前回の本コラムでご紹介した通り、今回の主人公はこのパネル展実行委員会の共同代表の一人である岡本朝也である(もう一名の代表者、能川元一も関西の「カウンター」運動の参加者だ)。
◆岡本朝也は関西大、甲南大等の非常勤講師
岡本朝也は、1969年奈良県生まれ。関西大学、甲南大学等で非常勤講師として教壇に立っている。専門は家族社会学。内縁の妻は桃山学院大学社会学部准教授の村上あかねである。
ツイッターでは「るまたん」と名乗っているが、これは仏語の“le matin”(英訳すると“the morning”)を自分の名の「朝也」に当てはめたものであろう。
なお、岡本は「岡本弘二」「岡本交人」という変名を使っていることがある。その理由は岡本に過去、逮捕歴があるためだと思われる。
◆岡本朝也はリンチ事件前までM君と親しかった
岡本はリンチ事件の被害者M君と同様、2013年の初期から関西の「カウンター」に参加していた。ただし岡本は関西の「カウンター」関係者の中では、やや浮いた存在であったようである。M君によると、李信恵や凡ら当時の関西の「カウンター」関係者の中心人物は岡本を一方的に毛嫌いしていたらしい。
特に後にリンチ事件の主犯となるエル金の岡本に対する嫌悪は凄まじく、エル金は岡本のことを、当人のいないところでは「あいつはコミュ障(編集部注:「コミュニケーション障害」の通俗的略称。差別感情に溢れた言い回しである)やから居場所を求めてカウンターに来てるんや」と言い回っていたそうだ。これは岡本が野間易通に対して批判的な意見の持ち主だったことが原因とみられる。ここにも「しばき隊」の歪(いびつ)な構図が見て取れる。
M君はこれら「カウンター」関係者の岡本に対する冷遇には、度々苦言を呈していた(つまり岡本をかばっていた)。このことがM君と加害者らとの確執を深める一因にもなったことは岡本自身も認めている(後詳参照)。
また岡本は、2014年4月の凛七星の逮捕においても、他の大多数の「しばき隊」=「カウンター」関係者とは異なる態度をとった。多くの「しばき隊員」が沈黙を決め込んで凛を見捨てた。また後に「M君リンチ事件」を引き起こした凡や李信恵のように、凛の逮捕を好機ととらえ、運動の「ヘゲモニー」掌握に血眼になる連中を横目に、岡本は仲間である凛を見捨てずM君とともに凛の支援をしていた。このようにリンチ事件発生前、岡本はM君とは親しかった。
2014年になると、関西における「カウンター」運動は凡や李信恵の専横がひどくなり、M君や岡本は、独自の路線を模索していたようだ。次のようなやり取りを、「秘密裏」に行っていたことから、当時からいかに「カウンター」内部の風通しが悪かったかを窺い知ることができる。
◆しばき隊の十八番! 岡本朝也は手のひら返しでM君を裏切った
M君リンチ事件発生後間もない2014年12月20日、作家で法政大学教授の中沢けいが「男組」組長の高橋直輝こと添田充啓とともにわざわざ大阪まで来て、事件の隠蔽工作を行ったことは、『反差別と暴力の正体』第4項および第5項において取材班が詳述した通りである。
このとき、中沢と添田はM君と親しかった凛七星、岡本ともう1名に対し、M君の刑事告訴を阻止するように要請している。そして中沢の要請をただ一人忠実に実行したのが、なんと岡本である。翌21日M君は岡本の求めに応じて面会しているのだがM君はこの時に、中沢らの来阪を岡本の口から聞いたという。同日岡本はM君に「中沢先生もエル金側についた」と伝えている。岡本によると中沢は「私は何があってもエル金を守る」とまで宣言したそうだ。
事件について、M君はあくまで徹底究明の姿勢を崩さなかったためか、年改まって2015年1月17日、岡本は直接にM君に「刑事告訴をするな」と強要している。かつては親しかった岡本の口から、こんなセリフを聞かされたM君の落胆と失望は察するに余りある。
その後、2015年1月29日岡本は言い訳がましく次のようなメッセージをM君に送りつけている。岡本はリンチ事件が起きた背景には「自分にも責任がある」と明言している。しかしその後岡本は、自身が認める「責任」一切とっていない。「責任」という言葉をここまで軽々しく扱う岡本が、日帝の「戦争責任」にも言及したパネル展の代表者なのだ。一般の方には隠蔽されたこういった欺瞞を「茶番」という。
M君は岡本が刑事告訴の断念を強要したことにつき、抗議の意を示しているが、それに対する岡本の回答は大臣並みに立派である(つまり嘘くさいということだ)。岡本はM君に「刑事告訴をするな」と迫ったことに「倫理的に批判されるいわれは全くない」と開き直っている。岡本が堂々とそのように言っているので、M君とのやり取りの一部始終を公開されても岡本に文句はあるまい。ここにご紹介しよう。岡本とM君のやり取りは、岡本の人間性を理解するうえで極めて重要であるので、「私信の公開」云々などというご都合主義的批判を、取材班は一切唾棄することをあらかじめ申し上げておく。
この後M君と岡本の間に連絡はないが、岡本は2015年5月「エル金は友達祭り」に参加している。
「エル金は友達祭り」とは、2015年5月1日から2日にかけて、「あらい商店」店主(当時)の朴敏用が、M君を精神的に追い詰めることを目的に、多数の「しばき隊」=「カウンター」関係者を扇動し、一斉に「(リンチ事件主犯の)エル金は友達」という書き込みを行った出来事のことである。冒頭述べた通り、岡本とエル金の確執はとくに深かったにもかかわらず、岡本は不思議な人間だ。
リンチ事件が明るみに出てからも、岡本は「あれは喧嘩だった」「レイシストを利することをするな」等と、M君への「セカンドリンチ」に余念がない。もはやいちいち紹介しないので、2016年5月頃の岡本のTwitterなりFacebookなりをご覧いただきたい。
◆岡本朝也は思想的に「うろたえ続けている」ことを白状している
ここまでお読みいただいた読者にはもはや説明するまでもないだろうが、岡本は「運動内部のヒエラルキー」への「忖度」にいそしみ、意思も良心もかなぐり捨てて「運動内部の暴力的権力構造」に媚びへつらっている。そして、身近で起きた暴力事件、それも親しかった被害者M君に刑事告訴の断念を迫って恥じることもない。このような人物を代表者にすえ、そして関係者が皆それを知って平然と展示を開催し続けている。それが「未来のための歴史パネル展」(みれぱ)の実態である。
岡本はM君に向けて「うろたえるだけ」と何度も語っている。そうだ。いい年をして、大学で教鞭を取りながら、責任や論理矛盾にも気が付かない岡本の如き人間は、一人で「うろたえ続けて」いればよいのだ。善人面をして毎日新聞に報じられた岡本はまだ「自分自身」が理解できていない。岡本は三田誠広の「僕って何」をまず読むべきだ。岡本は毎日新聞の記事中、「誰が悪いというのでなく、人類の犯した事実を共有したい」と言っている。そんなことはないだろう。中国への日本侵略に当時の中国人民が責任を有するのか。朝鮮半島の植民地支配に朝鮮半島の人民が責任を負うというのか。岡本の主張はつまるところ、安倍や自民党、改憲勢力の主張と変わりない。何よりも岡本自身が終始思想的にも「うろたえ続けている」ことを白状しているに過ぎない。(続く)
(鹿砦社特別取材班)