事の発端はパククネ(朴槿恵)大統領の「親友」とされるチェスンシル(崔順実)氏にまつわる国政介入疑惑だった。JTBCという韓国の放送局が、大統領の演説草稿などの機密資料がチェスンシル氏に渡っていたことを報道。翌日、パククネ大統領は資料提供を認めて公式に謝罪した。
◆チェスンシルゲートと財閥支配への憤り
その後の調査やマスコミの報道で、その恐るべき実態が次々と露わになった。チェスンシル氏や前首席秘書官らは逮捕・起訴されている他、チェスンシル氏の娘の名門大学への裏口入学疑惑や、姪のスポーツ選手育成センターの資金横領疑惑での逮捕など、逮捕者が相次いでいる。一連の騒動は、アメリカのリチャード・ニクソン大統領が辞任するきっかけとなった「ウォーターゲート事件」にちなみ「チェスンシルゲート事件」と韓国国内では呼ばれている。
さらに特筆すべきは、チェ母娘がドイツに設立したスポーツコンサルティング会社に、韓国最大の企業のひとつであるサムスンが不正に資金提供したとして、サムスン電子など9か所に家宅捜索が入ったことだ。韓国の人々の怒りと疑念の矛先は、私人が国政に介入したというスキャンダルであるにとどまらず、韓国社会における財閥支配の実態にまで及んでいる。
日本同様、韓国社会も失業や就職難、非正規労働者の増加、過剰競争に苦しめられている。全体の失業率は今年の10月の時点で3.4% 、若者に限って言えば、およそ10人に1人は失業しているような有様だ。また、非正規労働者の数は、全労働者の半数に及ぶ。多くの若者にとって、韓国の未来は明るくない。こうした韓国社会の行き詰まりが、チェスンシルゲート事件をきっかけに人々を街頭に向かわせたのだ。
◆1503団体126万人超の11月12日集会
そして、11月12日、ソウル市内は同市の発表で126万人以上もの群衆に埋め尽くされた。毎年この時期には韓国最大の労組ナショナルセンターである民主労総(民主労働組合総連盟)の集会が行われていて、昨年の11月には光化門前でデモに参加したぺク・ナムギという名前の農民が警察によって放たれた高圧放水を受けて殺されている(2016年9月25日に死亡)が、この日の集会は1503の団体で取り組まれ、歴代最大規模だという。
まず、集会にあらゆる階層や世代が集まっていることに驚く。老人たちが険しい顔つきで座り込んでいるかと思えば、中学生や高校生と思しき若者達も繁華街に遊びに行くような恰好でシュプレヒコールを挙げていた。また、韓国の活動家に話を聞いたところ、この日のために地方からソウルに現地入りし、一泊してから集会に参加している人々も大勢いたらしい。
集会やデモの迫力にも圧倒された。ソウル市内にはメインステージの広場の他にも、数か所に巨大スクリーンとクレーンでつるされたスピーカーが配置されて集会の同時中継が行われていて、集会は集会参加者の発言やシュプレヒコールのみならず、歌や踊り、ウェーブ、映像などを交えて進行していく。演説に猛々しい音楽をかぶせたり、短いシュプレヒコールを何度も力強く繰り返す様からは、民衆の怒りと統一感がひしひしと伝わってくる。
◆参加者の多さに困惑する警察
時間が経つにつれて参加者はどんどん多くなっていき、足の踏み場もないほどになった。夕方に集会が終了した後は、大統領官邸の青瓦台に向かってデモ行進を行ったが、あまりにも参加者が多いため、出発にかなりの時間を要した。日も暮れて暗くなってくると、紙コップにアイスの棒のようなものを刺したキャンドルを持って歩く人々が増えてきた(なかにはちゃっかり商売としてキャンドルを売る露店もあった)。各所で自然発生的にシュプレヒコールや歌が歌われていて、ソウル中心部一帯は一層解放区の相を呈していく。もちろん、車道も人で一杯になっていた。
夜になり、デモ隊が青瓦台の付近まで迫ると、警察が配置した大量の警備車両と遮蔽壁に阻まれたが、最前線では主に若者たちが壁をよじ登って何度も突破を試みる。集会からしてそうだったが、警察官や機動隊員の姿が数人しか見られないのが印象に残っている。
先述したように、これだけデモ参加者が多いと、さすがに警察も困惑していて、容易には手出しできないようだった。日付が変わっても、参加者の多くは帰ろうとせず、韓国では著名なバンドによる支援ライブや、各所でミニ集会が行われていた。
◆19日にも韓国全土で100万以上が結集
その後もパククネ退陣を求める抗議行動は連日全国各地で取り組まれている。今週の19日には再び大規模な抗議集会が呼びかけられ、韓国全土で100万以上が結集した。なかには日本のセンター試験にあたる修学能力を終えてデモにやって来た高校生たちも大勢いたという。
民主労総は「パククネが辞任しなければゼネストを決行する」と宣言しているが、パククネは一切応じようとはしていない。この先もまだまだ攻防が続きそうだ。
(井田 敬)