東日本大震災・東京電力第一原子力発電所の事故から5年。2016年3月11日(金)、福島県郡山市で催された集会「3・11 反原発福島行動」の現場に足を運んだ。

10:30。開会を前にJR郡山駅前にてプレイベントとしての演説が行われていた。横断幕を背に力強く声を張る女性。地面に置かれた拡声器から響く声は、広々とした駅前広場のどこからでも聞くことができる。これを耳にした人々の反応はどうか。と、辺りを見渡すも、立ち止まる人の数は極めて少ない。写真を見ていただければ一目瞭然、この様子だ。

郡山駅は利用者の多い駅であるにもかかわらず、である。原発事故後の福島県は異常であり、その異常性は現地に住まう人間であれば必ず感じ知ることのできるものだ(と信じている)。であるならば、無関心の表れとして片付けるには極端にすぎる風景である。これはなにか、現地だからこその結果なのではないか。現地であるがために生じる反対運動の困難というものがあるのではないか。そんな思いと共に眺めていた。

12:20。「3・11 反原発福島行動」のメイン会場である開成山公園野外音楽堂に到着。立派な会場に集まった多くの人々と幾種もの赤色旗が、「戦い」の様相を演出している。駅前とは打って変わった賑やかさだ。

ギターの弾き語りやアルトサックスの演奏を経て、演説者が順にステージでマイクを握る。驚いたのは、演説への相槌だ。「ナンセンス!」とか「(短く)そうだッ」といった掛け声を、ステージからの言葉の間に差し挟む。会場に集まる人々を眺めると、なるほど若年層にくらべ圧倒的に老年層が多い。そして赤色旗のほとんどが労働組合のものだ。チラシを見てフラッと足を運んだ一般人というのは少ないのではないか、という印象である。

同じ思いを抱いた仲間が集まり、交流の中でその思いを固め、より強くしてゆく。これは素晴らしいことだし、非難するには当たらない。しかし、社会を変革するには数の力が必要だ。だとすれば、国策に圧殺されつつある反原発の主張は、意を異にする相手にこそ伝えるべきものではないだろうか。この点では残念ながら、郡山市の「3・11 反原発福島行動」から、やや閉塞的な感を得たのも事実である。

▼大宮浩平(写真家)
1986年東京生まれ。
個展情報 : 大宮浩平写真展「態度」 / 新宿眼科画廊 /
2016年4月15日~2016年4月20日 12:00~20:00(最終日のみ12:00~17:00)/ 入場無料
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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

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