「カウンター大学院生リンチ事件」(「しばき隊リンチ事件」)から10年(下)──あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う 鹿砦社代表 松岡利康

くだんの大学院生リンチ事件は、私たちにいろんなことを教えてくれた。元々私は、いわゆる「知識人」もマスメディアも司法(裁判所)も、これまでも数多裏切られてきたことで信用はしていなかったが、このリンチ事件でそれが決定的になった。

◆「知識人」の醜態

このリンチ事件をめぐっては多くの「知識人」が蠢き右往左往してきた。それはそうだろう、「反差別」運動の旗手として自分たちが崇めてきた李信恵とこの親衛隊と言ってもいい者らが、思いもよらない凄惨な事件を起こしたのだから──。

李信恵ら事件現場に連座した者らは一夜明けて、おそらく胸中では『しまった!』と思ったに違いない。実際に五人のうち李信恵ら3人は「謝罪文」を被害者М君に提出し「活動自粛」も約束している。

また、その「反差別」運動を支援したり、なんらかの形で関わった者らは『なんてことをしてくれたんだ!』と愕然としたり絶望したりしたに違いない。当初、この事件を知った辛淑玉は「Мさんリンチ事件に関わった友人たちへ」と題するステートメント(全7枚)を公にしている。のちに撤回することになるが、おそらく事件を知ったショックから執筆した本音だろう。

しかし彼らはこぞってそれを反故にし活動を再開した。ここには人間としての良心の欠片もない。

在日の「知識人」として著名な辛淑玉は、なぜここで踏みとどまらなかったのか、ここに大きな錯誤があり、被害者М君を絶望のどん底に落とした。加害者らに影響力のある彼女が踏みとどまり、厳しく対処していれば、また違った展開になっていただろう。

加害者らと近い、当時参議院議員だった有田芳生や作家で法政大学教授の中沢けいらは事件直後来阪し善後策を練っている。特に有田は事件当日の午後に来阪している。これは偶然だろうか?

「知識人」として加害者らに信頼が篤く「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長だった岸政彦(当時龍谷大学教授。現京都大学教授)は、当初コリアNGOセンターが行った、加害者への事情聴取にも立ち合い、彼の立場からして事件の内容をよく知ったはずだし、人間として研究者として、また「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長として厳正に対処すべきだった。岸が厳正な姿勢を貫けば、彼の株ももっと上がり、事件後の展開ももっと違ったものになったはずである。責任ある立場にあった彼がどう考えているか、みずからの意見を表明しないので鹿砦社特別取材班は彼の研究室(龍谷大学)を訪れ直撃し問い質したが右往左往するばかりだった(この時の彼の発言と画像は『反差別と暴力の正体』に掲載)。

取材班の直撃取材に慌てふためく岸政彦

ちなみに鹿砦社特別取材班は、岸の他に有田芳生、中沢けいらにも直撃取材している(『人権と暴力の深層』に掲載)。

さらに、いわゆる「知識人」として取材を試みたが逃げられた者に師岡康子弁護士、精神科医・香山リカらがいる。

師岡は俗に「師岡メール」(『暴力・暴言型社会運動の終焉』に全文掲載)と言われるメールをМ君の知人・金展克に送り、М君が刑事告訴しないように説得してほしいと依頼している。М君は事件後しばらくは刑事告訴を躊躇したが、加害者らの態度に誠意が見られなかったことなどでやむなく刑事告訴に踏み切った。その後、加害者5名や彼らを支援する周囲の者らは開き直り謝罪文を反故にし活動自粛の約束を破った。さらには、あろうことか加害者と連携する者らによってМ君に対する激しいセカンドリンチが本格化する。

ここで師岡はリンチ被害者М君について「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者」と言って憚らない。なんという「人権派弁護士」だろうか? 真の「反レイシズム運動の破壊者」は、集団リンチを行った者だろうに。

また、香山リカに至っては、精神科医とは思えない対応をした。私たちはまず加害者と何らかの関係がある者らと共に彼女にも質問状を送ったが返答が来ないので、彼女が業務委託している事務所に電話で慇懃丁寧に取材を申し込んだところ取材班のスタッフに電話を「ガチャ切り」されたと嘘をツイートしている。密かに録音されていることもあるので、取材班は殊更慇懃丁寧に電話し、その場に私もいたが、「ガチャ切り」は真っ赤な嘘である。

そうして、質問書を「どこに送付したか、書いてみては?」と言うから正直に送った住所をSNSに書いたところ、本当に書くと思わなかったらしく、しばらくして神原元弁護士から削除要請の電話があった。

さらには、鹿砦社が裁判を起こし「小口ビジネスモデルに活路を見出した」と大ウソをついている。確かに鹿砦社は1995年頃から訴訟まみれになりながらも億を越す資金を費やし闘ってきた。しかし、それで儲けたことはなく、逆に神経を擦り減らし資金を注ぎ込んだだけで「小口ビジネス」などにはなっていない。さらに香山は「嫌がらせされ続けている」とか「『リンチ』ですらなかった」とか「鹿砦社の罪は重い」とか言い放っている。私たちは香山に「嫌がらせ」など続けていないし、香山は判決文を読んだのか、「『リンチ』ですらなかった」ということが妄言で、「罪が重い」のはリンチ事件を隠蔽し、よって被害者М君がPTSDに苛まされていることに手を貸した香山のほうこそ「罪は重い」! 特に香山は精神科医だから、暴力で、未来を嘱望されていた某国立大学大学院博士課程(当時)のМ君の人生を台無しにしたリンチ事件の重みが解っていないのか、精神科医・香山の見識と人間性、精神科医としての資質と職責を問う。

ここでは紙幅の都合上リンチ事件に蠢いた数人を採り上げるにとどまったが、これらの他にも弾劾されるべき人物は決して少なくはない。血の通った人間ならば、胸に手を当てて虚心に反省すべきだ。

◆報じるべき問題を報じないメディアの責任

大小を問わず、本件リンチ事件を報じたメディアは唯一鹿砦社のみだった。『週刊実話』がコラム記事で小さく採り上げたが、加害者らとつながる者による激しい抗議で謝罪した。以来、被害者と鹿砦社へのメディアの援軍は遂に現れなかった。SNSで、この問題に言及する者がいたにすぎない(主に右派とされる者)。

メディアは、朝日新聞はじめほとんどのマスメディアが李信恵を「反差別」運動の旗手として持ち上げてきた手前か、真相が明らかになってきた段階でも無視した。つまり、言ってしまえば犯罪に加担したと言っても過言ではない。メディア、特に大手新聞は社会の木鐸ではなかったのか?

М君や鹿砦社は何度も司法記者クラブに記者会見を申し込んだが、一切拒否された。一方加害者らの記者会見はすんなりと何度も開かれた。リンチ事件の真相が明らかになった段階でも、大手新聞は李信恵の活動や生き方を美談として採り上げ続けた。ジャーナリズムの見識を疑わざるをえない。

特に、当時朝日新聞の大阪社会部記者だった阿久沢悦子は、М君が同紙で事件を採り上げてもらえると期待したが裏切られた。阿久沢記者は「浪速の歌う巨人」と自他称される趙博を紹介し、体よく貴重な資料を趙に渡す。趙は一時は私たちと共闘を約束し一献傾けたが、突然掌を返す。当時まだ公になっていないA級資料ばかりだ。この資料はどこへ行ったのか? まさか権力の元に渡されたのではないか、という危惧が絶えない。趙は、いろんな運動や組織に顔を出し、こうした行為を行っていると聞く。ある党派では「スパイ」視されているそうだ。阿久沢にこうしたことを聞き質そうとしたら、またもや逃げられた。いやしくも朝日の記者ならば、堂々と私たちの取材に応じよ!

メディアで言えば、これに出入りする「ジャーナリスト」と称される者らも責任を問われるべきだ。特に事件の詳細を知る安田浩一、西岡研介らは逃げないだけましだが、終始加害者側に与した。安田は李信恵と公私ともども深い関係にあるとされるし、西岡は先の『週刊実話』謝罪問題に関わったとの情報がある。

いずれにしろ、メディアが事件隠蔽に手を貸し、いまだに李信恵を持て囃し立てていることは大いに問題だと言わざるをえない。

ジャーナリストで本件事件に関心を寄せ被害者に寄り添ってくれたのは山口正紀(故人)、北村肇(故人)、黒薮哲哉、寺澤有ぐらいである。それも私たちが出版した本を渡したりして説明してからだ(私たちとて事件から1年余り経ってから知ったのだが)。加害者側の隠蔽活動が成功したということだろう。それでも事件を発見し社会に摘示するのがメディアの責任だと思うのだが……。

◆果たして司法(裁判所)は公平・公正なのか?

誰しも司法(裁判所)は「憲法の番人」で公平・公正だという神話を信じている。果たしてそうか?

本件一連の裁判闘争に関わるまでは、私もまだその神話をわずかながらも信じていた。だが、一連のリンチ事件関連訴訟を体験する中で、その神話が完全に崩れた。

おそらくリンチ被害者М君も、ようやくしっかりした代理人が就き司法(裁判所)への期待が大きかったようだし、完全勝訴を信じてやまなかった。

ところが、その期待はあえなく裏切られる。

M君が加害者五人組を提訴した民事訴訟、一審大阪地裁は、李信恵がМ君の胸倉を掴み一発殴り(ここのところが、グーなのかパーなのか激しいリンチで記憶が定かでないことを衝き、これは認められなかった)集団リンチへの口火を切ったにもかかわらず免責された。

刑事でも同様だ。なにか在日の李信恵に対して躊躇や遠慮が感じられた。李信恵のみならず、伊藤大介、松本英一らについても同様だ。伊藤は一審では賠償が認められたが控訴審では一転免責された。この訴訟の経過については、山口正紀(故人。元読売新聞記者)の長大なレポート「〈М君の顔〉から目を逸らした裁判官たち──リンチ事件・対5人訴訟“免罪判決”の構造」(『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載)をぜひご一読いただきたい。

結局、高裁で賠償が認められたのは金良平に113万円余プラス金利、一発だけ殴った凡に1万円だけで、あとの3人は免責されるという非常識極まりない判決だった。軽微な判決と断ぜざるを得ない。さすがに裁判所も全面免責というわけにはいかなかったのか、李信恵ら3人だけを免責し、金良平と凡にのみ賠償を課しお茶を濁したということだろうと思う。

また、М君の裁判闘争への応援の意味もあって、鹿砦社は李信恵を訴え、さらに3年間鹿砦社に入り込みほとんどの就業時間に本来の業務を怠りネットで活動を続けたカウンター活動家・藤井正美も訴えた。これらについて李信恵、藤井正美ともに反訴し(李、藤井両人の代理人は神原元弁護士)、鹿砦社の請求は一部は認められたがほぼ棄却され、一方鹿砦社は李信恵に110万円(一審は165万円。控訴審で減額)、同藤井に11万円の支払いが命じられた。

各々の訴訟の詳細は省くが、不公平・不公正感は否めない。特に対藤井訴訟では、あれだけの職務怠慢を平気な顔をして続けながら免責、逆に多大な被害を被った鹿砦社に賠償を課すという非常識な判決だった。この訴訟、鹿砦社の代理人は森野俊彦弁護士、司法を裁判所の中から変えようと「日本裁判官ネットワーク」で現役の裁判官時代から活動され顔を出して会見をされたりしていた。裁判所としては愉快ではない存在だったのだろう、当初からとっちめてやろうという敵意さえ感じられた。

ともあれ、私たちが「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、俗に「しばき隊リンチ事件」といわれる本件から10年が経過した──。

人生を狂わされたМ君にはМ君なりの想いがあろう。事件が隠蔽され1年余り経ってから関わった私にも私なりの想いがあり、その一部を申し述べさせていただいた。
それにしても、なぜ「知識人」は逃げたりメディアは報じなかったり裁判所は真正面から傷ついたМ君に向き合わなかったのか ── なんらかの〈意志〉が働いているとしか思えない。私たちの後から関わってくれた黒薮哲哉が指摘するように一連の訴訟は、司法当局が管理する「報告事件」かもしれない。闇は深い。(本文中敬称略)

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「カウンター大学院生リンチ事件」(「しばき隊リンチ事件」)から10年(中・補)── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う 鹿砦社代表 松岡利康

昨年2月以来、くだんの大学院生リンチ事件の主たる暴行実行犯・金良平(ハンドルネーム・エルネスト金、略称エル金)が鹿砦社と森奈津子さんを提訴し係争中のところ、私たちの代理人を務めていただいていた内藤隆弁護士が、去る1月6日急逝された。

内藤弁護士には1996年以来約30年近く、主に東京での訴訟や法律問題でお世話になった。最初の案件は、大相撲の八百長問題で日本相撲協会から東京地検特捜部に刑事告訴された件だった。内藤弁護士のご尽力で不起訴となった。

また、大手パチスロメーカー・アルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)からの、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧事件の民事訴訟をご担当いただいた。損害賠償請求額、なんと3億円! 最終的には600万円で確定したが、私たちは減額されたとはいえ不当判決と認識している。刑事事件のほうは懲役1年2月、執行猶予4年で確定した。これも不当判決だ。これにも弁護団の一員として名を連ねていただいた。

ちなみに、刑事事件で主任弁護人を務めていただいた中道武美弁護士も、一昨年亡くなられた。謹んでお二人のご冥福をお祈り申し上げ、大学院生リンチ事件の‟延長戦”として係争中の対エル金訴訟勝利の決意を固めるものである。無抵抗の大学院生М君に長時間卑劣な暴行を加えた徒輩に負けるわけにはいかない。

リンチ直前の加害者ら(左から李信恵、金良平、伊藤大介)

◆社会運動内部における暴力の問題 ── 私の体験から

前回、反差別運動や学生運動など社会運動内部における暴力の問題について私的体験を少し記した。もう少し詳しく聞きたいというリクエストが複数あった。ここに私が本件リンチ事件に、被害者の大学院生М君の側に立って関わった要因もあると思うので、私がなぜ金良平らによる集団リンチ事件に怒り、なぜ真剣に取り組んだかを、予定を変更して今回、前回の「中」を補完するもの(「補」)として申し述べておきたい。

私は1970年(昭和45年)に大学に入ってから、当時の多くの若者同様、ノンセクトの学生運動に関わった。最盛期(1968年~69年)は過ぎたとはいえ、まだ集会やデモには多くの若者が参加していた。そして、運動内部における暴力事件を直接的、間接的に体験したり見聞きしてきた。

なにより私自身が対立する日本共産党(以下日共と略記する)・民青(日本民主青年同盟の略。日共の学生青年組織として当時権勢を誇った)のゲバルト部隊に襲撃され1週間ほど入院した経験がある。

1971年春、大学3回生の時だ。早朝3人でビラ撒きをしようとしていた矢先、突然に多勢の短い角材を持った集団に急襲された。たった3人なので捕捉され袋叩き、激しいリンチを受けた。しばらくして助けにきた仲間によって近くの病院に運ばれた。この前年師走には、のちにノーベル賞を受賞する作家の甥っ子で同じ自治会の先輩が、やはり同じ日共のゲバルト部隊によってリンチされ一時は医者も諦めたほどの危篤状態になった(奇跡的に回復)。

2件目は、時々ビラ撒きで顔を合わせていた中核派の活動家だった大学の先輩、正田三郎さんが、71年暮れ、泊まり込みで支援に行っていた関西大学で深夜、当時内ゲバを繰り広げていた革マル派の秘密部隊に襲われ、仲間の京大生Tさんと共に亡くなった事件を知った時には動転した。私が日共ゲバルト部隊に襲われて半年余り後のことだった。

3件目。私は大学時、定員30名ほどの小さな寮にいた。先輩に藤本敏夫(故人)さんがいる(私が入った時にはもういなかった)。

私が在学中(70年代前半)は、比較的平和な時期だったが、卒業後(70年代後半)、学生運動は混乱と対立、分裂の時期になる。私のいた大学や寮も、それに巻き込まれ、遂には学友会、自治会の解散ということに繋がっていったが、79年3月、突然深夜に対立する勢力に襲撃され寮生が監禁され椅子に針金で縛られ激しいリンチを受けているという連絡があった。

寮母さんは、お母さんの時代(戦前)から母子で寮に住み込みで働いており学徒出陣で戦地に赴く学生を見送ったという。だからすごく反戦意識の強い方でデモに行かず寮に残っている寮生には「なんでデモに行かないの?」と叱責されたというエピソードがある人だった。私が学費値上げ反対闘争で逮捕された際には身元引受人を買って出てくれた。

79年3月31日で退職という直前の3月19日、黒百人組(この組織の創設者は元社民党代議士Hだ)的グループによる武装襲撃事件は起きる。寮母さんから悲痛な電話があり、仕事も途中で抜け駆け付けた。そして、後日開かれた寮母さんの退職記念会には、生前の藤本敏夫さんも駆け付けた。

4件目は、前回も触れた「八鹿高校事件」である。70年代、部落解放運動をめぐって部落解放同盟と日共は激しい対立関係にあった。新左翼系は、反日共という立場から解放同盟を応援していた。私たちもそうだった。ところが、私と一緒に自治会運動に関わり、いろいろ指導してくれた先輩が、卒業後教師になり、赴任した高校が、なんと兵庫県立八鹿高校だった。

私の先輩は反日共系だったので、当初日共から殴られたと思っていたが、事実はそうではなく解放同盟からだったので私も混乱した。この情報は水面下で同志社関係者に広まった。この事件で同志社では解放運動は浸透しなかったと私は思っている。先輩が、社会的に大きな話題となったこの事件に巻き込まれ激しいリンチを受けたことを知った時には大きなショックを受けた。いつかネットで凄絶な暴行を受けている場面(裁判資料)を見た時のショックは言葉にならない。

こういうことも、かつては解放同盟の行き過ぎた糾弾闘争もあって表立っては言えなかった。部落解放運動、この中心的担い手組織・部落解放同盟も、時代と共に社会が、こうした暴力を排除する雰囲気になるにつれ、このことを反省したからか、現在ではこうした暴力によって糾弾することをやめている。

かつて解放同盟による糾弾闘争がまだ収束していないさなか、私は出版企画で、当時の解放同盟の幹部であった師岡佑行氏(京都部落史研究所所長。故人)、土方鉄氏(作家で『解放新聞』編集長。故人)の対談をやったことがある。お二人は公の建物である京都部落史研究所内で大声で糾弾闘争を激しく批判され、組織内部に向けても暴力的な糾弾闘争の是正を訴えられていたそうだ。その後、お二人の努力は報われていき、今では(完全ではないが)、解放同盟が糾弾闘争を行うことはなくなった。

さらに、これは私が直接体験したわけではないが、1972年に早稲田大学で起きた川口大三郎君リンチ殺人事件で、昨年映画にもなり話題になった。この大学を暴力的に支配していた革マル派が、文学部の自治会室で、川口君を対立する党派の活動家と見なしリンチ殺人を行った事件だ。

なぜ私がこの事件に戦慄を覚えたかというと、私が通っていた高校は大学の付属高校だったが、この上部の大学が革マル派の拠点で、当時隣接していた女子大もそうだった。両大学とも地方組織ながら、革マル全学連の中央委員を出していたほどの強固な拠点だっだ。

日常なんらかの形で接していたので、この革マル派に違和感はなかった。そして、私は早稲田大学の文学部を第一志望で受験し、地方出身者は素朴なので身近な党派、その大学の主流派の組織に入りやすく、おそらく私は早稲田の文学部に入っていれば革マル派に入り、そのリンチ事件に関わったのではないかと震え上がった。幸か不幸か早稲田には落ちて、殺人犯にならずにすんだ。

この時の、その大学のキャップは草創期からの黒田寛一(故人。同派の創設者)の愛弟子で、九州の同派のトップをも務め、中核派に襲われ、半身不随の障がい者となりその後の人生を送り数年前に死亡した。

◆リンチに連座した者、加害者を擁護した者、被害者を追い詰めた者、事件を闇に葬ろうとした者らを許してはならない!

M君に対する集団リンチ事件の件で相談があった際に、前述したようなことが心の中を過り、「これもなにかの縁、この若い研究者の卵を助けてやらないといけないな」という気持ちになった。

この集団リンチ事件を顧みるに、民主主義社会を自認する、この国の社会運動から暴力はなくなっていなかったということだ。あれだけの凄惨なリンチを行っていながら金良平らは、あろうことか、いったん出した謝罪文を反故にし、約束した活動自粛も撤回し開き直った(このことが被害者М君に更に大きな精神的打撃を与えた)。「エル金は友達」なる村八分運動もなされ、これもМ君の精神を追い詰めていったことはМ君本人が言っている。挙句、リンチの場に連座した伊藤大介はのちに、深夜右翼活動家を呼び出し暴行に至り有罪判決を受けている。

金良平近影。今でも現場で凄んでいる
リンチ被害者М君を精神的に追い詰めた村八分運動「エル金は友達」
同上

金良平の蛮行は、厳しく弾劾されるべきであり、真摯な反省もなく開き直り、被告(森奈津子さんと鹿砦社)らによってみずからの犯歴が暴露されたと、被害者顔して提訴に及んだことは全く遺憾至極だ。М君は、金良平による長時間にわたる激しい暴力によって人生が狂わされたことを決して忘れてはならない。

ことは金良平にとどまらず、このリンチの現場に連座した李信恵ら4人、さらには加害者に加勢し事件の隠蔽に努めたり被害者М君を精神的にも追い詰めた徒輩(有田芳生、岸政彦、中沢けい、香山リカ、安田浩一、神原元、辛淑玉、野間易通、師岡康子ら)の所業を決して許してはならない。リンチ事件は、たとえ10年経ったにせよ、本質的にはなんら終わってはいないのだから──。(本文中、一部を除き敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》  

M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)から10年 ── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う(中) 鹿砦社代表 松岡利康

去る12月17日、標記事件から10年が経った。この日、私はリンチ被害者М君に仕事が終わった頃を見計らって電話した。М君は、やむなく研究者生活を離れ今は給与生活者を送っている。電話越しの声は元気そうだったが、彼の10年を想起すると胸が詰まる。

李信恵ら加害者、仲間、つながる者、蠢いた「知識人」と呼ばれる者(特に岸政彦〔当時李信恵さんの裁判を支援する会事務局長にして龍谷大学教授、現在京都大学教授〕、中沢けい〔作家〕、安田浩一〔ジャーナリスト〕、有田芳生〔国会議員〕、師岡康子〔弁護士〕、香山リカ〔医師〕)らは一体このリンチ事件を血の通った人間としてどう思っているのだろうか──あらためて問い質したい。

◆この国の社会運動から暴力はなくなっていなかった!

この事件を初めて知った時の第一印象は、時代が逆戻りしているかの錯覚に陥ったことだ。かつて戦後民主主義の揺籃期には連合赤軍事件を筆頭として社会運動内部における暴力事件は数知れずあった。当時の人気作家・高橋和巳は『内ゲバの論理はこえられるか』に代表されるように、その運動内部の暴力に対して積極的にコミットし、実際に解決に向けて動いた(が、彼の志に反し内ゲバは激化し100人を優に越す死者を出した)。

しかし、1972年初頭の連合赤軍リンチ殺人事件を頂点として、内ゲバ(内部暴力)に対する嫌悪が、この社会に浸透し、内ゲバもいつしかなくなっていったように思える。

そこには運動内部とこの担い手、また社会全体がそうした暴力を忌避する良識的な動きがあったことは私の体験としても理解してきたつもりである。

だから、このリンチ事件を知った時、その凶暴性、これから来る悲惨さ、残酷さを思い知り、絶望感に苛まれた。

この民主主義社会にいまだにこんな事件があったのか、そしてこの中心的人物=李信恵は、この国の「反差別」運動の象徴として、つとに知られる人物だ。現今のこの国の社会運動、長い歴史を持つ「反差別」運動は一体どうなっているのか、疑問に感じられた。連合赤軍事件、内ゲバ、部落解放運動などにおける暴力的展開、この帰結と反省によって、社会運動から暴力を排除してきたはずではなかったのか?

個人的ながら、私は大学に入ってからそうした事件を直接的、間接的に見聞きしてきた。特に部落解放運動にあって、私と一緒に自治会運動に関わり、いろいろ指導してくれた先輩が、卒業後教師になり、赴任した高校(兵庫県八鹿高校)で社会的に大きな話題となった事件に巻き込まれ激しいリンチを受けたことを知った時には大きなショックを受けた。いつかネットで凄絶な暴行を受けている場面(裁判資料)を見た時のショックは言葉にならない。こういうことも、かつては表立っては言えなかった。

民主主義社会を自認する、この国の社会運動から暴力はなくなっていなかったのか──。

◆人はかくも凶暴になれるのか ── 加害者らの暴力的体質

本件大学院生リンチ事件の加害者側5人、特に金良平(通称エル金)、李信恵、伊藤大介らの凶暴性には驚く以外になかった。李信恵など、前記したように、この国の「反差別」運動の象徴的人物としてつとに知られ、その人物が関わり、リンチの最中にも平然とワインを飲み、これをツイッターで発信するという神経が私には理解できない。危うく、この国の「反差別」運動が崩壊しかねない事態だったことの自覚はあったのか、あるいは加害者側の周辺の者らもそうだ。

リンチ直後の被害者M君の顔写真。これを見て何も感じない者は人間ではない!
リンチ直後の被害者M君の顔写真。これを見て何も感じない者は人間ではない!

だから、真摯に反省することなく、逆に開き直り隠蔽に走ることになったのだろう。事件の隠蔽は1年余り成功したが、こういうことはいつかは明るみに出るものである。

われわれはこの事件に一人の人間として関わることを決意し、できうる限りの調査と取材に動いた。前回私を「デマゴギスト」呼ばわりする者のことを書いたが、そう呼ばれないようにわれわれは動いたのだ。そこで多くのことがわかり、6冊の出版物にまとめ世に問うた。この際、表に出さなかったディープな情報も少なからずある。「反差別」「人権」を謳う運動にしては、到底目を向けられないことも多かった。いわゆる「プライバシー」とやらに配慮し、あえて表にしなかったことも少なからずあった。

今、思うと、無慈悲に長時間も大学院生(当時)М君に対し凄惨なリンチを加え、挙句救急車もタクシーも呼ばず放置して去った者らに配慮する必要があったのか? М君は本件で人生を狂わされ、いまだにリンチのPTSDに苦しんでいることを想起すれば、そうした徒輩に対して配慮する必要などなかったと、一種反省さえしている。変に配慮したことで、非人間的な徒輩を生き長らえさせてしまったのではないか──。とはいえ、それらをここで暴露するかどうかは今は保留する。
 
昨年(2024年)はじめ、くだんのリンチ事件の主たる暴行実行犯の金良平が、みずからの犯歴を暴露されたとして鹿砦社と作家・森奈津子を提訴した。「М君にあれほどの激しい暴行を加え人生を狂わせた男が何を言ってんだ?」──このことで私は、М君リンチ事件の悪夢を思い出し、ちょうど10年になることもあり、いろいろ思慮せざるをえなかった。

一昨年来、金良平と森はX上で応酬し、金良平の瞬間湯沸かし器的な性格から、М君へのリンチのようなことをやりかねないことを強く懸念し刑事事件の略式命令書のコピーを森に送った。すでに公知の事実であり、森はこれをXにアップし金良平の脅しも止んだ。

この提訴に触発されて、最近の金良平の言動をつぶさに見聞きし、また提出された金良平の準備書面を見るに、あれだけの残忍な集団リンチ事件(金良平らは「リンチ」という言葉が嫌いなようなので、暴行傷害事件でも表現はなんでもいいが)を起こし、その中心になって被害者の大学院生(当時)М君に激しい暴力を行使しながらなんら反省せず開き直っているのを見て怒りを禁じえなかった。本件リンチに関わった他4人よりも遙かに凶暴な金良平の暴力性の源はどこにあるのか? 幼少期から差別され虐げられてきたことにあるのか? しかし、差別され虐げられた人たちは多くいて、ほとんどはまともな生活者として、この社会で生きている。

金良平が、みずからが中心的な暴行実行犯として関わった集団リンチ事件に対する刑事、民事訴訟の判決共に被害者にとっては、受けた肉体的、精神的被害に比して賠償額も低く、裁判所は被害者М君の言い分の肝要な部分は認めず、決して満足のいく内容ではなかった。だからといって、「リンチはなかった」のではなく現実にあったのだ。このことは、偏頗な判決を下した裁判所さえも認定しており、だから金額や内容に不満はあってリンチがあったことは厳とした事実なのだ。いい加減なことを言わないでいただきたい。

なかでも金良平については、リンチ被害者М君が金良平らを訴えた民事訴訟では、一審大阪地方裁判所は金良平に、リンチに連座した伊藤大介と共に79万9749円の賠償を命じたが、これが控訴審大阪高騰裁判所では金良平単独で113万7640円に跳ね上がった。これこそ金良平の暴力性、凶暴性を裁判所が認定した一端といえるだろう。

もっとも、普通の一般人の感覚から、リンチ直後の被害者の顔写真を見、リンチの最中の音声データを聴いて、どう感じるのだろうか。実際に私は100人以上に直接、その写真を見せ音声を聴いてもらい感想を聞いたが全員がリンチがあったと考えざるを得ないと述べた。今、この記事を読んでいる読者一人ひとりも、普通の一般人の感覚から見て、酷いと思わないだろうか? 思わないのであれば、あなたは人間ではない。

「リンチはなかった」というのは歴史を偽造するもので、「街角の小さな喧嘩」(金良平訴状)などというのは被害者の人格を矮小化するものと言わざるを得ない。いやしくも「人権」や「反差別」を標榜する加害者らが使う言葉ではない。特に金良平よ、あなたは、まずみずからの拳を眺めよ! これで数十発М君を殴り、金利含め130万円ほどの賠償金を支払ったのだが、おそらくお金を集めるのにかなり苦労したのではないだろうか? 支払いは遅れた。この時、もう暴力は振るわないことをみずからの良心に誓わなかったのか? 誓わなかったのなら、あなたには人間としての良心はない。はっきり答えよ。

◆主たるリンチ実行犯=金良平はなぜ転落したのか?

同じく準備書面によれば、金良平は関東に居を移し「新たな生活を形成している」そうだ。それがどうしたというのか!? 金良平に半殺しの目に遭わされた被害者М君は人生を狂わせられ、М君が思い描いた人生とは違った「新たな生活を形成している」のだ。判っているのか?

金良平が、過去の犯歴を明らかにされたのが違法だとかどうかを言う前に、今からでも被害者М君に土下座し謝るべきだ。いったんは「謝罪文」を渡しながら、これを反故にし、さらに仲間らに村八分運動(「エル金は友達」運動)をさせたりして、被害者を精神的に苦しめたことを今どう思っているのか?

私がこのことにこだわるのには理由がある。

私(たち)はリンチ被害者М君に対する集団リンチの事実を知り、とりわけリンチ直後の顔写真を見、リンチの最中の音声データを聴き、近年にない強い衝撃を受け、他の資料も一読し、М君本人からも直接話を聞き、これらには信憑性があり、直ちに被害者支援、真相究明の行動に移った。それまで好調だった会社の業績をも後回しして、この件に費用をかけ、集中して動いた。何としても孤立し苦悩している青年、研究者の卵に、できる限りの支援をし救済しないといけないと咄嗟に思った。

当初、金良平や李信恵らが真摯に反省し、いったんは反故にした「謝罪文」を元に戻し再び謝罪し賠償金も支払い公的な和解へ至るのであれば、「反差別」「人権」を標榜する社会運動にとっても有益だと考え、われわれも前向きな解決に汗を流し、さほど時間もかからず解決するものとばかり予想していた。甘かった。金良平ら加害者らは開き直り、約束した活動自粛も反故にし、逆に他の仲間と共に被害者М君を村八分にし、執拗にネット・リンチを続けた。

金良平ら加害者、そして彼らに連携する者たちにとっての「人権」「反差別」とは一体何なのか? 疑問が湧いてきた。

私は五十年余り前、当時の多くの若者がそうであったようにノンセクトの学生運動に関わったので、そうした運動に関わる者なら、過ちは過ちとして素直に認め、昔の言葉でいえば「自己批判」するだろうと思っていた。過去の反省から、当時よりも運動のやり方は改善されてきたはずだから。

それまで被害者М君とは一面識もなく、ましてや利害関係もなかった。社会正義上、これはきちんとしないといけないと思った。私(たち)の世代は、連合赤軍事件を知っているし、いわゆる「内ゲバ」の陰惨さも知っている。どれもМ君に対するリンチ(私刑)と、程度の差はあれ本質的に同じだ。社会運動内部では、それなりに反省したはずだった。しかし、いまだにかつての轍を踏んでいる。縁あって持ち込まれた相談事、困っている若者を見て放ってはおけない損な性分、後先考えず被害者支援に動くことにした。

われわれは「特別取材班」を作り、大手マスコミには到底及ばないが、一定のヒトとカネを使い、被害者支援、その裁判での主張を裏付けるための調査・取材を始めた。

M君の研究者らしい几帳面な性格で資料は数多く整理されていた。加害者の中で、夜な夜な飲み歩き(事件当日も「5件のお店まで日本酒に換算して1升近く飲んでいた」との本人の弁)、異性関係も放縦、一方で在日差別と闘っているヒーローとしてマスメディアに持て囃され、多くの行政、教育関係、果ては弁護士会など各方面に赴いて講演で稼いでいる。準公人ともいえる人物の言動は多くの人々の注目を浴び、リンチもそうだが、そうした問題行動は社会的にも明らかにし叱責されるべきだとわれわれは考えた。しかし、М君の裁判支援に注力することを優先しその他の問題行動の追及は断念した次第だ。

同様にリンチの主要実行犯・金良平についての情報もかなり集まったが、やはり最低限以上のこと以外は、衝撃的な事実も多くあったにもかかわらず、あえて秘匿してきた。

しかし、今それが正しかったのかどうか疑問に思うようになった。ダイナマイト級の情報もあるが、この記事でも、あえて保留しておき、時機を見て放出することも念頭に置いておく。М君が人生を狂わせられた一方で、李信恵は講演三昧。世の中にこんな不条理があってもいいのだろうか、と考えるからである。

金良平は、М君に対し暴虐の限りを尽くしておいて、いまだに反省もせず開き直っていることに怒りを感じる。金良平の激しい暴力で、何度も言うが、М君は人生を狂わされ、いまだにリンチに対するPTSDに苦しめられているというのに──。


今回、提訴しながら現住所も仕事や具体的生活内容も明らかにせず(メディアでよく使われる「住所不定無職」か?)、みずからが中心になって行ったリンチなどなかったかのような言説を目にし、さすがの私も堪忍袋の緒が切れた。

さて、われわれがМ君を支援することになり、М君は李信恵、金良平、伊藤大介ら5人に対して損害賠償を求め大阪地方裁判所に民事訴訟を起こした。

まずは他の4人同様金良平にも謝罪文に記された住所に訴状が送達されたのだが戻ってきた。驚いた取材班は、その住所に行ったが、すでに引っ越した後だった。そこで金良平の代理人(その後代理人に就く神原元弁護士とは別の弁護士)も困り、修正して最終的には届いたようだが、姑息なことをするものだ。

ところが、その後、訴訟の本人調書に記載した住所に行ってみると、そこは、なんと駐車場だった。法廷で宣誓したにもかかわらず虚偽の住所を記載したことになる。あらためて当時が想起され怒りが戻ってきた。М君は尚更だろう。

さらにそれ以前の金良平の生活実態も調査した。М君への謝罪文に記された住所の前は「О寮」という大阪市の外郭団体による救護・厚生施設に住んでいた。ここは謝罪文に記載された住所の近くに在ったが、今はない。

さらにそれ以前に諸事情があったのか、もっと深刻なことも判ったが、これもここでは記述しない。その団体の更生プログラムに従って金良平なりに頑張っていたようで、「勉強したいので、いろいろ教えてください」と相談を受けたと証言する人もいた。

そこで取材班は、この謝罪文に記載されたHマンションを直接訪問し、そこにいた管理人に話を聞くことができた。

ここに住みはじめてしばらくした2013年頃から(リンチ事件の前年頃。反差別運動に関わり出した時期と一致する)深夜の帰宅が多くなり、他の住民から苦情が出ていたそうだ。そこからしばらくして「新しく仕事が見つかった」などと言って更生プログラムの職業訓練にも行かなくなっていたという話も聞けた(おそらく可愛がってもらい、リンチ事件に連座した伊藤大介から経済的援助を受けるようになったのがこの頃だろう)。

ちなみに伊藤は、M君が提訴した民事訴訟の控訴審で逆転勝訴し免責されたが、その後、深夜に、あるネトウヨ活動家を呼び出し暴行傷害事件を起こし有罪判決を受けている。集団リンチ事件についての反省がないことの証左だろう。奇しくも鹿砦社と李信恵の訴訟の尋問後のことである。

M君リンチ事件直前、酔っておどける加害者の面々。左から李信恵、金良平、伊藤大介

これらの話を総合すれば、質が良くない「反差別」運動(誤解ないように申し述べておくと、反差別運動自体を否定しているのではなく、友人、知人らもこれに関わっている者が多数いる。要は、悪質な反差別運動を指弾しているのだ)に関わって、立ち直る努力を放棄した過去があること、これらの悪質な「反差別」運動に今も関与し現場でニラミを利かしていること、昼夜を問わず頻繁にSNSに時間を費やしていることなどから生活再建の努力などしていようはずもない、ということは言えるだろう。だから、われわれは、みずからの「新たな生活」の実態を具体的に明らかにせよと求めるものである。抽象的に言っていても始まらない。でないなら、「住所不定無職」の者がいくらみずからの「被害」を叫んでも身勝手というものだ。

われわれは、いたずらに金良平の前科を晒したのではなく、これはすでに〈公知の事実〉として流布しており、金良平の凶暴性と関東地方に移住しているが故に、24時間看護の障碍者の夫を持つ森奈津子の身の安全を危惧し、やむなく金良平の略式命令書を森に送り、森はこれを公開し、これ以上の森への攻撃を阻止したのだ。法律のあれこれよりも、生身の人間の身の安全が優先されることは言うまでもない。「事件」が起きてからでは遅いのだ。判例を教条主義的に突つくのではなく、人間の安全第一で思料されるべきである。(本文中、一部を除き敬称略)

※本稿は、2回で終わる予定でしたが、書くことが多く、もう1回続きます。次回は、一部を除きトンデモ判決を相次いで出した裁判所、被害者の苦しみを蔑ろにし偏頗に加害者らに加担したメディア、逃げたり加害者側を擁護したり開き直ったりした「知識人」らの責任を問う予定です。本稿についてのご意見、ご批判などをお寄せください。

(松岡利康)

◎「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)から10年 ── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う

(上) http://www.rokusaisha.com/wp/?p=51771

(中)https://www.rokusaisha.com/wp/?p=52111

《関連過去記事カテゴリー》  M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)から10年 ── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う(上) 鹿砦社代表 松岡利康

一つの事件が一人の人生を狂わせることがある。この事件もそうだ。被害者M君は関西の某国立大学大学院博士課程に通う若き研究者だった。〝かの事件〟さえなければ、今は、どこかの大学で学生に囲まれ研究者生活を送っているだろうと思うと不憫に感じられて胸が詰まる。さらには今でもリンチのPTSDに苦しんでいる。それを仲間とのラクビーで紛らわせているという(おそらくラクビーで鍛えた体力がなければ、壮絶なリンチで亡くなっていただろう)。一方加害者の李信恵は能天気に講演三昧の生活を送っている。行政機関や弁護士会、市民団体などが、リンチ事件の存在を知ってかどうかわからないが、李信恵のしたり顔に騙され「もっともだ、もっともだ」と聞き惚れている。世の中どこか狂っている。

10年前の2014年師走12月17日未明、大阪一の盛り場・北新地、その一角で、〝かの事件〟は起きた。 ──

〝かの事件〟から10年が経とうとしている。ここでは2回に分けて、この事件を振り返り、現代の社会運動における〈意味〉を考え、加害者、これに連なる者、あるいは被害者M君やわれわれに敵意さえ抱きトンデモ判決を出した裁判所、無視・隠蔽を決め込んだマスメディア、「知識人」らの〈責任〉を問いたい。

さて、〝かの事件〟とは、「反差別」運動の象徴とされる李信恵ら5名が、この中の1人、金(本田)良平がネトウヨ活動家から金銭を授受したとの噂を撒いたとして深夜、仲間だったはずの大学院生M君を呼び出し激しいリンチを加え瀕死の重傷を負わせたという事件である。

事件の詳しい内容は、私の話を聞き驚き途中から真相究明活動に加わったジャーナリストの黒薮哲哉が本誌、みずからのサイトMEDIA KOKUSHO、「デジタル鹿砦社通信」などでレポートし、なによりわれわれは「特別取材班」を作り、精力的に調査・取材を行い、これまで6冊(紙の爆弾増刊)の本にまとめ発行しているので、本誌では紙幅の都合もあり、ここでは省く。それらをぜひご一覧いただきたい。

ただ、私に対し意図的な誹謗中傷を振り撒く人間がいるので、一言だけ述べておく。かつて構造改革系の新左翼系小党派のリーダーだった笠井潔という人が、リンチ加害者側に立って被害者M君を執拗に攻撃し提訴され敗訴した野間易通と昵懇(共著もある)の仲ということからか、私を「デマゴギスト」などと言いふらしているようだが、われわれはそう言われないように、これまでになくヒトとカネを使って最大限の調査・取材を行い、これはそれなりに評価されている。

ちなみに、笠井にはかつて一度だけ会ったことがある(1985年)。原稿執筆の依頼で尼崎で行われた、その党派も含む構造改革系の追悼集会でだったと記憶する。彼の文章は『敗北における勝利』という本に掲載され、彼は田舎に引っ込んだりで、以来会ってはいなかったが、そんな誹謗中傷を行っているということで思い出した次第だ。それなりの知識人だと思っていたが見損なった。彼は私たちが心血を注いで取材した本を読んで私を「デマゴギスト」と言ったのだろうか? おそらく読んでいないだろうと思い、関係者を通じ届けるように送っておいた。読んだのであれば、読後感を聞きたいところだ。それでも「デマゴギスト」と言うのか!?

◆事件は1年以上隠蔽された

くだんのリンチ事件は、加害者側に立つ者らによって必死の隠蔽工作が図られ、なんと1年余りも隠蔽された。さらに驚くのは、やはり加害者側につながる人物が当社内にもいたことが発覚し、3年も勤め、それでも尻尾を出さなかった。

当時われわれは「西宮ゼミ」といわれる市民向けのゼミナールを隔月ペースで開いていたが、たびたびこれに参加していた者が「相談があります」と言って別の日に資料などを持ってやって来て初めて、このリンチ事件の事実を知ったのである。なかでも驚いたのはリンチ直後の被害者の顔写真だった。言葉もなかった。これが2016年の1月のこと、事件から1年以上が経っていた。

この間、被害者M君らが手を拱いていたわけではなかった。メディアの記者に会ったり、弁護士に会ったりしながら、その都度失望の目に遭ってきた。あえて名を出すが阿久沢悦子なる、当時大阪朝日社会部の記者に相談し、関西の社会運動のいろんなところに顔を出している自称「浪速の歌う巨人」歌手・趙博を紹介され、貴重な資料一式を渡し、われわれとも会い加害者糾弾を共に行おうと約束したが、この直後、趙は李信恵に会い謝罪するという掌返しに行っている。その資料がどこに行ったのかわからないが、万が一権力に渡ってでもいたら、度し難いスパイ行為である。この男は、関西の社会運動のいろんなところに顔を出しているが用心したほうがいい。一部の党派では「スパイ」と見なされていると聞く。

この事件が1年以上も隠蔽されていたのにはいくつか理由がある。加害者・李信恵が「反差別」運動のリーダーで当時ネトウヨ活動家を相手取り裁判闘争を行っていたこと、いわゆる「ヘイトスピーチ規制法」国会上程が準備されていたことなどが挙げられる。関係者一同、心の中では「なんということをやってくれたんだ」と思っていたとしても不思議ではない。

◆われわれは即刻行動を起こした!

驚いたわれわれが躊躇することはなかった。われわれの出版活動は弱い者の味方ではなかったのか、という素朴な正義感のようなものが自然と沸き起こった。

また、「反差別」運動の旗手といわれる者が起こした傷害事件なのに、なぜマスメディアは報じないのか、という素朴な疑問も湧いた。阿久沢記者のような、スパイ行為に加担するような行為をする者までいるのには驚いた。その後、阿久沢記者は静岡に異動になったりしたが、その際、私たちが追及したところ、驚き狼狽し逃げ回った。今からでも取材に応じるなら静岡でもどこでも行く用意はある。

一方被害者M君の味方は、いなかったわけではないが、正直言って力が弱い者ばかりだった。メディア関係者はいなかったので情報が外に向かうことはなかった。

◆事件前後

ここで少しリンチ前後の情況を振り返ってみる。李信恵ら加害者は、前日夕刻から飲み始め、事件に至るまでに5軒の飲食店を回り「日本酒に換算して1升近く飲んでいた」(李信恵のツイッター)ことをみずから明らかにしている。「1升」といえば、常識的に見れば泥酔の域にあったといえよう。前日は対ネトウヨ訴訟の期日で、これが終わり報告会、そして十三の仲間のたまり場の店・あらい商店で食事をしながら飲み始め5軒の店を飲み歩いていることが明らかになっている。

リンチ直後の被害者M君の顔写真。これを見て何も感じない者は人間ではない!

長時間のリンチ後、加害者らは苦しむ被害者を放置して立ち去っている。人間の心があれば、急救車を呼ぶとかタクシーを拾って乗せるとか、それぐらいはするだろう。それさえせずに……。被害者M君は必死でみずからタクシーを拾い自宅まで戻っている。この時のM君の心中は察するに余りある。異変を感じたタクシーの運転手は運賃を受け取らなかったという。

一夜明け、酔いが醒めた加害者らは、おそらく「しまった!」「まずい!」と思ったに違いない。身近な者らも、「なんということをしてくれたんだ」と思っただろう。

その日のうちに、加害者と昵懇の有田芳生(当時参議院議員)が、そして中沢けいらが相次いで来阪している。そこで何が話し合われたかはわからないが、おそらく混乱していたことは容易に想像できる。

そして、年が明け事件から1カ月余りが経った2015年1月27日、李信恵の姉貴分の辛淑玉が悲痛に「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」と題する文書を配布する。

また、2月3日には李信恵らによる「謝罪文」も送られ、同時に活動自粛も約束される。

辛淑玉文書にしろ李信恵の謝罪文にしろ、また実行犯の金良平、李普鉉の謝罪文にしろ、のちに反故にされるが、少なくともこの時点では、多少なりとも反省の念があったことは認められる。

しかし、被害者が、ほぼ孤立無援状態であることを見透かした加害者らは反省も活動自粛も反故にし、逆にM君に対して村八分にし、あらん限りの罵詈雑言を加え攻撃に転じる。被害者なのになぜ攻撃されなければならないのか? M君のどこに非があったのか? 加害者、陰に陽に彼らをサポートした者らは、われわれの素朴な疑問に答えていただきたい。月日が経っても、われわれは許さない。

◆訴訟の果てに ──

まずM君は、逡巡しながらも、加害者らの不誠実な態度に怒り刑事告訴に踏み切った。しかし、加害者らは逮捕されるまでもなく略式起訴で、最も暴行を働いたエル金こと金良平に罰金40万円、凡こと李普鉉に罰金10万円、あろうことか李信恵は不起訴だった(2016年3月1日)。この刑事処分には大いに疑問が残る。これだけの傷を負い、今に至るもPTSDに苦しみ、人生を狂わせられて、これか。あまりにも理不尽だ。

しかし、M君の苦難は、以後の民事訴訟でも続いた。 ──

民事訴訟は、鹿砦社の顧問弁護士の大川伸郎弁護士を中心として進められた。当初弁護団に名を連ねた弁護士でサボタージュしたり利敵行為を行った者もいて、それなりに加害者(特に李信恵)防衛で一致する加害者側弁護団に比すると脆弱さは否めなかった。

実際に、被害者M君が李信恵ら加害者5人を訴えた訴訟では、勝訴したとはいえ、金額的にも内容的にも被害者、およびM君に寄り添ったわれわれにとっては不満の残るものであった。金良平(控訴審で賠償金113万円+金利確定)、李普鉉(同1万円+金利確定)に賠償金が課されたとはいえ、李信恵ら5人は免責された。特に実質的首謀者と見なしてきた李信恵に何の咎も課されなかったこと、そして共謀を認めなかったことには被害者のM君のみならずわれわれにとっても意外だったし大ショックだった。普通の感覚で常識的に見れば、李信恵の教唆、5人の共謀は当然と言えるが、裁判官という人種の眼は常人とは異なるようだ。

司法はもはや被害者の味方ではない。われわれには計り知れない〝力〟が働いているのかもしれない ── 実際に、М君対加害者5人組との訴訟、鹿砦社対李信恵との訴訟、あるいは鹿砦社対藤井正美(鹿砦社の元社員にしてしばき隊/カウンターのメンバー)との訴訟にしても、裁判官は1件(後述)を除いて、ハッキリ言って公平・公正ではなかった。むしろわれわれに対し敵意さえ窺われた。

こうしたことを認識したわれわれは、訴訟合戦の後半になって、「日本裁判官ネットワーク」の中心メンバーで「市民のための司法」を目指して活動してきた、元裁判官の森野俊彦弁護士に依頼、森野弁護士は受任され、一審で全面敗訴に屈した、李信恵が原告、鹿砦社被告の訴訟の控訴審では、著名な精神科医・野田正彰によるM君の「精神鑑定書」、国際的な心理学者・矢谷暢一郎ニューヨーク州立大学元教授、ジャーナリスト寺澤有の意見書を提出し真っ向から押し戻し、大阪高裁は李信恵の非人間性を認定した。さすがに、瀕死の重傷を負わせておきながら、無垢のままにしておくわけにはいかなかったのだろうか。裁判官としての良識の欠片は残っていたといえよう。一部を挙げ、ひとまず本稿を擱く。

「被控訴人(注:李信恵)は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間である金がMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。」

「本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜しておきながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」

「被控訴人の本件傷害事件当日における言動は、暴行を受けているMを目の当たりにしながら、これを容認していたと評価されてもやむを得ないものであったから、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不自然ではない。」(以上、令和3年7月27日、大阪高裁第2民事部判決から)

(松岡利康)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君暴行事件を「なかったこと」にする動きが顕著に、本当に事件は無かったのか?〈2〉辛淑玉氏の手紙が示す事件の概要 黒薮哲哉

しばき隊のメンバーが大阪市の北新地で起こした大学院生M君に対する暴力事件。連載の第1回では、事件を起こしたしばき隊のリーダーE氏の代理人・神原元・自由法曹団常任幹事が展開してきたリンチはなかったとする主張に全く根拠がないことを指摘した。

たとえば事件が、ヘイトスピーチ規制法の成立に障害となることを警戒した師岡康子弁護士は、事件が公になるのを防止するためにM君とEの共通の知人にメールを送って、裏工作を依頼していた事実を指摘した。それが逆に事件があったことを示す裏付けのひとつとなった。

事件は、多くの識者たちの耳に入っていたのである。

連載〈1〉の全文は次のとおりである。
M君暴行事件を「なかったこと」にする動きが顕著に、本当に事件は無かったのか?〈1〉事実の凝視

◆辛淑玉氏の手紙

改めて言うまでもなく、この事件が周知の事実として多くの人々に認識されていたことを示す証拠は、師岡弁護士のメール以外にも存在する。たとえば、社会活動家の辛淑玉(シンスゴ)氏が、みずからの知人たちに送付した「M君リンチ事件に関わった友人たちへ」と題する手紙がある。図らずも事件に関する情報が水面下で広がっていた状況を示している。

「長文になりますが、読んでください。

 昨年12月17日未明のMさんリンチ事件を、私は今年の1月10日に広島で知りました。講演会の会場で、「関西のカウンター内でテロがあったんですか?」というような軽い質問からでした。その日のうちにカウンターの一人から連絡をいただいて断片的な状況を知り、その後、その方を通して、被害者Mさんの状態の確認をしました。

 そういう状況なので、私は、今回の経緯に関して、知っていることは大変少ないです。それを踏まえた上で、私の思いを手紙に書くことにしました。

 私の手元には、被害者Mさんの写真と、そのときに録音されたテープがあります。
 このテープを聞いて、私は泣きました。泣き続けました。
 写真を見て、胸がはりさけそうでした。
 これはリンチです。
 まごくことなき犯罪です。

 
マスコミは李信恵氏の反差別裁判を大々的に報じ続けた

 酒を飲んだ流れで、深夜に彼を呼び出し、一時間もの間殴り続け、鼻を骨折させ、顔面を損傷し、血だらけになったMさんを放置したまま宴会を続けている。その音声は、狂気のようでした。泣きながら殴り続けたであろうEさんの声、そして、止めに入ってはいるが、止めきれない●ちゃん。その間に信恵(注:活動家でジャーナリストの李信恵氏のこと)の声がこだまして、悪夢ではないかと思うほどでした。

 その後、多くの方が、告訴するのをやめさせようと、Mさんにさまざまな働きかけをし、また、被害者であるMさんを愚弄する不適切な噂が流れたことを知りました。少なくとも、私の耳にまで入ったということは、多くのかたがすでに知っているということだと思います。」

「いま、私の周りのメディアは、おぼろげながらも事件の概要をつかみ始めています。『週刊金曜日』(当時の編集長は北村肇氏)の信恵の記事がキャンセルになったのは、その流れからです。

 そして、体制側のマスコミも動き始めました。
 これが表に出れば、真っ先に社会的生命を奪われるのは信恵です。
 そして、信恵の裁判は、その時点で終わりとなるでしょう。
 マスコミは、この事件を第二の『あさま山荘事件』として取り上げるつもりでいます。(略)」

引用文にある「信恵の裁判」とは、李信恵氏が当時、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などを相手に起こしていた反差別裁判のことである。「人種差別的な発言で名誉を傷つけられた」ことに対する審判を求めた訴訟のことである。

辛淑玉氏の手紙からも読み取れるように、M君が暴行を受けたことは、多くの人々の間で周知の事実として広がり始めていたのである。

◆事件をなかったことにした新聞・テレビ

 
しばき隊の釘バット

こうした状況の下で、事件を隠蔽する動きも拍車がかかる。その背景には、既に述べたように2つの要因がある。ヘイトスピーチ解消法が成立まで秒読みの段階に入っていた事実と、反差別運動の旗手である李信恵氏が事件現場にいた事実である。カウンター運動の関係者にとっては、この2点を「なかったこと」にする必要があったのだ。この流れを継承しているのが、神原弁護士なのである。

神原弁護士にとっても、この事件は汚点になりかねない。というのも、神原氏自身がしばき隊の隊員を公言しており、そのしばき隊の弁護士が日本を代表する人権擁護団体である自由法曹団の幹部に就いている事実に疑問を感じる人々がいるからだ。少なくともわたしは、この点に疑問を感じている。

ちなみに新聞・テレビは、カウンター運動が追い込まれた状況に理解を示して、一切の事件報道を控えた。それどころがこの事件の取材を始めた鹿砦社を、記者会見の場からも締めだす暴挙に出たのである。

李信恵に関する報道では、「事件はなかった」という偽りの前提で、彼女が原告にとなった反差別裁判を応援し続けたのである。その報道がいかに派手なものであったかは、新聞のバックナンバーを見れば、記録として残っている。(つづく)
 
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君暴行事件を「なかったこと」にする動きが顕著に ── 本当に事件は無かったのか?〈1〉 事実の凝視 黒薮哲哉

カウンター運動の市民運動体が、2014年12月の深夜に大阪市の北新地で起こした暴力事件は、メディア黒書で報じてきたこともあって、読者の記憶に残っているのではないか。内輪のもめごとが高じて、暴力沙汰に発展した事件である。

暴力の標的になったのは、大学院生M君である。全治3カ月の重傷を負い、トラウマにも悩まされて、生活に支障を来たすようになる。M君を精神鑑定した精神科医で作家の野田正彰氏も、鑑定書の中で事件がM君に及ぼした負の影響に言及している。

[左]有田芳生議員による2013年7月12日付ツイッター書き込み [右]暴力の標的になった大学院生M君。全治3カ月の重傷を負った(高島章弁護士によるツイッター書き込み)

市民運動体は、広義にしばき隊と呼ばれている。しばき隊のメンバーとM君、あるいは事件後にM君を支援するようになった鹿砦社との間で、これまで数々の裁判が争われてきた。

2024年になってからも、新しい裁判が提起された。しばき隊のE氏が作家の森奈津子氏と鹿砦社に対して、110万円の損害賠償を求める名誉毀損裁判を起こしたのだ。E氏は、M君に対して40分に渡り殴る蹴るの暴行を加えた人物である。

裁判の争点になっている請求の内容については、鹿砦社の松岡利康社長の筆による次の記事を参考にしてほしい。

本稿では、暴力事件そのものに関する評論に言及したい。事実とは異なる主張が独り歩きしているきらいがあるからだ。最新の裁判の中で、E氏側(代理人は、自由法曹団常任幹事の神原元弁護士)が、そもそも「リンチ事件」は発生していないと主張しているのだ。鹿砦社や森氏が指摘している「リンチ事件」は、単なる喧嘩だったというである。

「リンチ事件」はなかったという主張は、神原弁護士がしばき隊関連の他の裁判の中でも展開してきた主張なので驚きはなかったが、最近、わたしは個人的に「南京事件は無かった」と主張する人と話す機会があったこともあり、重大な事実を堂々と否定する風潮について考えるようになっていた。

日本軍による戦争犯罪を歪曲するメンタリティーと、神原弁護士らのメンタリティーが重なって、わたしは考え込んでしまった。ちなみに神原弁護士は、みずからもしばき隊のメンバーであることをツイッターで公表している。【下写真】

神原元弁護士による2015年2月26日付ツイッター書き込み

自由法曹団といえば、日本を代表する人権擁護団体である。そのメンバーには、わたしが尊敬する弁護士らが多数含まれている。その自由法曹団の常任幹事を神原弁護士で務めている事実と、神原氏がしばき隊を擁護している事実が、整合しない。自由法曹団に敬意を表している多くの人々が、わたしと同じ違和感を持っているのではないか。

もっとも「リンチ事件」をどう定義するかにより、「リンチ事件」はなかったという主張が成立する可能性もあるが、少なくともM君が40分に渡って暴行を受け、現場に居合わせた李信恵ら数人の隊員が、Mを救済しなかったことは紛れもない事実である。また、李信恵がM君の襟を掴んだことも紛争当事者の間で争いのない事実として認定されている。

E氏がM君を暴行する際の録音も残っている。この録音は、身の危険を感じたM君が録音したものである。暴行する際の音や、E氏による罵倒も記録されている。暴行を受けた直後のM君の顔写真も、暴力の凄まじさを物語っている。

◆事件の隠蔽工作

この事件が単なる小さな喧嘩であれば、事件後、組織的に事件の隠蔽工作がおこなわれることもなかったはずだ。事件の隠蔽工作については、複数の裏付けがあるが、代表的なものとしては、神原弁護士と同様にしばき隊の支援者である師岡康子弁護士が知人に充てたメールがある。

事件が起きた2014年12月は、折しもヘイトスピーチ規制法の成立が秒読みに入っていた時期である。当然、しばき隊による事件が報道されていれば、国会での動きにも変化が生じた可能性があった。

とりわけM君がE氏らに対して刑事告訴に踏み切った場合、ジャーナリズムの話題として浮上する可能性もあった。そこで事件の隠蔽に走ったのが師岡弁護士だった。みずからの知人でもあり、M君とも面識のあるCさんに次のようなメールを発信したのである。

「今日はひさしぶりにゆっくり話せてうれしかったです。ヘイト・スピーチ規制法制化の具体的な内容について、Cさんほど真剣に取り組んでいる人はなかなかいません。これからもいろいろ協力してぜひ国で、地方で実現させていきましょう。

しかし、その取り組みが日本ではじめて具体化するチャンスを、今日の話の告訴が行われれば、その人(M君)は自らの手でつぶすことになりかねません。」

「その人は、今は怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかもしれませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶした人という重い批判を背負いつづけることになります。」

「Cさんは、運動内部での解決が想定できないと言っていましたが、私は全部の事情を詳しくは知りませんが、聞いている限りでは双方の謝罪や治療費支払いなどによる和解が妥当な解決だと思います。Cさんは前、運動内部での争いを解決する機関が必要だと言っていましたが、まさに今回はそのようなケースだと思います。コリアンNGOセンターの人たちが調整してくれるとよいのですが、無理なら他の適任者がいないでしょうか。今日も言いましたが、私でよければ、その人を説得しに行きますが、まったく見知らぬ私より、双方の友人であるCさんが心から説得するのが、一番の解決策のように思えます。どうそ考えてみてください。私ができることは何でもやります」

師岡弁護士は、Eによる暴行を、日本の反差別運動にも影響を及ぼしかねない重大な事件として捉えているのである。引用した書簡を検証するだけでも、北新地での事件が単なる街角の喧嘩ではなかったことが十分に推測できる。

実際、この事件は数多くの著名人の耳にも入っているようだ。(つづく)

本稿は黒薮哲哉氏のHP『MEDIA KOKUSHO』(2024年6月1日号)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【カウンター大学院生リンチ事件(しばき隊リンチ事件)の主要暴行犯・金良平による不当訴訟を闘うために】私たちはリンチ被害者М君の人生を狂わせた金良平らリンチ加害者たちを決して許さない! 鹿砦社代表 松岡利康

◆ はじめに

今般、「エルネスト金(略称・エル金)」こと金(本田)良平(以下、金良平と記す)が原告になって、鹿砦社と森奈津子さんを「被告」として提訴してきた。

結論から言えば、金良平は自らの「プライバシー権」を主張する前に、金良平らの苛烈な暴行によって一研究者の卵の人生を台無しにしたことに対する真摯な謝罪を行うのが先決ではないのか、ということを、まずもって申し述べたい。そうではないだろうか?

◆[1]「株式会社鹿砦社」について

被告とされた当社株式会社鹿砦社(以下鹿砦社と記す)は1969年(昭和44年)創業、1972年(昭和47年)設立(法人化)され、1988年(昭和63年)に松岡利康(以下松岡と記す)が代表取締役に就任し現在に至っている。当初はロシア史関係の翻訳や社会科学系を中心に出版していたが、この時期にはロシアのノーベル賞受賞作家ボリス・パステルナークの『わが妹人生』も出している。

松岡が代表に就任後、幅広く芸能、サブカルチャーなど出版の領域を拡げていった。現在年間新刊80~90点ほど(2023年は80点)を発行している。これまでの出版総数は3000点余りになるものと思われる。数があまりにも多いので正確な出版総数が数えきれないほどだ。

昨年2023年、ジャニーズ事務所創業者による未成年性虐待を放映した英公共放送BBCのドキュメント映像によって、長年わが国芸能界を支配していたジャニーズ事務所が事実上崩壊したが、鹿砦社は、逸早く30年近く前の1995年以来、同事務所の横暴と創業者ジャニー喜多川による未成年性虐待を告発する出版物を数多く発行してきていた。ジャニーズ問題では鹿砦社にも取材協力要請があり、水面下で協力し高く評価された。

◆[2]金(本田)良平が主要に犯した大学院生集団リンチ事件について

 
リンチ直前の加害者たち(左から李信恵、金良平、伊藤大介)

本件は、単に金良平の過去の犯歴を暴露しただけではなく、金良平や李信恵らが犯した非人間的で残忍な大学院生集団リンチ事件(俗にいう「しばき隊リンチ事件」)と無関係ではありえない。

このリンチ事件は2014年師走に関西屈指の歓楽街、大阪北新地で金良平らによって起こされた。しかし、金良平ら周辺の者たち、あるいは彼につながる者らによって隠蔽され、一般に知られることはなかった。マスメディアも報じなかった。加害者の中に、「反差別」の旗手のようにマスメディアに持て囃されてきた者(李信恵)がおり、こうした者が集団リンチ事件に連座していたことが明るみになれば不都合だからだと推認される。

しかし、事件から1年有余後の2016年はじめに、鹿砦社が5年に渡り地元・兵庫県西宮市で市民向けに開催していたゼミナールの参加者から金良平らによる、大学院生(当時)M君に対する集団リンチ事件の情報を聞き、孤立無援なので支援を要請され、提示されたリンチ直後の写真に大変ショックを受けた。その後しばらくして、本リンチ事件を憂う在日コリアンのSNS記事においてリンチの前と後のМ君の顔写真を発信されたが、リンチの前と後の、あまりもの違いに驚いた。

さらに、М君が必死に録音した音声データに驚いた。リンチ関連書籍第4弾『カウンターと暴力の病理』にCDを付けているので、ぜひ、ご視聴いただきたい。その余りもの非人間的、非人道的、反人権的様に驚愕した。血の通った人間ならば、おそらく驚くだろう。このリンチ事件において主要に暴行を働いたのが金良平なのだ。

私たちは、かつての学生運動や社会運動内における、いわゆる暴力的な「内ゲバ」で、時に死者を出し、運動の解体に至ったという痛苦な体験と反省から、この国の社会運動にあって暴力は排除されたと認識していた。松岡は学生時代、のちにノーベル賞を受賞するに至る作家の甥っ子で同じ学部の先輩が師走の早朝、反対派に襲撃され、激しい暴行を受け一時は医者も見放す重傷を負うという経験を有している(幸い奇跡的に回復した)。また、その後、松岡自身も襲撃され重傷を負い入院した。さらに、これらを前後して2人の先輩活動家が監禁、リンチされ亡くなっている。集団暴力の被害者として、こうしたことが過った。私が徹底して社会運動内部における「内ゲバ」や暴力を嫌悪するのは、こうした直接的体験に基づいている。

本件リンチ事件について当初、半信半疑であったところ、もし虚偽であれば即撤退するつもりだったが、調査と取材を進めるうちに厳とした事実だと判明し、支援を決め、また更なる調査と取材を進めた。金良平の代理人・神原元弁護士は、従来から本リンチ事件を「でっち上げ」と喧伝するが、「でっち上げ」でも「街角の小さな喧嘩」(訴状4ページ)でもないのである。

マスメディアが意図的に報じなかったり、金良平ら加害者につながる者らの隠蔽活動により「社会的事件として話題になることは」(同)なかったかもしれないが、加害者の中に、いわゆる「反差別」運動の旗手とされ、多数のメディアで持て囃されてきた者(李信恵)がいて、多くの政治家、ジャーナリスト、作家らによって隠蔽されながらも、真実は極めて公共性、公益性そして社会性のある事件だったし、だからこそ、こぞって隠蔽を図り、被害者を村八分にしたりネットリンチにかけたりし、リンチ被害者М君を精神的に追い込んでいったのだ。ぜひ、私たちが地を這うような調査・取材の元に編纂し発行した出版物をしっかりと読んでいただきたく願う。たかが「街角の小さな喧嘩」に50有余年の歴史を持つ出版社が6冊も出版物を編纂・発行するわけがない。

リンチ事件でほとんどの暴力を働いた張本人・金良平によって提訴された本件訴訟で私たちがまずもって主張したいのは、この集団リンチによって、被害者のМ君は肉体的にも精神的にも多大な痛手を被り(M君を診断した著名な精神科医・野田正彰医師による「精神鑑定書」に簡潔に記されている)、事実上研究者の道を断念せざるを得なかったことだ。つまり、金良平や李信恵らによる集団リンチによって若き研究者の人生を狂わせられたのだ。金良平や李信恵が日頃叫ぶ「人権」とは何だ?

私たちは、法的問題、あるいは金良平の「プライバシー権」云々よりも、金良平ら加害者の激しい暴力によって、一人の若き研究者の人生を狂わせたことを、金良平は今、どう考えているのか問い質したい。今回の金良平による提訴によって被告とされた私たちが最も憤慨したのはこのことなのだ。いくら法的に「解決」した、賠償金を支払ったからといって、金良平が主要になした暴行・暴力・傷害行為によって与えられた肉体的、精神的被害は、精神科医・野田正彰医師が「精神鑑定書」で指摘しているように、金良平ら集団リンチの加害者たちの誠実な謝罪なしにはなんら解決しないのである。ましてや、金良平は、М君に「謝罪文」を送り、暴力的な「反差別」運動を「自粛」することを約束したが、これを一方的に反故にし、いまだに相変わらず「反差別」運動の現場に出て相手方を威嚇する活動を継続している。

M君は、私たちの叱咤激励により、博士課程はなんとか修了したものの、博士論文は遂に書けなかった。書ける精神状態でもなかった。ある大学からの求人があり、この条件が博士論文だったのだが、遂に書けず就職を断念せざるをえなかった。

「釈迦に説法」かもしれないが、法というものが生身の人間の利益に則るためにあるのならば、端た金で済む話ではなく(M君に与えられた賠償金は、常識的に見て不当に低額だった)、真摯な反省と謝罪を基本にしたものでなければならないということは言うまでもない。しかし、金良平にそれを垣間見ることはできない。真摯な反省と謝罪の念があるのなら、「謝罪文」を反故にしたりはしないだろう。

私たちは、М君が金良平や李信恵らを訴えた訴訟の経過と結果などを含め、これらの内容を6冊のムック本として世に報告した。さらに逸早く本リンチ事件に言及していた田中宏和の著書も刊行した。

残念ながら大阪簡易裁判所・地方裁判所・高等裁判所は、この集団リンチ事件に対して被害者の肉体的、精神的な被害について本質的に理解せず、「一般人の感受性を基準にして」も常識外の雀の涙の低額の罰金(賠償金)を課したにすぎなかった。事件の概略としては、野田医師の上記「精神鑑定書」が分かりやすいが、М君や関係者のプライバシーに触れる部分も多く全文を転載することはできない(一部を3月15日付け本通信に引用した)。

今般、裁判所には、こうした経緯を理解された上で、本件訴訟を審理されることを心より望む。

◆[3]金良平の「前科情報の公開」について

 
金良平による恫喝ツイート

一般に「前科情報の公開」はみだりになされるべきでないことは私たちも出版人として十分に認識している。しかし、金良平も引用しているように(訴状4ページ、最高裁判所第3小法廷平成6年2月8日判決)、「その公表が許されるべき場合もある」のだ。

また、金良平の事件「後の生活状況」はいかなるものであったのだろうか。定職に就いて、罰金や賠償金の支払いのために作ったと思われる借金を計画的に返済してきているのか。本件訴訟の住所は神原弁護士の事務所が記されているが、かつて訴訟に記した住所が駐車場だったこともある。その後、きちんとした居住地を定め、そこで「新たな生活環境を形成していた事実」とはいかなるものなのか。私たちが聞くところでは、あまり芳しくないものである。もっとも、きちんとした「生活環境を形成していた」のであれば、女性で、身障者の夫を持つ森奈津子さんに対する心無い悪罵、誹謗中傷、脅しなど行わないだろう。

さらに、金良平、および金良平代理人・神原元弁護士らは、将来ある学徒の人生を狂わせた集団リンチを「街角の小さな喧嘩にすぎない」などと嘯く。「街角の小さな喧嘩」に、いやしくも創業50年有余の出版社が関連出版物6点も発行するわけがない。

特に、集団リンチ事件が、マスメディアで頻繁に登場したり好意的に紹介されたりする、「反差別」「人権」を標榜する「カウンター」と称する運動のリーダーや中心的活動家によって起こされ、さらにこの運動には多くの著名人が関わっていることを顧みれば、決して「街角の小さな喧嘩」などではなく、極めて公共性、公益性、社会性のある問題であることは言うまでもない。

大学院生М君に対する集団リンチ事件を、なぜかマスメディアは、それこそ庶民の「街角の小さな喧嘩」や暴力団のささいな犯罪などどんどん報じるのに、ついこの前までのジャニーズの問題同様、なにか都合が悪いのか、頑なまでに報じることはなかった。ようやく、鹿砦社が、きちんとした紙の出版物で報じ始め、ネットで影響力を持っていた森奈津子さんも続きSNSで報じ始め、一定知られることとなった。紙の媒体は鹿砦社以外にはなかったが、ネットでは他にも語られ始め、これに対しては金良平やこの代理人・神原元弁護士ら、彼らにつながる者らによって、暴力・暴言を用い執拗に威嚇したりネットリンチを行ったりして潰していったのだ。

 
街頭で凄む金良平

ほとんどの市民は弱い。そうした暴力・暴言によって、多くの人たちは黙ったり社会運動から去っていった。

しかしながら、私たちの言論活動は、少ないながらも心ある人たちに共感を持って受け入れられていき支持されていった。

このようにして金良平らによる集団リンチという蛮行が〈公知の事実〉として知られるようになった。また、金良平の通称「エル金」も暴力の権化として社会運動、市民運動内に広く知られ、これも〈公知の事実〉なのだ。

そうして、たとえ金良平らが不当に過小な罰金・賠償金を支払ったからといって、人ひとり、若い研究者の卵の一学徒の人生を狂わせておきながら、「プライバシー権の侵害」を声高に主張することに対しては違和感を覚えざるをえない。法というものは、市民や社会の利益に則ったものであるべきだ。いや、そうでなければならない。裁判所は、そうしたことを重々に考慮すべきだ。

かつて「エル金は友達」と言って、金良平を激励し、リンチ被害者М君を村八分にした、貴重な証拠。これに名を連ねた者たちは今、くだんのM君リンチ事件をどう考えるのか問い質したい。村八分は差別だ!

同上

◆[4]森奈津子さんについて

前記したように鹿砦社がМ君に対する、金良平らによる集団リンチ事件の被害者支援に関わり始めたのは2016年はじめだった。これに続き森奈津子さんも2017年頃に、このリンチ事件を批判するようになり、これを良く思わない者ら(つまり金良平につながる者ら)によって激しいネットリンチを加えられた。

マスメディアを味方にした金良平らにつらなる者らのほうが圧倒的に多勢で、私たちは少数派(マイノリティ)だった。

そういうこともあって、鹿砦社はホームページ上で日々発信している「デジタル鹿砦社通信」において森さんにインタビューし「今まさに!『しばき隊』から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さん」と題し6回連載した。ここから鹿砦社と森さんとの関係が出来、やはり本件に連座した一人、伊藤大介による別件暴行傷害事件直後に発行した『暴力・暴言型社会運動の終焉』にも森さんは寄稿された。考え方や思想は異なるが、社会運動(反差別、LGBTなど)内における暴力の排除ということでは一致している。

そうして、金良平による、森さんに対する暴言や攻撃が始まった。M君に対して、激しい暴力を加えた金良平の性格、熱しやすく何をするかわからない性格を顧みると、森さんに対し非常な危機感を覚えた。

私たちも面識のある小菅信子山梨学院大学教授は、金良平や代理人・神原元弁護士につながる者らによって激しいネットリンチを加えられ、その頃愛猫を殺された。また、作家・室井佑月さんは、やはり神原弁護士と懇意の者らとの議論、対立が過熱し、その頃自宅前に汚物が撒かれた。どちらも犯人は不明だが、偶然の一致というには不思議なことだ。

鹿砦社は一時、反原発運動で金良平らにつながる者らと共闘したり金銭的支援も行ってきたが、母子で韓国から研究に来ていた研究者、鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン)さんという京都大学研修生(当時。現在は中国の大学で講師を務める)に対する苛烈なバッシング、過熱化したネットリンチ、更にはキャンパス内で威嚇もされたりしたことで完全決別した。偶然かもしれないが、3人共、金良平や彼の代理人・神原元弁護士につながりのある者らとの対立が背後にあるようだ。

森さんは、夫が重篤な障がい者で24時間看護している。昨年末から一時危篤状態にあった。

これまで、森さんと別件の訴訟で争った者(控訴審の相手方代理人は神原元弁護士)や仲間に無断で自宅周辺をうろつかれたことがあった。私は、そうしたことを見知っていることで、金良平によるネット攻撃を見た時に森さんの身辺に危険を覚えた。

ともかく金良平による森さんへの攻撃を止めさせねばならない。その一助として金良平の「略式命令書」を森さんに送ったのだ。

森さんはこれを公表した。以後、金良平による森さんへの攻撃はピタッとやんだ。裁判所にあっては、こうした深刻な事情を考慮すべきである。

◆ 終わりに

本件提訴は、非人間的な大学院生М君リンチ事件の主要暴行犯の金良平が、「プライバシー権の侵害」に名を借りた開き直りと断ぜざるをえないものだ。

私たちは、森さんの身の危険を避けるために、その一助として「略式命令書」を公開した。身障者の夫を持つ女性の身の安全を守ることが大事か、反省もなく相変わらず暴言や威嚇行為を続ける者の「プライバシー権の侵害」が大事か、答えは明瞭だろう。

上記の理由から、М君リンチ事件の主要暴行実行犯・金良平による「プライバシー権の侵害」に名を借りた本件提訴は直ちに棄却されるべきだ。

以上

■本件訴訟の係属裁判所は、これまではずっと大阪でしたが、東京地裁立川支部です。

原告(金良平)代理人は、‟しばき隊の守護神”神原元弁護士(神奈川弁護士会)、被告(鹿砦社、森奈津子)代理人は内藤隆弁護士(東京弁護士会)です。神原弁護士はみなさんご存知の通りですが、М君リンチ事件関係訴訟以来、まさに因縁の関係です。一方、わが方の代理人・内藤隆弁護士について少し紹介しておきます。

内藤弁護士は、かの『噂の眞相』弁護団、動労千葉弁護団などに関わり、鹿砦社としては、1996年、日本相撲協会から書籍『八百長』出版に対して東京地検特捜部に刑事告訴(不起訴)された際の弁護人を受任していただいて以来、対アルゼ民事訴訟などを受任いただいています。デモでの機動隊の暴虐を監視していた際に、あまりもの不当な弾圧に抗議し逮捕され日弁連が抗議声明を出すということもある、極めて正義感の強い先生です。

※上記記事は、被告とされた鹿砦社代表・松岡の陳述書(すでに提出済み)の草稿に加筆したものです。本文中、一部を除き敬称は略しています。

※※本件訴訟について、大学院生リンチ事件関係書、その他の鹿砦社発行書籍、『紙の爆弾』などのご購読によってご支援ください。フリーのカンパは停止します(フリーのカンパを望む方は森さんへどうぞ)。

郵便振替(01100-9-48334 口座名:株式会社鹿砦社)にて書名明記のうえご注文ください。送料はサービスです。

(松岡利康)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【対金良平訴訟を闘うにあたって】 著名な精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」を読む〈1〉 鹿砦社代表 松岡利康

先にお知らせしましたように、「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)の主たる暴行実行犯、エルネスト金(略称・エル金)こと金(本田)良平が鹿砦社と作家・森奈津子さんを「プライバシー権の侵害」で民事訴訟を提訴してきました。

 
リンチ直前の加害者ら。中央が金良平、左・李信恵、右・伊藤大介

これに対し私たちは断固として立ち向かう決意を固めています。同時に、本年12月で事件発生10年を迎える、くだんのリンチ事件についても、あらためて検証し直す、いい契機にすることにしました。

このかん、提訴しておきながら、金良平にしろ代理人の神原元弁護士にしろ本件についてはダンマリを決め込んでいます。また、以前のように「エル金は友達」運動もないようです。いったんは送った「謝罪文」を反故にした後に行われた「エル金は友達」運動こそ、まさにМ君を村八分にし精神的に追い詰めるもので、首謀した者、関わった者らを断じて許せません。村八分が差別だということは言うまでもありません。

これまで私たちは、この大学院生リンチ事件について、必死に調査・取材し6冊のムック本にして世に送り出しました。そのうち1冊には主に金良平が行ったリンチ(私刑)の一部始終を録音したCD(音声データ)を付けています。被害者の大学院生(当時)М君が必死で録音した音声データをCD化するに際しては、さすがに一般の民間業者に発注するわけにはいかず、不良在日コリアンの犯行に怒った、ある在日の方が「私に任せてください」と、こっそり海外でプレスしてくれました。水面下で、こういう心ある在日の方々にご協力、ご支援いただき、私たちは「しばき隊/カウンター」と闘ってきたのです。

とはいえ、その後、未公開の資料や、語っていないこともあり、おいおい述べていきたいと思います。

被害者М君を精神的に追い詰めた村八分=「エル金は友達」運動

同上

同上

今回は、対李信恵第2訴訟控訴審において提出した、著名な精神科医・野田正彰先生の「М(実物では本名)精神鑑定書」を紹介いたします。これまで未公開ですが、これが裁判官の心を打ったものと思われます。それは判決文にも反映され、一部ながら重要部分で逆転勝訴し賠償金も減額になりました。

それでも理不尽なリンチを批判した私たち鹿砦社が100万円余りの賠償金を課せられる不当な判決を到底理解できません。主たる暴力実行者・金良平と、一発殴った李普鉉に賠償金が課せられましたが、リンチに連座し止めようもしなかった李信恵、伊藤大介、松本英一らにはなんらの咎もないというのは常人の感情から到底理解できるものではありません。裁判所の良識を疑うと共に弾劾せざるをえません。そもそも司法に良識など求めるのが間違いなのでしょうか?

さて、この「精神鑑定書」は次のような構成になっています。

1.生活史

2.事件にいたる経過

3.受傷被害時の精神状態についての診断

4.受傷被害後における精神状態

以下、引用しながら、私のコメントを申し述べていきたいと思います。

「精神鑑定書」は次のような文言で始まります。

〈М(原文では本名)は2014(平成26)年12月17日に暴行を受け、事後精神的に不安定であり診断を求めてきた。さらに弁護士大川伸郎から暴行受傷当時のМの意識・精神状態についての鑑定を依頼された。そのため、事件時の精神状態と現在の精神状態を診断するため2021(令和3)年3月3日長時間にわたってМと面接し、さらも3月22日2時間にわたって電話(コロナ感染防止のため)で聞き取りを行い、診断を行った。〉

次いで、М君の経歴を「生活史」として、М君が反差別運動に関わっていく素地を記しています。

◆1.生活史

(プライバシーにかかる部分などが多々あるので、この項、引用略)

この項では、М君が良心的に反差別運動に関わっていく過程の概略がわかります。また、高校からラクビーを始め、これによって培われた頑強な体が幸いし激しいリンチにも死ななかったといえるでしょう。もし私だったら死んでいたでしょう。万が一М君が亡くなっていたら、金良平らリンチに連座した者はどうしたでしょうか。”不幸中の幸い”と言わねばなりません。

私が大学に入った年の年末、早朝、金良平や神原弁護士が支持する日本共産党の学生・青年組織「民青」の集団に先輩らが武装襲撃され激しいリンチを受け重傷を負い、一時は医者も見放したほどでしたが、これも“不幸中の幸い”で生き延びました。被害者は、のちにノーベル賞を受賞する人の甥っ子でした。当時日共・民青は飛ぶ鳥を落とす勢いで京都府知事を擁していましたが、被害者が亡くなっていたら京都の、いや共産党そのものが瓦解していたでしょう。

◆2.事件にいたる経過

2014(平成26)年12月4日、Мはインターネット上に出された「反差別運動内部に、ヘイトスピーチを行う団体の代表者竹井信一と金銭授受のある者がいる」とのブログ記事を見て、これが金良平ではないかとの疑義を持った。その理由は、2013(平成25)年4月に金良平と竹井との名刺交換の現場をМが目撃していたこと、それ以降金良平は「交渉」と称し度々竹井と面会していたこと、竹井・金良平間の交渉内容がまったく不明であったこと、周囲の反差別運動関係者が竹井との接触をやめるようにたびたび金良平に忠告してもまったく聞き入れなかったこと、金良平は自分以外の関係者が竹井と接触すると激昂していたこと、金良平は「竹井が暴力団の名前をちらつかせて脅迫してきている」とたびたびМやその他反差別運動関係者に吹聴しながら警察や弁護士に一度も相談していなかった等、金良平の行動に不可解な点が多々見られたからである。Мは、この疑義を当時関西の反差別運動の中心人物の一人であった李普鉉に相談したところ、「Мが金良平について悪質なデマを吹聴している」と歪曲した情報を反差別運動の関係者間に拡散された。そのため2014(平成26)年12月10日頃からМは反差別運動の関係者から仲間外れにされたり、多数の関係者から金良平への謝罪を強く要求されるようになった。

Мは2014(平成26)年12月17日夜、既に5軒ほどの店で飲食を重ねていた5名(李信恵、李普鉉、金良平、伊藤大介、松本英一)のひとりである李普鉉から電話があり、「今、伊藤さんとエル金(金良平)さんと新地で飲んでるんやけど、来る根性あるか」と言われ、事件現場近くに向かった。李普鉉の言い方は非常に攻撃的であった。Мにとっては行きたくない呼び出しであったが、行かなかった場合に後からさらに苛烈な誹謗中傷や吊し上げ、嫌がらせに晒されることが予想された。既に反差別運動関係者の間に悪評を広められ、まったく孤立無援の状況に置かれていた。それまでにも「お前は在特会と変わらない差別主義者だ」との電話による糾弾を複数回受けていた。そのためМは正常な判断力を失いつつあり、不安を抱えながらも事件現場に赴いた。深夜である上に不穏なものを察知したМは録音機を密かに用意した。李普鉉による呼び出しの電話は深夜0時40分頃であり、呼び出された場所も大阪・北新地の飲み屋街であることからも、落ち着いた話し合いができるとは到底考えられなかった。しかし、行くしかないと思った。

李普鉉がМを近くで迎え、大阪市北区のワインバー「P」に連れて行った。李普鉉と待ち合わせ場所から「P」に向って歩く途中、Мと李普鉉の間にはこれといった会話はなかった。「P」はカウンターのみの狭いワインバーであり、そこに5人がМを待ち構えていた。Мが店のドアを開けると、李信恵がいきなり『何やねんおまえ』と言いながらМの胸ぐらを掴み、顔面を殴打した。

続いて店内で金良平がМの顔面を何度か殴打した。その後伊藤大介が「殴るんだったら外でやれ」と言い、金良平が恐怖に怯えるМを背後から小突きながら店外へ連れ出した。外に出るや否やいきなり金良平はМの顔面に殴打を浴びせつけた。最初の一撃で右目が腫れ、右目の視界がなくなった。そのために逃げるにも逃げられなかった。また事件現場は雑居ビルの廊下の奥であり人通りのある場所まで距離があったため、逃げようにも逃げられなかった。地面に転ばされてはさらに無理やり胸倉を掴んで立たされ、1時間にわたって殴る蹴るの暴行を受け続けた。録音された音声で確認できる範囲で、主として頭部に60回は殴打を繰り返している。その間も、金良平は「お前何人や? 俺何人や?」と叫んで民族性に言及し自身の差別意識を発露し、あるいは「訴えてみいや」「出た後一生お前の身狙って生きていったんぞ」(録音により確認)と脅した。さらにはМの交際相手の女性の名前も出し「〇〇ちゃんのこともやったるぞ」と脅迫を繰り返した。Мは、この発言により当時の交際相手の女性が襲撃され、性的に暴行されるのではないかと恐怖した。Мは、相手が5人いたこと、その中に格闘技経験者の松本英一がいたこと、防御や反撃をすればさらに暴行が激化したり場合によっては殺されるかもしれないという恐怖により、何もすることができず、ただ思考停止に陥った。長時間におよぶ激しい暴行により、Мは自分が何をされているかわからなくなっていた。

暴行が止んだ後、Мは道路をよろめきながら歩き、タクシーを止めて乗った。タクシー運転手はМの傷に驚き、30分ほどで家についたが料金を取ろうとしなかったという。払った記憶もない。

激しいリンチの様に言葉もありません。これは音声データ(CD。『カウンターと暴力の病理』に付録として収録)として残っていますので、関心のある方は、ショックで動転することを恐れずお聴きください。おそらくこの音声データがなければ、「デマだ」の一言で事件は葬り去られていたでしょう。

金良平ら加害者の一団5人は、前日日中、対在特会関係の裁判があり、その後の総括会が済み十三(じゅうそう)の「あらい商店」に移動、リンチの現場になるワインバー「P」に至るまで5軒を飲み歩き、「日本酒に換算して一升」(李信恵のツイート)を飲んだといいます。常識的に考えれば「日本酒に換算して一升」飲んだということは、もはや泥酔の域です。

このワインバー「P」は、実は私たちがかつてよく集っていた、同郷人が経営するラウンジの入るビルの隣の雑居ビルでした。偶然と言えば偶然です。そしてタクシー乗り場も近くにありますが、М君が瀕死の重傷で倒れているにもかかわらず、それを放置し立ち去っていったのです。タクシーに乗せようと思えば乗せれたわけですが、それもせず無慈悲に立ち去ったのです。М君に人権はないのか!? ふだん「人権」だなんだと言いながら、こんな無慈悲なことができるのか!? 

その後М君は必死でタクシーを拾い帰宅したのですが、「Мは道路をよろめきながら歩き、タクシーを止めて乗った。タクシー運転手はМの傷に驚き、30分ほどで家についたが料金を取ろうとしなかったという。払った記憶もない。」ということです。まさに地獄、まさに修羅場です。

М君が加害者5人を訴えた訴訟の判決後の「祝勝会」と称する飲み会。判決は不当にも請求金額を下回ったがМ君の勝訴、加害者らの敗訴だ。金額が少なかったり、賠償を免れた者はいたが、М君の勝訴は勝訴だ。敗訴しても「祝勝会」とは……

 
街頭で右派活動家を恫喝する金良平。「謝罪文」を出し一度は活動自粛を約束したが、それを反故、以降も先頭に立って威嚇活動を続行

これが、原告・金良平言う「街角の小さな喧嘩にすぎない事象」(訴状)ですか? 被害者М君は、精神的に錯乱しいまだにPTSDに苦しみ、本来ならどこかの大学などで静かな研究者生活を送っているべきところ、まったく意に反し個人経営の事務所で給与所得者として働いています。人ひとり、若い研究者の卵の人生を狂わせておいて、なにが「街角の小さな喧嘩にすぎない事象」だよ!? いい加減なことを言わないでいただきたい。みなさん、そう思いませんか? 

私は生来愚直な田舎者で執念深い男です。この大学院生リンチ事件の本質と意味を自分が納得の行くまで問い続けます。だってそうでしょう、ふだんいくら立派なことを言っていても、こういう残虐なことが起きたら、真正面から向き合い、真摯に思慮し自己に正直に対応すべきではないでしょうか? 

偶然とはいえ、出版者人生末期に起きた事件で、孤立無援に近い状態にあったリンチ被害者М君を支援したことは絶対に間違っていなかったと今でも考えています。会社にも迷惑かけましたし(これに懸けた労力を他に注ぎ込んだら売上・利益はもっと上がったでしょう)、老境にある身としては体力的にも精神的にも正直きつかったです。それでも私はМ君を見放すわけにはいきませんでした。一人の若い研究者の卵の人生を狂わせておいて、まことしやかな綺麗ごとをほざく徒輩を私は許しません。老出版人にもこれぐらいの矜持はあります。 (つづく)

【引用にあたっては、一部イニシャルにしたり省略した箇所があります。また、一部を除き敬称を略した。】

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(松岡利康)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《緊急報告》怒りを込めて振り返れ! 10年を迎える「カウンター大学院生リンチ事件」とは何だったのか? ── 主たる暴行実行犯・エル金こと金(本田)良平からの提訴について 鹿砦社代表 松岡利康

「記憶の中の事件は忘却の途についている」(注)── 私たちが実に7年にもわたって被害者М君に寄り添い関わって来た「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「北新地大学院生リンチ事件」。以下「大学院生リンチ事件」と記します)、果たしてこれでお終いにしていいのか? と思っていたところ、つい最近、「忘却」から「記憶」を蘇らせる出来事がありました。

[注](「デジタル鹿砦社通信」2022年12月10日号、黒薮哲哉寄稿「М君リンチ事件から8年、輪郭を現わしてきた司法制度の闇とヒューマニズムの劣化」より)

◆大学院生リンチ事件の主たる暴行実行犯・金良平が民事訴訟を起こしてきました!

かの「大学院生リンチ事件」の主たる暴行実行犯「エルネスト金」(略称エル金)こと「金(本田)良平」(以下、通称で記すのも失礼でしょうから本名の金良平と記載します)が、何を血迷ったのか、株式会社鹿砦社と森奈津子さんを「プライバシー侵害」で民事訴訟を提訴したのです(東京地裁立川支部)。

「請求の趣旨」は、

「1 被告森奈津子は、訴状添付別紙1投稿記事目録記載の記事(注:被告森奈津子の2023年10月2日のX)を削除せよ。」

 2 被告ら(注:森奈津子、鹿砦社)は、原告(注:金良平)に対し、連帯して、各110万円及びこれに対する2023年10月2日から支払い済みまで年3分の割合による金員を支払え。(3、4略)」

というものです。

被告とされた森さんが鹿砦社の「指令」で、金良平が大学院生М君に激しいリンチを加えたことにより課せられた罰金40万円が記された「略式命令」書をX(旧Twitter)に晒したことが「プライバシーの侵害」だというのです。

金良平が、この「略式命令」を明かした森さんへの粘着した経緯、また「略式命令」を食らうに至る、大学院生リンチ事件の経緯と情況を何ら記述することなく、その「前科情報」を公開したことが「プライバシーの侵害」だということのようですが、大学院生リンチ事件においてエル金がリンチの主たる実行犯であり刑事で罰金40万円、民事で賠償金113万円余(+利息)を課せられたことは〈公知の事実〉であり、すでに鹿砦社の8冊(田中宏和著『しばき隊の真実』『SEALDsの真実』含む)の出版物、あるいは裁判の経過をリアルタイムに報じてきた「デジタル鹿砦社通信」、さらにはSNSにて多くの人たちが発信し、さんざん広く語られ議論されてきたとおりです。

むしろ、リンチ被害者М君、及び私たちは、金良平、李信恵ら加害者5人に真摯な反省があるのか、またその後の生き方にどう教訓化してきたのかを問いたい。さらには、加害者の周辺にいた者ら、特に私たちの追及に沈黙したり逃げたりした、「知識人」とか「ジャーナリスト」といわれる者たち、政治家、弁護士らがこの10年近く、どう考えてきたのか、を問い質したい、と思います。

そうして、いやしくも「人権」だ「反差別」だと口にするのならば、リンチ事件の社会的、思想的問題を総括すべきでしょう。リンチ事件は絶対に「デマ」ではなく、わが国の反差別運動において最大級の汚点です。これはしっかりと主体的に反省し総括すべき問題です。この反省なくしては、いかなる綺麗な言論も虚妄でしかありません。こうしたことは、私たちが一貫して主張してきたことですが、私たちの言っていることは間違っているでしょうか?

◆私たちはなぜ「大学院生リンチ事件」に関わって来たのか?

くだんの「大学院生リンチ事件」について、私たちはゼロの状態から地を這うような取材・調査を元に6冊の本にまとめ、その都度、その都度に出版物として世に問いました。そうは言っても私たちは捜査機関や大手新聞、大手出版社ではないのでカネやヒトで限界があったことは否めませんが、私たちなりに精一杯頑張ったつもりです。

そうした中で、この「大学院生リンチ事件」をどう捉えるかで、その人自身の人間性や人となりが問われると考えてきました。その最終報告がまだ出来ておらず、本年12月に10年を迎えるにあたり、それをやり切りたいと、つとに考えてきたところです。

リンチ事件の内容は、発生後意図的に1年余(発生の2014年12月~私たちが知った2016年1月)も報じられることなく隠蔽されてき、「十三ベース事件」なる呼称で、いわば都市伝説化し歴史の闇に消えようとしていたところ、事件から1年余り後に、かねてから私たちが主催して市民向けに行ってきた、いわゆる「西宮ゼミ」にちょくちょく参加していた人から、私たちの元に持ち込まれました。

被害者やこの周辺の人たちが提示した資料や証言、特にリンチ直後の写真(別掲)などから、私たちは素朴に、「これは非道い」と感じ、被害者に寄り添い、支援と真相究明を行うことにしました。血の通った一人の人間として当然であり、ここで目の前にいる被害者に「われわれでは君を助けることはできない」などと言えるでしょうか? 

[左写真]リンチ直後の被害者М君。数十発殴られ、そのほとんどが金良平によるもの。М君は無抵抗。これを見たあなたはどう思いますか? [右写真]金良平(右)とリンチに連座した李信恵(左)

また、リンチ事件を知りながら、安田浩一や池田香代子ら鹿砦社主催のゼミナールに招いた者も含め、私たちの取材から逃げたり沈黙したり開き直ったりした者らの人間性を、今あらためて問い質したいと思います。

池田香代子は名著『夜と霧』の新版を訳したことで有名ですが、かの名著を翻訳した者なら、『夜と霧』に通底する思想をわがものとし、このリンチ事件に真正面から向き合うべきではないでしょうか? ちなみに池田の新版では、旧版で掲載されていた残酷な画像はカットされていますが、このことは、池田が歴史を改竄するような人であることを物語っているといえるでしょう。

◆リンチによって台無しにされたリンチ被害者М君の人生 ── 金良平は今からでもМ君に真摯に謝罪せよ!

本年12月に10年を迎えるにあたり、原告・金良平は、みずからが行ったリンチを「街角の小さな喧嘩にすぎない事象」(訴状)とまで矮小化しています。被告とされている森奈津子さんとのやり取りのXでも「卑劣なデマで人を貶めた」とリンチ被害者М君や彼に寄り添い最後まで支援してきた私たちを誹謗中傷しています。私たちがどんな「卑劣なデマで人を貶めた」というのか、М君や私たちの前で言っください。

リンチ被害者М君は、当時、関西でもトップクラスの某国立大学の大学院博士課程に在学していました。将来は研究者としての人生を送るつもりでした。しかし、今でもリンチによるPTSDに苦しみ(これには著名な精神科医・野田正彰先生の精神鑑定書を裁判所に提出。未公開)、博士課程は何とか修了したものの博士論文は遂に書けず、研究者人生を断念、今は意に反し普通の会社勤めをしています。一人の研究者の卵の人生を台無しにして、何が「プライバシーの侵害」だ!?  まずは今からでも被害者М君に真摯に謝罪すべきでしょう。これが先決です。

また、原告・金良平らは、事件後いったんは認(したた)めた謝罪文(金良平のもののみを別掲)を、しばらくして反故にし開き直りました。今も何の反省もなく開き直っているようです。約束した活動自粛も再開しました。まずはその謝罪文に立ち返り、あらためて金良平が数十発殴ったМ君に謝罪すべきです。ここでも、私の言っていることは間違っているでしょうか?

リンチ後、金良平がМ君に渡した謝罪文。のちに反故。このことが被害者М君を苦しめる一因となった

 
金良平が知人に送った恫喝ツイート

リンチの主たる実行犯・金良平は、みずから「私自身のこれからの人生にとっても教訓としていかねばならないと考えています」(謝罪文)と言っていますが、その後、いかなる人生を送って来たのでしょうか? 今回の森奈津子さんに対してもそうですが、相変わらずXなどで、みずからが気に食わない人たちに激しい粘着、攻撃をしています。このかん、ざっと彼のXを閲覧しましたが、リンチ事件に対して真摯に向き合ってきたとは到底思えません。

また、リンチの場に連座した伊藤大介は、その後も、私たちと李信恵との訴訟を傍聴した後に酒に酔い、深夜右翼活動家を呼び出し仲間と共に暴行を加え有罪判決を受けています。反省がない証です(この件は、森さんも寄稿している『暴力・暴言型社会運動の終焉』に記述されていますので参照してください)。

◆私たちは本件訴訟を契機として「大学院生リンチ事件」の徹底的な検証と総括に努めます!

私たちは、今回の提訴によって、いわば「寝た子を起こされた」わけですが、むしろこれをいい契機として、リンチ事件を主体的に捉え返し、あらためて徹底した検証と総括作業を行い、後世に残るような〈最終報告書〉にまとめていきたいと考えています。

昨年、英公共放送BBCによるドキュメントを突破口に、半世紀以上わが国芸能界を支配し栄華を誇ったジャニーズ帝国が崩壊しました。28年前の1995年から追及してきた私たちは、その28年間の〈集大成〉として『ジャニーズ帝国60年の興亡』(A5判、320ページ)という大部の本にまとめ上梓しました。

大学院生リンチ事件関係本はこれまで8冊(田中宏和著書も含む)、1000ページを越します。虚偽があってはいけないと、一つ一つの本は、地を這うような調査・取材を元にまとめました。「デマ」を絶対に排することは当初からの禁止事項でした。私たちになんで「デマ」本を出す必要があるでしょうか? 

一連のリンチ事件関連本。第4弾の『カウンターと暴力の病理』にはリンチの一部始終を録音したCDが付いている

長年(鹿砦社は1969年創業。松岡が代表に就いて約40年)出版界に在って、それなりの存在感を示し歴史と矜持を持ち、「デマ」本を出すことは恥だと思ってきています。何度も言ってきましたが、」「デマ」だなんだかんだ言うのであれば、反論本を出すべきでしょうが、これはありませんでした。

今回の訴訟に対して私たちは真正面から対峙しますが、戦術的に手の内を見せることはしたくないので具体的に述べるのは最小限にしておきます。とはいえ、漸次報告は行っていきますので、どうかご注目をお願いいたします。

皆様方の圧倒的なご支援を要請する次第です。

最後にもうひとこと言わせてください。鹿砦社と共に被告とされた森奈津子さんですが、正月から重度障がい者のお連れ合いが危篤状態だということをみずからのXで公開しています。幸い今は小康状態だということですが、そうした中で、別件と併せ2件、神原弁護士を代理人として容赦なく提訴してきています。原告の金良平も代理人の神原弁護士も森さんのXを日々監視していると思われますが、それでの提訴です。

彼女も乳がんで片乳を取りながらサバイバルし、再発を恐れながら日々暮らしています。がんは半分精神的な要素で発症(再発)するともいわれ。お連れ合いの看護と複数の訴訟で精神的に追い詰めようとでもしているのか、と勘繰らざるをえません。

「人権」や「反差別」などと嘯(うそぶ)きながら、「武士の情け」などないようです。人情も地に堕ちたものです。 (文中、一部を除いて敬称略)

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以前はМ君関係訴訟の資金を集めることを優先したので鹿砦社としては身銭を切る形でしたが、今回は皆様方に資金面でのご支援を仰ぐことにしました。

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《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件から8年、輪郭を現わしてきた司法制度の闇とヒューマニズムの劣化 黒薮哲哉

人種差別に抗する市民運動を進めると自認していると思われるグループ、「しばき隊」が2014年12月17日の深夜に大阪市の北新地で、大学院生リンチ事件を起こしてからまもなく8年になる。

リンチ直後のM君

この間、被害者のM君としばき隊の間で、あるいはM君を支援する鹿砦社としばき隊の間で、裁判の応酬が続いてきた。しかし、それも、鹿砦社が自社に潜り込んでいたしばき隊のシンパを訴えた控訴審判決(11月17日)を最後に表面上の係争は終わった。鹿砦社は上告せず6年半にわたる一連の法廷闘争はピリオドを打ったのである。

事件そのものは、『暴力・暴言型社会運動の終焉』(鹿砦社)など6冊の書籍に記録されているが、記憶の中の事件は忘却の途についている。同時に距離をおいて事件を多角的に検証する視点が筆者には浮上している。あの事件は何だったのか?

筆者はこの事件を通じて、マスコミとは何か、インテリ層とはなにか、司法制度とは何かという3つの点について検証している。記者クラブはM君と鹿砦社から記者会見の機会を完全に奪った。M君や鹿砦社が原告であった裁判で、大阪司法記者クラブ(大阪地裁の記者クラブ)は、幾度にもわたる記者会見開催要請を、すべて拒否したのだ。これに対してしばき隊関連訴訟の会見はほぼすべて開き、発言者の主張を新聞紙などマスコミに掲載するなど、活動を支援し続けた。その典型として、リンチ事件の現場にいた女性を繰り返しテレビや新聞に登場させた。

一部の文化人は事件を隠蔽するために奔走した。その中には、『ヘイトスピーチとは何か』(岩波新書)で、差別を取り締まるための法整備を提唱していた師岡康子弁護士もいた。

裁判所は、杜撰な審理でM君と鹿砦社に敵意ともとれる態度を示した。形式的には、被害者のM君を勝訴させざるを得なかったが、しばき隊の女性リーダーの責任は問わなかった。M君に対する賠償額も小額だった。

◆法曹界のタブー、「報告事件」

筆者は、この事件の一連の裁判は、最高裁事務総局が舞台裏で糸を引いた「報告事件」ではないかと疑っている。「報告事件」とは、最高裁事務総局が関与したペテン裁判のことである。

元大阪高裁判事の生田暉夫弁護士は、『最高裁に「安保法」違憲判決を出させる方法』(三五館刊)の中で、報告事件とは何かに言及している。

報告事件については、担当裁判官からではなく、担当書記官や書記官の上司から最高裁事務総局の民事局や行政局に直接、裁判の進展状況が逐一報告されます。

最高裁事務局が「報告事件」に関する情報を収集して、判決の方向性が国策や特定の企業の利害などに反する場合は、裁判官を交代させたり、下級裁判所へ判決の指標を示すことで、判決内容をコントロールするというのだ。実際、筆者も裁判が結審する直前に裁判官が交代した不自然な例を何件も知っている。また、最高裁事務総局に対する情報公開請求により、「報告事件」の存在そのものを確認した。これについては、次の記事を参照にしてほしい。

最高裁事務総局による「報告事件」の存在が判明、対象は国が被告か原告の裁判

差別を取り締まる法の整備を進めることで、徐々に言論統制への道を開きたい公権力機関にとって、極右集団もしばき隊も利用価値がある。彼らを取り締まるよりも、「泳がせる」方が言論を規制する法律を作る根拠に厚味が出るからだ。世論の支持を得やすい。

筆者が情報公開請求により最高裁事務総局から入手した「報告事件」を裏付ける文書。大半が黒塗りになっていた。「勝訴可能性等について」の欄は、下級裁判所が「報告事件」に指定された裁判において、最高裁事務総局が応援している側に勝訴の可能性があるかどうかを記入する。可能性が低い場合に、最高裁事務総局は担当裁判官の交代などを行い、判決の方向性を変えるようだ。このような制度が存在すること自体、日本における三権分立がすでに崩壊していることを意味する。

◆偏向した裁判所とマスコミ

M君は、40分もの間、殴る蹴るの暴行を受け、罵声を浴びた。顔は腫れ上がり、鼻骨を砕かれた。その時の音声記録も残っている。リンチ直後のM君の顔写真もある。全治3週間である。リンチが続いている間も、リーダーの李信恵は、ワインを味わい、ツイッターを発信した。

一連の裁判の当事者は、次のように分類できる。

(1)M君VS野間易通
(2)M君VSしばき隊
(3)鹿砦社VS李信恵
(4)鹿砦社VS藤井正美

最初にM君は、しばき隊のリーダー・野間易通に対して名誉を毀損されたとして損害賠償裁判を起こした。野間がツイッターで、「おいM。おまえリンチされたって言ってるんだけど、ほんとうなの?」とか、「日本人として腹を切れ」といったツィートを投稿した。裁判所は野間に対して、M君に10万円を支払うように命じた。

次にM君はリンチ事件の現場にいたしばき隊の5人に対して、治療費や慰謝料などの損害賠償を求めた。請求額は1106万円。5人の被告には、李信恵も含まれていた。大阪地裁は、3人の被告に総計で約80万円の支払いを命じた。大阪高裁は支払額を約115万円に引き上げた。しかし、地裁も高裁も李信恵に対する請求は棄却した。M君は勝訴したとはいえ判決内容に納得していなかった。

ちなみに当時、李信恵はウエブサイト「保守速報」に対して、名誉を毀損されたとして裁判を起こしていた。保守速報が、ネットに差別的な発言を掲載したことが訴因だった。この裁判で裁判所は、李信恵の主張を認め、保守速報に対して200万円の支払いを命じた。差別を規制する法整備を進める層が、李信恵の勝訴を高く評価したのは言うまでもない。メディアも李信恵を、反差別運動の騎士としてクローズアップした。

M君を原告とする裁判と李信恵を被告とする裁判を単純に比較することはできないが、筆者は両者のコントラストに衝動を受けた。司法もマスコミも李信恵の味方だった。

M君VSしばき隊の裁判。3人のメンバーに対して約80万円の支払い命令が下ったが、李信恵の事件関与は認定されなかった。その日の夜、神原元弁護士(右)らは祝杯をあげ、ツイッターで宴会の様子を写真で公表した。

◆李信恵に対して10万円の支払い命令

しばき隊の体質を告発し続ける鹿砦社に対して、李信恵はツイッターで鹿砦社攻撃を繰り返していた。たとえば次の投稿である。

「鹿砦社って、ほんまよくわかんないけど。社長は元中核派?革マル派?どっち?そんなのも知らないおいら。在日の普通の女に、ネットや普通の暮らしの中で嫌がらしかできない奴が、革命なんか起こせないよね。爆笑。おいらは普通の自分の暮らしを守りたいし、クソの代理戦争する気もないし。」

「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど。ほんまに嫌がらせやめて下さい。私に関することだけならいいけど、私の周りに対してのやり方が異常だし酷すぎる。私が死んだらいいのかな。死にたくないし死なないけど。」

これに対して鹿砦社は、李信恵を被告とする損害賠償裁判を起こした。裁判所は、李信恵に対して10万円の支払いを命じた。M君が野間易通を提訴した裁判で、裁判所が野間に命じた額と同じである。李信恵が保守速報から勝ち取った200万円に比べると極端に額が少ない。

鹿砦社から提訴された李信恵は、「反訴」のかたちで、鹿砦社が出版した『反差別と暴力の正体』など、M君リンチ事件を取材した4冊の書籍やデジタル鹿砦社通信に掲載した記事に対して名誉毀損裁判を起こした。この裁判で大阪地裁は、李信恵を勝訴させ、鹿砦社に対して165万円の損害賠償などを命じた。損害賠償額は控訴審で李信恵がリンチの現場に連座していたことを認定し、激しいリンチが行われていてもそれを止めず、被害者M君を放置して立ち去った「道義的批判を免れない」とし110万円に減額された(下記に記述)。

◆業務中のツィータ投稿が1万8535件

M君事件に関する一連の裁判の最終ラウンドとなったのは、鹿砦社が同社の元社員・藤井正美に対して起こした損害賠償裁判だった。藤井は、鹿砦社に在籍していた3年の間、業務中に社のパソコンを使って業務とは無関係なことをしていた。勤務中のツイッター投稿数だけでも、1万8535回に及んでいた。

その中には、鹿砦社の松岡社長を指して「棺桶に片足を突っ込んだ」人間と揶揄するツイートも含まれていた。「松岡」という名前は明記していなかったが、しばき隊の仲間内では周知だったと思われる。

藤井が退職した後、削除されていたパソコンのデータを復元したところ、鹿砦社が圧力団体であるかのような誤解を招きかねない「取材申し込みのメール」を近畿大学など複数の機関に送付していた事実が判明した。

鹿砦社は藤井に対して損害賠償を求めた。ツイッター投稿の足跡と物量、つまり勤務時間中に仕事をしていなかったすべての証拠が請求の根拠となった。仕事をなまけていた印象だけでは、請求の根拠はないが、業務放棄の物的な証拠が残っていたわけだから、社会通念からすれば、請求が認められる可能性があった。また、ツィートの内容が鹿砦社や松岡社長を中傷していた。

鹿砦社による提訴に対して、藤井正美は反訴した。鹿砦社のネット上発信及び出版した書籍で名誉を毀損されたという理由である。

大阪地裁は鹿砦社の請求をすべて棄却し、逆に藤井の「反訴」を認めて鹿砦社に11万円の支払いを命じた。鹿砦社は控訴したが棄却された。

◆李信恵の言動は、「道義的批判を免れない性質」

これら一連の裁判の中で、筆者が唯一注目したのは、李信恵が鹿砦社の書籍などに対して起こした名誉毀損裁判の控訴審判決(大阪地裁)だけである。李信恵の勝訴は覆らなかったが、大阪高裁は損害賠償額を減額した上に李信恵の言動を次のように認定した。

被控訴人(注:李氏)は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。(控訴審判決、10P、裁判所の判断)

本来であれば、この事実認定を起点として、M君リンチ事件に関する一連の裁判を審理すべきだったのだ。というのも事件の最初の火種を作ったのは、M君の胸倉をつかんだ李信恵だったからだ。仲間が一時的に李信恵をなだめたものの、彼女に代って、彼らがM君に危害を加えたのである。M君自身は李信恵に殴られたと話している。

M君が李信恵らリンチの現場に連座した5人を訴えた大阪地裁裁判では李信恵がM君の胸倉を掴んだことは裁判所も認定しつつも、M君を殴ったのか、殴ったとしたら「平手」か「手拳」かが争点になった。ここにおけるM君の混乱を衝かれ裁判所はM君の証言を「信用できない」とした。考えてもみよう、長時間の激しいリンチで意識が朦朧としている中で、記憶が飛んでしまったり曖昧になるのは致し方ないのではなかろうか。この判決が最高裁で確定したことが、李信恵(原告)vs鹿砦社(被告)訴訟では控訴審で、国際的な心理学者の矢谷暢一郎ニューヨーク州立大学名誉教授による学的な意見書や精神医学の権威・野田正彰の「鑑定書」をもってしても覆すことができなかった。しかし、それは枝葉末節で根源的な問題ではない。根源的な問題は、リーダーとしての李信恵の言動が仲間によるリンチの発火点になった点なのである。

その意味で少なくともM君がしばき隊を訴えた裁判の判決内容は、根本的に間違っている。120万円程度の損害では済まない。

◆M君を「反レイシズム運動の破壊者」呼ばわり

2014年12月17日にしばき隊がリンチ事件を起こした直後、師岡康子弁護士は反差別運動の活動家・金展克に次のメールを送付して、M君が李信恵らを刑事告訴しないようにM君を説得するように依頼した。

そのひと(注:M君)は、今は怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかも知れませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶした人という重い批判を背負いつづけることになります。

筆者は、人権よりも「市民運動」の政策目的を優先するこの弁護士に、薄っぺらなヒューマニズムを感じる。冷血といおうか。M君リンチ事件に端を発した一連の裁判は、筆者にとっては、劣化した日本を考える機会であった。幸いに事件の記録は、鹿砦社が刊行した6冊の書籍に詳細に記録されている。

ジャーナリズムの役割とは、こういうものではないだろうか。

※登場人物の敬称は略しました。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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