自民党憲法改正草案表紙

この世の中は誰が支配しているのだろう。神か、国際金融か、各国においてはその政府か。地域社会においては何の肩書も持たないけれども、世襲的に力を持つ地域ボスであろうか。市長や村長、地方行政か、それとも……。

◆自民党「改憲草案」前文に表れたこの島国の支配者

自民党の改憲草案の前文をご覧になったことがあるだろうか。この中には自民党の望む国家像が描かれている。支配権力を縛るはずの憲法の前文の書き出しが「日本国は」で始まるなど、現行憲法の精神とは全く異なるトーンは明確だが、この極め付きの悪文の中には、誰がこの島国を支配しているか、支配したいのかを知るのヒントがある。

【自民党憲法改正草案前文】http://constitution.jimin.jp/draft/

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

自民党憲法改正草案(上段が改正草案、下段が現行憲法)

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

◆国民の権利や幸福より「経済成長」を重視する自民党「改憲草案」前文の意味

将来到達しようとする国家像がいかに貧弱で、おそまつな発想にとどまっているかは現行憲法の前文と比較すれば明らかである。それはともかく、ここでは、「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」に注目をする。

この期に及んで「経済活動を通じて国を成長させる」という文言は、その到達目標の低さや、即物性剥き出しの格調の低さもさることながら、現体制、自民党の本音を語っているといえよう。つまり国民の権利や幸福よりも「経済成長」を憲法前文で謳うほどに重視しているということである。

自民党憲法改正草案(上段が改正草案、下段が現行憲法)

国の形や到達目標を掲げる憲法前文で、一内閣の施政方針演説ではあるまいに「経済成長」など、文言にしても、まったく格調の低い言葉が用いられているが、これが現在の支配実態を示すものであり、さらなる「経済による国民支配」を目指していること示していると理解できる。

◆歴代経団連会長の思想と行動

そこで、いまこの島国の経済に強い力を持っているのはどのような勢力か、人物かを点検してみようという動機が湧く。全国的には経団連や日経連といった企業の集まりが政府に対して相当強い発言力を有していることは、周知の事実だ。歴代経団連の会長の顔ぶれを振り返ってみよう。

初 代  石川一郎(日産化学工業社長)
2代目  石坂泰三(東京芝浦電気社長)
3代目  植村甲午郎(経団連事務局)
4代目  土光敏夫(東京芝浦電気会長)
5代目  稲山嘉寛(新日本製鐵会長)
6代目  斎藤英四朗(新日本製鐵会長)
7代目  平岩外四(東京電力会長)
8代目  豊田章一郎(トヨタ自動車会長)
9代目  今井敬(新日本製鐵社長)
10代目  奥田碩(トヨタ自動車会長)
11代目  御手洗冨士夫(キャノン会長)
12代目  米倉弘昌(住友化学会長)
13代目  榊原定征(東レ会長)

ざっと見渡すと重厚長大産業からの会長輩出が多いことに気が付くが、東京芝浦電気=東芝関連の石坂と土光が会長の座にあったのは、東芝破たんを目の前にした現在からは隔世の感がある。経団連には会長に次ぐ評議員会議長、審議員会議長のポストがあり、そこへ名を連ねているのも重工業関連者中心であるが、東京電力関係者の名前も散見される。平岩は第7代会長(1990年12月21日~1994年5月27日)の座におり、菅礼之助、那須翔の二人も幹部の中に見つけることができる。平岩は2002年の原発トラブル隠し事件に関与した人物で、菅礼之助は鉱山畑を歩んできた人間、那須翔は平岩同様2002年の原発トラブル隠し事件に関与し、東電会長を辞任した人物だ。

◆地方経済界の電力会社ヘゲモニー

経団連の会長はその人物の個性にもよるが、常に政権に対して財界からの要求を突き付ける役割は発足以来一貫している。時に政権に取り入り(土光が臨調に重用されたように)、時には大企業の利益確保のために政権に圧力をかける。御手洗や米倉の業つくぶりはまだ読者の印象にも残っているかも知れないが、経団連は常に政権に対する最大ともいえる圧力団体として君臨し続けている。

しかし、「さすがに3・11後の経済団体の重要な役職に電気事業者が名を連ねることは難しくなった」とスラスラ筆を進めることができるのが当たり前なのだけれども、実は地方においては、電力会社の地域経済界支配は、まったく揺らいではいない。2011年3月11日時点で、全国の経済連合会の会長は全員が電力会社の社長もしくは会長だった。現在はどうだろう。本年3月末時点で以下の通りだ。

北海道経済連合会 会長=髙橋賢友(北電興業取締役会長) 
  ※筆者注:北電興行は北海道電力の関連会社

東北経済連合会 会長=海輪誠(東北電力会長)

中部経済連合会 会長=豊田鐵郎(豊田自動織機会長)
  副会長=水野明久(中部電力会長)

北陸経済連合会 会長=久和進(北陸電力会長)

関西経済連合会 会長=森詳介(関西電力相談役)

四国経済連合会 会長=千葉昭(四国電力会長)

九州経済連合会 会長=麻生泰(麻生セメント会長)  
  副会長=貫正義(九州電力会長) 石嶺伝一郎(沖縄電力会長)

中部と九州を除いて、相変わらず電力会社の人間が会長の座にある。中部と九州にしても副会長には、しっかりと中部電力と九州電力の会長が居座る。各地方の「電力会社の経済界支配」はまったくといってよいほど変化していない実態が明らかだ。

これでは、「新電力会社」が参入しようにも、有形無形で既存勢力からの牽制や、新たなハードルが待ち受けることは想像に難くない。新電力に原発事故の処理代金を電気代に上乗せして、電気料金の高止まりを強いているのもこのような勢力図の影響が波及していると容易に想像できる。

「経済に理性を求めること自体が愚かである」とある著名な経済学者から聞かされたことがある。こうした顔ぶれを見るにつけ、「人間に理性を求めること自体が愚かである」と言い換えなければならいのか、とすら感じさせられる。私の知る少なくない数の理性のある方々はどうお感じになるであろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』


◎[参考動画]映画『遺言 原発さえなければ』 2017年劇場用予告編(映画『遺言』プロジェクト)

東日本大震災が起こった2011年3月12日から福島第一原発の事故に際して取材に駆けつけたフォトジャーナリスト二人が、3年にわたり記録し続けてきた250時間の映像をまとめたドキュメンタリー映画『遺言 原発さえなければ』(監督/豊田直巳、野田雅也)。総時間225分に渡り、全5章。「第一章 汚染 取り残された住民たち」「第二章 決断 酪農家人生の崩壊」「第三章 避難 ご先祖さまを残して」「第四章 故郷 つなぐ想い」「第五章 遺言 原発さえなければ」だ。

 

『遺言 原発さえなければ』

それぞれの章を紹介しよう。第一章では、原発から約30キロ離れた飯舘村が、京都大学の今中哲二助教が強い放射能に汚染されていることを村に報告する。何も知らされていなかった村民だったが、徐々に村全体が汚染されていることを知り……。
第二章は酪農家たちのドキュメンタリーだ。飯舘村計画的避難区域に指定され、酪農家たちも避難を余儀なくされる。だが酪農家にとって避難は牛を捨てての廃業を意味する。苦悩にさいなまれる酪農家たちだったが、人の命には変えられないと悩んだ末に決断を下す……。

第三章は飯舘村から避難する住民に焦点を当てている。福島市内から山形、横浜まで避難する人もいる。原発によって家族がバラバラになってゆく姿をみて、原発事故が奪っていったものを知っていく……。

第四章は、お盆に合わせて飯館村に帰郷してきた各地に避難している村民たちの記録だ。バラバラになってしまった村民たちだが、久しぶりに会ったことからか皆の顔に笑顔が浮かんでいる。バーベキューをしながら近況報告をする人たちの中には涙を浮かべる人たちもいて……。

そしてラストの第五章だ。この映画のタイトルにも関連する言葉「原発さえなければ」がテーマになっている。この言葉は酪農家が自ら命を絶った際に、堆肥小屋の壁にチョークで書き残したもの。「残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」という遺言を守るために酪農家たちは新しい生活を続けるが、故郷の汚染は続いていて……。

グリーンイメージ国際環境映画祭大賞、江古田映画祭グランプリ受賞。現在第二弾を6年経った飯舘村で撮影している。バラバラになった村民たちのかねてから懸念されていた帰村は始まるのだろうか。

現在日本の脱原発運動は危機にあるといってもいい。一部の人たちは精力的に活動しているものの、かつてのような国民運動的な勢いが原発運動にはなくなってきてしまっている。それは忘れやすい、水に流すという文化がある日本人ならではないのだろうか。イタリアにおける原発再開の中止、ウェスチングハウスの倒産、アメリカも原発から撤退傾向にあるなど一部の国を除いて世界は脱原発に流れつつある。

事故当時の思いを忘れないためにも、この映画を見て、原発事故直後の飯舘村で暮らす人々に思いを馳せてもらいたいものだ。

◎『遺言 原発さえなければ』HP http://yuigon-fukushima.com/
◎『遺言 原発さえなければ』facebook https://www.facebook.com/yuigon.fukushima

(渋谷三七十)

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』11号

東京電力が引き起こした原発事故から6年。2017年3月11日には東京電力ホールディングス本店前で抗議行動が行われた。前回に続き、現場の様子と参加者の声を紹介する。まずは、ルポライター・鎌田慧さんのスピーチだ。

鎌田慧さん

◆早く帰れという政府に対して、少しでも文句を言いなさい
 ルポライター・鎌田慧さんのスピーチ

あれから6年が経ち、福島の人たちの生活はますます苦しくなっています。そして、みなさんご存知のように、3月いっぱいで自主避難者の住宅補助を削るということになっています。こういう非人道的なことが許されるのか。20mSv以内であればとにかく帰れという、こんな無情な国家、非情な国家があるかということです。

今の内閣には、人の悲しみとか苦しみとか主権とか未来とかそういう考えが全く無い。彼らには全く考える力がない。3月いっぱいで終わるという自主避難者に対する住宅援助の打ち切りをやめさせるために、私たちはあらゆる力を尽くしていかなくちゃいけない。

また、東電はあれだけの大災害を発生させておいて、一言も反省しないで原発を再稼動しようとしている。事故を起こしておきながら、被害者に責任を押し付けている。東電はここへ出てきて謝れ。被災者に謝れ。6年間も故郷を追われた人たちに謝れ。そして、早く帰れという政府に対して、少しでも文句を言いなさい。全く君たちはのほほんとしている。

それから、核兵器につながる道を確保していこう、というのが政府の指針としてあります。私たちの原発を潰す運動は、日本が核武装しないという運動に直接繋がっている訳です。そういう意味でも、私たちは自分たちの運動に自信を持って断固として戦っていく。再処理工場は認めない。原発の再稼動を認めない。決して挫けてはいけない。決して諦めてはいけない。みなさん寒い中大変ですが、今日も1日頑張りましょう。

◆抗議行動中、俄かに騒がしくなる

抗議行動中、俄かに騒がしくなる場面があった。“天皇制反対”を唱えるグループがデモ行進で側を通りかかったことによるものだ。周りを取り囲む警察官の数も多く、また、それに続く右翼の街宣車などもあった。主題とは関連が薄いが、いくつかの写真を掲載しておく。

 

 

 

◆最後に見た景色はカモメの群れか、原発建屋の破片か
 講談師・神田香織さんのスピーチ

もう一人、講談師の神田香織さんを紹介しよう。聞き取りやすい声と力強い言葉選びはさすがといったところだろうか。

忠臣蔵という有名なお話があります。責任を取って全員切腹をするんです。それがどうですか。この原発事故で最も責任の重い会社では誰一人責任をとってないし腹も切ってないじゃないですか。こんなことじゃ亡くなった方は報われませんよ。新しい仕事っていうのは、必ず責任の所在をはっきりにして、それからじゃなきゃ始まらないんです。

私たちはもう6年間も待ってるんですよねえ。もう限界だと思いませんか。避難者の皆様への住宅支援を打ち切るという暴挙にすら出ようとしております。苦しめられて苦しめられて、そしてまた住まいを奪うというような、こんなイジメってないじゃないですか。まず責任を取るべき自分たちがそこに移り住むべきなんですよ。

この間飯舘村に行ってきました。なんと、あの美しかった村のほとんどのところにフレコンバッグの山ですよ。そこへ戻れ戻れって、いったいどういう神経でそういうことが言えるのかと思いますよ。

責任を取るべき人たちが全く責任を取らないがために、このようにおかしなことが起きてるんですよねえ。国民の税金の使い方、間違っていると思いませんか。

今からでもいいから早く裁判を初めて、東電の幹部達の責任をはっきりさせること。それを早急に始めてもらって、そして今政府が進めているやり方も撤回してもらう。それからじゃなきゃ話は始まらないと思うんですよ。

みなさん、私、ほんとに悔しいんですよ。6年前の原発事故の後、避難命令が出ために、津波で海岸に打ち上げられた人たちや、車の中でクラクションを鳴らして助けを待っていた人たちを助けることができなかった。全く無傷、傷ひとつない遺体が後でたくさん見つかったそうですよ。ガリガリに痩せて、あばら骨が見えるぐらい痩せて、助けを待って待って待って、亡くなっていったんですよ。消防隊員も警察も、もうみんな悔しい思いをしてるんです。身内を失った家族の悲しみ、苦しみたるや、もう想像がつかないぐらいでございます。本当なら助かったはずの命がたくさんたくさん亡くなってるんですよ。

その人たちが最後に見た景色はなんだったのでしょうか。空に飛ぶカモメの群れでしょうか。それとも爆発で吹き飛んだ原発建屋の破片でしょうか。最後に聴いた音はなんだったのでしょうか。爆発音でしょうか。それとも寄せては返す波の音だったのでしょうか。

原発事故の責任を取ることと再稼動を絶対にやめること。もう一度でも事故が起きたらこの国は破滅ではありませんか。チェルノブイリの苦しみや福島の悲しみを教訓にしないで再稼動するとはなにごとでしょうか。

講談の世界では、悪者はやっつけられることになってるんですよ。勧善懲悪っていって、正しいことをしてる人が助かることになってるのに、今の世の中真逆じゃないですか。なんですか、強きをどんどん助けて弱きをどんどんくじいてゆく。講談師としても、許せません。

日本には抵抗の文化が無い、と言われることがありますが、昔から抵抗はしてきたんです。このように言われるのは、抵抗がまだ文化になっていない、ということなんだと思います。私たちは、抵抗の文化を打ち立てていきましょうよ。

そして、庶民が痛い目にあっていく弱肉強食の世の中が続いていく限り、私たちの抵抗の文化を昇華させていきましょうよ。そのためにもですね、私は講談で訴えていきます。微力ですけれども、理不尽な目にあった人のお話をどんどんどんどん語っていきます。

私たちは決して諦めない。呆れ果てることが雨あられと降ってきても、呆れ果てても諦めないで参りましょう。みなさん一緒に、いいですか。呆れ果てても諦めない。呆れ果てても、諦めないぞ!

神田香織さん

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
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〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』11号

明日から、地獄の上にさらなる地獄を強いられる人々がいる。福島第一原発事故の避難指示解除地域に住んでいて自主避難していた方々への住宅補助が本日31日で打ち切られるのだ。28日には、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)について、大阪高裁(山下郁夫裁判長)は、大津地裁が出した運転差し止め仮処分決定を取り消し、運転再開を求めて保全抗告していた関電側の訴えを認めた。「安全性が欠如しているとはいえない」と判断した。この決定を受け、関電は近く運転停止中の高浜3、4号機の再稼働に向けた手続きを進める方針だ。

◆二つの現実を前に──徹底した「無答責」が行き渡っている

ことには軽重がある。この二つの現実を前に私たちはどちらを優先的に思慮し行動すべきか。軽重があってもやはり双方を無視するわけにはゆかない、との凡庸な回答しか私の貧弱な頭脳からは引き出せない。

避難者にとっては既に原発事故は起こってしまっていることで、それにより流浪生活を強要されている。どうして加害者が勝手に補助の打ち切りを決めることが許されるのか。それはおそらく、この島国には法の支配がなく、徹底した「無答責」が行き渡っているからであろう。

だとしても法哲学議論の前に「生活をどうしてくれるのだ」との問いに為政者や東電は答えねばならない。しかし彼らは答えない。おそらく答えないのではなく、答える「能力がない」と言ったほうが適切だろう。


◎[参考動画]日本テレビ「町には戻れない」避難解除の町の“苦悩”(FujioTv 2017年3月28日公開)

◆山本太郎議員が問うたJCOレベル4と福島レベル7の対応矛盾

一貫して原発問題を追及する山本太郎参議院議員が3月21日復興特別委員会で質問を行っている。質問で茨城県のJCOで1999年に起こった事故を引き合いに出している。鋭い注目点だ。この事故では臨界を目にするという、恐るべき体験をした被害者が亡くなり、1ミリシーベルト以上の被爆をした人が政府発表で119人茨城県の調査では666人出ている。事故はレベル4と認定され、茨城県はその後、3億円の基金を設け被曝した人々、または不安を感じる人々対して、健康診断が無料で受診できる体制を整える。そして1999年生まれの新生児には生涯無料での受診の権利を与えている。

果たしてこの対処が充分なものであるのかどうかには議論があろうが、他方レベル7事故で住処を追われた人々には「勝手にしろ」と言い放つのがこの島国の政権である。1ミリどころか、「20ミリシーベルト以下ならば大丈夫」なのだから、もう理性も科学も論理も倫理も何もない。住宅支援を打ち切られた避難者には失礼に当たるが、国際的にも伝わるように「原発事故難民」とでも名付けてはどうだろうか。


◎[参考動画]山本太郎議員 東日本大震災復興特別委員会質疑(山本太郎事務所2017年3月21日公開)

何の落ち度もない被害者が避難先では、無知と無意識という名の悪意により差別され、子供がいじめの対象になっている。子どもの態度は大人社会の合わせ鏡で、言葉では決して罵倒したり、けなしたりしはしないが、政策的に「棄民」される人々には絶望か怒りのほかにどのような感情の選択の余地があるというのだ。これはまがうことなき行政による「緩慢な殺人」行為であり、殺されようとしている人々を傍観している者もまた同罪だ。いわんや、東京オリンピックだの原発輸出だの妄言を吐いている連中には早晩罪状が言い渡されるだろう。

◆東芝の崩壊で新年度を迎える日本の経済界

東芝はその露払い役として、実に1兆円の損失を出し、実質上崩壊を迎える。三菱、日立にも同様の宣告がなされる日が必ずやてくる。「経済界」は東芝の崩壊をどう考えるのだろう。人格や人間性を失った「大企業利潤追求唯一主義団体」の経団連は、連鎖倒産を想像しないのか。それによる大不況の心配はないのか。さしあたりの利潤確保以外にお前たちには関心事はないのか。

JRは本気で日本アルプスの下に長いトンネルを掘り、リニアモーターカー運行ができると考えているのか。乗車運賃が新幹線の1.5倍になると言われる延々と続くトンネルの中で安穏と過ごす乗客がいると本気で思っているのか。

日常に埋没してゆく理性や人間性が表面上悪意なさそうに「緩慢な殺人」を支える。こんな社会の一員でいることに恥を感じなければ理性ある人間とは言えないと、新年度を迎えるにあたり自戒を込めて断言する。


◎[参考動画]東芝が米原発子会社WHの破産申請承認受けて記者会見(THE PAGE 2017年3月29日公開)


◎[参考動画]株主「上層部だらしない」東芝巨額損失に怒りの声(ANNnewsCH 2017年3月30日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』11号

東京電力が引き起こした原発事故。あれから6年を経た今日も、悲惨な状況は続いている。2017年3月11日、東京電力ホールディングス本店前にて東電に対する抗議行動が行われた。蟻の目で記録した現場の様子と参加者の声。ビジュアルと文章でお伝えする。

◆福島返せ! 命を返せ! 情報隠すな! 原発反対!

東電本店が所在する内幸町は、千代田区の南東端に位置し、中央区・港区との区境にあたる。歩くことの好きな筆者は東京の道をそこそこ知っている。すこし離れた東京駅で電車を降り、銀座中央通りを南へ。新橋の手前で右折すれば山手線の下を潜って内幸町へ出ることができる。見つけた。山手線の“内側”に沿って建つ、これが東電本店だ。東電を背に、南を向いて集まっているのが警察と公安。道路を挟んで南側。角地に集まっているのが抗議活動参加者。間の道を走る高級車は、少し速度を緩め、なんとなく様子を眺めて銀座へ向かう。

たんぽぽ舎・柳田真さんの挨拶を経てシュプレヒコールが始まった。
福島返せ! 命を返せ! 情報隠すな! 原発反対!

たんぽぽ舎共同代表の柳田真さん

福島返せ! 命を返せ! 情報隠すな! 原発反対!

◆経産省前テント広場の共同代表、淵上太郎さん

午後2時から始まった抗議活動。シュプレヒコールに続いてマイクを握った淵上太郎さんは、経産省前テント広場の共同代表として活動している方だ。

「今日、あの福島の事故から6年が過ぎました。私たちはこの6年間、原発事故における東電の責任を追及してきました。そして原発政策へ反対するために、40回以上にわたってここ東電本店前で抗議行動を行ってきました。本日は3月11日。改めて東京電力に対して抗議の意思を示したい。そう思うわけです。
 なぜ抗議を続けるのか。それは、反省というものがまるで為されていないからであります。政府や行政は、福島をはじめとする原発事後被災地へ、極めて巧妙なやりかたで被災者を帰還させようと強行しています。4月1日から、避難者に対する住宅補償を打ち切ると言っている。ある福島の女性が『頭の中では帰還したいと思っているけれども、体が許さない』と話していました。帰るにしろ帰らないにしろ、極めて厳しい選択を迫られているわけです。それを迫っているのは、東電であったり日本の政府であったりするわけです。
 聞くところによれば、福島では放射能の“ほ”の字も口に出すことができない。こんな風になっている。そういう社会的な雰囲気が、東京電力や政府によって作られているということを、私たちは暴露しなければならないし、またこれと戦っていかなければいけない。これからも戦い続けるためには、大勢が声を揃え、肩を組んで進んでいくことによって、必ず新しい時代を切り拓くことができるだろう。そういう確信の下で本日の抗議行動も続けていきたいと思います」(淵上太郎さん)

経産省前テント広場の共同代表、淵上太郎さん

◆札幌の大規模集会で活躍した“自転車隊”の皆さんも

参加者のなかには、これまでの取材でお会いしたことのある方もいる。札幌での大規模集会で活躍した“自転車隊”の皆さんもそうだ。

札幌の大規模集会で活躍した“自転車隊”の皆さんも

双葉町からの避難者、亀屋由紀子さん

◆双葉町からの避難者、亀屋由紀子さん

東日本大震災の地震発生時刻が近づき、参加者による黙祷が捧げられた。写真左端に映るのは、福島県双葉郡双葉町から避難してきた亀屋由紀子さん。力ある声だと感じたのでここで紹介する。

「みなさんこんにちは。ふるさと双葉町を離れてもう6年です。この6年間、すごく辛い、耐えられない、なんぼ嫌な思いしたか分かりますか。この東電が無かったら、こんな苦しみは無かったんです私たちは。私は、再稼働に反対です。なぜかというと、自分が3・11で避難してくるときが地獄でしたから。なんにも持たない、テーブルもない、ダンボール拾ってきて新聞敷いて、ほんとうに地獄でした。同じ痛みを味わいさせたくないから、私は再稼働に反対なんです。絶対に再稼働させないでください。一番悔しいのは、双葉町とか浪江町なんですよ。原発から10kmくらいしか離れていないのに、なんで避難解除するんでしょうか。こんな危ないところに帰れない。わたしは絶対許せない。一言でいうと、双葉に帰りたい。今すぐにでも帰りたい。帰られるものなら今すぐにでも。でも帰れない。どんなことがあっても再稼働させないように、みなさん、これからもよろしくお願いします」(亀屋由紀子さん)

次回は集会に参加してスピーチを行った、ルポライターの鎌田慧さんと講談師の神田香織さんを紹介する。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

 

あの時、小学校に入学直前だった子供が中学校へ進学する。小学校6年生で卒業式を終えた児童の大半は高校を卒業したことだろう。20歳だった青年も26歳。皆年齢だけは、毎年1つづつ平等に重ねてゆく。彼らの中であの日の記憶はどうなっているのだろうか。震災直後東京の少なくない高校生は「原発反対デモみたいに」という言葉を、異形のものを示す侮蔑表現として使っていたが、成人した彼らの認識に変化はあるだろうか。

◆6年の年月を経ても変わらない(変えることのできない)風景

高木俊介さん(精神科医)1957年、広島県生まれ。京都大医学部卒業。日本精神神経学会で、精神分裂病の病名変更事業にかかわり「統合失調症」の名称を発案。2002年に正式決定された。04年、京都市中京区にたかぎクリニック開設。著書に「ACT-Kの挑戦」(批評社)、「こころの医療宅配便」(文藝春秋)など

6年の年月を経ても変わらない(変えることのできない)風景がある。15日発売の『NO NUKES voice』に登場して頂いた精神科医、高木俊介氏は、震災後何度も福島に足を運び、診察所の開設や子どもの保養を独自に進めてきた方だが、その高木医師が震災5年後(昨年12月)、国道6号線の光景を目にしてあっけにとられたという。

まったく手が付けられずに放置された膨大な地域。道路だけは名目上「除染」されたことになってはいるが、その周辺には人の手が及ばない。本当は人が入ってはならないほど汚染はいまでも深刻だが、国道6号線は「開通」してはいる。ただし通行を許されるのは車両のみで、バイクははいれない。言わずもがな、いまだに空間線量が高いので「体が剥き出しのバイクは危険」というのが、国(あるいは県)の判断だ。だが飛んでくる放射線は、紙一枚で止められるアルファー線だけではない。車の薄いボディーやガラスなど無関係に透過してしまうベーター線やガンマー線だって飛んでるだろう。それに空間の数値とは関係なく、地面には膨大な核種が積もっているのだ。

色も、匂いも、手触りもない。いや、正確にはそれらが感じられるほどの量を目視できる場所に立てば、人間は即死してしまうから知ることが出来ない。それが放射性物質の猛烈な「殺傷力」の本質だ。

◆この国は持つのか?

どうするつもりなのだろうか。政府や東京電力は。さしあたり除染や廃炉、補償に必要な額として「20兆円貸してくれ」と東京電力は国にすがりついている。20兆円は2016年度国家予算の約25%に相当する。そんな巨額を1私企業に無担保で貸し付けても大丈夫なのか。

しかもこの金額は「さしあたって」のものであり、これだけで済むものではない。最近になって「本当は40兆円」という噂が流れている。40兆円なら国家予算の約半分弱。国家予算の半額を1私企業の犯罪を贖(あがな)うために投入するような予算は、さすがに表向きできない。そうでなくとも公債(国・地方あわせ)の発行残高が1500兆円を超え、国民総資産を間もなく凌駕(りょうが)しようという、破産寸前の財政状態にあって、この国は持つのか。

◆私たちが生きている国の政権は「愚か」の極みである

高木医師は自分自身が被災地に関わる中から体感した、被災地の惨状と、原発への危機感、さらにはこの国の行く末について、重大な警鐘を語りかけてくれている。

「どうすればよいのかを、誰か知っていたら教えてください」

脱原発に長年かかわる人びとは、示し合わせたようにそう口にする。でも、そう語りながらも原発の危険性を一人でも多くの人に理解してもらおうと、血のにじむような思いで、何十年もひたすら語り、行動することをやめたり、あきらめたりはない。おそらくその行動の中にしか回答はないのだろう。

ドイツや台湾のように人間として標準的な判断力を有している政府であれば、「こんな危険なものは国を滅ぼし人びとに惨禍を与えるだけだ」、と福島第一原発事故を見て気が付く。真逆に残念ながら事故を起こしたこの国の政権は、それでも原発を続けるという。日本語でこの様な行為を「愚か」と表現する。しかしながら残念なことに私たちが生きている国の政権は「愚か」の極みである。そうであるのであれば「愚か」さに相対してゆくしか方法はない。

◆被災当事者の痛みを私たちはまだ十分に理解していない

1月21、22連日大阪で「再稼働阻止全国ネットワーク」主催による、「全国相談会」と集会、デモ、関電包囲行動があった。「全国相談会」は毎度のことではあるが参加者の平均年齢が高い。平均年齢をぐっと引き下げているのは福島から避難してきたお母さんや子供たちだ。避難して「闘う」ことを決意したお母さんたちの目の奥にはある種の「覚悟」がある。「全国相談会」で議論が散逸しそうになると、「私たちさっきから議論を聞いていて、本当に大丈夫なのかなというのが正直な感想です」と厳しい批判をで議論を軌道修正する。

そうだろうな、と同感する。まだ被災当事者の痛みを私たちは、十分に理解していないのだ。自省を迫られた気がした。しかし「十分理解できていなかった」ことを認識することは大きな前進であり、社会運動の成長はそれを構成する個々の人格的向上や、専門知識の吸収度合いと軌を一にするのであろう。

「全国相談会」の参加者200名は集会で400名に、デモと関電包囲行動には1000人に膨れ上がった。雨中のデモであったがあの長い列は、組織動員もない中、圧巻であった。しかしその様子を伝えたマスメディアはない(本誌を除いて)。震え上がるほど気温は低かったが「原発を止める」い熱い意志に揺るぎはないことを再度認識する2日間であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!

『NO NUKES voice』11号発売開始!

不当逮捕で長期勾留されている沖縄平和運動センター議長の山城博治さん

15日に発売された『NO NUKES voice』第11号には福島現地からの声も当然満載されている。特集Ⅰは「3・11から6年──福島の叫び」だ。原発事故をきっかけに大熊町の町会議員になった、木幡ますみさんは震災が起きたあの日、あの時刻に偶然にも友人たちと「原発震災」の話をしておられたそうだ。まさかの偶然が現実の悪夢となって、どれほど恐ろしい思いをされたことであろうか。木幡さんは静かに、ひたひたと怒りをつづっている。

原発推進標語「原子力明るい未来のエネルギー」が街に飾られる標語に採用された経験を持つ大沼勇治さんは、この6年間、被災地で脚光を浴びた方の一人でもあった。自身が「騙されて」作った標語を未来への教訓として残すべく、双葉町に働きかけたり、本誌でご紹介した通り、元の標語の前に立ち原発を批判するメッセージを掲げたり様々な行動をしてこられた。大沼さんだからこそ味あわなければならなかった、苦渋と決意があかされる。佐藤幸子さんは事故後早い時期から文科省をはじめとする政府機関や東電への抗議の先頭に立ち、鋭い批判や行動力を発揮されてきたが、運動の中でも過酷な事態に直面したことを告白されている。福島敦子さんは京都へ避難し裁判闘争に直面せざるをえなくなる。

被災者は異口同音に政府の欺瞞を糾合し、健康被害への過小評価、事故は「無かったこと」にしようとする政府を中心とする動きに真っ直ぐな異議を申し立てている。健康被害同様、事故の「風化」への危機感も同様だ。何よりもまず、被災しながらくじけることなく闘い続ける人たちの声を聞こう。専門家と自称し嘘を語って儲けにしている人間に対しての対抗言語の最強の反撃は、闘い続ける被災者の声の中にある。

特集Ⅱは「逆流の原発輸出 本流の原発破綻」だ。間もなく上場廃止が避けられない状況まで屋台骨が傾いた「東芝」。優秀な電気関連機器、半導体メーカーとしてその名を世界にとどろかせていた「東芝」は原発に深入りし過ぎたために、破たんを迎える。山崎久隆さんの解説は日経新聞よりも正しく詳細にその原因を解き明かす。

森山拓也さんはトルコへの原発輸出策動を現地の人がどのように受け止めているかを、トルコの反原発運動家の声を通じて紹介している。井田敬さんは先日憲法裁判所がパククネ大統領弾劾を決定するに至った韓国における市民運動と原発産業の現状を、昨年11月自身が訪韓した際の取材を中心に報告する。100万人を超える集会が開かれている大事件を多くの日本人は知らない。井田さんの報告はパククネ弾劾に至る韓国の多様な市民運動の姿を知る格好のテキストだ。佐藤雅彦さんは「原発ゼロの世界地図」を解説、須藤靖明さんは主として九州の火山と原発の危険性を指摘する。

その他各地の運動情報や報告も満載だ。『NO NUKES voice』は絶対に福島第一原発事故を風化させない。

国際的にも不当な長期勾留が問題視される中、一刻も早い山城さんの保釈を!

◆山城さんの「訂正と謝罪」文をそのまま1頁掲載

ところで、本号には少し異色な1頁がある。本日17日、那覇地裁で初公判をむかえる沖縄平和運行センター議長、山城博治さんからの「山城博治インタビュー記事に関する訂正及び謝罪」だ。山城さんには『NO NUKES voice』10号にご登場頂き、私が伺ったお話をそのまま掲載した。ところが取材直後に山城さんは不当逮捕されてしまい接見禁止とされたために、ご本人にインタビュー原稿を確認して頂くことが出来なかった。

編集部としては問題なしと判断しそのまま前号に山城さんのインタビューを掲載したのであるが、拘置所にいまだに閉じ込められている山城さんが前号をお読みになり、弁護士の先生を通じて「訂正をしたい」旨のご連絡があった。通常の取材であれば、取材に応じて頂けた方に確認をして頂いた後に記事を掲載するのだが、上記の事情により山城さんご本人に確認することなくインタビュー記事を掲載し、それにより山城さんには大変なご心配をおかけしたことを、私自身深く反省し、お詫びを申し上げたい。

山城さんの「訂正と謝罪」は頂いた文章をそのまま1頁掲載した。「訂正と謝罪」にも山城さんのお人柄が溢れている。重ねて山城さんと、訂正記事掲載にご協力いただいた沖縄平和運動センターの皆様と弁護団の先生方にお詫びとお礼を申し上げる。国際的にも不当な長期勾留が問題視される中、一刻も早い山城さんの保釈を!


◎[参考動画]脱原発集会での山城博治さんのスピーチ(2016年3月26日原発のない未来へ!全国大集会)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求める『NO NUKES voice』11号

『NO NUKES voice』11号発売開始!

福島原発事故で故郷を根こそぎ奪われた大沼勇治さん。事故からもうすぐ6年となる1月末、地元の双葉町に一時帰宅し、シャッターを切った。そこに映るのは諸行無常、無念の景色──。かつての自宅は第一原発から4キロ圏内。海岸線の彼方に見える原発に向かって「バカヤロー!」と叫びながら石を投げつけた。(『NO NUKES voice』11号グラビアより)

『NO NUKES voice』vol.11発行にあたって

2011年3・11から6年を迎えました──。

稼働原発が一基もない時期もありましたが、遺憾ながら今は川内原発と伊方原発の二基が再稼働していて、さらに再稼働が水面下で目論まれています。故郷が破壊されたり、廃墟になったり、見知らぬ土地に避難を余儀なくされたり、挙句、みずから命を絶った方々もおられるのに、為政者や電力会社は一体何を考えているのでしょうか。これだけの犠牲が出ているのに、常識的に考えるなら原発再稼働などありえないことです。

まずは真摯に被害者、被災者に寄り添い、賠償や生活支援を第一義にすべきでしょう。この期に及んで再稼働しなくても電気が足りていることは誰もが知っていることです。「節電」という言葉もすっかり聞かれなくなりました。

本誌は2014年夏に創刊し、昨年末に発行した号でようやく10号に達したにすぎませんが、今後も原発事故の推移、福島復興の生き証人的な役割を果たしていきたいと考え発行を継続していく所存です。

今号が11号、いわば<第二期>のスタートの号にあたります。<第二期>のスタートに際し、伝説の格闘家の前田日明さんにインタビューさせていただきましたが、意外に思われる方もおられるでしょう。べつに運動家、活動家でもなんでもない一格闘家が脱原発を語る、あるいはただの市井人が脱原発を語る──。本誌は、格闘家でもただの市井人でも、幅広い方々が脱原発を自由に語る場でありたいと思います。次号からも、異色の方々に登場していただく予定です。ご期待ください。

次の再稼働はどこなのか? 水面下の蠢きが聞こえるようですが、立場や考えを越えて一致して阻止していこうではありませんか。

2017年3月『NO NUKES voice』編集委員会

 
 

私たちは唯一の脱原発情報誌『NO NUKES voice』を応援しています!!

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!

『NO NUKES voice』11号本日刊行!

 

2011年3月11日から6年が経過した。あの日がなければ『NO NUKES voice』は発行される必要があっても、実際に世に出ることはなかったであろう。いま私たちは確実に核種が膨大に飛散し汚染された国土で生活をしている。そのことはとりもなおさず、日々人間だけではなく、動植物が「被曝」していることを意味する。原子力=核の問題根源は「被曝」だ。「被曝」が動植物の遺伝子を破壊しその健康状態や生命に悪影響を及ぼすから、「原子力=核」は極めて危険であり、生物が生きることと相いれないのだ(自然放射線はどうなんだ? という愚問は横に置く)。

◆「被曝」への危機感の薄さに苛立つ

「そんなことは知っている」と言われる向きもあろうが、実はなかなか理解されていない。悔しいけれども『NO NUKES voice』の認知度と変わらないほどに一般社会では「被曝」についての危機感が薄い。反・脱原発運動にかかわる人の中にすら、被曝問題を軽視する方もいる。専門家が何千回と警告を発し、原爆をはじめとする核災害の被害者が体を示してその恐ろしさと危険を示しても、まだ、本当の恐怖を理解してもらえない。

そうであれば仕方ない。この際、腕力で「被曝」の恐ろしさを知っていただこう。

腕力ではなかった。格闘技と表現せねば正確ではない。明日15日発売の『NO NUKES voice』には格闘家、前田日明さんが登場し、「被曝」の危険性から、少子化問題をはじめとする現代社会の諸問題、サンフランシスコ講和条約の欺瞞にまで踏み込んで読者にマウントポジションから遠慮のないパンチをぶつける。題して「日本国メルトダウン──原発を止められないこの国を変えるために」だ。

◆前田日明によるタブーなき場外乱闘「原発論」

前田さんは知る人ぞ知る読書家であり、歴史にも造詣が深い。そして独自の世界観を確立されている。前田さんのご意見は本誌編集部の歴史観や政治観と必ずしも多くの部分が重なるわけではない。だからこそ本誌編集部は前田さんが本音を語っていただいたことに深い感謝を感じるのである。われわれは多様な意見を尊重しながら、反原発の立場から脱原発を実現したいと思う。『NO NUKES voice』に前田さんがご登場いただいた意義が大きいのは、言論の多様性をわれわれが実践したいとの思いが伝わったからだと信じたい。われわれは前田さんの主張が批判を含め議論を喚起することを期待する。原発賛成の方にとっても必読のインタビューだ。

◆前田日明は「暗黙の掟」を破って本気の蹴りをさく裂させた

何年前になるだろうか。前田さんが新日本プロレスの若手として台頭していたころの姿を思い出す。新日本プロレスではアントニオ猪木が負けてはならず、全日本プロレスではジャイアント馬場が時に負けてもPWFのベルトだけは手放さない。これが見る側の常識とプロレス界の黙約であった。観客の本音は血を見たいくせに、最後は勝者が決まっている、いわば大掛かりな肉体演劇。タイガージェットシンがサーベルを持ってリングに上がれば、あの鋭い剣先で相手を刺せば良いものを、シンはサーベルの持ち手の部分で相手の顔面を殴ることしかしない。
「なんで刺さないの?」と親に聞いたら、
「本当に刺したら死んじゃうじゃない」
と至極真っ当ながら、子供にすればどこか興ざめな「解説」をしてもらった記憶がある。

ボボ・ブラジル(リングネームからはブラジル出身レスラーのように思えるが実はアメリカ国籍)は花束贈呈役、着物姿の女性から花束をむしり取ると花束を食べだす。なんたる野蛮で怖い人間がいるものか、と本気で恐怖にかられてけれども、あれも「演技」だった。アブドラザ・ブッチャーは白いズボンの中に先の「尖っていない」凶器を潜ませていた。レフェリーは見えているのに見えないふりをする。

子供心に「世の中は、ああそういうものか」と、当時のプロレスはある種の社会教育の役割も果たしてくれていたのだ。

ところが相手レスラーが誰であったかは忘れたが、まだ当時売り出し中の前田さんが「暗黙の掟」を破って本気の蹴りを相手の顔にさく裂させたことがある。格闘技好きにはたまないシーンのはずなのだが、テレビを見ているこちらがヒヤッとした。鍛え抜かれた人間の本気の蹴りと演技くらいは毎週二回プロレス中継をテレビで見ているだけの子供にでもわかる。

◆前田日明の蹴りには「怒り」こそあれ、「演技」は微塵もなかった

前田さんの蹴りには「怒り」こそあれ、「演技」は微塵もなかった。あれは当時のプロレスにあっては絶対にご法度(少なくとも見る側にとっては)の本気の蹴り、いわば「世の中はうそだ!」と言わんばかりの暴露にも近い衝撃を与える事件だった。

その「予定調和」を崩した若き日の前田さんは、のちに総合格闘技に転じるが、「予定調和崩し」の迫力がここに再現される。前田さんの「世界観」を存分にご堪能いただきたい。

[文]伊藤太郎 [写真]大宮浩平

『NO NUKES voice』11号3月15日発売開始!

[参考動画]渋谷3・11

大きなガラス越しに見える東京湾方向ビルの上には黒い煙が見える。都心中央の地上6階にあるこの温泉は揺れに揺れた。サウナに入り共有スペースで韓国から遊びに来た友人夫妻とビールでも飲もうかと、飲食スペースに移ったときに揺れは始まった。耐震建築だろうから、それでも崩壊してしまえば運が悪かったとあきらめるしかない。でも地震経験がほとんどないであろう友人の奥さんには、気の毒すぎる経験となる。

友人はほぼ完全な日本語を話すことができるから、「とりあえずじっとしているしかない。天井には落ちてきそうなものはないけど、奥さんを念のためテーブルの下に頭を入れて」と頼んだ。

[参考動画]東京タワー3・11

大きな船に乗って感じる「時化(しけ)」のような揺れは次第に激しさを増す。外が見渡せるようにしつらえられたガラス窓が割れたら、パニックが起こるだろうし怪我人も出るだろう。数分の揺れが少しおさまったのですぐに「急いで着替えて外に出よう」と夫妻に告げた。床のあちこちに水があふれ、そこに腰を抜かしたご婦人が座り込んでいる。

温泉だけでも数百人は入っているだろうから、さらに上位階の人々が非常階段に殺到したら、そこでの将棋倒しが怖い。長く激しい揺れは気持ち悪かったが、私は阪神大震災を経験している。あの時の揺れが体に染みついていて、ある種の耐性のようなものになっていた。

[参考動画]赤坂3・11

非常階段を降りて地上に出た。地下鉄の出口から人波が駆け出してくる。当然地下鉄は止まっている。地下鉄駅近所の公園に多くの人が集まっていた。周囲に高層ビルがなく災害時の「避難場所」に指定されているからだろう。余震は続く。高いビルがお互いの距離を縮めるように不規則に揺れている。隣に立っている会社員風の若い男性がスマートフォンでテレビのニュースを受信し始めた。

「揺れ激しかったですね」
「死ぬかと思いましたよ。でも東北がやばいみたいです。もう津波来てます」

[参考動画]秋葉原3・11

男性の持つスマートフォンからは早くも、東北地方を襲った津波を撮影した映像が映し出されていた。友人はすべてを理解し、奥さんにハングルで状況を説明している。地震体験のない韓国から来た友人の奥さんは、本当に怖かったろうに、思いのほか冷静で、むしろそのことに驚かされた。

「震源が三陸沖でこの揺れだとまだ余震がかなり続く。電車もいつ動くかわからないだろうからとりあえず歩こう」私は友人にそう提案して三人で投宿地、池袋駅へ向けて歩き始めた。

ビルの6階で感じた揺れは、ずいぶん長かったし大きかったから街中の被害はかなりのものだろうと想像していたが、歩きながら街を観察すると、少なくとも外見は思いのほか(と言っては東京でも被災され亡くなった方もいるので失礼にあたるが)被害が少ない。建物の被害は古い民家に集中していて、それも「崩壊」というまでのレベルではない。これまた阪神大震災の経験が無意識に揺れと被害の関係を比較させるのであろうか。

[参考動画]横浜ランドマーク展望レストラン(70階)3・11

小学校からは防空頭巾をかぶった児童たちが集団下校している。その場で取りうる限りの「防災対策」を少なくとも小学校はとっていることを目の当たりにした。しかし訓練ではない防空頭巾を被った小学生集団下校の列には、地震直後にもかかわらず、自然災害と全く無関係な怖さも感じた。

1時間強ほど歩いたであろうか、目的地池袋駅に到着した。しかし多数ある池袋駅の入り口はすべて閉鎖されていて駅構内を通り抜けることができない。私たちが泊まっていたホテルは駅の向こう側である。駅の構内を通り抜けるか、おそらく大きく遠回りをしなければたどりつけないのだが、恥ずかしいことに私は池袋駅周辺の地理がほとんどわからない。迂回するにしても誰かに聞かなければたどり着くことはできないだろう。

[参考動画]液状化3・11

蟻が密集したように、数千人の人が、駅の封鎖解除と電車運転の再開を待っている。日が傾いてきて寒さも増してきた。友人は私と同年齢だ。韓国には兵役がある。かれは徴兵されたときに朝鮮との国境沿い(危険度がかなり高いとされる場所)に配置されたそうで、実戦の経験こそないが夜間に銃撃戦を経験したことがある、と過去に何度も聞いていた。日本に長く住んでいたから小さな地震の経験もある。

「どうしようか。このままでは膠着状態だよ。もしここが韓国だったら市民はどう行動する?」私がそう聞くと
「日本人はおとなしいね。さっきの温泉でも火事があるかもしれないのに精算の列に黙って並んでいたでしょ。あんなこと考えられない。自分の命を守るために脱出すると思うな」

[参考動画]品川3・11

「だから、私が精算係に『こんなことしている場合じゃない、早く非常階段を開放しろと怒鳴ったんだよ』」
「田所さんは日本人じゃないから(笑)。でも駅だって電車が止まっているだけだから封鎖する理由ないんじゃないかな」
「そうだよ。これはおそらく治安対策で、万が一の暴徒化に備えているんだと思う。そうと決まれば答えは簡単だな」
「アリゲスムニダ(わかりました)」
といたずらっぽく答えた友人は、私たちが言葉では相談してはいないけれども内心同意した行動を奥さんに説明し始めた。
「いいかな? もし警察が捕まえに来たらハングルだけをしゃべるようにね。先頭は私が歩く」

[参考動画]靖国3・11

頷いた奥さんの顔を確認して、三人は規制線の最先端まで人波をかき分けて進んだ。
「行くよ」
と声をかけて私は規制線のロープを持ち上げて誰もいない池袋駅構内に足を踏み入れた。友人と奥さんが続く。なんのことはない。警察も駅員も誰も私たちをとがめはしない。やましいことはないので悠々と歩く。規制線の向こう側からは多数の人が私たちを眺めている。でも誰も私たちに続こうとしない。

「これが日本だね。日本の良いところでもあるし、日本人の弱いところでもある」
そろそろ目的の出口に近づいたころ友人が口走った。

[参考動画]池袋3・11

「そうだね。そうかもしれない」
出口では警察官が数人立っていて駅構内への人の入りをけん制している。私たちはその逆からやってきて警察官の背中を見ながら規制ロープを持ち上げて駅の外へ出た。

「しかし考えてみれば怖いね。理由の説明もなく駅が封鎖されても誰も文句を言わない。23区内で今日よりもう少し大きな地震が起きたら自家用車は使用禁止になるらしいし」
「北韓(朝鮮)が攻めてきたらソウルもそうなるよ」
「それは戦争でしょ」
「ああそうか」

「日本では別に大規模な訓練をしているわけでもないけど、市民はこの通り不気味なくらいおとなしい。規制に理由があれば仕方ないけど、あのまま駅の向こうにいたら、夜まで待たされていたよ」

[参考動画]ミヤネ屋放送時3・11

東北地方の惨事を知りながら、まだ原発が危機的状況にあることを知らなかった3・11夕方都心にいた私の最も強い印象は不謹慎にも、人々の行動の過剰なまでの整然さ(不気味さ)であった。不必要に整然とした人々の姿は時に不可視のようでいてますます常態化しているかのような感覚がある。錯覚か。

理由なく規制された池袋駅構内を歩いて通過した人は、われわれのほかにもいたのか、いなかったのか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。


[参考動画]NHK3・11

『NO NUKES voice』11号3月15日発売開始!

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン

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