ごく普通の日常生活を送っていた人が、ある日とつぜん殺人罪で逮捕されることがある。彼と彼の家族の人生は大きく狂わされてしまう。

8月28日 大阪地裁は、羽曳野路上殺人事件で逮捕・起訴された山本孝さんに懲役20年を求刑して結審した。6月に裁判員裁判がはじまった際、弁護団長の伊賀興一弁護士は、審理が長期に及ぶこと、証人が非常に多いことなど前代未聞の裁判だと述べていた。私は結局一回しか傍聴できなかったが、最終弁論要旨を読むと、これで山本さんに有罪判決が出せるのか? と驚くばかりだ。

被害者は山本さんの隣に住む女性と愛人関係にある男性Aさんだった。隣人女性と山本さんは垣根の塀の上に置いた植木鉢を巡り、ちょっとしたトラブルをおこしていた。しかし、その際、Aさんが間に入り上手く収めてくれたため、山本さんは当初Aさんに悪い印象は抱いてなかった。

一方の女性も、その件が大きなトラブルとは考えていなかったようだ。事件後警察の事情聴取で、Aさんが抱えていたであろうトラブルについていくつか話していたが山本さんとの件は話していなかった。しかし警察に「ちょっとしたことでもいいから、他にないですか?」と聞かれたため、女性は山本さんとの件を話した。そして警察は山本さんを犯人と見立てていくが、山本さんを犯人と決めつけるあまり、ほかの者が犯人である可能性について捜査してこなかった。

しかし、捜査しても山本さんを犯人とする決定的な証拠はでてこない。それから3年……、新たに捜査主任になった森本氏のもと、山本さん以外に犯人となる者がいないか、いわゆる「つぶしの捜査」を行うこととなった。対象者が誰かは不明だが、事件から3年が経過していることもあり、対象者が協力的ではなく、警察は思うように事情聴取できなかったという。そして、事件から4年後、山本さんを犯人とする直接証拠がないまま、山本さんを逮捕した。

裁判では、Aさんが抱える様々なトラブルが明らかにされた。詳細は省くが、それは山本さんと女性が抱えていた「ちょっとしたトラブル」をはるかに超える深刻なトラブルだった。しかし、捜査側はそれらのトラブルについて、きちんと捜査せずに山本さんを起訴してしまったため、裁判では山本さんをむりやり犯人とするため多くの証人を作り法廷に出廷させてきた、ということだ。

証言者の中には、アバターの専門家までいる。「アバター? 映画『アバター』は面白かったけどな……」と思いながら最終弁論を読む進めるが、そもそもアバター云々はDNA型鑑定やルミノール反応などと違って、科学的捜査方法としての地位は確立されていない。それでもアバターの専門家に必死で証言させる検察……。

犯行現場近くの車のドライブレコーダーに残った映像からは、Aさんが背後から刃物で心臓を一突きされ殺害されていることがわかっている(検察は映像に映っている犯人の背恰好が山本さんと似ているとしている)。最終弁論によれば、「殺害方法は、Aさんと正面からすれ違って、本人確認したのち、隠し持っていた刃物を片手でスムーズに取り出し、被害者の背後から刃物を横向きに肋骨と平行になるようにして肋骨と肋骨の間から心臓を狙って約12センチの深さに達するほどの相当の力で心臓を一突きだけで殺害するというものであった」。

このとき、心臓を狙うけれども返り血がかからないような部位を素早く引き抜いて出血を抑えた刺し方をするなどの高度の医学的知識を、「スーパー勤務」の山本さんにはないだろう。さらに、そのような職業軍人なみの犯行を短時間で実行したのち、何食わぬ顔で家に戻り、出る前同様娘と居間でテレビを見て、いつも通り酒を飲んでいることなどできるだろうか。

ただ、残念なことだが、山本さんには犯人と疑われてしまう理由があった。それは警察の取り調べを受けた際、ちょっとした「うそ」をついてしまったことだ。事件の直前、自宅で娘とテレビを見ながら酒を飲んでいた山本さんは、Aさんの車が駐車場に着いた音を聞き、家から表に出た。駐車場から愛人宅に向かうAさんを監視するためだ。

というのも、Aさんも駐車場から愛人宅へ行く際、山本さんの家近くでタバコの吸い殻をポイ捨てすることなどがあり、そうさせないよう監視していたのだ。しかし、5分経ってもAさんが車から降りてこないために、山本さんは家に戻った。そして奥さんに「どうしたの?」と聞かれた山本さんは、散歩に行ってきたと「嘘」をついてしまった。これにも訳がある。山本さんの奥さんが、山本さんが隣人女性やAさんのふるまいをいちいち気にすることを嫌がっていたのだ。なので、山本さんは散歩と「うそ」をついてしまったのだった。

私は裁判を傍聴したのち、「日本の冤罪」を山本さんに送った。手紙を添えて……。返事はしばらくこなかった。拘置所に面会に通う青木恵子さんから、山本さんは手紙を書くのが苦手と言っていたと聞いた。(そうか、仕方ないか)と思っていたが、裁判が結審した数日後、返事が届いた。

裁判が終わりほっとしたのと、判決がどうなるか不安だという内容だった。そして……可愛い娘が2人います。名前は〇と〇です。早く会いたいですとも綴られていた。普通のお父さんの言葉だった。繰り返すが、そんな人が、職業軍人の訓練を受けたような殺害方法で人を殺せるだろうか?

ほかにも私が『日本の冤罪』で執筆しただけでも、「布川事件」「神戸質店殺人事件」「滋賀県バラバラ殺人事件」「東住吉事件」「湖東記念病院事件」「千葉県東金女児殺人事件」、そして本日9月14日(土)の講演会で徳田弁護士にお話ししていただく「飯塚事件」も……。多くの人たちが警察、検察、裁判所によって大きく人生を狂わされた。

◎[関連記事]徳田靖之さん 弁護士/辺境の声なき声 酌み続け(川名壮志)(2024年1月配信日本記者クラブHP)https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35295

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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◆最高裁で判決が確定しても、彼らは自分たちの誤り、非を認めない

9月2日朝の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日)でコメンテーターの玉川徹さんが、兵庫県の斎藤元彦知事がなぜ辞めないのかについて、「行政官僚らの無謬性(むびゅうせい)にあるのではないか」と話されていた。無謬性とは、日本の政府や大企業がの官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされている原則。ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけないという信念、だそうだ。

玉川さんの発言をXで書き起こしている人がいた。

「国が行政訴訟をおこされて、例えば冤罪とか薬害とか。絶対に最後まで求めない。最高裁で判決が確定するまでは」と。

◎[関連記事]玉川徹氏 斎藤知事を“分析”「最高裁で判決が確定するまでは認めない国と同じ感覚なのでは」(2024年9月2日配信スポニチ)

いや、それはちょっと違う。最高裁で判決が確定しても、彼らは自分たちの誤り、非を認めない。再審で無罪となったあとも、桜井昌司さん、青木恵子さんは警察、検察に「犯人と思っている」と言われたように。

 

青柳雄介『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』(文春新書)

◆袴田巖さんに再度「死刑」を求刑した検察官

9月26日には袴田巖さんの再審に判決が下されるが、週末、青柳雄介さんの『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』(文春新書)を一気に読んだ。

再審法廷で、弁護団の小川弁護士が検察官に向かって諭すようにこう話されたと書いてある。

「袴田巌さんに今日のこの日に出廷できないほどのダメージを与え続けたのは野蛮な警察、検察です。過去に、先輩たちがおこしたこと、あなたたちの責任ではない。ですからどうかこれ以上の有罪立証はやめてほしい」と。

しかし、検察官は延々と袴田さんが犯人とする立証を続け、残酷にも再度「死刑」を求刑した。

飯塚事件の久間三千年さんも一貫して無実を訴えていたが、死刑判決が下されたのち、2年あまりで死刑執行された。しかし、死刑執行されてもなお、闘い続ける人たちがいる。 遺族、支援者、弁護団……。そしてその後の2回にわたる再審請求で、久間さんが犯人でない多くの証拠が明らかにされた。 

◆9月14日は徳田弁護士のお話をお聞きするために、ぜひお集りください!

ずさんな捜査、嘘の証拠、捏造した証拠で久間さんを死刑にいたらしめた人たちは、何を考えているのだろうか? 斎藤知事のように、2人の職員を自死に追い込んでおきながら、ぬけぬけと「私(たち)の判断は間違っていなかった」といえるのだろうか?

9月14日は、徳田弁護士のお話をお聞きするために、ぜひお集りください!

◎[関連記事]徳田靖之さん 弁護士/辺境の声なき声 酌み続け(川名壮志)(2024年1月配信日本記者クラブHP)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
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プレサンス事件で被疑者の机を叩き、長時間に渡って怒鳴り続けていた大阪地検特捜部の検事について、大阪高裁が「特別公務員暴行凌辱罪」で刑事裁判にかけるとした。


◎[参考動画]「刑事司法の歴史変わると言っても過言ではない」不動産会社元社長“違法捜査”、担当検事を刑事裁判へ(読売テレビニュース 2024年8月9日放送)

Xでこの速報をポストしたのは、元裁判官の弁護士、プレサンス元社長・山岸氏の最強弁護団の一人・西愛礼(よしゆき)氏だ。私は、プレサンス事件について、春先、西弁護士を取材していたが、執筆が遅れ、今必死で原稿をまとめている。

無罪判決を勝ち取った山岸氏は、国賠を提訴すると同時に、捜査に関わった特捜検事2人を刑事告発していた。特捜検事を「特別公務員暴行凌辱罪」で刑事裁判を開くよう求める不審判請求で、大阪高裁は8月8日、田淵大輔検事を審判に付す決定を出した。今後、刑事裁判が始まる。

プレサンス事件では、ある「業務上横領事件」の共犯としてプレサンス元社長・山岸忍氏と部下のKと不動産会社のYさんも逮捕された。

今回裁判にかけられるのは、Kを取り調べた田渕大輔検事だ。
 
しかし、Yさんを担当した末沢岳志検事もなかなかの曲者だった。Yさんもいったんは末沢検事に脅され、山岸氏関与を認めるウソの供述を強いられたが、その後「あの供述を撤回してください」と末沢検事に頼み込んだ。しかし、末沢検事は撤回はしなかった。そればかりか、必死で頼み込むYさんをせせら笑っていたようだ。

じつはプレサンス事件の最強弁護団は、KとYさんが取り調べられた録音録画の反訳(書き起こし)を行った。その時間は2人で142時間32分にも及ぶ。カメラに映るのは被疑者の方だが、Yさんが「笑わないで下さい。真剣にしゃべっているのに」というような場面が残っている。

そして最後の最後にYさんが再度「僕の山岸さんについての調書、あのままにしとくんですか」と尋ねると、末沢は「それだけいうんやったら、法廷でひっくりかえせばよろしんやん」などと言っていた。そして……Yさんは実際に法廷でひっくり返してやったんだけどね。詳細は、記事になったら読んでね。

大阪地検特捜部は2009年の村木事件で大失態をおかした。そこからの挽回を図ろうと思ったのかどうかしらないが、今回、関西経済界の大物中の大物、プレサンスを一代で築き、東証一部上場企業に押し上げ、飛ぶ鳥落とす勢いだった山岸忍氏を逮捕した。

起訴し、有罪にできると思ったのだろうか。しかし、あまりにずさんな捜査だった。次々とでてくる証拠はいずれも山岸氏無罪を証明するものだった。検察は「大川原化工機事件」と同様に起訴を取り下げるかと思いきや、ずんずん進んでいき、山岸氏に有罪を言い渡して結審した。

しかし山岸氏には無罪判決が下された。そして山岸氏は最強弁護団とともに「負けへんで」「とことんやったるで」と国賠訴訟を提訴した。同時に取り調べた田渕検事を刑事告発していた。田渕検事は大阪地裁によって不起訴とされたが、弁護団は裁判所に対して起訴するよう申し立てる「付審判請求」を行った。

これに対して地裁は、田渕検事について「特別公務員暴行陵罪の嫌疑が認められるべきである」などと判示したが、起訴までは行わなかった。その後弁護団は高裁に不服申し立てを行っていたところ、大阪高裁で追訴された、ということだ。いけいけ、もっとやったれ!

しかし、なぜ警察も検事も「自白」をとることだけに必死なのか? プレサンス事件でも、税金使って大々的な強制捜査やって、プレサンス、Yさんの会社、山岸氏の自宅などからそれぞれ100箱もの証拠物を押収してきたのに。それをきっちり精査することなく、いや、そんなに時間もかけずに、慌ててKとYさんを逮捕し、2人に嘘の供述を強いて山岸さんを逮捕した。

証拠品を精査せず、とにかく「自白」をとりたい。自白といっても、検察の思うような自白、つまり罪を認めるような自白だ。本当におかしい。なんのために、どういう仕事をしてんだよ! 大阪地検特捜部!

 

山岸忍氏の著書『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(文藝春秋社)

山岸忍さんの著書『負けへんで!』から、改めて、田渕検事の怒鳴っている個所を読んでみた。本当に凄まじい。

「開き直ってんじゃないよ。なにこんなみえすいたウソついて、なおまだ弁解するか。なんだ、その悪びれもしない顔は。悪いと思っているのか。悪いと思っているのか。悪いと思っているんですか(しつこいな)。私は何度も聞いた。ウソはひとつもついてないのかと。明らかなウソじゃないか。なんでそんな悪びれもせずにそんなこというんだ。なぜですか?なぜだ。大ウソじゃないか。よしんばこれでウソを認めて、会社のなかで口裏合わせをしてましたと認めるならまだしも、そこからまた悪あがきをするとはどういうことだ。そういうことなんですか。何を考えているんですか、あなたは。ウソじゃないですか。ウソつきましたね。ついたよね。」
 
「命かけてるんだよ!検察なめんなよ!命かけてるんだよ、私は。かけてる天秤の重さが違うんだ、こっちは。」

そして最後にKさんに

「もうさ、あなた、詰んでるんだから。もう起訴ですよ。ってゆうか有罪ですよ、確実に」

「あなたはプレサンスの評判を貶めた大罪人ですよ。会社から今回の風評被害とかうけて、会社が非常な営業損害をうけたとか、株価が下がったとかいうことをうけたとしたら、あなたはその損害を賠償できますか。10億、20億の話じゃないですよ。それを背負う覚悟で今はなしてますか」

などと脅したのだ。

「あなたは大罪人……10億、20億の損害を賠償できるか」と詰められたら、そりゃびびるわな。

実際、?はこうして脅されウソの供述(山岸さんも関与)をしたが、その後の裁判でも検察側について、うそをつきとおしたのだ。それでも山岸さんは、この部下Kを取り調べた田渕検事を告発したのだ。

もう30年ほど前、ある冤罪の専門誌みたいな本を読んだ。そこには、「日本は未だに自白中心主義で……」と批判する箇所があった。30年経った今でもそのまんまじゃないか? 自白をとることだけに必死ではないか? どうなってんだ。日本の司法は? 警察、検察は? 税金で集めた証拠をちゃんと精査して、事件を解明しろや!

それにしても大阪地検特捜は、村木事件に続く今回の大失態をどう「決着」つけるのか。


◎[参考動画]【独自取材】特捜部検事に対する刑事裁判を開く異例の決定 冤罪事件となった「プレサンス」事件〈カンテレNEWS〉(2024年8月9日放送)

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月刊『紙の爆弾』の最新号記事がnoteで一部公開・購読可能となりました。記事単位での購入も可能になりましたが、『紙の爆弾』はあくまで紙がメインのメディアです。興味を持っていただけましたら、ぜひ書店でお手にとっていただければ幸いです。定価700円(税込)、年間定期購読7700円(1号分お得です)。ここでは8・9月合併号(7月5日刊行)の注目記事2本の一部を紹介します。

◆本当にワクチンを打つべきなのか? ウィルス「不存在」をめぐる科学的議論
 取材・文◎神山 徹(医療ジャーナリスト)

 

 

接種開始から約3年で、過去の全てのワクチン(約45年間)の被害件数の1.5倍という空前の健康被害を生んだ新型コロナワクチン(mRNAワクチン)について、接種中止を求める声が、日増しに高まっている。

ただし、それ以外のワクチンについては、出生直後から何種類もの接種が、変わらず推奨され続けている。本稿ではそれらを含めたワクチン全体について、立ち止まって考えてみたい。

そもそも、ワクチン接種が推奨されるために、不可欠な要件が二つある。一つは、対象となる病原性ウィルスが存在すること。二つ目は、そのウィルスに対応する「獲得免疫」が存在することである。

当然のようでも、この二つが存在しなくては、病気の原因となるウィルスの感染を予防するためのワクチン接種を推奨することはできない。

まず、病原性ウィルスの存在を証明するためには、ウィルスを「分離」して、「同定」(一つの物質と決定すること)して、その病原体の感染性、病原性を証明しなくてはならない。

獲得免疫を証明するためには、病原体の抗原(免疫応答を引き起こす物質)に特異的に抗体(抗原を体外へ排出するタンパク質)が結合して、その後の感染を予防することを証明しなくてはならない。

しかし、本当にこれら不可欠な事柄が証明されているのかを見た時、実は大きな〝壁〞が存在しているのだ。

「コッホの四原則」を満たすウィルスは証明されていない

ある病原体が特定の病気の原因である、すなわち病原性を持つ病原体であることを証明する〝黄金律〝と認識されているのが「コッホの四原則」である。その四原則を次に示す。

① 最初に、特定の症状を呈した人から常に検出されること(検出)

たとえば天然痘であれば、他の水疱と明確に区別できる水疱から天然痘ウィルスが必ず検出できること。

② 次に、その特定の患者からはほぼ純粋な状態で分離できること(分離同定)

天然痘の水疱から、ほぼウィルスだけの純粋な状態で分離できること。

③ その病原体の純粋な培養を、感受性のある動物・人に接種すると、同じ特定の症状を示す疾患が現れること(感染実験)

純粋な天然痘ウィルスだけを接種した人に、再び天然痘に特徴のある水疱が現れること。

④ ③により同じ特定の症状を表した動物・人から再び純粋培養の形でその菌・ウィルスが検出できること(検出)

接種して発症した人の天然痘に特徴のある水疱から、天然痘ウィルスが検出できること。

理にかなった、誰しもが納得する原則ではないだろうか。ドイツの医師ロベルト・コッホは1876年、この原則を用いて炭疽菌による病気が感染症であると証明したと報告されている。

しかし、他の多くの疾患、特にウィルスが原因と教えられる感染症が、この原則に正確に従って証明されたことは、実は、ほぼない。コッホ自身が行なった、この四原則に従って炭疽菌が病原体であることを証明したという実験についても、詳細が検証できないためいくつかの疑問が残るのだが、この四原則は現在も論理的であり、科学的であると認められている。

病原体が外から体内に侵入し、増殖することが病気の原因であるとする病原体病因説の父と評されるのが、同じくドイツのルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー博士である。だが、彼は晩年(1902年)、「私がもし人生をやり直すことができるなら、細菌が病気の原因ではなく、病気の組織という本来の生息する場所を求めてそこにやってきていることを証明するために一生を捧げる」と言ったと伝えられている。細菌やウィルスが病気の原因ではないことに気付いたウィルヒョー博士の後悔の発言だ。

彼の言葉は別の言い方をすれば、「ゴミに集まるハエはゴミの原因ではない」ということである。すなわち、病気の組織に増えてくる細菌やウィルスは病気の原因ではなく、結果であるという意味だ。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n430218a6f1d4

◆日本の冤罪《特別編》西成女医変死事件 大阪・釜ヶ崎に集う人々が真相を追う〝逆冤罪事件〞
 取材・文◎尾﨑美代子(大阪西成「集い処はな」店主)

 

 

2009年11月16日未明、大阪・木津川河口の千本松渡船場で釣りをしていた男性2人が、女性の遺体を引き上げた。女性は14日早朝、同区内の診療所から行方不明になっていた矢島祥子(さちこ)さん(当時34歳)で、釜ヶ崎の日雇労働者や生活保護者、野宿者らに「さっちゃん先生」と呼ばれ親しまれていた女医だった。

西成署は遺体発見からまもなく祥子さんの死を、過労を理由とする自死と断定していたが、遺族は遺体の状況などから殺害ではと疑った。しかし、その後も関係者の間では祥子さん自死説が強まっていく。

そんな時、釜ヶ崎に通い事件を知った桜井昌司さん(布川事件冤罪被害者・2023年逝去)は、これを「逆冤罪事件」と呼び始めた。

 あの日、矢島祥子さんに何があったのか?

行方不明になる前日の11月13日、祥子さんが最後の患者を診終えたのは19時45分頃のことだった。20時過ぎにB看護師が、22時頃にA所長と職員Cさんが診療所を退出。Cさんによれば、祥子さんは奥の部屋のパソコンで作業をしていたという。

その後、23時18分から37分の間に祥子さんが退出・入室していることが、彼女名義の警備会社のセキュリティカードの履歴から判明している。日をまたいだ14日の4時15分頃に電子カルテがバックアップされ、同16分に退出が記録されている。

最後にカードを使用した際、誤作動が生じてアラームが鳴り始め、警備会社が祥子さんに電話をかけていた。それまでも祥子さんは誤作動が生じると、自ら警備会社に連絡したり、警備会社からの電話に出ていた。しかし、その日、祥子さんが電話に出ることはなかった。そのため警備会社が緊急出動してアラームを止めたが、診療所には誰もおらず、すでに30分が経過していたため、問題なしと報告されている。

同じ頃、祥子さんの携帯電話から、翌日会う約束だった友人Xさんに予定をキャンセルするメールが送られていた。のちに、実際のメールの着信時刻と、Xさんが遺族と診療所へ報告した時刻が違っていたため、遺族が正確な時刻を確認したいとXさんに申し出た。しかし、携帯が壊れたとの理由で確認は出来なかった。

14日の朝10時過ぎ、出勤しない祥子さんを心配して、看護師Dさんが徒歩10分ほどの祥子さんの自宅を訪ねた。祥子さんは不在で、施錠されていなかったため中を覗くと、室内は整然としていたという。

その後も職員らが何度か祥子さんの携帯に連絡をいれたものの繋がらず、13時10分過ぎに、A所長とD看護師が再び祥子さんの部屋を訪ねたが変わりはなかった。

翌15日になっても祥子さんが出勤しなかったため、彼女の身に何かあったのではと危惧し、A所長らが西成署に相談する。その際、捜索願は親族から提出する必要があるといわれたのを受けて、A所長は初めて群馬の実家に電話をかけた。

両親は地元の警察署に捜索願を出し、次男の洋さんを大阪へ向かわせた。洋さんは西成に到着後、診療所でA所長と面談し、その後ホテルで警察の連絡を待ちながら、16日の深夜には長男の敏さんに電話で報告を行なった。

敏さんの携帯に再び洋さんからの連絡が入ったのは、それから一時間ほどだった。その時の心境を敏さんはこう振り返る。

「洋との電話を切り、少し横になっていたら電話が鳴った。いつでもとれるように着信音を最大にしていたんです。もう嫌な予感しかありませんでした」

電話は祥子さんらしき遺体が見つかったことを知らせるものだった。

事態を伝えた洋さんは、西成署に向かい霊安室で遺体と対面した。昼前には両親と敏さんも西成署に到着。その際、祥子さんの首に赤黒い傷(圧迫痕)があるのを敏さんが見つけ、医師である母・晶子さんに告げた。

一方、祥子さんの遺体を司法解剖した大阪市立大学(当時)の結果報告を受けた西成署は、死因を「溺死」とし、「自殺の可能性が高い」と遺族に説明した。

16日夜、釜ヶ崎の「社会福祉法人聖フランシスコ会ふるさとの家」で「お別れの会」が催された。敬虔なクリスチャンだった祥子さんがミサに通っていた場所で、彼女を知る多くの人が集まった。その場にいた多くが祥子さんの死を自死と認識し、それを遺族に告げる人までいた。

西成署が「自死の可能性が高い」と判断した背景には、のちに祥子さんの交際相手と名乗り出た元患者の男性Yさん(当時62歳)のもとに、祥子さんから届いた絵葉書の存在がある。消印は祥子さんが失踪した14日。そこには「出会えたことを心から感謝します。釜のおじさんたちのために元気で長生きしてください」と書かれていた。晶子さんによれば、祥子さんは友人や患者さんに、よくそのような絵葉書を書いて渡していたという。

しかし遺族は、祥子さんの自死説に到底納得いかなかった。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/ncb596cd6fef7

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年8・9月合併号

『紙の爆弾』2024年 8・9月合併号

科学者は誰も信じていない CO2温暖化説の嘘ともたらされる被害 広瀬隆
植草一秀解説 米国債を売れば50兆円利益と円安是正 米官業「日本政府支配」
災害や感染症を利用し地方自治を破壊 地方自治法“戦前回帰”の大改悪 足立昌勝
WHOの公衆衛生全体主義を許すな!「パンデミック条約反対」日比谷公園2万人集会 高橋清隆
本当にワクチンを打つべきなのか? ウィルス「不存在」をめぐる科学的議論 神山徹
学歴詐称・事前運動疑惑、裏金自民援護 東京都知事選で露呈した小池都政の正体 横田一
フィリピン元大統領報道次官が訴える日比米安全保障の罠と日本との連帯 木村三浩
モディ政治の光と影 グローバル・サウスの盟主・インドの実相 浜田和幸
日本もパレスチナ国家承認を拒否 ガザ停戦を阻む米欧大国と日本の「論理」 広岡裕児
重信房子さんに聞く世界と日本の学生運動が証明するパレスチナ抵抗の正当性 浅野健一
政権交代に向け見極めるべきもの いま日本政治の転換を迫る負と正の力 小西隆裕
「岸田続投だけはありえない」「裏金国会」がもたらした自民党内の暗闘 山田厚俊
「社会貢献活動」法人設立の目的 ジュリー前社長が離さないジャニーズ最大利権
被害額は昨年から倍増 オンライン詐欺の実態と“野放し”の理由 片岡亮
世界史の終わりとハードボールド・ワンダラランド 佐藤雅彦
シリーズ日本の冤罪 特別編 西成女医変死事件 尾﨑美代子

連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け:西田健
「格差」を読む:中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座:東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER:Kダブシャイン
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約ひと月前の早朝、店の近くで火災が発生。店が休みで私はいなかったが、いろんな人から「大丈夫」と連絡があった。翌月曜日、現場を見たが、ものの見事に焼け落ちていた。報道ではこの火災で2階に住んでいた40代女性が焼死したという。

「えっ、あそこ、人が住んでたの?」と私は驚いた。釜ヶ崎周辺、飛田当たりには、いわゆる昔「連れ込み宿」と呼ばれていたような建物がある。火災があった建物もてっきりそういう建物で、人は住んでないと思っていた。が、人は住んでいた、しかも40代の女性だという。

その火災の翌日、すぐ近くで更に大規模な火災がおこり、店舗10件ほどが被害にあった。そこは近年、この界隈で中国人の女の子をおくスナックで、火災現場もその一角だった。スナック街の経営者はここ20年で成功を収めた兄さんで、一軒目を始めるまでは建設作業員として働き、店の常連客と一緒にうちの店に来たこともあった。

彼が仕切る火災現場は、火災翌日にはもうチャチャチャと片付けが進んでた。現場には、スナック街を仕切る彼の不動産会社の名前が書かれたトラックが横付けされていた。

一方で、その前日の連れ込み宿みたいな建物の火災現場は、ひと月経った今でもそのままだ。つまり片付ける人がいないのだろう。ひと月経った今でも、煙の臭いが漂う。

そして、こちらの現場では、周辺の監視カメラなどから犯人が判明したとのニュースが。

それにしても、この建物に人が住んでいたことに驚かされる。誰がどのように管理し、しかも40代の焼死した女性を住まわせていたのだろうか? 釜ヶ崎にたどり着いた40代女性は、どのような経緯で、この建物に住んでいたのだろうか?

女性は名前も判ったために、家族などに連絡が行くだろう。

2016年9月、店の近くの安いドヤで若い男性の遺体がみつかる。腐敗が進んでいたが、自殺と考えられた。男性の部屋には2000万円の現金が残されていたが、男性の身元は判明していない。2000万円残して亡くなった男性が住んでいたのは、週4250円で住める界隈でも格安のドヤだった。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D5R2HKN5/
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雨が降ったり止んだりの金沢市・いしかわ四高記念公園に約1100人が集まった。集会では、志賀原発訴訟弁護団長・岩瀬正明さん、ルポライター・鎌田聡さんほか、各地で反原発を闘う皆さんが次々と発言され、非常に充実した内容であった。

◆北野さんと塚本さん

話はちょっとそれるが、私が何より嬉しかったのは、5月の連休に珠洲原発の予定地を案内して頂いたり、なぜ原発建設を凍結に追い込んだのかのお話をお聞きした北野進さん(元石川県議、珠洲市議)の嬉しそうなお顔が見れたことだ。集会前も、会場のあちこちを走り回り、知った方々に挨拶してまわる北野さん。私は思わず1枚写真を撮らせてもらう。

「北野さん、何か嬉しそうですね」

「そりゃ嬉しいですよ。こんなにたくさんの人が、全国から集まって……」といいながら、またあちこち回ってらした。

北野進さんと北野さんの著書『珠洲原発・阻止へのあゆみ』の一節

もうひとつ感動したのは、伝説の人にお逢いできたことだ。最初はわからなかった。「能登からの発言」である男性がマイクの前に立った時、会場から「まことさん」などと声がかかっていた。「誰やろう?」とタイムテーブルを見ると「塚本真如(珠洲市高屋町円龍寺住職)」とある。

私が金沢に来る電車内でも読んでいた北野さんの著書『珠洲原発・阻止へのあゆみ』(七つ森書館)に書いてあった人だ!。ちょうど雨が酷くなり、取材用のICレコーダーが濡れては困るので、私は、ステージ脇のテントに入らせて貰っていた。私が「あっ、この方か?」と思った瞬間、近くにいた北野さんが「そう! その人ですよ」というような顔をされた。

珠洲市高屋町天龍寺住職の塚本真如さんと6.30金沢集会のスケジュール

◆珠洲の人たちは「原発はいらない」と思っていた

あれは、1989年の珠洲市長選に、前年に珠洲に来たばかりの29歳の北野さんが出馬することになった。それまでのいきさつはまた何かで書かせて貰うが、結果、現職当選となったものの、北野さんともう一人の反現職派候補の得票数を合わせると現職の得票数を440票上回っていた。それほど珠洲の人たちは「原発はいらない」と思っていたということだ。

それまでは多くの住民が、「地域で世話になった」「お父さんがあの人に投票してというから」などの理由で投票してきた。しかし、原発建設を止めるには誰に投票したら良いか、自分で考え決めなくてはならない。「これまでAさんに投票してきたが、Aさんは原発に賛成なのか?反対なのか?」と皆が考えだした。

市長選で、珠洲市民はの多くは原発はいらないと示したのに、その後、関電が建設予定地の調査に始めた。「何やってるんだ、関電!」。住民たちは身体を張って闘い調査を止めさせた。つまり市長選で市長にはなれなかったが、北野さんの出馬は、住民に大きな変化をもたらせたということだ。

それから2年後の1991年、石川県議選があった。詳細は省くが、北野さんらの仲間はまた悩んだ。市長と県議では立場が違う。県議選を闘うか、闘うなら誰を擁立するかの会議が続く。北野さんを推す人もいるのだが……。なかなか決まらない。

そんな時、高屋町(寺家地区と並び珠洲原発の建設が予定されていた地域)のお寺のご住職で、反原発運動の中心的人物だった塚本真如(まこと)さんが、会議中の部屋から北野さんを外に連れ出し、こう言った。

「おれはあんたにもう一回市長選をやってもらいたいと思っているから県議の候補者には推してこなかった。あんたはどう思う?」

北野さんはこう答えた。

「僕もこれまでのいきさつからして、もう一回はなんかの選挙に出なきゃならんと思ってます。ここで県議選を闘わなかったら3年後の市長選もないですよ。3年後はもっといい人を探すとして、県議選でやりましょう」。

北野さんは出馬し、革新系で初めての県議となった。もちろん塚本さん始め、北野さんの仲間の皆さんの力がなくては無理なのだが、何というか、北野さんのこの政治的決断力、判断力には驚かされるばかりだ。

北野進さん

◆次に止めるのは志賀原発だ!

北野進さんおっかけ記事みたいになって申し訳ないが、30日の集会全体に「珠洲原発建設を止めてくれてありがとう」みたいな感じが溢れてて感動した。もちろん、それで終わってはいけない。次に止めるのは志賀原発だ!

「志賀原発訴訟弁護団長」の岩淵正明弁護士が明らかにしていたように、元旦の能登半島地震では志賀原発の3つの欠陥が明らかになった。

1つ目は、地震に対する完全確保が全くされてなかったということ。地震で150キロにおよぶ長大な活断層などが一瞬のうちに連動して動いたが、北陸電力も規制委員会もこれを全く予測できていなかった。

2つ目は、地震による隆起に対する対策がとられていなかったこと。4メートルもの隆起が能登半島の北部で発生した。明治以来最大規模といわれている。今後予想される志賀原発沖合の活断層が連動して動けば、志賀原発そのものが隆起して傾くことが予想される。しかし、北陸電力も規制委員会も全く対策をとっていない。

3つ目は、原発事故が起ったら住民は逃げられないということがわかったことだ。能登半島には11路線の主要な幹線道路があるが、うち7路線が地崩れ、陥没、隆起して通行できなくなった。原発事故がおこった場合5キロ圏内の人はただちに避難しろといわれているが、どうやって避難できるのか。30キロ圏内の人は、屋内待機となっているが、退避する家屋が倒壊してしまった。

さらに30キロ圏内だけに限っても、8か所もの集落が孤立したことがあきらかになった。外に連絡もとれず、逃げ出せず、長いところで1週間も続いた。避難計画など絵に描いた餅だ。

この3つの欠陥が明らかになった今、志賀原発はもう廃炉しかない!そのことを確認した6・30の全国集会だった!
 

「のとじょ」(原発いらない 能登の女たち)の方々の発言に感動。泣いてしまいました(写真=二木洋子さんのFacebookから)

最後に北野進さんの呼びかけ!

「6.30 さよなら!志賀原発全国集会」で皆さんは金沢まで来られたが、次に来るときにはぜひ能登半島に来てください。原発の建設予定地の海底がものすごく隆起している。私はそれをこの目で確認した。ここに原発が建っていたら……。その恐ろしさ、こんなところに原発を建てようという人間の愚かさを、その目でしっかり見て下さい!

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

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数年前、鹿砦社の松岡代表に勧められ、同社の『紙の爆弾』の「日本の冤罪」シリーズを始めるということで執筆させてもらうことになり、多くの冤罪事件を取材し、記事にまとめてきた。その18本の記事を、昨年11月一冊の本『日本の冤罪』にまとめて頂いた。本を読まれたいろんな方から手紙やメールなどを頂いていたが、先日鹿砦社に届いた読者カードを見せてもらい、ふと思った。私の書いた文章は誰かの心に響いているのだろうか……。

私自身にもたくさんの心響かせてもらった文章がある。小説、論文もあれば、Twitter(現在のⅩ)のわずか140字の文章もある。道に迷って前に進めずにいるとき、ふと取り出してそれを読み直す。そこから何か力をもらい前に進めるような気がしてくるのだ。同じように、私の書いた文章が誰かの心に響き、その人を前に動かせるようになったら、とても嬉しいと思っている。

そう願いながら、鹿砦社のタブーなき月刊誌『紙の爆弾』、書店販売雑誌としては国内唯一の反原発誌『季節』、「デジタル鹿砦社通信」などで原稿を書いている。私にはもっともっと書きたい題材がある。反原発問題では、声を大きく上げられない人たちの訴えを今後取り上げていきたいと考えている。

例えば、がん治療中のため本人への取材が困難だが、3・11後関東から大阪に移住し、現在、大阪市から住居の追い出し攻撃にあっている女性がいる。日々の生活が困難ななか、一度だけ知人の車に乗せてもらい、私の店にきてくれた。わずか数分だけだったが、彼女と話すことができた。その裁判も7月に結審を迎える。早急に記事をかき、多くの人に知ってもらいたい。

西成労働福祉センター周辺からの野宿者強制排除問題についてもぜひ、多くの方に知ってもらいたい。20数年前、この町に来た時にはバリバリ働いていた労働者の半分はもうなくなっただろう。

残っている人は高齢化し、町も変貌を遂げている。しかし、かつてと変わらないものがあるのではないか。それはガチの「釜ヶ崎人情」。装った釜ヶ崎らしさ、労働者の町らしさではなく、あるいはそれらしさから掠め取った上澄みではなく、ガチの「釜ヶ崎人情」、それを私は書き残していきたい。

そして取材して記事にしたい冤罪事件がまだ山ほどある。だから、ぜひ鹿砦社を存続させてほしい。どこにも誰にも忖度せずに 真実を追求できる表現の場はそうそうないのではないか? その証拠に鹿砦社は、関西で起きたM君リンチ事件に関して裁判の支援のみならず、関連本を6冊も出版してきた。

裁判には私も支援して関わってきたが、当初驚いたのは、関西で反差別、反権力を闘う人たちがほとんどいなかったことだ。考えたら当然かもしれない。M君にリンチを加えた人たち及び彼らを擁護してきた人たちは、それまでカウンターと称した反差別、反権力の闘いを果敢に闘ってきた人たちだからだ。そういう人たちは、反差別、反権力を訴え、闘う人たちが絶対に差別的なことをしないとでもいうのだろうか。皆さん、それほど立派な方々なのだろうか? 誰にでも間違いはある。問題はそれを自覚し、自らを糺していくことだ。

間違ったこと、非難されるべきことは、自身で自覚できることもあるが、他人から指摘され自覚できることもある。なぜ、それが叶わないのか?「忖度」という言葉しか思いつかない。確かにともに闘ってきた仲間を批判するのは、その後の関係性などを考えると面倒だ。できれば「スルー」したい。でも松岡さんが常々いうように、私も「私に悪いこと、間違ったことがあったら、ぜひ指摘してほしい」と思う。批判することイコール決別ではないのだ。私は、死ぬ間際まで「尾﨑さん、それ間違ってますよ」と指摘して頂きたい。

ここ数年、M君リンチ事件とその関連裁判が続くなか、常日頃、いろんな問題を討議しあう仲間とも、このリンチ事件はほとんど討議することはなかった。たまに話題になっても「ああ、なんか聞いたことあるわ。でももう済んだことでしょう」と言われたり「仲間うちのいざこざだろう」といわれたこともあった。

そんなこともあり、とにかく私もこの件で一回文章を書かなければと思っていた。それはリンチ関連本に掲載されている。読まれてない方もぜひ手に取って読んで頂きたい。様々な文章を書かせてもらったが、そのなかで、自分の好きな文章を選ぶとしたら、これは3本の指に入ります。

そんな記事が書けたのも、一切忖度なしの鹿砦社の表現の場があったからだ。

出版界はただでさえ構造不況業種だが、新型コロナ襲来以来、書店、取次会社(卸店)、そして多くの出版社が苦しんでいる。残念ながら鹿砦社もこれに巻き込まれ苦闘している。多くの方々が鹿砦社の支援に動いておられる。最寄りの書店で発売中の『紙の爆弾』を買い求め、その巻末に記載されている支援方法で、みなさんのできる範囲で支援いただきたい。この鹿砦社の存続のために、ぜひご協力をお願いしたい。

※               ※               ※

■『紙の爆弾』次号は、8月・9月合併号として7月6日発売となっております。ご購読お願いいたします。なお、8月発売号は諸事情でお休みさせていただくことになりました。

また、『季節』創刊10周年記念号(夏・秋合併号)は8月5日発売で、目下急ピッチで編集作業が進行中です。こちらもご予約お願いいたします。(松岡)

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▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「警察はなんであんなに頑固なのだろうか……」。

6月10日より大阪地裁で始まった裁判員裁判がある。大阪府羽曳野市で2018年2月、当時64歳の男性が刺されて殺された事件で、殺人の犯人として逮捕された山本孝さん(48歳)の裁判だ。事件発生から4年後に逮捕された山本さんは一貫して犯行を否認している。そしてようやく迎えた刑事裁判は、異例の長期審理となるそうだ。

弁護団長を伊賀興一弁護士が務めていることもあり、おつれあいの伊賀カズミさん(国民救援会大阪府支部会長)が青木恵子さんに「傍聴に来て」と依頼していた。青木さんは多忙な中、傍聴にいっていた。

私も行きたいところだが、仕事の時間と重なり行けなかったが、傍聴帰りに店に寄る青木さんにその都度、話を聞いていた。そうしたところ、6月20日の朝、青木さんから「夕方から弁護団が緊急の記者会見をやるそうです。ママは来れないね」とメールが来た。

確か来週月曜日に山本さんの本人尋問が予定されていたはず。なのに、なぜ今日(6月20日)突然に……と思い、私は店を休んで会見に行ってきた。


◎[参考動画]羽曳野市の殺人事件で初公判 被告の男「やっていません」起訴内容を否認(テレビ大阪 2024/06/10)

◆山本さんを犯人とする直接証拠は全くない

山本さんを犯人とする直接証拠は全くない。そのために「山本しかいない」とあれこれ「言い訳」するかのように証人が多く登場する。裁判が始まって10日目で、17人予定されている証人のうち11人が証言台にたった。

青木さんの話では、ある日は事件当日の夜、灯りがついていた山本さんの家に聞き込みにきた女性刑事が証言に立ったという。女性刑事に応対した山本さんの奥さんは「主人が散歩のため家を出た」と話し、散歩から戻った時刻がだいたい午後9時30分頃だったと話したという。

刑事の手帳にも「9時30分頃」との記述があり、刑事は裁判前、ほかの刑事に「(山本さんが)家に戻った時間」と言っていたという。しかし、裁判の証言台に立った女性刑事は「戻ったのではなく散歩に出た時刻」と証言したという。 

事件が起きた様子はこうだ。被害者の男性が、食事後内縁関係の女性を先に家の前で降ろし、男性は近くの駐車場に車を止めにいった。男性はそこから女性の家に歩いて帰る途中襲われた。

犯人が現場を去った時刻は周辺の防犯カメラやドライブレコーダーの映像などから午後9時44分とわかっている。そしてその不審な男性の背格好が、山本さんに似ていたというだけで、山本さんが逮捕された。もちろん顔など一切映っていない。 

◆山本さんの些細な嘘と警察の杜撰な捜査

実は、山本さんは、その女性と植木鉢をめぐって近隣トラブルを起こしていた。その日も「散歩」ではなく、車の音がしたので、降りてくる様子などを確認(見張り)に行ったのだった。

「見張り」していることを家族に知られたくなかったのか、山本さんは「散歩に行ってくる」と家族に告げて出ていた。その些細な嘘も、山本さんが疑われた背景にあったのだろう。

しかし、裁判で証言台に立った山本さんの家族(元つれあいと長女)は、散歩から戻った山本さんはいつも通りにくつろいで酒を飲んでいたと証言した。詳細は省くが、殺害方法が非常に残忍というか、一発で仕留めるような特殊な方法だが、そのようなスナイパーのような方法で殺害してきて、いつも通りにのんびり家族と過ごすことができるだろうか?

また、被害者は路上で殺害されたが、警察、検察は被害者は「密室」で殺害されたかのような主張を行っていた。つまりその住宅地に入るには3箇所しか入れる場所はなく、そのいずれの入口の防犯カメラでは、当社夜8時~11時の間、不審者が入った形跡はないというものだ。だから、犯人は当時その住宅地にいた者だと。4年間で約460人の容疑者が浮かんだが、結局地元に住む山本さんが犯人とされた。

今日(6月20日)の裁判では、先の3つの入口からしか入れないとの検察の主張が崩され、警察官が弁護側が主張する「ほかのルートもあった」を認めたという。

◆「なんで、警察というのはあんなに頑固なんですかね」

6月20日、私は店を休み、なるべく良い場所を確保しようと、弁護士会館に5時過ぎに着いた。6時まで別の会議が入っていたため、部屋の外で待っていると、カメラを担いだ報道陣などぼちぼちがやってきた。そのあとに「ここかな?」と不安そうにやってくる初老の男性がいた。青木さんから「今日の会見にはお父さんが出席するそうよ」と聞いていた私はとっさに「お父さんだな」と思った。

しばらく窓際で並んで黙っていたが、おもわず「山本さんのお父さんですか」と話しかけた。「そうです」と男性。「私はこういう者です」と持参した自著『日本の冤罪』を渡そうとした。青木さんから、裁判には両親、山本さんの姉、おばさんらが泣きながら来ていると聞いていた。

青木さんは、「自分が持っている『日本の冤罪』を今日の午前中の裁判で家族に渡す」と言っていた。何人かで読むのは時間がかかるだろうから、私も一冊家族に手渡す予定で持っていった。1冊を5000円、1万円で買ってくれる方もいるので、「これを読んで冤罪を知って下さい」と関係者に無料で渡す使い方もありだと考えていた。

するとお父さん、本をじっとみながら「これは、伊賀先生のところで『読んでおいて』と渡されました」という。ああ、そうだったんだ。そして、5階の窓の下に見えるきれいな花を見て、「きれいな色ですね。弁護士会館の外に咲いてたのと色がぜんぜん違う」とお父さんがいう。

そう、あの花、いつもこの時期、弁護士会館の入り口にきれいに咲いている花だ。そんなに色が違うとまで見ていなかった私は「玄関先に咲いてるのは排気ガスとか吸ってるからですかね」というしかなかった。

そしてまたぽつりとお父さん。「なんで、警察というのはあんなに頑固なんですかね」と。 

「今日来ている青木恵子さんなんか、再審で無罪になったのに、国賠で当時取り調べた刑事が、今でも青木さんを犯人と思ってると言ってましたよ」と話した。そして、「多くの人が警察は嘘をつかない、市民を守ると思ってますから」と話した。でも違うから。山本さんのお父さんがいうように、警察、検察は頑固だ。一度こうと決めたことを絶対に変えない。変えたくない。だからいつまでも冤罪が起きてしまう。伊賀弁護士は会見中何度も強く訴えていた。「山本さんの無実を勝ち取ること、そして冤罪を作らないために弁護活動をやっていきたい。」

会見中の弁護団(6月20日筆者撮影)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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2019年末、東証一部上場企業の大手不動産会社「プレサンスコーポレーション」の山岸忍元社長が「業務上横領」で逮捕・起訴された事件で、山岸さんはその後一審で無罪を勝ち取った。

 

6月11日のテレビ報道

地検特捜部は控訴しなかったため、判決はそのまま決まった。その後、山岸さんが提訴した国賠訴訟が山場を迎えている。

事件については「日本の冤罪」シリーズで今後紹介したい。一代で大企業を築いた山岸さんはこの事件で248日間不当に囚われら、自身の子供のような会社を手放す羽目になった。山岸さんは、逮捕時より一貫して否認していた。しかし、山岸さんの前に逮捕されていた部下のKさんと関連不動産会社社長のYさんが「山岸さんも(横領に)関与していた」と供述したため、山岸さんも逮捕となった。

「なんじゃ、こりゃ」と思っただろう山岸さん。それもそのはず、飛ぶ鳥落とす勢いのプレサンスは当時で5年先までのマンション建設予定の土地を確保していた。そのため、わざわざ「横領」してまで、難しい土地を購入する必要などなかったのだ。ではなぜ山岸さんは逮捕されたのか。前述したが、KとYが「山岸さんも関与していた」と嘘の供述をしたからだ。

しかも、ゴーンさんの国外逃亡劇があった時で、山岸さんの保釈はなかなか認められなかった。山岸さんが当時で最高額の保釈金を積んだとしても、まだまだ金はあるから、ゴーンさんのように逃亡するのではないか、あるいはKとYを金で買収するのではないかと懸念されたのだ。

6回目にようやく保釈された山岸さん、さらに優秀な弁護士を集め裁判の準備を進める。詳細は省くが、次々に出てきた証拠はすべて山岸さんを無罪とするものだった。「なんじゃこりゃ」と山岸さんが思ったかどうかわからん。

 

6月11日のテレビ報道

弁護団が力をいれたのが、大阪地検特捜部の検察官がKとYを取り調べた際の録音録画の反訳(書き起こし)だ。

膨大な反訳を業者に依頼せず、弁護団自身で行った。その結果、大阪地検特捜部の検察官のとんでもない実態が明らかになった。脅し、脅し、机バン、気休め、小さな飴、利恫喝、脅しなどが繰り返され、KもYも結果として「山岸さん関与」を認める供述をしてしまったというわけだ。

今日大阪地裁の法廷に出廷したのは、Kを取り調べた検察官だ。

この検察官とのやりとりは本当にみたかった。でも裁判終了後の山岸さんらの会見をみてると、Kさんを取り調べた大阪地検特捜部・田淵大輔検事は、相変わらずいい加減な証言をしていたみたいだ。

裁判に出席した西弁護士のⅩ

 

山岸忍氏の著書『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(文藝春秋社)

田淵検事の取り調べ内容とこのプレサンス事件のもうひとつの肝は、今回大失態を起こした大阪地検特捜部は、10数年前にも、村木厚子さんの事件で同じような大実態を犯しているということだ。郵便不正・厚生労働省元局長事件とも呼ばれる事件で、大阪地検特捜部は村木さんを逮捕・起訴したが、一審で無罪判決が下されている。

しかもこの事件では、特捜部の担当検事が裁判の証拠書類のフロッピーディスク(懐かしい響き)の文字を書き換え、証拠の改ざんをはかっていた。それが、その後ばれ、改ざんした検事はもとより、彼を庇っていた上司の検察官も逮捕されるという一大不祥事件に発展していた。

担当検事、上司らはその件で検察官としての政治生命は絶たれたが、当時もその大事件の真っただ中にいて、今回の山岸さんの事件にも関わっていた検事がいる。その人物こそが、山岸さんを取り調べた検事、組織内で「チーママ」と呼ばれ、バカラで飲ませる店でしか飲まないという山口智子検事だ。

そう、山岸さんが最初に任意の取り調べに呼ばれた際、「社長! いらっしゃーい!」とにこやかに迎えた女検事だ。今日は書かないが、この山口検事が村木事件でどのような役割を果たしたかを知ると、プレサンス事件での彼女の動きに何か味わい深いものを感じてしまう。いつまでもチーママな山口検事。実は彼女は山岸さんと同じ同志社出身らしい。特捜部の安っぽい脳みその持ち主の上層部が「ここは山口を当てれば山岸も落ちるだろう」と安易に考えていたのだろう。ところが、そうはいかなかった。私がこの事件で取材した西愛礼弁護士によれば、山岸さんは本当に嘘がつけない人なのだ。だから……。

という訳で、話はかわりますが、先日再審請求に棄却が下された「飯塚事件」をもっと知ろうと徳田弁護士を大阪にお招きする計画を進めています。現在、関係者と「調整中」(小池百合子っぽいね)。8月頭の土曜日になる予定。頭の隅っこにそっとメモしててね。


◎[参考動画]【特捜部の「取り調べ映像」独自入手】「検察ナメんなよ」怒鳴り続けた検事 強引な捜査で『冤罪』 証言を強引に引き出す特捜部の実態 21億円の巨額横領(カンテレ「newsランナー」2024年6月11日放送)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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飯塚事件の再審開始は認められなかった。女児2人が何故殺害されたかはわからぬまま。

1992年、福岡県飯塚市で女児2人が通学途中何者かに連れ去られ遺体で発見された。この「飯塚事件」で久間三千年さんが逮捕・起訴され裁判で死刑が確定。わずか2年で死刑が執行された(執行時久間さんは70歳)。遺族が裁判のやり直しを求めていた第二次再審請求で、5日午前10時福岡地裁は再審開始を認めないという不当決定を下した。

久間三千年さんの遺族が裁判やり直しを求めた第二次再審請求を、福岡地裁は5日認めなかった(撮影=青木恵子さん)

今回新たな証拠となっているのは2点。1つは、久間さんではない若い男性が、車に女児2人を乗せているのを目撃したという木村泰治さんの証言だ。木村さんは、第二次再審請求を提訴した3年前の7月の記者会見に顔出し・実名で出席し、事件当日、飯塚市の八木山バイパスを走行中に白い軽自動車とすれ違った。その際、車の後部座席に幼い女児が2人乗っていたのを見たと証言した。

一瞬誘拐ではないかと疑ったが、2人で乗っているので違うだろうと考えたという。「うら悲しそうな顔をしていた」女児の顔が印象に残ったと語っていた。白い車を運転していたのは丸刈りで色白、30歳代の若い男で、眼鏡をかけ恰幅の良い久間さんとはまったくの別人。夜のニュースで女児2人が行方不明になっていることを知り警察に通報。

しかし、警察が木村さんを訪ねてきたのは数日後、それもたった一人の警察官がやってきて、木村さんの話をメモ帳に書き込んでいたという。しかし、その後、警察からの連絡は全くなかった。

報告集会で。左端でマイクを持つ男性が、事件当日女児2人を乗せた白い車を見たと証言した木村さん(撮影=青木恵子さん)

もう一つの新証拠は、事件当日、女児2人を三叉路で見たという女性の証言だった。女性は実は、女児を見たのは別の日だったが、警官に「その日(事件当日)に違いない」としつこく言われ、そのような間違った調書を作られてしまったと証言した。当時20代の女性はその後関東に引っ越したらしい。過去に警察でそのような調書を取られていたことを忘れていたかもしれない。

しかし、何かの拍子で久間さんに死刑判決が下され、しかもあっという間に死刑が執行されたことを知り、自分の曖昧な供述が久間さんを死刑にしてしまったのではないかと自分を責めていた。そして遺族が久間さんは無罪であると訴え、弁護士と共に再審を闘っていることを知り、2018年弁護士事務所に連絡をしてきたという。
三叉路で女児を見たのは事件当日でなかったという女性の証言は、これまで検察の書いてきたストーリーを覆すとともに、弁護団が気になっていた問題が解決したという。判決では、女児2人が失踪した現場を三叉路近くと特定していた。同じ頃、久間さんが乗っていた紺色のワゴン車と似た車を見たという証人もいた(5月21日掲載の「正義の行方」の記事で、西日本新聞が探し出した男性)。

女児らの遺留品が見つかった現場でも似た車が目撃されていた。そこからこれと似た車を持つ久間さんが疑われたのだった。しかし、もとの「事件当日三叉路で女児らを見た」との証言が間違っており、別の日であるならば、当日、女児らは三叉路近くで失踪したというストーリーは全く違ってくるのだ。

しかもこの証言で、弁護団はそれまで抱えていた矛盾を解決することができたという。それは、事件当日、三叉路近くにはほかにも数人の人がいたが、女性以外に女児らを見た人は誰もいなかったことだ。その問題・矛盾が解決できたということだ。

判決で女児2人が何者かに連れ去られたとされた三叉路。しかし、今回新たな証言で、ここではない可能性が強まったのに……(撮影=青木恵子さん)

第二次再審請求で新証拠として出されたのは以上の2つだが、この事件、調べれば調べるほど、1から10までいい加減、ずさんな捜査だったことがわかる。なぜこんなことになったのか?

飯塚市ではこの事件の3年前にも女児が失踪した事件が発生し未解決のままだった。そこに飯塚事件が発生し、福岡県警は一層世間の非難に晒される。今回はどうしても犯人逮捕にこぎつけたい。その思いは理解できる。そこで福岡県警は、3年前の事件でも犯人視された久間さんに目をつけたのではないか。

警察が出してくる証拠のどれもが、久間さんを犯人と決めつけたものだ。例えば、女児らの遺留品がみつかった近くの峠で久間さんの車と似た車(紺色のワゴン車)を見たと証言した男性の話。すれ違いざまの一瞬の出来事なのに、その車について、①やや古い型、紺色、②トヨタ、ニッサンではない、③ホイルキャップの中に黒いライン、④車体にラインが入っていない、⑤窓ガラスにフィルムを貼っていた、⑥後部タイヤがダブルタイヤ、⑦ラインは入っていない、などの情報のほかに、目撃した人物についてもめちゃくちゃ詳しい。そんなことってある?

特に車に「ラインが入ってない」については、先日、甲南大学で講演をお聞きした厳島行男教授は「普通ないものをなかなかないと報告することはない」という。なぜ男性はそんな供述をしたのか? 

じつは久間さんの乗っていた車の標準の仕様だとラインが入っているのだが、久間さんはそれを剥いでいた。男性の供述をとる前に、警察が久間さんの車を確認しラインがないことを確認していた。そして男性の供述を取る際「目撃した車にラインは入っていたか?」とわざわざ聞いたのだろう。本当にずさん過ぎる。

 

午後から支援者に案内され、事件に関係する様々な場所を訪れた青木恵子さん。女児らの遺留品が見つかった場所近くに作られたお地蔵さんに手を合わせてきた(撮影=青木恵子さん)

これも桜井昌司さんが良く言っていた「歪んだ正義」によるものだろう。警察、検察はこの事件を解決したいと考えている。できれば3年前の事件も……。そのため、久間さんをターゲットにして、久間さんだけを決めつけ、捜査を続けてきた。

だから、木村さんが不審車を見たと通報したが、木村さんの話を聞いて白い車、丸刈りの若い男を捜査することはなかった。捜査して白い車に乗る、丸刈りの若い男を探せて、その結果「ええ、あの日は僕の子どもと友達の2人が学校に遅れそうなので送ったのですが」と間違いであるとわかったら、それはそれで良いではないか。

冤罪の陰には必ず真犯人がわからないまま放置された遺族がいる。「うら悲しそうな目をしていた」女児らの遺族は、今、どう思っているだろうか?

そんなとき、今日午前中から、地裁前の写真などを送ってくれた青木さんから午後に支援者に案内してもらった現地の写真が届く。そのなかに、女児の遺体が置かれていた場所の近くに置かれたお地蔵さんの写真があった。

「うら悲しそうな目をしていた」女児らはどんなに怖くてつらかっただろうか。 そう考えて、初めて涙がこぼれてきた。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

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