◆大阪高裁が下した判決の意味

「本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜しながら、金(注:良平)によるM(注:判決では実名。以下同)に対する暴行については、これを容認していたという道義的責任は免れない性質のものである。」

「被控訴人の本件傷害事件当時における言動は、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不思議ではない」。

2014年12月17日深夜、カウンター内で発生したM君リンチ事件について、鹿砦社と李信恵さんが争っていた裁判で、7月27日、大阪高裁が下した判決の抜粋である。被控訴人とされているのが李信恵さんだ。

大阪高裁は、李さんが、M君が凄惨なリンチを加えられている事実を知りながら見て見ぬふりし、挙句負傷するM君の横を素通りし放置したことを、「道義的責任は免れない」「道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不思議ではない」と認定した。

私は、この事件に関心をもち、裁判を傍聴し続けてきた。事件、裁判の経緯などを詳細に記録した鹿砦社発行の、いわゆるリンチ本第6弾『暴力・暴言型社会運動の終焉』には、私からお願いして寄稿させて頂いた。(同書はぜひ読んでいただきたい)。3・11以降、私自身、少なからず関わってきた反原発運動と、このリンチ事件がどう関係するのかを考えたからだ。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原元弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

◆「被ばく」問題を極力軽視する反原連のミサオ・レッドウルフ氏の言動

 

ミサオ・レッドウルフ氏(2015年8月10日鹿児島)

3・11以降、関東を中心に始まった「首都圏反原発連合」(以下、反原連)の運動は、またたくまに全国に波及した。反原連が掲げた「再稼働反対」は、事故後全国の原発が停止する中、2013年、事故後初めて福井県の大飯原発が再稼働するにあたり、喫緊の課題ではあった。

運動が高揚し、警察の弾圧も強まり、関西では関電前では、刑事がわざと活動家の前で転ぶ「転び公妨」で逮捕者がでた。私は初めて店を閉め、関電前に向かった。そこで見たのは、警察の暴挙に抗議する一団とは別に、関電ビルに向かって、ひたすら「再稼働反対」を叫ぶ一団だった。彼らが反原連の関係者と知り、疑問を持った私は、ネットなどの情報から、彼らの運動内では組合旗や党派旗はNGで、日の丸はOKだとか、運動が盛り上がると、いきなり主催者が「解散」と宣言するとか、警官らに「ありがとう」とお礼を言うことなどを知った。「反原連とは何者?」と、ますます疑問が強まった。

そのうち反原連のメンバーが、関東で反原発、被災者支援を行う仲間に嫌がらせを行う様子をネットで見たり、また別の反原連メンバーが、反原発を闘う男性に、丸二日かけて、ツイートを削除しろと迫った場面も見たりした。そこからは、彼らの、放射能由来の被ばくについて、軽視、あるいは否定する傾向が見えてきた。

驚いたのは、反原連の代表であるミサオ・レッドウルフ氏だ。当時、鹿砦社は、反原連に結構なカンパを提供していたこともあり、同社発行の反原発雑誌『NO NUKES voice』にミサオ氏のロングインタビューが掲載されたことがあった。ミサオ氏はそこで「被ばく」の「ひ」の字を一度も使わず、反原発を語っていた。被ばくを口にせず、反原発を語れるとは……ある意味すごい「芸当」の持ち主だ。

事故から10年経た今、小児性甲状腺がんだけでなく、大人たちにも様々な放射能由来の被ばくによる健康被害、疾患が増えている。「再稼働反対」も「さよなら原発」も重要だが、実質再稼働を許してしまっている今、喫緊の課題は、これ以上無用な被ばくを許すな、ではないか。『NO NUKES voice』26号で行った小出裕章氏、水戸喜世子氏、樋口英明氏の鼎談でも、最新号(9月9日発売予定の29号)の井戸謙一弁護士のインタビューでも、そのことが確認されている。

◆反原発・反被ばくを闘う人々に執拗に絡み、攻撃する野間易通氏らのカウンター行動

 

野間易通氏

2013年春から、関西で始まったカウンター行動に、当初、私も数回参加した。その後、関東から助っ人として駆けつけたメンバーを見て、私は参加をやめた。そこには、関東で反原発、反被ばくを闘う知人に、執拗に絡み、攻撃していた反原連の野間易通氏らがいたからだ。カウンター行動も早晩、彼らに利用され、潰されることは、容易に想像できた。まさか、内部でリンチ事件が発生するとは思いもよらなかったが……。

2014年4月、民族派のデモが中止になったことがあった。デモに来る途中、民族派のメンバーが、野間氏らカウンターメンバーらに待ち伏せされ喧嘩となり、警察に拘束され、結果、デモは中止になったようだ。待機していた人たちが「やった!」と喜ぶ姿がネットに上がった。ヘイトスピーチをまき散らす連中のデモは確かに許せないが、それを力づくで止めたことが「勝った」ことなのか?

一基の原発の廃炉が決まっても、その後何十年、一定の確率で被ばく死する被ばく労働に就かざるを得ない労働者が存在する事実、何百年のスパンで被ばくによる健康被害に苦しむ人たちがいる事実が消せないのは、ヘイトスピーチを力づくで封じ込めても、ヘイトスピーチやヘイトクライムがなくならないのと同じではないか。

社会の末端の労働者に一定の確率で確実に被ばく死する労働を強いることを前提として成立する社会構造、様々な社会的弱者を犠牲にして成り立つ社会構造こそが問題にされ、解体されなくてはないのではないか?

◆「ヘイトスピーチ解消法」制定最中に起きたリンチ事件の隠蔽

2016年に「ヘイトスピーチ解消法」が制定されて、今年で5年になる。この法自体が、ヘイトスピーチなどの解消にどれだけ効力をもつか、逆に自らの首を絞めかねない悪法ではないかなどとも指摘されている。しかし、カウンター周辺の弁護士、国会議員、著名人らは、制定に向け躍起になっていた。

その最中に発生したリンチ事件をあの手この手で隠蔽しようとしてきたのは、何が何でも同法を制定させたいからにほかならない。中心的人物の一人・師岡康子弁護士は、支援者にあるメールを送っていた。そこには、「その人(M君)は、今は怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかもしれないが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たち(李信恵氏ら)を権力に売った人、法制化のチャンスを潰した人という、重い批判を背負い続けることになります」などと、およそ弁護士(それも人権派)からぬ表現で告訴を必死で止めさせようととするものだった。

人権派弁護士ならば、えん罪事件をご存知だろうが、例えばえん罪被害者が過去に悪事を働いていても、それはそれとして罪を償うと同時に、疑われたえん罪は晴らさなくてはならない。同様に、師岡氏はじめ神原元弁護士、上瀧浩子弁護士らは、リンチ事件に関わった李氏に反省を求め、その上で在特会との闘いを支援し、差別を解消する法制定へ繋げていけば良かったのだ。運動の人生の先輩たる彼ら、誰ひとり、李氏やリンチ事件の実行犯・金良平氏に「暴力はいけない」「それは差別だ」と助言できなかった。それは彼らを「捨て駒」として利用してきたからだ。執行猶予中の身で辺野古へ向かい、逮捕され、あげく「変死」した男性もいたではないか。

神原元弁護士と師岡康子弁護士

M君の手記によれば、金氏は、カウンターに参加した当初、「自身の無学を恥じて、先輩の凛七星氏に『俺、在日やのに在日の歴史も何も知らんのです。勉強させてください』と本を借りたりしていた」というではないか。何故、周辺の先輩たちは、そんな彼の過激な言動を諫め、「在日として勉強したい」思いを伸ばしてやれなかったのか? それはひとえに、ヘイトスピーチ解消法制定という輝かしい功績(手柄)を手にしたいからではなかったか? 

金氏を擁護するわけではないが、「捨て駒」に汚れ仕事をさせて、自らの手には一滴の血もつけず、のうのうと運動の成功者のようにふるまえる著名人、国会議員、弁護士、そしてその神輿を必死で担ぎ上げてきたメディアこそ、私は許せない。リンチ事件の最大の加害者だ!

◆おわりに

ご存知のように、反原連は今年活動休止を宣言した。理由の一つに寄付金の減少をあげているが、金があろうがなかろうがやめることが出来ないのが、反被ばく、反原発の闘いだ。

リンチ事件で、李信恵氏に「道義的責任」を問う判決が下されたことと、反原連が休止宣言したことは無関係でないだろう。李氏、反原連がこのような状況に陥った背景には共通点があると考えるが、それはまた別の機会に述べたい。

誰もが矛盾を抱え、間違いを犯す、もちろん私も。ただ、私が誇れるのは、私には批判してくれる仲間がいることだ。

福島第一原発の収束作業で白血病を発症したあらかぶさん。東電と国に対して「俺たちは捨て駒じゃない」と闘い続けている

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

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『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

6月6日大阪市内で開催された「老朽原発うごかすな!大集会IN大阪」には、緊急事態宣言下にも関わらず、1300人もの市民が集まった。6月23日予定される美浜原発3号機(福井県)の再稼働に向けた反撃の布陣が大きな広がりを見せている。関西、福井、そして福島からの参加された市民団体、組合、個人の方々からの熱いアピールが寄せられた。何人かの要約を紹介する。

 

中嶌哲演さん(オール福井反原発連絡会)

◆中嶌哲演さん(オール福井反原発連絡会)

昨年の秋以来国と関電は猛烈な攻勢をかけてきまして、関西から駆けつけられた方々には、その実態を如実に見ていただいたと思っています。地方自治体の行政職は公僕―公の下僕、地元住民の奉仕者でなければいけない。議員たちは有権者、市民の代弁者でなければならないのに、それと全く相反する姿を皆さんはご覧になったわけです。

住民の代弁者よりも、関電と政府の下僕と化した若狭や福井県内の状況、木原さんは我々の運動は住民自治、地方自治を取り戻す運動だと仰ってましたが、まさにその通りです。ご存じのように、関電は株式会社で、15~16%の株を有しているのは大阪市、神戸市、京都市など関西圏の主要自治体です。もちろん80数%はメガバンクや生命保険会社の投資で賄われているなかにあって、京阪神の自治体は少数派かもしれないが否定できない事実です。

そして関電が設置している原発は、小さな若狭の地に11基、977万ワット、わずかな6キロ万ワットしか必要としていない若狭に、それだけの原発が集中しています。その実態を関西の皆さんには改めて考えていただきたい。関西の1450万人の命と、その命の水源である琵琶湖を守ることよりも、大手株主や国を優先している電力会社であることも否定できません。

福島の事故から10年、風化するばかりの状況の中で、既に多くの皆さんが関電から離れていっている。この秋、選挙があり、政権をかえるチャンスが与えられている。現政権がブレーキをかけ続けてきた原発ゼロ法案を審議し、制定させる道がこの秋に切り開かれようとしている。3・11直後の沸き立つような市民運動、世論をもう一度思い起こし、「老朽原発止めろ!原発をゼロに!」という広範な動きを作っていきましょう。

◆山下けいきさん(反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック)

避難計画ですが、現在30キロ圏内の自治体が避難計画を作るということになっています。なぜ避難計画をつくらないとあかんのか、原発のために、なぜ右往左往しなくてはならないか、本当に許せないと考えています。

 

水戸地裁では、この避難計画が出来てないから原発差し止めるという結果になりました。避難計画の概要ですが、30キロ圏内の自治体は避難計画を作るとなっている。県を超えて避難しないといけない。滋賀県は長浜と高島ですが、事故が起きたら大阪に、福井県、京都府は奈良や兵庫など他府県に避難すると計画になっています。

問題は、避難計画は30キロ圏内でいいのかということです。福島県の飯舘村は原発から40~50キロ離れていましたが、放射能汚染で全村避難になりました。アメリカは福島の事故の際80キロ圏内の人たちに避難しろとなった。イギリスは50キロ圏内となった。ですから今の30キロ圏内が妥当かどうか疑問があります。それから現場の負担が非常に大きい。2018年福井県の教育委員会が各学校毎に避難計画を作れと細かな指示をしているが、何故こんなものを学校で作っていかなければいけないのか。

避難する際の問題点ですが、バスの調達など進んでいない。新潟では昨年11月段階で5キロ圏内でも進んでいない。要介護の人たちの避難は今から具体化するという。コロナがあるのでバスの数も避難所の広さも2倍必要となっているが、こんなことは全く想定されない。複合災害が起こることなど考えられていない。なぜ原発があるために、私たちが避難しなくてはならないのか、ここに尽きると思いますので、原発動かしてはならん、ましてや老朽原発動かしてはならんと一緒に頑張っていきたいと思います。

◆和田央子(なかこ)さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)

 

和田央子(なかこ)さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)

私は除染と廃棄物の問題にとりくんでいます。先日環境省が汚染土再利用のためのフォーラムをオンラインで開催しました。大熊町、双葉町にまたがる中間貯蔵施設に搬入される1400万立方メートルもの汚染土を再生資材として全国で活用する、そのための全国民的理解の醸成をはかろうというものです。

パネリストとして登壇された東京大学大学院准教授・開沼博さんは、この汚染土問題について、自分のところは嫌だから、よそへ持って行って欲しいという押しつけあいの問題だというのです。

昨年から環境大臣は汚染土の入った鉢植えを、自身の大臣室に飾っているが、これをもっと広めたいと、つい先日「復興庁にも置いて欲しい」と平沢復興大臣に打診したところ、平沢大臣は「小泉大臣の前向きな取り組みに敬意を表したい」と発言、国会議員からも自分のところにも汚染土の鉢植えを置きたいという申し入れがあったということです。

原発敷地内では核廃棄物の取り扱いは発生者責任のもとに集中管理するという原則に基づき運用されている一方で、原発の外側、つまり私たちの生活圏に於いては、その原則が存在していません。

思い起こせば二本松のゴルフ場による除染訴訟で「無主物」判決がありました。その後、コメ農家らによる農地回復訴訟でも、同じような判決が下されました。東電の責任はないとするものです。このように加害者不在のもとに、汚染土がばらまかれ、汚染水が海洋放出され、被害が拡大し、子供たちの未来を奪っていく。このようなことを止めなければなりません。皆さんとともに歩みを進めていきたいと思います。

◆山﨑圭子さん(3・11後千葉県から滋賀県に移住)

私は、3・11の事故により健康被害が生じ、滋賀県に避難してきました。当時私が住んでいたのは、福島第一原発から205キロ離れた千葉県北西部です。この地域は2011年3月21日の朝、大量の放射性物質を含んだ雨が落下したことにより広大に汚染され、「汚染状況重点調査地域」に該当するホットスポットとなりました。

この地図からもわかるように、原発事故の汚染は福島にとどまらず、東北、関東と広範囲に渡って広がっています。原発に何かあれば福井県のみならず、広域に渡って汚染されます。それはイコール被ばくを強いられるということです。関電の榊原会長、森本社長、稼働している原発を直ちに停止してください。危険極まりない老朽原発の再稼働に反対します。

賛成とか反対とかいうより、そもそも原発はこの世にあってはならないものです。核のごみ、死の灰を出すことでしか動かす原発はいりません。全ての命のために、豊かな大地、命の水瓶を何が何でも守りたい。「豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していくことが国富であり、これを取り戻すことができなくなるのが国富の消失である」という樋口元裁判長の言葉を、今一度かみしめたいと思います」

山﨑圭子さん(3・11後千葉県から滋賀県に移住)

◆「緊急行動に起とう!」と呼びかける木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)

 

木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)

決議にあったように、関電と政府は6月23日に美浜3号機を再稼働させようとしています。断固とした抵抗なくこれを許せば、全国の60年運転へ道を開くこととなり、日本始め全世界の原発の60年運転への口実を与えることにもなります。今、私たちは子々孫々にまで、負の遺産・原発を残すことを許すのか、それとも命の尊厳が大切とされる社会の実現を目指すのか、歴史の岐路に立っているといっても過言ではありません。

「老朽原発動かすな」実行委員会は次の緊急行動を提起します。ご賛同、ご支援、ご参加をお願いいたします。

1つは悪の牙城・関電への抗議行動で、6月11日と18日(共に金曜日)中の島の関電本店前で行います。11日は申し入れも行います。一方、関電が再稼働を画策している23日(水)は、美浜町関電原子力事業本部前及び美浜原発前で抗議行動とデモ行進を行います。当日は大阪、京都、滋賀からバスがでます。以上緊急行動へのご支援と総結集をお願いいたします。老朽原発再稼働阻止を全力で闘い抜きましょう!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

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新型コロナウイルスの感染拡大が収束しないなか、国は老朽原発再稼働に向け、着々と準備を進めてきた。福井県高浜1、2号機、美浜3号機再稼働について、地元美浜町、高浜町は昨年内に同意、今年に入り杉本知事は、それまで議論の前提としていた、関電が使用済み核燃料中間貯蔵候補地を県外に探すとした約束を棚上げし、県議会に再稼働に向けた議論を要請し始めた。

4月6日、政府が、一原発あたり25億円の交付金を提示したことを受け、県議会は23日の臨時議会で、再稼働を求める意見書を可決、再稼働反対や慎重な議論を求める請願59件を不採決とした。再稼働容認の判断を一任された杉本知事は、27日、梶山経産相や森本関電社長らとオンラインで面談、28日再稼働同意を表明するに至った。

関電は、高浜2号機について5月再稼働を目指していたが、コロナ禍の人員不足などで特定重大事故等対処施設の工事が遅れ、動かしても、工事設置期限の6月9日以降停止しなくてはならないため、当面の間再稼働を断念するとした。

一方、設置期限が10月25日の美浜3号機については、6月下旬の再稼働を目指すとして、5月20日燃料棒の装荷が行われることとなった。当日、現地美浜町には関西を中心に50名が集まり、緊急の抗議行動が行われた。

美浜原発へデモ(撮影=Kouji Nakazawa)

美浜町役場前で発言する木原壯林さん

12時より美浜町役場前で始まった抗議集会で、木原壯林さんの発言。

「福島原発事故から10年たちましたが、未だに大勢の人たちが避難したままです。事故炉内部の詳細は未だ不明で、増え続ける汚染水は海に垂れ流されようとしています。原発は人類の手に負えないものでないことは明らかです。その原発が老朽化すれば、どれだけ危険か、よく御存じのことです。その美浜3号機に今日から燃料棒が装荷されます。
 美浜町や福井県はこの間、関電の事業本部長と会談していますが、美浜町の戸嶋町長は、競争入札をしない『特命受注』などの仕事をやるからと頼まれ再稼働に同意しました。
 杉本知事は、国から美浜原発に5年間で25億円の新たな交付金を貰ったと自慢気に再稼働に同意しました。全て金の亡者です。関電はそれよりもっと酷い亡者で、人々の安全・安心を蔑ろにして原発を動かそうとしている。
 3月18日の水戸地裁の判決でも明らかになったように、避難はとうてい無理です。美浜原発から28キロのところに琵琶湖があり、滋賀県、京都府、大阪府、岐阜県などの人たちは避難できないどころか、関西一円の人たちが放射能に汚染される可能性があります。
 今日はそういう意味でなんとしても燃料装荷に抗議し、6月下旬と言われる美浜原発再稼働に向け、反対の声をあげたいと思います。私たちがもし、ここで大きな行動をしなかったら、日本中の原発の60年運転を唯々諾々と許したことになります。
 日本の原発が60年超えて運転されることになれば、韓国もこれに見習うことになります。今日の闘いは、世界の原発を止める非常に重大な闘いであります。今日の闘いを出発にして、6・6大阪大集会を成功させ、なんとしても美浜原発を止めなければならないと考えます。

町内デモ(撮影=Kouji Nakazawa)

中嶌哲演さん

続いて、小浜市明通寺の中嶌哲演さんの発言。

「今朝、6、7時から美浜原発ゲート前で福井の仲間が抗議行動を行ってきました。今日は50名もの皆さんが関西から参加して下さり、本当に心から感謝申し上げたいと思います。
 昨年9月に美浜3号機、高浜1号機の安全対策工事が完了したとたん、国と関西電力は猛烈な攻勢を県議会、県知事にかけてきました。皆さんもつぶさに見ていただいた訳ですが、もう私は若狭、福井県民として憤ろしく悲しく情けなく、本当に恥ずかしい。関西の皆さんも、同じ感情を共有して頂いていると思いますが、しかし私たち若狭の人間にとっては、彼らの姿というのは半世紀前からあまり変わっていない。私には同じ光景をまた見てしまったという既視感があります。それも麻薬患者化している感があります。
 私はこれまで皆さんに『原発マネー・ファシズム』『国内植民地化された若狭』と訴えてきました。そういう抽象的な表現ではなかなかご理解できなかったかもしれませんが、今回の一連の美浜、高浜町議会、県議会、知事の情けない姿を見て頂いて、少しご理解頂いたのではないでしょうか。これは原発マネー・ファシズムに支配された側の姿です。
 きたる6月6日は、その原発マネー・ファシズム、国内植民地化を福井県に押し付けてきた支配者側の人たちに、どう鉄槌を加えていくのかが問われる集会になると思います。
 私たちは町議や県議、知事を恥ずかしく思っていますが、関西一円の皆さんも、関西電力がやっていることを恥ずかしがり、情けないと考え、なんとかこれを糺して頂きたいと思います。何故ならば、関電は株式会社で、筆頭株主は大阪市、第二か第三に神戸市が入っています。京都市はちょっとランク外ですが、そういう単なる純粋な民間企業ではなく、半官半民の株式会社である、その関電と国が二人三脚でこういうことを展開しています。
 そのことを6月6日に、関西の皆さんと認識を共有し、どういう闘いを展開し、最終的に原発ゼロに追い込んでいくかを一緒に考えていきたいと思います。まずその前哨戦として今日の闘いがあります。実行委員会の中でも『若狭の原発を考える会』の皆さんが、本当に地道に活動を重ねて、若狭と関西の架け橋を益々強く大きく作って頂いていることに心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。

美浜町役場(撮影=Kouji Nakazawa)

河本猛・美浜町町議

最後に美浜町町議の河本猛さんの連帯アピール。

「5月17日の全員協議会で関電から再稼働の工程が示されました。原発の安全性を高めるなら、老朽炉にこだわる必要はなく、新型炉の検討をしてもいいと思うんです。しかし、新型炉の検討をすると、美浜原発は活断層にぐるりと囲まれた敦賀半島に立地しているので、新型炉を作ろうとして地質調査などをすると、3次元モデルで地下構造を分析しなければなりません。
 現在は40年以上前の老朽原発が存在しているので3次元モデルで地下構造の分析はしておらず、最新の技術で地下構造を分析すれば、当時わからなかった破砕帯や活断層、地下構造が明らかになる。だから新型炉でやろうとしたら、活断層に囲まれたこの場所では絶対に原発はできません。
 老朽原発より新型の方が安全性は高いに決まっています。そういう議論をしないで老朽原発を動かそうとしている。安全なんて考えていないのです。古くなればなるほど、巨大なエネルギーを制御して運用するコンクリートと鉄の塊は危険になる。重要施設は設備を替えるといいながら、原子炉容器など取り替えができない場所もあるのでつぎはぎだらけの巨大な施設になる。
 安全は何も担保されていない。それなのに言葉だけは『安全・安全』と言って老朽原発を動かそうとしている。それは科学的に間違っていると、私や松下議員は主張し、議会でも再稼働をやめるように訴えています。しかし、町長も議会も原発推進派が多いので地元同意を覆すところまではいきませんが、原発に反対する皆さんの声は、私と松下議員で伝えております。 原発を止める方法はいろいろあると思います。あらゆる手段を講じて原発を止めたい。皆さんとともに一緒にがんばります。」

美浜3号機は6月23日にも再稼働されると報じられている。その前段として、6月6日、若狭の原発の最大の電力消費地・大阪で「老朽原発うごかすな!大集会in大阪」が開催される。多くの皆さんとともに「老朽原発うごかすな!」の声を上げていこう!

6月6日「老朽原発うごかすな!大集会in大阪」開催!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

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4月から10月にかけて、奈良県内8ケ所の会場で、巡回展「先住民族アイヌは、いま」が開催される。4月24日、奈良県人権センターで開会セレモニーが開催され、「平取アイヌ遺骨を考える会」代表の木村二三夫氏の講演、「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」の出原昌志氏の「取り戻したいアイヌの歴史」と称した展示解説などが行われた。

巡回展「先住民族アイヌは、いま」ポスター

巡回展「先住民族アイヌは、いま」の様子

巡回展を開催した「先住民族アイヌのいまを考える会」委員長・淺川肇氏は、昨年2月からこの展示会を企画し立ち上げ、
(1)県内各地で、身近な場所で行うこと、
(2)気軽に立ち寄っていただきたいので無料で行うこと、
(3)アイヌ民族について、私たちはあまりに無知なのでアイヌ目線で行うことを目標に準備を行ってきた。

「世界の先住民族の生存や尊厳、自決に関する権利を規定した『先住民族の権利に関する国際連合宣言』が2007年に採択され、日本も賛成したが、2019年施行された『アイヌ施策推進法』は、アイヌの自決権、土地や領域、資源回復や補償などには触れておらず、国連の宣言とはかけ離れており、アイヌの暮らしと誇りを立て直す内容とはなっていない。私たちはアイヌ民族と日本人(和人)の歴史的関係性やアイヌ民族がおかれている現状をもっと知る必要がある」、「幕藩体制下の支配や、アイヌを日本国民にさせる近代国家の政策などの抑圧や差別に抗してきたアイヌ民族の歴史や、伝統的に継承されてきた文化を紹介する本展示の開催が、アイヌ民族の先住権・自決権を尊重し、アイヌ民族をはじめとする多民族・多文化の共生社会を実現する一助になることを願っています」などと巡回展開催の意義を述べられた。

そんななか、先ごろ、日本テレビの朝の情報番組「スッキリ」で、アイヌ民族を差別する内容の作品が放映された件で、これまで2回の交渉を行ってきた出原昌志氏にお話を伺った。(聞き手・構成=尾崎美代子)

3月12日、「スッキリ」はアイヌ民族の女性をテーマにしたドキュメンタリー作品を紹介したのち、お笑いタレント脳みそ夫が謎かけで、「この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬」というテロップ付き漫画の映像を放映した。これに対して「先住民族アイヌのいまを考える会」は、「部落解放同盟奈良県連合」「奈良ヒューライツ議員団」とともに抗議を行っている。

アイヌ差別発言に抗議する 共同声明(2021年3月28日)

左から木村二三夫さん(「平取アイヌ遺骨を考える会」代表)、出原昌志さん(「取り戻したいアイヌの歴史」「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」)、淺川肇さん(「先住民族アイヌの今を考える会」委員長)

──  差別映像が制作されるまでの経緯を教えてください。
出原 3月12日は「財布(サイフ)の日」の日で、すでに別の台本を作って映像ができていた。だけど脳みそ夫氏から提案があって新たに台本作ってあの映像を制作したという話です。担当ディレクターはそれまで「民族について軽々に扱えない」としていたというので、僕らは「ちょっと今の説明は不可解だ。民族を軽々に扱えないといっていたのに、なぜ脳みそ夫氏が提案したら民族問題を扱うことになったのか?」と追及し、次回は脳みそ夫氏本人がチャランケに出席して説明と謝罪を行うことを要求しています。
 日テレには番組考査部というコンプライアンスや人権問題を扱う部署があるが、そこの代表が、当初、アイヌ民族差別と捉えられずに「アイヌ民族に対する認識が薄かった」と認めており、また、日テレ全体の共通認識として被差別部落問題などはペーパーがあるが、アイヌ民族問題ではなかったこと。結局、アイヌ民族の歴史や人権に無関心であったことです。いまは放送に至る経緯をもっと検証していく段階です。ただ僕らが申し入れた5項目は全部うけとめ実行するということは確認しています。

──  番組前の打ち合わせで、誰もおかしいと思わなかったのか?
出原 日テレの言い方では、作成された映像を本社のプロデューサーに問い合わせたらOKが出たから、後は放映までスルーパスで、生放送中は番組チーフプロデューサーとプロデューサーが確認しているだけとのことです。専門のチェックマンがいないわけです。

──  MCの加藤浩次さんは北海道出身なのに、おかしいと思わなったのでしょうか?
出原 加藤さんは小樽出身ですが、あの年代で同じ高校にいた人の話も聞いたが、あの時代も単一民族国家観の授業が行なわれていて、彼はアイヌ民族の歴史について理解をしていなかったのではないかと思います。小樽のアイヌ民族は強制移住でいないから身近ではなく、加藤さんが気付くのは無理だったのではという話です。

──  でも人間に対して「あ、いぬ」だけでも差別と思いませんかね?
出原 それが差別と意識できなかった。わざわざ「アイヌ」というテロップまで入れて、驚きでしたね。週刊現代は、ディレクターが台本を書いて脳みそ夫氏にやらせたと言っているが、他の情報も含めて、脳みそ夫氏が提案してやったというのが事実だと思います。脳みそ夫氏が提案して、ディレクターが台本は書くから「やらせた」と言えばそうなるが。僕らはそうした認識でチャランケをしていますが、そのことに関して脳みそ夫氏が所属するタイタンのチーフマネージャーも異議申し立てはしていません。

──  当日は結局夕方のニュースで謝罪したのですね?
出原 番組中も抗議の電話はじゃんじゃん入ってきています。なぜ、直後の生番組で謝罪放送をしなかったと糾すと、「スッキリ」の後の生番組は首都圏のみの放送になり、午後からの「ミヤネ屋」は関西で製作されているとのこと。結局夕方のニュースで謝罪した。でもあの時は「不適切な発言」というだけで「差別だった」とは言っていなかった。その直後に、私から担当プロデユーサーに電話を入れて「月曜日のスッキリで謝罪してください」と要求した。1つ目はアイヌ民族差別と明確に認めること。2つ目は、アイヌの歴史に触れて言うこと。もうひとつは再発防止に努めるということ。また、チャランケを申し入れたらそれに応じるという事を確認しました。担当プロデユーサーは、謝罪放送を検討しており「やります」となった。それで3月15日月曜日の「スッキリ」の冒頭で、水卜アナウンサーがアイヌ差別と認めて謝罪した。それを見て、一応、日テレは努力していると認めて、同時にチャランケの日程調整に入りました。

──  チャランケ? 話し合いですね?
出原 1回目は3月18日。最初、チーフプロデユーサー(部長)が謝罪すると言うので、「参加者全員から一人一人自分の言葉で謝罪してほしい」と伝えた(当初は日テレ側5人、現在参加者は、日テレ側5名とタイタン2名の7名)。彼等の発言を聞いて、アイヌ民族からも自分の被差別経験などを含めて、今回のアイヌ民族差別の衝撃と重大さを話した。そのアイヌ民族の身を削る言葉を聞いて、もう一度、彼等にどう思うか、再度、一人一人に発言してもらった。その上で、放映までの経緯の概略的な話を聞いたが、次は詳細な経緯を説明してほしいと約束して、4月15日2回目のチャランケを行なった。経緯をペーパーで出してもらったが、まだまだ疑義が残ります。職員らの聞き取りなども全部出ていない。また、定期的にアイヌ民族を講師に職員研修と、アイヌ民族の歴史や人権などに関して定期的に番組作りをすることを要求して確認しています。
 アイヌ民族差別は日本人問題ですが、奈良の3団体の申し入れは、道外からこのような組織的な抗議の声はこれまでほとんどなく、本当に画期的なことです。日テレには、アイヌ民族差別を許さない社会規範を作る責任があると要求しています。ああいう大きな民放できちんとやってくれれば、成果も大きいので、引き続き頑張って話し合います。
──  今日はどうもありがとうございました。

[2021年4月24日奈良県人権センターにて]

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

布川事件の冤罪被害者の桜井昌司さん(74)のエッセイ&詩集「俺の上には空がある 広い空が」の出版を記念した会が、4月11日大阪市内で開催された。無実の罪で29年服役し、無罪を勝ち取るまでに43年7ケ月かかった桜井さんは、現在国と癌の二つと闘っている。

国を相手取った国賠訴訟は、1審が勝訴、6月25日控訴審判決が下される。2019年秋に余命1年と宣告された癌にも、食事療法で打ち勝ちつつある。会は桜井さんの歌とお話で構成されたが、今回は、ゲストでお招きした「夜明けのさっちゃんズ」のお話と桜井さんのお話の後半を紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆僕の妹が死んでから (「夜明けのさっちゃんズ」矢島敏さん)

僕たち「夜明けのさっちゃんズ」は、僕の妹の矢島祥子が死んでから10年間、毎月釜ヶ崎でやるライブで「釜ヶ崎人情」を歌い続けてきました。

たまたま祥子のことを取り上げたNHKの番組を、「釜ヶ崎人情」を作られた作詞家のもず唱平先生が見てくださり、僕たちのライブにきてくれました。そして祥子の歌をつくると約束してくださり、実現したのが今から歌う「さっちゃんの聴診器」です。

もず先生が詩を書いてくださり、それに僕が曲をつけました。今日はもず先生のお弟子さんの高橋曄子さんと一緒に歌います。**〈演奏歌唱タイム〉**

写真左から西川まさひささん、高橋樺子さん、swing masaさん、矢島敏さん。「夜明けのさっちゃんズ」は2009年の矢島祥子殺人事件を受けて、事件の真相究明活動で遺族が釜ヶ崎に通う中、ミュージシャンである長兄の敏さんが同地のミュージシャンと組んだバンド。敏さんは神奈川県茅ヶ崎市で三線工房をしている琉球民謡登川長師範

◆理不尽に殺害された痛みと冤罪の痛み(桜井昌司さん)

 

桜井昌司さん

理不尽に殺害された祥子さんの痛みと、冤罪の痛みは変わりませんよね。真面目に一生懸命生きてきた祥子さんが殺害されるなんて許されていいと思いません。残念ながら日本はそういう国だと思いました。

雨合羽とイソジンがいる大阪は大変ですね(笑)。あんないい加減な奴らがやっている政治はだめですよ(拍手)。ああいう人たちをもてはやして、世の中が変わると思っている人たちは駄目です。イソジンや雨合羽が悪いわけではなく、ああいう人を選ぶ人が悪い。

日本人は自覚しない。菅総理が何故4割も支持率とれるか理解できません。彼はまともな日本語しゃべれないじゃないですか。安倍さんはまだ嘘が上手だった。彼の親父の安倍慎太郎が晋三を「こいつほど言い訳のうまい男はいない」と言ったそうです。そのとおりで、嘘がペラペラでてくる。

ああいう人を良しとした日本という国は、やっぱりそういう国家なのだと思います。残念ながら、体裁だけ整えばいい国家。私は74歳になりますが、刑務所に29年いたから、今の社会に責任はありません(笑)。当時娑婆にいた方、責任とってください(笑)。一人一人が正しいことを正しい、正義を正義という社会にしようと思いませんか? 今日は、私が刑務所で書いた詩をライブで初めて朗読します。

「目くばせから」「カラスの鳴く朝に」「一度だけでも」「手」「25年目のラブレター」「同居者に」「空」

◆人様の善意と触れ合えたことが人間としてどんなに嬉しいか(桜井昌司さん)

父ちゃんやお袋のことを話すといつも涙がでてきます。「死んだお墓に布団はかけれない」と言いますが、今、うちの恵子さんの親の足が動かなくなって、実家に帰っていて私は自炊していますが、自炊するのも結構楽しい。どんなことがあっても、人生は楽しいと思っています。癌の食事療法も彼女がいたからできた。そのおかげで癌が治ったと思っています。本当に人様に守られ、生き永らえたので、少し世の中のためになるよう頑張ろうと思っています。

冤罪は本当に辛い。私のように明るく楽しく生きられる冤罪被害者はなかなかいない。20歳に逮捕して頂いたお陰で、54年たってもまだまだ元気ですよ。

私、詩人だったでしょう。刑務所のなかでちゃんと詩が書けた。なぜか? あの苦しみのなかで、日本国民救援会の皆さんから「頑張ってね」と言われた。人様の善意と触れ合えたからです。それが人間としてどんなに嬉しいか。あの善意の人たちと一緒に生きて、飾り気なく生きられる人生が、どんなにさわやかかと目覚めた。飾りのある人生はつまらないじゃないですか? 「あなた素晴らしい人ですね」と言われて、陰で何しているかわからなかったら、こんなに疚しいことはない。だから自分はあの29年があったことで、すべて浄化された気がする。

私はそれまでろくでもない男だった。嘘も上手かった。安倍や橋下徹なんかたいしたことないくらい(笑)。橋下の口はたいしたことない。吉村もアホ。だいたい高利貸しの代弁するような橋下や吉村は駄目ですよ。なんのために弁護士になったのか?弱い者を助けるためじゃないのと思いますよ。そういう弁護士が少なすぎる。
私は自分が馬鹿だからはっきりいうが、頭のいい奴もたいしたことはない。自分で馬鹿と言うほうが本当に楽です。
 
次は娑婆に帰って作った歌です。自分の幸せを救援会の人たちに作っていただいた喜びをどう伝えようかと思い、「今あなたに」という歌にしました。皆さんにお送りする歌です、聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです(桜井昌司さん)

4月13日菅さんが、福島第一原発から出た汚染水を海に流すと決めるそうです。トリチウムを海の水で薄めて流すから大丈夫だという。薄めて流す? そのまま流しても薄まるじゃないですか? 汚染水はきれいじゃない。トリチウムは消えない。なぜ嘘をいうのか? 地球は我々だけのものじゃない。我々には、人類が生まれてからずっと命の歴史を未来につなぐ義務があるじゃないですか。そのために政治しなくてはいけないのに、今がよければ、今、金儲けできればよいという。何なんだ! 怒りが湧きます。そういう人たちが多すぎる。恥ずかしいと思いませんか! 

お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです。我々が税金を納めるのはその税金で個人ではできないことをして欲しいから。こんなコロナの時こそ、税金を使って、全員に検査して、感染者見分けて、大丈夫な人は働けばいいでしょう。それをやらずに1年以上ぐずぐずと自粛ばかり続けている。大阪は、緊急事態宣言解除してたった1週間でまた「まんぼう」だという。なにやってるの? 我々、怒らなくてはなりません。私は怒ると癌になるので怒りません(笑)。みなさん、怒ってください。吉村どうにかしてください。声を広げて!

警察が悪いと知れば、社会の皆さん、悪いことは止めろと声をあげますよね。警察は真面目と思っているから、我々は信頼しているのであってね、やはり正義の声をあげて社会を変えましょう! 変えられますからね。**〈演奏歌唱タイム〉**

◆29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった(桜井昌司さん)

 

桜井昌司さんの新刊『俺の上には空がある 広い空が』(マガジンハウス)

人はなぜ死ぬんでしょうか? 小学校4年の夏休みに「少年ジェット」という番組を見ていたら、悪人の怪傑デビルが人を殺した。そのとき、いつか死ぬと知って死ぬのが怖いと感じました。

「桜井、お前な、ここでやっていないというと死刑になるぞ。死刑になってから違うといっても遅いんだぞ。今のうちに観念して言え。助かれ」と刑事に言われましたね。そして私は死刑が怖くて「やった」と嘘を言ってしまいました。でも、一昨年癌と言われたときは全然怖くなかった。こんなに幸せに生きたんだから、死んでもいいと思った。今死ぬことが怖い人は、まだやることがあるからです。

昨日、ホテルに入って夜テレビをみました。先日亡くなった柔道の古賀さんが、膝をけがして金メダル取ったときのことをやっていた。「判定のとき負けてもおかしくないのに、なぜ勝てたか?」と聞かれ、古賀さんは「相手は私に勝つ気がない技を仕掛けてると判った。私は勝ち負けでなく、ひざが悪いので、柔道らしい柔道をしようと必死に迫めた。その気持ちが審判に伝わって勝ったのだろう」と、彼はいいました。

それを聞いた時、もしかすると私が人様に恵まれたのは、自分の一生懸命さが人様に伝わったのかもしれないと思いましたね。29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった。何も隠さないで済むようになった。嘘はやめよう、一生懸命生きようという思いをもってきた。もしかしてそれが人様に伝わったのかもしれない。

死ぬのが怖い人、今日を一生懸命生きてください。目の前のことに一生懸命にやってください。きっといいことがある。私は74歳、まだ夢はあります。本の最後でそれを書いてます。私はまだ才能が自分の中に眠っていると思っている。

もし、刑務所と同じような苦しみや困難が起こったら、自分の中に埋もれている何かが花開くかもしれない、本当に思っています。夢は「紅白歌合戦」と「徹子の部屋」(笑)。

では最後に「私の人生」を歌います。たった一曲だけ、私の作曲ではなく、大滝賢一郎さんという方が、テレビ東京の番組の中で作曲してくれました。聞いてください。**〈演奏歌唱タイム〉** (了)

◎[参考動画]桜井昌司さん、出版記念パーティーの一コマ
(竹内たつおさん撮影。竹内さんの4月11日フェイスブックより)
https://www.facebook.com/100025186875552/videos/888223768693844/

◎尾崎美代子「俺の上には空がある 広い空が」 布川事件冤罪被害者の桜井昌司さん出版記念会報告
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38753
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38827

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

布川事件の冤罪被害者の桜井昌司さん(74)のエッセイ&詩集「俺の上には空がある 広い空が」の出版を記念した会が、4月11日大阪市内で開催された。

 

桜井昌司さんの新刊『俺の上には空がある 広い空が』(マガジンハウス)

無実の罪で29年服役し、無罪を勝ち取るまでに43年7ケ月かかった桜井さんは、現在国と癌の二つと闘っている。国を相手取った国賠訴訟は、1審が勝訴、6月25日控訴審判決が下される。2019年秋に余命1年と宣告された癌にも、食事療法で打ち勝ちつつある。会は桜井さんの歌とお話で構成されたが、お話の部分を前半と後半に分けて紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆癌の宣告を受けた時、ほとんど動揺しなかった

皆さん、こんにちは! 先日、「冤罪犠牲者の会」で初めて屋形船に乗ったんですよ。屋形船ってコロナ騒動があったので、みんな敬遠していましたが30人で乗りました。料理は目の前で作ってくれるし、川の上なので風が吹いて換気もいい。私は、2019年に癌になって飲まないようにしていたが、当日は結構飲んで久々に記憶がなくなりました。ずっと酒をセーブしてきて、顔色も良くなり、癌もほとんど消えたようです。これからがまだ大変ですが。

私は、癌の宣告を受けた時、ほとんど動揺しなかった。「あっきたな。どうしよう」と思っただけです。最初に食事療法を紹介してくれたのは、SwingMasaさんで、その時は「食事で治るはずない」と聞き逃していましたが、その後ほどなく別の方からも紹介され、食事療法の店にいったら、富田林のMasaさんの店の隣でびっくりでした。あれ以来おかげさまで治ってきました。

 

桜井昌司さん

ただし肉、魚、小麦粉、化学調味料、砂糖などずっと食べないでやっていくのはどれだけ大変か。やはり意志力が問われます。自分にそれができたのは人様の支えだと思う。本当にこれまで人様に支えられてきたのだと、改めて思いました。子供の頃から私は人に恵まれてきた。自分は、口は悪しい大した人間じゃないのに、何故こんなに人様に恵まれるのか、不思議でしょうがないです。

刑務所にいるとき、娑婆に帰りたいと思いましたが、そう思うと、自分がその思いに負けてしまうと思い、その気持ちを捨てました。刑務所にいる限り、その中で満足する日を送ってやろうと心から思っていました。その千葉刑務所で、帰りたいという思いを歌にした「帰ろ、帰ろ」を聴いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆娑婆に帰ってから作った歌

刑務所から帰ったとき両親はもういなくて、一番悲しかったのは、家に帰ったとき、いとこが「昌司、これがあんたの家の柿の実だよ」と柿の実を1つとっておいてくれて、その時ぼろぼろ泣きましたね。親のいない家に帰ったときの空しいような切ないような気持ちを思い出しましたね。

次の曲は娑婆に帰ってから作った歌「春風の乙女」です。帰ったとき、親戚の小学校の娘らが、毎日競うように我が家に来て学校のことを話してくれたり、毎日5キロくらい走るのに着いてきてくれた。その子たちをイメージしてつくりました。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆数えきれない位いる私の恩人

私の恩人は数えきれない位います。一人は、1審で無期懲役判決が出た後、拘置所に面会にきた柴田五郎さんという弁護士さんです。「何やったか言ってみろ」というので「窃盗しました」というと、チェッと舌打ちする。「なぜ自白した」というので、これこれと説明するとまたチェッと舌打ちする。最後に「この事件は裁判で勝てないから、社会に訴えろ」という。

弁護士が裁判で勝てないとは、なかなか言わないでしょう? 変わってる弁護士だなと思いましたね。その後、国民救援会を教えていただき、手紙を書きました。もちろん返事はすぐには来ない。するとまた柴田弁護士が面会にきて「手紙だしたか?」ときく。「出しました」「返事は?」「まだです」「また手紙書け」と言って帰る。

柴田弁護士の言うとおり、裁判では勝てませんでした。11年裁判やって無期懲役が確定して千葉刑務所に送られ、それから44年かかって勝ったので、柴田先生の言う通りだった。冤罪に関わる弁護士は沢山いますが、刑事裁判で負けてから、自分でイニシアティブを取って再審をやろうという弁護士はなかなかいない。でも柴田先生は違った。「おれは桜井と杉山と同じで無期懲役を受けた。再審をやる」と言って下さった。あの先生がいたから、今の自分があると思います。

柴田先生はもうお亡くなりになったが、古い弁護士も新しい弁護士もみんな同じ、先生と呼ぶのはやめようとなり、思想信条関係なく「布川事件をやろう」と声をかけてくれ、広い心でやってくれた。あの先生と出会えなかったら、救援会とも出会えなかったし、高橋勝子さんとも出会えなかった。このかっちんという女性がまたいい人で、彼女の5月の誕生日に「五月の空に」という曲をプレゼントしました。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

じつはかっちんも癌で、東京で開催される出版記念パーティーにも来られないというので、ちょっと胸がつまってしまいました。プロじゃないですね。今日は皆さんにお金を出して参加して貰っているのにね。踏んだり蹴ったり殴ったり(笑)。すみません。許してください。

自分は演歌が好きで、刑務所でも良く口ずさんでいました。社会に帰ってきたとき、ヤクザになっていた友達が「昌司、ヤクザなんてしょせん金だ。汚い世界だ。辞めたいがなかなか辞めれない。お前が羨ましい」と言っていました。

最後は堅気になって、自宅で焚火をして火が飛んで火傷して入院したら癌が見つかり、3ケ月で亡くなった。彼とカラオケにいくといつも「昌司、歌ってくれ」という曲。ああ、涙出てきた。いい奴でした。では「若いふたり」。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆拘置所に入っている11年間は歌えなかった

彼が死んで11年。本当に骨と皮になって死んでしまいました。阿修羅って知ってます? 髪がもじゃもじゃで、今にも日本刀持って飛び出しそうな顔で、彼はそんな顔で死んでました。私は「寝ろ、寝ろ」と言ってしまいました。死に顔って凄いですよ。笑って死んでいる人も2人見ましたが、やっぱり生きたように死んでいくのではないかと思いました。多分、私は笑って「幸せだったな」と死んでると思います。死んだらぜひ会いにきてください(笑)。

次は北島三郎さんの「川」。私は歌に自信があったんですね。ところが拘置所に入っている11年間は歌えなかったので、声が出なくなった。千葉刑務所に移ってのど自慢大会に出たが、全然だめで鐘が2つしか鳴らなかった。おかしい、おかしいと思っていて、もうすぐ娑婆に出るというとき、この「川」を歌ったら突然すっと声がでた。「あれ、出るんじゃん」と思い、そのあとののど自慢大会では風邪ひいて、準優勝でしたが、そのときの思い出の歌です。聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

◆社会に戻って24年、なんて社会って楽しいのか

皆さん、刑務所ではお酒飲めないのは知っていますよね。私は20歳のとき逮捕されたので、そんなに飲みたいとは思いませんでした。それまでも酒飲んで酔って騒ぐだけで、美味しいとか思いませんでしたから。娑婆に戻ってビールで乾杯しましたが、苦くて不味いと思いましたが、1ケ月たたないうちに、あっというまに「美味しい」と思えてきた(笑)。

11月14日に帰ってきて、12月4日から働き始めた。楽しかった。刑務所では走ったら怒られるが、娑婆で土方やったら、重いものを持ったら仲間が喜ぶし、身体も鍛えられる。汗かいて気持ちいいしビールが美味しいし、金も貰える。天国だと思った。なんて社会って楽しいのかと。社会に戻って24年になりますが、楽しいことばかり。悲しいことってあったかな? 去年ちょっとありましたが、それ以外全て楽しいことばかり。こんなんでいいのでしょうか? やはり29年間刑務所で不自由を味わい、いつも自由をみつめてきたから、自分が自由で何でも出来るということが本当に幸せです。

多分みなさんは刑務所の不自由を知らないから、自由は当たり前になっている。でもその自由の尊さをいつも有難いと思って生きられるのは、こんなに嬉しいことはない。だから29年、刑務所に入れて頂いたことに心から感謝しています。嘘ではありません。本にも書きましたが、私は真犯人なんか何も興味はない。人間というのは、自分のやったことを決着できるから生きられる。決着できないで、自分の中にずっと持ち続け生活していくということは、辛いことだと思う。

自分自身も決着できないことが2、3個あります。清算しようと思っても出来ない。でもその苦しさは本人しかわからない。真犯人が人を殺した事実は消えようもない。自分は昔泥棒しました。この事実は消えない。もしその泥棒で誰かの人生が変わったら、取り返しがつかない。犯罪とはそういうことだと思ったら、真犯人が逮捕されず刑務所に行かなかったら、「あんた気の毒だね」と考えてしまう。決着つけたら、また違う人生があったかもしれない。何、話してたんだっけ? 酒の話ですね。1週間前、金(聖雄)監督らと飲んで楽しかったなあ。(金監督、桜井さんにビールを届ける)。「酒よ」を歌う前に少し飲みます。では聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**

先月初めて腸に再生を示す数値がでてきました。再生が始まった。皆さんはトイレが普通でしょうが、私の場合は普通でなかったが、この頃普通に出るようになった。出血もほとんどなくなった。もし自分が治ったら「癌は治りますよ」と言って、教祖様になってしまいますね(笑)。最初は本当に死を覚悟して、こんなに幸せだったからもう死んでもいいやと思ったが、本当に皆さんに感謝しかありません。これからもう少し頑張りますという気持ちで、刑務所にいるとき作った演歌「屋台酒」を歌います。(つづく)


◎[参考動画]MICSUNLIFEが恩師に捧げる/ありがとう。(桜井昌司Ver.) 男性3人で構成する音楽ユニット「Mic Sun Life」のリーダーSUN-DYUさんこと土井佑輔さんも、泉大津コンビニ強盗事件の冤罪被害者で、無罪を勝ち取ったのち、仲間と冤罪撲滅ライブなどを開催している

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

◆「西成」は売れる?

最近、西成(ここでは「釜ヶ崎」界隈を示す)で動画を撮影するYouTuberが増えている。有名(?)YouTuberに紹介され客が増えたと喜ぶ店がある一方、他の客の顔を撮られては困ると断る店もあるようだ。店の紹介だけでなく、公園で酒盛りする人やセンター周辺の野宿者の生活を面白可笑しく撮るものも多い。刺青を堂々と見せる人、ムショ帰りと話す人、泥酔してクダをまく人……西成には様々な経歴、過去をもつ人、ひと癖もふた癖もある人が多いが、それはこの街がどんな人をも受け入れる懐の深さがある証拠だ。

しかし、そうした人たちを撮って視聴数を伸ばし、広告代を稼ぐYouTuberは、彼らに動画をYouTubeにアップすると説明したり、許可を得ているのだろうか。実際、動画に映る人に聞くと、知らないという人もいるが、問題はないのだろうか?

◆暴力野郎が「平和を守ろう」というようなもの

こうした一部のYouTuberと同様に、この町の人情味の厚さや懐の深さを利用しながら、センター解体と新たなまちづくりを進めようとしているのが、大阪維新の「西成特区構想」だ。

大阪市は3月30日、センター解体後の跡地の利用計画について、新たな戦略を発表した。資料には「新今宮エリアの魅力が認知され、訪れて楽しいエリアになるようなイメージ向上を図るにあたり、新今宮の魅力を伝える新たなコンセプト『新今宮ワンダーランド』と、キャッチコピー『来たらだいたい、なんとかなる』を参詣曼荼羅(さんけいまんだら)をイメージしたポスターや、人気スポットを紹介したリーフレット、WEBサイトで積極的に展開していきます」とある。

西成は「不思議の国」「おとぎの国」「ワンダーランド」か?! 福島から始まった聖火リレーで、「踊って楽しもう! イエーイ!」と白けた演出でひんしゅくを買った電通の考えそうなことだ。

それにしても何が「来たらだいたい、なんとかなる」だ。これまでは確かにそれが出来た。日雇労働者の寄り場であり、生活に困窮した人が「あそこに行ったらどうにかなる」と目指してきたのが、JR新今宮駅前にどんと構える「あいりん総合センター」(以下センター)で、そこに行けば、仲間と会え、仕事も見つかり、飯を安く食え、仲間とワイワイ騒ぎ、洗濯も出来てシャワーが浴びられ、娯楽も楽しめる……それこそ「来たらだいたい、なんとかなる」だった。

もちろんセンターだけでなく、町全体も。しかし今、その肝心要のセンターを暴力的に閉鎖し、周辺の野宿者を強制的に立ち退かせようとしているのが、大阪市だ。センター解体したあとの広大な跡地でひと儲けを企む連中が、何が「来たらだいたい、なんとかなる」だ。遅筆で有名な大作家が、原稿を急かされるたび奥さんをボコボコに殴り逃げられ、DVの事実を暴露されるや、「憲法9条を守ろう」「平和を守ろう」と叫ぶようなものだ。

「新今宮ワンダーランド」のHPより

◆西成の魅力の上っ面を掠め取るジェントリフィケーション

神戸大准教授の原口剛さんは、現在西成で進められるジェントリフィケーションについて、先の強制排除など直接的な排除のほかに、家賃や土地の値段が上がることで住みにくくなることや、街の雰囲気が変わることで、長く住んでいた人たちが住みづらくなる「雰囲気による排除」があると指摘する。

そして、この「雰囲気による排除」にかかわる重大な問題として、「たんに『人情がなくなる』のではなく、一方で『人情』がやたらと強調されたり演出されたりしながら、他方で人情が潰されていくという事態」が起こり得るとし、肝心なのは「生きられる人情」と「売りになる人情」の違いであると指摘する。

「そもそも『人情』というのは、センターで労働者が集まって日常を過ごすとか、そういったことも含めて、いろいろな生活の営みの中で、じっくり長い時間をかけて培われてきたものです。これに対してジェントリフィケーションというのは、実は何ひとつ発明することができない。例えば『人情』の上澄みだけ吸い取って、それを商品化して『下町らしさ』というパッケージにして売り出すということです。そうして『売りになる人情』へと仕立てながら、そもそも『人情』を生み出した担い手を追っ払ってしまう」と。

ここ数年「釜ヶ崎」や「西成」「人情」「下町らしさ」を売りにした店が増えるなか、原口氏が「言葉にならない叫び」と呼ぶ暴動さえ「「西成ライオット(暴動)ビール」として売りに出されるようになった。しかし、そこからは確実に一部の人たちが排除されていることを忘れてはならない。

街中に建てられたおしゃれ過ぎる建物

◆消されていく西成の臭いと色

私の店は西成の真ん中を南北に走行する阪堺電車というチンチン電車のガード近くにあるが、かつてそこは「ションベンガード」と呼ばれていた。ガード脇に公衆トイレがあるからか、ガード脇のニセアカシアの木のそばで立小便をする人が多かったからか……。

ポスター剥がされ落書き消され、真っ白にされたションベンガード

「街をカラフルに」と描かれた壁画。良く見ると野宿出来ないようになっている

ガードの両壁にはかつて「狭山闘争に決起しよう」だの「86春闘に勝利しよう」などのポスターが貼られたり、「ケタオチ飯場○○」と、悪質業者の名前が落書きされていた。壁からポスターが剥がされ、落書きが消され、ペンキで真っ白に塗られたのは数年前だ。倒れそうなニセアカシアの木も切られ、あたりはすっかり様変わりしてしまった。町中の足立酒店の自販機も撤去され、道端で酒盛りする人も減り、西成警察署裏の屋台が撤去され、屋台の客からホルモンを貰い、肥え太った野良犬もいなくなった。この町特有の臭いや色が徐々に消されてきた。

西成出身のラッパー・SHINGO★西成が「町おこし」のため手がけた南海電鉄の壁に描いたアートな壁画はペンキ代を募り、子どもらと描いたのに、南海電鉄高架下の一角はセンター仮庁舎を作るため無残に解体された。「白黒な街を虹色の街に」と謳っていたが、SHINGOちゃん、西成の労働者が黒やグレー、カーキ色を好んで身に着けるのは、建設現場で油や汗や汚れても、汚れが目立たないためでもあるし、生活保護費削減で、洗濯や風呂の回数減っても、何日も同じ服着ていられるからでもあるんやで。

同上

◆差別と暴力を覆い隠すミヤシタパークの「西成チューハイ」

 

渋谷の宮下公園に関する、ねる会議さんのツイート(2020年8月13日付)

野宿者を暴力的に排除して作られた東京渋谷の「MIYASHITA PARK」では「西成チューハイ」なるものが「売り」に出されているという。記事を見ると、別々に出された焼酎と炭酸を自分で割って飲むというスタイル……それって西成で有名な立ち飲み屋難波屋から始まった難波屋チューハイではないのか。しかし、難波屋でも釜ヶ崎でもなく、なぜか「西成チューハイ」とネーミングされ売りにだされている。

ここにもさんざん野宿者を暴力で叩き出し、さらに中に入れる人と入れない人を差別的に分けながら「でもぼくには西成に知り合いがいる」(「I have black friends」)と言うような胡散臭さが見て取れる。もう一度言おう! 野宿者を暴力で叩き出しながら、何が「来たらだいたい、なんとかなる」だ!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

3月28日、名古屋市内で「冤罪 名張毒ぶどう酒事件の全国支援集会&全国の会総会」が開催された。事件発生から60年目のこの日、午後11時から名古屋駅周辺で大規模な宣伝活動が行われ、雨の中、200人もの人たちが参加。14時から始まった支援集会&全国の会総会会場もあふれんばかりの参加者で埋め尽くされた。

3月28日、名古屋市内で行われた「名張毒ぶどう酒事件の全国支援集会&全国の会総会」

1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民会で開かれた村の親睦会で、ぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡する事件が発生、奥西勝さん(当時35歳)が逮捕、起訴された。1964年12月23日津地方裁判所は、検察側の死刑求刑を退け、奥西さんに無罪判決を言い渡し、奥西さんは釈放された。一方、検察はこの判決を不服として名古屋高裁に控訴、1969年9月10日、名古屋高裁は、無罪判決を破棄し、奥西さんに逆転死刑判決を言い渡した。1972年6月15日、上告が棄却され、奥西さんの死刑が確定した。

奥西さんはその後も無実を訴え続け、再審を闘い続けてきた。2005年4月、第7次再審請求で再審開始が決定されたが、検察官の異議申し立てにより再度逆転し、翌年取り消し。2015年10月4日、無実を叫び続けた奥西さん(89歳)は、八王子医療刑務所で無念の獄死を遂げた。その後、妹の岡美代子さん(再審請求時86歳)が名古屋高裁に第10次再審を申し立てた。

会場参加を望んだが、コロナのためと支援者らに止められ、自宅からビデオメッセージを送られた岡美代子さん

集会では、岡美代子さんのビデオメッセージが紹介された。

「この60年間は家族にとって言葉につくしがたい苦しみの歳月でした。兄・勝は5年前無実を叫びながら獄死するにいたってしまいました。私はどうしても許すことができません。私は年齢ですが、最後のお願いになるかもしれません。兄・勝は絶対やっておりません。長い再審の闘いを通じて兄・勝の無実は明らかです。1審は無罪、そして再審請求でも一旦は開始決定を頂いています。無実の証拠が次々と明らかにされていましま。すべての証拠を明らかにして、まっとうな判断をして頂きたいと願っております。この目で無実の判決を見届けたいとの思いでいっぱいです。」

しかし、岡さんの申し立てから4年間、名古屋高裁は、弁護団との面会を拒否し、審理を行ってこなかった。高橋裁判長に対する弁護団の3度の忌避申立と支援者の抗議が実り、2019年12月、名古屋高裁刑事部第二部に鹿野伸二裁判長が着任し、それまで一切動かなかった裁判所が一転して動くようになった。

弁護団は裁判長と面談し、①検察官の未提出証拠につき裁判所から証拠開示するよう働きかけてもらいたいこと、②ぶどう酒瓶の封緘紙裏面についている糊の成分を特定するため、フーリエ変換赤外分光光度計による再測定を許可してほしいことなどを強く求めていた。会場で行われた市川哲宏弁護士の報告から、再審へ向けて新たな動きを見てみよう。

◆「犯人は毒物を混入したあとで、栓を閉めて封緘紙を張り直した」

農薬が混入されていたぶどう酒瓶の蓋には封緘紙(ほうかんし)がまかれていた。奥西さんの自白では「公民館の囲炉裏の間で、火箸でぶどう酒の瓶の外蓋を突きあげて開けた。外蓋が飛んでいったとき、封緘紙も切れて外れた」「農薬を入れ、栓を閉めるときは内蓋を手で閉めて栓をした。外蓋は外れたままでした」とされていた。それが事実なら、封緘紙には、ぶどう酒が製造された段階でつけられていた工業用のCMC糊が付着しているはずだ。

一方、真犯人が、封緘紙を切って外し、外蓋と内蓋を開け、農薬を入れ、内蓋と外蓋を閉めて封緘紙を張り直したと考えた場合には、封緘紙には工業用の糊に加えて、真犯人が張り直したときに使った別の(一般家庭にあるような)糊が付着しているのではないか。もし別の糊が付着していた場合、奥西さんの自白による開栓方法とは全く違ってくるうえ、真犯人が公民館以外の場所でぶどう酒に毒物を混入し蓋を閉め、封緘紙を張り直した可能性がでてくる。つまり、犯行現場は公民館の囲炉裏の間で、奥西さんにしか犯行の機会がないという裁判所の事実認定の誤りが明らかになるのだ。

弁護団は、2020年8月、裁判所にフーリエ変換赤外分光光度計を持ち込み、澤渡教授と封緘紙の裏面についていた糊の成分の再測定の実験を行った。結果、封緘紙の裏面に工業用のCMC糊に加えて、洗濯糊に利用されるPVAを成分とする糊が付着していることが判明した。10月5日、弁護団は、この再測定に基づいて作成された鑑定書を新証拠として裁判所に提出した。

◆「紙がまいてあった」との供述調書が新たに開示された

そんな中、今年に入り、未開示の供述調書9通の存在が明らかになった。検察官は、開示の必要なしとの意見だったが、裁判所が検察官に開示するよう促し、3月3日開示された。9通の供述調書は、事件当夜の親睦会に参加していた会員のもので、3月30日、31日と事件の記憶が鮮明な時期にとられたものだ。うち3通は、公民館に運ばれたあとのぶどう酒瓶について、封緘紙がついていたかどうかを述べるものであった。警察官に「封をしている紙(封緘紙)があったかどうか?」と聞かれ、「蓋がしている処に紙がまいてあった」「王冠のふちに封した紙を巻いてありましたので」と供述している。

これらの供述は、奥西さんの自白と矛盾する事実を示すばかりでなく、先の糊問題の新証拠が示す事実と整合する極めて重要な証拠だ。

弁護団は、今回の証拠開示をきっかけに、事件の本丸ともいえる「ぶどう酒瓶到着時刻問題に関連する関係者の初期供述証拠」の開示を実現させたいと考えている。ぶどう酒瓶が会長宅へ到着したのはいつかを決着をつけるため、犯行を行える人物が本当に奥西さん以外いなかったのかを証明するために、すべての未開示の供述調書や供述に関する捜査報告書などの一切の書面が開示されなければならない。

弁護団が作成した表によると、まだ大量の証拠が検察により隠されている。2月5日、裁判所は検察官に対して、事件当日の親睦会に参加した者の供述調書およびこれらの者に関する証拠書類と、公民館に運ばれたあとのぶどう酒瓶の状況に関する捜査報告書などについて、弁護人に開示されているもの以外に存在するかどうか、存在する場合にはその証拠の標目を明らかにされたいなど2事項について求釈明を求めた。これに対して検察は、3月14日「現在弁護人に開示されているもの以外に『開示すべき証拠』は存在しない」などと、正面から答えようとしない不誠実な回答を提出してきた。

グレーの部分が開示されていない証拠

検察官は公益の代表者、証拠という公共の財産の管理者である。事件解明のためにすべての証拠を公にし、60年前のあの日、小さな村で何が起きたかを明らかにしなくてはならない。奥西さんを犯人にするために、村人の証言が、徐々に変わってきた(変えられてきた)ことで、村の人たちへも非難の目がむけられた。検察が全ての証拠を開示していたならば、事件はより早く確実に解決し、村の人たちも凄惨な事件の全貌を理解し、新たな一歩を踏み出せたはずだ。

冤罪は冤罪犠牲者やその家族だけではない、すべての事件関係者の人生を取り返しのつかないものにしてしまう。検察はすべての証拠を開示し、1日も早く奥西勝さんと岡美代子さんに無罪判決を言い渡せ!


◎[参考動画]名張毒ぶどう酒事件全国支援集会&全国の会総会(tadaaki nagao 2021年3月28日)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

◆覚せい剤を入れたお茶を飲ませた警察官

3月19日、名古屋地裁(板津正道裁判長)は、「覚醒剤取締法違反(使用)」の罪に問われていた男性に無罪判決(求刑懲役3年6ケ月)を言い渡した。男性は2019年12月5日覚醒剤使用で逮捕、起訴されたが、当初から本人は使用を否定していた。男性は、逮捕後の取り調べ中、警察官に紙コップのお茶や水を20~30杯出され飲み、翌日の尿検査(強制採尿)で尿から覚醒剤成分が検出され逮捕されていた。

愛知県警の内部規定には、未開封の飲料を渡し、本人が開封すると規定されていたが、警察官は、男性が見ていない状況で飲み物を準備していた。また男性が「お茶がすごく苦いことがあった」と供述していたことなどから、判決は「異物が混入されなかったことを裏付ける積極的な証拠は見当たらない」と指摘、「自己の意思で覚醒剤を摂取したと認めるには合理的な疑いが残る」として無罪を言い渡した。

さらに起訴後に警官が男性に、被告の兄の名前で2万円を送ったことや、取り調べ中、男性に携帯電話を使わせたことなどについて、不当な便宜供与をしたと認定、「捜査が適正に行われたことを疑わせる事情が複数存在する。警察官が被告に提供した飲料に覚醒剤が混入されていた可能性は相当な確からしさを持っている」と述べた。

求刑が3年6ケ月出されていることから、男性には同罪の前科があると考えられる。しかし、だからといって、今回もやっているはずと決めつけ捜査をすることは、判断を誤らせ冤罪を作ることにもなりかねず、絶対に許されない。
 
◆ゴミ置き場から拾った注射器を証拠に置くマトリ

違法な捜査で証拠を捏造するなどし、覚醒剤事件をでっち上げるのは、警察官だけではない。2019年9月25日、大阪地裁(渡部市郎裁判長)は、覚醒剤取締法違反で起訴されていた男性被告(57)に無罪判決が言い渡したが、男性をでっち上げたのは、警察ではなく、近畿厚生局麻薬取締部(マトリ)たった。

男性は、2017年マトリに自宅マンションの捜査を受けた際、洗面台の上に置かれていたポリ袋から覚醒剤が検出されたとして、覚醒剤所持容疑で逮捕された。段ボール箱からは注射器も発見されていた。その後の尿検査で覚醒剤反応があり使用でも逮捕された。使用は男性自身も認めていた。

しかし、男性は、覚醒剤を使用したあと、覚醒剤が入っていたポリ袋や注射器などをマンション外のゴミ置き場に捨てていたため、部屋に残っているはずはないと主張。男性は、自身の携帯電話の行動履歴アプリを弁護人に確認してもらったところ、確かにその日男性はマンション外のゴミ置き場にゴミ出しに行っていた。弁護人が検察に、押収した男性のマンション入口の防犯カメラの開示を求めたところ、その前後の日にちの映像はあるものの、男性が捨てたと主張する日の映像だけは存在しなかった。弁護人がその理由を尋ねると検察は「言えない」と答えたのである。当日は筆者も公判を傍聴していたが、傍聴席からは思わず失笑が漏れた。

マトリは、男性が捨てたごみから、覚せい剤の入っていたポリ袋や注射器を盗み、捜索現場に持ち込み、洗面台などに置いたのである。マトリが捜索開始すぐに撮影した洗面台の写真にはポリ袋は写っておらず、1時間半後の写真には写っている。9人もの捜査員で探したがブツが見つからなかったため、拾っておいた「証拠品」を置き、発見してみせたのだ。段ボールに入れられた注射器は、隠すことなく一番上に無造作に置かれていたという。

大阪地裁は、これらのポリ袋、注射器などを証拠から排除し、男性に無罪判決を言い渡したのである。

男性が使用を認めているのに、無罪はおかしいと考える読者も多いだろう。しかし、憲法や刑事訴訟法などでは、自白の偏重を防止するため、自白が被告人に不利益な唯一の証拠である場合、自白以外の他の証拠を必要とするとしている。その証拠が捏造されていたのだから、自白だけでは有罪にできず、無罪となるのだ。
 
◆尿をすり替えた科捜研の女

覚せい剤を飲み物にこっそり混入させて飲ませたり、ごみ置き場から拾ってきた注射器を捜索時に持ち込み、証拠を捏造するのは警察官やマトリだけではない。覚せい剤使用で逮捕した男性から採尿した尿をすり替えた科学捜査研究所の研究員もいる。この事件を徹底して追っていたジャーナリストの寺澤有さんが「黒い科捜研の女」と呼ぶ高木雅子研究員だ。2016年3月16日、東京地裁立川支部(深野英一裁判官)は、覚醒剤使用で逮捕、起訴された男性に対して、「警察内部で尿がすり替えられた疑いがある」として無罪判決を言い渡した。

寺澤氏の報告によれば、この事件では「被告人の強制採尿に立ち会っていない警察官が、あたかも自分が立ち会っていたかのような調書を作成し、検察が公判へ証拠提出しましたが、警察官の証人尋問で虚偽公文書作成が発覚しています」(2016年3月16日寺澤氏のTwitterから)など、警察が組織ぐるみで失態を隠蔽しようとしたことは明らかだ。寺澤氏はこの件で、2016年4月5日に行われた国家公安委員長記者会見で、当時の国家公安委員長・河野太郎氏に質問を行った動画をぜひ視聴していただきたい。


◎[参考動画]河野太郎国家公安委員長記者会見(寺澤有 2016年3月18日)


◎[参考動画]河野太郎国家公安委員長記者会見(寺澤有 2016年4月5日)

この中で、寺澤氏は、無罪が確定した男性は、3月に採尿されたが、逮捕は2ケ月後の5月。採尿後すくに科捜研に送られ陰性か陽性か確認するはずだが、2ケ月遅れたのは何故か? 元被告人が逮捕された昨年5月は、警視庁の覚醒剤取り締まりの強化月間で、現場の捜査員にノルマをかけていた月であったと知っているかと尋ねている。河野氏は、「聞いてない」と答えているが、さらに寺澤氏は、やはりノルマに追われた警察官3人が、ホームレスのカバンに覚醒剤を入れたり、市民の車の中に覚醒剤をおいて覚醒剤事件をでっち上げた警視庁城東署事件(1997年)を例にあげ、「何故20年間も進歩がないのか」と尋ねている。

元北海道警察警視長で警察ジャーナリストの原田宏二氏は「警視庁はじめ多くの都道府県警では地域警察官に対して、努力目標として、年(月)間の職質による検挙件数のノルマを課しているようだ。ノルマの達成度合いは年間の勤務評定にも影響し、それは昇任試験の成績にも加味されることになる」と述べている。出世するためには、事件をでっち上げてでも「犯人」を逮捕したい。これではいつまでたっても冤罪事件はなくならないだろう。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

3月17日、大阪地裁(内藤裕之裁判長)は、昨年5月18日、福井県、大阪府、兵庫県、京都府に居住する6名が申し立てた、新型コロナウイルスが収束するまで福井県の7つの原発を止めよとの仮処分の申し立てを却下した。決定は、避難計画の不備だけでは、原発差し止めの理由にならないと判断したが、弁護団は緊急声明で以下のように反論と抗議を行った。

大阪地裁の不当決定を受けて

「船舶安全法は救命ボート不備の時は、ほかの部分が完璧でもその船舶の運航を禁止し、航空法は、脱出シュート、酸素吸入器不備の時は、ほかの部分が完璧でもその航空機の運航を禁止している。原発は、それらよりもはるかに甚大な被害をもたらす。原発の運転に際して、万が一の事故に備える避難計画の実行性を求めないことは極めて不合理であり、人の生命、健康を軽視する判断である。避難計画に実行性がない場合はそれのみで原発の運転を禁止すべきことは、上記船舶安全法、航空法の精神から明らかである。(中略)本件決定が、福島原発事故を経験してもなお、住民らの命、健康に直結する避難計画の実行性の判断から逃げたことは決して許されるものではなく、強く抗議する」。

申し立て人の菅野みずえさん(左)と水戸喜世子さん

◆被ばく回避とコロナ感染防止は両立できない

今回の仮処分の申し立ては、コロナウイルスの感染拡大の危険性のみを争点にしていた。コロナウイルス感染拡大防止には、こまめな消毒、うがい、マスク着用、換気のほか、「密集」「密閉」「密接」の3つの「密」を避けることが重要とされている。申立人らは、コロナ禍で原発事故が起き、避難を余儀なくされた場合、放射能からの被ばく回避と、コロナの感染予防対策は両立できない、避難計画に実行性がないから止めるべきと訴えてきた。

3・11の教訓から、日本国内でも「5つの深層防護」の重要性が求められてきた。「5つの深層防護」とは、1979年アメリカのスリーマイル島事故や86年チェルノブイリ事故をきっかけに、96年IAEAが確立してきた原発の安全対策で、第1層、機器の故障・異常の発生を防止する。第2層、機器の故障・異常が発生したとしても設備などへの異常の拡大を防止し、事故に至るのを防ぐ。第3層、異常か拡大したとしても、その影響を緩和し、過酷事故に至らせない。第4層、維持が緩和できず、過酷事故に至っても、外部への放射性物質の漏出による影響を緩和する。第5層、過酷事故による外部への放射性物質の漏出による影響から、公衆の生命・健康を守る(避難計画)、というものだ。

IAEAはこれら5つの防護策の関係について「異なる防護策の独立した有効性が、深層防護の不可欠な要素である」としている。つまり「第3層で防護するから第4層は心配しなくてよい」と考えたり、過酷事故にならないから避難の計画をしなくてよいと考えるのは間違いで、逆にいえば、避難が安全にできないなら、それだけで原発は止めなければならないということだ。

大阪地裁の不当決定を受けて

◆通常でも困難な「避難計画」、コロナ禍では不可能

 

決定前、地裁前の公園での集会で「老朽原発再稼働を許すな」と訴える木原壯林さん

通常の原発事故での避難でも、計画通りに進まないことは、3・11の経験からも明らかだ。申し立て人の一人、福島県浪江町から兵庫県に移住してきた菅野みずえさんは、事故当日、大熊町の職場から自宅まで、普段車で45分の道のりを約3時間30分かかったこと、避難所では自分の布団と隣の人の布団の端が折り重なるほど密状態だったと話された。そこにコロナ対策が加わるのだ。

昨年6月内閣府が出した「新型コロナウイルス感染拡大を踏まえた感染症の流行下での原子力災害時における防護措置の基本的な考え方について」によれば、「自宅などで屋内退避を行う場合などには、放射性物質による被ばくを避けることを優先し、屋内退避の指示が出されている間は、原則換気は行わない」とある。「自宅など」には避難所も含まれるが、大勢の人たちが集まる避難所で換気しないということは、コロナの感染拡大を進めてくれというようなものだ。

また福井県の「新型コロナウイルスに備えた避難所運営の手引き」によれば、避難所のスペースは、一般避難者には従来の2倍の約4平方メートル(2m×2m)が必要とし、その上約2メートルの通路を確保するとある。これを美浜原発が事故を起こしたと想定した場合、美浜町のPAZ及びUPZの人口37万9,446人に必要な避難所のスペースは、東京ドーム44.6個分となる。このような避難所を確保することは、事実上不可能なのだ。

◆コロナ禍での原発運転は危険がいっぱい

昨年のコロナ発生後、各地の原発で感染者が続出したが、1月24日にはついに、玄海原発でクラスターが発生し、400人の作業員が出勤停止になった。原発は通常の運転時で1日1,500人、定期検査時には3,000人もの作業員が働くが、通勤時の車両、待機場所、脱衣場、休憩室など、いずれも3密状態を強いられる。

福井県の原発には、感染者が多発する大阪などから作業員がいくことも多いが、末端の下請け業者などでは、作業員の健康管理などまともにやれてないことが多く、感染者が一人でも紛れ込めば、感染は一挙に拡大するだろう。しかも平時でなく過酷事故が起きた有事であるならば、「工事の遅れ」などでは済まされない。事故後、緊急対策室で吉田所長が大声で作業員に指示する動画を見た人も多いだろうが、コロナ禍では、ソーシャルディスタンス2メートル取った離れた場所から、唾を飛ばさないように小声で「ベント! ベント!」「注水しろ!」などと指示しなくてはならないのだ。そんなことでは、原発の暴走は止められない。しかし、コロナ対策を無視し、マスクを外し唾を飛ばしながら、大声で作業員に指示し続ければ、あっという間に作業員間にコロナが蔓延するだろう。

◆コロナ禍で原発を動かす危険性

関電の原発は、昨年末にはすべて止まっていたが、今年に入り1月大飯原発4号機が稼働し、3月7日には高浜3号機が軌道、高浜1,2号機、美浜3号機の老朽原発の再稼働が画策されている。

今回、申立書と同時に提出された意見書で、原子力コンサルタントの佐藤暁氏は、地震など自然災害が発生した際の、コロナ対策と原発事故対応の困難さを「難度の高いジャグリング」にたとえ、こう表現した。「原子力災害の被災者、自然災害の被災者、そして感染者の3個の球を、どれも地面に落とさないよう器用に回し続けなければならないのだが、少し手元が狂うとあっというまに3個とも落ちてしまう」と。

そしてこう訴える。「パンデミックも自然災害も人間がコントロールできないが、唯一コントロールできるのは原発事故のリスクであるのだから、原発をどうしても諦めないにしても、せめて手の中にすでにパンデミックという1個の球があるとき、原発事故の発生リスクを排除し、もう1個がこれに加わるのを予防するという案に合意できないか」と。

今回大阪地裁は、この合意にノーをつきつけた訳だが、そもそも福島の事故の収束もできない国が、コロナを収束できるはずもなく、最悪の事態を回避させるには、私たちが、原発を止めさす闘いを、(昨日、菅野みずえさん、水戸喜世子さんらから何度も発言されたが)地道に地道に広めていくしかないのだ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

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