コロナ防疫の失政隠しに「病因引退」に逃げ込むのか?  体調悪化を秘匿しない安倍総理の不思議

◆再検査というからには、重篤個所があるのでは?

安倍総理の7時間半に及び検診が、永田町をゆるがせた。憶測を呼んでいるのは、検査の事実を公然とテレビに晒したことである。

総理官邸は「休み明けの体調管理に万全を期すため夏期休暇を利用しての日帰り検診」だと発表しているが、安倍総理は約2カ月前の6月13日にも同院を訪れ、このときは6時間にあわって人間ドックを受診。今回の検診について病院側は「6月の追加検査」と説明している。しかし永田町では「やはり体調が悪化しており、それで重篤個所を再検査したのではないか」という憶測が飛び交っている。

それというのも、8月4日発売の「FLASH」が、「安倍晋三首相 永田町を奔る“7月6日吐血”情報」というタイトルで体調問題を報道しているからだ。

8月4日発売の「FLASH」誌面

同誌は7月6日の首相動静に、小池百合子都知事と面談を終えた11時14分から16時34分、今井尚哉首相補佐官らが執務室に入るまでの約5時間強。総理に空白の時間があったとして、この間に吐血したのではないかという情報が永田町に流れていると解説している。安倍首相が抱えている持病の潰瘍性大腸炎に合併する胃や十二指腸の病変、あるいは治療のために服用しているとされるステロイド系の薬剤による影響を指摘していた。

吐血という以上、上部消化器官系(胃・十二指腸)からのもので、持病の潰瘍性大腸炎とは考えにくい。下部消化器系で起きた潰瘍や癌細胞は、大腸から肝臓や胆のう、胃と十二指腸、すい臓、最後は肺に転移するとされている。そこで上記の「瘍性大腸炎に合併する胃や十二指腸の病変」が推測されたわけである。

じつは2015年8月にも「週刊文春」が「安倍首相の『吐血』証言の衝撃」という記事を掲載したことがある。ホテルの客室で会食中に安倍首相が吐血し、今井尚哉秘書官が慌てて慶応大病院の医師を呼び出し、診察を受けたという記事を掲載したのだ。このとき安倍事務所は「週刊文春」発売の翌日に、文藝春秋に記事の撤回と訂正を求める抗議文書を送っている。

しかるに、今回はそのような抗議も打消しの言動もない。

総理と長時間にわたって面談(国会対策と後継者問題か)した麻生太郎副総理は、例によって「あなた、147日間も連続勤務したことある? ないよね。だったらわからないだろうが、それだけ長く勤務をつづければ、体調もおかしくなるということだ」などと逆質問し、菅義偉も例によって「わたしは連日お会いしているが、淡々と職務に専念をしている。まったく問題ないと思っている」と木で鼻をくくるような返答であった。

だがしかし、車列をつらねて慶応病院を訪れ、あたかも国民にアピールするような行動に出たのはなぜか?

◆なぜ秘匿しなかったのか? 政治家の病気は命取りの「常識」

ふつうなら、ひそかに官邸を脱出し、極秘に診療をうける方法もあったはずだ。たとえば国家緊急事態(戦争や内乱時)には自宅からオートバイ(タンデム)で官邸に、渋滞中の首都高を急行する「総理緊急送迎」も実行に移されるはずだ(複数回の演習済み)。その場合は、複数のダミーを走らせてテロの標的にならないようにするという。

外に向かっては自衛隊の総司令官であり、内に向かっては警察の治安出動を命令・指示しうる行政の長であればこそ、国家権力の中心軸としての警護・隠密化がもとめられるのだ。

それは通常、病気においても変わるところがないはずだ。一般に政治家は病気の噂を嫌い、かりに病気が事実であった場合も隠蔽するものである。

かつて池田隼人総理は、在職中に癌に罹患した。池田派の側近議員らが癌であることをひた隠し通した上で、任期を残して退陣する演出を行ったのである。すなわち、東京オリンピック閉会式翌日の10月25日に退陣を表明し、自民党11月9日の議員総会にて佐藤栄作を後継総裁として指名したのだ。後継総裁選びを、退陣予定の総裁の指名で行なった、戦前・戦後を通じて最初のケースであった。池田は翌1965年8月13日に死去した。享年65。

◆予定調和の禅譲劇を準備している

「今後のことは検査結果次第でしょう。何もなければ、少し休息を取って英気を養い、仕事を続けられる。一方、これ以上は体調が持たない、となれば、今月24日に在職日数が単独で歴代最長となるのを待っての退陣もある。その場合は麻生財務相が後継ということで、15日に2人が私邸で会った際に話し合ったのではないかとみられている。しかし、総裁選になれば、解散総選挙を見据えて世論の人気の高い石破元幹事長が勝つ可能性もある。安倍首相は、それだけは絶対に阻止したいのでしょうが……」(日刊ゲンダイ、8月19日)

まさに、この推測が的を得ているのではないか。

第一次政権の二の舞を踏みたくない。みじめな退陣劇だけは避けたいという、予定調和の禅譲劇を準備しているのではないだろうか。

2007年7月29日の参院選で自公過半数割れの大惨敗を喫し、党内から退陣要求が出るも、安倍総理はこれを拒否した。8月27日に内閣改造し、9月10日に臨時国会で所信表明をしたものの、代表質問の予定だった同12日に、突如として退陣を表明した。官邸の側近など事前に相談することもなく、突然の決断だったという。もうそのときは、病状の悪化で身体が動かず、政治的にも死に体だったのはいうまでもない。もう二度と、この人に政界復帰の目はないとまで言われたものだ。

◆危機管理に疲れ、いよいよ政権を投げ出す

今回、政権中枢(麻生・菅)の反応はともかく、安倍総理の側近である甘利明氏までもが、公共の電波で「強制的に休ませなければならない」と、健康不安説を助長させるようなことをわざわざ強調している。長期政権の記録を達成した以上、もう辞めたいのではないか。

新型コロナ対応で感染拡大に歯止めがきかず、経済の立て直しも成果を出せない。今年4~6月のGDPが年率マイナス27.8%(速報値)になり、戦後最悪を記録したことが発表された。いまや異次元の金融緩和や大規模な財政出動で株価を支えてきたため、安倍総理に打つ手は残されていない。景気浮揚のために一縷の望みをかけてきた東京五輪は、中止になる可能性が高い。もはや投げ出したい、それが安倍総理の真意なのかもしれない。


◎[参考動画]麻生大臣「健康管理も仕事」診察受けた安倍総理に(ANN 2020/08/18)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

台湾の武力併合を射程に、香港民主化を圧殺する習近平 米中の軍事的衝突を孕んだ危機 横山茂彦

◆北戴河会議で何が話し合われたのか

台湾出身の評論家・黄文雄のメールマガジン「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」によれば、習近平のアジア戦略が急展開を見せるだろうと観測されている。

黄氏の分析によると、現在の香港に対する締め付けは、じつは台湾との統一に向けたものだとしている。そして香港での一連の騒動(国家安全維持法反対デモ)のなかで、中国では恒例の北戴河会議が行われたという。

この北戴河会議とは、渤海湾に面した中国河北省の保養地・北戴河に毎年7月下旬から8月上旬ごろにかけて、共産党の指導部や引退した長老らが避暑を兼ねて集まり、人事などの重要事項を非公式に話し合う会議である。毛沢東時代から開かれてきたが、会議の開催や結果は公表されない。胡錦濤・前国家主席時代の2003年にいったん中止を決めたものの、数年後には復活した。

今年はコロナウイルスの関係で開かれない見通しだったが、開かれたことに習政権の危機感が感じられる。習政権に批判的な長老が参加する会議を、あえて開いた意味は大きいとみられる。

会議の内容は言うまでもなく、米中問題や香港問題、そして2022年の共産党大会での習近平の続投問題などであろう。

黄氏の分析では、台湾との統一がこれまでの「平和統一」ではなく、武力をふくめた強硬なものに変化しつつあるという。

「5月末に行われた中国の全国人民代表大会での李克強首相の政府活動報告では、昨年までの『平和統一』を目指すという表現から、『平和』が抜けて、『統一』を目指すという表現になりました。そしてこのときの全人代で、香港への国家安全維持法制定を決定したのです」(黄氏)

習近平は2022年の共産党大会で、総書記3期目を狙っているという。マルクス・レーニン主義、毛沢東思想につづき、自分の思想・路線を「習近平路線」として個人崇拝的に打ち出し、個人独裁をもめざす習総書記にとって、いまだ足りないのは対外的な実績である。

そのための実績づくりとして、台湾併合を急ぎたい。その併合は、武力をふくめた強硬なものに変化しつつあるのだ。そのいっぽうで香港立法会議員の任期を1年延期している。いま香港で選挙を行えば、民主派による反中キャンペーンで香港が再び大混乱するという懸念からである。

台湾では今年1月の総統選挙で蔡英文が再選し、あと4年は民進党政権が続く見通しだ。しかも蔡英文は、新型コロナ対策の封じ込めに成功したため支持率が高く、これが急速に低下することも考えにくい。

そこで、習近平政権による軍事行動をふくむ強硬策が考えられると、黄氏は言う。

「台湾国防部は2018年に『中共軍事力報告書』を発表しましたが、そこでは、中国は2020年までに全面的な侵攻作戦能力の完備を目指しているという見方を示しました。そして、中国が武力侵攻する可能性があるのは『台湾による独立の宣言、台湾内部の動乱、核兵器の保有、中国との平和的統一を目指す対話の遅延、外国勢力による台湾への政治介入、外国軍の台湾駐留などが起きた際だ』と分析しています」

その「外国勢力による台湾への政治介入、外国軍の台湾駐留」が、アメリカを想定したものであることは言うを待たない。当面の中米の「戦場」は東シナ海であろう。


◎[参考動画]中国で海軍創設70周年行事 初の空母参加 北朝鮮も(ANNnews 2019年4月23日)

ここ数年の空母(遼寧ほか)をふくむ海軍の増強は、東シナ海(第一列島線)での制海権の確立、および南沙諸島の拠点化を見すえたものにほかならない。沿海海軍から、外洋艦隊(第二列島線越え)への脱皮、そして空軍力でも対台湾力関係の逆転が展望されている。

香港の民主化運動を締めつけ、返す刀で台湾の武力併合をめざす。この戦略は南沙諸島への軍港・飛行場建設などを見れば、中国の太平洋戦略はきわめて現実的なものとなってくる。

◆アメリカの動きをみれば、中国の戦略が浮き彫りになる

中国の太平洋戦略を見すえた、アメリカの動きも急ピッチである。

アメリカのアザー厚生長官が8月10日、台北市内の総統府で蔡英文(ツァイ・インウェン)総統と会談した。アザー長官は「台湾を強く支持し、友好的であるというトランプ大統領の意向を伝えにきた」と表明し、蔡総統も長官の訪台を「台米にとって大きな一歩だ」と歓迎している。

アメリカの閣僚の台湾訪問はじつに6年ぶりで、米台高官の相互訪問を促す米「台湾旅行法」成立後では初めてとなる。トランプ政権はアザー長官の訪台を1979年の国交断絶いらい、最高位の高官派遣としている。いうまでもなく、トランプ政権の「歴代アメリカ政権の中国政策の誤り」を是正するものとして、対中包囲網の一環を形成したことになる。

この15日にも空母ロナルド・レーガンとニミッツをふくむ空母打撃群が、東シナ海での演習を行なった。この空母打撃群は7月にも2度にわたり、空母以外の4隻の艦艇をともなう、本格的な水上訓練をおこなっている。

いっぽう、中国も7月1日から5日までに西沙諸島周辺で海軍演習を行なっている。このときは3つの戦区海軍(北部戦区海軍、東部戦区海軍、南部戦区海軍)から、それぞれ黄海、東シナ海、南シナ海に同時に大演習を実施させている。中でも南部戦区海軍は、南シナ海の中でも領土紛争を抱える機微な海域で演習を実施した。
中国は8月にも海南島沖の南シナ海で、東沙島奪取を想定した大規模な上陸演習を計画している。これについて、日本の防衛省防衛研究所はつぎのように分析している。

「海軍陸戦隊を主体にして南海艦隊の071ドック揚陸艦、Z8ヘリコプター、大型ホバークラフトなどを動員した本格的なものになるだろう」と。

このかん、自衛隊も公開訓練のなかで「島嶼奪還を想定した」上陸訓練や降下訓練をくり返している。アメリカ海軍との水上訓練も積み重ねてきている。この分野では、完全にシビリアンコントロールは機能していないとみるべきだろう。


◎[参考動画]USS America Conduct Flight Operations in South China Sea, F-35B Lightning II, CH-53E Super Stallion


◎[参考動画]USS Gabrielle Giffords On Patrol in the South China Sea

◆主役として巻き込まれることに、無自覚な日本政府

領土問題など政治的に緊張のある海域での演習・訓練は、そのまま軍事をふくむ外交戦略である。戦争が別の手段をもってする政治の継続(クラウゼヴィッツ)である以上、高度な政治戦の段階にあるとみるべきであろう。

とくに大統領選挙をひかえたトランプ政権において、外交上の実績づくりはそのまま得票を左右するものとなる。10年に一度は戦争をしなければならない、軍産複合体(人口3000万人)をその内部に抱えるアメリカにとって、それはトランプの単なる思いつきが契機になるわけではない。アメリカ社会そのものが戦争を必要とし、その格好の材料として中国の挑発、あるいはその第二戦線としての朝鮮半島情勢。すなわち北朝鮮の核・ミサイル武装の問題が浮上してくるのだ。

日本のシビリアンコントロールが機能していないというのは、アメリカ海軍の動きに自衛隊が自動的に巻き込まれ、いっぽうで日本政府が米中の政治的緊張とまったく別のところにいる、という意味である。あるいは無為と言い換えても良い。

アメリカの軍事的・政治的パートナーである日本は安倍政権という、からっきし危機管理に弱い反面、アメリカの言いなりになる意志薄弱な政権を抱えている。戦後75年において、わが国の事情とは関係なく戦争の危機はすぐそこにある。にもかかわらず、その戦争の危機の主役は無自覚なままなのだ。


◎[参考動画]中国建国70周年 最大規模の軍事パレード(テレ東NEWS 2019年10月1日)


◎[参考動画][中華人民共和国成立70周年] (CCTV 2019年10月1日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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天皇制はどこからやって来たのか〈14〉古代女帝論-6 皇統は女性の血脈において継承された

われわれは古代女帝論(5)の「元明天皇と元正天皇」で、元正女帝が女系女帝(元明女帝の娘)であることを確認してきた。皇統男系論者の多くはそれでもなお、元明天皇が天智天皇の皇女であることをもって、男系の血筋だと強弁する。女帝の実娘である元正天皇もまた、男系の血脈のなかに位置づけられるのだと。いいだろう。それでは彼らが忌み嫌う、しかしいまや定説となった王朝交代に引きつけて、皇統が女系において血脈を保ったことを明らかにしておこう。

◆応神王朝は馬とともに渡来し、大和の皇女を娶った

まず神功皇后が朝鮮半島(三韓征伐)で身ごもり、九州において誕生した応神天皇(第十五代)である。

九州で成立したとされる応神王朝は、それまで日本にいなかった馬を半島からともなって王権を樹立した。百済との国交、およびかの地からの技術者の採用、とくに鉄の精製、土木技術や養蚕、機織りを導入した。

即位に先立って、神功皇后が故仲哀天皇の腹違いの息子たち(香坂王・忍熊王)の二人を、琵琶湖に追い落として殺したのは、「朝鮮半島からの血が、皇統をかたちづくっている」で触れたとおりだ。旧王朝の後継者たちは応神の母・神功皇后の手で葬られたのだ。そもそも神功皇后とは架空の人物でありながら、皇統を左右する重大な役割を果たしている。壮大なフィクションを必要としたのだ。

この王朝交代劇には、じつは考古学的な裏付けもある。大和で銅鐸に代わって鉄器が盛んに造られた事実だ。つまり応神王朝は馬と鉄器をもった強力な軍事勢力で、大和に攻め上ったのであろう。謎の四世紀、応神王朝こそ邪馬台国の末裔で、神功皇后こそ卑弥呼だったのかもしれない。

◆婿入りする天皇

この王朝交代という史実を、万世一系を謳う「記紀」が応神帝の正統な皇位継承としているのはいうまでもない。だがそこには、苦肉の策が用いられなければならなかった。打倒した旧王朝の娘を娶ること、応神帝が皇族に婿入りすることで、大和王朝の後継者としての資格を得たとしているのだ。

すなわち、景行天皇(第十二代=崇神王朝三代目)の曾孫である仲姫命(なかつひめのみこと)を娶ることで、応神が皇位の正統性を確保したというのである。
景行天皇の没年は130年と考えられているから、270年に即位した応神帝とは140年間の時間的な距離がある。この間に三代が生きたとすると、50歳前後の子供としてギリギリ成り立つ計算だが、それは置いておこう。

仲姫命は品陀真若王(五百城入彦皇子の皇子)の娘である。五百城入彦皇子と同一人物とされる気入彦命が、応神帝の詔を奉じて、逃亡した宮室の雑使らを三河国で捕らえた功績によって御使(みつかい)連の氏姓を賜ったとされていることから、前大和王朝の内応者とみていいだろう。仲姫命の同母姉の高城入姫命、同母妹の弟姫命も応神天皇の妃として、応神帝の正統性を三重に担保したのが注目される。すなわち女系の血脈において、大和王朝の皇統は応神王朝に継承されたのである。したがって、応神の子・仁徳帝は女系男性天皇ということになる。

◆越前で育った継体天皇

もうひとり、明らかな王朝交代があったとされているのが、第二十六代継体帝である。継体帝は応神天皇の五世孫(彦人王の子)とされている(記紀)が、詳しいことはよくわからない。母の実家がある越前で育ったとされる。武烈天皇が崩御すると、大和王朝が混乱に陥り(約20年間の争乱が想定される)、そのかんに越前の勢力が畿内に進出したと考えられている。

その継体帝も、応神と同じように皇統の娘をめとっている。相手は仁賢天皇の娘で、雄略天皇の孫娘にあたる手白髪皇女(たしらかみのひめみこ)である。入り婿による皇位継承だったことは、ほかならぬ「記紀」の編者もみとめている。『古事記』には「手白髪皇女とめあわせて、天下を授かり奉り」とある。つまり、正統な皇女と結婚することで、皇位を授かったというのだ。

万世一系を謳うのもいいだろう。血筋の唯一性こそが天皇制の核心部分なのだから、史書のフィクションを信じ込むのも勝手である。だがその典拠である「記紀」において、女系天皇がすくなくとも二人、傍系をあわせれば膨大な数におよぶのだ。

※参考文献:『女性天皇論』(中野正志)ほか。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

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75年目の夏 読み直す終戦詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)

終戦から75年目の夏がめぐってきた。

とはいっても、本欄の読者のほとんどが、75年前を直接には知らないであろう。わたしも直接は知らない。いまや日本の国民の大半が、敗戦(終戦)の日を、直接には知らない時代なのである。

しかしながら、祖母や両親から聞かされた戦時の苦労、当時の現実を伝聞されるかぎりにおいて、次世代につなぐ責任を負っているのではないだろうか。

わたしたちは75年前のこの日、国民が頭をたれて聴いた「終戦の詔勅」を、おそらくその一節においてしか知らない。

とりわけ、以下のフレーズ

「然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の中から、「万世のために太平をひらかんと欲す」という結論部を「子孫のために、終戦(平和)にします」と読み取ってきたのではないだろうか。

だが、詔勅はこの部分だけではないのだ。

詔勅は広く天皇の意志を国民(臣民)に知らしめ、天皇の命令(勅)として、国民に命じるものである。そのなかに、当時の天皇と国民の関係が明瞭に見てとれるので、ここに全文を掲載してみたい。

真夏の一日、わが祖母や祖父、父母の時代に思いをはせながら、われわれの来しかたと将来を見つめなすことができれば。

と言っても、原文は以下のごとく読みにくい。書き下しのひらがな文になれたわれわれには、少々息苦しい漢文体である。原文は冒頭部だけにして、訳文を下に掲げてみました。

 * * * * * * * * * *

官報号外(1945年8月14日)

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦 実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

【現代語訳】

わたし深く世界の大勢と帝国の現状とにかんがみ、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝ら帝国国民に告げる。

わたしは帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。

そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするのは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、わたしの常々心掛けているところだ。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことは、もとよりわたしの志ではなかった。しかるに交戦すでに四年を経ており、わたしの陸海将兵の勇戦、官僚官吏の精勤、一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば、わたしはどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。

わたしは帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五臓を引き裂かれる。かつまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、わたしの深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も、わたしはよく理解している。しかしながら時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平をひらくことを願う。

わたしは今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、わたしが最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、わたしの真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

裕仁 天皇御璽
昭和二十年八月十四日
   各国務大臣副署

 * * * * * * * * * *

詔勅における昭和天皇の国民に対するまなざしは、政治機関としての主権代行者(昭和天皇自身は、天皇機関説の支持者であった)として、忠良なる臣民に告げるもの(命令)である。その内容の評価は、それぞれの視点・立場でやればいいことかもしれないので、ここでの論評はひかえよう。

そしてそれを受け止めた国民が、どのように行動したのか。ここがわれわれの考えるべき点であろう。

その大半は「やっぱり負けたんだ」「軍部のウソがわかった」「明日から電気を点けて眠れる」であったり、「われわれは陛下のために、死んで詫びるべきだ」「鬼畜米英の辱めを受けるものか」との決意であったりした。

これらは父母から聴かされた話である。しかしその「感想」や「決意」も、すぐに生死にかかわることではない。しょせんは銃後のことである。

しかし最前線で終戦を迎え、どのように身を処するべきかという立場に立たされた者も少なくなかった。いや、前線の将兵の大半がそうだったのだ。

そこで二つだけ、わたしが知っている事実をここに挙げておこう。

そのひとつは、宇垣纒(うがきまとめ)海軍中将の終戦の日の特攻である。宇垣は海軍兵学校で大西瀧治郎(特攻攻撃の立案者とされる=8月16日に官舎で割腹自決)、山口多聞(ミッドウェイ海戦で空母飛龍と運命を共にする)と同期で、連合艦隊(日本海軍)の参謀長だった人である。

終戦時には第三航空艦隊司令長官の地位にあり、大分航空隊(麾下に七〇一海軍航空隊など)にいた。広島と長崎に原爆を受けたのちの8月12日に、みずから特攻作戦に参加する計画だった宇垣は、15日の朝に彗星(雷撃機)を5機準備するよう、部下の中津留達雄大尉らに命じた。

そして終戦の詔勅を聴いたあと、予定どおり出撃命令をくだす。滑走路には命令した5機を上まわる11機(全可動機)と22人の部下が待っていた。宇垣がそれを問うと、中津留大尉は「出動可能機全機で同行する。命令が変更されないなら命令違反を承知で同行する」と答えたという。結果、宇垣をふくむ18人が帰らぬ人となった。

もうひとつは、年上の友人の父親の談(志那派遣軍)で、部隊名もつまびらかではない。南京の要塞に立てこもっていたところ、終戦の詔勅を聴くことになる。玉砕を主張する古参兵がいる中、部隊長の将校は兵たちにこう言ったという。

「お前たちは生きろ。生きて家族のもとに帰れ」「わが部隊は、ここで解散する」と。

その瞬間、それまで思考停止に陥っていた兵たちは、われ先に要塞から飛び降りた。三階建てほどの建物を要塞にしていたが、そこから無事に飛び降りていたという。どこをどう逃げ、引き揚げ船に乗ったのか、あまり記憶にないと語っていたものだ。

住民が巻き込まれる、悲惨な事件も起きている。

沖縄の久米島では、有名な住民スパイ虐殺(米軍の投稿勧告状を持ってきた住民を、海軍の守備兵がスパイ容疑で、軍事裁判抜きで処刑した事件=事件は6月以降、守備隊が米軍に投降したのは9月4日)も起きた。全島が戦場となった沖縄のみならず、満蒙開拓団のソ連軍からの逃避行も惨憺たるものだった。戦争はあらゆるものを巻き込んだのである。

あるいは生死が紙一重で死んだり、あるいは生き延びたりしたのであろう。悲劇なのかどうかも、すべては今にして言えることだ。合掌。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由
『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

菅義偉 ── この男を総理大臣にしてもいいのか? 苦労人に特有の「冷淡さ」

◆沖縄に苛立つ菅長官

7月28日付の本欄「混迷するポスト安倍 ── 菅義偉「中継ぎ」政権への禅譲の可能性」で詳述したとおり、岸田政調会長の存在感なさすぎから急遽、次期総理候補として浮上してきた菅義偉官房長官。彼らしい冷淡かつ傲岸なもの言いが物議をかもしている。

菅義偉官房長官公式HPより

8月3日の定例会見で、こう沖縄を非難したのだ。

「沖縄県が宿泊施設の確保が十分ではない、こうしたことについて、政府から沖縄県に何回となく、そうした確保をすべきであるということを促している」

沖縄でコロナ感染者が増えていることについて、病床が確保されていないことを質問されたさいの答弁。いや、あからさまな沖縄批判である。この怒り風味の喋りのさいに「チッ」と聴こえたのは筆者だけだろうか。気に入らない質問をされたとき、この人がやってしまう、舌打ちの癖だ。

東京新聞の女性記者との例にあるように、自分が攻撃されたと感じるとき(悪意の批判と思い込む)、この人の反応はかなり感情的だ。そして攻撃的になる。

とりわけ沖縄にたいして「(辺野古新基地建設を)粛々と進める」という言葉が物議をかもしたように(安倍総理らが翁長知事=当時の面会を拒否しつづけた時期である)、なんとも冷淡な気がする。

この菅長官の苛立った発言に、玉城知事は、「沖縄も大変だが頑張ってくださいという励ましを頂きながら(宿泊施設確保の準備を)進めてきた。国とやりとりする中できつい要求などはなかった」と語り、菅長官の怒りを意外なこととしている。

沖縄県の糸数統括監も「国が示した数字に基づいて医療機関と調整しながら進めてきた」とし、菅官房長官の発言を「意外な気がした」と述べている。

この人にとって、沖縄それ自体が苛立たしい存在なのかもしれない。何かと政権に盾をつく、日米同盟の「障壁」になるとでも思っているから、無意識に苛立たしさが噴出してしまうのではないか。

◆米軍基地が感染源だった

だがその苛立ちは、お門違いと言うしかない。そもそも沖縄の感染者増大は、米軍基地のアメリカ人たちによるものなのだ。

沖縄は4月30日に1人の新規感染者が出たのを最後に、7月7日まで、ずっと感染者ゼロを保っていたのである。それを破ったのが、米軍関係者の感染なのだ。7月4日のアメリカ独立記念日には県内で大規模なパーティが開かれ、8日には軍属5人の感染が確認され、キャンプ・ハンセンや普天間飛行場、嘉手納基地などの施設で米軍関係者の感染が相次いだ。まさに、沖縄のコロナ禍は米軍基地、および観光施設が対応をせまられる「GoToトラベルキャンペーン」なのである。そしてその推進者こそ、ほかならぬ菅義偉官房長官なのだ。

◆苦労人ならではの「寛容さ」がない人

菅義偉官房長官は、いわば叩き上げの政治家である。父親(農家から満鉄職員──のちに帰農)も苦労の末に町会議員になっているとはいえ、自民党議員にありがちな地盤を継いだ政治家二世ではない。高校卒業後に集団就職で上京し、板橋区の段ボール工場で働いた。上京から二年後、学費の安かった法政大学の夜間部(法学部政治学科)に入学し、卒業後は電設会社に入社している。

その後、母校の就職課の伝手で自民党議員の秘書となり、横浜市議会議員に転出(1987年)。そこから政治家の道を歩みはじめる。昭和で言えば50~60年代のこと、バブル経済が世を騒然とさせていた時代である。細川連立政権で野に下るなど、自民党政治も決して安逸な時代ではなかった。

やがて所属していた宏池会が分裂し、反主流派の堀内派に参画。ポスト小泉(2006年)で掴んだのが、安倍晋三擁立(第一次政権)の原動力というポジションだった(当選4回で総務大臣就任)。麻生政権のもとで番頭役をつとめて、第二次安倍政権を演出し(甘利明・麻生太郎に呼びかけ)、その官房長官に就任する。上述したように、沖縄をはじめとする政権に批判的な部分に対する冷淡さ、あるいは攻撃性が顕著になっていく。苦労人に特有の「寛容さ」あるいは「気遣い」「親和性」がないのは、どうしてなのだろうか。

かつて東京都知事選において、自民党に真っ向から歯をむいた小池百合子知事にたいしては「コロナは東京問題」と言い放つなど、相手のパフォーマンス(小池百合子の連日のテレビ出演による都民への呼びかけ)を凹ませる。じっさいは全国問題であり、政府の主導力が問題になっているにもかかわらず。このように万事が攻撃的、かつ冷淡な対応なのである。

◆果断さが失政につながる可能性

「寛容さ」がない、あるいは「冷淡さ」は「果断さ」と言いなすことも可能だ。この苦労人ならではの「果断さ」は、党内政治のなかでつちかわれたのかもしれない。

安倍政権での2007年、自民党選挙対策総局長に就任した当時、菅は就任早々「私の仕事は首を切ること」と発言し、候補者の大幅な調整を示唆したという。のちの官邸一元支配は、ここに萌芽をみとめることができる。麻生政権では、中川秀直や塩崎恭久ら党内の反麻生派を、硬軟取り混ぜた様々な手段で抑えたといわれている。
第二次安倍政権になると、2013年には郵政民営化の考えにそぐわないとして、日本郵政社長坂篤郎を就任わずか6か月で退任させ、顧問職からも解任している。同年に発生したアルジェリア人質事件では、防衛省の反対を押し切り、前例のない日本国政府専用機の派遣を行った。2014年5月には、内閣人事局の局長人事を主導し、局長に内定していた杉田和博に代わり加藤勝信を任命したとされる。自らが出演したNHK「クローズアップ現代」の放送内容について、放送後のNHKに官邸を通じて間接的に圧力をかけたと報じられた(事実や関与を否定)。

感情をオモテに出さないポーカーフェイス、それ自体が冷淡さを醸し出してしまう裏側には、苦労人ならではの果断さがあるのだといえよう。じつは感情を圧し殺すためにこそ、あの「粛々とした」冷淡さがあるのだと読み解くことができる。しかしその隠された感情が噴出するとき、思わぬ行動に出ることが危惧される。たとえばの話だが、支持層を失いつつある米トランプ政権が選挙パフォーマンスのために対中国強硬策に出るとき、あるいは北朝鮮にたいする何らかの軍事行動に出るとき。危機に弱い安倍総理に代わって、とんでもない強硬策に便乗する「果断さ」を、この政治家は持っていると指摘しておこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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「Go To トラベルキャンペーン」の闇 ── 政策変更ができない日本

◆このままでは、民族滅亡の危機か

全国の感染者がデイリー1000人を越え、とくにウイルス感染の「密集・密接」が顕著な大都市東京において、いよいよ460人越えの感染者数となった(7月31日)。医療崩壊を怖れるあまり、PCR検査にハードルを課してきた厚労省官僚(医系技官)および国立感染研のテリトリー主義の結果、日本はいよいよウイルス禍のなかで滅亡のきざしを経験しつつある。

このまま加速度的に感染者数が増加するようだと、太平洋戦争のような万骨枯れる事態にもなりかねない。4月の超過死亡率は例年通りだったが、法医学学会のアンケートで保健所と感染研が死後のPCR検査を拒否している実態で触れたとおり、厚労省官僚はウイルス禍による死因を隠している可能性が高いのだ。いずれにしても東京のみならず、大都市圏および沖縄のような観光地においても感染者数は増加の一途である。

◆なぜ観光キャンペーンを中止できないのか

にもかかわらず、わが安倍総理は国会審議および記者会見から逃亡し、半休出勤というチキンハートぶりを顕わにしている。それだけならば、危機管理にからっきし弱い宰相のみじめな姿を見るだけですむのに、余計なことをしでかす。

無為無策をかこちながら、安倍政権は反対意見を押し切って「Go To トラベルキャンペーン」を強行したのである。そして政府の新型コロナウイルス対策分科会では、キャンペーンへの疑義が出されたにもかかわらず、政府は議題にもしなかったという(7月31日)。

いったん決めてしまった政策を変更できない。それは日本が戦前にたどった道を彷彿とさせる。戦争への道を変更できなかった戦前の日本を支配したのは、統帥権を梃子にした軍部の政治支配であり、それをささえる国民の愛国心の熱狂であった。

しかし今日、日本の政界を支配してしまったのはカネによる業界利権、そのもとでの政策の捻じ曲げ。すなわち利権による政治の私物化にほかならない。きわめて私的な理由で、政策変更ができなくなっているのだ。

◆観光業界のドン

「週刊文春」によると、この「Go To トラベルキャンペーン」の推進者である二階俊博自民党幹事長をはじめとする自民党の観光立国調査会の役職者37人が、旅行関連業者(ツーリズム産業共同提案体)から4200万円もの政治献金を受け取っていることがわかっている。

つまり、こういうことだ。国民をウイルス禍にさらす旅行キャンペーン(旅行費の35%補助、15%のクーポン支給)は、旅行業界からの政治献金(限りなく賄賂に近い)への見返りだということなのである。

この「観光立国調査会」という組織は、二階幹事長が最高顧問を務め、会長は二階氏の最側近で知られる林幹雄幹事長代理、事務局長は二階氏と同じ和歌山県選出の鶴保庸介参院議員である。

そして実際に「Go To トラベルキャンペーン」の事業を1895億円で受託したのが、上述の「ツーリズム産業共同提案体」なる団体である。自民党議員に4200万円を寄付したのも、じつはこの団体を構成する観光関連の14団体なのだ。

そもそも二階幹事長は観光立国調査会の最高顧問を務めるばかりか、全国旅行業協会(ANTA)の会長でもある。この全国旅行業協会が、上述した観光関連14団体の中枢を構成するのはいうまでもない。二階幹事長はいわば、旅行業界のドンなのである。またもや利権政治、国民の生命を危機に晒しながら利権を追及するという、超の付く政商ぶりを発揮していると言わざるをえない。

週刊文春の記事から引用しておこう。

「(ツーリズム産業共同提案体)は全国5500社の旅行業者を傘下に収める組織で、そこのトップである二階氏はいわば、”観光族議員”のドン。3月2日にANTAをはじめとする業界関係者が自民党の『観光立国調査会』で、観光業者の経営支援や観光需要の喚起策などを要望したのですが、これに調査会の最高顧問を務める二階氏が『政府に対して、ほとんど命令に近い形で要望したい』と応じた。ここからGo To構想が始まったのです」(自民党関係者)

これこそ、政治の私物化にほかならない。

◆即刻「Go To トラベルキャンペーン」をやめ、全国の旅館とホテルをコロナ待機施設に転用せよ

わたしは政権批判のために、二階幹事長の政治の私物化をやり玉に挙げているのではない。感染者が増加しているさなか、1兆7000万円の使い方を間違っていると、そう言わざるをえないではないか。

現在、入院および療養中の感染者は8000人を超えているのだ。このまま毎日1000人を超える感染者が出るとしたら、数千単位で準備しているという病床は足りなくなる。病院への入院調整が、医療現場にたいへんな煩雑をもたらしているという(東京都医師会会長の会見)。心ある自民党員は、党の統制を怖れずに意見を言うべきである。1兆7000万円もの「Go To トラベルキャンペーン」費用を、政府はただちに待機用宿泊費に転用し、第二波パンデミックに備えるべきであると。


◎[参考動画]GoToトラベル「一旦中止を」野党と専門家が論戦 尾身氏は人の動きを見直す提言の可能性に言及

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
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天皇制はどこからやって来たのか〈13〉古代女帝論-5 イザナギとイザナミ

女性史研究において、女性差別の原典とされるのが「古事記」の国生み神話である。しょせんは神話だが、簡単におさらいしておこう。

天地開闢(てんちかいびゃく)のころの高天原の神々には、じつは性別がなかった。男女が生まれるのは、イザナギ(伊耶那岐)とイザナミ(伊耶那美)をふくむ神代七代(かみよななよ)の神々である。

さて、淤能碁呂島(おのごろじま)に宮殿を建てたイザナギとイザナミは、男女の交わりをして、ふたりで国を造ろうとする。ところが、水蛭子(ひるこ)が生まれてしまった。二神が別天津神(最初に生まれた造化の神)に訊いてみると、女のほうから誘ったからだという。

そこで、イザナギが先に声をかけてまぐあい、大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま 本州)をはじめとする八つの島が生まれた。イザナギとイザナミは多くの神々を生み出したが、火の神カグツチを出産したときにイザナミが火傷で死んでしまう。

妻の死を悲しんだイザナギは、黄泉の国にイザナミをたずねる。古代の神々の、なんと感情ゆたかで人間臭いことだろう。しかし訪ねてみると、イザナミは変わり果てた姿になっていた。イザナギは雷鳴や風雨に追われて日向の阿波岐原(あわぎはら)まで逃げて、そこで禊ぎを行ない、祓え戸の大神たちが生まれ給う。

神道の基本的な祝詞である「祓詞(はらえことば)」は、その顛末を簡略に記したものだ。

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
(かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ)
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
(つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに)
禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
(みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち)
諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
(もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば)
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
(はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと)
恐み恐みも白す
(かしこみかしこみもまをす)

またこのときに、天照大御神(アマテラスオオミカミ)・月夜見尊(ツキヨミノミコト)・素戔鳴尊(スサノオノミコト)の三貴子も生まれている。

ニニギノミコト(邇邇芸命)は天照大御神の孫にあたり、天孫降臨のヒーローである。この男性神が地上に降り、木花之開姫(コノハナノサクヤヒメ)をめとって海幸彦・山幸彦らをなす。天孫は男性神であり、したがって地上の神話は男の物語になる。女性は太陽であることをやめたのだろうか──そうではない。

◆元明天皇と元正天皇

元明天皇は天智天皇の皇女で、持統天皇の異母妹である。

草壁皇子と結婚して皇子(のちに文武天皇)を成したが、皇太子となった草壁が即位しないまま亡くなってしまう。

やがて息子の文武天皇が亡くなると、元明は中継ぎの女帝として即位した。そして平城京への遷都を行なう。執政をたすける右大臣藤原不比等が、最高権力者になった時期である。彼女に中継ぎを強いたのは、大政治家・不比等にほかならないが、彼女が操り人形だったかどうかはわからない。

この時期、国司のもとに郷里制が実施され、律令政治が地方の末端まで行きとどく。徴税と兵役が容易になったのである。元明天皇も各地の国司に詔を発し、荷役に従事する民びとを気遣うよう命じた記録が残っているのだ。

やがて元明天皇が譲位して、娘の元正帝が即位する。元正は結婚経験がなく、独身で即位した初めての女帝である。文武天皇の遺児・首皇子(のちに聖武天皇)がまだ幼かったので、ある意味では母とおなじく「中継ぎ」ということになる。藤原氏の血を引く帝が即位するまで、まだ時間が足りなかったのである。じつはこの連載の核心部分が、この「中継ぎ」とされる二人の女帝なのである。

よく言われることに、古代の女性天皇は中継ぎだったとの評価がある。しかし、すでに見てきたとおり、推古帝おける厩戸皇子(聖徳太子)が即位しなかったのはなぜか? 皇極帝においても、孝徳天皇は難波宮に孤立させられた。あるいは持統帝の後継者と目される草壁皇太子はすぐに即位しようとせず、あるいはなぜか即位しないまま亡くなっている。これらはおそらく、女帝たちの意志と無関係ではないだろう。

そして、保守系の歴史家が無視するか、直視したがらない史実がある。中継ぎの女帝(元正)は、女性天皇(元明)の実の娘なのだ。

元明天皇の夫である草壁皇子が即位しないまま、元明天皇の娘・元正天皇(女系)が即位した史実は、女系天皇反対論者には思いもよらないことであろう。草壁が天皇ではなかったかぎりにおいて、元正帝こそ女系女性天皇なのである。

元明・元正母娘はかならずしも実力派の女帝ではなかったが、古代女帝王朝は花盛りとなる。というのも、つぎの孝謙帝にいたっては立太子ののちに帝位に就き、貴族たちを相手に政争をかまえては、ことごとく勝利のうちに天皇親政を実現するかにみえるのだから──。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

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月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

韓国・平昌市の安倍晋三土下座像から見えてくる〈閉ざされる世界〉

◆従軍慰安婦像と土下座彫像

コロナ禍のなかで、世界が閉ざされようとしている。

水際防疫である検疫・入国禁止措置だけではない、政治的な相互鎖国が始まっているのだ。米中は「スパイの拠点」として、相互に領事館(テキサス州ヒューストン・四川省成都)の閉鎖を命じ、事実上の準交戦体制に入った。

韓国・平昌(ピョンチャン)市につくられた「永遠の贖罪」像

いっぽう、米朝対話・朝鮮南北対話は遠のき、日韓関係もまた「決定的な影響を受ける」(菅義偉官房長官)事態となっている。この「決定的な」事態を生起させようとしているのは、平昌(ピョンチャン)市の韓国自生植物園につくられた「永遠の贖罪」像である。従軍慰安婦を象徴する少女像に、ひざまずいているのが安倍晋三総理であるという。

植物園は「安倍首相が植民地支配と慰安婦問題について謝罪を避けていることを刻印し、反省を求める作品」としている。

そのいっぽうで、個人的にこれを作った園長のキム氏は、一部メディアの取材に「安倍首相を特定してつくったものではなく、謝罪する立場にある全ての男性を象徴したものだ。少女の父親である可能性もある」と話しているという。このコメントはおそらく、内外からの議論噴出・賛否の声が大きくなったことへの対応であろう。土下座像の近影をみると、どう見ても安倍総理の面影・姿勢であることは印象は否定できない。デフォルメされたものではない、きわめて写実的につくられた彫刻なのである。

◆日本政府の無策が泥沼化をまねいた

いずれにしても、冷え込んだ日韓関係がさらに深刻な状態になるのは必至だ。

というのも、この8月4日には徴用工裁判で凍結された日本企業資産が公示を終えて「現金化」されるからだ。これが実施されれば、韓国における日本企業のまともな企業活動は不可能となる。さらには軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の契約更新も控えている。

ところが、もはや泥沼と化した日韓関係にもかかわらず、日本政府は「(土下座像は)国際儀礼上、許されるものではない」(菅官房長官)とコメントするだけで、何ら手を打とうとしない。

そもそも慰安婦少女像は民間で作られたものであり、韓国政府に「国際儀礼」をもとめても始まらない。民間人の政治表現であるがゆえにこそ、特使を派遣して韓国社会に直接うったえ、日本の立場を理解させる外交上の努力が必要なのだ。外交当局・韓国政府のみならず、韓国市民との対話を通じて「日本の謝罪の真意」あるいは「日本の誠意」を表明することこそ、日本政府が責任をもって行なうのでなければならない。

にもかかわらず、安倍政権は「不快感」を表明するだけで、何ら行動を起こそうとしないのだ。元来、きわめて政治的な韓国の司法において、世論に働きかけるより他に方法はない。司法判断を文政権にせまることで、三権分立を掘り崩そうとする安倍政権の対応が滑稽に見えてしまう。

文政権になって、初めて首脳会談が行なわれたのは一昨年の5月、日中韓サミットの付随的な会談だった。50分の首脳会談ののち、ワーキングランチが約1時間、形式的な「日韓関係を未来志向で発展させていくことを確認し」たにすぎなかった。

昨年12月の会談も安倍総理の訪中のさいに行なわれた付随的なもので、わずか45分という短さだった。通訳を通しての会談であれば、実質的な会話は半分以下、それぞれが10分程度の発言となる。事前の事務方協議がある会談とはいえ、じつに無内容な会談となったのである。

しかも「日韓両国はお互いに重要な隣国同士であり、北朝鮮問題をはじめとする安全保障にかかわる問題について、日韓、日米韓の連携は極めて重要だ」「この重要な日韓関係を改善したい」(安倍総理)。これにたいして「直接会い、正直な対話を交わすことが重要だ。両国がひざを交えて知恵を出し、解決方法を早く導き出すことを望む」(文大統領)という聞こえの良い共同記者会見の中身が、継続されることはなかった。

◆不可逆的なモニュメント

2015年8月、韓国・西大門刑務所の跡地で頭を垂れる鳩山友紀夫元総理

それにしても、従軍慰安婦問題は「不可逆的に解決」したはずである。その結果、新たに完成したのは、安倍総理をかたどった「非可逆的なモニュメント」だった。

前政権を訴追ないしは殺す韓国を相手にした交渉において、そもそも「解決」など望むべくもなかったのだ。

それがたとい国際条約法上あるいは国際慣習上、不思議な事態であっても、韓国の世論が日本の謝罪をみとめないかぎり、けっして歴史観の一致はありえないのだ。

したがって、今後は金色の安倍晋三像にひたすら謝罪してもらい、足りない分は安倍総理自身が韓国の国民との対話をつうじて、その真意を理解してもらうほかない。安倍総理に「謝罪の真意」があれば、という仮定になるとしても、元総理・鳩山友紀夫氏がかつて中国、韓国において、頭を垂れたように。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
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混迷するポスト安倍 ── 菅義偉「中継ぎ」政権への禅譲の可能性 横山茂彦

新型コロナ防疫対策で、無策と危機管理のなさを露呈した安倍政権が末期であることは、もはや誰の目にも明らかとなっている。

朝日新聞が実施した世論調査(2020年5月第2回調査)によれば、支持29%、不支持52%である。安倍総理に批判的な朝日新聞とはいえ、29%という数字は危険水域であろう。

共同通信が6月17~18日に行った調査では、安倍政権の支持率は44.9%で前回より10.5ポイント低下。不支持の43.1%と拮抗する結果であった(共同の調査では、2012年の第2次安倍政権発足以来、安定して50%以上の支持率を保っていた)。

7月のNHKの世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人は、先月の調査と同じ36%だったのに対し、「支持しない」との答えは45%である。

これら支持率の停滞・急落は自民党不支持ではなく、宰相である安倍個人の政治能力への不信感にほかならない。

◆院政をねらう安倍晋三の陥穽――岸田文雄無能説

誰がやっても同じだから、見た目が「よりマシ」な安倍で良いというわが国の政治文化によって、前代未聞の長期無責任政権は延命してきた。

ひとつには自民党の人材不足、そして官邸人事による官僚統制(族議員の政治活動の統制)、さらには小選挙区制による公認の本部統制(派閥の管理)を背景に、選挙で勝てる安倍右翼政権は未曾有の長期政権となったのだった。

総裁任期が来年秋となり、そろそろ「辞めるべき」という国民の声も大きくなったいま、安倍総理が準備しているのは政権禅譲と「院政」であろう。

7月19日の時事通信報によると、安倍総理の盟友である麻生太郎副総理兼財務相らの有力者から、自民党の岸田文雄政調会長を「ポスト安倍」候補として推すことに疑問の声が漏れはじめているという。

課題である発信力が向上せず、党内での指導力も見えにくいためだ。安倍総理が絶対に避けたい石破茂氏の党総裁選出阻止のため、菅義偉官房長官を担ぐ案も浮上しており、首相が描く岸田氏への禅譲路線が揺らいでいるとの観測だ。

岸田文雄政調会長公式HPより
岸田文雄政調会長公式HPより

岸田の発信力のなさは、この欄でも再三指摘してきた。年に4回しか発行されない季刊誌「翔」は、写真と形式的な挨拶、連絡事項やプロフだけの貧弱な内容である。

公式サイトの活動報告も政治部会や会派(宏池会)の報告、目新しい内容のない記者会見を掲載しているにすぎない。

公式サイトの看板メッセージも、以下のとおり「戦後レジーム」(安倍晋三)の平和主義であり、何らみずからの主張があるわけではない。平和国家の実現のために、何が必要なのか具体策があるわけではなく「国民が何を望むのか」などという小学校の教科書のごとき凡庸さである。

【世界で唯一の戦争被爆国である日本はこれまでもこれからも平和国家として歩みます。私はその歴史を受け継ぎ、希望ある未来を目指し国民が何を望むのか現実を見据え勇気をもって決断する政治を実現していきます。】

たとえば石破茂が毎週ブログを更新し、石破チャンネルという動画で所見や個人的な趣味などを発信しているのに比べると、まるで「失語症」のような寡黙さなのだ。

とくに記憶に新しいのは、岸田氏の肝煎りとされた新型コロナウイルス対策の「減収世帯への30万円給付」が、公明党が求める一律10万円給付に覆されたことだ。これによって力量不足が露呈し、各種世論調査の「次の首相にふさわしい人」では石破氏に大きく水をあけられたまま、差が縮まる気配もない。総理周辺は「あれでは石破氏に負けてしまう」と危機感を隠さない。

◆菅義偉中継ぎ政権への禅譲説

そこでにわかに浮上してきたのが時事報が伝えるとおり、菅義偉官房長官の中継ぎ総理・総裁就任説である。

菅義偉官房長官公式HPより

安倍総理は7月21日発売の「月刊Hanada」に掲載されたインタビューにおいて、菅官房長官を「(ポスト安倍の)有力候補の一人であることは間違いない」との見方を示したのだ。「ポスト安倍は菅長官で決まり」との評価について感想を問われたのに対して答えたものだ。ただし、続けて「『菅総理』には『菅官房長官』がいないという問題がありますが」などと語り、質問者の笑いを誘っている。

年初から安倍総理は意識的に「菅はずし」を表現してきた。アベノマスクや一時給付金、個人事業者および中小企業支援の持続化給付金も、官邸補佐官や秘書官の提案に依拠してきた。

あるいは二階俊博幹事長の策を入れることで、危機管理における党内の融和をはかってきたのだった。

その「菅はずし」自体は、ナンバー2を嫌う、狭量なトップの神経衰弱、および菅官房長官が「令和おじさん」として国民にひろく認知されることになったことへの「嫉妬」にほかならない。

そしてもう一点、菅官房長官が無派閥ながら独自の強力な財界人脈を持ち、党内でも「菅グループ」ともいわれる無派閥議員の糾合を行なっているからだ。

実際に、菅義偉を中心にした「準派閥」は、昨年の6月20日に発足している。ホテルニューオータニに、5期~7期目の議員が集り、「令和の会」が発足しているのだ。菅氏のもとに若手無派閥議員約20人が集まる「ガネーシャの会」や、派閥所属議員も加えた「偉駄天の会」、さらには参議院の菅グループまで集合し、総勢50人ほどが結集したことになる。無派閥議員で菅義偉を支持する勢力は、衆議院だけで30人に達するという

つまり、安倍の「院政」が成り立たない可能性があるがゆえに、ポスト安倍から「菅はずし」を画策していたものだ。

いっぽう菅官房長官は、7月19日のフジテレビ番組で、秋に予想される内閣改造・自民党役員人事をめぐり、官房長官としての続投に意欲を示している。「引き続き官房長官として支えていくか」との質問に「安倍政権をつくった一人だから、そこは責任を持っていきたい」と述べたのである。来年9月の自民党総裁任期を巡り「ポスト安倍」への意欲を問われると「全くない」と強調した。ポーカーフェイスで「粛々と」役割をこなす、菅らしい受け答えといえよう。

にわかに浮上した菅中継ぎ禅譲政権論だが、政治家の約束ほど不確かなものはない。安倍晋三が「過去の人」になったとき、わが国の舵切りは大きく曲がる可能性がある。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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天皇制はどこからやって来たのか〈12〉古代女帝論-4 持統天皇 ── 古代史上、最強の女帝

白村江の戦いで唐・新羅軍に敗れた中大兄皇子は、近江大津宮に遷都して天智天皇となった。唐・新羅軍の来寇に備えるいっぽう、近江令を発して律令制をととのえる。のちの公地公民制のもとになる戸籍も、このとき初めて作られた。

その天智帝が没すると、弟の大海皇子(天武天皇)と大友皇子(天智の第一皇子)が帝位を争う。壬申の乱である。大海皇子は吉野に隠棲し、東国の兵をあつめて近江京を攻めた。

乱に勝った天武天皇の后が、鰞野讃良(うののささら 持統)である。彼女は天武の吉野隠棲をともにし、このとき皇子たちに忠誠を誓わせている。天武とともに戦ったという印象がつよい。

その名は、小倉百人一首に収録された、この詠歌でよく知られる。

春すぎて 夏きたるらし 白たえの 衣ほしたる 天の香具山

やがて天武帝が病がちになり、皇后が代わって執政するようになった。そして夫が没すると、ただちにわが子草壁皇子のライバル・大津の皇子を謀反の疑いで捕らえ、自害に追いやっている。

この大津皇子は、じつは女帝が殺さねばならぬほどの傑物だったのだ。

「幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。性(格)すこぶる放蕩にして、法度に拘らず、節を降して士を礼す」(懐風藻)と称賛されるほど、非の打ちどころのない人物である。持統天皇の治世で編纂された『日本書紀』にも同様の記述があるので、抜群の人物だったのは疑いない。

密告があったとはいえ、われわれはここに持統の果断さをみる。わが子のために、ライバルを死に追いやったのだから。

しかしながら、彼女が望んでいたわが子・草壁皇子は病に斃れてしまう。このとき天武の遺児・軽皇子(文武天皇)はまだ七歳だった。天武天皇の存命中も大極殿で政務をとっていた彼女は、ここに即位して持統帝となる。45歳のときだった。

持統天皇の事蹟として有名なのは、藤原京の造営であろう。藤原京はわが国ではじめての条房制をもった都城で、5キロ四方の規模だった。25キロ平方メートルは、平城京や平安京よりも広い。

たとえば現在の京都御所の北辺を一条として、京都駅が八条、東寺をさらに南へ、東光寺あたりが十条である。当時の都城の北から南まで、歩いて一時間では着かないだろう。いずれにしても、それまでの簡易な御殿を宮と呼んでいた時代とはちがう、本格的な大極殿をかまえた巨大都市である。造営が巨大な国家プロジェクトだったにもかかわらず、皇極(斉明)天皇の時のような、民衆に怨嗟される記録は残っていない。仁政だったのか、批判も許さない圧政だったのかはわからない。

いっぽうでは律令の完成が急がれ、史書も編纂された。『古事記』(稗田阿礼)『日本書紀』(舎人親王)である。これには能吏の藤原不比等が監修に当たった。

◆なぜ、天照大御神が皇祖なのか

持統天皇は夫の崩御後、三年間も帝位を空位にしている。

なぜ、すぐにも草壁皇子を帝位に就けなかったのか、これは古代史の大きなナゾとされてきた。ライバルの大津皇子を殺してまで、わが子の立太子を実現したというのに。

この時期、律令の編纂作業は、世に比べる者なしと呼ばれた天才藤原不比等の手で進められ、史書もまた順調に成りつつあった。かりに草壁が病弱だったからだとしても、すでに天武天皇の殯宮(もがりのみや)の喪主として、立太子を内外に明らかにしていたはずだ。形だけの即位でも不都合はなかった。

だが、三年間も空位にしているうちに、草壁は病死してしまう。あたかも持統は、わが子が死ぬのを待っていたかのようだ。

そう、持統は草壁が死んだから、やむなく中継ぎとして即位したのではない。草壁の死を待っていたのであろう。なぜならば、みずから編纂させた「記」「紀」において、天照大御神および神功皇后(気長足姫尊)の記述をもって、女帝の正統性を語らせているからだ。元明・元正と女帝が連続することに、その編集意図は明白である。やはり古代の女性は太陽だったのだ。

上山春平氏は『神々の体系』の中で、『日本書紀』の神話には重要なテーマがあるという。祖母から孫への皇位継承(天孫降臨)がそれだ。のちに持統は孫の文武天皇に譲位して、みずからは皇統史上はじめての太上天皇(上皇)となるのだから。
彼女は帝位にあって、父・天智が果たせなかった律令の完成をいそぎ、藤原京の造営に力をそそいだ。そして大宝律令十七巻の完成を、上皇の立場でたしかめてから、その2年後に薨去した。

果断さと深慮遠謀な立ち居ふるまいから、壬申の乱そのものが彼女の策謀だったとか、天武から天智系への王朝交代説、さまざまに謀略説が語られるほど、その治世は力づよいものがある。不比等の辣腕ぶりに藤原氏の勃興も明らかだが、持統時代において古代天皇権力は最高潮に達したとされている。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』