前記しましたが、対李信恵第2訴訟で彼女は4月8日付けで「陳述書」を提出しました。これは4月28日に予定されていた期日のためですが、ご承知のように新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言によって延期されました。

これを一読し、老いて少しは丸くなったと言われる私も怒りが込み上げてきましたので、逐一批判し、事実でない重要な点に反論しておきます。これが「反差別」や「人権」を声高に叫ぶ者の陳述書かと思うと情けなくなります。「反差別」や「人権」とはこんな薄っぺらなものだったのでしょうか?

裁判関係の書面を出すことに躊躇しないではありませんが、この「陳述書」(全6枚)に李信恵の人間性が表われていることと、正確に引用していることを証するために、あえて原文をアップし、これに沿って記述していきます。

◆李信恵は反省も謝罪もなく、弁解ばかりし、鹿砦社の出版物で「被害」を受けた受けたとばかり強弁しています

まずもって前提的に押さえておくべきことは、次の点です。

《1》くだんのリンチ事件において最大の被害者はM君であること。原告の「陳述書」では、このことがすっぽり抜けています。

《2》半殺しと言っても過言ではないような激しい暴行に遭いリンチ事件後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされているリンチ被害者・M君の苦しみに比べれば李信恵の「被害」や「苦痛」などは取るに足りないこと、そして李信恵が言い張る「被害」なるものは上記《1》に記した、リンチ事件の最大の被害者がM君であることをカモフラージュするものであること。

《3》リンチ現場に同座した李信恵ら5人全員に連帯責任があること。

《4》このリンチ事件の中心人物は李信恵であり、彼女以外には考えられないこと。

李信恵「陳述書」1ページ目(全7ページ)

李信恵の「陳述書」に沿って以下逐次的に反論、及びコメントいたします。

【1】「『S(注:原文では実名)さん』が鹿砦社のライターである~」との記述について

李信恵のこの記述は正確な事実ではありません。彼は鹿砦社の社員でもありませんし、フリーライターで、ペンネームである「田所敏夫」あるいは本名で、当社のみならず鹿砦社以外の媒体(週刊金曜日、朝日新聞、京都新聞、あるいは韓国のネットニュースなど)でも執筆、投稿を続けてきています。正確に言っていただきたいものです。

【2】「『リンチ事件』と称する暴行事件は私が関わっている事件ではなかった」との記述について

論外です。大阪市北区北新地のワインバーにM君を呼び出し、M君が到着するや「なんやねん、おまえ!」と胸倉を掴んでリンチの口火を切り、リンチの一部始終そこに居たんじゃありませんか?

【3】「『リンチ事件』の首謀者であると断定的に書かれていた」との記述について  

李信恵は、彼我の関係から「一般読者の普通の注意と読み方」=常識的に見て、M君リンチ事件の中心にあり「首謀者」としか言いようがありません。李信恵が「首謀者」でなければ、誰が「首謀者」でしょうか? 

【4】「この『リンチ事件』は事実とは違う」との記述について

どう「事実とは違う」のでしょうか? こちらから問います、ぜひお答えいただきたい。私たちは5冊の本を出す過程で、これまでの鹿砦社の出版にはないほどに、真相究明のために取材と調査を重ね事実を積み上げてきましたので、記述は真実であり、真実と見なすに相当の自信と自負を持っています。みなさん方も「一般読者の普通の注意と読み方」をされたら、きっとそうだと思います。

【5】「書籍の記事では、直接暴行を加えた人のことにはほとんど言及していません」との記述について

本当に5冊の本を読まれたのでしょうか? 「直接暴行を加えた人」=「エル金」「凡」についても可能な限り詳細に「言及」しています。

【6】「私の名前が繰り返し本に載っていました。」、「私は最初から本名で記載されていました。」との記述について

当たり前です。李信恵はこのリンチ事件の中心にいる人物と見なされますから「名前が繰り返し本に載ってい」るのは当然です。また、諸々の社会活動や運動、執筆に「李信恵」の名で積極的に行っていますし、メディアにも頻繁に登場しています。社会的にも言動に責任を持たねばならない著名人、いわば準公人ですから本名で記載されるのも当然です。これが嫌なら本名で活動したり発言しなければいいでしょう。

ちなみに、「エル金」「凡」に対して、日本では生きにくい在日であること、すでに刑事事件で前歴があること、これらが公になれば不利益を蒙る等を私たちなりに配慮して、出版物では、当初は本名は使いませんでしたが、私たちの配慮など考えることなしに全く反省のない言動を続けるので、そこまで配慮する必要はないと考えるに至り、後々になって本名も使うようになりました。

同 2ページ目

【7】「いつ何時自宅に突撃『取材』がくるのか分からないという恐怖に苛まれました。」との記述について

伊藤大介の恫喝ツイート

語るに落ちるとはこのことです。李信恵の支持者や周辺の仲間らは、李信恵が敵と見なした人物や意に添わない人物らの自宅を突如襲ったりしてはいませんか? 特にこのリンチ事件に連座した伊藤大介はどうですか? 恫喝目的で四国の自動車販売会社・合田夏樹社長宅には伊藤大介の指示で有田芳生参議院議員の宣伝カーで訪れて(直撃しようとして)いましたが(『ヘイトと暴力の連鎖』88ページ~98ページ、『反差別と暴力の正体』巻頭グラビア2ページ~3ページ、同143ページ~156ページ参照)、これについて李信恵さんのご意見をお聞きしたく思います。

【8】国会議員などに出した「質問書」(あるいは取材依頼書)について

李信恵は、私たちが当時民主党党首だった岡田克也や蓮舫らに「質問書」を出したことを詰っています。確かに「質問書」は郵送しました。それは、直接には李信恵に強く協力的で前出の四国の自動車会社販売会社合田社長宅を威嚇訪問しようとした者らに宣伝カーを貸したとされる有田芳生参議院議員が所属する政党の代表者(党首)だったからですし、日本共産党の志位和夫(委員長)、吉良よし子(参議院議員)、池内さおり(当時衆議院議員)らに「質問書」を送り電話取材を試みたのも、李信恵らと集会やデモなどで連携していたからです。

「質問書」(取材依頼書)はこの方々だけでなく、全員ではありませんが、少なくない国会議員にも送付しました。それは、この非人間的なリンチ事件を知ってもらい、調査し国会で採り上げて欲しかったからです。残念ながら全く無視されました。

この「質問書」(取材依頼書)は、国会議員のみならず「ジャーナリスト」や「知識人」らにも、本を出すごとに、この本を付けて複数回送付しました。そのどこが悪いというのでしょうか? 逆に、ふだんは「暴力はいけない」などと言いながら、実際にみずからが知る者らがリンチ事件に連座していることを突き付けられればこれを無視したり蔑ろにしたり逃げたり沈黙したりした人たちこそ問題ではないでしょうか? 誠実に答えてくださった方がいなかったわけではありませんが、大方は無視しました。仕方ありません、一人ひとり直接当たっていくしかありません。それはそうでしょう、返事もくれなく無視したわけですから。

【9】「被告(注:鹿砦社)は、私の裁判に関しても、『李信恵という人は在特会・ネトウヨと闘うに足る人格を持っているのか?』など、私の在特会らを相手取った裁判も正当性がないように書いていました。」との記述について

李信恵の恫喝ツイート

李信恵が差別言辞を発した相手に対して提起した損害賠償訴訟にはコリアNGOセンターを中心とする多くの支援者が集まり、裁判に関する支援金(カンパ)も呼びかけられています(このカンパの収支報告が行われた形跡を私たちは見つけることができません)。さらにテレビ、全国紙の記者や弁護士、大学教員らが支援に加わっていました。当然でしょう。私たちも、この所期の目的を否定するのではなく、むしろ“一切の差別に原則的に反対する”という立場から積極的に評価します。

しかしながら、上記のカンパの会計報告が一切なされていないことや、裁判ごとに懇親会を開くのはいいとしても、その後4軒も5軒も飲み歩き、挙句の果てにM君リンチ事件まで惹き起こしたこと、善意で支援会に結集した人が李信恵を批判したり、彼女の意に添わないと嫌味を言ったり度を越したバッシングをしたりしたこと(例えば別掲ツイート。その他にも多くの証言があります)等々、彼女の不遜な態度はいかがなものでしょうか。はっきり申し上げれば、もっと人格的に優れた人が神輿に乗っていれば、運動はもっと広がりを持ったでしょうし社会的にも理解されたと思います。

まともな指導者なら、少なくとも、泥酔の挙句、リンチ事件を惹き起こしたりしないでしょうし、これに弁解や言い訳ばかりすることもないでしょうから。

「これら記事を読みながら泣き崩れました」?――下手な田舎芝居はやめていただきませんか。激しいリンチを受けたM君の涙に比べれば何のことはありません。同じ泣くのなら、M君の身になって泣いていただきたいと思います。
(本文中敬称略)
 

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

大学院生M君に対する凄絶なリンチがあったことは厳然とした事実です。これが、あたかもなかったかのように偽造されようとしています。M君が必死で録音したリンチの一部始終の音声データも、李信恵らによるリンチがなかった証拠のように偽造されようとしています。三百代言という言葉がありますが、古人はよく言ったものです。

◆私たちは短期間に集中的に取材し5冊の本を世に出し真実を確信した

この写真を見て、「リンチはなかった」「ただの喧嘩」と思う人はいないでしょう。「反差別」「人権」を語る者がやることではない! なんとも思わない人は人間の血が通っているのか!?(『カウンターと暴力の病理』巻頭グラビアより)

李信恵や、彼女の周囲の人たちは、私たちが精魂込めて取材し編集、製作した出版物に対して、きちんと論評したり批判するのではなく、「デマだ」「嘘だ」「ゴミだ」「クソだ」等々と、まともに批判にならないレベルの悪罵を投げつけ誹謗中傷してきました。李信恵や代理人の神原元弁護士らは、いわば“あら捜し”をするために熟読したでしょうが、李信恵の仲間や周囲の人たちは、それら5冊の本をきちんと読んだ形跡はさほど感じられません。

私たちは、全くの白紙の状態から、また李信恵らやリンチ被害者M君に対する利害関係もなく、取材、調査に取り掛かりましたが、白紙の状態から始めたのが良かったと思います。李信恵には私怨、遺恨などなく(今でもありません)、むしろ、李信恵に繋がる団体(首都圏反原発連合。略称「反原連」)やカメラマン(秋山理央)には毎月相当額の金銭的支援をしてもきましたし、さらに李信恵に繋がる元当社社員には李信恵ら関係の裁判の傍聴には申し出があれば早退を許可するなど便宜も図ってきました。このリンチ事件や李信恵らの背後関係も知らず、「差別に反対する」という大義名分に私なりに理解を示してきたつもりでした。

そうした私なりの、いわば“良心的な”振る舞いも、李信恵らによる蛮行を知ることによって打ち砕かれました。さらに取材すればするほど、調べれば調べるほど、李信恵やこの周囲の人たちの運動に強い疑問を抱かざるをえませんでした。前出の前田教授が「脱力感に襲われる」と嘆いたのは理解できます。

それでは(前項とダブるところもありますが)私たちの取材や調査、そして出版の目的や意義は何だったのでしょうか? まずは、孤立し村八分にされネットリンチに晒され続け治療費さえもらっていなかったリンチ被害者M君の救済・支援です。弁護士さえも、断られ続けていました。そして、このリンチ事件の真相究明です。事実関係や真相を知らないと善悪の判断もつかないからです。

李信恵のツイート。このツイートひとつとっても彼女の人間性が表れています

しかし、李信恵や関係者らによる隠蔽活動はかなりのもので壁は厚く感じられました。私たちがこの事件を知るまで1年余りも経ち、隠蔽の“イチジクの葉”は幾重にも重ねられていました。綿密な取材・調査によって、これを一枚、一枚剥いでいく作業に着手しました。

手前味噌ですが、私たちの取材には、手を抜かず徹底的にやることでメディア業界、出版界では一定の評価があります。中途半端な取材をやっていては、この業界では淘汰されます。大小問わず、中途半端な気持ちと取材故に淘汰された出版社を何社も知っていますし、鹿砦社は徹底した取材をやって来たからこそ、淘汰されずに50年も生き延びてこれたのです。

それでも、近年評価が高い、いわゆる「文春砲」には敵いません。以前、文春編集部とは交流がありましたが、鹿砦社以上に人も金もかけ取材は徹底しているのに感心しました。また、他の大手雑誌とも一緒に仕事をした経験もありましたが、私たちもこれらから学んでいますし、決して特異なものではありません。

李信恵側は準備書面で長々と真実(相当)性について“講釈”を垂れていますが、長年の出版人としての経験から多くの訴訟を経験し、小出版社でありながら1億円以上もの訴訟費用を費やしてきた鹿砦社にとっては“常識”の類いで、この訴訟とは直接関係のないことに紙幅を費やす意味が理解できません。

私たちは2年ほどで5冊の本を発行してきましたが、短期間に5冊も出版したテーマや企画はこれまでにほとんどありません(例外的には4冊の本を出したパチスロ大手アルゼ告発シリーズぐらいです)。しかし、李信恵側が言う「本件では、不定期の雑誌やインターネットの報道記事であるから迅速に報道する必要はない」との認識は誤っています。本件リンチ事件は「迅速に報道する必要」があるからこそ、不定期の雑誌の増刊号(第4弾本『カウンターと暴力の隠蔽』のみCDを付けたこと等で書籍扱い)やインターネットなどで連続的に報じてきたわけです。私たちが、この忌まわしいリンチ事件を知ったのは事件からすでに1年以上経っていましたし、日毎に忘却されることを考慮すると、「迅速に報道する必要」がありました。

それに加え、M君が李信恵らリンチの現場に同座した5人を提訴し、この支援の意味からも、当初は裁判のポイントとなる期日の前後に発行することを目指し取材を徹底し真相究明に努めることが急務となりました。さらに法廷という、社会から閉ざされた空間での争いにせず広く社会に訴えるためにも雑誌の増刊号として緊急出版する必要があり、また出版物の編集・製作には数カ月かかりますから、ポイントポイントでインターネットを使い報道することも必要でした。

リンチ隠蔽に蠢いた人たち。この人たちの表情や目を見よ!(『カウンターと暴力の病理』巻頭グラビアより)

◆リタイアを考えていたところでリンチ事件を知って被害者救済・支援と真相究明を決意し早速動き始めた

私は長年出版の仕事に携わり、体もガタガタになり(特に目の疾患で一時失明の恐怖を感じたこともあり高額注射を繰り返しており、こうした長い文章を書いたり読んだりするのには難儀します)、そろそろリタイアを考えていたところで、誰もが知る著名人、研究者、国会議員、「知識人」、「ジャーナリスト」らが多く関係する隠蔽活動に対し、「相手に不足はない!」と思い、いささか大袈裟に言えば、これまでの出版人生の〈総決算〉を懸けたものとしてやることを決意いたしました。

私の呼びかけに、少なからずの人たちが取材班に結集してくれました。中には、大手消費者金融「武富士」(この時の武富士側代理人の一人は吉村洋文現大阪府知事です)との裁判で勝訴したことで有名な、ジャーナリスト・寺澤有も応じてくれ、第2弾本『反差別と暴力の正体』で、寺澤の居住地の東京から遠く四国まで遠征取材し具体的かつ詳細なレポートを寄稿してくれました。取材記録には記事にしていないこともあるということです。

これまで(本件以前)の取材活動で、本人に取材することはなかなか困難でしたが、今回は何としても李信恵本人に取材するように取材班に指示し、これはできました。李信恵もみずからの「陳述書」で記している通りです。まともに答えず逃げています。

次いで李信恵を除く4人ですが、伊藤大介には寺澤が事務所を訪問し取材を試みました(『反差別と暴力の正体』153ページ)。なぜか丁寧に対応され抱き込み策を取られたようです。松本英一には、こちらも寺澤が取材を試みました。2度ほど自宅を訪問したそうですがいずれも留守でした。その後、松本みずから連絡があり、その様子は『反差別と暴力の正体』(152~153ページ)に記載されています。寺澤は李信恵にも取材を申し込みましたが拒否されたそうです。こうした経緯について寺澤は、必要であればいつでも証言すると言ってくれています。

「エル金」こと金良平と「凡」こと李普鉉には、直接暴行の加害者ですし、すぐに暴力を振るうということもいろいろな人たちから忠告されましたので、私としては責任者として取材に動いてくれる者を危険に晒すわけにもいかず苦慮し私たちもかなり用心しましたが、なんとか直接取材を試みようと決断しました。金良平には自宅アパートを訪問しましたが、もぬけの殻で、第1回弁論直前まで住所が特定できませんでした。当初訴状も届かず裁判所も苦労したようです。もう一人の李普鉉については、そうこうするうちに裁判が始まり、裁判への影響を考慮し、リンチの中心人物でもないし、あえて取材を止めたのです。強引にやれば裁判妨害などと詰られることも懸念しました。李信恵以外にも積極的に取材を試み、私たちなりに最大限の取材・調査に尽力した次第です。今後も必要があれば取材を試みるにやぶさかではありません。

また、寺澤有が、李信恵らの仲間の石野雅之の自宅を訪れ取材を試みようとしたところ警察を呼ばれましたが(同書151~152ページ)、取材スタッフにこの懸念がありましたので、以後は直接取材の対象者をさらに絞っていきました。

もう一つ付言しておきますと、リンチの舞台となった大阪北新地のワインバーにも、取材班や寺澤も訪れ経営者に話を聞いていますし、先の前田教授も電話で話を聞かれたそうですが、この善意の市民を事件に巻き込むのは憚られ、話の内容を記事にはしていません。記事にすれば、確かにM君の訴訟でも少しは有利になったかもしれませんし現在進行中の訴訟でも有利に作用するとは思います。そうすると、これまでの経緯から、例によって李信恵らの仲間、「カウンター」とか「しばき隊」といわれる連中に店や経営者が攻撃されることもありえます。そういう理由で、あえて私たちはバーの経営者が苦労してオープン(事件当時オープン直後だったとのことです)し維持されていることを慮り胸の内に留めておいています。裁判所や読者には、このことを配慮いただきたく願う次第です。

李信恵の暴言の一部。ほんの一部でも、よくこんなにも暴言を吐けるものです(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◆総ページ800ページに及ぶ5冊の本に異議があるのなら言論には言論で反論せよ!

そうして、できるだけ多くの関係者、特に著名人、積極的に動いた人らを中心に直接取材を試みました。途中から、出来上がった本も付けて「質問書」、あるいは「取材依頼書」を郵送いたしましたが、自分から回答を寄せてくれた人はほんの少数でした。これは本に掲載している通りです。

この事件について、これまで5冊の本にまとめ世に出していますが、発行部数も少なく、隠蔽活動に関与した人たちも真摯に対応せず、李信恵や仲間らによって隠蔽された“イチジクの葉”を剥いでいく作業は困難を極めました。

それでも、私たちの粘り強い取材、調査、そして出版によって理解者や協力者も少しずつ現われ、日本の反差別運動、健全な社会運動に大きな汚点となった、このリンチ事件の真実が徐々に明らかになったと考えています。

確かに「文春砲」など大手メディアに比べれば格段に劣り、私たちの力不足もあり、まだまだ取材したい人たちすべてに取材できたわけではありませんが、これまでの私の出版人生の中で、5冊の本になるほど、これだけ取材、調査した事件は他にありません。主要な資料、重要資料は、かなり本に収録できたと自負しています(その後入手し未掲載の資料は第6弾本に収録予定です)。特にリンチ被害者M君が必死に録音した音声データをCDにして付けるなど、これまでほとんどありませんでした。CDを付けたことに対しては李信恵らも驚いたことと思います。

これら5冊の本を合計するとなんと800ページほどになります。これだけやったら「一般読者の普通の注意と読み方」をすれば、事件の真実性、あるいは真実と信じるに足ると認識できるのではないでしょうか。これだけやって、真実(相当)性がないと言われれば、どうしたらいいのでしょうか? 

李信恵らも、言うに事欠いて「クソ鹿砦社」「鹿砦社はクソ」などと、とても差別に反対し人権を語る者とは思えない汚い言葉を言い放ち裁判所に不法行為を認定(上告を取り下げ確定し賠償金を支払った)されたり、「ゴミ」だ「デマ本」だと反論にもならない言葉を連呼するのではなく、このリンチ事件が反差別運動、社会運動に与えた深刻な問題を真摯に反省し、異議があれば言論には言論で反論すべきだと思いますが、いかがでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか? (文中敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》
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◆M君リンチ事件に対する私の基本的スタンス
 
李信恵らが関わった集団リンチ事件を偶々知った時、リンチ直後の被害者M君の顔写真を見、リンチの最中さんざんM君が殴られる音声データを聴いて、正直仰天しました。

そして、社会運動、反差別運動において、こんな酷い暴力沙汰が、いまだにこの民主社会日本で行われていたこと、にもかかわらずメディアがなぜか報じず隠蔽され闇に葬られようとしていることに義憤を感じました。

私なりにリスペクトし、なかには講演に招いてきた「知識人」や「ジャーナリスト」らが、この野蛮なリンチ事件の加害者を叱責するのではなく、逆に、あたかも「反差別運動の旗手」として李信恵を祀り上げていることに違和感、嫌悪感を覚えました。いやしくも老出版人として、この事件の実態と真実を世に知らしめ被害者救済・支援をしなければならないと素朴に感じました。

私たちの世代、つまり1970年前後に学生時代を過ごした者は、学生運動内の内ゲバや連合赤軍のリンチ殺人事件などを、いやがおうでも見てきました。私が知っている人や、尊敬する先輩(現在ニューヨーク州立大学教授)の親友もリンチの犠牲になり亡くなっています。私もノンセクトの学生運動の末席を汚しましたが、早朝ビラ撒き中に、武装した連中に襲われ重傷を負い入院した経験がありましたし、私の1年先輩でノーベル賞作家の甥のSさんは、酷寒12月の早朝襲撃され激しいリンチを受け瞳孔が開き一時は医者も見放した事件もありました(奇跡的に一命は取り止めました)。

有田芳生参議院議員

ちなみに、李信恵と昵懇で、このリンチ事件直後に来阪し、以後隠蔽活動の一端を担っているとされる有田芳生参議院議員は、大学は違いますが私と同期で、私やSさんらを襲撃した組織(神原・上瀧弁護士が支持する政党の学生組織)に属し、この中心的活動家でしたが(襲撃事件に直接関わっていたかどうかは不明ですが、彼の大学は当時、私の大学の近くに在り全国屈指の拠点で、毎週2、3度多勢で情宣に登場し、時に集団で暴力的に襲撃してきましたので、何らかの関わりがあると推察するのが普通でしょう)、今回のリンチ事件で李信恵を擁護し嘘をついて隠蔽活動の一端を担っているのを見、さらには脅迫目的で四国の自動車販売会社・合田夏樹社長の自宅を訪問しようとした(訪問したが家人留守とされる)事件で、宣伝カーを貸し出したりして蠢いていることから、「相変わらずだな」と感じた次第です。

合田夏樹脅迫事件を追った寺澤有作成のイラスト(『反差別と暴力の正体』巻頭グラビア)

合田夏樹脅迫事件資料(伊藤大介のツイート)

その後、そうした反省から、この国の社会運動や反差別運動内で暴力による制裁やリンチなどなくなっていったはずだと思っていました。かつての悪夢が甦ってきました。幸いにM君が学生時代にラクビーをやっていたということで死に至ることはありませんでしたが、死に至っても不思議ではありません。上記のSさんと同じケースです。ひ弱な私だったら死んでいるでしょう。

私も今年69歳、来年には70歳です。出版人としてのみならず人間としても老境にありますが、それなりに名の有る「知識人」や「ジャーナリスト」らの体たらくを叱責しなければ死んでも死に切れません。

私は偶々知ったこの集団リンチ事件に対して、学生時代に体験し見聞きした内ゲバやリンチ事件と重ね合わせ、みずからの問題として追究してきましたし、リンチ被害者M君の苦しみには到底及ばないものの、私なりに思慮してきました。M君が李信恵らを訴えた訴訟は、一応全て終結しましたが、鹿砦社関係の訴訟もありますし、この国の社会運動内においてなぜ暴力が発生するのか、その根絶は可能なのか?──このリンチ問題への関わりを契機に、もうしばらく思慮していきたいと考えています。

◆鹿砦社の出版活動への信頼度

この通信の読者のみなさんならご存知のように、鹿砦社は創業して昨年で50周年でした。東京と西宮双方で開いた記念集会には多くの方々がお祝いに駆けつけてくださいました。

さらに、鹿砦社の100パーセント子会社(株式会社エスエル出版会)に編集・発行を委嘱し被告が発売する月刊社会時評誌『紙の爆弾』誌が、この4月発行号で創刊15週年を迎えました。また、同誌の増刊号として季刊で発行する反原発雑誌『NO NUKES voice』も6月発行号で24号に至り6年が経とうとしています。こちらにも多氏斉々の著名な方々が寄稿やインタビューに応じてくださっています。鹿砦社が創業50周年を迎えることができたのも、月刊社会時評誌『紙の爆弾』が創刊15周年を迎えることができたのも、『NO NUKES voice』が多くの著名人も寄稿・インタビューに応じてくださり創刊6周年を迎えることができるのも、鹿砦社の出版活動への信頼があるからこそだと信じています。

また、私も、出版の仕事に携わって40年が過ぎました。あっというまに、もうすぐフェイドアウトする時期になろうとしています。

鹿砦社、及びこの代表の私は、そうした長い歴史を踏まえ、M君リンチ事件の問題について一人の血の通った人間として関わってきましたし、今も〈社会運動と、リンチという内部暴力〉に対して思索を続けています。やはり健全な社会運動、とりわけ李信恵が関わるとされる反差別運動に、李信恵らが連座したリンチなど不要で害悪でしかないということだけは断言できます。この点、李信恵はどう考えるのでしょうか? 

◆李信恵や神原弁護士らは私たちを口汚く罵るのではなく、真摯に反省し被害者の身になって考えてあげてください──屁理屈はどうでもよい、このことが先決です

私は血の通った人間として、李信恵みずからが連座したリンチ事件に、なんら反省もなく開き直る李信恵と、彼女を守るため必死に論を張る神原、上瀧両弁護士を弾劾し反省を求めます。まずは被害者の身になって考えていただきたいと申し述べるのはおかしいですか? 神原弁護士に至っては、私(たち)に対して「私怨と妄想に取りつかれた極左の悪事」とまで詰っています。「極左」とは公安用語だと聞いてきましたが、まがりなりにも「左派」を自認する神原弁護士が使う言葉ではありません。

さらに、それが「手が込んでるだけに、右翼のそれより質が悪いね。売名と集金が動機に加わればなおのこと。文字通り、魑魅魍魎だね、こいつら」とまで詰っています。「売名と集金」だって? いやしくも私は「売名と集金」でM君救済・支援をやってきたわけでは断じてありません。失礼な物言いです。支援会に集まったカンパについては、大川弁護士が厳密に管理し私たちは1円のお金にも触れていませんし公明正大に公に報告しています。「売名と集金」──どういうことか説明してください。M君関係の2件の訴訟以外には心ある皆様がカンパしてくださった浄財を使ってはいませんし、李信恵らとの鹿砦社の訴訟は、鹿砦社自身の資金で賄っているということも明言しておきます。

また、弁護士たる者が使うには不適当な「こいつら」とは誰のことを言っているんですか? いい加減にしていただきたいものです。

ちなみに「集金」云々を言うのであれば、李信恵の裁判支援会の会計報告はなされた形跡がありませんが、どうなっているのでしょうか? 李信恵や、この裁判の代理人を務めた上瀧弁護士らは明確に答えるべきです。(文中敬称略)

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私たちが「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)について第5弾本を発行したのは、ちょうど2年前の2018年5月28日でした。以降2年間、出版物を出さず、わずかにこの「通信」で時折節目節目でコメントをする程度でした。このかんにリンチ事件被害者M君が加害者5人を訴えた民事訴訟は、控訴審、最高裁も終わり、満足のいく内容ではありませんでしたが、M君勝訴で終結しました。

また、鹿砦社がリンチ事件の中心人物・李信恵による誹謗中傷、暴言に対し訴えた民事訴訟も、李信恵の不法行為を大阪地裁‐高裁も認め鹿砦社勝訴で終結しました。

さらに、対李信恵訴訟は、結審を前にして李信恵が「反訴」を起こし、これが反訴とされず「別訴」として現在も大阪地裁で審理中です。もう一つ、“隠れしばき隊”として業務時間の大半を使いこっそりと業務外のツイッターや私的メールを繰り返していた鹿砦社元社員・藤井正美に対する訴訟も係争中で、これも反訴してきて、今後も続いていきます。M君の訴訟にしろ対李信恵、対藤井正美の訴訟にしろ、しばき隊の守護神・神原元弁護士が代理人に就いており、どうやら反訴という手法は神原弁護士の戦術のようです。

この2年間、私たちは手を拱いていたわけではありません。本を出せなかったのは、2018年後半は私の重篤な目の疾患により編集作業ができない状態だったこと、2019年になると鹿砦社創業50周年記念行事(東京と関西双方で)と記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』刊行、後輩の書家・龍一郎講演などに追われたことによります。2020年の本年も、私たちが10年来応援している女性デュオ「Paix2(ぺぺ)」の「プリズン・コンサート」と称する獄内ライブ活動500回記念出版の作業に追われて来ました。

決して、くだんのリンチ事件を忘れていたわけではありませんが、不器用な私たちは、並行して複数の仕事を遂行することが十分にできないことで、あっというまに、気づいたら出版物を出していませんでした。

このGWを挟んでPaix2のプリズン・コンサート500回記念出版も一段落し、さらには、くだんの対李信恵第2訴訟もさらなる陳述書を執筆する必要に迫られ、次の本(第6弾)の準備もあり、これまでの資料を整理し5冊の本を再読し、思いつくまま書き綴ってきました。

私たちの力不足もあって、くだんのリンチ事件、及びこれから派生した諸問題は、なんら本質的に解決がついておらず、このままでは、同種同類の事件が起きることを懸念しています。加害者らや、この支持者らに真摯な反省などありませんから。

この問題について、いわゆる「ジャーナリスト」や「知識人」といわれる徒輩の体たらくを見るにつれ、放置しておけない! と、取材、検証作業を再開することにしました。

幸い、この2年間、対李信恵、対藤井正美との訴訟を進めながらも(これらの訴訟があったお蔭で問題意識は持続できました)、いささか距離を置いて思索してきました。そうして、リンチ事件の被害者救済・支援と真相究明に関わり始めてから5冊の本を出す過程では気づかなかったことがありましたが、この2年間で気づいたことも少なからずありました。

そうして思いつくまま文章を書き綴ってきました。言いたいことが堰を切ったように出てきて長大なものになりました。ここでは、もちろん一挙に掲載できませんので、分載していきます。(本文中、M君を除いては基本的には敬称は省かせていただきましたが、他意はありません)

◆李信恵らに、血の通った人間の心があるのか!? みずからの「被害」なるものを強弁するのではなく、まずは真摯に反省せよ!

李信恵が関わり連座した集団リンチ事件、みずからが中心になって惹き起こした、この事件に、彼女はいまだに何の反省もなく、開き直っている感が私には否めません。このかんの相次ぐ訴訟や社会的批判で少しは反省したかと思っていましたが、そうではなかったようです。これは、最近提出された彼女の2020年4月8日付け「陳述書」を一読しても、反省や人間としての誠実さなどは感じられません。あたかも自分が鹿砦社の出版物の「被害者」であるかの態度を強弁し、李信恵らによる暴虐の被害者=M君への謝罪の気持ちが、ただの一言もないのは彼女の人間性故でしょうか。自分が鹿砦社の出版物で「被害」を受けたというのであれば、まずはM君への謝罪が最優先になされるべきではないでしょうか。

李信恵は鹿砦社の出版物やこの通信の記事による「自分の受けた被害」で、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。いい加減にしろ! 集団リンチの被害者M君が言うのであれば判りますが、集団リンチ事件に連座した彼女が言うのには違和感があります。

李信恵らは「リンチ」という言葉が嫌いのようですので、集団暴行傷害事件と言い換えてもいいですが、いずれにしても大の大人が5人で深夜に大学院生M君を呼び出し、集団で(うち2人を直接の暴力行使役として)暴行を加え、まさに半殺しともいうべき瀕死の重傷を与え、何の介抱もせず、救急車やタクシーも呼ばず師走の寒空の下に放置し立ち去った事実には変わりはありません。5人の中には、あまり注目されていませんが、格闘技の達人(松本英一)もいました。強面(こわもて)で鳴る伊藤大介と共に、いわば“用心棒”的な役割を果たしたといえるでしょう。

そもそも李信恵らが嫌う言葉「リンチ(linch)」とは何なのでしょうか? 『広辞苑』(第七版。2018年)には「法によらない私的制裁。私刑」とあります。ですから、李信恵ら5人が連座した暴行傷害事件は、まさしく〈私刑=リンチ〉です。〈私刑=リンチ〉以外の何物でもありません。

私は、全く白紙の状態で、この事件の被害者M君の救済・支援と真相究明に携わって頂度4年、あらためて李信恵の人間としての不誠実さを感じています。

李信恵「謝罪文」の1ページ目(全7枚)

事件直後、李信恵はM君に署名と捺印のある手書きの「謝罪文」を出し活動自粛も約束しています。曲がりなりにも謝罪と反省の気持ちはあったものと察します。ところが、しばらくすると、これを撤回し、「リンチなどなかった」「自分は無関係だ」等々と翻意しています。ならばなぜ「謝罪文」を出したのでしょうか? 李信恵さん、なぜですか?

李信恵さん、リンチ事件から一夜明け酔いが覚めた時、「しまった!」と思いませんでしたか? 自筆で書かれた「謝罪文」に嘘はないものと信じます。人間として、天地神明に誓って、どうですか? 自分は暴力を振るっていないとかを言い張ることも、あなたにとって重要でしょうが(少なくとも到着したM君に最初に「なんやねん、おまえ!」と詰め寄り胸倉を掴んだことは李信恵自身も認め、これがリンチの口火を切ったことは確かでしょう)、リンチの現場に李信恵ら5人が居て、M君が殴られ続けているのを止めもせず、悠然とワインをたしなみ、さらには、あろうことか、それをSNSで流しています(『カウンターと暴力の病理』の巻頭グラビア参照)。まともな人間がやることではありません。

さらには、重傷を負った被害者M君を師走の寒空の下に放置して立ち去っています。なぜ救急車を呼ばなかったのですか? 偶然ながら、私は、リンチ現場の隣のビルに同郷の知人が飲食店を出していて、同郷人や同窓会の集まりなどで時折行っていたのですが、すぐ近くにタクシー会社の営業所があります。電車がなくなるまで遅くなったら私も利用していました(1年に1、2度ですが)。にもかかわらず、李信恵らはなぜタクシーに乗せようともしなかったのでしょうか? これだけの瀕死の重傷を負った被害者を見て、なぜ救急車を呼んだりタクシーに乗せなかったのでしょうか? 李信恵さん、ぜひお答えください。

こうしたことを見るだけでも、李信恵らに血の通った人間の心、人権や良心があるとは、私には到底思えません。

◆私李信恵らは、私たちがリンチ被害者M君を救済・支援してきた意味と想いを誤認しています

辛淑玉書簡の1ページ目(全7枚)

また、李信恵の、いわば姉御分の辛淑玉は事件直後、「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」という長文の書簡を書き配布しました。ここで辛淑玉は「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」と李信恵らを強く叱責しています。これは自らの若い頃の体験に基づいた、いわば魂の叫びといったもので、読む者を感動させます。私も胸打たれました。重要なので裁判の書証として提出予定です。しかし、遺憾ながら、これものちに撤回されます。

このように、辛淑玉はじめ李信恵の周囲の人たち、「カウンター」といわれる人たち、「反差別」運動に関わる人たちも、事件直後は「なんということをやってくれたんだ」と思ったということは容易に想像できます。裁判所が好んで使う「一般読者の普通の注目と読み方」をすれば、そうではないですか?

おそらく事件直後は、李信恵にも謝罪や反省の気持ちは多少なりともあっただろうし、李信恵の周囲の人たちにも、辛淑玉の書簡のように良心の欠片はあったものと思われます。

しかし、M君は、一部の知人を除き彼を応援する者は皆無に近く、私たちと知り合うまでの1年余り孤立しさらなるセカンド・リンチ(ネット・リンチ)を受けたり村八分状態にありました。おそらくこれを見透かして李信恵らは「謝罪文」や活動自粛の約束を撤回したり開き直ったものと推認されます。卑怯極まりありません。今の世の中に村八分は許されません。村八分は差別ではないんですか?

李信恵らは日頃から頻繁に「人権」という言葉をあまりにも軽々しく使っていますが、前述の如き行為は、逆に一人の人間の人権を蔑ろにするもので、そこには血の通った人間としての真摯さや誠実さといったものは感じられません。それはそうでしょう、あれだけの暴虐をやっておきながら(あるいは連座しておきながら)、自己弁護や弁解ばかりで、人間としての真摯さや誠実さを見ることができないからです。いかがですか、李信恵さん!

私たちは、原則的にいかなる差別に反対し、たった一人の人間の人権をも尊重するというスタンスを堅持し、このように日頃から努めてきました。差別に反対し人権を尊重するという崇高な営みに関わる人には尊敬の念を持ってきましたし、これは今も変わりはありません。だがしかし、かつて「エセ同和」といった言葉があったように、世の中にはエセや偽物があることも見極めなければなりません。美辞麗句やキレイ事に惑わされてはなりません(が、けっこう騙されたり誤認します)。

私は、李信恵が真に人権を大事にするというのならば、まずは「謝罪文」の地点に立ち返って欲しいと願っています。これは私が繰り返し述べていることです。私たちは、私たちが言っていることや出版物などに書き連ねていることに間違いはないのかと自問自答しつつ、謙虚にこの問題に関わってきましたし、綿密な取材と調査を行い事実を積み上げてきました。もし間違いなどがあれば指摘してほしいとも幾度となく申し述べていますが、5冊も本を出しても、事実関係などについて、きちんとした批判や反論などは皆無です。李信恵や彼女の訴訟代理人の神原、上瀧両弁護士には著書も複数あり、出版ができる環境にあるにもかかわらず、なぜ「言論には言論で」批判、反論されないのでしょうか?

反論らしき反論は、鹿砦社が李信恵による誹謗中傷、暴言に対して起した訴訟の反訴(→別訴)でようやくなされました。この時点ですでに4冊の本が出版されていました。

しかし、これはあくまでも、裁判所という限られた場での議論にすぎず(それも、ずっと非公開で進められてきました)、公の議論ではありませんし、4冊の本が既に出版された後で時期的にも遅いんじゃないでしょうか。鹿砦社による訴訟の対抗上反論したものといえます。

さらに私は李信恵が「謝罪文」の地点に立ち返り李信恵らが和解のテーブルに就くのであれば、このために汗を流すのを厭わないことも、何度となく申し述べています。いたずらに諍い合っても社会運動、なかんずく反差別運動にとっては決して有益ではない、むしろ無益だと考えるからです。一例を挙げれば、―

松岡 もう今年いっぱいで、事件から三年が経つわけでしょう。やはり『このまま裁判を続けていっていいのかな』と思うのは一つです。M君本人は、『裁判を続ける』という気持ちがあるんだろうけど、一定のところで何らかの手打ちをしないとね。
 清(義明)松岡さんがそういうことを言うとは思わなかったな。
 松岡 僕はそう思うし、そういうことを本にも書いているじゃないですか。
   いや、僕も手打ちさせたほうがいいと思う。
 木下(ちがや) いや、俺もそう思う、絶対そう。
 松岡 なぜかというと、これヤクザの抗争じゃないんですよ。やはり社会運動の中でのトラブルなわけだから、そうしないと絶対『反差別運動』に良いことはない、と思うんですよね。
 木下 まったくないです。」(『真実と暴力の隠蔽』170ページ)

リンチ被害者のM君は瀕死の重傷を負ったわけですから李信恵らリンチ現場に同座した5人に対して多かれ少なかれ恨みつらみなどがあることは致し方ないとしても、私、および私の呼びかけで取材などに協力してくれた者らには最初から私怨や遺恨などありません。ましてや、私たちはリンチ事件に対する被害者救援と真相究明に携わるまで李信恵を知らなかったわけですから彼女に私怨や遺恨などあるわけがありません。

こうしたことを李信恵らは全く理解していないようです。

◆李信恵の「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」!

私は、このリンチ事件に対しては、李信恵はじめリンチ現場に同座した5人全員に〈連帯責任〉があると考えています。常識的に見、「一般読者の普通の注意と読み方」をすれば共謀関係もあったものと推認できますし、私たちはそう確信しました。M君が起こした民事訴訟や刑事事件で、確かに李信恵(と伊藤大介、松本英一)は損害賠償や罪を免れていますし共謀関係も認められませんでした。

だからといって、法的云々以前に人間としての責任を免れることはありませんし、この点は裁判所や検察庁は判断を誤っていると私は思います。法律とは、あくまでも人間の幸福追求のためにその行為の是非を公正に判断するためのものであり、一人の暴力の被害者を救済するための一つの手段として法律があり裁判所があるのではないでしょうか? 裁判所の法的判断で罪を逃れたからといって、人間としての言動が全て判断されたり放免されたわけではないのです。

こうした意味で、一部の識者も指摘するように(一例として前田朗東京造形大学教授執筆「反差別運動における暴力(二)」参照)、リンチ被害者M君が李信恵を訴えた一審大阪地裁(及び上級審)判決は「不自然な事実認定」「結論を先取りするために強引な認定」と批判される由です。

この論文において前田教授は李信恵(本文では「C」と表記)に対して「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」とまで非難されています。

前田朗論文「反差別運動における暴力(二)」(『救援』2018年5月10日号)

李信恵が在特会らのヘイト行為を訴えた訴訟で上瀧弁護士らは弁護団を結成し、前田教授は上瀧弁護士ら弁護団から依頼を受けて裁判所に「意見書」を提出するほど強く関わりましたが、「それだけに、本件訴訟(注:M君が李信恵を被告として訴えた民事訴訟)の経緯と内容を見ると脱力感に襲われる」と記し、「被告(注:この場合、李信恵)らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやっているのだろうか。依頼人のために仕事をしただけかもしれないが、あまりにも情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか。」と上瀧弁護士らを強く叱責しています。

それでいながら前田教授は、東京在住の故か本件リンチ事件の実態をほとんどご存知なかったようで、私が3冊の本を送って初めて実態を知り、そのショックは文面に表われている通りです。おそらく本音でしょう。李信恵の周囲の人たちや弁護士らをよく知っていながら、件のリンチ事件をご存知なかったというのも、上瀧弁護士らが「意見書」まで書いてくれた前田教授にリンチ事件の存在を言わず、李信恵らによる、事件をなかったことにしようとする隠蔽活動がうまくいっていたのでしょうが、悪いことは必ずバレます。(尚、この論文は「三」まであり、私とのやり取りで質問に答えず途中で逃げたり、のちのち態度が豹変しますが、少なくとも「二」までは真っ当な意見だといえます。)

◆李信恵は、まずは「謝罪文」に立ち返れ!

李信恵さん、あなたの「陳述書」には反省の念が感じられません。あなたに一片の良心があれば、今からでも「謝罪文」の地点に立ち返り、血の通った人間として真に反省されることを強く望みます。先の前田教授に「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」とまで叱責された李信恵さん、あなたが、真に差別に反対し、一人の将来ある若き大学院生の人権を尊重するというのであれば、今からでもやるべきことは歴然です。李信恵さん、あなたは鹿砦社の本で「被害」を受けたとか「不安や苦痛」「恐怖心」でいたたまれなくなったなどと被害者然としていますが、最大の被害者はM君です。このことを決して忘れないでください。

神原元弁護士のツイート

みなさん方も、第4弾本『カウンターと暴力の病理』の巻頭グラビアに掲載されているリンチ直後の顔写真をご覧になり、CDにして付けている音声データをお聴きください。まさに地獄絵、阿鼻叫喚です。みなさんも人間なら、これらを見聞きして何も感じないのなら人間ではありません。判決文でよく使われる「一般読者の普通の注意と読み方」をされたらいいだけの話です。

李信恵らはこのCDについても、あろうことか、これが李信恵の無実や、リンチ事件の首謀者でないこと等々を証明する証拠だと論理をすり替えています。狡知に長けた神原弁護士の智恵かもしれませんが、李信恵らはどこまで神経が腐っているのでしょうか、常人には到底理解できません。おそらくこの音声データがリンチの証拠として世の中に公開されたので、逆にリンチがなかったことの証拠と言い張ることで、形勢逆転を狙ったものと思われます。

私たちは、李信恵らが関わった、M君に対する集団リンチ事件について、リンチ被害者M君の救済・支援、そしてこの集団リンチ事件を負の遺産として主体的に反省し今後の社会運動のために活かすために、この事件の真相究明をするという、シンプルな想いこそ、この事件に関わる私(たち)の目的で、李信恵を貶めようとかいうような邪悪な政治的目的はありません。神原先生、あなたは私たちに対し、「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」などとツィートしておられます。傷つき孤立した青年の魂の叫びを聞き、治療費はじめなんの弁済もなされず村八分にされていたことについて、救済・支援をし、真相究明をすることが「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」ですか? 取材班や支援会で、多少なりとも学生運動に関わった者は私だけですから、おそらく私に対して詰(なじ)っておられるものと思わざるをえませんが、これはどういうことでしょうか? ぜひ私の面前で説明してください。

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直近の大きなニュースの一つは、東京高検トップ・黒川弘務(元)検事長の賭けマージャンスキャンダルでしょうか。そしてその賭けマージャンに産経新聞記者2人と朝日新聞社員(元検察担当記者)が同席していて、これが常習化していたそうです――また朝日新聞か! 

朝日といえば、先立って阿久沢悦子記者(大阪社会部から現在静岡総局)にまつわることを報じたばかりです。特段朝日を嫌いではありませんし、自宅で購読しているのは朝日ですが、15年前の「名誉毀損」出版弾圧事件での官製スクープ以来、くだんのリンチ事件での司法記者クラブ所属記者や朝日本社広報の対応(詳しくはリンチ本第4弾『カウンターと暴力の病理』を参照してください)など、なにかと因縁があります。そのどちらも私が悪いわけではありませんが、阿久沢記者、それに大阪社会部記者らには、とても日本でトップクラスの大新聞の「ジャーナリスト」とは思えない振る舞いに煮え湯を飲まされてきましたが、「またか」という思いが尽きません。

ちなみに、こういう大手新聞社・通信社の記者や社員が起こした事件を報じる場合、なぜか実名を出しませんが、いつも疑問に思っています。マスコミは「第四の権力」ですから、「第四の権力」者は(準)公人と言ってもよく、こんな大スキャンダルですから実名を出すべきでしょう。一般市民がささいな事件を起したら簡単に実名や住所(さすがに番地までは出しませんが)など掲載するのに、です。逆じゃないでしょうか?

さて、私が阿久沢記者を許せないのは、村八分状態にあったリンチ被害者M君が孤立していたさなか、あたかも味方のように近づき精神的にも弱っていたM君を弄んだからです。阿久沢記者は、自称「浪花の歌う巨人」ミュージシャン趙博をM君に紹介し、挙句趙博は、当時まだ公にされていなかったリンチ事件の貴重な資料を入手し、その後M君や、M君支援に関わり始めたばかりの私たちを裏切りました。私たちは趙博に直接裏切られましたので、彼がいろいろな運動や組織に近づき、いかがわしい動きをしていることに不信感を抱かざるをえません。私たちは彼に直接裏切られたのでハッキリ言いますが、「趙博に気をつけろ!」

 

阿久沢記者について、調べていくと、「ん、っ!?」と思わざるを得ない写真が出てきました。阿久沢記者の隣にはリンチ事件隠蔽のA級戦犯の一人・北原みのり、そしてリンチ事件隠蔽の表には登場しませんが、取材により関与が疑われた谷口真由美、また井戸まさえ(元衆議院議員)、らが写っています。

「石原燃さんの『白い花を隠す』の再演を池袋に観に行きましたら、井戸さん、谷口さん、北原さん、中安さん、なつきちゃん……知り合いがぞろぞろと客席に……いやー、びっくりしました」ということです。「いやー、びっくり」したのは私のほうです。なあんだ、みんなグルだったのでしょうか。極めて不愉快です。

谷口真由美が、リンチ事件について、あちこちで嗅ぎまわっているという噂がありましたので、「なぜだろう?」と思っていましたが、この写真で合点がいきました。

4月28日は、対李信恵第2訴訟、対藤井正美訴訟の期日でしたが、コロナウイルスによる非常事態宣言で延期になりました。どちらも代理人は神原元弁護士ですが、これらの裁判のために東京からやって来る神原弁護士のために、私たちなりに配慮して同日に開くことに同意しています。べつに配慮してやらなくてもいいんでしょうが、余裕です(笑)。他にも李信恵が高島章弁護士を訴えた訴訟も神原弁護士が代理人を務めていますが、これも同日で、神原弁護士は1日にダブルヘッダーならぬトリプルヘッダーで大車輪のご活躍です。

 

次のリンチ関連書籍や陳述書の準備のために、静かで長かったGW中にこれまでの資料などを整理していくと、新たに分かったこともありました。

M君の“元上司”に高橋直輝こと添田充啓という男がいましたが、不審な亡くなり方をして、もうどれほどになるのでしょうか。添田は「しばき隊」の中でもゲバルト部隊の感のある「男組」のトップで「組長」といわれていました。M君は添田の部下でしたので、添田への直撃取材も敢行しようとしていました。

添田と一緒に親しげに写っている著名人の写真が出てきました。あれっ、佐高信、社民党党首・福島みずほさんではないですか? 

 

福島が関わった集会のフライヤーも出てきました。この集会の司会は池田幸代(元福島みずほ秘書)、出席者に辛淑玉、金平茂紀、福島みずほらがいましたが、この集会の直後、執行猶予中でありながら、添田は、いわば“鉄砲玉”として沖縄に派遣され逮捕、のちに有罪判決を受けます。

その後、精神的に病んだという噂も耳に入ってきていたところ、謎の死を遂げます。しかし、死亡の報も、実際になくなってからずいぶん経ってからしばき隊の中心人物の一部から漏らされましたが、死の真相は公にならないまま現在に至っています。3回忌とか弔いの儀式などやったのでしょうか? 本当にこれでいいのでしょうか? 添田の死は「死人に口なし」でM君リンチ事件真相究明のためにマイナスになりました。

口封じのために殺られたとか精神的に追い詰められ自殺したとか……あれこれ噂が耳に入ってきていましたが、常識的に言って、添田を死に追い詰めたものは何だったのか、解明しないといけないのではないでしょうか? 

また、彼をやんややんやと煽り立て沖縄に派遣した辛淑玉、金平茂紀、福島みずほらは何を考えているのか、所信を表明すべきではないでしょうか? そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか?

 

その後、しばき隊は沖縄にはどう関わっているのか、これもどうなっているのでしょうか?

くだんのM君リンチ事件それ自体にも、その添田死亡のようにリンチ事件周辺にも不思議なことが少なくありません。

私たちが全く白紙の状態からこのリンチ事件の被害者支援と真相究明に関わってきて、多くのことを反面教師的に学んできました。一番疑問に思ったのは、朝日の記者ら「ジャーナリスト」らの醜態、かつては講演などにも招いたこともある池田香代子ら「知識人」のでたらめさです。

池田香代子は、ご存知のようにアウシュヴィッツの実態を記述したフランクルの『夜と霧』の新訳を出しています。学生時代に旧版を読んで衝撃を受けました。私よりも上の世代にとっては必読本でした。この頃、必読本は多く、一知半解ながら読み、このことが今になっても活きていると思います。

池田にとってアウシュヴィッツとは何なのか? アウシュヴィッツとは、ナチスによるユダヤ人大虐殺があった強制収容所ですが、これはもちろん他人事ではありません。われわれの心の中にも潜在的にアウシュヴィッツ的なものはあり、これと不断に対決していかなければなりません。池田さん、あなたは『夜と霧』を翻訳する過程でアウシュヴィッツがどのようなものか理解されたと思いますが、アウシュヴィッツ的なものはあなたの心の中にもあることを自覚すべきでしょう。

収容所の中で虐殺が行われていたことはドイツの国民や周囲の住民らは知っていたかうすうす感じていたとされますが、これをくだんのリンチ事件に当てはめると、池田らしばき隊に近い者たちは知っていたと推認され、だからこそ真相をたずねようとすると逃げ出したり沈黙したり、逆に開き直ったりするのでしょう。ここにアウシュヴィッツ的なものを感じますが、逃げ出すことなく事実を見つめアウシュヴィッツ的なものやリンチの思想と主体的に対決していかなければなりません。特に池田香代子にはその責任があります。

このかん資料を整理し書き連ねてきたことを、今後数回にわたり分載していきます。(文中敬称略)

◎松岡利康【「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書1】朝日新聞・阿久沢悦子記者の蠢きと、「浪花の歌う巨人」趙博の突然の裏切りについて(2020年4月27日)

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4月22日の本通信で、朝日新聞・阿久沢悦子記者が「浪花の歌う巨人」こと歌手・趙博をリンチ被害者M君に紹介し、2人とも、あたかも親身になってM君の味方であるかのように振る舞い、趙博に至っては、当時まだ公になっていなかった貴重な資料を入手するや、突然にM君、そして私たちを裏切りました。阿久沢記者は、いつのまにかM君から離れていったそうです。かの橋下徹に勇ましく喧嘩を売るほどの御仁ですが、リンチ事件について説明責任があることは明らかです。

阿久沢記者の記事の訂正の告知。朝日新聞4月25日夕刊

阿久沢記者は、今は問題を起こしたTwitterはやっていないようですが、facebookはやっていて、直近の書き込みで、これみよがしにみずからの朝日の石井紀子さん追悼記事を上げていましたので、「この件について私も本日の『デジタル鹿砦社通信』で書いてみました。ご一読いただければ幸いです」と投稿したところ、みずからの書き込みもろとも速攻で削除されました。

その後、4月25日夕刊に訂正の告知が掲載されていました。あっ、そうか、私が投稿したから削除したのではなくて、記事に間違いがあったから削除したのでしょうか?(笑) 高い給料もらってんだから、しっかりした記事を書け!

◆裏切りは突然行われました

さて、趙博が裏切る数日前、M君や私たちは大阪・堂山の居酒屋で一献を傾け、今後、リンチ事件の真相究明とM君支援を約束したのでした。

先の拙稿で、趙博の裏切りについて何人かの方から「よくわからないので説明が欲しい」旨要請がありましたので、まずは趙博の裏切りについて書き記したリンチ本の部分をアップしておきます。

リンチ本第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』と第4弾『カウンターと暴力の病理』の該当部分をアップします。今、あらためて読むと怒りが込み上げてきます。

私が阿久沢記者と趙博に対して許せないのは、孤立し追い詰められたM君に心から寄り添うのではなく、逆に寄り添うように見せかけながら若いM君の気持ちを弄んだことです。

リンチ被害者M君が、リンチ現場に居合わせた李信恵ら5人を訴えた訴訟は(内容には不満が残るとはいえ)M君勝訴で終結しましたが、関連訴訟2件が係争中です。これらも含め、日本の反差別運動に汚点を残した、このリンチ事件の検証と総括が問われています。特に、隠蔽に加担し私たちの追及に逃げ回ったり沈黙するメディア関係者や「知識人」らの責任は厳しく問われるべきです。

このかん私たちは、鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』や記念行事(昨年12月、東京と関西で盛況裡に行われました)、先に全国の矯正施設(刑務所や少年院など)を回るプリズン・コンサート500回を達成したPaix2(ぺぺ)の記念出版『塀の中のジャンヌ・ダルク』(仮)の編集作業に追われ中断していましたが、決して忘れていたわけではありません。それらが一段落した今、リンチ本第6弾の編集作業を再開いたします。

◆阿久沢記者と趙博の責任は大きい!

朝日新聞・阿久沢悦子記者が書いた記事の署名が私の足を踏んでしまったようで、くだんのM君リンチ事件を思い出してしまいました。

阿久沢記者がM君に引き合わせた趙博の裏切りは、私たちが本件に関わり出して、わずか2カ月ほどの時点で起きました。関わり始めてすぐだったのでショックでした。私の人生で、人に裏切られたことは少なからずありましたが、こういう裏切りはありません。

趙博と私たちが大阪・堂山の居酒屋で会談を持った直後に『週刊実話』の記事が出て、しばき隊メンバーらからの激しい攻撃に『実話』は謝罪と記事撤回に追い込まれた事件がありましたので、このことも何らか作用しているのかもしれません。この頃のしばき隊/カウンターの勢いは凄まじかったようです。趙博も、まさかこれに怖気づいたわけではないでしょうが……。

阿久沢記者と趙博の責任は大きいと言わざるをえません。(文中敬称略)

『ヘイトと暴力の連鎖』(P74-P75)より

『ヘイトと暴力の連鎖』(P76-P77)より

『ヘイトと暴力の連鎖』(P78-P79)より

『カウンターと暴力の病理』(P100-P101)より

『カウンターと暴力の病理』(P100-P101)より

『カウンターと暴力の病理』(P104-P105)より

『カウンターと暴力の病理』(P106と表紙)より

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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去る4月18日朝日新聞夕刊に三里塚に住む女性・石井紀子さんの追悼記事が掲載されました。訃報記事をすべて目を通しているわけではありませんが、三里塚については、私の闘いの出発点の一つでもありますので、どうしても読んでしまいます。石井さんは私より一歳下の1952年生まれ、1971年法政大学に入学されました。70年安保闘争や学園闘争の波が引いた時期に大学に入った私たちの世代の大きな政治課題は三里塚闘争(第一次―第二次強制収容阻止闘争)と沖縄闘争(返還協定調印-批准阻止闘争)でした。

私が三里塚に関わり始めた1971年、天王山だった第二次強制収容阻止闘争を闘い、かの機動隊3人が亡くなった9・16にも現地にいました。その後、諸事情で三里塚を離れながらも、遠くから熱い眼差しで見てきました。こうしたことは、この「通信」でもたびたび述べています(最近では2月4日、同8日付け)。

聞くところによれば、石井さんは法政のノンセクトで学生運動に関わり、彼女が本格的に三里塚に入ったのはその後ということです。関西にいる私たちは、首都圏で集会やデモをやる時には法政大学のグループと連携することもたびたびありました。実際、法大に泊まらせてもらったこともありました(そこでバッタリ高校の同級生のHM君に会ったのを思い出します)。ノンセクトは組織動員できる党派と違い、どこもさほど人数も多くなく、一緒に部隊を組んだこともありました。三里塚で結婚し子どもを生み育て、土地に根づいて生きるということは、よほどの決意がなければできることではありません。時々報道されていましたので、知ってはいました。

記事の内容は石井さんの生き様について淡々と記述し、これ自体は特に問題ありません。熱っぽいものを感じる筆致ではありませんが……。三里塚を自らの生きた軌跡と重ね合わせる私と、取材対象としか見ない新聞記者との決定的な違いがあるように思います。まずは、三里塚の土地で生涯を全うされた石井紀子さんに頭(こうべ)を垂れて合掌。

朝日新聞4月18日夕刊

◆「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)で蠢いた阿久沢悦子記者の名を発見!

……とっ、記事の末尾に「阿久沢悦子」の署名が目に入りました。

去る4月1日の湖東記念病院冤罪事件の記事に、15年前の私の「名誉毀損」逮捕事件の官製スクープ記事を書いた平賀拓哉記者の名がありましたが、今度はリンチ事件に関係しつつも私たちの取材からひたすら逃げている記者の名があるとは……因果なものです。

このかん私たちはプリズン・コンサート500回を達成したPaix2(ぺぺ)の記念本編集作業に追われ、リンチ本続刊の作業が止まっていましたが、ようやくすべての原稿がそろい整理済みDTPに回しましたので、GW明けからはリンチ本第6弾の準備に取り掛かろうと思っていた矢先です。具体的には手の内は明かせませんが、今回も“隠し玉”があります。「弾はまだ残っとるぞ」ってなもんです。

◆リンチ被害者M君やわれわれを裏切った趙博を紹介

阿久沢悦子記者は、平賀拓哉記者同様、朝日新聞大阪本社社会部所属、リンチ事件で蠢動した時は、かの阪神支局に勤務していました。平賀記者はあたかも私たちの出版を理解しているかのように近づきましたが、阿久沢記者も、あたかも味方であるかのようにM君に接触し、M君もまだ私たちと知り合う前で孤立を強いられていた時期でしたので、藁をも掴む想いで阿久沢記者に対応したそうです。

また、これも味方のようにM君に近づいた趙博を引き合わせたのも阿久沢記者でした。趙博は言葉巧みにM君から、当時はまだ公になっていなかった多くの資料を入手しています。その後、急に掌を返したことはすでにリンチ本でも2度、記述し弾劾しています(第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』の「『浪速の歌う巨人』趙博の裏切り」、第4弾『カウンターと暴力の病理』の「われわれを裏切った“浪速の歌うユダ”趙博に気をつけろ!」参照)。資料を返却もしていません。まさにS(スパイ)行為です。趙博は、多くの運動に顔を出したり近づいていますが、用心されたほうがいいでしょう。直接掌を返されたM君や私たちが言うのですから間違いありません。趙博よ、恥を知れ!

◆われわれの取材から逃げ回る阿久沢記者

阿久沢記者には、本を出すたびにその本を付けて何度も質問状(あるいは取材依頼)を行い、遂には電話取材も行いましたが、拒否されました。リンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』に報告していますので、ぜひご一読ください。

『真実と暴力の隠蔽』文中の阿久沢記者電話取材の様子

『真実と暴力の隠蔽』同上 続き

阿久沢記者について、彼女をよく知る関係者が証言してくれました。──

「阿久沢さんはいろいろとトラブルメーカーでかねてから会社から睨まれていました。阿久沢さんが引き起こしたトラブルは具体的には、2012年、当時の夫の不倫相手が阿久沢さんの職場まで直談判に来たこと(当時阿久沢さんは大阪本社社会部)。

橋下徹へ喧嘩を打ったツイッター

同じ年に阿久沢さんはTwitterで橋下徹大阪市長(当時)を誹謗中傷して逆襲され(会社に正式に抗議が来たそうです)謝罪、休職に追い込まれたこと。復職後、大阪本社社会部から阪神支局に転勤になりました。2017年、韓国に行って慰安婦像に『朝日新聞、阿久沢悦子』の名前で『謝罪文』をあちらに残してきたことが、いわゆる『ネット右翼』に見つかり騒ぎになったこと。この後阿久沢さんは静岡総局に転勤になりました」

かの橋下徹に喧嘩売るとは凄い! しかし、さすがに橋下、「ふざけんな出てこいとはどういうことですか? 記者ってそんなに偉いんですか?」といなされ、あえなく撃沈するとは、ヘタレやね。「朝日」の看板をバックにすれば、何も怖くないと勘違いされたのでしょうか!? 橋下徹のような稀代の三百代言を駆使する権力者に喧嘩売る時は、思いつきではなく全知全能、全身全霊、性根を入れてやらないと対峙できません。

◆因果はめぐるのか──

以前のこの「通信」でも記述しましたが、71年当時「全京都学生連合会」を結成し共闘、共に三里塚に現闘小屋を設置し活動していた京大「C(教養部)戦線」というグループにM君の父親がいました。これもなにかの因縁です。因果はめぐるのか──。

それはともかく、「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)に対して、なぜか朝日新聞は、メディアの責任を忘れ、頑なに取材を拒否してきました。もちろん報道もしません。まずは阿久沢さん、あなたの言葉を借りれば、「人間として怒りが抑えられません。ふざけんな。出て来い!」と言いたいですね。

さらにもう一つ申し述べておきたいと思います。阿久沢記者のFBでの石井紀子さん訃報記事について「いいね!」している人が多くいます。私の知っている方の名も少なからず目にしました。皆さんは、阿久沢記者のリンチ事件に対する、決して真摯とは言えない態度を知った上でのことでしょうか? 表面上の美辞麗句に騙されてはいけません。喝!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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会場には、若き頃と最近の佐野さんの遺影が掲げられた

佐野茂樹という古い伝説的な革命家が亡くなり、偲ぶ会(3月22日)に出席してきました。会場は京都・キエフで、ここは歌手・加藤登紀子さんの実家が経営され、今はお兄さんが社長です。

登紀子さんのお連れ合いは、ご存知、藤本敏夫(元反帝全学連委員長)さんで、寮(同志社大学此春〔ししゅん〕寮)の大先輩です。この方も伝説的な方です(蛇足ながら、藤本さんはここ甲子園出身で、鳴尾高校から同志社の新聞学専攻に進まれました。この界隈出身の著名人としては、芦田愛菜、あいみょんらがいます。そうそう、私に手錠を掛けた神戸地検の宮本健志検事もこのあたりの出身)。

久し振りに本宅的なロシア料理を味わった

キエフは、寮関係の集まりや、同志社関係の集まりにもよく使われてきました。私のいた寮の学生も、藤本さんや、藤本さんの片腕で店長を務めていた寮の先輩の村上正和さんの縁で、よくアルバイトしていました。

佐野さんは、60年安保闘争で国会前で亡くなった樺(かんば)美智子さんと、神戸高校の同級生とのこと、佐野さんは京大、樺さんは東大(1浪して1957年入学)ですが、共に新左翼の始まりといわれる「ブント」を起ち上げたメンバーです。

1956年に京大入学ということで、すぐに学生運動に飛び込み、60年安保闘争の際の全学連主流派、これを支えたブントの幹部として歴史的な闘いの先頭に立ちます。佐野さんは58年には全学連副委員長に就き、樺さんは東大文学部学友会副委員長という要職にありました。

佐野さんの著書『帝国主義を攻囲せよ!』

樺さんが佐野さんに淡い恋心を抱いていたということは、当時のブントのトップ・島成郎(故人。精神科医。沖縄に渡り離島医療の先駆け)さんの著書にも記され、“公然の秘密”のようでした。この世代の方々が、ずいぶん出席されていました。

その後、ブント再建(第2次ブント)で議長に就任、60年代後半の学園闘争、70年安保―沖縄闘争を指導しました。

第2次ブントは、70年を前に分裂するのですが、京都では、同志社、京大を中心に、いわば“赤ヘルノンセクト”の学生運動は健在で、私たち同志社大学全学闘は京大C戦線(レーニン研。70年末に結成)と共闘し、「全京都学生連合会」(京学連)の旗の下、70年代初頭の沖縄―三里塚―学費闘争を闘いました。

数としては同大8、京大1、その他1という按配でした。人数としては同大が圧倒的に多かったのですが、京大は、まさに少数精鋭で、リーダーの吉国恒夫(故人。専修大学教授)さん、行動隊長にしてオルガナイザーの片岡卓三(現在医者)さんを中心に、理論的にも他の追随を許しませんでした。同大には卓越した理論家はいなくて(苦笑)、C戦線の機関誌から“密輸入”したりしていました。

同じく『佐藤政府を倒せ!』

吉国さんは、矢谷暢一郎さんと共に68年御堂筋突破デモを指導し共に逮捕・起訴されています(当時裁判官として、この判決文〔かなりの寛刑!〕を書かれた方で現在弁護士のA先生が、今、カウンターメンバーとの裁判で当社の代理人として神原元弁護士と一戦を交えています)。

このC戦線をバックで支えたのが佐野さんで、C戦線こそがブント解体後の学生運動や革命運動の未来を担うと考えられていた、と思います。吉国さんや片岡さん、他のメンバーらと交流し私もそう感じました。『帝国主義を攻囲せよ!』とか『佐藤政府を倒せ!』など佐野さんの著書やパンフレットも一知半解ながら熟読しました。

ところで、この通信をご覧の方には馴染み深い「カウンター大学院生リンチ事件」の被害者M君の父親がC戦線の当時のメンバーだということをM君から聞いていたのですが、複数の証言を得ることはできませんでしたので、確証がありませんでした。

その集会の呼びかけ人を務められた片岡卓三さんの号令一下、当時のC戦線のメンバーが数多く出席されていました。大体私と同じ70年入学でした。

樺美智子さんの遺稿集『人知れず微笑えまん』(三一新書)。われわれの世代の必読書だった

彼らにたずねると、みなさんM君の父親をご存知でした。「私たちはリンチされた息子の救済と支援活動をやって来た」と言うと、みなさん驚いていました。

C戦線(レーニン研)は、毛派(中国派)のグループと合体し全国党派を目指しマルクス主義青年同盟(マル青同)を結成しますが、これはあえなく崩壊します。片岡さんらは、この過程で離脱し、結成後すぐに内部抗争が起き、トップの吉国さんは「死刑宣告」を受け放逐されます(彼はその後、矢谷さん同様日本を離れ、アメリカ西海岸やジンバブエの大学に入学し、日本のジンバブエ研究の第一人者になります)。

他のメンバーも離脱し、各々の人生を歩み始めます。しかし、そこは“腐っても京大”、私たちと一緒に同大学費決戦で逮捕・起訴され、一念発起して一級建築士になったB君同様、弁護士になったりしています。組織が解体して司法試験を目指したCさんは、たった1科目しか取得しておらず再入学し30歳になって司法試験に合格、今は弁護士になっておられます。

また、もう一人のD弁護士は、15年前の私の逮捕事件で「憲法21条に則った、公正で慎重な審理を求める署名」に賛同人として署名をしてくれていました。あらためてお礼を申し上げました。

それにしても、まさか私たちが支援したリンチ被害者M君の父親が、学生時代に共闘していたとはビックリ仰天でした!

60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(1/3)

60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(2/3)

60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(3/3)

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

1970年代初頭の京都の学生運動を記録した『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

 

リンチ直後の被害者大学院生M君

松岡 ご苦労様です。われわれが「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、巷間では「しばき隊リンチ事件」と呼ばれる、大学院生M君に対するリンチ事件で、ようやく確定判決で認められた賠償金が、金良平氏の代理人に就任した神原元弁護士からM君の代理人大川弁護士に振り込まれました。当初の代理人は別の弁護士でしたが、今年になり、なぜか代理人が交替しましたけど、まずはこの事件の一つの区切りといえるでしょうから、きょうは皆さんの意見や感想も聞かせてください。

A  ともかく、お疲れさまでした、が正直なところですわ。判決内容はともかく賠償金が支払われへんのちゃうか、って本気で心配しよりましたよってに。

B  難しいですよね。これで法的には一応終わったわけですよね? 私は本質的なところでは何も終わってはいないと思っていますが……。

C  M君の事件はね。でも鹿砦社は対李信恵第2訴訟(李信恵氏が原告となった進行中の裁判、第1訴訟は鹿砦社が原告、李信恵氏が被告で既に鹿砦社の勝訴が確定。第2訴訟は第1訴訟の反訴として提起されたが、取り下げ、あらためて別訴として提訴された)と、対藤井正美訴訟を抱えているから、終わりとはいえないよ。

D  長かったですよね。誰が管理してるのか知らないけど「支援会」の活動には頭が下がりました。

松岡 支援会は私が責任を持つ形で、少人数で運営しています。口座は既に閉鎖しましたので、遠からず会計報告ができるでしょう。

B  結局「支援会」のメンバーは最後まで僕らにも秘密でしたね。

松岡 秘密主義じゃないですよ。最低限の人数で動かしただけです。お金が絡む問題でもあり、口座は大川弁護士に管理していただいていたことをTwitterでも公表していました。いまだに会計報告をしないで少なからずの方々から首を傾げられている、どこぞの支援会と違い、私たちは1円のお金も飲食には使っていませんし、厳密に管理してきました。また、鹿砦社はM君裁判とは別に、李信恵氏や藤井正美らと訴訟を行っていますが、こちらにはもちろんですが、1円も使っていません。鹿砦社関係は鹿砦社の資金から裁判費用を出しています。

リンチ直後に出された金良平(エル金)[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

C  これまで5冊だったっけ? この事件に関して出した本。最後にまとめみたいなことは必要だと思うな。

松岡 そうですね。今は緊急出版をいくつか抱えてきましたので後手になりましたが、早い時期に取り掛かりたいところです。

A  何年になるんやろ? まだ最初の頃、僕30歳やったもん。

B  もうすぐ4年やね。Aは突撃で下手ばかり打ってた(笑)。

A  そんなん、いきなり「国会議員Aのコメントとって来い!」言われても、東京の地理も知らん大阪人にできるもんちゃいますよ。

C  30歳超えてなにを甘っちょろいこと言ってるんだ!って怒ったよな、俺。

B  新聞や出版の経験があるのにね。たしかにAの詰めはいまだに甘いわ。

A  ……。

D  結局、僕らが問いたかったことが世の中に訴求したかどうか、その点は気になりますね。

C  最後はいつもそこで頭悩ますよね。でも、事実関係は確実でどこのマスコミも切り込まないアングルを維持したから、それは重要なことだったと思うね。おそらく、われわれがやらなかったら闇に葬られていたんじゃないかな。だってそうだろう、われわれが知ったのは事件から1年余り経っていたからね。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

B  そうですよね。不思議なのは後追いがまったくなかったことですね。世間で「リベラル」と言われている人で応援してくれた人といえば……?

A  元読売新聞記者の山口正紀さんくらい違います? あとは黒藪哲哉さんくらいやろか? 先頃亡くなった、『週刊金曜日』発行人だった北村肇さんら、ほんの一握りの方々ですよね。山口さんにしろ黒藪さんにしろ、当初はご存知なく、関心持たれたのは、われわれが資料を添えて説明してからですよね。『週刊金曜日』内部ではささやかれていて、北村さんは少しご存知のようでしたが、事件が起きた大阪と、遠く離れている東京では、事件に対するスタンスも温度差があって、われわれが事件を知って深刻になったのとはまた違う感じだったようです。

D  逆に想定外の「義絶」が相次ぎました。

C  そうそう。田所さんの「辛淑玉への決別」(田所敏夫「辛淑玉さんへの決別状」)にはじまり、社長の鈴木邦男への義絶(松岡利康「【公開書簡】鈴木邦男さんへの手紙」)へと。

A  社長の鈴木さんとの仲違いは、業界では話題になりました。

C  ちゃんと言葉をつかえ!「仲違い」じゃない!「義絶」だ、A!

A  あっ、すいません。

B  相変わらず詰め甘いな。

D  「踏み絵を踏ますな」という人もいたけど、そうじゃなかったですよね。「これ見てどうも思いませんか?」が僕らの原点。

松岡 最初に事件直後のM君の写真を見た時、単純に「これは酷い」と思いました。これが私の出発点でした。すぐに田所さんに連絡し、「これは黙っていたらアカン」と一致しました。まさか、こんなにたくさんのライターさんにお世話になって、5冊も出版することになろうとは思いませんでした。

B  社長を動かしてる動機ってなんなんでしょうか?

松岡 今も言ったように「これは酷いな」という単純なことですよ。もう少し込み入った事情もないわけではありませんが、そのあたりに興味のある人は『一九六九年 混沌と狂騒の時代』を読んでください。

A  読みました。ベトナム戦争で死んだアメリカ兵の死体洗いの話、びっくりでしたわ。

松岡 Aさんは私の原稿も読んでくれましたか?

A  はぁ。読んだんですけど、ちょっと難しくて……。

C  しっかりしろよ!

松岡 私は学生運動や社会運動内部で繰り返されてきた暴力の問題、いわゆる内ゲバやね。それを長年考えてきていて、かつて作家の高橋和巳先生らが警鐘を鳴らしたのに軽視され、多くの犠牲者を出しました。「まだこんなことやってるんだ!」という義憤もあったね。いわゆる内ゲバでは、私の行った大学では2人亡くなっていますし、亡くなりはしませんでしたが、あるノーベル賞作家の甥っ子の先輩が、一時意識不明になったり。なによりも私も「ゲバ民」と言われた共産党の集団に襲撃され病院送りになったことなどが悪夢のように甦ってきたりしてね。『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の後のほうに掲載している長文の拙稿(草稿)は、そうしたことについて、私なりに考え、書き連ねたわけです。

B  ともかく最後にまとめの、もう一本出すということですね。

D  新たな取材予定があるんだったら、社長早めにお願いします。

松岡 それは秘密です。

一同  えっ! まだあるんですか!

松岡 当たり前じゃないか。冒頭に述べたように、賠償金が払われ訴訟実務としては終結しただけで、本質的な問題は、まだ何も終わっていないんでね。特に、普段は元気がいいのに、この事件について質問したり取材すると、沈黙したり逃げたり開き直ったり隠蔽に加担したり豹変したり……「人間としてどうなの?」と言わざるをえない、いわゆる「知識人」の狡さに対しては徹底的に追及、弾劾しなくてはなりません。私のことを「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」と侮辱した徒輩がいましたが、「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」にも意地がありまっせ!

D  社長、若手使ってくださいね。俺もうフットワーク効かないし。

松岡 心配しないでください。無理は言いますから(笑)。この件だけでなく数々の直撃取材を成功させたHT君のような根性が欲しいよね。

B  これだから鹿砦社は……。

C  そうそう、忘れないように。M君から取材班にも「くれぐれもよろしく」ってメッセージありましたよね。

C  M君もこれを区切りに新しい未来を切り開いてほしいね。

B  きっといいことありますよ。

松岡 そう思います。自分で言うのも僭越ですが、何度も地獄に落とされたながらも浮上した私のように、人生、悪いことばかりではなく、きっと良いことがあるよ。M君も、国立大学の博士課程まで進んだ秀才だし、研究課題も、日本では珍しい分野なので、彼が必要とされることがきっと来ると私は信じています。アントニオ猪木じゃないけど、「苦しみの中から立ち上がれ!」と言いたいね。皆さん、あと少しよろしくお願いします。

A  社長、次あるんだったら、ちょっと前借りできまへんやろか?

松岡 それではAさんにはもうお願いしません。

A  キツー。

B  Aよ、HT君のように前借りできるくらいに仕事しろよ。

A  あっ忘れとった。こんなんあるんですけど。

C  お前なんで今まで出さなかったんだ! これ超ド級の資料じゃないか!

B  おいおい! また大騒ぎだぞ!

松岡 これはびっくりしました。使えますね。

(鹿砦社特別取材班)

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《6月12日、リンチ被害者M君が5名を訴えた上告について、却下の連絡が代理人の大川伸郎弁護士へあった。賠償を命じられた李普鉉氏からは「賠償金を支払いたいので口座を教えてくれ」と代理人から連絡があった。一方金良平からは何の連絡もないので、大川弁護士は金良平の代理人に「賠償金の支払い」を求める旨と、大川弁護士の銀行口座明細を記載したFAXを送付したが、7月2日現在大川弁護士には、金良平の代理人から何の連絡もないという》

上記の文章は本通信に本年8月14日掲載した内容である。その後、「一部40万円余りを払う。残りは分割にしてほしい」と代理人姜永守弁護士を通じて金良平(狼藉が度を超えるので、敬称は用いない)が申し出てきた。身勝手極まりない内容にM君並びに弁護団、支援会は対応を検討したが、金良平の申し出を受け入れ、一部金の支払いを待った。

ところが判決確定から半年たっても、金良平は自身が申し出た「身勝手な」支払い方法すら反故にして、いまだに一円たりともM君に対して支払いを行っていない。この間の経緯についてM君代理人の大川伸郎弁護士に確認したところ、「姜永守弁護士に電話で『支払いはどうなっているのか』と尋ねたところ、申し訳なさそうに『すいません。本人に伝えておきます』と切れ味の悪い回答があっただけです」とのことである。

代理人を通じて「分割払い」を申し出てきたのは繰り返すが、金良平だ。最高裁判所で支払い命令が確定した判決を無視し続ければ、時間を経るにしたがって支払い命令金額に利息が加わり、ますます支払いは困難になろう。

ここへきて、取材班は重大な疑念を抱かざるを得ない。

金良平、ならびに周辺で彼と行動をともにしている関係者は「賠償金を支払う」(金良平に支払わせる)意図がまったくないのではないか。口先ではきれいごとを並べて「人権」だの「反差別」だのといきがっていても、最高裁で確定した判決で命じられた賠償金の支払いすら「無視」しようとしているのではないか。この申し出は姜永守弁護士を通じてM君側に伝えられたのであるから、姜永守弁護士にも責任はある。このような事態を予測して、M君、弁護団、支援会は「姜永守弁護士が連帯保証人に就任する」ことを条件として求めたが、姜永守弁護士はそれを受け入れなかった。

リンチ直後に出された金良平(エル金)[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

 

辛淑玉氏による2015年1月27日付け文書「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」(1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

無責任で済む問題であろうか。M君が被害回復を求めた裁判に際しては、「M君の裁判を支援する会」に多くのかたがたからの支援(カンパ)が寄せられ、M君は裁判を闘い抜くことができた。しかし金良平がこのまま110万円を超える賠償金を踏み倒せば、M君は李普鉉氏から受け取った2万円に満たないお金しか受け取ることができなくなる。

冗談ではない!

彼らの悪質さはこれまでことあるごとに批判してきたが、あれだけの重傷を負わせた被害者に対して「賠償金を踏み倒す」?

これまで取材班は事実を紹介しながら、論評を行ってきたが、金良平と彼の取り巻きが取っている態度は、断じて許されるものではない。判決違反は不法行為と同義であるが「払う金がない」と金良平を逃げ切らせるつもりなのだろう。

こういった非道な行為を前田朗東京造形大学教授はどう評するであろうか?

彼はこの事件につきカメレオン的に、態度を変えた人物であるが、『救援』紙上で公式な見解を開陳した人物である。ことの成り行きについて今どう考えるのかを述べる道義的責任があろう。そして「リンチはなかった」、「あれは喧嘩だった」と散々嘘デタラメを吹聴した中沢けいや、本来関係ないのに横車を入れてきた香山リカ。終始加害者擁護にて徹した安田浩一らは、この事態をどう考えるのだ。

さらに許しがたいのは弁護士神原元の発信だ。この男はこれまで幾度も印象操作や、虚構の発信を続けてきたが、「しばき隊がリンチ事件を起こしたというのは虚偽の風説です」。この書き込みこそ「完全な虚偽の風説流布」ではないか。

神原弁護士のツイッターより

神原は「M君リンチ事件」の刑事記録を見ているだろうが! 罰金が課されたのは李普鉉と金良平の2名ではないか。そこに同席した李信恵に処分はくだらなかったが、上記3名はM君に謝罪文を書いているのはなぜだ? なにも問題がなかったらどうして謝罪文を書く必要があったのだ。

M君リンチ事件の賠償金を払わない金良平

さらに「現在、別途、名誉毀損訴訟が進行中です」との記載は鹿砦社が李信恵を提訴し、勝訴が確定した名誉毀損裁判に対する、反訴が認められず提訴に踏み切った李信恵原告、鹿砦社被告の裁判を示しているのかもしれないが、この係争では、鹿砦社が原告の訴訟で既に鹿砦社勝訴判決が確定していることを(神原がこのような印象操作をまだ続けているので)再度強く強調しておかなければならない。

取材を進める途中から取材班は、この事件の加害者及びその関係者の「悪質性」を認識していた。よって、このような異常事態も「連中」ならやりかねないだろうとも認識する。しかし、司法の判断も「無視」して被害者への賠償を「踏み倒す」連中を座視しているわけにはゆかない。このような行為が横行すれば「司法」の権威は失墜し、被害者は泣き寝入りするしかなくなってしまう。

そういった勢力をわれわれは、放置するつもりはない。


◎[参考動画]日本第一党 第七回神奈川県本部 川崎駅前東口街頭演説活動 2019年10月19日

(鹿砦社特別取材班)

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