三度目の政権交代はあるのか? 小沢一郎と山本太郎の動向にみる菅政権の危機

秋田県雄勝郡秋ノ宮村の農家の生まれで、上野着の集団就職組。板橋の段ボール工場の工員だった苦労人、実行力の人という菅義偉は、しかし悲しいほどのポンコツ政治家だった。これはもはや、政治に関心のある国民のみならず、自民党内でも後継政権が取りざたされるほどの評判になってしまった。

予想以上のコロナ禍のもと、学術会議任免問題でのつまづき、Go To キャンペーンでの失政(時期尚早と中断の遅れ)など、みずから招いた政治危機とはいえ、事務屋が営業職になった適材性のなさ、あるいは裏の顔がオモテに立たされた悲劇ともいえる。

◆野党連立は実現するか? 小沢一郎の読み

その結果、政権交代の展望までが語られるようになったのだ。いや、9月段階で今日の政権末期症状を読んでいた人物もいたのだ。その人物は総選挙にむけた野党共闘が順調にすすみ、メディア向けの選挙・世論調査データを踏まえたうえで、野党連立として枝野政権が誕生すると予告している。しかもそれは、総理が交代した昨年、9月のことなのだ。

その人物とは、政権交代の請負人を自称し、なおかつ政権の壊し屋の異名をとる小沢一郎にほかならない。

昨年の「週刊朝日」(2020年9月18日号)から、田原総一朗との対談を引用しよう。

「小沢 安倍政権の数々の問題、森友問題も桜を見る会も、そして河井夫妻のスキャンダルも、政権がひっくり返って枝野(幸男・立憲民主党代表)内閣になれば、すべて明るみに出ますよ。」

「田原 玉木さんと会ったら、自民とも維新とも組まないし、枝野さんともけんかする気はないと言っていた。まあ、いいとして、非自民政権はこれまで2回とも小沢さんがつくった。1993年の細川内閣と、2009年の鳩山内閣。多くの国民は3度目を期待している。
 小沢 三度目の正直です。何としても、その期待に応えたいと思っています。」

「田原 小沢さんには全面的に期待がかかっている。小沢さん、連立政権をつくるために何をどうする。
 小沢 連立!?
 田原 立憲・共産。
 小沢 共産党と? 共産党と連立になるかどうかはわかりませんが(笑)。志位さんは連立って言っていましたか?
 田原 もちろん、大賛成だって。志位さんが一番尊敬している政治家は小沢さんだと言っていた。」

◆小沢一郎と志位和夫の「政権奪取宣言」

小選挙区での野党候補一本化は、独自候補を擁立できる共産党との提携がネックである。自公連立に伍するには、立民共+新選が不可欠である。

上記の「志位さんが一番尊敬している政治家は小沢さん」という田原総一朗の言葉をうけて、BS-TBSが、小沢一郎と志位和夫の「政権奪取宣言」を特集した。

すでに臨時国会の首班指名選挙で、志位和夫が立憲民主の枝野幸男に投票するシーンが映像に収められていた。

「松原耕二キャスター 日本共産党にとっては、ある種の歴史的な一票ですね。
 志位 歴史的に初めてです。それから、今回大事なのは、共産党が入れただけではなく、野党が全部入れたことです。国民民主党も社民党も『れいわ』も入れました。碧水会や沖縄の風も入れました。オール野党で一本化しました。」

「小沢 2009年の総選挙で、自民党は280以上から120になった。民主党は120から300以上になったんです。(立憲民主党は)衆院で100以上ですから。(政権をとるための)基礎的な数字としてこの数字は十分な数字なんです。しかもオール野党が一緒になるということ自体が、とてもいいことなんですね。」

「小沢 次の次(の総選挙で政権交代)という人はいますが、野党は『次の総選挙で政権をわれわれはとる』、そして『われわれの主張を実現する』と(言うべきだ)。それが“次の次の選挙でもいい”なんていう野党がいますか。そんなことで、国民は受け入れないですよ。」

「志位 私は、小沢さんの発言は当然だと思っています。やはり野党として、『次の総選挙で政権交代を実現する、政権をとる』。この本気度をバチッと示してこそ国民は真剣に耳を傾けてくれると思います。」

「志位 共産党も含めて野党は力を合わせて連合政権をつくるということです。私たちが閣内に入るか閣外かはどちらでもいいです。しかし連合政権をつくり、この国をよくするというところまで踏み切ってほしい。その政治決断をやってほしい。」


◎[参考動画]【野党共闘キーマン!小沢一郎・志位和夫が語る】報道1930まとめ2020年9月24日放送(BS-TBS公式チャンネル)

◆注目の4月補選とれいわ新選組山本太郎の動き

小沢一郎のお手並み拝見といったところだが、もうひとり、目を離せない人物がいることを、読者諸賢はご存じのことであろう。

何かとそのパフォーマンスが誤解を呼び、あるいは当初は最優先の政策であった原発廃止が後景化されるなど、選挙放心も批判される人物だが、その果敢な積極性がいまなお求心力を増している。

そう、れいわ新選組の山本太郎である。

昨年中には総選挙の立候補予定者19人を発表し、今年に入って都議会選挙立候補者を最小5人、最大10人立てると宣言した。

そして、公選法違反有罪で河井案里が自動的離職となった広島参院選挙区でも、れいわ新選組は立候補者を公募している。のみならず、公募で有力候補が得られなかった場合は、山本太郎がみずから立候補することも排除しないとしているのだ。
4月25日は衆参補選である。

衆院北海道2区は自民党の吉川貴盛元農水相の収賄事件(在宅起訴)を受けての、与野党一騎打ち(現状では野党候補一本化の途上)。参院長野選挙区は、コレラ死した羽田雄一郎の弔い選挙として、実弟の羽田次郎が立候補する。ふたつの選挙は自民敗北が濃厚で、広島参院選挙区が菅政権の正念場ということになる。

すでに1月の北九州市議選では、自民党の現職が6人落選するという惨敗だった。山形県知事選でも立憲系の吉村美栄子が40万票対17万票(自公系)で圧勝している。

4月補選、7月の都議会選挙で自民党が大敗すれば、菅おろしが始まるとこの通信でも何度か力説してきたところだ。泥舟的にでも東京オリンピック・パラリンピックが開催されるとしても、7月の都議選に総選挙を重ねることは、公明党の要請で不可能である。

そして五輪強行のツケが政権運営を破綻させ、菅おろしという党内の醜い抗争が露呈したとき、国民の自公政権離れは必至である。

そこで、三度目の政権交代が実感をもって感じられる。その成否のカギを握っているのが、小沢一郎と山本太郎であることを指摘しておこう。


◎[参考動画]財源は!? 毎月1人10万円給付は可能か?お答えしましょう! 山本太郎(れいわ新選組 2021年2月25日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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天皇制はどこからやって来たのか〈25〉近代の天皇たち ── 大正天皇という謎

生誕時から病弱だったのは記録にある事実だが、5人の皇子のうち唯一成人したのだから、むしろ逞しかったというべきではないか。大正天皇のことである。皇女も10人中4人しか成人できなかった。感染症が蔓延し、医療は西洋医学がようやく本格的に採り入れられた時期のことだ。

 
大正天皇

幼年期の個人授業の後、学習院初等科に途中入学するが、発達の遅れから中等科1年で中途退学となった。このあたりから、皇嗣としてはダメなのではないかという風評が世間に漏れはじめた。

それでも11歳で皇太子となる。皇太子妃選定における混乱、すなわち大正天皇婚約解消事件を経て、九条節子と結婚した。

この大正天皇婚約解消事件とは、大正天皇と皇族である伏見宮禎子(さちこ)女王との婚約がいったんは成立したものの、のちに華族の九条節子(さだこ)が結婚相手となった事件である。この婚約者の変更は、禎子女王の健康不安によるものだったが、明治天皇が皇族からの入籍を希望していたことが元の原因でもある。明治大帝は臣下からの縁嫁を望んでいなかったのだ。

いっぽう、伊藤博文らの政権中枢は、皇族間の婚姻とそれによる宮家の増加(宮廷費の増加)に反対意見だった。皇族の軍務を奨励する小松宮彰仁親王など、皇族の独断専横もあり、近代天皇制は親政論と立憲君主制、あるいは天皇機関説のあいだをゆれ動いていたのである。

◆政治向きではなかったのか?

その死後には、明治大帝との比較で政治的評価を貶めるものが少なくなかった。典型的なものでは、国会遠眼鏡事件であろう。帝国議会の開院式で勅書をくるくると丸め、遠眼鏡にして議員席を見渡したとされるものだ。

しかしこれは、丸めた状態で勅書の上下を確かめたものであって、天皇が突如として奇行に走ったというのは大げさであろう。不用意な発言を山縣有朋に窘められることはあっても、在位前半の大正天皇はきわめて健康かつ正常に役目をこなしている。その山縣を、天皇はすこぶる嫌っていた。そのいっぽうで、おもしろい話をしてくれる大隈重信を気に入っていた。

そして在世中は、大正デモクラシーと呼ばれるリベラルな時代で、とくに文芸やライフスタイルが刷新され、自由の気風に満ちていた。モダンガール、モダンボーイが闊歩し、女学校ではハイカラさんとよばれる女子たちが自転車に乗って学園生活をエンジョイしていた。

天皇はフランス語を学び、日本酒よりもワインを愛した。運動のために自転車に乗り、三菱財閥から贈られたヨットでクルージングを楽しんだ。

そして、女官制度への疑問を側室を否定することで実践した。すなわち、自身の実母が昭憲皇太后ではなく、柳原愛子だったことに衝撃を受け、女官(側室)を近づけなかったというのだ。この女官否定は、昭和天皇において制度そのものの空洞化にいたる。国家主義的な近代天皇制は大正天皇において、すでに民主化の第一歩を歩み始めていたのである。

◆詩人として

大正10年前後から、体調や言動に異変をともなうようになり、事実上公務ができない状態になった。大正15年にはいよいよ貧血状態を起こし、葉山御用邸に向う原宿駅では「イヤだイヤだ」と駄々をこね、目撃した人々は「狂人になった天皇が葉山に監禁されたと思った」といわれる。

ヘンなところがあると評されただけに、異才の持ち主でもあったようだ。古来、狂気は天賦の才につうじるという。漢詩は三島中洲の指導を受け、和歌より漢詩を好んだ。雅号は昭陽である。生涯に1367首の漢詩を創作し、その数は歴代天皇の中で突出している(宮内庁書陵部所蔵の『大正天皇御集』に収録)。

和歌は生涯で465首を詠んだとされるが、明治大帝の約9万首、昭和天皇の約1万首に比べると極めて少ない。しかし歴史学者の古川隆久は「心の鋭敏さの点では明治・大正・昭和三代の中で一番鋭い感じがする」と評価している

1926年(大正15年=昭和元年)暮れの12月25日、肺炎に伴う心臓麻痺のため、47歳で崩御。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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東京オリンピックは開催できるか 強行開催で日本人大会に? 横山茂彦

◆人事問題で「変化」はあったのか

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長が橋本聖子に決まり、鬱陶しかった森喜朗支配は形の上では過ぎ去った。とはいえ、その橋本聖子自身が森を「政治の父親」と呼び、森もまた橋本を「娘」と呼ぶ関係であることから、人事による組織の「変化」は鈍いものにしか感じられない。

選考過程がまたしても「密室」であったところに、組織体質の旧態然たるものを感じさせた。いま必要な「国民の共感」をえる求心力は、少なくとも獲得できなかった印象がのこる。

さらには橋本聖子にかんして、ソチ大会でのセクハラ・パワハラ事件にたいする批判がやまない(「週刊文春」最新号)。女性からのセクハラであれば、何となく酒が入ってエッチになる程度の官能小説めいた逸話で終わりそうだが、これを男性がやった場合には世論は沸騰して批判し、その当事者を追放するであろう。ひるがえって男女平等という立場に立てば、橋本聖子の過去の行為もとうてい受け入れられるものではないのだ。本人の厳しい自戒を期待したい。

ただし、マスメディアはいっさい報じないことだが、オリンピアクラスのアスリートの下半身事情は、じつはかなり放縦なものである。これは実際に冬季五輪系の競技者(チーム競技の現役)に訊いた事情である。

ながい期間、若い男女が同じ施設内(いちおう、部屋やフロアの区別はある)で監禁にちかい生活を強いられるのである。男女併設の施設であれば、そこにはおのずと「××部屋」と呼ばれる一角ができて、若い性欲を満たす。いや、食べることとそれ以外には、何も愉しみがないのだから、これはやむを得ないところなのだろう。

近年、味の素ナショナルトレーニングセンターなど、管理の行き届くトップアスリート向けの施設が完備されたのも、体育会的な野放図な男女関係を解決する策でもあるのだ。その意味で橋本聖子の世代は、スポーツ選手の性が乱れた環境にあったといえよう。

◆開催の現実性

ところで、それでは本当に東京五輪は開けるのだろうか、ということになる。

7月21日開催(開会式は23日)だとして、Goサインは3月25日の国内聖火リレー開始(福島)となる。Stopサインも同じである。

世論調査では、開催するべき・延期すべき・中止すべき、がそれぞれ30%前後と鼎立だが、再度の延期という選択肢はない。そしてIOCも大会組織委員会、そして日本政府、東京都も「絶対に開催」という方向で動かざるを得ないことから、開催を前提に「通常開催」と「無観客」が選択肢としてあるのだろう。

筆者は本来のオリンピックが個人参加(古代・近代五輪の基本精神)であり、国別参加のナショナリズム的なあり方に反対する立場だが、念仏のように「開催反対」を唱えるだけで議論が足りるとは考えない。そこで、現実的な開催条件を考えてみよう。

無観客の場合の損失は、2兆4133億円にのぼるとされている(関西大学宮本勝浩教授)。ちなみに中止の場合の経済的な損失は、4.5兆円とも7兆円ともいわれている。振れ幅があるのは、最大の出資者であるアメリカ3大放送ネットワークとそのスポンサー、および世界のメディアスポンサーの撤退ということになるからだ。つまり最大の収益源である放映権料がなければ、オリンピックは成り立たないのである。

その意味では、中止という選択肢は大会関係者にはないと断言できる。このうえ開催中止があるとしたら、日本でデイリーの感染者が数千人規模で推移し、とてもイベントを開催できるものではない。という判断があった場合だろう。たとえば、NHKで特番まで組んでもらっておきながら、チーム内のクラスター発生で開幕が延期になったラグビートップリーグのように、チームが成立しなければ開催してくても出来ない。

◆縮小大会の可能性

いっぽう、海外からの声としては、セバスチャン・コー卿が1月22日にBBCの取材に対して「大会が予定通り開催されると確信している」「騒がしくて情熱的な観客に参加してほしいが、開催できる唯一の方法が無観客ならば、全員それを受け入れるだろう」と語っている。

果たして「全員それを受け入れる」だろうか。IOCや大会組織委員会が「受け入れ」ても、参加するのは各国のNOCであり、チームや選手なのである。観客を入れなくても、選手が参加しないのであれば大会は成り立たない。日本人だけの大会では、もはやオリンピックとは言えないだろう。

もうひとつ考えられるのは、IOCおよび大会組織委員会が中止を決定できない以上、各IF(競技の国際団体)に参加か不参加を決めてもらい、全体として競技数を減らして縮小大会にする可能性だ(IOC事情に詳しい競技団体幹部)。

現在、ロックダウン下で開催中のテニスの全豪オープンをみると、選手は2週間前にPCR検査陰性のうえで入国し、入国後は毎日検査、1日の外出時間は5時間という、過酷な制限のなかでの開催となっている。これを全競技に当てはめるのは無理だから、人気のある競技、開催能力のある競技団体のみの開催で、上述の放映権料を確保するという狙いである。

◆始まった開催拒否の流れ

関係者の苦肉の策、選手たちの努力にもかかわらず、中止への流れはできてしまった。森発言を受けての大会ボランティアの参加辞退、そして聖火ランナーたちの不参加表明。あるいは島根県の丸山知事による、条件付きの聖火リレー中止発言である。

丸山知事の発言の正当性は、テレビ報道でも国民の賛意を得つつある。すなわち、濃厚接触者の追跡調査もしない東京都に、大会を開催する資格はないのではないかというものだ。全国でも感染者を最低限に抑えてきた島根県には、そう指弾する資格はあるだろう。小池東京都知事は、緊急事態宣言のさなか(1月下旬)にもかかわらず、再三にわたって千代田区長選挙の応援演説に出かけるという身勝手を行なっていたのだ。

島根県は県民の努力で感染を低減させ、緊急事態を宣言しなくても済んでいる。そのいっぽうで、感染者を膨大に出している自治体には、手厚い保証がなされている「不公平」感には同情せざるをえない。そして本来は県民の救済資金である7000万円もの税金を、島根県は聖火リレーに供出しなければならないのである。

この丸山知事の発言に、県内で対立派閥に属する竹下亘(竹下総理の異母弟)が噛みつく。大会推進派のいわば「反対する者は非国民」的な批判があからさまに行なわれ、これに世論が反発するという流れが出てきたのである。この流れに注目せざるをえない。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

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総理の公務を阻害する犯罪容疑者を続投させるのか 菅政権の内閣広報官・山田真貴子 「断わらない女」とは、どういう女なのか

50万円なら立件され、7万円なら犯罪ではないのか。

総務省および国会では、政治倫理規定に反するという処分、あるいは批判に終始しているが、東北新社による総務省官僚接待はれっきとした「収賄事件」なのである。そのことを慮り、すでに総務省の11人が処分された。

同じ収賄事件で何ら処分されなかったのが、元総理秘書官であり、菅内閣の広報官・山田真貴子である。そう、あの総理記者会見の仕切り人である。

まず、収賄罪を条文で確認しておこう。

刑法 第197条(収賄、受託収賄及び事前収賄)

公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の懲役に処する。

条文にある「請託」の有無は、収賄という犯罪の構成要件に関係がない(加重にすぎない)。ただ単に「ご馳走になった」だけで、構成要件は成立するのだ。
国税調査を受けた方ならご存じだろう。

国税調査官は絶対に、出されたお茶やジュースなどを口にしない。調査を受ける対象からの「収賄」に当たるからだ。

公務員、とりわけ国家公務員には、この種の教育が徹底されている。にもかかわらず、高級官僚たる彼ら彼女らは「役得」として接待に応じる。いや「役得」ではないかもしれない。相手が政治がらみのキーパーソン(今回は菅総理の息子)ならば、みずからの出世を左右する内閣人事局の力を怖れて、接待に応じざるを得ないのだ。

冒頭に書いたとおり、50万円の収賄ならば間違いなく起訴されていただろう。いや、過去の接待を累積すれば、この「断らない女」には50万といわず、数百万の収賄容疑が飛び出すかもしれない。

7万円のステーキご馳走で「お目こぼし」にされたのは、相手が総理のお気に入りの女性広報官だからにほかならない。そして総務省を退官後に特別公務員となった彼女は、上司たる総理から「反省している」「給与も返納した」として、何の処分もなしに続投を許されたのである。


◎[参考動画]7万円超接待は「心の緩み」 山田広報官 国会で追及(FNN 2021年2月26日)

◆菅義偉に抜擢された異例の出世

事件と国会での答弁をふり返ってみよう。

東北新社に務める菅義偉首相の長男らによる総務省幹部接待で、山田真貴子は同社から総務審議官時代の2019年11月に約7万4,000円に上る高額な接待を受けていた。2月25日の衆院予算委に参考人として出席し、「公務員の信用を損なったことを深く反省している。本当に申し訳なかった」と陳謝したものの、「今後、職務を続ける中で、できる限り自らを改善したい」と述べ、引き続き内閣広報官を務める意向を示したのだ。

「その場に菅正剛さんがいたかどうかは、横並びの席だったので記憶にない」「わたしにとって、菅さんは特に大きな存在ではない」

そうではないはずだ。

じつは山田真貴子のキャリアアップには、菅総理が大きくかかわっている。安倍晋三総理(当時)の秘書官となり、総務省にもどっては審議官、官房長、国際戦略局長と階段をのぼったあと、菅政権で内閣広報官(省庁でいえば、次官級)となったのだ。このキャリアアップはすべて、ほかならぬ菅義偉の推挙によるものだったのだ。したがって、その息子菅正剛が「大きな存在ではない」はずがない。

◆謝って給与の一部返納で済ますのか?

加藤勝信官房長官の25日の会見によれば、接待問題を受けて給与報酬月額の10分の6を自主返納する山田真貴子の返納額が明らかになった。70万5,000円に上るとのことだ。広報官の給与報酬は月額で117万5,000円。地域手当などを含めると、給与は月額で約140万円ほどになる。

国税庁の調査では、サラリーマンの平均月収は約35万円である。このコロナ禍で残業代も減り、給与はさらに下がっている。

サラリーマンたちが身を削る思いで必死に納めた税金で、疑惑の広報官女史には自分たちの月収の約5倍も支払われていたのだ。彼女の高額の給与は、税金で出来ているのだ。

さらに利害関係のある業者からも、賄賂性の高い飲食代を負担してもらっていたのだ。怒れ、納税者たち、である。あまりにも「官僚天国」すぎるではありませんか。

◆「断わらない女」とは、どういう女なのか

山田真貴子は広報官に抜擢される直前の昨年6月、若者への動画メッセージで「幸運を引き寄せる力」について語っている。

「イベントやプロジェクトに誘われたら絶対に断らない。飲み会も断らない。出会うチャンスを愚直に広げてほしい」と呼びかけていたのだ。

彼女自身も「飲み会を絶対に断らない女としてやってきた」のだそうだ。そうして巡り合った幸運のひとつが、菅首相の寵愛だったということなのであろう。

だが、一見女性の時代に即した官邸のこの女性官僚の抜擢は、およそ時代に逆行してはいないだろうか。

いま、社会的に活躍しようとする勤労女性にとって、上司の誘いを「断らない」ことがいかに苦痛で、仕事と子育ての阻害物になっているか、おそらくこの女史は知らないのであろう。イベントやプロジェクトはともかくとして、接待や飲み会への付き合いは、いわば男性社会の旧い慣習文化である。

総務省OBの話を聞こう。

「飲み会などで、彼女はあえて遅れて登場することがある。自己演出に長けていて、『仕事で遅れまして~』と颯爽と笑顔で入室してくると、男たちは一斉に立ち上がり、やんやの喝采で迎えるのです」

ようするに男性に媚びて、出世のための人脈やチャンスを得るために、働く女性は男性社会の風習に馴染め、と言っているに過ぎない。

女性がスキルを磨き、家事や子育てをしながら仕事を続けるのではなく、飲み会で培われる人脈や情実といった、男性社会のコネで出世をめざせと、そう説いているのだ。まさに女性の自立や社会進出に逆行する、男社会に隷属する女性像ではないか。

◆広報官の都合で、総理の記者会見が中止に

2月26日に、政府はコロナ禍の緊急事態宣言の中止(首都圏をのぞく)を宣言した。しかしその総理記者会見は中止され、総理の「ぶら下がり取材」となった。

つまり記者会見の場で、総理があらためて国民に「自粛」や「緊張感」をうながすという、メッセージの場にはならなかったのだ。ポンコツ答弁と揶揄される菅総理に必要なのは、国民への生の言葉によるメッセージではなかったのか。

いや、このうえ犯罪容疑者たる女性広報官に、会見の場を仕切らせることに無理を感じたのであろう。

山田広報官といえば、事前に報道各社(官邸記者クラブ)に質問を募り、幹事社をはじめ総理が答えやすい質問をする記者だけを指名する仕切りに終始してきた。そして質問時間が長びくと「次の予定がありますので」と質問を打ち切る役割だった。

今回、記者会見が行われていれば、以下のような事態が生起したにちがいない。

記者    「総理、山田広報官の接待問題ですが。収賄容疑にあたるような行為をした人物が、内閣広報にふさわしいとお考えですか?」
菅総理   「……」
山田広報官 「つぎの予定がありますので、ここまでにしたいと思います」
記者    「あなた、自分のことだから打ち切るんですか?」
記者B   「質問に答えろ!」
山田    「終わりにします」
記者席   「(怒号!)」

という具合だ。

広報官の犯罪容疑が、すでに総理の公務に支障をきたしているのだ。この収賄容疑者はただちに更迭せよ、と提言しておこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』
タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

東京五輪大会組織委員会会長の行方 川淵三郎の会長就任は、なぜ覆ったのか?

前回の記事では、森の「女がいると会議が長引く」発言が単に個人の失言ではなく、旧態のジェンダー観を背景にした一種のイデオロギー闘争であり、国際的な日本の評価につながる女性差別事件である、と指摘した。(「森喜朗=東京オリ・パラ大会組織委員会会長の辞任劇 何が問われていたのか」2021年2月13日)

そして当初の予測どおり、森の辞任(実質的な国内外の世論による解任)は休日の11日中に実行されたが、同時に森が後継を託した川淵三郎の会長就任が阻止されるという事態が生起した。

Jリーグ誕生、バスケットボール協会のゴタゴタ(競技団体が鼎立し、代表チームが選出できない)の解決など、実績と能力において誰しも認める川淵の会長就任が頓挫した。この事態に驚嘆した方も多いのではないか。

◆就任辞退は、官邸からの要請だった

もっとも「不祥事で辞任する会長に後継禅譲はふさわしくない」「密室人事であり、透明性がない」「爺爺交代では、国際的な評価が得られない」などの理由は、世論的には当然だと思われる。

だが、森が男泣きに川淵に「苦労」を打ち明けて後継を懇願し、川淵もまた家族の反対を押し切ってまで、大任を引き受けたのではなかったのか。川淵によれば、今回の件で批判を受けた森会長に「気の毒」「本当につらかっただろうなっていうんで、涙がなかなか止められなかった」などと「もらい泣き」したことを明かし、森氏に「相談役」就任要請を打診したことなどを明かしていたのだ。

「人生最後の大仕事」として、取材陣にこの人らしく上記の情報を開示しながら「引き受ける」と明言した決意が、見事にくつがえったのである。

川淵は会長を引き受けるにあたっては「(就任受諾の)外堀が埋められていた」とも語っている。ようするに大会関係者の推薦や了解が得られていたにもかかわらず、その翌日には当の本人が就任を辞退したのである。

これを驚天動地の展開と言わねば、なんと説明できるのだろう。本人は「流石に身体は綿のように疲れ切った感じです。偶には弱音を吐かせてください」(ツイッター)と、心身から疲れ切った心情を吐露している。相当の就任反対論、あるいは激しい批判があったものと推察できる。

川淵三郎2021年2月13日ツイッターより

そこで、いったい誰が森の密室禅譲路線をくつがえしたのかが、明らかにされなければならないであろう。森の禅譲も「密室劇」ならば、川淵の翻身も「密室」なのだから。

川淵が明かしたところでは、菅総理から「女性か若い人はいないのか」という主旨の発言があったことが知られている。これはのちに菅総理が明らかにしたとおり、間接的ながら森への苦言であった。IOCのバッハ会長も、女性の共同代表案を森に持ちかけたが、これも森が拒絶することで、最終的に川淵もふくめて国際的な孤立にいたる。あとは「透明な手続きを」という正論が通ったのだ。

このあまりにも当然の苦言には、しかし政界の暗闘、とりわけ自民党内のどす黒い派閥抗争という事情があった。すなわち政局だったのである。

◆加藤の乱に参画していた菅義偉

加藤の乱をおぼえておられるだろうか。

第二次森政権の2000年、自民党は森の神の国発言などで国民的な批判に晒されていた。森が党の顔では、選挙を戦えないというのが党内世論でもあった。

そもそも森政権は小渕恵三総理の脳梗塞による降板により、密室で選ばれた暫定政権である。

YKKトリオのうち、次期総裁にもっとも近かった加藤紘一は小渕派(旧竹下派)に担がれることを是とせず、イッキに派閥抗争に決着をつけようとした。すなわち、野党による森内閣不信任決議案に乗って、倒閣の党内クーデターを画策したのだ。これが加藤の乱である。周知のとおり、加藤の目論見は派内の一致もえられず、クーデターは事前に鎮圧。野中広務幹事長の党内引き締めによって、YKKは腰砕けになったのである。

じつはこのとき、加藤派の一員としてこのクーデター劇に参加していたのが、ほかならぬ菅義偉総理なのだ。このときの因縁は感情的なものではないにせよ、不透明な選出劇(森という政治家)を嫌う、ある意味では菅の潔癖さがみとめられる。

◆スポーツ長官就任を拒否された川淵三郎

じつは2015年のスポーツ庁設置のときにも、森はスポーツ庁長官に川淵三郎を据えようとしていた。大学の先輩後輩であり、涙をもって語り合ういわばホモソーシャルなコンビの策動は、しかし鈴木大地が長官に就任することで潰えたのだった。

このとき、官房長官として安倍政権の中枢にあり、川淵三郎のスポーツ庁長官就任に待ったをかけたのが、ほかならぬ菅義偉現総理なのである。

実績も手腕もじゅうぶんな川淵三郎がスポーツ長官に就任できなかった背景には、文部科学省の官僚たちが川淵を怖れていた、という指摘もある(二宮清純)。

というのも、川淵三郎が創出したJリーグシステムは、従来の学校スポーツ・企業スポーツの枠をこえて、地域と行政を動員した地域密着型の新生事物だったからだ。事なかれ主義の文科官僚たちにとって尺度がわからない、何をするかわからない人物というのが川淵三郎だったのである。

◆会長は誰になるのか?

現在、組織委員会は新任会長の選考委員会が組織され、新しい会長候補に橋本聖子五輪担当大臣、小谷実可子(五輪組織委員会スポーツディレクター・元シンクロナイズドスイミング選手)、山下泰裕(JOC会長)などの名が挙がり、橋本に一本化された(2月17日16時半現在)。今後は橋本を理事に入れ、そこから理事会で決定ということになるようだ。

橋本は政治家であるから、離党・大臣辞任・議員辞職が必要とされる。本人は固辞していると伝えられるので、政界(自民党)の橋本推薦をいったん受理して、橋本がさらに固辞した場合は、別の候補という流れになるのだろう。手続きを踏んだ、手堅い段取りと言えなくもないが、まだひと波乱ありそうな気配だ。


◎[参考動画]56歳橋本聖子大臣で一本化“ポスト森”18日午後選出へ(FNN 2021年2月17日)

しかしそれにしても、ふと気が付いて考えてみれば、スポーツと政治は親しくなり過ぎたようだ。

スポーツは資金を必要とするがゆえに、企業スポンサーを獲得し、税金を導きいれる政治の力をもとめてきた。これが森喜朗のスポーツ界における発言権、存在感(実権)の源泉であった。

◆政治とスポーツの一体化がもたらすもの

政治はスポーツを取り込むことで、国家主義的な国民意識の高揚、すなわち政治の求心力をもとめてきた。誰もが賛成するスポーツ振興、君が代日の丸の国民的普及、そしてナショナリズムである。

だが、一部の突出したスポーツ振興が、国民の健康に寄与するというのは錯誤であろう。

なるほど国際レベルでの日本選手の活躍は、一時的に国民のスポーツ熱をもたらすかもしれない。だが、外国人選手でかさ増ししたラグビー日本代表の活躍が観客増はもたらしても、ラグビーの普及に資していない現状があるという(日本協会関係者)。高校のラグビー部の低減、クラブチームの衰亡がそれだという。

野球やサッカーにおいても、学校スポーツとしては参加者が低迷している。スポーツのプロ化はそのいっぽうで、少年少女たちにスポーツ選手としての成功の難しさを明らかにし、やるスポーツから観るスポーツへと、国民の意識をぎゃくに後退させている現状があるのだ。国民の健康増進に寄与しないスポーツ振興は、たんなるショービジネスにすぎないことになる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

森喜朗=東京オリ・パラ大会組織委員会会長の辞任劇 何が問われていたのか

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会は、12日に評議員会と理事会の臨時合同会議を開催し、森喜朗会長の発言の辞任。事実上の解任となった。

あらためて言うまでもなく、この女性差別発言は森個人の問題ではない。東京オリンピックの開催を左右する問題、すなわち五輪精神を蹂躙する発言であるがゆえに、わが国の外交政治やスポーツ文化のみならず、日本国およびわれわれ日本人の国際的評価がかかる問題だった。

森元総理はもともと「サメの脳みそ」と批評されてきた人物である。2005年の「日本の国は、まさに天皇を中心にしている神の国」(神道政治連盟国会議員懇談会)なる発言。あるいは「(選挙に関心のない有権者は)寝ていてくれればいい」(総選挙)、「イット革命」(IT革命のことを)という誤解発言。「ここはプライベートですよ」(20年前、えひめ号沈没事故のとき、ゴルフ場に取材に来た記者たちに=この結果、総理を辞職)。「あの子は、大事なときに必ずころぶんですよね」(ソチ五輪で、浅田美央選手の演技に)。「パラリンピックには行きたくない」(ソチ五輪)。

まさに枚挙にいとまがない「失言」のオンパレードだが、今回の「女性が多いと会議が長くなる」は、果たして「失言」だったのだろうか? そして「辞任」で解決するような問題なのだろうか。


◎[参考動画]【ノーカット】五輪組織委 森喜朗会長 会見(TBS 2021年2月4日)

◆確信犯的な差別は、永久追放に値する

結論からいえば、森喜朗の今回の発言は、確信犯的な女性差別であるということだ。確信犯森のために再録しておこう。

「女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る」

IOCの男女共同参画の目標にしたがい、大会組織委員会にも女性理事を拡充する。この方針をめぐっての評議員会での発言である。したがって、放言や失言というのは当たらない。言葉が過ぎたと感じたのか、以下は自分の発言を自己フォローする内容となっている。

「私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる」

そして、これらの発言の前提として「テレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を選ぶというのは文科省がうるさく言うんですよ」と断っている。テレビ報道を前提にした発言でもあったのだ。

ようするに森が言いたいことは、五輪大会が男女平等をスローガンとしていることに対して、組織委員会は女性が多くては困るから従えない。「女性の発言が多いのは、組織の恥である」「わきまえた女性なら、理事に加えてもよいのではないか」というのが本意であり「わきまえない女性を入れるのは反対だ」と、確信をもって議論を提起しているのだ。

この「わきまえない女」が「意見を言う女」であるのは明白だ。ようするに、会議を早く終えたい空気を読まずに、議論を長引かせる女は困るから排除したい。という差別発言。五輪憲章およびIOCがめざす男女平等に反対を表明したのである。

したがって、発言の撤回や会長辞任をもって「解決」とすることはできない。スポーツ界から永久追放するべきではないか。

五輪憲章およびIOCの女性参加者拡充(「オリンピック・アジェンダ2020」による)の手前、発言をなかったことにするのが今回の辞任であれば、東京五輪は「女性排除を内包した」「大会の組織委員会前会長が女性排除の意見をもっている大会」として、永遠に歴史に刻印されることになるのだ。

そして森発言をわらって聴いていた評議員たち、発言の撤回・辞任をもって何もなかったことにする理事会も同罪である。すなわち、女性排除の意見をもった組織ということになる。さきの森の弁明によれば「辞任するつもりだったが、引き留められた」というのだから。

開き直りともとれる逆ギレ会見を想起してみよ。まったく反省していないうえに、老害であれば掃き捨ててほしいと言ったのだ。お前たちに俺を排除できるのならば、やってみればいいと言い放ったのである。

それゆえに、抗議活動が全国で始まった。Twitterでは「#森喜朗氏は引退してください」というハッシュタグがトレンドとなり、森氏の大会組織委員長の辞任を求める声が続々と寄せられた。大会ボランティア8万人のうち、390人が抗議の辞任をした(2月8日)。聖火ランナーからもタレントの田村淳が「人気のあるタレントは、あまり人が集まらない田んぼを走ったらいい」などという森発言に抗議して、参加を取りやめている。

◆ジェンダー改革先進国からの批判

海外からの意見、抗議も紹介しておこう。

駐日欧州連合代表部やドイツ、フィンランドの大使館などが抗議ツイートを連投した。森を名指しこそしていないが、手を挙げる女性たちの写真に、「#男女平等」「#dontbesilent(黙ってはいけない)」とハッシュタグを付けてツイートしているという。五輪組織委員会および自民党の“森会長擁護”は、国際世論と大きくかけ離れてしまっているのだ。

烈しい批判もある。

フランスの欧州問題担当相を務めたナタリー・ロワゾー欧州議会議員は、自身のツイッターで「森さん、女性は簡潔に話せますよ。例えば、あなたにお答えするには『黙りなさい』で十分」と不快感を表明したのだった。

カナダのアイスホッケー女子五輪金メダリストでIOCのヘーリー・ウィッケンハイザー委員も、自身のツイッターに「この男を朝食のビュッフェ会場で絶対に追い詰める。東京で会いましょう」と投稿した。

国内では為末大の「森発言に黙っているのは同罪」というアピールが男性たちを覚醒させた。発言をしにくいアスリートたちからも批判の声はあがった。

このあまりにも激しい批判ゆえに、当初は「発言撤回で解決した」としていたIOCも、正式に「森会長の発言は、完全に不適切」と公式発表せざるを得なかったのだ。

◆差別とは何か?

森に「差別に関する知識がない」(大坂なおみ)そして、森みずから「老害」というのならば、基本的なことから始めなければならないであろう。

たとえば『紙の爆弾』の差別的な記述について、部落差別および部落解放運動を知らない人が思ったよりも多かったことからも、差別問題は基本的なことを踏まえる必要があるだろう。まさに「無知は差別」なのである。

まず、人類がみな平等で、尊重される存在である。という人権意識が前提である。森も形式的にはこれを承認するかもしれないが、本心にはないから差別発言をしてしまうのだ。じつはわれわれにも問い返されるのが、この差別意識である。それは水や空気のように存在する、と形容しておこう。

その自覚のうえで、差別問題とは「いわれなく、不当な扱いを受ける不利益」「不当に蔑視される不利益」「不当な除外と拒否行為」その結果「傷つけられること」である。そしてその本質は、今回の問題に引き付けていえば「女性蔑視」と「男尊女卑」の「ゆがめられた性文化(ジェンダー)」である。

そしてそれは、社会構造として厳然と存在する。社会的慣習として「女は控えよ」という封建的な思想だけではない。経済格差にも反映されているのだ。

女性の賃金は民間の給与調査で男性の半分におよばない。男性が530万円として、女性は250万円である。派遣やパートは圧倒的に女性が多く、その年収は正社員と同じ労働時間でも200万円に及ばない(時給1000円)。

役割分担はどうだろう。女性管理職は民間の課長クラス以上で7.5%、政治では閣僚が5~10%である。ようするに女性差別は、現実に根拠のある差別なのである。

それは家庭内分業や能力の反映だと、男尊主義者は言うかもしれない。だがたとい能力差があっても、男女共同参画を選んだのがわれわれの社会なのだ。平等な幸福権の追求、能力差をこえた参加型社会という理想を、日本社会もめざしているのだ。すくなくとも、能力に応じて得られる幸福は、不当な差別によって阻害されてはならないのである。

◆意外な自民党内の反応

そしてその現実に根拠のある差別(今回はジェンダー)は、感覚的に被差別者(今回の場合は女性)に不快感を与えるものだ。したがって男性は、ある程度の想像力をもって、これを感得しなければ理解できない。

自民党にとって不幸なのは、想像力のない人物が党の中枢にいることだろう。

二階俊博幹事長は、ボランティアの辞退が相次いでいることについて、

「落ち着いて静かになったら、その人たちの考えも変わるだろう」とした上で、「どうしてもお辞めになりたいということなら、新たなボランティアを追加することになる」と述べるにとどまった。事態の本質が想像できないのである。

「余人をもって代えがたい」

そう言って森会長の続投を支持したのは、世耕弘成参院幹事長である。

「(問題は)ここで収めて、五輪開催に向けて準備に邁進することが重要」と擁護してみせた。森の「功績」や「能力」と、今回の問題は別である。

「日刊ゲンダイ」によれば、「かつて、自民党の清和会を率いて首相まで経験した森会長の面倒見のよさは、永田町で有名です。多くの自民党議員が『森さんには世話になった』と思っている。要するに、森会長と『貸し借り』の関係が出来上がっているわけです。だから、“身内”である自民党議員の多くは、余計なことは言わないというわけです」(自民党関係者)という。

世界的な流れ、そして国内世論の流れが雪崩を打って森解任に向っていることすら、自民党村の村民たちは想像できなかったのである。

◆稲田朋美衆院議員の森批判

そんな中で、森会長に近いと見られている稲田朋美衆院議員が「私は『わきまえない女』でありたい」と、ツイッターで森批判をした。

稲田はみずからLGBT運動に参加するなど、保守派から愕かれる行動でも知られている。この人に政権を預けたら(かつては、安倍の後継構想だった)、まちがって戦争を始めてしまう(防衛省時代の管理能力不足)かもしれないと思われたものだが、ここでは信念をつらぬいた。

いっぽうで、これまで政界の男社会を批判し、女性の政治参画を訴えてきた自民党の野田聖子幹事長代行は、当初は森批判を封印してきた。おそらくポスト菅の隠し玉とされている(自民党関係者)ことで、男性議員を敵に回したくなかったのであろう。立憲民主党の女性議員たちが、婦人参政権運動にちなむ白いスーツで本会議と予算委に登場したのに対しても「わたしは言葉で政治をやります。白いスーツは着ません」と応じていた。

ところが10日になって、森発言を批判。辞任しか事態の収拾はありえないと会見したのである。

「今の時代の枠組みの中からすると、間違った発言だった」と指摘し「日本の国そのものがミスリードされることを懸念している。しっかりと多くの声を受け止め、自ら方向性を示していただければと願っている」

小池百合子東京都知事も、17日に予定されているIOC会長をふくめた四者会談への「欠席」を明言し、暗に森会長の辞任をせまった。これらは明らかな政治判断である。

ほかにも、早い段階で「邪魔です。出処進退は潔く」と森辞任を求めていた後藤田正純。さらには「国益を損なった森会長は辞任すべき」「この件でボイコットが行なわれたら、東京五輪は開催できなくなる」と、森元総理寄りの山本一太群馬県知事も退陣要求となった。ここに至って、森の命運は尽きたというべきであろう。

いずれにしても、森が会長職に執着し、周囲がそれを忖度していれば、東京オリンピックの開催そのものが危機に陥る事態となっていたのだ。そして自民党の総選挙での敗北も、この問題の処理に菅義偉が何ら態度を明確に出来なかった。そのことで、三度目の政権交代・自民党下野への機運がいっそう強まったと指摘しておこう。


◎[参考動画]Tokyo 2020 安倍マリオ(Al Jazeera Turk 2016年8月22日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

最終講評「麒麟がくる」〈番外編〉まさかの明智光秀生存説だった最終回

まさか、であった! 前回の記事で、天王山の戦い(山崎合戦)は主人公・明智光秀にとってあまりにも惨めなので、省略されるかもしれない。主人公の最期(死)まで描かないという、前代未聞の結末になるかもしれない、という予言が当たってしまった。ある意味で、トホホである。

もちろん前回も紹介したとおり、その人物の生涯があまりにも長いので、作家の原作およびNHK大河ドラマの脚本において、省略されるのもやむを得ない(海音寺潮五郎原作「天と地と」)と解説しておいた。

だが、今回は山崎の合戦(光秀が羽柴秀吉に敗北死)という、わずか一日を省く(ナレーションで代替え)異常さなのである。たんなる手抜きではなく、意識的に惨めな最期を端折ったのである。ここに、当初からの作品コンセプトの破綻を見ないわけにはいかない。

しかも!である。架空の人物(架空の医師の助手・駒)の言葉とはいえ、明智光秀が生きているのを見た。というトンデモない結末となったのである。最後のシーンでは、武家風から町人風の髷に変えた光秀が京の町を闊歩し、さらには馬に乗って、颯爽と平原を駆け抜けてゆく。

前回の最終講評で終わりにするつもりだったところ、トンデモないことが起きたので再論しなければなるまい。

というのも、生存説が単なるトンデモではなく、天海大僧正明智光秀説という、歴史研究者にとっては、あながち無視できない奇説があるからだ。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第41回 まとめ | 月にのぼる者

◆明智光秀は生き延びて僧天海となった?

南光坊天海は、実在の人物である。天文5年(1536)の生まれだとされている。上杉謙信が1530年、織田信長が1534年だから、明智光秀(生年不明だが、信長よりも年上だとされている)とは同時代人ということになる。

相模の三浦氏系蘆名氏の出身だとされているが「俗氏の事、人のとひしかど、氏姓も行年わすれていさし知ず」と記録にある。ようするに、出自がハッキリとしない人物なのである。ほかに足利将軍(11代義澄か12代義晴)の落胤説もある。
没年のほうは、江戸時代なのでハッキリしている。寛永20年10月2日(1643)ということは、天文5年生誕説を採るならば、107歳まで生きたことになる。112歳説などもあるようだ。

川中島の合戦(永禄4年=1561)で「謙信と信玄の一騎打ちを見た」「信玄にあとから聞くと、あれは影武者だと答えた」などと語っていることから、諸国遊行のうちに青年期・壮年期を過ごしたといえよう。

それほど出自がわからない人物であるにもかかわらず、大僧正(大師号)を贈られるなど、不思議な点が多いのだ。江戸の町を設計した、江戸城を「の」の字型に縄張りした、とされている。

あるいは、江戸城の北東に寛永寺を築き、その住職を務めている。寛永寺の寺号「東叡山」は東の比叡山を意味するが、天海は平安京の鬼門を守った比叡山の延暦寺に倣ったという。

寛永寺の南西側には、近江の琵琶湖を思わせる不忍池を配置し、琵琶湖の竹生島に倣って、池の中之島に弁財天を祀るなど、寛永寺が比叡山と同じ役割を果たすよう狙ったとされる。

これらの都市建設思想は、京都ゆかりの知識人、明智光秀にしか考えられない、かもしれない。上野東照宮、増上寺もこの天海が開山にかかわっている。

そこで、明智光秀が生き延びて、家康の庇護のもと天海大僧正になったという説が生まれたのだ。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第42回 まとめ | 離れゆく心

◆傍証の数々

傍証も少なくない。

家康ゆかりの日光に明智平という地名があること。

比叡山に、俗名を光秀とする僧侶の記録があること(一時、比叡山に潜伏した?)。

さらには有名な史実として、徳川家光の乳母(斎藤ふく=春日局)が斎藤利三の娘であり、家康はそれを了解のうちに採用したこと。そののち、斎藤一門は繁栄している。

山崎の戦いで明智側についた京極家は、関ヶ原の戦いの折に西軍に降伏したにもかかわらず、戦後加増されたこと(実際は大津城の攻防で、西軍をくぎ付けにした功績)。いっぽうで、光秀寄騎でありながら山崎の戦いで光秀に呼応しなかった筒井家が、慶長13年(1608)に改易されていること(実際には家中分裂で改易)。

これら傍証ともいえる光秀=天海説の伏線を敷くかのように、今回の「麒麟がくる」最終回では、光秀から家康に宛てた書状が登場する。菊丸(岡本隆)に託される光秀の「遺言」ともいえる書状である。

すなわち、自分が斃れたあとは家康に天下を託したい、との内容であるのは想像に難くない。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第43回 まとめ | 闇に光る樹

◆正義の人でなければならないのか?

こうした結末にしなければならなかった理由は、一連の記事で明らかにしてきたとおり、NHK大河の主人公が「生来の正義の人」「利発な天才系」でなければならない。ある意味では勧善懲悪主義の基調が仇となっているからだ。

主人公がことさらに悪人である必要はないが、あまりにも葛藤がない。あまりにも悩みがない、みずからの苦悩がなさすぎる。

たとえば「風林火山」(原作新田次郎)の信玄は、苦渋の果てに父親を追放する。のみならず、みすからも父子対立のすえに嫡男の義信を自害に追い込む。多くの側室を抱えたがゆえに、その対立にも悩まされる。いわば苦悩の人であった。
いやそもそも、信玄は謙信が言うように、その内部に悪をひそませた人であったかもしれない。

それでは、伊達政宗(NHK大河は「独眼竜政宗」)はどうであろうか。政宗は弟を殺しているが、信玄ほど陰謀家ではない。政宗が母親に毒殺されそうになった(史実には疑いがある)シーンを、NHKはショッキングに描いたではないか。その苦悩も涙も十分に伝わる脚本だった。

上記の二作品は、NHK大河シリーズ史上、最高の視聴率を成し遂げている。ようするに、NHK大河は人間を描けなくなった。類型的な勧善懲悪主義に堕してしまっているのだ。

今回の「麒麟がくる」において、明智光秀の人物像が大きく変わったという評価は、しかしあまりにも史実とかけ離れた、その意味では稗史(はいし)と呼ぶべきものだったといえよう。彼の本当の苦悩や野心は、現代に再生できなかったのである。

[関連記事]
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈1〉 人物像および本能寺の変に難点あり!(2020年8月28日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈2〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 謀略の洛中(2020年9月6日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈3〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 朝廷か将軍か(2020年9月13日)
◎最終講評「麒麟がくる」〈上〉光秀は帝に会える立場だったか? 朝廷陰謀説を採ったNHK──本当にいいのか?(2021年1月23日)
◎最終講評「麒麟がくる」〈下〉天王山の合戦は省略 朝廷・濃姫黒幕説で、最終回はイラストで終了か?(2021年2月5日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

《書評》『紙の爆弾』3月号特集 菅義偉「迷走・失政・泥船」政権という危機

季節のうつろいは早いもので、3月号の紹介ということはもう2月である。東北および北陸方面は豪雪に見舞われているというが、関東はいたって温暖な冬で、風雪に苦しむ人々には何だか申し訳ない気がする。

 
タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年3月号!

政権発足当時こそ、苦労人宰相(菅義偉)がお坊ちゃま総理の限界に取って代わった、という好意的な評価で高支持率をほこった菅政権も失速。あっと言う間に支持率40%を割るところまで、政権への国民的な支持は落ち込んだ。その大半は失政によるところだ。

したがって3月号は、実質的に菅政権批判特集となった。

「菅義偉・小池百合子のダブル失政が『第四波』を招く」(横田一)、「『菅迷走』の根本原因」(山田厚俊)、「泥船と化した自公野合政権の断末魔」(大山友樹)、「『自助』と『罰則』だけの菅コロナ政策に終止符を」(立憲民主党・杉尾秀哉参議院議員に聞く、青木泰)といったラインナップである。

◆菅の懐刀という人物が画策する「政権延命計画」とは?

横田は「最初のミスは、新政権発足から間もない10月1日にGo To トラベルの東京除外を解除したことだった」と指摘する。菅と小池が責任をなすりつけ合いながら、年末まで感染を加速度的に拡大し、1月7日の緊急事態宣言に至ったのは、まさに失政といえよう。知事が判断するべきだったのか、国が判断するべきだったのか。ここでの尾身会長(コロナ対策分科会)および都医師会の尾崎会長の証言は、歴史に刻まれるべきであろう。政治家は医師たちの提言を無視したばかりか、相互に対立(菅と小池の不和)することで、国民の犠牲者を出したのだ。

さて菅がGo To に固執する理由だが、インバウンド需要を頼みにせざるを得ない日本経済の現実とともに、二階俊博の観光業界利権があるのは明白である。この点でのファクトが欲しいところだ。表題の「第四波」とは、菅総理の懐刀とされる人物の「五輪選挙」である。この人物の言動に注意だ。

◆菅には資質がない

山田は菅義偉が師と仰ぐ梶山静六の事績を紹介し、菅の「政治家の覚悟」のなさを指摘する。とりわけ「批判の排除」という、菅の小心さのなかに梶山とは比べ物にならない、いや教訓を守らなかった決定的な違いが見いだせる。

そしてもうひとつ、菅が梶山静六の教えを守っていない「説明の大切さ」を指摘する。菅のポンコツ答弁は、官房長官時代は切って捨てるようなものでも事足りたが、総理となればそうはいかない。官房長官時代の「逃げ」や「拒否」など、総じて事務的な答弁では済まないのだから。

とりわけ、メモ頼みにもかかわらず「読み間違い」が多いのが致命的である。この点を山田は、ドイツのメルケル首相との対比で明らかにしている。メルケルといえば、極右ポピュリズム運動で政権そのものが不安定に晒されてきた。きわめて困難な政治基盤のなかで、しかしこのコロナ危機を国母のごとく国民をまとめてきた。その会見は「真っすぐに正面を見据え、時折声を震わせ、顔を歪ませながら、コロナ禍の猛威のなか必死に現状打開の策として過酷な制度を強いるリーダーの姿がそこにあった」(本文から)。

かたや、わが菅総理と云えば、メモを見るために顔はうつむき、目はしょぼしょぼと、しかもたびたび誤読する、そして口ごもる。およそ訴える力は皆無なのである。そもそも演説や答弁の不得手な人間が、なぜ政治家をこころざしたのか。資質に問題があるとしか思えない。政治が必要とするのは、鮮やかなまでのパフォーマンスであり、聴くものを圧倒する演説力なのである。

たとえば、国民を分断する極右思想で、しかも政治哲学といえば戦後政治(民主主義)の一掃という、およそバランスを欠いた内容にもかかわらず、立ち姿の好感度と音楽のような演説力で選挙に圧勝してきた、安倍晋三前総理。少なくとも政治家にもとめられることを、かの政治名家の御曹司は知っていた。ようするに、菅には資質がない、のである。

携帯電話料金やマイナンバーカードの徹底など、省庁レベルの施策の音頭はとれても、大局感のある政治哲学は語れない。しょせんは国家レベルの政策がない政治屋なのだ。

◆創価学会の焦りとは?

大山は「泥船と化した野合政権」のうち、公明党の危機に焦点をしぼった。記事によると、創価学会の池田大作会長はこの1月2日に、93歳になったのだという。健康問題で学会員の前には姿を見せられないものの、健在であるという。その日、創価大学は箱根駅伝で往路優勝、復路ものこり2キロまでトップをまもり、総合2位に輝いたのである。

しかし、菅政権の支持率低下とともに、学会は危機感に駆られているという。自民党との長期政権のなかで、公明党の支持層が先細ってきたからだ。いっぽうでは自公政権への批判票として、共産党の票が伸びるという事態も起きている。自公政権への危機感は、自公選挙提携の見直しにつながる。

焦点になるのは、河井克行元法相の衆院広島三区ということになる。公明党はここに斎藤鉄夫副代表を、中国ブロックから鞍替え出馬させる。大山は『第三文明』(創価学会系総合誌)における、斎藤候補と佐藤優(作家)の対談を紹介し、学会から自民党へのメッセージとしている。自民のいいとこ取りだった自公連立を、公明党の側から積極的に変えていく。それはある意味で、自公政権の崩壊の序曲にほかならない。

◆高騰する株価の謎

このコロナ禍で、人々が不思議に思っているのは株価の高騰であろう。この記事を書いている2月8日の正午現在、株価は30年ぶりの2万9000円を突破した。30年前といえば、バブル経済の時期である。

このバブル株価を、広岡裕児は「『コロナと株価』の深層――広がり続ける実体経済との乖離」として解説する。

実質GDPが0.9%減(1~3月期)、7.9%減(4~6月期)と、コロナ禍のもとで衰退に向かった日本経済の、どこに株価が急騰する要素があるのか。広岡によれば、そのひとつは海外投資家の日本買いであり、今後のワクチン効果を見込んだ投資だという。もうひとつは、ファイナンスマシーンと化した株取引のIT化である。実体経済とは無関係に、あたかもゲームのような取引が日常化しているというのだ。「社会と市場(マーケット)の分離」がもたらすものは、経済の空洞化ではないだろうか。

◆部落解放同盟の見解をもとめる

巻末には「『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか?」の連載検証第5回として、鹿砦社編集部(鹿砦社および「紙の爆弾」編集部)の中間報告が掲載されている。ここまで、鹿砦社側の見解(依頼ライターをふくむ)で検証が進められてきたが、部落解放同盟としての見解を求めていると明らかにしている。今後の議論に注目したい。(文中敬称略)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

天皇制はどこからやって来たのか〈24〉近代の天皇たち ── 明治天皇の実像

明治元年(1968)10月12日に即位したとき、天皇は14歳であった。孝明天皇の第二皇子、母親は権大納言中山忠能の娘中山慶子とされている。中山慶子は典侍(ないしのすけ=側室)であるから、女御(正室)の九条夙子(英照皇太后)を実母と公称した。

女児のごとき祐宮睦仁(さちのみやむつひと)親王から、後年の男性的な明治天皇となった落差。この落差ゆえに「明治天皇はすり替えられた?」(前回掲載記事)とする説が生まれたのである。それほど落差が感じられるのを、ゆえなしとはしない明治天皇の「雄々しさ」とは、どのようなものなのだろうか。

 
明治天皇

◆調停機関から大元帥へ

20歳になった天皇の事績はすぐれて明快である。

征韓論をめぐって起きた明治6年政変では、勅旨を発して西郷隆盛の朝鮮派遣を中止させ、政権内部の対立を調停している。

同時期に全国で起きた自由民権運動に対しては、漸次立憲政体樹立の詔を出してこれを慰撫。これらの背景に三条実美、大久保利通、岩倉具視、木戸孝允ら政権主流派の動きがあったのは明白だが、政権調停機関としての役割をそこに見出すことができる。

明治15年には軍人勅諭を発し、大元帥としての性格を明確にしていく。さらに明治22年2月11日、大日本帝国憲法を公布。この憲法は日本史上初めて天皇大権を明記し、立憲君主制国家確立の基礎となった。

翌明治23年10月30日には教育ニ関スル勅語を発し、近代天皇制国家を支える国民道徳を明記する。殖産興業・富国強兵政策の先頭に立つ、近代天皇の姿を明確にしたのである。

そして、いよいよ明治27年(1894)、日本は大元帥のもと日清戦争に踏み切る。このとき天皇は大本営において、直接戦争指導に当たっている。

明治37年(1904)の日露戦争も同様に、大本営にあって戦争を指揮している。

日露戦争後は韓国併合と満州経営をすすめ、日本を植民地支配する帝国主義に押し上げた。ぎゃくにいえば、侵略と併呑、寄生性と腐朽化への道(レーニン)である。これらの「偉業」をもって、天皇は後年「明治大帝」「明治聖帝」と呼ばれる。

だが、その覇業は古代いらいの帝としての皇統継承事業、すなわち子づくりにおいても発揮された。いや、近代天皇制を古代的な親政において実現する志向は、子づくりや華族の縁戚化、そしてのちには皇族の拡大という宮中第一政策において実行されてゆくのだ。

 
一条美子

◆片っ端から女官に手をつける

とにかく、女には手が早かった。皇后は一条美子という、のちに昭憲皇太后と称せられる女性だが、この人との子はなかった。

以下、側室となった女性たちである。

葉室光子は19歳のときに宮中に入り、翌年には天皇の第一子を出産するも死産。光子も産後に亡くなった。

橋本夏子も17歳のときに女子を身ごもったが死産、自身も産後の経過不良のため死去。

千種任子も二人の女子をもうけるが、夭折する。

のちに大正天皇を生む柳原愛子も二人の男子と一人の女子を幼くして失っている。こうなると、側室とその子供たちの地獄というべきか。

じつはこの事態には、日本社会を覆った感染症の影響があったと考えられる。天然痘とコレラである。

孝明天皇は1866年12月11日に発熱し、17日に疱瘡と確認されると、天皇は感染を心配し、親王(明治天皇)に完治の日まで来てはいけないと命じる。そこで、親王の生母の父、中山忠能は、蘭方医に密か命じて親王に種痘をほどこしたという。

 
柳原愛子

「最後に二十三日から膿の吹き出しがおさまってかさぶたを結んで乾燥し、次第に熱が下がり、大体において全快に向かった。ところが病状は二十五日に至って急変し、激しい下痢と嘔吐の挙げ句、夜半に至り『御九穴より御脱血』」(中山忠能日記)という最期であった。いったん快方に向かい、そこから再度悪化したことで、宮中勤仕の老女の「悪瘡発生の毒を献じ候」という手紙を、中山忠能は日記に紹介しているのだ。

これが前回紹介した毒殺説であるが、ともあれ天然痘による疱瘡が確認できることから、これ以降も種痘を受けなかった幼子、女官たちが相次いで感染し、命を落としたことは容易に想像される。

多産だったのは、園祥子という女官である。彼女はわずか13歳で女官となっている。明治18年、19歳の時に初産に失敗(女子死亡)し、翌年も女子を失っているが、21歳の時に天皇の11子を生むと、6人の子をつくり(うち2名死亡)、合計8人もの皇子を身ごもったことになる。

明治天皇最後の女は、小倉文子(伯爵家)という女性だったが、子をなさなかったことから公式の記録には残っていない。

けっきょく、明治天皇は5の皇子と10人の皇女をなしたのである(成人したのは5人、男子は大正天皇のみ)。慧眼なる読者諸賢は、男子5人、女子10人という比率の中に、近代天皇家における男子出生率の低さを読み取るであろう。しかし大正天皇には4人の皇子はあっても、女子はいなかった。昭和天皇においては、男子2人、女子5人である。平成天皇は男子2名、女子1名、令和天皇は女子1人である。

もっとも、伊藤博文や松方正義など、明治の元勲とよばれる人たちの女好きは有名で、明治天皇がとりたてて女癖が悪かったというものでもない。

◆60歳の若さで崩御

当時はじゅうぶんに生きた年齢だったのかもしれないが、享年60であった。

晩年は歩行も困難なほど体調を崩し、「朕が死んだら世の中はどうなるのか。もう死にたい」「朕が死んだら御内儀(昭憲皇太后)がめちゃめちゃになる」と弱音を吐いていたという。じっさいに糖尿病だったようだ。枢密院の会議中に、寝てしまうことも多かったという。

写真撮影を極度に嫌ったので肖像画でしか往時を偲べないが、べつに西洋文明を否定したり「写真は魂を抜き取る」などの明治人に特有の迷信ではない。食事は西欧風の肉食や牛乳を奨励し、明治6年にはみずから断髪して、国民に西欧風の生活習慣を率先垂範している。

天皇は酒をたしなみ、乗馬や和歌、刀剣蒐集、レコード鑑賞を好んだという。それにしても、60歳は若すぎる。相当なストレスに見舞われる日々があったのだろう。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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最終講評「麒麟がくる」〈下〉天王山の合戦は省略 朝廷・濃姫黒幕説で、最終回はイラストで終了か? 横山茂彦

◆濃姫が「毒殺」を使嗾

最後は巧くまとめるんだな、という印象である。少し早いが、次回(2月7日)が最終回ということで、ネタバレ情報も入ったので解説しておこう。とんでもないことが起きない限り、これで最終講評としたい。

前回の講評では朝廷黒幕説、正親町帝が「信長が天下を乱すようなら、見届けよ」。つまり「信長追討の密勅」が暗に行なわれたという解釈で、トンデモないことを云うものだと批判した。そもそも織田家の陪臣の身では、帝に拝謁できない時代考証の誤り。

しかるに、43回「闇に光る樹」は京都で濃姫(帰蝶)と密会し、濃姫をして「父道三ならば、信長に毒を盛る」と言わせるのだ。

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 後編(2)』

以前の批評で「誰でもいいから黒幕説」のひとつとして、森乱丸黒幕説と並列していたトンデモ説が、にわかに浮上してきたのだ。陰謀の陰にオンナありのドラマとしては秀逸な展開だが、濃姫と光秀がおなじく道三を父と仰ぐような関係ではないことを確認しておこう。

すなわち「麒麟がくる」のコンセプトそのものに関わることだが、光秀が信長に仕えるようになるまでの前半生はほとんど謎、消息不明なのである。

土岐一族系の明智氏の出であることは、たぶんその名乗りから疑いないかもしれない。そんな程度の出自なのである。明智城や明智の荘に係る、同時代史料があるわけではないのだ。

足取りがわかっているのは、越前朝倉家に何らかのかたちで関係していたことぐらいである。この点は「麒麟がくる」も史実考証に忠実で、朝倉氏に仕官したとはしていない。したがって「信長さまに拾われるまでは浪々の身であった」という史実を踏襲したことになる。

いっぽうの濃姫(帰蝶)も、足取りがよくわからない人物である。濃尾同盟の証しとして信長に嫁いだのはまぎれもない史実だが、その後がよくわからない。

複数の史料に「安土殿」「信長公御台」「北の方」などの記述があるので、信長没後まで生存していた可能性は高いが、早世説もある人なのだ。それも信長の子を産まなかったからにほかならない。

信長には生駒吉乃をはじめ、11人の側室があり、12人の息子と9人の娘、6人の養子があった。悲しい話だが戦国女性は子を産まなければ、よほどの内助の功がない限り存在感は希薄となる。

◆イラスト合戦

今回の大河がふざけているのは、時代考証のいい加減さだけではない。合戦シーンがじつに断片的で、その大半が歴史解説番組なみのイラストなのである。これほど歴史ファンを莫迦にした脚本があるだろうか。

光秀の場合は単独で戦った大きな合戦といえば、丹波制圧のほかには天王山の合戦(山崎の合戦)ぐらいしかなく、重点を置ききれなかったのは了解できる。

しかし、比叡山焼き討ちとともに武田征伐では恵林寺での快川紹喜の「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」などは欠かせない見せ場で、信長の残虐性を際立たせるには格好のネタであったはずだ。長島合戦や越後での一向宗狩りなど、信長を悪者にするシーンは豊富にあったはずだ。

松永久秀の最後について前回も解説したが、北陸戦線で織田軍が上杉謙信に敗北した事情(秀吉の無断離脱)など、当時の緊迫感のある政治情勢を欠いてしまったために、ドラマ自体がふぬけた印象となった。

◆最期を描かないラスト

さて、問題はラストである。これまで大河ドラマは主人公の最期まで描き切ることで、偉大な人生の達成感を視聴者にもたらしてきた。

もちろん例外もないではない。上杉謙信の生涯をえがいた「天と地と」では、第4次川中島合戦の「勝利」(実際の歴史家の評価は、引き分けであろう)でジエンドとなっている。その後のエポックを欠く関東出兵や北陸での織田氏との争いなど、とうてい長すぎて描き切れないという事情がみとめられる。

しかし、今回は光秀の情けなさを象徴する「三日天下」(実際には11日)と天王山の合戦を、簡略シーンかイラストで済ませてしまおうというネタバレ情報なのである。

天王山の合戦の敗因は、秀吉が「信長さまは生きている」と吹聴したために、光秀方に兵が集まらなかった、とするものだそうだ。

本能寺で信長の首が見つからなかったのは史実である。信忠(信長の息子)の首も二条御所の縁板を剥がして遺体を隠したという説があるとおり、織田父子の深謀遠慮が感じられる。

だが、史実は本能寺の変後の政治工作が朝廷方面に手間取り、一向宗(根来寺)や長曾我部元親、上杉景勝、武田遺臣団など反織田勢力への工作が不足したのである。

本能寺の変後、北陸から柴田勝家が撤退、信濃からも森長可が撤退、川尻秀隆が武田遺臣団に殺され、滝川一益も北条氏に攻められて敗走するという、各地の織田勢が総崩れ(天正壬午の乱)するなかで、光秀は政治工作の不足で求心力を得られなかったのだ。

光秀の人望のなさも挙げざるを得ない。前回の講評で紹介したとおり、フロイスの「みんなからは嫌われていたが、信長だけには気に入られていた」という人物評価が当たっているのだろう。あてにしていた細川藤孝も筒井順慶も、光秀に味方しなかったのだから。

肝心の最期のシーンはどうなるのだろうか。

小栗栖の田の細道を十数騎で移動中、小藪から百姓の錆びた鑓で腰骨を突き刺されたとする『別本御代々軍記』(「太田牛一」のが正確なところと考えられる。そこで切腹するというのが江戸時代の歴史本だが、実際にはその後斬首された斎藤利三とともに、粟田口に首と胴体をつながれて晒されたという(「兼見卿記」)。

ともあれ配役の演技陣諸氏には、最後の熱演技を期待したい。

[関連記事]
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◎「麒麟がくる」の史実を読む〈3〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 朝廷か将軍か(2020年9月13日)
◎最終講評「麒麟がくる」〈上〉光秀は帝に会える立場だったか? 朝廷陰謀説を採ったNHK──本当にいいのか?(2021年1月23日)
◎最終講評「麒麟がくる」〈下〉天王山の合戦は省略 朝廷・濃姫黒幕説で、最終回はイラストで終了か?(2021年2月5日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。