1月27日、3・11の原発事故時、6歳から16才、現在17才から27才になった男女6人が、原発事故に伴う被ばくで小児性甲状腺がんを発症したとして、東電に損害賠償を求めて提訴した。

16時から衆議院第一会館で支援集会が行われ、声を上げにくい状況のなか、訴えを起こした勇気ある6人の原告を応援しようと大勢の支援者らが集まった。

1月27日、午後1時に東京地裁に入廷する弁護団と原告、支援者

 
まずは、弁護団長・井戸謙一弁護士が説明された訴状の概略を紹介する。
 
原告は6名は今現在17歳から27才、いずれも当時福島県に住んでいた。中通りが4人,会津が1人、浜通りが1人で、甲状腺がんが発見され、全員摘出手術をうけている。最初は半分摘出、うち4名が再発し、全摘になった。全摘するとRAI治療(大量内用療法)をしなくてはならない。甲状腺組織が取り切れてないと、残った甲状腺組織ががん化し、甲状腺組織を全部潰してしまうため、病気の原因となった放射性ヨウ素をもう一度カプセルに詰め込んで自分の身体に入れる治療法だ。自身の中で放射性物質を発射するような状態に一時期おかれるという、大変過酷な治療を、既に3人が行っており、もう一人は近くそれを行う予定。それ以外に1人の原告は再発を繰り返し、既に4回手術を受け、近くにもう一度手術を受けないといけないかもしれない。肺に転移しているのではないかといわれている原告もいる。みんな、元気な子どもだったが、現在は再発の不安に怯え生活をしている。甲状腺がんに罹って以来、人生が変わってしまった。進学、就職についてすでに具体的な支障がでている。

福島では小児性甲状腺がんの原因が被ばくだと思っていても、それを口にできない、言うと風評加害者だとバッシングされるので、6人も肩をひそめるように生きてきた。しかし、この問題をはっきりさせないと、人生の次のステップに進むことができないという気持ちを徐々に固め、今回提訴という決断に至った。提訴すと、今まで以上にいろんなところから攻撃を受ける可能性があるが、それでもやりたいと決意した。なぜかというと、これからの生活に不安がある。就職も十分できるかわからない。今の職場がいつまで続けれるかわからない。医療費は、当面は福島のサポート事業で無料だが、今後どうなるかわからない。医療保険に入れないため、将来の医療費を確保できない。そのために経済的補償をしてほしいという思いがある。更にそうした理由を超えて、今わかっているだけで293人いる、同じように苦しむ福島の甲状腺がんになっている子どもたちの希望になるだろうとことを期待し、同じように闘ってほしいという思いもある。もう1つは、自分たちは被ばくしたのだから、原爆被爆者のように手帳を受け取って、生涯医療費、各種手当でサポートする、そぅいう制度に繋げたい、この裁判を提訴することで、最終的に勝つだけではなく、そういう制度に繋げたいとの思いもある。

国や福島県は、被ばくと甲状腺がんの因果関係を認めてないなかで、裁判に勝てるのかというご意見の方もいらっしゃるが、十分勝てると考えている。100万人に1、2人だったはずの小児性甲状腺がん患者が、事故後の11年間で福島県の30数万人の子どもから300人近く出ている。多発していることは、国や県も認めざるをえない。その原因は何か? 甲状腺がんの第一の原因は、放射線被ばくだとどの本にも書いてあるし、原告の6人は、確かに被ばくをしたのだから、特別な事情がない限り、原因は被ばくだろうと判断すべきだ。被告・東電がそうでないというならば、何が原因か立証しろ、立証できないなら、被ばくが原因だと判断すべきだと考えているし、それは裁判で十分通用すると考えている。

もう1つ、東電は「過剰診断論」を主張するだろうが、これも十分勝てると考えている。これは、実際に執刀した医師は、甲状腺がんについては過剰診断がありうるということを十分注意し、そのうえで手術の条件がそろったとして手術しているのであり、必要もないのに手術しているわけではない。そのことは、手術した医師が明言していることで、過剰診断論者の言っていることは抽象的な空論を言っているにすぎないと考えている。

あれだけの事故が起こって人的被害がないはずがない。チェルノブイリ原発事故では小児甲状腺がんは数千人でているが、それ以外にどれだけの人が、被ばくによって亡くなったか。IAEAの一番少ない見積りでも4000人だ。福島の事故はチェルノブイリ事故より小さく、規模が7分の1と言われるが、仮にそうだとしても相当数の死者も含めた健康被害が出て当然だ。そうであれば、国はちゃんと調査して、因果関係のある疾病に費えは補償する体制を作ることが、民主主義国家として当然の在り方だと思う。国は、小児性甲状腺がん以外は調べないし、小児性甲状腺がんが多発してもいろんな理屈をつけて因果関係を否定しようとする。この国の在り方自体を変えてゆくきっかけになるような裁判にしていきたい。原告の人たちは非常に重い決断をされた。今後の裁判でいろんな紆余曲折があると思うし、つらい場面なども出てくると思いますが、攻撃する人がいても、それの何十倍、何百倍の人たちが支援していてくれると思えば、頑張ってやっていけると思う。ぜひみなさんの強力なご支援をお願いしたい。

午後4時から衆議院第一議員会館で行われた支援集会

 
弁護団副団長の海渡弁護士から「甲状腺がんは非常に軽いものではない」ということで、原告の皆さんからお聞きして胸が痛くなったという、「穿刺細胞珍」(せんしさいぼうしん)という、麻酔なしに細い注射針を喉に刺して直接細胞を吸い出し両性か悪性かを判断する検査方法が紹介された。

原告のお母さんは「(提訴まで)11年かかりました。辛い思い出もありましたが、やらないで後悔するより、やって勝訴したいという思いが強くなってきました」と語られた。

石丸小四郎さん

「子どもたちの夢を奪う過酷事故を起こしてしまったという思いで、何としても勝ち取る決意である」という、あらかぶさん裁判を支援する石丸小四郎さん、甲状腺がん支援グループ「あじさいの会」のちばちかこさん、子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美男さんら、福島で闘う人たちからも熱い連帯アピールが行われた。

原告のメッセージを紹介する。

「今まで甲状腺がんに罹っていたことを誰にもいえず苦しんできました。原発事故はまだ終わっておらず、被害者である私たちがいきていく以上続きます。この裁判をきっかけに世の中が少しでもよくなることを願っています」(ゆうた)。

「私は再発を含む手術を4回、アイソトープ治療を1回、計5回の手術及び入院を経験しました。この裁判を通して自身が疾患した甲状腺がんと、福島原発事故の因果関係を明確にし、同じような境遇で将来の生活に不安を抱える人たちの救いのきっかけになることを願っています」(るい)。

クラウドファンディングが始まっています。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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「汚染水を流して安全安心な漁業などないと思います。汚染水の海洋放出に断固反対しよう」

今月2日、出初式でにぎわう請戸漁港に大きな声が響いた。「希望の牧場・ふくしま」で〝被曝牛〟を飼育する吉沢正巳さんの街宣車「カウゴジラ」だった。吉沢さんはかたくなに沈黙し続ける漁師たちに喝を入れるように叫んだ。

「浪江町を汚すな!福島の海を汚すな!」
「浪江町の未来、請戸漁港の未来、福島県漁業の未来は危機の淵にいます」
「汚染水は東電の責任でタンクに溜めろ、海に流すな」
「海を汚すな、海に流すな」

神事が終わり、漁船が次々と沖合に向けて出港するなか、吉沢さんは街宣車を走らせながら怒鳴った。怒鳴るだけではなく、こうも呼びかけた。

「あきらめてはいけない、一緒に闘おう」

実は吉沢さん、汚染水の海洋放出計画が浮上して以来、福島県庁など様々な場所に街宣車を出しては「反対」を叫び続けている。浪江町で東京五輪の聖火リレーが行われた昨年3月25日には、解体前の浪江小学校や道の駅周辺で「オリンピックの後に原発汚染水が海に流される。請戸の漁業は、もうおしまいだ」などと訴えた。道の駅では、聖火ランナーを迎えようと待っていた漁師たちの怒りを買ったという。

「大漁旗を振っていた若い漁師たちに言ってやったんだよ。『何でお前らは立ち上がらないんだ、何で闘わないんだ、腰抜けか』ってね。そしたら怒って街宣車の前に立ちはだかって来て喧嘩寸前になって…警察官があわてて割って入っていたよ」

何も喧嘩を仕掛けたいわけではない。表現はきついが茶化しているわけではない。出初式が行われた請戸漁港でも敢えて挑発的な街宣を行った吉沢さんには狙いがあった。

「それで良いのか、と問題提起をしたいんだよ。ここで街頭討論会をやろう、マイクを渡すから本音を言え、黙って何もしないでいて良いのか、金が欲しいのか漁業の安全が欲しいのかどっちなんだ、と。本気の議論をしようじゃないか。なあなあでは駄目なんだよこのまま〝アンダーコントロール浪江〟で良いのか、汚染水を海に流されてもおとなしい腰抜けで良いのか、と誰かが問わなければいけないんだよ。俺が1人矢面に立ってドン・キホーテになるんだよ」

請戸漁港を走る街宣車「カウゴジラ」。吉沢さんは漁師たちに「あきらめるな」「一緒に闘おう」と呼びかけた

2018年、馬場有町長の死去に伴う町長選挙に立候補した際も「さよなら浪江町」を掲げ、目の前の現実から目をそむけないよう訴えた。吉沢さんは後に「俺に喰ってかかって来る人がいればマイクを渡して本音をしゃべってもらう。そんな本気の街頭討論会をしたかったができなかった」と振り返っている。今回の汚染水海洋放出問題でも、多くの町民が本音を封印したまま。そこを打破したいという想いがあるのだ。だから、請戸漁港でも文句を言ってくる漁師がいたらその場で討論するつもりだったが、そんな漁師はいなかった。そうしているうちに、国も東電も海洋放出に向けた準備を着々と進めている。立ち上がろうとしない漁師たちへの歯がゆさを抱えながら、これからも「反対」を言い続ける。

「請戸漁港は浪江の顔であり看板。その〝顔〟が汚染水まみれにされてしまう。それで漁業や道の駅が成り立ちますか?安全・安心・美味しいなんて成り立たないじゃないか。町議会だって2回も反対決議を提出しているんだよ。汚染水なんか流されたら、請戸の漁業は成り立たなくなる」

若い漁師のなかには「原発と共存してきた歴史があるから、あんまりね…」と口にする人もいる。「共存」とはつまり、補償金だ。結局、金で黙らされているということか。この点についても、吉沢さんは厳しい。

「請戸というのはずっと原発の漁業補償金をもらって美味しい想いをしてきた。中毒状態なんだよ。だから汚染水の海洋放出計画に対しても黙っているんだ。それに、あそこまで港を良くしてもらったら国に文句を言いにくい。余計なことを言うと村八分に遭う可能性がある。そういう同町圧力のある町なんだよ」

町内で飲食店を営む浪江町民も「反対を言いにくい雰囲気がある。この町には原発に関する『言論の自由』がない」と話す。吉田数博町長も「難しい問題だ」と歯切れが悪い。

だが、汚染水海洋放出が決して請戸漁港にとってプラスに働かないことは誰もが分かっている。ある漁師の妻は、吉沢さんの訴えを聴き「言っている内容は間違っていない。その通りだと思う」とつぶやいた。それを少しでも掘り起こそうと吉沢さんの行動はこれからも続く。

「俺は間違ったこと、突飛なことを叫んでいるわけではないからね。でもね、これは漁師だけの問題じゃないんだ。浪江みんなの問題。俺はベコ屋で一見、汚染水の海洋放出とは直接関係ないんだけど、何も言わずして終わらせたくないんだ。たとえ〝負け戦〟であったとしても、言うべきことは言い続けたい。汚染水を東京湾に持って行って福島の電気を使って来た尻拭いをしてもらいたい。そのぐらいの気持ちなんだよ」(了)

昨年3月、浪江町でも東京五輪の聖火リレーが行われた。道の駅で聖火ランナーを迎えた請戸の漁師たちが吉沢さんに怒ったという。しかし、汚染水を海洋放出しようとしている国や東電への怒りは聞こえて来ない

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、50歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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「汚染水を海に流されて本当に良いんですか?」

場違いな質問に誰もが顔をしかめた。そして、うつむき加減になった。

JR新日本橋駅近くにある福島県のアンテナショップ「日本橋ふくしま館 MIDETTE(ミデッテ)」(東京都中央区)に〝常磐もの〟が並んだ。今月14日から3日間にわたって開催された「第1回冬のふくしま常磐ものフェア」。福島県双葉郡浪江町の請戸漁港で前日に水揚げされたカレイやメバルなどの海産物の販売会だ。「食の安全・安心に加え、品質の高さや美味しさなど県産品の魅力を発信する」(福島県県産品振興戦略課)のが目的で、2月も原釜漁港(相馬市)や小名浜漁港(いわき市)で水揚げされた海の幸が販売される。

初日は復興大臣も視察。その前に行われた定例会見では「復興庁としても、しっかり福島県産品の魅力を、地元が企画しているイベント等をしっかり後押しをしていかなければならない」、「しっかりと食の安全・安心、特に科学的な根拠に基づいた安全性の正しい情報を発信していくことが大事」と〝風評払拭〟を強調した。

「道の駅なみえ」でも提供されている請戸の魚をPRする場に、原発汚染水の海洋放出問題を口にするなど確かに場違いだ。県職員の1人は「ここは県の施設なので、そういう発言はできません」と苦笑した。しかし、目をそむけてばかりもいられない。政府が昨年4月13日に発表した基本方針では、来年にも海洋放出が始まる。東電は約1キロメートル沖合に海洋放出のための海底トンネルを設置するべく、地質調査などを進めている。福島県の内堀雅雄知事も「風評対策」を口にするばかりで反対を明言せず、海洋放出を事実上容認している。事態は着々と前進しているのだ。

しかし、誰もが「こんなところで聞いてくれるな」という表情を浮かべるばかり。販売応援に来ていたいわき市の男性は「そりゃもちろん、海に流して欲しくはないですよ。だけど国が決めちゃったことだから……。頑張っていくしかないですね。難しい問題です」とあきらめ顔で答えた。

「国が決めちゃったことだから」

都内の福島県アンテナショップで行われた「常磐もの」の販売会。汚染水海洋放出について尋ねると、関係者は一様に口が重くなった=東京都中央区

請戸の漁師も、正月2日に行われた請戸漁港の出初式で筆者に同じ言葉を口にした。

「そりゃ海に流されたら困る。困るけど、相手は国だからな。国が決めたことに俺たちがナンボ言ったって通るわけねえべ。通らないものをいくら騒いだって、俺たちがアホみたいだろうよ」

出初式では、漁船が次々と沖合に出て日本酒で船体を清め、海の上から苕野(くさの)神社に向かって1年の無事を祈願した。「ほれ、あれが原発だよ」。漁師が指差す先には福島第一原発がはっきりと見えた。請戸漁港とは約6キロメートルしか離れていない。汚染水の海洋放出は死活問題のはず。相馬双葉漁業協同組合請戸地区代表の高野一郎さんは神事前のあいさつで「原発から6キロメートルの地点にある請戸漁港は反対しかありません。全漁連、県漁連と姿勢を同じくし、どこまでも反対を続けていきます」と述べた。だが、実際には表立って反対を表明する漁師はいない。逆に「『汚染水』と言わないで欲しんだよ。そう表現されることが何より風評被害を招くんだ。あれは『汚染水』じゃなくて『処理水』なんだ。『汚染水』を海に流すわけじゃないんだから」と筆者に語る漁師すらいるほどだ。「『処理するから大丈夫』と国が言うんだから、俺たちはそれを信じるしかないじゃないか」。

浜通り全体があきらめムードに覆われているかのよう。水産物卸売業者(浜通り)の男性社員も、ミデッテの一角で「国がやっていることだから、反対してもしょうがないという想いもある」と話した。

「『風評被害を生じさせないようにする』と国は言うけれど、こちらとしては正直なところ半信半疑。原発事故がそうであったように、実際に海に流してみないと分かりません。海に流した結果どう転ぶか分からないし、反対したところで『どうせ流すんでしょ』という想いもある。どうせいろいろと言ってもしょうがないのだから、だったらせめて最善を尽くしてくれ。そんな想いですね」

「実際に海洋放出してみて、それでどう転ぶかによって本音が聴けるんじゃないですか。風評被害が生じたら『話が違うじゃないか』となるだろうし……。結局、出たとこ勝負じゃないですか。前例がないのだから。海に流して良いとも駄目とも言いようがないですね。多くの皆さんが尋ねられても困るんじゃないですかね」

この男性は、漁師たちの正直な想いも代弁してみせた。

「漁師は漁師で高齢化と後継者問題に直面しています。身体が動く限り海に出て、自分の代でおしまいという漁師は少なくないですよね。どうせ自分の代で終わるのであれば汚染水問題なんか別に良いや、自分が漁をやっている間だけ補償金をもらえさえすれば良いや、という人もいると思いますよ。海洋放出に反対を言い続けたとして、果たしていつまで補償を受けられるか分からないですしね」

実際、請戸のある漁師は「漁業補償を(全体で)何十億ともらっちゃっているからなあ……」と苦笑した。あきらめムードを後押ししているのが金ということか。これでは政治家に「最後は金目でしょ」などと言い放たれても仕方なくなってしまう。

あきらめてしまい黙して語らぬ漁師たちを鼓舞し続けている人がいる。浪江町の「希望の牧場・ふくしま」で200頭を超える〝被曝牛〟を飼育している吉沢正巳さんだ。「俺が1人矢面に立ってドン・キホーテになるんだ」と請戸漁港に街宣車を走らせている。(つづく)

今月2日、請戸漁港で行われた出初式。「国が決めたことに俺たちがナンボ言ったって通るわけねえべ」とあきらめ顔で話す漁師も

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、50歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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1月19日、広島地裁で伊方原発運転差し止め広島裁判の第26回口頭弁論が開催されました。次回の口頭弁論は3月14日(月)14時半から、次々回は6月8日と決定しています。

伊方原発運転差し止め広島裁判原告側のチラシ

この裁判は広島を中心とする住民が四国電力伊方原発3号機の運転差し止め裁判をもとめて、2016年の3月11日、3・11からちょうど5年の日に提訴。今年で6年になろうとしています。証拠調べ、論点整理も大詰めを迎えました。

伊方原発については、以前、ご報告したとおり、原告側が求めていた運転差し止めの仮処分申し立てが11月に棄却されてしまいました。そして、12月に再稼働が強行されています。

この日は、コロナ対策のため、原告側はいつもおこなっている裁判所への行進はおこなわず、正門前で記念撮影をするだけにとどめて、裁判所に入りました。

◆避難者の福島敦子さんが「命の訴え」

この日の裁判で、原告のひとりで、福島からの京都に母子3人で避難した福島敦子さんが意見陳述をおこないました。福島さんは、福島原発事故避難者京都訴訟の共同代表もつとめています。この伊方原発広島裁判は広島県民でなくても、伊方原発から800km圏内、ほぼ全国、どなたでも参加をいただける裁判です。

意見陳述の前に、裁判長は「感染状況を踏まえて短めに」と促しました。これに対して福島さんは、「これは命の訴えです」と、強調したのが印象的でした。

◆「死ぬときは死ぬんだ」があいさつがわりの福島市の避難所

福島からの京都に母子3人で避難した原告のひとり、福島敦子さん(写真中央)

福島さんは南相馬市から避難してきました。原発の爆発当時は川俣町、そして福島市へと避難。しかし、その福島市のほうが、南相馬市よりも線量が高かったのです。

3月13日に福島市飯坂町のホールに福島さんは、二人の娘と避難します。そのとき、ホールには800人もの避難者がいたそうです。福島さんは、「入ってくる人々が寝ている娘の頭を踏みそうになり、私はずっと娘の頭をかばい続けました。」とそのときの混乱ぶりを表現しました。

物資も不足し、毎日が重く張りつめた空気の中で、「『死ぬときは死ぬんだ』があいさつだった避難所の生活は忘れられません」と振り返ります。

◆京都では「その日を精一杯生きる」ことで過ぎる

4月2日に福島さん母子は京都に避難。福島さんたちは「スクリーニング済証」を携帯していないと病院にもいけない、避難所をうつることさえできなかったのです。被曝した人間として移動を制限されたのです。しかし、いっぽうで、「この証明書は、外部被曝に限られた(OKという)証明書であって、内部被曝の状況は今もわかりません」と福島さんは、訴えました。

京都の学校では下の娘さんは苗字が福島ということもあって、「フクシマゲンパツ」とあだ名をつけられることもありました。福島さん親子の生活は「その日その日を精一杯『生きる』ことで過ぎていきました。」

現在も原発から放射能が流出しつづけていますが、事故の具体的な理由や責任が追及されないまま、被災した人々は日々の生活に疲弊し、とくに福島さんら「区域外避難者が復興の妨げ」という風評被害と向き合っていかなければならなくなった、と振り返ります。

◆父をがんで失い、自らも脳腫瘍、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」に共感

福島さんは、お父さんを前立腺がんで2020年9月になくし、また、自身も脳腫瘍が発覚して、来月手術の予定です。

福島さんは、「伊方原発の再稼働は、地元や広範な瀬戸内周辺住民の不安と日本国民の原発に対する懸念の声を全く無視した人権侵害であり、公害問題です。」と強調。いっぽうで、黒い雨訴訟広島高裁判決で内部被曝がより危険であることが認められ、確定したことに注目。「内部被曝には外部被曝とは異なる危険がある」と訴えました。

そして、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」のスローガンを掲げて闘うこの裁判に、福島原発事故避難者として大いに共感し、原告となって闘うことを決意した、のです。

福島さんは、最後に「もう、私たち避難者のような体験をする人が万が一にも出してはいけないのです。」「司法が健全であることを信じています」「日本国民は、憲法により守られていることを信じています。」と裁判長に対して訴えました。

◆火山や地震、四国電力の反論に説得力なし

この日は、火山や地震のリスクについての主張の交換が、文書で原告と被告(四国電力)の間で行われました。口頭弁論のあとの報告会で原告側弁護士から以下のような報告をいただきました。

火山については、阿蘇山からの火砕流が過去の噴火で到達していた可能性については四国電力も可能性を認めざるをえなくなっています。しかし、案の定、四国電力はその可能性は低い、としています。だが、そもそも、VEI(火山爆発指数)6-7の大噴火はいつ起きるかまったく予測できないのです。

地震についても、四国電力は、中央構造線断層帯の場所は伊方原発からみて、沖合にあるから大丈夫、という主張です。しかし、実際には震源となる断層は原発から800mくらいのところまで迫っているという説も有力です。

日本列島にフィリピン海プレートが潜り込んでおり、そのために、陸側の沖縄の西側の沖縄トラフや九州中部、別府湾などは、伸長応力、すなわち引っ張られる力が加わって、地殻が裂けて、落ち込む場所になっています。それにともなう地震も多く起きています。おなじような現象が伊方原発付近でも起きている可能性は高いのです。単に断層があるだけでなく、そうした大きな地殻変動の現場に伊方原発はなっている可能性が高いのです。また、水蒸気爆発への備えや、避難計画についても、四国電力側の甘さが目立ちました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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1月22日(土曜日)18時半より、大阪市内で「釜ヶ崎から被ばく労働を考える」シリーズの講演会の第6弾を開催します。今回講師でお招きするのは、東京新聞記者(現在は福島支局・特別報道部所属)で『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』の著者でもある片山夏子さんです。この本は第42回講談社本田靖春ノンフィクション賞と第20回「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞しました。昨年3月11日に開催された後者の賞の受賞式に片山さんは福島取材で出席できなかったため、会場で代読されたメッセージをご紹介致します。

 

片山夏子『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』

「事故直後、国や東電の会見を聞きながら、現場にいる作業員は次の水素爆発が起きたら生きて帰れるのか、次々と危機が襲う中で、どんな思いでいるのか……そんなことが頭を巡りました。
 会見では作業の進捗状況はわかっても作業員の様子は見えてきません。原発事故が起きたとき、そこにいた人たちに何が起きていたのか、人を追いたいと思いました。
 特殊な取材現場でした。原発には東電の許可がないと入れない。入ってくる情報は国や東電の発表ばかり。実際に現場で何があったのか、作業員の話を聞かないとわからないことばかりでしたが、厳しいかん口令が敷かれ、記事を書けばすぐに犯人捜しが行われました。作業員の入れ替わりも激しく、高線量下の作業下、はやければ2-3週間で去ったという人もいます。この10年は取材に応じてくれる作業員を探し続けた年月でした。ある作業員は原子炉建屋内で20キロの鉛を背負って駆け上がりました。線量計は鳴りっぱなし、全面マスクの苦しいなか、『早く終われ早く終われ』と彼は祈り続けたと言います。地元から通い一生働くつもりであった原発を、被爆線量が増えたからと解雇され、『俺は使い捨て』と自分の存在価値に悩み、うつ状態になった作業員もいました。
 原発で働くために避難する家族と離れて暮らし、こどもの成長をそばでみられないと苦しむ作業員。離れて暮らす息子に『パパいらない』と小さな手で押しやられ悩む他県から来た作業員。原発作業員の彼らも、誰かの息子であり、夫であり、父親であり、友人で、心配する誰かがいました。
 今日も、作業員はいつものように現場で目の前の作業を一歩でも進めようと奮闘しています。原発事故は終わっていません。そして一日も早く廃炉にしたいという彼らをこれからも追っていきたいと思います」

片山さんは、震災の年の7月、東京社会部に異動となり、原発班担当となりました。「福島第一原発でどんな人が働いているか。作業員の横顔がわかるように取材してほしい」とキャップに命じられましたが、当初、取材のイメージがわかずに戸惑ったといいます。というのも、すでに現場には多くの報道関係者やフリーのジャーナリストらが取材に行っていっており、中には潜入ルポを試みるジャーナリストのいました。

そんななか、片山さんの中に、当時「日当40万円」などと言われたが、それは事実だろうか? 福一から20キロ離れたJヴィレッジで防護服などを装着するが、その実態はどうか。何より高線量の危険な現場で、命を賭してまで働くのはなぜか? 等々聞きたいことが浮かんできたそうです。当時、イチエフの作業員の多くが、旅館、ホテルで集団生活していたいわき市に通い、駅周辺やパチンコ屋などで作業員を探し始めます。同じ頃、作業員には厳しいかん口令がひかれ始めたため、取材に応じてくれる人がなかなか見つけられないなか、粘り強く作業員に声をかけ続け、徐々に取材に応じてくれる人がでてきました。

そんな作業員との取材は、同僚や会社の人に見られたら困るからと、個室のある居酒屋や宿舎や駅から離れたファミレスなどで行うことが多く、数時間どころか、6時間にも及ぶことがあったといいます。

18時から、福島の民謡なども歌う「アカリトパリ」のオープニングライブから始まります

◆一人一人の作業員の顔が見える取材

片山さんの著書を、ジャーナリストの青木理さんは「解説」で、「こうあるべきだ」「我々はこう考える」など声高に主義・主張を訴える「社説」「論説」など「大文字」に代表される記事に対して、「小文字を集めたルポルタージュ」と評しています。「それでは零れ落ちてしまう市井の声がある。名もなき者たちの喜怒哀楽がある。その喜怒哀楽の中にこそ、本来は私たちが噛みしめ、咀嚼し、反芻し、沈思黙考しなければならない事実が横たわっている」と。

確かに、顔は出ておらず、名前も愛称だったりするが、片山さんの取材で描かれる作業員の話には、まるで私自身が目の前で聞いているような錯覚を覚えます。「ゼネコンはいいなあ。俺らは原発以外仕事がないから、使い捨て」(35才 カズマさん)、「作業員が英雄視されたのなんて、事故後のほんの一瞬」(56才 ヤマさん)、「借金して社員に手当」(50才 ヨシオさん、「被ばく線量と体重ばかり増え」(51才、トモさん)…片山さんの取材が、それだけ作業員ら一人一人に親身に寄り添い、本音を引き出せれたからだと思います。

片山さんは、福島に通う続けるうち、自身も咽頭癌を発症したことを「あとがき」で告白しています。「家族にがんの人間はいない」とも。現在は元気になったといいますが、発症時、作業員らに告げたとき「俺らより先に、何がんになっているんですか」と心底心配されたそうです。9年間の長い月日に、そんなプライベートな話ができるほど深い信頼関係が築けてきた証拠です。

◆脱原発運動を被ばく労働者の闘いを繋げていこう

これまで私たちは「釜ヶ崎から被ばく労働を考えよう」と題する講演会を5回行ってきました。第1弾にお呼びした「被ばく労働を考えるネットワーク」の中村光男さんは、事故後、過酷労働と知りつつ被ばく労働に就く人たちを分析、1つ目は「田舎の給料ではおっ母、子供の生活をみれない」と田舎から稼ぎに来る労働者、2つ目は2008年リーマン・ショック以降増大した非正規雇用労働者や派遣労働者、釜ヶ崎など寄せ場の日雇い労働者、3つ目が全体の7~8割を占める地元福島の人たち。このように危険と知りつつ、被ばく労働に就かざるを得ない層が一定数、確実にいるということを教えられました。

第2弾にお呼びした写真家の樋口健二さんは、過酷な被ばく労働者の実態、更に病に倒れ補償もされず亡くなった多くの人たちを見てきたため、講演の最後を「知り合いが被ばく労働に行くと言ったら『絶対いくな』と言ってください」と締めくくられました。確かに、大切な家族、仲間を被ばくの危険にさらさせたくない思いは誰にでもあります。それでも誰かがいかなかったら、福島第一原発が今、どうなっていたか、被災者はどうなっていたかわかりません。危険と知りつつも被ばく労働に就かざるを得ない労働者が一定数、しかも確実に存在するならば、そういう労働者の劣悪な労働環境、人権や権利、保障をどうするかを考える必要があるのではないでしょうか。

あらかぶさんとなすびさんをお呼びした「釜ヶ崎から被ばく労働を考える」シリーズ第5弾。会場は満杯

そのため、私たちは第3弾に、中村さんと同じ「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさんとイチエフの収束作業現場などで働いた池田実さんをお招きしたした。さらに第4弾、第5弾は、イチエフの収束作業後に白血病を発症、初めて労災認定された「あらかぶさん」(通称、九州で魚のかさごを意味する)をお呼びしました(あらかぶさん裁判については「デジタル鹿砦社通信」2021年12月14日付けを参照)。

福島第一原発では、現在も1日4000人の作業員が危険は被ばく労働に従事いていますが、。作業員が被ばくにより病気になっても、今のところ労災以外になんの補償もありません。皆さん、チェルノブイリ事故のあと、収束作業に駆り出されたリクビダートルたちが始めた闘いが、全国各地の市民運動などと連動・団結し、チェルノブイリ法を制定させたことを忘れてはなりません。この日本でも、様々な反原発・反被ばくの闘いを、被ばく労働者の運動に繋げて前に進めていきましょう!

コロナ感染拡大中のため、会場でのマスク着用、入場前の消毒、換気対策などに気をつけます。参加者の皆様のご協力をお願い致します。

片山夏子さん講演会は1月22日(土)18時よりピースクラブ(浪速区)にて

 
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号

2017年8月7日、採択され、9月20日に署名が始まった核兵器禁止条約。2021年1月22日、批准・加盟国が50ヶ国に達してから90日を経過したため、発効しました。

原爆ドーム。長崎原爆の日の8月9日に筆者撮影

ガイアナ、バチカン、タイ、メキシコ、キューバ、エルサルバドル、パレスチナ、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、※クック諸島、ガンビア、セントルシア、サモア、サンマリノ、ヴァヌアツ、南アフリカ、パナマ、セントビンセント及びグレナディーン諸島、ボリビア、カザフスタン、エクアドル、バングラデシュ、キリバス、ラオス、モルディブ、トリニダード・トバゴ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、パラグアイ、ナミビア、ベリーズ、レソト、フィジー、ボツワナ、アイルランド、ナイジェリア、※ニウエ、セントクリストファー・ネイビス、マルタ、マレーシア、ツバル、ジャマイカ、ナウル、ホンジュラス、ベナン カンボジア、フィリピン、コモロ、セーシェル、チリ、モンゴル、ギニアビサウ(58ヶ国) 
※=オブザーバー参加 2021年11月ノルウェー、2021年12月ドイツ

核兵器禁止条約は、核兵器の開発・実験・生産・製造・取得・貯蔵はもちろんのこと、核兵器による威嚇も禁止しています。核兵器を包括的に違法とする初めての国際法です。また、核実験による被害者に対する援助および環境の修復についても定めている点も画期的です。

これまでも、「非核兵器地帯」は東南アジアやアフリカ、中南米、モンゴル、太平洋など各地にできています。核兵器禁止条約は、世界を対象にひろげた上で内容も充実させたものです。

わたくし、さとうしゅういちの父親は広島市内の被爆で全焼した地域に1945年の7月まで住んでいました。引っ越しが遅れればわたしは存在しませんでした。東京で過ごした小学校時代には、たまたま広島で被爆した経験をもつ先生に担任をしていただき、薫陶を受けました。高校時代には井伏鱒二の小説「黒い雨」に感動しました。そんな、わたしにとっても、核兵器禁止条約は悲願です。

◆日本政府は条約に反対

日本政府はご承知のとおり、「核兵器保有国と非核兵器国の橋渡しをする」といいつつ、アリバイ程度の国連決議を毎年の総会に提出する以外には、ほとんど何もしていないのが実態です。基本的には、アメリカの核抑止力に依存するから、何も言えない、というのがほんとうのところです。

日本政府はそもそも、核兵器禁止条約については「分断を広げる」という理由で反対をしています。その理由のひとつは、「安全保障環境」です。

◆安全保障環境は不参加の理由になるのか?

しかし、そもそも、安全保障環境は不参加の理由になるのでしょうか?

日本とほぼおなじような安全保障環境を共有している国といえば東南アジア(ASEAN)諸国です。そのASEAN諸国は核兵器禁止条約にすべて署名しています。たとえば、ベトナム。ご承知のとおり、南シナ海問題で中国とは紛争状態で、小競り合いもときどき起きています。さらにベトナムは中国と国境を陸上と接しており、過去には中越戦争も起きています。日中間の「尖閣諸島」問題どころではありません。

フィリピンについても南シナ海問題という意味では深刻な紛争を中国と抱えています。
安全保障環境は理由とした核兵器禁止条約不参加は、ベトナムやフィリピンを見る限り、成り立ちません。

欧州に目を転じてみましょう。ノルウェーがまず2021年はオブザーバー参加をしています。ノーベル平和賞の授賞式が行われることでも有名なノルウェーは、陸軍では世界最強ともいわれるロシアと陸上の国境を接しており、NATO加盟国です。

さらに、同じ第二次世界大戦の枢軸国かつ西側の経済大国という意味では日本と似たような立場にあるドイツも同条約についてはオブザーバー参加をしています。ドイツもNATO加盟国です。

ASEANをみても、ノルウェーやドイツをみても、日本政府が核兵器禁止条約のオブザーバー参加程度をちゅうちょする理由はどこにも見当たりません。

◆日本は核問題でもASEANと行動を共にしたら?

日本政府に申し上げたい。ここは核兵器禁止条約の面で東南アジア諸国と行動をともにしたらどうでしょうか?そもそも、日本の気候風土や文化は東南アジアと北東アジアの両方の要素を兼ね備えています。

すでに、中国は、2021年11月に北京にASEAN首脳を招いての首脳会議を開催しています。ASEANとの関係を格上げしています。ASEANはASEANで、南シナ海問題については、「法の支配」ということで、一致して中国に対応する一方で、経済的な関係は強化する、という現実的な対応もとっています。

日本人は長年、東南アジア諸国を自分たちより格下とみる傾向が否めませんでした。しかし、新型コロナ災害では、マレーシアに介護用手袋を依存していたために、我々介護労働者もマレーシアからの輸入がとだえ、苦労しました。日本企業がつくろうとしても、技術がないためにマレーシアに勉強にいかないといけない状況です。

また、わたし自身、現場で多くの東南アジアからの労働者と仕事をさせていただいています。

日本は、国力が落ちたにもかかわらず、アジアで盟主のように振る舞いたがり、浮いているように思えます。そのあたりが実は、本当の意味での安全保障環境の厳しさではないでしょうか?

日本人が潔く、国力低下をみとめ、東南アジア諸国とも名実ともに対等な関係にしていく。東南アジア諸国の仲間として、核兵器禁止条約にせめてご一緒させていただく。そのことを通じて「安全保障環境」を改善していく。このことがいま求められるのではないでしょうか?

もちろん、過去の選挙で野党が公約していた日本と朝鮮半島をふくむ北東アジア非核地帯も追求すべきです。ただ、日本さえその気になれば「いますぐ」実現するのは、ASEANとの統一行動、場合によってはASEANへの加盟とそれにともなう核兵器禁止条約と東南アジア非核兵器地帯への加入でしょう。

◆侵略の歴史はきちんと反省した上で日本が先頭に立とう

日本はそもそも、世界で最初に戦争による核兵器の被害を受けた国(最初に受けたのはほかでもないアメリカ自身)です。その日本が核兵器禁止の先頭に立たないでどうするのでしょうか?

「被害を受けた国が核兵器禁止に不熱心」ということは、核兵器保有国にも核兵器を維持する口実を与えてしまいます。

なお、いまだに、「日本は被害者としての側面ばかりを重視している。」という批判も、中国などからは、もちろんあります。

また、現時点でも日本を標的とした国連憲章のいわゆる敵国条項は厳密にいえばまだなくなっていません。従って、「敵基地先制攻撃論」などは、逆に緊張を高めるどころか、日本への攻撃の口実を与えてしまいます。そもそもが、第二次世界大戦に日本は敵基地先制攻撃により、参戦したのです。

核兵器禁止の訴えに説得力を持たせるには、かつての侵略の歴史については、今後とも日本は反省をしなければならない。その上でアメリカにも中国にも忖度せずに、東南アジア諸国とも連携しながら、核兵器禁止の先頭に立つべきではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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新年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

2012年以降の毎年元旦の8時15分、筆者は広島市中区平和記念公園内の原爆供養塔前に行き、はだしになって黙祷。公園内の慰霊碑をめぐりながら、核兵器禁止・原発ゼロへの決意をあらたにしています。

ありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養

「元旦はだし供養」というイベントです。このイベントは、被爆者で元国鉄マン・講談師の緩急車雲助さん(本名・久保浩之さん、2020年逝去)が創始者です。

久保さんと筆者は2003年のイラク戦争反対運動で知り合いました。その後、疎遠になっていたのですが、2011年12月、あるイベントで偶然、再会しました。

「佐藤、よかったら参加しないか?」

そう声をかけていただき、2012年元旦から参加しています。(写真はありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養)

◆元旦はだし供養の由来

元旦はだし供養は、久保さんが、南アフリカ共和国のマンデラ大統領(故人)がアパルトヘイト廃止への協力を要請するために日本に派遣した使節団の若い女性たちをつれて平和公園を案内したことがきっかけでした。

くつを脱いで歩きはじめたのを見て衝撃を受けたことがきっかけです。

平和公園で久保さんが「地下一メートルには今も人骨が眠っている」と説明すると、南アフリカ共和国の若い女性は一斉に靴を脱いだそうです。

久保さんがびっくりすると彼女たちは「アフリカでは同胞の上を靴では歩きません。」
と答えたそうです。

「彼女たちに頭を殴られたような衝撃を受けた」という久保さん。

彼がそれ以来、せめて元旦の8時15分、はだしで原爆供養塔にお参りし、慰霊碑をめぐろうと呼び掛けたのが始まりです。久保さんがお元気な時代は、終了後、平和公園対岸の本川町集会所をお借りして甘酒を飲みながら新年の展望を語り合いました。

久保さんが体調を崩されてからは、イベント後の交流会はできていません。しかしながら、供養塔参拝、慰霊碑巡りだけは欠かさず有志が、誰から呼び掛けるともなく続いています。

◆平和公園を裸足で歩くとドライアイスのような熱さで被爆者を追憶

元旦は、温暖な広島でも雪に見舞われることもおおくあります。平和公園を裸足で歩くと、「ドライアイスのような熱さ」を感じます。あまりにも温度が低すぎるから、逆に火傷をするような熱さを感じました。

また、歩道よりは車道(元旦の朝の平和公園はまったくといっていいほど車は通りませんが)のほうがあるきやすいことも記憶しています。車のタイヤでつるつるになっているからです。

2017年の元旦はだし供養

在りし日の久保さんとともに公園内の慰霊碑をめぐり、1945年8月6日、被爆者が灼熱の地面の上を裸足で逃げ延びたことを思い出したものでした。

ただし、いまは、わたしも、黙祷のときだけ、裸足になり、その後はくつをはいて公園内の慰霊碑をめぐらせていただいております。また、参加者の高齢化にともなって、イベント時間短縮のため、参拝する慰霊碑も、近年では韓国人慰霊碑と旧二中(現・広島観音高校)慰霊碑のみになっています。


◎[関連動画]元旦はだし供養 「我々の世代がもっと正面へ出なければならない」と決意(2017年、この年が最後の完全な形でのイベントとなった、そのときの様子)

「義勇隊の碑」

かつては参拝していた慰霊碑に「義勇隊の碑」があります。

この碑は、現在の広島市安佐南区川内にあたる川内村のひとたちが、義勇隊という形で、市内中心部のこのあたりで建物疎開の作業にあたっておられて全滅したことを追悼するものです。この影響で、川内村は男性が非常に少ない人口比だったことも知られています。

◆2022年は6人で決行

さて、2022年の「元旦はだし供養」は、6人で行われました。わたしは、バスで広島市東区の自宅を出発。8時前には平和公園に到着しました。

原爆供養塔

わたしは、まず、原爆ドーム前を通過して元安川沿いを南下し、元安橋をわたって平和公園入りしました。

原爆の子の像の前にはまばらですが観光客もおられました。そして、原爆供養塔前に到着しました。

原爆供養塔には、身元がわからない原爆犠牲者の方、身元が分かっても引き取り手がない方ら7万柱のご遺骨が眠っています。最近でも2004,2005年に南区の似島から遺骨が多く出ています。ここは、戦前・戦中は大日本帝国陸軍の検疫所があり、そこに多くの被爆者がかつぎこまれたためです。

この供養塔に遺骨を運び込むドアの前にある線香立ての内部がコンクリートで埋められるという事件が昨年後半、発生しましたが、復旧していました。これは、民間の方から寄贈です。

供養塔の前で待機していると、ぼつぼつ人が集まりました。総勢6人。中には10年連続参加というNHK職員の方もおられました。この方は、以前はカメラをかついで取材をしてくださいました。平和担当を外れたいまも私人で参加してくださっています。

供養塔の次に参拝した韓国人慰霊碑は、もともとは平和公園のすぐ外にあたる場所で、被爆死した朝鮮王族(軍人だったため戦死の扱い)ことにちなんでできた慰霊碑です。ただ、公園の外にあることが差別的に見えるという議論が盛り上がり、現在の場所に移転した経緯があります。

広島にも被爆時には多くのコリアンの方がおられ、犠牲になりました。命が助かった方も日本国籍を戦後に一方的に奪われたために、日本に住んでいる被爆者が受けられるような援護策を受けられていない状態でした。韓国在住の方については、一定の解決をみましたが、朝鮮に住んでおられる方については日朝に国交がないためにいまだに見捨てられたままです。

[左]はだしになって、黙祷のあと、献花をおこないました。[右]そして、韓国人慰霊碑、旧二中慰霊碑の順でめぐり、黙祷、献花をおこないました

二中慰霊碑

◆先輩方を尊重しつつ若手主導で「復興」したい

さて、このイベントは2017年を最後に「多くの慰霊碑の前で黙祷と献花をおこないその後に本川町集会所で交流会」という「完全な形でのイベント開催」ができなくなっています。あれから5年がたってしまいました。2023年には、なんとか、「核兵器禁止・原発ゼロ」の決意をグラウンド・ゼロから元旦、あらたにするという趣旨のイベントを「復興」したいと思います。もちろん、先輩方を尊重しつつですが現実問題、先輩方の活動が難しいなら若手ががんばるしかありません。

最後にその2017年の交流会でのわたし自身の発言を再録し、わたし自身への戒めともしたいとおもいます。

「貧困、格差が独裁や戦争を生んできたのは歴史の教訓。庶民の暮らしを守る
政治に切り替えていかねばならない。そのために全力をつくす決意だ。」
「我々の世代があまりにも久保さんたち上の世代に甘えすぎたのではないか?」
「わたしも四十を超えた 。三十代の頃はまだわたし自身もどこか甘えがあった。」
「我々の世代がもっと正面へ出なければならないと思う。」
と提案をさせていただきました。


◎[関連動画]元旦はだし供養2022を前に

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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2022年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09MFZVBRM/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000689

『NO NUKES voice』30号に、1995年12月8日、高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)で発生したナトリウム漏れ事故の社内調査を担当した動力炉・核燃料開発事業団(以下、動燃)の職員・西村成生氏の怪死事件について書いた。以前より気になっていたが、12月14日付デジタル鹿砦社通信で報告した「あらかぶさん裁判」のメーリングリストで、妻のトシ子さんが今も闘い続けていることを知り取材を始めた。

◆「これは自殺ではない」

もんじゅのナトリウム漏れ事故後、動燃は、現場を撮影した2本のビデオ(「2時ビデオ」(12月9日午前2時撮影)と「4時ビデオ」(12月9日午後4時撮影))について、問題部分をカットしたり、存在を隠してマスコミに発表、それが発覚するやマスコミから激しい非難を浴びるようになった。そんな中、特命で内部調査を任されたのが、当時総務部次長の西村成生氏(当時49才)だった。

12月23~24日現地調査した結果、問題の2時ビデオが、事故後すぐに東京本社に届けられていることが発覚、調査チームは25日、その事実を大石理事長に報告した。しかし、大石理事長は国会に呼ばれた際もそれを公表しなかった。年が開けた1996年1月12日、政権交代で新科技庁長官に就任した中川秀直氏が、会見で2時ビデオが動燃本社に持ち帰られ、幹部が見ていた旨の発言を行った。そのため、動燃は急きょ会見を開くことになった。

会見は、1回目に広報室長と動燃幹部が、2回目に大石理事長が行ったが、この席でも大石理事長は、2時ビデオの存在を知ったのは1月11日と嘘をついた。3回目の会見に引きずりだされた成生氏は、先の理事長、幹部らの発言に合わせる形で、本社幹部が2時ビデオの存在を知ったのは(理事長が知った前日の)1月10日と発言した。

会見終了が午後10時5分頃。深夜1時頃、成生氏は、13日敦賀で会見を行うため大畑理事とホテルにチェックインしたことになっている。その後動燃から成生氏宛に5枚のFAXが届き、浴衣姿の成生氏がフロントに取りに来たとされている。早朝約束の時間に成生氏が来ないのを不審に思った大畑理事が、成生氏の部屋を入ったところ、机に白い紙があり、周辺を探したところ、非常階段の下にうつ伏せに倒れている成生氏を発見したという。

連絡を受けたトシ子さんは、病院に向かう途中、車のラジオで、成生氏がホテルの8階から転落、遺書があったことから自殺と断定されたと知った。「遺体はどんなに酷いだろう」と不安な思いで霊安室に入ったトシ子さんは、8階から転落したとは思えない、損傷の少ない夫の遺体を見るなり、驚くと同時に直感した。「これは自殺ではない」。

1995年、東海事業所管理部部長時代の西成成生さん。この年、東京本社に異動となり、もんじゅ事件の特命を命じられた

◆政治的に利用された成生さんの死

不可解な点はそれだけではなかった。ささやかな葬儀を準備していたトシ子さんに、動燃は「車が6台入れるように」などと注文を付け会場に変えさせられ、葬儀には田中真紀子はじめ大物議員など著名人が1500人も参列、まるで「社葬」のようだった。驚くのは、そこで読まれた大石理事長ら関係者の弔辞が、それぞれ繋がるように意図的に作られたような内容だったという(詳細はぜひ本文を読んで頂きたい)。

「成生さんの死は政治的に利用されているのかもしれない」。トシ子さんの疑惑はますます強まった。一方、成生さんの死後、マスコミの動燃批判は一挙に沈静化した。

ささやかな葬儀を予定していたトシ子さんに動燃はあれこれ注目を付け、「社葬」のような葬儀が執り行われた。費用600万円は西村家が支払った

 

西村トシ子さん

葬儀から数ヶ月後、理事長秘書役で成生氏と大学の同窓生だった田島氏から、成生氏の死について説明したいと連絡があり、トシ子さんは田島氏と大畑理事と会った。

田島氏が書いた「西村職員の自殺に関する一考察」は、成生氏の自殺が、前日の会見で、2時ビデオの存在を知った日にちを前年12月25日というべきところを1月10日と間違えたことを苦にしたというものだった。

「そんなことで死ぬかしら」。トシ子さんは納得いかなかった。それに5枚のFAX受信紙はどこにいったの? そこには受信した時間が刻時されているはず…。トシ子さんがその件を尋ねると、大畑理事は慌てて席を立ち姿を消した。

一方、「一考察」のなかに驚くべき事実が判明した。そこには、トシ子さん宛の遺書に書かれた内容が記されていた。田島氏が「一考察」を書いたのは1月15日。しかしトシ子さんは自分に宛てられた遺書を、1年近く誰にも見せていなかったのだ。ますます深まる疑念…しかし成生氏の死により国策で進められた夢の原子炉「もんじゅ」は、延命を遂げることとなった。紙面の関係で、本文で割愛したその後繰り広げられた訴訟について紹介したい。

動燃理事長秘書役(当時)だった田島氏が書いた手書き文書「西村職員の自殺に関する一考察」

同上

◆遺体が語る真実

トシ子さんは1年後、成生さんのカルテを作成した聖路加国際病院の医師に連絡した。医師も連絡を待っていたという。というのも、医師によれば、病院に運ばれた成生さんの遺体は、死後10時間は経過していたという。それでは深夜1時にチェックインすることはできないことになる。しかもホテルは宿泊帳の開示を拒んでいる。

警察と東京都監察医、動燃の発表では死亡推定時刻はAM5時頃、聖路加国際病院のカルテでは死亡確認時刻AM6時50分、その時の深部体温は27度だった。深部体温とは、腸など身体内部で外気などに影響を受けにくい温度で、そこから死亡推定時刻が測れるという。法学者らは5時から6時50分の約2時間で、深部体温が37度から27度へ10度も下がることはありえないという。そこからトシ子さんは、監察医により死体検案書に虚偽事実が書かれているとして虚偽私文書作成、3通の遺書に記された「H8.1.13(土)03:10.」「H8.1.13(土)03:40.」「H8.1.13、03:50」の筆跡が成生氏の字ではないが、これは死亡時刻を遅くする第三者が加筆したものとする私文書偽造で、動燃の田島氏と都の監察医を訴えた。しかし、1998年10月、不起訴となった。

2002年、トシ子さんは東京都公安委員会に「犯罪被害者等給付金」を申請したが、翌年「支給しない」とされた。しかし、この過程で事件当時、中央警察署が作成した「捜査報告書」「実況見分調書」「写真撮影報告書」「死体取扱報告書」や、鑑定医が作成した「死体検案調書」などの提出物件を見て、公安委員会は弁明書と裁決書を作成したことがわかった。警察と動燃の説明が一切なかったので、トシ子さんはこの過程で初めて、警察の捜査がどのようなものだったかを知った。トシ子さんはこの裁決書を見て、不服だったので行政訴訟をしようとしたが、請け負う弁護士はいなかった。

2004年10月13日、トシ子さんと息子2人は、核燃料サイクル開発機構(旧動燃)に対して、成生氏の死が自殺というならば、自殺に追いやった、防げなかった安全配慮義務違反があるのではとして、労災として損害賠償訴訟を提訴した。

証人尋問で大石元理事長は、原告側弁護人に「2時ビデオ」が本社に来ていたとの報告を受けた日にちについて聞かれ、「記憶にない」と証言。ほかの質問にも「知らない」「覚えていない」を繰り返した。2007年5月14日、東京地裁で敗訴、2009年東京高裁は控訴を棄却、2012年1月31日、上告も棄却された。

2019年10月、山崎隆敏さんに福井県内の原発を案内された。もんじゅは敦賀市内から更に奥まった白木地区にひっそりたたずんでいた

 

2019年10月、福井県敦賀市白木地区を訪ねた。海岸沿いで会ったおばあさんは「あのそばにうちの畑があった」ともんじゅを指差した

◆未遺品返還訴訟へ

2015年2月13日、トシ子さんは、東京都と警察に対して、中央署警察官等が関与した成生氏の全着衣、マフラー、5枚のFAX受信紙、遺書を書いた万年筆など「未遺品返還訴訟」を東京地裁に提訴した。成生氏の死亡後、遺族にはカバン、鍵、財布、コートしか返却されてなかった。裁判で、捜査にあたった2人の警察官が証人尋問に立ち、「遺品は全て返しているはず。中央署にはない」と証言。現場にかけつけた警察官らが、成生氏の死を『自殺・事件性なし』と判断していたため、部屋の実況見分などを行っていないことも判明した。2017年3月13日、東京地裁はトシ子さんらの請求を棄却、9月13日東京高裁は控訴を棄却。しかし高裁判決は、一部の遺品は大畑元理事に渡っていた事実を認定した。トシ子さんは2018年2月22日、日本原子力研究開発機構(旧動燃)と大畑宏之元理事に対して、未返還遺品請求を提訴した。大畑氏は、訴状が届いた数日後死亡したため、訴訟の被告は大畑元理事の遺族に引き継がれた。

7月5日、成生氏の死亡後、成生氏の動燃内机の封印に関与した3名の被告の証人尋問が予定されたが、2名は意見書を提出、田島氏は体調不良で出廷しなかった。トシ子さんは法廷で「遺体の状態から、主人はホテル以外の場所で遺書を書かされ、暴行を受けて亡くなったと思います。夫は生きる権利、私は知る権利があるのに、何回裁判をやってもそれが顧みられません。憲法の基本的人権が侵害されないように裁判をしていただきたい」と訴えた。

しかし、9月30日、東京地裁はトシ子さんらの請求を棄却、現在トシ子さんらは東京高裁に控訴している。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

12月11日発売!〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

〈原発なき社会〉を求めて
『NO NUKES voice』Vol.30
2021年12月11日発売
A5判/132ページ(巻頭カラー4ページ+本文128ページ)
定価680円(本体618円+税)

総力特集 反原発・闘う女たち

[グラビア]
高浜原発に運び込まれたシェルブールからの核燃料(写真=須藤光郎さん)
経産省前の斎藤美智子さん(写真・文=乾 喜美子さん)
新月灯花の「福島JUGGL」(写真=新月灯花)

[インタビュー]山本太郎さん(衆議院議員)×渡辺てる子さん(れいわ新選組)
れいわ新選組の脱原発戦略

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」原告共同代表)
「子ども脱被ばく裁判」 長い闘いを共に歩む

[報告]乾 喜美子さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
経産省前のわたしたち

[報告]乾 康代さん(都市計画研究者)
東海村60年の歴史 原産の植民地支配と開発信奉

[報告]和田央子さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
福島県内で進む放射能ゴミ焼却問題
秘密裏に進められた国家プロジェクトの内実

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
「もんじゅ」の犠牲となった夫の「死」の真相を追及するトシ子さんの闘い

[インタビュー]女性ロックバンド「新月灯花
福島に通い始めて十年 地元の人たちとつながる曲が生み出す「凄み」

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
検討しなきゃいけない検討委員会ってなに?

[報告]森松明希子さん
(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表/原発賠償関西訴訟原告団代表)
だれの子どもも“被ばく”させない 本当に「子どもを守る」とは

[書評]黒川眞一さん(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)
森松明希子『災害からの命の守り方 ─ 私が避難できたわけ』

※     ※     ※

[報告]樋口英明さん(元裁判官)
広島地裁での伊方原発差止め仮処分却下に関して

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈14〉避難者の多様性を確認する(その4)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈23〉最終回 コロナ禍に強行された東京五輪

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈後編〉放射能汚染水の海洋投棄について〈2〉

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
「エネルギー基本計画」での「原子力の位置付け」とは

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
問題を見つけることが一番大事なことだ

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
《追悼》長谷川健一さん 共に歩んだ十年を想う

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
チャーリー・ワッツの死に思う 不可解な命の重みの意味

[報告]佐藤雅彦さん(ジャーナリスト/翻訳家)
21世紀の国家安全保障のために原発は邪魔である!

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈14〉現状は、踊り場か後退か、それとも口笛が吹けるのか

[報告]大今 歩さん(高校講師・農業)
「脱炭素」その狙いは原発再稼働 ──「第六次エネルギー基本計画」を問う

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
コロナはおーきく低下した。今後も警戒を続ける
対面会議・集会を開こう。岸田政権・電力会社の原発推進NO!
《北海道》藤井俊宏さん(「後志・原発とエネルギーを考える会」共同代表)
特定放射性廃棄物最終処分場受入れ文献調査の是非を問う
《北海道》瀬尾英幸さん(北海道脱原発行動隊/泊村住人)
文献調査開始の寿都町町長選挙の深層=地球の壊死が始まっている
《福島》黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
内部被ばくが切実になっているのではないか
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟)
脱炭素化口実にした老朽原発再稼働を止め、原発ゼロへ
《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
衆議院選挙中も、原発止めよう活動中―三つの例
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
老朽原発廃炉を勝ち取り、核依存政権・岸田内閣に鉄槌を!
《中国電力》芦原康江さん(島根原発1、2号機差し止め訴訟原告団長)
島根原発2号機の再稼働是非は住民が決める!
《玄海原発》豊島耕一さん(「さよなら原発!佐賀連絡会」代表)
裁判、県との「対話」、乾式貯蔵施設問題
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
島崎邦彦元原子力規制委員会委員長代理の責任を糾弾する!
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
『科学・技術倫理とその方法』(唐木田健一著、緑風出版刊)

反原発川柳(乱鬼龍さん選)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

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2014年4月、釜ヶ崎で見つけた除染作業員の求人募集

釜ヶ崎で右の求人募集を見たのが2014年4月、東電は、当時すでに高線量地域の除染作業員には1万円の危険手当を出していた。しかし、看板では高線量の特別地域で1万6000円、ここから危険手当1万円を差し引くと6000円、生活地域1万円より低くなるのだ。

事務所を覗くと、ソファにふんぞり返る強面の男が1人、完全な人夫出し飯場だ。11月には、釜ケ崎の労働者が仕事を探すセンター(西成あいりん総合センター)1階の柱に「センターは除染の求人は認めない」とのチラシが張られた。悪質な業者に、センターは責任取れないということだろうか。

周辺でも除染に行った人が増えてきた。「半年で、長年原発の仕事行っている人より多く被ばくした」との話も聞いた。そこで私は、釜ヶ崎の仲間と作った「西成青い空カンパ」
で、「釜ヶ崎から被ばく労働問題を考えよう」と題した講演会を始めた。

1回目に「被ばく労働を考えるネットワーク」の中村光男さん、2回目に写真家の樋口健二さん、3回目に「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさんと原発元作業員の池田実さん、そして4,5回目になすびさんと共にお呼びしたのがあらかぶさん(通称、あらかぶはカサゴの地方名)だった。

◆福島原発被ばく労災「あらかぶさん裁判」の意義

九州で鍛治工をしていたあらかぶさん(当時36歳)は、2011年10月~2013年12月までの2年間、福島第一原発(東電)の収束作業や、玄海原発(九電)の定期検査などに従事した。知人から「福島の原発の収束作業を手伝わないか」と誘われ、「東北の人たち、福島の人たちの役に立てるなら、自分の溶接の技術が役に立つなら、少しでも力になりたい」と、仲間と共に福島へ向かったのだ。福島第一原発では高線量の現場で作業し、この間受けた被ばく線量は総計19.78ミリシーベルト、年平均限度の20ミリシーベルトに迫る数値だった。

その後、九州に戻ったあらかぶさんは、風邪のような症状に悩まされ続けていたが、年明けに受けた検査で「急性骨髄性白血病」と診断された。その後「妻と幼子を置いて死ぬかもしれない」という恐怖からうつ病も発症。入院したあらかぶさんは、一時は敗血症で危篤状態に陥りながらも、ドリルで胸や腰の骨に穴をあけるなどの過酷な治療に耐え、8月に退院。

2015年10月、福島第一原発の収束・廃炉作業に従事した作業員として初めて、被ばくによる白血病とうつ病の労災が認定された。厚労省の専門家検討会が詳細な審議を行った上で、あらかぶさんの白血病とうつ病は、原発での業務が原因と判断されたのだ。労災が認められたとはいえ、治療費や休業補償の一部が支払われるだけで、そのことで奪われた様々なことへの補償はない。それでもあらかぶさんは「よし」としようと決めていた。

そのあらかぶさんが、東電と九電を訴えたのは、労災認定翌日の新聞で、東電が「作業員の労災申請や認定状況に当社はコメントする立場にない」とコメントしていたことを知ったからだ。安全管理に法的責任を負うべき東電が謝罪もなく、こんな無責任発言をしていては、今後も被ばく労働者は使い捨てにされるだけだ。自分のためだけではなく、これから被ばく労働に就く仲間のためにもと思い、2016年11月、東電と九電を相手に損害賠償請求訴訟を提訴、コロナの影響もあり、裁判は長びいているが、12月7日20回目の期日を私は初めて傍聴した。

あらかぶさん

◆原発作業員の「使い捨て」を許すな!

東電と九電は「原告が受けた放射線被ばくと白血病及びうつ病との間に事実的因果関係が認められない」と、国がすでに認めた労災すら否定する信じがたい主張で全面的に争う構えだ。更に、あらかぶさんが受けた被ばく線量記録(約20ミリシーベルト)によるリスクは「飲酒・喫煙・野菜不足などと同じレベル」と開き直るような主張を繰り返し、原告弁護団の主張する「あらかぶさんが浴びた被ばく線量(外部被ばく・内部被ばく含め)はもっと多いはずだ」をことごとく否定している。

例えば、あらかぶさんが福島第二原発の水密化工事作業において、現場監督が付けていたAPD(警報付き個人線量計)が1日数回鳴ったと主張したことについて、東電は、当時の現場の空間線量が毎時1マイクロシーベルト程度なので、考えられないなどと否定した。これに対して原告は、当時の現場の区間線量は毎時3マイクロシーベルト程度あったこと、しかもAPDは毎時1マイクロシーベルトでも鳴る可能性もあることから、1日数回鳴ったことも十分考えられると反論した。

またあらかぶさんが、福島第一原発4号機の原子炉建屋カバーリング工事をした際、現場のすぐ近くで「朝礼」が行われていたと主張したことに対して、東電は、それは朝礼ではなく、作業直前に最終確認を行う打合せだったと主張。これに対して原告は、朝礼というかどうか別にして、原子炉格納容器から10メートルしか離れていない場所で、毎日5分~10分作業内容の確認をしていたのは間違いない。本来ならば、そうした打ち合わせは、厚生棟や免震重要棟など被ばくを避けられる建物内でおこなうべきだと反論した。

あらかぶさんは被ばくの危険性など知らされないまま現場に入った上、高線量下の現場で着用が義務付けられている「鉛ベスト」の数が足りず、着用せずに作業したことも何度もあった。東電は、これに対して「元請会社との契約において、各作業員に一定の放射線防護装備を着用させることを義務つけていたが、タングステン製のベストを作業員に着用させるか否かは元請会社の判断」と居直るような主張を繰り返した。

東電、九電のこのような杜撰な労働管理、無責任体質では、これからも続く収束・廃炉作業に従事する作業員が、さらに過酷な被ばくを強いられたうえ、使い捨てにされてしまうことは明らかだ。あらかぶさんの「働く仲間があとに続けるように」との思いを実現させるために、この裁判は必ず勝利させなくてはならない。

裁判後、衆議院第一議員会館において、報告集会と、原発元作業員で「あらかぶさんを支える会」共同代表の池田実さんのミニ学習会「原発作業の『不適合事例』を斬る」が行われた。

最後に挨拶したあらかぶさんは、北九州大学で先日開催された熊谷博子監督の「作兵衛さんと日本を掘る」上映会にゲストとして招かれ、自身の体験を語らせて貰ったこと、映画を観て、当時の炭鉱労働者も自分たちと同じように使い捨てされてきたことなどを学んだと報告された。

第21回口頭弁論 2022年2月25日(金)
10:00~東京地裁前情宣
11:00~東京地裁103号法廷
12:00~報告集会

大法廷を埋めつくそう!!

12月7日、裁判後の報告集会でのミニ学習会

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12月5日(日)、大阪西九条の靭公園で、「12.5老朽原発このまま廃炉!大集会inおおさか」が開催され、1500名もの参加者が集まった。

13時から始まった集会の冒頭、中嶌哲演さん(原発に反対する福井県民会議)が主催者挨拶を行った。

◆4か月間で広島原爆の「死の灰」300発分を生み出した美浜3号再稼働(中嶌哲演さん)

全国各地で連帯して、本集会に結集されています全ての皆さんに心から感謝致します。また各地から素晴らしいメッセージを頂いた皆様にも御礼申し上げます。

昨年10月から関電と国が猛烈な攻勢を美浜、高浜両町と福井県にかけ、再稼働の同意をとりつけました。しかし、実際に動いたのは美浜3号のみで、わずか4ケ月だけでした。しかし、その稼働で23キロワット、電気料金にして約400億円近く関電は稼いだのです。一方、そのたった4ケ月の稼働により、原子炉の中の使用済み燃料には、広島原爆300発分の「死の灰」、長崎原爆にして10発分のプルトニウムが新たに生成・蓄積されていることを忘れてはならないと思っています。

ところで今、美浜3号、高浜1、2号は非公開でテロ対策工事を行っています。美浜3号は来年9月に、高浜1、2号は再来年4、5月に工事を終えるといっています。若狭の住民や関西等の市民に対して、関電と国の方こそ、あたかもテロリストのような行為を企てているのではないでしょうか? これを許してはならないと思っています。

福島以来、現在も尚、原発再稼働、ましてや老朽原発を動かすなという人の数は絶対的な数を占めています。それをいかに顕在化させるかが求められていると思います。1人デモから大集会に至るまで様々な試みが行われていますが、個々の地道な実践と大きな共同目標、原発ゼロ法案は廃案になりましたが、これを再び市民と議員とで共同作成、共同提出して、審議を見守り、その提携を図っていく、大きな運動をも必要としているかと思います。宜しくお願いいたします。

主催者挨拶を行う「原発に反対する福井県民会議」の中嶌哲演さん(写真提供=Eiji Etohさん)

※     ※     ※

次に、井戸謙一弁護士より、美浜3号機運転差止仮処分裁判の報告が行われた。

◆来夏頃に関電が追い詰められているのは間違いない(井戸謙一弁護士)

今年の6月21日、大阪地裁に美浜3号機の運転禁止を求める仮処分を申し立てました。40年を超えた原発は沢山ありますが、ほとんどの電力会社は40年超の原発を諦めました。諦めなかったのが、日本原電の東海第二原発と関西電力の3基の4基です。

東海第二は既に水戸地裁から運転禁止の判決が出て、脛に傷を持つようになっています。関電の3基はまだ傷をつけることができていない。この4基がこのまま順調に40年超の再稼働が出来るかどうかは極めて重要です。

何故かというと、日本の大部分の原発は既に30年前後の運転期間が経過しています。これらの原発が40年超の運転を目指すかどうか? 各電力会社は、先行するこの4基がスムーズに運転できるのかどうかを注視しています。これが成功したとなると、我も我もと40年超の運転許可申請をすると思います。しかしうまくいかなかったら、規制委員会が許可を出しても、市民や司法の力で運転できないということになれば、ほかの電力会社は40年超の運転を断念することになるでしょう。するとあと10年も経てば、日本には動かせる原発がごくわずかになります。早期に原発をゼロにすることができるかどうかは、この4基がスムーズに運転できるかどうかは分水嶺なんですね。

関電の3基については、本訴訟を継続していたが、仮処分の申し立ては過去になかった。それが仮処分申し立てをして緊急に止めようということで、6月21日申し立てを行いました。既に3回の期日が開かれました。我々は6つの争点を提示しています。そのうちの1つをご報告します。

美浜3号機は活断層の巣の中にあります。東側1キロに白木―丹生断層が、西側2、3キロにC断層が走っています。しかもC断層は東側に傾斜しているので、美浜原発の直下を走っています。

ところで新規制基準は、震源が敷地に近い場合に基準地震動を策定する場合には、特別の考慮をしなければならないと定めています。我々は「関電は美浜3号機について、特別の考慮をしていない」と主張しました。これに対して関電がどう反論してくるか注目していました。

「特別の考慮はしている」と言ってくるかと思ったら、そうではなく「特別の考慮をする必要がない」と言ってきた。どういうことか。関電は、特別の考慮をする必要があるのは、原子炉建屋と活断層の間の距離が250メートルの場合だと。美浜3号機は東の活断層が1キロ、西が2、3キロだから、特別考慮する必要がないと主張してきた。

これには驚きました。これは簡単に反論できます。争点は、新規制基準が特別の考慮をどの範囲の原発に求めているか。250メートルなのか、2、3キロはそれに含むのかどうか、極めて単純な争点です。これについての議論では当然勝てると考えています。

決定は、来年10月が再稼働予定ですので、それまでに出すよう求めているので、おそらく裁判官に決断をさせるのは、やはり運動の力、市民の力です。裁判官が一人の市民になったとき「やっぱり老朽原発は動かせてはいけないな」と思わせないといけない。止めるという判断をしたとき、それが裁判官の突飛な判断ではない、市民のほとんどが嫌だといっているではないかと、裁判官が言えるような運動を盛り上げていく、それが裁判官の背中を押すことになると思います。

来年10月まで約1年弱あります。その間に更に更に運動を盛り上げ、ぜひ美浜3号機をストップさせていきたい、いけると思います。がんばりましょう。

美浜3号機運転差止仮処分裁判の報告が行う井戸謙一弁護士(写真提供=Eiji Etohさん)

※     ※     ※

名古屋地裁で争われている老朽原発廃炉訴訟の原告草地さんの報告のあと、老朽原発の地元の皆さんがアピール。福井県若狭町で美浜原発から15キロ圏内にお住いの石地勝さん。

◆大飯と高浜の使用済み燃料の総量はすでに六ケ所の再処理工場の容量(3000トン)を超えている(石地勝さん)

美浜原発から15キロ圏内(福井県若狭町)で暮らす石地勝さん(写真提供=Eiji Etohさん)

私は美浜原発から15キロ位の若狭町に住んでいます。老朽原発の美浜3号と高浜1、2号の再稼働を巡って、今年の2月の県議会で、一番の論点になったのは、使用済み燃料の中間貯蔵地を県外のどこにするかでした。知事と議会が対立して結論はでずに、先送りになりました。

5月に臨時議会が開かれ、そこで国から50億円の交付金の話と、立地地域の将来像をどうするかということで、共創会議を国が作って審議していこうという土産話をもって来たら、あっという間に議会がなびいて、美浜3号、高浜1、2号の再稼働が認められ、美浜3号は6月に入って再稼働しました。

あれだけ一生懸命論議した使用済み燃料の話は、それから10ケ月位経ってますが、一つも話になりません。それで関電の広報に使用済み燃料の確認をしました。美浜、大飯、高浜の3原発合わせて3555トンありました。六ケ所の再処理工場で3000トンの容量になっているところへ、大飯と高浜の使用済み燃料を入れるだけで3000トンを超える、それだけ若狭の原発に使用済み燃料が貯まっているということを、改めて判って頂いたと思います。

それだけではなく、高浜ではMOX燃料を使ったプルサーマルが運転されています。MOX燃料は行き場もなく、危険性はずっと高い。それらが全て若狭の原発にあるということを再度知って頂きたく発言させて頂きました。

最後になりますが、今言いました3000トンを超える使用済み燃料を抱えているうえに、新たな使用済み燃料を動かして増やしています。立地地域の将来像の死活問題になる話をしない共想会議の欺瞞性ついて、この無責任体制の若狭の現況を報告して、皆さんとともに老朽原発を止め、安全・安心な故郷にしたいと思いますので、皆さんのお力添えを宜しくお願いしたいと思います。

※     ※     ※

原発事故避難者森松明希子さん、首都圏他全国からのアピール、関西の市民団体のアピールなどの最後に「老朽原発動かすな!実行委員会」木原壯林さんの集会アピールの提案と採択を終え、市内へのデモを行った。

「原発いらない福島の女たち」のバナーを持つ黒田節子さんと菅野みずえさん(写真提供=Eiji Etohさん)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

12月11日発売!〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

〈原発なき社会〉を求めて
『NO NUKES voice』Vol.30
2021年12月11日発売
A5判/132ページ(巻頭カラー4ページ+本文128ページ)
定価680円(本体618円+税)

総力特集 反原発・闘う女たち

[グラビア]
高浜原発に運び込まれたシェルブールからの核燃料(写真=須藤光郎さん)
経産省前の斎藤美智子さん(写真・文=乾 喜美子さん)
新月灯花の「福島JUGGL」(写真=新月灯花)

[インタビュー]山本太郎さん(衆議院議員)×渡辺てる子さん(れいわ新選組)
れいわ新選組の脱原発戦略

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」原告共同代表)
「子ども脱被ばく裁判」 長い闘いを共に歩む

[報告]乾 喜美子さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
経産省前のわたしたち

[報告]乾 康代さん(都市計画研究者)
東海村60年の歴史 原産の植民地支配と開発信奉

[報告]和田央子さん(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
福島県内で進む放射能ゴミ焼却問題
秘密裏に進められた国家プロジェクトの内実

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
「もんじゅ」の犠牲となった夫の「死」の真相を追及するトシ子さんの闘い

[インタビュー]女性ロックバンド「新月灯花
福島に通い始めて十年 地元の人たちとつながる曲が生み出す「凄み」

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
検討しなきゃいけない検討委員会ってなに?

[報告]森松明希子さん
(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表/原発賠償関西訴訟原告団代表)
だれの子どもも“被ばく”させない 本当に「子どもを守る」とは

[書評]黒川眞一さん(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)
森松明希子『災害からの命の守り方 ─ 私が避難できたわけ』

※     ※     ※

[報告]樋口英明さん(元裁判官)
広島地裁での伊方原発差止め仮処分却下に関して

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈14〉避難者の多様性を確認する(その4)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈23〉最終回 コロナ禍に強行された東京五輪

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈後編〉放射能汚染水の海洋投棄について〈2〉

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
「エネルギー基本計画」での「原子力の位置付け」とは

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
問題を見つけることが一番大事なことだ

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
《追悼》長谷川健一さん 共に歩んだ十年を想う

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
チャーリー・ワッツの死に思う 不可解な命の重みの意味

[報告]佐藤雅彦さん(ジャーナリスト/翻訳家)
21世紀の国家安全保障のために原発は邪魔である!

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈14〉現状は、踊り場か後退か、それとも口笛が吹けるのか

[報告]大今 歩さん(高校講師・農業)
「脱炭素」その狙いは原発再稼働 ──「第六次エネルギー基本計画」を問う

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
コロナはおーきく低下した。今後も警戒を続ける
対面会議・集会を開こう。岸田政権・電力会社の原発推進NO!
《北海道》藤井俊宏さん(「後志・原発とエネルギーを考える会」共同代表)
特定放射性廃棄物最終処分場受入れ文献調査の是非を問う
《北海道》瀬尾英幸さん(北海道脱原発行動隊/泊村住人)
文献調査開始の寿都町町長選挙の深層=地球の壊死が始まっている
《福島》黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
内部被ばくが切実になっているのではないか
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議会議員/反原発自治体議員・市民連盟)
脱炭素化口実にした老朽原発再稼働を止め、原発ゼロへ
《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
衆議院選挙中も、原発止めよう活動中―三つの例
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
老朽原発廃炉を勝ち取り、核依存政権・岸田内閣に鉄槌を!
《中国電力》芦原康江さん(島根原発1、2号機差し止め訴訟原告団長)
島根原発2号機の再稼働是非は住民が決める!
《玄海原発》豊島耕一さん(「さよなら原発!佐賀連絡会」代表)
裁判、県との「対話」、乾式貯蔵施設問題
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
島崎邦彦元原子力規制委員会委員長代理の責任を糾弾する!
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
『科学・技術倫理とその方法』(唐木田健一著、緑風出版刊)

反原発川柳(乱鬼龍さん選)

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