安倍晋三の政治とカネの無様な実態 検察は自殺者を出さないために、前総理の身柄を押さえて説諭せよ 横山茂彦

◆やはり検察人事介入は訴追を怖れてのことだった

あのとき、安倍元総理は今日のようなことがあるのを想像しただろうか。まさに驕れる者も久しからずだが、これを想定していたからこそ、芸能人による反対運動まで巻き起こり、大きな波紋を呼んだ検察庁法改正案問題があったのではないか。

すなわち黒川弘務検事長の定年延長という、いわば自陣営の審判役を検察トップに確保する人事案を、安倍晋三は冷静沈着にも考えていたのだろう。それは検察庁法改正として課題を先のべにしながら、いまも三権分立を掘り崩す政府の策動として続いている。

最高裁判事の〇×式の投票に「この裁判官が下した判決」および法曹界の賛否両論の併記を書き添えるなど(現状は無意味な氏名だけ)、検察人事も国民投票に付すべきものではないか? 本気で三権分立を実現するのなら、将来は行政の長(総理大臣)もふくめて、国民投票を実施するべきである。


◎[参考動画]高検検事長の『定年延長』は安倍政権の“守護神”だから?(TV東京 2020年2月5日)


◎[参考動画]黒川検事長が辞任へ 森大臣「賭博罪にあたる恐れ」(ANN 2020年5月21日)

さて、桜を見る会前夜祭における安倍元総理のウソが明白となった。5年間で2000万円のうち、安倍事務所が916万円を補填していたというのだ。安倍晋三国会で、かたくなに否定してきた明細書(安倍元総理の政治団体=晋和会あて)をホテル側が保管していたのである。

パーティーへの選挙民の参加費を議員が支払う。これは単なるウソにとどまらず、「選挙民への寄付(買収)」にほかならない。

公職選挙法違反(公職選挙法199条の2の1項)である。そして事務所で支払わなかったとして、政治団体の収支に記載をしなかった。これは政治資金規正法違反(政治資金規正法第12条2項)でもある。

それぞれ、一年以内の禁固又は30万円の罰金(公選法)、5年以下の禁固又は100万円以下の罰金(政治資金規正法)である。安倍晋三は逮捕、起訴、そして禁固刑で収監される「可能性」が出てきたのだ。


◎[参考動画]安倍前総理がコメント “桜”前夜祭補填疑惑(ANN 2020年11月24日)

◆ふつうの論理が通用する社会にもどせ

そもそも11000円が最低価格のホテルパーティーに、参加者が5000円しか支払わなかった時点で、安倍および安倍事務所の虚偽は明白だった。

にもかかわらず、参加者個々人が契約主体であり、そのさいの領収書や明細書は発行されなかった、などと作り話をしてきたのだ。ホテルはいわばサービス業の頂点であり、ニューオータニやANAホテルなど、わが国を代表する高級ホテルは明朗会計を謳っている。その意味では、安倍の「明細書は発行されなかった」という答弁は、ホテル側の名誉を毀損するものでもあった。

日本学術会議の任命を拒否するという、国民を代表しての「義務」を果たさないまま、その理由を明らかにしない。つまり、学問研究への政治介入の現実を認めようとしない菅総理の「強弁」のお手本が、まさに安倍の「明細書は発行されなかった」なのである。

国民の負託による審議の場で、ウソをつきとおす異常な事態は、これ以上続けさせてはならない。いまこそ安倍晋三とその秘書団を逮捕し、ふつうの論理が通用する社会にもどす必要があると指摘しておこう。


◎[参考動画]安倍前総理「桜を見る会」前日の夕食会をめぐる国会答弁(TV東京 2020年11月25日)

◆秘書への責任転嫁をゆるすな

さて、虚偽が明らかになった以上、問題はその責任の取り方である。すでに安倍元総理の周辺は「国会答弁で補填を否定したが、事務所の秘書(公設第一秘書)が安倍氏に虚偽の報告をした」と防衛線を張っている。

慧眼な読者諸賢はすぐにこの言葉で、ある種の危惧を抱くことであろう。虚偽報告をしたとされる秘書が、責任をとって最悪の選択をする可能性である。

すでに安倍政権と財務省高級官僚は、安倍が「私と妻がかかわっていたら、私は総理大臣も国会議員も辞めますよ」という啖呵を忖度し、財務省の職員を死に追いやっているのだ。今回もすべてを秘書に押し付け、国会の証人喚問にも応じない(自民党に拒否させる)可能性が高い。

したがってトカゲのしっぽ切り体質が、新たな犠牲者を出さないとも限らないのである。だからこそ検察はただちに安倍を逮捕して、証拠隠滅や部下の自殺を防止しなければならない。安倍本人に「あなたが政治責任と刑事責任を取り、国民に範をしめしなさい」と。


◎[参考動画]総理「関与なら辞任」 国有地“格安”払い下げ(ANN 2017年2月18日)


◎[参考動画]安倍総理「籠池氏はウソ八百」昭恵夫人の活動を…(ANN 2018年2月5日)

◆菅義偉のポンコツ答弁

その安倍を官房長官として擁護してきた菅義偉総理といえば、あいかわらずポンコツ答弁である。

昨年の内閣員会で、重ねて「領収書を出せばわかること」と問われたときに「ホテルの領収書はない。議事録に残るわけですから、責任は以上のとおりです」と答えていたんは記憶に新しい。

そのみずからの虚偽答弁を問われても、秘書官のメモを片手に、

「わたくしは、そ、総理から言われたことを、答弁したものであります」「そ、総理は、その場に居ませんでしたから」

ようするに、自分は「子供の遣い」だったというのだ。そうではない、虚偽が議事録に残ったことが問題なのだ。ウソは真実をもって、書き換えられなければならない。そして虚偽答弁には、政治責任がとられねばならない。

だが、わが菅義偉は、さらに言葉に詰まりながら、

「そ、それは、そ、総理が説明されることだと思います」「いずれにしましても、いま、捜査が行なわれているかどうかわかりませんが……(ヤジ)、捜査機関の活動に関わることですから……、わたしの立場で、答弁は差し控えさせていただきます」とくり返すしかなかった。

捜査は安倍事務所への聴取として厳正に行なわれているのだから、現役の総理が自分の答弁を説明しても何ら支障はない。すでに安倍元総理は、一部補填(事務所からの寄付にあたる)があったのを認めてもいるのだ。

100歩ゆずって「わたしに訴追の怖れがあるので、答弁は差し控えたいと思います」ならばともかく、である。

秘書官のメモ便りのポンコツ答弁ぶりゆえに、安倍晋三のような大見栄の啖呵を切ることもなく、その分だけ安全運転とはいえる。が、答弁に尻込みする姿は、一国の総理としてはいかにも風格がないと評しておこう。

そして、そのポンコツ総理から「捜査中なので答える立場にないし、仮定の質問には答えられないが、一般論として虚偽答弁であったなら、その時は対応(謝罪)したい」という答弁は得られた(11月25日参院予算委、福山哲郎委員への答弁)。
いずれ事件の概要が明らかになり、安倍元総理が喚問されたうえで、前総理と現総理が首をそろえて国民に謝罪する日も近いかもしれない。


◎[参考動画]“桜前夜祭”巡り…菅総理「事実違えば私にも責任」(ANN 2020年11月25日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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工藤會幹部の公判が佳境に 六代目山口組髙山清司若頭が面会に

◆殺害と傷害の指示を否認

総裁(先代組長)・会長(組長)・理事長(若頭)の3幹部、および事務局長ら主要な幹部が獄に囚われ、本部会館も手放さざるをえなかった工藤會(北九州市)。その3幹部の公判が佳境に入った。とりわけ、殺人と暴行障害などの罪名で、懲役に換算すると30年以上は求刑される野村悟総裁、田上不美夫会長の裁判に注目があつまる。

何しろその犯行態様は、対立する元山口組組員(漁業組合長)の息子(歯科医)を襲撃し、なおかつ組合長をも殺害。県警の元警部(工藤會担当)を殺害。さらには、野村会長の下腹部の施術を担当した女性看護師を襲撃、というあまりにも言い訳のしにくい事件なのだ。福岡県警のいう「無差別市民襲撃」とまでは言えないとしても、任侠道にもとる事件であろう。

ふたりは本人尋問で、いずれも犯行の指示を否認した。裁判での本人尋問では、以下のようなやり取りがあった。野村総裁への質問から一部を抜粋する。

── 施術のとき、どうでしたか?
野村 脱毛のレーザーを当てました。レーザーが強くなったと思ったら、体がピクッとなった。
── 誰が担当したのか?
野村 (被害者の)看護師です。
── 何と言った?
野村 「あーら、野村さんでも痛いんですか。入れ墨に比べたら痛くないでしょ」と。
── どう思った。
野村 ちょっとカチンときました。
── 看護師を傷つけることを指示したか?
野村 いえ、そんなことはありません。
── 承諾したことは?
野村 ありません。
── 指示や承諾以外で何らかの形で関与したことは。
野村 ありません。
── 逮捕された時、警察や検察から工藤会組員の犯行と聞かされてどう思ったか。
野村 絶対にそれはないと思いました。
── いま現在はどう思っているか
野村 工藤會の組員が関わっていたんやなと思っています。
── いま何かこの事件のきっかけで思い当たることは
野村 深く考えたら、私が愚痴ったことが組員に伝わって変なふうになったんかなとも考えられます。
── 愚痴を言った場面については
野村 風呂上がりに脱衣所で着替える前に薬を塗ります。脱衣所には部屋住みの人間が4人くらいいる。看護師の顔を思い浮かべながら「あのオバハンが」とか言いながら(薬を)塗っていたと思います。

この野村の「不満(恨み)」を、組員たちがおもんぱかって看護師襲撃に走ったというのである。

── 襲った人たち(組員)には、どういう感情を?
野村 ちょっと許しがたいようなものがありますね。何の理由もなく他人を傷つけることは許せません。まして世話になっとる看護師を。通り魔以下の事件です。許せんです。
── 女性や子どもを襲ってはいけないと?
野村 常識的に分かると思います。事情があれば分かりませんけど、常識的に考えてもらわんといかんのはあります。
── 破ったら処分を受けるか?
野村 組員が通り魔をすれば処分になる。看護師が被害者であれば、世話になっとる人ですから、これは絶対に処分の対象になると思います。
── 組員は処分の対象になるか?
野村 なると思います。
── 「工藤會憲法」では堅気に迷惑をかけてはいけないと。女性を襲うことは許されませんね。しかし処分を受けていない。
野村 処分については、私はどうせいこうせいと言う権限はありませんし、収容されてどうすることもできん。執行部が考えると思います。

これまでにも野村総裁は、組の運営は執行部に任せているので、直接の関与はないと主張してきた。暴対法が施行されてから、ヤクザ組織は集団指導制を採っているのは確かで、その主張がどこまで認められるかであろう。

いっぽう、会長の田上不美夫被告は、襲撃について「知っていたら『バカなことはやめろ』と止めている」と、これも関与を否定した。

司法関係者のあいだでは、民法の使用者責任は「抗争事件」を組の「業務」とした場合に適用される(拳銃の所有など、判例あり)。今回の場合、共同正犯や共謀罪が適用されるのか、それとも上意下達の組織であるから、親分の意を汲んで子分が実行したことに謀議が認められるか、法適用に微妙なものがあるとしている。実行犯の組員たちの供述書(未開示)がどこまで3幹部の関与に踏み込んでいるのかによる。

筆者も過去に溝下秀男最高顧問(四代目工藤會総裁)および側近を取材し、その著書を編集した関係で、このかん何度か取材をこころみた。残念ながら「いまは捜査当局を刺激したくない」「今回の事件は、かならずしも正面から説明できるものではない」「深くは話せない」との反応だった。ある意味、嵐が通り過ぎるのを待つという判断は当然のものだろう。工藤会館を手放すことで、公然活動を自粛している工藤會にとって、隠忍自重の時期といえるのだろう。

昨年の夏、この通信でレポートしたとおり、ことあるごとに工藤會が情報を発信していた『実話時代』が事実上の廃刊となった今、本通信こそが唯一とまでは言わないが、なるべく工藤會の近況をお伝えすることを約束しておく。じつは編集を主幹している雑誌でも取材を始めているので、その成果の掲載できない分は本通信で明らかにしていきたい。


◎「現場から、平成の記憶」武闘派暴力団との熾烈な戦い(TBS JNNニュース 2019年1月8日放送)

◆代表代行の交代が意味するもの

今月に入って、獄中の野村総裁と田上会長が、獄外の代表代行を交代させた。西日本新聞の記事から紹介しよう。

「田上被告らは、会長代行(73)を退任させて、別の2次団体組長(60)に実質的な暫定トップを任せた。人事の背景には、組員が組織に納める上納金の集金を巡る会長代行と田上被告のあつれきがあった模様だ。」

トップ3が社会不在となった当初、代表代行は本田三秀(本田組組長)だったが、その後はしばらく山本和義(二代目矢坂組組長)が務め、今回は長谷川泰三(長谷川組組長)に交代となったものだ。

改正暴対法、暴排条例、コロナ禍のもとで、末端組員たちのしのぎが厳しさを増している。今回の代表代行の交代は、文字どおり財政難としての危機が組織を直撃したものといえよう。工藤會のみならず、山口組の分裂の原因となった運営費(上納金)問題である。

92年の暴対法成立の過程で、今までのようにはいかない。ヤクザも節度のある生活で時代に対応しなければならない、という警句は必ずしも組織の本家において実行されなかった。工藤會に対する頂上作戦は、ヤクザ組織に新たしい課題を突き付けたといえよう。


◎[参考動画]工藤會 101-EAST Battling the Yakuza ダイジェスト版(Kudokai1888 2012/08/25)

◆山口組髙山若頭の来福が意味するものは?

いっぽう、六代目山口組の髙山清司若頭が、獄中の野村悟工藤會総裁のもとを訪ねた。先代の溝下いらい親戚関係にある住吉会の会長をはじめ、全国のヤクザ組織のトップが、激励のために面会へと訪れてきた。そうした中でも、髙山若頭が野村被告のもとを訪れたことは、業界内で大きな話題となった。

六代目山口組から神戸山口組が分裂した2015年、工藤會が加盟する九州の四社会(工藤會・道仁会・太州会・熊本会)は、それまで友好関係にあった六代目山口組との関係を凍結することを宣言したのだった。

その理由は、道仁会から分裂した浪川会(現・二代目浪川会)にあった。浪川会は旧九州誠道会であり、道仁会から分裂した組織なのである。かつては十数名の死者を出す骨肉の争いをした相手であり、そのバックには菱の代紋の支援があった。そしてそもそも、道仁会自体が山口組(五代目時代)とは血で血を洗う山道戦争を繰り広げた過去を持っているのだ。

工藤會は広島共政会沖本勲元会長と溝下三代目が兄弟で、廻り兄弟として山口組の元若頭補佐桑田兼吉(いずれも故人)と親戚関係にあったが、溝下は大の山口組嫌いでもあった。「大きいところに巻かれろ、という性根が気に入らない」というものだ。

福岡市には、伊豆組(青山千尋二代目が本家舎弟頭で九州ブロック長)という六代目山口組の有力二次団体のほかに、一道会(浅川一家の後継団体、一ノ宮敏彰会長)がある。大分市にも石井一家(生野靖道四代目が本部幹部役員)、熊本市にも三代目稲葉一家(田中三次組長)が存在する。ほかに福博会(福岡市、金城國泰四代目)も、歴代の会長が山口組の後見を受けている。

九州ヤクザの抗争史は、山口組の九州進出をめぐる抗争(夜桜銀二事件、紫川事件、別府抗争など)だったと言っても過言ではない。山口組が進出しようとすれば、かならず結束して対抗、阻止する。山口組と共存時代になった今でも、これ以上の進出は許したくないのが本音だ。

それが今回、髙山若頭が野村被告の面会へと足を運んだことで、六代目山口組と九州四社会との交流が再会される可能性があるのではないかと、ヤクザ関係者のあいだで観測されている。


◎[参考動画]工藤会本部、取り壊し開始 暴力団排除加速へ(共同通信2019年11月22日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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注目のセカンドレイプ裁判始まる リツイートが差別に当たるか? 横山茂彦

11月17日、ツイッターで中傷的なイラストなどを投稿され、名誉を傷つけられたとする裁判がいよいよ開廷した。

ジャーナリストの伊藤詩織さんが漫画家のはすみとしこ氏ら(ほかリツイートした男性2名)に、計770万円の損害賠償を求めた訴訟である(東京地裁民事部、小田正二裁判長)。事件の詳細は、本通信8月24日「伊藤詩織氏がセカンドレイパーを提訴『ツイート』の『いいね』も民訴(損害賠償)の要件になるか?」を参照されたい。


◎[参考動画]伊藤詩織さん「魂を傷つけた」 中傷イラストめぐる裁判(FNN 2020年11月17日)

伊藤氏は冒頭陳述で「性被害の被害者をセカンドレイプといえる言動で攻撃する人が大勢いる。私の被害を正面から受け止めてほしい」「私が意図的に相手を陥れるためにしたと言わんばかりのイラスト」だと述べ、「なんとか被害から立ち直りたい、日常を取り戻したいという私の思いは踏みにじられた」と訴えた。被告のはすみ氏は出廷せず、答弁書で請求棄却を求めた。

はすみ氏の名誉棄損が直接的で、構成要件を満たすのは明らかだと考えられるが、リツイートが名誉棄損になるかどうか。これが最大の争点であろう。

この点について、伊藤さんは「イラストが拡散されていく様子を思い浮かべると、街を歩くことに大変な苦痛を覚え、帽子やサングラスをかけ、常に周囲を警戒するようになった」と語り、投稿拡散による被害の深刻さを訴えている。

さらに伊藤さんは「性被害の傷とトラウマを抱え回復途中の私にとって、あのイラストを見るのも、イラストについて話すことも、話しているところを他人に見られることも苦痛だった。ただ、インターネットでセカンドレイプに加担する人は大勢いる。私自身が前に進むために、そして、私と同じ被害に苦しんでいる人たちのために、裁判を始めた」と語った。

はすみ氏は今年8月、訴状について毎日新聞の取材に文書で回答している。「(イラストは)フィクションであるため、事実真実と異なって当然」というものだ。

◆根っこにあるのは、自民党の差別体質

伊藤さんは、はすみ氏ら3人のほか、自民党の杉田水脈衆院議員、元東京大学大学院特任准教授の大澤昇平氏を相手取り訴訟を起こしている。

もとは安倍総理お抱えの元TBS記者、山口敬之のレイプ事件(昨年12月18日、東京地裁民事部〈鈴木昭洋裁判長〉は山口に330万円の支払いを命じた)が発端である。その意味では、総理お抱えの物書きを刑事事件から庇護した、国策的な刑事指揮によってこじれた問題が、ここまで派生したものだ。

したがってこの裁判は、旧安倍政権および自民党、そしてその支持基盤の女性差別的な体質を、いやがうえにも暴くものとなるのだ。先進国はおろか、世界でも最低クラスの男尊女卑社会をくつがえすためにも、この問題は継続的に焦点を当てていくべきであろう。読者諸賢には、続報を約束しておきたい。

◆逃亡する杉田議員をゆるすな

そうであるがゆえに、ここで改めて問題にしなければならないのは、杉田水脈議員の「女はいくらでもウソをつける」発言である。杉田議員は当初発言そのものを否定(虚言)し、のちに議事録や証言をもとに、みずからウソを撤回せざるをえなかったものだ。

この問題は単に「女はウソをつける」発言が、女性一般の「名誉」にかかわるのではない。性暴力の被害において、女性が「ウソをつける」から捜査に対策が必要(女性捜査員の必要)であると、杉田議員は責任と権力のある政治的な場から発言したのである。その意味では、単なる差別や名誉棄損ではなく、政治的抑圧なのである。

しかもその発言を、部会のテーマが「女性への暴力の問題」であったにもかかわらず、韓国の慰安婦支援団体の代表の資金運用の疑惑(これ自体、不正使用として訴追されているわけではない)にすり替え、発言を正当化したのである。

これで杉田議員は、二度目のウソをついたことになる。百歩譲っても、女性警察官による性暴力の調査・捜査を論じている場で、他国の社会運動をあげつらうのは的外れ以外のものではない。

それよりも問題なのは、彼女が伊藤詩織さんへのセカンドレイパーとして訴訟を受けている身であることだ。性暴力の被害者から民訴を受けることそれ自体としても、議員にはふさわしからぬ言動の結果である。本通信10月2日の記事「自民党・杉田水脈議員の『女はウソをつく』発言で誰がウソをついていたのか?」参照。

そしてだからこそ、ほかならぬ女性への暴力問題を議題にした会議で「女はウソをつける」などと発言したのである。したがって、杉田発言は自己正当化の卑劣な政治的抑圧、政治倫理にもとる犯罪的な虚偽なのである。彼女が小選挙区で選ばれたのではなく(二度落選)、比例区当選の議員であることを考えるとき、この問題は自民党の自浄能力が問われている。

◆自浄能力なき自民党

ところが、自民党は言を左右して杉田問題からの逃亡をはかっているのだ。

10月13日、杉田議員の議員辞職を求めるオンライン署名を始めた「フラワーデモ」主催団体が約13万6000筆の署名を提出するため自民党本部を訪問したが、同党は署名の受け取りを拒否した。

同団体の要望に当初、自民党は野田聖子議員が対応していた。メールのやり取りで「面談をします。性暴力支援や性暴力被害にあった人たちの声は無視できない」(野田議員)というものだった。だが、この意向はくつがえされた。

野田氏は10月9日に行われたハフポスト日本版のインタビューで、署名を受け取らない理由を「署名を受けて『辞職しなさい』というのは、法律上できないこと。『辞職』と書かれている以上、私にはそういう権限もない。預かっても法律上できないことはちょっと無理です、とお伝えした」などと語っていた。ここへきて稚拙な法律論である。かたちだけでも受け取って、内部討議にかけてみればどうか? やはり自民党は女性差別政党なのだろうか。

[参考記事]
◎杉田氏「女性は嘘をつく」発言で「中傷始まった」。抗議無視する自民党へフラワーデモ参加者の怒りと涙(竹下郁子)
◎伊藤詩織さんついに提訴…杉田水脈議員が暴言連発するワケ(日刊ゲンダイ)
◎問題発言を風化させた「『逆』牛歩戦術」 杉田水脈議員は逃げ切ったのか(下)(全国新聞ネット)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈後編〉

◆三位一体論と部落解放運動

前回(11月12日)は被差別部落の起源をめぐる、井上清の功績とその後あきらかになった部落前史(古代・中世)を探究してみた。さまざまな職種の流民のほか、朝廷に結び付いていた職人集団の姿も明らかになった。それはしかし、近代の部落差別といかに結びついているのだろうか。

井上清の近代史における功績は、部落差別の根拠を明らかにした「三位一体論」であろう。部落差別は「身分」「職業」「地域」という、三つの要件で構成されているというものだ。

まずは身分である。明治4年(1871)の太政官布告(解放令=「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」)で穢多解放が行なわれた。しかし百姓層の反発が大きく、明治政府は「新市民」という属性を戸籍(明治5年の壬申戸籍=現在は閲覧不可)に記すことで、身分制を温存したのである。

これらの史実から、差別意識は権力の恣意性だけではなく、民衆の意識にこそ根ざすものだといえよう。人間は差別をしたがる動物なのだ。明治中期の戸籍から「新市民」という属性は取り払われたが、在地の固定性において差別はながらく温存される。

つぎに職業である。部落民の職業は屠殺業や精肉販売業、皮革産業などに集中的で、とくに屠殺業が職業差別を受けてきた。屠殺はもともと、自家消費として各家庭でも行なわれていた(公道で死んだ牛馬を解体する権利が、穢多の特権だった)が、近代において産業化されたことで、部落差別とは相対的に独自の職業差別となっていく。すなわち屠場労働者への差別である。しかるに職業差別は清掃労働者に対するものなどもあり、これらと部落差別を同一線上で理解するのは誤りである。あくまでも部落差別は、身分差別であるとここでは指摘しておこう。

最後は地域である。部落民はその血統においてではなく、地域そのものが差別の対象になっている。70年代後半に「特殊部落地名総鑑」という書物が出版され、部落解放同盟はきびしくこれを糾弾した。部落民が自身を被差別部落出身であると宣言する「部落民宣言」は、差別に対する血の叫びとして尊重されなければならない。

そのいっぽうで、部落出身者の出自をあばくことは明確な差別行為である。同和地区が近代化され、公共住宅の家賃が極端に抑えられることなどから混住化が進んでいる。そこから部落の「解消」がもたらされるわけだが、だからこそ出自を掘り繰り返す差別も後を絶たないのである。

いずれにしても、職業や地域差による「貧困」が同和行政で「解消」されても、国民の意識の中に身分差別が温存されているかぎり、部落差別はなくならない。そうであればこそ、あらゆる機会をとらえて差別行為や差別を助長する言辞を告発し、部落差別の本質(人為性)を認識すること。そして糾弾する※ことで、社会に人権意識を広めてゆく。部落解放運動の基本はこれである。まずはここを押さえた上で、部落問題を考えていかなければならない。※糾弾権は部落民に固有の権利である。

◆表現の自由と差別

差別が表象するのは、出版・報道などの言語空間においてである。編集者や著者がナーバスになる分野といえるかもしれない。

必要なのは上述したとおり、部落差別が歴史的に形成された謂れのない差別であり、重大な人権侵害であることの認識である。そしてそれは、けっして隠蔽するようなものではなく、イデオロギー闘争として差別意識を克服する必要があることが強調されなければならない。日本のような差別的な社会の反映として、部落差別・差別意識は再生産されるからだ。

したがって、単に差別語を「使わなければよい」ということでは、けっしてないのだ。むしろ差別を助長させる言葉が文脈に顕われるのを契機に、差別と向かい合うことが肝要なのである。だから記事の文章表現においても、部落差別を想起させる言葉の使用があっても、それが部落解放の視点に立っているかどうか、ということになる。たいせつなのは「視点」であり、被差別大衆に寄り添う態度・思想である。

差別にかかわる文言を「使用禁止用語」などとして、内容を抜きに回避することこそ、差別問題を聖域化することで温存するものと言わねばならない。

◆近代における差別の構造

わたしは「日本のような差別的な社会の反映として、部落差別・差別意識は再生産される」と明確に書いた。現在ではレイシズムとして在日外国人へのヘイトクライムが横行し、コロナ禍においては感染者や医療関係者への差別、不寛容な排除の言説が行なわれている。

一部の保守派は「日本の民度は高い」などと自賛するが、これら差別の蔓延は日本社会があいかわらず、差別社会であることを冷厳に物語っているのだ。近代合理主義の定着が遅れた日本においてこそ、差別の因習は甚だしく残存しているという見方もできる。

たとえば、文化人類学的な視野から日本人は農耕社会であるがゆえに、共同体の横並び意識がある。したがって、異物や異化されたものを賤視する。あるいは劣った者を異化することで、横並びの選別意識を持っているなどと、その差別意識が解説されることがある。かならずしも間違いではないが、近代の資本制は地域共同体をほぼ解体し、その代わりに経済における差別の構造をもたらしたのだ。アトム化された諸個人においてなお、差別意識は払しょくできていない事実があるのだ。

その意味では、部落差別を封建遺制にすぎないとする安直さは批判されてしかるべきである。とりわけ、近代化と経済的な均等化において解消される、とする日本共産党の立場は決定的に誤っているといえよう。

なぜならば、部落差別ほかのあらゆる差別が景気の安全弁として機能するからだ。季節工や派遣労働者の使い捨てが、安倍政権のもとで激的に増した格差の増大を思い起こしてほしい。現代に残された部落差別は結婚差別だとされるが、経済における差別の再生産も甚だしいものがある。

部落差別および部落民の存在を経済学用語では、景気循環における相対的過剰人口の停滞的形態という。以下に、わかりやすく解説しよう。

◆競争と排除が生み出す差別

同和対策審議会答申にもとづく同和対策事業特別措置法、およびそれを継承した地域改善対策特別措置法が2002年に終了し、被差別部落をとりまく経済的環境は改善したとされる。冒頭の節で述べたとおり、同和地区における公共住宅の賃貸料の逓減による混住が進んだ。公共工事における同和対策事業枠によって、部落出身の事業者の優遇や、事業そのものによる地域環境の改善が行なわれてきた。

しかしその一方で、隠然たる差別が土木建設関連業や回収業などで行なわれているのも事実だ。そのひとつが警察による「暴力団排除条例」である。土木建設業界が暴力団組織と密接な関係にあるのは、公共事業における地元対策費(予算外の予算)によるものだが、暴力団のフロント企業と分かちがたい業者の中には部落出身者のものも少なくない。これらを一括りに排除することで、部落民の中小企業が排除される。じつは暴排条例そのものが暴力団の排除を謳いながら、同和対策事業つぶしを狙ったものでもあるのだ。

そして景気の低迷は業者間の競争を生み、競争者たちが「あのオヤジのとこは同和でっせ」と情報を流すことで、部落出身者たちを排除する。これも隠然たる差別であろう。景気循環が排除しやすい人々を競争において差別し、資本の超過利潤を生みだす労働力として、好況期には労働市場に取り込む。資本の運動は差別を必要としているのだ。

◆結婚差別および「部落の解消」

最後は問題提起である。

21世紀まで残された差別の典型として、結婚差別があるとされている。被差別地域を出てもなお、部落出身者であることを暴露される。意識的に差別を助長している人々が存在する※のも事実である。※鳥取ループなど。

それにしても、個人の血統血脈において部落出身者であることは、子々孫々まで束縛されるのだろうか。同和対策特措法が終了し、人権擁護法がそれに代わってからも、部落問題が終了したわけではない。部落出身者は部落を出てからも、出身者として差別されなければならないのだろうか。

そんな疑問を提起したのは、橋下徹元大阪(元市長)府知事の存在である。橋下氏(東京生まれ)の実家は自身が広言しているとおり東大阪八尾市の出身であり、大阪市淀川区に転じてからも同和地区で育った人だ。その橋下氏の職業は弁護士であり、出身地域から転出している。これをもって、彼の中から部落は「解消した」とは言えないだろうか。井上清の三位一体説でいえば、もはや部落差別の根拠は成立しない。

八尾市に近い同和地区で、その部落出身の娘さんが結婚差別によって自殺に追い込まれたという。その部落は同和事業対象地域(諸税の減免・公共施設の優遇・住宅料金の減免など)であることを行政に返上し、それをもって被差別部落であることを「解消」したのである。※これは筆者が現地取材で知ったことだ。

同和事業によって職業差別がなくなり、経済環境がととのった地域からも転出したのであれば、残された差別は「血統」「血脈」ということになる。この血のつながりを差別の根拠にするのは、もはや執拗な差別主義というほかにないだろう。そうであるならば部落の「解消権」というものが、果たして積極的に存在するべきなのだろうか。これが現在の疑問である。(終わり)

◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造
〈前編〉  〈後編〉

◎参考URL 部落問題資料室(部落解放同盟中央本部HP)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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眞子内親王の婚儀に光明 愛は「天皇制の呪縛」に勝ったのか?

◆内親王が文書を発表

宮内庁は11月13日に、秋篠宮家の長女眞子内親王(29)と小室圭氏(29)の結婚について、内親王の気持ちをまとめた文書を公表した。

このなかで、眞子内親王は「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と強い意志を記している。しかしながら、結婚の儀の予定は「現在、具体的なものをお知らせすることは難しい状況」としている。


◎[参考動画]眞子さま お気持ちを発表 結婚は「必要な選択」(ANNnewsCH 2020年11月13日)

これを受けて、秋篠宮家および天皇陛下、上皇陛下ともに、内親王の意志を認めている(尊重して静かに見守る)という。これで今年に予定されていた婚儀は、来年以降となることが確実となった。文面は以下のとおりだ。

「一昨年の2月7日に、私と小室圭さんの結婚とそれに関わる諸行事を、皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了したあとの本年に延期することをお知らせいたしました。新型コロナウイルスの影響が続く中ではありますが、11月8日に立皇嗣の礼が終わった今、両親の理解を得たうえで、あらためて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います。前回は、行事や結婚後の生活について十分な準備を行う時間的余裕がないことが延期の理由である旨をお伝えいたしました。それから今日までの間、私たちは、自分たちの結婚およびその後の生活がどうあるべきかを今一度考えるとともに、さまざまなことを話し合いながら過ごしてまいりました。私たちの気持ちを思いやり、温かく見守ってくださっている方々がいらっしゃいますことを、心よりありがたく思っております。一方で、私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。また、さまざまな理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せなときも不幸せなときも寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です。今後の予定などについては、今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況ですが、結婚に向けて私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております。このたび私がこの文書を公表するにあたり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに深く感謝申し上げております」

いっぽう、ニューヨークのフォーダム大学に留学中の小室圭氏は、10月5日に29歳の誕生日を迎えた。2018年8月に渡米し、ニューヨーク州の弁護士資格の取得を目指す小室氏は、来年の夏には卒業の見込みである。現在は3年にわたる留学の最終年ということになる。

小室氏は成績も上位に入り、論文が法律専門誌に掲載されるという快挙も達成している。すなわち、ニューヨーク州弁護士会のビジネス法部門が刊行する『NY Business Law Journal』(19年夏号)に、学生ながら論文が掲載されたのである。査読のある論文が専門誌に掲載されるということは、たとえば小室氏が大学院の博士課程の単位を取得した場合、博士論文を執筆する資格が得られるのだ。弁護士資格はもちろんのこと、アメリカの法学界に位置を占めることも可能なのである。

◆反対派が画策する「なりふり構わない“強行策”」

いずれににても、メディアによる小室氏の母親の「400万円の借金問題」が障壁になっていた婚儀は、皇室全体の理解を得られたことになる。

既報のとおり、秋篠宮家においては、11月8日に「立皇嗣(りっこうし)の礼」が無事に終わり、眞子内親王の動静が注目されるところとなっていた。

というのも、今年9月に紀子妃は誕生日の文書に「長女の気持ちをできる限り尊重したいと思っております」と記し、眞子内親王の気持ちに大きく歩み寄っていたからだ。

しかしながら、小室氏との結婚にたいしての秋篠宮夫妻の考えは、あまり変わっていないという観測もある。つまり否定的なものがあるというのだ。

「たしかに紀子さまは、コロナ禍のステイホーム期間を利用し、眞子さまとの親子関係改善に努められてきました。紀子さまが呼びかけられた防護服づくりのボランティアや専門家とのオンライン懇談に、眞子さまも参加されたのです。その結果、一時は“対話拒否”状態だった眞子さまもだんだんと耳をかたむけるようになられたのですが、これも紀子さまの作戦といえます。儀式の延期により “結婚宣言”を先延ばしにしつつ、眞子さまが小室さんとの結婚を諦めるよう、紀子さまは地道な説得を続けてこられたのです」(宮内庁関係者、11月13日「女性自身」オンライン)。

こうしたコメントを、秋篠宮夫妻の真意と取るのか、宮内庁の「空気」と読むのかは難しいところだ。宮内庁関係者はこう続けている。

「眞子さまの小室さんを思うお気持ちは、紀子さまが想像されていた以上に揺るぎないものだったのです。紀子さまは9月の文書で、眞子さまとの対話は『共感したり意見が違ったりすることもあります』と語られていますが、その後、どんなに対話を重ねても“意見の違い”は埋まらなかったのです。むしろ、紀子さまの露骨ともいえる引き延ばし策に気づかれた眞子さまは、不信感を強めていらっしゃいます。眞子さまは小室さんとの結婚という悲願をかなえるため、なりふり構わない“強行策”を準備されているようです」(前出)。

思わせぶりなコメントだが、根拠はないでもない。

女性皇族の結婚はそもそも私的な事柄であって、「納采の儀」や「告期の儀」も宮家の私的な行事である。男性皇族の結婚とは違って、皇室会議にはかる必要もないのだ。

つまり「なりふり構わない“強行策”」とは、本通信で何度か指摘してきたとおり、皇族離脱をもって自由結婚をすることにほかならない。

だが、今回の秋篠宮夫妻が眞子内親王の意志を尊重することをもって、二人の自由恋愛結婚は何はばかることなく実現されるのだ。上記の宮内庁関係者の「なりふり構わない“強行策”」なる「杞憂」こそが、婚儀反対派の代弁にほかならないことを、ここから先の婚儀手続きの進行は明らかにすることだろう。

そして「ふたりの愛」は宮内庁内部の守旧派、皇室ジャーナリズム内部の墨守派に「勝った」のだと指摘しておこう。

この「愛の勝利」は皇室および皇族をいっそう民主化し、天皇制そのものが激変する可能性を胎動させる。敬宮愛子内親王が天皇に即位する可能性、悠仁親王にたいする秋篠宮家の自由主義教育に批判的な勢力の、おびえる姿が見えるようだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈前編〉

◆被差別部落の歴史、起源を学ぶということ

部落差別が謂(いわ)れのない差別であること、人為的なつくられた身分制の残滓であることを知るには、その起源を知る必要がある。そしてこれも前提になることだが、部落差別は顕在化することでその本質が明らかになり、差別に反対する人権意識をもって、はじめて差別をなくす地点に立つことができる。そのためにも、部落の起源と歴史を学ぶことが必要なのである。

『紙の爆弾』9月号において、差別を助長する表現があったと、部落解放同盟から指摘された。※詳細は同誌11月号、および本通信2020年10月7日《月刊『紙の爆弾』11月号、本日発売! 9月号の記事に対して解放同盟から「差別を助長する」と指摘された「士農工商ルポライター稼業」について検証記事の連載開始! 鹿砦社代表 松岡利康」》参照

解放同盟の指摘、指導とは別個に、本通信においても表現にたずさわる者として大いに議論することが求められるであろう。差別は差別的な社会の反映であり、われわれ一人ひとりも、そこから自由ではないからだ。まさに差別は、われわれの意識の中にこそある。そこで不肖ながら、多少は部落解放運動に関わった者として、議論の先鞭をつけることにしたい。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号より
月刊『紙の爆弾』2020年11月号より

◆被差別部落の起源はいつだったのか?

 
井上清『部落の歴史と解放理論』(1969年田畑書店)

わたしの世代(70年代後半に学生時代)は、部落問題の基本文献といえば井上清(日本史学・当時京大教授)の『部落の歴史と解放理論』(田畑書店)だった。

井上清は講座派マルクス主義(戦前の共産党系)の学者だが、思想的には中国派と目されていた。したがって、共産党中央とは政治見解を同じくせず、政治的には部落解放同盟に近かった。全共闘運動、三派系全学連を支持したことでも知られる。

その歴史観は階級闘争史観であり、部落の起源を近世権力(豊臣秀吉・徳川家康)の政策に求めるものだった。もともと産業の分業過程で分化していた地域的な集団や職能集団、あるいは漂泊していた集団を、政治権力が戦略的に配置することで被差別部落が発生した、とするものだ。

国境防衛(区分)のいっぽうで、領主権力と農民一揆の相克を外化(外に転嫁する)する「階級闘争の沈め石」として、被差別部落が必要とされたとする。このあたりが階級闘争史観の真骨頂であろう。土地と民衆は一体であり、それゆえに土地の支配が身分制と結びつく。

それゆえに、部落の本質は政治権力によって人為的に作られたとするものだ。なるほど身分社会の形成は、武士と百姓の分離は秀吉の刀狩にはじまり、家康の儒教的統制によって完成する。この儒教的統制とは、世襲による身分の固定化である。したがって身分社会の完成は江戸時代の産物であり、このかぎりで井上理論は間違っていない。穢多身分の集団が牛馬の処理を専業とする、職能と身分、居住地の固定が行なわれたのだ。

 
柳田国男『被差別民とはなにか 非常民の民俗学』(2017年河出書房新社)

いっぽうで、被差別部落を主要な生産関係からの排除とする、経済的な形成理由も明白だ。近世権力は民衆の漂泊をゆるさず、上記のとおり戦略的に土地に縛り付ける「定住化」をうながした。漂泊していた集団が新たに定住化するには、しかし農業耕作に向かない劣悪な土地しか残されていない。おのずとその集団は貧窮するのだ。貧窮が差別につながるのは言うまでもない。この立論は柳田国男によるものだ。柳田は賤民の誕生を「漂泊か定住にある」とする(『所謂特殊部落ノ種類』)

ただし、職業の分化は古代にさかのぼる。律令により貴族階級の職階、およびそれに従属した職能集団(部民)の形成である。

中世には民衆の職業分化も、流動的な職能集団の中から発生してくる。流民的な芸能集団や工芸職人集団、あるいは神人と呼ばれる寺社に従属する集団。なかでも仏教全盛時代に牛馬の遺体の処理、すなわち穢れにかかわる職能が卑賎視されるのは自然なことだった。その意味で、部落の起源を中世にさかのぼるのは必然的であった。

これらの職能集団が江戸期に穢多あるいは非人として、百姓の身分外に置かれるようになるのだ。ちなみにここで言う「百姓」は、今日のわれわれが考える農民という意味ではない。百の姓すなわち民衆全体を指すのである。百の姓とは、さまざまな職業という謂いなのだ。つまり農民も商人も、そして手工業者も「百姓」なのである。

◆非人は特権層でもあった

ところで「士農工商」という言葉は、現在では近代(明治以降)の概念だとされている。少なくとも文献的には、江戸時代に「士農工商」は存在しないという。したがって「士農工商穢多非人」という定型概念も、明治以降のものであろう。

じつは江戸時代には、士分(武士)と百姓(一般民)の違いしかなかったのだ。人別帳外に公家や医師、神人、そして穢多・非人があった。この人別帳とは、宗門改め人別帳(宗門台帳)である。最初はキリシタン取り締まりの人別帳だったが、のちには徴税の根拠となり、現代の戸籍と考えてもいいだろう。

そしてその人別帳外の身分は、幕府によって別個に統制を受けていた(公家諸法度・寺院諸法度など)。

穢多・非人が江戸時代の産物でなければ、どこからやって来たのだろうか。穢多・非人の語源をさぐって、ふたたび中世へ、さらには古代へとさかのぼろう。

 
網野善彦『中世の非人と遊女』(2005年講談社学術文庫)

一般に非人は、非人頭(悲田院年寄・祇園社・興福寺・南宮大社など)が支配する非人小屋に属し、小屋主(非人小頭・非人小屋頭)の配下に編成されていた。いわば寺社に固有の集団だったのだ。神社に固有の「犬神人」と同義かは、よくわかっていない。

網野善彦の『中世の非人と遊女』(講談社学術文庫)によれば、非人の一部は寄人や神人として、朝廷に直属する特殊技能をもった職人集団でもあった。これを禁裏供御人(きんりくごにん)という。朝廷に商品を供給する職人だったのだ。

その意味では、一般の百姓(公民)とは区別されて、朝廷に仕える特権のいっぽう、それゆえに百姓から賤視(嫉妬?)される存在でもあった。この場合の賤視は、少なからず羨(うらや)みをふくんでいただろう。

非人はそのほかにも、罪をえて非人に落とされるものがあり、非人手下と呼ばれる。無宿の者は、野非人や無宿非人と呼ばれる。江戸時代は無宿そのものが罪であり、江戸市中に入ることは許されなかったのだ。

笹沢佐保の「木枯らし紋次郎」で、紋次郎が江戸に足を踏み入れてしまい、夕刻に各辻の木戸が閉まる前に脱出しようと焦るシーンがある。笹沢佐保は時代考証にすぐれた人で、無宿者が夜間の江戸市中に存在できないことを知っていたのだ。


◎[参考動画]木枯し紋次郎 食事シーン

◆「餌とり」が語源だった

さて、近世部落の起源とされるのは、非人(広義の意味)のうち、穢多と呼ばれる集団である。江戸期の穢多は身分制(儒教的世襲制)の外側にある存在で、上記の非人とは異なり幕府および領主権力の直接統制を受けていたとされる。かれらは検断(地方警察)や獄吏など、幕藩体制下の警察権の末端でもあった。

穢多が逃亡農民や古代被征服民という俗説もあるが、史料的な根拠にとぼしい。なかでも異民族(人種)説は部落解放同盟から批判され、ゆえに「部落人民」という表現ではなく「部落大衆」「被差別部落大衆」という表現が適切とされる。われわれ日本人全体が、古代からの先住民と渡来人の混在、混血した存在であると考えられているように、人種的には部落民も同じである。異民族説を採った場合、そもそも日本人とは何なのかということになる。上記のとおり、日本人も「異民族の雑種」である。それでは、穢多の語源は何なのだろうか。

 
辻本正教『ケガレ意識と部落差別を考える』(1999年解放出版社)

文献的には『名語記』(鎌倉期)に「河原の辺に住して牛馬を食する人をゑたとなつく、如何」「ゑたは餌取也。ゑとりをゑたといへる也」と記されている。

同時代の『塵袋』には「根本は餌取と云ふへき歟。餌と云ふは、ししむら鷹の餌を云ふなるへし」とある。ようするに「餌とり」から「えとり」そして「えた」である。

この「餌とり」とは、律令制における雑戸(手工業の集団)のひとつ、兵部省の主鷹司(しゅようし)に属していたとされる。

つまり、もとは鷹などの餌を取る職種を意味していたのだ。それが転じて、殺生をする職業全般が穢多と呼ばれるようになったものだ。『塵袋』にあるとおり、狩猟文化と密接な関係を持つ人々を指して「えた」と呼ぶようになったのである。

そしてそれが、穢れが多い仕事をする「穢多」という漢字をあてたと考えられる。

穢多の語源については、別の考察もある。辻本正教は『ケガレ意識と部落差別を考える』(解放出版社)において、穢(え)は戉(まさかり)で肉を切るという意味で、「多」がその「肉」という意味であるとしている。

いずれにしても、古代・中世の穢多は職業分化に根ざすものといえよう。近世において、定住化による差別が顕在化する。人為的につくられた分断と反目、政治的に仕掛けられた差別というとらえ方を前提に、近代における差別構造を考えていこう。(つづく)

◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造
〈前編〉  〈後編〉

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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学術会議問題を収拾できなければ、政治危機をまねく危機感から研究者たちを「扇動者」呼ばわりする菅義偉首相のポンコツ答弁 横山茂彦

臨時国会の予算委員会を終えて、日本学術会議の会員任命拒否の問題点が明らかになったので、整理して論点をまとめておこう。

「総合的・俯瞰的な観点から任命を考えたということです」「会員と結びつきのある任命を従来の会員任命を既得権と考えて、任命権者として判断したということです」「憲法15条第1項の公務員の任命権」と、オウムのように繰り返すしかなかったのが菅総理の答弁である。そして新たに、内閣府と学術会議の「事前調整がなかあったから、任命拒否という結果になった」と、学術会議の推薦に事前関与してきたことを明らかにしたのだ(自民党議員への答弁)。これは迂闊だったのではないか。

そしてその中身は「考え方のすり合わせということ」としながら、内容はすでに論理破綻している「旧帝国大学に偏っている」「多様な人材の登用」「若い人材の登用」である。けっきょく、個別の人事にかかわることなので、公表することは差し控えたい、という理屈に持っていくのだ。

1985年の中曽根政権による「総理大臣の会員任命は形式的なもの」「学術会議の推薦に介入するものではない」という政府見解を、2018年の内閣府法制局の恣意的な解釈変更(一貫していると強弁)によって、「そのまま任命するものではない」「任命権者として、国民にたいして責任を負える人事権の行使」と、ねじ曲げてしまったのだ。その結果、政権に批判的な言動をした研究者の任命を拒否できる、という本来の理由を開示しないまま、うやむやに終わらせようというのである。だが、上記の「事前の調整」によって、政権にとっても事態は抜き差しならなくなっている。


◎[参考動画]菅総理が本格論戦“矛盾”指摘も答弁かみ合わず(ANN 2020年11月2日)

◆「個別の人事」の基準を明らかにさせよ

そもそも「任命が人事問題であり、個別の人事は明らかにしない」という小理屈を許しているかぎり、この問題は解決しないことが明らかになったのだ。そうであれば、総理が言う個別の人事、すなわち個々の選考基準について明らかにさせる以外にないのだ。この点において、野党の追及は甘すぎる。

この任命拒否問題が明らかになってから、メディアは保守系リベラル系を問わず、拒否の理由を明らかにするべき。と警鐘を鳴らしてきたはずなのに、なぜか「個別の人事」の前に臆してしまっているのだ。けっして明らかに出来ない(政権批判が理由)なのだから、収拾するにはその一線を越えるしかない。

いっぽう、自民党もいら立ちを明らかにしている。下村博文政務調査会長が「野党は学術問題ばかりだ」と、他の審議が遅れるなどと愚痴っているのだ。森友・加計・桜を見る会問題に加えて、政府が「差し控えたい」からこそ審議が進まないのではないのか。そればかりではない。ことは民主主義の根幹にかかわる、学問の自由が存亡の危機に立っているのだ。

それは政府が言うような、「個人の学問の自由」の問題ではない。また、野党が主張する、人事問題が「研究に対して委縮効果」を単に持つからでもない。ほかならぬ政策への批判的な見地こそが、政府の法案や施策にたいして効果的な検証を持ちうるからなのだ。この点を、野党もよく理解できていないのである。

批判を何よりも怖れ、異見を怖がる政権担当者の度量のなさ。いや、臆病なまでの神経過敏が、国の指針を過てる可能性があるからこそ、本来は学術会議のような政府機関(特別公務員)に、批判的な人物を任命する必要があるのだ。

今回、独裁者が本質的に批判を怖れ、臆病なまでに批判者を排除するものであることが、満天下に明らかになったといえよう。

そして危機感からか、ここにきて新たな動きがあった。共同通信が11月8日に「『反政府先導』懸念し拒否 学術会議、過去の言動を問題視か」と題する記事を打ってきたのである。

◆「過去の言動」「反政府運動を先導」

「首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。安全保障関連法や特定秘密保護法に対する過去の言動を問題視した可能性がある。複数の政府関係者が明らかにした」というものだ。
この問題を奉じたリテラは、全国紙の記者の観測を明らかにしている。

「共同は『複数の政界関係者』としていたが、6人を排除した当事者である杉田(和博)官房副長官からコメントをとっていたらしい。おそらく、これまでは理由を伏せてごまかして乗り切ろうとしていたが、国民が納得しないので、逆に6人が危険思想の持ち主であるかのように喧伝して、世論を味方につけようとしているのだろう」と。

つまり、政府のほうから「過去の言動を問題視」して、会員候補が「反政府運動を先導する」から任命拒否をしたのだと、匂わせてきたのである。あきらかに世論をミスリードする意図的な記事だが、むしろ追い詰められて「自白した」というのが正しい受け取り方である。

とりわけ、政府関係者が「扇動」と言ったのを、共同通信が忖度して「先導」と言い替えたのではないかと、思わずわらってしまったのは私だけではないだろう。あきらかに政権は焦れているのだ。思いもよらない躓きで、菅義偉総理の困惑した表情がテレビに映し出され、オウムのように「総合的、俯瞰的な考え方から」と繰り返すたびに、この男の無能さ加減、ボキャブラリーのなさが明らかになりつつあるからだ。

無内容な演説が得意だった安倍晋三ならば、やたらと時間をかけて答弁をはぐらし続けることも可能だった。だが、菅義偉にはその軽薄な能弁もないのだ。


◎[参考動画]菅首相、国会答弁で“自助”できず?【news23】(TBS 2020年11月6日)

◆あまりにもポンコツすぎる

もうひとつ、わずか4日間の集中審議で明らかになったのは、心配されていた菅義偉の総理としての答弁能力である。ポンコツなのである。あまりにも自分の言葉がないのだ。野党議員の質問の意味がわからずに目が泳ぎ、秘書官のメモなしには答えられない場面が続出した。独自の政治哲学や政治構想を披歴できるわけでもない。

やはりこの人は、裏方に徹するべきであった。わずか十数分の、記者クラブの馴れ合い的な質問に「その質問に答えることは差し控えたい」「仮定の質問には答えない」「批判は当たらない」などと定型句で応じ、批判的な記者の質問には「あなたの質問には答えません」と言いなすことができた官房長官とはちがい、総理大臣には「答弁拒否」は許されないのである。

もうこれ以上、集中審議に耐えられないと見たからこそ「政府関係者」は、任命拒否の理由をリークし、任命されなかった研究者たちが反政府運動の「扇動者」であることを、世論リードの水路にしようとしているのだ。だがそれは、任命拒否が政治的な理由であることを、みずから暴露するものにしかならないであろう。菅義偉の無能・ポンコツぶりに危機感を持った官邸関係者が、みずから墓穴を掘りはじめたのだ。


◎[参考動画]【字幕】辻元清美(立憲民主党)VS菅義偉内閣総理大臣 2020年11月4日衆議院予算委員会(国会パブリックビューイング2020年11月7日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

最新刊!『紙の爆弾』12月号!
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

紙爆増刊『一九七〇年 端境期の時代』 60年代文化の決着と頽廃 横山茂彦

70年という年をどう考えるか。それは「68年論」として語られる戦後政治文化、カウンターカルチャーの決算。あるいは高度経済成長の到達点であり、政治文化(学園紛争)と経済成長(公害の顕在化)が沸騰点で破裂し、ある種の頽廃を招いた。といえば絵面をデッサンすることができるだろうか。

多感な時期にこの時代の息吹を感じながらも、わたしはその後のシラケ世代と呼ばれる意識の中にいた。その意味では、あと知恵的に時代を解釈することになるが、おおむね二つの史実に則って『端境期の時代』が描く時代を批評することにしたい。

 
『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

その象徴的なふたつの史実とは、赤軍派に代表される新左翼運動の「頽廃」、そしてその対極にある三島由紀夫事件である。関連する記事にしたがえば、長崎浩の「一九七〇年岐れ道それぞれ」、若林盛亮「『よど号』で飛翔五十年、端境期の闘いは終わっていない」、三上治「暑かった夏が忘れられない 我が一九七〇年の日々」、板坂剛の司会になる「激突座談会“革マルvs中核”」、そして中島慎介の労作「『7.6事件』に思うこと」である。

三島事件(市ヶ谷蹶起)は50年を迎えるので、別途この通信において集中的にレポートしたいと思う。近年になって、あらたに判明した事実(証言)があるので、あえてレポートという表題を得たい。『紙の爆弾』今月号には、「市ヶ谷事件から50年 三島由紀夫の標的は昭和天皇だった」(横山茂彦)が掲載されているので、ぜひともお読みいただきたい。

◆単なる「流行」だったのか?

さて、70年という年を回顧する前に、68・69年の学生叛乱が何だったのか。という問題から出発しよう。

その当事者たち(今回「『続・全共闘白書』評判記」を寄稿した前田和男)も、当該書の副読本が必要(現在編集中)と述べているとおり、あの時代を読み解く必要がある。ひるがえって言えば、あれほどの学生運動・反戦運動の高揚がいまなお「わからない」というのが、当事者にとっても現実なのである。

あの時代および運動の間近にいたわたしも、明瞭に説明することはむつかしいが、単純に考えればいいのかもしれない。わたしの仕事上の先輩にあたる地方大学出身の人は言ったものだ。「流行りであった」と。過激な左翼であること、反戦運動を行なうことは、たしかに「流行り」だった。流行りはどんな時代も、若者のエネルギーに根ざしている。

たとえばコロナ禍のなかでも渋谷や道頓堀につどう若者たちは、いつの時代にもいる跳ね上がり分子ではないだろうか。既成左翼から、わたしたちの世代も含めて新左翼運動は「はみ出し」「跳ね上がり」と呼ばれたものだ。

いや、自分たちで「跳ねる」とか「跳ねた」と称していたのである。デモで機動隊の規制に逆らい、突っ張る(暴走族用語)ことを「跳ねる」と表現したのだ。跳ねたくなるほど、マルクス主義という外来思想、実存主義や毛沢東主義という流行。冷戦下において、ソ連邦をふくむ「体制」への反乱が「流行った」のである。

団塊の世代に「あれは流行りだったんでしょ?」と問えば、いまでは了解が得られるかもしれない。わたしの世代は内ゲバ真っ盛りの世代で、さすがに革命運動内部の殺し合いが楽しい「流行り」とはいかなかったが、おそらく60年安保、その再版としての68・69年(警察用語では「第二次安保闘争」)は、楽しかったにちがいない。70年代にそれを追体験したわたしたちも、内ゲバや爆弾闘争という深刻さにもかかわらず、その余韻を楽しいと感じたものである。


◎[参考動画]1970年3月14日 EXPO’70 大阪万博開幕  ニュース映像集(井上謙二)

◆赤軍派問題と三島事件は、60年代闘争の「あだ花」か?

前ふりが終わったところで、本題に入ろう。まずは赤軍派問題である。

言うまでもなく赤軍派問題とは、ブントにとって7.6問題(明大和泉校舎事件)である。二次ブント崩壊後にその分派に加入したわたしの立場でも言えることは、赤軍派は組織と運動を分裂させた「罪業」を背負っているということだ。

その意味では中島慎介が云うとおり、赤軍派指導者には政治的・道義的責任が集中的にある。その一端は、嵩原浩之(それに同伴した八木健彦ら)においては赤軍派ML派・革命の旗派・赫旗派という組織統合の遍歴の中で、政治的に赤軍派路線(軍事優先主義の小ブル急進主義)の清算として果たされてきた。今回、中島が仲介した佐藤秋雄への謝罪で、道義的な責任も果たしたのではないか。

ただし、植垣康博をはじめとする、連合赤軍の責任を獄中赤軍派指導部にもとめるのは、違うのではないかと思う。当時のブントおよび赤軍派において、獄中者は敵に捕らわれた「捕虜」であり、組織内では無権利状態だった。物理的にも「指導」は無理なのである。

それにしても、中島のように真摯な人物があったことに驚きを感じる。というのも、ついに没するまでブント分裂の責任を回避しつづけた塩見孝也のような指導者に象徴されるように、赤軍派という人脈の組織・政治体質には「無反省」と「無責任」が多くみられるからだ。日本社会の中で大衆運動を責任を持って担ってこなかった、その組織の歴史に大半の原因があると指摘しておこう。大衆運動の側を見ていないから、安易な乗り移りで思想を反転させることができるのだ(塩見の晩年の愛国主義を見よ)。

赤軍派が発生した理由として、第二次ブント自体の実像を語っておく必要があるだろう。

第二次ブントという組織は、その結成から連合組織であった。第一次ブントの「革命の通達派」のうち(第一次戦旗派・プロレタリア通信派は革共同=中核派・革マル派へ合流)、ML派と独立社学同(明大・中大)が連合し、単独して存続していた「関西地方委員会」と合同。独自に歩んでいた「マルクス主義戦線派」を糾合して1966年に成立した。しかしすぐにマル戦派と分裂することに象徴されるように、その派閥連合党派としての弱点は覆うべくもなかった。

たとえば、集会が終わってデモに出発するとき、各派閥の竹竿部隊(自治会旗を林立させ)が「先陣争い」と称してゲバルトを行なうのが習わしだった。つまり、集会とデモは「内ゲバ」を、祝砲のように行なわれるのが常だったのだ。

というのも、各大学の社学同(共産同の学生組織)ごとに、ブント内の派閥に属していたからだ。7.6事件では中島と三上が詳述しているように、仏徳二議長は専修大学の社学同、赤軍派は京大・同志社・大阪市大・関東学院などを中心にしたグループ、その赤軍派幹部を中大に監禁したのは、明大と医学連の情況派、その現場は中大社学同の叛旗派の縄張りだった。

故荒岱介の証言として、社学同全国合宿のときに、仏徳二さんが専修大学の学生だけで打ち上げの飲み会を行なっていたことを、のちに赤軍派となる田宮高麿が「関西は絶対、ああいうこと(セクト的な行動)はさせへんで」と批判していたという。

そのような連合組織としての弱点、党建設の立ち遅れ(これはもっぱら、革共同系の党派との比較で)を克服するために、とくに68年の全共闘運動の高揚から70年決戦に向かう組織の革命がもとめられたのだ。その軍事的な顕われが赤軍派だったのである。

これまで、もっぱら赤軍派の元指導者、ブント系の論客(評論家やジャーナリスト)によって赤軍派問題と連合赤軍総括問題は論じられてきたが、現場の証言が物語るその実態は、理論的に整理された美辞麗句をはるかに超えている。この貴重な成果のひとつが、今回の中島慎介の証言にほかならない。じつに具体的に、しかも他者の証言をもとに反証をしながらまとめられているので、ぜひとも読んでほしい。

その貴重な証言が、元赤軍派を中心とした書籍の準備において、こともあろうか「全体の四割が削減され、文面も入れ替えられ、更に残りのゲラの一割の部分をも削除され、意味不明の代物とされてしまいました」(中島)というのだ。

「事実究明に程遠い『事前検閲』『文章の書き替え』など、どこかの政府を見習ったかのような行為は、恥ずべき行為だ」と言いたくなるのは当然である。

まさに、60年代闘争の「あだ花」としての赤軍派の体質がここに顕われている。本人たちは嘘と歴史の書き替えで、晩節を飾るつもりだったのか? アマゾンにおける関係者の酷評「執筆者各位の猛省を促す」が、その内実を物語っている。


◎[参考動画]1970年3月31日 赤軍派 よど号 ハイジャック事件(rosamour909)

◆赤軍派と殉教者にせまられた、三島蹶起

三島由紀夫の天皇との関係(愛と憎悪)を先駆けて論じたのが『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(鹿砦社ライブラリー)を書き、今回「三島由紀夫蹶起――あの日から五十年の『余韻』」を寄せた板坂剛である。今回は具体的に、事件後の知識人・政治家たちの混乱を批判している。とりわけ、村松剛の虚構の三島論はこれからも指弾されて当然であろう。わたしに言わせれば三島の男色を隠すことで、村松が遺族との関係、したがって三島批評の立場を保ったにすぎない。その結果、村松の論考は、現在の三島研究では一顧だにされなくなっている。

もうひとつは、赤軍派との関係である。一過性のカッコよさではあったにせよ、論考を寄せている若林盛亮らのよど号事件が、三島に与えた影響は大きいだろう。これを板坂は「70年の謎とでも言うべきだろうか」としている。

よど号事件後の三島が、赤軍派の支離滅裂な政治論文を漁っていたとの証言もある(安藤武ほか)。そのほか、三島が「計画通り」の蹶起と自決を強行したのは、東京五輪銅メダリスト円谷幸吉(68年)、国会議事堂前で焼身自殺した自衛官江藤小三郎(69年)の影響を挙げておこう。70年という時代が、三島を止めなかったのである。これについては、別稿を準備したい。


◎[参考動画]1970年11月25日【自決した三島由紀夫】(毎日ニュース)

◆革マル vs 中核

やってくれた、鹿砦社と板坂剛! これはもう、わたしが編集している雑誌でやりたかった企画である。ただし、もっと自省的に語る「過ち」「錯誤」「悔恨」などであれば、まったく敬服するほかなかったが、板坂が司会の「激突座談会」は罵詈雑言、罵倒の応酬である。まったく愉快、痛快である。

元革マルの人も元中核の人も、対抗上こうなったのか。あるいは元べ平連の出席者が疑問を呈するように、もしかしたら現役なのか。

しかしいつもどおり、板坂の企画は読む者を堪能させる。前回の「元日大全共闘左右対決」も何度も読み返したものだが、今回は前回よりも底が浅い(お互いの個人的な因縁が、両派の主張に解消されてしまった)にもかかわらず、留飲を下げたと、感想を述べておこう。


◎[参考動画]2020年10月16日 公開中核派拠点を警視庁が家宅捜索 関係者が立ち入りの捜査員を検温(毎日新聞)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

GPIF巨額損失で始まる年金崩壊 アベノミクスの亡霊が国民に生活苦をもたらす

◆年金崩壊のきざし

朝日新聞の調べによると、日銀とGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の東証1部企業における持ち株が、同上場企業の8割(1830社)におよんでいることがわかった。※調査には東京商工リサーチとニッセイ基礎研究所が協力。

まずはGPIFについて、その危機的な状況を説明しておこう。

ご存じのとおり、公務員の共済年金を除くサラリーマン、個人事業主などの公的年金を管理運用するのがGPIFである。年金で株を買うという、それ自体の問題点はかねてより指摘されてきた。国民が将来のためにサラリーや日々の貯えから支払った年金が、ある意味では「賭博」ともいえる株式市場に運用されているのだ。

その規模は2019年6月末時点で「161.7兆円」にも上り、安倍総理(当時)が「世界最大の機関投資家」と豪語していたものだ。それがコロナ禍の中で、20兆円も損失しているというのだ(3月段階)。

◆3月期までに、20兆円の運用損

GPIFが運用する資産は35兆3082億円(2020年3月末時点)で、東証では12%である。日本全体では、株式時価総額548兆円(同)に対して6.4%を占めている。上場企業の株式を直接保有する株主としては、安倍の言うとおり日本市場の最大株主である。

この「世界最大の機関投資家」としての公的年金資金運用は、2018年度に2兆3795億円の収益を上げ、市場運用を始めた2001年度からの収益累計が65.8兆円に達したと報じられた(※損失を含まない)。もちろん、常に収益を上げてきたわけではない。

2015年度には第2四半期(2015年7月~9月期)に7兆8899億円、第4四半期(2016年1月~3月期)に4兆7990億円の損失を計上し、年度を通して5兆3098億円の損失を計上しているのだ。

さらに、2016年度の第1四半期(2016年4月~6月期)には5兆2342億円、2017年度の第4四半期(2017年1月~3月期)には5兆5408億円の損失に見舞われた。2018年度の第3四半期(2018年9月~12月期)には、アメリカ中心とした世界的な株安に円高が加わったこともあり、14兆8038億円という大きな損失を余儀なくされている。

そして2019年度の第4四半期(20年1~3月期)の運用損失は、コロナ禍をモロに受けて、17兆7072億円となってしまった。収益率がマイナス10.71%と急激に悪化し、保有資産残高(われわれの年金)は19年12月末に170兆円あったものが、150兆6332億円にまで縮小したのだ。じつに20兆円もの損失である。識者は年金で博打(株式投機)など、とんでもないと言っていたはずだ。

全日空が大幅な減便を余儀なくされ(ボーナス支給なし)、三菱重工の国産初のジェット旅客機・スペースジェット(旧MRJ)が日の目を見ないまま、ついに事業そのものを事実上凍結。トヨタをはじめとする自動車産業の多くが、これから倒産の危機を迎えるかもしれない(関係者)。上場企業が倒産すれば、運用資金30兆円が紙屑になる可能性もあるのだ。GPIFはいますぐにも、株式市場から撤退するべきではないか。と、われわれは考えたくなる。だがそれがまた、金融恐慌への序曲になるのは、歴史が教えるところだ(29年恐慌)。


◎[参考動画]2019年度運用状況(GPIF channel 2020/07/03)

◆目前にある金融恐慌

株価の暴落は、まず企業の資金調達力を減少させる。企業がやむなく生産停止に追い込まれると、つぎに信用不安が発生して貸付停止。紙幣の供給が止まり、金融機関が機能不全にいたる。そして取り付け騒動。これが金融恐慌である。

現在の日本はコロナ禍で消費が逓減し、外食や観光、小売りなど消費部門に資金が回らなくなっている。これに直撃されているのが航空業界、自動車産業などの基幹産業である。大手の倒産は中小企業の連鎖倒産をまねき、街には失業者があふれる。
これはアメリカで現実に起きていることだ(10万以上の中小企業が倒産)。連邦政府の公式発表は9月段階で失業率7.9%だが、フルタイムの失業率では、女性は30.8%、男性は22.3%(元財務省勤務のGene Ludwig氏の算出)だという。

日本も政府発表は7月が2.9%、8月は3.0%だが、休業者(雇用されているが、自宅待機などの実質失業)を入れると、6.2%だという(野口悠紀雄、9月13日、東洋経済ウェブ)。だからこそ、公的資金での株運用をやめられないのだ。

かりにGPIFが東証から撤退した場合、12%もの株価減(23500円×0.12=2820円の下落)がもたらされ、株式市場がイッキに暴落するのは必至だ。したがって株式投機による損失過剰という冒険を犯しながら、年金の破綻まで進まざるを得ないのだ。処方箋があるとすれば、日銀がかぎりなく買い支えるしかない。


◎[参考動画]2020年度第1四半期の運用状況(速報)(GPIF channel 2020/08/06)

◆買いオペの限界も

いっぽう、日銀の株式保有額は31兆円である。本通信でも幾度か、MMT論としてリフレの有効性を解説してきた。リフレはアベノミクスの専売特許ではなく、デフレ下の経済政策としては消費の活性化につながる。そのはずだった。

買いオペによる景気浮揚理論は、簡単にいえば下記のとおりだ。
1 日銀が市場で株を買う。
2 市場に資金が調達され、金融機関の金利が低下する。※別途に、マイナス金利の金融緩和。
3 金利低下で融資が容易になり、生産設備や住宅などに投資が向かう。
4 生産の増加、企業収益の改善で雇用が好転する。
5 消費が増えて景気が浮揚する。

この4と5が、安倍がさかんに言っていた、上から下への利潤還元である。大企業の競争力が利潤を生み、その利益は国民全体に還元される。ところが、名目上の株価上昇と円安によって、企業は国際競争で利潤を得たものの、それを国民(従業員・下請け)に還元することはなかった。企業は利潤を内部に貯め込んだのである。

日本銀行調査統計局「参考図表:2020年第2四半期の資金循環(速報)」(2020年9月18日)より

◆内部留保は資本の原理である

昨年末段階で、企業の内部留保(利益剰余金)は470兆円、現預金で230兆円だという、いわば内部のカネ余りにもかかわらず、臆病な経営者たちはそれを従業員賃金、下請け企業への支払いに向けなかったのである。ために政権が財界にたいして、賃上げを求めるという事態も生起した。だが、それは実現しなかった。

これこそが、ピケティが説く「不等式「r>g」なのだ。資本収益率(return)は、必ず経済成長率(growth)を上まわる。労働者の賃金が、かりに経済成長率どおりに増加しても、資本蓄積がそれを上回ることで、資本家と労働者の格差、上級国民と一般国民の格差は拡大するのだ。

経済学で言えば、景気循環のなかで下層労働者が生産関係から排除され、あるいは安く雇用される。これはまさに、アベノミクスの労務政策(雇用の自由化)である。上から下への利潤還元もしたがって、不可能な経済原理なのだ。

問題はリフレで得られたカネ余りを、国民に還元する方法だったのである。最低賃金を引き上げる(対価としての法人減税)、企業に利潤を吐き出させる課税。政権が法的に実行できるのはこれだったのだ。

コロナ禍はこれから先、大規模な倒産をもたらすであろう。もはや雇用の問題ではなく、生活と生存の問題である。今からでも遅くはない。企業に内部留保を吐き出させよ。


◎[参考動画]黒田総裁会見、日銀が追加緩和 国債購入の上限撤廃(TBS 2020/04/27)


◎[参考動画]黒田日銀総裁インタビュー(abcxyz2016/07/29)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.25

とんでもないことをするかも内閣 菅政権の発想が浅薄すぎる件について

◆個別政策に具体性がなさすぎる

個別の政策で、国民の目に見えるかたちで改革を進める。というのが菅政権の特質であるかもしれない。しかし細かい個別政策でありながら、大雑把な印象をまぬがれない。

たとえば、菅政権が声高に打ち出している携帯料金の値下げだが、具体性がよくわからないのだ。どのような使用条件で、どこまで安くなれば良いのか。これ自体、野党時代からの献策にもかかわらず、「必需品となっているのだから、安くせよ」という具合で、内容がよくわからないのである。

通信システムに詳しい「bit Wave」によれば、ガラケー(携帯電話)の最低料金は1126円、スマホは3313円だという(いずれも月額)。大手3社の料金プランからの算出だというから、格安スマホではない。じつは格安メーカーでは税抜きで月額1000円を謳うところは少なくない。

ぎゃくに月額料金が5000円を超えるのは、いわゆるギガホと呼ばれるデータ量の多いスマホで、ゲームでの使用や動画視聴を前提にしている。じっさい、筆者のスマホは大手だが、G4で月額2000円強(5分以内カケホ)である。大手もじっさいは、かなり格安に近づいているのだ。おそらく菅総理は、現状を知らないのであろう。
上記のとおり電気やガスとちがい、使用条件や内容がまるで違うものに大雑把な網を掛けることで、かえって混乱を招くのではないか。ガラケーの最低標準料金を指し示すとか、乗り換えの自由化(2年継続契約の破棄)など、現実に進んでいることも視野に入れながら、この案件は担当政務官を置くとかの策がもとめられる。具体性を欠いた菅の思い付き政策が実るのかどうか、楽天モバイルが参画する2年後(1年間のサービス低価格は無視)の結果を興味を持って待ちたいものだ。

ところで、気になるのは菅総理の取り巻き。ブレーンである。

加藤勝信官房長官を議長に、西村康稔経済財政・再生相、梶山弘志経済産業相が副議長を務めるという。参加者は金丸恭文(フューチャー会長)、国部毅(三井住友フィナンシャルグループ会長)、桜田謙悟(SOMPOホールディングス社長)、竹中平蔵(人材派遣会社パソナグループ会長)、南場智子(ディー・エヌ・エー会長)、三浦瑠麗(山猫総合研究所代表)、三村明夫(日本商工会議所会頭)だ。


◎[参考動画]成長戦略の“具体策検討会議”スタート(ANN 2020年10月16日)

◆竹中提言の縮小経済論

かりに菅総理に秀でた政治哲学があるとすれば、数十年単位のヴィジョンや国家モデルではなく、その実行力なのであろう。反対や異見があっても、粛々と進めるのが官房長官時代からのスタイルである。手続きさえ踏めば、それはそれでもいいかもしれないが、問題は中身なのである。

すでに上記の通り、成長戦略会議で菅のブレーンが明らかになっている。そのうち、竹中平蔵の存在がクローズアップされているのが気になる。そして、さっそくとんでもない発言が飛び出した。社会保障を廃止し、ベーシックインカムを導入するというものだ。

コロナ禍はこれから先、来年の決算期を待たずに、大規模な倒産をもたらすであろう。もはや雇用の問題ではなく、国民と生活と生存の問題である。この機に、労働市場自由化の仕掛け人でもある竹中平蔵が「ベーシック・インカム」を唱えはじめたのは、偶然ではない。

竹中の提言は「国民全員に毎月7万円を給付するなら、高齢者への年金や生活保護者への費用をなくすことができる。それによって浮いた予算をこちらに回すので、財政負担はそれほど増えることにはならない」というものだ。年金崩壊どころか、廃止してしまえというのだ。

これに対して、宇都宮健児がツイッターで、「7万円では家賃を払って生活ができるはずがない」「お金を支給するので教育や医療などの福祉サービスはお金で買えというベイシックインカム案では教育や医療が商売になる危険性がある」「まず教育や医療などの福祉サービスをしっかりと低価格または無償で提供する社会をつくるのが先だ」と投稿した。正論である。


◎[参考動画]竹中平蔵氏 【後編】アフター・コロナに勝ち残るために Part3. 2020年9月17日(木)放送分 日経CNBC「GINZA CROSSING Talk」(ソニー銀行2020/10/05)

◆社会保障費・生活保護こそがベーシック・インカムである

ベーシック・インカム論の基礎には、ケインズ派(ウィリアム・ベヴァリッジ)の「ゆりかごから墓場まで」を目標としたイギリスの社会保障や雇用施策に対して、新自由主義派の「小さな政府」論がある。

前者は社会保障を前提に、補足的な公序モデルであり、マクロ的には有効需要創出の公共投資(ニューディール)である。後者である竹中提言は、社会福祉の切り捨て(それにともなう行政コストの削減)を財源に、いわば緊縮財政で構造不況を乗り切ろうというものだ。そこには個別の事情、妊娠休業や子育て、病傷などの多面的な社会保障を切り捨て、カネ(7万円)を渡すから自助努力をしろという新自由主義の発想が見え見えである。竹中が切り捨てようという社会保障費・生活保護こそが、じつは現代のベーシック・インカムの実体なのである。

コロナ禍が示すように、経済というものがおカネの動き、経済の血流としての消費をまったく理解できないがゆえの、竹中流緊縮論なのである。大企業の内部留保の解消、格差の是正(最低賃金の底上げ)こそが、消費の回復につながるのだと、あらためて指摘しておこう。

◆中小企業の「淘汰」をいとわない最賃論

もうひとり、菅総理のブレーンとして成長戦略会議に名を連ねるのが、デービッド・アトキンソン(経済政策アナリスト・小西美術工藝社社長)である。アトキンソンの主張は、最低賃金制の底上げが基調となっている。が、最賃制に対応できない中小企業の経営者は、潰れて退場するのもやむなし、というものなのだ。

言うまでもなく、最低賃金制の底上げ(たとえば山本太郎は時給1500円、年収で300万円弱を主張)は、達成企業に減税措置をはかることで、企業経営の健全化と購買力(消費)の活性化を目標にしたものである。しかるにアトキンソンは、最低賃金制の底上げに対応できない中小企業を淘汰し、その結果は労働者が路頭に迷うこともいとわないのだ。淘汰とは起業による市場原理である。いまこの日本に、企業の展望が微塵ほどもあるというのだろうか?

このような人物の影響が「自助・共助・公助」なる、菅政権のスローガンなのだ。一見すると正論に聞こえる菅総理の言外に「(わたしのように)努力しない者は救われない」という新自由主義の発想があることを指摘しておこう。


◎[参考動画]【ダイジェスト】デービッド・アトキンソン氏:日本人が知らない日本の「スゴさ」と「ダメさ」マル激トーク・オン・ディマンド 第934回(2019年3月2日)

◆正月明けは11日? 誰が10兆円を決めたのか?

菅ブレーンの危険性とともに、とんでもない思い付きとは、このことであろう。
西村康稔経済再生相が語ったという「「(1月)11日の月曜日が休みでありますので、そこまでの連続休暇とかですね、あるいは休暇を少し分散をしていただくとか。もちろんテレワークも、それぞれの企業でも積極的にやられていると思いますけれども、是非そうした休暇が集中しないような取り組みも是非ご検討いただければ」を冗談交じりに聞いていたところ、本気だというのだ。経済3団体にもこれを要請するという。コロナ対策という意味なのだろうが、経済に与える影響は少なくない。


◎[参考動画]年末年始の長期休暇を 西村再生相が新経連と会談(KyodoNews 2020年10月21日)

たとえば、これで少なくとも1月の上旬に刊行される雑誌は、年内の刷了・取次搬入が要求されることになる。いや、取次が上記の要請に応じてしまえば、発行日を遅延させるしかないのだ。他の業界もおおむね、とんでも発想と考えることだろう。政府は少しでも経済の停滞を考慮したのだろうか。

そのいっぽうで、コロナ対策をふくむ臨時予算に、10兆円が計上されたという。国会を開かないまま、政権が勝手に決めたのである。ここにも法律を理解しない菅総理の「とんでもなさ」が明らかだ。国会という国民の代表から、あたかも全権委任されたかのように勝手に予算を組んでしまう暴挙である。すべて政治家の行動は法律の裏付けが必要であることを、この男は知らないのである。

すでに学術会議の会員任命拒否において、菅が法律を理解していないのは明白になった。このさき、とんでもない発想から非常識なことを実行しかねない政権であることが、徐々に明らかになってきた。そして怖ろしいのは異論を排除する、蛇の執念のような実行力を持っていることだ。

菅の蛇のように冷酷な眼を見ていると、内容はともかく「失敗しても、まだ次のチャンスがある日本にしたいんです」「事実、わたくしは失敗したんです」と、明るく力説していた安倍晋三が懐かしくなってくるというものだ。


◎[参考動画]菅総理 初の所信表明演説(ANNnewsCH 2020年10月26日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.25