3・11から5年。正直あの災禍に見舞われながら、一体この島国の為政者は何を学んだのだろう、と無力感に打ちひしがれた5年間であった。なにが「花は咲く」だ。あんな空疎な歌詞とメロディーで被災者や原発事故の被害者の心が癒されるとでも皆さんは本気で思っているだろうか。私はあの歌は権力者による「震災」被害隠し以外の何物でもないように感じる。抗うことなしに「花」など咲きはしない。

高台への移住を前提とした東北の復興は予想を超える困難の前に、移住を諦め、他の地域への人口流出が進んでいる。津波被害地各地、とりわけ女川町ではその傾向が顕著である。

◆動かないはずのものが動き出した──高浜原発「仮処分決定」の福音

ああ、何もできずに、何も前に進まずに5年を迎えるのか、と明るい気分になれずに悶々としていたら、福音が飛び込んできた。3月9日大津地裁(山本善彦裁判長)は高浜原発3、4号機の運転停止を言い渡す仮処分の決定を言い渡した。稼働中原発の運転停止命令は史上初であるし、仮処分の中では「原子力規制委員会」が設けた「新規制基準」が合理的なものではないとする趣旨の言及もある。

福井地裁で同様の運転差し止め仮処分の判断を下した樋口裁判長の書いた差し止め理由は、我々を良い意味で大いに驚愕させてくれたが、大津地裁山本裁判長が指摘した、「新規制基準」への疑義、稼働中原発停止の判断、はこれまでの司法判断を大きく凌駕するものであり、極めて高い評価に値する。動かないはずのものが動き出した。

◆「諦めない」活動が地殻変動を起こす

私自身、現地に数回通い、目の前で(その時は知らされなかったけれども)事故が発生していた高浜原発(4号機)をこのまま運転し続ければ、高い確率で「破局的事故」が起こっていただろう。関西電力は懲りもせず、さらに古い1、2号機の40年超えの再稼働まで目論んでいるが、頼む。頼むから日本を終わらせないでくれ!

司法は所詮、国家の一機関だ。マスコミは所詮スポンサーの言いなりだ。でも意志を持った個人や集団は違う。「若狭の原発を考える会」(木原莊林会長)はこの2年間で70回以上高浜町へ関西から通って、地道なチラシ配りを中心とする様々な取り組みを行なってきた。京都から片道2時間弱を自らハンドルを握り(多くは70歳前後の方々)は、最初誰にも相手にされない中で、罵声を浴びせられながらも「アメーバデモ」と称した数人によるチラシ配布や、地元住民との対話を続けてきた。

開始から2年、高浜町では住民の反応は全く変わっている木原代表も「楽しくないとこういう運動は続きませんから」と笑顔で手ごたえを語る。

9日大津地裁の仮処分決定は、司法判断である。しかしそれを導く筋道を作ってきたのは、このような地道な活動を諦めずに続ける人たちの活動があったからではないだろうか。一見関係なさそうでその両者はどこかで確実に結びついているように感じられてならない。全国各地で様々な運動や原発立地で闘う人たち執念の賜物だ。

相次ぐ再稼働申請、原発輸出など愕然とするような事実の前にも、全く別な地殻変動は確実に起きている。私たちはまだ負けていない。

福島および周辺の被害者のみなさんに寄り添いながら、私たちは原発全機廃炉を勝ち取るまで、絶対に諦めない。ほらここに光明があるよと示してくれた大津地裁の判断とそれを導いた多くの方々の地道な活動に深い敬意の念を示したい。追悼と哀悼をささげるべき日に、私たちは同時に「脱原発闘争」を最後まで戦い抜く決意を新たにする。

私たちは負けはしない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

いつからこの言葉が使われるようになったのだろうか。社会運動が総体として弱体化し、共有できる根本概念を失ったことの自白として「シングルイシュー」は登場してきたような印象がある。

私は偏屈だ。偏屈だから「共有できる根本概念」を有しない運動や団体とは共同行動することを好まない。「シングルイシュー」は私のような「偏屈者」の居場所を狭める効果があるように感じる。

私は天皇制や「日の丸」、「君が代」を絶対に拒否する。無理矢理「君が代」斉唱を強いられる場所に居なければならないことを強制された時には、敢えて起立し一人で「インターナショナル」を歌う。誰も仲間はいない。数百人の中で私一人が「インターナショナル」を歌う。滑稽といえば滑稽極まりない。

◆「ノリノリ」コールが「本気で止める」力になるのか?

『NO NUKES voice』は「脱(反)原発」を基軸に据えた一見「シングルイシュー」雑誌のように思われるかもしれないが、そうではない。「脱(反)原発」を目指す闘いには「反戦」の闘いや「反安保」、「改憲反対」、「反差別」等と必ず繋がる根本概念(思想)がある。私(たち)はそのことが重要だと考える。そして長く社会問題を闘ってきた人々の間では、いちいち確認をしなくてもそれは黙約として確実に成立する。だから誌面には時として一見「原発」とは直接関係ないのではないかと思われる記事も掲載される。

長く闘っていない若者の中にも、エッセンスを共有してくれる頼もしい人々がいることを私(たち)は知っている。ただし彼らはその世代にあって圧倒的に少数だ。だからよけいに貴重な存在であり連帯したいと思う。

他方、私個人はSEALDsあるいは彼らを取り巻く大人を嫌悪する。私は『NO NUKES voice』発行人の松岡氏と異なりSEALDsあるいは彼らを取り巻く大人を1ミリも評価しない。その理由はSEALDsが明確に「憲法9条改憲」を掲げているからだ。「安倍を倒せ」と言いながら「9条改憲」を主張するSEALDs。参加している学生諸君全員の総意ではもちろんないだろ。だが『民主主義ってなんだ?』の中で交わされている牛田悦正氏と高橋源一郎氏の会話でこの2名は明確に「9条改憲」主張している。いいのか? SEALDsの学生諸君?「戦争反対」を標榜するものが、戦争肯定を準備する改憲に賛同する。これは矛盾ではないのか?

また、彼らとしては真剣なんだろうけども、お祭りかコンサートのような動きが気持ち悪い。『NO NUKES voice』6号で女帝様は「市民運動に対する感覚が共産党の人の中でも変わってきているとは感じています(中略)例えばSEALDsがコールすると、共産党系の人たちは結構ノリノリで参加する」と語っている。この姿が気持ち悪く胸糞悪いのだ。やたら丁寧に作られた(なぜか必要以上に英語の多い)プラカードを掲げた若者たち。「赤旗祭り」にSEALDsが呼ばれて、舞台に上り余興でもやったのなら解らなくはないけども、現場は「安保法制」(戦争推進法案)反対の集会だろ。何が「ノリノリ」だ。怒(いか)りはないのか? 高揚感があればそれが「本気で止める」力にでもなると本気で思っているのか。

「ノリノリ」はコンサートやライブでやって下さい。命を懸けた(本当に戦地に連れて行かれるのは私たちのような年寄りじゃない。若者なんだ)闘いだと思ってその場に参加した人の中には底抜けの絶望を味わった人だっていただろう。実際実力で止めたいとの思いを抑え切れず行動を起こした若者がいたことも事実だ。

◆激しい論戦や議論が疎まれる世情に挑戦する『NO NUKES voice』という起爆剤

『NO NUKES voice』の役割は「脱(反)原発」実現のため、そして「戦争を阻止」し「憲法改正」をさせないために様々な方に登場頂き、何の制約もなく語って頂く。それにより更に広い議論を喚起することにある。換言すれば激しい論戦や議論が疎まれる世情に挑戦するのが役割だと心得ている。しかし、多彩な議論は「あらゆる意見を我々が肯定する」ことを意味するわけではない。

誌上には様々な方々にご登場頂くが、その方々の見解に異議があれば私(たち)は遠慮なく反論をぶつける。時には熾烈な批判だって紙面で展開するだろう。それに対する妥当な内容であれば「反論」の機会も設ける。それが議論の世界における最低限の約束だ。私たちはそう思う。

編集に関わる人間の意見だって統一されている訳ではない。私は当初より反原連の孕む問題に懸念を抱いてきたが、松岡前編集長は反原連に一時強い興味を表明し具体的に支援もしていたようだ。見解の相違は我々の内部にだって存在する。

だからと言って私たちは編集に関わるライターや写真家を「見解の相違」でご遠慮頂いたり、まして「排除」したことなど一度もない。しかし「見解の相違」とは全く次元の異なる「裏切り行為」を働いていた姑息な人間が存在し、自ら『NO NUKES voice』を去っていった事実はある。利己主義者との対話は成立しない。裏切り行為を私たちはことさら攻め立てはしないけれども、どこかで私たちに対する誹謗でも始めれば、私たちは言論において容赦ない総攻撃に出るであろうことを予告しておく。

『NO NUKES voice』7号は6号よりさらに精鋭化した議論満載だ。真面目に長年「脱(反)原発」運動に関わってきた人々を軽々に扱う「反原連」への徹底的な批判が展開される。だが、単視眼ではバランスを欠くので不当逮捕のご経験がある阪南大学下地真樹准教授に、社会運動への俯瞰的ご意見を伺っている。

どう贔屓目に見ても「脱(反)原発」運動は一時の勢いを失いかけている。私たちはだから起爆剤を投入する。闊達な議論と運動の持続、そして原発全廃のために。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7日発売!

福島原発事故5年の現実と社会運動の行方を総力特集『NO NUKES voice』Vol.7!

昨年10月25日に行われた報告会「玄海原発再稼働をSTOP!させるには」(戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会)では、「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の代表・原告団長である石丸初美さんがはつらつと活動報告した。前回に続いてその内容抜粋の後編を紹介する。なお石丸さんたちの闘いの詳細については2月25日発売の『NO NUKES voice』7号にインタビュー記事が掲載されたので一読していただけると幸いだ。

「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」代表・原告団長の石丸初美さん

◆裁判所にさえ「企業秘密」として情報を出さない九電

今日、お配りした真っ黒塗りの資料にありますが、九電は私たちが情報公開を求めても、「企業秘密」として裁判所にさえ情報を出しません。九電は川内原発再稼働に集中させていた社員を玄海シフトという言い方で230人を玄海によこしています。

3・11前から原爆も原発も同じだということを聞いておりましたが、事故が起きればどうなるだろうかという心配しかありませんでした。しかし原発事故は、3・11の被害は想像をはるかに超え、その被害の甚大さを知り、今も信じられないという思いです。二度と地球上に原発事故を繰り返してはならないと思います。

岸本町長は原発を早く動かしてほしい、早く早くと、本当に金の亡者のようにほかの言葉を知らないのかと思うような言葉しか発しません。田中俊一原子力規制委員長も自ら「安全とは言わない。原発事故は起きますよ」と何度も私たちは聞かされていると思います。

◆再稼働の説明会はこれからもするつもりはないと断言した九電瓜生社長

事故が起きる前提の川内原発再稼働は犯罪行為だと思っております。もし玄海原発で事故が起きたらどうするという避難計画こそ、被害を受ける私たち住民に事前に説明があるのが当然で、そのことは重要だと思っております。私たち佐賀県民も、福岡県民の皆さんも地震が起きて原発が暴発すれば、全部被害者になるわけです。
しかし「住民にはなるだけ知らせないでおこう」としているのが今の避難計画です。九電の瓜生道明社長は、住民への説明会について、「大上段に構えて説明するより、顔と顔をつき合わせて、フェイストゥフェイスで住民の方々を解きほぐしながら話すほうが理解が高まる」として玄海原発の再稼働の説明会はこれからもするつもりはないと断言しております。

九州電力の原発事業は国が保証人です。こんな会社はどこにもありません。企業が起こした事故ならその企業が全面的に責任をとるのが当然です。しかし電力会社だけは極めて特別扱いで、法律が守ってくれます。事故の賠償は国民が払ってくれます。マスコミはこのことを伝えません。この理不尽な政治状況を私たちが伝えるしかないと私は思っております。

◆原子力事業者の責任記述は70頁の災害対策指針の中でたった5行

70ページ近くの『原子力災害対策指針』というものがありまして、何度も何度も都合のいいように、私たちにとっては都合の悪いように改定されている原子力災害対策指針の2ページに『原子力災害及び原子力事業者の責任』ということがたった5行あります。5行の最後の2行を読みます。

「原子力事業者が、災害の原因である事故等の収束に一義的な責任を有すること及び原子力災害対策について大きな責務を有していることを認識する必要がある。」
認識するだけでいいと書いてあるのです。私たちは、避難計画は加害者である九電に対して、「あなたたちは加害者であるのにどうされるのですか?」聞きました。そうしたら「支援します」と。「当事者が支援ということじゃ間違っているじゃないですか」とと問いただすと「あっ、それはごめんなさい」と。じゃあほかの言葉で回答してくださいといったところ、回答はまだです。都合のいい言葉が見つからないようで、返ってきておりません。

◆事故時の食べ物の基準は2000ベクレル/Kg

私たちは2014年から、全国の皆さんと連携して原発災害の避難計画などを中心に国、県、市町村を回って「福島の事故を学び国民の生活を守ってほしい」と交渉をやってきました。現在、進められている今の原子力避難計画は、責任を国がとらない。地方自治体や学校や幼稚園、保育園、病院の管理者等々に押し付け、日常生活では考えられないような500マイクロシーベルト毎時いくつという、そういう過酷な環境の中に「屋内退避してください、国が命令するまでそこにおってください」という、国民を被ばくさせる計画となっております。原子力対策指針にはなんと書いてあるか。

「事故時の食べ物の基準は2000ベクレルパーキログラム」となっております。この世の中にないプルトニウムまで記載されております。私はこれをみてとてもひどいと思って、環境省の原子力規制庁に電話をしました。「これは本当ですか」と。そうしたら回答は「その通りです、書いてある通りです」と。

「じゃあ私たちにその2000ベクレルの根拠を教えてください」と言ったら、15分くらい保留されたまま「あと2時間待ってください。即答できませんから」とのことで2時間後に電話しました。そうしたら回答はないですよ。ここに書いてある通りですよ、「みなさんを被ばくさせますが、本当のことですから」ということでしょう。向こうは弁解ばかりです。「1日中食べているわけではないから、そんなに心配する必要はないと思います」という言い方です。「なるだけ外に出さないように頑張って、フィルタベントでしますから」と。

「なんでプルトニウム食わにゃならんのですか」というのにそういう回答にもならないことを繰り返す。国民は不在です。ぜひ皆さんも、そこに規制庁の番号が書いてありますので、電話をしてください。

玄海原発や川内原発が事故を起こしたとき、2000ベクレルを、そういうおにぎりを食べにゃいかんのですか、電気のためになんで私たちが被ばくしなければならないのですか。私は本当に腹立っているのです。マスコミは伝えない、政治も命を守ってくれない市民の私たちが広報するしかありません。

今、ご説明した主張を一人でも伝えられると思って200回くらい原発の悲惨さを伝える市民レベルの座談会をしてきました。非核三原則なんてまったくのウソです。世界一厳しい規制基準なんてとんでもない。議会制民主主義なんてまったく機能していない、三権分立など表向きだけで。私はまだまだ、一部しか、このひどい国のことをわかっていないと思います。自分で知ろうとすること、わからなければ聞く。そしてわかったら一人でも伝える、そういう運動を今からでもやっていこうと思っております。(了)

★玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会HP http://saga-genkai.jimdo.com/

(小林俊之)

『NO NUKES voice』第7号!総力特集3.11福島原発事故から5年─その現実と社会運動の行方

「安倍政権NO!0214大行進in渋谷、無事終了しました。約一万人の参加者でした。皆さまお疲れ様でした!安倍政権妥当の為に引き続き、力を合わせて頑張りましょう!」

これは2月14日に反原連Twitterに記されたメッセージだ。誤字脱字が日ごろから多い私は、このメッセージの中の「安倍政権妥当」の揚げ足とりなどするつもりはない。とんでもない変換ミスや打ち間違えを頻繁に繰り返す自分への反省から、「この部分は訂正されてはいかがですか」とご指摘申し上げておくだけだ。

◆原発避難や被曝問題を排除して再稼働反対だけを唱える違和感

しかしながら以下のインタビューで語られた反原連の「女帝」氏のコメントとの整合性はどのように理解すればよいのであろうか。

「参加者のなかには福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます。私も被曝の問題は重大だと思ってますけど、まず大飯の再稼働を止めることで、大きな風穴を開けたい。『野田政権打倒』を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない。代替案として誰々を首相にしろと、そこまでいえるのなら具体性が出てくるけど、具体的なイシューがないと焦点がぼやけてきて、運動に酔うだけの人が増える気がする。だって内閣を打倒して運動が収束して、いざ他の内閣になったら、もっと原発が悪いことになる可能性だってあるじゃないですか」

このコメントは週刊ポスト2012年8月31日号に掲載されている上杉隆氏による女帝氏へのインタビューにおける発言である。社会問題を自分なりに考察した経験のある人間ではない、との吐露のようなこのコメントは前述の「安倍政権妥当(正しくは打倒)」とどのように整合性を保つのであろうか。女帝氏はここで「野田政権打倒」を掲げることが「私たちはそれが目的ではない」と断言し、その後は詳述するのも憚られるような理屈にもならない思い込みだけを語っている。「野田政権打倒」は「目的ではなく」、「安倍政権妥当(打倒)」なら整合性があるのか。

ここに私は痛烈な違和感を禁じ得なかった。「シングルイシュー」を看板に活動し始めたこの団体は女帝氏が述べている通り「福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます」と切り捨てていた。

私自身、2007年頃から反原発運動を始めたばかりの新参者だし、いまデモを主催する反原発連合に入っている13のグループのうち、11団体は3・11以降にデモを始めた人たちです。みな一般の感覚に近いので、とにかく普通の人たちが来やすい雰囲気を心がけました」(赤文字は田所)。

この時点で既に私は一見反対運動を纏った、「翼賛運動」あるいは「ガス抜き」が堂々と登場したことに大変不快だった。「一般の感覚」や「普通の人たち」の定義は何だ。自分を「新参者」と認識しておきながら、何十年も脱原発運動をして来た先輩の運動は「一般の感覚」や「普通の人たち」に受け入れられないとでも言わんばかりである。傲慢とはこのような態度を示す言葉だろう。

◆自由な公道で警察と協力して他者を排除する「市民運動」の矛盾

さらに「排除の論理」を確信していることは以下の発言から明らかである。

「(略)3・11以前も反原発の集会などをすると、革マルや中核っていうのが来るわけですよ。私はその頃からとにかくアンチセクトでやっているんですが、(参加しないでくれという)クレームをつけると面倒くさいので、来られても放置みたいな状況でした。
いま、私たちの反原発連合では、組織や反原発以外ののぼり旗を立てない、勧誘のビラを配らないといった(自主的な)ルールを設けています。それは反セクト的な意味だけじゃなくて、一般の人が入りやすいという理由もあるんですけど、それで裾野が広がった。だんだんシングルイシュー的な部分が理解されて、運動が成熟してきたわけですが、やはり最後はこの問題なんですよ。
 結局、デモが巨大化してから、(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い(略)」(赤文字は田所)。

これは完全な勘違いと思い上がりである。女帝氏たちは当初日の丸を掲げて抗議運動を行っていた。私は中継越しにその姿を見て「なんなんだ、こいつら」と強烈に不快感を覚えた。片方で「組織や反原発以外ののぼり旗を立てない」ように要請しておきながら、主催者の横には「日の丸」がある大矛盾。その方が「一般の人」が入りやすいと決めつける傲慢。そして極めつけは「(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い」という公安警察顔負けの弾圧思想である(赤文字は田所)。

誤解なきように付言しておくが、私はどのような政党や政治団体であれ集会に参加するのは自由であると考える。個人的に政党や党派への感度の差はもちろんある。自民党や創価学会の旗を持った参加者が居れば議論をしたいと感じるだろうし、嫌いな党派には近づくこともないだろう。しかし場所は路上集会である。誰が来ようと拒む筋合いはない(公安警察が市民を装い侵入していた場合は別だが)。

そして極めつけは、
「野田首相と面会するときもこの運動を一緒に作ってきた警備の警察官に同行してもらいたいってコアメンバーと話しているほどなんです。彼らが人事異動するのが一番怖いですね(笑い)」

(笑い)じゃないだろう。ここまで警察権力との合作、癒着を誇示している市民運動は世界にも例を見ない恥ずべき現象だ。社会を構成する力学や政治、国家や暴力に対するごく基本的な知識すら欠いていることに唖然としたものだ。

「皇室の存在を日本が世界に誇るものと」語る上杉隆氏を私は信用していない。自由報道協会は一定の成果を収めているが上杉信の「タヌキ」振りには要注意だとまだ気が付かない読者には警告しておく。その上杉氏が女帝氏に問う。

「これまでのデモは、『権力側は敵だ』という前提から入っていたけど、今回は政治とも話し合いの場を持とうとしている」と。女帝氏が答える。

「デモとか抗議って、それ自体は国策を変えるわけではない。やっぱりエネルギー政策の転換は国会で政策を練らないといけないことだと考えています。数で押すことによってようやく議員さんが反応を示すところまで来たな、と」

私の感想はもう述べない。述べる気にもならない。「安倍政権妥当(打倒)」に異議はないが。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎『NO NUKES VOICE 』VOL.7本日発売!「反動」と決別し、再決起戦闘宣言!
◎高浜原発4号機一次冷却水漏れ事故から分かる原発再稼働の無理
◎山本太郎が闘った原発推進派、石原伸晃を「護憲派」とつぶやく反原連の女帝
◎菅直人VS安倍晋三裁判──請求棄却判決の不当とねじれ過ぎた真実

『NO NUKES voice』Vol.7!

昨年10月25日に行われた報告会「玄海原発再稼働をSTOP!させるには」(戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会)では、「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の代表・原告団長である石丸初美さんがはつらつと活動報告した。その内容の抜粋を2回に分けて紹介する。なお石丸さんたちの闘いの詳細については2月25日発売の『NO NUKES voice』7号にインタビュー記事が掲載されたので一読していただけると幸いだ。

川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長(2015年10月25日)

石丸さんの活動報告

今日は佐賀平野では黄金色に色づいて、収穫時期になっています。私はこの佐賀平野が好きなのですけれども、ここで、玄海原発で事故が起きたらこれが元も子もなくなるとなったらと思うと、いても立っても居られない気持ちでおります。

みなさんもきっと同じ気持ちと思いますが、普通においしいお米、食べ水を飲んで、お魚を、お野菜をと、これからもずっと安心して食べたいという思いでおられると思います。

しかし、たった一度の東電の事故は今も大地を、海を汚しています。セシウムは30年半減期と言われていますけれども決して短い時間ではありません。安倍首相は全責任を持って対処すると無責任な発言をしていますが、放射能で汚染された大地は今をいきる私たちでは、だれももとに戻すことはできません。国策として進めてきた自民党政権を私たちは決して許してはいけないと思います。

◆4つの裁判

いま私たちは4つの裁判で戦っております。2006年からの運動の延長線で反原発運動を戦っておりますが、2010年8月9日、玄海原発3号機のMOX燃料使用差し止め裁判。そして2011年7月7日、玄海原発2号、3号機はたった2カ月か3カ月しかたたない事故の後だったにもかかわらず、再稼働されました。そして私たちは玄海2、3号機再稼働差し止め仮処分を起こしております。今も係争中です。2011年12月27日、原発すべてが停まってほしいということで、全機運転差し止め裁判。この3つは九電相手です。2013年11月13日に、国に対して運転停止命令義務を果たしなさいという行政訴訟を起こしております。私たちが裁判に至った理由はプルサーマルも原発も止めたい、その一心です。命の問題だからです。核のツケを未来に押し付けると知ったからです。

当たり前と思っている水や空気や、生きるための第一次産業が放射能で汚染されると知ってしまったからです。もし原発事故で病気が増えたり、ガンが増えたりしても、国は『因果関係はありません』と言うような無責任な政治だと私は思っております。本当に大変な時代になったと思っております。

2006年2月、佐賀新聞で『プルサーマル安全宣言』という大きな文字を見たとき、佐賀のおばさんたちが立ち会がった。私はそれに参加した一人です。世間知らずの私は、反原発運動をそれまで何十年も戦ってこられた人たちがたくさんおられたことを、そのときやっと知ったようなものでした。そのころ『六ケ所村ラプソディー』という映画を見ました。その中である農家の方が言っておられました。「私は、原発は反対でも賛成でもないといってきたけれども、どちらでもないということは賛成していることにかわりない。だから反対運動に参加したんだ」という運動の経緯を聞きました。今まで何も知らずにいた私も同じだと思いました。被ばく労働者の問題についても、「知らない」ということは「知らないうちに多くの被ばく労働者たちに対して加害者となっている」ということを知りました。

◆2006年3月──プルサーマルの事前了解を強行した古川前佐賀県知事

2006年3月26日、古川前佐賀県知事は住民の声を聞かずに玄海3号機、プルサーマルの事前了解を強行しました。このことを受けてたった5日後の2006年3月31日、六ケ所再処理工場が動き出しました。日本原燃は2005年度分として、年度内ギリギリのたったわずか、31日の数時間の作業で1年分の約2800億を受け取るという事実がありました。

その2006年、大事なことは住民投票で決めようとプルサーマル県民投票条例制定の署名活動をやりました。有効数(4万9,609筆)をはるかに上回る5万3,191筆の署名を集めましたけれども、あっけなく自民党、公明党で否決されました。理由は間接民主主義の逸脱だそうです。住民はこんな難しい問題は判断できないというものでした。「署名の法定数をクリアしても、をやるかどうかは県議会で決められるんだ」と聞かされました。わたしは何も知らなかったので、そのときはじめて知りました。こういう住民投票は「事前の議会対策、議員対策がいかに大事か」ということを学習しました。その後も「原発はいらない。細々としたロウソクの灯を消さない」原発反対運動をし続けてきました。

◆2009年5月──フランスから玄海原発にMOX燃料到着

2009年5月23日、そのMOX燃料はフランスから玄海原発に到着し、その年2009年12月2日、佐賀県民のみならず全国の反対を無視し玄海3号機で、日本初のプルサーマルが始まってしまいました。私たちはこの商業運転を受けて、反対運動の延長線上にプルサーマル裁判を決意し、翌2010年8月9日、原告130人で提訴にこぎつけました。

みなさんもご存じのように、プルサーマルの再稼働は、石油ストーブにガソリンを使うような危険なものです。使用済みMOXは処理方法も、いまだに世界中で決まっておりません。多くの世界中の科学者が反対しているプルサーマルです。猛毒、プルトニウム。これは毒性が半分になるまで2万4000年、その半分になるのにまた2万4000年と、無毒化するのに気が遠くなるような歳月がかかります。軽々しくも責任を取るなどと言わせません。またプルサーマルの使用済みMOXは、動かせるようになるまで、ウランと同じように100度くらいになるまで100年とも500年とも、やってみなければわからんというような状況です。フランスはこの使用済みMOXの扱い方は「100年先に考える」といっています。後のことは知らんと、傲慢極まりないのが原発です。

◆佐賀県民はプルサーマル実験のモルモット

2006年、佐賀の私たちのところにアメリカからエドウィンライマンさんがやってきて言いました。「プルサーマルは佐賀県民をモルモットにするものですよ。原発は運転しながら実験している機械ですよ」と言われて身の震えるような思いがしたのを今も覚えております。今もその玄海3号機は4号機とともに今、再稼働の準備対象となっております。

プルサーマル裁判で九電の証人尋問のときの話です。私たちの弁護士さんが「使用済みMOXの話について、100年先の使用済みMOXについて誰がどのように責任を取りますか」という質問に九電は「今は九電です」という答えでした。弁護士は「それではそのときに九電は存在しないということですか?」と尋ねたところ、「そのようなことを言っているのではないのですが」ということで、それ以上の答弁はできませんでした。

2009年12月2日、私たちは「プルサーマル運転は理解も納得も佐賀県民はしていません」という主張を掲げ、反プルサーマルの日として毎年12・2行動を、翌年からやり続けてます。今年も第6回目になります。例年同様、玄海町で戸別訪問し、自分たちのわかったことそして地元の人の声を聞いて歩いていこうと思います。(つづく)

★玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会HP http://saga-genkai.jimdo.com/

(小林俊之)

『NO NUKES voice』第7号!総力特集3.11福島原発事故から5年─その現実と社会運動の行方

どうやら鹿砦社は反原連とは袂を分かったので、どうやって反原発というものを表現していくのか僕なりに悩んだ。しかしやはり自分が見たもので、なおかつ「心にとどめたい」事件については、記述を続けていこうと思う。

報告が遅れたが、昨年10月25日に福岡で行われた勉強会「玄海原発再稼働をSTOP!させるには」(戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会)に招いていただいたので、その様子をレポートする。

◆原発周辺の住民を抱き込んでいく九州電力と推進派

川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長(2015年10月25日)

まず、川内原発建設反対連絡協議会の会長である鳥原良子さんが、
「原発2基による交付金と固定資産税など薩摩川内市における1・2号機による経済効果は30年間で約1700億円と試算し、定期点検による商店街の経済効果は、年間5億円にもなると商工会は述べている。市の財政は、原発による交付金財政比率は2%にも満たないのです。それなのに原発依存から抜けられない町作りをしている」と指摘。

また原発推進側が、工作を激しくしている姿も浮き彫りに。
「金にものを言わせて、ただで飲める飲み屋、タクシーもタダにするなど、九州電力と推進派は続々と、とくに原発周辺の住民を抱き込んでいきます。久見崎町の女性ふたりだけが反対運動に最後まで関わりましたが、地域の中で孤立させられて、しかも2人については、お互いの悪口を吹き込む工作をして、分断させました」

このほか、鳥原さんは貴重な証言をしているが、折々に触れて紹介していきたい(別にもったいぶっているわけではない。次から次へと「推進派」がアホなことをやってくれて、書くべきことがあふれているからだ)。

◆原発輸出に向かう東芝の墓穴

頭をバットで殴れたような衝撃が走ったのは、中国企業、つまり原発メーカーが輸出拡大を狙い、日本の複数の大手電機メーカーと極秘に接触、原発輸出での協力を打診していたという毎日新聞のトップニュースを見たからだ。

この報道は、12月30日の新聞だったが、年末で心も体も癒したいのに、実はとても不愉快な気分になった。こうした話が、新しい日中交流の場として、「日中企業家及び元政府高官対話(日中CEO等サミット)で行われたのも腹がたつ。そもそも、文化や産業のお互いの未来ある提携の場所ではなかったか。中国の原発メーカーが暗躍するために、この場が設定されたとするなら、政府は責任をとるべきだ。

「玄海原発再稼働をSTOPさせるには」(戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会主催。2015年10月25日)

さて、話をもとに戻す。参加したメンバーの中に中国側として大手原発メーカーの2社のトップ、中国核工業集団の銭智民社長と国家電力投資集団の王炳華会長の姿があった。日本でのわずか数日の滞在期間の間にこの2人の「中国を原発まみれにしたい」経済人は、「海外での原発建設に力を貸してほしい」と日本の大手電機メーカーに原発輸出での協力を打診しまくっていたというから恐れ入る。

「電力投資集団の王会長は、電力大手のJパワー(電源開発)と日立、東芝も訪問していたと聞く。とくに東芝は不正会計で足下が危ういのに、原発メーカーの中国からのメッセンジャーと技術協力の話に応じているとは。1万人のリストラが断行される裏で、ふたたび〝悪夢のエネルギー〟の増幅を謀るとは、もはや天に唾するメーカーであり、福島の被災者にケンカを売る行為ですよね」(地方紙記者)

東芝よ! どこまでも悪魔に魂を売って口に糊するのか。全社員は、福島の原発被災者ひとりひとりに土下座して懺悔せよ。

さあ、そしてこの二つのふざけた中国の原発メーカーの動きは、〝悪魔の画策〟として注視していこう。そして、機会があれば、この九州での貴重な「脱原発の勉強」は、僕が九州で観光地を訪ねた記録とともに、ここで紹介していきたい。もんじゅの廃炉も検討されているようだが、これについても僕は追跡する。
「原発推進」の旗を、やつらが降ろすまで、僕のレポートは続くだろう。

(小林俊之)

2月25日発売!『NO NUKES voice』Vol.7!

2月22日本コラムで高浜原発4号機の一次冷却水漏れ事故を大雑把に紹介した。抗議行動中に目前の原発内で「事故」が起こっていることを抗議行動参加者はもちろん誰も知り得なかったし、それは私も同様だった。

ただ、1.7キロほどのデモ行進の間に横を歩く男性に「もし今大きな事故が起こったら私たちはどうすればいいんでしょうか。逃げようにも1本しかないトンネルは片側車線に警察車両が並んで駐車されているし、海は冷たいから凍え死ぬでしょ?」と問いかけたら「心配せんでも皆いかれてまう(死んでしまう)から大丈夫や」と笑顔で返された。そのとおりだ。

◆中央制御室で警報が鳴り響いても外部には緘口令が敷かれる

想像してみる。中央制御室で警報が鳴り響く。4号機建屋内の線量が急上昇している。異常個所はまだ特定できない。中央制御室の関電社員から4号機内の作業従事者へ「異常発生個所を特定せよ」の指示がアナウンスされる。防御服を着た下請け作業員の方々が線量計と懐中電灯を頼りにあちこちへ散らばる。関電社員は上層階の壁際(いつでも逃げ出せる場所)で形ばかりの指示を送り報告を待つ。異常発生場所が発見された。漏れている!「漏れてるぞ!」の声がモーターや動力器の音にかき消されそうになる中、順々に伝えられる。関電社員は作業従事者へ「そこに留まるように」指示をして自分は建屋から走り出る。

中央制御室では「重大事故」を矮小化するための密議が始まる。中央制御室だけではなく事務棟にも「事故発生」は伝えられるが「外部へは一切連絡をしないよう」緘口令が敷かれる。

正面ゲート前からは再稼働反対に集まった人々叫びが聞こえる「再稼働反対!」、「ポンコツ原発を動かすな!」、「事故が起きたら関電はどうやって責任をとる!」、「若狭の自然を汚すな!」うるさい奴らめ!こっちはそれどころじゃないんだ。漏えいだよ!漏えい!しかも1次冷却系だ!運転中なら原子炉が暴走を初めてもおかしくない場所。再稼働前で助かった・・・。制御棒を抜く前に気が付いてよかった。あと数日遅れていたら4号機は運転停止どころか、抜け穴だらけの規制委員会もさすがに運転は許さないだろう。

あんな場所でどうして水が漏れたんだ? 配管が一段と薄い場所だから小さな亀裂が入っていた可能性が高い。他の場所はどうだ?一々全部の配管を調べ直す? 馬鹿な。まっすぐに伸ばしても何十キロ、あるかわからない複雑な配管の全ての強度検査なんか出来る訳ない。上層部もやるつもりはないだろう。時間と金がかかりすぎるし、そもそもそんな検査は技術的には不可能なんだ。とにかく再稼働にさえたどり着けばそれでいい。あとのことは知らない。4月からは本社勤務に移れるんだ。毎週金曜日には反対派の連中がやかましいらしいけど、若狭に居て事故処理に直面させられたらたまったもんじゃない。東電だって福島現地は戦場だったけど東京本店は結局無傷だったじゃないか。

あ、そうだ。いざという時のために購入してある豪州行の1年オープンチケット(ビジネスクラス)の期限がもうすぐ切れる。今年は使わなかったけど高浜4号が再稼働すれば必要性はますます高まるから早めに購入しておこう。

といった気分なんじゃないのか。関電の社員は。

◆今から考えるとわずかに異変が起きていた

2月20日高浜原発正面ゲート前から見渡せるゲート近くの建物内には今から考えるとわずかに異変が起きていた。通常抗議運動でそこそこの人が集まるとゲート前に警備員や警察が立つだけでなく、建物の中からもこちらを眺めている関電社員の姿が必ず確認できた。20日は天候が悪く社屋の中には照明が灯っていたのでより内部の様子ははっきり確認できたが、この日は建物の中からこちらを眺める社員の姿は(私の記憶に間違いがなければ)1人も確認できなかった。

それがおかしいなとは感じたが内部で事故が起きていようとは思いいたらなかった。あそこにいた時間確実に抗議する私たち、警備員、警察官の全てが「平等」に被曝していたのだ。原発は差別的だけれども「放射能」は極めて平等だ。反対派も事業者も警備員も機動隊も平等に「被爆」させる。

原発の安全を確立するのは無理だ。普段は気軽には使わない言葉だけれども「絶対」に無理だ。逆に原発が事故を起こすシナリオは際限なく想定できるし、今回の冷却水漏れも関電に言わせると「目の届きにくい場所」で起きたそうだ。そんな場所いくらでもあるだろう。

整備不良の自動車、特にブレーキの利きが悪い自動車を泥酔した人間が運転する。場所は通行人の多い狭い道路。こんな例えが適切かもしれない。泥酔者は「私は酔っている」とは言わない。「あー酔った」と言えるのはまだ理性が残っているうちだ。足元がふらついて、呂律が回らない泥酔者に「大丈夫か」ときけば10中8、9「大丈夫、酔ってない」と答えるものだ。

◆何十万人の人の生活を蹂躙しても「原発」には罰金すら課されない

原発は新しかろうが、古かろうが「整備不良の自動車」、電力会社は「泥酔者」、私やあなたは狭い道を歩く通行人だ。問題はこの事故発生確実な状況を修正しようとする公的な意思が皆無であること。実際の泥酔運転は「事故」を起こさなくとも免許取り上げと罰金50万円が課されるが、事故を起こしてたくさんの人を殺し、何十万人の人の生活を蹂躙しても「原発」は罰金すら課されない。

仕方がないからあれこれ知恵を絞って私たちが電力会社と「原発」を懲らしめるしかない。さあ、『NO NUKES voice』7号が発売された。私たちは福島を中心とする被災地に寄り添い、原発立地にも可能な限り出かけて行きながら微力ながらも全力を尽くす。
「われわれは連帯を求めて、孤立を恐れない。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽さずにくじけることを拒否する」(『NO NUKES voice』編集部)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2月25日発売!『NO NUKES voice』Vol.7!

紛い物の「民主派」や「反権力」、そして原発問題においては「脱(反原発)」に名乗りを上げる団体や個人は左右問わず引きも切らない。自己総括をすればその紛い物の口上に絡めとられ、誌面を荒らされた1年を反省せねばならない。

『NO NUKES voice』第7号2月25日発売

そしてそれ以上に彼らと権力、あまつさえ警察権力の結託が明らかであったにもかかわらず、それを容認してしまった責は重いと考える。よって『NO NUKES voice』7号は我々が再決起する、「戦闘宣言」である。

脱(反原発)運動の中に蔓延る一見「新しさ」をまとった、実は極めて原則的に最も犯罪的な「反動」との決別と糾弾を内包した覚悟の「宣言」であることを再確認しておく。

◆「原発=核」の根源的課題

そもそも「脱(反)原発」運動は、もちろん「3・11」未曾有の死滅的危機をきっかけに大衆的な広がりを見せたものであることは間違いないが、「3・11」が端緒であったのではない。「反戦」・「反核」運動は原水禁発足から世界的に展開されていた運動であり、その歴史は「ヒロシマ・ナガサキ」を一方的に被害者として捉えるのではなく、日本のアジア侵略、とりわけ朝鮮半島から中国への侵略の歴史(15年戦争)と分かちがたく連綿としたものである、という認識は一部の反動を除いては明白な前提であった。

かといって我々が「3・11」をその延長線上に必ず起こる災禍として万全な準備を怠らなかったのか、と問われれば、全くそうではない。確かに「反帝国主義」、「反ネオリベラリズム」といった21世紀型の課題と直面しながら、末期資本主義の加速=資本の寡占、規制緩和、労働者搾取の激化、階級格差の拡大といった目前の現象に我々が目を奪われていたのは事実だ。

だが、そういった「人為的作為」をも全てのみ込み、あらゆる論争をも無にしてしまう危険性を極めて高い確率で包含する「原発=核」の根源的課題には東西冷戦終結後、配慮が希薄になっていた。これは確実に希薄だった。改めて自己批判する。

◆「無責任」構造の中で進行する「原発」問題

そもそもこの島国では「明治維新」以降、突然祭り上げられた「天皇制」があたかも神聖かつ万能であるかのように皇民化体制が築かれ、その上に3000万のアジア人民を虐殺し、自国民も300万が死を強制された戦争があった。

本来、その敗戦とともに「天皇制ファシズム」、「天皇制ボナパルティズム」は人民の手によって裁かれ、断罪され、跡形もなく消し去られるのが道理だったのだが、占領軍は手軽な統治の方便として昭和天皇、並びに「天皇制」を不問に付すのが最善策だと判断し、昭和天皇を赦免した。

極めて「日本」に似つかわしい不思議な赦免である。それを受け入れた当時の国民に大きな違和感はなかったようだ。私には不思議だ。矛盾ではない。完全な背理ではないのか。何が解決したのだ? 曖昧に過ぎる。

「原発」問題を論じる際に曖昧かつ他者依存的な、この島国の「心象」を忘却してはならない。

「誰が責任を取るのか」(原発「推進」にしても「反対」にしても)、「事故が起きたらどう対処するのか」(対処できる道理はない)、「事故後の補償はどうするのか」(補償など尽くせない)といった初歩的な問いへの回答すら忌避して、総体としての「無責任」構造の中で進行してきたのが今日的惨劇の元凶である。

したがって『NO NUKES voice』は「全原発の即時廃炉」を求めるのは当然だが、運動内に跋扈する「反動分子」あぶり出しも責務であると考える。これは所謂「連合赤軍」事件や、新左翼諸党派に見られたような狂信的「粛清」とは全く異なり、「脱(反)原発」が文字通りその目標を見据えて行動しているか、手段として権力や権威、天皇制を利用していないか、警察権力と結託してはいないかといった極めて単純かつ初歩的な数か所を点検するに過ぎない。

しかしながら、そのような点検作業すら「普通の人」、「広がりやすい運動」といった、それこそ定義があいまいな言葉によって踏みつけにされている。「戦後民主主義」終焉を迎えた今日の惨状を誘引したのは、そのような「曖昧さ」が原因ではないのか。「差別」、「排外主義」、「戦争」、「反動」への反対と「原発反対」にはなんら小難しい論議は必要ないと私たちは考える。

◆悪夢のような現実に回答を出す時間的猶予はわずかだ

安倍自公政権の推し進める「戦争への最短道」はどのようにすれば阻止できるのか。

一次冷却水が漏れた、つまり運転中ならば原子炉暴走を誘引するよう状態の原発再稼働はいかにして止められるのか。TPP協議の中心的役割を担っていた重要大臣の「口利き」辞任があっても「内閣支持率」が下がらない(下げさせない)メディアと、国民はどう対抗すればよいのか。

上記の問いにいずれも明快な答えは無い。しかし私たちは逃げられない。不幸にも悪夢のような現実は厳然と立ちはだかり、しかも回答への時間的猶予はわずかだ。

各々が可能な模索を全力で手探りするしかなかろう。私たちは、差し当たり本日発売される『NO NUKES voice』7号の編纂に全力を挙げた。十全とは言えずとも全力は尽くした。

花言葉やお気軽な自慰行為に陥りたくはない。その為には高い授業料も払った。だからこそ本号で展開できる内容がある。私たちは過去の過ちや、誤解を正当化しはしない。そこまですれっからかしではない。皆さんには是非『NO NUKES voice』7号を手に取りお読みいただきたい。この号からは血が流れている。被災者悲しみの血、終生原発と闘った闘士の血、欺きにより斬られた血、そして未来に向け憤怒する闘いにみなぎる血だ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2月25日発売!『NO NUKES voice』Vol.7!

古いフォークソングに「過ぎてしまえば皆美しい」という歌詞があった。たしか森田公一という声の高い人の歌だった。記憶を美化したり、自分にとって激烈過ぎる体験は「忘却」してしまう機能をどうやら人間の脳は持っているようだ。

2月25日発売!『NO NUKES voice』第7号

他人事ではなく私にも思い当たる節はある。どうあがいても這い上がれない数年間があった。八方塞がりで自死こそ考えなかったもののこのままでは命が持たないとのたうち回っていた。ところがあれほど激烈であった日々の詳細を今はほとんど覚えていない。輪郭は記憶にはある。語るも憚られるような惨め極まりない姿で毎日全身の苦しみと苦闘していた「記憶」があるにはある。

でも、周囲の人から明らかに「人格崩壊」や「物理的な死」を心配してもらった私自身の言動についての記憶が殆ど消えている。思い出したいわけではないし、現在の精神状態にとって「自然忘却」は有難い脳の機能だと言わねばならない。しかし、同様に辛い過酷な記憶であっても忘却してはならない事実もある。個人的にも社会的にも自らが「加害」の側に立った場合の記憶だ。

法律で裁かれるかどうかはこの際あまり大きな問題ではない。むしろ法律は大きな犯罪を断罪しない側面すら持つので、極論すれば「道義的」、「人為的」な責任を負った場合と言えようか。

◆あってはならない「忘却」がある

少し回りくどくなったが、今私が気がかりな、あってはならないと考える「忘却」は、言わずもがな福島第一原発事故とその被災者への「忘却」である。人類史上例のない大事故、原発4機爆発とそれに伴う多量の放射性物質汚染、わずか5年弱前の出来事だ。確かに新聞には福島第一原発についての記事が途切れ途切れには掲載される。関心のある人の中では相変わらず話題になる。規模は小さくなっても原発反対運動は綿々と続いてはいる。

しかし、圧倒的な勢いで加害者側は事故を「忘却」させようと次々に毒矢を放って来る。事故後に「反省」するどころか、原発の輸出を行おうというのだからこの国は狂っている。この国から原発を買う国も狂っている。電気が余っていても再稼働を強行する政府と電力会社は単純に「犯罪者集団」と呼ばなければならない。そして福島原発事故まで原発に無関心であった人々、あるいは事故後に「脱(反)原発運動」」に一時参加し、早くも疲れてしまった人々にも極論すれば責任の一端はある。

◆現状に異議申し立て、「反対」するのにはエネルギーが要る

現状に異議申し立て、「反対」するのにはエネルギーが要る。運動が盛り上がっている時はそうでもないが、一旦下火になり周にいた人垣が薄れて行くと途端に「疲れ」は襲ってくる。そして出来れば「3・11」前に戻りたいと考えたりする。

「辛いよー。この生活は」

ある集会で福島から避難されている高齢の女性が唸るように語った。この方には「3・11」前に戻りたいと考える道理と権利があるだろう。しかし原発に反対しながらも、その実事故前と大して変わらぬ生活を送れている(私を含めた)人々には「忘却」する権利はない。

否「忘却」は僅か5年弱まえの出来事を心の中で「無かった」ものにしてしまうことによりまだ進行中の事故から目を背ける行為への加担だ。それは「犯罪者集団」が画策している「事実隠し」、「歴史殺し」に乗じると言っても過言ではない背信行為だ。

◆「覇権主義」「セクト主義者」への筆誅にも迷いはない

だから鹿砦社は『NO NUKES voice』を全力で編纂し続ける。原発災禍では満足せず人間犯罪の究極形「戦争」へ最短距離で猛進する現政権並びにそれを支持する連中は私(たち)の明確な敵である。また口では「脱(反)原発」、「反差別」、「反ファシズム」を唱えながら「排外主義」や「ファシズム」を実行するという悲喜劇を演じる人びとへの筆誅にも迷いはない。

悲喜劇を演じる人々を「左翼リベラル界隈」内での争いと看做す方もいるようだが、私(たち)はそうは考えない。彼らは左翼でもリベラルでもない。単なる「覇権主義」「セクト主義者」に過ぎない。よって『NO NUKES voice』が展開するであろう今後の議論が「左翼リベラル内での争い」と思慮されることは誤りであることを予め断りしておかねばならない。

私たちは忘れない。福島を中心とする被災地、被害者の辛さに思いを寄せて、どう評されようとも「脱(反)原発」を訴え続ける。これまでの自身を反省しながら。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2月25日発売!『NO NUKES voice』第7号!

『NO NUKES voice』第7号が2月25日発売される。まずは表紙に注目して欲しい。この看板に読者諸氏は見覚えがないだろうか。私も直接現地で見たことはない。けれども双葉町に建てられたこの残酷にも、あっけらかんとした「原子力明るい未来のエネルギー」は講演会のスライドなどで何度も目にしたことがある。それ以上に実際は見たことがないくせに目に焼き付いたような感覚すらある。誤った既視感だが。

いつも何度でも福島の声を!──『NO NUKES voice』第7号2月25日発売

この秀逸にして残酷な看板の標語に採用された大沼勇治さんが本号には登場する。大沼さんは採用されたこの「不幸」な運命をたどる標語の撤去に断固反対している。表紙で「原子力『制御できない』エネルギー」の「制御できない」部分を掲げているのは大沼さんご自身だ。

大沼さんの思いを私がここで紹介するのははばかられる。是非本号に凝縮された大沼さんの思いを直接お読みいただきたい。

ちなみに大沼さんは本業の傍ら国内外からの取材が絶えず、本号出版から3月まで大手メディアの取材予定が引きも切らないそうだ。その取材の中には不肖私が昨年横浜で講演を聴き、その感想を本誌で綴った辺見庸氏を含む共同通信の取材もあると聞いている。

『NO NUKES voice』は本号から編集長が松岡利康氏から小島卓氏へと変わった。編集長交代に際して両氏の間で「なによりも福島を中心とした被災地の声と共に歩む」方針が確認されている。大沼さんが巻頭を飾る『NO NUKES voice』第7号はその思いを体現している。

予め決められていた行程通りではあるが、本年4月1日から家庭向け電力の「自由化」が始まる。広瀬隆氏にはその意味と課題、さらには「新電力」選択の際の留意点などを示唆して頂いた。新電力には一時「脱原発派」の振りをしたソフトバンクなどが電力会社と利益分散を巧みに計算し参入している。要注意であるし焦ってはならなない。「原発退治」の絶好の機会を残念な形にしては意味がないので是非広瀬氏の論考にはご注目頂きたい。

若手政治学者の旗頭的存在、白井聡氏にはご存知鈴木邦男氏がお話を伺った。「永続敗戦論」の鮮烈なインパクトが印象的な白井氏。果たして「原発問題」をどう斬るか。

同じく大学で教鞭を取る下地真樹先生には「市民運動」を中心に語って頂いた。大阪府警に令状逮捕された下地先生には「筋金入り」のイメージを持つ方も少なくないかもしれないが、インタビューでは意外な展開と見解が明らかにされる。下地先生の立ち位置、考えも是非直接読みいただき、少々感嘆して頂こう。

そして本号でもまた炸裂した「松岡砲」!題して「さらば、反原連(首都圏反原発連合)!――わたしたちはなぜ反原連に絶縁されたのか」。「信義則」、「内部干渉」を理由に一方的に「絶縁」を宣言して来た「反原連」と鹿砦社(とりわけ松岡前編集長)の間には何があったのか?そしてなぜ『NO NUKES voice』は「反原連」を唾棄すべき団体と断じるに至ったのか。本稿も様々な反響を呼ぶことは必至であろう。「セクトを排する」はずが自ら最悪の「セクト主義」に堕落した「反原連」。一時は多大な支援を行っていた松岡前編集長の逆鱗は原発問題に興味のない方々にとっても一読の価値ありだ。

本号からグラビアページは「ある特殊な事情」により前担当者から大宮浩平氏へと引き継がれた。大宮氏は「警察が趣味、機動隊大好き」などという馬鹿ではない。早速活力溢れるカットを読者に提供することになった。さらに乞うご期待!

各地の運動報告では福島原発事故避難者の河村幸子さん。玄海原発のプルサーマル運転と闘う石丸初美さん。匿名報道の実践と原発反対を貫いた南海日日新聞の元記者近藤誠さんの逝去を悼む浅野健一さん。高浜原発再稼働直前集会や経産省テント前広場からの報告など全国からの肉声が届けられる。

連載では本間龍さん、渋谷三七十さん、納谷正基さんの常連陣のボルテージが上がる。前号まで連載に名を連ねていたいくつかの団体は姿が見えない。連載を打ち切り、本号から姿を消した団体、個人は「反原連」同様、鹿砦社並びに『NO NUKES voice』を「切り捨てた」方々と断じて頂いて構わない。

翻訳、論考が一流であることは周知だが、最近パロディーとくに「替え歌」で非凡な才を発揮し続ける佐藤雅彦氏は本誌上でのマッドアマノ氏的地位を確立しつつある。小倉利丸氏は「核と被曝社会をなくす世界社会フォーラム」への参加を呼びかける。

腐敗、堕落分子が一掃された『NO NUKES voice』第7号は前号までと明確に色合いを異にすることを確信する。しかしその評価は読者諸氏に委ねる。忌憚のないご意見、ご感想を頂ければ幸いである。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2月25日発売!『NO NUKES voice』Vol.7!

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