2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』価格1000円(税込)連絡先 090-9424-7478(黒田)

福島第一原発事故で故郷を根こそぎ奪われた女性たちの有志グループ「原発いらない福島の女たち」は、3・11以後の脱原発運動で大きなうねりをつくってきた。その一人である黒田節子さんが中心となって2013年から毎年「ふくしまカレンダー」(梨の木舎)を制作発行している。最新の2019年版カレンダーの紹介と共に、これまでの6年6作の軌跡を黒田さんに4回に分けて回思回想していただいた。今回はその第2回。

◆2017年版の思い出 ── 未来をあきらめるわけにはいきません

~以下、2017年版チラシから一部コピーを紹介。

……2011年3月11日の震災と福島原発事故は、私たちの暮らし、人生を一瞬のうちに変えてしまいました。5年半がたち、被害はさらに広がっています。溶け落ちたままの核燃料、海へ流される汚染水。高線量被ばくのリスクを抱えながら働く作業員の方々。子どもの甲状腺がんなど増える健康被害。除染、強いられる帰還、焼却炉問題、核汚染物の中間貯蔵地…。これらの問題はますます深刻になっています。清明で豊かだった風土は変容し、農林業の原発賠償や避難者への支援は打ち切られようとしています。  

さらに、熊本大地震や各地の火山・地震活動活発化など自然界の警告も無視して、昨年の鹿児島県川内原発に引き続き、2016年1月福井県高浜原発、8月愛媛県伊方原発が再稼働されてしまいました。

しかし、未来をあきらめるわけにはいきません。真実を伝え続けるために、自分たちで撮った写真で今年もまたカレンダーを作りました。収益は「女たち」のさまざまな活動、フクシマを伝えに行くための交通費や集会・学習会費用などに役立てられています。さらに広めていただければ嬉しいです。どうぞこれからも福島に心を寄せ続けてくださいますように。                     

◆脱原発への思いを込めて、元気にカレンダーを作り続けたい

 

フレコンバック(2017年版カレンダーより)

手前味噌が続いたが、どうかご容赦を。確かに年毎に写真巧くなっているね、とほめ言葉もいただく。素直にうれしく思う。しかし、私たちが最も心に響くのは、支払い用紙(郵便振替伝票)のメモ欄に書いてあるこんなひとことだ。

「他には何もできないでいるけど、せめてこの1冊を買うことで福島を支援したいと思っているのです」「福島の女たちの笑顔にかえって励まされている」etc。全国の皆さんに感謝感謝です。

そもそものカレンダー作成の目的について振り返ってみたい。イギリス映画に触発されたのは、活動資金を得るというのが動機の1つだったことはあるが、何より目標に向かって動き出す女たちの「共同戦線」がすごく楽しそうだったことが大きい。私たちは、回を重ねる毎に、写真は人々に強く訴える力があることを学んでいった。私たちはフクシマの実情を、本当のフクシマを世界に知って欲しいのだ。

「行動の記録」という2ページを設けている。これは女たちと原発に関する様々な運動と出来事の記録である。目まぐるしく日々は過ぎ去って行く。運動のポイントをたとえ1行でも、記録に残しておく必要があると感じている。フクシマは、永い闘いの、その序の口に入ったところだ。フクシマの現状(を伝える)・記録(を残す)・活動資金(を稼ぐ)、この3点セットが女たちのカレンダーの目的となったことを自覚したい。どれも健全な市民運動に不可欠なことだ。

さて、先が見えない中でも忙しい毎日が続いている。全国の地に散って行った福島の女たちよ、疲れすぎてはいないだろうか。いつかのあのときの写真のように、時には大声で笑っているだろうか。どうか……休み休み行こうゼ。フクシマのようなことが2度とあってはならない、原発のない社会を作っていくんだ、という同じ決意をそれぞれの胸に秘めながら。(つづく)

牛たちの……(2017年版カレンダーより)

黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発いらない ふくしまカレンダー』連絡先
ふくしまカレンダー制作チーム 
090-9424-7478(黒田) 070-5559-2512(青山)
梨の木舎 メール info@nashinoki-sha.com
FAX 03-6256-9518

2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』
価格1000円(税込)

『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

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福島第一原発事故で故郷を根こそぎ奪われた女性たちの有志グループ「原発いらない福島の女たち」は、3・11以後の脱原発運動で大きなうねりをつくってきた。その一人である黒田節子さんが中心となって2013年から毎年「ふくしまカレンダー」(梨の木舎)を制作発行している。最新の2019年版カレンダーの紹介と共に、これまでの6年6作の軌跡を黒田さんに4回に分けて回思回想していただいた。今回はその第1回。

◆いつの間にか6年目 ── 映画「カレンダー・ガールズ」にヒントを得て

 

2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』価格1000円(税込)連絡先 090-9424-7478(黒田)

この秋、いつの間にか6年目のカレンダーを販売している。大変な冒険の旅立ちともいえる当初のカレンダー作りだったから、正直いって6冊目を作れるようになることは想像できなかった。3・11後の様々な動きと混乱、自分たちの生活そのものが明日をも知れない状況の中での、やったこともないカレンダー作り。多くの協力を得ながらなんとかやってきている。

そもそもカレンダー作りを思いついたのが、英米合作映画「カレンダー・ガールズ」を観たことから始まる。映画は、実話を元にしたヒューマン・コメディ。小さな町で女たちがある年の教会カレンダーを自分たちの女写真集にした。保守的な田舎のこと、夫たちの猛反対にもあうが、しかし、思いがけなく大ヒットして彼女たちの目論見は大成功を収める。女たちの友情や勇気、フェミ的視点もきっちりあって、抱腹絶倒の映画だった。

さて、この映画を見て「そうだ、福島の女たちのカレンダーを作ろう!」といったのが、友人Aさん。イイネッ! さらに、反原発運動などで昔から活動されていたKさんとは震災後に再会したが、いろいろなことを教えていただいた。Kさんが日本に紹介している、これまたイギリスのドキュメンタリー映画「グリーナムの女たち」を福島の女たちで観るなどしたこともあったな(2011年クリスマス)。これは何回見ても感動。女たちへパワーを与えてくれる秀作だ。

 

経産省前、白いタイベックス姿(簡易防護服)で歌う女たち(2015年版カレンダーより)

福島原発事故後、良かったことが1つだけある。それは人との出会い・再会である。梨の木舎・羽田ゆみ子さんを紹介してもらったこともあって、カレンダー作るならここと決めていた。梨の木舎は良い本を出しているところとして私でも知っていて、どんなに立派な出版社かと思いきや、神保町の片隅で社主が掃除から編集、荷造りまで全てをほぼ1人でやっているようなところで、初めて訪問したときには驚いたものだった。

「苦節35年」は、ゆみしゃんのおどけた時の口癖である。たくさんの作業をここでやらせてもらっていたが、2016年の夏、近くに引っ越されて、今度はオーガニックなコーヒーや手作りケーキも注文できる素敵な空間のブックカフェと様変わりした。もちろん本もたくさん並んでいる。

◆2014年版の思い出 ──「弾丸バスツアー」で行った大飯原発反対福井集会

 

行進する女たち(2015年版カレンダーより)

2014年版、最初のカレンダーを眺める。本当に懐かしい。刷り上がった1冊を手にした際には、ジ~ンと熱いものがこみ上げてきたのだった。当初、海のものとも山のものとも知れないカレンダー作りに女たちの中で積極的な賛成意見はなかったのだが(当然といえば当然か)、半ば押し切って赤字覚悟で始めた。女たちには規則や会則はなく、原則のようなものがあるのみ。代表も置かないいわばいい加減な、良くいえば人間を信頼(しようと)している自由なグループだ。やりたい人がやりたいところをやるというアメーバ的な運動体を私はイメージしている。(ただし、話合いと報告はダイジ)

カレンダーの表紙は、「弾丸バスツアー」で行った大飯原発反対福井集会で撮影した写真から、たかくあけみさんがイラストに変換して描いてくれた。このあけみさんのイラストは4作目に至るまで続いていて、写真集ではあっても柔らかい感じが素敵だと女たちも気に入っているし、全国の皆さんにも好評だ。

ページをめくる。買ってくれた人の1ヶ月の視線に耐えるような写真が足りなくて、かなり苦労したな。どうにかこうにか、デザイナーさんの手腕で乗り切った感じ。このカレンダーができあがってから、被写体に大きく登場して亡くなってしまった友人、福島から避難して行った仲間、様々な経過があり女たちと離れてしまった人たちもいる。特に遠方に避難した人たちにとって、この頃は超激動の日々だったと思う。新天地で頑張っている若い人たちは「私たちの誇りだ」と発言していた私だが、その思いは今も変わらない。生活するだけでも大変だろうに、脱原発の新しい世界に向けて、着実にあるいは目ざましい活躍を開始している女たちがいる。1年の年月は福島に生きる私たちにとっては、10年、20年の重みがあるのだ。

◆2015年版の思い出 ── 福井地裁・樋口裁判長の名判決と司法界への希望

2015年版。何となくカレンダー作りの流れというのが分かってきた。女たちの手作りバナーやノボリが写真に登場してくる。皆もカレンダーを意識して「ハイ、来年のカレンダー用!」とかいって、撮影時にポーズをとったりするのは楽しい一瞬だ。14年版の成功に気を良くして、それなりに写真も集まってくるようになった。

白いタイベックス姿(簡易防護服)や上野公園での女たちの堂々としたデモ行進が目を引く。「大飯原発稼働停止ばんざーい!」の1枚は、福井地裁・樋口裁判長の名判決のおかげで、司法界に希望がまだあることを確認できた喜びが女たちの満面に溢れている。イエ~ィ!

◆2016年版 ── 安達太良山の雪化粧は息を呑むほどに美しい

2016年版。正月、安達太良山の雪化粧は息を呑むほどに美しい。それだけに同時にまた悲しさにおそわれる。「放射能さえなければ」どんなにか心からこの大自然を堪能できるだろうかと。

正月、雪化粧の安達太良山(2016年版カレンダーより)

プロもタジタジの写真が存在感あるものとして登場する。鹿児島県川内原発再稼働前夜の久見崎海岸で、夕陽を浴びながら無邪気に遊ぶ子どものシルエット。抗議行動に一緒に参加したAさん(前述のアイディア・ウーマン)の絶妙なシャッターだった。

鹿児島・川内原発。再稼働前夜の久見崎海岸。夕陽を浴びながら無邪気に遊ぶ子どもたち(2016年版カレンダーより)

他にも、帰宅困難区域の「帰れない家」からショボショボ歩いて来るタイベック姿の3人と「柿」の写真。巨大な放射性ゴミ焼却炉等々、フクシマの現実をうまく表現している写真が集まった。

柿の木のある「帰れない家」(帰宅困難区域)(2016年版カレンダーより)

キング牧師の演説に乗せて創作した「私には夢がある」という絹江さんの詩は、読む人の心を動かした。ここには、絶望と希望、未来への意志と共生への願いが込められている。絹江ちゃん、ありがとう、今でも泣けるよ。(つづく)

黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発いらない ふくしまカレンダー』連絡先
ふくしまカレンダー制作チーム 
090-9424-7478(黒田) 070-5559-2512(青山)
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2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』
価格1000円(税込)

『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか

取材班に対する朝日新聞記者、及び朝日新聞本社の対応について、これまで山口正紀氏(元読売新聞記者)、現在も活躍中の「元全国紙記者」から頂いたコメントを既に本通信でご紹介した。このたび新聞に関わる問題(特に「押し紙」)を長年追求してきたフリーランスライターの黒藪哲哉氏からも論評を頂けたのでご紹介する。取材班は今後も無謬性に陥ることなく、つねに「私たちは間違っていないか」、「他者の意見に理はないか」と検証を続けながら、取材・報告を続けるつもりだ。(鹿砦社特別取材班)

◆暴力事件の「当事者」が同時に「反差別運動の騎手」という構図そのものが問われている

朝日新聞社の対応に問題があるのは、いうまでもありませんが、最大の問題は朝日新聞社がこの事件をどう考えているのかという点だと思います。前近代的な内ゲバ事件だという認識が欠落しているのではないでしょうか。感性が鈍いというか。事件は、単なるケンカではありません。加害者の一人が、原告となってヘイトスピーチを糾弾するための裁判を起こしている反差別運動の旗手です。しかも、朝日新聞は報道というかたちで、この人物に対してある種の支援をしているわけです。ヘイトスピーチや差別は絶対に許されるべきことではありませんが、暴力事件の当事者(本人は否定しているが、現場にいたことは事実)が同時に反差別運動の騎手という構図、そのものが問われることになります。

◆「反原連」関係者による国会前の集会も検証が必要になる

また、間接的であるにしろ反原連の関係者も事件を起こした人々とかかわりがあるわけですから、残念ながら、国会前の集会も検証が必要になります。あれは何だったのでしょうか。それはタッチしたくはないテーマに違いありません。出来れば避けたい問題です。しかし、それについて問題提起するのがジャーナリズムの重要な役割のはずです。さもなければ差別の廃止も、原発ゼロも実現は難しくなるでしょう。第一、自己矛盾をかかえた人々を圧倒的多数の市民は信用しないでしょう。

◆「M君リンチ事件」をもみ消そうとする異常な動きそのものも検証が必要だ

しかも、『カウンターと暴力の病理』に書かれているように、この事件をもみ消そうとする動きが活発になっております。そうした異常な動きそのものも検証することが必要になっているわけです。本当に朝日新聞が独立した自由闊達なメディアであれば、だれに気兼ねすることもなく、その作業に着手できるはずですが、それが出来ないところに朝日新聞社の限界を感じます。「村社会」を感じます。

もちろん、どのような事件を報道して、どのような事件を報道しないかは朝日新聞社の自由ですが、報道機関としての資質は問われます。

▼黒藪哲哉(くろやぶ・てつや)
1958年兵庫県生まれ。1993年「海外進出」で第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞・「旅・異文化テーマ賞」を受賞。1997年に会社勤務を経てフリーランス・ライターへ。2001年より新聞社の「押し紙」問題を告発するウェブサイトとして「メディア黒書(MEDIA KOKUSYO)」を創設・展開。同サイトではメディア、携帯電話・LEDの電磁波問題、最高裁問題、政治評論、新自由主義からの脱皮を始めたラテンアメリカの社会変革など、幅広い分野のニュースを独自の視点から提供公開している。

◎黒藪哲哉氏【書評】『カウンターと暴力の病理』 ヘイトスピーチに反対するグループ内での内ゲバ事件とそれを隠蔽する知識人たち(2018年02月27日「MEDIA KOKUSYO」)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

過日、本通信に、元読売新聞記者山口正紀さんが朝日新聞の取材班に対する対応について、率直に鋭い指摘を寄せて頂いた。以下の紹介するのは、やはり元全国紙の記者であり、いまも一線で活躍されている方からのコメントだ。感想を求めたところ、

「ごぶさたしております。なかなか凄い対応ですね!」との書き出しから次のような感想をいただいた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ことは、個々の記者あるいは『朝日新聞』『毎日新聞』に限らず、マスメディア全体にかかわる問題だと思います。コンプライアンスの名の下に官僚組織化した全国紙などでは、事実上、記者の言論の自由は剥奪されています。よけいな問題を起こされたら責任問題になると、保身に走る管理職だらけになってしまったからです。外での執筆活動や講演活動は届け出制、あるいは許可制となり、今回のように外部から取材を受けるときは広報部を窓口にするのが基本となっています。

このような傾向が強まったのは雲仙普賢岳の火砕流事故以来です。「とにかく危険なことはするな、危険な場所に行くな」ということで、現場記者は上司の管理下に置かれるようになりました。容易に想像がつくと思いますが、こうした傾向が続くと、何から何まで「上司のお伺い」が必要になり、あっという間に組織は官僚化します。

そこへネット時代が重なりました。ツイッターやブログは多くの目にさらされますから、記者のツイッターが炎上するといった事態も起きます。当然、上司に責任がいく場合もあります。外部から取材を受けたときも、そのやり取りがネットにあがることがあり、管理職は異様に気をつかいます。すべては自己保身による事なかれ主義です。だから、正直、河野氏も現場記者も見方によっては「被害者」だと感じてしまう自分がいます。現場記者はもちろん中間管理職も組織に逆らえば直ちに処分対象になりますから。

いまのマスメディアの堕落は「コンプライアンス」から始まったと私は考えています。かつての記者は、相手が上司だろうが「おかしなことはおかしい」といったものですし、上司もまたそれを受け入れていました。つまり、記者はひとりのジャーナリストとして自立していたのです。そうした文化が意味不明なコンプライアンスにより潰えてしまいました。言論の自由を標榜するマスメディアで社内民主主義が消えかけている――極めて深刻な問題だと思っています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なるほど。朝日新聞、毎日新聞に限らず、「コンプライアンス」が幅を利かせる時代になって「自立した記者」が放逐される仕組みが出来上がったので、今回のような対応が生じたとの分析だ。報道機関に限らず「コンプライアンス」は近年、金科玉条のように持ち上げられている。しかし「法令順守」といえばまったく同義で意味が通じるのに「コンプライアンス」があたかも「高尚な価値」のように扱われるようになってから、新聞社や記者はがんじがらめになって「自立した記者」が存在しにくくなっているようだ。だとすれば「コンプライアンス」という概念自体が報道の基礎を邪魔しているとうことにはならないか?

新聞社はもとより「企業」でもあるが、「報道機関」、「権力監視」、「公平な報道」などの機能を読者は無意識に期待しているのではないだろうか。取材班の中には「日本の報道機関は、過去も現在も常に腐っていて批評すること自体ナンセンスだ」との極論を曲げないスタッフもいるが、それでも生活の情報源として新聞からの情報に一定の信頼をおく読者は少なくないはずだ。

であるから、「元全国紙記者」氏の指摘は、深刻な構造的問題を提示してくれている。

「法律に従うこと」と「過剰な自己保身に走る」ことは異なる。自己保身に必死な「新聞記者」(あるいは新聞社)から、本質的な「スクープ」が生まれてくるだろうか。権力が撃てるか。「規制が強すぎて書きたいけども書けない」のであれば、むしろそう告白して欲しい。新聞社の内実が、そのような「自己保身」を中心とした価値観で占められていることなど、多くの読者は知る由もない。

(鹿砦社特別取材班)

◎朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃(2018年2月20日鹿砦社特別取材班)

◎〈特別寄稿〉こんな官僚的対応をしていて、新聞社として取材活動ができるのか ── 大学院生リンチ事件・鹿砦社名誉毀損事件をめぐる朝日新聞の対応について (2018年2月24日山口正紀)

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2月20日付「デジタル鹿砦社通信」を読んで、朝日新聞社の不誠実極まりない官僚的対応にあきれ果てた。

◆幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある

問題の第一は、鹿砦社が李信恵氏を名誉毀損で提訴した際、記者クラブ幹事社として記者会見の要請を拒否したこと。「加盟全社に諮ったうえ」とのことらしいが、少なくともあの凄惨なリンチ事件の当事者が、それを告発した鹿砦社を「クソ」呼ばわりした、しかもその当事者は李信恵という社会的に名の知られたライターであり、自身の訴訟では度々記者会見を開き、記者クラブ加盟各社もその会見を記事にしてきた、半ば公人である。

これは、司法記者クラブという半ば公的な存在であるメディア機関が、このリンチ事件に関しては「中立・公正」の建前を捨て、それを市民・読者・視聴者に伝えるメディアとしての役割を放棄し、リンチ加害者を擁護したことになる。

これについて、幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある。朝日新聞は、安倍政権のモリカケ疑惑などで、関係機関・個人の「説明責任」を求めてきたが、自身がそれを求められた場合、当事者である記者が、電話にも応じないというのは、実に不可解な態度であり、明らかな二重基準だ。

◆3人の朝日記者がとった対応は、ジャーナリストとしての基本を踏み外した責任放棄対応だ

問題の第二は、関与した記者たちが、鹿砦社の電話取材から逃げ回り、記者個人・ジャーナリストとしての矜持も捨てて、「会社」にすべてをゆだねてしまう情けなさだ。

この3人の記者は、自分の取材対象が取材途中で「詳しいことは会社が対応します。広報を通じて取材して下さい」と言ってきたら、はいそうですか、とすんなり応じるのだろうか。そんなことはあるまい。「あなたには、問題の当事者として取材に答える義務がある」とその当事者を追及するのではないだろうか。

もし、これが朝日新聞の「取材への基本的対応」であるとしたら、もうこれから、だれも朝日の取材には応じなくなるだろうし、応じる必要もなくなるだろう。3人の記者がとった対応は、それほどにジャーナリストとしての基本を踏み外した、「会社人間」の責任放棄対応だ。

◆本社広報部部長代理の対応は国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ

問題の第三は、対応を委ねられた本社広報部部長代理の尊大極まりない電話対応だ。

個々の記者には「本社広報部が窓口」と言わせておきながら、窓口としての役割を果たそうとせず、鹿砦社の取材を「非常識・迷惑」と非難する不誠実な電話対応に終始した。

少なくとも、「広報が対応する」というのなら、記者個々人に代わって、広報部としてきちんと質問に答えなくてはならない。そうでなければ、「広報部」とは言えない。それを、この河野部長代理は、問題の経過、事実関係もろくに把握せず、「記者に連絡を取るのは止めてくれ」「細かい大阪のことは知らない」という無責任で不当・不誠実な対応を繰り返した。

河野氏は元新聞記者なのだろうか。もしそうであれば、取材対象が「広報部」に連絡してくれと言って、広報部に連絡すると「個人への取材は止めてくれ」と言われ、はいそうですか、と引き下がるような軟弱な取材しかしてこなかったのだろう。

記者個人に「広報部を通じて」と言わせたのなら、せめて、広報部として、相手の質問に誠実に答えるのが「新聞社の広報部」ではないのか。これではまるで、「何も知りません」「資料は破棄しました」答弁を繰り返して国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ。

今回の鹿砦社に対する対応で、朝日新聞社は、自分たちが取材対象になった場合は、こんな官僚的対応を取る会社であり、「取材の自由」や「報道の自由」を平気で踏みにじるメディアであること、ジャーナリズムとは程遠い存在であることを、天下にさらけ出したというほかない。

▼山口正紀(やまぐち まさのり)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。記者時代から「人権と報道・連絡会」メンバーとして、「報道による人権侵害」を自身の存在に関わる問題と考え、報道被害者の支援、メディア改革に取り組んでいる。

◎[関連参照記事]鹿砦社特別取材班「朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃」(2018年2月20日付デジタル鹿砦社通信)

◎今回の朝日の対応は多くの方々に衝撃を与えました。今後、メディア関係者の論評を暫時掲載いたします。また、皆様方のご意見もお寄せください。

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3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回がその最終回。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆東京五輪は「福島隠し」

── 福島原発の現場でいえば、まともな働き手が減っていますよね?

将来どうするのかが問題です。最近は東京オリンピックに現場作業員を奪われ始めている。以前は発電所内部の作業員が除染に人を奪われるといわれていましたが、いまは作業員が東京・首都圏の五輪関連事業に吸い取られている。良い話はなにもないのが現状です。そんな状況で2020年に東京オリンピックができるのか? チェルノブイリの事故で被曝被害が増加してきたのは5年後ぐらいからです。

これは半分、陰謀論になってしまいますが、日本はこれまで五輪誘致に何度も手を挙げてきたけれど、なかなか実現しなかった。それが福島の原発事故があったことで、今回五輪誘致が実現できたと考えています。そうでなければ、2020年の五輪はイスタンブールだったでしょう。

では、なぜ福島があったから東京が選ばれたのか? 「福島を隠すため」だと思います。五輪が東京に決まったことで日本人の多くは舞い上がった。でも、福島の今後の現状を考えると日本は五輪開催を途中でギブアップするような気がしています。

日本の経済は土地本位制が基本です。なのに、使えない土地が3.11で増えた。戦争で負けたときだって、日本に土地はそのまま残った。だからそこから復興してきたわけです。しかし、原発事故での放射能拡散で、日本の土地は縮小した。肝心の土地がやられて、しかも、その汚染地を政府が率先して広げようとしている。これでは人間までおかしくなります。

── 戦争には敵がいますが、原発事故で敵はいますか?

放射能という敵がいます。ただ、放射能は無主物で戦いに終わりがない。プルトニウムの半減期は24000年。対して人間の寿命は70~80年。相手になりません。

私は最近、太平洋戦争関連の本を好んで読んでいます。例えば、インパール作戦はほとんどの人が無理だと言っていた作戦を一部の指導者が戦略もなしに実行して、甚大な犠牲者を生んだ。その時の指導者の論理は、「それでもいまこれをしないと負けてしまう」という言い方でした。しかも負けた後も当時の指揮官は、戦後、あのときはあれが正しかったと反省の色さえ見せず、戦後死ぬまでそのままだった。

いまの福島に対する日本政府の姿勢もこれと一緒だと思います。事故直後、放射能被爆はたいしたことがないといっていた学者や役人は、おそらく自分が死ぬ間際でも「あの時はああするしかなかった」としか言わないでしょう。「日本のためだった」とか平気でいうと思います。

── この間、政治での脱原発の転機でいえば、東京都知事選がありました。小野さんは細川・小泉陣営をどう評価されますか?

私は彼らを支持しています。宇都宮さんについてはその前の都知事選では支持していましたが、今回の都知事選で、彼は脱原発中心の候補者ではなかったと思いました。選挙演説の動画を見ましたが、脱原発は申しわけ程度に言うだけで、実際はほとんど訴えなかった。宇都宮さんにとって原発は添え物のひとつで中心ではなかったという印象を持ちました。

私はそれではだめだと思う。原発問題を正面からとらえることが肝心だと思う。その他の政策は誰がやっても一緒です。さほど変わらない。でも、原発問題を第一にした候補じゃないとなにも変わらない。それなのになぜか脱原発派の都民の中でも宇都宮さん支持の方が多かった。少なくとも選挙活動の演説では細川・小泉陣営の方が迫力があったし、脱原発に本気だったと思います。

細川さんが演説ベタなのはみな承知していますが、小泉さんはとにかく演説が上手い。メモもフリップもなしにきちんとあれだけ喋れるのは凄いです。橋下大阪市長も演説が上手いと言われますが、彼はフリップを多用します。フリップやパワーポイントなしで喋るのは二流。それらなしにきちんと話せる人の演説が一流ですね。

◆どこに希望があるか?

── この三年間はどうしようもない三年だったようにしか思えません。どこに希望があるのでしょう?

日本人は徐々に変えていくのが得意なのでしょう。ドラスティックに変えることは難しい。だから、変わってないと嘆くよりも少しでも変わったところを見つけていくと、3.11後の日本は良い意味でかなり変わった部分もあると思います。

どこに希望があるか?については「いまだに日本で原発が動いていない」。この事実だと思います。脱原発派は選挙でも勝てないし、ばらばらになっていると言われるけれど、それでも原発はいま日本で動いていない。しかも政府も財界もお金と人を大量に投じてあの手この手で再稼動を進めようとしてきたにもかかわらず、まともに原発を再稼動できていないのです。無理やり動かした大飯原発はその後尻すぼみでいまは動いていない。

当初の計画では2011年の6月頃には玄海原発を再稼動する計画でした。それを菅直人がちゃぶ台返しをして、その後2年近く日本の全ての原発が止まった。その後、大飯原発が再稼動したけれど、この5月にはそれも再び止まった。民主党政権時代にも野田や前原とかは再稼動しようとしていたわけです。

安倍政権にいたっては就任早々から再稼動実現に意欲的だった。それがいまだに動いていない。しかも、もし何基かが動いたとしても、それで今後日本の原発がばりばり動き出すかというとそういう雰囲気はさっぱりありません。この状況はたいしたものだと思います。

ただ、脱原発をもっとしっかりしたものにするために何より必要なものは、福島あるいは近隣に住む人たちが声をあげることです。先ほどお話した野村大成先生も言っていますが、「外からどうこう言ってもだめ。渦中にいる人が声をあげないとだめ」なのです。

広島原爆の際、「被爆で白血病が増えた」と最初に言ったのは地元の開業医の先生でした。この先生の発表はその直後、米国に抑えられた。しかし、抑えきれずにその後、広まった。

これと同じで福島も現場の人が声を出さないと変わらない。外からなにを言っても迫力がない。でも、福島の人が被曝についてなにか発信すれば、ものすごいインパクトです。

繰り返しになりますが、この3年間の状況をすべて悲観的に見ていても始まらない。その中から確実に良い面を見つけて、それを維持していくことが大切です。そして、大きな変化を期待するのであれば、やはり事故の現場にいる福島の人から明確な告発が出てくることが大きな突破口になると思います。福島の事故でそうした広がりを生まれるのが怖いから政府は先回りをして火消しをしている。でも、それでも火は消えていないのです。

◆科学的データで証明されない内部被曝

── 内部被曝に関しての相談はよく受けられるのですか?

基本的にはブログやメールのネット経由で、できるだけ答えるようにしています。ただ、あまりそれをやりだすと、個人の領域を超えてしまう。組織にするのは嫌ですから。それと相談をしてくる方には正直、変わった人もいます。きちんとわかったうえで判断している人ももちろんいますが、身体の不調すべてを放射能のせいと考える人と話すのは大変で、そうした方とケンカしてしまったこともありますよ。何をいっても「それだけでは納得しません、できません」と言われてしまう(笑)

── 最後に、医師として小野さんは今後、どんなかたちで福島原発事故に関わっていきたいのでしょうか?

内部被曝の分野というのは科学的なデータ・資料がありません。これは米国が莫大な資金を投じて行なった検証結果で「ない」とされた。おそらく今後もこうした資料は作られないと思います。そうすると、私に何ができるのか? 内部被曝に不安を持たれている人たちのお話を聞いてあげるぐらいの対処療法しかないです。だから肥田先生のように来た患者の話を聞いて、時には投薬をするような、その程度のことしかできないのが実情です。被曝の検診・治療というのは様々な面で極めて難しい。それがわかっているからほとんどの医師は放射能被曝には関心がなかったりするのかもしれません。そういうこともあって、福島原発事故について本を書いたからといって、私の病院に患者さんが押し寄せるというわけでもないのです(笑)。[終わり]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

 

「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

◎onodekitaさん200分インタビュー[全8回]

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる (2014年9月15日)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない (2014年9月17日)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない (2014年9月19日)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです (2014年9月21日)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」 (2014年9月24日)
《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」 (2014年9月26日)
《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」 (2014年9月30日)
《原発放談08》脱原発の突破口は福島の人たちが声を上げること (2014年10月2日)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌 『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

小野俊一医師

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第7回目。

◆連関する「福島」と「水俣」

── 福島の流れはむしろ水俣と同じ道を辿っているように思います。

そうですね。熊本日日新聞の山口和也編集委員も水俣と福島の関連性を書かれています。このふたつはたしかにそっくりです。ひとつ違うのは、水俣病の原因について、熊本大学はその原因は有機水銀ではないかという説を最初に出した。しかし、それを東京大学が否定した。「田舎の大学が変なことをいうな」という感じで、熊本大の説を潰していった。また、水俣の商工会は東大の説を支持して、チッソで生きている町がチッソを悪者扱いしないようにしむけていった。しかし、事実を歪曲されてもその事実は後になって蘇り、いまの水俣訴訟となっていくわけです。

一方、いまの福島ではどうかというと、福島県立医大は率先して被曝を隠す側に回っている。地元の医師会も同じです。事故では被曝の被害は出ないと言い続け、なにか起きても、それは放射能のせいではないと平気で言う。開業医でさえそうした態度です。世間は開業医も所詮医師会の圧力を受けていると考えがちですが、そうではない。むしろ、私も含めて開業医の中には医師会の言うことを聞かない医師がたくさんいます。医師会は世間が思っているほど権威などありません。なのに福島の開業医の中から被曝の現実をきちんと語る医師が出てこない。いろんな問題があって、ここはいえないという姿勢をとってしまうのもあるでしょうが、それにしても福島の開業医から何も意見が出てこないのは酷いです。

◆お金で解決できない核廃棄物問題

── 事故の責任でいえば、東電は一度解体した方がよくありませんか?

事故後、日本政府は原子力規制委員会をいったん解体しました。それで起こったことは、重要な資料などが散逸してしまい、逆に訳がわからなくなった。これは日本の悪いところですが、人が変わると、資料や業務の引継ぎがおかしくなる。機関をばらばらに解体しても、その後、同じ人がやらざるを得ない。だから私は東電は東電のままで、活かすしかないと思っています。おそらく東電を解体したら、もっと悪くなる。下手をしたら原発のことをぜんぜん知らない人間が行くかもしれない。東電が無能なのは確かです。しかし中には有能な人もいて、それで現場がなんとかもっている。しかも、内部の建設業者や請け負い業者との関係もある。こうした関係を福島原発で解体することは、太平洋戦争の最中に日本が軍部を解体するようなものです。もっと悪くなる。いまの方がまだましだと思います。

── ただ、発送電分離などはやった方が明らかにいいですよね?

そこはそうですね。むしろそこは早く分けないと電力会社が先に原子力事業を切って責任逃れをしそうです。原子力事業が火力、水力よりコストが高いのはすでにわかっている。でも、国策だからやっていた。送配電分離をしたら原子力は持てなくなる。でもこれまでの原子力は発電しなくても、誰かが維持管理しなければいけない。そのための人は残さなくてはいけません。もしも原子力を国が管理するとなれば、原発に役人が来ることになる。そんなことになればもっと悪いことになるでしょう。

── 大学に廃炉学の学科を創設して人材を育てるとかしないでしょうか?

廃炉はあくまで後ろ向きの事業です。すでにあるものをいかに片付けるかが目的になりますから、若い人にとっては夢がない。優秀な人であればあるほど、何もないところで何かを新しく作り上げていくことが好きです。だから廃炉のように先人がいい加減にしてきて残したものを担う学科であれば、少なくとも理系のトップは騙されていかないでしょう。逆にそれで騙されていくような人たちはその程度の人なのだと思います。

廃炉に関してはなかなか良い答えがないのも事実です。廃炉庁を創設したりするのもありえますが、結局、廃炉の一番の目的は放射性廃棄物をどう処理するかです。これはいままで米国などが70年近く研究してきたけれど、結局、その解決法の現状は地中に埋めるぐらいが関の山。そんな分野を日本人が大学で学科を作ってやったとしても何も答えは出てこない。

そもそもトイレのないマンションをどうするべきなのか?を誰も考えてこなかった。これまではお金でなんとか解決できるだろうと思っていたが、どうやら金で解決できる問題でもなさそうだという感じです。

フランスなどは再処理をしようとしていますが、それでも再処理燃料の八割~九割は廃棄物になる。その捨て場所がなかなか見つからず、現状はシベリア送りです。それでロシアは儲けている。米国、フランス、英国の原子力学者と日本の学者とどちらが優秀か?と問われれば、当然、実際に原発や原爆を作った経験のある国の学者に勝てるわけがない。

核廃棄物の再処理問題でわかることは、人類には金で解決できない問題があるということです。金さえつければ解決できるという風潮がいま凄くありますが、死んだ子を生き返らせるのは1兆円使ってもできません。再処理もそういう問題で、そこでどうするか?ということです。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

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▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

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◎onodekitaさん200分インタビュー[全8回]

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(2014年9月15日)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(2014年9月17日)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(2014年9月19日)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(2014年9月21日)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(2014年9月24日)
《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」(2014年9月26日)
《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」(2014年9月30日)

 

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

小野俊一医師

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第6回目。

── 小野先生は奇形生物の画像をよくブログに載せています。最近の新聞記事では「黄身のない卵」(毎日新聞2014年5月05日)とか「双頭のヤモリ」(南日本新聞2014年5月13日)や「透明のおたまじゃくし」(朝日新聞2014年6月11日)などが報じられていますが、実際、被曝で奇形や突然変異は増えているのでしょうか?

奇形はむかしからあったといえばあったし、放射能特有の奇形があるわけでもありません。ただ、放射能で奇形化の頻度が増える。双頭の子どもでは米国に成人した双頭の女性がいます。むかしの中国では唐の時代、玄宗皇帝の寝屋のお供の一人に双頭の女性がいたと記されています。だから、双頭の人間がいなかったわけではない。ただ、チェルノブイリではその発生頻度が増えた。そのことが大きな問題だということです。

私は植物の奇形事例も集めていますが、それらの多くが放射能由来だとはなかなか言いきれない。ただ、放射能の影響かもしれない発生条件はあります。例えば、壁や塀の近くの植物に奇形が多くなる。これは雨水に混じった放射能がそのあたりに集まりやすいからかもしれません。熊本でもちらほらあります。最近はあちこちで通常、普通は実がならないジャガイモに実がなることが増えているようです。それを見て、40年、50年も農家をされてきた方々が「珍しい」「初めて見た」と言うから、話題になるわけです。しかし、それが報道されるとネットでは「そんなの珍しくない」と書き込む人が必ず出てくる。

人間の奇形は公にするのは難しいです。日本の法律では妊娠22週を超えると流産はさせらせられない。それに医師は奇形が生まれたことを他者には話さないし、お母さんも隠すでしょう。しかも、奇形児の出産がもし増えてその事実を公けにしても、得する人がいない。お母さんも傷つきますし、へたをすると夫婦間の問題になって離婚なども起きかねない。あそこで奇形が生まれたという噂が広がれば、それこそ差別につながりかねない。

◆分断される「原爆」と「原発」

私が経験したのは、九州の医師会の内部講演会の時に「被曝で奇形が生まれる」という話をしたら、長崎のある医師が猛烈に反論してきた。「長崎はいわれなき差別で被害を受けた。放射能で奇形は生まれないということはABCC(原爆傷害調査委員会)の研究で証明されている。なんでお前はそんなウソをつくのか!」と正面から噛みつかれました。

放射能と奇形の因果関係は議論の余地などないと思っていましたから、その時は唖然としました。その医師の略歴を聞いたところ、彼は長年、長崎で被爆者救済支援されてきた医師でした。要するに彼は、原爆被爆者は支援するけれども、差別は作りたくないがゆえに、奇形は出てこないと奇形の有無については、ABCCの報告を鵜呑みにし、奇形の話が出ると「原爆で奇形は起きていない」と主張する。その長崎の医師は五十代で、長年被曝活動に尽力されていた先生でしたから、よほど勉強していないと反論するのは難しい。

自分の活動が政治的だとさえ思っていない。だから、「放射能では奇形は生まれない」と彼の中では決まっていて、そこは絶対譲れないという考えです。長崎の被爆者組織の中にもそういう認識の人がかなりいるから、ことは単純ではありません。しかも被爆者は「当事者」なので、彼らの言葉はたとえウソであろうと社会的に力が強い。

3.11の後に長崎の被爆者の講演会に行ったときです。そこで被爆者の講演者が何を話していたかといえば、アメリカが原爆を落とした時、ピカッとしてやけどなどで被曝して死んだのは認める。しかし、内部被曝など爆発後の被害は認めないわけです。だから、私は質疑の際に挙手をして「爆発後に具合は悪くなかったのですか?」と質問した。すると彼は「爆発後はぜんぜん(体調は)悪くなかった。」「健康だった」と言うわけです。

熊本留学生交流推進会議の企画だったので英語同時通訳がつき、留学生の一人も「奇形児は生まれなかったのか?」と質問しました。すると講演者は「一切生まれなかった」「そんなことがあったら大変なことです」とまで言った。しかも、3.11の後なのに原発については一言も語らなかった。

その後、私は講演会の事務の方に「原発事故でも被曝します。それも大事じゃないですか?」と意見しました。すると主催者側の人は「我々にも立場があるから、そこには触れません」と言いました。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

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1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

「onodekita」さん200分インタビュー!
《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(小野俊一)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第5回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」

── 最近の報道で驚いたのは、福島県立医科大の学長が「甲状腺がんの検診については、国がもっと関与してくれないと万が一、われわれが誤診をした時に国が責任の一端をとってくれないと困る」と発言していたことです(KFB福島放送2014年6月17日)。

甲状腺がん検診については現場の医師の意見も分かれてきています。「過剰検診ではない派」と「過剰だから検診する必要はない派」に分かれてきた。福島医科大は現場にいるから過剰でないという。一方で、後者のひとりには渋谷健司=東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室教授(一般社団法人JIGH代表理事)などがいます。

彼は小和田雅子の妹の夫ですが、福島での甲状腺がん検診に対して、「こんなばかげたことはもう止めろ」と主張しています。これまで福島医科大は国とべったりで検査をしてきていた。それが最近、医師間でも意見の対立が起こってきて、ややこしくなってきたわけです。いまのところ福島医科大は甲状腺検診を止める気はまったくない。しかし東京の方では「もうやめろ」という声が高まっている。足の引っ張り合いが始まっていて、そこにはおそらく国の意向も絡んでいます。

甲状腺がんはICRP(国際放射線防護委員会)が唯一認めざるを得なかった被曝で増える疾病です。それ以外の病気も被曝で増えるかもしれないが、他の病気は「科学的にはわからない」とICRPは結論した。ただ、だからといって、被曝で他の病気が増えないという証明にはなりません。

例えば、放射線基礎医学が専門の野村大成大阪大学名誉教授は、被爆で心筋梗塞、子どもの発達障害などが増えるだろうと言っています。野村先生の説を大雑把に一言で言えば、「ハエやネズミで起こった奇形などの現象は人間でも必ず起こる」ということです。チェルノブイリ事故の3年後ぐらいに、放射線量が下がった。これで多くの医師はもう重大な被害はないと言って、研究を止めようとした。しかし、実際は3年後からが病気の本番でした。だから福島もこれからが危ないと野村先生は警告しています。野村先生についてはロシアのテレビ局「ボイスオブロシア」で放送された彼のインタビューがとても参考になります。

── 被曝の影響で有意に増加している病気、症状は何でしょう? 著名人の訃報や病気や体調不良も増えていませんか?

ガンが増えているのは確かでしょうし、真偽のほどはわからないけれど、がん保険に入りにくくなったというような話も聞きます。保険の払い出しが増えたというのも本当でしょう。

井伏鱒二の小説『黒い雨』の中に次のような記述があります。

「『口をあけてごらん』といってあけさせると、門歯はいつの間にか欠けて無くなっているが根はのこっている。数日前までは、ぐらぐらと根ごと揺れていたにもかかわらず、中途からぽろりと折れたらしい。腫れた歯茎からは絶えず血がにじみ出て、ホウ酸でうがいしたぐらいでは血が止まらない。口をつぐんでしばらくすると、唇の合わせ目に赤い糸のような細い筋が浮いている」

これを読んでそんなことも起きるのか?と思っていたら、最近、ネットでは芸能人などで歯が欠けたという話が結構出ています。歯自体は折れても根っこは生きているという状態です。

心不全が増えたことについては、東北大学の下川宏明教授(医学系研究科循環器内科学分野)が発表しています。先週の水曜日(6月18日)、下川先生が熊本に講演に来られた時、私も聞きに行きました。

講演の中で下川教授は、心不全の増加はストレスが原因と説明され、そのひとつの理由として、過去の大震災とは地震の種類が違うと言われていました。つまり、下川教授は地震の揺れ方(直下型、海溝型、津波の有無等)でストレスのかかりかたが違うと主張されていました。(笑)

私は納得できなかったので、「宮城県にも放射能が降りそそぎ、丸森町などでは除染もようやく始まっているのに、心不全が増えた要因のひとつとして放射能を考えていないのはなぜか?」と質問しました。すると、下川教授は、「被曝線量を測定していないから、要因の一つに挙げることはできない」と答えました。「測定していない」という理由で無視する手法は「科学的」といえるのか、大いに疑問です。

── 汚染が酷ければ福島で様々な病気が出てきていても不思議ではないように思うのですが、あまりそういう話は聞きません。

個人差が大きいと思います。それと被曝に強い弱いは遺伝や家系が関係していると思います。広島の被爆データを見ていると、一人が死ぬというよりも同じ条件の場で4~5人がほぼ同時期に亡くなる。おそらく福島でもそうした傾向が出てくると思います。同じ時期に同じ病気で亡くなる方がでてきたら、それは被爆との関連性を考えてもよいと思います。個発ではなく群発ですね。

3.11後の2011年だったですが、日本のコンサルティング会社に勤める方がうちに来て「どうも頭に一枚もやがかかっている感じがして、それがとれない」と言っていました。その方はばりばり仕事をしていたコンサルタントです。でも、どうも仕事ができないから九州に移住した。症状を一言でいえば「アルコールを飲みすぎた翌朝の二日酔い」のような気分とのこと。それで、アルコールを飲むと調子が良くなった気がするそうです。

チェルノブイリでもウォッカ中毒が増えましたよね。あれもアルコールを飲むことによって調子がよくなったと感じていたようです。人それぞれ濃淡はあるでしょう。しかもこれまで一所懸命仕事をしてきた人、ぎりぎりでやってきた人ほど、普段の健康状態と違う自分の体調不和に気づき安いかもしれません。私なんかいつもちんたらしているせいか、違いは以前より眠気が増したぐらいです(笑)

── 最近、徹夜ができなくなりました。加齢でしょうか?

歳をとるというのは皆、だれにとっても初めての経験です。だから、何が自分に起こっているのかよくわからない。私は3.11の前、40代になってから小さな字が見えにくくなってきた。老眼ですよね。体調の変化があったとき、多くの人は歳をとったせいかとまず考える。でもその変化には被曝の可能性も混じっているかもしれない。そのあたりは本当に微妙すぎてわからない。

私はすでに30代を経験しています。50代になって思うと30代には体力、気力がほとんど落ちなかった。35歳を過ぎて記憶力が落ちましたが、基本的に30代の人は元気です。しかし、もしこの年代の人たちがだるいとか言い出したら、それは被曝の可能性があると思います。

20代のアイドルでもいまは体調不良で休んだりしていますよね。われわれ時代のアイドルなんか、休みなんかほとんどなかったでしょう。急遽、出演中止とかほとんどなかったと思います。でも、最近、若くて元気なアイドルや芸人の中でも体調不良がやけに多い。喉を悪くする人も増えている感じがします。歌手や声優や俳優にこうした症状が多いのは、息を吸うことが多いからでしょうか。被曝の識別の症状例の中には咽頭痛があります。喉には気をつけた方がよいと思います。ただし、これらは統計的にはうまく出せない。しかも、著名人の体調不良の問題が統計的にも証明できるような事態になった時は本当に終わりで、深刻な事態ということです。

放射能に関するデータ分析では、とにかく屁理屈を言って否定する人がたくさんいます。人口動態のグラフでも明らかに十年前よりも3.11以後の方が減り方が急激です。しかし、これは「高齢化が主因だ」といって被曝由来の人口減を一切認めない。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]

(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

◎[参考リンク]野村大成・大阪大学名誉教授をお迎えして(「ピャトニツカヤ25番地」2013年10月28日)
http://japanese.ruvr.ru/2013_10_28/123519492/

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▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

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onodekitaさん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)

《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第4回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

 

◆早野龍五と坪倉正治の共通性

── 世論の誘導でいえば、わかりやすい御用学者はどうでもよくて、むしろ、わかりにくい御用学者の方がたちが悪いと感じます。例えば、早野龍五=東京大学教授などは非常にソフィストケイトされていて、「将来の危険」より「いまの安心」に誘導する「被災者と寄り添う」派の代表のように思えます。

早野龍五さんが測るといつも被曝量はゼロか基準値以下ですよね。県庁の食材もそうだったし、学校の給食も基準値以下。ホールボディーカウンターでも基準値以下でゼロになる。それで彼は放射線量が出ないから安全だというわけです。ただ、逆に言えば、放射能が出たら危険だということですよね? 私が早野さんに一番聞きたいのは、では早野さん、放射能は危険か? 安全か?ということです。測っても10ベクレルしかないというけれど、この10ベクレルはどうなのか? それが100ベクレルだったらどうなのか? 彼の言うことは逆にいえば、放射能の風評を広めているともいえます。

事故直後の彼のツイッターへのフォローワー数の増え方がおかしかったです。あまりに一気に急増していましたから。2011年の3月12日に彼のフォローワー数はその日だけでなんと16万人増えています。フォローワー数の伸びを時系列のグラフで見ると、この日の伸びがあまりに瞬間的に伸びたので、折れ線グラフの線が絶壁のように上がっている。どんなに注目されたとしても2~3日ほど徐々に増えてそれから急激に上がるのが普通です。一日で突然増えるというのは、たとえネットの反応が迅速だとはいえ、不自然です。かなりの数のやらせフォローワーがいたかもしれません。あるいはなんらかの国策が絡んでいるのかもしれません。普段は正しそうにしていながら、どこかで大きなウソをつける、かなりの曲者だと思います。

そもそも早野さんは原発を知らないです。知らないことをさも知っているかのように話せるというのは「できる人間」の能力で役人と似ています。おそらくそういう能力はものすごく高い人なのでしょう。反論に対して、しどろもどろにならずにきちんとある程度のことがいえる。矛盾の隠し方が上手い。事故直後に首都圏で大量の放射能が降った雨の日のツイッターでは、「春雨じゃ、濡れてまいろう」などと書き込んでいます。

早野さんもその一人ですが、1960年代の核実験ですでに日本の土壌には放射能がたくさんある。だから、多少の事故でもさほど変わらないかのようにいう学者が多い。でもこれはとても単純なデマでした。事故直後の放射性降下物の量は過去と三桁違っています。1万倍ぐらい桁違いに多かったわけです。ところが、彼はそれについて一切、反省の弁がない。ある一定の人たちは、早野さんのように東大の偉い先生で、穏やかな物言いのインテリの言葉を鵜呑みにする。偉ぶらないように見える偉い人ですよね。

── 南相馬市立総合病院の非常勤医として「現地発」の医療レポートを大手のニュースネットで書いている坪倉正治=東京大学医科学研究所医師はどう評価されますか?

坪倉さんはまだ大学院生じゃなかったでしたっけ? しかも、南相馬市に常駐している医師ではない。なのに「現地は安全安心ですよ」と言っているような印象が強いです。彼は「現地レポート」といいながら、南相馬ではあくまで非常勤勤務医。いまネットで調べたら、検診担当日も週に一回でしかも午前中だけですよ(笑)。だから、南相馬に常駐しているわけではないでしょう。他の非常勤医でも週2回とか3回なのに、彼は週1回。現地の南相馬にいるのは週に1日程度ではないでしょうか。伝え方はうまいし、ソフトな感じですから、その点で、立場的には早野龍五に近い感じがします。

◆専門家のレベルがまるで違う日本と米国

日本の一番悪いところは、原子力の専門家が必ず大学教授だということです。彼らのほとんどは原発の運転ひとつ、わかっていない。現場を知らない専門家は米国ではありえない。米国の原発専門家といえば、NRC(原子力規制委員会)が必ず出てくる。NRCは軍からも来ていて、原子力空母の管理など実際に現場経験が豊かな人たちです。米軍で実地トレーニングを受けて、原子力に詳しい人がNRCに行く。だから彼らは専門知識のレベルも高い。

対して日本の場合は専門家が大学教授。大学教授は現場の訓練をしていないし、そもそも原子力に関する専門レベルも低い。カビが生えたような古い知識しか持っていない人たちです。原発施設がどのぐらい広いのかさえ知りません。原発建屋に一度も入ったことのない人がいたってぜんぜんおかしくない。つまり米国と日本の原子力専門家というのは同じ「専門家」といってもぜんぜん中身が違う。

日本の専門家はただの学歴馬鹿が多くて、机上の論理の専門家。そんな人たちが日本の原子力政策を担っている。日本の政府機関の中枢で原発の現場にいた人はひとりもいないでしょう。そもそも日本ではトレーニングのしようがない。斑目さんみたいな大学教授に教えられても原子力の現場知識は身につきません。電力会社の人間でもそうです。実際に原発機器を作ったり、直接動かしているわけではない。それはメーカー側の仕事です。しかし、メーカーの現場の人が政府の原子力行政に関わることはほとんどない。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]

(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

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▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

onodekitaさん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌?『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

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