中川五郎さんの「二倍遠く離れたら」を聴いて考えた 〈部外者の私〉は福島に対して何ができるのか?

二倍遠く離れたら 二倍強く思ってください
五倍遠く離れたら 五倍大きく動いてください
生まれ育ったこの町に とどまるしかない僕らのため
生まれ育ったこの町で 生き続けようときめた僕らのため
二倍強く思って 二倍深く考えてください
五倍大きく動いて 五倍この国を変えてください

二倍遠く離れても 離れずにすむとわかったら
五倍遠く離れても 戻ってもいいと気づいたら
故郷をまっさきに離れた 自分を恥ずかしく思ったり
騒ぎすぎてしまったのは 軽率だったと思わないで
離れたあなたの判断は正しく とどまった僕らの判断も正しい 
離れたあなたをとどまった僕らは 暖かく迎えてあげよう

どうなっているのか 真実はわからず 誰を信じればいいのかもわからない
だから離れたあなたの判断は正しく とどまった僕らの判断も正しい
「ほらみろ、やっぱりいったとおりだったじゃないか」と
どちらかが勝ち誇るのでなく
「よかったね、取り越し苦労でおわったね」と 
あとで一緒に笑いあえれば嬉しい

二倍遠く離れても 二倍強く思っています
五倍遠く離れても 五倍大きく動いています
二倍強く思って 二倍深く考えています
五倍大きく動いて 五倍この国を変えてみせます
五倍この国を 変えてみせます

中川五郎さんの「二倍遠く離れたら」という歌の歌詞だ。2017年3月20日代々木公園で開催された「さよなら原発全国集会」でこの歌を歌う前、五郎さんがなぜこの歌を作ったかを話している。


◎[参考動画]中川五郎「二倍遠く離れたら」2017.3.20 @代々木公園

「安倍首相が3・11のスピーチで『復興が確実に進んでいる』と話したが、現実はそうじゃないと思う。今まで戻るのが困難だった地域にどんどん人を返しているが、いかにも復興が進んでいるように誤魔化している気がしてしょうがない。その中で放射能が恐ろしくて故郷を離れた人たちと、政府のいうことを信じて戻る人たち、あるいは住み続ける人たちとの間でいがみあいとか批判をしあうことが起こっていて、そういうのってやっぱり一番政府の思うつぼじゃないかと思って。僕はそういう厳しい現実を前にしてこの歌を作りました」。

また、いわき市のライブでは、町にとどまろうか、避難しようかと真剣に悩んでいる「当事者」の前でこの歌を歌うことになり、「部外者」である五郎さんは「どう思われるだろうか?」と不安に感じたというエピソードもお聞きした。

私が支援する飯舘村も昨年3月末に避難指示が解除された。解除は「帰れ」との命令ではないというが、1年後月1人 10万円の精神的賠償金が打ち切られたため、経済的な理由で帰る人もいるだろう。故郷を荒廃させたくない思いで帰る人ももちろんいるだろう。

今年3月飯舘村を訪れた際、そうした様々な「当事者」の話をお聞きしたが、「部外者」の私は何も応えられずにいたことを思い出す。

一方、避難指示解除後も、移住や避難した先で生活を続け、闘う人たちもいる。

12月14日、大阪高裁で控訴審が始まった原発賠償・京都訴訟原告団の皆さんもそうだ。事故後、京都に避難した人たち57世帯、174人が提訴したこの訴訟の特徴は、原告の多くが茨城県、千葉県など国の避難指示区域外からの自主避難者であることだ。

裁判では、
〈1〉 国に法廷被ばく限度(年間1ミリシーベルト)を遵守させ、少なくともその法廷被ばく限度を超える放射能汚染地域の住民について「避難の権利」を認めさせること。
〈2〉 原発事故を引き起こした東電と国の加害責任を明らかにすること。
〈3〉 原発事故で元の生活を奪われたことに伴う損害を東電と国に賠償させること。
〈4〉 子供はもちろん、原発事故被災者全員に対する放射能検査、医療保障、住宅提供、雇用対策などの恒久的対策を国と東電に実施させることを求めてきた。

3月15日、京都地裁で下された判決は「各自がリスクを考慮して避難を決断しても社会通念上相当である場合はありうる」と判断し、また津波対策を怠った東電と規制権限を行使しなかった国の責任を認め、110人に総額1億1千万円の支払いを命じたが、その後原告側は、賠償額の低さや避難時から2年までに生じた被害のみを賠償対象としている点などを不服として控訴していた(国と東電も控訴)。

裁判には原告18名(大人17名、こども1名)のほか、多数の支援者らがかけつけたため、入りきれない支援者らは別会場での報告会に参加した。

そこに参加して改めて気づかされたのは、今現在も避難者らは損害賠償という金では解決できない様々な精神的な苦痛を抱えたままでいることだ。避難や帰還、あるいは避難継続など、一旦自身が下した決断について「それでよかったのか」、常に自問を繰り返し迫られている人もいる。

その「当事者」と「部外者」の難しい問題について五郎さんは、「ほんとうに難しくて微妙な問題ですが『当事者』と『部外者』の壁をいかにして乗り越え、突き崩せばいいか、最近よく考えています」と話していた。

そのことにも関連するが、 冒頭の「二倍遠く離れたら」の詩を途中で変えたというエピソードを、じつは最近になって知った。事故後の8月10日、東京の日比谷野外音楽堂で開かれた制服向上委員会プロデュースの集会「げんぱつじこ 夏期講習」で、飯舘村の元酪農家・長谷川健一さんにお話を聞いたのがきっかけだという。長谷川さんの当時の無念な気持ちや怒りでいっぱいになって語ってくれた話を聞き、五郎さんはその後歌う予定だった「二倍遠く離れたら」の3番の最後の部分を、直前に変えたのだという。

最初作った「二倍遠く離れたら 二倍強く思ってください/五倍遠く離れたら 五倍大きく動いてください/二倍遠く離れた 二倍深く考えてください/五倍遠く離れたら 五倍この国を変えてください」を、冒頭の詩に書き換えたのだが、それは「離れた人のポジティブな気持ちをもっとストレートに伝えるものにしようと思ったから」だという。

 
中川五郎さん(撮影=編集部)

国は今、2020東京五輪に向け、先の原発事故をなかったものにしようと必死だ。 じっしつ戻る者を優遇し、戻らない避難者を「自己責任論」で「棄民」のように切り捨て、原発事故の犠牲者などいなかったことにしようとしている。避難者と、故郷に戻る、とどまる者を様々なやり方で争わせ、分断させようとするのもそのためだ。

飯舘村には「丁寧に」「心を込めて」を意味する「までい」という方言があるが、今こそ、避難する者と、故郷に戻る者あるいは故郷にとどまる者が、までいに互いの立場を尊重し、までいに心を通わせあうことが必要なのではないか。そのすべての人たちに、国と東電に強いられる無用な被ばくを拒む権利、そして国と東電に事故の責任を追及する権利があるのだから。

3月、仙台空港から関西空港へ戻る飛行機の中で、飯舘村の人がポツリと呟いた言葉をふっと思い出したことがあった。「バタバタ死なないとわかってもらえないのだろうか…」。大阪に近づくにつれ、そのことばが重くのしかかってきた。 果たして私に何ができるのか?

そんな時、五郎さんの「二倍遠く離れたら」を聴き、「部外者」の私に何ができるか、考えるきっかけをもらった気がした。2019年は「部外者」の一人として、避難を続ける人、故郷に戻る人、故郷にとどまり続ける人、様々な立場の人たちの間をとりもつ、橋渡し的なことをしたいと考えている。

最後にもう一度、までい(「ゆっくり」「ていねいに」という福島県北部の方言)に呟いてみる。「五倍大きく動いて 五倍この国を変えてみせます」。

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

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《お詫びと訂正》

『NO NUKES voice』18号(2018年12月11日刊)掲載の中川五郎さんインタビュー(43~52頁)に誤りのあることが判明いたしました。謹んでお詫び申し上げますとともに、下記の通り訂正させていただきます。(『NO NUKES voice』編集委員会)

◎44頁小見出し、45頁中段11行目、同20行目
[誤]「花が咲く」 [正]「花は咲く」
◎46頁中段22行目
[誤]古田豪さん [正]古川豪さん
◎49頁上段21行目
[誤]「二倍遠く離れて」 [正]「二倍遠く離れたら」
◎50頁下段2行目、同19行目
[誤]「sport for tomorrow」 [正]「sports for tomorrow」

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『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

東住吉事件の冤罪被害者・青木恵子さんの「国賠」にご支援を!

◆無期懲役から再審へ!

1995年7月22日、大阪市東住吉区の青木恵子さんの自宅から火災が発生、風呂に入っていた娘のめぐみさん(当時11歳)が焼死した。捜査が難航するなか、大阪府警は、火事は青木さんと同居男性の保険金目当ての放火と断定、2人を「現住建造物放火」「殺人罪」、そして「保険金詐欺未遂」で逮捕した。青木さんらは一旦は「自白」に追い込まれたものの、その後は一貫して否認したが、2006年無期懲役が確定した。

火事は車からガソリンが漏れて自然発火したことが原因と、一審から無罪を主張していた弁護側は、その後も「最高裁判決には物証も目撃証言もないうえ、科学的に不合理な自供だけを根拠とした冤罪である」と再審を請求していた。2015年10月23日、大阪高裁は再審開始を認めた大阪地裁判決を支持し、検察側の即時抗告を棄却、同時に青木さんらの刑の執行停止を決めた。3日後、和歌山刑務所を出た青木さんは鮮やかな黄色の洋服と髪飾りを身に着けていた。それは亡くなったメグちゃんの一番好きな色だった。
 
◆再審への決め手は「再現実験」

再審への決め手となったのは、弁護団による燃焼再現実験だ。事故当時の状況を忠実に再現し、元被告の「自白」通りに放火を試みた実験で、元被告の車から漏れたガソリンが風呂釜の種火に引火して自然発火する可能性があることが証明された。警察・検察に強要された「自白」通りに行った放火行為が、実は不可能だったと証明されたのである。

弁護団はこの「新証拠」を基に再審を闘い、2016年8月10日、ようやく青木さんらに「無罪判決」が下された。判決は府警の取り調べを非難し、青木さんの自白書などを証拠から排除したうえ、出荷原因も「車のガソリン漏れの可能性が合理的」と指摘した。

しかし警察や検察からは何の謝罪もなかった。青木さんはそのことに憤り「一連の捜査の問題点を浮き彫りにしたい」と国、大阪府に計約1億4500万円の国家賠償を求める訴えを起こし、現在も闘っている。

愛娘を突然失った切ない時期に、あろうことか「娘殺し」の罪を着せられ20年間もの間獄中に囚われた青木さん。何故そんな理不尽なことが起きたのか? それを知るため私は昨年3月9日の第一回口頭弁論から傍聴してきた。


◎[参考動画]女児死亡「自然発火の可能性が現実的」母親に無罪(ANNnewsCH 2016年8月10日)

◆警察・検察のずさんな捜査 「金欲しさの放火事件」はどう作られたのか?

じつは青木さんらの有罪判決を疑問視していた人物がいた。無期懲役が確定した2006年の最高裁決定を巡り、直前まで裁判長だった故・滝井繁男氏(15年78歳で死去)である。滝井氏が「全ての証拠によっても犯罪の証明は不十分」として、一審、二審の有罪判決を破棄すべきとの意見を書き残していたことが、死亡後明らかにされた。そこには滝井氏が、青木さんが日々つけていた家計簿を見て、保険金目的とされた青木さんらの動機に疑問をもったこと、同居男性が取り調べで青木さんの消費癖をしきりに供述したとされたが、そうした形跡も見られなかったことなどが書き残されていた。

とりわけ「マンションの契約手数料の支払いが迫ったため、(青木さんと)関係の悪い娘を殺害し保険金を得ようとした」との捜査側の見立てには「家計や育児の状況とあわない」と強い疑念を表明していた。

私もこれまで青木さんと何度も話をしてきたが、青木さんの驚くほど金に細かい(ケチではなく几帳面という意味で)点には非常に感心している。毎日欠かさずこまめに家計簿をつけていることもだが、先日まで続けていたチラシ配りのバイトでは、バイト料を1円単位で計算していた。

また、めぐみちゃんら子供に対する態度も警察・検察が作り出した「鬼母」のイメージとはまるで違っている。私から見ると過保護すぎるくらい、子どもたちに欲しいものを買い与えていた。自身が小さい頃何でも買って貰えなかったからでもあるが、「母子家庭(同居男性とは内縁関係)なので買って貰えないと思われたくなかった」と青木さんは言う。

警察がこの時期絶対必要だったと推測した金額は、マンション購入時の契約手数料など170万円だが、そもそもこの推測自体が間違っている。通常マンション購入の手続きは審査が通ってから始まり、その時点で初めて契約手数料が必要となってくる。しかし火災事故発生時、青木さんらのマンション購入の審査はまだ通っておらず、170万円を急いで用意する必要はなかった。

また娘を「焼死」で殺害するならば確実にやり遂げなければならないが、当時11歳のめぐみちゃんは自分で逃げることも十分可能で、殺害の確実性はそう完璧ではなかったと言える。風呂のドアが壊れ隙間があったことで外からの呼びかけも聞こえたし、実際「メグ」と弟が呼びかけたと証言している。しかし警察、検察はこの証言も無視した。

更に警察、検察は、青木さんらが消火活動をしなかった主張するが、青木さんが火災から2分後に消防に電話していることは通話記録で証明されているし、火災現場で小さな男の子を抱きしめ「風呂場におんねん(いるねん)」と叫ぶ女性(青木さん)がいたとの住民証言もあった。しかし警察、検察はこれら青木さんらが必死に消火・救済活動したとの証拠・証言をことごとく隠蔽し、2人を「犯人」に仕立てたのだ。
 
冤罪被害者が再審で無罪を勝ち取っても、警官や検察官が謝罪しないことはこれまであまたの冤罪事件で見てきた。もちろん警察、検察に間違いもある。しかし故意に冤罪を作った場合でも謝罪しない。そればかりか処罰もされない。こんなことでは冤罪はいつまでもなくなりはしない。また青木さんの場合は事故だったが、通常の冤罪事件では別に「真犯人」が存在する。冤罪被害者の無罪確定後、「真犯人」逮捕に向け再捜査を開始することは非常に難しいし、そもそも警察、検察は自身のメンツを守るため再捜査することもない。

冤罪が許されない理由の1つに、冤罪被害者と家族たちを長きに渡り苦しめ続けることがあるが、同時に事件が解明されないことで、被害者とその遺族の苦しみが一生続くことも忘れてはならない。冤罪をなくすためには、冤罪を故意に作った警察官、検察官を処罰する法整備などが必要だ。


◎[参考動画]青木恵子さん(東住吉放火殺人冤罪事件)何故冤罪が起こったのか(gomizeromirai2 2017年1月29日公開)

▼ 尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

6月11日発売!『NO NUKES voice』Vol.16 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
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権力の闇を暴く!「盛一国賠訴訟」へご支援、ご協力を!

◆ はじめに
 
2016年9月、大阪市西成区の居酒屋「集い処はな」で桜井昌司さん(布川事件の冤罪被害者)のお話を聞く会を開催しました。小柄な桜井さんは、店の奥で立ったまま話されました。その姿が店の外から見えたのか、途中40代半ば、ラフな短パン姿の見知らぬ男性が突然入ってきて「さくらいさん、ですよね」と確認するように尋ねてきました。それが盛一さんと桜井さんが出会うきっかけとなりました。

男性は石川県出身の盛一克雄(もりいちかつお)さん(47才)と自己紹介し、自分も刑事事件で有罪判決を受けたが冤罪であること、桜井さんのように再審で無罪を勝ち取りたいと熱心に訴えました。有罪判決を受けたあと、職も家族も失い、また地元に居辛いいため、ときおり西成(釜ヶ崎)の安宿に泊まり、1日中、冤罪関連の書籍を読んだりし、どうやって再審を闘えばいいか考えていた。

店の前を通った直前も桜井さんのインタビューの動画を視聴していたため、桜井さん本人に会えたので非常に驚いたと興奮気味に話し、桜井さんに協力して欲しいと訴えました。その後、和歌山カレー事件や狭山事件など冤罪事件を支援する仲間、桜井さん、青木恵子さん(東住吉事件の冤罪被害者)とともに「盛一国賠訴訟を支援する会」を作りました。

盛一さんのデッチ上げ事件発生からこれまでの経緯をまとめました。

◆ 覚せい剤事件のでっち上げと検面調書の非開示
 
2014年3月19日、盛一さんの自宅などに石川県警の家宅捜索が入り、盛一さんは覚せい剤譲り渡しの疑いで逮捕されました。

しかし盛一さんの自宅、会社、盛一さん所有の車両などから覚せい剤は見つからず、覚せい剤譲り渡しについては不起訴となりました。そのご、逮捕後の尿検査で覚せい剤の陽性反応が出たとして覚せい剤使用で再逮捕となりました。

盛一さんは覚せい剤譲り渡しも覚せい剤使用も身に覚えがないため、逮捕後ずっと「やっていない」と否認を続けていました。そのため、接見禁止(弁護士以外は面会できない。のちに母親も許可)のまま400日も拘留され続け、その間に妻や子どもとは離別を余儀なくされ、また盛一さんが代表を務めていた木材会社を失う羽目となりました。

盛一さんは、自分がなぜやってもいない事件をでっちあげられたかを知るため、公判前整理手続きで検察の持つ証拠を開示させました。まず初めに、盛一さんが逮捕される約10ケ月前、覚せい剤使用で逮捕、起訴、のちに有罪判決を受けたA(女)の「員面調書」(警察署で作成される調書)が開示されました。そこには「盛一がB(男。Aの恋人)に覚せい剤を売り渡す場面を2回見た」と書かれていました。しかし盛一さんはAに1回しか会っていないし、Bに覚せい剤を売り渡してもいません。そこで次に盛一さんは、Aの「検面調書」(検察庁で作成される調書)の開示を求めましたた。すると担当検事は「Aが拒んだから、Aの検面調書は存在しない」と返答してきました。

◆「検面調書は存在しない」は検事のウソだった

2015年4月23日から始まった盛一さんの公判で、盛一さんはAを証人として呼びました。そこでAは「盛一さんとは1回しか会っていない」と員面調書の内容(盛一と2回会った)を否定し、「検面調書を拒否した事実はなく、検察庁で検面調書を作成した」と驚くような証言をしました。

しかし残念なことに、2015年5月1日、盛一さんは金沢地裁で有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)を受け、すぐに控訴しましたが、2015年10月15日、名古屋高裁金沢支部は控訴を棄却し、有罪判決が確定しました。

納得できない盛一さんは、2016年3月、Aの訴訟記録を閲覧し、そこでAの検面調書が存在していたことを知り、うち3通を入手しました。これを手掛かりに何とか無実を証明出来ないかと考えた盛一さんは、今回の国家賠償請求訴訟を起こし、闘いの一歩を踏み出しました。

そして2017年11月24日、金沢地裁で、盛一克雄さんを原告とする国家賠償請求訴訟が始まりました。

この訴訟は前述したように、2014年、盛一さんが覚せい剤使用で逮捕、起訴され有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)を受けた刑事事件について、実際には存在した証拠の開示を求めていたものの、担当検事により「存在しない」とされたため、盛一さんの防御権の行使が妨げられたとして、国家賠償法に基づく損害賠償請求をするものです。

◆ 事件の本質は「警察の闇」を知る盛一さんへの口封じ
 
では、なぜ盛一さんは、こんな酷い目にあうのでしょうか?

実は盛一さんは、若い頃、石川県警の捜査協力者をやらされていた過去があります。警察署で、何も書かれていない真っ白な調書に署名、捺印させられたことが何度もありました。石川県警は盛一さんの署名、捺印した真っ白な調書で虚偽の調書を作成し、それを第三者の逮捕状や家宅捜索連所を請求するときの資料としたと考えられます。

しかし、ある暴力団の抗争に使われた拳銃が、石川県内の某所にあるとして家宅捜索された事件で、盛一さんが署名、捺印した調書が使われたことがあり、その裁判の過程で盛一さん自身が証人として呼び出されそうになったことがありました(結果は中止となりました)。

盛一さんは自分を危険な目にあわせる石川県警に抗議するとともに、以降警察との関係を断つようになりました。また、自分が行ってきたことは間違いと気づき、後日、周囲に「覚せい剤事件などで警察は虚偽の調書を作成して、裁判所から令状を発布させることが多くある」と話したりしました。このような、警察が最も隠したいことを、他人に漏らした盛一さんを口封じする目的で、今回の「逮捕」があったのではないでしょうか。

なぜそう考えるのか? じつは、盛一さんが逮捕後、連行された警察署内の取り調べ室で、扉越しに「バーカ、アホがっ!」と怒鳴る刑事がいました。盛一さんが過去に警察の協力者をやっていた際、何度も飲食をともにした刑事です。

盛一さんは、かつて警察の捜査協力者であったことを深く反省するとともに、警察の違法な捜査や検察の証拠隠しで冤罪が作られることを断じて許してはならないと考え、闘いの一歩としてこの国賠訴訟を起こしました。

この闘いには、冤罪被害者である桜井昌司さん、青木恵子さんも支援を表明され、第一回口頭弁論後の記者会見で桜井さんは「盛一さんの事件は、私や青木恵子さんの無期懲役事件とは違い小さな事件のようだが、警察、検察の証拠隠しを追及する非常に重要な闘いだ。今後も支援していきたい」と述べています。

全国のみなさまにも、この盛一国賠へのご支援とご協力を強くお願い申し上げます。

尾崎美代子(「盛一国賠訴訟を支援する会」事務局)

◎次回裁判◎
2018年2月2日(金)午前11:00~ 金沢地裁第202法廷

裁判終了後「味噌蔵町公民館」(金沢市兼六元町7番19号)で、
桜井昌司さん、青木恵子さん同席での「報告会」を予定しています。
こちらへもぜひご参加ください。

 

◎[参考動画]桜井昌司、青木惠子が冤罪仲間の盛一克雄の支援を表明(寺澤有2017年11月25日公開)
※この裁判にはジャーナリスト寺澤有さんも支援して下さり、2017年11月24第一回口頭弁論後、味噌蔵町公民館で開かれた記者会見を取材し、YouTubeに上記の通りアップされています。視聴してください。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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