開港から40年の三里塚(成田)空港〈18〉支援労働者の立場とは? 航空機用ジェット燃料の輸送をめぐって

学生が観念的で、頭デッカチなのは仕方がないことである。その大半が気分だからだ。どんな雰囲気で闘いに参加するのかは、二木啓孝さんのインタビューを参照(『NO NUKES Voice』最新16号)されたい。もちろん学生にも学生としての生活があり、大学の単位を取れなければ、卒業と就職はおぼつかない。だがその現実を感じさせない、自由な時間が学生生活なのであろう。かく言うわたしは、8年間も大学に在籍した。二度も逮捕されたが処分は受けなかったし、保釈の身柄引受人は在籍する大学の教授だった。学内の主流派の党派とは対立していたが、三里塚の英雄ということで敬意を表されていたように思う。いわく「あれは要塞戦戦士の横山」であると。学生革命家などお気楽なものだといえば、たしかにそうかもしれない。お気楽ではあったが、ずいぶんと犠牲を強いられた記憶はある。「滅私奉公」を「滅資奉紅」と呼び換えても、費やした時間はかけがいのないものだ。ふつうの若者が愉しんだ甘い青春とは、あまり縁がなかったと思う。

ところで、かくもお気楽な学生活動家にたいして、労働者の場合はそうはいかない。78年の開港阻止闘争では逮捕者の6割以上が労働者で、その多くが公務員だったことに、政府自民党は衝撃を受けていた。逮捕された労働者の場合は三里塚の裁判闘争とともに、多くの場合に解雇撤回闘争を強いられた。

 
国鉄千葉動力車労働組合HPより

◆クビを覚悟の生産点の闘争とは?

ところで、労働者の場合は、職場・生産点での闘いが、その試金石になる場合がある。三里塚闘争における鉄道労働者の場合がそれだった。空港および航空機にはジェット燃料が不可欠で、三里塚空港の場合はそれを運ぶのが動労千葉の鉄道労働者たち。つまり支援の最大勢力である中核派が虎の子にしている労働組合なのである。

ここに大きなジレンマが発生する。空港反対運動に参加しながら、空港に不可欠のジェット燃料を運ぶ。だったら、空港の命脈を握っているのだから、空港を機能させないカギになるではないか。と考えるのは単純すぎる。当時はまだスト権のない国鉄(公務員)である。違法なストをやれば必ず処分が待っている。すでにスト権ストや順法闘争などで、大量の処分者を抱えている労組にとって、組合が潰れてでもジョット燃料を運ばないのか、という問題である。わたしの弁護人だったH弁護士は隠れ中核派とも公然たる幹部党員ともいわれた人だったが「動労千葉がジェット燃料を止める? そりゃあ、組織が吹っ飛ぶねぇ」と笑っていたものだ。

 
国鉄千葉動力車労働組合HPより
 
国鉄千葉動力車労働組合HPより

軍艦を修理する反戦労働者

生産点の労働者というのは、かようにジレンマを抱え持っている。たとえば米海軍の横須賀の母港化に反対している造船労働者も、ドックで米艦船の修理をすることになる。海上自衛隊に反対している労働者も、自衛隊艦船の部品をつくることがある。軍艦を修理しない闘い、すなわち職場生産点での反戦闘争をするのであれば、就業を拒否してしまうか? それは無理な注文であろう。横須賀の修理ドックは、そのほとんどが自衛隊の艦船を受け入れていたのだから。同志がいたので、その言葉を紹介しておこう。「ぼくらは自衛隊の護衛艦も修理してるからね。能書きだけで、組合の活動なんてできないんだよ」機関紙の編集部として、彼を取材したときのことである。

三里塚に話をもどすと、反対同盟の農民たちは「動労千葉はジェット燃料を運んでいるじゃないか」「ちっとも、われわれの支援になっていない」と、ことあるごとに指摘したものだ。それに対する、支援党派の動きもあった。社青同解放派がジェット燃料を積んだ貨物車両を襲撃したのである。もちろん鉄道労働者に危害を加えたわけではないが、中核派にとっては労働者の職場を襲撃した、ということになる。この件では現地集会で両派がゲバルト寸前になった。じっさいにジェット燃料輸送を拒否する動労千葉のストライキ支援で、津田沼電車区に行ったことがある。ただし一日だけのストであって、組織を賭けた政治ストができたわけではない。

◆勝利をめぐる戦術とは?

 
レーニン『なにをなすべきか?』

およそ革命運動にとって、最後の勝利(武装蜂起による権力奪取)いがいは、運動の目的は陣地戦である。組織的な地平を獲得する以外には、闘争それ自体はほとんどが敗北であろう。しかし、やがて軍隊のなかに作られた革命細胞が部隊の大半を掌握し、工場がゼネラルストライキで操業を停止する。そしていよいよ、政治危機にさいして革命党本部が蜂起を支持する(レーニン「何をなすべきか」)。もはや警察力では革命の側に組織された軍隊を抑えられず、街頭では政府打倒お民衆蜂起がはじまる。と、ここまで来なければ、おそらく労働者は生産点で政治ストを行なうことはできない。いや、形だけの政治ストなら日本の労働者も経験してきたが、合法的なスト権の行使にすぎない。三里塚闘争は少なくとも、組合の存亡をかけた闘いへの選択肢を提起したという意味で、やはり歴史的な闘いだったのであろう。そこでは、具体的な勝敗をめぐる戦術が明白だったのだ。そのリアルさに、夢みがちな新左翼の活動家たちは魅せられたのではないか。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

官民ファンドは全て赤字! アベノミクス「成長戦略」の無責任

 
2018年7月30日付朝日新聞

政府は14ある官民ファンドを、再編成する検討に入った。この官民ファンドなるものは、アベノミクスの三つの矢のうち、リフレ(異次元の金融緩和=お札を大量に刷る)・財政出動(国債を大量に発行し、大型予算を組む=借金)・成長戦略のひとつ、つまり投資部門ということになる。

地域活性化、企業の海外展開の支援、ベンチャー企業の支援などを官民の投資で行なう「第2の財布」とも呼ばれてきた。再編成しなければならなくなったのは、無駄遣いや損益が発生しているからにほかならない。

◆運営費の増大は天下りがほとんどではないか

その実態は、こんなものだ。「産業革新機構」が1兆2,483億円の損益(ようするに赤字)、地域経済活性化支援機構が3,433億円の損益。以下、14すべてのファンドが赤字なのである。このうち第2次安倍政権発足後(2012年以降)に立ち上げたファンドが12もある。つまり安倍政権の第三の矢である「経済成長戦略」の実体がこれなのだ。

官民ファンドといえば、何か特別のプロジェクトのように考えがちだが、税金を投じた省庁の外郭団体にほかならない。血税をここにプールして地域や企業を支援しながら、しかしそのほとんどが赤字に陥っているというのだから、見過ごすことはできない。

 
株式会社農林漁業成長産業化支援機構HPより

たとえば、会計検査院から10億円の含み損を指摘された「農林漁業成長産業化支援機構」(農林水産省所管)は、食品加工や販売を手がける農家を支援する目的で2013年に設立されているが、実態はつぎのとおりだ。300億円を出資し、役職員は50人、運営経費は40億円に達している。経済効果は不明である。

通信インフラの海外進出支援の目的で設立された「海外通信・放送・郵便事業支援機構」(総務省所管)は、格安スマホの「フリーテル」を展開するプラスワン・マーケティングに13億円を融資したが、同社は昨年暮れに経営破綻した。

「海外需要開拓支援機構(クールジャパン)」(経済産業省所管)はアニメの海外配信を手がけるベンチャー企業に出資したが、3億円の損失を出している。このベンチャー企業はバンダイナムコホールディングスに売却され、海外配信を中止している。日本文化の発信という支援の目的は果たされなかったのだ。

クールジャパン機構HPより
 
クールジャパン機構HPより

◆新たな外郭団体にすぎなかった官民ファンド

これらのファンドは5年から20年の設立期間を設定し、最終的には国に資金を返すことになっている。ファンドの投資が成功すればともかく、失敗した場合に経営責任は問えるのか。会計検査院が今年4月に公表した検査結果によると、昨年3月段階で6つのファンドが投資や融資の回収が出来ない状態だという。国が出資したお金の半分も投資できていないファンドは8つもある。

ようするに、民主党政権のもとで縮小、ないしは廃止された各省庁の外郭団体・第三セクター・箱モノ行政を、成長戦略のファンドとして復活したにひとしいのだ。民間のビジネスを知らない元官僚たちによる、ずさんな運営と無駄遣い。こんなものがアベノミクスの実態なのだということを、われわれ有権者は知っておく必要がある。

あらためて外郭団体など作らずとも、自治体レベルで地域の活性化に成功している例は少なくない、とくに6次産業化(1次=農業・2次=農産物の加工・3次=流通販売)は、生産と販売を一箇所で行なう(田んぼの真ん中にレストラン)ことで、観光農業化に成功してもいる。そこには必ずキーマンがいて、推進者は農家であったり行政マンであるケースも少なくない。霞ヶ関官僚などという、まるで実業には役に立たない人々に任せるよりも、地域や業態を知っているキーマンを探すこと。そして経験に基づいた大鉈を振るうことこそ、成長戦略ではないのか。

財務省HPより

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

8月7日発売『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

私たちはアベノミクスと共に滅びたいのか? 安倍三選が導く国民経済破綻

「成長戦略」の基本的な考え方(首相官邸HPより)

◆インフレターゲットが実現できずリフレ政策は破綻
 
選挙では経済政策の効果を謳って賛成票を獲得し、じっさいの政策では「安保法制」による戦争外交への踏みこみ、過労死法案の強行採決、軍事費の増加と憲法改悪と、相反する政策で政権を維持してきた安倍晋三。その屋台骨が揺らぎはじめている。政権維持の核心ともいえるリフレ政策においてである。

7月31日、日銀は金融政策決定会合を開き、現行の大規模な金融緩和策の一部修正を決めた。住宅ローン金利などの目安となる長期金利の上昇を容認するほか、株価を下支えするため買い入れている上場投資信託(ETF)の購入配分を見直し、マイナス金利の適用対象も縮小するというものだ。

修正は2016年(平成28年)9月いらいのことであって、大規模緩和の長期化を前提にしながらも、膨らむ「副作用」を軽減するのが狙いだ。その「副作用」とは、金融機関の収益の悪化にほかならない。なにしろマイナス金利で、金融機関が保有する紙幣・貨幣が目減りする政策を採ってきたのだ。

これが金融制度を崩壊させないわけがない。貯蓄を増やすごとに保有する貨幣が目減りし、銀行は危険な融資に走らざるをえないのである。無理やりにもバブル経済をつくり出そうとした結果、銀行は疲弊してしまったのだ。おカネを動かすために、マイナス金利にしてみたところ、逆におカネが動かなくなった。

アベノミクス「3本の矢」(首相官邸HPより)

◆古すぎる経済モデル

じつに笑えない顛末だが、そもそも無理があった。実体経済をテコ入れできないまま、リフレ論者の言う金利政策と財政出動に終始してきたのが、アベノミクスの現実なのである。

そもそも安倍が頼みにしたリフレ政策とは、インフレを作り出すために「お札を刷る」ということだ。ゆるやかなインフレーションが経済を活性化(おカネの動きが良くなる)し、産業分野(生産過程)で成長がうながされる。つまり、生産の拡大と消費の際限ない拡大を期待した経済成長モデル(戦後経済復興)を、この時代に再現しようとしたのだ。

人々が新しい商品をもとめ、そのさきにある幸福を期待して、消費のために働く? しかし、いっこうに賃金は上がらないではないか。期待した幸福は、この先に本当にあるのか? 安倍さんの周囲にいる人たち(お友だち)は、なるほど幸福かもしれないが、われわれのところにまで及ぶのか?? これで消費が上がるはずはない。

アベノミクス「3本の矢」(首相官邸HPより)
国債発行残高の推移(日銀)

このうえ、さらに国債を買うだって?

このようなお寒い消費と金利動向のなかでも、日銀は短期金利をマイナス0.1%とし、長期金利を0%程度に抑える全体の枠組みは維持した。会合後の声明文では、長期金利について「経済・物価情勢に応じて上下にある程度変動しうる」と明記したが、そのいっぽうで黒田東彦総裁は記者会見で、これまで事実上許容していた水準の倍に当たる0.2%程度まで金利上昇を認める考えを示したのだ。金利誘導のため、年に80兆円をめどに実施している国債買い入れについても「弾力的に実施する」と減額を示唆し、金融機関の収益力悪化や市場機能の低下といった副作用の軽減を図るとした。

つまり泣きたくなるほど、国民の借金が膨らむということなのだ。併せて公表した「経済・物価情勢の展望リポート」では、物価上昇率の予想値を30年度は従来の1.3%から1.1%に、31、32年度も1.8%から、それぞれ1.5%と1.6%に下方修正した。ようするに、インフレターゲットの2.0%はとうてい望めないというのである。もはやリフレ政策は明らかに限界をしめしている。そもそも、新自由主義政策のもとに規制緩和を行ない、岩盤規制と戦いながら、インフレ政策が成立するはずがないのだ。唯一の積極策は観光立国だが、安倍政権はアジア外交に消極的すぎる。

◆ハイパーインフレの危機

問題なのは、どこまで国の借金は可能なのか、である。旧民主党(野田政権)とのあいだで交わした、消費税10%は見送られたままである。富裕層への累進課税(所得累進・付加価値税)も行なわれないままだ。

このままいけば、国債(円)の信用が失われて「ハイパーインフレ」が到来しかねない。ある日、突然、紙幣は紙切れになってしまう。コンビニエンスストアで「お支払いはコインでお願いいたします」などという事態も起きかねないのである。なぜならば、刷りすぎた紙幣を担保する金銀を日本国は持ち合わせていない。信用はまたたく間に崩壊するだろう。金本位制・銀本位制は過去の話だからだ。もはやニッケル硬貨、銅の10円玉、アルミの一円玉を大切にするべきかもしれない。安倍政権がつづくかぎり、恐怖のシナリオはすぐ目の前にある。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

開港から40年の三里塚(成田)空港〈17〉肉体派と知性派 人間は頭で生きるのか、それとも身体で生きているのか?

 
『戦旗派コレクション』より

わたしは理論誌とも思想誌ともいわれる雑誌の編集をやっていますが、理論や思想が世の中を変えるなどと思ったことは、じつはあまりない。人を動かすのは感情であり、魅力のある物事だと思うからです。その物事の原因や拠って立つ構造を解明することにこそ、理論や思想はあるのではないでしょうか。

とはいえ「理論派」「知性派」と呼ばれることに人は憧れ、その対極にある、やや侮蔑的な評価が「肉体派」ではないか。学生時代には、よく「君たちは肉体派だな」と言われたものです。この「君たち」とは、わたしの出身大学(けっこう受験生に人気はありまずが、一流とは言えますまい)の意味であって、わたしたちを評したのは、東京大学から「指導」に来ていた理論派の学生でした。どうせ俺たちは肉体派だという自虐が顕れるのは、三里塚現地で肉体労働に従事するときでしたね。団結小屋の改修や風車をつくるための穴掘り、要塞建設などなど。とにかくあてにされる。

ところがいちど、内ゲバで他党派と揉み合いになったとき、かの東大生は言ったものでした。「いいよな、君たちみたいに身長のある人は。相手に掴まれても、パッと突き放せるだろ」。このときに判ったものです。ああ、この人が「君たちは肉体派」と言うときには、背が低いことへのコンプレックスがあったんだな、と。

学生活動家というのは、大きな人か小さな人の両極端がなぜか多くて、昨年亡くなられた塩見孝也さんなどは巨漢系。塩見さんに早稲田でオルグされた故荒岱介さんも180センチの身長でした。いっぽう塩見さんと袂を分かつ赤軍派の指導者・高原浩之さんは小柄な方です。意外なことに、小柄な人のほうが頼りになると、よく言われたものです。

ヤクザも同じで、大柄な人と小柄な人がなぜか多くて、中肉中背という親分はあまりいない。たとえば工藤會の三代目・溝下秀男さん、山口組の五代目・渡辺芳則さん、太田興業の太田守正さんなど、小柄だが胸や腕は筋肉隆々という方が多かった。たぶん小柄だと、そのハンディを乗りこえるために鍛えるんでしょうね。大きい人だなと思ったのは、広島挟道会のM氏くらいのものだった。ヤクザは知性派とか理論派と呼ばれるのは評価が低い証しで、もっぱら「武闘派」が名誉ある親分ということになる。

◆「肉体派」という呼称に違和感がなくなった40代

わたしが「肉体派」という呼称に違和感がなくなったのは、40歳をこえるあたりからでしょうか。左翼活動家にしろヤクザの親分衆にしろ、付き合っている方々がひと回り年上なものですから、その中にいると話題が健康と病気の話ばかりだと気づいた。まだロードバイクはやっていませんでしたが、けっきょく左翼もヤクザも健康のことばかりになってしまうんだなと。だったら、今後は健康と環境問題が人類のテーマだと。

そこできっぱり、煙草をやめました。親父が肺ガンで死んだというのもありましたが、喫煙癖は病気だと思うと、意外に簡単にやめられたものです。いったんやめて、それでも家内が吸っていたので、もらい煙草をしているうちに「やっぱり、これって病気なのかな」と。そのうちに家内が怪我(浴衣で外出したときに、下駄を滑らせて脚の指を骨折)をして、じゃあ一緒に煙草をやめようとなったわけです。いらい、運動はもっぱらサイクリング、楽しみはお酒だけという生活です。さて、肉体派というテーマにもどりましょう。

 
『戦旗派コレクション』より

本格的にロードバイクに乗りようになってからは、肉体派という実感がむしろ誇らしく感じられたものです。もう50歳台になっていましたが、隆々たる大腿筋に盛り上ったハムストリングス。腕も硬く太くなっていきます。もうひとつ「肉体派」といえば肉体美をもって「演技派」に対置されるわけですが、肉体美という意味ではもう完全に、知性派とか理論派なんかというものを打ち負かす魅力があります(女優じゃないけど)。2008年の洞爺湖サミットにさいして、自転車ツーリングを呼びかけて「肉体派は集まれ!」というキャッチを同行するグループに提案したところ「せめて知的肉体派」にして欲しいと異論があった。単なる「肉体派」はダメらしい(苦笑)。

三里塚の横堀要塞にろう城が決まったとき、鉄の入った安全靴やぶ厚い作業着、フルフェイスのヘルメットに身を固めながら思ったものです。もっとスマートな都市ゲリラのほうが性にあってると。しかし逮捕されて3畳一間の独房にいると、三里塚の大地に身を躍らせたいと、そればかり考えていました。

もう還暦をこえたいまは、ひたすら健康のために自転車に乗り、健康な食材と美味しい料理が生きがいです。それと、やっぱりお酒なのですね。もう完全な肉体派。いまちょうど、五木寛之先生と廣松渉先生の対談本の復刻(抄録)を編集していますが、60歳で身まかられた大哲学者よりも、86歳にならんとする国民的作家のほうが肉体派だったということになります。肉体派万歳! (この連載は随時掲載します)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

本田圭佑が訪朝へ? ── 民間外交に追いつめられる安倍政権

7月19日、サッカー日本代表の本田圭佑が神奈川の朝鮮学園を訪ねた。名古屋グランパスエイト時代の同僚・安英学のもとめに応じたものだが、この訪問が訪朝につながるのではないかとの見方がひろがっている。本田圭佑は4月の南北会談に「素晴らしく、歴史的な第一歩」とツィートし、「多くの韓国人と北朝鮮の友人たちよ、本当におめでとう。そして乾杯!」と称賛していた。それが契機となって、安英学が朝鮮学校訪問に誘ったというわけだ。そしてこれが、本田の訪朝につながるのではないかという観測がひろがっているのだ。


◎[参考動画]本田圭佑が朝鮮学校をサプライズ訪問 「夢を諦めないこと」を訴える(Angelic Faulkner 2018/07/19公開)

 
フットボールサミット第8回『本田圭佑という哲学 世界のHONDAになる日』(2012年8月カンゼン)

◆本田の社会的な意識の高さ

本田はアメリカの俳優とともに、ベンチャー企業に投資するファンドを立ち上げ、そこでの収益を西九州集中豪雨の被災者支援に向けるなど、社会貢献に高い関心をもっている。引退後のサッカー選手が、たとえば貧困問題に取り組んできた中田英寿らのように、社会貢献活動に献身するべきだという考えをしめしてきた。

韓国も北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も、サッカーは人気スポーツである。スポーツ外交ということでは、北朝鮮はバスケットボールのデニス・ロッドマン(元NBA)を再三にわたって招き、金委員長自身がバスケットファンとして迎えている。日本でもアントニオ猪木議員が32回にわたって訪朝し、民間外交の成果をあげている。猪木議員の場合は個人的なパフォーマンスの色合いがつよく、そもそもプロレスにどこまでスポーツ性をみるかという問題がある。しかるに、サッカー日本代表の顔だった(本人は代表からの引退を表明)本田が、指導をかねて訪朝することになれば、ある種本格的なスポーツ外交の流れが生まれるかもしれない。

◆ポーズだけの安倍政権の内実が暴露される

しかし、そんな歓迎すべき流れの源流が出来つつあるなかで、その流れに追い詰められかねないのが、わが安倍政権なのである。米朝会談でトランプが「拉致問題の解決を提起」していらい、安倍政権も日朝対話にむけて動き出しているかにみえる。ポーズだけでもそうしなければ、日米・米韓、あるいは日韓の協調の流れから孤立し、東アジア外交のなかで何らの役割りも果たせなくなるからである。

このかん、北朝鮮側は「拉致問題の調査報告を日本側に説明する」と、対話の糸口をちらつかせている。しかしこれは、日本側が「受けとらなかった」2015年の特別調査団の報告書であって、2014年のストックホルム合意に基づくものにほかならない。その内容は、日本政府がけっして認めることのできない「8名の死、4名は未入国」なのである(6月22日ごろ、北朝鮮当局者から日本政府に連絡があったと、政府関係者が明らかにした)。

日本のインテリジェンス(情報力)と歴史問題への決着(植民地化の清算)をもって、先行的に拉致問題をリードすべきだ(蓮池透氏)ったのに、安倍は「徹底した制裁をつづける」ことで北朝鮮の崩壊を期待してしまった。これが戦略的な誤りだったのは、現在の日本政府の孤立に照らせば火を見るよりも明らかだ。

◆戦争を前提にした外交は破綻する

長距離ミサイルを開発し核で武装する北朝鮮こそ、おそらく安倍晋三にとっては理想の好敵手だったに違いない。そのために安保法制で自衛隊の交戦権、すなわち集団的自衛権を開封し、イージスシステムなど最先端の兵器で武装を推し進めてきたのだ。それはアメリカの軍産複合体(兵器産業)の要請でもあった。同時にそれは戦争の危機を煽りつつ、アメリカの一極支配と固い盟約関係をむすぶことにある。近未来的には、日米同盟を機軸に中国の台頭と対決し、軍事力による平和をめざすものにほかならない。しかしながら、アメリカトランプ政権が、なかばロシアにコントロールされ、ヨーロッパと中国にも保護主義を全面化しているなか、その一貫性のなさに振り回される運命にある。

気がついてみたら、アメリカに引きずられて戦争を始めてしまっていた、という事態も考えられないわけではないのだ。戦争をまねくかもしれない危険な政権を、これ以上つづけさせるわけにはいかない。


◎[参考動画]本田選手 ピッチの外で新たな挑戦(日本経済新聞2018/07/17公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』8月号!
『NO NUKES voice』16号 総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

大量死刑と独裁者たちの狂宴 ―― 誰がアイヒマンなのか?

教祖の麻原彰晃をふくむオウム真理教事件の七人が死刑を執行され、政府は国民の反応をみながら、つぎの死刑も準備しているようだ。七人もの死刑執行は、戦前の大逆事件(幸徳秋水ほか12人)いらいである。この死刑は真昼のワイド番組で、まるで中継でもされるかのように報じられた。ふたつのサリン事件で21人を殺し、内部での殺人事件、坂本弁護士一家殺害など、世紀の凶悪犯罪をおかした死刑囚たちの死は、ある種の感慨をもって受け止められた。その感慨とはおそらく、四半世紀いじょうも前に日本社会をゆるがせた事件の謎であろう。

いっぽう死刑の前夜、上川法務大臣と安倍総理は秋の総裁選をみすえながら、赤坂で宴席を設けていた。明朝の死刑執行が決まり、あたかも西日本を襲った集中豪雨が重大なものと予見されるなかである。翌朝の死刑と天災を嗤うかのように、防衛大臣をふくむ閣僚・自民党議員たちが酒宴を愉しんだのには、いささか不気味なものを感じないわけにはいかない。働き方改革関連法案の強行、カジノ立法と、矢つぎばやの政権運営には、もはや独裁政権の名がふさわしい。

◆死刑に慣れてしまったわれわれ

国民の多くは、オウム事件の真相が究明されなかった感慨のいっぽうで、わが国が死刑制度をもつ国であることには、あまり愕きを感じなかったのではないか。わたしたちの社会は犯罪の総数が減っているにもかかわらず、ワイド番組で凶悪犯罪が派手に報じられることで、死刑の存在も身近なものにしてしまっている。つまりわれわれは、死刑に慣れてしまったかのようだ。ワイド番組が凶悪犯罪を報じるのが悪いというのではない。国家による死刑は凶悪、あるいは憲法で禁じられた残虐な刑罰ではないのか、という問いが発せられることがあまりにも少ないのが問題なのだ。

今回の大量死刑に対する国際的な評価は、どうだったのだろうか。駐日EU代表部は、声明を発表し「加害者が誰であれ、またいかなる理由であれ、(オウム真理教の)テロ行為を断じて非難する」とした上で、このように呼びかけた。「しかしながら、本件の重大性にかかわらず、EUとその加盟国、アイスランド、ノルウェーおよびスイスは、いかなる状況下での極刑の使用にも強く明白に反対し、その全世界での廃止を目指している。死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果はない。

さらに、どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆である。日本において死刑が執行されなかった2012年3月までの20ヵ月を思い起こし、われわれは日本政府に対して、死刑を廃止することを視野に入れたモラトリアム(執行停止)の導入を呼びかける」

国連の人権高等弁務官事務所も、報道局の取材に対して文書で回答し、「死刑は人権上不公平な扱いを助長する」「他の刑罰にくらべ犯罪抑止力も大きくない」「麻原死刑囚ら七人の死刑が執行されたことは遺憾」としているという。現在、世界で死刑を廃止している国は138カ国である。これは全世界の70パーセントにあたる。死刑制度を存置している国は、58カ国である。先進国7カ国では日本とアメリカ(州によって死刑廃止)、G20では中国・日本・インド・インドネシアなどのアジア諸国とサウジアラビア、ヨーロッパは死刑廃止国が51カ国、存置しているのはベラルーシだけである。

かように世界の趨勢は死刑廃止に動いているのに、わが国では今回の大量死刑に快哉を叫ぶものもいたという。一時的な感情としてなら、それもいいかもしれない。ワイド番組で死刑報道に視聴者が興味をしめすのも、死刑というものが本来もっている、見世もの的な本質によるものだ。中世の処刑には遠路はるばる、それを見学するために旅をしてくる者もあったという。事件の被害者に思いをはせながら死刑をよろこぶのは、かれらがブラウン管をへだてた傍観者だからである。テレビで報じられる被害者感情は、容易に傍観者たちに伝わるものだ。しかし、死刑をふくむ重大犯罪に、誰もが逢着する可能性はゼロではない。カッとして凶器を手にしてしまう。それが複数人に及んでしまうことも、ないではない。ある意味で、凶悪犯罪とは事故なのである。自分の問題として引きつけて考える機会がない人は、それで幸せなのかもしれないが、犯罪者の大半はどこにでもいる人間が事故を起こした結果なのだ。

 
上川法相に対する日弁連・人権救済委員会の申し立て

◆人権救済と再審請求を無視した傍若無人ぶり

ところで、今回死刑執行された麻原彰晃においては、日本弁護士会の人権委員会から「心神喪失が疑われる死刑確定者の死刑執行停止を求める人権救済申立」という意見書が東京拘置所に申し立てられていた。死刑執行の17日前(6月18日)のことである。今回の死刑では「平成の事件は平成のうちに」「天皇代替わりや東京オリンピックに影響が出ないように」という政治的な判断が憶測されたが、事実はそうではない。6月18日の申し立てが引き鉄になったのは明らかであろう。

もうひとつ、今回処刑された7人のうち6人までが再審請求を行なっていた事実だ。いうまでもなく、再審は法的に認められた権利である。検察側に協力的だった井上死刑囚が、再審書面のなかで証言をひるがえすのではないかと危惧した法務当局は、再審請求中は死刑を執行しない原則を破ってまで、執行に踏み切ったのである。だとしたら今回の死刑執行は、きわめて政治的かつ恣意的なものだということになる。いや、そもそも死刑は恣意的で危険な刑罰である。EU代表部が危惧するとおり「どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆」なのである。オウム死刑囚が冤罪だと言っているわけではない。われわれのなかに、凶悪犯は殺せ! なぜオウム事件が起きたのかという社会的な考察なしに、悪いヤツは殺せという死刑肯定が蔓延するごとに、立ちどまって考える能力は失われるのだ。やがてそれは、今回のような大量死刑を数倍する事態をもたらすかもしれない。あたかも、ナチスの大量虐殺を業務としてこなしていった、SS将校アドルフ・アイヒマンのような感覚が……。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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開港から40年の三里塚(成田)空港〈16〉三里塚闘争と農業・農民問題

三里塚闘争は土地所有をめぐる空港反対運動だったのか、それとも農民闘争だったのか。社会運動の観点からは、そんな命題が残されたように思う。実態は農民が主体の住民運動であって、土地を奪おう(強制収容しよう)とする国家との闘いだった。農民が主体である以上、営農の問題は運動の原動力でもあった。農民にとって営農とはつまり、土地と共生して行くということにほかならないからだ。

◆資本主義における農民問題とは何か?

あのころ、わたしたちは社会主義論の立場から、農業の集団化というテーマが問題意識にあった。戦争反対や政策反対闘争の延長に革命を措定するのではなく、運動そのものが社会主義の要求を内包するものと提起するべきだと。そこで単なる空港反対運動ではなく、農民を社会主義に動員する萌芽があるはずだと考えていた。当時はオルタナティブ(政策選択)という言葉が流行していたが、あえて社会主義革命の準備という表現に執着したものだ。これは関西ブントと合流したゆえの党派性であろうか。当時、わたしが属した情況派の流れを汲む組織は、赤軍派の一派と合流していた。

一般的な定義をしておこう。マルクスの時代、農民は共同体を通じても自然の力(天変地異)に抗することができず、神や絶対的な権力(君主)に頼らざるを得ない(『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』)したがって、没落するか体制に組み込まれる存在だと考えられた。もっともマルクスは、ロシア革命の黎明期にベラ・ザスーリッチ(ナロードニキ・メンシェビキの女性革命家)に宛てた手紙では、ロシアのミール(農村共同体)の革命的な可能性を予言している。

いっぽう、帝国主義段階の資本主義の下では、農産物は国際競争の中で、商品として安価な地域に淘汰される。したがって農業は大工業化されるしかないので、農民の大半はかならず零落する。これが近代の農業・農民問題である。そこから、土地の共同所有・全人民的な所有のよって、農業の集団化が計られることで、農民は零落することなく生産性を上げることができる。と、レーニンおよびロシア社会民主党(ボ)を継承したコミンテルンは問題意識を持った(わたしの理解です)。したがって、農民は労働者階級と連帯して、社会主義に向かうべきである。そうしなければ、零落する小ブルジョアジーとなるしかないのだと。かなり教条的だが、新左翼の大半はこう考えていたはずだ。じっさいには、ソ連邦のコルフォーズ・ソフォーズ(国営農場と集団農場)は農民の営農意欲を刺激できず、資本主義的な工業化すらできなった。

 
二木啓孝さんインタビュー「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」(『NO NUKES voice』Vol.16より)
 
二木啓孝さんインタビュー「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」(『NO NUKES voice』Vol.16より)

◆共同出荷と有機農法

三里塚における農業の集団化は、東峰部落で行なわれたワンパック、共同出荷場の作業にその具体性があると思った。そこで現地集会の前夜には青年行動隊を呼んで、農業の集団化について討論会を持ったことがある。「どうせ闘うのなら、農業もいろんな方法でやってみっぺ。いろんなことを試してみる。そういう問題意識だな」と語ってくれたものだ。三里塚の運動が生協をはじめとする全国に広がっているから、流通も全国に拡大できる。じっさいに、わたしは藤本敏夫さん(加藤登紀子さんのお連れ合い)の「大地を守る会」のアルバイトをしていたから、三里塚の野菜(根菜類が多かった)の需要は実感していた。それでものちに、同じ東峰部落の堀越さんが朝採り野菜を団地などで直販したほうが、野菜の美味さは格段に上だったと思う。ぎゃくに言えば、三里塚の野菜は「三里塚闘争」というだけで、ありがたがられる存在だったのだ。

有機農法については、かなり早い段階で取り入れられていた。冬場の援農で、「堆肥を取ってきてくれ」と言われて、山積みになっている乾燥堆肥の温度におどろいたことがある。見えない微生物が繁殖して、そこだけ熱を持っているのだ。農学部の学生も「無農薬・有機農法(微生物農法)」に興味を持っていて、それを見るために三里塚闘争に参加するケースもみられた。

◆成田用水問題

三里塚闘争に農業農民問題としての側面が厳然たるかたちで浮上したのは、80年代なかばの成田用水問題だった。成田用水は高地(北総台地)である三里塚に、はやくから計画されていた。それが土壌整備(深田の底上げ)などと一体化して、空港建設の見返り事業として立ちあらわれてきたのである。支援党派の多くは、これを空港建設の一部と見なして反対した。用水建設反対運動も実力闘争となったが、これがのちに反対同盟の分裂にいたるひとつの契機だった。常東農民運動で名高い山口武秀さんの言うところを、伝聞だが記しておこう。共産党も新左翼も、農民運動としての三里塚闘争を政治闘争にしてきた。政治的に利用してきた、というニュアンスである。農業基盤整備を行わない農民運動は、営農とかけ離れたところで闘っていることになるのではないか。そういう意見だったと思う。肝に命じるべし。

◆農への志向

それにしても、三里塚闘争にかかわった学生たちは農業というものを体感することで、人生観が変わったのではないだろうか。少なくともわたしはそうである。わたしの先輩の二木啓孝さんも同様だ。最新号の『NO NUKES voice』(Vol.16)に「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」というインタビューにまとめてみた。ぜひ読んでいただきたい。明大農学部出身の二木さんは、鴨川の棚田で農に接している。

わたしの場合は連れ合いに誘われてだが、松戸の市民農園でささやかな「営農」をしている。年間9000円で3メートル×5メートルの畑に、ホウレンソウや小松菜、ミニトマトにナス、ピーマン、獅子唐辛子、トウモロコシ、キャベツなど。マンションでやってみたプランター農業とは、まったく地力がちがうので愕いた。週末だけの農業とはいえ、スーパーで野菜を買う機会が減った。みなさんも是非!(この連載は随時掲載します)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
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横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

電動アシスト自転車に不可欠な安全対策 ── 自転車文化の成熟を求めて

中高生のころにサイクリングにハマり、50歳を前後する時期に復活したわたしは、出もどりローディー(ロードバイク乗り)だ。わたしを自転車に復帰させた昨今のロードバイクブームは、健康志向とともにメカの向上が大きな要因であろう。ダウンチューブ(三角フレームの下辺)に手を伸ばさずに、ハンドルの手元で変換できるデュアルコントロールレバーの普及、フレーム自体の進化(カーボン化・アルミフレームの弾力化など)、変速のオートマ化も進んでいる。1分の1スケールの模型工作と言われる、カスタマイズの楽しみもスポーツ自転車ブームをささえているのかもしれない。ようするに、メカの進化である。


◎[参考動画]のん、「進化を遂げました」電動アシスト自転車「BESV」新モデル発売記念イベント(oricon 2018/03/12公開)

 

◆電動アシスト自転車の普及

メカの進化といえば、電動アシスト自転車の進化も目ざましい。この春には、通学用として前後輪駆動のモデルも登場した(写真)。後輪がモーターで駆動して、初速を得ることで前輪も電動モーターで動く連動性の構造だという。これなら悪路も簡単に乗り切ることができる。

だが、問題は乗り手の側にある。免許の要る原動機付き自転車(ミニバイク)に代わって、電動アシスト自転車が急速に普及することで、事故も多発しているのだ。原付(ミニバイク)で歩道を走る人はいないと思う(道交法違反です)が、電動アシスト自転車でなら、平気で歩道をぶっ飛ばす――いや、疾走してしまうのではないだろうか。電動アシスト自転車は車重が25~30キログラムである。ちなみにロードバイクは10キログラム以下、ママチャリは15~20キログラムほどだ。

◆死亡事故の発生

車重25キログラムの物体が、50キログラム前後の人間を乗せて疾走してくる。しかも片手にスマホ、もう片方の手にはペットボトルという、およそブレ―キングができない状態の自転車が死亡事故を起こした(川崎市麻生区)。今年の2月のことである。事故を起こした女子大生は書類送検(重過失致死容疑)され、被害者女性(77歳)は亡くなった。電動アシスト自転車のキャリパーブレーキは、それなりに効く構造になっているものの、ブレーキに指がかからないのではどうにもならない。

一般的な車種で時速25キロメートルまで、電動アシストが効くことになっている。時速25キロというと、クルマなら緩慢な走りに感じられるが、自転車の場合はかなりの速度だ。プロ(実業団上位)のロードレースで、巡航速度は男性が時速40キロ、女性でも30キロ台の後半である。荒れたアスファルトなら、30キロを超えたころにフレームがたわむほどの振動が発生する。35キロを超えると、わずかな段差でも強い衝撃をうける。時速20キロならば、1秒間に5.556メートル進む速度だ。1メートル動くのにおおむね1秒かかる人の歩行(時速4キロ)に対して、5.5倍のスピードである。時速30キロで安全走行している車列の横を、時速165キロのスポーツカーが爆走する。よくわかりにくいかもしれないが、そんな感じの速度差なのである。事故が起きないほうがおかしい。

 

◆もとめられる講習と保険

じつは、わたしのように自転車に乗っている人間にとって、いちばん怖いのは主婦のママチャリや高校生の通学自転車である。クルマや原付のドライバーとはちがい、彼女たち・彼らは交通ルールをほとんど知らないからだ。そしてじつに気軽に話をしながら、あるいはゲームをしながら走ることが、すくなくとも可能だからなのだ。

電動アシスト自転車の事故が増えるのをうけて、自転車保険への加入を義務付ける自治体も増えている。保険も必要だが、講習会の実施をお願いしたいものだ。自転車はやむをえない場合をのぞいて、車道の左側通行が原則であること。歩道から車道に出るさいの後方確認、一時停止の履行、などなど。これ以上、楽しいはずの自転車が凶器にならないよう、行政当局の対応をお願いしたいものだ。

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

開港から40年の三里塚(成田)空港〈15〉話し合いへの茨の道

このたびの集中豪雨によって被災された方々に、お見舞い申し上げます。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

◆くり返された水面下の話し合い

1978年5月の出直し開港の前に、財界首脳が労働界を介して反対同盟との話し合いを行なったのは前述したとおり 。政府の無為無策に対して、財界が音頭をとることで休戦協定を結ぼうというものだった。ところが千葉県自民党と千葉日報の暗躍で、戸村一作委員長が福永運輸大臣と会談することになり、財界首脳の「和解調停」はついえた。政府運輸省としては、戸村委員長と話し合うことで誠意は尽くした、ということになったわけだ。

これが結果的にはどうだったのか。たとえ財界が音頭をとったところで、おそらく政府当局者(福田政権)は休戦協定を結ぶことはなかっただろう。反対同盟が財界首脳との協議で要求していた「逮捕者の即時釈放」(超法規的措置)を、司法当局はもとより行政府が肯(がえ)んじるはずがない。反対同盟の総意もまた、中途半端な和平ではなく「空港絶対反対」だった。じっさいに労働者学生の血が流され、獄中には捕らわれた若者たちがいるのだ。そして死者が出ている以上、安易な妥協策を講じるのは、即座に「裏切り」と言われかねない。

とはいえ、日本人同士が血を流し合う空港反対闘争の終結、あるいは円満な解決を、反対同盟農民も望んでいた。秋葉哲さん(救援対策部長)は「政府が二期工事を断念すれば、こっちも闘争の矛をおさめる準備がある」と語っていたものだ。これは初期の財界調停案でもあって、第三の首都圏空港を千葉県船橋の沖に海洋空港として建設する。都心からのアクセスが悪い三里塚空港は、貨物便用途の空港とする。そんな構想は現実的に感じられていたものだ。そのための水面下の交渉が、何度となく繰り返された。

80年代の全般を通して、反対同盟の幹部が政治ブローカー(農本系右翼や新左翼の元幹部)の手引きで、自民党政治家に接触した。そしてそのたびに、写真入りですっぱ抜かれてしまい、交渉は頓挫するのだった。すっぱ抜かれたものは氷山の一角で、表面化しない交渉もおびただしくあったのだろう。あるいは、反対同盟の幹部がひそかに自分の土地を空港公団に売ってしまい、それが露顕することもあった。その幹部にとっては、背に腹は替えられない事情があったはずだ。何も食わずに闘えと言うほうが、そもそも無責任ではないか。土地を奪われては食べていけないという原点から、空港反対運動は出発したのである。反対運動をやっているがために、食えなくなったのでは原点にもとるといえよう。


◎[参考動画]三里塚 大地の乱 前編(newleft1984 2009/09/19 に公開)

◆都市ゲリラ化した反対闘争

いっぽう、話し合いが模索されるなかで、支援勢力(新左翼)はどんな動きをしていたか。開港後の80年代は、飛び道具をつかったゲリラの時代だった。それも自動発火装置や金属弾、そして70年闘争いらいの爆発物も登場した。空港敷地内や建造物への攻撃、ジェット燃料のパイプラインへの攻撃。そして90年代に入ると、個人へのテロが急増した。千葉県の土地収用委員へのテロ、空港関連事業を請け負った企業の個人をねらったもの、その家屋を爆破するなどである。

あえて運動の一環としてのゲリラ闘争とは書かない。それが敵の弱い環をねらう戦争の基本戦術であったとしても、運動から孤立したテロリズムは空港を廃港にするという目的からは大きく逸れているとわたしは思う。空港を廃港にするというのならば、国民的な議論を経なければありえないはずだった。三里塚に臨時革命政府(労働者権力)ができるのならともかく、廃港は政府の決断をもとめることになる。ということは、政権交代や政治危機(政権が立ち行かない事態)をつくるよりないのだ。

開港を阻止したとき、国民の4分の1が空港よりも緑の大地を取りもどすべきだと、空港建設に反対だったのだから、大衆運動と国民的な議論による廃港の可能性はないわけではなかった。よしんば武装闘争が政治革命を目的にしたものであったとしても、物理的に政治権力を倒すには国民(人民)の圧倒的多数が政府を追い詰め、いっぽうで警察や軍隊の一部が革命の側に来るのでなければ成立しない。それは歴史上の革命が教えるところだ。先進国における革命とは帝国主義支配下の民族解放戦争ではなく、人と社会の変革なのだから――。

具体的にしめしておこう。空港の施設建設を請け負った企業の寮が放火され、労働者2名が殉職している。やはり空港関連企業の幹部宅が爆破され、無関係の父親が死亡している。公団職員の自宅が焼かれ、土地収容委員がテロで重傷を負った。三里塚闘争は大衆運動からかけ離れた、テロリズムになってしまったのだ。

◆円卓会議という名の懐柔策

90年代に入ると、宇沢弘文・隅谷三喜男といった学者が調査団を立ち上げて、三里塚闘争の収拾策をはかるようになる。宇沢にしても隅谷にしても、研究者としての人生の仕上げに三里塚空港問題という難題をクリアすることで足跡を残したい。そんな気配が感じられたものだが、善意の第三者が紛糾した事態を収拾するのは、悪いことではないだろう。調査団はシンポジウムを開催して、これは円卓会議と呼ばれた。誰も上位ではなく、下位でもない。対等の立場で話し合い、そこで得られた結論には従う。やれるものなら、やってみてくださいというのが、わたしたち熱田派支援の気分だった。もちろん、中核派に指導された北原派は不参加である。この時点で、シンポジウムは半分しか意味がないことになる。もしも北原派を会議の席に着かせていたら、このシンポジウム(円卓会議)は歴史的な偉業として歴史に名を残したであろう。

円卓会議では政府・空港公団側から一方的な建設計画と強権的な土地収用についての反省が表明され、事実上の「謝罪」が行なわれた。隅谷調査団およびシンポジウム(円卓会議)の、それは政府に対するスタンスであったから、政府・空港公団は消極的にではあれ建設方法の問題点を「謝罪」るのには、やぶさかではなかったはずだ。いや、それ以前に江藤隆美運輸大臣が反対同盟に謝罪を表明していたのだから、いまさら頭を下げるのをためらうことはなかったはずだ。

その意味では、学者たちが主導した円卓会議は形式的なものにすぎなかった。事実、その後の空港建設は機動隊を前面に出した「強制措置」こそ採られなかったものの、法的な手段で反対派農民を追い詰めるものだった。日々の生活を圧迫する騒音と莫大な移転費用の補償が現実の問題となった。それを準備した円卓会議は、かたちを変えた政府の「懐柔策」にすぎなかったのである。

◆三里塚闘争が残したもの

それでもわたしは、政府の「謝罪」をもって、三里塚闘争は終焉したのだと思う。いまも騒音下で苦しみを余儀なくされている人びと、あきらめずに「空港絶対反対」を闘っておられる人びとには敬意を表しながらも、闘争をやめる権利は農民たちにはあったのだと思う。不遜ながら思うことがある。膨大なエネルギーをもって相互に攻防した敵味方をこえて考えるに、国家的なプロジェクトを誤れば取り返しのつかないことになる。そんな貴重な教訓が残ればいいのではないか。いまは原発再稼動の問題および電力計画に、その教訓が生かされるのかどうかだ。そして思いを馳せるのは、戦争ゴッコのなかにも愉しいことは多かったという懐旧であろうか。私的なことも長々と連載しましたが、ご精読ありがとうございました。

今年はあまり盛り上がっていませんが、いわゆる「1968革命」から50年です。全世界が苛烈なまでにイデオロギーと政治的な地歩をかけて争った風景から、50年もの時が過ぎたのです。そのことが残した意味・意義・内省すべきことを、遅れてきた世代も追体験したのだとわたしは思います。いまもそれは続いているかもしれないし、これから負の遺産を払しょくした社会運動が生まれるのかもしれない。そのきざしは確かに、78年のわたしたちにはあったのですから。(この連載は随時掲載します)


◎[参考動画]三里塚 大地の乱 後編(newleft1984 2008/06/16 に公開)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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どちらも正論だという面白さ ── サッカー日本代表のポーランド戦


◎[参考動画]Japan v Poland – 2018 FIFA World Cup Russia(FIFATV 2018/06/28公開)

そのとき、セネガルがコロンビアに0-1で劣勢に立っていた。このままいけば、日本はフェアプレイポイントで2つ上まわる。そこで西野監督は武藤に代えて投入した長谷部に、ボール回しによる時間稼ぎを指示した。かくして、日本はポーランド戦を0-1で負けることによって、決勝トーナメント進出をねらった。もしもセネガルがコロンビアに1点を返せば、日本はブロックリーグ敗退が決まる。その意味ではスリリングな賭けであり、それ以上に勝つ戦意を見せないもどかしさ、時間つぶしの無気力な光景が観客のブーイングをさそった。


◎[参考動画]会場ブーイング 日本対ポーランド(横浜ベイスターズ応援隊員2018/06/28公開)

みごとに負けきることで目的を果たしたわけだが、当然にも批判が噴出した。勝とうとしないのはスポーツではない、セコいばかりで退屈な試合だった。正々堂々としていない。サムライらしくない。勝ち上がることは大切だが、そのためには何をしてもいいということにならないか。子どもたちに誤まったメッセージになるのではないか。などなど。


◎[参考動画]The Shame moments of Japan team vs Poland(RABONA 2018/06/28公開)

いっぽう、スポーツ報道はドーハの悲劇(2-1で勝っていたにもかかわらず、時間稼ぎをしなかったために、同点にされてしまう)を引き合いに、成熟した戦いだったとしている。長年、サッカーを観戦してきたファンも「ベスト16になったことを評価すべき」というものが多い。ワールドカップの一次リーグは、ああいう戦い方なのだと力説する解説者も少なくない。いや、おおかたは現状のルールでは当然の戦い方、あるいは素晴らしいと評する向きが多いのが事実だ。日本代表の成長とも云われている。

とはいえ、戦意を見せない日本チームに、批判はある意味で当然だろう。日本代表のコロンビア撃破を「侍の挑戦精神」と褒めた韓国メディアも、ポーランド戦については「これがサムライ精神か?」と批判し、FIFAランキング1位のドイツを破った韓国チームをほめたたえた。韓国元代表の安貞垣は中継解説のなかで「韓国は美しく敗退した。日本は醜く勝ち残った」と評している。たしかに醜いゲームだった。

だがそれも、サッカーという競技の特質である。ラグビーならばボールを回さずに、モールやラックなどフォワードプレイで残り時間を使うのが選択肢として考えられるが、それがサッカーのパス回しほど醜くないだけのことである。その意味では日本チームへの批判も好評価も、どちらが正しいというものではない。どちらも正論なのである。


◎[参考動画]Japan reaches 2018 World Cup knockout stages thanks to obscure yellow card rule(ESPN 2018/06/28公開)

ところで、全世界的に盛り上がっているワールドカップだが、サッカー通のあいだでは「単なるお祭騒ぎ」に過ぎないとされているのはご存知だろうか。ヨーロッパプロサッカーが全盛期を迎えている現状から、レベルの低い国別対抗戦よりもクラブチームが覇を競い合うチャンピオンリーグの盛況があるからだ。

EU統合以降、セリエA(イタリア)が外国人選手を解禁したのをきっかけに、各国のリーグに人種の垣根がなくなった。さらに90年代に入ると、南米の選手が4大リーグ(ブンデスリーガ=ドイツ・リーガエスパニョーラ=スペイン・セリアA=イタリア・プレミアリーグ=イギリス)に参加するようになった。現在にいたっては、南米リーグのクラブチームには二流の選手しか残らなくなったといわれている。フランスもナショナルチームは強いが、サッカー自体の人気が低く(第6位)、スポンサーが付きにくい。

上述したチャンピオンリーグは前年優勝チームが参加し、2~3週間に1試合が行なわれる。国内リーグ(土日)と重ならない水曜日にゲームは行なわれる。国内リーグよりもスポンサーが付きやすく、平日にもかかわらず観客動員も多い。選手もワールドカップよりもクラブチームの日程を最優先にコンディショニングするようになっているのが現状だ。

したがって韓国がドイツに勝ったのも、日本がコロンビアに勝ったのも、さほど驚くようなことではないのだ。コロンビアもドイツも、代表チームとして選びぬかれた選手を擁しているとはいえ、チームとしての合宿や練習は日本のそれに遠くおよばないのだから。

なお、チャンピオンズリーグはヨーロッパ圏54カ国から、本戦に参加できるのは32チームに限られているが、FIFAもCLに対抗してクラブアワールドカップを4年に1度、行なう計画である。インターコンチネンタルカップ(旧トヨタカップ)を継承し、廃止予定のコンフィデレーションに代わる大会として位置づけられている。


◎[参考動画]サッカーW杯日本対ポーランド戦直後の渋谷スクランブル交差点付近その1(スタジオエイメイ渋谷店 2018/06/28公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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