「カウンター大学院生リンチ事件」は、別称「しばき隊リンチ事件」とも呼ばれ、かつてはネット上で「十三ベース事件」ともいわれていました。「反差別」運動内部で、その中心メンバーらによって惹き起こされたリンチ事件の被害者救済・支援に私たちが関わり始め、リンチ被害者M君に出会って5年余りが経ちました。

よかれと思って始めた彼への支援活動でしたが、李信恵によって鹿砦社が提訴された、現在控訴中の係争では、あろうことか一審では165万円という高額の賠償金等を課せられるという皮肉な判決を下されました。「まったくおかしい。なにかおかしい」との想いは消えません。

この分載の前回「4」で引き合いに出した16年前のケース同様、壁は厚く、かつての「ベルリンの壁」のようです。

しかし、16年前のケースにおいて私たちは、一敗血にまみれ地獄に落とされはしましたが、私たちをハメた徒輩は、その後相次いで土壺(ドツボ)に嵌っていきました。強い意志を堅持し立ち向かえば、勝利は必ず社会正義のほうに微笑みます。逆に社会的不正義はやがては断罪されるでしょう。

ちなみに、16年前の「名誉毀損」事件について今だからこそ明かしますが、旧アルゼ創業者・岡田和生の逮捕、失脚には、世界的通信社・ロイター通信の国境を越えた取材が貢献しています。ロイターの記者は何度も西宮に足を運び、そのたびごとに私の話に真剣に耳を傾け、少なからずの資料も持ち帰り、粘り強い取材で岡田らの贈収賄疑惑を固め全世界に配信したのでした。今回のリンチ事件も、4冊の書籍(保釈後、裁判報告やパチンコ業界の情況などを編集した2冊の本を出版)にまとめた、その時の取材以上に展開したということを申し述べておきたいと思います。こちらも最新刊の『暴力・暴言型社会運動の終焉』まで6冊を発行しています。

◆李信恵は、いまだにリンチのPTSDに苦しむ被害者M君に真摯な謝罪をすべきです

M君は今でもリンチのPTSDに苦しんでいます。一方リンチの口火を切った李信恵は、彼女の言動から反省の色など見えず、「反差別」「人権」運動の旗手であるかのように持て囃されています。なんという不条理でしょうか。大阪弁護士会や多くの行政、人権団体などが講師として呼ぶ人物。在日コリアンで女性であることに対する「複合差別」で極右団体らに相次いで勝訴判決を出した「反差別」運動の旗手・李信恵には裁判所も忖度をした判決を下さなければならない、かのような“歪んだ事実”があるとは信じたくありません。

「反差別」「人権」を説くのであれば李信恵は、まずは被害者M君に心からの謝罪を行い、できうる限り彼の心を慰撫するところから始めなければならないのではないでしょうか? 「まずは事件直後に出した『謝罪文』に立ち返れ」とは私が何度となく主張していることです。著名な精神科医の野田正彰先生は先に引用した「鑑定書」の結論として「病の改善は、加害者たちの誠実な謝罪と本人の自尊心の回復に影響されるだろう」と指摘されています。同感です。何よりも李信恵は日頃から「人権」という言葉を頻繁に語っているのですから。

裁判所(大阪高裁)には、ぜひ李信恵に厳しく反省を促すような判断を求めたいと思います。

昨年11月24日の本人尋問での李信恵(画・赤木夏)

同じく本人尋問。リンチ後のM君の凄惨な顔写真を示し李信恵を追及する松岡(画・赤木夏)。李信恵はまともに答えず沈黙。

◆裁判所の甘い判断で同じ犯罪を繰り返す人たち

私たちはこの5年間、李信恵ら加害者が、このまま真剣に反省しないならば同種の事件は繰り返すだろうと再三再四警鐘を鳴らしてきました。

私たちの“予感”は不幸な形で当たり現実化しました。昨2020年11月24日の一審本人尋問が終わり、李信恵と傍聴に来ていた伊藤大介氏らは飲食に出掛け、おそらく深夜まで飲み歩いたのでしょう、日付が変わった25日未明、極右団体活動家の荒巻靖彦を電話で呼び出し、伊藤を含む複数の者で激しい暴行を荒巻に加え令状逮捕‐起訴されています(別掲『産経新聞』2020年12月8日朝刊記事参照)。

同日夕方、本人尋問が終わり飲食している様子をSNSで発信。この後、数時間して日付が変わり伊藤大介ら複数で極右活動家・荒巻靖彦を呼び出し暴行

伊藤らによる傷害事件を報じる『産経新聞』2020年12月8日朝刊20面(大阪版)

 

11月25日の神原元弁護士のツイート

伊藤は関東で別途暴行傷害事件を起こし、これと併合して横浜地裁で公判(非公開の争点整理)がすでに数回行われているようです。1年以上も隠蔽されてきた本件リンチ事件もそうでしたが、「男組」(しばき隊の最過激派といわれる)組長・高橋直輝(添田充啓)の不審死などと同じく、伊藤本人、弁護人の神原弁護士、直前まで一緒に飲食を共にしていた李信恵、議員特権で警察への情報収集を行った有田芳生議員、逸早くC.R.A.C.名で声明を出した野間易通、それに賛意を示した中沢けい、香山リカら中心メンバーらが頑なに沈黙を守っているので公判の推移は判りません。これもまた“隠蔽”か? 都合が悪いことはみな隠蔽するのが彼らの流儀らしいです。これはダメでしょう。

そういえば、特別取材班の取材に対して、フリージャーナリストの安田浩一や関西学院大学教授の金明秀は「刑事事件になった時点で、社会に明るみになっている」旨の回答を寄せていましたが、伊藤大介の刑事裁判進行について、私たちは何の情報も持っていません。私たちが無知だからでしょうか。そうではありません。みずから(もしくは代理人弁護士)が報告するか、新聞報道などがない限り、刑事裁判の様子など、一般市民には伝わらないのです。

 

11月27日の有田芳生参議院議員のツイート

伊藤は、M君リンチ事件に連座した者で、M君が加害者5人を訴えた訴訟の一審判決では約80万円の賠償金を課せられていますが、控訴審では取り消されています。別訴一審における伊藤共謀を認めた判断は正しかった(ただし、李信恵の共謀を認めなかった点は論理矛盾です)にもかかわらず、別訴控訴審で大阪高裁は、あろうことか、この部分を取り消し、伊藤の共謀を免責してしまいました。この誤判が、私たちが警告した通り(しかも因果なもので本件一審裁判期日の直後)反省もなく、同種の暴行傷害事件を起こす要因となりました。実際に事件が起こったのですから、ここでは敢えて断言します。

裁判所(2件の裁判で非常識で不当な判決を下した大阪地裁と、別訴一審の伊藤大介への賠償を取り消し免責した高裁)には苦言を呈します。本通信で以前述べたように、この係争は民事であり、刑事事件ではないにもかかわらず一審被告・鹿砦社(控訴人)に捜査機関と同レベルの取材を求めるかのような判断を下しました。それでいて、先日の本通信でお伝えした通り初歩的な(素人的と言っても過言ではありません)証拠資料の見落としがなされています。取材し明確に活字にしているにもかかわらず「取材していない」などと、堂々と判決文に書かれては、勝てる道理がありません。

M君リンチ事件隠蔽活動に勤しむ加害者や支持者ら(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

他にも一審大阪地裁第24民事部は最初から証拠資料を精査するつもりがなかったと感じることがありました。

本件一審第1回期日に証拠資料原本(リンチ関連本5冊)を提出しようとしたところ、当時の増森珠美裁判長は、「必要ない」と受け取りさえ拒絶しました。私は毎回出廷するのですが、この日は急に片目が見えなくなるという不測の事態が発生し出廷できませんでした。こういう時に、問題は起きるものです。

増森裁判長は、以前に李信恵が極右団体・在特会らを訴えた訴訟で彼女に勝訴判決を下した裁判長でした。証拠資料原本を受け取らず「名誉毀損」の裁判でまともな判断ができるでしょうか。

このように過去李信恵に勝訴判決を出した裁判官が裁判長であり、証拠を受け取らず「邪魔になるから持って帰れ」といった趣旨の発言をするので、到底公正な判断は望むべくもなく、裁判官忌避申立をしようと書面も準備していた、まさにその日の朝、増森裁判長は急遽異動になりました。前述の通り冒頭から、増森裁判官の態度には不公平、不公正を感じていました。増森裁判長が異動したとはいえ(異動先の裁判所で『週刊金曜日』敗訴の判決を下しています)、合議体ですから他の裁判官は残り実質的な態勢は維持されたようです。市民感覚からすれば、なにか腑に落ちません。

はじめから結論が決まっていたかのように、証拠原本受け取りを拒絶したり、捜査機関レベルの取材を要求したり、証拠の内容を見落としたり、杜撰な審理をしたりと、加害者(李信恵ら)に甘く被害者(と、これを支援する私たち鹿砦社)に厳しいのが「人権の砦」だといわれる裁判所なのでしょうか? そうではないことを信じたいものです。

◆終わりに──

本件控訴審にあって裁判所(大阪高裁)は、一切の予断と偏見を排し、まさに虚心坦懐に本件資料を読み込み、私たち鹿砦社の主張に謙虚に耳を貸し、公平・公正で慎重な審理を尽くすことを心より願います。

証拠資料にまともに目を通さないような一審判決は、まさに〈誤判〉と断ぜざるをえず、取り消されるべきです。

そうして裁判所が、一審判決のように暴力を容認しリンチに加担するのではなく、人権的見地からリンチ被害者を慮り、真に〈人権の砦〉たる威厳を宣揚することを強く希求いたします。〔了〕
(本文中敬称略)      

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

以下は、これまでお伝えしてきた、直近の訴訟とは直接関係はありませんが、私たちがM君を救済・支援しようと思った動因の一つですので、あえて申し述べます。

◆地獄に落とされ多くの方々に助けられた私たちは、リンチ被害者M君を救済・支援することを決めた!

5月10日の本通信でも記述し一部繰り返しにもなりますが、私自身が逮捕された16年前、2005年の鹿砦社に対する“事件”を想起し、本件リンチ事件との関連など記述してみたいと思います。

私はパチンコ業界の闇を追及した「名誉毀損」事件で逮捕‐長期勾留(192日間)されました。今振り返ると、この弾圧は神戸地検と朝日新聞大阪社会部が仕組んだ、いわば“官製スクープ”でした。味方顔して近づいてきた朝日新聞にはまんまとハメられました(ちなみに、昨年この事件から15年ということで、今は大阪社会部の「司法キャップ」で、当時担当だった平賀拓哉記者に会って話を伺おうとしたら逃げ回っていますが、平賀記者にジャーナリストの矜持があるのであれば、もう15年経ったのだから恩讐を越えて会って話をするぐらいすべきでしょう)。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

さて、私は「巨悪に立ち向かう」という、自分なりの正義感と覚悟で事に当たり(どこかの誰かがのたまう軽薄な「正義」ではありません!)ました。有罪判決(1年2月、執行猶予4年)を受けつつも執行猶予も終わりましたので、なんら恥ずべきことでも隠すことでもなく、今は笑って語れます。ところが、世間の眼はそうではないようです(後述)。

あの事件はまさに言論・出版弾圧でした。私たち鹿砦社は壊滅的打撃を蒙りどん底に落とされました。その時、偶然ながらM君の父親の大学の仲間だった方(今回「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」に署名賜った重村達郎弁護士、赤川祥夫牧師)らも含め多くの方々(別途画像参照)に助けてもらったではないか、そうしたサポートで会社を再建し今鹿砦社や私が在るのはその時のみなさん方のご支援のお蔭ではないか、と思い返しました。そうであれば、社会に助けていただいた恩返しとしても、私たちのところに助けを求めてきたリンチ被害者M君を救済・支援しようとは思いました。

しかし、小なりと雖も会社の経営者としては、諸事情もあり逡巡しました。当時、私が生業として出版活動を始めて20年余り経っていました。その初心は、修羅場にあってこそ逃げず、巨悪に立ち向かうためだったのではなかったのか。、もしリンチの肉体的被害と、その精神的被害(PTSD)、さらにはセカンドリンチ(ネットリンチと村八分)に苦しむ被害者の青年を見棄てたら、残り少ない私の人生に悔いが残る、と躊躇する自身を叱咤し、問題解決に関わる決意を固めました。こうした私の判断は絶対に間違いなかったと今でも信じています。

先の「名誉毀損」事件は当時、神戸地検からリークされた朝日新聞の一面トップはじめマスメディアで大きく報道され、裁判の経過も継続して報道されました。鹿砦社のイメージは著しく悪化し、この予断と偏見が本件訴訟に影響することはないと信じますが、一審判決を見るに私たちのみならず多くの方々が疑問を感じています。「大阪地裁は、これまで李信恵に勝たせ続けていているので、行きがかり上李信恵を負けさせることはできないだろう。裁判官の中に予断と偏見で悪いイメージのある鹿砦社に勝たせるわけにもいかない、との判断があったのではないか」と感想を述べる専門家もいました。大阪高裁では鹿砦社に対する予断と偏見なく審理されるものと思いたいものです。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊

ここで少し“寄り道”をします。刑事事件で判決が確定し、執行猶予付きの場合、この期間、無事に過ごしたら、前科は残り(権力のプロファイリングに記載はされ)ますが、なんら咎められることもなく仕事や社会活動ができなければなりません。本来これが民主主義・法治社会の本来の姿でしょう。しかし、それは建前であって、現実にはそうではありません。

鹿砦社や私の場合、新規に銀行口座を開けなくなりました。銀行口座開設拒否は、1行ではなく複数ありました。そのうち1行には会社、個人合計で5千万円ほどの預金がありました(従前から取引実績があったという意味です)。理不尽な「口座開設拒否」に直面し、やむなく3行に対して民事訴訟を起こしましたが、全部敗訴しました。特にゆうちょは、当初審理さえしないという強硬姿勢でした。

この件については、いずれ詳述したいと思いますが、銀行は口座開設拒否の理由として、くだんの朝日新聞のコピーを示しました。このように、この「名誉毀損」事件は、鹿砦社についての社会的イメージの悪化と共に、現実的なビジネス上の不利益をもたらしているのは遺憾なことです。

多くの方々が支援に名を連ねてくれた

◆「名誉毀損」事件で私たちを苛めた者らに相次いで不思議なことが起きた

また、その後日談として、私たちがみなさん方のご支援を賜りながら会社再建に努めている一方で、不思議な事件や出来事が相次いで起きました。

「名誉毀損事件」時の捜査責任者の神戸地方検察庁特別刑事部長・大坪弘道検事は、のちに厚労省郵便不正事件証拠隠滅で逮捕され有罪判決が確定し失職します。私を取り調べた主任検事の宮本健志検事は深夜泥酔し市民の車を傷つけたことで検挙、被害者との示談が成立し刑事事件としての立件は免れましたが、降格〔徳島地検次席検事から平検事へ〕・戒告処分を受けています。

松岡に手錠を掛けた宮本健志主任検事の泥酔大立ち回りを報じる『徳島新聞』2008年3月26日朝刊

鹿砦社弾圧を指揮した大坪弘道元神戸地検特別刑事部長逮捕を報じる『朝日新聞』2010年10月2日朝刊

 

旧アルゼ創業者オーナー岡田和生逮捕を報じるロイター2018年8月6日付け電子版

さらに、私を「名誉毀損」で刑事告訴し3億円もの巨額損害賠償を求める民事訴訟も同時に起こした当該大手パチンコメーカー「アルゼ」(当時。現ユニバーサルエンターテインメント)について、元警察官僚で参議院議員だった阿南一成社長は、社会的問題企業との不適切な関係で辞任に追い込まれ、創業者オーナー岡田和生は、フィリピンでのカジノホテル開業に伴う贈収賄容疑等により海外で逮捕され、みずからが作り育ててきた会社からも追放されています。

これだけの名うての人物がこぞって鹿砦社と私に対し攻撃してきたわけですから一地方小出版社にすぎない鹿砦社が太刀打ちできるわけがありません。裏に何かあるのは、誰しも想像するところでしょう。

私は「因果応報」という諺を信じます。人をハメた(悪意を持って陥れた)者は、いずれ自分に応報があり、みずからも陥れられるということでしょうか。

何が言いたいかと言えば、当時は彼らのほうが圧倒的に社会的地位も名声も権力もあったわけですが、裏では法的に、あるいは社会通念から逸脱した行為に手を染めていた。そのことが暴露され、鹿砦社弾圧に手を染めた集団の主だった人物は、見事に社会的地位や名声も失くしました。

本件で言えば、李信恵にしろ彼女を庇いリンチを隠蔽してきた国会議員、学者、知識人、ジャーナリストらの社会的地位や名声は、鹿砦社や代表者の私などよりも圧倒的に上位に在ります。しかし、本件リンチ事件の真相や本質、そして隠蔽活動など裏で何が行われていたかが、もっと広く知られれば、関係者の社会的地位や名声は一瞬にして崩壊する、ということです。彼らがリンチの存在を頑ななまでに否定し、あるいは隠蔽活動に必死になったりシラを切ったりするのは、こういうことを自覚しているからかもしれません。(本文中敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

以下は前回に続き、李信恵から「名誉毀損」で鹿砦社が提訴され、不当な判決を下した大阪地裁の粗雑極まりない判断に対して、控訴審に提出した、私の「陳述書」をもとに(一部わかりやすいように加筆してあります)鹿砦社、ならびに、特別取材班の想いを綴ったものです。
 
◆鹿砦社は控訴審で、心理学者・矢谷暢一郎先生(ニューヨーク州立大学名誉教授)の「意見書」と精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」を提出! 裁判所(大阪高裁)は、これらの科学的知見を直視すべきであり、もし一審判決を是認するのなら、これらの科学的知見を覆す、それ相当の理由が必須です!

 

リンチ直後のM君の写真。これを見て、あなたはどう思うか?

本件一審判決や、リンチ被害者M君が李信恵ら加害者グループ5人を訴えた訴訟(終結済み)の判決で裁判所は、李信恵によるM君への出合い頭での殴打が「平手」か「手拳」かに異常なまでに拘泥し、M君の記憶が曖昧で発言が変遷したことをもってM君の発言を「信用ならない」(本件一審判決)、「信用性に欠ける」「信用できない」(別訴一審判決)としています。

こうした大阪地裁の2つの判断について、本件訴訟では一審被告とされた私たち鹿砦社(控訴人)は、今回の控訴審に於いて、心理学者・矢谷暢一郎先生(つい最近〔4月20日付け〕ニューヨーク州立大学名誉教授を拝命)の「意見書」と精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」提出しました。「意見書」と「鑑定書」を読めば、凄惨なリンチを受けた被害者M君の記憶が飛んだり曖昧だったりすることはありえ、むしろ当たり前だということが判るでしょう。今回の控訴審で裁判所(高裁)が一審判決を是認するのであれば、矢谷、野田両先生の「意見書」や「鑑定書」を覆す、それ相当の理由が必須です。

素人のリンチではなく、プロのボクサーでも(つまり顔面や胴体を「殴られる」ことを仕事にししている人でも)これだけの凄絶な暴力を1時間近くも受けていれば、記憶は飛びますし曖昧にもなります。裁判官は地裁にしろ高裁にしろ、これまでの人生で、これだけ凄絶な暴力、つまり1時間ほどにも及ぶ暴力を受けたことがあるでしょうか? おそらく、ないでしょうが、裁判所は被害者救済の観点から、虚心坦懐に証拠に向かい合い、法的合理性を持った判断を下すべきです。激しい暴力を受けた者の被害に寄りそうべきですし、その事実を報じた私たち鹿砦社に賠償金やブログ記事の削除を求めるような不当な判断は、司法の名において、その権威を汚すものであると認識すべきです。

M君へのリンチと私たちの出版をめぐる、大阪地裁の2つの判断は、心理学、精神医学の専門家の分析・診断、また一般市民の感覚から、絶望的にかけ離れています。裁判所は真に「一般読者の普通の注意と読み方を基準」(一審判決)として審理し判断しなければなりませんし、この観点を堅持することは当然です。一審判決は「一般読者の普通の注意と読み方を基準」との言い回しを引き合いに出していますが、判決全体を眺めると、これは言葉だけで、「一般読者の普通の注意と読み方を基準」とは到底言い難い判決でした。

私たちは、李信恵の最初の一発が「平手」であろうが「手拳」であろうが、さほど重要だとは考えません。被害者M君が1時間もの間、殴られ蹴られ全身に重傷を負ったという厳然たる事実こそが重要です。大阪高裁の裁判官は、今一度、リンチ直後の被害者の顔写真を見、リンチの最中の音声を聴いてほしいと思います。

そうして、あえて繰り返しますが、いまだにリンチ被害者M君はリンチのPTSDに苦しんでいることを顧みてほしい。裁判官(高裁)に、血の通った一人の人間としての感性があるのなら、ぜひ被害者に寄り添ってほしいと思います。決して加害者に与して暴力を容認しリンチに加担しないでいただきたい。本件訴訟は、直接被害者が訴訟の当事者ではありませんが、「Mの供述は直ちに信用できない」とする一審判決は被害者の精神をさらに追い込みました。控訴審を審理する裁判所(大阪高裁)が真に〈人権の砦〉ならば、そうした一審判決を是認するような判断は絶対にしないように心より願っています。

一審大阪地裁の2つの判決が、異常に「平手」か「手拳」かにこだわり「木を見て森を見ない」判断になり、これを急所隠しの“イチジクの葉”として本件リンチ事件の〈本質〉が見過ごされているのではないでしょうか。

リンチ後になされたセカンドリンチの一例。こんなツイートをした者らに「人権」を語る資格はない!

◆嗚呼! 大阪地裁の初歩的誤判! 裁判所は真に「一般読者の普通の注意と読み方を基準」に慎重な審理を尽くせ!

一審判決で誰にでも判る初歩的誤判の一例を挙げます。特別取材班キャップ・田所敏夫が電話取材したコリアNGOセンター金光敏事務局長の発言を出版物(『反差別と暴力の正体』)に明確に掲載しているにもかかわらず、これを見落とし、あるいは無視し「被告(注・鹿砦社)は、金光敏に対して取材して、その発言の真意や原告の正確な発言内容を確認するなどしていない」(一審判決文)と一審大阪地裁第24民事部は断じています。初歩的な誤判です。

しかし、この判断(誤判)は簡単に片付けられるものではありません。「取材し」その内容を掲載しているのに「していない」と判断され高額な賠償金を課せられれば、出版を生業とする者にとっては、その法的存在意義を揺るがされます。換言すれば、〈事実〉を無視しても、恣意的な判断にうなだれるしかないという“法治国家以前の姿を甘受せよ”と通告されるに等しい激烈に乱暴な判断です。「平手」か「手拳」かに拘泥するあまり、法律以前の基本が蔑ろにされています。本件訴訟は民事事件ですが、原審の粗雑極まりない判断に対し、私たちには予断と偏見による〈冤罪〉とすら感じられます。
 
◆行方不明だったリンチ実行犯・金良平への裁判所の誤認

 

李信恵と暴力実行犯・エル金こと金良平

また、一審判決文には「金(良平)に対して取材を申し入れるなどしていない」と記載されていますが、これも重大な誤りです。提訴時、「エル金」こと金良平は住所不定でした。裁判所から特別送達された訴状すら彼には届かず戻ってきました。この事実は地裁事務局に記録があると思います。一審大阪地裁第24民事部の裁判官は、金良平が初回期日の直前まで行方不明だったことをご存知なかったのでしょうか?

取材班メンバーが、金良平が居住していると把握していたアパートを訪れてももぬけの殻でしたし、別の取材班メンバーがのちに金氏が署名した住所を訪れたら、居住地であるはずの場所は駐車場でした。笑い話にもなりません。金良平が以前に使用していた携帯電話番号は変えられており、取材を多角的に試みましたが、実現できる状況にありませんでした。鹿砦社は強制捜査権のある「捜査機関」ではありませんので、おのずと限界があります。控訴審に於いて大阪高裁は、この点も十分な検討をすべきでしょう。

リンチ被害者M君は、ネットリンチや村八分などのセカンドリンチを受け続け、それは精神を病むほどでした。そうして大阪地裁の2つの不当判決は、まさに法の名の下による“サードリンチ”と言ってもいいでしょう。もうこれ以上、被害者を苦しめないでいただきたいと願います。裁判所は真に〈人権の砦〉として、暴力を排し、「反差別」運動のリーターとされる李信恵を厳しく戒め、これまでの裁判所の判決ごとに精神的に追い込まれてきたリンチ被害者を慰撫する方向で審理し判断することを強く望んでいます。リンチ被害者M君に救済の手を差し延べてください。(本文中敬称略)

[右]李信恵代理人・神原元弁護士のツイート(2016年9月12日)。私たちのリンチ被害者M君への救済・支援活動を「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」と言い放つが、私たちは「私怨と妄想」でこの問題に関わったのではない![左]同じく神原弁護士のツイート(2016年12月2日)。M君訴訟は広く皆様方の浄財で闘ったが、これを「汚い『集金』」と非難。では、李信恵の裁判を支援する会の「集金」はどうか? M君とは桁違いの大金を集めながら、いまだに会計報告もない!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

本通信で5月10日に私がこの事件につき、現在の心境を開陳し、5月12日には特別取材班による、「M君リンチ事件」に関する一連の裁判の流れが、解説されました。5月10日の通信の後半でも述べていますが、数回に分け連続して、李信恵から提訴され大阪地裁で不当判決を受けた控訴審(5月25日)に向けて、私が裁判所に提出した「陳述書」の内容に順じて、現時点の私の想いやスタンス、このかんの私たちの取り組みが、どのような動機に起因したかをお伝えしたいと思います。

◆いよいよ控訴審へ

来る5月25日、対李信恵訴訟控訴審が大阪高裁(第2民事部、午前10時~、別館82号法廷)にて始まります。私は今回の控訴審においても、思いの丈を「陳述書」にしたため裁判所(大阪高裁)に提出しました。

私は一審では4通の「陳述書」を提出いたしましたが、裁判所(大阪地裁)は、これらを精読されたようには思われません。「M君リンチ事件」から派生した本係争に対する私たちの事実に立脚した主張、並びに、それにかけた想いは、全く考慮されていませんでした。

控訴審を審理する大阪高裁には、事実と証拠に基づき、事件を正しく理解していただきたいとの想いで「陳述書」を文章化し提出したわけです。大阪高裁が、妥当な読み方で私の「陳述書」を読み理解してくれるかどうかはわかりませんが、私の想いだけは申し述べておきたいと考えた次第です。

本件一審判決言い渡しを法廷で聴き私は、怒りを通り越して、絶望、脱力感に襲われました。それは、まだ心の中に残っていた“裁判所の良識”への期待が裏切られたからです。裁判所は「人権の砦」であり「憲法の番人」ではなかったのか──本件リンチ事件(加害者らは「リンチ」という言葉が嫌いなようですので「暴行傷害事件」と言っても構いませんが)直後の被害者の顔写真やリンチの最中の音声データに象徴されるような、凄惨な傷(肉体的にも精神的にも)を受けた明確な証拠がありながら、裁判所は一人の青年学徒の人権を尊び彼を救うのではなく、加害者の暴力を容認しリンチ(あるいは暴行傷害)に加担したことに、いいしれぬ絶望感と脱力感を覚えました。

一審判決文(1ページ目)

 

李信恵手書きの「謝罪文」(全7ページ。全文は『暴力・暴言型社会運動の終焉』に掲載)

李信恵は事件直後、一度は「謝罪文」を書き「活動自粛」を約束しながら、これを反故にし、それにとどまらず被害者M君に対して、加害者やこの周辺の者らは激しいセカンドリンチ(ネットリンチや村八分行為)を行い、これを止めるのではなく黙認・黙過しました。被害者M君の〈人権〉などまったく眼中にはなく彼の精神を苦しめ、現在に至るまで被害者をリンチのPTSDに追い込んでいます。

こうしたことによってM君はものごとに集中できず博士論文も挫折、就職活動もうまくいかないままです。もし私がM君の立場だったら、おそらく同様に、いや彼以上に錯乱しているでしょうし発狂しているかもしれません。

一方の李信恵は、あたかも何もなかったかのように、あろうことか大阪弁護士会や行政などから招聘され講演行脚に奔走しています。おそらくこれまで100回前後の講演会や集会の講師を務めていると推察されます(ここが他の加害者4人と決定的に異なるところです)。

こうした李信恵の姿を見るにつけ、彼女が自筆で書いた「謝罪文」は一体何だったのか、と思います。李信恵に〈良心〉はないのでしょうか? 私たちは血の通った人間として、たとえ裁判所が李信恵を免責しても、本件リンチ事件について、日頃「人権」とか「反差別」とかを喧伝する彼女の〈良心〉や〈人間性〉を問い続けます。一人の人間として血の通った真摯な〈謝罪〉がなされるまで──。私たちが問いかけてきたことは、法的責任はもちろんですが、人間の生きよう(「人倫」ともいえるかもしれません)の問題です。

◆本件の最大の被害者は、1時間ほどの凄絶なリンチを受けた大学院生M君です

 

大阪弁護士会主催シンポジウム案内

本件リンチ事件の最大の被害者は、言うまでもなくM君です。李信恵の「陳述書」で彼女は、あたかもみずからが、私たち鹿砦社や取材班による当たり前の取材に対して「恐怖心」を覚えた「被害者」のように誇大に書いています。いわく、鹿砦社の出版物やネット記事等で「自分の受けた被害」によって、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。私からすればとんでもないとしか言いようがありません。

よくよく考えてもみてください、「苦しい気持ちになり」、「不安と苦痛でいたたまれ」なくなり、「恐怖に苛まれ」、「恐怖心でいっぱいに」なり、「強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じ」たりしたのは、リンチにより身体的にも精神的にも大きな被害を受けたM君のほうです。

一審の大阪地裁は、このことを誤認し、在日コリアンで女性であることで「複合差別」(李信恵が極右団体らを訴えた別訴での判決文より)を受けてきたとされる李信恵は嘘をつかず、その「陳述書」の内容を“真実”であると、すっかり信じ込み、逆にM君の、リンチによる身体的、精神的傷を蔑ろにし、M君の発言を「信用ならない」と判断しました。

 

李信恵による批判者を罵倒するツイート

常識的に見て、精神的に一番「恐怖心を感じた」のは1時間ほども激しいリンチを加えられたM君です。M君の「恐怖心」はリンチ事件後も続きます。先に提出された著名な精神科医・野田正彰先生によるM君の「精神鑑定書」によれば、

〈被害後、翌朝に再び主犯金良平が電話にて「お前、まだ何か言いたいことあんのか?」と凄んできたこと、反差別運動において敵対者や批判者の自宅や職場への嫌がらせが常態化していたことから、その後加害者グループおよび反差別運動の関係者によるさらなる暴行加害の恐怖に苛まれた。
 受傷被害後6日後から恐怖心がさらに増すようになった。家に来られるのではないか(配達など、インターホンが鳴るたびに緊張した)、待ち伏せをされるのではないか、もし家に来られた場合は飼っている猫も殺されるのではないか、外出すれば襲撃を受けるのではないか…。特に外出時において線路に突き落とされることを恐れ駅のホームでは端を歩かない、公共のトイレの利用においても襲撃を恐れ小用でも鍵のかかる部屋に入る等の警戒をする日々が1年半以上続いた。襲撃を恐れ外食もできなくなった。隣接地域である鶴橋にも行かなくなった。〉

と記載されていますが、M君が感じた「恐怖心」は、李信恵の「恐怖心」を遙かに凌駕します。一時は李信恵と昵懇だった凛七星さんが言うように「彼女(注・李信恵)は言い訳だとか、話を捻じ曲げて自分の都合のいいようにするのが得意」(第2弾本『真実と暴力の隠蔽』134ページ)というような多くの証言がある李信恵がいい加減なことを言うのは仕方ないにしても、彼女の三文芝居に騙されずに裁判所は事実と証拠に基づき、公平・公正な判断をしていただきたい。李信恵の牽強付会な物言いを、言葉通りに誤認しないでいただきたいと思います。

「恐怖心」と言えば、ある在日コリアンの女性経営者が、本控訴審のために当初陳述書を書き証言すると言ってくれましたが、一夜明けると断りの連絡がありました。理由は、何をされるか「怖い」からということでした。李信恵や彼女と連携する者らによる暴力・暴言や職場への電話攻撃、SNSでのネットリンチが激しくなされてきましたので、その女性経営者の情況を察し諦めた次第です。

その女性経営者が躊躇し悩んだのには実例があります。ある公立病院に勤める在日コリアンの医師、金剛(キム・ガン)先生は、生来の正義感から、このリンチ事件批判のツイートをするや、李信恵の仲間や支持者らに激しい病院への電話攻撃をなされています。人の生死に関わる病院に、です。

さらには、四国の自動車販売会社・合田夏樹社長に対しても、身障者の息子さんのいる自宅や会社への電話攻撃、挙句は国会議員の宣伝カーを使い本件リンチ事件にも連座した伊藤大介の指揮の下、自宅や会社(近く)へ押し掛け、さらには大元のメーカーにも激しい電話攻撃は及んでいます(このあたりの詳細な経緯は第2弾本『真実と暴力の隠蔽』参照)。このことで合田社長の奥様は非常な「恐怖心」を覚えたといいます。

伊藤大介らによる合田夏樹脅迫事件

 

同上

先の女性経営者は、これらの事例、さらには批判者に対する容赦ないネットリンチや電話攻撃などを知り「恐怖心」を感じ陳述書や証言を断念されたわけです。他にも李信恵やその仲間らから激しいネットリンチや暴力・暴言を受け「恐怖心」を覚えながらも、いわば“泣き寝入り”をした人たちを私たちは取材の過程で数多く知りました。控訴審を審理する大阪高裁には、こうした事情もぜひ認識いただきたく強く望みます。

また、私たちや取材班メンバーらは、それまで全く面識のなかった李信恵に対して「悪意」や私怨、遺恨など皆無だったことは事あるごとに申し述べてきました。私たちは、あくまでも真相究明のために地を這うような調査と取材(もちろん合法的な)によって事実を積み重ね〈真実〉に迫ったまでです。それが「調査報道」やジャーナリズムの基本であり社会問題に関わる出版という営為であるという矜持と誇りを持っています。

加害者グループと違い鹿砦社や取材班メンバーが暴力を振るうことは断じてありません。社会運動や反差別運動の内部での暴力・暴言(言葉の暴力、右派・左派問わずのヘイトスピーチ)を厳に戒めるというスタンスを明らかにしています。こうしたことにも一審大阪地裁には誤認があります。

控訴審にあっては、真に〈人権の砦〉の立場から大阪高裁は、当然のことながらリンチの被害者に寄り添い、リンチによって追い込まれた被害者の精神状態を慮り、この〈人権〉を尊ぶような審理、及び一審判決における重大な誤った判断の数々(別途指摘します)を、何の予断と偏見なく虚心坦懐に精査し、公正な判断がなされることを熱望いたします。(文中、一部を除き敬称略)

◎読者の皆さんは、どのようにお感じになるでしょうか。私は出版に関わって大小の事件と直面してきました。「M君リンチ事件」は、見方によっては、さほど社会性のない些細な事件と思われる方もおられるかもしれません。しかし、果たしてそうでしょうか。「神は細部に宿る」との格言のとおり、社会を良くしようと指向する運動には、その志に見合った行動が伴うべきではないでしょうか。(つづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

5月10日、本通信に鹿砦社代表松岡の《[カウンター大学院生リンチ事件 対李信恵訴訟控訴審に向けて]私たちは、社会運動/反差別運動内部の暴力を容認しリンチに加担した一審(大阪地裁)不当判決に抗し最後まで闘います! 5・25第1回弁論(大阪高裁第2民事部、午前10時~、別館82号法廷)に圧倒的なご注目と応援を!》が掲載された。「M君リンチ事件」にかんしての法廷闘争は、最終盤を迎えている。当事者であるわれわれにとっては、長い道のりであり、また不可思議と、怒りの連続でもあった。

われわれが現在闘っている裁判はいったい、何を問われているのか、そしてこれまで一連の裁判はどのように推移してきたのか、今一度整理しておこう。というのは、この事件に関心を持ってくださる方々の中にも「今やってるのは何の裁判?」と質問される方も少なくないからだ。

◆なぜ裁判を提起しなければならなかったのか──M君対野間裁判勝利から対5人裁判へ

 

闘いの舞台=大阪地裁、大阪高裁

そもそもわれわれが、「M君リンチ事件」の情報に初めて接したのは2016年3月だ。初対面のM君と松岡、のちに代理人を担っていただくことになる大川伸郎弁護士、そして特別取材班の数名が、M君から事件の概要と、事件後にM君が置かれていた想像を絶する状況を知ることになる。

加害者への刑事処分はすでに終わっており、金良平と李普鉉には罰金が科されていたものの、リンチ現場に居合わせた李信恵、伊藤大介、松本英一にはお咎めなしの処分だった。李信恵も警察の事情聴取を受けてはいるものの、不起訴になっていた。

刑事事件には「推定無罪」の原則がある。そのことを考慮して刑事事件は処理されるべきである。2005年、「名誉毀損」容疑で松岡が神戸地検に逮捕され、192日も勾留された(あの事件は「冤罪」であった、と鹿砦社もわれわれも考えている)という苦い経験がある。100歩譲って刑事責任が問われなかったことは仕方がないにしても、李信恵は「なんやねん、おまえ」とM君に最初に掴みかかったことは自ら認めており、リンチの先鞭を切ったことは間違いない。

 

釘バットで虚勢を張る野間易通

〈刑事事件の判断と民事事件の判断は必ずしも認定水準が同様ではなく、まして司法でクロと判断されても「冤罪」は確実に存在するし、逆に司法が責任を問わずとも、社会通念上許されない行為もあるのではないか〉……

これまでの経験則から導かれたわれわれの認識は、特別取材班全員が共有していた。M君からの事件についての情報を得たわれわれは、当然事実の確認(裏取り)と周辺取材に着手した。大川弁護士は刑事記録入手に動いた。結果としてわれわれは、M君が伝えてくれた情報はすべて、正確でありかつ事件の背後には「正体不明の不気味な勢力」の意図が動いていると判断した。

M君は熾烈な集団暴行に遭いながら、その時点で1円の賠償も加害者からなされていなかった。そこでM君は、加害者5人を相手取り「損害賠償請求」の民事訴訟を起こす準備に取り掛かった。

その途中で野間易通がTwitter上で、M君の本名を明かしただけではなく、散々な誹謗中傷を行ったため、5人に対する「損害賠償請求」訴訟と相前後して、「ネット荒らし」こと野間易通を「名誉毀損による損害賠償」請求事件として提訴し、M君は野間に完勝した。判決が最初に確定したのは、M君が野間を訴えた裁判である。

 

なぜか朝日新聞にモテる野間易通(2020年6月17日付朝日新聞)

次いでM君が李信恵、伊藤大介、金良平、李普鉉、松本英一に対して損害賠償を請求した裁判の判決が大阪地裁で下された。判決では賠償金額80万円で、金良平と李普鉉、伊藤大介の責任を認定したが、そのほかの人物の共謀は認められなかった。

李信恵については、M君が李信恵から殴られた形態を、刑事記録や法廷証言などで「平手」か「手拳」かを変えている(しかし、M君は「殴られたこと」自体を一度も翻したことはない)ことに拘泥し李信恵の責任を認めなかった。大阪地裁におけるこの不可思議な判断を是非ご記憶いただきた。というのは、その後の裁判にも【「平手」か「手拳」か問題】が大きな影響を及ぼすからだ。

わずか80万円という不当に低い賠償額と、李信恵の責任を認めなかったなど判決内容に不満があったため、M君は大阪高裁に控訴。結果、賠償金額は110万円に増額されたが、なんと伊藤大介の賠償責任が取り消されてしまった(このことが昨年11月25日未明の同種傷害事件に繋がった。詳しくは2月発行の『暴力・暴言型社会運動の終焉』参照)。最高裁に上告するも大阪高裁の判決が確定した。

◆鹿砦社は対李信裁判では勝利した

「M君リンチ事件」を本通信や書籍として出版する中で、李信恵から鹿砦社並びに特別取材班への誹謗中傷がTwitterでしばしばなされるようになった。鹿砦社は大川弁護士を通じて「そのような書き込みを止めるように」警告書を送ったが、李信恵の誹謗中傷・罵詈雑言は止まらず過熱化の兆しがあった。

仕方なく鹿砦社は李信恵を相手取り、「名誉毀損による損害賠償」を求める訴訟を大阪地裁に提起し、大阪地裁では額は少額(10万円)なものの、李信恵の不法行為を認定し鹿砦社は全面勝利した。

松岡がガンつけつきまとったって!? 平気で嘘をつくな! 本人尋問の日のことだろうが、この時点では、松岡は李信恵に会ったこともなかった(2017年12月13日、李信恵のよるツイート)。

◆李信恵苦し紛れの提訴から大阪地裁でまさかの不当判決

この裁判の終盤になって、突然被告の李信恵側が「反訴したい」との意向を示したが、裁判所は反訴を認めず、李信恵は別の事件として鹿砦社を「名誉毀損だ」として損害賠償請求と出版物の発売停止、「デジタル鹿砦社通信」の記事削除などを求める裁判を大阪地裁に起こしてきた。これについて本年1月28日、大阪地裁は、なんと「賠償金165万円」と本通信記事の削除を命じる不当判決を下したのだ。

全くおかしな展開である。1時間殴る蹴るされたM君への賠償が110万円で、その事件を伝えた鹿砦社をTwitterで罵倒した李信恵への賠償命令が10万円。そして事件の詳細を伝えた鹿砦社への賠償命令が165万円!しかもM君への賠償責任で【「平手」か「手拳」か問題】で李信恵は責任を逃れ、鹿砦社への賠償の根拠としても【「平手」か「手拳」か問題】が重大視されているのだ。繰り返す。M君は一度も李信恵から「殴られた」ことを翻してはいない。1時間も顔の骨が折れるほどの凄絶な暴行を加えられて、「正確に被害の形態を覚えていろ」、というのが裁判所の言い分らしい。ちょっと待ってくれ。そんなことは非現実的じゃないか! 

【「平手」か「手拳」か問題】に裁判所は異常にこだわり、李信恵によるM君への殴打はなかった、と決めつけ、M君に対する李信恵の殴打を記載した書籍や本通信記事が「名誉毀損」にあたるという。そんなバカな話があるだろうか。松岡や特別取材班の怒りはここにあるのだ。

事実認定の誤認(間違い)に基づく不当な賠償と記事削除命令。こんな判決がまかり通れば、日本では一切の調査報道は賠償の対象とされてしまい、事実上不可能になろう。【「平手」か「手拳」か問題】で「報道の自由」を蹂躙した、大阪地裁の判決は明確に憲法21条違反だとわれわれは確信する。

李信恵の”迷言”の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)。リンチの直前のワインバーからのツイートもある

一審で松岡は「陳述書」を4回も書き、「最大の被害者はM君だ」「加害者はM君に真摯に謝罪すべき」等々、と当たり前のことを繰り返し主張している。その意味は紹介したように、一連の裁判で【「平手」か「手拳」が問題】に裁判所が異常なまでこだわり、被害者であるM君にあたかも瑕疵があったかのような判断を繰り返すからだ。それにこだわるあまり、初歩的な誤判がある(ここでは触れない)。しかしながら大阪地裁は、松岡が渾身を込めて書いた4通の「陳述書」をきちんと読んだ気配はない。

複数の裁判が重なり、読者の皆さんが混同され、なかなかご理解いただくことが難しいだろうから、本稿ではこれまでの裁判の概要をご紹介した。

そして【「平手」か「手拳」か問題】を基礎に鹿砦社へ165万円の賠償と本通信記事の削除を命じた大阪地裁判決への“怒りの反撃”として大阪高裁へ控訴し、来る5月25日に初回期日を迎えるのだ。大阪地裁における不当判決は当然取り消されなければならない。さらなるご支援とご注目を!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

すでにお知らせしていますように、「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」について、セカンドリンチ(ネットリンチや村八分)に晒されていた被害者M君に寄り添い救済・支援と真相究明に当たってきた私たち鹿砦社に、あろうことか1月28日、大阪地裁第24民事部は165万円の賠償金と「デジタル鹿砦社通信」記事の削除を命じました。

この不当判決に対して鹿砦社は即刻大阪高裁に控訴すると共に反撃を開始しました!

 

リンチ直前の李信恵、伊藤大介ら加害者の面々

すでに控訴理由書と、31名の法曹関係者やジャーナリストの方々の「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」(内3名が医師、大学教授、会社経営者の在日コリアン)を大阪高裁に提出、次いで補充書面、アメリカ在住の心理学者・矢谷暢一郎先生(4月20日付けでニューヨーク州立大学名誉教授に任命)の「意見書」、著名な精神科医・野田正彰先生の被害者M君「鑑定書」、取材を手伝ってくれたジャーナリスト寺澤有氏や被害者M君の「陳述書」などを提出しています。この通信を、結果としてしばらく休ませていただいたのには、それらの手配に追われていたという事情がありました。

私たちは、凄惨なリンチを受けながら、一年余りも放置され、まともな補償もなされず、セカンドリンチ(ネットリンチや村八分)に遭い精神的に追い込まれていた事件当時大学院生M君の救済・支援に関わると共に、リンチの加害者5名と、このリンチをなかったものと隠蔽を図る政治家、大学教員、メディア関係者らに徹底した取材を行い、彼らの理不尽な蛮行を批判してまいりました。

私たちがこの事件に接し、取材班のメンバーが個性を活かし、血の通った人間として関わったのは絶対に間違いではなかったと思います。このスタンスは今でも変わりません。いや、血の通った一人の人間として、見て見ぬ振りをすることはできませんでした。

[左]「日本酒に換算して1升近く飲んだ」とする李信恵のツイート/[右]数時間して凄惨なリンチを受けた直後のM君

M君リンチの現場に連座した伊藤大介は、性懲りもなく昨年同種の傷害事件を起こし逮捕‐起訴されています。M君に対しては、李信恵が在特会などを訴えていた裁判が終わった後に、李信恵本人によれば「日本酒に換算して一升」もの飲酒の果てに、深夜に泥酔してM君を呼び出しリンチに及びました。同様に昨年11月24日にも本件訴訟の本人尋問が終わり、やはり飲み歩いたであろう日付けが変わった25日未明、極右団体の幹部を呼び出して小指の骨を折るような傷害事件を複数で行っています。彼ら彼女らが、全然反省していない証です。

M君リンチ事件に連座した伊藤大介が再び深夜に酔った勢いで極右活動家を呼び出し暴行傷害事件を起こし逮捕されたことを報じる『産経新聞』2020年12月8日大阪版朝刊

 

その日のうちに(12月17日)、リンチ直前に飲食した「あらい商店」を訪れた有田芳生参議院議員。この前にはソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が訪れている

ことが単なる暴行傷害事件であれば、世の中、数多あることですが、李信恵は「反差別」や「人権」を声高に叫び、大阪弁護士会や行政などの主催をはじめ多くの講演を引き受け、もっともらしいことを語っている人物です。2度にわたる裁判期日のあとの飲食後に暴行・傷害事件への(少なくとも)関わりは悪質と言わざるをえません。暴力・暴言を反差別運動や社会運動に持ち込み、それがあたかも当たり前であるかのように開き直っていますが、この姿勢は絶対に間違っています。

このような「事件」、そして「事実」を報じた書籍やブログ記事へ賠償や削除を命じた一審判決は、暴力にお墨付きを与えリンチに加担したものであり、これを許しておけば、反差別運動、社会運動に暴力をはびこらせることになります。

そして今回の大阪地裁の判決は、鹿砦社だけではなく、あらゆる調査報道や取材が、罰則の対象とされかねない、とんでもない判断です。この判決が確定すれば、最近話題になることの多い、「文春砲」と呼ばれる『週刊文春』の取材をはじめとする週刊誌の取材手法などは、ほぼすべてが「賠償」の対象と判断されるでしょう。つまりこの係争は単に「反差別」をめぐるだけのものではなく憲法21条に謳われた「言論・出版の自由」の根本に関わるところまで、幅が広がってきているのです。

いやしくも私たちは出版社であるからには、あくまでも言論戦を原則としつつ、似非反差別主義者を徹底的に弾劾していかねばなりません。皆様方のご注視と応援をお願いいたします。

◆私たちはなぜ本件リンチ事件(被害者救済・支援と真相究明)に関わってきたのか?

このかん、控訴審を準備する過程で、私たちが本件リンチ事件に関わってきたことについて、あらためて考えてみました。

ちょうど5年ほど前に本件リンチ事件が持ち込まれてきました。事件からすでに1年余り経ちつつも、加害者の周辺の関係者らの隠蔽活動により、一般に知られることなく、このままでは闇に葬られると感じ、さっそく資料を読んだり直接被害者本人や、わずかな支援者らの話を聞き、「反差別」運動の旗手とされていた李信恵が関わったとされる本件リンチ事件(の被害者救済・支援と真相究明)に関わることにしました。当時、私は64歳、もうすぐ65歳を迎えようとしており、訴訟案件もなく経営も安定期に入っていて、そろそろリタイアも考えていました。

資料の中で李信恵は事件の前日(この日は反ヘイト裁判の期日で、これが終了し、また報告会も終わった)夕刻から韓国料理店(大阪・十三のあらい商店)、キャバクラ、焼き鳥屋、ラーメン屋、そしてリンチの場となる北新地のワインバーと5軒の飲食店を飲み歩き「日本酒に換算して1升」(李信恵のツイート)近く飲み泥酔状態にあったことをみずから公言しています。具体的には、
「マッコリ5、6杯、焼酎ロック8杯くらい、日本酒2合、生ビール中ジョッキ1杯」(李信恵の供述調書)
ということです。呆れます。泥酔状態でM君を呼び出して、傍らで激しいリンチが行われているのに平然としていた李信恵の姿勢に更に衝撃を受けました。

大阪地裁判決が異常に拘泥した、李信恵が最初に放った一発が「平手」か「手拳」かは私たちにとってはさほど問題ではありませんでした。重要だったのは、李信恵ら5人が同じ場所に最初から最後まで居てリンチに連座したこと(あるいは見て見ぬ振りをして加担したこと)でした。そうして残されたリンチ直後の顔写真とリンチの最中の音声データは、私たちの直感を確信に導く証拠でした。通常な精神の持ち主であれば、これらの証拠に接して「リンチはなかった」などとは思わないでしょうし、李信恵を中心として集まり共謀した集団暴行事件に義憤を感じるでしょう。李信恵が傍らで1時間ほども酷いリンチが行われているのに止めることもせず、救急車やタクシーを呼ばずに師走の寒空の下に放置し立ち去ったことに大いに疑問を覚えました。M君は必死でタクシーを拾い自宅に辿り着いたそうですが、あまりに酷い傷に驚いた運転手は料金を受け取らなかったといいます。

さらに、私たちが以前に主催し講師として講演に招き知っていた者、あるいは社会的に名が有る者(政治家、ジャーナリスト、弁護士、大学教員、知識人)らが、こぞって事件の隠蔽に関わったことに接し、背後に何やら恐るべきものがあると思いました。被害者を支援するには、リンチ事件の真相も明らかにしていかねばらないとも痛感しました。被害者M君の受けた暴行の酷さから、その暴力が取材班スタッフや鹿砦社の社員らに及ぶのではないか、という懸念はありました。

思い返せば、本件に関わらなければ、予定通り後進に道を譲りリタイアし、この5年間、精神的、経済的、時間的、身体的にも苦労することもなかったわけです。しかし、かつてパチンコ業界の闇を追及した「名誉毀損」事件で鹿砦社や私がどん底にあった時、多くの方々に助けてもらったではないか、現在鹿砦社や私が在るのはその時のみなさん方の支援のお蔭ではないか、と思い返し、私たちのところに助けを求めてきたリンチ被害者M君を救済・支援しようと思いました。

諸事情もあり逡巡しましたが、私が出版活動を始めて40年近く──初心は、修羅場にあってこそ逃げず、巨悪に立ち向かうためだったのではないのか、もしリンチの肉体的被害と、そのPTSD、さらにはセカンドリンチ(ネットリンチと村八分)に苦しむ被害者の青年を見棄てたら残り少ない私の人生に悔いが残る、と逡巡にとらわれる自身を叱咤し、問題解決に関わる決意を固めました。こうした判断は絶対に間違いなかったと今でも思っています。

今回の控訴審では、前述したように、矢谷暢一郎先生、野田正彰先生、寺澤有氏ら、これまでになく多くの方々が協力してくださいました。一審判決では、明らかに誤判といえる箇所も散見され、裁判所(高等裁判所)に良心の欠片、真に人権への眼差しが残っていれば、必ず逆転勝訴すると信じています。
 

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

わが国の反差別運動に重大な汚点を残した「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)関連の訴訟で似非反差別主義者・李信恵が鹿砦社を名誉毀損で訴えた裁判で、1月28日、大阪地裁(池上尚子裁判長)は、あろうことか、鹿砦社に165万円の賠償金とブログ「デジタル鹿砦社通信」の記事の削除を命じました。

 

リンチ直後の被害者M君。リンチがいかに凄惨だったから判る

私たち鹿砦社は、深夜に1時間に渡る凄絶なリンチを受けつつも、治療費はじめ当時なんの補償もなされず、それどころかセカンド・リンチと村八分を加えられていた大学院生M君への救済・支援と真相究明に携わってきました。それは、6冊に及ぶ出版物(紙の爆弾増刊)として結実し、少なからずの方々から高い評価を受けてきました。

事件が起きたのは2014年師走、大阪屈指の繁華街・北新地です。李信恵ら現場にいた加害者5人はじめ関係者らの隠蔽活動により事件が表面化することはありませんでした。私たちに事件の内容が告げられたのは、事件発生から一年余り経った2016年3月でした。

リンチ直後の被害者M君の顔写真を見て、さらにM君が必死で録音したリンチの最中の音声データを聴き仰天しました。

渡された資料にも目を通し、M君への救済・支援と真相究明の取材を開始しました。国会議員、研究者、弁護士ら多くの著名人が、事件を知りながら隠蔽に加担し、背後に不思議な闇があることを感じさせられました。調べれば調べるほど、その闇は深いと思いました。

M君は、李信恵ら加害者5人と、しばき隊リーダー野間易通を訴え(2つの裁判です)、対野間訴訟では全面勝訴を勝ち取りました。しかし加害者5人を相手取った裁判では、満足のいく金額の判決は得られませんでしたが判決は確定しました(内容に不満は残りましたが勝訴であることには間違いありません)。

M君へのセカンドリンチの一部

 

M君へのセカンドリンチの一部

その関連が今回の訴訟でしたが、一審大阪地裁は、李信恵の主張を認め鹿砦社に165万円の賠償金とブログ記事削除を命じたのです。

人道的立場からリンチの被害者を救済・支援しようとしてきた私たち鹿砦社が、加害者のリーダー的立場の者から訴えられ賠償金を食らうというアイロニ-―この不当判決に私たちは控訴し徹底抗戦することにしました。

日頃「反差別」「人権」を叫ぶ者が、1時間にも及び凄惨なリンチを加え、被害者M君を師走の寒空の下に放置し立ち去った。加害者及び周辺人物は事件後、一時は「謝罪」の意を表わしたもののこれを覆し、被害者M君へのセカンド・リンチと村八分を行い、事件をなかったことにすべく隠蔽を図りました。

 

M君へのセカンドリンチの一部

私たちは、ほとんどの関係者が取材を拒否したり、逃げたり、沈黙するという困難な情況の中で、鹿砦社50年の歴史でも特筆しうるほど地を這うような取材を行いました。幸いにも、心ある在日の方々の協力を得て、どんどん驚くような情報が寄せられました。あまりのディープゆえに“握っている情報”もあります(いつでもぶちまける用意があります)。M君の訴訟費用は広くカンパを募り浄財を寄せていただきましたが、その3分の2は在日の方々でしたし、第4弾本に付けたリンチの音声データを「私に任せてください」と海外でプレスしてくださったのも在日の方でした。あまりに凄惨な音声ですから国内ではプレスできず困っていたところです。

私たちがこのリンチ事件に携わってちょうど5年が経ちました。このままでは終われません! ここで退いたら、言葉の本来の意味での社会正義に反する蛮行を行った徒輩が笑うだけです。血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘います!

彼ら・彼女らは一切反省していません。その証左として、M君のリンチの現場にいた者(伊藤大介)が、再び暴行傷害事件を起しています。私たちはこれまで再三再四、しっかり反省、教訓化しないと、同種の事件は繰り返されるだろうと警鐘を鳴らしてきたのに、です(詳しくは最新刊『暴力・暴言型社会運動の終焉』をご一読ください)。

私たちは、控訴審において、軽々な審理を阻止せんと、代理人も元大阪高裁裁判官のベテラン弁護士を招き、さらには法曹、言論関係者を中心として急遽声を挙げていただいた方々31名が「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」に名を連ねていただきました。これも「控訴理由書」と共に原本を大阪高裁に提出いたしました。以下、その一部の方の名を記載いたします(順不同、敬称略)。

大口昭彦(弁護士)はじめ弁護士5名、足立昌勝(関東学院大学名誉教授)、矢谷暢一郎(心理学者/元ニューヨーク州立工科大学教授)、野田正彰(精神医、作家/元関西学院大学教授)、本山美彦(京都大学名誉教授)、寺脇研(元文科相キャリア/大学教員)、平野貞夫(元参議院議員)、玉城満(前沖縄県議員)、高野孟(ジャーナリスト)、揖斐憲(サイゾー代表)、森奈津子(作家)、天木直人(外交評論家/元駐レバノン国特命全権大使)、山口正紀(ジャーナリスト/元読売新聞記者)、黒薮哲哉(フリーランスライター)、板坂剛(作家)、山田洋一(人民新聞編集長)、マッド・アマノ(パロディ作家)、飛松五男(行政書士/元兵庫県警刑事)、水戸喜世子(救援連絡センター初代事務局長)ほか。

*今後、本件については適宜報告してまいります。

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

◆岸政彦の対談記事に対する違和感

朝日新聞3月17日夕刊に売出中の社会学者・岸政彦と、芥川賞受賞作家・柴崎友香との共著による新刊『大阪』の出版について対談が掲載されています。

朝日新聞3月17日夕刊

岸いわく、「記憶というものは『公共のもの』でもありますから」だそうです。

岸は、鹿砦社が取材を続けた大学院生リンチ事件の発生当時、その加害者の一人である似非反差別主義者・李信恵の「裁判を支援する会」の事務局長を務めていました。正式名称「李信恵さんの裁判を支援する会」は、広く市民からカンパを募り運営されていたようです。ところが同会は大金を集めながら未だに会計報告を公表していません。一般的に運動団体の事務局長といえば、経理面の責任も含め会の全般的な責任者です。

 

『反差別と暴力の正体』表紙

また岸は、事件直後、「コリアNGOセンター」による李信恵らの事情聴取にも立ち会っています。このような事実から岸は立場上、リンチ事件の詳細を熟知していると推認されます。鹿砦社特別取材班は、岸がリンチ事件について、どう考えているかを聞こうと、岸が当時勤務していた龍谷大学の研究室を訪ね、直接取材を行いました。

岸は取材班の質問に、ほとんど答えず逃げ回るだけでした。その様子は第2弾本『反差別と暴力の正体』(2016年11月17日発行)に掲載されています。本稿に取材時の画像を数枚掲載しておきます。その姿には、毅然とした知識人の矜持など見られません。岸は日々ツイッターで日々の出来事や思ったことなどを発信していますが、直接取材の日は、おそらく彼にとって重大事(少なくとも非日常的出来事)だったはずにもかかわらず、何もツイートしていません。

鹿砦社との民事訴訟における李信恵の本人尋問によれば、「取材班の直接取材が原因で岸は事務局長を辞めた」とのことですが、取材班の質問に対して岸は「今は事務局長をやったりやらなかったり……ちょっとややこしいんです」と答えていました。対外的に「事務局長を辞めた」とは告知されていませんので、多くの人たちは、岸が李信恵の対在特会らに対する訴訟の事務局長を最後まで務めたと思っているでしょう。

その後、岸は小説が芥川賞候補になるなど、著書も相次いで出版。龍谷大学から立命館大学に職場も移り、関西における社会学者の世界でも有力な地位を得ています。また「朝日文化人」として紙面にたびたび登場したり順風満帆です。

取材班の直撃取材に逃げ回る岸政彦

逃げ回る岸政彦

逃げ回る岸政彦

 

リンチ直後の被害者大学院生M君

一方、リンチ被害者M君は、訴訟では、勝訴したとはいえ、長い裁判闘争にもがき最低の賠償金額に抑えられ、関西では、その名を知られ教職を目指そうにもうまくいかず(地方の大学の職が決まりかけていましたが直前で断られています)物心両面にわたり苦境にあります。岸に研究者や作家としての誠実さや良心があるのならば、凄絶なリンチの様々な後遺症に苦しむM君に真正面から向き合うべきでしょう。そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか? 

「記憶というものは『公共のもの』でもありますから」と、平然と述べる岸。であれば、われわれはあらためて岸に聞き質さねばなりません。

われわれが取材を重ねたリンチ事件は社会的な事件でした。事件そのものが社会性を帯びている上に、岸の解釈によれば「記憶というものは『公共のもの』でもある」そうですから、岸には個人としてだけではなく「公共のもの」としての「記憶」が残されているはずです。岸にとっては隠蔽し忘れたいことかもしれませんが、受けた傷の深さに苦しむM君には終生忘れることはできません。あらためてリンチ直後のM君の顔写真を見よ! 事件の「公共」性に鑑みれば、岸に研究者や作家である前に人間としての〈良心〉があるのかどうか、問いたいと思います。岸が、われわれの問いから逃避しようとしても、それは許されませんし、われわれが許しません。であるならば、みずからの「記憶」をすべて晒け出すべきです。それが、知識人としての存在理由(レゾンデートル)ではないでしょうか?

◆「しばき隊」「カウンター」内部に何が起きているのか?

ところで、「しばき隊」、「カウンター」の源流となった「反原連」(首都圏反原発連合)が、本年3月で活動を休止するということです。それはそれでいいとしても、あろうことか反原連は活動休止のために500万円の資金カンパを募り、ほぼ目標額を集めたようです。“休止のためのカンパ”が、ミサオ・レッドウルフら反原連幹部によって、どのように使われるのか、しかと注視しておいたほうがいいでしょう。社会活動を進めるためのカンパなら理解できますが、活動をやめるためにカンパを募るというのは聞いたことがありません。不自然な感が否めませんが、ミサオら反原連幹部の退職金にでもするのでしょうか?

また、反原連の初期からのメンバーで、この成功から「しばき隊」「カウンター」を始めた野間易通が「さようなら、カウンター」と題する記事を公にしました。そろそろ嫌気がさしてきたのか!? 百戦錬磨で稀代の曲者の野間の本心が奈辺にあるのか、しばらく様子を見ないとわかりません。

さらに、前述の2件も含め、くだんのリンチ事件にも連座した、「しばき隊」の中心メンバーにしてスポンサーの伊藤大介による暴行傷害事件などが表面化し、「しばき隊」「カウンター」界隈に何かが起きているようで、このところ肝心なことには口を閉ざし静まり返っています。伊藤の裁判は大阪地裁で行われるのかと思っていましたが、関東でも暴力事件を起こしているらしく、これら2件を併合して横浜地裁で行われるようです。これまでの彼らの裁判であれば、散々騒ぎ裁判期日になれば動員を図るのが普通でしたが、まったく音沙汰がありません。おそらく内部に深刻な“不都合な真実”があるものと思われます。

くだんのリンチ事件といい、沖縄に、まさに“鉄砲玉”として送られ逮捕され精神を病んだとされる、「しばき隊」内武闘派のトップだった高橋直輝こと添田充啓の不審死といい、そして直近の伊藤大介暴行傷害事件など、みずからにとって不都合なことはことごとく隠蔽する態度──これらは岸が語った「記憶というものは『公共のもの』でもありますから」とのテーゼにまったく反するものです。岸のこの論をわれわれは100%首肯するものではありませんが、一面の真理を捉えているとはいえるでしょう。

さらにもうひとつ、先般出版した『暴力・暴言型社会運動の終焉』には、彼らにとって“不都合な真実”が少なからず掲載されていますが、これまでであれば「デマ本」「クズ本」等と罵倒してきたところ、今回はまったくスルー、無反応です。しかし同書の売り上げは、このシリーズの中でも際立っています。

伊藤の暴行傷害事件は、李信恵と鹿砦社の民事訴訟の尋問の後に起きました。女王・李信恵が出廷し尋問に晒されるというのですから、傍聴席に多数動員してくるのかと思っていた所、李信恵側の傍聴者は伊藤と通称「もじゃ」こと河上某だけでした。尋問が終わり夕方には伊藤、李信恵らは夕食を兼ねて飲食をしているところをSNSで発信しています。極右活動家・荒巻靖彦に対する暴行傷害事件の現場には伊藤ともう一人いたとのことですが、それが河上某なのか別の者なのか、このことを含め情報が錯綜していますが、刑事事件の捜査はわれわれの守備範囲ではありません。今後の裁判の場で明らかになるのを待ちましょう。

しかし、直前まで一緒にいた李信恵には説明責任があります。

われわれの予見通り、伊藤による暴行傷害事件は、多くの活動家、シンパらの離反を呼び、「しばき隊」「カウンター」崩壊への大きな動因になるでしょう。

◆社会的な実害と、座視できない〈負の遺産〉について

原理原則なき烏合の衆の暴走。「反原発」「反差別」「沖縄」「性差別」……。ターゲットの流転を重ねてきた彼ら・彼女らの活動はいずれも混乱を起こし、いくつかのテーマは活動を終えています。「沖縄」問題はどうなったのでしょう?「反原発」も活動休止です。「反差別」も「性差別」も、彼らが暴力・暴言を採り入れることで真面目な活動家から顰蹙を買っています。個々の問題に従前より関わり、またみずからの存在にとって避けて通ることのできない人たちには、突然首を突っ込んできた烏合の衆の「正義の暴走」は、迷惑以外の何物でもありません。

ところが連中の活動は、全国ネットのテレビ局や大手新聞社まで巻き込んでしまいました(この日の朝日新聞に顕著なように)。市民運動・活動を地道に続けてきた人々にとって、連中は害悪以外の何物も生み出すことはありませんでした。

われわれはこれまで「大学院生リンチ事件」を契機に、その発生源となった「しばき隊」「カウンター」と自他称される人々の行動や発信を取材し報告してきました。彼ら・彼女らの瓦解は当然の帰結でしたが、連中が残した〈負の遺産〉の大きさは、近い将来多くの人々に認識されるようになるでしょう。「ヘイトスピーチ解消法」は「言論弾圧法」の礎として作用するでしょう。また理念なき運動体を、目前の選挙を勝ち抜く道具として利用した結果、さらなる政治不信を招いた一部政党の罪も大きいといわざるをえません。

「しばき隊」「カウンター」は21世紀、日本全体がファシズムめく流れの中にあって、無視することのできない動きを、権力になり代わり果たしてきた、とわれわれは考えます。岸のテーゼが図らずも岸を含む連中の本質を射てしまいました。鹿砦社と特別取材班は、取材を続行しつつも、彼ら彼女らがどうして現われ、なぜ、あたかも時代の寵児のように扱われたのか。なにゆえ大手マスコミ・知識人・政治家から広告代理店までを騙し通せたのか。それらは、すぐれて社会的な課題です。泉源を解明することは、この時代の解析と、リンチ事件被害者の救済にもつながるでしょう。鹿砦社と特別取材班はその視点から考察を進める所存です。(本文中敬称略)

*対李信恵訴訟一審不当判決に対する控訴審について大阪高裁に「控訴理由書」を提出しましたが、後日あらためてご報告いたします。

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)被害者救済・支援に関わり早5年、善意で手を差し延べたにもかかわらず、先般165万円もの賠償金を課せられました。

賠償金を命じた判決には、到底承服できません。ただ、私たちの救いは、出会った当時、自殺してもおかしくないほど精神的に追い詰められていたリンチ被害者M君を救ったことです。ここに本件に関わった最大の意義があると思っています。僭越ながら、5年前に私たちと出会わなかったらM君の精神は、取り返しのつかない状態になっていたのではないかと、今になれば振り返ることができます。

判決文(主文)

◆リンチや暴力は、受けた者にしか判らないことがある──裁判官も一度暴力を受けてみよ!

 

神原元弁護士のツイート

私たちは、このリンチ事件に「私怨と妄想」(神原弁護士)で関わったのではありません。若い学徒が必死に助けを求めているのに人間として放っておくわけにはいきませんでした。

事件後M君は、1年余りも孤立しセカンドリンチと村八分に遇ってきていました。私たちと出会ってからもしばらくの間、近づいてくる者に引き回され、騙されたりしていました。一例を挙げてば、自称「浪花の唄う巨人」こと趙博は、あたかも理解者のようにM君に接近し、一緒に闘ってくれるものと思ったM君は、当時まだ未公開だった貴重な資料を渡したりしながら突然掌を返されたり……。それでも次第に少しづつ落ち着いていきました。しかし、いまだにリンチの悪夢にさいなまれPTSDに悩まされています。

リンチの現場となるワインバーにM君が到着するや、「なんやねん、おまえ、おら」と李信恵が胸倉を摑み、1発殴ったのが平手なのか手拳なのか混乱したことで裁判所はM君の供述全部が「信用ならない」と判断しました。このことで対5人組訴訟でも、今回の対李信恵vs鹿砦社訴訟でも、李信恵免訴の要因になりました。

しかし、この裁判所の判断は、果たして問題の本質を正しく掌握した判断と言えるでしょうか。

李信恵がM君の胸倉を摑み、一発殴ったのが「平手なのか手拳なのか」、このことだけで、すべてを判断されてしまいました。さらには、綿密に取材し本に記載している事実についても「取材していない」と、腰を抜かすような滅茶苦茶な決めつけをされました。

このように、「ある」ものを「ない」と裁判所に判断されれば、勝てる道理はありません。

私はちょうど50年近く前の1971年5月、3人でビラ撒きしていたところ、50人以上のゲバルト部隊に襲撃され、キャンパスの門のあたりから奥まで引きずり回され激しい暴行を受け5日ほど病院送りにされました。この際、右足で蹴られたのか左足で蹴られたのか、あるいは手拳で殴られたのか角材で殴られたのか言えと問われても、「どっちやったかな」としか言えません。頭も負傷していましたし、全身打撲でした。山口正紀さんもこの1年前に同様の暴行を受けています(『暴力・暴言型社会運動の終焉』に記載)。

裁判官は、おそらくこういう経験はないと思われますが、「一度暴行やリンチを受けたらいかがですか」とでも言いたくもなります。

[写真左]リンチ直後のM君の悲惨な顔。[写真右]これに倣った「作品」

◆裁判所はいつまで「平手」か「手拳」に拘泥するのか

 

「反差別」の活動家にはこんなことを言う徒輩もいるのか

そのように、李信恵の最初の一発が平手だったのか手拳だったのかというM君の供述の混乱ですべてを判断され、李信恵がリンチの現場の空気を支配し、1時間のリンチの間、リンチを止めもせず悠然とワインをたしなみ、有名になった「殺されるんやったら、中に入ったらいいんちゃう」との暴言を吐き(怖い人だ!)、リンチが終わっても救急車やタクシーを呼ぶわけでもなく、師走の寒空の下に放置して立ち去ったという非人間的行為は断罪されませんでした。裁判所は「人権の砦」だといわれますが、ならば激しいリンチを受けた被害者に寄り添うことはできないのでしょうか?

本件で最も激しい傷を負い苦しんだのは言うまでもなくM君ですが、裁判所は、これを無視し、鹿砦社の本やネット記事で李信恵が「被害」を受けたという主張を真に受け、差別されてきた在日のか弱い女性が言うことだから間違いないというのでしょうか。李信恵はその「陳述書」で、次のような文言を繰り返しています。

李信恵は(鹿砦社特別取材班の取材や出版物、ネット記事等により)「自分の受けた被害」によって、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。

激しいリンチ被害者M君が言うのであれば判りますが、集団リンチ事件に連座した李信恵が言うには違和感があります。しかし、牽強付会に申し述べた、それら李信恵の主張を裁判所は認定しました。

なぜ裁判所は、集団リンチの被害者M君の肉体的、精神的な傷よりも、李信恵の主張する「物語」ばかりを採用するのでしょうか。李信恵自身、リンチの場にいた5人の被告の一員となった、M君が損害賠償を求めた裁判の証言の場で「胸倉を摑んだ」と認めているだけでなく「そのあと、誰かが止めてくれると思っていた」と証言しました。つまり「誰かが止めなければ」李信恵の行動はエスカレートしていた可能性が高い、と考えるのは不自然でしょうか?

そうして、リンチが行われている1時間もの間、止めもせず悠然とワインを飲んでいた剛の者がなにをかいわんやです。皆様方はどう思われるでしょうか?

こうしたことをあからさまに記述した「本件各出版物の出版及び本件各投稿記事の投稿により原告(注・李信恵)が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額として」165万円もの賠償金を鹿砦社に課したのです。なにかおかしくはないでしょうか?

◆「日本酒に換算して1升近く」飲み泥酔した状態でM君を呼び出してリンチの口火を切ったのは誰か?

 

李信恵のツイート

李信恵は、大阪・十三(じゅうそう)のあらい商店(韓国料理店)→キャバクラ→焼き鳥屋→ラーメン屋→5軒目の大阪・北新地のワインバーに入るまで「日本酒に換算して1升近く」飲んだとツイートしています。1升といえば、常識的に見れば泥酔の類に入ります。具体的には、

「マッコリ5、6杯位、焼酎ロック8杯位、日本酒2合、生ビール中ジョッキ1杯」(李信恵の供述調書から)」

と、のちに警察の取り調べにみずから供述しています。このような状態で、M君を呼び出して冷静な会話が成立するでしょうか。

泥酔した中でM君を呼び出し、M君が到着するやリンチの口火を切り午前2時頃から3時頃まで約1時間、M君を半殺しの目に遇わせたのです。いくらなんでも酷くはないですか?

◆将来に禍根を残す判決を許すことはできません!

一審判決は、M君の「平手か手拳か」の記憶が定かではないことを理由にM君の供述全部が「信用できない」とし、このことが潜在意識にあったのか、取材班が取材し記述していることを「取材していない」と誤認し、結果としてリンチを容認し、李信恵らの暴虐を黙認し暴力にお墨付きを与える内容となったと、私たちは認識しています。

こうした判決を許すことは到底できません。将来に禍根を残すことは確実ですから──。事実、M君リンチに連座した伊藤大介は昨年11月25日未明、同じパターンで酔っ払って深夜に気に食わない人間を呼び出し暴行傷害事件を起こしました。M君リンチ事件と同じ過ちを繰り返したのです。彼らのみならずすべての反差別運動、社会運動に携わる人たちが、今、ここでしっかり反省し教訓化しないと3度、4度と繰り返すんじゃないでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか?

◆司法、裁判所の感覚と、一般生活者の感覚の遊離

 

《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

法律の専門家や、訴訟に詳しい方のご意見を伺うと、裁判所には、私たちの生活と随分かけ離れた常識やルール、判断があることを、あらためて思い知りました。しかし司法に「独特な」ルールや論理があっては、一般の生活者は困るのです。一般の生活者は、紛争解決のために(刑事でなければ)、裁判所に「公正な判断」を期待して、判断を仰ぎます。訴訟慣れしている一部の人間を除いて、裁判所に判断を持ち込むには、相当の勇気と覚悟が要るものです(経験のある方であれば、理解いただけることでしょう)。

大規模な「司法改革」が断行されましたが、あの改革は、生活者の要請に沿うものであったのでしょうか。民事裁判は実質的に「一審制」となってしまい、一審で敗訴すれば、控訴しても判決を覆すのは容易ではありません。控訴審での「一回結審」の割合は実に8割を超えています。さらに、上告をしても最高裁では「事実調べは行わない」ことになっているそうです。

このように現在の司法には、多くの問題がありますが、残念ながら私たちはその支配から逃れることはできないのです。したがって、裁判所は「一般的な通念からすれば」とか「一般人の普通の読み方」という文言を判決で多用しますが、私たちの「一般的通念」「一般人の普通の読み方」とかなり違う内容が判決で表現されることが、これまでの訴訟経験からかなり(いや、ほとんど)ありました。今回もそうです。

私たちは、小規模な出版社にすぎません。しかし民事訴訟に関わる可能性は、読者の皆様方にもあるのです。そういった点からも、この問題について引き続き注視、ご支援賜れば幸甚に存じます。

16年前の「名誉毀損」事件では刑事・民事共に最高裁まで闘いを貫徹しました。その際に「血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘う!」と叫びましたが、16年の時空を越えて、同じ想いです。勝敗は抜きにして、闘うべき時は闘わなければなりません。

ともかく、リンチを容認し暴力にお墨付きを与えたこの判決は将来に禍根を残しますから、全智全能、全身全霊をもって闘い粉砕しなければなりません。逆転勝訴を信じて──。

不当判決! リンチを容認し暴力にお墨付きを与えた1・28一審判決(大阪地裁)を許してはならない!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

すでにお知らせしているように、去る1月28日、対李信恵第2訴訟において大阪地裁第24民事部(池上尚子裁判長)は鹿砦社に対し165万円の賠償金等を課す不当判決を下しました。

 

《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

これに先立つ昨年11月25日未明(午前1時30分頃)、前日24日の本人尋問の傍聴に来ていた伊藤大介らは「正義」を「暴走」させ極右/ネトウヨ活動家・荒巻靖彦を呼び出し殴る蹴るの暴行を働き左手小指骨折、顔面打撲などの傷を負わせ、逆に返り討ちに遭い伊藤は全治10日の傷を負うという事件を起こしました。この事件では2人共逮捕されています。伊藤は大学院生M君リンチ事件にも連座しています(1審では賠償金を課せられましたが、控訴審では幸運にもこれを取り消されています)。

M君は「このままではまた同じような事件が起きますよ」と言い、私たちが地を這うような取材を基にして出版した5冊の本でさんざん警鐘を鳴らしてきたように同種の事件は起きました。M君加害に加担する者たちが、反省も学習も教訓化もしていなかったということです。残念至極ですが、私たちの警鐘は現実化してしまいました。今だから明かしますが、私たちはこの時期に生じた重大事件に鑑みて、大阪地裁に「弁論再開」の申し立てを行いました。

民事裁判では、証拠調べや証人尋問を終えると「結審」(以後原告被告双方からの主張は受け付けない)となり、あとは判決を待つことになります。昨年11月24日の法廷でも池上裁判長は、結審を宣言し判決の日時をを言い渡しました。ところが、その日の法廷では「私は直接取材を受けていない」とるす伊藤大介の陳述書についての扱いが審議され、神原元弁護士は「じゃあ撤回します」と裁判所に求めたものの、認められませんでした。そして当の伊藤大介が裁判後に事件を起こしたのです。この人たちの行動様式を理解するために、真実究明を行うために、裁判所は当然しかるべき配慮をすべきではなかったのではないでしょうか。

1月28日の判決に戻りますが、極めて偏頗なもので、M君がリンチの現場に居た李信恵ら5人を訴えた訴訟の判決同様、「〈M君の顔〉から目を逸らした」(山口正紀)と断ぜざるを得ません。本件訴訟も、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データがあるのに、M君の供述が曖昧(平手か手拳か、どちらかで殴られたか)ということで「信用ならない」とし、これを根拠に判決が組み立てられています。噴飯ものです。裁判所は、なぜここまで、このことに拘泥するのか? 何がなんでも加害者を免罪しようとしているとしか理解できません。むしろ、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データをこそ判断の根拠とすべきです。市民感覚からすればそうでしょう。

私や山口正紀さんは学生時代、対立するグループに襲撃され激しい暴行を受け、私は気づいた時は病院のベッドの上で5日ほど入院を余儀なくされました。暴行の最中の記憶は微かなもので、これを「平手か手拳か」などと問われても「どっちだったかな?」と答えるしかありません。加えて私も山口さんもM君も蹴られてもいますが、M君は混乱し顔面を蹴られたことを覚えていません。当然でしょう。1時間もの間、激しいリンチを受ければ、パニック状態になり記憶が飛んだりします。なんなら裁判官も暴行を受けてみたらどうでしょうか? 

加えて判決には重大な事実誤認(というよりも証拠の意図的見落とし)もあり、これで判断されたらたまったものではありません。あたかも最初に結論があって判決文を組み立てていった感がします。控訴審に於いては、こうした点を一つひとつ批判していき、必ずや執念で逆転を勝ち取る決意です。今後ともご支援、応援のほど、よろしくお願いいたします。

なお、訴訟については、適宜ご報告いたしますが、敵に手の内を見せないために黙っていることもあるやと思いますので、この点、ご承知おきください。

5年ほど前、このリンチ事件が私たちの元に持ち込まれた時、すでに1年余り経っていました。事件の翌年2015年は安保法制反対運動が盛り上がり、この声に掻き消されたかのようにリンチ被害者M君は孤立していました。リンチ加害者やこの界隈の者らには、隠蔽は成功したかのように見えたでしょう。

しかし、悪事を隠し通すことなどできません。

私たちの元にリンチの情報が寄せられるまで、M君の心中を察するに、筆舌に尽くし難いものを感じます。リンチを受けた悔しさと悲しみ、セカンドリンチや村八分を受け、にもかかわらずメディアも世間も知らぬふり……私だったら気が狂っていたでしょう。私たちの関連出版物で、この事件の一端を知ったあなただったらどうでしょうか?

今回も司法は、「〈M君の顔〉から目を逸らし」、いや、相も変わらず「平手か手拳か」が曖昧だということ拘泥し、だから「信用できない」などと言っています。上等です。司法の理論が市民感覚と大きく乖離しているのであれば、私たちは裁判所の決めたルールに則りながらも、それ以外の合法的戦術も展開する必要があるでしょう。裁判所は「ファシズムの出先機関」と言ったのはL.トロツキーでしたが、むべなるかなです。

まさか、壮絶なリンチを受けたM君に同情し、M君救済・支援に関わってきた私たちが過大な賠償金を課せられるとは……。

しかし、鹿砦社が鹿砦社たる所以は、こうした苦境にあってこそ、正々堂々と屈することなく反撃することであろうと、自負します。私たちを苛めてきた徒輩は不思議なことに「鹿砦社の祟り」に遭ってきました。裁判所の判断がどうであれ、私たちは信じる道を突き進み「正義」の衣を着た〈悪〉(といっても程度の低い連中ですが)と対決するだけです。人一倍の精神力で、「反差別」の仮面を被った徒輩の仮面を剥がねばなりません。この想いは、M君リンチ事件だけではなく、日本における差別問題に関わる、極めて重大な問題であるとの確信に基づきます。

久し振りに第6弾本『暴力・暴言型社会運動の終焉』を世に送り好評です。まだまだ〈弾〉は残っとる!──第7弾、8弾の“紙の爆弾”を投下する必要が出てくるかもしれません。私たちは望みませんが、「差別」問題がこのように歪められ、乱暴な発言や行動にすがるものが、あたかも「反差別」行動者である、との社会的誤解は、完全に払拭する必要があるでしょう。

私たちは、決してペンを折ることなく、あくまでも〈言論〉の旗を掲げ続けます。16年前『紙の爆弾』創刊号の巻頭を飾ったのは「〈ペンのテロリスト〉宣言」でしたが、あらためて再読し決意を固めています。ここに再び宣言します。私たちはふたたび〈ペンのテロリスト〉として甦る!と。私自身は今年で70歳になります。取材班には若者もいますが、支柱として動いてきた田所敏夫は、私よりもかなり年下で、彼の体調も思わしくありません。

しかし、この問題に関しては、フィデル・カストロの有名な言葉を引用し、私たちの気持ちを表します。

「歴史は彼ら・彼女らに有罪を宣告するだろう」と。このままでは終われませんし、終わりません!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08VBH5W48/

« 次の記事を読む前の記事を読む »