2020年時事総括〈上半期〉コロナに始まりコロナ禍で深まった安倍政権の危機

2011年3.11いらい、われわれ国民が異様な年として記憶する2020年になりそうだ。コロナ禍発生の年として、日本のみならず人類史に刻まれることだろう。

今年はクルーズ船のコロナ感染に始まった。記事から引用しよう。

「2週間の拘束となっている豪華クルーズ船ダイヤモンドプリンセスの乗客、3,771人(乗員1,000人余をふくむ)から、新たに3人の感染(累計64人)が判明した。濃厚接触者273人のほかに、70歳以上の乗客(1,000人)には、再検査が行なわれているという」
「バカンスのためにクルーズしていたのに、まるで罪人のように船室に拘禁されるとは、乗船している方々に同情するしかない。報道によれば、船内感染を予防するために、船室から出ることも禁止されているという(窓なし船室の客だけデッキに出られる措置となった)。また、香港でも別のクルーズ船(3,000人乗船)に乗客の下船が禁止されている。日本政府は新たなクルーズ船の入港を拒否する方針だという」(横山茂彦 2020年2月9日)

当初、その論調はクルーズ船の乗客たちを「棄民」化する政府の無責任を指弾するものだった。ところがこのクルーズ船には、とんでない秘密があったのだ

「すでにネットでは公然と語られるいっぽうで、マスコミが報じない脱法行為が存在する。いや、すでにその華やかな幕は下りてしまったが、ここ半月ものあいだ繰り返し報じられてきたクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセスに秘められた、とんでもない事実があるのだ」
「外国船籍であり、なおかつ公海上に出るという外洋クルーズによって、可能となっていたのがカジノである。比較的低価格で乗船できるプリンセスクルーズの場合、日本人客にカジノを体験させ、その上がりでペイするという側面もあったのではないか。とりあえず、ダイヤモンド・プリンセスがカジノ船であったことを、ほかならぬプリンセスクルーズのホームページから引用しよう」(横山茂彦 2020年3月9日)

けっきょく、クルーズ船から感染者を降ろすことで、市中に感染症がひろがった。台湾やベトナム、発生地とされる中国武漢、あるいは韓国でPCR検査がほぼ完全に実施されるなか、日本政府は後手を踏んだのである。

「感染の疑いを感じている国民が、PCR検査を受けられないという事態がつづいている。かかりつけの医院から検査機関に連絡をしても、中国武漢・湖北省の旅行歴がなければ受けられない。民間に検査をさせないから、旅行歴の基準を充たさない感染者が重篤に陥っているのだ」
「そしてこの事態に危機感をもった、元感染研の岡田晴恵教授が悲痛な告発をしたことが話題になっている。『これはテリトリー争い』『感染研のOBの一部が、自分たちのデータにしたいから、民間での検査をさせないんです』(テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー)というものだ。本稿の冒頭に、ICTVとWHOが新型コロナの学名を、それぞれ独自に発表しているように、医科学界は縄張り主義がつよい。かれらの功名(権威の獲得)や利権(予算の獲得)が国にとって、何の益をもたらさないのは言うまでもない」(横山茂彦 2020年3月3日)

このあと、春のゴールデンウェークにかけて自粛、さらには緊急事態宣言が発せられ、いったんコロナ禍は沈静化にむかう。

鹿砦社および支援者たちが取り組んできた、カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)がほぼ決着をむかえた。これも2月の記事から引用したい。

「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、巷間では「しばき隊リンチ事件」と呼ばれる、大学院生M君に対するリンチ事件で、ようやく確定判決で認められた賠償金が、金良平氏の代理人に就任した神原元弁護士からM君の代理人大川弁護士に振り込まれました。当初の代理人は別の弁護士でしたが、今年になり、なぜか代理人が交替しましたけど、まずはこの事件の一つの区切りといえる」(鹿砦社特別取材班 2020年2月7日)

そして検証作業が行なわれたので、ふり返ってみることにしたい。

◎【「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書1】朝日新聞・阿久沢悦子記者の蠢きと、「浪花の歌う巨人」趙博の突然の裏切りについて(松岡利康 2020年4月27日)
◎【同2】みんなグルだった!? (松岡利康 2020年5月25日)
◎【同3】闘いはまだ終わってはいない!「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」!(松岡利康 2020年5月28日)
◎【同4】闘いはまだ終わってはいない!(2)私は血の通った一人の人間としてM君リンチ事件(被害者救済・支援と真相究明)に関わってきた(松岡利康 2020年5月30日)
◎【同5】闘いはまだ終わってはいない!(3) 真実を偽造させない!(松岡利康 2020年6月3日)
◎【同6】闘いはまだ終わってはいない!(4) 李信恵「陳述書」を批判する-01(松岡利康 2020年6月5日)
◎【同7】闘いはまだ終わってはいない!(5) 李信恵「陳述書」を批判する-02(松岡利康 2020年6月8日)
◎【同8】闘いはまだ終わってはいない!(6) 李信恵「陳述書」を批判する-03(松岡利康 2020年6月10日)
◎【同9】闘いはまだ終わってはいない!(7) 李信恵「陳述書」を批判する-04(松岡利康 2020年6月12日)
◎【同10】 闘いはまだ終わってはいない!(8) 平気で嘘をつく人たち(松岡利康 2020年6月16日)
◎【同11】 闘いはまだ終わってはいない!(9)平気で嘘をつく人たち(2)~ 野間易通の場合(松岡利康 2020年6月20日)
◎【同12】闘いはまだ終わってはいない!(10)平気で嘘をつく人たち(3)~ 再び李信恵の場合(松岡利康 2020年6月22日)
◎【同13】闘いはまだ終わってはいない!(11) 平気で嘘をつく人たち(4) ~ 師岡康子の場合(松岡利康 2020年6月25日)

安倍政権をゆるがす、総理の犯罪の実態があきらかになってくる。安倍長期政権は極右政権という印象とともに、第一次政権がそうであったように、お友だちを大切にする利権政権でもあった。その典型例が森友・加計学園であり、桜を見る会であろう。単に利権を友だちと分け合うならば実害は少ないが、わたしは間違ったことをしていない、と強弁することで不要な忖度を生み、犠牲者を出してきたのである。3月の記事から引用しよう。

「赤木氏の遺書が明らかになり、その遺書に対して『新たな事実はない』『再調査を行うつもりはない』と開き直る安倍総理。遺族(赤木氏の妻)の『自殺の原因は、安倍総理の発言を佐川理財局長(=当時)が忖度した』という主張に対しては、赤木氏が遺書に書いたわけではない、と切り捨てる安倍総理。そして野党議員の追求をかわす総理のかたわらで、ニヤニヤしながら笑みを見せている麻生財務相。憤死した死者に鞭打つかのような冷酷さに、国民の怒りは頂点に達しているといえよう」
「赤木さんの妻は23日に2度目となるコメントを発表した。そのなかで『怒りに震える』と感情をあらわにしている」
「今日、安倍首相や麻生大臣の答弁を報道などで聞きました。すごく残念で、悲しく、また、怒りに震えています。夫の遺志が完全にないがしろにされていることが許せません。もし夫が生きていたら、悔しくて泣いていると思います」
「新型コロナウイルスが猛威をふるう中、政府および自治体がイベントや花見の自粛を国民に求めている状況下、昭恵夫人はレストランで多人数の花見に興じていたというのだ(「週刊ポスト」)。総理夫人が花見に興じているいっぽうで、国民には外出の自粛を強要し、花見ができる公園を封鎖する政府に、なぜ従わなければならないのだろうか」(横山茂彦 2020年3月31日)

そして安倍総理は、みずからが訴追されることを怖れて、三権分立を掘り崩す暴挙に打って出る。検察人事への介入である。

「これほど法案反対が国民的な運動になったのは、いつ以来だろうか。いうまでもなく、検察定年延期法案(検察庁法改正)に対する批判である」
「ネット上では法案反対の声が1000万ツイートにもおよび、安倍政権への国民の怒りを象徴している。小泉今日子や東ちづるなど、国民的人気の芸能人が反対を訴えることで、コロナ不作為とはまた別の意味で、安倍政権の致命傷となりそうな気配だ。政府は強行採決も辞さない構えだが、そのことが「消えた年金」以来の自民党凋落の予兆となることを、ここに指摘しておこう」
「とくに安倍政権にというよりも、官房長・事務次官時代をつうじて、政権一般に協調的・親和的といわれる黒川弘務検事長の定年延長(閣議決定)を、安倍総理はさりげなくやったつもりだった。森友・加計・桜を見る会という具合に、総理自身の利益供与、公職選挙法違反という刑事訴追の可能性も浮上してくる中、おそらく軽い気持ちでやったのではないか。じっさい、市民運動家や弁護士による安倍総理刑事告発が、複数回にわたって官邸を悩ませてきた」
「しかしそれは、卑怯な戦術として国民の目に映った。国民の目には、官邸が訴追を怖れるあまり、三権分立を侵す検察官の人事権を掌握する挙に出たと映ったのは、あまりにも当然のことだった」
「黒川検事の定年延長をきめた閣議が法的担保のない、行政行為(法解釈の変更)であるのとは違って、停年延長法は検察に対する官邸の優位を決定づける。もはや形式的な任命権。すなわち検察官を内閣の指名により天皇が任命するという、法手続きの域を超えてしまうがゆえだ。まさに訴追権を時の政権が掌握するという、ナチス政権ばりの独裁法(全権委任法)である」
「それゆえに、松尾邦弘元検事総長は『内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更』することが『フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』という中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない』とまで安倍政権を批判しているのだ」(横山茂彦 2020年5月17日)

しかし、民意は安倍政権を追い詰めた。国民は訴追逃れの卑劣な法案を葬り去ったのである。(横山茂彦 2020年5月19日)

いっぽう、コロナ禍による影響はスポーツ界にも波及していた。安倍首相の緊急事態宣言後のキックボクシング界の経営難をレポートする。

「キックボクシングに限らず、多くの競技が先行き未定の興行中止や延期となり、ジムが自粛休業された所属選手は試合出場を目指して、今は出来る範囲でひたすら身体が鈍らないように自己練習に明け暮れる日々」
「自粛休業も、賃貸で経営するジムは家賃・光熱費が大きな負担となってくるので、経営難に陥るジムも出てくることが懸念されています」
「昭和50年代後半のキックボクシング低迷期、国内で興行予定が立たない団体と各ジムは、香港でのキックボクシングブームに乗って選手の遠征試合を重ねました。また時代を問わず、選手個人はタイへ修行に出掛け、たとえタイの田舎の無名なリングでも勧められれば臨んで出場していました。でも現在は、タイに入国も労働許可証を持った者のみと制限されている上、どこの国にも遠征することも難しい現状です」(堀田春樹 2020年4月26日)

滋賀医科大学附属病院問題において、不当判決がくだされた。

「4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件の判決言い渡しが、14日大津地裁で15時からおこなわれた」
「西岡前裁判長の転勤にともない、裁判長となった堀部亮一裁判長は『主文、原告らの請求をいずれも却下する』と飄々と短時間で判決言い渡しを終えた。退廷しようとする裁判官に向かい傍聴席から『ナンセンス!』の声が飛んだ」
「この事件の期日には、これまで『患者会』のメンバーが裁判前に集合し、大津駅前で集会を行ったのち傍聴を埋めるのが常であったが、判決日は折からの『新型コロナウイルス』への配慮から、『患者会』は集会や傍聴の呼びかけをおこなわなかった。したがって本来であれば判決を裁判所の外で待ち受けていたであろう、約100名(毎回裁判期日には100人ほどの人が集まっていた)の姿はなく、静かな法廷のなかで冷酷無比な判決言い渡しの声が響いた」(田所敏夫 2020年4月16日)

「紙の爆弾」が創刊15年をむかえた。東西で祝賀パーティーが開かれ、同誌の役割の大きさが確認された。

「15年前の4月7日、『紙の爆弾』は創刊いたしました。2005年のことです。新卒で入社した中川志大(創刊以来の編集長)は、『噂の眞相』休刊(事実上の廃刊)後、約1年間、取次会社に足繁く通い、取得が困難とされる「雑誌コード」を取得し、『紙の爆弾』は創刊いたしました。創刊号巻頭には、悪名高い「〈ペンのテロリスト〉宣言」が掲載され、独立独歩、まさに死滅したジャーナリズムとは違った道を歩み始めました。創刊部数は2万部でした。4月7日、『紙の爆弾』創刊15周年! 創刊直後の出版弾圧を怒りを込めて振り返ると共に、ご支援に感謝いたします!」(松岡利康 2020年4月6日)

コロナ禍のなかで、路上生活者には過酷な日々が続いている。新宿における生活防衛の闘いをのレポートを引用する。

「新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、東京都はネットカフェにも休業を要請した。安定した住居を持たずネットカフェなどで生活する『ネットカフェ難民』は、2018年から2019年にかけての東京都の調べによると約4000人。文字通り路上生活を余儀なくされている人に加え、24時間営業のファストフード店やネットカフェが休業してしまえば、そこで寝泊まりする人々が路上にたたき出されてしまう恐れがあった。そこで、ホームレス支援30団体以上が協力して『新型コロナ災害緊急アクション』を結成。東京都に緊急支援を要請してきた。その結果、施設休業で済む場所を失った人をビジネスホテルに一時滞在できるようになっていった。……中略…… コロナ災害の状況では、就職先が確保されたなどというのは少数で、多くの人は野宿を強いられている可能性がたかい」(2020年林克明 2020年6月26日)

(下半期につづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

安倍晋三を逮捕せよ! 自民のアベ切りの背後に、菅首相の思惑 横山茂彦

◆総理の犯罪 ── 経緯

このかんの経緯を確認しておこう。

一昨日、安倍元総理事務所の政治資金規正法違反について、東京地検特捜部は第一公設秘書配川博之(61)の略式起訴に踏みきった(罰金100万円)。この公設秘書は辞職したという(24日安倍会見)。そして事務所の最高責任者である安倍晋三の起訴は、ついに見送られた。

検察による任意の取り調べに対して「わたしは知らなかった」「秘書がやったことなんです」「秘書が勝手にやっていた」(元総理)という、およそ自己責任のない抗弁が、わが国の政界ではまかりとおるのだ。あれほど何度も(118回)確認を求められたのに、ウソをつきとおした人物を第一秘書を雇っていたこと自体、政権の最高責任者にはあるまじき事態である。

かくして、明らかな公職選挙法違反(寄付=買収行為)であるにもかかわらず、検察の方針は安倍元総理に忖度した格好になったわけだ。一説によると、黒川検事長(当時)の定年延長で、検察人事に介入した安倍への意趣返しと見られることで、地検特捜部には安倍起訴に躊躇があったという。

その黒川元検事長は、賭けマージャンの一件で検察審査会が「起訴相当」との議決となった。起訴猶予処分となっていたが、市民感覚では許すまじということであろう。このさい元検事長には後学のためにも、臭いメシを食べることをお勧めしたい。


◎[参考動画]【ノーカット】安倍前総理 「桜を見る会」で記者会見(テレビ東京 2020年12月24日)

◆参加費補填(選挙民買収)は5600万円か?

いっぽう、補填額にも異論が出ている。5年間にわたり、800万円もの参加費補填とされているが、その額は5600万円にもおよぶとの指摘があるのだ。これは安倍を刑事告発した泉沢章弁護士らによるものだ(12月21日共同通信)。

すなわち、告発状を提出した泉沢章弁護士ら(1000人の弁護士)は、今回は15~19年分を対象とし、「補填は一切ないという安倍氏の国会答弁は虚偽だったことが明確になった。幕引きを許すべきではない」としている。ようするに、幕引き出来ないのだ。

第一秘書を人身御供的に辞職と罰金刑に終わらせても、安倍晋三が刑事訴追される余地を残している(検察審査会)ことにおいて、積年の政権私物化の罪業が追及されなければならない。

世論はもとより、マスコミも安倍訴追には積極的だ。政権寄りと評価されてきた八代英輝(TBSひるおび、元裁判官弁護士)ですら、「無罪相当でも、起訴して疑惑を問うことが必要ですよ」「嫌疑なしではなく嫌疑不十分であれば、立件できる証拠が足りないということ。国民に知らせる意味でも起訴すべきだ」「なぜ秘書にだけしか確認されていないのか。これだけの問題になっていることを、というところも含め、ご自身の口で語っていただきたいと思います」というありさまだ。


◎[参考動画]桜前夜祭で安倍前総理が陳謝“説明”は尽くされた?(ANN 2020年12月24日)

◆総選挙の年に、自民を悩ます安倍訴追

かつて、陸山会事件で政治資金規正法違反の共謀に問われた民主党の小沢一郎幹事長(当時)は2010年2月に不起訴となったが、その後に地獄が待っていた。小沢氏を告発した市民団体がこの審査に不服を訴え、4月には「起訴相当」の議決が出ているのだ。検察の再捜査後、同年5月に再び不起訴となるも、10月には検察審査会が2度目の起訴相当の議決を出し、翌年1月に小沢氏は強制起訴されたのだった。

来年は総選挙の年である。元総理の犯罪をめぐって、何度も検察審査会がひらかれ、そのうち一度や二度は起訴相当の決定がなされるはずだ。悪の所業の報いとはいえ、安倍のみならず自民党にとっても地獄のような年になると予告しておこう。


◎[参考動画]小沢氏無罪判決から一夜 再び党内抗争の兆し(ANN 2010年4月27日)

◆安倍の謝罪と弁明

いっぽう、国会の場で118回にわたり虚偽答弁を重ねてきたことは、刑事処分とは別物である。国会での虚偽答弁は、いわば国民に対してウソをついてきたことにほかならないからだ。

衆議院調査局によれば「安倍事務所の関与はない(参加者が支払った)」が70回、ホテルからの「明細書はない」が20回、そして「補填はしていない」が28回だという。

虚偽答弁問題の拡散に、さすがに自民党も安倍元総理への事情聴取に応じざるを得ない趨勢となり、25日の衆議院議運理事会での弁明(答弁に事実ではないことがあった、との弁明)となったものだ。

安倍の政策には全面的に賛意をしめす橋下徹は、関西テレビの番組で「議員辞職せざるをえない」「国会の場であれほどのウソがまかり通ったのだから、辞職しなければ国会が成立しない」「議員や大臣がウソばかりつくのでは、国権の最高機関が地に堕ちる」「ホテル側に電話一本いれれば、確認できていた話」と口をきわめて、安倍の居直りともいえる態度を批判した。これこそ正論であろう。


◎[参考動画]桜を見る会 安倍氏の国会答弁を振り返る(朝日新聞 2020年12月22日)

◆菅総理も同罪である

この「謝罪」を受けて、国会(予算委員会)の場で答弁をせまられるのは菅現総理である。

過去の国会答弁では、野党の「(菅)官房長官の答弁も虚偽答弁になるんですよ」という追及に、

「ドン!(答弁席のテーブルを叩く)わたしの答弁が、なぜ虚偽答弁なのですか?」と気色ばみ、さらにこう断言したのだ。

「わたしの答弁は総理の答弁で、(安倍)総理の答弁は正しい!」

いや、元総理が認めたとおり、答弁は虚偽だったのだ。相応の責任を取ってもらう以外にない。24日段階では「総理の言ったとおりを答弁した」「国民には申し訳ないが、他の政治家の事務所の話でもあり……」などと、開き直りの「謝罪」が行なわれたのだった。自分がどこで発言をしたのか、このトホホ総理はまるでわかっていないのだ。

そのうえで、桜を見る会の疑惑(総理が犯罪の看板に使われたなど)について、再調査するか、という質問には「国会できちんとした質疑答弁が行なわれた」ことを理由に、拒否したのである。虚偽の答弁がなされたことを、つい今しがた謝罪しておきながら、またも居直るのである。国会答弁ではまたもやトホホな答弁、秘書官メモにたよる光景が予想される。

そしてもうひとつ、今回のことで菅総理が狙っているものを指摘しておきたい。すなわち、Go Toキャンペーン中断で二階派の反発を買い、相対的に孤立化を深めている菅総理にとって、安倍晋三の再登板の画策をここで断っておきたいのだ。

その意味で桜を見る会疑惑は、政権基盤の脆弱な菅総理にとって両刃の刃でもあるのだ。みずからも傷つきながら、安倍再登板の芽をなくす。今回の安倍の弁明よりも、年明け国会(1月18日)での菅総理の安部への責任なすりつけという、醜怪なふるまいこそ見ものだと指摘しておこう。

◎[参考動画]「桜を見る会」で菅総理を追及 衆院予算委(テレビ東京 2020年11月25日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

眞子内親王は「国民」ではない! ── 生身の人間を「象徴」にする矛盾こそが、天皇制を崩壊させる 横山茂彦

11月の秋篠宮(皇嗣殿下)が「長女(眞子内親王)の結婚について、それを認めるのは憲法にもあり、親としても認めるべき」という発言によって、眞子内親王と小室圭氏の婚姻は事実上、皇室によって認められた。

と同時に、週刊誌による小室母子バッシングが百家争鳴といったありさまだ。小室家はけしからん、眞子さま(300円カレー、旧型パソコン)にくらべても贅沢(キャビアのパスタ)をしている。ほかにも900万円の借金がある。三菱東京UFJ銀行勤務時代に、書類の紛失を女性行員の責任にした。はては、眞子内親王の「秘密」を知っている(暴露する可能性がある)などと。

ここにこそ、生身の個人を「象徴」にいただく憲法第1条、戦後天皇制の矛盾が露呈し始めたというべきであろう。

かつて、眞子内親王と小室圭氏の婚約話が俎上にのぼったとき、宮内庁は以下の祝辞を、そのホームページに掲載したものだ。

「小室圭氏は、眞子内親王殿下のご結婚の相手にふさわしい誠に立派な方であり、本日お二方のご婚約がご内定になりましたことは、私どもにとりましても喜びに堪えないところでございます。この度のご婚約ご内定に当たり、お二方の末永いお幸せをお祈りいたします」

ところが今、宮内庁は定例記者会見で、小室圭氏に対して異例の「苦言」を呈しているのだ(西村泰彦長官、12月10日)。

「ご結婚に向けて説明をしていくことにより、批判に対して答えていけることになるのではないか」「説明責任を果たすべき方が果たしていくことが極めて重要だ」

この発言自体は、秋篠宮が11月の会見で、「実際に結婚するという段階になったら、もちろん、今までの経緯とかそういうことも含めてきちんと話すということは、私は大事なことだと思っています」と小室氏に説明を求めたことを、補完するものといえよう。

しかし、2017年の婚約内定まで、5年間という長い春をへてきた二人にとって、母親の借金問題(400万円)が、青天の霹靂であったことは自明であろう。本人ではなく母親の過去をほじくり出され、借金を背負った家庭の子は結婚できない、ということにほかならない。

いや、皇族の結婚は「普通の家庭」の問題ではない。と、天皇制を護持する人々は言う。そうであるならば、皇族は国民ではなく、したがって恋愛の自由はないのだと明言すればよいではないか。自民党の天皇制護持派は、実際にそう明言している。


◎[参考動画]宮内庁長官「小室さん側が説明責任果たすべき」(ANN 2020年12月10日)

◆やはり国民ではない皇族

こんどは自民党、伊吹文明元衆議院議長の「苦言」である。

「(秋篠宮の)父親としての娘に対する愛情と、皇嗣という者のお子様である者にかかってくるノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)としての行動と両方の間の、相剋のような、つらい立場に皇嗣殿下(秋篠宮)はあられるんだなと思った」
などと、秋篠宮の「苦渋」をおもんぱかりながら。かえす刀で、小室氏に「苦言」を呈するのだ。

「小室さんは週刊誌にいろいろ書かれる前に、やはり皇嗣殿下がおっしゃってるようなご説明を国民にしっかりとされて、そして国民の祝福の上に、ご結婚にならないといけないんじゃないか」

さらに伊吹文明は、法律論に踏み込んで、二人の結婚そのものに疑義をとなえる。
「国民の要件を定めている法律からすると、皇族方は、人間であられて、そして、大和民族・日本民族の1人であられて、さらに、日本国と日本国民の統合の象徴というお立場であるが、法律的には日本国民ではあられない」

皇族は日本人であるが、国民ではないと明言するのだ。だが、皇族が国民ではないことと、国民としての権利がないことは、果たして同じなのだろうか。

それは投票権や納税の義務などという、付加的な権利義務関係ではない。人間としての生存権にかかる婚姻。すなわち人間の尊厳にかかわることなのである。それをもって、憲法は国民の権利を「基本的人権」として、第一義に謳っているのだ。国民ではない者は、それでは人間ではないのか、と問い返してみることだ。

「眞子さまと小室圭さんの結婚等について、結婚は両性の合意であるとか、幸福の追求は基本的な権利であるとかいうことをマスコミがいろいろ書いているが、法的にはちょっと違う」

よくぞ言った、と評価しておこう。皇族には人間的な尊厳や基本的人権はない、と言っているのにひとしい。伊吹文明において、皇族は人間ではないのだ。


◎[参考動画]伊吹元衆院議長が小室圭さんに異例の苦言(FNN 2020年12月3日)

◆納采の儀と1億4000万円問題

けっきょく、秋篠宮の「婚約と結婚はちがいますから」という暗喩によって、宮内庁および自民党は小室家にたいして、謝金をチャラにしないと1億4000万円の一時金はとんでもない、と世論に訴えているのだ。国民的な合意が得られない、税金を使うのだから。という理屈で、象徴天皇制の矛盾を取り繕う。国民が祝福しない(と思う人によって)、その婚姻は不可能とされる。そんな人道にもとる不合理、人権侵害があるだろうか?

これまでに、皇籍離脱による一時金1億5000万円前後が、支払われなかった前例はない。じつは上記の秋篠宮発言も、単に婚約(納采の儀)と結婚という段階を追ってのものである。そこを見誤ると、とんでもない事態が生起するだろう。

眞子内親王において自主的に皇籍離脱して、恋のためにすべてを捨てる。ふたりが、いわば駆け落ち的な婚姻に至った場合、もはや皇室典範も象徴天皇制もガタガタになってしまう。一時金が宙に浮くはずはないのだから、祝福しない国民は皇室に「No!」を突き付けるのだろうか。今回の婚約問題は、そこまで根底的な内容をはらんでいるのだ。

かつて、大正天皇は女官(実質的な側室)を遠ざけ、昭和天皇は女官制度そのものを廃止した。そして平成天皇は「自由恋愛形式」の婚姻をして、教育も核家族的なもの(宮中にて皇子傅育)を採用した。秋篠宮に至っては、ほぼ出来ちゃった婚で、兄よりも先に結婚という暴挙。令和天皇もまた、自分の意志を貫いてエリート官僚と結婚した。男性皇族においては三笠宮寬仁親王のごとく、皇族としての制約を嫌って皇籍離脱発言した人物もいる。

いまや皇室の民主化・自由化が果てしなく旧来の天皇制を掘り崩し、新たな別物に変貌してゆくことを、国民的な議論をつうじて実現できる可能性が高まってきたと、結論しておこう。


◎[参考動画]「皇女」とは…皇室研究者に聞く(テレビ東京 2020年12月11日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

《書評》『NO NUKES voice』26号 松岡利康他「ふたたび、さらば反原連!」と富岡幸一郎×板坂剛の対談「三島死後五〇年、核と大衆の今」を読む

『紙の爆弾』も『NO NUKES voice』も、ほぼ毎回紹介記事を書かせていただいているが、提灯記事を書いても仕方がないので、すこしばかり批評を。なお、全体のコンテンツなどは、12月11日付の松岡代表の記事でお読みください。

 
『NO NUKES voice』Vol.26 《総力特集》2021年・大震災から10年 今こそ原点に還り〈原発なき社会〉の実現を

今号は、松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志の「ふたたび、さらば反原連! 反原連の『活動休止』について」と富岡幸一郎・板坂剛の対談「三島死後五〇年、核と大衆の今」がならび、ややきな臭い誌面になっている。くわえて、わたしの「追悼、中曽根康弘」、三上治の「政局もの」という具合に、反原発運動誌にしては暴露ものっぽい雰囲気だ。

運動誌の制約は、日時や場所が多少ちがっても、記事のテンションや論調がまったく同じになってしまうところにある。いまも出ている新左翼の機関紙を読めば一目瞭然だが、20年前の、いや30年も40年前の紙面とほとんど違いがない、意地のような「一貫性」がそこにある。これが運動誌の宿命であり、持続する運動の強さに担保されたものだ。

そのいっぽうでマンネリ化が避けられず、飽きられやすい誌面ともいえる。その意味では『NO NUKES voice』も、編集委員会の企画にかける苦労はひとしおではないだろう。

◆記事のおもしろさとは?

暴露雑誌も運動誌も、けっきょくはファクト(事実)の新鮮さ。あるいは解説のおもしろさ、言いかえれば文章のおもしろさだ。

たとえば新聞記事は事件の「事実」を挙げて、その「原因」「理由」を解説する。わかりやすさがその身上ということになる。したがって、事実ではない憶測や主張は極力ひかえられ、正確さが問われるのだ。新聞記事は、だから総じて面白くない。日々の情報をもとめる読者に向けて、見出しは公平性、解説はニュートラルなもの、一般的な社会常識に裏付けられたものが必要とされるのだ。

これに対して、週刊誌は見出しで誘う。新聞やネットニュースの速報性には敵わないが、事件を深堀することで読者の興味をあおる。そして文章においても、新聞記事とはぎゃくの方法を採ることになる。事実ではなく、憶測から入るのだ。事実ではなく、疑惑から入るのだ。文章構成をちょうど逆にしてしまえば、新聞記事と雑誌記事は似たようなものになる。

じっさいに、わたしが実話誌時代に先輩から教えられたことを紹介しておこう。ある事実をもとに、それが総理大臣の親しい人物の女性スキャンダルだったら、見出しは「驚愕の事実! 総理官邸で乱交パーティーか?」ということになる。女性スキャンダルにまみれた人物と総理の関係を書きたて、いかに総理の周辺にスキャンダラスな雰囲気があり、あたかも総理官邸でそのスキャンダルが起きたかのごとく、そしてそれが乱交パーティーではないかという噂をあおる。その噂は「情報筋」のものとされ、最後に事実(他誌の先行記事=多くの場合週刊誌)がそれを裏付ける。

わずかな煙で、あたかも大火災が起きたかのように書き立てるのだ。これをやったら新聞記者はクビになるが、実話誌の編集者(実話誌に記者などいません)は、その見出しの卓抜さをほめられる。もちろん嘘を書いているわけではない。

では、運動誌でそんなことをやってもいいのか、ということになる。ダメです。はったりの実話誌風の見出しは立てられませんし、噂だけで記事をつくるのは読者への裏切りになることでしょう。

だからといって、おもしろくないレポートを淡々と書いていれば良い、というわけでもない。とりわけ市民活動家の場合は、書くことに慣れてしまっているから、ぎゃくに文章を工夫しない癖がついている。できれば、わたしの実話誌崩れの悪文や板坂剛の破天荒な文章から、よいところだけ真似てほしいと思うこのごろだ。

それほど難しいことではない。たとえば「ところで」「じつは」「信じられないことだが」「あにはからんや」という反転導入で、読者を思いがけないところに連れてゆく。いつも読んでいる週刊誌のアンカーの手法を真似ればよいのだ。

◆反原連による大衆運動の放棄

記事の批評に入ろう。

松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志の反原連への批判、とくにその中途半端な活動停止宣言への批判は、いつもながら凄まじい。ひとつひとつが正論で、たとえばカネがなくなったから活動をやめるという彼らは、福島の人々の被災者をやめられない現実をどう考えるのか。あるいはなおざりな会計報告、警備警察との癒着という、市民運動にはあるまじき実態を、あますところなく暴露する。

これらのことは首都圏の運動世界では公然たる事実になっているが、全国の心ある反原発運動に取り組む人々に発信されるのは、非常にいいことであろう。少なくとも運動への批判、反批判は言論をつうじて行なわれるべきものであって、絶縁や義絶をもって関係を絶つことは、運動(対話)の放棄にほかならない。

松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志「ふたたび、さらば反原連! 反原連の『活動休止』について」(『NO NUKES voice』26号)

◆デマやガセこそが、仮説として研究を推進する

富岡浩一郎と板坂剛の対談「三島死後五十年、核と大衆の今」にある、25年ぶりの対談というのは、文中にあるとおり鈴木邦男をまじえたイベントいらいという意味である。

富岡幸一郎×板坂剛《対談》「三島死後五〇年、核と大衆の今」(『NO NUKES voice』26号)
 
三島由紀夫の割腹自殺を報じる1970年11月27日付けの夕刊フジ1面(板坂剛さん所蔵)

じつは当時、夏目書房から板坂剛が「極説・三島由紀夫」「真説・三島由紀夫」を上梓したことで、ロフトプラスワンでのイベントになったのである。板坂が日本刀を持参し、鈴木邦男の咽喉もとに突き付けて身動きさせないという、珍無類の鼎談になったものだ。

板坂は「噂の真相」誌でたびたび、三島由紀夫の記事を書いていたので、おもしろい! こいつはひとつ、本にしてみたら。というわけで、夏目社長とわたしが岡留安則さん(故人)に連絡先を訊き出し、初台にあったアルテフラメンコの事務所に板坂さん(このあたりは敬称で)を訪ねたのを憶えている。富岡さんはすでに関東学院大学の教授で、イベントそれ自体を引き締める役割だった。

今回の記事は、いまや鎌倉文学館の館長という栄えある役職にある富岡幸一郎が、三島研究においては独自の視角から、いわば暴露主義的な業績を積んできた板坂の投げかける警句に、やむをえず応じながらそれを諫めるという、妙味のあるものとなった。

たとえば、ノーベル賞作家川端康成の晩年には、いくつかの代筆説がある。在野の三島研究者・安藤武が唱えたものだが、「山の音」「古都」「千羽鶴」「眠れる美女」を代筆したのが、北条誠、澤野久雄、三島由紀夫だというのだ。当時、川端康成は睡眠薬中毒で、執筆どころではなかったと言われている。真相はどうなのだろうか?

注目すべきことに、いまや三島研究の権威ともいうべき富岡も「『古都』の最後はそうかもしれない」と、認めているのだ。ガセであれデマであれ、それが活字化されることで、本筋の研究者たちも目を皿にして「分析」したのであろう。それは真っ当な研究態度であり、作品研究とはそこまで踏み込むべきものである。あっぱれ!

わたしの「中曽根康弘・日本原子力政策の父の功罪」は、知識のある方ならご存じのことばかりだが、史料的に中曽根海軍主計少佐の従軍慰安所づくりは、ネトウヨの従軍慰安婦なかった論に対抗するネタとしてほしい。中曽根が原発計画を悔恨していたのも事実である。もって瞑目すべし。

富岡幸一郎さん(右)と板坂剛さん(左)(鎌倉文学館にて/撮影=大宮浩平)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
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“Go To 停止”発表直後に国民の血税で豪遊する菅義偉ポンコツ総理のトホホ晩餐会 ── 言行不一致の末、感染防止「勝負の3週間」の敗北が確定 横山茂彦

トホホである。国民には5人以上の会食を禁じていながら、みずからは連日5人以上で豪華な会食をくり返しているのだ。過去の話ではない、今日も明日も、このポンコツ総理は国民の血税で豪遊するつもりなのだ。

これで政権が宣言していた「勝負の3週間」は敗北した。ほかならぬ政権の責任者が国民に命じた禁止事項を犯すことで、感染者は最大値を記録し、敗北が明確になったのだ。


◎[参考動画]“GoTo停止”発表直後に・・・総理ら8人でステーキ会食(ANN 2020年12月16日)

とりあえず、12月14日夜のことを再確認しておこう。その愚行の、直接の原因も明確なのである。

Go Toトラベルの一時中止を宣言したあと、菅総理は二階派の幹部らの猛反発をうけたという。

「Go Toトラベルがどれだけ旅行業界に寄与していたのが、菅首相はわかっているのか。救われた旅行業界、ホテル、お土産店、交通関連の会社などがどれだけあるのか知っているのか。それも一番の稼ぎ時、年末年始には全国で停止。どれだけ多くの人が頭を抱えているのかわかっているのか。中止なら、業界への金銭的支援策とセットでやるべきだ。なんのバックアップも発表せずに、中止だなんて、二階幹事長の顔に泥を塗るようなものだ。『誰のおかげで総理になれたんだ』『もう次はないぞ』と派閥から強硬意見も飛び出した」(二階派幹部の言葉、週刊朝日取材班)。

これはもう、猛反発といえるだろう。

したがって、二階俊博がセッティングしたステーキパーティー(政権幹部のほか、杉良太郎、王貞治、みのもんたらが参加)に、参加しない選択肢はなかったのである。

この夜、ホテルニューオータニで財界人(青木拡憲AOKIホールディングス会長ら15人)との会合のあと、報道陣を従えながら銀座のステーキ店に向かったのだった。そこで40分、ステーキコースを堪能したらしい。一人あたり7万円といわれる会食をすることで、国民への訴えをみずから反故にしたのである。

「5人以上はダメ」と国民に訴えていた西村コロナ対策大臣は、国会で「一律に5人以上はダメということではない」などと、苦しい答弁を余儀なくされた。

いや、そもそも菅総理の密会合は、毎朝の番記者たちとの朝食に始まり、夜は深夜にもおよぶ5人以上の会食で埋め尽くされているという。コロナ感染者数が最高に達し、重症率・死亡率が高水準に達している認識が、この男にはつゆほどもないのだ。


◎[参考動画]“勝負の3週間経過”“ステーキ会食”受け菅総理(ANN 2020年12月16日)

◆Go To中止を躊躇した理由

Go To トラベルについての、分科会での専門家提言と菅総理の認識は真逆である。「移動することで感染が拡大するエビデンスはない」というのは、いうまでもなく「感染しない」というエビデンスも存在しない。すなわち、感染経路の不明が過半数をこえる実態を踏まえたものではない。

そもそもGo To事業の公募期間は、5月25日から6月8日までのわずか2週間弱しかなかった。このことは、全国を対象とする大規模な事業であるため、事前に周到な準備がなされていたはずである。そしてこの事業を引き受けたのは、持続化給付金事業にも関わっている大手広告代理店などが出資する会社だったのだ。その意味では、Go Toは観光業界、飲食業界への経済刺激である以前に、政財界を巻き込んだ利権構造だったのだ。なぜGo Toを止めないのか、国民が抱いていた疑問の先には、利権政治があったのだ。


◎[参考動画]菅総理 ネット番組の発言から一転“GoTo”見直しへ(ANN 2020年12月14日)

◆ジリ貧の支持率とポンコツ答弁

12日には毎日新聞と社会調査研究センターが、全国世論調査を実施している。菅内閣の支持率は40%で、11月7日に行った前回調査の57%から17ポイント下落したという。不支持率は49%(前回36%)で、菅内閣発足後、不支持率が支持率を上回ったのは初めてだ。

政党支持率は、自民党が33%で前回の37%より低下した。
立憲民主党12%(前回11%)
日本維新の会8%(同6%)
共産党6%(同5%)
公明党3%(同4%)
れいわ新選組2%(同3%)
国民民主党1%(同1%)
社民党1%(同0%)
NHKから国民を守る党1%(同1%)
「支持政党はない」と答えた無党派層は31%(同31%)だった。

就任当初からの学術会議への政治介入、国会では秘書官のメモ抜きには答弁できないポンコツさ、そしてGo To継続による感染率の増大。いや、無策というべきであろう。とりわけ、ほとんど自分だけでは記者会見できない、政治家としても無理なのではないかと思われるポンコツぶりは、ひろく国民も知るようになってしまった。

たとえば12月4日に、総理就任後2カ月半ぶりの記者会見を行なった。2カ月半も、国会答弁は別として国民から逃げ回っていた人物に、総理という資格があるものだろうか。

そしてその会見は、当日の朝9時半に各報道機関への告知と受付がはじまり、締め切りが2時間後の11時半。つまり、官邸記者クラブいがいは事前に準備していなければ参加できない、ほぼ身内の会見だったのだ。総理がパンケーキで手なづけている記者クラブ以外、フリーの記者は抽選による参加である。

しかもその会見の態様が、記者クラブのよる出来レースだったのだ。事前に官邸広報から「訊きたいことはありますか。ご興味があるテーマは?」などと各社に打診があり、それに応じた社から質問が許されるという、およそ官製会見ともいうべきもので、菅総理はひたすら事前に用意したメモを朗読するのだ。これほど答弁応力がないのは、鈴木善幸総理(寝業師で、表に出る人物ではなかったと評されている)以来ではないか。

じっさいに、フリーの立場で質問ができたのは安積明子だけだった。その安積なる人物は『野党共闘(泣)。―学習しない民進党に待ち受ける真っ暗な未来―』『“小池”にはまって、さあ大変! ―「希望の党」の凋落と突然の代表辞任―』などの著書で、ほぼ一貫して野党叩きの立場で自民党を応援している「政治ジャーナリスト」なのである。

いま、医療関係者は春以来の激務に疲れ、医療施設そのものがコロナ患者の受け入れによって経営的にも疲弊している。医師、看護師は家族以外との接触を禁じられ、複数人での会食などもってのほかとされている。その精神的、肉体的な疲労困憊は想像以上のものがあるだろう。そんな国家国民が危急存亡のときに、みずから国民に禁じた5人以上の会食を、夜な夜な行なっている政権責任者に、その資格があるのだろうか。


◎[参考動画]菅首相×有働「8人で会食」ナゼ? “新型コロナ”全部聞く(日テレNEWS 2020年12月16日放送「news zero」より)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他

自動車社会に警鐘を鳴らす二つの暴走老人裁判の行方 ── 元東京地検特捜部長の石川達紘被告と元通産官僚の飯塚幸三被告

◆コンピュータは「絶対ではない」と強調──石川達紘被告

11月26日、暴走死亡事故の被告・石川達紘被告(81歳・弁護士・元東京地検特捜部長)の裁判が大詰めを迎え、最終意見陳述が行われた。起訴内容は自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)である。

石川達紘被告

その陳述の中で、石川被告はこう述べた。

「若い頃、ロッキード事件がありまして──」

事件とは無関係のことだが、さらに裁判長に向かって、こうつづけた。

「『新しい飛行機は不具合が生じる』『コンピューターは絶対ではない。最後は人が操作するのだ』と聞いた。釈迦に説法ですが、そのことを申し上げたい」

周知のとおり、ロッキード事件は石川被告が若いころに捜査にかかわった事件である。その「業績」を裁判長におもんぱからせながら、コンピュータは絶対ではないと強調したのである。

石川被告の事件後の言動を再録しておこう。

「はやくここから俺を出せ!」※通行人に向かって、被害者(死亡)を気遣うこともなく、自分の救出を命じたのだ。その上級国民ぶりはすごい。

そして、「車に不具合があり勝手に暴走した。(石川の)過失はなかった」「自分ではなくクルマが悪い(故障した)」と、今日まで明言している。事件の日、石川は若い美女とゴルフに行く途中だった。

◆被害者遺族への謝罪なし──飯塚幸三被告

12月3日、暴走事故で9人を死傷させた(死者2名)被告・飯塚幸三の裁判も、証人調べの段階に入った。この日は現場に居合わせた3人のドライバーが証言台に立ち、飯塚被告のクルマが「加速していった」「ブレーキランプは点いていなかった」と、それぞれ証言した。3人は飯塚被告のすぐ後ろを走っていた証人である。警察の実況検分でも、ブレーキ痕はなかったことが確認されている。

飯塚被告の事件後の言動も再録しておこう。

「アクセルがもどらなかった」「フレンチ(食事の予約時間)に遅れるから急いだ」「メーカーは老人が安全に乗れる自動車を造るよう、心がけてほしい」
であった。

3人の証人の証言が明らかになった公判後、松永真菜さん(当時31)と長女・莉子ちゃん(当時3)を亡くした遺族の松永拓也さんは、報道陣の取材にこう答えている。

「あくまで私の印象ですが。最初は(飯塚被告が)私の方を見ているのかなと感じました。ただ、現場の状況を示す地図がモニターに映った時だけ顔を上げていました。この方は私を見るのではなく、おそらくこの事故が自分に有利になるには(どうすればよいか)ということ、自分の裁判の行方に頭を巡らせていたのではないかと感じました。モニターから地図が消えた時には目を伏せていました」

「前回(10月8日)の初公判では、私の調書が読み上げられた時には一度も顔を上げませんでした。今日は地図が出た時には顔を上げていました」

「この方は私たち遺族のことは頭にないんだなと思いました。(遺族の顔を)見られないというのもあるかもしれませんが」

 と、被告と心が通じないもどかしさを語った。

「私は裁判前からずっと、2人の命と私たち遺族の無念と向き合ってほしいと言い続けていますが、現在もそれは感じられません。私も残念です」

「淡々と自分の裁判をこなしているような印象を受けてしまいます。入廷時、退廷時も目線を合わせることはありませんでした」

そして、証言についてはこう語ったという。

「証言してくださった方々の言葉は非常に重いものでした」

被告の無理な運転で亡くなられた犠牲者、被害者遺族の思いを考えると、暗澹たる気分になる。飯塚被告は、松永さんに正式な謝罪もしていないのだ。自分の責任ではないのだから、当然だと考えているのだろうか。


◎[参考動画]池袋事故裁判 後続ドライバーが語る事故の衝撃(TV東京 2020年12月4日)

◆オートマのミッション故障は起きるのか?

ふたつの裁判の争点は、石川被告と飯塚被告が、ともに「アクセルがもどらず、ブレーキが効かなかった」「オートマチック(コンピュータ)の故障ではないか」と主張しているところにある。それでは、じっさいにギアミッションのコンピュータは故障するものなのだろうか?

踏み間違いではない、オートマギアの故障による事故は起きていない。正確に言えば、これまでに立証されていない。だが、理論的にはありうるという。

ガソリンエンジンの自動車の場合、ブレーキのパワーアシストは吸気ポートの負荷サーボであるという。ブレーキそのものがパワーブレーキなのである。

何らかの原因でエンジンが全開になった場合、この吸気ポートの負荷が発生しなくなるという。したがって、ブレーキの踏み込みがかなり重くなるはずだというのだ。

ここでいう「何らかの原因でエンジンが全開になる」という状態は、どういうケースなのだろうか。この点について、専門家に意見を訊いてみた。

コンピュータ式のギアミッションに可能性があるとすれば、コンピュータに激しい電磁波を当てるとか、クルマが被雷する(ゴムタイヤのクルマは通電しないので、被雷もしない)。ようするにコンピュータを電気的に破壊することでしか生じないというのだ。あるいは、数十万キロ走ったり、完全に機械的に壊れた結果(廃車状態)なら、何が起きても不思議ではないが、そもそも車検に通らないだろうという。それゆりも先に、シフトレバーがスライドしなくなったり、固定できなくなったりするという。そういう例は、わたしも知人のクルマで知っている。経年劣化による部品の故障である。

だが、そもそも一件でも車検OKのクルマで、オートマのギアミッション事故が起きていれば、その車種がリコールされるどころではないだろう。クルマ社会が成立しないはずだ。その意味では、石川被告と飯塚被告の主張が立証された場合、交通史を根底から変えるほどの事件となるはずなのだ。ぎゃくに言えば、かぎりなく立証不可能に近い。

直近のものではないが、関連する事故統計があるので確認しておこう。

警察庁の統計によると、2015年(平成27年)の日本国内でのブレーキとアクセルの踏み間違いによる死亡事故は58件だという。そのうち65歳以上の高齢ドライバーが50件である。

2013年(平成25年)の統計でも、ブレーキペダルとアクセルペダルの踏み間違いによる人身事故は6,448件発生し、死者は54人であったという。いずれもオートマ車による踏み違い事故である。

これに対して、マニュアル車の踏み違い事故はゼロである。したがって死者もゼロである。この統計を見るならば、オートマ車そのものが「踏み間違いを誘引する」不良車ということになるのだろう。

◆自動車社会を変える裁判になるか?

やや論点はちがうが、自動車社会そのものが危険だと、わたしは警鐘を鳴らしてきた。50歳代に自動車運転の危険性を直感し、わたしは自転車に乗り換えた。地球環境と健康という、今世紀の人類が見出した価値観に視点を合わせると、自動車こそ最悪の選択で、自転車こそ時代のニーズにかなっていると考えるからだ。

モータリゼーションそのものが危険きわまりない社会システムであり、ましてや運動能力と判断力の低下した80歳以上がドライブをする危険性を指摘した記事を、お時間がある時に参照してほしい。

『元東京地検特捜部長の石川達紘被告と元通産官僚の飯塚幸三被告 「上級国民」自動車事故裁判で「悪いのは自動車メーカー」か「逮捕されない叙勲者」たちか?』(2020年2月26日)

ふたつの裁判は、自動車資本主義という20世紀の遺物を批判するものでもあると思う。そして同時にそれは、上級国民という日本社会のひずみを暴くものでもある。かたや検察のエリートとして辣腕をふるい、かたや通産官僚として霞が関に君臨してきた。ふたりとも叙勲を受けた選良であり、逮捕すらまぬがれた上級国民なのである。裁判のゆくえに注目したい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他

天皇制はどこからやって来たのか〈22〉近世・近代の天皇たち ── 1868年の天皇と皇帝 家康がしかけた東武皇帝日光宮

明治元年(1868年)のニューヨークタイムスは「北部日本が新しい帝を選んだので、現在の日本には二人の帝がいる」(10月18日)と報じている。根拠のない報道ではない。この「北部日本」とは言うまでもなく、徳川家主戦派を中心とする奥羽列藩同盟である。

1月の徳川慶喜追討令によって、賊軍とされた徳川家が帝としたのは東武皇帝、すなわち日光輪王寺能久親王(日光宮)だった。天下にふたりの天皇が並び立ったのである。国を二分する勢力が両帝をいただくのは、南北朝時代いらいのことである。

この日光宮能久親王は、伏見宮家の邦家親王の第九子である。日光宮とは、家康存命時の幕府黎明期に、後水尾天皇の第三子・守澄法親王が輪王寺の門跡となっていらい、東叡山寛永寺に従待してきた宮家である。徳川家が朝敵にされた場合のことを考えて、家康は皇室の血脈を確保していたのだ、徳川家の行く末をみすえた家康の深謀遠慮が、かたちの上では実ったことになる。もとは天海大僧正の献策であったという。

当初、日光宮能久親王の役割は、寛永寺に謹慎中の徳川慶喜を助命することだった。3月に官軍が駐屯する駿府におもむいて、東征大総督の有栖川熾仁親王・西郷隆盛らと面談したが、慶喜の助命こそ容れられたが、東征の中止は拒否されている。京都にいき参内する希望も拒否された。

もともと、薩長には徳川家を赦免する気などなかった。孝明天皇が徳川中心の攘夷を構想し、越前の山内容堂が道すじをつくった公議政体(天皇を元首に、徳川家を首班とする連合政権)も、薩長の徳川打倒の念願のまえには形をなさなかった。すでに王政復古のクーデター(小御所会議)が決行され、16歳の天皇や公卿の意志とは無関係に、徳川討伐は進行していたのである。

東北方面ではさしあたり、京都所司代を藩主松平容保が務めていた会津藩、および江戸警護役を務めた庄内藩の処分が問題となった。新撰組(会津藩管理下)および新徴組(庄内藩)の京都・江戸市中での乱暴が問題とされたのだ。そして当然のことながら、東北におけるこの問題の政治調停(仙台藩の斡旋)は不調に終わる。薩長軍には最初から和平の発想はなかったのだ。

たとえば長州の奇兵隊出身の参謀・世良修蔵(もとは周防島の農民)などは、仙台藩主伊達慶邦を罵倒して会津攻めを強要し、そこに交渉の余地はなかった。これを奥羽諸藩の藩士たちは「官軍とは名ばかりで、草賊の酋長である」と評したという。その後、東北諸藩は敵であるという密書が見つかったことから、世良は仙台藩士に斬殺されている。それというのも、わが国に共通語のなかった当時のことである。長州人と東北人の交渉ごとでは、ほとんど会話にならなかったのではないかと推察される。

いずれにしても薩長の会津征伐は既定方針であり、調停に行き詰まった奥羽各藩は4月にいたって建白書と盟約書を起草し、5月には31藩からなる奥羽越列藩同盟が成立した。東北地方がまるっと、新政府に叛旗をひるがえしたのである。追い詰められた鼠が、猫に牙を剥いたのである。

そのころ日光宮能久親王は江戸にあって、薩長軍と彰義隊(幕府残党)の上野戦争をまぢかに観戦していた。合戦は十時間ほどで彰義隊の敗北となり、いよいよ寛永寺の黒門が破られる。薩長軍が乱入するその寸前に、日光宮は浅草にのがれていた。その後、幕府軍艦の長鯨丸で仙台にいたり、「御所」のある白石城に入った。
仙台藩士の佐藤信(赤痢菌発見者・志賀潔の実父)が記録した「戊辰紀事」には「錦旗を青天に飄し、仇討ちし恥辱をそそぎすみやかに仏敵、朝敵を退治したいと思う」との、日光宮の書き置きが記されている。

◆なぜ天皇ではなく、皇帝だったのか

日光宮が皇帝として即位したのは、この年の6月15日である。家康の思惑どおり、徳川家を護る帝となったのである。

「東武皇帝閣僚名簿」には「東武皇帝諱睦運(むつとき)」とある。即位とともに、元号は「慶応四年(明治元年)」から「大政元年」に改元された。これらの史実は「蜂須賀家史料」「旧仙台藩士資料」「菊池容斎史料」などに明らかで、法制史家の瀧川政二郎(法博)が最初に発表したものである(昭和25年「日本歴史解禁」)。

日光宮東武皇帝は7月に入ると、「世情静謐天下泰平」の祈祷をおこない、仙台城で令旨を発する。

「賊は久しく兇悪を懐き残暴をほしいままにしている。大義を明らかにして、これを遠近の各方面に説いて回り、あらゆる力を尽くし、速やかに兇逆の主魁を滅ぼし、それをもって上は幼主の憂悩を解放し、下は百姓の塗炭を救うべきである」などと。

しかるに令旨には「幼主」とあり、奥羽越公議府が「日光宮は今上の叔父である」と海外諸国への令旨で公言したとおり、正統の帝を名乗ってはいない。皇帝として皇位を主張するならば、京都の帝(明治天皇)は廃帝とするべきではなかったか。

奥羽越列藩同盟が瓦解への道をあゆむのは、この不徹底によるものだった。令旨が発せられた7月には、はやくも秋田藩が同盟から脱落した。もともと秋田藩は関ヶ原の合戦において、上杉氏に内応していた疑いから、茨城の地から移封された佐竹氏である。薩長両藩とおなじく、徳川打倒の念願がその底流にあった。

秋田藩兵が仙台勢を襲撃した翌日には、弘前藩が同盟から離脱した。8月に入ると、仙台藩の内部も「抗戦派」と「降伏派」に分裂し、九月にはあっけなく降伏した。徹底抗戦した会津若松城も九月には落城。月末までには、優勢だった庄内藩も降伏した。

北白川宮能久親王

さて、東武皇帝はどうなったか。彼は京都伏見宮邸に謹慎させられていた。翌々年、罪をゆるされてドイツに留学。帰朝ののちは、亡き弟が継いでいた北白川宮を相続し、北白川宮能久親王として新政府に迎えられた。宮様将軍である。明治28年には台湾におもむき、台湾征討近衛師団を指揮したが、マラリアを罹患して薨去、享年48であった。贈陸軍大将。

それにしても、いったんは皇帝を名乗り令旨を発した者に、何とも寛大な処置である。同時代の世界では、67年にメキシコ皇帝マキシミリアン一世が、軍の反乱で銃殺されている。68年にはスペイン女王イザベル二世が、やはり軍部の反乱でフランスに亡命。レオポルト・ホーフェンツォレルコのスペイン王位継承をめぐり、プロイセンとナポレオン三世が対立し、70年に普仏戦争に発展している。ために、ルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)はプロイセン軍の捕虜になっている。

ヨーロッパ・ハプスブルク家の王権支配をめぐって、あるいはパリコミューンのプロレタリア革命の胎動によって、かの地は激動期を迎えていたのだ。アメリカもまた、血で血を洗う南北戦争のさなかだった。

ところが、日本では旧政権たる徳川慶喜は殺されなかったし、徳川家にくみした東武皇帝も朝廷に迎え入れられたのだ。なんと穏和的で、親和性のある政治風土であろうか。ただし、下々の者たちが悲惨な末期をあゆんだのは史実である。明治維新が「血の革命」であるのは、まごうことなき事実だ。

ところで、孝明天皇に暗殺説があるように、幕末のわが朝の政局も穏やかならぬシーンをくぐっている。明治天皇が殺されたという説があるのをご存知だろうか。歴史マニアでも一笑に付せないのが、この暗殺説の厄介なところだ。

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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菅義偉政権が推し進めるマイナンバー制度強行普及の不気味 国民ナンバリングこそが独裁権力の本質である 横山茂彦

メディアが報じるところから紹介しておこう。

「マイナンバーカードの普及促進に向けて、総務省はカードを取得していないおよそ8000万人を対象に、スマートフォンで申請ができるQRコードがついた申請書の発送を28日から始めることになった」

「マイナンバーカードの普及率は、11月25日時点で22.8%にとどまっているが、政府は令和4年度末までにほぼすべての国民に行き渡るようにする目標を掲げている」という。

QRカードで釣ると言っても、そもそもスマートフォンの普及率が66%程度ではないのか?

「武田総務大臣は、閣議のあとの記者会見で、まだカードを取得していないおよそ8000万人を対象に、28日から申請書の発送を順次始めることを発表した」

8割近くが「面倒くさい」「政府の情報管理能力に疑問」を感じている事案を、なんだか強権的にクリアできると思っているかのようだ。

中小企業・個人事業主への「維持化給付金」の未支給、GoToキャンペーンの不正使用など、デジタル化がらみのトンネル会社(大手広告代理店への外注丸投げ)、国民の半数以上が恩恵に預かれないシステムへの不信。いや、パソコンやスマホを使えない人々には無縁なサービスをもって、何とかなると思い込んでいるところに、ネット社会の現実を知らない菅義偉総理のおめでたさがあると指摘する必要があるだろう。


◎[参考動画]武田総務大臣 記者会見(総務省 2020/11/27)

◆なぜ管理したがるのか?

古い世代には、懐かしい言葉かもしれない。国民総背番号制という言葉である。現在の行政言葉では国民識別番号、具体的に進行しているのは「マイナンバー(個人番号)」という。

古くは1970年に第3次佐藤栄作内閣が「各省庁統一コード連絡研究連絡会議」を設置して省庁統一個人コードの研究を行い、1975年の導入を目指したが、議論が頓挫した経緯がある。以後、各省庁ごとに行政上の国民のナンバリングは以下のジャンルで行なわれてきた。

○基礎年金番号=20歳以上。数字10桁。(厚労省)※年金手帳の統一
○健康保険被保険者番号=国民全員(扶養家族ふくむ)数字6桁か8桁。(々)
○日本国旅券(パスポート)番=任意。9文字。アルファベット2文字と数字7桁。(外務省)
○納税者の整理番号(旧:法源番号)=納税者。数字8桁。(財務省国税局)
○運転免許証番号=16歳以上の資格者。数字12桁。(自治体公安委員会)
○住民票コード=数字11桁。(自治体)
○雇用保険被保険者番号=数字11桁。(厚労省)

以上の数字はそれぞれバラバラで、相互に関連付けがされていない。とくに納税(所得税・住民税)において、管理できていないのではないかと、国家は常に国民の隠し資産に疑惑を抱いているのだ。国民を番号で管理したい。それは国家の本質といえよう。

そしてNHK視聴料(1割以上が未契約)の強制契約のために、これはもっぱらNHK独自の利害から、自治体(およびメーカー、販売店)へのテレビ購入者の住民識別を徹底するというものだ(政府関係に反対多数)。

戦後日本は多元的な民主国家であり、たとえば自治組織の末端である町会(自治会)や共同住宅の管理組合にも、その参加は基本的に任意(罰則がない)である。とりわけ都市住民という、資本主義のもとでアトム化された匿名的な存在は、表札すら出さないことが多い。共同住宅では、部屋番号という匿名性が担保されているからだ。

したがって、戦後の日本において高度管理システムを可能にするコンピュータが完備されているにもかかわらず、総背番号制は実現しなかった。デジタル化が進まない各省庁の無能はさておこう。

住基ネット、グリーンカード、マイナンバーと名を変えても、それは実現できなかった。ここに筆者は権力の支配をきらう日本人の特性を、たとえば江戸幕府の華美禁止令にたいして刺青(衣服の下の美装)を彫った町奴いらいの反骨精神を感じてきた。それゆえに国民はネットで支配されず、台湾や韓国のように戦時体制的なコロナ防疫ができなかった。防疫よりも個人主義が優先されたのである。それはそれで、健全なことなのだ。

◆菅義偉の個別政策論

だがいま、陰湿な権力欲にとらわれたある政治家の発議で、ふたたび総背番号制の野望がうごめいている。その政治家とは、わが菅義偉総理のことである。

なかば手弁当で研究者たちが参集する日本学術会議を既得権団体と見誤り、実効性のうたがわしい携帯電話料金の低減をメーカーに強い、GoToキャンペーンなる「コロナ感染拡散政策」に執着する菅義偉総理。この個別政策論は、みずからが官房長官をつとめた安倍政権末期に、配られないアベノマスク、不良品のマスクの失敗と同じ道をたどるであろう。大局観なき政治構想は、貧弱な個別政策の破綻をたどるしかないのだ。その予感が焦燥として顕われている。

そこで、背水の陣を敷いて取り組もうとしているのが、マイナンバーの健康保険証との関連付けなのである。国民がもっとも必要不可欠とし、皆保険という制度上の特質に目を付け、2年後までの実現を期すとしている。

50年間できなかったことを、自分の代で実現するという。それは安倍政権が「憲法改憲をわたしの代で」という大言壮語に比べれば、いかにもスケール感がない。とはいえ、健康保険証は所得税に対して算出される、いわば間接の申告制である。所得がない場合は、扶養家族としての登録になる。

ここにマイナンバーカードをもって申告しろというのなら、健康保険証が発行されない場合をも想定しているのだろうか。保険証が欲しいのなら、カードの発行手続きを取れと? この国民への挑戦は、大いに見ものである。これから先の日本が右へ倣えの統制国家になるのか、それとも国家の必要すら感じなくなる国民の「自助」が新たな何かを見出すのか。結果を注視したい。


◎[参考動画]臨時国会が会期末 菅首相がようやく2回目の会見(TOKYO MX 2020/12/04)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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◆北海道の「核廃棄物」動乱

 
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横田一は北海道寿都町の「核のごみ処分場反対住民の反転攻勢」をレポートする。反対派「町民の会」の講演会に、小泉純一郎元総理が講演者として来町。その講演会に「勉強のために」参加するはずだった片岡町長はドタキャンしたのだった。

11月13日には臨時町議会で、住民投票条例の審議と採決が行われ、賛成と反対が4対4。議長採決で否決された。反対派住民と町長・町議会の対話は閉ざされたのである。住民の意見を聞かない行政には、地方自治体法違反の可能性が高いと、横田は指摘する。

ところで、問題なのは鈴木直道北海道知事の動向である。コロナ防疫については早期に緊急事態宣言を発し、親分にあたる菅義偉のGoToキャンペーンにも異を唱えるなど、硬骨漢ぶりを発揮している若き鈴木知事も、この問題では弱腰である。法政大学の後輩で、菅義偉に太いパイプを持っているのだから、もっと存在感を発揮して欲しいものだ。町レベルでは町長リコールの動きも活発だという。今後も横田のリポートに注視したい。

◆ポンコツ答弁の「影」を暴け!

喉頭がんによって喋る力を失った浅野健一は、しかし健在である。菅義偉総理のポンコツ答弁をささえる、背後で動かす「影」を実名報道せよ! というものだ。

浅野は詳細に記者会見、およびぶら下がり取材(菅の官邸はこれを記者会見というらしい!)を検証しているが、国会答弁でのポンコツぶりは国民を唖然とさせるものだった。

およそそれは、必要な予習をしてこなかったばかりか、宿題を忘れた劣等生が困り果て、優等生(秘書官)のメモで答弁するという珍無類の光景だった。さんざん指摘してきたとおり、安倍晋三ほどの演説力(関係のないことを、延々と喋る能力=じつは、これが政治家の真骨頂である)がない菅総理において、秘書官の機敏な動きは不可欠なのである。サブタイトルの「自助で国会答弁できない菅首相」とは、言いえて妙である。

「学術会議などでの菅首相の国会での答弁は見ていて哀れだ。活舌も悪く、安倍前首相のほうがまともに感じられるほどだ」(記事中)。まったく同感である。

菅総理の秘書官は、新田章文という筆頭秘書官(菅事務所)のほかは、いまだ氏名不詳であるという。この「影」を暴くことこそ、われわれの当面の任務ではないだろうか。

◆注目のレポート記事

現地ルポは、西谷文和の「中村哲さん殺害から一年 なぜアフガニスタンの戦争は終わらないのか」である。中村哲の思い出のいっぽうで、変わらないアフガン。いや、ますます罪のない子供たちに犠牲を強いるアフガンの現実。憤りと涙なくしては読めない。

黒薮哲也の「日本禁煙学会が関与した巨額訴訟の行方」は興味ぶかく読めた。団地の住民が、タバコの副流煙で損害賠償を提訴した事件のレポートだ。筆者も十数年前にタバコをやめ、マンション暮らしゆえにベランダでの喫煙で隣人と軋轢があった(話し合いで解決)。集合住宅での喫煙・副流煙問題は当事者(喫煙者にも、非喫煙者にも)には深刻な問題だ。

今回のレポートでは、日本禁煙学会の理事長が関与した杜撰な提訴に、裁判所が被告(喫煙者)と原告の被害に関連性なしと判決。それを受けて、被告側が訴訟による被害を反訴したものだ。隣人訴訟に圧力団体が関与した例として、今後の展開が注目される。

近藤真彦への不倫処分と紅白私物化の、ジャニーズ事務所の実態を暴露するのは、本誌芸能取材班。NHK「あさイチ」とジャニーズの関係(ネックは視聴率)が興味ぶかい。

◆拙稿、朝田理論の検証について

手前みそだが、紙爆9月号の「士農工商ルポライター稼業」について、わたしの意見を掲載していただいたので紹介しよう。

本通信(11月12日および11月17日)では、井上清の『部落の歴史と解放理論』の検証、とりわけ部落差別の三位一体論(部落差別の存在・地域差別・職業差別)の妥当性を論じてみた。

歴史検証としては、井上清の論考が果たした役割が大きく、その検証が今日的にふさわしいからだ。

紙爆1月号の記事では、黒薮哲哉さんの12月号の論考に対する見解、および解放同盟の朝田善之助さんの「朝田理論」を検証してみた。

論点はいくつかあるが、まずは現在の日本社会が差別社会かどうか、差別の存否から議論しなければならないであろうこと。そのうえで、差別かどうかは部落民が決めるという朝田理論の時代性、糾弾権の問題などである。このあたりは、本通信の松岡利康の経験的な見解も併せてお読みいただきたい。時代とともに。解放同盟も変っているはずなのだから。

いずれの拙論においても、結婚差別が現代に残された最も深刻で、かつ「解消」という新たな問題をはらんだものと考えている。鹿砦社が解放同盟中央本部と議論する過程で、この論点をともに検証したいと考えている。それが70年代の苛烈な部落解放運動を、その末端で支持・共闘してきた者としての役割だと考えるからである。
ほかにも興味を惹かれる記事満載、買って損はしない「紙爆」年末号である。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他

なぜか捜査を受けない竹中平蔵の脱税疑惑 ── 持続化給付金と規制緩和の利益誘導で私腹を肥やす? 横山茂彦

新自由主義のミスリーダー、竹中平蔵の利益供与、脱税疑惑が再燃している。

竹中は小渕内閣の経済戦略会議に参画して以降、森内閣でのIT戦略会議、小泉政権では経済財政政策担当大臣と金融担当大臣兼任するなど、いわゆる構造改革・新自由主義の旗振り役として政権の一端をになってきた。安倍政権下においても、ブレーンとして重きをなしてきた。その「業績」は郵政民営化、および格差を拡大した「労働ビックバン」であった。

あの郵政民営化の成果は、違法な保険商品勧誘やマスクも満足に届けられない配達システムの崩壊であった。労働ビックバンにおいては、満足な保証のない派遣労働者の増加をもたらしただけである。国民にふたつの不満をもたらしたのだ。

とりわけ労働ビックバンは、「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」というマーガレット・サッチャーの思想を援用して「高い所得を得ている人がいること自体は解決すべき問題ではなく、努力しても貧しい人たちに社会的救済が必要である」と言いながら雇用問題にすり替えたのである。そこで示した「正社員をなくせばいい」という発言は、わが国の経済不況の核心部、購買力の低下・消費の低迷をもたらした。


◎[参考動画]”日本版オランダ革命”に取り組め/同一労働同一賃金(竹中平蔵のポリシー・スクール 日本経済研究センター2009年)

◆浅薄な経済理解による経済崩壊

 
堀江貴文+竹中平蔵『竹中先生、「お金」について本音を話していいですか?』(ワニブックス 2015/2/27)

「格差が問題なのではなく、貧困論を政策の対象にすべき」としてきた結果は、中間層までも不安定な雇用関係に陥らせる格差の拡大、大企業の内部留保(500兆円)だった。いまや、消費の低下が国民経済を最悪のところまで至らせている元凶となるものが、この竹中による構造改革・労働政策だったというほかにない。

その竹中平蔵がいままた、菅政権の中心的なブレーンとして成長戦略会議に参画している。社会保障を切り捨てる、一知半解のベーシックインカムを提言して反発を買ったのは既報のとおりだ。「とんでもないことをするかも内閣 菅政権の発想が浅薄すぎる件について」(本通信2020年10月27日)を参照。

上記のような雇用の構造改革、派遣労働の法的整備のなかで、ほかならぬ推進役の竹中平蔵が、派遣会社パソナグループ(傘下に70社をかかえる)に天下ったのは、自民党内からも激しい批判が上がったものだ。低賃金の派遣労働者から、みずから経営陣になることで、その血と汗を搾取するという立場に君臨してきたのだ。

そしていままた竹中平蔵は、持続化給付金という政策利権に手を染めているのだ。

◆持続化給付金を吸い取ったのは、竹中平蔵だったのか

持続化給付金の業務が、サービスデザイン推進協議会に769億円で委託され、そこから電通に749億円で再委託されていたこと。その段階で約20億円を中抜きし、電通からはさらに下請け孫請けで実務が行なわれていた。あまりにも複雑怪奇な外注に、自民党の政策担当者も驚かざるをえなかった。

そして、この持続化給付金の業務委託を実質的に請け負った主要企業の一角が、竹中平蔵が会長を務めるパソナだったのである。いや、一次請けの「サービスデザイン推進協議会」それ自体が、元電通社員・パソナの現役社員が名を連ねる、最初から最後まで、税金を中抜きする構造だったのだ。

立憲民主党の川内博史議員は、国会においてこう指摘している。

「社団法人を通じて、電通をはじめとする一部の企業が税金を食い物にしていたわけです。持続化給付金事業に限らず、経産省の事業ではそうしたビジネスモデルが出来上がっている」と。

元国税庁職員だった大村大次郎(経営コンサルタント、フリーライター)は、2020年10月1日付けのメルマガで、以下のように指摘する。

「サービスデザイン推進協議会の中心企業であるパソナは人材派遣企業の最大手の企業です。このパソナは創業以来、大々的に官僚の天下りを受け入れており、典型的な政官癒着型の企業なのです。」

ジャーナリストの佐々木実による竹中氏の評伝『竹中平蔵 市場と権力』は、次のように指摘する。竹中平蔵の本業は慶應義塾大学総合政策学部教授だったが、副業を本格的に始めるために〈ヘイズリサーチセンター〉という有限会社を設立した。法人登記の「会社設立の目的」欄には次のように記されている。
「国、地方公共団体、公益法人、その他の企業、団体の依頼により対価を得て行う経済政策、経済開発の調査研究、立案及びコンサルティング」

フジタ未来経営研究所の理事長、国際研究奨学財団の理事というふたつのポストを射止めた段階で、副業はすでに成功していたといえる。竹中個人の1997年の申告納税額は1958万円で、高額納税者の仲間入りを果たしている。総収入は6000万円をこえていただろう。

小泉政権の閣僚となる前年の2000年の納税額は、じつに3359万円に達している。所得はおよそ1億円程度と推測される。ほかにヘイズリサーチセンターや家族などに分配された利益があるので、政策コンサルタントとして稼いだ収入は莫大なものだ。

そしていまや公然と、派遣最王手パソナグループの会長として、政治を操りつつ蓄財する、いわば政商である。企業人・経済人になるのならそれでもいい。だが、彼の蓄財の源泉は税金なのだ。


◎[参考動画]竹中平蔵 【菅政権の経済ブレーン語る!日本経済復活の処方箋】報道(BS-TBS公式チャンネル 2020/9/23放送)

 
竹中平蔵『この制御不能な時代を生き抜く経済学』(講談社プラスアルファ新書 2018/6/21)

◆看過できない竹中の脱税疑惑

こうしてみると、竹中平蔵は政界と大企業、および学界にまたがり、国民の血税をかすめ取る吸血鬼のような男ではないだろうか。その竹中平蔵の脱税疑惑は、小泉政権当時から指摘されていた。

前出の大村大次郎は、こう批判する。

「竹中平蔵氏が慶応大学教授をしていたころのことです。彼は住民票をアメリカに移し日本では住民税を払っていなかったのです。住民税というのは、住民票を置いている市町村からかかってくるものです。だから、住民票を日本に置いてなければ、住民税はかかってこないのです。
 もちろん、彼が本当にアメリカに移住していたのなら、問題はありません。しかし、どうやらそうではなかったのです。彼はこの当時、アメリカでも研究活動をしていたので、住民票をアメリカに移しても不思議ではありません。でもアメリカで実際にやっていたのは研究だけであり、仕事は日本でしていたのです。竹中平蔵氏は当時慶応大学教授であり、実際にちゃんと教授として働いていたのです。」

ようするに、日本で仕事をしながらアメリカに住人票を置いて、竹中は「節税」をしていたのだ。つまり脱税である。

「竹中平蔵氏は、住民税の仕組みの盲点をついていたのです。住民税は、1月1日に住民票のある市町村に納付する仕組みになっています。1月1日に住民票がなければ、どこかの市町村がそれを知ることはないので、どの市町村も納税の督促をすることはありません。だから、1月1日をはさんで住民票をアメリカに移せば、住民税は逃れられるのです。」「しかし、これは明らかな違法であり、脱税なのです。」

国会でこの件を批判された竹中は、「住民税は日本では払っていないがアメリカで払った」と国会で主張している。しかし、最後まで納税証明書を国会に提出しなかったという。
いた、提出できなったというのが正確なところだ。なぜならば、アメリカにおいても住民税は所得税に連動している。

したがって、「内で所得が発生している人にだけ住民税がかかるようになっているので、アメリカで所得が発生していない竹中氏が、住民税だけを払ったとは考えにくいのです。」(大村氏)

さらに引用しよう。

「当時、税制の専門家たちの多くも、竹中氏は「ほぼ黒」だと主張をしていました。日本大学の名誉教授の故北野弘久氏もその一人です。北野教授は国税庁出身であり、彼の著作は、国税の現場の職員も教科書代わりに使っている税法の権威者です。左翼系の学者ではありません。その北野教授が、竹中平蔵氏は黒に近いと言われているのです。」(前出)

もはや疑惑はかぎりなく黒に近い。脱税をしている人間が、わが国の経済政策を任せられているのだ。しかも血税の使用方法を差配しようとしているのだ。

「泥棒に警察庁長官をさせるのと同じことです。そのことに、マスコミも世間も気づいていなかったのです。そして、結局、このことをうやむやにしてしまったことが、その後の日本に大きな災いをもたらすことになるのです。今回の持続化給付金問題なども竹中氏につながっているのです。」(前出)

諸々の批判に、竹中は「成功者の足を引っ張る」などとうそぶいてきた。いまこそ、あの尊大なまでに柔和な表情が引きつる批判に晒さねばならないだろう。


◎[参考動画]竹中平蔵氏【後編】アフター・コロナに勝ち残るために Part2. 2020年9月17日(木)放送分 日経CNBC「GINZA CROSSING Talk」(ソニー銀行)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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