《原発放談08》脱原発の突破口は福島の人たちが声を上げること(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回がその最終回。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆東京五輪は「福島隠し」

── 福島原発の現場でいえば、まともな働き手が減っていますよね?

将来どうするのかが問題です。最近は東京オリンピックに現場作業員を奪われ始めている。以前は発電所内部の作業員が除染に人を奪われるといわれていましたが、いまは作業員が東京・首都圏の五輪関連事業に吸い取られている。良い話はなにもないのが現状です。そんな状況で2020年に東京オリンピックができるのか? チェルノブイリの事故で被曝被害が増加してきたのは5年後ぐらいからです。

これは半分、陰謀論になってしまいますが、日本はこれまで五輪誘致に何度も手を挙げてきたけれど、なかなか実現しなかった。それが福島の原発事故があったことで、今回五輪誘致が実現できたと考えています。そうでなければ、2020年の五輪はイスタンブールだったでしょう。

では、なぜ福島があったから東京が選ばれたのか? 「福島を隠すため」だと思います。五輪が東京に決まったことで日本人の多くは舞い上がった。でも、福島の今後の現状を考えると日本は五輪開催を途中でギブアップするような気がしています。

日本の経済は土地本位制が基本です。なのに、使えない土地が3.11で増えた。戦争で負けたときだって、日本に土地はそのまま残った。だからそこから復興してきたわけです。しかし、原発事故での放射能拡散で、日本の土地は縮小した。肝心の土地がやられて、しかも、その汚染地を政府が率先して広げようとしている。これでは人間までおかしくなります。

── 戦争には敵がいますが、原発事故で敵はいますか?

放射能という敵がいます。ただ、放射能は無主物で戦いに終わりがない。プルトニウムの半減期は24000年。対して人間の寿命は70~80年。相手になりません。

私は最近、太平洋戦争関連の本を好んで読んでいます。例えば、インパール作戦はほとんどの人が無理だと言っていた作戦を一部の指導者が戦略もなしに実行して、甚大な犠牲者を生んだ。その時の指導者の論理は、「それでもいまこれをしないと負けてしまう」という言い方でした。しかも負けた後も当時の指揮官は、戦後、あのときはあれが正しかったと反省の色さえ見せず、戦後死ぬまでそのままだった。

いまの福島に対する日本政府の姿勢もこれと一緒だと思います。事故直後、放射能被爆はたいしたことがないといっていた学者や役人は、おそらく自分が死ぬ間際でも「あの時はああするしかなかった」としか言わないでしょう。「日本のためだった」とか平気でいうと思います。

── この間、政治での脱原発の転機でいえば、東京都知事選がありました。小野さんは細川・小泉陣営をどう評価されますか?

私は彼らを支持しています。宇都宮さんについてはその前の都知事選では支持していましたが、今回の都知事選で、彼は脱原発中心の候補者ではなかったと思いました。選挙演説の動画を見ましたが、脱原発は申しわけ程度に言うだけで、実際はほとんど訴えなかった。宇都宮さんにとって原発は添え物のひとつで中心ではなかったという印象を持ちました。

私はそれではだめだと思う。原発問題を正面からとらえることが肝心だと思う。その他の政策は誰がやっても一緒です。さほど変わらない。でも、原発問題を第一にした候補じゃないとなにも変わらない。それなのになぜか脱原発派の都民の中でも宇都宮さん支持の方が多かった。少なくとも選挙活動の演説では細川・小泉陣営の方が迫力があったし、脱原発に本気だったと思います。

細川さんが演説ベタなのはみな承知していますが、小泉さんはとにかく演説が上手い。メモもフリップもなしにきちんとあれだけ喋れるのは凄いです。橋下大阪市長も演説が上手いと言われますが、彼はフリップを多用します。フリップやパワーポイントなしで喋るのは二流。それらなしにきちんと話せる人の演説が一流ですね。

◆どこに希望があるか?

── この三年間はどうしようもない三年だったようにしか思えません。どこに希望があるのでしょう?

日本人は徐々に変えていくのが得意なのでしょう。ドラスティックに変えることは難しい。だから、変わってないと嘆くよりも少しでも変わったところを見つけていくと、3.11後の日本は良い意味でかなり変わった部分もあると思います。

どこに希望があるか?については「いまだに日本で原発が動いていない」。この事実だと思います。脱原発派は選挙でも勝てないし、ばらばらになっていると言われるけれど、それでも原発はいま日本で動いていない。しかも政府も財界もお金と人を大量に投じてあの手この手で再稼動を進めようとしてきたにもかかわらず、まともに原発を再稼動できていないのです。無理やり動かした大飯原発はその後尻すぼみでいまは動いていない。

当初の計画では2011年の6月頃には玄海原発を再稼動する計画でした。それを菅直人がちゃぶ台返しをして、その後2年近く日本の全ての原発が止まった。その後、大飯原発が再稼動したけれど、この5月にはそれも再び止まった。民主党政権時代にも野田や前原とかは再稼動しようとしていたわけです。

安倍政権にいたっては就任早々から再稼動実現に意欲的だった。それがいまだに動いていない。しかも、もし何基かが動いたとしても、それで今後日本の原発がばりばり動き出すかというとそういう雰囲気はさっぱりありません。この状況はたいしたものだと思います。

ただ、脱原発をもっとしっかりしたものにするために何より必要なものは、福島あるいは近隣に住む人たちが声をあげることです。先ほどお話した野村大成先生も言っていますが、「外からどうこう言ってもだめ。渦中にいる人が声をあげないとだめ」なのです。

広島原爆の際、「被爆で白血病が増えた」と最初に言ったのは地元の開業医の先生でした。この先生の発表はその直後、米国に抑えられた。しかし、抑えきれずにその後、広まった。

これと同じで福島も現場の人が声を出さないと変わらない。外からなにを言っても迫力がない。でも、福島の人が被曝についてなにか発信すれば、ものすごいインパクトです。

繰り返しになりますが、この3年間の状況をすべて悲観的に見ていても始まらない。その中から確実に良い面を見つけて、それを維持していくことが大切です。そして、大きな変化を期待するのであれば、やはり事故の現場にいる福島の人から明確な告発が出てくることが大きな突破口になると思います。福島の事故でそうした広がりを生まれるのが怖いから政府は先回りをして火消しをしている。でも、それでも火は消えていないのです。

◆科学的データで証明されない内部被曝

── 内部被曝に関しての相談はよく受けられるのですか?

基本的にはブログやメールのネット経由で、できるだけ答えるようにしています。ただ、あまりそれをやりだすと、個人の領域を超えてしまう。組織にするのは嫌ですから。それと相談をしてくる方には正直、変わった人もいます。きちんとわかったうえで判断している人ももちろんいますが、身体の不調すべてを放射能のせいと考える人と話すのは大変で、そうした方とケンカしてしまったこともありますよ。何をいっても「それだけでは納得しません、できません」と言われてしまう(笑)

── 最後に、医師として小野さんは今後、どんなかたちで福島原発事故に関わっていきたいのでしょうか?

内部被曝の分野というのは科学的なデータ・資料がありません。これは米国が莫大な資金を投じて行なった検証結果で「ない」とされた。おそらく今後もこうした資料は作られないと思います。そうすると、私に何ができるのか? 内部被曝に不安を持たれている人たちのお話を聞いてあげるぐらいの対処療法しかないです。だから肥田先生のように来た患者の話を聞いて、時には投薬をするような、その程度のことしかできないのが実情です。被曝の検診・治療というのは様々な面で極めて難しい。それがわかっているからほとんどの医師は放射能被曝には関心がなかったりするのかもしれません。そういうこともあって、福島原発事故について本を書いたからといって、私の病院に患者さんが押し寄せるというわけでもないのです(笑)。[終わり]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

 

「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

◎onodekitaさん200分インタビュー[全8回]

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる (2014年9月15日)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない (2014年9月17日)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない (2014年9月19日)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです (2014年9月21日)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」 (2014年9月24日)
《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」 (2014年9月26日)
《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」 (2014年9月30日)
《原発放談08》脱原発の突破口は福島の人たちが声を上げること (2014年10月2日)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌 『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」(小野俊一)

小野俊一医師

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第7回目。

◆連関する「福島」と「水俣」

── 福島の流れはむしろ水俣と同じ道を辿っているように思います。

そうですね。熊本日日新聞の山口和也編集委員も水俣と福島の関連性を書かれています。このふたつはたしかにそっくりです。ひとつ違うのは、水俣病の原因について、熊本大学はその原因は有機水銀ではないかという説を最初に出した。しかし、それを東京大学が否定した。「田舎の大学が変なことをいうな」という感じで、熊本大の説を潰していった。また、水俣の商工会は東大の説を支持して、チッソで生きている町がチッソを悪者扱いしないようにしむけていった。しかし、事実を歪曲されてもその事実は後になって蘇り、いまの水俣訴訟となっていくわけです。

一方、いまの福島ではどうかというと、福島県立医大は率先して被曝を隠す側に回っている。地元の医師会も同じです。事故では被曝の被害は出ないと言い続け、なにか起きても、それは放射能のせいではないと平気で言う。開業医でさえそうした態度です。世間は開業医も所詮医師会の圧力を受けていると考えがちですが、そうではない。むしろ、私も含めて開業医の中には医師会の言うことを聞かない医師がたくさんいます。医師会は世間が思っているほど権威などありません。なのに福島の開業医の中から被曝の現実をきちんと語る医師が出てこない。いろんな問題があって、ここはいえないという姿勢をとってしまうのもあるでしょうが、それにしても福島の開業医から何も意見が出てこないのは酷いです。

◆お金で解決できない核廃棄物問題

── 事故の責任でいえば、東電は一度解体した方がよくありませんか?

事故後、日本政府は原子力規制委員会をいったん解体しました。それで起こったことは、重要な資料などが散逸してしまい、逆に訳がわからなくなった。これは日本の悪いところですが、人が変わると、資料や業務の引継ぎがおかしくなる。機関をばらばらに解体しても、その後、同じ人がやらざるを得ない。だから私は東電は東電のままで、活かすしかないと思っています。おそらく東電を解体したら、もっと悪くなる。下手をしたら原発のことをぜんぜん知らない人間が行くかもしれない。東電が無能なのは確かです。しかし中には有能な人もいて、それで現場がなんとかもっている。しかも、内部の建設業者や請け負い業者との関係もある。こうした関係を福島原発で解体することは、太平洋戦争の最中に日本が軍部を解体するようなものです。もっと悪くなる。いまの方がまだましだと思います。

── ただ、発送電分離などはやった方が明らかにいいですよね?

そこはそうですね。むしろそこは早く分けないと電力会社が先に原子力事業を切って責任逃れをしそうです。原子力事業が火力、水力よりコストが高いのはすでにわかっている。でも、国策だからやっていた。送配電分離をしたら原子力は持てなくなる。でもこれまでの原子力は発電しなくても、誰かが維持管理しなければいけない。そのための人は残さなくてはいけません。もしも原子力を国が管理するとなれば、原発に役人が来ることになる。そんなことになればもっと悪いことになるでしょう。

── 大学に廃炉学の学科を創設して人材を育てるとかしないでしょうか?

廃炉はあくまで後ろ向きの事業です。すでにあるものをいかに片付けるかが目的になりますから、若い人にとっては夢がない。優秀な人であればあるほど、何もないところで何かを新しく作り上げていくことが好きです。だから廃炉のように先人がいい加減にしてきて残したものを担う学科であれば、少なくとも理系のトップは騙されていかないでしょう。逆にそれで騙されていくような人たちはその程度の人なのだと思います。

廃炉に関してはなかなか良い答えがないのも事実です。廃炉庁を創設したりするのもありえますが、結局、廃炉の一番の目的は放射性廃棄物をどう処理するかです。これはいままで米国などが70年近く研究してきたけれど、結局、その解決法の現状は地中に埋めるぐらいが関の山。そんな分野を日本人が大学で学科を作ってやったとしても何も答えは出てこない。

そもそもトイレのないマンションをどうするべきなのか?を誰も考えてこなかった。これまではお金でなんとか解決できるだろうと思っていたが、どうやら金で解決できる問題でもなさそうだという感じです。

フランスなどは再処理をしようとしていますが、それでも再処理燃料の八割~九割は廃棄物になる。その捨て場所がなかなか見つからず、現状はシベリア送りです。それでロシアは儲けている。米国、フランス、英国の原子力学者と日本の学者とどちらが優秀か?と問われれば、当然、実際に原発や原爆を作った経験のある国の学者に勝てるわけがない。

核廃棄物の再処理問題でわかることは、人類には金で解決できない問題があるということです。金さえつければ解決できるという風潮がいま凄くありますが、死んだ子を生き返らせるのは1兆円使ってもできません。再処理もそういう問題で、そこでどうするか?ということです。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

ブログ「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

◎onodekitaさん200分インタビュー[全8回]

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(2014年9月15日)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(2014年9月17日)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(2014年9月19日)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(2014年9月21日)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(2014年9月24日)
《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」(2014年9月26日)
《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」(2014年9月30日)

 

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」(小野俊一)

小野俊一医師

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第6回目。

── 小野先生は奇形生物の画像をよくブログに載せています。最近の新聞記事では「黄身のない卵」(毎日新聞2014年5月05日)とか「双頭のヤモリ」(南日本新聞2014年5月13日)や「透明のおたまじゃくし」(朝日新聞2014年6月11日)などが報じられていますが、実際、被曝で奇形や突然変異は増えているのでしょうか?

奇形はむかしからあったといえばあったし、放射能特有の奇形があるわけでもありません。ただ、放射能で奇形化の頻度が増える。双頭の子どもでは米国に成人した双頭の女性がいます。むかしの中国では唐の時代、玄宗皇帝の寝屋のお供の一人に双頭の女性がいたと記されています。だから、双頭の人間がいなかったわけではない。ただ、チェルノブイリではその発生頻度が増えた。そのことが大きな問題だということです。

私は植物の奇形事例も集めていますが、それらの多くが放射能由来だとはなかなか言いきれない。ただ、放射能の影響かもしれない発生条件はあります。例えば、壁や塀の近くの植物に奇形が多くなる。これは雨水に混じった放射能がそのあたりに集まりやすいからかもしれません。熊本でもちらほらあります。最近はあちこちで通常、普通は実がならないジャガイモに実がなることが増えているようです。それを見て、40年、50年も農家をされてきた方々が「珍しい」「初めて見た」と言うから、話題になるわけです。しかし、それが報道されるとネットでは「そんなの珍しくない」と書き込む人が必ず出てくる。

人間の奇形は公にするのは難しいです。日本の法律では妊娠22週を超えると流産はさせらせられない。それに医師は奇形が生まれたことを他者には話さないし、お母さんも隠すでしょう。しかも、奇形児の出産がもし増えてその事実を公けにしても、得する人がいない。お母さんも傷つきますし、へたをすると夫婦間の問題になって離婚なども起きかねない。あそこで奇形が生まれたという噂が広がれば、それこそ差別につながりかねない。

◆分断される「原爆」と「原発」

私が経験したのは、九州の医師会の内部講演会の時に「被曝で奇形が生まれる」という話をしたら、長崎のある医師が猛烈に反論してきた。「長崎はいわれなき差別で被害を受けた。放射能で奇形は生まれないということはABCC(原爆傷害調査委員会)の研究で証明されている。なんでお前はそんなウソをつくのか!」と正面から噛みつかれました。

放射能と奇形の因果関係は議論の余地などないと思っていましたから、その時は唖然としました。その医師の略歴を聞いたところ、彼は長年、長崎で被爆者救済支援されてきた医師でした。要するに彼は、原爆被爆者は支援するけれども、差別は作りたくないがゆえに、奇形は出てこないと奇形の有無については、ABCCの報告を鵜呑みにし、奇形の話が出ると「原爆で奇形は起きていない」と主張する。その長崎の医師は五十代で、長年被曝活動に尽力されていた先生でしたから、よほど勉強していないと反論するのは難しい。

自分の活動が政治的だとさえ思っていない。だから、「放射能では奇形は生まれない」と彼の中では決まっていて、そこは絶対譲れないという考えです。長崎の被爆者組織の中にもそういう認識の人がかなりいるから、ことは単純ではありません。しかも被爆者は「当事者」なので、彼らの言葉はたとえウソであろうと社会的に力が強い。

3.11の後に長崎の被爆者の講演会に行ったときです。そこで被爆者の講演者が何を話していたかといえば、アメリカが原爆を落とした時、ピカッとしてやけどなどで被曝して死んだのは認める。しかし、内部被曝など爆発後の被害は認めないわけです。だから、私は質疑の際に挙手をして「爆発後に具合は悪くなかったのですか?」と質問した。すると彼は「爆発後はぜんぜん(体調は)悪くなかった。」「健康だった」と言うわけです。

熊本留学生交流推進会議の企画だったので英語同時通訳がつき、留学生の一人も「奇形児は生まれなかったのか?」と質問しました。すると講演者は「一切生まれなかった」「そんなことがあったら大変なことです」とまで言った。しかも、3.11の後なのに原発については一言も語らなかった。

その後、私は講演会の事務の方に「原発事故でも被曝します。それも大事じゃないですか?」と意見しました。すると主催者側の人は「我々にも立場があるから、そこには触れません」と言いました。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

ブログ「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

「onodekita」さん200分インタビュー!
《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(小野俊一)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第5回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」

── 最近の報道で驚いたのは、福島県立医科大の学長が「甲状腺がんの検診については、国がもっと関与してくれないと万が一、われわれが誤診をした時に国が責任の一端をとってくれないと困る」と発言していたことです(KFB福島放送2014年6月17日)。

甲状腺がん検診については現場の医師の意見も分かれてきています。「過剰検診ではない派」と「過剰だから検診する必要はない派」に分かれてきた。福島医科大は現場にいるから過剰でないという。一方で、後者のひとりには渋谷健司=東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室教授(一般社団法人JIGH代表理事)などがいます。

彼は小和田雅子の妹の夫ですが、福島での甲状腺がん検診に対して、「こんなばかげたことはもう止めろ」と主張しています。これまで福島医科大は国とべったりで検査をしてきていた。それが最近、医師間でも意見の対立が起こってきて、ややこしくなってきたわけです。いまのところ福島医科大は甲状腺検診を止める気はまったくない。しかし東京の方では「もうやめろ」という声が高まっている。足の引っ張り合いが始まっていて、そこにはおそらく国の意向も絡んでいます。

甲状腺がんはICRP(国際放射線防護委員会)が唯一認めざるを得なかった被曝で増える疾病です。それ以外の病気も被曝で増えるかもしれないが、他の病気は「科学的にはわからない」とICRPは結論した。ただ、だからといって、被曝で他の病気が増えないという証明にはなりません。

例えば、放射線基礎医学が専門の野村大成大阪大学名誉教授は、被爆で心筋梗塞、子どもの発達障害などが増えるだろうと言っています。野村先生の説を大雑把に一言で言えば、「ハエやネズミで起こった奇形などの現象は人間でも必ず起こる」ということです。チェルノブイリ事故の3年後ぐらいに、放射線量が下がった。これで多くの医師はもう重大な被害はないと言って、研究を止めようとした。しかし、実際は3年後からが病気の本番でした。だから福島もこれからが危ないと野村先生は警告しています。野村先生についてはロシアのテレビ局「ボイスオブロシア」で放送された彼のインタビューがとても参考になります。

── 被曝の影響で有意に増加している病気、症状は何でしょう? 著名人の訃報や病気や体調不良も増えていませんか?

ガンが増えているのは確かでしょうし、真偽のほどはわからないけれど、がん保険に入りにくくなったというような話も聞きます。保険の払い出しが増えたというのも本当でしょう。

井伏鱒二の小説『黒い雨』の中に次のような記述があります。

「『口をあけてごらん』といってあけさせると、門歯はいつの間にか欠けて無くなっているが根はのこっている。数日前までは、ぐらぐらと根ごと揺れていたにもかかわらず、中途からぽろりと折れたらしい。腫れた歯茎からは絶えず血がにじみ出て、ホウ酸でうがいしたぐらいでは血が止まらない。口をつぐんでしばらくすると、唇の合わせ目に赤い糸のような細い筋が浮いている」

これを読んでそんなことも起きるのか?と思っていたら、最近、ネットでは芸能人などで歯が欠けたという話が結構出ています。歯自体は折れても根っこは生きているという状態です。

心不全が増えたことについては、東北大学の下川宏明教授(医学系研究科循環器内科学分野)が発表しています。先週の水曜日(6月18日)、下川先生が熊本に講演に来られた時、私も聞きに行きました。

講演の中で下川教授は、心不全の増加はストレスが原因と説明され、そのひとつの理由として、過去の大震災とは地震の種類が違うと言われていました。つまり、下川教授は地震の揺れ方(直下型、海溝型、津波の有無等)でストレスのかかりかたが違うと主張されていました。(笑)

私は納得できなかったので、「宮城県にも放射能が降りそそぎ、丸森町などでは除染もようやく始まっているのに、心不全が増えた要因のひとつとして放射能を考えていないのはなぜか?」と質問しました。すると、下川教授は、「被曝線量を測定していないから、要因の一つに挙げることはできない」と答えました。「測定していない」という理由で無視する手法は「科学的」といえるのか、大いに疑問です。

── 汚染が酷ければ福島で様々な病気が出てきていても不思議ではないように思うのですが、あまりそういう話は聞きません。

個人差が大きいと思います。それと被曝に強い弱いは遺伝や家系が関係していると思います。広島の被爆データを見ていると、一人が死ぬというよりも同じ条件の場で4~5人がほぼ同時期に亡くなる。おそらく福島でもそうした傾向が出てくると思います。同じ時期に同じ病気で亡くなる方がでてきたら、それは被爆との関連性を考えてもよいと思います。個発ではなく群発ですね。

3.11後の2011年だったですが、日本のコンサルティング会社に勤める方がうちに来て「どうも頭に一枚もやがかかっている感じがして、それがとれない」と言っていました。その方はばりばり仕事をしていたコンサルタントです。でも、どうも仕事ができないから九州に移住した。症状を一言でいえば「アルコールを飲みすぎた翌朝の二日酔い」のような気分とのこと。それで、アルコールを飲むと調子が良くなった気がするそうです。

チェルノブイリでもウォッカ中毒が増えましたよね。あれもアルコールを飲むことによって調子がよくなったと感じていたようです。人それぞれ濃淡はあるでしょう。しかもこれまで一所懸命仕事をしてきた人、ぎりぎりでやってきた人ほど、普段の健康状態と違う自分の体調不和に気づき安いかもしれません。私なんかいつもちんたらしているせいか、違いは以前より眠気が増したぐらいです(笑)

── 最近、徹夜ができなくなりました。加齢でしょうか?

歳をとるというのは皆、だれにとっても初めての経験です。だから、何が自分に起こっているのかよくわからない。私は3.11の前、40代になってから小さな字が見えにくくなってきた。老眼ですよね。体調の変化があったとき、多くの人は歳をとったせいかとまず考える。でもその変化には被曝の可能性も混じっているかもしれない。そのあたりは本当に微妙すぎてわからない。

私はすでに30代を経験しています。50代になって思うと30代には体力、気力がほとんど落ちなかった。35歳を過ぎて記憶力が落ちましたが、基本的に30代の人は元気です。しかし、もしこの年代の人たちがだるいとか言い出したら、それは被曝の可能性があると思います。

20代のアイドルでもいまは体調不良で休んだりしていますよね。われわれ時代のアイドルなんか、休みなんかほとんどなかったでしょう。急遽、出演中止とかほとんどなかったと思います。でも、最近、若くて元気なアイドルや芸人の中でも体調不良がやけに多い。喉を悪くする人も増えている感じがします。歌手や声優や俳優にこうした症状が多いのは、息を吸うことが多いからでしょうか。被曝の識別の症状例の中には咽頭痛があります。喉には気をつけた方がよいと思います。ただし、これらは統計的にはうまく出せない。しかも、著名人の体調不良の問題が統計的にも証明できるような事態になった時は本当に終わりで、深刻な事態ということです。

放射能に関するデータ分析では、とにかく屁理屈を言って否定する人がたくさんいます。人口動態のグラフでも明らかに十年前よりも3.11以後の方が減り方が急激です。しかし、これは「高齢化が主因だ」といって被曝由来の人口減を一切認めない。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]

(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

◎[参考リンク]野村大成・大阪大学名誉教授をお迎えして(「ピャトニツカヤ25番地」2013年10月28日)
http://japanese.ruvr.ru/2013_10_28/123519492/

ブログ「院長の独り言 

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

onodekitaさん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)

《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第4回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

 

◆早野龍五と坪倉正治の共通性

── 世論の誘導でいえば、わかりやすい御用学者はどうでもよくて、むしろ、わかりにくい御用学者の方がたちが悪いと感じます。例えば、早野龍五=東京大学教授などは非常にソフィストケイトされていて、「将来の危険」より「いまの安心」に誘導する「被災者と寄り添う」派の代表のように思えます。

早野龍五さんが測るといつも被曝量はゼロか基準値以下ですよね。県庁の食材もそうだったし、学校の給食も基準値以下。ホールボディーカウンターでも基準値以下でゼロになる。それで彼は放射線量が出ないから安全だというわけです。ただ、逆に言えば、放射能が出たら危険だということですよね? 私が早野さんに一番聞きたいのは、では早野さん、放射能は危険か? 安全か?ということです。測っても10ベクレルしかないというけれど、この10ベクレルはどうなのか? それが100ベクレルだったらどうなのか? 彼の言うことは逆にいえば、放射能の風評を広めているともいえます。

事故直後の彼のツイッターへのフォローワー数の増え方がおかしかったです。あまりに一気に急増していましたから。2011年の3月12日に彼のフォローワー数はその日だけでなんと16万人増えています。フォローワー数の伸びを時系列のグラフで見ると、この日の伸びがあまりに瞬間的に伸びたので、折れ線グラフの線が絶壁のように上がっている。どんなに注目されたとしても2~3日ほど徐々に増えてそれから急激に上がるのが普通です。一日で突然増えるというのは、たとえネットの反応が迅速だとはいえ、不自然です。かなりの数のやらせフォローワーがいたかもしれません。あるいはなんらかの国策が絡んでいるのかもしれません。普段は正しそうにしていながら、どこかで大きなウソをつける、かなりの曲者だと思います。

そもそも早野さんは原発を知らないです。知らないことをさも知っているかのように話せるというのは「できる人間」の能力で役人と似ています。おそらくそういう能力はものすごく高い人なのでしょう。反論に対して、しどろもどろにならずにきちんとある程度のことがいえる。矛盾の隠し方が上手い。事故直後に首都圏で大量の放射能が降った雨の日のツイッターでは、「春雨じゃ、濡れてまいろう」などと書き込んでいます。

早野さんもその一人ですが、1960年代の核実験ですでに日本の土壌には放射能がたくさんある。だから、多少の事故でもさほど変わらないかのようにいう学者が多い。でもこれはとても単純なデマでした。事故直後の放射性降下物の量は過去と三桁違っています。1万倍ぐらい桁違いに多かったわけです。ところが、彼はそれについて一切、反省の弁がない。ある一定の人たちは、早野さんのように東大の偉い先生で、穏やかな物言いのインテリの言葉を鵜呑みにする。偉ぶらないように見える偉い人ですよね。

── 南相馬市立総合病院の非常勤医として「現地発」の医療レポートを大手のニュースネットで書いている坪倉正治=東京大学医科学研究所医師はどう評価されますか?

坪倉さんはまだ大学院生じゃなかったでしたっけ? しかも、南相馬市に常駐している医師ではない。なのに「現地は安全安心ですよ」と言っているような印象が強いです。彼は「現地レポート」といいながら、南相馬ではあくまで非常勤勤務医。いまネットで調べたら、検診担当日も週に一回でしかも午前中だけですよ(笑)。だから、南相馬に常駐しているわけではないでしょう。他の非常勤医でも週2回とか3回なのに、彼は週1回。現地の南相馬にいるのは週に1日程度ではないでしょうか。伝え方はうまいし、ソフトな感じですから、その点で、立場的には早野龍五に近い感じがします。

◆専門家のレベルがまるで違う日本と米国

日本の一番悪いところは、原子力の専門家が必ず大学教授だということです。彼らのほとんどは原発の運転ひとつ、わかっていない。現場を知らない専門家は米国ではありえない。米国の原発専門家といえば、NRC(原子力規制委員会)が必ず出てくる。NRCは軍からも来ていて、原子力空母の管理など実際に現場経験が豊かな人たちです。米軍で実地トレーニングを受けて、原子力に詳しい人がNRCに行く。だから彼らは専門知識のレベルも高い。

対して日本の場合は専門家が大学教授。大学教授は現場の訓練をしていないし、そもそも原子力に関する専門レベルも低い。カビが生えたような古い知識しか持っていない人たちです。原発施設がどのぐらい広いのかさえ知りません。原発建屋に一度も入ったことのない人がいたってぜんぜんおかしくない。つまり米国と日本の原子力専門家というのは同じ「専門家」といってもぜんぜん中身が違う。

日本の専門家はただの学歴馬鹿が多くて、机上の論理の専門家。そんな人たちが日本の原子力政策を担っている。日本の政府機関の中枢で原発の現場にいた人はひとりもいないでしょう。そもそも日本ではトレーニングのしようがない。斑目さんみたいな大学教授に教えられても原子力の現場知識は身につきません。電力会社の人間でもそうです。実際に原発機器を作ったり、直接動かしているわけではない。それはメーカー側の仕事です。しかし、メーカーの現場の人が政府の原子力行政に関わることはほとんどない。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]

(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

ブログ「院長の独り言

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

onodekitaさん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌?『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第3回目。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆自分で真実を想定していくしかない

── 汚染水ではストロンチウム90を含む放射性物質濃度(全ベータ)がこれまで発表していた数値の10倍だったとか(河北新報2014年6月21日)、2号機では格納容器内の水位がこれまでの想定の半分しかなかったとか(NHK2014年6月10日)、立て続けに東電は修正情報を発表しています。

当たり前です。だって核燃料はすでに溶けて、地下に潜ってしまっている。それがどこにあるのかさえ把握していないのが実態です。逆におかしいのは、マスコミが東電の広報発表しか報じないことです。現場を取材している記者がほとんどいない。福島の現状をきちんと知りたいのであれば、浜通りのあたりを取材すればいろいろな話が出てくるはずです。情報源を東電に頼ってはいけない。もしもいま、福島で被曝が原因で人が死んだという話が出てきたら、それだけで大変なことになるはずです。そうした事実を隠すために、被曝された現場の人には相当な額のお金を支払われていると思います。

内部情報でいえば、「田舎のトンビ」という人の書き込みが興味深いです。「田舎のトンビ」さんの書き込みはエッチなサイトに紛れ込んでいて、わかりにくいのですが、時折、衝撃的な情報を流しています。

「田舎のトンビ」で検索すると、例えばこんな記事が出てきます。これは2011年12月の書き込みですが、原子炉の下の地面をロータリダイヤモンドピッチみたいな掘削ボーリングでくりぬいて出てきた物質の写真をネットに載せている。まるでウランのイエローケーキみたいな物質です。そしてそれを測定してみると放射線量の検針が100倍で振り切れている。

こんな画像を載せられる「田舎のトンビ」さんはおそらく内部の人だと思います。彼の写真や書き込みが事実だとすれば、福島第一原発の現場は東電の発表値以上に高線量なのは当たり前といえます。そのことはおそらく、東電も知っているはずです。

いまは東電の公式発表やマスコミが報じるニュースと現場の真実との格差が大きすぎると思います。ですから、自分たちでより事実に近いストーリーを練り上げて自分で真実を想定していくしかない。そしてときどき報じられる事実に近いニュースを見つけたら、それらを繋ぎ足していくこと。そうすることで、より事実に近い福島の実態が見えてくるのだと思います。

例えば、「田舎のトンビ」さんの画像を見れば、こうした放射性物質がすでに福島第一原発の地中深くに溜まっていることが想定できる。「4300ベクレルのトリチウムが見つかった」というニュースがあれば、高濃度の放射性物質が出ていないという方がおかしい。だから、こちら側で想像しているイメージに現実のニュースが追いついてくるのを待つしかないと思う。そうすると自分がおかしいと疑問を持っている部分はその後、ニュースで見て、「ああやっぱりこれはそういうことだったのか」と検証として引き上げていくことができるわけです。

──『美味しんぼ』騒動で思い出したのですが、事故直後に『AERA』が「放射能が来る」という特集を組んで、世間からバッシングを受けました。『AERA』は結局、正しかったわけですよね?

確かに『AERA』が報じたように当時、首都圏には放射能が来たのは事実でしたよね。でも、その時、『AERA』を批判した人たちから、そのことについて一切、反省や謝罪の弁がない。『AERA』騒動の一ヶ月か二ヵ月後、私は朝日新聞社に電話して、「記事は正しいと思いますけど、なぜ反論しないのですか? ぜひ、その経緯などを記事にしてください」と意見しました。事故直後、正しいことを書いたメディアが叩かれたわけですから。記事自体も極めて抑制的に書いてました。ただ、表紙の写真がガスマスクをつけた人の写真で、そのタイトルが「放射能が来る」だったから叩かれただけですよね。

がれき問題だってそうです。実は震災のがれきだって東北地域で十分処理できた。それを政府は拡散した。このことに対しても誰もごめんなさい、謝罪の声はないです。過ぎたことは忘れるという実に日本人的な流れです。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

◎onodekitaさんこと小野俊一氏横浜講演会のお知らせ!
日時=2014年9月21日(日)10:45-11:45
場所=パシフィコ横浜(第3回健康生活フェア)
※「フクシマの真実と内部被曝」 通常1000円(無料入場券あり)
詳細は下記リンクを参照ください。
http://onodekita.sblo.jp/article/102831803.html
http://www.healthylifefair.net/2014_yokohama/

ブログ「院長の独り言」 

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

「onodekita」さん200分インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌 『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

 

《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第2回目。

「onodekita」さんこと小野俊一医師

── 汚染地域が拡散した原因にがれき焼却の影響はないでしょうか?

がれき焼却による放射性物質拡散はゼロではないですが、それが汚染の主因ではないと思います。がれき焼却がなくても放射能汚染は日本全土に広がってしまったでしょう。だって地球は丸い。九州から福島だって飛行機でひとっ飛びです。放射性物質は風に乗ります。熊本でも2011年の6月、7月頃に身体に発疹が出て爪が剥がれたりする手足口病が流行りました。手足口病は通常、主に子どもがかかる病気ですが、患者には多くの大人が含まれていた。いま、改めて考えると当時、熊本で流行ったこの病気は放射性物質由来とも考えられます。

熊本でもそうだったならば3.11直後、放射性物質は福島や東日本どころか、日本全国に降り注いだと考えた方が事実に近いように思います。だから、その後、各自治体で行なわれたがれきの受け入れ・焼却で全国に放射性物質が拡散されたと考えるのは汚染の現実をむしろ狭く考えてしまうことになると思います。

そもそもがれき拡散の担当省庁である環境省にそんな頭のよい考えをする役人はいないです。極論すれば、環境省は馬鹿ばっかり。おそらく戦略以前のレベルで、要はお金目当ての施策です。これは除染にも当てはまります。日本の政府は金だけで動かして、戦略なんてもっていない。第二次世界大戦当時の日本と同じです。戦略がありそうに見えて、実は戦略なんて微塵もない。

がれき焼却でいえば、北九州市だって当初、市長は受け入れに反対していた。それが突然、受け入れを認めた。すると後はいつもの日本流です。上が従えば、下も雪崩を打って上に従う。こうしたがれき拡散が自治体に広がった理由は結局、金儲けで、それによって放射性物質が全国に拡散することになるとかならないとかという議論自体、考えていなかったと思います。北九州市でいえば、三菱や新日鉄などの企業の利になるからだけで国民の被曝うんぬんなどは鼻から考慮されていなかったでしょう。復興予算の獲得は早く手を挙げた者が勝ち。被災地の現地を考えたまともな復興にはほとんど使われていないのが現状だと思います。

◆役人にNOと言わない寝技師が東電基準の「できる人」

── 田原総一朗さんの『ドキュメント東京電力』(文春文庫)によれば、日本の電力産業の歴史は、官僚と電力会社の権益争いの歴史だと言っています。東電が電力会社の雄としてあり続けたのは、東電が官僚から権益を守り続けてきたからだとありましたが、実際はどうなのでしょう?

電力会社は表面上ではけっして官僚とは戦わない。官僚の言ったことはすべて是認する。しかし、一旦引き受けた後にこねくり回して、結果的にはぜんぜん違うようなものに作り変えて、しれっと書類を出す。そんな寝技師が東電の中での「できる人」なんだと思います。

一方、官庁側で電力部門を担当している人というのは、正直、原子力は国内問題でしかないので良い人材がいないのも事実です。経産省にしても文部科学省にしても、エネルギーでいえば、石油などで中東などに関わるような海外部門の担当者の方が明らかに花形で優秀です。原子力は所詮、日本国内での発電のひとつでしかない。だから、エリート官僚はあまり来ていない。原子力部門の担当者できちんと上まで出世した官僚はほとんどいないと思います。役人にとって原子力の仕事は、基本的に安全規制が中心で面白みのない仕事です。だから、官僚の中で優秀な人材は原子力より石油を選ぶでしょう。省庁の役人にとって原子力部門は閑職の部類に入ると思います。

3.11の時は吉田所長が回りを化かしてくれました。東電トップのいうことには「はいはい」と返事しながら、部下に対しては自分なりの責任をとって、事故への対処を独断で行なった。これって東電だけではなく日本の企業に共通するやり方ですよね。会社の上層部が取引先と理不尽な約束をしてくる。現場がそんなの無理だと言っても、上層部はうまくやれと無理をいう。しかたがないので現場のトップががんばってどうにか折り合いをつけているわけです。

── 吉田所長は被曝死でしょうか?

死因が食道がんですから被曝死になるでしょう。ただ、政府も東電も、吉田所長の死因が被曝だとは認めなかった。そもそも被曝死は急性死亡でないかぎり、認めない(日本だけに限らず世界中で)。なので、いくら他の方が被曝が原因で死んでも、政府・行政は被曝死と認めないわけです。とはいえ、ヒロシマ・ナガサキでも消化器系のガンは増えていますから、これから増えると思います。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

◎onodekitaさんこと小野俊一氏横浜講演会のお知らせ!
日時=2014年9月21日(日)10:45-11:45
場所=パシフィコ横浜(第3回健康生活フェア)
※「フクシマの真実と内部被曝」 通常1000円(無料入場券あり)
詳細は下記リンクを参照ください。
http://onodekita.sblo.jp/article/102831803.html
http://www.healthylifefair.net/2014_yokohama/

ブログ「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

「onodekita」さん200分原発放談インタビュー!

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(小野俊一)

onodekitaさんこと小野俊一医師

 

「西村博之」と聞いて2ちゃんの「ひろゆき」氏がすぐには思い浮かばないように、「小野俊一」と聞いてピンとくる人はまだまだ少ない。だが、「onodekita」さんといえば、放射能情報に敏感な人は即座に「知ってる!」と答えるはずだ。

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。

◆一日30人のアクセス数が事故後は1万人越え

── 「やむにやまれず書き始めた」という小野さんのブログは事故直後から話題でした。実際、アクセス数の急増はいつ頃からでしたか?

ブログの読者が目に見えて増え出したのは事故の2ヵ月後ぐらいだったと思います。ブログ自体は以前から医院の宣伝用に一般患者向けに始めていましたが、事故前のアクセス数は一日30人程度でした。

それが3.11の後、2011年の4月29日には一日1000人を超え、5月に入ると3000人、さらにその後は毎日1万人を越えるようになった。いまは若干落ち着いて1万人前後です。不思議なものでアクセス数が増えるとやる気が出ます。読者が減ると私のやる気も出てこない(笑)

── 2012年11月には『フクシマの真実と内部被曝』(七桃舎)を自費出版され、同書はすでに三刷目。累計販売部数はどれぐらいですか?(『フクシマの真実と内部被曝』Amazonリンク

『フクシマの真実と内部被曝』(2012年七桃舎)

4500部を越えました(2014年6月末時点)。ブログでの直販が2000部ほどであとはアマゾン経由がほとんどです。アマゾンで売り始めた直後は一週間に200冊とか300冊の注文が入り、配送するだけで大変でした。直販とアマゾンは一長一短。ブログ経由の販売は書籍代をなかなか振り込んでくれない人もいて、売り掛けチェックに手間がかかる。アマゾンはそういうことはないので便利ですが、販売価格の4割はアマゾンが持っていく。講演会での販売は600部ほど、キンドル版も販売していますが、まだまだ一日数冊程度です。

出版にあたっては当初、大手の出版社も興味を持ってくれましたが、あれこれ内容に口を出してくるので止めにしました。それで自分でISBNコードを買って出版業を立ち上げた。出版はずぶの素人だったので大変でした。誤字脱字がないようにできるだけ多くの方に読んでいただきながら原稿をまとめましたが校正は本当に難しい。引用・転載の許可手続きも自分でやってみて、一冊の本を作る大変さを思い知りました。

例えば当初、井伏鱒二の『黒い雨』も引用したかったのですが、これは日本文藝家協会という公益社団法人が著作権を管理していた。まるでJASRACのような団体で、わずかの引用でも結構な使用料をとられそうだったので諦めました。

逆にありがたかったのは、漫画『はだしのゲン』の転載ですぐに許可をいただけたこと。直接、作者の中沢啓治さん(2012年12月逝去)の御宅に電話をしてお願いしたのですが、奥様に趣旨を説明して、それを奥様が中沢先生に伝えると、電話口の遠くから「良しと言え!」と叫ぶ中沢先生の声が聞こえてきた。『はだしのゲン』は英語版など海外でも人気ですが、いかに中沢先生が『はだしのゲン』を世界の人たちに読んでほしかったがわかります。

◆東電時代の上司は武藤栄

── 小野さんが東電に入社したのは1988年。チェルノブイリ事故の二年後です。当時は原発にどんなイメージを持っていたのですか?

入社時には原子力の知識などゼロでした。ただ、日本に原発は必要だと思っていました。その一方で日本の原発は本当に安全なのか?と疑念もあった。原発問題でだれもが思う疑問は、原発を稼動して生まれる放射性廃棄物をどう処理するのかです。当時は東電社員として原発業務に携わっていながらも、核廃棄物の処理についてはきっと他の誰かがある程度考えているのだろうと他人事のように思っていた。しかし、現実にはだれも考えていなかったことがわかりました。

本にも書きましたが、日本の原発の安全性の根拠である格納容器にも素朴な疑問がありました。容器は所詮容器です。素朴に考えて、内部で圧力をかけ過ぎたら破裂することはありうると思っていた。そして、福島ではやっぱり破裂したわけです。

── 東電時代の上司のひとりが3.11時の武藤栄副社長ですね。

武藤さんはむちゃくちゃできる人。原発に関して言えば、一を聞いて十を知るぐらいの人でした。そんなに変な人ではないです。当時の武藤さんは原子力技術課長で40代。いまの私より若かった。

武藤さんが東大の学生だった頃は、「原子力は未来のエネルギー」と言われていた。だから、東大の原子力工学にはかなり優秀な学生が集まっていた。彼もその中の一人でした。いまの60代の原発技術者たちは皆優秀な人ばかりでした。

ただし、優秀だからといって、原発をめぐるすべての問題を考えているわけではありません。3.11以後の私のブログも武藤さんはおそらく知っていると思います。でも、そうした件で武藤さんからなにか言われたことはありません。いまも年賀状のやりとりはしていて、今年の年賀状には、「LNT仮説について調べています」と書いてありました。LNT仮説というのは直線しきい値無し仮説。被曝の線量に下限はないという説です。

── 朝日新聞がスクープした『吉田調書』を読むと福島原発事故の時、菅首相の対応は必ずしも間違っていなかったように思います。むしろ、事故当時、問題をこじれさせたのは、首相官邸と事故現場のコミュニケーションを仲介していた東京電力の武黒一郎フェロー(現国際原子力開発株式会社社長)の対応のようにも思えますが、東電時代に武黒さんをご存知でしたか?

菅さんついては私もそう思います。事故当時、菅さんの行動には頭に来ていたけれど、いまふりかえってみるとよく対応してくれたと思います。武黒さんとは直接仕事をしたことはありません。

ただ、社内の話を聞く限り、「話が通りやすい人」だとは聞いていました。武藤さんもそうですが、東電で「できる人間」というのは、役人の言うことをよく聞く。とにかく役人には「はい」という。役人の言い分が間違っているとわかっていても反論せずに一旦引き下がる。

ずいぶん以前の東電の元副社長で初期の原子力部門トップだった豊田正敏という方がいます。いま90歳ぐらいの方ですが、事故の最中、武黒さんが彼に会いに来たと週刊誌の記事で以前、語っていました。武黒さんは豊田さんに「こんなの二、三日で止めさせてみせますよ」と言って、官邸に向かったそうです。

◆被害はチェルノブイリより酷くなる

── でも、実際は二、三日どころか、二、三年経っても、酷い状況が続いています。

「現実的な回答がない」というのが事実でしょう。どういうことかというと、汚染があまりにも酷く広範だということです。放射能汚染が福島県だけではなく、もっと広範囲。福島県だけならば、行政は福島に限定して汚染対応をすればいい。しかし、現実は首都圏まで汚染されている。さらに新潟などまで入れだしたら、日本列島の半分ぐらいは汚染されていて、行政は対処しきれない。本州だって汚染範囲は必ずしも東日本だけではない。西日本も汚染されているでしょう。名古屋あたりでは突然死が出てきています。大阪などでも顔が焼けたように赤くなるベータ熱傷が多数出てきている。もっといえば、九州、ここ熊本だってなんらかの核汚染が出てきています。

◎[参考リンク]大熊町内の土壌汚染調査結果のお知らせ(大熊町役場会津若松出張所2011年6月30日付)

福島から出た放射能は公式にはチェルノブイリの7分の1とされています。これはウソなんですが、「公式発表」ではそうなっています。しかし希ガスの発生量はチェルノブイリより福島の方が公式でも多い。公式発表の数値を百歩譲って認めたとしても、福島土壌の最汚染のレベルはチェルノブイリと変わらないかむしろひどいといえます。したがって被曝の被害は日本でも絶対に出る。しかも土壌汚染の度合いが同じに加えて、日本の方が被爆地の人口密度は格段に高い。それを加味すれば、被害はチェルノブイリより酷くなると公式発表からでもそういえます。

放出量で何倍だったのかの論議をすると水掛け論になってしまう。でも、実際の土壌汚染で見れば最も汚染レベルが高い最汚染地帯の値はセシウム137でチェルノブイリが1800万ベクレル。対して福島の大熊町は3000万ベクレルです。公式発表でも最高土壌汚染値では福島の方が高いです。[つづく]

 

ブログ「院長の独り言」 

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて] (構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

 

◎onodekitaさんこと小野俊一医師200分インタビュー![全8回]

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(2014年9月15日)

《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(2014年9月17日)

《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(2014年9月19日)

《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(2014年9月21日)

《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(2014年9月24日)

《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」(2014年9月26日)

※《07》《08》は近日公開予定!

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌 『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

「朝日新聞叩き」で進行する「原発事故の本質」隠し

断言する。吉田調書、慰安婦報道問題で朝日新聞に対する批判は全く不当だ。双方の問題に共通するのは、細部に誤報があったのは事実にしても、それによって報道被害を受けたのが一体誰であるかという視点での批判、報道が決定的に欠落している点である。

私は朝日新聞の信者でも擁護者でもない。破格の給料を得て、エリート面した一部の朝日新聞記者の顔を思い出すと庇ってやるのは気が引ける。しかし朝日新聞を攻撃する陣営(安倍、読売新聞、産経新聞、週刊文春、週刊新潮)の攻撃論拠には全く同意できないし、明確な悪意に満ちている。攻撃者が批判したいのは「朝日新聞」自体ではなく、慰安婦問題、原発問題における「朝日新聞的主張」ではないのか。

吉田調書の扱いなどそもそも勘違いしようが、しまいが何一つ未来が変わることがない枝葉末節の問題だ。産経だって朝日に先立ちネット記事に吉田調書の要約を掲載していたし、その中には「これが産経の記事か!」思われるような記述もあった。9月12日の朝刊に「吉田調書」の全文が掲載されていたので読んだ。やはり枝葉末節の勘違いに過ぎない。これによって市民が傷つくことはない。

◆原発事故の本質をなぜ放置する?

そうだ。留意すべきは、この報道により、一体誰が傷つくとかということである。困るのは東電と国だけではないのか。しかもそれがどのような経緯であったにせよ、争われている事実関係は、既に3年前のことであり、その時に作業員が福島第二に退避していようが、いまいが今日の惨状になんら影響するものではないではないか。

事故検証の間違いを指摘するならば、「政府事故調査委員会」(畑村洋太郎会長)が「個人の責任は問わない」として始めた事故調査のあり様を批判した報道機関がどれほどあったというのか。航空事故や食中毒で国の「調査委員会」が発足すれば、必ず責任者や問題点を特定する。そして警察や検察が責任を追及する。そうしなければ「調査委員会」の意義はないから当然だ。だが、原発事故の「政府事故調査委員会」は当初より個人責任の追求を放棄して調査を行った。そんな調査のどこに意味があるのかという議論は、今回の朝日新聞叩きに比べれば行われなかったに等しい。

大手全国紙、地方紙、週刊誌などがこぞって朝日批判を展開しているが、それよりも現在も連続的に進行している原発事故の本質をなぜ放置するのだろうか。今回、ここぞとばかりに朝日新聞批判に熱心な勢力は、原発推進の旗色を明確にしているメディアが中心だ。

慰安婦問題も同様である。週刊誌は「1億人が被害者」などと書き立てるが、バカもいい加減にしろだ。吉田発言が虚構であっても、それを凌駕する日本軍自体の公式文書や当時の政府文書で「慰安所」設置が行われたことは既に立証済みであり、吉田清治発言は傍証に過ぎない。政府の公式見解だって「慰安婦」の存在を認めている。朝日新聞叩きに熱心な連中は吉田発言を朝日が掲載したことよりも、「従軍慰安婦」は無かったことに葬り去ろうという本音を隠さない。桜井よし子など右派の論客を多用して「この国の誇り」だの「自尊心」だのを相も変わらず繰り返しているが、この国の「ホコリ」を問題にするのであれば、東日本、いや世界中に拡散した放射性物質の「ホコリ」をなぜ取り上げないのだ。

◆「朝日叩き」が示すのは日本社会の「戦時下」状態

奇しくも同姓の「吉田」発言が引き金となって異なる2つの事件で総攻撃を受けている朝日新聞。でもこの2事件には共通点がある。

まず加害者とされる立場の者がいずれも国である点。次にその被害者に対して加害者は保障を頑なに拒み続けている点、さらにいずれも国民を騙しながら進められ詭弁によって正当化を図ろうとしていた欺瞞に満ちた国策である点である。

つまり、メディアが結託して国が犯した、裁ききれないほど重大な犯罪を「無かったもの」に仕立て上げようとする大規模な世論操作・誘導であるのだ。

朝日新聞を叩くのであれば、その社名の後ろにはためく旭日旗のような社章をいまだに使い続けていることや、2011年に福島県健康リスクアドバイザーとしてわざわざ長崎から着任し「100ミリシーベルト以下は安全」と大嘘をのたまった山下俊一(現福島県立医大副学長)に「日本癌大賞」を授けたことこそ指弾されるべきだ。

体制派マスコミにそのような視点は見当たらなし、今後も期待するのは無理であろう。言論も既に「戦時下」状態に置かれていることを示したのが今回の朝日新聞叩きの本質と見るべきだ。

(田所敏夫)

 

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌 『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

広瀬隆もやって来る! 8月31日たんぽぽ舎25周年集会にご参加を!

東京・本郷で8月31日(日)、たんぽぽ舎の設立25周年集会が開催され、広瀬隆さんとアーサー・ビナードさんが記念講演を行なう。

80年代末、朝日新聞が「現代のノストラダムス」などと広瀬さんを揶揄していたが、朝日の意図とは別に広瀬さんの予言は3.11で当たってしまった。

アーサー・ビナードさんはベン・シャーンのペン画とコラボした、第五福竜丸の絵本「ここが家だ」(2006年集英社)がなにより素敵だ。松岡正剛が「千夜千冊」(1207夜)で評しているように、確かにこれは「日本人がしていないこと」だった。

◆汚染食品測定活動が起源のたんぽぽ舎

たんぽぽ舎の歴史は1989年に遡る。1986年4月26日にソ連(現ウクライナ)で起こったチェルノブイリ原発事故をきっかけに世界各地の農産物や食品への放射能汚染が問題となった。チェルノブイリから8000キロ離れた日本でも放射能の影響は出ていたし、欧州で加工生産されたパスタなどの輸入食品も日本に大量に輸入されていた。

事故からちょうど1年後の87年4月26日に刊行された広瀬隆さんの『危険な話・チェルノブイリと日本の運命』(八月書館)でもこの問題は取上げられていて、以後、日本でも食の問題を含めての「脱原発」運動がマス・レベルで高まりを見せた。

そうした流れの中で当時、東京都・区職員の労働組合有志が「都労連原発研究会」を結成し、食品放射能測定器を購入した鈴木千津子さんとともに市民に開かれた食品汚染の調査計測スペースを作った。これに小泉好延=市民エネルギー研究所代表や藤田祐幸=慶応義塾大学助教授(当時)といった多数の専門家が協力・支援し、たんぽぽ舎としての活動が89年に始まった。

その後は「脱原発法」制定、劣化ウラン弾廃止の実現をめざす市民運動も展開し、核と原発に関わる事故や事件が起こる度に、ゆるやかだが柔軟なネットワークで活動してきた。

3.11直後もいち早く東電本店前で情報公開を訴えた。同時に「地震と原発事故情報」のメルマガを日刊で発行し、いまも毎日有益な情報を発信し続けている。こうした活動の歴史については、たんぽぽ舎の沼倉潤さんが『NO NUKES voice』創刊号で報告しているのでぜひ一読してほしい。

◆フツーの人たちだって、事故の真相は正確に知りたい!

『NO NUKES voice』創刊号では、他にもたんぽぽ舎の主力メンバーの山崎久隆さん(福島原発市民事故調査委員会)と柳田真さん(再稼働阻止全国ネットワーク)が記事を寄稿している。

山崎久隆さんの報告は、福島第一原発の現況、特に汚染水と電気系統での対策不備を検証し、国と東電の現行対策がいかに駄々漏れ状態かを鋭く指摘している(「『フクイチ』の現実と未来」)。

一方、柳田真さんは国と電力側が再稼動にこだわる理由と全国各地再稼動反対運動の活動を報告している。(「再稼動は放射能汚染と原発大事故を招く」)

普段、運動に関わっていないフツーの人たちだって、事故の真相は正確に知りたい。それをきちんと公開しない国だから、たんぽぽ舎のような市民ネットワークが不可欠なのだ。

首都圏の心ある皆さん、今週日曜は広瀬隆さんらと共にぜひ、たんぽぽ舎の集会にご参加を!

《たんぽぽ舎25周年集会概要》
○会場:全水道会館(JR「水道橋」駅東口下車2分)
○日時:8月31日(日)13:15開場
第1部 13:40より 講演とお話    アーサー・ビナードさん、広瀬隆さん
第2部 懇親会 18:00から20:00まで
○参加費:記念講演 当日1200円(前売りチケット1枚1000円)
懇親会 ?  ? ?  2000円
○主催・問合せ:たんぽぽ舎 TEL 03-3238-9035 FAX 03-3238-0797
http://www.tanpoposya.net/main/index.php?id=2018

 

(本間 解)

『NO NUKES voice』創刊号8.25発売開始!