「暴露本出版社」の魂、いまだ死なず!「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」松岡の意地 鹿砦社特別取材班

 
M君リンチ事件〈爆弾〉第5弾『真実と暴力の隠蔽』

『真実と暴力の隠蔽』――M君リンチ事件関連出版物第5弾にして、最大級の衝撃を巻き起こしたことは間違いないだろう。発売から1カ月を経るも、いまだに松岡や取材班への電話での問い合わせはひきも切らず、新たな“タレコミ”や“暴露”情報も相次いでいる。その中には『真実と暴力の隠蔽』で放った各種兵器の破壊力を凌駕する情報も含まれ、「取り扱い注意」情報がまたしても取材班に蓄積することになった。

そもそもM君リンチ事件関連の出版は、あくまで「事実解明」、「真実の追及」を目指し、手探りの中で始まった。出版物には掲載されなかった「空振り」や、思わぬ「落とし穴」、あるいは度重なる「背信行為」に取材班は相当数直面してきた。しかしそれらは、一時的に取材班を落胆させ、意欲の低下を招くことはあっても、根本的な動機の低下には繋がらなかった。なぜか? 今だから自己解析できるのだが、それはトップの松岡に漲(みなぎ)るエネルギーに起因していたのではないかと思われる。

松岡はM君リンチ事件について、原則的な立場からM君の支援を行うとともに、取材班全体の指揮を執っている。

「Aさん。岸政彦に突撃お願いします」

松岡の指示は必ずすべてが敬語だ。しかし敬語だからと言って内容が穏やかであるとは限らない。取材班は松岡から指示を受ければ「社長それはちょっと……」と断ることはできない。松岡の物言いが威圧的なのではない。逆に穏やかな物言いに知らず知らずのうちに現場へと足を向けるのであった。東京で、関西で、沖縄で……。直撃に当たった取材班は現場では松岡の本性に触れることになる。たとえば沖縄で取材班が香山リカと安田浩一の2ショットを抑えたとき、電話で松岡に報告を入れると、「野間もいるらしいじゃないですか。香山、安田、野間の3ショットもお願いします」とまたしても穏やかな敬語で、しかし厳しい指令が下る(この時はあいにく3ショットを収められなかった)。東京で数日にわたり有田芳生参議院議員に張り付き、失敗したときは、「なにやってるんだ!」と珍しくイラついた声が浴びせられた。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

まだ20世紀の最終盤、世間では「2000年問題」(1999年から2000年に年号が変わることにより、コンピューターが大規模な誤作動を起こさないか、という懸念)が、賑やかに語られるようになったころ、鹿砦社は天下に名の知れた「暴露本出版社」であった。ジャニーズ事務所、宝塚歌劇団など大きな相手に、たかが数人の出版社が、挑んでいた。背後にスポンサーや政治家の力があるわけでもなく、時代に逆行するかのように、ひたすら“突撃”あるのみで、巨大な勢力の闇にぶつかっていた。そこで生み出された手法が、鹿砦社の伝統となる「暴露」魂である。

ジャニーズ事務所に卑怯な手を取られたことに怒った松岡は、あろうことか「芸能人にプライバシーはない!」と豪語し、なんとジャニーズタレントのかなり多数の自宅を調べ上げ、その住所(町名まで)、自宅写真と自宅地図をまとめて『ジャニーズおっかけマップ』として出版し、世間を驚かせたことは有名な話だ。

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)より

さらに3.11以降、東電幹部や原発信奉学者らに対しても同様なことをやっている。松岡という男は、見るからに好々爺然としているが、ここまでやる男だ。今でも時に松岡は「私はジャーナリストではありません。所詮“暴露本屋”の親父ですから」とみずからを自嘲気味に語ることがある。取材班の数名は、M君リンチ事件解明の取材にあたるなかで、当初この言葉にやや違和感を覚えていた。「暴露本ちゃうやろ。これはルポやで、少なくとも」そう仲間内で語る記者もいた。

『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』(2012年9月25日刊)では福島第一原発事故当時の東電会長、勝俣恒久を直撃インタビュー!
『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』(2012年9月25日刊)P.100より


『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』鹿砦社

たしかに「生き馬の目を抜く」といわれる芸能界や、警察癒着と闇世界が隣り合うパチンコ業界相手のかつての「全面戦争」に比べれば、清義明氏がくだんの座談会でいみじくも言うように「相手は小さい」かもしれない。しかし、時代が違う。取材班も痛感することとなる、マスメディアの凋落の激しさと、“隠蔽工作”に関わる弁護士、知識人、学者らの結託。これらを打ち破るには、今日常識的な取材や出版を行っていても、社会に訴求しないことを思い知らされた。つまり何らかの“爆弾”を搭載した出版でない限り、このような問題に、社会は興味を持たない時代であることを!

そして次第に、取材班は“隠蔽”との闘いがすなわち“暴露”でしかありえないことを体感することとなった。偽善、欺瞞に満ちた唾棄すべき“隠蔽”工作関係者に事実を突きつけて「あんたはどうなんだ?」と問い質す。この手法を「踏み絵を踏ますようだ」と批判された方がいる。そうだ。その通りである。明らかな事件隠蔽の事実を示して「どう思うか」は人間としての良心があるのかないのか、“隠蔽”に加担しているのか、していないのかを確かめる行為に他ならない。

注視されるべきは、そこまで事実を突きつけても、「知らない」、「なんとも思わない」とシラを切り続ける冷血漢が少なくないことである。否、われわれの取材に真摯な回答を返して下さった方は、例外的少数でしかない。その例外的少数の中に木下ちがや氏も含まれるはずであった。しかしどうしたことであろうか。松岡が隠密裏に実行した清義明氏との座談会では、あれほど多弁で(『真実と暴力の隠蔽』に掲載したのは全座談会の3分の1にも満たない。木下氏は終始一貫同様の内容を語っている)あったにもかかわらず、「査問」を受けたのか、脅されたのか?今日木下氏は掌を返し、あたかも鹿砦社が、悪徳出版社であるかのような断定をしている。いいかげんにせんとあかんわ。木下氏は、事前ゲラチェックを求められなかったとはいえ、自分の発言には責任を持たないといけない。まだ間に合う。もういちど掌を返し直していただきたい。

「なめたらあかんぞ!」と木下氏には再度忠告しておくが、それでも取材に応じてくださった恩義もある。今回取材班は木下氏を斬らない。しかし、松岡が木下氏、清氏との座談会を終え、帰社した時点で木下氏の運命は決していたということであろうか。断っておくが松岡は一切誘導質問や無理やり論旨を曲げてはいない。木下氏は誰に促されることもなく、みずから能弁に語り、みずからの論を展開しているだけである。しかし、その発言は編集段階から木下氏の今日の運命を、予想させるに十分であった。

われわれは木下氏の発言を1文字も曲げずに出版した。われわれが木下氏を批判、糾弾するはずがない。しかし”連中“は、黙ってはいないであろう。M君が金銭疑惑を語った行為への返答が「半殺しの報い」であれば、木下氏へも相当な攻撃が行われるであろうことは、“連中”の行動を観察していれば、予想できた。それは、木下氏自身が最もよく知っているだろう。そして内々からのリアクションの厳しさも――。真の<知識人>とは、それでも自らの意見を貫く人のことをいうのではないのか!?

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

「鹿砦社は木下氏に冷たくないか?」との疑問が聞こえてきそうだ。違う。木下氏は嘘も張ったりも語っていない。木下氏が考える視点は極めて示唆に富み的を射ている。その着眼点は、取材班のものではなく、木下氏のものだ。そしてなにより、木下氏の主張は「真っ当」なのだ。こういう意見を汲まないと問題は解決しない。木下氏の意見に、「やっこさんもやるじゃないか」――われわれは本件リンチ事件解決への光明を見たと言っても過言ではない。だが、木下氏が掌を返し屈したことで問題解決への途からまた後退した。

真っ当な主張をして、その意見が踏みつぶされ、口を封じられるのであれば、それはどんな社会だろうか。学者として木下氏にはその「現実」に直目したとき、「屈する」道を選んだ。松岡には悪いが、実は木下氏のこれまでの主張からすれば、そうなるであろうことも取材班には予感があった。残念ながら予感は的中した。声を荒げるでも、激論を交わすでもなく、「好々爺」松岡(合田夏樹氏の評)が、これまで培った感性で実現した座談会。「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(元鹿砦社社員藤井正美の評)は、真実を追おうとする中で、図らずも木下氏が持論を展開した。結果的にはそれが重大事実の“暴露”となったのが皮肉な帰結である。歴史はアイロニカルで時に非情である。

鹿砦社代表・松岡利康

鹿砦社特別取材班

 

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

M君リンチ事件本第5弾『真実と暴力の隠蔽』 発売からの反響を振り返る

 
『真実と暴力の隠蔽』定価800円(税込)

松岡 『真実と暴力の隠蔽』が発売されて3週間になります。予想はしていましたが反響が大きいようですね。

 読者の皆さんもそうだと思うんですが、9項〈「カウンター」周辺のキーマンに松岡が直撃! 明かされる「しばき隊」の内情〉。これはたしかにゲラを読んでいない僕たちも腰を抜かしました。発売直後から吊るし上げ状態の木下ちがや氏の登場と、発言はまさに“爆弾”でしたね。

 でも不思議だよね。木下氏はあれだけ論理的に語っていたのに、「全面屈服」だもんな。かなりキツイ仕打ちを受けているんじゃないかと、心配になるよ。

松岡 それについては先日も書きましたが、木下氏からは私も、教えられることが多かった。会う前までは「しばき隊NO.3」との評判に、私も少し構えてもいましたが、清義明さんとの座談会で、すぐに打ち解けました。

 その超特大スクープを社長がどうやって実現したのかはともかく、木下氏が鹿砦社の取材に出てきてくれたことは高く評価すべきだよ。

 それについての異論は「しばき隊」内部以外にはないんじゃないかな。僕はどうして鹿砦社の取材と解かっていて、木下氏が座談会に参加していただけたのか、その意図を考えるべきだと思うんですよ。野間ら「しばき隊」主流派(?)から、鹿砦社はとんでもない出版社のように罵倒されているわけじゃないですか、連日。リンチ事件関係の書籍だってそれまでに3冊出し、それも3冊とも送っているわけで、鹿砦社のスタンスは明確なわけです。学者である木下氏が既に出していた3冊を全く読まずに、取材に応じてくれたとは考えられない。

 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより

 まあ、「木下査問」は見せしめ的に続くのだろうけど、俺たちとしては、彼の発言した事実にこそ注目してもらいたい。それから木下氏から「SOS」が来れば支援は惜しみませんよね、社長?

松岡 もちろん、彼が原則的な助けを求めてきたらその準備はあります。

 木下炎上ばかりが話題になっているけど、『真実と暴力の隠蔽』には同じくらいに重要な情報が満載なんだけど、その存在が薄まっているのが残念ですね。グラビアの1頁目のコラージュだけでも、表現が見つからないほどの「殺意」ですよ。

 それは言えるね。グラビアで言えば、あの比類なく悪質なコラージュもそうだけど、李信恵の無茶苦茶なツイッターへの書き込みや、野間が右翼と仲良く談笑してる写真。さらにはエル金が自己弁護のメールをC.R.A.Cのメーリングリストに送った(これは第6項に掲載)ものへの野間「事件隠蔽指示」メールも掲載した。これらもかなりの資料的価値はあると思うんだ。読者の皆さんには是非「読み飛ばしてほしくない」ポイントとして挙げておきたいな。

 これは書籍とは直接関係ないけれども、金展克さんが「M君リンチ事件」直後に明確に隠蔽を指示した師岡康子弁護士のメールを公表した。これは大事件だよ。岩波書店から『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)を出している弁護士が、「ヘイトスピーチ対策法」を通すためには「暴行被害者の口を塞げ!」と言って隠蔽を図るんだから。「ヘイトスピーチ対策法」は「M君リンチ事件」隠蔽を前提条件として成立した「言論弾圧法」だともう決めつけるしかない!

 そんなに軽いものでしょうか? 師岡康子弁護士は徹底的に「事件隠蔽」に関わった経緯と意図を説明する義務がある。M君に直接謝罪すべきじゃないかと思いますね。

 師岡は今後ターゲットとして追わないといけないね。でも、『真実と暴力の隠蔽』には他にも読み落とされたら困る内容があるじゃない。被害者M君の手記「リンチの悪夢に苦しめられた日々」は、彼が「過酷な経験をしたにもかかわらず、格調高く意見表明をしている」と評価が高いね。

 逆に6項で網羅的に紹介した〈「カウンター」界隈の差別・反人権暴言集〉は、違う意味でインパクトがありますよね。まさか野間が「この糞チョソン人」とか「なんだ南洋土人か」といったド真ん中ストライクの差別表現を使っている人物だと知っていた人は少なかったんじゃないかな。

 A君から見ればそうかもしれないけど、世代の近い俺から見れば、野間の化けの皮なんかちょろいもんだよ。あんな奴がどうして朝日新聞や東京新聞はじめ、メディアに取り上げられるのか?と思うでしょ。答えは簡単。メディアが野間レベルまで凋落している、ということです。もっとまともな人はいくらでもいるのに、わざわざ持ち上げる。まあその辺りの事情は7項〈隠蔽に加担するマスメディア〉で詳しく紹介しているけど。

松岡 発売前から一部を極秘扱いしたのは、やはり間違っていなかったようですね。

 9項がなくても爆弾だらけですからね。

 タイトなスケジュールで編集しているから、誤植やなんかもあるし、そのうちまとめて訂正と修正のお知らせをするとして、『真実と暴力の隠蔽』を出したことにより、またしても新たな大事件が持ち込まれたね。

 正直、暴力事件はもううんざりなんですけれど……。これも酷いですね。

 しかも暴力を振るっているのが大学教授だからな。こいつはもう暴力常習犯と言わなきゃいけない。

 誰なんですか?

 はいこれ資料ね。水曜日までに記事まとめてくれよな、B。

 は、はい……。え! 関西学院大学! アメフト部は日大との問題で、まともだったじゃないですか?

 アメフト部とこの教員は関係ないだろが。酷いだろ?

 「M君」より命危なかったんじゃないですか? 被害者の方?

 可能性は高いね。さあ原稿頼むぜ!

 はい。

松岡 最後になりますが、やはり私も参加した、くだんの座談会が注目を集めてるようですが、6項に掲載したエル金がC.R.A.Cのメーリングリストに投稿したメールは、是非読者に読んでいただきたいですね。エル金が「李信恵さんはM君に(この部分は本文では隠されている)軽くビンタを一発だけしました」と明確に李信恵の暴行を認めた記述をしています。M君が李信恵はじめ5名を訴えた裁判の証拠にも、実は出しているのです。考えてください。これは身内向けのメールですから「嘘」を書く必要はない。M君を悪者扱いするための虚偽はありますが、エル金が身内である、李信恵の「ありもしない」暴力を書く必要はどこにもないですよね。そういう場所で明確に「軽くビンタ」をしたと書いている。これ以上の証拠はないと思いますが……。

 社長、「裁判は水物」って社長が書いてたじゃないですか。その証拠じゃないですけど、大阪地裁であの「世紀の誤判」を出した、長谷部幸弥裁判官が大阪高裁に栄転していますよ。

一同 やっぱり裁判所に期待するのか無理か……(一同嘆息)。

(鹿砦社特別取材班)

『真実と暴力の隠蔽』 定価800円(税込)

対李信恵訴訟 裁判所が「別訴」の併合審理を却下! 李信恵側弁護団、訴訟進行に混乱と遅延をもたらし大失態!  鹿砦社代表・松岡利康

 
『真実と暴力の隠蔽』

「反差別」運動の旗手と持て囃される李信恵さんによる相次ぐ「鹿砦社はクソ」発言に対し名誉毀損等で訴えた民事訴訟(大阪地裁第13民事部)ついて進展がありましたのでご報告いたします。

すでにこの通信でもご報告していますように、3月16日李信恵被告側代理人・上瀧浩子弁護士による「反訴」の意志表明→4月18日「反訴」提起→5月23日「反訴」取下げ→同日「別訴」提起(本訴との併合審理希望)と、李信恵被告側の動きは目まぐるしく流転しました。

「反訴」は本来本訴の内容と関連がなければ認められません。「反訴」における李信恵被告側の主張は、さすがに本訴との関連性が薄く、取下げはむべなるかなですが、これが鹿砦社側からの指摘によるものなのか裁判所からの指示によるのかは不明です。

いずれにしろ李信恵被告側は「反訴」を取り下げて、あらたに「別訴」を提起し、これを本訴との併合審理を希望したわけです。

鹿砦社が原告になっている本訴との関連が認められれば、併合審理の可能性があったわけでしょうが、その是非が注目されたところ、却下され別の部(第24民事部)で独立した訴訟(李信恵原告、鹿砦社被告)として審理されることになりました。

結局、3月の期日で双方ほとんど主張し終え、早ければ(本人尋問がなければ)次回で結審もあるかも、と思っていたところでの「反訴」の意志表示でしたが、結果として訴訟をいたずらに混乱させ遅延させたばかりでした。李信恵側弁護団の大失態といえるでしょう。「策士、策に溺れる」といったところでしょうか(万が一、この裁判混乱策動が意図的なものであれば、極めて悪質です)。

鹿砦社側代理人も他の知り合いの弁護士も、「こんなことは経験したことがない」ということですが、それほど異例のケースです。

ということで、鹿砦社が李信恵さんを訴えた「本訴」は次回期日(7月18日午後1時15分から。1010法廷)に李信恵被告側最終準備書面提出となります。本人尋問は未定、おそらく事実関係がシンプルなので尋問なしもありえます。

そして、翌7月19日午後1時10分から1007法廷で「別訴」の第1回口頭弁論期日となります。

「別訴」の請求の趣旨は、「反訴」と同じで、
1 金550万円を支払え。
2 リンチ事件関連出版物4点を「頒布販売してはならない」。
3 「デジタル鹿砦社通信」の中の李信恵氏についての「各記述を削除せよ」。
4 訴訟費用は被告(鹿砦社)の負担。第1項(=賠償金)の仮執行宣言。
です。

最新刊の第5弾『真実と暴力の隠蔽』にも追加の請求をしてくることも予想されますが、仮にそうだとしても、私たちは堂々と立ち向かうだけです。

特に、安易に出版物を「頒布販売をしてはならない」という請求には、憲法21条の「表現の自由」「言論・出版の自由」の見地からも徹底抗戦しなくてはなりません。これぐらいのことで「頒布販売」の禁止=出版差止めされたら、戦後ずっと守られてきた自由な表現、自由な言論・出版が蹂躙されることになります。いやしくも出版人としては、このような言論封殺を求める請求は到底許すことはできません。

ところで鹿砦社はこれまで大きな裁判闘争の煉火をくぐり、1億円超の訴訟費用(賠償金含む)を費やしてきました。判例集にも載っているものもあります。

特に警察天下り企業パチスロ大手旧「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)を告発した『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』に対しては、出版差止め仮処分、3億円の賠償請求の巨額民事訴訟(600万円で確定)、刑事告訴がなされました。これに比べれば今回の裁判は屁のようなものですが、全知全能、全身全霊、総力で立ち向かいたいと、肝を引き締めるものです。「裁判は水物」ともいわれ、油断したら負けますから。

ちなみに、「別訴」は李信恵さんが原告になります。対在特会等に対し原告として訴え、毎回の弁論ごとに記者会見をされましたが、この訴訟でも毎回記者会見をされるのでしょうか?

ともあれ、リンチ事件についてM君が李信恵さんら5人を訴えた訴訟の控訴審も一審判決を詳細に分析・批判し長文の控訴理由書を提出し始まります。これと固く連携し、鹿砦社は断固として闘います!

鹿砦社代表・松岡利康
『真実と暴力の隠蔽』 定価800円(税込)

『真実と暴力の隠蔽』収録座談会記事に対する木下ちがや氏の「謝罪」声明に反論します! 鹿砦社代表・松岡利康

 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより
 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより
 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより
 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより
 
木下ちがや氏(こたつぬこ)のツイッターより

  

5月28日発売のM君リンチ事件本第5弾『真実と暴力の隠蔽』における、木下ちがや氏、清義明氏、私との座談会が、ある界隈では深刻なインパクトを与えているようです。

当の木下ちがや氏は、5月31日にツイッターで、みずからの発言が「事実無根」として「謝罪」の意を表明されましたが、その後しばらく沈黙の期間があったかと思えば、水面下では動いていたようで、李信恵さんに会って謝罪し、6月8日に「私の鹿砦社の書籍における性差別的、レイシズム的発言の経緯について」という〝謝罪文〟といおうか〝自己批判文〟といおうか、対外的な声明を出されました。

これについて、当の座談会に出席した者として、いささか違和感を覚えざるをえません。木下氏から何の声明も出なければ、「安易に謝罪しないように」との記事をこの通信で再度書こうと思っていた矢先でした。こんな声明を出せば、今後、木下氏がどんな立派なことを言おうが信じられなくなります。人間、一度言ったことを安易に引っくり返すことは信用失墜も致し方ないところです。

◆『真実と暴力の隠蔽』出版の趣旨と木下氏の分析

まず『真実と暴力の隠蔽』(以下「同書」と記す)の出版趣旨を今一度確認しておきたいと思います。極めて単純です。「M君リンチ事件」の判決報告と、第一弾書籍から継続している真相究明が目的です。木下氏にもご参加いただいた〈9項「カウンター」周辺のキーマンに松岡が直撃! 明かされる「しばき隊」の内情〉では、実際に木下氏から私も驚く見解が明かされました。それは、今木下氏が「謝罪」されている李信恵さんの人格や言動についてというよりも(李信恵さんの人格や言動については既に嫌というほどの情報がありました)、「コリアNGOセンターよりも、李信恵さんが上の存在である」との鋭い分析でした。

私はインタビューに応じてくださった各氏に「今からでも遅くないからコリアNGOセンターが仲裁に入るべきだ」との趣旨の発言をし同書161、167ページにその発言が収められていますし、これまでもずっと言って来たことです。私の認識を根底から覆したのは、それに次いでの木下氏の発言でした。この視点を私はまったく持っていませんでしたので、驚愕をもって首肯しました。

◆疑義のある木下氏の「謝罪」声明と座談会の経緯

しかし木下氏は自説を撤回されました。まず、タイトルの「性差別的、レイシズム的発言」の意味が分かりません。くだんの記事を再読しましたが、どこが「性差別的」で、どこが「レイシズム的」なのか、ご教示いただきたいものです。

また、この声明文は、本当に木下氏自身が自発的に書かれたものなのか、草稿は木下氏以外の誰かが書いたのではないか、との疑念があります。木下氏のこれまでの文章と、語感や文章の構成がずいぶん異なっていると感じるからです。具体的には後で述べたいと思います。

くだんの座談会は、きわめて和気藹々にフランクに行われました。口角泡を飛ばし互いを罵り合うこともありませんでした。なんなら座談会の音声データをすべて公開しても構いません。

みなさん、今一度くだんの座談会記事をお読みになってください。木下氏は非常に正鵠を射た発言をなされていて、今のままでは決して解決に結びつかないと3人の意見が一致しました。意義深い座談会だったと記憶します。

この座談会は、木下氏の希望もあり清義明氏が労をとられ実現しました。高校生のホームルームや爺さん婆さんの茶飲み話ではあるまいし、私はあくまでもリンチ事件本の取材の一環として認識していました。出版社が「話を聞きたい」という場合、取材に決まっているでしょう。木下氏にしても清氏にしても(さらに凜氏らその他の方々も)、そう認識されているものとばかり思っていました。

少し強引な言い方をすれば、閣僚や政治家のオフレコの言動が記事になり報道され問題になるケースさえありますが、くだんの座談会の発言は、社会的に影響力のある学者の発言として極めて貴重なものと考え同書に掲載しました。いささか強引だったかもしれませんが、木下氏が語られた内容に「事実誤認」はないと信じ、かつリンチ事件にこれまでにない鋭い分析を語られ、これはぜひ多くの人たちに知らせるべきだと思い同書への掲載を決断した次第です。批判は覚悟の上、むしろ公共性、公益性を優先しました。木下さん、この期に及んで弁解は恥ずかしいですよ。あなたが発言したことにはきちんと責任を持ち、堂々と対処しましょうよ。

座談会は東京・神楽坂の喫茶店の会議室、そのあと高級日本料理屋の個室、さらに意気投合し水道橋のラウンジで終電近くまで飲み歓談しました。僭越ながら10万円余りかかり、全額私のほうで支払いました。座談会ひとつに、いつもこんな高額な費用はかけません。唯一、帝国ホテルの高級日本料理屋で行ったシールズ・奥田愛基氏の時(『NO NUKES voice』6号に掲載)ぐらいです。

◆座談会での木下氏の発言内容は事実であり正鵠を射ていて有意義だった!

ネットを中心に相変わらず「デマ」だ「糞記事」だという悪罵が溢れていますが、座談会で述べられていることはすべて事実で的を射ていることばかりです。同書に掲載された凜七星氏のインタビューや、ツイッター上での金展克氏らの発信も同様の内容です。「男に媚を売る」「誰とやった、これとやった」……このような趣旨の逸話は、木下氏ひとりが言っているわけではありませんよ、私たちは多くの人たちから同様の話を聞いています。

ただし「カウンター」-「しばき隊」の内部(あるいは近く)にいる木下氏の発言が(一部の人たちにとっては不都合であろうとも)そのことを証明した格好になりました。木下氏の発言が事実であるだけに、ある種の人々には許し難かったのでしょう。李信恵さん自身、脚下照顧、少しは反省したらどうでしょうか!? 「火のないところに煙は立たない」ともいいます。毎晩毎晩飲み歩き、M君リンチ事件の日もキャバクラなど5軒も梯子して、日本酒にして一升ほど飲み泥酔していましたよね? マスコミに持て囃される「反差別」運動の旗手はもっとみずからを律しないといけません。

また、原稿チェックを依頼しなかったことも批判されていますが、その理由は同書で断っていますように、かつて津田大介氏の求めに応じ原稿チェックを行ってもらったところ、実際の発言とはまったく異なるものになっていた苦い経験から、あえてこれをしなかったわけです。せっかく取材できた情報や事実が消し去られたら意味がありません。凜氏ら他の3名の方々も同様です。さらには、直撃取材や電話取材した方々も、津田氏以外は原稿チェックは求めても求められてもいません。

くだんの座談会での3人の発言、なかんずく木下氏の発言ですが、「カウンター」運動の現状を嘆き前向きなサジェッションに溢れています。このような方々が李信恵さんの周囲に多くいれば、解決に向けた対話も可能になると感じた次第です。それぐらい有意義な座談会だったと思っていたのですが……。

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

◆私たちは無闇やたらに自宅に押しかけたり「誹謗」「中傷」などしていません!

それにしても、木下氏がみずからの発言を「性差別的、レイシズム的」と自己評価されたのには仰天しました。到底信じることができませんし、看過できません。

さらに「謝罪」声明では、「鹿砦社に自宅まで押しかけられた方もおり、家族はおびえ、自分もやられるのではないかとの恐れを抱き、精神的に追い詰められていきました」とあります。鹿砦社特別取材班が自宅に押しかけたのは、有田芳生参議院議員(未遂→その後国会前で直撃)と中沢けい氏(『人権と暴力の深層』に掲載)だけ、フリージャーナリストの寺澤有氏が男組No.2の石野雅之氏(のっち)と、有田議員の宣伝カーで身障者と年頃の娘さんのいる合田夏樹氏宅訪問脅迫の〝犯人〟の疑いが濃かった高野俊一氏(チェブ夫)ぐらいで(『反差別と暴力の正体』掲載)、自宅訪問は、むしろ「しばき隊」が得意とする手法です。ちなみに、高野氏は偶然に沖縄行きの当日で、この後沖縄で逮捕されます。

この4人のうちの誰が「家族はおびえ、自分もやられるのではないかとの恐れを抱き、精神的に追い詰められていきました」というのでしょうか? また、主語がファジーにも感じられますが、木下さんご自身のことを言っておられるのでしょうか? 座談会までに木下氏の自宅住所に書籍を送ったのは第3弾書籍だけだと記憶しますが、木下さんご自身のことを言っておられるのであれば、えらく被害妄想な書き方です。いずれにしても誰のことか明らかにしてください。

また、「鹿砦社の標的になったことで、これまで社会運動に関わる多くの方が誹謗と中傷を受けてきました。鹿砦社の攻撃により、心身に苦しみを抱えてしまった方もいます。社会運動を離れざるを得なくなった方もいます」とまで断言されておられますが、当日、座談会でも、その後の長時間の歓談でも、そのような話は一切出ませんでした。――私たちは、同書の中にリストアップ(P35~38参照)しているような著名人を「標的」にして、リンチ事件をどう考えるのか、隠蔽に関与したのではないか、等々と、主に電話や質問状(郵送)で問うてきました。末端の活動家や無名の人たちを無闇やたらに「攻撃」したことはありません。このリストの中の誰が「心身に苦しみを抱え」「社会運動から離れざるを得なくなった」でしょうか? 誤魔化さずに具体的に名を挙げてご指摘してください。

こうしたことを踏まえると、この「謝罪」声明文は木下氏が書いたものとは思えません。事実に反し、意図的に鹿砦社を悪者にする物言いです。木下氏が書いたすれば、初歩的な調べもなされていないことがすぐに判ります。学者ならちゃんと調べてから公にしないと恥ずかしいですよ。

逆に問います。リンチ被害者のM君に対し、同書巻頭グラビアのような酷い(殺意に満ちた)コラージュ(あまりに凄惨なのでここでアップできません。同書をご覧ください)を作成し回してM君にセカンドリンチを繰り返し苦しめてきたのは李信恵さんとその界隈の人たちではなかったでしょうか?

さらに木下氏は「この憎悪と悪意に満ちた煽動」とも仰っています。「憎悪と悪意に満ちた煽動」とは、まさに同書巻頭グラビアのコラージュや「エル金は友達」祭りなどを言うのであって、私(たち)は「憎悪と悪意に満ちた煽動」などとは無縁で、従前から再三再四申し述べているように李信恵さんらこの周囲の人たちへの私怨や遺恨からこの問題に関わっているわけでもなく、さらには「カウンター」や「しばき隊」といたずらに諍いを起こそうとしているわけでもありません。私(たち)のやっていることの、どこが「憎悪と悪意に満ちた煽動」なのか、明確にご指摘ください。「この憎悪と悪意に満ちた煽動」と書かれた木下氏の責任です。

繰り返しますが、木下氏は当日の座談会や歓談などで、こうしたことは一言も言われませんでしたよね? そんなに深刻な事態になっているのなら、まずはここのところから、木下氏がかつて某氏にツイートした「土下座して謝れ」というように私を詰(なじ)り話に入るべきだったのではないでしょうか? 

◆木下氏の有益な発言と、このかんの「謝罪」の落差――「謝罪」などすべきではなかった!

私は、くだんの座談会での木下氏の発言に大いに学ぶことがありましたし、木下氏に対するイメージがコペルニクス的転回をしました。くだんの座談会以降、第4弾書籍の編集、M君裁判の本人尋問、判決と、慌しかったことで後手になりましたが、あらためて、木下氏に、このリンチ事件の解決の相談をしようかとさえ思っていた次第です。

木下氏が、拙速で事実に反する「謝罪」をされたことで、逆に問題解決が後退したと感じています。李信恵さんは、木下氏の発言で、あたかも多大の「被害」を受けたかのように振る舞っていますが、李信恵さんは「被害者」ではありません。本当の〝被害者〟はM君です。未だに1円の治療費も受け取っていないM君の救済こそ第一義でなければなりません。キャバクラなど5軒の飲み屋を飲み歩き一升ほどの酒で泥酔し、リンチの現場に居てM君の胸倉を掴んでリンチの先端を切り、M君がリンチに晒されている間も悠然とワインを飲んでいて、さらにはリンチで瀕死の状態にあったM君を寒空の下に放置して去ったという李信恵さんに、たとえ一審判決で「共謀」が認定されなかったからといって人間として道義的な責任がないとは言えません。李信恵さんは常に「人権」がどうのこうの仰っていますが、身勝手な「人権」感覚です。

警告しておきましょう。木下さん、あなたはあまりに拙速に「謝罪」したことで、一件落着し「しばき隊」界隈の愚劣な連中からの攻撃を交わせると思われるかもしれませんが、逆にあなたは学者としての、そして人間としての信用を失い、今後、どのように立派な発言をされても、これまでのようには信用されないでしょう。なぜ、安易に「謝罪」したのですか? 知識人として、せっかく前向きな発言をされたのに、「謝罪」などする必要はなかった、いや、「謝罪」などしてはいけなかったのです。たとえ人権と人格を蔑ろにする連中の恫喝があったにしろ、あなたの学者としての、いや人間としての節を曲げてはならなかった。事実と真実に基づく発言の撤回は、学者生命をみずから放棄するに等しい行為です。

おそらく同書出版直後、「しばき隊」-「カウンター」界隈からの激しいバッシングがあったことでしょう。また、共産党〝伝統〟の〝査問〟もあったかもしれません。シールズ全盛期の2015年、当時京都大学で学んでいた韓国人研究者・鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン)さんがシールズを批判した論評を発表するや、「しばき隊」界隈からの総攻撃を受けました。恐怖を感じたと鄭さんや周囲の方々は仰っていますが、この時、先頭に立って鄭さんを攻撃していたのが、あろうことか木下氏といわれます。私がシールズ、それと連携し、鹿砦社が当時経済的にも支援していた反原連(首都圏反原発連合)に疑問を持ったのが、この一件でした。おそらく今回木下氏は、鄭さんが感じた以上の恐怖を感じたものと推察されます。加えて、巷間いわれているように共産党に所属するとされる木下氏は、同党から査問を受けた可能性もあります。同党の査問の厳しさは、1970年代初めこれを経験した、同党の学生・青年組織「民青」(民主青年同盟。当時共産党だった有田芳生参議院議員も所属)のトップだった川上徹氏(故人)の、その名もズバリ『査問』という著書に詳しいですが、関心のある方はこちらをお読みください。

◆せっかく有意義な発言をしながら、M君リンチ事件解決への途は大きく後退しました

いずれにしても、これでM君リンチ事件解決への途は大きく後退し、混乱にさらに拍車を駆けることになりました。木下さん、これでいいのですね? 座談会であなたが言ったように「ろくでもないことに」なりますよ。

やや遅きに失した感はありますが、今からでも間に合います。李信恵さんらはリンチの被害者M君へ自発的に出した「謝罪文」さえ反故にしました。追い詰められ(半ば)強要されて書いた「謝罪」は無効です。あなたは、くだんの座談会の発言に立ち返り、これを機に「しばき隊」-「カウンター」界隈から決別し、一個の自立した〈知識人〉へ脱皮すべきでしょう。

いささか長々と書き連ねてきましたが、最後にもう一言述べさせてください。木下さん、あなたは「鹿砦社などへの始末をつけない限りは~」云々とツイートされていますが、これはどういう意味でしょうか?「始末」をつけるべき相手は、鹿砦社ではなく、別の人たちでしょう。くだんの座談会で、あそこまで言っておいて、また元の木阿弥に戻るのは人間の生き方としていかがなものでしょうか。私たち鹿砦社はあなたとリンチ事件解決に向けた〈対話〉をしたかった。くだんの座談会はその第一歩となるはずだったと今でも思っています。

 

M君リンチ事件隠蔽に第一級の資料が明らかに! 金展克(きん・のぶかつ)氏がカウンター運動の理論的支柱=師岡康子(もろおか・やすこ)弁護士のトンデモないメールを大暴露! 鹿砦社特別取材班

 
最新刊『真実と暴力の隠蔽』定価800円(税込)

師岡康子弁護士――ヘイトスピーチ対策法成立に大活躍をしたほか、在日コリアンの権利にかんして多くの働きをしてきた弁護士だ。著書に、カウンターの理論的バイブルとして有名な『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)がある。

しかし、師岡弁護士は同時に、刑事事件隠蔽指示、被害者M君を「信用毀損罪」と断じる、ほか、「M君リンチ事件」を知りながら、下記の通り弁護士倫理にとどまらず、人道的に絶対に許すことのできない言説を事件直後に発信していた人物であることが、K3(ハンドルネーム)こと金展克氏の暴露により明らかになった。

ある識者はこのメールを見て「嘔吐感を催す」と表現した。「人間の考えることではない」と感想を述べた人もいる。さらに穏やかでない表現も多く聞かれた。

取材班は数年前から、「師岡メール」についての噂をたびたび耳にしていたが、果たして本当に存在するのか? 存在するとしてそれは、注視するほど重大な内容なのか?とやや穿った見方をしていた。しかし、明かされたメールの内容は仰天に値する。このメールのほかにも金展克氏とやり取りのメールが明かされている。

このメールは、完全なる「リンチ事件隠蔽指示」ではないか。そしてその理由は「ヘイトスピーチ対策法」(名称は言及されていないが)立法化のためだと師岡弁護士は明言している。読者諸氏はここで確認されたい。「ヘイトスピーチ対策法」は「M君リンチ事件隠蔽」を踏み台に成立した法律であることを。

そして、取材班の中にも賛否両論あるが、取材班の過半数は「ヘイトスピーチ対策法」を「言論弾圧法」ととらえている。ヘイトスピーチという名の「差別言辞」に対し、取材班は一致して反対である。しかしながら表現活動としての「差別」を法律で規制しても、「心の中に宿る」差別を解消できるのか? 「差別」は表出する、現象だけか? 心の中に宿る差別を解消するためには、最終的に表出される「差別言辞」を法規制するのが妥当なのか。違うだろう。初等教育から中等教育、さらには社会全体での「差別」を無くすための取り組みが前提ではないのか。

日本政府は明確に「差別的」である。最近ではトランプが気まぐれに「米朝首脳会談」の取りやめや、延期、いや「やっぱりやろう」と発言するたびに、そのすべてを肯定している。まったく主体性がない。そして街頭での差別言辞を「ヘイトスピーチ対策法」が抑え込んでも、国会内や総理大臣のはっきりとはしないが、明らかな差別発言に何の効力もないではないか。つまり法に「理念」がないのだ。その結果何が生じるかと言えば「言論内容を対象とした」弾圧である。

日本は第二次大戦中に米国、英国、ロシア(ソビエト)、イタリア、中国、朝鮮半島、インドなどの各国を見下す様々な「蔑称」を持っていた。それらは不幸なことに私自身が身内から直接聞いたので間違いない。

そして、大いに時代錯誤であるそれらの蔑称の一部は、いまでも表現を変えて国会の中で堂々と使われている。その事実に「ヘイトスピーチ対策法」は、まったく無効である。

そのような無意味な法案成立のためにM君が「どう扱われた」は詳述しない。下記の「師岡メール」をお読みいただければ充分だろう。但し1つだけ補完しておく。

弁護士師岡のこの表現しがたい暗然とした意志は、やがて「しばき隊」構成員に伝えられ、彼らが「隠蔽を正当化」する理論的根拠となったであろうことは間違いない。一例をあげれば、ITOKENこと伊藤健一郎が作成した「説明テンプレ」は、師岡弁護士による手前勝手な〝M君リンチ事件隠蔽のための法律解釈″(リンチの被害者がなんで「信用毀損罪」になるのか?)に即して作成された具体策であったと理解するのが妥当であろう。

人ひとりの〈人権〉を踏みにじって成立する法律とは一体何であろうか? 

師岡弁護士よ、あなたの罪は際限なく深い。あなたが弁護士である事実を私たちは認めたくはない。法に寄らずともあなたは人道上取り返しのつかない重大な罪を犯した〈罪人〉である! あなたにはこの〈説明責任〉がある。

2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容
2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容
2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容

鹿砦社特別取材班

 

 

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

我慢の限界だ! 鹿砦社は「世に倦む日日」主宰の田中宏和氏と絶縁し、彼の出版物を絶版とする! 鹿砦社編集部

 
『真実と暴力の隠蔽――カウンター大学院生リンチ事件の闇を解剖する!』定価800円(税込)

田中宏和氏と鹿砦社の出会いは、2016年『ヘイトと暴力の連鎖』の取材で、社長松岡以下編集部2名が東京で顔を合わせたのが、初めてだった。ブログ「世に倦む日日」は独自の視点から時事問題、国際情勢、そして「しばき隊」批判を積極的に展開していたので、私たちは彼の意見を聞きたい、と虚心坦懐に初対面に臨んだ。

田中氏は博学であり、読書量もかなりの人物であろうことは数時間のインタビューのなかで松岡以下編集部も感じた。さらに彼がブログで現した数々の論考には、光るものがあり(すべてが鹿砦社の見解と同じではないけれども)、貴重な視点の持ち主であると判断し、鹿砦社から『SEALDsの真実』『しばき隊の真実』、2冊の単行本を出版する運びとなった。

実はこの出版は、初対面の際に松岡ではない編集部の1人が「田中さん、ここまでまとまった論考をお持ちなのに、なぜ出版されないのですか? 社長、鹿砦社から出版したらどうですか?」と出しゃばって、勘違いした発言が「過ち」のもとになっていたことを正直に告白しよう。

田中氏は初対面の時から、やや神経質な人柄であることは、松岡以下編集スタッフも感じていたが、まさか、鹿砦社(鹿砦社の許容範囲は一般の出版社に比べ、かなり広いように思われる)をこき下ろし、ここまで我儘ばかリ主張する人間であるとは想像できなかった。田中氏の我儘は『SEALDsの真実』編集段階から露呈し始める。自分を大御所の「論客」とでも勘違いしたような上から目線で、連日松岡に命令口調、あるいは極めて的はずれな言いがかりを連発するようになった。

『SEALDsの真実』が広告に掲載され、アマゾンのあるカテゴリーで1位になったことがある。その後1位は他の書物に取って代わられるのであるが、1位からの転落を見た田中氏は「これはしばき隊の陰謀に違いない!即座にアマゾンに抗議するなり対策をとるべきだ」と松岡にねじ込んでいた。ちょっと待ってくれ。1位はめでたいが、永遠の1位(それがあれば出版社にこれほどありがたいことはない)などあるはずがない。松岡がメールでその旨を伝えると田中氏は、さぞご不満であったようである。

ついで出版された『しばき隊の真実』は、辛うじて世に出ることができた書物といえよう。

田中氏の尊大な態度はますます増長し『しばき隊の真実』の編集を請け負っていた、業界では「仏の○○」さんと呼ばれるほど、余程のことでも感情を露わにすることない編集者の逆鱗を買うほどまでに至っていた。松岡に対して「もう、あそこまで失礼なことをされたのだから、出版することはないでしょう」と関係を知る周囲の人間は、進言したが義に熱い松岡は「それでもインタビューに応じてくださっている人もいるからね」と連日の田中氏からの罵倒電話、メールにもかかわらず、なんとか『しばき隊の真実』出版に漕ぎつけた。

しかし、田中氏の狼藉はそれでは収まらなかった。ある日、特別取材班が「デジタル鹿砦社通信」に書いた記事が気に入らなかった田中氏は、そのライターに電話で「記事を取り消すように」と傲慢にも要求してきた。記事の内容は「言論の自由は誰にでも保障されなければならない」という趣旨のものであったが、田中氏にはその「誰にでも」に野間易通氏が含まれていたことが、不満だったらしい。あまりにも馬鹿げた言いがかりにライターは当然要求を拒否。するとブチ切れた田中氏は「みんなツイッターの中に居るんだよ!」と大声を上げたので「あなたはネットの中にしかいないから、実際の社会と接点を持てないし、我儘で人と軋轢を起こす。『ツイッターにみんなが居る』などというのはSNS中毒者の発言だ!」とたしなめられるとしばらく言葉がなかったという。

通常たいした出版実績もなく、たて続けに2冊もの単行本を出版してもらえば、過剰になる必要はないが、筆者は出版社に恩義を感じるものであるが、田中氏は逆であった。彼の我儘、偏見、はその後もエスカレートし、あろうことか「リンチ被害者M君」と面会した際に、M君を詰問し(セカンド、もしくはサードリンチと言っても過言ではないかもしれない)年下のM君に飲み代まで押し付けて、言いたい放題M君を罵倒して店を出る、という大人とは言い難い醜態まで及んだ(その店の支払いを負担したのはM君である)。

さらには、現在田中氏は天木直人氏と仲良く、ビデオで対談を始めている。これとて、本人の希望もあり当社がつなぎ、『紙の爆弾』で2回対談を掲載もしたが、「ありがとう」のひと言もない。

ここでは紹介できないが田中氏の常軌を逸した、発信や暴言に鹿砦社だけではなく、編集者も辟易してしまったので、彼については「当たらず触らず」をスタンスとしていた。

ところが6月1日、『真実と暴力の隠蔽』について田中氏は、

 
 

などと、思い上がりと言論弾圧も甚だしい書き込みを行った。まるで「しばき隊」と同じ主張でわが目を疑った。さらに言いたい放題ツイートしている。読者はぜひ「世に倦む日日」をご覧になっていただきたい。

ことここに至り、遅きに失した感があるかもしれないが、鹿砦社はこれ以上田中氏の度が過ぎる独善と、鹿砦社への悪意を放置することはできない。『SEALDsの真実』『しばき隊の真実』の在庫を断裁処分し絶版にすると共に、田中宏和氏との絶縁するほか選択肢はない。版権は放棄するので他社で再刊いただきたい。

丸山真男主義者で、基本的にはマルクス・レーニンも読んでいる田中氏の思想には、今だから指摘するが、明らかな矛盾が多数包含されている。それは皇室への過剰なまでの賛美と、テレビメディアに一喜一憂する軽薄さである。個人の趣味、嗜好と言えばそれまでであるが、あそこまでの皇室賛美と丸山真男の総体の主張を、どう接着するのか。SNSばかりやっているから「しばき隊」同様の心理的な偏りを発症せしめているのではないか。

ここには書けないが田中氏の常軌を逸する、メールや電話については多くの証拠があることを再度明言しておく。著作を出してくれた出版社に、「頭を下げろ」などというつもりは毛頭ない。だが、どうして2冊の著作を出版したら、出版社が著者に「奴隷」のような物言いをされなければならないのだ? 田中氏の常軌を逸する言動を「大人の対応」でこれまであしらってきたけれども、今回の鹿砦社への決定的な攻撃を、われわれは断じて許すことはできない。

鹿砦社は田中氏からの修正も訂正も一切受け入れない。彼も批判する「しばき隊」同様の暴虐を鹿砦社に向けた田中氏に対して、鹿砦社はここに「田中宏和氏との絶縁と『SEALDsの真実』、『しばき隊の真実』を絶版」を揺るぎなく宣言する!

追記:上記紹介した書き込みに止まらず、田中氏は思い上がりも甚だしい、勘違いの発信を続行している。さすがに温厚な「鹿砦社」も、破格に的外れの発信は容認できない。

 

田中氏は持論を正当化するために、M君が「逃走しなかった」ことを問題にしている。被害者虐めもたいがいにすべきだ。そこまで言うのであれば田中氏が同様の状況におかれ、暴力を経験すればよいのではないか。空論は意味がない。

 

これも田中氏の思い込みに過ぎない。M君は所属する大学に「身辺に迫る危機」を報告し、大学当局もしかるべき対応をとっている。実態を知りもしないことを偏見で解釈することは控えるべきだ。

 

当事者でもない、傍観者の田中氏が不遜にも口を挟む筋合いはない。田中氏の決めつけによる判断の危うさと、被害者に対する結果的な攻撃はここでも明確に示されている。

以上は6月4日田中氏がツイッターで発信したものであるが、そのいずれも大いに的外れであり、被害者M君を傷つける、思い込みと勘違いであることを指摘しておく。

鹿砦社編集部

 

 

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

木下ちがや氏への暴言、糾弾、査問、謝罪強要を即刻やめろ!  鹿砦社代表・松岡利康

 
『真実と暴力の隠蔽――カウンター大学院生リンチ事件の闇を解剖する!』定価800円(税込)

このたび出版した『真実と暴力の隠蔽――カウンター大学院生リンチ事件の闇を解剖する!』が大きな波紋を各方面に及ぼしているようです。

本書には多くの〈爆弾〉を装填しましたが、なぜか第9項の木下ちがや氏、清義明氏と私の座談会が「しばき隊」-「カウンター」界隈で問題にされ、当の木下ちがや氏に対して集中的に暴言、糾弾、査問がなされています。ネット上では一部しか表面化していませんが、水面下では凄まじい攻撃がなされているものと推察されます。研究者肌の木下氏は追い詰められ「謝罪」の意をツイートされました。木下氏が自発的に「事実無根」を認め「謝罪」されたというよりも、「謝罪」を強要されたと言っても過言ではありません。強要された「謝罪」は法的にも無効ですし、強要した者は時に「強要罪」に問われます。

一方の清義明氏にも、凄まじい攻撃がなされているようですが、好戦的な清氏は意気軒昂に迎え撃っています。

この座談会を主催し、本誌に掲載した責任者は私松岡ですから、木下氏のような心やさしい研究者を集団で追い詰めるのではなく、不満のある人は私を攻撃してくればいいのではないでしょうか。「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(カウンターの有力メンバーの元鹿砦社社員・藤井正美のツイッターでの表現)にも、それなりの意地と覚悟がありますよ! それ相当の〝対応″をさせていただきます。

 

◆木下ちがや氏の心意気に感謝します

この騒動で批判されている座談会に快く応じられた木下ちがや氏の心意気に、あらためて心から感謝いたします。従前は意見交換が難しいと思われていた方です。読者はお気づきでしょうが、氏の意見には首肯させられることばかりでした。異なる立場から取材・出版していた私には非常に参考になりました。木下氏は「しばき隊」-「カウンター」の内部、あるいはすぐ傍から見て来られたわけですから、私たち〝外野席″から見てきたのとは異なり、圧倒的な説得力があります。これまで寄せられてきた多くの情報の真偽が判りました。木下氏を攻撃する者は、「デマ」だ「ゴミ」だとしか語彙がないようですが、きちんと論を立てて批判していただきたいものです。

座談会は会議室においてアルコールなし、シラフでコーヒーを飲みながら行われました。決して酒が入っていたわけではありません(終了後はアルコールも入り食事し歓談しましたが)。きわめて真面目な議論を交わし有意義なものでした。

お会いする前、木下氏は「しばき隊No.3」といわれ、コワモテな方かと想像していましたが、「しばき隊No.3」を否定され、研究者肌の穏やかな印象の方でした。共産党直結の方との噂もありましたが、かつて「反党分子」と言われた構造改革派系の『現代の理論』にも出入りし寄稿されていて、思想的にも柔軟な方のようでした。私たち(鹿砦社)の素性を知った上での座談会承諾だけでも評価に値するものです。普通なら自分の意見と合わない出版社の座談会などには参加しないでしょう。これまで多くの関係者に取材を試みましたが、現役の「しばき隊」-「カウンター」関係者は、誰一人まともに取材に応じていただけませんでした。その姿勢と木下氏の態度には大きな違いがあります。もし木下氏が巷間いわれているように共産党に所属されているのなら、こうした方こそ同党の未来にとって貴重な人材であろうと思います。

◆木下氏への攻撃は「しばき隊」-「カウンター」に言論の自由がないことをみずから暴露した!

その木下氏が、この座談会のほんの一部の発言で、「ゴミ」だ「クズ」だなどと罵られています。全く遺憾なことです。この〝一部″についても、李信恵自らが吹聴したり多くの人たちが語っている〝公然の秘密″であり〝公知の事実″といえます。あるジャーナリストは、複数の人間の前で李信恵との〝関係″を公言したとの証言もあります。実は李信恵については、(私人ではなく)準公人との認識から、もっと全体的な人間像に迫るべく、家庭内暴力など、もっとディープな証言もあり目下裏取り取材中ですが、早晩明らかにする用意があります。これまでの取材でもかなりの資料や証言などがあり、『李信恵と「反差別」運動の光と影(仮)』といったタイトルで一冊の本にまとめることも検討しています。

ともあれ、木下氏への暴言や糾弾、査問を即刻やめていただきたい。この現象こそが「しばき隊」とか「カウンター」とかいわれる界隈に、言論の自由や表現の自由、批判の自由などないことを、みずから暴露しています。

たしかに気に入らない箇所はあるでしょう。だからといって、あたかも世界が引っくり返るかのように大騒ぎするのはいかがなものでしょうか。さらには鹿砦社の雑誌に登場したこと自体を非難する人もいます。むしろ敵の土俵に乗り込んで自分の意見を述べられた木下氏の男気を私は賞賛したいと思います。

この座談会の、どこがどう「デマ」なのか。批判するのであれば、具体的に事実を摘示して真っ向から批判していただきたい。ちなみに木下氏と同様の趣旨の発言は、同じ項で凜七星氏も語っておられますが、凜氏への集中攻撃は見当たりません。おかしくないですか?

◆よみがえる70年代の忌まわしき記憶

木下氏への暴言、糾弾、査問、M君リンチ事件の様を見ていると、私が若かった1970年代の忌まわしい記憶がよみがえってきます。新左翼における内ゲバ、共産党の査問、部落解放同盟の糾弾闘争……これらが、70年をメルクマールに盛り上がった社会運動が衰退し崩壊する大きな要因になったことは今更言うまでもありません。共通するのは暴力が伴っていたことです。

今、「野党共闘」など喧伝されていますが、かつては「社共共闘」で東京、大阪、京都で革新系知事を輩出しました。当時の革新、左派勢力の勢いは今と比べると雲泥の差があります。これを衰退させた一因に、内ゲバ、査問、糾弾闘争があったことは、私ごときが言うまでもありません。

◆木下氏に「謝罪」の必要なし!

木下氏は「謝罪」などする必要は一切ありません。へたに「謝罪」などすると、後々それを古証文として持ち出され脅されかねませんよ。堂々としていたらいいじゃないですか。また、木下氏を非難する者たちよ、いい加減にしろ! 木下氏への恫喝、〝口封じ″〝隠蔽″策動をやめよ! 

そして木下さん、これを機に、ちょっと自分の意見を発言したら激しく非難されたり糾弾されるような運動からフェイドアウトされたらどうですか? あなたは研究者として勝れたものを持っておられますので、この際、そんな運動から離れ、地道な研究者の途を選ばれたほうがいいのではないでしょうか。

◆「言論には言論で」反論せよ!

ところで、M君リンチ事件についての本は、本書『真実と暴力の隠蔽』で5冊目となります。これに対して、「しばき隊」-「カウンター」界隈の人たちは、「ゴミ本」とか「糞記事」という語彙しかないのか、罵倒に終始しています。まともな批判を見たことがありません。私たちは常々言っているように、「自分たちに間違いはないか?」「この判断で妥当か?」と絶えず自問しています。間違いがあれば訂正・修正するにやぶさかではありません。これもいつも言っていることです。「言論には言論で」と言うではありませんか。これが原則です。私たちの主張に不満があれば、1冊の反論本ぐらい出したらどうですか? あなた方には国会議員、一流の研究者やジャーナリスト、弁護士など多く揃っているわけだから、簡単ではないですか? ほかならぬ李信恵自身、「やよりジャーナリスト賞」を獲るぐらいの立派な「フリーライター」なわけですから――。

 

雪崩うち崩壊に向かう「しばき隊」─『真実と暴力の隠蔽』発売1週間のできごと

 
M君リンチ事件〈爆弾〉第5弾『真実と暴力の隠蔽』5月28日発売 定価800円(税込)

『真実と暴力の隠蔽』発売からきょうで1週間を迎える。予約で購入してくださっていたかたがたから、28日を前に「届きました。まず表紙をめくってノックアウトされました」、「またしても特ダネの連続! 1冊にするのはもったいないほど(『カウンターと暴力の病理』でCDのインパクトが強く、「藤井メール」の印象が薄くなったのがもったいない……みたいに)濃い内容に唖然です」といった感想が寄せられていた。

取材班は発売前に何度も原稿、ゲラを読んでいるので(但し、今回、〈9項「カウンター」周辺のキーマンに直撃! 明かされる「しばき隊」の内情〉は発売まで松岡と取材班キャップ他一人のメンバーしかその内容は把握していなかった)、内容に自信はもってはいるものの、はたしてどの程度の衝撃を読者のみなさんに与えられるのかは未知数ではあった。『真実と暴力の隠蔽』が総体として“爆弾”であることを確信していても……。

そして“爆弾”はどうやら取材班の予想をこえて、連鎖的な爆発を起こしているようだ。不思議であったのは発売直後の2日ほど、「しばき隊」、「カウンター」界隈からはほとんど発信がなかったことだ。おそらくその間に水面下で「対策会議」が行われていたのであろうことはこれまでの経験からして、想像に難くない。そして「それ」は例によって一斉に始まった。上記9項〈「カウンター」周辺のキーマンに直撃!明かされる「しばき隊」の内情〉に登場していただいた木下ちがや氏と清義明氏のインタビューについての四方八方からの集中攻撃が、両氏に向けられた。清義明氏は発言撤回の意思はなく、今日に至るも堂々と主張を曲げていないが、木下ちがや氏は自身のツイッターで、

 

と、謝罪の意を表明されている。木下氏ご自身の態度や見解につて取材班は意見を表明することを控える。ただし、このような“集中砲火”にさらされれば、どんな議論も反論も成立のしようがないであろうことは、観察していると理解される。

さて、「気になる書き込みがある」とサイバー班から連絡があったのは28日、発売当日だった。

 

この方(以下K3と記す)は、これまでM君リンチ事件に同情的で、われわれの出版物にも好意的な発信をしていた方である。その方が「残念ながら《嘘》がいくつもあるのを確認できた」と発信されたのだ。ことあるごとに表明しているが、われわれは事実誤認や、認識の間違いがあれば、いつでも訂正・修正するにやぶさかではない。悪意に満ちた誹謗中傷は相手にしない(それらは具体的な事象を特定せずに「嘘」、「デマ」と決めつける)けれども、「これはここが違う」と指摘されれば、当然再取材や事実検証、あるいは再考察をこれまでも行ってきた。事実、木下ちがや氏を「しばき隊NO.3」とみなしてきたことは、今回ご本人の言葉により否定されているので、原稿の中でその認識の訂正とお詫びを記している。

K3氏が「嘘」という言葉で『真実と暴力の隠蔽』を評されたことを、取材班は座視してはいられなかった。上述のように彼は「しばき隊」擁護者ではなく、妥当な感覚を持つ人物であると取材班は評価していたからだ。その人物が「事実誤認」ではなく「嘘がいくつもある」と断定しているのである。取材に間違いがあれば訂正・修正しなければならない。この記述では複数の「嘘」があるように受け止められるが、具体的な事実の適示がない。取材班の田所は同日からK3氏がツイッターを書き込んでいる時間を見計らい(お仕事にご迷惑のかからないよう配慮して)何度も電話をかけたが、電話には出て頂けない。仕方なく鹿砦社のツイッターアカウントからK3氏に疑問を投げかけた。

 
 
 

これについてK3氏がご自身のツイッター上で、回答をしていただいていたようであるが、鹿砦社のツイッターを見ていてもその記述は確認できない。ある筋を通して最終通知を行ったところ、30日16:00過ぎにK3氏から田所へ電話があった。K3氏は「凜七星さんの発言に事実と異なる点がある。文責は取材班と書かれているので『嘘』と書いた」と言う。

田所は「文責が取材班との意味は、インタビューは長時間に及ぶが、それをすべて掲載はできない。発言の多くの部分を切らなければならないが、その責任は取材班にある。という意味であって、凛さんの発言やお考えに取材班が同意し責任を持つという意味ではない。これは他の取材対象についても同様である。必ずしも取材班が同意しない意見でも、発言していただいたことを原稿化する。『事実誤認』というのであれば『なにが事実誤認か』を確認するが、あなたの主張では凜さんの考えが、あなたの考えと違うという意味ではないか」と話すと、「凜さんの発言が事実と違うから『嘘』じゃないですか」とK3氏。「凜さんの発言が事実と異なるのかどうかは、彼のお考え認識の問題である」と回答すると「それって『しばき隊』がよく使う論法ですよね」とK3氏。

「ちょっとまって。あなたは『事実誤認』と『嘘』が同義だと考えるのか、わたしたちは『事実誤認』と『嘘』は明確に異なる言葉だと認識している」と見解を示す。K3氏はネット辞書で「嘘」の定義を調べ「1 事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽(いつわ)り。2 正しくないこと。誤り。3 適切でないこと。望ましくないこと」であるから、ここでの「嘘」は問題ないだろうと主張。田所は辞書が定義する最初の意味にある「人をだますために言う、事実とは違う言葉」が一般通念として理解されているのだから、あのような表現ではK3氏が本来意図する「凜さんの発言が事実と異なる」ではなく『真実と暴力の隠蔽』が虚飾に紛れていると、あなたのツイッターを見た人は理解しますよと、約1時間半にわたり議論を交わした。

結果K3氏は「嘘」という言葉を自分の意図と異なって捉えられ、鹿砦社に迷惑がかかるのであれば、それは本意ではないのでツイッター上で追加の意見表明をすると表明されたので、取材班も納得した(後刻書き込まれた文章が誤解を解くのに充分であるとは納得してはいないが、K3氏との電話のやり取りの中で誤解は解けたと認識したのでこれ以上この問題には触れないこととした)。

要するにK3氏の書いた「嘘」は凛七星さん発言へ、彼が「事実と違う」と感じた事実であったことが判明した。であるのであればやはり「嘘」という表現は妥当ではなかったであろう。

ところでそのK3氏がどういった心境かは理解できないが、超ド級の資料を公開した。わたしたちの間で「師岡メール」と呼ばれ、その存在がまことしやかに語られはしていたが、噂ではないかとも疑われていた師岡康子弁護士による「M君リンチ事件隠蔽」指示の証拠がついに明らかになった!!(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

 

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日本大学と関西学院大学アメリカンフットボール部の定期戦で発生した、危険なタックルは、すっかり社会問題化して、アメリカンフットボールを知らない人のあいだでも毎日のように「日大のワルさ」が認識されている。ことは重大であるけれども、はっきり申し上げて過剰報道である。この事件の裏で「残業代ゼロ法案」が、5月25日衆議院厚生労働委員会で強行採決された。

事件当事者はともかく、広く国民に関係する重大法案は、それ相応の報道で伝えてもらわないと、いつまでも「日大ひどいね」、「関学って知らなかったけどまともだね」という話に終始してしまう。床屋談義的には、たしかに日大の対応のまずさは、ワイドショーにとってはこれ以上ないネタを次々と提供する。その報道価値観に染まったテレビ番組制作者にとっては、このような傾向になるのは仕方のない側面も否定はできない(それが正しいとは思わないけれども)。

“実行犯”の学生が、自分の過ちを認める記者会見を本人出席で行った。そこでは「監督と会話したことはない」とびっくりするような発言も飛び出した。対照的に日大の内田監督とコーチは、尊大な態度の日大職員が司会をつとめる中、嘘八百を並べ立てた。挙げ句尊大な職員は一方的な記者会見打ち切りを言い渡し、暴言を吐き続ける。

対する関学は記者会見で「鳥内監督はクラブ所属の全選手との面談」を行っていることを明かしたうえ、「日大との定期戦は中止するが、当該選手がアメリカンフットボールを続ける手伝いをする用意がある」とまで踏み込んで語った。一連の事件後の対応と報道で、関学は100億円以上「イメージ向上」広告効果を得、逆に日大は同学相当の「イメージ失墜」を招いたことだろう(この事件について関学対応は真っ当である。が、関学には極めて深刻な問題教員が在籍する)。

結果は異なるが、この事件と「M君リンチ事件」は、加害者側の態度の不誠実性と、対応のまずさという点で、共通項が多々見られる。日大はようやく学長が記者会見で「監督から選手への指示」を認めたが、もう遅すぎる。当の監督が「指示」を否定し、あいまいな発言に終始し、挙げ句の果ては逮捕を悟った政治家のように「入院」してしまった。選手に行わせたプレーもひどいが、対応の酷さも同様である(しかしながら日大とは、元来そのような体質の大学であるという点が明るみになったことは朗報かも知れない)。

日大の行為は、2014年12月16日深夜から翌日にかけて、M君が見舞われたすさまじいリンチ事件と、その後周辺人物の対応のちぐはぐさ、悪質さと比類しうるものである。唯一にして最大の相違点は日大の行為は余すところなく、過剰なほどに報道されているが、「M君リンチ事件」は鹿砦社以外にほとんど報じるメディアがないことである。

仮に現場の様子が録画され報道されていれば、日大の悪質タックル同様(もしくはそれ以上)に加害者は厳しい批判にさらされたことは間違いない。しかし実態はそうなってはいない。なぜか。多くの学者、弁護士、テレビ、新聞関係者たちが寄ってたかって「隠蔽工作」に必死だからである。

取材班は隠蔽に加担する者たちを「偽善者」と断ずる。そして日大の危険タックルを行った選手と異なり、言葉の上だけで「謝罪」もどきを演じ、いまだに反省や加害の責任を認めないうえに、M君との約束を反故に好き放題な発信を続ける実行犯は、人間として最大限の卑劣な心象の持ち主とみなさざるを得ない。

残念ながらそれが事実であり、真実である。日大の問題はマスメディアが大学の体質も含め、膨大に報道しているので多くの人に伝わっているだろう。しかし、M君が半殺しにあった、「しばき隊」、「カウンター」の実情については公正な報道がない。あるのは「しばき隊」、「カウンター」関係者があたかも「差別と闘う人」のように賛美され、本質を誤解した報道ばかりである。

取材班の出発点は、あくまで「M君リンチ事件」の真相解明とM君の救済が目的だった。否定しようのない事実を提示すれば、報道機関も必ずや興味を示すだろうとの読み(今考えればそれは無理な注文だったのだが)もあった。しかしそうは動かない。

仕方がない。『ヘイトと暴力の連鎖』、『人権と暴力の深層』、『反差別と暴力の正体』、『カウンターと暴力の病理』と4発を連射してきたが、取材班はきょう、満を持して『真実と暴力の隠蔽』を世に送り出す。私たちはこの2年余り、相当なひとびとや資料にあたってきた。これまでも驚く証拠や証言に多々ぶつかった。そしてそのすべてを凌駕する「しばき隊」解体の可能性も秘めた、証言をついに手に入れた!!

マスメディアの解剖により、日大の本質が明らかになるのは好ましいことだ。日大には病巣がある。そして「しばき隊」、「カウンター」は日大ほどの歴史を持たないものの、一人の人間の生命を脅かす危険と組織的病理を持った集団である。であるならば、誰かがその本質を解き明かさねばなるまい。美辞麗句で称賛されている彼らの正体に「大本営発表」は言及しない。

ならば鹿砦社が斬るしかあるまい。返り血は覚悟の上だ。

注)関西学院の問題教員については実名を挙げて『真実と暴力の隠蔽』の中で言及している。

(鹿砦社特別取材班)

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いよいよ明日『真実と暴力の隠蔽』が発売になる。そこで本通信を毎日愛読してくださる読者への感謝として、少々取材班の内部事情を明かしてみよう。取材班は鹿砦社代表松岡利康、と鹿砦社社員数名、そこにフリーライター、写真家らで構成されている。そして正式なメンバーではないが、常にネットを監視するサイバー班がかなりの数おり、取材班に「これは」という発信があった時には、即連絡が伝わる態勢ができている。

サイバー班は全国各地の主婦の方がメインで、ネット上だけではなく、「しばき隊」関連のイベントや集会があると、直接出向き参加者の確認をしたり、情報収集を担っていただいている。しかし、イベントや集会の現場でその存在を炙りだろうとしても、絶対にわからない。サイバー班の皆さんは過去に「運動」経験のない人ばかりを集めているからだ。

さらに事案によっては「直撃」を専門に行う部隊が控える。「直撃」業界ではかなり名前の知られた人物もおり、ターゲットによっては出撃する。

通常は松岡を中心に取材班キャップとメンバーが協議し、取材対象を決め動くのだが、取材班には一般には珍しいであろう、〝他のメンバーには相談せず個人の判断で動く自由〟が認められている。ただし、取材に関するリスクは個人責任であり、経費も出ない。この協議によらない取材は「G」(ゲリラ取材の頭文字)と呼ばれており、その成果すべてを活字ではご紹介していないものの、すでにかなりのインタビューや「直撃」の蓄積がある。

通常「G」は経費の関係もあり、電話取材や近隣の関係者への情報収集がメインだが、時に、思いもよらぬ「大物」を釣り上げることがある。実は『真実と暴力の隠蔽』では超ド級の「G」が炸裂することになる。そして「G」を実行したのは、なんと松岡であった。松岡の"老人力〟には参る!

20年ほど前に、「暴露本」の数々で鹿砦社の名は全国に知れ渡っていた。あの頃の「闘争心」に再び火が点いたのであろうか。松岡は取材班が想像もしない手法で、予想を超える人物たちの直撃インタビューの山を獲ってきていたのだ。「なんで黙っていたんですか、社長!」、「ど、どうして会えたんですか、こんな対象に?」問い詰める取材班キャップに松岡は笑顔を浮かべるばかりで、詳細を明らかにしない。そのインタビューに応じた人物と内容があまりに衝撃的であることから、取材班の中でも松岡とキャップだけが「G」を担当し、発売前日になったきょうでも、他のメンバーはその内容を知らない。

広告にも敢えて、登場人物の名前を掲載しなかった。しかし読者諸氏には広告を凝視していただきたい。

予約申し込みは、Amazonもしくは鹿砦社販売部sales@rokusaisha.com にお願いします。

〈9 「カウンター」周辺のキーマンに松岡が直撃!明かされる「しばき隊」の内情〉

地味な文字が目に入るはずだ。そうだ!『真実と暴力の隠蔽』の大炸裂は、この地味なベールの中に眠っている!

取材班内にもいまだ明かされていないその衝撃のヒントを示唆してみよう。かつて鹿砦社社員であった藤井正美が業務中に多数のツイッターを行っていたことが発覚し解雇されたが、藤井は後に「しばき隊」内でかなりの実力者であることが判明した。当時鹿砦社は「M君リンチ事件」を知らず、「しばき隊」に対する知識もほぼ皆無だった。しかし、「しばき隊」の国会前部隊「反原連」に、年額300万円の支援をしながら、一方的に関係を断絶されるという「非礼」を経験していた(偶然にも「反原連」からの「非礼」が公表されたのは藤井正美に解雇を言い渡した前日であった)。藤井正美により鹿砦社内の情報は「しばき隊」に筒抜けになっていたわけである(その証拠の総量はデータにして300ギガに及ぶ)。

ならば、今度は逆を仕掛ければどうだろうか?「暴露本」で世間に「鹿砦社松岡利康」の名を全国に轟かせた(『週刊現代』GW合併号の特集「芸能人本の世界」で採り上げられている)。あの導火線の先に再び着火されれば何が起こるだろうか?藤井正美の逆。つまり松岡は「しばき隊」、「カウンター」内の重要人物に直接会いインタビューを敢行したのである。 それも5人も!(5人の中には現在「しばき隊」、「カウンター」に批判的な方も含まれる)

それだけでも衝撃は大きかったが、重要であるのはそのインタビューで対象者から語られた言葉である。われわれが受けたのは衝撃だが「しばき隊」にとっては「衝撃」どころでは済まないだろう。このインタビュー原稿が発刊前に「しばき隊」の手に渡れば、必ずや何らかのリアクションを鹿砦社は受けていたに違いない。問題の登場人物とは誰だ? 

「犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる」

ヒントはこれで充分だろう。

(鹿砦社特別取材班)

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