどうにか継続することを試みるなどもしているのが現状だ。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、「当時の私たちの想いは『革命的敗北主義』で、たとえ今は孤立してでもたった一人になっても闘いを貫徹する、そしてこれは、一時的に敗北しても、必ず少なからず心ある大衆を捉え、この中から後に続く者が出る──私たちの敗北は『一時的』ではありませんでしたが、このように後の世代に多少なりとも影響を与え意義のあるものだったと考えています。〈敗北における勝利〉と私なりに総括しています」とも綴る。

現在のアクティビストが、本書を手に取ることで何かを得て、再び立ち上がる。またくじけても、何度でも立ち上がる。そのようにつながっていくために私はできることをするし、そのようになっていくことを願っているのだ。まずはぜひ、ご一読ください。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』『デジタル鹿砦社通信』ほかに寄稿・執筆。『紙の爆弾』12月号に「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」寄稿

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

追悼 塩見孝也さん ── ロシア革命100年の年に逝去された「日本のレーニン」

自宅で仕事をしていると、鹿砦社の編集者から「塩見さんが亡くなりましたので、往時の写真をお送りします」とのメールが入ってきた。送信いただいた方の名前も書かずに「え!うそでしょ!」とだけ書いて瞬時に返信してしまった。

◆塩見さんと鹿砦社『革命バカ一代 駐車場日記』

私は格別塩見さんと親しかったわけではない。お会いしたのは数回だったろう。初めてお会いしたとき、書籍や映画の中でしか知らなかった塩見さんは既に老境の域に入ってはいたが、相変わらず「革命」というべきか「社会変革」と表現すべきか、ともかく「何か」を指向する情熱は衰えていなかった。

ある宴席で「おい田所、タバコ1本くれよ」と言われ、一本進呈し、私がマッチで塩見さんのタバコに火をつけている写真が残っている。残念ながら読者諸氏には個人的(身体障害)理由で拙顔をご覧頂きたくないので、その写真掲載できないが、代わりに(と言っては失礼に過ぎるが)鹿砦社社長・松岡氏との写真をご覧頂こう。

塩見孝也さんと松岡利康(鹿砦社社長)
塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)

鹿砦社は塩見さんの著書『革命バカ一代 駐車場日記』を出版している。長期の服役後労働の現場を初めて経験した塩見さんの穏やかな日記帳のような現状報告だ。

◆まだ時代は若者が夢を見ることを許していた

ご本人にお会いする前、私にとっての塩見孝也のイメージは『宿命』(新潮社、高沢皓司)に登場する赤軍(派)議長としての「塩見孝也」であった。『宿命』は明らかに公安筋からの情報提供が多数含まれるなど、内容に数々の問題が指摘される作品であるが、『宿命』の冒頭でのちに「よど号ハイジャック」として世界を震撼せしめた計画を議論する、都内のある喫茶店での塩見さんの描写には、多くの先輩から聞いていた塩見さんの人物像が重なった。

また若松孝二監督による『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』に登場する塩見さんのイメージ(この映画の塩見さんや田宮高麿氏の配役はかなりミスキャストではあるが)も彼の人柄や思想を想像させる材料となっていた。

砂漠のように干からびた80年代に大学生としての時間を過ごしたものとしては、塩見さんに限らず、名のある闘士や活動家だけではなく、市井の若者が煮えたぎる思いを行動と直結することのできた「時代」が心底羨ましかった。『宿命』のなかには、

「まだ時代は若者が夢を見ることを許していた」

と、その後の時代を冷徹に突き放したフレーズがある。砂を噛みしめるような思いで過ごした80年代の不毛を見事に言い当てている。あのとき砂を噛んでいた私感と共振する。

以下は1969年8月に結成された赤軍(派)が同年9月3日に発した「世界革命戦争宣言」である。

ブルジョアジー諸君!
我々は君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、
ここに公然と宣戦を布告するものである。
君たちの歴史的罪状は、もうわかりすぎているのだ。
君たちの歴史は血塗られた歴史である。
君たち同士の間での世界的強盗戦争のために、
我々の仲間をだまして動員し、互いに殺し合わせ、
あげくの果ては、がっぽりともうけているのだ。
我々はもう、そそのかされ、だまされはしない。
君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、
我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある。
君たちにブラック・パンサーの同志を殺害し
ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、
我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ドゴールを殺し、
ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君たちの家々を 爆弾で爆破する権利がある。
君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、
我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある。
  
君たちの時代は終りなのだ。
我々は地球上から階級戦争をなくすための最後の戦争のために、
即ち世界革命戦争の勝利のために、
君たちをこの世から抹殺するために、最後まで戦い抜く。
我々は、自衛隊、機動隊、米軍諸君に、公然と銃をむける。
君たちは殺されるのがいやなら、その銃を後ろに向けたまえ!
君たちをそそのかし、後ろであやつっているブルジョアジーに向けて。
我々、世界プロレタリアートの解放の事業を邪魔する奴は、
誰でも容赦なく革命戦争の真ただ中で抹殺するだろう。
世界革命戦争宣言をここに発する

塩見孝也『赤軍派始末記―元議長が語る40年』(彩流社2009年)

「まあ、なんと過激な」とそっけない反応が返ってくることは百も承知だ。「過渡期世界論」や上記の「世界革命戦争宣言」だって「世界」を知らないが故に「暴走」できた理論的には穴だらけのマニフェストと言われても仕方あるまい。それはわかる。

それでも「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」、「君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君たちを銃剣で突き刺す権利がある」は法外な宣言であろうか?

このマニフェストを書いたのは塩見さんではないが、私は上記の引用は根源的には今日でも有効性を失なっていないと思う。

「やられたらやり返せ」との対等の関係ではない。巨大権力や国家が弱小国家に「戦争」を仕向けるとき、弱小国家は「問題は話し合いで解決しましょう」などという「正しい」論理で地域紛争や、侵略は公平・公正に解決されたのか? ベトナム戦争に米国が敗北したのは、とりもなおさず「君たちにベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのなら、我々にも君たちを好き勝手に殺す権利がある」が実践されたからではないのか。

◆ロシア革命から100年の年に「日本のレーニン」逝く

私は赤軍派でもなければ、どの党派に所属したこともない。学校で強制されるクラブ活動にすら嫌悪観を抱く人間だから、到底「綱領」のある組織などには所属できない。

しかし、塩見さんの生きざまには多くの苦渋や、過ち、辛酸もあろうが、獲得すべき目的を確信し行動した、清々しさを感じる。塩見さんと親しかった先輩は大勢の中では自己の運動について全くと言っていいほど語らなかった。それほどの「負債」があったのだろう。

戦果を派手に宣伝するのは本当の「闘士」ではない。「闘士」は必ず人には語り得ぬ「重荷」を背負っている。これは経験的に確信できる。その点塩見さんは突き抜けていたのかもしれない。なにせ「日本のレーニン」だったのだから。ロシア革命から100年の年に逝去された塩見さん、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

塩見孝也『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社2014年)

〈われわれの「いちご白書をもう一度」〉を歌いたい ── 11・12同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂さん(児童文学作家)講演会、100名の参加で大盛況! 芝田さん、45年振りのキャンパスで語る!

あつっぽく講演する芝田さん
講演レジメ(全員に配布)

このかんたびたびお伝えしてきましたように、11月12日、京都の同志社大学今出川キャンパスで、「70年安保・学生運動、そして児童文学……過ぎ越し45年を振り返り いま生きてあることの意味を問う」と題し、私の先輩にして児童文学作家の芝田勝茂さんの講演会が開催されました。講演の内容は、別紙のレジメに沿って話されました。

学友会倶楽部は、全学自治組織「学友会」解散後、OBの、いわば親睦組織として発足し、毎年今の時期に大学の行事としてなされるホームカミングデーで講演会を開いてきました。今回で5回目となりますが、単にゲストを招いて講演していただくだけでなく、1年に1度ではありますが、集まって、学生時代から培ってきた志を確認し、お互いの現在の活動を知り、また励まし合うということだと私なりに理解しています。

代表は、1964年度生の堀清明さん。堀さんはかつて大きな事故に遭いお体が不自由な中で頑張ってこられ、また今年は2カ月余り入院され、退院されたのは講演会の1週間前でした。かつて「若きボリシェビキ」(古い!)の時代は、人一倍過激で怖い方だったと聞きます。

そのように先輩が頑張っているのに、後輩が安閑としているわけにはいかないでしょう。

ということで、今年は私の発案で、学生時代直属の先輩だった芝田勝茂さんをお呼びすることになりました。

お呼びするに際し、実に37年ぶりに再会しいろいろ話しました。懐かしさと共に、お互いに生き延びてきたことを喜び合いました。

芝田さんは、1971年の三里塚闘争で逮捕され、長い裁判闘争を抱え、生活面含め苦労されながら児童文学の作品を書き続けてこられました。今回、私(たち)の求めに応じ、「初めてで最後」の学生時代の話をされました。一時期、共に活動したこともあり、当時を想起し、ほろっとするところもありました。

ところが、11・12が近づいてくるにしたがい、「はたしてどれだけの方が参加してくれるだろうか」との強迫観念にさいなまれました。宣伝・広報活動にも最大限努めました。同日、10・8羽田闘争50周年記念集会など複数のイベントが重なり、参加者が分散することも懸念されました。実際に、「10・8記念集会に行くよ」と言った方も何人かおられました。ええい、たとえ実行委員だけだったとしても、われわれのできる最大限の取り計らいで芝田さんをお迎えしようと腹を括りました。

そんなこんなで当日朝まで眠れない日が続きました──。

しかし、それは杞憂でした! 当日、会場には続々と参加者が押し寄せてくれました。涙が出そうでした。実行委員も含め100人ほどの参加者でした。10・8記念集会などとバッティングしなかったらなあ……と思いましたが、そんなことを言っていても仕方がありません。

私が最初の挨拶と司会・進行を努めさせていただきました。

開会の挨拶をする松岡

芝田さんのお話は、学生時代の体験から始まりましたので、肯けることばかりでした。やはり学生時代に共に議論し共に行動したことは身に付いています。

芝田さんにしろ、3年前に遙かアメリカからお招きした矢谷暢一郎さん(現・ニューヨーク州立大学教授、学生時代は学友会委員長)にしろ、人一倍の苦労をされました。おふたりに共通しているのは逮捕・勾留、有罪判決を受けたということです。そのご苦労が今に結実しています。私も逮捕・勾留、有罪判決を受け、それなりの苦労はしましたが、それがいいほうに結実しているかどうかはわかりません(苦笑)。

この日、芝田さんの単行本未収録の短編小説3篇を小冊子にし、レジメと共に参加者全員にお配りし喜んでいただきました。また、「S・Kさん」として再三再四くどいほど登場する『遙かなる一九七〇年代‐京都』の完成を目指しました。元々、長年かけて準備してきていたものですが、だらだらしてなかなか進捗しませんでした。ここは、11・12に向けて完成させようと、共著者の垣沼真一さんと意を引き締め編集作業に努めました。なんとか間に合い11月1日に完成し、署名したものを直接芝田さんにお渡しすることができました(奥付の発行日は11月12日)。

この本の底流には、芝田さんの思想が在ります。それは、
「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だといったんだ、だってそうだろう、革命は戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」(本書第三章「創作 夕陽の部隊」より)
という言葉に凝縮されています。

この作品について芝田さんは直前のフェイスブック(11月7日)で、
「……1973年にノートに殴り書きされた『夕陽の部隊』は、暗黒の闇がすぐそこに来ている刻に、一群の若者たちが得体の知れない怪物と闘う話だ。彼らの論理は、確実な敗北を前にして、ひとはいかに生きるのかという、ある種の美学にすぎないように思える。現世に、なにがしかの獲物の分け前を求めるのではなく、夕陽の金色の残照に、どのように煌めくのかという、それだけのために、醜怪の極に向かって突っこんでいく、最後の突撃隊。だが、『敵』とはいったい、誰のことなのだろう?……主人公の青年が、その後に辿り着いたところ、そこでどんなことがあったのかをも含めて、今の若い方々にも聞いていただければ、と思う。決してノスタルジーを語るつもりはない。それらのすべてが、『今』に意味を持っているのかを、わたしも知りたい」
と書かれています(『夕陽の部隊』は『遙かなる一九七〇年代‐京都』に再録されています)。

荒井由美の時代の名曲「いちご白書をもう一度」(1975年)からも42年経ちました。世に出たのは、芝田さんや私が失意のなか京都を離れる頃です。月日の経つのは速いものです。〈われわれの「いちご白書をもう一度」〉を歌いたい──。 

最後になりますが、私の無理を聞き入れ「初めてで最後の講演」をしていただいた芝田さん、本講演の実行委員のみなさん方、会場に足を運んでいただいた皆様方に、心よりお礼申し上げます。

多くの方々で埋め尽くされた会場

(松岡利康)

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

われわれの「いちご白書をもういちど」―― 11・12(日)同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂(児童文学作家)さん講演会へのご参集をお願いいたします! 鹿砦社代表・松岡利康

今や児童文学の世界で確かな地位を築かれた芝田勝茂さんは、私の学生時代の2年先輩にあたります。1970年代前半のことですので、遙か昔のことです。

芝田さんは1968年に同志社大学(文学部国文学専攻)に入学、この頃は、70年安保闘争、教育学園闘争華やかりし時代で、芝田さんも時代の渦に巻き込まれていきます。そうして70年に入学した私と出会い、一時期を共に過ごし、70年代初めに盛り上がった学費値上げ阻止闘争、沖縄-三里塚闘争を共に闘いました。

芝田さんは71年の三里塚闘争(成田空港反対闘争)で逮捕され、以後長い裁判闘争を強いられます。しかし、裁判と生活のために京都を離れ上京、働きながら徐々に児童文学の作品を書き始めます。そうして1981年『ドーム郡ものがたり』でデビュー、83年『虹へのさすらいの旅』で児童文芸新人賞を受賞、そして90年『ふるさとは、夏』で産経児童出版文化賞を受賞し、以降40点近くの作品を出版、児童文学作家としての地歩を固めていきます。

また、私も学費値上げ阻止闘争で逮捕-起訴され、裁判と生活に追われ、芝田さんともなし崩し的に連絡が途絶えていきました。最初の作品『ドーム郡ものがたり』の出版直後一度東京でお会いした記憶がありますが、学生時代以来会ったのはそれ一度でした。

今回、学生時代から45年、81年に一度会ってからも35年ほど経って、なにかの巡り合わせか、同志社大学が年に一度行うホームカミングデーに学友会倶楽部主催の講演会にお招きすることになり再会しました。これも運命でしょうか。

「学友会」とは、各学部自治会、サークル団体を統括する自治組織で、60年安保、70年安保という〈二つの安保闘争〉をメルクマールとして全国の学生運動、反戦運動の拠点となり、同志社大学はその不抜のラジカリズムで一時代を築いたところです。残念ながら2004年に自主解散し、かつてそこに関わった者らで作られたのが「学友会倶楽部」です。いわば親睦組織のようなものですが、かつての記録集を出版したり、5年ほど前からホームカミングデーで講演会を行っています。

芝田さんは、当時運動に関わり逮捕-起訴された者のほとんどが身バレすれば社会的に不利益を蒙り生きにくくなることからそうであったように、出身大学名や学生時代の活動なども誰にも語らず過ごして来たそうです。

今回、学生時代のことを語るのは「最初で最後」だということですが、共に一時期を過ごしたこともあり、興味津々です。われわれにとっての「いちご白書をもういちど」といえるでしょうか。

この講演会に間に合わせるべく、私なりに当時のことを書き綴った『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』という300ページになる分厚い本を上梓しました。この底流となっているのは芝田さんと共に過ごした70年代初めの物語と記憶です。こちらもご購読よろしくお願いいたします。

なお、11・12芝田勝茂さん講演会ですが、入場料は無料、先着100名のご参加の方に、単行本に未収録の芝田さんの短編小説3篇を収めた小冊子を進呈いたします。貴重です(将来的にプレミアがつくかもしれません〔笑〕)。

11・12(日)芝田勝茂さん講演会(同志社大学学友会倶楽部主催)
芝田勝茂さん 略歴と著書

大阪司法記者クラブ(と加盟社)、そして全マスコミ人に訴える! 報道人である前に人間であれ! 

11月1日、大阪司法記者クラブに鹿砦社代表として記者会見申し込みに訪れた松岡が、申し込みから実質2時間程度で”拒否”された事情は本コラム11月2日でお伝えした。松岡はこの経緯に納得できなかったので、11月2日再度同記者クラブの幹事社である朝日新聞の采澤嘉高(うねざわ・よしたか)記者に電話で尋ねた。

―――――――――――――――――――――――――――

松岡 鹿砦社松岡と申します。昨夜は失礼しました。昨夜電話いただいた時に打ち合わせ中で聞き取りにくかったこともありまして……。すみません、会見の件なのですけど、聞き違いかもしれませんが「全社一致でやらない」ということになったのですか?
采澤 そうです。
松岡 「全社一致」は加盟社が「全社一致」ということですか。
采澤 そういうことですね。
松岡 加盟社は20数社ほどありますね。
采澤 クラブにいるのは13社なんです。
松岡 13社の方が集まられて、采澤さんが説明されて「やらない」ということになったわけですね。
采澤 そうですね。どの申し入れについてもそうですね。やり方は同じです。
松岡 13社全社集まられた?
采澤 そうですね。たまにいないところもありますけど。いることになっている時間帯に呼び掛けていますので。
松岡 ある社に聞いたのですか、采澤さんが話されて質疑などはなかった。それで資料は詳しくは見ていないとおっしゃっていたのですが。
采澤 それはその方が見ていないだけであって、資料はクラブ内のホワイトボードのところにありますので、見ようと思えば誰でも見られるようになっています。もしその場で資料など見なかったにしても、あとで資料を見て、やはり会見をお願いしたいなということであれば、社によっては言ってくることもありますし、そういう流れですね。
松岡 会見しないことにするのは采澤さんの判断でなされた?
采澤 いえいえ、皆さんで集まってそういうことにしようと。私一人で判断できることではありませんので。
松岡 皆さんのご判断ですね。私としても自分の問題ですのでショックでした。しっかり調べて決めていただきたかったという気持ちはありますね。
采澤 そう思いになるのでしたら各社に個別にアプローチしかないですね。私が幹事社としてできることはもう終わってしまいましたので。どうしても希望されるのであれば各社に聞いていただくしかないとは思いますね。いただいた情報は全部提供してありますし、本も見られる状態にしてありますので。
松岡 ちなみに采澤さんご本人はこれはあまり大したことはないというご認識なんでしょうか?
采澤 いえ、大した問題か大した問題ではないかではなくて。事件1つ1つご本人にとっては大事な問題ですので、大事で大切な問題だと思っていますが「報道するような内容ではない」なと思っただけです。
松岡 例えば本をめくると最初に大学院生がリンチされた写真が出ていると思いますが。
采澤 ありますね。
松岡 あれでも「大したことはない」と。
采澤 「大したことはない」などと私は一言もお話していませんよ。そこははっきりさせておきますけど。「報道する内容ではない」と思ったということです。
松岡 それはどういう意味ですか。僕はあの写真を見て凄くショックだったので、それからこれは助けてやらなければ、思ったんだけど。M君の写真を見て(リンチの場面の録音書き起こしも一部本に収録してありますが)、あれは「報道するほどの問題ではない」というのは理解できないですね。
采澤 だから本を出しているんですね。
松岡 李信恵さんたち。他の裁判をやっている人たちがリンチにも関わっている。李信恵さんは記者会見をやられて、われわれは「報道するほどの問題ではない」と言われると、いかがなものかと思いますね。
采澤 「報道するほどの問題ではない」というか程度を低く見ているのでは一切なくて、「報道するような内容ではない」と思っているだけです。情報として重要とか重要じゃないではなくて、もう「報道するような内容ではない」と思っただけですね。
松岡 そうですか。それは残念なことですね。
―――――――――――――――――――――――――――

さすが天下の朝日新聞記者である。立て板に水の受け答えは頭脳明晰、瞬時の判断に長けている才を窺わせるが、騙されてはならない。

ヘイトスピーチと称される「言葉」により傷ついた被害者の皆さんは気の毒だ。その点李信恵が複数の提訴に踏み切った判断に取材班は、それ自体には異議もない。であるから「言葉」により傷ついた者が「報道」の目玉になるのであれば、「言葉」に加え複数人による長時間の〈暴力〉にさらされた被害者はより一層心身に傷を負っていることは当然であろう。

けれども、朝日新聞采澤記者はその被害を「報道する内容ではない」と直感し、司法記者クラブに同席する他社の記者も同意している。この判断こそマスコミが”腐った塊”に他ならないことを議論の余地なく示す。松岡が「重大ではないととらえているのか」のかと聞くと「重大ではないなどとは言っていない。重大だろう。だけれども報道する内容ではない」とサラリと言ってのける脊髄反射。ここに修復不可避な致命的論理矛盾があるのだ。

世には「マスコミ論」や「マスコミ批評」といったジャンルの学問分野や雑誌を中心とした「マスコミ・ジャーナリズム」を研究・評論・批判する人々がいる。取材班も折に触れ大手マスコミ批判に言及する。しかし、原則的に考えれば日本では「マスコミ論」、「マスコミ・ジャーナリズム」批評などは所詮そのすべてが意味のないものであることが上記のやり取りの中で凝縮的に明示されている。

マスコミは常に腐っていて、愚民観を内在しながらそれ以上の愚を無自覚に犯し続ける。「権力監視機能」などは幻想であり、一般市民よりも高度な情報や判断力を個々の記者や集合体としての新聞社、テレビ局などが常時蓄えて、それが市民に提供されるなどと考えていたら大いなる誤解だ。

マスコミは口にするのも憚られるような形容詞でしか表現できない”低俗”な娯楽(愚民化に最適な兵器)を主に、「ニュース」や「情報番組」と命名した「断片的で真実には迫らない、誤解を誘導する」情報の散布に熱を上げる。稀に真実に迫るドキュメンタリーなどを放送するが、それは視聴者に対するアリバイ作りと、組織ジャーナリズムの中にごく僅か生息する”普通”の感覚を保持している番組制作者に対する、いっときの「ガス抜き」を与えているにすぎない。優れたドキュメンタリーは、四六時中垂れ流している「娯楽」公害で「愚民化」に余念のない連中の免罪符的意味しか持たない。

われわれはマスメディア研究に重層な歴史的蓄積があることを知っている。知っていて敢えて断ずる。「今日、日本においては、いかなるマスメディア批評も批判も無効である」と。マスメディアは”腐った塊”に他ならず、”腐った塊”は、論を立て、表現を変えあれこれ論評したところで所詮は”腐った塊”でしかないのであり、詩的なノスタルジーや、実現可能性のない「期待」を抱くことなどに寸分の意味もない。

われわれ自身が「無効」と断じている「マスコミ批判」は書きたくないが、やはり言及せざるを得まい。「記者クラブ」は「Tsunami」(津波)、「Karōshi」(過労死)、同様「Kisha club」として国際的に用いられている、日本発の特異文化である。「Kisha club」についての他国研究者の研究論文は多数あるが卑近な例でいえはWikipediaに下記の記述がある

〈Institutions with a kisha club limit their press conferences to the journalists of that club, and membership rules for kisha clubs are restrictive. This limits access by domestic magazines and the foreign media, as well as freelance reporters, to the press conferences.

While similar arrangements exist in all countries, the Japanese form of this type of organization has characteristics unique to Japan, and hence the Japanese term is used in other languages.〉

(取材班訳:記者クラブは所属社以外へは固く門戸を閉ざしている。雑誌、外国メディア、フリーランスは入ることができない。同様の同意事項は他国にもあるが、日本の形態は特異であるので日本語のまま他国でもこの言葉が用いられる)

記者クラブは取材される対象と記者を癒着させ、緊張関係を奪ってしまう機能を果たす。総理官邸で行われる記者会見の様子を読者もご覧になったことがあるだろう。大勢の記者はひたすらパソコンに発言を打ち込む”速度競争”のために両手をキーボードの上で躍らせるだけで、核心を突く質問など出ない。記者クラブは”報道カルテル”と言い換えてもよく、”情報の談合”が行われる場所でもあり、所属すると必然的に記者としての素養が〈堕落〉してゆく役割も担う。末端で堕落した(させられた)記者が動き回る社のトップは定期的に安倍と会食を共にする。マスメディアに「腐るな」というほうが無理なのだ。

そうでない、との反論があるのであれば11月1日、2日に鹿砦社が直面した〈排除〉について整合性を持ち弁明してもらわなければならない。采沢記者の「報道する内容ではない」との即断とそれに全く議論の起こらない大阪司法記者クラブ。不条理ではあるが異常ではない。これが記者クラブマスメディアの真髄、そこに居る記者の誰ひとりとして不条理とは感じない。

そのような人間が集め、加工した情報だけがマスメディアから流布される。賢明な読者諸氏はもうお気づきであろう。ことの深刻さはM君や鹿砦社排除にとどまらない。われわれの日常すべてが、恣意的に加工された情報ばかりに囲まれている。「そんなもんでしょう」と、習い性である異常を微塵も感じず開き直る報道現場の人間たちの弁明には磨きがかかる。彼らが無意識に”愚民観”を隠し味に加え流布する情報に日々低線量被曝のように洗脳される人々。その終着駅にはどんな光景が広がっているだろうか。誰が喜ぶ社会だろうか。右も左もなく「しばき隊」などは情報商品としてつとに消費され尽くし、ごみ箱の中にすら記憶としても残滓はないであろう。

ヘイトスピーチも同様だ。何度繰り返すがわれわれは差別には絶対に反対する。表出する差別は当然反対だが、差別は心の中にも宿る。表出する差別を無理やり抑えれば、より一層陰湿な差別が形を変え弱者を痛めつけのではないか。無責任なマスコミはもう暫くすればヘイトスピーチなどなかったかのように、全く報道しなくなるに違いない。

われわれは「M君リンチ事件」や「鹿砦社排除」を極めて強く注視する。同時にその視線の先には誰しもが無縁ではありえない規格外の破綻が待ち受けていることを予感する。「しばき隊」諸君も含めて。

われわれは、M君のリンチ直後の顔写真を見て、それが「差別」に反対し「人権」を守ると嘯く者ら(李信恵被告ら)によってなされたという冷厳な〈事実〉に対し、人間の感覚を失くし無感覚になった大阪司法記者クラブ(と加盟社)、と共に全マスコミ人に訴えたい! 報道人である前に人間であれ! と。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

鹿砦社の記者会見申し込みを大阪司法記者クラブが全社一致で拒否

李信恵によるツイッター上での度重なる、誹謗中傷を受け、鹿砦社はやむなく大阪地裁に李信恵を相手取り、名誉毀損損害賠償の提訴を行った(第13民事部合議2係、事件番号=平成29年(ワ)第9470号)。

そして11月1日午後、大阪司法記者クラブ(大阪高等裁判所の代表番号06-6363-1281から内線でつながる)に同訴訟の第一回期日である11月9日閉廷後に記者会見を行いたい旨申し入れるため、社長松岡が以下の「会見申込書」を持参し同記者クラブへ赴いた。

(取材班注:文章中の空欄はM君の本名)

松岡は持参した「会見申込書」のほか、記者の参考にしてもらうため、これまで出版した関連書籍や訴状、李信恵の書き込みなどの資料を持参した。裁判所の記者クラブ室に入ると、入り口近くに女性が座っていた。

松岡 「記者会見の申し込みをしたいのです」
女性 「失礼ですがどちら様でいらっしゃいますか」
松岡 「鹿砦社と申します」
女性 「少しお待ちください。幹事社の朝日新聞を呼んでまいります」

その後に現れたのが幹事社、朝日新聞の采澤嘉高(うねざわよしたか)記者であった。

松岡 「申し入れ書を書いてきました」
采澤 「どんな内容なんですか?」
松岡 「私が裁判を起こしました。来週9日が第一回の弁論です」
采澤 「あ、あーはい、はい、はい、はい李信恵さんに対して」
松岡 「あまりにも罵詈雑言がひどいもので訴訟を起こしたので、第一回の弁論のあとで記者会見を開かせていただきたいと思っているんです」
采澤 「わかりました」
松岡 「一通り訴状や資料を揃えてきましたので、参考にしていただいて、是非とも前向きにご検討いただきたいと思います」
采澤 結構大量ですか、それ、資料は?
松岡 大量と言えば大量です
采澤 「書籍があるわけですね」
松岡 「書籍が3冊と訴状などですね」
采澤 「本はどうすればいいんですか?」
松岡 「本は差し上げます。提訴に至るまでの『デジタル鹿砦社通信』という毎日ネットで更新している記事ですが、これも読んでいただければだいたいお分かりいただけると思います」
采澤 「ちょっと一瞬これ読んでいいですか?」
松岡 「どうぞどうぞ」
采澤 「基本的には全社に諮って会見をお願するか否かを決めるという形になります。その結果をお伝えしますので」
松岡 「そうですね。公平に判断して頂ければと思います。資料に目を通していただければ内容はおわかりになると思います」
采澤 「これは提訴されて第一回が9日と。原告は松岡さんご本人ですか?」
松岡 「株式会社鹿砦社です」
采澤 「会社としてですね」
采澤 「内容としては李信恵さんが……名誉毀損ですか?」
松岡 「はい、そうですね」
采澤 「請求原因としてはどの部分なんですか?ツイッター上ですか?」
松岡 「ツイッター上ですね」
采澤 「『クソですね』と発言した部分ですね。そもそも何に対してこの発言だったんですか?」
松岡 「知りませんねそれは。それはご本人に聞いてください」
采澤 「どういう書籍を出されているんですか?『反暴力と暴力の連鎖』ほー」
松岡 「このリンチ事件に関しては3冊出していますね」
采澤 「わかりました。じゃあこちらの携帯にお電話すればいいですか?」
松岡 「そうですね携帯にお願いします」
采澤 「会見する場合はお越しになるのは松岡さんお一人?」
松岡 「この日だったら弁護士も来ると思います」
采澤 「わかりました。じゃあ返事するようにいたしますのでよろしくお願いいたします」

采澤記者は「なるほど、なるほど、ツイッターで誹謗中傷されたんですね? 原告は松岡さんで?」などと一見真摯に受け止めるような態度を示したが、M君も同様に申し込み時には前向きそうな応酬を行いながら、4回も蹴飛ばされているのだ。全く楽観はしなかった。采澤記者は松岡の「携帯に連絡します」といい、申し入れは終了したが、持参した資料は初めて目にする人であれば数時間は要する分量だった。

松岡が大阪司法記者クラブを訪問したのは15時10分前後だ。それから2時間ほど17時過ぎに松岡の携帯電話に采澤記者からの着信記録があった。その時間松岡は仕事の打ち合わせのため、大阪市内において会議中で携帯電話を鞄に入れたままでいたが、19時過ぎに再び采澤記者から松岡の携帯電話に連絡が入る。

「全社一致で記者会見は開かないことになりました」と采澤記者は言い放った。「社会的に(被害者として)注目を浴びている人が加害者になっている事件は報道の対象にならないのですか?」と問うた松岡に、采澤記者は「記者会見を開かない理由は言えません」と答えた。

おかしい。

松岡が大阪司法記者クラブを訪れたのは前述の通り15時10分頃で、『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』のほかに資料も持参している。采澤記者が「結構大量ですか?」と聞いた通り1、2時間で読破できる量ではない。

「全社一致で」と采澤記者は告げてきたが、大阪司法記者クラブのある大阪地裁・高裁では連日17時まで公判が行われている。記者クラブに所属している報道機関の全記者が2時間ほどのあいだに持参した書籍や、資料すべてに目を通すことはありえない。否ほとんどの記者は一瞥しただけで資料に目など通してはいないのだろう。

「M君リンチ事件」あるいは「鹿砦社」の名前だけを理由に「記者会見拒否」を「全社一致」で決定したとしか考えるほかない。記者クラブ詰めの記者たちは、誰一人として松岡が持参した資料の詳細を読むことなく「全社一致」で「会見拒否」を決定した。

11月16日、M君が野間を訴えた名誉毀損、損害賠償請求訴訟の高裁判決が言い渡される。偶然にも同日同日李信恵が「保守速報」を提訴した地裁判決も言い渡される。M君は既に「記者会見拒否」を大阪司法記者クラブから言い渡されている。

李信恵の扱いはどうするのであろうか。

万が一M君と鹿砦社を「排除」して、李信恵の記者会見が開かれれば、取材班は大阪司法記者クラブにも照準を合わせねばならない。極めて恣意的な不平等=差別を取材班は座視することはできないからだ。これまでM君に応対してきた記者の中には「事件には社会的関心が薄い」と発言した者がいたが、マスコミが報道しないから社会的関心が喚起されないのではないか!

大阪司法記者クラブ所属各社の記者諸君に伝える。本日鹿砦社は「全社一致」での「記者会見拒否」を言い渡された。間違いはないであろうか?もし「意に反して」の「「全社一致」であれば鹿砦社まで内々にご連絡頂きたい。情報の秘匿は確約する。

そうでなければ、われわれは新たな「言論戦」を大阪司法記者クラブに対しても正面から展開せざるを得まい。

(鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

長年書き綴った『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』が完成! 渾身の〈政治的遺書〉! 鹿砦社代表 松岡利康

しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま

私たちは1970年に京都の大学に入りました。私は同志社大学、もうひとりの編著者・垣沼真一さんは京都大学—–もう50年近くも前の話です。昔話といえば昔話です。燎原の火の如く燃えた70年安保闘争、学園闘争の火は鎮火しつつあったとはいえ、まだくすぶっていた時期でした。特に京都では同大・京大を中心に意気軒昂でした。まだ沖縄が「返還」されていない時期で、沖縄(返還協定調印‐批准)─ 三里塚(成田空港反対闘争。第一次‐二次強制収用)─ 学費値上げ問題などが沸騰し、私たちも精一杯闘いました。

しかし、その後、叛乱の季節は収束し、連合赤軍の銃撃戦‐リンチ殺人、内ゲバなどで暗い時代に向かっていきます。私たちも、大学を離れ生活に追われ、背負った問題に呻吟しつつ生きてきました。そうして、齢を重ね60代後半に入りました。

このかん、私たちは、かつて背負った問題を整理し書き綴っていくことにしました。数年かけて書き綴りました。私たちなりの覚悟で<知られざる真実>も明かし、偽造された歴史に小さいながらも楔を打ったつもりです。

こうした私たちの意気込みに、尊敬する大先輩の矢谷暢一郎さん(元同志社大学学友会委員長、現ニューヨーク州立大学教授)が海の向うから玉稿を寄せてくれました。

A5判、2段組で300ページの堂々たる分厚い本になりました。ここには、私たちが若かった頃に培い、そして闘い、しかし挫折し背負ってきた<負債>が書き綴られています。どうかご一読され、時代は端境期、当時の<空気>を感じ取ってください。

本書第二章の「創作 夕陽の部隊」という短編小説で、私の当時の先輩のS・Kさんは、
「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だといったんだ、だってそうだろう、革命を戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」
と、当時の情況に対し本質を衝いた表現をしています。

60代も後半となり年老いた私たちは、気力、体力も衰え、再びこのような本を作ることはできないでしょう。私たちの最後の<政治的遺書>といってもいいくらいです。ぜひご購読お願いいたします。
  

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』※表紙画像をクリックすればAmazonに飛びます。

遙かなる一九七〇年代‐京都
学生運動解体期の物語と記憶

松岡利康/垣沼真一[編著]
A5判/300ページ/カバー装
定価:本体2800円+税  11月4日発売!
本書は、学生運動解体期の一九七〇年代前半を京都(同志社大学/京都大学)で過ごし
潰滅的に闘った者による渾身の〈政治的遺書〉である。
簒奪者らによる歴史の偽造に抗し、
学生運動解体期=一九七〇年代 ─ 京都の物語と記憶をよみがえらせ
〈知られざる真実〉を書き残す!
[構成]
[特別寄稿]『遙かなる一九七〇年代-京都』の出版にあたって
矢谷暢一郎
第一章 遙かなる一九七〇年代-京都
松岡利康
第二章 [創作]夕陽の部隊
橋田淳
第三章 われわれの内なる〈一九七〇年代〉 甲子園村だより
松岡利康
第四章 七〇年代初頭の京大学生運動--出来事と解釈
熊野寮に抱かれて 
垣沼真一

【おことわり】取次会社などに出荷し、手持ち在庫がなくなりましたので小社へのご注文はお受けできなくなりました。Amazonへご注文をお願いいたします。

ところで、本書は、11月12日(日)に行われる同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂さん講演会に間に合わせることを私なりの義務感として刊行を目指しました。もともと本書は数年前から準備してきましたが、芝田さんとの再会が俄然モチベーションをアップさせました。本書には、芝田さんとの学生時代の日々、そして以降40数年のお互いの苦闘が底流になっています。なぜか? その〝回答〟は本書を紐解いていただければ分かるでしょう。人間、こうした具体的な目標なくしては力が入らないようです。3年前の同倶楽部の講演会に上記の矢谷暢一郎さんをアメリカから招きましたが、ここでも何とか矢谷さんの著書の刊行を間に合わせました。本が完成し京都に届いたのは前日でした。

講演会の内容は別掲の通りです。入場は無料、参加者先着100名様に芝田さんの単行本未収録3篇を収めた小冊子を贈呈いたします。関西近郊の方はぜひご参集ください。

11月12日(日)芝田勝茂さん講演会(同志社大学学友会倶楽部主催)
芝田勝茂さん 略歴と著書

鹿砦社は、大学院生リンチ事件加害者側当事者・李信恵氏を提訴したことをご報告いたします。 株式会社鹿砦社代表取締役 松岡利康

既に9月12日の本通信で予告しましたように当社は9月28日、大学院生リンチ事件加害者側当事者で、この夏連続して当社とこの代表・松岡に対し誹謗中傷、侮辱、名誉毀損発言を行った李信恵氏を「被告」として大阪地裁に損害賠償300万円と謝罪広告等を求め提訴いたしました(第13民事部。平成29年ワ第9470号)。ようやく訴状が李信恵氏本人に送達されましたのでここにご報告させていただきます。これに先立つ本通信8月2日、同30日、9月12日号をも併せてご参考にしてください。
以下、訴状に沿って概略をご説明いたします。

◆ 被告・李信恵氏による名誉毀損行為

被告・李信恵氏(以下、李被告とする)はマスメディアを中心に受けている社会的評価からはおよそ想像できない攻撃的姿勢を示し、以下の通り自身のツイッターで原告に対し悪意をもって誹謗中傷、侮辱、名誉毀損に該当する発信を繰り返した。

1 2017年(平成29年)7月27日、李被告は、自身のツイッターアカウント上において「鹿砦社はクソですね。」と発言した。
 同発言は原告・鹿砦社(以下、原告とする)のみならず従業員や取引先、ライターに対する侮辱、誹謗中傷、名誉毀損に繋がるもので、その影響も大きく無視できないと判断せざるを得ないものであった。原告は李被告を諌め、それ以上の行為に及ばないことを期待し、原告が運営するホームページ上の同年2017年8月2日付け「デジタル鹿砦社通信」にて、反論記事を掲載した。
 ところが李被告は、その後も自身のツイッターアカウントにおいて、侮辱、誹謗中傷、名誉毀損発信を継続した。

2 同年8月17日、被告は「しかし鹿砦社ってほんまクソやなあって改めて思った。」と発言した。

3 同年8月23日、被告は「鹿砦社の件で、まあ大丈夫かなあと思ったけどなんか傷ついてたのかな。土曜日から目が痛くて、イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」と発言した。

4 同日、「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど。ほんまに嫌がらせやめて下さい。(中略)私が死んだらいいのかな。死にたくないし死なないけど。」と発言した。

5 同日、被告は、「クソ鹿砦社の対立を煽る芸風には乗りたくないなあ。あんなクソに、(以下略)」と発言した。

6 同日、被告は、「鹿砦社からの嫌がらせのおかげで、講演会などの告知もSNSで出来なくなった。講演会をした時も、問い合わせや妨害が来ると聞いた。普通に威力業務妨害だし。」と発言した。

7 同月24日、被告は、「この1週間で4キロ痩せた!鹿砦社の嫌がらせで、しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになるみたい。」と発言した。

8 同日、被告は、「鹿砦社って、ほんまよくわかんないけど。社長は元中核派?革マルは?どっち?(中略)クソの代理戦争する気もないし。」と発言した。

◆ 李被告の行為が有する意味とこれに対する原告の対応

李被告の発言に頻繁に見られる「クソ」という言葉が、対象を侮蔑する際に用いられることの多い、公的な場面では用いられることのない品性を欠く表現であることは一般常識である。「差別」に反対し「人権」を守ると公言し、多数の人間の支援を受けている人間が使うべき言葉ではなく、品性に欠けることはもちろん、原告に対する強い悪意をもってなされたものであることが明瞭である。しかも、「反差別」運動において一定の社会的評価を得ている李被告がかかる表現を用いたということ自体、影響力は大きく、原告に対する刑事、民事上の各名誉毀損行為に該当すると言わざるを得ない。

やむなく原告は、同月25日、被告に「警告書」を送付し、とりわけ、当社、および当社の関係者がいつどのような「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」を行なったのか、具体的に事例を摘示し証明するよう、また、被告が主張するところの「鹿砦社ってほんまクソやなあ」とか「クソ鹿砦社」と表現される根拠を証明するよう求めた。

しかしながら、李被告からは代理人の神原元弁護士を通して「『名誉毀損』には該当しない」との形式的で内容の伴わない回答があったのみで、原告が求めた説明に対する回答はなかった。

原告や原告関係者が、李被告に対して「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」など行なった事実などないし、また原告の「嫌がらせのおかげ」で「講演会などの告知もSNSで出来なくなった。」とか「しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになる」とか「イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」などの発言は、いずれも被告の一方的な言い掛かりであり、根拠のない牽強付会なものと言わざるをえず、原告に対する名誉毀損の程度は甚だしい。

なお、原告代表者が現在から40年以上も前である学生時代に一時ノンセクトの学生運動(主に学費値上げ反対運動であった。原告代表者は母子家庭で育ったこともあり、学費値上げが学生や父兄、学費支弁者に課す負担増加に怒り運動に関わっていったが、被告が言うように「中核派」や「革マル派」は勿論のこと、一切のセクトに所属したことはない。)に関わったことを針小棒大にあげつらい、あたかも「中核派」か「革マル派」に所属していたかのように発言しているが、それは両派の血で血を洗う内ゲバ・殺人の歴史を顧みれば、原告鹿砦社代表者の松岡、ひいては同人が代表を務める原告会社に対する明確な名誉毀損である。

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第1回弁論は11月9日午後1時30分からです。多くの皆様方の傍聴をお願いするものです。

8月2日の「デジタル鹿砦社通信」の記事を読んで「クソ」発言をやめたら、また「警告書」を受け取って真摯に対応したら、わざわざカネと労力を費やして裁判沙汰にするまでもありませんでした。いやしくも私たちは出版社なので言論で勝負することをモットーとしていることで、私たちから訴訟を起こすことは、よほどのことでない限り、これまでめったにありませんでした。今回の件について、「この程度で訴訟かいな」という声もあるようですが、歳を重ね丸くなったとはいえ、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」と再三再四誹謗中傷され安穏としておれるほど私もお人好しではありません。今回私は特段の名誉毀損と感じ、取引先(大から小まで月に50社[者]以上の支払いがあります)らへの悪影響を懸念し提訴に及んだ次第です。

また、訴状が裁判所から送達されたことについて李被告は自身のツイッターで、本名と通名の併記で送達されたことに対し不快感を示し文句を言っています。リンチ事件の際の検察の書面もそうなっていて、本件訴訟でもそれに倣ったのですが、先のリンチ事件の民事訴訟でも本件同様(エル金や凡も)本名と通名の併記になっています。李被告とつながる「しばき隊」の人たちが「レイシスト」認定した一般市民の本名や住所等を暴露した「はすみリスト」とは違い、私たちから「家族を危険にさらす」(李被告のツイッター)ようなことはしませんし、いたずらに本名や住所を公にすることはしません(李被告に、「はすみリスト」で名前や住所等を暴露された人たちがどれほど「危険にさら」されたことをどう思うか聞きたいところです)。

リンチ事件の訴状送付の時は何も言わなくて、今になって文句を言うのはどういう理由でしょうか? 李被告の場合、夫が日本人だということですので、「夫の姓を私の日本名にしました」と李被告みずから言うように、そう役所に届け、おそらく検察の書面でも住民票を確認し、その名と「李」の名を併記しているのでしょう。本件訴訟でも、検察の書面同様、この国の裁判の法律に従ったまでであり、悪意があってのことではありません。それがなにかしら「家族を危険にさらす」ことに繋がるわけがありません。

さらに、連日「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」呼ばわりされて私(たち)は不愉快極まりありませんが、李信恵サン、あなたが「李信恵はクソ」「クソ李信恵」と一度ならず再三再四言われたらどう感じますか? 嫌でしょう? あなたが嫌だと思うことは他人も嫌なのですよ。

悪意を持って他人が嫌がることをするような人に「反差別」だとか「人権」だとか言う資格はありません。「差別」に反対し「人権」を守る闘いは、崇高なことだというのは言うまでもありません。そして、この先頭に立つ人の言葉は人一倍美しく、それを読む人を勇気づけるものと思ってきましたが、この1年半余り、李被告の発言をつぶさに見て来て、大いに疑問を抱くようになりました。汚い言葉(「クソ」という日本語は決して美しい言葉ではありません)は「差別」に反対し「人権」を守る人が使うべきではありません。言葉は、人格や人間性を表わします。私の言っていることはおかしいですか?

《関連記事》
◎ 大学院生リンチ事件加害者・李信恵氏による「鹿砦社はクソ」発言を糾す!(2017年8月2日松岡利康)
◎ 大学院生リンチ事件加害者・李信恵被告による、鹿砦社に対する悪質な誹謗中傷、名誉毀損発言について「警告書」を送付しました(2017年8月30日松岡利康)
◎ 鹿砦社からの「警告書」に対し、李信恵代理人・神原元弁護士から〝回答にならない回答〟届く。誠意のない回答にわれわれの方針はただ一つ! 鹿砦社特別取材班(2017年9月12日鹿砦社特別取材班)

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

大学院生リンチ事件加害者・李信恵被告による、鹿砦社に対する悪質な誹謗中傷、名誉毀損発言について「警告書」を送付しました。差別に反対し人権を守るという者が、「クソ鹿砦社」とか人の人格を辱める汚い言葉を遣ってはいけません。 株式会社鹿砦社代表取締役 松岡利康

7月終盤から大学院生M君リンチ事件加害者・李信恵被告(民事訴訟の「被告」なので、以下「李被告」と記載する)による、鹿砦社に対する誹謗中傷、名誉毀損発言が止まりません。

7月27日の李被告による「鹿砦社はクソ」発言に対し私は、日々一所懸命に働いてくれる社員、多くの取引先やライターさんらを抱える会社の代表として到底看過できず、8月2日の本「通信」にて「大学院生リンチ事件加害者・李信恵氏による『鹿砦社はクソ』発言を糾す!」と題し李被告に反論と注意喚起、警告を行いました。
これで鎮まれば私もこれ以上追及するつもりもなかったのですが、これ以後も李被告のツイッターにおける鹿砦社に対する誹謗中傷、名誉毀損発言はいっこうに鎮まりません。

8月17日、同23日、同24日と、鹿砦社と私に対する誹謗中傷、名誉毀損は続き拡大していました。どれにも鹿砦社に対して「クソ」と言っています。いやしくも差別に反対し人権を守るという者が遣う言葉ではありません。

最近では私個人の過去について、全く事実と異なる書き込みまで見られるようになりました。

 

たしかに私は学生時代(遙か昔の1970年代前半)、同志社大学で文学部の自治会委員長を経験したこともあり、「学費値上げ反対闘争」では最後まで抵抗し逮捕もされており、いわゆる「学生運動」の活動家であったことは間違いのないところですが、私は一度も特定党派に所属したことはなくノンセクトでした。当時どこにでも多くいた活動家のひとりにすぎません。ましてや「中核派」や「革マル派」とは、まったく関係がありません。

このあたりのことを〝昔の話〟で一括りにされ、学生運動にかかわっていた人が「中核派」や「革マル派」のどちらかでしかないような決めつけは、その後両派の凄惨な歴史を見ても単なる〝勘違い〟や〝誤解〟〝思い込み〟では済みません。私を「中核派や革マル派」呼ばわりすることも、著しい名誉毀損です。

私はここで「中核派」や「革マル派」の批判を展開しているのではなく、私の学生時代の活動はそのように党派に属したものではなかったという事実を述べているのです。李被告はわからないのか、読む人が読めば「元中核派?革マル派?どっち?」は笑い事では済まされない性質の問題です。この手の書き込みは時間を確認すると深夜が多く、飲酒のためでしょうか。

「在日の普通の女に、ネットや普通の暮らしの中で嫌がらしかできない奴が、革命なんか起こせないよね。爆笑。おいらは普通の自分の暮らしを守りたいし、クソの代理戦争する気もないし」

という文意のわからない(ミスタイプ?)も見られますが、ここでもまた「クソ」という表現が用いられています。李被告を「在日の普通の女」などと思う人は誰ひとりとしていないでしょうが……。また、

 

などと言い募っています。私たちがどのような「嫌がらせ」を行ったというのか、具体的に例示していただきたいものです。さらには「(威力業務)妨害」をやったともツイートしています。私たちがどのような「(威力業務)妨害」をやったというのか、こちらも具体的に例示していただかないといけません。

ここでもう一度私たちの原点を簡単に述べておくほうがいいでしょう。2016年の2~3月に複数筋から、くだんの「大学院生M君リンチ事件」の情報が私たちに寄せられました。驚愕の内容でした。特に事件直後の「M君」の顔写真には強い衝撃を受けました。この写真を見て何も感じない人は人間ではない! と言っていいでしょう。李被告よ、あなたはこの写真を見て人間としてどう感じるのか? あらためて問いかけます。はっきり答えよ! どう感じどう答えるかで、李被告の人間性、つまり彼女が日々語っている、差別に反対し人権を守るという言葉の内実がわかります。

リンチ事件直後のM君の顔

しかし不思議なことに、これほどのひどい事件であるのに、事件から1年以上も経って、私たちは同じ関西に居ながら、まったく事件のことを知らずにいたのです。それは新聞もテレビも小さなメディアも一切「M君リンチ事件」を報道しなかったからです。ひとりの人間に対して、1時間以上複数の人間が一方的に暴力を振るい、それを誰も制止せずにいた光景は、常識的な神経では考えられません。ひどい事件じゃないですか! 最近1972年はじめに起きた「連合赤軍リンチ殺人事件」がドラマ風に報じられました。まさにこれを想起させます。永田洋子と李被告が二重写しされます。永田はみずからは手をくださず命令し死刑判決を受けました。李被告は最初の一発をM君に食らわせたとされ、李被告はこれを否定していますが、万々が一、みずからは手を下さずとも現場の空気を支配し阿吽の呼吸で指示したことで永田と同じです。

社内にカウンターの主要メンバーがいながら、そこまで深く関わっていたことも知りませんでしたが、そこで、この反省もあり、「M君リンチ事件」の真相を解明すべく社内外のメンバーで特別取材班を結成し、継続的に取材を続け、これまでに『ヘイトと暴力の連鎖』『反差別と暴力の正体』『人権と暴力の真相』を出版しました。李被告は「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど」と当事者でありながらトボけたことを書いていますが、私たちの目的は〈「M君リンチ事件」の真相究明と、被害者M君支援によるM君が受けた被害の正当な回復(謝罪、賠償金、治療費等含む)〉です。その作業は現在主として、大阪地裁における民事訴訟で「M君」が李被告を含む5名を相手取った裁判で係争中です(係争中とはいえ、事件の加害者の一部には刑事罰が下っているのですからM君が敗訴することは考えられません)。

一方法廷内では明らかにされない、焦点にはされないけれども重要な事実について、継続的に取材班は動いています。幸いこれまで出版した3冊とも好評で、それなりの反響はありましたが、この事件を扱った本を出版して、利益を上げようなどという思惑はありません。実際に、取材費用などかなりの持ち出しになっています。

私たちはこのかん、これまで明かされることのなかった〈事実〉を積み上げる作業を行っています。驚くべき事実が多数発見されました。その事実の積み重ねにより〈真実〉の姿がはっきりしてきました。そうして、それを出版物にし世に問うことを行っており、これは出版社(人)として正当な言論活動です。

このような取材結果の発表のどこが問題だと李被告は言いたいのでしょうか。私たちは綿密な取材によって得られた〈事実〉に基づいて、事件の実相と背景を探っています。時に直撃取材も敢行してきました。それにより明かされたくない〝恥ずかしい行為〟を暴露された人が少なくないことは知っています。でも待ってください。非難されるべきは〝恥ずかしい行為〟を明かしたことではなく、〝恥ずかし行為〟に手を染めたことではないでしょうか?

李被告は、〝リンチ〟という、人間として〝恥ずかしい行為〟に手を染めたことについて、なにをもってしても被害者M君に心から謝罪し、正当な治療費(まだ1円たりとも払ってはいません!)や慰謝料を支払うべきでしょう。そうではありませんか? 私が言っていることはおかしいですか?

また、李被告は以下のように問題をすり替えようとしています。

 

ここで初めて明かしますが、取材班には女性もいますし、在日コリアンもいます。相手が相手だけに、直接取材は男性スタッフが行っていますが「鹿砦社の男たち」は間違いです。

李被告による鹿砦社、並びに私やライターさんらへの度を越えた誹謗中傷、罵詈雑言発言に何度も反論と警告を発してきましたが、まったく鎮まる様子がなく、このままでは会社としての業務やライターさんらの名誉や仕事にもかかわる領域にまでエスカレートしてきましたので、「当社又は当社関係者が、いつ・どのような『嫌がらせ』や『(威力業務)妨害』を行なったと」と主張するのか、具体的な事例を示すように求め、「『鹿砦社ってほんまクソやなあ』とか『クソ鹿砦社』と表現された根拠」について示すように要求し、そのような李被告の「誹謗中傷、名誉毀損行為につきまして、その撤回と謝罪、今後は同様の行為を繰り返さないという誓約を強く求め」、やむなく8月25日付で代理人弁護士を通して「警告書」を内容証明郵便で李被告に送りました。

 

8月26日に受領したとの記録がありますので、既に李被告は「警告書」を読み、私たちへの対応を検討中と思われます。「警告書」到着後7日以内の回答を求めていますので期限は9月2日となります。回答ない場合や誠意ある態度を見せない場合は、「当社は直ちに法的措置に入らざるを得ない」と書き添えましたが、今までは笑ってすませていたところ、もう笑ってばかりもいられません。冗談ではありません。私も齢を重ねて、余程のことでは怒らなくなりましたが、私にも〈意地〉というものがあります。

李被告が妥当な判断をされるよう求めるとともに、皆様もご注目よろしくお願いします。

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