3月7日、水戸喜世子さんのご自宅で、脱被ばく子ども裁判の控訴審と、被ばくで甲状腺がんを発症した若者6人が東電を訴えた裁判についてお話を伺った。居間に通されるなり、目についたのが水戸さん手作りのプラカードだった。ロシアのウクライナ侵攻から2週間以上経過し(3月7日現在)、世界中で反戦の声が高まっている。

とりわけロシアがウクライナの原発を攻撃したことで水戸さんの怒りが最高潮に達した。こうした事態を予測していたかのように、2017年7月、水戸さんは、日本の原発へのミサイル攻撃を懸念し、運転差し止めの仮処分を提訴した。裁判は敗訴。その苦い経験から、懸念したことが現実となった今、「心配していたことが現実になって寒気がする」と話される。 (聞き手・構成=尾崎美代子)

◆世界中が完全な平和を手にするまでは、原発は眠っていてもらいましょう

 

高槻駅で続けられるスタンディングに立つ水戸さん(写真提供・二木洋子さん)

水戸 去年から、ずっと眩暈がひどくて、家でも何かにつかまって歩いていたのですが、ロシアの武力攻撃を知って、いてもたってもいられなくて、キャリーを引きずってスタンディングに参加するようになりました。

2017年、今頃の季節でしたね。北朝鮮が弾道ミサイルを立て続けに発射したことがありました。その時、私はたった一人で、高浜3、4号機の運転差し止めの仮処分を大阪地裁に提訴したのです。あのときは内閣総理大臣が自衛隊法の「破壊措置命令」、つまりミサイルが飛んできたら撃ち落としていいという指示を発令していたのです。

新幹線を運休したり、東京では地下鉄も止めましたよね。子どもまで学校で真剣に避難訓練をさせられ、登下校時の注意書きまで、学校から家庭にお手紙が配られました。戦時中、警戒警報や空襲警報のたびに防空頭巾をかぶって、机の下にもぐった国民学校時代のドキドキした息の詰まるような記憶がよみがえって、言葉にならない怒りがこみあげてきました。国民学校3年の3月です。家の地下に掘った防空壕では危険だからと、商品取引所の地下室に逃げて、命だけは助かりましたが、家は焼けて、着の身着のまま、弟の手を引いて、逃げた時の記憶は消えないのです。 二度と子どもに、あんな思いはさせないぞと強く願って生きてきましたから。

 

高槻駅陸橋で行われているスタンディング。3月10日、働いている人たちにもアピールしようと、夕方から行われた(写真提供・二木洋子さん)

「原発は、自国に向けた核爆弾だ!」ということは世界の常識。国が知らない筈はないのに原発を動かしたまま、子どもまで動員して避難訓練させる安倍内閣の意図をマスコミも指摘しないという呆れ果てた世情に怒り絶頂だったのです。

そんな時、河合さんから電話があって「水戸さんはどう思う?」と言われたので「訴訟したい!」と二つ返事だったのです。同志に出会えた、と本当に嬉しかった。政府のいかさまを裁判長に見抜いてほしい、万一訴訟に負けても世間に「ミサイルと原発」を意識してもらうきっかけになるし、安倍政権の危険な世論操作に気づいてもらえる、そんな思いでしたね。

本当に危険であれば、真っ先に原発を止めるのが常識だってことを、今度のウクライナ侵略戦争が、世界に示したと思います。キエフの住民たちも、まさかこんな戦争になるとは思わなかったと語っているように戦争はいつの時代も突発的です。世界中が完全な平和を手にするまでは、原発は眠っていてもらいましょう。

◆プーチンも教科書でトルストイを読んでいるはず

 

水戸喜世子(みと・きよこ)さん 子ども脱被ばく裁判の会・共同代表。1935年名古屋市生まれ。お茶の水女子大学、東京理科大学で学ぶ。反原発運動の黎明期を切り開いた原子核物理学者・故水戸巌氏と1960年に結婚後、京大基礎物理研究所の文部教官助手就任。1969年「救援連絡センター」の設立に巌氏とともに尽力。2008年から2年間中国江蘇省建東学院の外籍日本語教授。2011年3月11日以降は積極的に脱原発・反原発運動にかかわる。

── プラカードに書いてある「トルストイが泣いている」に込めた思いは?

水戸 私はヤースナヤ・ポリャーナにあるトルストイの生家に行ったことがあるんです。植民地文学学会の西田勝先生(故人)が「トルストイの旅」という小さな企画をされて連れていって貰いました。

広大なお屋敷にはお孫さんの家族が住んでおられて、小さな女の子が真っ白の馬に乗っていました。私は高3の頃、教科書がきっかけでトルストイを読みふけるようになりました。弱者への目、深い洞察からの非暴力主義に、とても感銘を受けたような気がします。ロマン・ロランやマルタン・デュ・ガールなど長編小説にのめりこむきっかけでした。

彼は貴族の出身ですが、弱い人と共にありたいという思いが強く、晩年は家出をして、どこかで死んでしまったのだと記憶しています。『アンナ・カレーニナ』など時代を超えて、ロシアで一番愛され、読み継がれているのがトルストイです。ロシア人の心のふるさとであり、プーチンも間違いなく少なくとも教科書では読んでいるはずです。トルストイの非暴力主義の前で、トルストイを心のふるさととするロシアの民衆の前で、己の行為を恥じてほしいのです。

◆日本の原発のテロ対策

── ウクライナではザポリージャ原発を守ろうと周辺の住民がロシア軍に抵抗しましたが、日本の原発のテロ対策はどうでしょうか?

水戸 規制委員会が要求している原発のテロ対策工事は、テロなどで飛行機が落ちても大丈夫な程度の工事です。ミサイルで狙われたらどうなるか、3月9日の衆議院経済産業委員会で立憲・山崎誠議員の質問に対して、「放射能の拡散は避けようがない」と規制委員会の更田委員長が答えています。私が仮訴訟を起こした頃は、規制委員会は機密に属することなので、と明言しなかったのですが、はっきり言いきったのは今回が初めてですね。

関電側は耐えられると強弁していましたが。 めったに起きないテロ対策を電力会社に要求したのですから、ミサイル発射に対して、対策工事を規制委員会は電力会社に要求すべきです。無防備衛あることを認めたのですから。

◆福島の被ばくの闇の深さ

── まもなく11回目の3・11を迎えますが。(3月7日当時)

水戸 「子ども脱被ばく裁判」がいま控訴審の最中で、毎日が3・11ですから、特別の感慨はありません。福島を振り返るのはまだずっと先のことのような気がしています。

昨日(3月6日)FoE japan主催の国際集会があって、私はズーム参加しました。基調報告で武藤類子さんが福島の現状として被災者切り捨て、矛盾を地元に押し付けたままの見かけの復興、進まぬ廃炉作業、加害責任を果たさない姿などを具体的に話され、改めて、心が引き締まりました。早急に被害者への補償と原発の後始末をさせる、脱原発を実現すること。頑張らねば、と思います。

類子さんの話で私が衝撃を受けたのは、「この1年で友人が6人亡くなりました」と語っておられたことです。数年前にお会いした時も、「今年一年で5人の友人が亡くなったの」と顔をくもらせておられたことと重ねて、福島の被ばくの闇の深さに言葉を失う思いがしました。一体いつまで、国と御用学者は『被ばく者はいない』とごまかし続けるつもりなのか、闘いの本命です。広島・長崎の被ばく者から学ぶことがとても大事ですね。

少し先ですが、5月21日、地元高槻市の高槻現代劇場文化ホール2階で「黒い雨訴訟」の原告である高東征二さんをお呼びして「切り捨てられる被ばく 黒い雨から福島へ」と題した講演会を行っていただきます。ほかに「子ども脱被ばく裁判」主催の展示・学習会も致します。第一歩を踏みだしました。どうぞみなさまもお集まり下さい。

5月21日大阪・高槻市で開催される講演会「広島・長崎から福島へ続く核被害~内部被ばくの危険性を考える」&写真展「広島黒い雨から福島へ」

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の脱原発季刊誌 『季節』2022年春号(『NO NUKES voice』改題 通巻31号)3月11日発売開始

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の脱原発季刊誌
季節 2022年春号
『NO NUKES voice』改題 通巻31号
紙の爆弾2022年4月増刊

2022年3月11日発売
A5判 132頁(巻頭カラー4頁+本文128頁)
定価 770円(本体700円+税)

事故はいまも続いている
福島第一原発・現場の真実

《グラビア》福島第一原発現地取材(写真・文=おしどりマコ&ケン
《グラビア》希釈されない疑念の渦 それでも海に流すのか?(写真・文=鈴木博喜

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
原子力は即刻廃絶すべきもの

樋口英明(元裁判官)
原発問題はエネルギー問題なのか

中村敦夫(俳優/作家)
表現者は歩き続ける

井戸謙一(弁護士)
被ばく問題の重要性

《インタビュー》片山夏子(東京新聞福島特別支局長)
人を追い続けたい、声を聞き続けたい
[聞き手・構成=尾崎美代子]

おしどりマコ(漫才師/記者)
事故はいまも続いている
福島第一原発・現場の真実

和田央子(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
犠牲のシステム 数兆円の除染ビジネスと搾取される労働者

森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream〈サンドリ〉代表)
「いつまで避難者といってるのか?」という人に問いかけたい
「あなたは避難者になれますか?」と

鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
沈黙と叫び 汚染水海洋放出と漁師たち

伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈最終回〉
語られなかったものは何か

《講演》広瀬 隆(作家)
地球温暖化説は根拠のないデマである〈前編〉

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
原発は「気候変動」の解決策にはならない

細谷修平(メディア研究者)
《新連載》シュウくんの反核・反戦映画日誌〈1〉
真の暴力を行使するとき――『人魚伝説』を観る

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
機を見るに敏なんて美徳でも何でもない

板坂 剛(作家/舞踏家)
大村紀行──キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い!
 
佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
“騙(かた)り”の国から“語り部(かたりべ)”の国へ
絶望を希望に転じるために いまこそ疑似「民主国」ニッポンの主客転換を!

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈15〉
森友学園国有地売却公文書 改ざん国賠・『認諾』への考察

再稼働阻止全国ネットワーク
国政選挙で原発を重要争点に押し上げよう
7月参議院選挙で「老朽原発阻止」を野党共通公約へ
《全国》柳田 真(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会世話人)
《全国》石鍋 誠(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
《六ヶ所》中道雅史(「4・9反核燃の日」全国集会実行委員会)
《東海第二》野口 修(東海第二原発の再稼働を止める会)
《反原発自治体》反原発自治体議員・市民連盟
《東海第2》披田信一郎(東海第2原発の再稼働を止める会)
《東京》佐々木敏彦(東電本店合同抗議行動実行委員会)
《志賀原発》藤岡彰弘(「命のネットワーク」)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
《伊方原発》秦 左子(伊方から原発をなくす会)
《規制委・経産省》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク/経産省前テントひろば)
《読書案内》天野恵一(再稼動阻止全国ネットワーク事務局)

《反原発川柳》乱鬼龍

季節編集委員会
我々はなぜ『季節』へ誌名を変更したのか

私たちは唯一の脱原発情報誌『季節』を応援しています!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09TN1SL8X/

3月7日、久しぶりに高槻市の水戸喜世子さんのご自宅にお邪魔した。2月14日、仙台高裁で2回目の期日が開かれた「子ども脱被ばく裁判」の控訴審と、1月27日、3・11の原発事故の被ばくにより甲状腺がんを発症した6人の若者が東電を訴えた「311子ども甲状腺がん裁判」について、お話を伺ってきた。 (聞き手・構成=尾崎美代子)

 

水戸喜世子(みと・きよこ)さん 子ども脱被ばく裁判の会・共同代表。1935年名古屋市生まれ。お茶の水女子大学、東京理科大学で学ぶ。反原発運動の黎明期を切り開いた原子核物理学者・故水戸巌氏と1960年に結婚後、京大基礎物理研究所の文部教官助手就任。1969年「救援連絡センター」の設立に巌氏とともに尽力。2008年から2年間中国江蘇省建東学院の外籍日本語教授。2011年3月11日以降は積極的に脱原発・反原発運動にかかわる

◆「子ども脱被ばく裁判」5つの争点

水戸 2月14日の2回目の期日は、私は体調が悪くて行けませんでしたが、井戸謙一弁護士から頂いた期日報告に沿っておおまかに説明します。

1つ目は、国の意見の中に「1ミリシーベルトの被ばくをしない利益が法的保護に値しない」というのがあります。この1ミリシーベルト被ばくしても当たり前という国の言い分に対して弁護団は、1ミリシーベルトがどれだけ危険かと準備書面で反論しました。ICRP(国際放射線防護委員会)は、100ミリシーベルト以上浴びると癌で死ぬ確率が0.5%高まると主張しているので、それに基づいて計算すると1ミリシーベルト浴びると年間350人が死ぬことになる。

一方、日本の環境基本法は、大雑把に言って生涯それを飲み続けた場合に、10万人に1人がん死するようなものを「毒物」と規定しています。東京の豊洲市場の地下水が汚染され、ベンゼンが検出されたが、それをずっと飲み続けると10万人に1人以上が亡くなるということで大騒ぎになった。一方で1ミリシーベルト被ばくすると、10万人中350人の死者が出るという環境を放置していいというのが「法的保護に値しない」という内容で大嘘ですね。

2つ目は、「裁量論」についてです。判決では、安定ヨウ素剤を飲ませなかったのも、スピーディーを公開しなかったのも、授業再開も行政の裁量権の範囲内であるというものでした。つまり、法律で決められていることもあるが、決められてないこともある。放射線に関しては事故を想定してないから、決められてないことのほうが多い、そのときは、行政の裁量権に任すしかないというわけです。

── ヨウ素剤を飲ませる、飲ませないも、各自治体、現場の判断に任せると。

水戸 そう。でもそれは違うでしょう。命に関わる重要なことを行政が勝手に決めていい訳がないというのが、弁護団の言い分です。法の取り決めがない場合、では何を根拠にするかというと、1つは憲法、もう1つは国際法です。 それを準備書面の[5]で提出しましたが、未完成だったので、次回に改めて提出します。

── 国は、控訴人らによる「被災者の知る権利」の主張に対し、反論を拒否したとありますが、反論を拒否するとは?

水戸 「あなたたちは独特の理論を主張しているから、勝手にやってください」という態度だと、井戸弁護士は仰ってました。この裁判は、前に話したように、放射線についての国内法が整備されていないのですから国際人権とか憲法とか、もっと大きな土台の上でやっています。放射線に対する規制がないからなのです。環境基本法にもやっとこの間、放射線の項目をとりこむことはできたが「教室なら、この線量以下で」とかの基準とすべき具体的な数字は、今も一切出ていません。いかに安全神話のうえにあぐらをかいていたかということですよね。

「子ども脱被ばく裁判」裁判前集会(武藤心平さん撮影)

── 3つ目の、控訴人が「国賠訴訟」を追加したというのは?

水戸 子ども人権裁判は義務教育を受けている子どもが原告になって訴訟をおこしたが、もう中学生が4人しかいなくなった。それで裁判が自動消滅したら困るので追加訴訟を加えました。安全なところで義務教育を受けられなかったので損害賠償をしろと。でも、福島市、郡山市、いわき市は、裁判の途中で新たに追加するのは「違法だ」と異議を申し立ててきた。裁判長もちょっと首をかしげてます。次回却下されるかもしれないが、さらにしっかりと反論していくことになります。

4つ目が、危険な環境の施設で教育をしてはいけないという原告の要求に対して裁判長から、地方自治体の学校指定処分とどのような関係になるのか、子どもがいれば学校を作るという規則がある、でも今の学校では線量が高いから教育を行ってはいけないということの関係性はどうなるのですかと聞かれ、次回弁護団から説明することになりました。一時的に線量の低い地域に避難して教育を継続出来るのですから矛盾することではありません。安全な環境で教育をうける権利という教育基本法を根拠に反論していくでしょう。

5つ目は、原告の意見陳述で、Aさんが、無用な被ばくをさせられてしまったため、子どもに何か体調が悪いことがあると、被ばくと結び付けて考えてしまうという苦しさについて述べられました。

「子ども脱被ばく裁判」街頭で訴える(武藤心平さん撮影)

◆「311子ども甲状腺がん裁判」甲状腺がん発症者6人による生身の訴え

 

「311子ども甲状腺がん裁判」報告集会の様子

── 先日、東電を提訴した6人の訴訟ですが、弁護団は子ども裁判とほぼ一緒だそうですが?

水戸 ええ、私たちは無用な被ばくをさせられたこと、安全な環境で教育を受ける権利を争っていますが、6人の訴えは生身の訴えですものね。一見理念的にみえた子ども脱被ばく裁判が突如リアリティを伴って立ち現れた思いがして衝撃でした。6人は実際に甲状腺がんを発症し、全員が2回から4回の手術を受けている。経緯は子ども裁判の主張と完全に一致するので、脱被ばく子ども裁判弁護団は全員入り、ほかに海渡弁護士なども加わり、弁護団がつくられています。17歳から27歳までの若者が自分の人生をかけて法廷に立つのですから、何としても勝利したいと思います。

── 提訴後の報告会に私も出席しました。皆さん、10年間孤立していた。先日、井戸弁護士と河合弁護士が出席した日本外国特派員協会の記者会見で、6人の方々は河合弁護士のところに相談にきたと仰ってましたが。

水戸 崎山比早子さんが代表で河合弁護士に関わっておられる「3・11 甲状腺がん子ども基金」などでも繋がる機会はあったんでしょう。福島県立医大は嫌だからと避難先の病院で見てもらっている人もいるし、患者さんは孤立していて、繋がるのは本当に困難だったと思います。その意味でも氷山の一角ですね。「黒い雨裁判」の原告を足を棒にしてつないで歩いた高東征二さんのご苦労から学ばねばと思います。

── 今後、子ども裁判と6人の裁判はどのように闘われるでしょうか。

水戸 全く別の裁判として展開されるのは当然ですが、私は、子ども裁判には、絶対「黒い雨裁判」の成果を取り込まないと勝てないと思っていて、子ども裁判の通信に書かせて頂きました。まだ弁護団のなかで話しあわれてはいませんが。

「黒い雨裁判」の一番のポイントは、黒い雨には明らかに放射能が含まれていて、降った地域の野菜を食べたり、空気を吸って内部被ばくしたことを認めたこと。広島県がとても偉いと思うのは、アンケート調査を何度もやり、降雨地域で病気になった人が非常に多いという事実をつかんだこと。これは外部被ばくだけでは全く説明がつかない。だから残留放射線を浴びた人、食べ物や空気から放射線を吸った人が内部被ばくしたということを、広島地裁も高裁も認めたわけです。地裁は、国の決めた11の疾病にり患していることを根拠にしたが、高裁は、内部被ばくは晩発性だから、今そういう病気がでていなくても、いつでてくるかわからないから、黒い雨を浴びた人全員被ばく者と認定した。そうしないと、一般のがん患者と放射線によるがん患者の区別は今の医学では因果関係を証明できないと思います。本質の到達出来ない時には、現象から迫るのは科学の手法であると、武谷三男の三段論法論で説かれていますけどね。

6人の裁判は「311甲状腺がん子どもネットワーク」が中心に支援していますが、私たちの子ども裁判も実質的に支援していきます。6億円超の損害賠償を求めていますから、訴状の印紙代だけでも大変な額になります。裁判をおこすということは本当に大変。でも一人1億円なんて、若い人の一生涯のことを考えると、小さな額だと思いますよ。 とくに親はどんなに辛いかと思いますよね。私たちの力不足を若者たちにお詫びしたいです。今回のウクライナもそうですが、私は、大人の愚かさのために、無邪気な子どもたちが犠牲になることだけは本当に耐えられません。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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季節 2022年春号
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平野義幸さん(当時38歳)は、2003年1月16日、京都市下京区の自宅で火災が発生し、女性が焼死した事件で、その後殺人と現住建造物放火の罪で逮捕されました。平野さんは一貫して無実を主張しましたが、検察は無期懲役を主張、2005年京都地裁は、懲役15年の判決が下しましたが、2006年大阪高裁は審理を行わないまま、平野さんが「反省していない」などを理由に一審判決を破棄し、無期懲役を言い渡しました。その後上告も棄却され、現在、平野さんは徳島刑務所に服役中です。

俳優時代の平野さん

◆「恩人」を殺せるわけがない!

焼死したМさんは平野さんの交際相手でした。三池祟史監督「荒ぶる魂たち」「新・仁義の墓場」などに大地義行の芸名で出演した俳優の平野さんは、事件前の1年間に、兄貴分の男性、親友の俳優(菅原文太さんのご長男、踏切事故で死亡)、妻を立て続けに亡くし、自暴自棄に陥っていました。そんなとき「あんたは絶対俳優やらないとあかん」と励ましてくれたのがМさんで、背中を押された平野さんも再び俳優をやる気になっていました。

火災が起きた日、平野さんは午後から東京で行われる深作欣二監督(2003年1月12日死去)の告別式に出席予定で、その際、映画関係者に自身をプロモートしようと、1階で準備をしていました。平野さんがМさんのいる2階に上がると、階段上付近に灯油ストーブのカートリッジが倒れ、そばにМさんが座り込んでいました。平野さんが「何をしているのか?」と尋ねると、Мさんは「あんた、誰?」などとおかしな様子でした。実は、当時平野さんもМさんも覚せい剤を使用することがあったため、平野さんはМさんがいつのまにか覚せい剤を使用し、おかしくなったのではと考え、何かしでかすとまずいとМさんの手足を縛り、舌をかまないように口にハンカチを詰め、上にガムテープを貼りました。

その後、平野さんが1階で用事をしていると、2階でドーンと音がしたので慌てて上がると、南側ベッド付近でМさんが倒れていました。平野さんはМさんが苦しくて倒れたと思い、口のガムテを取り手足も緩め、こぼれた灯油を拭くため布とごみ袋を取りに1階に降りました。

火災が発生した2階のイラスト(裁判資料より)

◆一瞬で「熱傷死」したМさん

1階で準備していた平野さんが、Мさんのなんともいえない声を聞き、慌てて2階に上ると、Мさんのいた南側ベッド付近に火が見えました。平野さんはМさんをベッドに引き上げようとしましたが重くて上げられなかったため、燃えている物を取り上げ斜め後ろに放り投げ、火を消そうと布団を火に被せましたが、逆に燃え上がってしまいました。平野さんは、1階に下り、風呂の水をバケツに入れ、階段の途中からかけたり、消火スプレーで消そうとしましたが効果がないため、表に駆け出し救助を求めました。その後も、平野さんは、燃えさかる家に何度も入ろうとしたため「このままでは義くん(平野さん)の命が危ない」と、近所の人が数人で「膝カックン」(膝の後ろを押して膝をつかせる)して止めたことが裁判でも証言されていますし、一緒に救助に入ろうとしたWさんら2名の検面調書も存在します。

しかし、検察は、灯油を撒き火をつけ、手足を縛られ動けないМさんを焼死させることができるのは平野さんしかいないと主張、そのため出火場所を、Мさんのいた南側ベッドから「離れた」北側ベッド北西角付近としました。その付近は1階へ降りたり、上の洗濯場に上る階段があり、風通しがよいためよく燃えてはいますが、さらに燃えていた場所がありました。それがМさんの遺体が発見された南側ベッド付近です。

Мさんの遺体は真っ黒に炭化しており、解剖の結果、血中の一酸化炭素ヘモグロビンが105と極端に低く、気管などに煤片などもほとんど混入していないことなどから。出火と同時に瞬時に亡くなった「熱傷死」とされました。無残な亡くなり方ではありますが、一審判決のように「迫りくる炎の恐怖となぜ被告人からそのような目に逢わされなければならないのかという混乱の中で命を落と」した状態でなかったことは明らかです。

平野さん宅のイラスト(裁判資料より)

◆自殺をほのめかしていたМさん

平野さんと弁護団は、裁判でМさんが覚せい剤を使用していたことから精神的な錯乱状態を起こし、発作的に焼身自殺を図ったのではないかと主張しました。というのも、Мさんは平野さんと交際しながらも、「目の前から消えます」「タブーを犯してしまった」「私は死にました。今の私は来世に向かって生きているのです」などと、自殺をほのめかすような言葉を多数ノートなどに書いていたからです。

検察はМさんの遺体が、炎から身を守ろうとする「ボクサースタイル」をとっていないことについて、Мさんの手足が縛られたままだったからと主張しました。しかし、遺体を解剖した安原正博教授は「死に至る時間があまりにも短く、瞬時だったので、そういうスタイルをとっていなくても不自然ではない」と証言、また「手の曲がり方が縛られていたため」という検察の主張についても、「(もしなんらかの形で両手が緊縛されていれば)曲がり方が制約される」と否定的な所見を述べています。さらに「このような熱傷死の場合は、焼身自殺の場合を除外すると極めて少ない」とМさん自殺説を裏付けるような証言も述べていました。

◆自己矛盾した検察の主張で「無期懲役」とは?

検察は、冒頭陳述では、出火点は北側ベッド北西角とし、出火前Мさんがいた南側ベッドと「離れている」から、平野さんにしか放火できないとしていました。しかし「論告求刑」では、Мさんが出火前にいた場所を北側ベッド北西角付近に変更しました。炭化したМさんの遺体から、火災発生から瞬時に焼死したことが鑑定でも明らかになっているからです。検察は、出火点と出火前、Мさんがいた位置は「離れているがゆえに、Мさんの着火行為は否定できる」とした冒頭陳述を、自ら否定せざるをえなくなったのです。

そもそも平野さんに、長年住み思い出の詰まった自宅を放火したり、新たな映画のオファーを投げうってまで、Мさんを殺害するような「動機」はありません。火災後、平野さんも覚せい剤使用で逮捕されましたが、その件で平野さんを担当した検事は、現場検証を何度も行ったうえで「放火で逮捕はない」と断言していました。にも関わらず、その後代わった若い検事がいきなり平野さんを凶悪な「放火殺人犯」にしたてたのです。

確かに平野さんも覚せい剤を使用したり、傷害事件なども起こしています。しかし、過去に悪事を働いた人が、それを理由に、やってもいない事件の犯人とされていいのでしょうか。しかも検察は、平野さんの無実を証明する多くの証拠を未だに隠したままです。例えば、消防署から消防車が出動し、消火活動を行えば、必ず「出勤記録」「活動記録」が作成されますが、検察はそれらを開示していません。実際の火災現場で消火活動にあたった消防隊員らの証言などが事件解明に重要であることは、青木恵子さんの東住吉事件の国賠訴訟で、実際の火災現場で消火活動にあたった消防隊員の証言が事実であったことからも明らかです。しかし、検察は、現場で消火活動に携わっていない消防隊員Tさんを法廷に立たせ、出火場所を「北側ベッド北西角付近」と証言させたのです。

請求の準備に向けたクラウドファンディングが3月2日から開始されました。ぜひ、みなさまのお力をお貸しください。

◎19年間、無実を訴え続ける無期懲役囚に真相解明のチャンスを下さい!◎
平野義幸さんを支援する会/代表:青木惠子
https://readyfor.jp/projects/save_yoshiyuki_hirano 

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年4月号!

1961年、三重県名張市の小さな村でおきた名張毒ぶどう酒事件の第十次再審の異議審で、名古屋高裁が3月3日に再審開始の可否の判断を出すことが分かった。元死刑囚・奥西勝さんは、第九次再審請求中の2015年10月、89歳で病気で獄死、兄の意思を受け継いだ妹・岡美代子さんが第十次再審請求を申し立てたが、2017年10月に棄却、岡さんは異議を申し立てていた。

◆ぶどう酒に毒を入れることができたのは、奥西さんだけだったのか?

村の懇親会で出された毒ぶどう酒を飲み、女性5名が死亡、12名が重軽傷を負ったこの事件で、奥西さんが犯人とされたのは、死亡した女性のなかに奥西さんの妻と愛人がいたことから、「三角関係を解消しようと犯行に及んだ」ととされたからだ。奥西んさんは一旦は自白に追い込まれたが、それ以降は一貫して無実を訴えていた。

物証や目撃証言が乏しいなか、検察は村人から聞き取り調査を行った際、とりわけ会長に頼まれぶどう酒を購入したAさんが、何時に会長宅に瓶を届けたかが焦点となった。結局、Aさんの供述は当初の「午後2時」から、奥西さん自白後に「午後5時」に変わり、ならばその後、公民館にぶどう酒瓶を運び、一人になった奥西さんしか毒を入れることはできないとされた。

さらに、他の村人の証言も、奥西さんの自白を前後して不自然に変遷したが、わずか8戸(当時)の小さな村内で、どうしても犯人を捜す必要にかられ、村人は警察官を交えた「話し合い」で、消去法で奥西さんを犯人にするしかなかったようだ。

しかし、津地裁は、こうしたからくりを「検察官のなみなみならぬ努力の所作」と皮肉を込めて批判し、一審で奥西さんに無罪を言い渡した。これを不服とした検察が控訴、名古屋高裁は、ぶどう酒瓶の王冠についた歯形が奥西さんの歯形と位置するとして、一審・無罪判決を破棄し、逆転死刑判決を言い渡し、1972年刑が上告が破棄され、刑が確定した。死刑囚となった奥西さんは、獄中から第一次から第四次までの再審請求を、自身で申し立てたが、いずれも棄却。その後、日弁連によって弁護団が結成され、再審で次々と奥西さんが犯人でないとの証拠が暴かれていった。

第七次再審請求審で、2005年4月5日、名古屋高裁(刑事1部)小出(金へんに亨)一裁判長は、再審開始と奥西さんの死刑執行の停止を決定したが、検察は、即座に異議を申し立た。2006年12月26日、名古屋高裁(刑事2部)門野博裁判長は、再審開始決定を取り消したが、2010年4月、最高裁は決定を取り消し、名古屋高裁に差し戻した。しかし、2012年5月25日、差し戻し後の異議審・名古屋高裁(刑事2部)下山保男裁判長は、再審開始決定を取り消し、請求を棄却、2013年年10月16日、最高裁もこれを追随した。

◆奥西さん、無念の獄死と第十次再審請求へ

2012年、肺炎を患い、名古屋拘置所から東京八王子医療刑務所に移送された奥西さんは、2015年10月4日、第九次再審請求中に無念の獄死を遂げた。11月6日、兄の意思を受けついだ妹・岡美代子さんにより第十次再審請求が申し立てられた。

これに対して、名古屋高裁(刑事伊津部)山口裕之裁判長は、2年もの間、「三者協議」を開かないまま、2017年12月8日に請求を棄却、その後、異議審を審議する名古屋高裁(刑事2部)・高橋徹裁判長も同様に、2年間「三者協議」を開かず、放置していた。これに対して、弁護団は3回にわたって裁判官らの「忌避」を申し立てたが、高橋裁判長はこれを却下し続けながら2019年11月1日、とつぜん依願退官したのであった。無責任極まりない対応だが、これも3度にわたり「忌避」を申し立てたり、裁判所へ抗議を続けた弁護団、支援者らの活動の成果であることは間違いない。そして、新たな裁判長への交代が、長い審議放置の暗闇に一筋の光を灯すこととなったのである。

◆裁判長交代で、59年ぶりに開示された新証拠

鹿野(かの)伸二裁判長が新たに就任するや、長く放置されていた裁判が慌ただしく動き始めた。弁護団の面談の申し入れに、裁判長もなるべく早くすると答え、12月8日には面談が実現。弁護団は、そこで、申立人の岡さんが高齢であるため、早急な解決を望むこと、ぶどう酒瓶に撒かれた封かん紙の裏側に付着するのりの成分の再鑑定を許可してほしいこと、更に検察官が未提出の証拠開示について、裁判所からも強く開示するよう働きかけてくれるよう訴えた。

2020年1月10日、検察官がようやく提出してきた意見書には、少なくとも7名の村人の9通の未開示の警察官調書があることがわかった。検察はこれらについて「開示する必要はない」と主張したが、裁判所が強く開示を求めたため、3月3日、事件から59年ぶりに、9通の調書が開示された。

9通の調書は、いずれも奥西さんが自白した4月2日よりも前、事故直後の村民の記憶が鮮明な時期に作成されたものだが、そこには、奥西さんの「自白」と矛盾する驚くべき事実が書かれていた。7名のうち女性2名と男性1名は、親睦会の席上で開けられたぶどう酒瓶には、封かん紙がまかれていたと供述していた。奥西さんの自白では、ぶどう酒瓶に毒物を入れるため、火鋏で瓶の外蓋を突き上げて外した際、外蓋にまかれた封かん紙も破れ、外蓋と一緒に落ちたままにしたというものだった。その自白通りならば、親睦会が始まる前に村人が見たぶどう酒瓶は、封かん神はまかれておらず、内蓋が絞められただけの状態であったはずだ。

しかも、これらの村人の供述は、もうひとつの奥西さんを無実とする証拠、すなわち封かん紙の裏側に製造過程で使ったのり(CMC糊)の成分のほかに、家庭で使う選択糊(PVA糊)の成分が検出されていたとする弁護団の新たな証拠とも合致するのだ。

実は、この糊の成分測定は、第十次再審請求時にも実施しており、製造過程と別の成分が検出されたため、鑑定書を提出し「真犯人が別の場所で毒物を入れ、封かん紙を貼り直した証拠だ」と主張していた。しかし、名古屋高裁は、分析結果が誤っていると否定し、請求を棄却していたのである。

弁護団は、新たな裁判長の許可を得て、再度測定を実施した。その結果、前回同様、家庭で使われる選択糊に含まれる成分が検出されたのであった。

◆検察官はすべての証拠を開示すべきだ

審議をさらに進めるために弁護団は、当時、警察から検察へ送致された証拠などを独自に整理し、「送致証拠整理表」を作成した。そこには多数の空白が存在していることがわかった。その空白は未開示の証拠である。中でも、村民らの供述調書と考えられる部分が多数あり、少なくとも村民の未開示の供述調書が50通も存在することがわかった。ここには、当然、奥西さんを無実をとする証拠、つまりぶどう酒瓶が会長宅に届けられた時刻がいつかを明確にさせる証拠などもあるはずだ。

前述したとおり、奥西さんにしか毒を混入できる人物はいないとしたのは、村人らの「ぶどう酒瓶到着時刻」がその後次々と変遷したからだが、その合理的理由は説明されておらず、しかも当初の村民の供述調書も開示されていない。

改めて整理すると、ぶどう酒を親睦会で女性らに提供すると決めたのは会長で、しかも当日朝だ。そして会長に頼まれぶどう酒を購入し、会長宅に運んだAさんが、到着時間を変遷させ、最終的には5時前に運んだとした。その後まもなく会長宅から公民館にぶどう酒を運んだ奥西さんしか、毒物を混入できる人物はいないとされたてきた。しかし、59年ぶりに奥西さんの無実を証明する証拠隠しが明らかになったのだ。検察は直ちにぶどう酒が何時に会長宅に届いたか、正確な時刻を証明する必要証拠を開示すべきだ。警察管にむりやり供述を変えさせられた村民もまた、警察、検察らの犠牲者なのだから。人の心をもった鹿野裁判長には、3月3日、ぜひ、再審開始の決定を岡さんに言い渡していただきたい。


◎[参考動画]映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』予告編(東海テレビ放送配給 2013年1月11日)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

1月27日、3・11の原発事故時、6歳から16才、現在17才から27才になった男女6人が、原発事故に伴う被ばくで小児性甲状腺がんを発症したとして、東電に損害賠償を求めて提訴した。

16時から衆議院第一会館で支援集会が行われ、声を上げにくい状況のなか、訴えを起こした勇気ある6人の原告を応援しようと大勢の支援者らが集まった。

1月27日、午後1時に東京地裁に入廷する弁護団と原告、支援者

 
まずは、弁護団長・井戸謙一弁護士が説明された訴状の概略を紹介する。
 
原告は6名は今現在17歳から27才、いずれも当時福島県に住んでいた。中通りが4人,会津が1人、浜通りが1人で、甲状腺がんが発見され、全員摘出手術をうけている。最初は半分摘出、うち4名が再発し、全摘になった。全摘するとRAI治療(大量内用療法)をしなくてはならない。甲状腺組織が取り切れてないと、残った甲状腺組織ががん化し、甲状腺組織を全部潰してしまうため、病気の原因となった放射性ヨウ素をもう一度カプセルに詰め込んで自分の身体に入れる治療法だ。自身の中で放射性物質を発射するような状態に一時期おかれるという、大変過酷な治療を、既に3人が行っており、もう一人は近くそれを行う予定。それ以外に1人の原告は再発を繰り返し、既に4回手術を受け、近くにもう一度手術を受けないといけないかもしれない。肺に転移しているのではないかといわれている原告もいる。みんな、元気な子どもだったが、現在は再発の不安に怯え生活をしている。甲状腺がんに罹って以来、人生が変わってしまった。進学、就職についてすでに具体的な支障がでている。

福島では小児性甲状腺がんの原因が被ばくだと思っていても、それを口にできない、言うと風評加害者だとバッシングされるので、6人も肩をひそめるように生きてきた。しかし、この問題をはっきりさせないと、人生の次のステップに進むことができないという気持ちを徐々に固め、今回提訴という決断に至った。提訴すと、今まで以上にいろんなところから攻撃を受ける可能性があるが、それでもやりたいと決意した。なぜかというと、これからの生活に不安がある。就職も十分できるかわからない。今の職場がいつまで続けれるかわからない。医療費は、当面は福島のサポート事業で無料だが、今後どうなるかわからない。医療保険に入れないため、将来の医療費を確保できない。そのために経済的補償をしてほしいという思いがある。更にそうした理由を超えて、今わかっているだけで293人いる、同じように苦しむ福島の甲状腺がんになっている子どもたちの希望になるだろうとことを期待し、同じように闘ってほしいという思いもある。もう1つは、自分たちは被ばくしたのだから、原爆被爆者のように手帳を受け取って、生涯医療費、各種手当でサポートする、そぅいう制度に繋げたい、この裁判を提訴することで、最終的に勝つだけではなく、そういう制度に繋げたいとの思いもある。

国や福島県は、被ばくと甲状腺がんの因果関係を認めてないなかで、裁判に勝てるのかというご意見の方もいらっしゃるが、十分勝てると考えている。100万人に1、2人だったはずの小児性甲状腺がん患者が、事故後の11年間で福島県の30数万人の子どもから300人近く出ている。多発していることは、国や県も認めざるをえない。その原因は何か? 甲状腺がんの第一の原因は、放射線被ばくだとどの本にも書いてあるし、原告の6人は、確かに被ばくをしたのだから、特別な事情がない限り、原因は被ばくだろうと判断すべきだ。被告・東電がそうでないというならば、何が原因か立証しろ、立証できないなら、被ばくが原因だと判断すべきだと考えているし、それは裁判で十分通用すると考えている。

もう1つ、東電は「過剰診断論」を主張するだろうが、これも十分勝てると考えている。これは、実際に執刀した医師は、甲状腺がんについては過剰診断がありうるということを十分注意し、そのうえで手術の条件がそろったとして手術しているのであり、必要もないのに手術しているわけではない。そのことは、手術した医師が明言していることで、過剰診断論者の言っていることは抽象的な空論を言っているにすぎないと考えている。

あれだけの事故が起こって人的被害がないはずがない。チェルノブイリ原発事故では小児甲状腺がんは数千人でているが、それ以外にどれだけの人が、被ばくによって亡くなったか。IAEAの一番少ない見積りでも4000人だ。福島の事故はチェルノブイリ事故より小さく、規模が7分の1と言われるが、仮にそうだとしても相当数の死者も含めた健康被害が出て当然だ。そうであれば、国はちゃんと調査して、因果関係のある疾病に費えは補償する体制を作ることが、民主主義国家として当然の在り方だと思う。国は、小児性甲状腺がん以外は調べないし、小児性甲状腺がんが多発してもいろんな理屈をつけて因果関係を否定しようとする。この国の在り方自体を変えてゆくきっかけになるような裁判にしていきたい。原告の人たちは非常に重い決断をされた。今後の裁判でいろんな紆余曲折があると思うし、つらい場面なども出てくると思いますが、攻撃する人がいても、それの何十倍、何百倍の人たちが支援していてくれると思えば、頑張ってやっていけると思う。ぜひみなさんの強力なご支援をお願いしたい。

午後4時から衆議院第一議員会館で行われた支援集会

 
弁護団副団長の海渡弁護士から「甲状腺がんは非常に軽いものではない」ということで、原告の皆さんからお聞きして胸が痛くなったという、「穿刺細胞珍」(せんしさいぼうしん)という、麻酔なしに細い注射針を喉に刺して直接細胞を吸い出し両性か悪性かを判断する検査方法が紹介された。

原告のお母さんは「(提訴まで)11年かかりました。辛い思い出もありましたが、やらないで後悔するより、やって勝訴したいという思いが強くなってきました」と語られた。

石丸小四郎さん

「子どもたちの夢を奪う過酷事故を起こしてしまったという思いで、何としても勝ち取る決意である」という、あらかぶさん裁判を支援する石丸小四郎さん、甲状腺がん支援グループ「あじさいの会」のちばちかこさん、子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美男さんら、福島で闘う人たちからも熱い連帯アピールが行われた。

原告のメッセージを紹介する。

「今まで甲状腺がんに罹っていたことを誰にもいえず苦しんできました。原発事故はまだ終わっておらず、被害者である私たちがいきていく以上続きます。この裁判をきっかけに世の中が少しでもよくなることを願っています」(ゆうた)。

「私は再発を含む手術を4回、アイソトープ治療を1回、計5回の手術及び入院を経験しました。この裁判を通して自身が疾患した甲状腺がんと、福島原発事故の因果関係を明確にし、同じような境遇で将来の生活に不安を抱える人たちの救いのきっかけになることを願っています」(るい)。

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『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

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◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000689

1月22日(土曜日)18時半より、大阪市内で「釜ヶ崎から被ばく労働を考える」シリーズの講演会の第6弾を開催します。今回講師でお招きするのは、東京新聞記者(現在は福島支局・特別報道部所属)で『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』の著者でもある片山夏子さんです。この本は第42回講談社本田靖春ノンフィクション賞と第20回「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞しました。昨年3月11日に開催された後者の賞の受賞式に片山さんは福島取材で出席できなかったため、会場で代読されたメッセージをご紹介致します。

 

片山夏子『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』

「事故直後、国や東電の会見を聞きながら、現場にいる作業員は次の水素爆発が起きたら生きて帰れるのか、次々と危機が襲う中で、どんな思いでいるのか……そんなことが頭を巡りました。
 会見では作業の進捗状況はわかっても作業員の様子は見えてきません。原発事故が起きたとき、そこにいた人たちに何が起きていたのか、人を追いたいと思いました。
 特殊な取材現場でした。原発には東電の許可がないと入れない。入ってくる情報は国や東電の発表ばかり。実際に現場で何があったのか、作業員の話を聞かないとわからないことばかりでしたが、厳しいかん口令が敷かれ、記事を書けばすぐに犯人捜しが行われました。作業員の入れ替わりも激しく、高線量下の作業下、はやければ2-3週間で去ったという人もいます。この10年は取材に応じてくれる作業員を探し続けた年月でした。ある作業員は原子炉建屋内で20キロの鉛を背負って駆け上がりました。線量計は鳴りっぱなし、全面マスクの苦しいなか、『早く終われ早く終われ』と彼は祈り続けたと言います。地元から通い一生働くつもりであった原発を、被爆線量が増えたからと解雇され、『俺は使い捨て』と自分の存在価値に悩み、うつ状態になった作業員もいました。
 原発で働くために避難する家族と離れて暮らし、こどもの成長をそばでみられないと苦しむ作業員。離れて暮らす息子に『パパいらない』と小さな手で押しやられ悩む他県から来た作業員。原発作業員の彼らも、誰かの息子であり、夫であり、父親であり、友人で、心配する誰かがいました。
 今日も、作業員はいつものように現場で目の前の作業を一歩でも進めようと奮闘しています。原発事故は終わっていません。そして一日も早く廃炉にしたいという彼らをこれからも追っていきたいと思います」

片山さんは、震災の年の7月、東京社会部に異動となり、原発班担当となりました。「福島第一原発でどんな人が働いているか。作業員の横顔がわかるように取材してほしい」とキャップに命じられましたが、当初、取材のイメージがわかずに戸惑ったといいます。というのも、すでに現場には多くの報道関係者やフリーのジャーナリストらが取材に行っていっており、中には潜入ルポを試みるジャーナリストのいました。

そんななか、片山さんの中に、当時「日当40万円」などと言われたが、それは事実だろうか? 福一から20キロ離れたJヴィレッジで防護服などを装着するが、その実態はどうか。何より高線量の危険な現場で、命を賭してまで働くのはなぜか? 等々聞きたいことが浮かんできたそうです。当時、イチエフの作業員の多くが、旅館、ホテルで集団生活していたいわき市に通い、駅周辺やパチンコ屋などで作業員を探し始めます。同じ頃、作業員には厳しいかん口令がひかれ始めたため、取材に応じてくれる人がなかなか見つけられないなか、粘り強く作業員に声をかけ続け、徐々に取材に応じてくれる人がでてきました。

そんな作業員との取材は、同僚や会社の人に見られたら困るからと、個室のある居酒屋や宿舎や駅から離れたファミレスなどで行うことが多く、数時間どころか、6時間にも及ぶことがあったといいます。

18時から、福島の民謡なども歌う「アカリトパリ」のオープニングライブから始まります

◆一人一人の作業員の顔が見える取材

片山さんの著書を、ジャーナリストの青木理さんは「解説」で、「こうあるべきだ」「我々はこう考える」など声高に主義・主張を訴える「社説」「論説」など「大文字」に代表される記事に対して、「小文字を集めたルポルタージュ」と評しています。「それでは零れ落ちてしまう市井の声がある。名もなき者たちの喜怒哀楽がある。その喜怒哀楽の中にこそ、本来は私たちが噛みしめ、咀嚼し、反芻し、沈思黙考しなければならない事実が横たわっている」と。

確かに、顔は出ておらず、名前も愛称だったりするが、片山さんの取材で描かれる作業員の話には、まるで私自身が目の前で聞いているような錯覚を覚えます。「ゼネコンはいいなあ。俺らは原発以外仕事がないから、使い捨て」(35才 カズマさん)、「作業員が英雄視されたのなんて、事故後のほんの一瞬」(56才 ヤマさん)、「借金して社員に手当」(50才 ヨシオさん、「被ばく線量と体重ばかり増え」(51才、トモさん)…片山さんの取材が、それだけ作業員ら一人一人に親身に寄り添い、本音を引き出せれたからだと思います。

片山さんは、福島に通う続けるうち、自身も咽頭癌を発症したことを「あとがき」で告白しています。「家族にがんの人間はいない」とも。現在は元気になったといいますが、発症時、作業員らに告げたとき「俺らより先に、何がんになっているんですか」と心底心配されたそうです。9年間の長い月日に、そんなプライベートな話ができるほど深い信頼関係が築けてきた証拠です。

◆脱原発運動を被ばく労働者の闘いを繋げていこう

これまで私たちは「釜ヶ崎から被ばく労働を考えよう」と題する講演会を5回行ってきました。第1弾にお呼びした「被ばく労働を考えるネットワーク」の中村光男さんは、事故後、過酷労働と知りつつ被ばく労働に就く人たちを分析、1つ目は「田舎の給料ではおっ母、子供の生活をみれない」と田舎から稼ぎに来る労働者、2つ目は2008年リーマン・ショック以降増大した非正規雇用労働者や派遣労働者、釜ヶ崎など寄せ場の日雇い労働者、3つ目が全体の7~8割を占める地元福島の人たち。このように危険と知りつつ、被ばく労働に就かざるを得ない層が一定数、確実にいるということを教えられました。

第2弾にお呼びした写真家の樋口健二さんは、過酷な被ばく労働者の実態、更に病に倒れ補償もされず亡くなった多くの人たちを見てきたため、講演の最後を「知り合いが被ばく労働に行くと言ったら『絶対いくな』と言ってください」と締めくくられました。確かに、大切な家族、仲間を被ばくの危険にさらさせたくない思いは誰にでもあります。それでも誰かがいかなかったら、福島第一原発が今、どうなっていたか、被災者はどうなっていたかわかりません。危険と知りつつも被ばく労働に就かざるを得ない労働者が一定数、しかも確実に存在するならば、そういう労働者の劣悪な労働環境、人権や権利、保障をどうするかを考える必要があるのではないでしょうか。

あらかぶさんとなすびさんをお呼びした「釜ヶ崎から被ばく労働を考える」シリーズ第5弾。会場は満杯

そのため、私たちは第3弾に、中村さんと同じ「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさんとイチエフの収束作業現場などで働いた池田実さんをお招きしたした。さらに第4弾、第5弾は、イチエフの収束作業後に白血病を発症、初めて労災認定された「あらかぶさん」(通称、九州で魚のかさごを意味する)をお呼びしました(あらかぶさん裁判については「デジタル鹿砦社通信」2021年12月14日付けを参照)。

福島第一原発では、現在も1日4000人の作業員が危険は被ばく労働に従事いていますが、。作業員が被ばくにより病気になっても、今のところ労災以外になんの補償もありません。皆さん、チェルノブイリ事故のあと、収束作業に駆り出されたリクビダートルたちが始めた闘いが、全国各地の市民運動などと連動・団結し、チェルノブイリ法を制定させたことを忘れてはなりません。この日本でも、様々な反原発・反被ばくの闘いを、被ばく労働者の運動に繋げて前に進めていきましょう!

コロナ感染拡大中のため、会場でのマスク着用、入場前の消毒、換気対策などに気をつけます。参加者の皆様のご協力をお願い致します。

片山夏子さん講演会は1月22日(土)18時よりピースクラブ(浪速区)にて

 
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号

1995年に起きた東住吉事件の冤罪犠牲者・青木恵子さんが、再審無罪後、国と大阪府に国家訴訟を提訴した件で、昨年9月の結審後、大阪地裁・本田能久裁判長が「和解勧告」を出していた(昨年12月2日付けデジタル鹿砦社通信参照)。国賠訴訟で和解勧告が出されるのは極めて異例だ。裁判長は「私が正しい判決を出しても、また控訴、上告され、裁判が長引き、青木さんの苦しみが続く。だから私たちで裁判を終結させたい」と述べ、青木さんは感動で胸がつまり、すぐには返答できなかったという。

和解には、国と府の謝罪と何故冤罪が起きたかの検証も入るとのことだったため、青木さんは和解に応じ、大阪府も和解を前向きに考えると協議のテーブルに着いたものの、国は、一旦持ち帰って返答するとしていたが、その後の裁判所の呼びかけには一切応じていない。

昨年12月23日の協議に、国が応じず和解が決裂した場合、弁護団が会見する予定だった。この日も国は出廷しなかったが、裁判長が「もう一度説得したい」と申し出、会見は延期となっていた。そして1月12日、いよいよ和解は決裂し、その後の会見で、これまで伏せられてきた和解勧告の中身が公開される予定だった。

14時半から始まった協議は長引き、40分後司法記者クラブの現れた青木さんは少し疲れた様子だった。今日も国は出廷しなかったが、裁判長は再度説得にあたるので、来週まで結論を待ってくれというようだ。しかし、来週は青木さん、弁護団とも多忙であること、決裂はほぼほぼ決まりであることなどから、本日(1月12日)、会見が開かれた。

協議後の記者会見。裁判所が来週まで説得に当たるとなり、疲れた様子の青木さん

◆「青木恵子氏は完全に無罪であり、もはや何人もこれを疑う余地はない」

昨年11月29日、第一回目の和解協議後に店に寄った青木さん。裁判長らから暖かい言葉を貰い、ほっとした様子だった

「冤罪の『冤』の文字は、ウサギが拘束され、脱出することが出来ない状態を表しているが、一説によれば、この文字は、漢(紀元前206年~220年)の隷書の時代から見られるようである……」から始まる「和解勧告」が参加者に配布され、加藤弁護士が説明を行った。昨年11月、裁判所が和解勧告にあたって双方に提出した所見だが、国への説得が続くため、和解条項は公表されなかった。加藤弁護士は「和解はほぼほぼ99%ないだろうと判断している。来週半ばには正式に打ち切りが決定されるとは思っていますが、裁判所のご努力については尊重していきたいと思います」と説明を始めた。

「青木さんは完全に無罪であり、もはや何人もこれを疑う余地はない」

「しかし、青木恵子氏が今もなお苦しみ続けていることは、疑いのない事実である。このような悲劇が繰り返されることを防止するとともに、冤罪により棄損された国民の刑事司法に対する信頼を回復・向上させるためにも、刑事手続きに関わる全ての者が全身全英をもて再発防止にむけて、取り組むべきであることについては、民事責任を争う被告らにおいても、否定されないと信じたい。青木恵子氏も、二度と冤罪が繰り返されない社会の実現を切望して、本件訴えを提訴されたと述べられている」。

次に、和解のために必要な限度で、争点についての所見を示すとして、大阪府に対しては、取り調べ報告書の記載内容だけでも青木氏に対して相当な精神的圧迫を加える取り調べが行われていることが明らかである。国についても、その取調報告書の取り扱いについて(その報告書を見て起訴していること、公判で、弁護団から開示を求められたが拒否していること)、あるいは警察官の証人尋問に関する検察官の対応についての疑問は、同居男性が自ら警察署に赴き、自供書を作成したなど、もろもろ虚偽の事実を述べていた件については、検察官も偽証であることはわかっていたはずだということを意味していること。これらについて裁判所は、被告の国と大阪府に対して連帯して和解金を支払うことを求めるということ。勧告書は最後に「古来繰り返されてきた冤罪による被害を根絶するための新たな一歩を踏み出すべく、当裁判所は、下記の通り和解を勧告する」と締めくくられていた

その後、青木さんが感想を述べた。「和解が成立することを望んでいたが、国が応じないということで本当に許せない思いです。裁判所は異例にも関わらず、和解を出してくれ、私の裁判を終わらせてくれようとしたのですが、国が応じないということで、国はこれからも冤罪を作るんだという、それを自ら発言したのと同じだと思っています。反省も検証もしない、そしてこれからも冤罪を作り続けていく国が本当に許せない。あの人たちはどういう考えなのか! 再審でも、国は『有罪立証をしない、裁判所に委ねる』と言い、自分たちの意見を言わずに終わらせました。そして私が国賠を提訴すると、私の本人尋問で、(国は)1時間必要といっていたが、1つも質問しませんでした。何もかも放棄し、裁判所の和解案にも一度聞きにきただけで、それ以降は協議の席に全く着かなかった。裁判所は再三に渡って説得を試みると言ってくれましたが、それでも応じない。怒りでいっぱいです。判決で私たちは国と大阪府の違法性を認めてもらったら、控訴せずに終え、刑を確定したいと思ってますが、これでまた検察に控訴されたら、再び怒りが沸いてくると思います。こんなおかしい国の態度をもっとマスコミの皆さんも批判して頂けたらと思います」。

昨年8月27日、東京高裁で桜井昌司さんの国賠訴訟で完全勝利判決が下された日、高裁前でアピールを行う青木さん

昨年9月16日長くかかった裁判の終結後に行った記者会見で

◆放火でないと知って「起訴」した検察

国はなぜ頑なに和解に応じようとしないのか? 国は全く悪くないと考えているのか? そうであるならば、弁護団の最終総括から、国(検察)がいかに深く関与し、この冤罪を作ってきたかを検証していこう。

1995年9月10日、任意同行された青木さんと同居男性が、警察の違法な取り調べで「自白」に追い込まれたことは、再審無罪判決で明らかになっていた。「お前がやったんだろう」と怒鳴られながらも、否認を続けていた青木さんを自白に追い込んだのは、男性がめぐみちゃんに性的虐待を行っていた事実を突然ぶつけられたからだ。しかも「息子も知っていた」などと嘘をつかれ、「どうなってもいい、早く房に戻って死にたい……」との思いから自白に追い込まれていった。

この経緯を青木さんは、検察官の取り調べでも訴えていた。弁護人も違法な取り調べについて抗議していた。青木さんの自白が嘘であることを、検察官が知らないはずはない。

しかも警察も検察も、火災が自然発火か放火かを十分捜査していなかった。当初、現場で消火を手伝った住民の多くは「当初炎は50センチ程度でチョロチョロ燃えており、消火器で十分消せると思っていた」と証言しており、警察も「風呂釜の種火が(車両から)漏れたガソリンに引火した可能性がある」と発表していた。

一方、男性の「自白」通りに放火を行えば、50センチの炎がチョロチョロどころか、あっという間に炎上し、大量の黒煙があがり、男性自身大火傷を負うことは、起訴前に警察が行った杜撰な再現実験からも明らかだった。しかし、警察も検察も、 自然発火の可能性をより科学的・専門的に検証することなく、青木さんを娘殺しの放火殺人犯に仕立て、起訴したのである。

◆刑事裁判で青木さん無実の証拠をことごとく隠した検察官

刑事裁判で検察官は、青木さんの無実、あるいは有罪心証を揺るがせる証拠について一切証拠調べ請求を行わなかった。ガソリンスタンド店員の「ガソリンを満タンにいれた」とする供述、青木さんが娘の救出を求めていた事実、男性が消火活動を行ったり、消防士に娘の救出を求めていたことを複数の住民が目撃し、報告書などがあるのに「男性の消火活動しているところを見ていない」という証言のみを提出した。あまりに悪質ではないか。

大阪府警にも重大な責任はあるが、警察を指導・管理すべき立場の検察が、警察の違法な捜査を放置・助長し、青木さんを「娘殺し」の犯人にしたてたのだ。国はその責任をとりたくない。それが今回、国が和解勧告を蹴った理由であり、青木さんが言うように、国は今後も堂々と冤罪をつくり続けると宣言したようなものだ。断じて許さず、今後も裁判を見続けていこう!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号

2019年4月に閉鎖された「あいりん総合センター」(以下、センター)周辺に野宿する22人に対して、国と大阪府が立ち退きを求めた裁判で、昨年12月2日、大阪地裁(横田典子裁判長)は、立ち退きを認める判決を下した。但し、原告が求めた仮執行宣言は認めなかった。

毎日新聞(12月3日付)によれば「判決は、センターが長年、路上生活者の拠点となってきた経緯から、『閉鎖後も段ボールを置くなどして実質的に支配している』と指摘。代替場所を提供しているため府の立ち退き請求は妥当だと結論づけた」とある。一方、野宿者側の弁護団・武村二三夫弁護士は「生活の場を奪うことは許されず、行政の都合に合わせた判決だ」と非難した。

◆野宿者を暴力的に締め出し、センターを閉鎖した国と大阪府

センターは釜ヶ崎の労働者にとって特別な施設であった。1970年大阪万博開催に向け、釜ヶ崎に大量の建設労働者が全国から集められた。それまで労働者は、手配師と直接交渉する「相対方式」で仕事に就いてきたが、賃金未払い、契約違反、暴行などが多発したため、就労環境整備のため、そして労働者の福利厚生のためにとセンターが作られた。センターの1階と3階では、誰でも自由に横になれた。こんな場所は全国でここしかない。ほかに足を洗う、洗濯する、シャワーを浴びる、水が飲める、安く飯が食える、将棋ができる、建設当時「100年持つ」といわれた頑強な構造物だった。

しかし2008年頃から「耐震性に問題がある」として、センター建て替え問題が浮上、当初は補強、耐震工事などの案も出ていたが、突然「解体、建て替え」に変わったのは、2012年、大阪維新の橋下徹氏が市長になってからだ。橋下氏は「西成が変われば大阪が変わる」とする「西成特区構想」をぶち上げ、NPO、組合、支援団体など一部関係者と有識者などで構成する「まちづくり検討会議」で、センター解体、建て替えを一挙に進めようとしてきた。

2019年3月31日、いよいよセンターが閉鎖されようとした日、各地から集まった労働者や野宿者、支援者らが反対の声をあげ、閉鎖は阻止された。その後、自主管理が続いたが、4月24日、国と大阪府は強制的に中にいる労働者・野宿者を締め出し、以降シャッターは閉められたままだ。

[写真左]野宿者の多いセンター西側に山積みのごみ。釜合労、支援者が片づけを要求したが、行政は放置したまま。[写真右]一方裏の東側はごみを片付けられている。これについて神戸大准教授の原口剛氏は「建物の維持管理をあえて放置し、居住環境を意図的に悪化させることは旧来の住民を追い出すために採られるジェントリフィケーションの戦略のひとつ。しかも特に悪質な戦略のひとつである」と述べている

◆土地明渡訴訟(本訴訟)と仮処分訴訟

2020年4月22日、大阪府は、センター周辺で野宿する人たちに「立ち退きせよ」と「土地明渡訴訟」(本訴)を提訴、そのわずか数か月後の7月、本訴では時間がかかるため、緊急に立ち退き命令を執行する必要があるとして仮処分命令を訴えてきた。これに対して大阪地裁は、2020年12月1日に却下、理由は2008年から「耐震性に問題がある」と主張してきたが、まちづくり会議などでも「喫緊の課題」として論議された形跡がないからなどだ。野宿の仲間は、2020年の正月を、無事センター周辺で迎えることができた。

その後、大阪地裁で本訴である「土地明渡訴訟」が争われてきた。これまで大阪府は、長居公園、大阪城公園、西成では2016年花園公園から野宿者を追い出すために、行政代執行を強行してきた。では何故、今回センターで行政代執行を行うことができないのか。センターは公の施設として開設したが、そういう施設を閉鎖するためには正式な協議を行う必要がある。しかし今回、国と大阪府は、財団法人としてそうした手続きを全くとっていないのだ。

そのため裁判の争点の1つ目は、「それはおかしい。土地明渡訴訟などという民事裁判で争うべき事案ではない」と主張してきた。

2つ目に、野宿者から「住まい」を奪うということは、国連の「社会権規約」に違反すると訴えてきた。社会的規約によれば、立ち退きさせる場合、それと同等の住まいを与えなければいけないとある。大阪府は、これに対して代替場所を提供していると反論し、判決も代替場所が確保されているとした。

しかし、代替場所とされるシェルターや「萩小の森」公園、南海電鉄高架下の「西成労働福祉センター」「あいりん職安」の仮庁舎などは、時間及び自由が制約されている上に、センターのようにごろりと休める場所もない。それらが代替場所といえるだろうか。新たに作られるセンターも、かつてのセンターが備え持った生きるためのライフラインを持たず、実質野宿者や労働者を寄せつけない施設になることは、仮庁舎を見れば容易に想像がつく。

大阪府が、センターの代替場所の1つとした「萩小の森」。普段は将棋をさす人もいるが、寒いこの日(1月4日14時30分撮影)は、誰もいなかった

3つ目は、国と大阪府のやり方があまりに理不尽だということだ。国と府は、立ち退き理由を、センターの耐震性に問題があり建て替えが必要と主張していたが、仮処分の敗訴理由で明確になったように、その理由も確かかどうか不明だ。さらに野宿者を立ち退かせ跡地をどうするかも未だ確定には至っていない。

また裁判の後半で焦点化したのは、誰がどこに野宿しているか、国も大阪府も明確に判っていないことだった。これに対して国と大阪府は、「野宿者全員がセンター周辺のどこかにいるのだからと、センター周辺を野宿者全員で『共同占有』している」などと、驚くような無理筋の反論を行ってきた。

しかも「共同占有」する野宿者らは、釜ヶ崎地域合同労組委員長やセンター北西側に団結小屋を建て、野宿者らと寄り合いや共同炊事を行う「釜ヶ崎センター開放行動」の人たちの主張に同調する者だと主張してきた。馬鹿なことをいうな! 確かに、野宿者の中には裁判に関心を持ち傍聴する人もいる。しかし、多くの野宿者は「実質的な支配」(地裁判決)どころか、毎日野宿しながら生きていくことに必死なだけだ。

この間、大阪市や西成区職員は、野宿者に生活保護などを受けさせ立ち退かそうと必死で説得を行ってきた。生活保護を受けるか否かは本人の自由だし、受けたい人は既に受けているだろう。それでもなお、野宿にとどまる人が多数いることも事実だ。しかもこの間、コロナ禍で職を失ったり困窮し、新たにセンターに来た人、再び去っていく人を何人もみてきた。それだけセンターは社会的に困窮する人たちの最後の砦になっているのだ。

大阪地裁は、私たちのこれらの訴えを全て認めなかったが、前述したように「仮執行宣言」については「本件事案の性質に鑑み相当でないことから、これを付さないこととする」と認めなかった。そうして、センター閉鎖から3度目の正月を迎えることができた。

「センター解放行動」の仲間が取り組んだ越冬闘争

◆大阪維新のまちづくりは成功するのか?

最後に、センターが閉鎖された2019年の3月28日、大阪維新の松井市長が西成区役所前で行った演説を紹介する。

「西成のいろいろ問題がある所に、僕と橋下さん2人揃って、課題1つ1つ解決してきた。新今宮駅の周辺はガラっと景色がかわります。センターの建て替えも決まった。これは難しかった。関係者が一杯いたから。でも僕と橋下が直接会議に出て意見をもとめ決まった。(中略)あのへんは無茶苦茶大阪の拠点にかわっていきます。問題あるところに真正面に向き合ってこなかったのが10年前の府と市でした。(府市)1つにまとめて機能を強化してありとあらゆる問題に対峙すれば、良くなるという見本がこの西成なんです」。

新今宮駅北側に建設中の星野リゾートが、今年4月に開業する。大阪維新が、2025年大阪関西万博再開に向け,さらなる利権獲得のために進めるまちづくりの一環だ。そんな大阪維新の暴走を、最底辺で食い止めているのが、センターでの闘いだ。大阪維新の野望を打ち砕くため、今年もセンターの闘いにご注目を!

今年4月開業の星野リゾート。ホテルの前のJR新今宮駅反対側にセンターがそびえたつ

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

新年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号

『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

『NO NUKES voice』30号に、1995年12月8日、高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)で発生したナトリウム漏れ事故の社内調査を担当した動力炉・核燃料開発事業団(以下、動燃)の職員・西村成生氏の怪死事件について書いた。以前より気になっていたが、12月14日付デジタル鹿砦社通信で報告した「あらかぶさん裁判」のメーリングリストで、妻のトシ子さんが今も闘い続けていることを知り取材を始めた。

◆「これは自殺ではない」

もんじゅのナトリウム漏れ事故後、動燃は、現場を撮影した2本のビデオ(「2時ビデオ」(12月9日午前2時撮影)と「4時ビデオ」(12月9日午後4時撮影))について、問題部分をカットしたり、存在を隠してマスコミに発表、それが発覚するやマスコミから激しい非難を浴びるようになった。そんな中、特命で内部調査を任されたのが、当時総務部次長の西村成生氏(当時49才)だった。

12月23~24日現地調査した結果、問題の2時ビデオが、事故後すぐに東京本社に届けられていることが発覚、調査チームは25日、その事実を大石理事長に報告した。しかし、大石理事長は国会に呼ばれた際もそれを公表しなかった。年が開けた1996年1月12日、政権交代で新科技庁長官に就任した中川秀直氏が、会見で2時ビデオが動燃本社に持ち帰られ、幹部が見ていた旨の発言を行った。そのため、動燃は急きょ会見を開くことになった。

会見は、1回目に広報室長と動燃幹部が、2回目に大石理事長が行ったが、この席でも大石理事長は、2時ビデオの存在を知ったのは1月11日と嘘をついた。3回目の会見に引きずりだされた成生氏は、先の理事長、幹部らの発言に合わせる形で、本社幹部が2時ビデオの存在を知ったのは(理事長が知った前日の)1月10日と発言した。

会見終了が午後10時5分頃。深夜1時頃、成生氏は、13日敦賀で会見を行うため大畑理事とホテルにチェックインしたことになっている。その後動燃から成生氏宛に5枚のFAXが届き、浴衣姿の成生氏がフロントに取りに来たとされている。早朝約束の時間に成生氏が来ないのを不審に思った大畑理事が、成生氏の部屋を入ったところ、机に白い紙があり、周辺を探したところ、非常階段の下にうつ伏せに倒れている成生氏を発見したという。

連絡を受けたトシ子さんは、病院に向かう途中、車のラジオで、成生氏がホテルの8階から転落、遺書があったことから自殺と断定されたと知った。「遺体はどんなに酷いだろう」と不安な思いで霊安室に入ったトシ子さんは、8階から転落したとは思えない、損傷の少ない夫の遺体を見るなり、驚くと同時に直感した。「これは自殺ではない」。

1995年、東海事業所管理部部長時代の西成成生さん。この年、東京本社に異動となり、もんじゅ事件の特命を命じられた

◆政治的に利用された成生さんの死

不可解な点はそれだけではなかった。ささやかな葬儀を準備していたトシ子さんに、動燃は「車が6台入れるように」などと注文を付け会場に変えさせられ、葬儀には田中真紀子はじめ大物議員など著名人が1500人も参列、まるで「社葬」のようだった。驚くのは、そこで読まれた大石理事長ら関係者の弔辞が、それぞれ繋がるように意図的に作られたような内容だったという(詳細はぜひ本文を読んで頂きたい)。

「成生さんの死は政治的に利用されているのかもしれない」。トシ子さんの疑惑はますます強まった。一方、成生さんの死後、マスコミの動燃批判は一挙に沈静化した。

ささやかな葬儀を予定していたトシ子さんに動燃はあれこれ注目を付け、「社葬」のような葬儀が執り行われた。費用600万円は西村家が支払った

 

西村トシ子さん

葬儀から数ヶ月後、理事長秘書役で成生氏と大学の同窓生だった田島氏から、成生氏の死について説明したいと連絡があり、トシ子さんは田島氏と大畑理事と会った。

田島氏が書いた「西村職員の自殺に関する一考察」は、成生氏の自殺が、前日の会見で、2時ビデオの存在を知った日にちを前年12月25日というべきところを1月10日と間違えたことを苦にしたというものだった。

「そんなことで死ぬかしら」。トシ子さんは納得いかなかった。それに5枚のFAX受信紙はどこにいったの? そこには受信した時間が刻時されているはず…。トシ子さんがその件を尋ねると、大畑理事は慌てて席を立ち姿を消した。

一方、「一考察」のなかに驚くべき事実が判明した。そこには、トシ子さん宛の遺書に書かれた内容が記されていた。田島氏が「一考察」を書いたのは1月15日。しかしトシ子さんは自分に宛てられた遺書を、1年近く誰にも見せていなかったのだ。ますます深まる疑念…しかし成生氏の死により国策で進められた夢の原子炉「もんじゅ」は、延命を遂げることとなった。紙面の関係で、本文で割愛したその後繰り広げられた訴訟について紹介したい。

動燃理事長秘書役(当時)だった田島氏が書いた手書き文書「西村職員の自殺に関する一考察」

同上

◆遺体が語る真実

トシ子さんは1年後、成生さんのカルテを作成した聖路加国際病院の医師に連絡した。医師も連絡を待っていたという。というのも、医師によれば、病院に運ばれた成生さんの遺体は、死後10時間は経過していたという。それでは深夜1時にチェックインすることはできないことになる。しかもホテルは宿泊帳の開示を拒んでいる。

警察と東京都監察医、動燃の発表では死亡推定時刻はAM5時頃、聖路加国際病院のカルテでは死亡確認時刻AM6時50分、その時の深部体温は27度だった。深部体温とは、腸など身体内部で外気などに影響を受けにくい温度で、そこから死亡推定時刻が測れるという。法学者らは5時から6時50分の約2時間で、深部体温が37度から27度へ10度も下がることはありえないという。そこからトシ子さんは、監察医により死体検案書に虚偽事実が書かれているとして虚偽私文書作成、3通の遺書に記された「H8.1.13(土)03:10.」「H8.1.13(土)03:40.」「H8.1.13、03:50」の筆跡が成生氏の字ではないが、これは死亡時刻を遅くする第三者が加筆したものとする私文書偽造で、動燃の田島氏と都の監察医を訴えた。しかし、1998年10月、不起訴となった。

2002年、トシ子さんは東京都公安委員会に「犯罪被害者等給付金」を申請したが、翌年「支給しない」とされた。しかし、この過程で事件当時、中央警察署が作成した「捜査報告書」「実況見分調書」「写真撮影報告書」「死体取扱報告書」や、鑑定医が作成した「死体検案調書」などの提出物件を見て、公安委員会は弁明書と裁決書を作成したことがわかった。警察と動燃の説明が一切なかったので、トシ子さんはこの過程で初めて、警察の捜査がどのようなものだったかを知った。トシ子さんはこの裁決書を見て、不服だったので行政訴訟をしようとしたが、請け負う弁護士はいなかった。

2004年10月13日、トシ子さんと息子2人は、核燃料サイクル開発機構(旧動燃)に対して、成生氏の死が自殺というならば、自殺に追いやった、防げなかった安全配慮義務違反があるのではとして、労災として損害賠償訴訟を提訴した。

証人尋問で大石元理事長は、原告側弁護人に「2時ビデオ」が本社に来ていたとの報告を受けた日にちについて聞かれ、「記憶にない」と証言。ほかの質問にも「知らない」「覚えていない」を繰り返した。2007年5月14日、東京地裁で敗訴、2009年東京高裁は控訴を棄却、2012年1月31日、上告も棄却された。

2019年10月、山崎隆敏さんに福井県内の原発を案内された。もんじゅは敦賀市内から更に奥まった白木地区にひっそりたたずんでいた

 

2019年10月、福井県敦賀市白木地区を訪ねた。海岸沿いで会ったおばあさんは「あのそばにうちの畑があった」ともんじゅを指差した

◆未遺品返還訴訟へ

2015年2月13日、トシ子さんは、東京都と警察に対して、中央署警察官等が関与した成生氏の全着衣、マフラー、5枚のFAX受信紙、遺書を書いた万年筆など「未遺品返還訴訟」を東京地裁に提訴した。成生氏の死亡後、遺族にはカバン、鍵、財布、コートしか返却されてなかった。裁判で、捜査にあたった2人の警察官が証人尋問に立ち、「遺品は全て返しているはず。中央署にはない」と証言。現場にかけつけた警察官らが、成生氏の死を『自殺・事件性なし』と判断していたため、部屋の実況見分などを行っていないことも判明した。2017年3月13日、東京地裁はトシ子さんらの請求を棄却、9月13日東京高裁は控訴を棄却。しかし高裁判決は、一部の遺品は大畑元理事に渡っていた事実を認定した。トシ子さんは2018年2月22日、日本原子力研究開発機構(旧動燃)と大畑宏之元理事に対して、未返還遺品請求を提訴した。大畑氏は、訴状が届いた数日後死亡したため、訴訟の被告は大畑元理事の遺族に引き継がれた。

7月5日、成生氏の死亡後、成生氏の動燃内机の封印に関与した3名の被告の証人尋問が予定されたが、2名は意見書を提出、田島氏は体調不良で出廷しなかった。トシ子さんは法廷で「遺体の状態から、主人はホテル以外の場所で遺書を書かされ、暴行を受けて亡くなったと思います。夫は生きる権利、私は知る権利があるのに、何回裁判をやってもそれが顧みられません。憲法の基本的人権が侵害されないように裁判をしていただきたい」と訴えた。

しかし、9月30日、東京地裁はトシ子さんらの請求を棄却、現在トシ子さんらは東京高裁に控訴している。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

12月11日発売!〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

〈原発なき社会〉を求めて
『NO NUKES voice』Vol.30
2021年12月11日発売
A5判/132ページ(巻頭カラー4ページ+本文128ページ)
定価680円(本体618円+税)

総力特集 反原発・闘う女たち

[グラビア]
高浜原発に運び込まれたシェルブールからの核燃料(写真=須藤光郎さん)
経産省前の斎藤美智子さん(写真・文=乾 喜美子さん)
新月灯花の「福島JUGGL」(写真=新月灯花)

[インタビュー]山本太郎さん(衆議院議員)×渡辺てる子さん(れいわ新選組)
れいわ新選組の脱原発戦略

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」原告共同代表)
「子ども脱被ばく裁判」 長い闘いを共に歩む

[報告]乾 喜美子さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
経産省前のわたしたち

[報告]乾 康代さん(都市計画研究者)
東海村60年の歴史 原産の植民地支配と開発信奉

[報告]和田央子さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
福島県内で進む放射能ゴミ焼却問題
秘密裏に進められた国家プロジェクトの内実

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
「もんじゅ」の犠牲となった夫の「死」の真相を追及するトシ子さんの闘い

[インタビュー]女性ロックバンド「新月灯花
福島に通い始めて十年 地元の人たちとつながる曲が生み出す「凄み」

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
検討しなきゃいけない検討委員会ってなに?

[報告]森松明希子さん
(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表/原発賠償関西訴訟原告団代表)
だれの子どもも“被ばく”させない 本当に「子どもを守る」とは

[書評]黒川眞一さん(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)
森松明希子『災害からの命の守り方 ─ 私が避難できたわけ』

※     ※     ※

[報告]樋口英明さん(元裁判官)
広島地裁での伊方原発差止め仮処分却下に関して

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈14〉避難者の多様性を確認する(その4)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈23〉最終回 コロナ禍に強行された東京五輪

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈後編〉放射能汚染水の海洋投棄について〈2〉

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
「エネルギー基本計画」での「原子力の位置付け」とは

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
問題を見つけることが一番大事なことだ

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
《追悼》長谷川健一さん 共に歩んだ十年を想う

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
チャーリー・ワッツの死に思う 不可解な命の重みの意味

[報告]佐藤雅彦さん(ジャーナリスト/翻訳家)
21世紀の国家安全保障のために原発は邪魔である!

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈14〉現状は、踊り場か後退か、それとも口笛が吹けるのか

[報告]大今 歩さん(高校講師・農業)
「脱炭素」その狙いは原発再稼働 ──「第六次エネルギー基本計画」を問う

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
コロナはおーきく低下した。今後も警戒を続ける
対面会議・集会を開こう。岸田政権・電力会社の原発推進NO!
《北海道》藤井俊宏さん(「後志・原発とエネルギーを考える会」共同代表)
特定放射性廃棄物最終処分場受入れ文献調査の是非を問う
《北海道》瀬尾英幸さん(北海道脱原発行動隊/泊村住人)
文献調査開始の寿都町町長選挙の深層=地球の壊死が始まっている
《福島》黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
内部被ばくが切実になっているのではないか
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟)
脱炭素化口実にした老朽原発再稼働を止め、原発ゼロへ
《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
衆議院選挙中も、原発止めよう活動中―三つの例
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
老朽原発廃炉を勝ち取り、核依存政権・岸田内閣に鉄槌を!
《中国電力》芦原康江さん(島根原発1、2号機差し止め訴訟原告団長)
島根原発2号機の再稼働是非は住民が決める!
《玄海原発》豊島耕一さん(「さよなら原発!佐賀連絡会」代表)
裁判、県との「対話」、乾式貯蔵施設問題
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
島崎邦彦元原子力規制委員会委員長代理の責任を糾弾する!
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
『科学・技術倫理とその方法』(唐木田健一著、緑風出版刊)

反原発川柳(乱鬼龍さん選)

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宝島社新書『大阪ミナミの貧困女子』(共著=村上薫、川澄恵子、角田裕育、河住和美)は、天王寺の書店で一度手にしたことがあった。もちろん表紙に名前の出ている著者の村上薫さんを知っていたからだ。しかし、編集部男性の書いた「はじめに」を読み買う気をなくした。

「もし、大阪に行くことがあったら、この本を読んで欲しい。一生懸命生きている女の子たちが載っている。明日、あなたが会う女の子かもしれない。そんな女の子の気持ちを慮ったら、思わず愛おしくて抱きしめたくなるだろう。でも、おさわり禁止のお店では、追い出されるので、注意が必要だけど」。

その後、村上さんや同じく本書で執筆する河住和美さん、2人の仲間からもこの本の話を聞くことはなかった。「どうしてだろう?」と思っていた矢先、この裁判が始まることを知り、12月15日第一回口頭弁論を傍聴した。

◆コロナ禍の窮状につけ込んできた編集者

人民新聞の記者である村上さんは、記者活動の傍らえん罪・狭山事件や第2、第3土曜日梅田HEP前で行われる「梅田解放区」など様々な社会活動を行っている。一方、学費や生活費を稼ぐために徳島の大学生時代から水商売を経験していたことから、大阪に来てからも水商売などで働いている。活動のため、自由に時間が取りやすいからでもある。

新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言出された大阪は、吉村知事、松井市長ら大阪維新の愚策のせいで、コロナ感染死亡者数、定額給付金や時短協力金などの遅れなど、いずれも全国一位と最悪な状況だ。吉村、松井は、コロナ感染拡大の原因を『夜の街』として、キタやミナミを自粛要請の標的にしてきた。村上さんは、仲間と大阪市役所と交渉を続け、ミナミへの自粛要請を追求する一方、歯科医でミュージシャンの野瀬博之氏らとホステスさんや風俗嬢など困窮する女性たちの相談所「キュア」の運営を始めた。

村上薫さん

そんな村上さんらに「本を出さないか」と声をかけてきたのが、フリーの編集者・角田裕育(すみだ・ひろゆき)氏だ。村上さんらは、困窮する女性たちの実情を広く知ってもらい,ミナミの活性化につながればと出版に協力し、原稿を執筆した。

◆大幅に改ざんされた原稿

村上さんは、原稿を1月頭に入れていたが、1月24日、見せられた原稿は、(私も元原稿を見たが)村上さんの原稿とは別物、しかも「コロナ禍で値崩れした女性を買って応援しよう」という差別的な内容に改ざんされていた。また村上さん担当の原稿や他の原稿に、中国バッシングやセクシャルマイノリティへの差別、偏見などに基づく内容も含まれていた。

これでは、差別と闘う自分が、差別に加担することになるではないか。村上さんは「自分が書いたものではない」と宝島社に抗議。宝島社と角田氏は「2月10日発売だからもう直せない」と主張し、「このまま発行するのであれば、降りるので名前を出さないで」と訴える村上さんに「約束したではないか。(やめるなら)損害賠償1000万を要求する」と要求した。

若い女性に、1000万円請求するとは、かつて武富士がフリーランスのジャーナリストを訴えたスラップ訴訟と同じやり方ではないか。そのため村上さんは、差別的な内容を改めることで仕方なく合意、しかし、最終稿も見せられないまま、2021年2月10日、差別的な内容の本が書店に並ぶこととなった。

◆提訴へ

宝島社はその後、村上さんに対して、契約と原稿料10万円を支払うと申し出たが、村上さんは契約も10万円受け取りも断った。その後法的には「脅迫によって導かれた承諾は無効」なので取り消すとされ、脅迫によって導かれた導かれた承諾は無効となったため、ならば無断で出版したことによって被った損害、ヘイト本が出続けることで、村上さんが本の内容を肯定したようになる信用失墜行為として、絶版、謝罪、損害賠償を請求し、10月12日、大阪地裁に提訴した。

村上さんは意見陳述で提訴の理由をこう述べた。「〈1〉自分が書いた文章ではないとはいえ、夜職や女性、マイノリティを消費する差別的な本を出してしまった責任を取らねばならない。〈2〉社会的地位のない他のもの書きは軽く扱われ、同じような手法で黙らされてきたはずだ。宝島社は私のことも黙らせることが出来ると踏んだのだろう。そのような例を今後出さないよう、問題を明るみにし、物書きやフリーランスの地位の向上を社会的になげかける」。

12月15日の記者会見の様子。左から富崎弁護士、森実千秋さん(「宝島社裁判村上さんを支援する市民の会」会長)、原告の村上薫さん、野瀬博之さん(「キュア」代表)

◆40代男性が書いた原稿が「31歳女性」のものに?

本は村上薫と川澄恵子の共著となっている。執筆者プロフィールには「川澄恵子、女性ライター、31歳」とある。しかし、この川澄恵子さんが取材し原稿にした章は、実際は角田氏が取材し書いたものだ。角田氏のプロフィールは「フリーの記者、年齢40代」だ。なぜ、40代男性の角田氏が30代女性川澄を装わなければならないのか?

報告会で、取材時の角田氏が、女性に対して非常に差別的だったことが、森実千秋さんから報告された。森さんは、4章「ママたちの悲鳴」(執筆・川澄恵子)に出てくる、心斎橋でラウンジ経営する優子さんのお父様だ。森さんは、優子さんが多くのホステスさんを抱え、補助金だけではやっていけないと苦労する様子を見ていたため、角田氏の取材に協力した。

本文で、川澄恵子(角田)は、優子さんの話を熱心に聞き同情しているかのように書かれているが、取材に同席した森さんの話では「ソファに足組んでふんぞり返ってね、ホステスさんに『お姉さんらは、男好きやね』とか聞いて酷かった」という。それでも森さんは「宝島社だから」と信用し,角田氏の態度に怒る優子さんを「我慢してくれ」と宥めたという。

◆宝島社の反論

この件について、宝島社は、「川澄恵子」が書いた原稿は、角田氏が書いた原稿に不適切な内容があったため「前田直子」という女性がリライトした、だから女性が書いたものと反論してきた。何故本名の前田直子を名乗らないかについて宝島社は第一回期日で出された答弁書で「村上が人民新聞の記者なので怖くて隠した」と述べた。

これについては、ミュージシャンでもある野瀬氏が以前角田氏と「宝島社は『前田なおこ』なる女性が、角田氏の原稿をリライトしたといっている。リライトとは、ミュージシャンにとったらアレンジのようなもの。ならば執筆者はやはり角田氏だ」とのやりとりをラインで行っていたと報告した。

また宝島社は「村上さんは1章しか書いていないから共同執筆者ではない。だから本全体に責任とる必要はない」などと反論した。それはないだろう。実際、私も鹿砦社社長松岡氏も「ああ、人民新聞の村上さんが本を出したんだな」と手に取ったり購入したりしている。なお、宝島社は、一番重要な村上さんが名前の掲載を承諾した件について「脅迫ではない。きちんと適切な対応をしている」と反論してきた。

◆執筆者を精神的不調に追い込んだ角田氏

角田氏自身を訴えることはできないのか? これについて村上さんは「仲間で本に執筆している河住和美さんも酷いことをされています。河住さんは私より角田と一緒に取材する時間が長かった。角田は河住さんに対して『自分のいうことを聞け。(素人の河住さんをこれまで本を出したことがある)自分が評価してやっているんだ。従っておけ』と何ヶ月も言い続けられ精神的不調に追い込まれた。自己肯定感を下げられ、訴える気力もなくなるほど追い込まれた。それがこの本をだした宝島社のやり方なんです」と説明した。

もちろん角田氏は証人として出廷することになるだろう。角田氏の原稿をリライトした前田のりこさん30代女性ライターと共に。(ちなみに31歳前田直子はライター歴20年のベテランライターらしい)

全ての出版業者がそうだとは言わないが、少なくとも宝島社の今回の本については、弱い立場の人間を差別し、脅すなどというやり方で作ってきたことは明らかだ。私も執筆する鹿砦社は『紙の爆弾』でも『NO NUKES voice』でも、これでもかと編集部と執筆者との間で校正などの確認作業を繰り返す。確かに、森さんのように「宝島社だから……」や「大きな新聞広告を出せる出版社だから……」と、大手出版社が嘘をつくはずがないと思う人は多いだろう。

しかし、宝島社の本には、そうではない部分があるという実態を、今後裁判で明らかにしていかなくてはならない。宝島社はそもそも、この裁判も、法廷を開かず秘密裏に進めたかったようだ。しかし、15日も予想以上に多くの傍聴者が集まり、今後も堂々と傍聴者を入れ、法廷で争われることが決まった。

次回期日は、2022年2月16日(水)午前10時30分から大阪地裁807号法廷。
傍聴に集まろう!支援の輪を広げよう!
【カンパの送り先】大阪商工信用金庫 普通 店番202 口座番号0398845 相談所キュア

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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