岸政彦よ!「カウンター大学院生リンチ事件」を忘れるな!── 売出中の社会学者にとっての「記憶」とは? 鹿砦社特別取材班

◆岸政彦の対談記事に対する違和感

朝日新聞3月17日夕刊に売出中の社会学者・岸政彦と、芥川賞受賞作家・柴崎友香との共著による新刊『大阪』の出版について対談が掲載されています。

朝日新聞3月17日夕刊

岸いわく、「記憶というものは『公共のもの』でもありますから」だそうです。

岸は、鹿砦社が取材を続けた大学院生リンチ事件の発生当時、その加害者の一人である似非反差別主義者・李信恵の「裁判を支援する会」の事務局長を務めていました。正式名称「李信恵さんの裁判を支援する会」は、広く市民からカンパを募り運営されていたようです。ところが同会は大金を集めながら未だに会計報告を公表していません。一般的に運動団体の事務局長といえば、経理面の責任も含め会の全般的な責任者です。

 
『反差別と暴力の正体』表紙

また岸は、事件直後、「コリアNGOセンター」による李信恵らの事情聴取にも立ち会っています。このような事実から岸は立場上、リンチ事件の詳細を熟知していると推認されます。鹿砦社特別取材班は、岸がリンチ事件について、どう考えているかを聞こうと、岸が当時勤務していた龍谷大学の研究室を訪ね、直接取材を行いました。

岸は取材班の質問に、ほとんど答えず逃げ回るだけでした。その様子は第2弾本『反差別と暴力の正体』(2016年11月17日発行)に掲載されています。本稿に取材時の画像を数枚掲載しておきます。その姿には、毅然とした知識人の矜持など見られません。岸は日々ツイッターで日々の出来事や思ったことなどを発信していますが、直接取材の日は、おそらく彼にとって重大事(少なくとも非日常的出来事)だったはずにもかかわらず、何もツイートしていません。

鹿砦社との民事訴訟における李信恵の本人尋問によれば、「取材班の直接取材が原因で岸は事務局長を辞めた」とのことですが、取材班の質問に対して岸は「今は事務局長をやったりやらなかったり……ちょっとややこしいんです」と答えていました。対外的に「事務局長を辞めた」とは告知されていませんので、多くの人たちは、岸が李信恵の対在特会らに対する訴訟の事務局長を最後まで務めたと思っているでしょう。

その後、岸は小説が芥川賞候補になるなど、著書も相次いで出版。龍谷大学から立命館大学に職場も移り、関西における社会学者の世界でも有力な地位を得ています。また「朝日文化人」として紙面にたびたび登場したり順風満帆です。

取材班の直撃取材に逃げ回る岸政彦
逃げ回る岸政彦
逃げ回る岸政彦
 
リンチ直後の被害者大学院生M君

一方、リンチ被害者M君は、訴訟では、勝訴したとはいえ、長い裁判闘争にもがき最低の賠償金額に抑えられ、関西では、その名を知られ教職を目指そうにもうまくいかず(地方の大学の職が決まりかけていましたが直前で断られています)物心両面にわたり苦境にあります。岸に研究者や作家としての誠実さや良心があるのならば、凄絶なリンチの様々な後遺症に苦しむM君に真正面から向き合うべきでしょう。そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか? 

「記憶というものは『公共のもの』でもありますから」と、平然と述べる岸。であれば、われわれはあらためて岸に聞き質さねばなりません。

われわれが取材を重ねたリンチ事件は社会的な事件でした。事件そのものが社会性を帯びている上に、岸の解釈によれば「記憶というものは『公共のもの』でもある」そうですから、岸には個人としてだけではなく「公共のもの」としての「記憶」が残されているはずです。岸にとっては隠蔽し忘れたいことかもしれませんが、受けた傷の深さに苦しむM君には終生忘れることはできません。あらためてリンチ直後のM君の顔写真を見よ! 事件の「公共」性に鑑みれば、岸に研究者や作家である前に人間としての〈良心〉があるのかどうか、問いたいと思います。岸が、われわれの問いから逃避しようとしても、それは許されませんし、われわれが許しません。であるならば、みずからの「記憶」をすべて晒け出すべきです。それが、知識人としての存在理由(レゾンデートル)ではないでしょうか?

◆「しばき隊」「カウンター」内部に何が起きているのか?

ところで、「しばき隊」、「カウンター」の源流となった「反原連」(首都圏反原発連合)が、本年3月で活動を休止するということです。それはそれでいいとしても、あろうことか反原連は活動休止のために500万円の資金カンパを募り、ほぼ目標額を集めたようです。“休止のためのカンパ”が、ミサオ・レッドウルフら反原連幹部によって、どのように使われるのか、しかと注視しておいたほうがいいでしょう。社会活動を進めるためのカンパなら理解できますが、活動をやめるためにカンパを募るというのは聞いたことがありません。不自然な感が否めませんが、ミサオら反原連幹部の退職金にでもするのでしょうか?

また、反原連の初期からのメンバーで、この成功から「しばき隊」「カウンター」を始めた野間易通が「さようなら、カウンター」と題する記事を公にしました。そろそろ嫌気がさしてきたのか!? 百戦錬磨で稀代の曲者の野間の本心が奈辺にあるのか、しばらく様子を見ないとわかりません。

さらに、前述の2件も含め、くだんのリンチ事件にも連座した、「しばき隊」の中心メンバーにしてスポンサーの伊藤大介による暴行傷害事件などが表面化し、「しばき隊」「カウンター」界隈に何かが起きているようで、このところ肝心なことには口を閉ざし静まり返っています。伊藤の裁判は大阪地裁で行われるのかと思っていましたが、関東でも暴力事件を起こしているらしく、これら2件を併合して横浜地裁で行われるようです。これまでの彼らの裁判であれば、散々騒ぎ裁判期日になれば動員を図るのが普通でしたが、まったく音沙汰がありません。おそらく内部に深刻な“不都合な真実”があるものと思われます。

くだんのリンチ事件といい、沖縄に、まさに“鉄砲玉”として送られ逮捕され精神を病んだとされる、「しばき隊」内武闘派のトップだった高橋直輝こと添田充啓の不審死といい、そして直近の伊藤大介暴行傷害事件など、みずからにとって不都合なことはことごとく隠蔽する態度──これらは岸が語った「記憶というものは『公共のもの』でもありますから」とのテーゼにまったく反するものです。岸のこの論をわれわれは100%首肯するものではありませんが、一面の真理を捉えているとはいえるでしょう。

さらにもうひとつ、先般出版した『暴力・暴言型社会運動の終焉』には、彼らにとって“不都合な真実”が少なからず掲載されていますが、これまでであれば「デマ本」「クズ本」等と罵倒してきたところ、今回はまったくスルー、無反応です。しかし同書の売り上げは、このシリーズの中でも際立っています。

伊藤の暴行傷害事件は、李信恵と鹿砦社の民事訴訟の尋問の後に起きました。女王・李信恵が出廷し尋問に晒されるというのですから、傍聴席に多数動員してくるのかと思っていた所、李信恵側の傍聴者は伊藤と通称「もじゃ」こと河上某だけでした。尋問が終わり夕方には伊藤、李信恵らは夕食を兼ねて飲食をしているところをSNSで発信しています。極右活動家・荒巻靖彦に対する暴行傷害事件の現場には伊藤ともう一人いたとのことですが、それが河上某なのか別の者なのか、このことを含め情報が錯綜していますが、刑事事件の捜査はわれわれの守備範囲ではありません。今後の裁判の場で明らかになるのを待ちましょう。

しかし、直前まで一緒にいた李信恵には説明責任があります。

われわれの予見通り、伊藤による暴行傷害事件は、多くの活動家、シンパらの離反を呼び、「しばき隊」「カウンター」崩壊への大きな動因になるでしょう。

◆社会的な実害と、座視できない〈負の遺産〉について

原理原則なき烏合の衆の暴走。「反原発」「反差別」「沖縄」「性差別」……。ターゲットの流転を重ねてきた彼ら・彼女らの活動はいずれも混乱を起こし、いくつかのテーマは活動を終えています。「沖縄」問題はどうなったのでしょう?「反原発」も活動休止です。「反差別」も「性差別」も、彼らが暴力・暴言を採り入れることで真面目な活動家から顰蹙を買っています。個々の問題に従前より関わり、またみずからの存在にとって避けて通ることのできない人たちには、突然首を突っ込んできた烏合の衆の「正義の暴走」は、迷惑以外の何物でもありません。

ところが連中の活動は、全国ネットのテレビ局や大手新聞社まで巻き込んでしまいました(この日の朝日新聞に顕著なように)。市民運動・活動を地道に続けてきた人々にとって、連中は害悪以外の何物も生み出すことはありませんでした。

われわれはこれまで「大学院生リンチ事件」を契機に、その発生源となった「しばき隊」「カウンター」と自他称される人々の行動や発信を取材し報告してきました。彼ら・彼女らの瓦解は当然の帰結でしたが、連中が残した〈負の遺産〉の大きさは、近い将来多くの人々に認識されるようになるでしょう。「ヘイトスピーチ解消法」は「言論弾圧法」の礎として作用するでしょう。また理念なき運動体を、目前の選挙を勝ち抜く道具として利用した結果、さらなる政治不信を招いた一部政党の罪も大きいといわざるをえません。

「しばき隊」「カウンター」は21世紀、日本全体がファシズムめく流れの中にあって、無視することのできない動きを、権力になり代わり果たしてきた、とわれわれは考えます。岸のテーゼが図らずも岸を含む連中の本質を射てしまいました。鹿砦社と特別取材班は、取材を続行しつつも、彼ら彼女らがどうして現われ、なぜ、あたかも時代の寵児のように扱われたのか。なにゆえ大手マスコミ・知識人・政治家から広告代理店までを騙し通せたのか。それらは、すぐれて社会的な課題です。泉源を解明することは、この時代の解析と、リンチ事件被害者の救済にもつながるでしょう。鹿砦社と特別取材班はその視点から考察を進める所存です。(本文中敬称略)

*対李信恵訴訟一審不当判決に対する控訴審について大阪高裁に「控訴理由書」を提出しましたが、後日あらためてご報告いたします。

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【対李信恵(第2)訴訟控訴審逆転勝訴に向けて】リンチを容認し暴力にお墨付きを与えた1・28一審判決(大阪地裁)を許してはならない! 鹿砦社代表 松岡利康

「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)被害者救済・支援に関わり早5年、善意で手を差し延べたにもかかわらず、先般165万円もの賠償金を課せられました。

賠償金を命じた判決には、到底承服できません。ただ、私たちの救いは、出会った当時、自殺してもおかしくないほど精神的に追い詰められていたリンチ被害者M君を救ったことです。ここに本件に関わった最大の意義があると思っています。僭越ながら、5年前に私たちと出会わなかったらM君の精神は、取り返しのつかない状態になっていたのではないかと、今になれば振り返ることができます。

判決文(主文)

◆リンチや暴力は、受けた者にしか判らないことがある──裁判官も一度暴力を受けてみよ!

 
神原元弁護士のツイート

私たちは、このリンチ事件に「私怨と妄想」(神原弁護士)で関わったのではありません。若い学徒が必死に助けを求めているのに人間として放っておくわけにはいきませんでした。

事件後M君は、1年余りも孤立しセカンドリンチと村八分に遇ってきていました。私たちと出会ってからもしばらくの間、近づいてくる者に引き回され、騙されたりしていました。一例を挙げてば、自称「浪花の唄う巨人」こと趙博は、あたかも理解者のようにM君に接近し、一緒に闘ってくれるものと思ったM君は、当時まだ未公開だった貴重な資料を渡したりしながら突然掌を返されたり……。それでも次第に少しづつ落ち着いていきました。しかし、いまだにリンチの悪夢にさいなまれPTSDに悩まされています。

リンチの現場となるワインバーにM君が到着するや、「なんやねん、おまえ、おら」と李信恵が胸倉を摑み、1発殴ったのが平手なのか手拳なのか混乱したことで裁判所はM君の供述全部が「信用ならない」と判断しました。このことで対5人組訴訟でも、今回の対李信恵vs鹿砦社訴訟でも、李信恵免訴の要因になりました。

しかし、この裁判所の判断は、果たして問題の本質を正しく掌握した判断と言えるでしょうか。

李信恵がM君の胸倉を摑み、一発殴ったのが「平手なのか手拳なのか」、このことだけで、すべてを判断されてしまいました。さらには、綿密に取材し本に記載している事実についても「取材していない」と、腰を抜かすような滅茶苦茶な決めつけをされました。

このように、「ある」ものを「ない」と裁判所に判断されれば、勝てる道理はありません。

私はちょうど50年近く前の1971年5月、3人でビラ撒きしていたところ、50人以上のゲバルト部隊に襲撃され、キャンパスの門のあたりから奥まで引きずり回され激しい暴行を受け5日ほど病院送りにされました。この際、右足で蹴られたのか左足で蹴られたのか、あるいは手拳で殴られたのか角材で殴られたのか言えと問われても、「どっちやったかな」としか言えません。頭も負傷していましたし、全身打撲でした。山口正紀さんもこの1年前に同様の暴行を受けています(『暴力・暴言型社会運動の終焉』に記載)。

裁判官は、おそらくこういう経験はないと思われますが、「一度暴行やリンチを受けたらいかがですか」とでも言いたくもなります。

[写真左]リンチ直後のM君の悲惨な顔。[写真右]これに倣った「作品」

◆裁判所はいつまで「平手」か「手拳」に拘泥するのか

 
「反差別」の活動家にはこんなことを言う徒輩もいるのか

そのように、李信恵の最初の一発が平手だったのか手拳だったのかというM君の供述の混乱ですべてを判断され、李信恵がリンチの現場の空気を支配し、1時間のリンチの間、リンチを止めもせず悠然とワインをたしなみ、有名になった「殺されるんやったら、中に入ったらいいんちゃう」との暴言を吐き(怖い人だ!)、リンチが終わっても救急車やタクシーを呼ぶわけでもなく、師走の寒空の下に放置して立ち去ったという非人間的行為は断罪されませんでした。裁判所は「人権の砦」だといわれますが、ならば激しいリンチを受けた被害者に寄り添うことはできないのでしょうか?

本件で最も激しい傷を負い苦しんだのは言うまでもなくM君ですが、裁判所は、これを無視し、鹿砦社の本やネット記事で李信恵が「被害」を受けたという主張を真に受け、差別されてきた在日のか弱い女性が言うことだから間違いないというのでしょうか。李信恵はその「陳述書」で、次のような文言を繰り返しています。

李信恵は(鹿砦社特別取材班の取材や出版物、ネット記事等により)「自分の受けた被害」によって、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。

激しいリンチ被害者M君が言うのであれば判りますが、集団リンチ事件に連座した李信恵が言うには違和感があります。しかし、牽強付会に申し述べた、それら李信恵の主張を裁判所は認定しました。

なぜ裁判所は、集団リンチの被害者M君の肉体的、精神的な傷よりも、李信恵の主張する「物語」ばかりを採用するのでしょうか。李信恵自身、リンチの場にいた5人の被告の一員となった、M君が損害賠償を求めた裁判の証言の場で「胸倉を摑んだ」と認めているだけでなく「そのあと、誰かが止めてくれると思っていた」と証言しました。つまり「誰かが止めなければ」李信恵の行動はエスカレートしていた可能性が高い、と考えるのは不自然でしょうか?

そうして、リンチが行われている1時間もの間、止めもせず悠然とワインを飲んでいた剛の者がなにをかいわんやです。皆様方はどう思われるでしょうか?

こうしたことをあからさまに記述した「本件各出版物の出版及び本件各投稿記事の投稿により原告(注・李信恵)が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額として」165万円もの賠償金を鹿砦社に課したのです。なにかおかしくはないでしょうか?

◆「日本酒に換算して1升近く」飲み泥酔した状態でM君を呼び出してリンチの口火を切ったのは誰か?

 
李信恵のツイート

李信恵は、大阪・十三(じゅうそう)のあらい商店(韓国料理店)→キャバクラ→焼き鳥屋→ラーメン屋→5軒目の大阪・北新地のワインバーに入るまで「日本酒に換算して1升近く」飲んだとツイートしています。1升といえば、常識的に見れば泥酔の類に入ります。具体的には、

「マッコリ5、6杯位、焼酎ロック8杯位、日本酒2合、生ビール中ジョッキ1杯」(李信恵の供述調書から)」

と、のちに警察の取り調べにみずから供述しています。このような状態で、M君を呼び出して冷静な会話が成立するでしょうか。

泥酔した中でM君を呼び出し、M君が到着するやリンチの口火を切り午前2時頃から3時頃まで約1時間、M君を半殺しの目に遇わせたのです。いくらなんでも酷くはないですか?

◆将来に禍根を残す判決を許すことはできません!

一審判決は、M君の「平手か手拳か」の記憶が定かではないことを理由にM君の供述全部が「信用できない」とし、このことが潜在意識にあったのか、取材班が取材し記述していることを「取材していない」と誤認し、結果としてリンチを容認し、李信恵らの暴虐を黙認し暴力にお墨付きを与える内容となったと、私たちは認識しています。

こうした判決を許すことは到底できません。将来に禍根を残すことは確実ですから──。事実、M君リンチに連座した伊藤大介は昨年11月25日未明、同じパターンで酔っ払って深夜に気に食わない人間を呼び出し暴行傷害事件を起こしました。M君リンチ事件と同じ過ちを繰り返したのです。彼らのみならずすべての反差別運動、社会運動に携わる人たちが、今、ここでしっかり反省し教訓化しないと3度、4度と繰り返すんじゃないでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか?

◆司法、裁判所の感覚と、一般生活者の感覚の遊離

 
《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

法律の専門家や、訴訟に詳しい方のご意見を伺うと、裁判所には、私たちの生活と随分かけ離れた常識やルール、判断があることを、あらためて思い知りました。しかし司法に「独特な」ルールや論理があっては、一般の生活者は困るのです。一般の生活者は、紛争解決のために(刑事でなければ)、裁判所に「公正な判断」を期待して、判断を仰ぎます。訴訟慣れしている一部の人間を除いて、裁判所に判断を持ち込むには、相当の勇気と覚悟が要るものです(経験のある方であれば、理解いただけることでしょう)。

大規模な「司法改革」が断行されましたが、あの改革は、生活者の要請に沿うものであったのでしょうか。民事裁判は実質的に「一審制」となってしまい、一審で敗訴すれば、控訴しても判決を覆すのは容易ではありません。控訴審での「一回結審」の割合は実に8割を超えています。さらに、上告をしても最高裁では「事実調べは行わない」ことになっているそうです。

このように現在の司法には、多くの問題がありますが、残念ながら私たちはその支配から逃れることはできないのです。したがって、裁判所は「一般的な通念からすれば」とか「一般人の普通の読み方」という文言を判決で多用しますが、私たちの「一般的通念」「一般人の普通の読み方」とかなり違う内容が判決で表現されることが、これまでの訴訟経験からかなり(いや、ほとんど)ありました。今回もそうです。

私たちは、小規模な出版社にすぎません。しかし民事訴訟に関わる可能性は、読者の皆様方にもあるのです。そういった点からも、この問題について引き続き注視、ご支援賜れば幸甚に存じます。

16年前の「名誉毀損」事件では刑事・民事共に最高裁まで闘いを貫徹しました。その際に「血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘う!」と叫びましたが、16年の時空を越えて、同じ想いです。勝敗は抜きにして、闘うべき時は闘わなければなりません。

ともかく、リンチを容認し暴力にお墨付きを与えたこの判決は将来に禍根を残しますから、全智全能、全身全霊をもって闘い粉砕しなければなりません。逆転勝訴を信じて──。

不当判決! リンチを容認し暴力にお墨付きを与えた1・28一審判決(大阪地裁)を許してはならない!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」控訴審へ準備着々! 司法がどのように奇妙な判決を下そうと決して屈しない! リンチ被害者を救済・支援しようとの言論が、逆に賠償金を課せられるという不条理 ── 地獄への道は善意で敷き詰められているのか? そして歴史は繰り返した! 「正義」は「暴走」した! 控訴審で逆転すべく決意を表明します! 鹿砦社代表 松岡利康

すでにお知らせしているように、去る1月28日、対李信恵第2訴訟において大阪地裁第24民事部(池上尚子裁判長)は鹿砦社に対し165万円の賠償金等を課す不当判決を下しました。

 
《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

これに先立つ昨年11月25日未明(午前1時30分頃)、前日24日の本人尋問の傍聴に来ていた伊藤大介らは「正義」を「暴走」させ極右/ネトウヨ活動家・荒巻靖彦を呼び出し殴る蹴るの暴行を働き左手小指骨折、顔面打撲などの傷を負わせ、逆に返り討ちに遭い伊藤は全治10日の傷を負うという事件を起こしました。この事件では2人共逮捕されています。伊藤は大学院生M君リンチ事件にも連座しています(1審では賠償金を課せられましたが、控訴審では幸運にもこれを取り消されています)。

M君は「このままではまた同じような事件が起きますよ」と言い、私たちが地を這うような取材を基にして出版した5冊の本でさんざん警鐘を鳴らしてきたように同種の事件は起きました。M君加害に加担する者たちが、反省も学習も教訓化もしていなかったということです。残念至極ですが、私たちの警鐘は現実化してしまいました。今だから明かしますが、私たちはこの時期に生じた重大事件に鑑みて、大阪地裁に「弁論再開」の申し立てを行いました。

民事裁判では、証拠調べや証人尋問を終えると「結審」(以後原告被告双方からの主張は受け付けない)となり、あとは判決を待つことになります。昨年11月24日の法廷でも池上裁判長は、結審を宣言し判決の日時をを言い渡しました。ところが、その日の法廷では「私は直接取材を受けていない」とるす伊藤大介の陳述書についての扱いが審議され、神原元弁護士は「じゃあ撤回します」と裁判所に求めたものの、認められませんでした。そして当の伊藤大介が裁判後に事件を起こしたのです。この人たちの行動様式を理解するために、真実究明を行うために、裁判所は当然しかるべき配慮をすべきではなかったのではないでしょうか。

1月28日の判決に戻りますが、極めて偏頗なもので、M君がリンチの現場に居た李信恵ら5人を訴えた訴訟の判決同様、「〈M君の顔〉から目を逸らした」(山口正紀)と断ぜざるを得ません。本件訴訟も、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データがあるのに、M君の供述が曖昧(平手か手拳か、どちらかで殴られたか)ということで「信用ならない」とし、これを根拠に判決が組み立てられています。噴飯ものです。裁判所は、なぜここまで、このことに拘泥するのか? 何がなんでも加害者を免罪しようとしているとしか理解できません。むしろ、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データをこそ判断の根拠とすべきです。市民感覚からすればそうでしょう。

私や山口正紀さんは学生時代、対立するグループに襲撃され激しい暴行を受け、私は気づいた時は病院のベッドの上で5日ほど入院を余儀なくされました。暴行の最中の記憶は微かなもので、これを「平手か手拳か」などと問われても「どっちだったかな?」と答えるしかありません。加えて私も山口さんもM君も蹴られてもいますが、M君は混乱し顔面を蹴られたことを覚えていません。当然でしょう。1時間もの間、激しいリンチを受ければ、パニック状態になり記憶が飛んだりします。なんなら裁判官も暴行を受けてみたらどうでしょうか? 

加えて判決には重大な事実誤認(というよりも証拠の意図的見落とし)もあり、これで判断されたらたまったものではありません。あたかも最初に結論があって判決文を組み立てていった感がします。控訴審に於いては、こうした点を一つひとつ批判していき、必ずや執念で逆転を勝ち取る決意です。今後ともご支援、応援のほど、よろしくお願いいたします。

なお、訴訟については、適宜ご報告いたしますが、敵に手の内を見せないために黙っていることもあるやと思いますので、この点、ご承知おきください。

5年ほど前、このリンチ事件が私たちの元に持ち込まれた時、すでに1年余り経っていました。事件の翌年2015年は安保法制反対運動が盛り上がり、この声に掻き消されたかのようにリンチ被害者M君は孤立していました。リンチ加害者やこの界隈の者らには、隠蔽は成功したかのように見えたでしょう。

しかし、悪事を隠し通すことなどできません。

私たちの元にリンチの情報が寄せられるまで、M君の心中を察するに、筆舌に尽くし難いものを感じます。リンチを受けた悔しさと悲しみ、セカンドリンチや村八分を受け、にもかかわらずメディアも世間も知らぬふり……私だったら気が狂っていたでしょう。私たちの関連出版物で、この事件の一端を知ったあなただったらどうでしょうか?

今回も司法は、「〈M君の顔〉から目を逸らし」、いや、相も変わらず「平手か手拳か」が曖昧だということ拘泥し、だから「信用できない」などと言っています。上等です。司法の理論が市民感覚と大きく乖離しているのであれば、私たちは裁判所の決めたルールに則りながらも、それ以外の合法的戦術も展開する必要があるでしょう。裁判所は「ファシズムの出先機関」と言ったのはL.トロツキーでしたが、むべなるかなです。

まさか、壮絶なリンチを受けたM君に同情し、M君救済・支援に関わってきた私たちが過大な賠償金を課せられるとは……。

しかし、鹿砦社が鹿砦社たる所以は、こうした苦境にあってこそ、正々堂々と屈することなく反撃することであろうと、自負します。私たちを苛めてきた徒輩は不思議なことに「鹿砦社の祟り」に遭ってきました。裁判所の判断がどうであれ、私たちは信じる道を突き進み「正義」の衣を着た〈悪〉(といっても程度の低い連中ですが)と対決するだけです。人一倍の精神力で、「反差別」の仮面を被った徒輩の仮面を剥がねばなりません。この想いは、M君リンチ事件だけではなく、日本における差別問題に関わる、極めて重大な問題であるとの確信に基づきます。

久し振りに第6弾本『暴力・暴言型社会運動の終焉』を世に送り好評です。まだまだ〈弾〉は残っとる!──第7弾、8弾の“紙の爆弾”を投下する必要が出てくるかもしれません。私たちは望みませんが、「差別」問題がこのように歪められ、乱暴な発言や行動にすがるものが、あたかも「反差別」行動者である、との社会的誤解は、完全に払拭する必要があるでしょう。

私たちは、決してペンを折ることなく、あくまでも〈言論〉の旗を掲げ続けます。16年前『紙の爆弾』創刊号の巻頭を飾ったのは「〈ペンのテロリスト〉宣言」でしたが、あらためて再読し決意を固めています。ここに再び宣言します。私たちはふたたび〈ペンのテロリスト〉として甦る!と。私自身は今年で70歳になります。取材班には若者もいますが、支柱として動いてきた田所敏夫は、私よりもかなり年下で、彼の体調も思わしくありません。

しかし、この問題に関しては、フィデル・カストロの有名な言葉を引用し、私たちの気持ちを表します。

「歴史は彼ら・彼女らに有罪を宣告するだろう」と。このままでは終われませんし、終わりません!

2・4『暴力・暴言型社会運動の終焉 ── 検証 カウンター大学院生リンチ事件』(紙の爆弾3月号増刊)発行と、1・28対李信恵第2訴訟不当判決について 鹿砦社代表 松岡利康

私たちは2016年春先から「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)に関わり続けてまいりました。早いものでもう5年が経とうとしています。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

そうして昨年からその「検証と総括」の作業に努めてまいり、これはきちんと一冊にまとめ形のあるものとして残すことにしていました。こういう事件が再び起きないようにとの願いを込めてのことです。

想起すれば、5年近く前に本件が持ち込まれ、この被害者M君のリンチ直後の写真を見、リンチの最中の録音を聴いた際に、素朴に「これは酷い」と感じ、加えて被害者M君はリンチ後1年余りも、わずかな友人・知人を除いて孤立無援の状態にあったことも聞き、少なくとも人道上放置はできないと思い、本件に関わり続けて来ました。若い大学院生が、これだけの凄絶な集団リンチを加えられ、藁をも摑む気持ちで助けを求めているのに突き放すことは、私の性格からして到底できません。爾来、昨年広島原爆投下75年に際し被爆二世をカミングアウトした田所敏夫をキャップとして取材班と支援会を発足させ、微力ながら被害者救済・支援と真相究明に携わってきました。この選択は間違ってはいなかったと今でも思っています。

当初、M君に話を聞き、提供された資料を解読し、「今の成熟した民主社会の社会運動内に、いまだにこうした野蛮な暴力がはびこっているのか」と驚きました。しばらくは半信半疑で取材を進めましたが、仮にM君の話がデマや虚偽であったならばすぐに撤退するつもりでした。

リンチの加害者とされる李信恵ら5人には一面識もありませんでしたので、私怨や遺恨などありません。

しかし、取材を進めるうちに、いろいろな事実が判ってきました。李信恵という人が、この国の「反差別」運動の象徴的な人物として名が有ることは知っていましたが、こういう事件に多かれ少なかれ関わっていることに驚きました。ちょうど極右・ネトウヨ勢力によるヘイトスピーチ華やかりし頃で、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」制定も企図される頃でした。

「反差別」の錦の御旗を立て、極右・ネトウヨ勢力の跳梁跋扈を阻止しヘイトスピーチに反対するという大義名分の蔭で、このような悲惨な事件が起きていたことに驚きました。

かつて、私たちの世代は、反体制運動における「内ゲバ」や「連合赤軍事件」を知っています。これらにより一時は盛り上がった学生運動や反戦運動、社会運動が解体(自壊)していった歴史を見て来ています。実は私自身、早朝ビラ撒き中に対立勢力に襲われ激しい暴行を受け病院送りにされ5日ほど入院した経験があり、また、ジャーナリストの山口正紀さんも、M君の訴訟で大阪高裁に提出した「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』に収録)の中で、やはり学生時代に暴行を受けたことを記述されています。山口さんは重篤なガンで闘病中ながら、今回その「意見書」も含め長大な渾身の論考として寄稿いただきました。

M君リンチ事件の被害者支援と真相究明に関わり始めた当初、「この問題は奥が深いな」と感じたのが正直のところです。やはりその予想通りでした。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

M君リンチ事件関係では、関連の訴訟も含め5件の民事訴訟が争われました。M君が野間易通による暴言の数々を訴えた訴訟(M君勝訴)、M君が李信恵らリンチに連座した5人を訴えた訴訟(M君勝訴)、鹿砦社が李信恵による暴言を訴えた訴訟(鹿砦社勝訴)、そして李信恵がこの反訴として鹿砦社を訴えた訴訟(一審鹿砦社敗訴→これから控訴審)、それに「カウンター/しばき隊」の中心メンバーにして元鹿砦社社員を訴えた訴訟(係争中)です。上記3件、判決内容や賠償金額などに不満はあるものの当方(M君、鹿砦社)の勝訴で確定しています。神原弁護士は「正義は勝つ!」などと全てみずからの側の勝訴と嘯いていますが事実ではありません。

ちなみに「正義は勝つ!」というのであれば、神原弁護士が事務局長を務める『週刊金曜日』植村隆社長の訴訟では、確定判決で負けてしまったことをどのように言い訳なさるのでしょうか? 世の中、必ずしも「正義」が勝つとは限りません。ここに悲劇があったり喜劇があったり不条理があったりします。殊に、裁判所における「正義」はえてして市民感覚とは異なります。

ついでながら、植村社長は、一昨年(2019年)、鹿砦社創業50周年記念の集いにお越しいただきご挨拶賜りました。また、社長就任後に会食も共にしたこともあります。最近も「上京されたらご連絡ください」とお誘いを受けていますが、神原弁護士との関係に配慮し、あえて連絡をしないでいます。『週刊金曜日』今週号(2月5日発売)に『暴力・暴言型社会運動の終焉』の1ページ広告が掲載される予定です。

こうして、この5年間のM君リンチ事件に関わってきた「検証と総括」作業を進め書籍の編集過程にあった中で、突如起きたのが、M君リンチ事件にも連座した伊藤大介による暴行傷害事件です(昨年11月25日午前1時30分頃)。前日24日、今般判決のあった訴訟の本人(証人)尋問が終わり、深酔いし、複数で極右活動家・荒巻靖彦を呼び出し暴行に及んだところ、無抵抗だったM君とは違い逆襲に遭い刃物で刺され、双方負傷した事件です。この事件は、伊藤らが仕掛けたものですが、6年前のM君リンチ事件と同じパターン(裁判が終わり酔って相手を呼び出し暴行に及ぶ)です。「歴史は繰り返す」とはよく言ったものです。これが現在の「反差別」運動というのであれば、あまりに悲しいです。

この事件もあり、編集途上のところ、すでに原稿が届き編集も終わっていたものを中心に急遽まとめ発行したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』です。

これまでのM君リンチ事件に関する本は、M君対李信恵らとの訴訟のポイント、ポイントで発行されてきましたが、今回は関連訴訟(対李信恵第2訴訟)の判決直後の発行となりました。

一審判決は、残念な結果になりましたが、控訴審で、心機一転捲土重来を期します。一審判決には決定的な間違いが散見されます。一つ目についた箇所を挙げれば、当該の書籍にて取材した者のインタビューを記しているにも関わらず、その者に取材して確認していないなどと判断(誤判)していたり杜撰なものです。

李信恵は鹿砦社取材班の取材や書籍、「デジタル鹿砦社通信」などの記事で「苦しめられた」などと申し述べていますが、本件での最大の被害者は、言うまでもなくM君です。裁判所は、リンチ直後のM君の顔写真をしかと見よ! 1時間にもわたる凄絶なリンチの阿鼻叫喚を聴け! いまだにPTSDに苦しむM君の心身共にわたる苦しみに比べれば、さほどのことはないと言わねばなりません。

昨年11・24の本人尋問で、リンチ直後のM君の画像を李信恵に見せ、「これを見てあなたは人間としてどう思いますか?」と問い質す松岡。李信恵は沈黙を通した(赤木夏・画)

私たちの闘いはこれからも続きます。確かに一審は負け(今のところは)賠償金を背負うことになりましたが、M君がリンチによって負った傷に比べれば大したことはありません。

今後とも、更なるご支援をお願い申し上げます。M君訴訟では皆様方のカンパにより訴訟費用をまかないましたが、鹿砦社訴訟では自弁ですので、『紙の爆弾』や多種多様な書籍などを買ってご支援ください。

ちなみに、M君訴訟のカンパの約6割は在日コリアンの方々で、その他、情報収集や取材などにもご協力いただきました。これは明かしてもいいかと思いますが、第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』でリンチの最中のCDを付けようとしたところ、これも「私に任せてください」と在日の方が韓国でプレスしてくださいました。さすがに日本国内ではやれませんから。そうした方々のご協力で、これまでやって来ましたが、これに報いるためにも私たちは挫折するわけにはいきません。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《緊急出版》鹿砦社が明日投下する“紙の爆弾”『暴力・暴言型社会運動の終焉』 その“爆薬”の中身はこれだ!! 鹿砦社特別取材班

裁判期日が終わる→仲間と飲みに行く→散々飲んで気が大きくなる→気に入らない人間を呼び出す→暴行に及ぶ。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』明日4日発売!!

この定型式にどこかで既視感はないだろうか。鹿砦社がこれまで出版した「M君リンチ事件」に関する5冊の書籍をお読みいただいている方であれば、瞬時に気がつくことだろう。

そうだ。「M君リンチ事件」発生時とまったく同じ展開で、またしても暴行事件が発生したのだ。この日は、鹿砦社対李信恵第2訴訟の本人(証人)尋問の日だった。これが終わり、事件発生前には李信恵と、のちに逮捕される伊藤大介が、飲食を共にしている写真が、李信恵発信のツイッター、フェイスブックにより確認できる。時刻は11月24日18:30頃だ。

その後、日付が変わった25日深夜1時30分頃、この間、かなり飲み食いしたのだろうか、伊藤は酔った勢いで、極右活動家荒巻靖彦を呼びだした。どのようないきさつでもみあいになったのかまではわからないが、新聞報道によれば伊藤らが荒巻に殴り掛かり、荒巻は逆襲、刃物を持っており伊藤はその刃物によって、全治1週間の怪我をさせられている(一方荒巻は伊藤に顔面を殴る蹴るされており、左手小指を骨折している)。場所は大阪市北区堂山町。監視カメラが張り巡らされ、人目の多い場所でもある。怪我をした伊藤、もしくは周囲にいた人物が110番通報をした模様で、駆け付けた警察官に荒巻は現行犯逮捕されている。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

刑事事件については、推定無罪を適用すべきだと、われわれは考えるので、荒巻並びに、伊藤の処分についての詳述は避ける(荒巻は罰金刑で、伊藤はこれから傷害容疑で公判にかかる模様である)。

しかしながら、伊藤自らが「しばき隊」であると公言しているので「しばき隊」特有の行動については本文の中で詳述した。「しばき隊」の人間は、どうしてこのように「混乱必至」な行為に及ぶのであろうか。暴力を振るい暴言を虚偽発信し、これを繰り返す「しばき隊」の行動パターン、とりわけこの日伊藤が事件に手を染める前の様子から、詳しいレポートをお届けする。取材班は法廷内の傍聴席でも伊藤らを包囲し(おそらく伊藤らはその存在には気づかなかったであろう)、注意深く伊藤の行動をも観察していたのだ!

そして、事件発生後しばらくの沈黙期間をおいて発表された伊藤擁護を企図したC.R.A.C.と「のりこえねっと」の「声明」の筋違いについても、徹底的に分析を行なった。どうして「しばき隊」は同じ間違いを繰り返すのか? どのような思考回路がそれを誘引するのか? 心理学専門家の意見も参考に、「しばき隊」のメンタリティー分析にも是非ご注目を!

『暴力・暴言型社会運動の終焉』には各方面からご寄稿も頂いた。ご自身が被害者となり、その後一時期はかなり熱心に「しばき隊」との言論戦(といってもかなり楽しそうではあったが)を繰り広げた合田夏樹さん。LGBT問題で「しばき隊」に絡まれ、仕方なく応戦した(今もしている)作家の森奈津子さん。このお二人は直接「しばき隊」と言論戦や法廷戦を闘われた方でもあるので、経験談を中心に原稿を書いていただいた。特に合田さんは直接に伊藤大介から脅迫を受けている。

 

尾﨑美代子さんには、「反原連」時代から連中が包含した根深い問題点を、体験と考察を元に分析していただいている。M君とも親しく、「反原連」の問題を知り尽くした尾﨑さんは、当初カウンター活動に参加を試みたこともあったが、やがてそのヘゲモニーが「しばき隊」に握られるようになることを察すると、手を引いたという。慧眼の持ち主はこの問題をどのように総括するのであろうか。

昨日の本通信でお伝えしたように、「M君リンチ事件」ならびに鹿砦社が李信恵を訴えた事件は、すべて司法記者クラブの手で握りつぶされた(記者会見開催を拒否された)。この問題については、フリーライターで大手新聞の「押し紙」問題に詳しい黒薮哲哉さんが、論考を寄せてくださった。

元読売新聞記者の山口正紀さんは、「M君リンチ事件」裁判における一審から控訴審、上告審までの判決の不当性について、精緻かつ長大な分析を頂いた。山口さんは「M君リンチ事件」裁判控訴審に「意見書」を提出いただいたこともあり、本事件に対して司法が果たした(果しえなかった)役割について、厳しい分析を展開してくださった。

 

松岡は「平気で嘘をつく人たち」と、黒薮さんとの合作で「危険なイデオローグ‐師岡康子弁護士」を執筆。そして「M君」自身が「リンチ事件から六年──私の総括」を寄稿した。

このように紹介すると総花的で、散漫なムック本(紙の爆弾増刊号)のようにお感じになる向きもあるかもしれないが、そうではない。現場からのレポートと、直接関係者の体験談、客観的な立場からの観察ならびに分析、2021年における「反差別」と「反差別運動」についての問題提起や方針を示したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』である。この本は、編集部が筆者に編集方針を伝え、それに沿うように原稿を依頼していない。完全に自由で制約のないご意見を異なる立場の方々から頂いた。その結果われわれが幸いであったのは、当初の予想以上に問題の本質に多角的な接近を実現することができたことである。

コロナ禍の中で、大切な問題が埋もれてしまいがちな日常にあり、しかしながら決して度外視することのできない人類の大命題に直接取り組んだ『暴力・暴言型社会運動の終焉』はどなたにとっても、示唆に富む内容であることをお約束する。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!! 鹿砦社特別取材班

〈差別〉に反対し〈暴力〉を嫌悪する、すべての読者の皆さん!鹿砦社特別取材班が「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)の取材を開始し最初の出版物『ヘイトと暴力の連鎖』を出版したのが2016年7月。もちろん取材は出版前に開始したので、われわれがこの問題にかかわり、まもなく5年を迎える。

 
『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

「M君リンチ事件」は単に、ある集団内で発生した、偶発的な事件ではなかったことがのちに判明する。有田芳生参議院議員筆頭に、師岡康子、神原元、上瀧浩子ら弁護士。中沢けい、岸政彦、金明秀ら大学教員・研究者。安田浩一、西岡研介、朴順梨、秋山理央などフリーの発信者。そして中立を装い、事件を仲裁するように見せかけながら「M君」を地獄に突き落とした「コリアNGOセンター」の幹部ら。

数え上げればきりのないほどの著名人が寄ってたかって、事件隠蔽とM君に対するセカンドリンチと村八分に奔走した。「事件隠蔽加担者」は上記個人だけではなく、すべての大手マスコミ(~関係者)も参加して悪辣極まるものであった。

本通信をきょう読んでおられる方の中に、M君が「しばき隊」の実権者、野間易通を名誉毀損による損害賠償を求める裁判で訴え、勝訴した事実をご存知の方はどれくらいいるだろうか。M君は提訴の際、大阪地裁で勝訴した際、いずれも司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)に記者会見の開催を申し入れたが、一度も実現したことがない。あれこれ理由にならない言い訳を並べたが、結局大手マスコミの記者連中は「M君リンチ事件」を闇に葬ろうとする勢力に加担したのであり、上記隠蔽加担者らと同等もしくは重い役割を進んで背負った。

松岡と裁判前に喫茶店で「偶然の遭遇」をしたという李信恵の虚偽のツイート

だから、本来であればテレビや新聞で大々的と言わぬまでも、報じられて当然のこのニュースが、事件発生後マスメディアで取り上げられることはなかったし、その事実に居座って、事件に関係した連中は、ついぞ反省をすることはなかった。M君と加害者が対峙した証人調べの際に、口頭で謝罪を述べた者はいたが、その後の行動を見れば到底反省したとはいえない。

M君支援と事件関連書籍の出版を進めるうちに、李信恵をはじめ多数の人物が鹿砦社を誹謗中傷し始めた。ただし、われわれは出版を重ねるにあたり、事実関係は徹底的調査し尽くし、関連人物への取材も可能な限り直接行ってきたので、誹謗中傷に熱を上げるものどもは、具体的な批判ができない。幼稚な表現で罵詈雑言を浴びせるか、連中お得意の「ありもしない事実」をでっちあげそれを拡散させる、という卑怯な手法が用いられた。

今日、振り返って痛感することの一つに、「Twitterは人を壊す」ことが挙げられる。限られた文字数に感情の発露と、偽りの「繋がり」や「絆」を求める行動は、エスカレートすることが多く、本件以外にも数々の災禍を引き起こしてきた。李信恵は鹿砦社に対して再現するのも憚られるような、幼稚で下劣な言葉を用いて、幾度も鹿砦社を攻撃してきた。当初われわれは顧問弁護士を通じて、「そのような書き込みを止めるように」警告したが、それでも李信恵のわれわれに対する罵倒は止まらなかった。致し方なく鹿砦社は李信恵に対して名誉毀損による損害賠償を求めた民事訴訟を提起し、裁判所は李信恵の不法行為を認め、われわれは全面勝訴した。

さて、それではどうしてこの時期にわれわれが「2021年最初の爆弾」を投下しなければならないのか。理由は明快である。われわれが取材、出版を続ける中で懸念していた「M君リンチ事件」のような暴力事件の再来──それが現実のものとなってしまったからだ! しかも鹿砦社と李信恵の裁判が行なわれたその翌日未明に!

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

大阪地裁では鹿砦社が全面勝利した(李信恵が全面敗訴した)裁判の最終盤で李信恵側から「反訴」の意向が示された。しかし裁判長はそれを認めなかったために、仕方なく李信恵は別の裁判を提起し鹿砦社に550万円の支払いと、あろうことか「出版の差し止め」を求めてきていた。2020年11月24日。大阪地裁では、原告・被告双方の本人(証人)尋問が行われていた。その模様についてはすでに本通信でお伝えしてあるのでご参照頂きたい。

事件はその日の裁判終了後に発生した(正確には日付が変わり25日午前1時30分頃)。裁判中には傍聴席にその姿があった「カウンター」の中心メンバー・伊藤大介が極右活動家・荒巻靖彦を深夜電話で呼び出し、双方負傷。伊藤が110番通報したことで荒巻は「殺人未遂」の現行犯で逮捕された。だが,衝撃はほどなくやってきた。伊藤大介が12月6日大阪府警に傷害容疑で逮捕されたのである。

われわれは、この事件発生直後から綿密な取材を開始し本年1月末か2月初頭の出版を目標に、正月返上で準備を進めてきた。しかし 『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版については、本日まで完全部外秘とし、ごく一部の人間しかその情報を知りえなかったはずである。販売促進の観点からは、発売日が決まっていれば早い時期から広告を出したり、周知活動を行うのが定石であるが、われわれはあえてそうはしなかった。

 
 

連中はすでにカルト化している。というのがわれわれの見立てである。しかもその中には複数の弁護士もいる。連中が『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版に対して出版差止めの仮処分を打たない保証はない(仮処分とは通常の裁判と異なり、緊急性を要する判断を裁判所に求めるものである。通常出版物の仮処分による「出版差止め」は元原稿(ゲラ)などの直接証拠がなければ認められることはないが、上記の通り民事訴訟の中で李信恵は「出版差止め」を求めている。われわれは記事内容には確実に自信を持っているが、それでもどんな主張を展開してくるのかわからないのが連中だからである)。

そうだ! 敵に隙を与えないためには、読者諸氏にも本日までお知らせすることができなかった。そういった理由であるので無礼をなにとぞお赦しいただきたい。書籍の内容? 下記の案内をご覧ください。鹿砦社(メールsales@rokusaisha.com、ファックス、HP)、もしくはアマゾン、書店などで、今すぐご予約を!

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【緊急速報!!】「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」関連対李信恵(第2)訴訟、大阪地裁で、またしても驚愕の不当判決!

28日13時10分から大阪地裁1007号法廷で、李信恵が鹿砦社に対して損害賠償請求550万円、リンチ関係本4冊(5冊目は訴外)の出版の差し止め、「デジタル鹿砦社通信」の記事の削除等を求めた訴訟の判決言い渡しが行われました。

開廷後すぐに、民事24部・池上尚子裁判長は「主文、被告(鹿砦社)は原告(李信恵)に165万円を支払え」「デジタル鹿砦社通信の該当記事の削除」を主旨とする判決文を読み上げました。

無茶苦茶です。M君が半死の状態の暴行を受けて得た損害賠償が110万円ほど。それに対して虚偽発信を続けた李信恵に対する、私たちの論評に165万円もの支払いが命じられたのです。

この不当判決に私たちは到底納得はできません。閉廷間際松岡は裁判官らに向かい「ナンセンス!リンチに加担するのか!」と怒りを込めて吠えました。当然です。

〈暴力行為(リンチ)〉は軽んじられ、憲法で保障された言論がひどく抑圧される噴飯物です。

判決文の詳細はこれから精査しますが、私たちは即刻控訴の手続きに入り、司法に真っ当な判断を求めるものです。

いずれにしても詳細は近日中にお伝えいたします。

ご支援頂いている皆様に朗報をお伝えできなかったことが残念至極ですが、私たちにまったく敗北感はありません。

私たちが、事件発生後1年余りも隠蔽され闇に葬られようとしていたM君リンチ事件を満天下に明るみに出したという社会的意義は確固たるものとしてあります。

さらに〈真実〉を求め、これまで同様に、いや倍する闘志を持って闘い続けるのみです。

こういう、言葉の真の意味での社会的不正義を許してはなりません。

私たちが暴力・暴言型社会運動、似非反差別運動を弾劾することに変わりはありません。

今後とも圧倒的なご注目とご支援の程、よろしくお願い申し上げます。

不当判決!
2021年1月28日 
鹿砦社代表 松岡利康 
鹿砦社特別取材班 

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《速報》歴史は繰り返すのか ──「M君リンチ事件」は教訓化されていない! 「カウンター/しばき隊」中心メンバー・伊藤大介氏逮捕について 鹿砦社特別取材班

11月24日、大阪地裁では鹿砦社が李信恵氏に訴えられた(もとはと言えば、李信恵氏による「鹿砦社クソ」発言に対する損害賠償請求訴訟で鹿砦社が全面勝訴し判決も確定したけれど、その裁判の後半になって急遽李信恵氏が「反訴」を申し立ててきたが、裁判所には認められず、別の裁判として李信恵氏が提訴した)裁判の本人(証人)尋問が行われた。

午前中は被告である鹿砦社側証人として特別取材班キャップの田所敏夫が証言台に立った。午後からは原告李信恵氏が証言した(この詳細については本通信11月26日27日の記事参照)。

ところが閉廷から数時間後に、思わぬ事件が発生していた。当日傍聴席に姿を現した、伊藤大介氏(「M君リンチ事件」現場にも同座していた人物)が、裁判後なんらかのいきさつで極右活動家・荒巻靖彦氏を呼び出し、逆に荒巻氏が所持していた刃物により、伊藤大介氏は負傷したとの情報が飛び込んできたのだ。

その事件現場に居合わせたのが伊藤大介氏一人であるのか、あるいは複数であるのかの確証を、取材班は確認できていない(2人との情報がある)。しかしながら発生以前の夕刻に、李信恵氏と伊藤大介氏が食事(おそらくアルコールも入っていたであろう)している姿は、李信恵氏のSNS発信により確認できる。

伊藤大介氏を襲ったとして、「殺人未遂」容疑で大阪府警に逮捕された人物の実名は、ネット上に即座に公表されたので特別取材班も確認できている。また、情報が錯綜する中、取材班は経過を冷静に見てきていた。

不思議であったのは、この事件の存在(事実)が報じられていて、あるいは関係者がごく簡単にコメントしていて、それが「一方的」なものであれば、被害者側の人々は、必ずや指弾、糾弾するであろうに、そういった発信がまったくと言っていいほどなされていなかった(特別取材班サイバー班調査結果)事実である。

われわれは、知りえない事実について、軽々に発信をすべきではないと判断し、「伊藤大介襲撃事件(仮称)」についても、最低限の事実を書くにとどめ「考えさせられる事件である」と結んでいた。

しかし、下記の発表が大阪府警からあった。

大阪府警の検挙情報(2020年12月7日付け)
産経新聞2020年12月8日朝刊20面(大阪版)
管轄の大阪府警曽根崎警察署

ここでは匿名ではあるが、一部報道機関では実名で報道されている。念のために大阪府警に詳細を問い合わせたが、「25日事件の被害者が逮捕されたことに間違いはない」と大阪府警広報から回答を得た。

以上が簡単ではあるが、現在明らかになっている事件の概要である。われわれは繰り返すが「刑事事件の被疑者は刑の確定まで、推定無罪が相当」であるとの前提に立つ。したがって、伊藤大介氏を襲撃したという極右活動家・荒巻靖彦氏の行動、あるいはそれ以前に暴行を行ったとされる伊藤大介氏の行動にも、一定の留保を保ちながら論評するものである。

繰り返すが、事件の詳細はわからないのでどちらに非があるのか、といった判断をわれわれは述べない。しかしながら一つだけ断言できることがある。「M君リンチ事件」が発生した際との、恐ろしいほどの共通項が揃っているということである。

前述の通り、11月24日は李信恵氏と鹿砦社の裁判、それも「本人(証人)尋問」期日であり、その後李信恵氏の発信によれば、伊藤大介氏とどこかへ食事に出かけている(18時頃)。そのあと李信恵氏が同行したかどうかは不明である(現時点の情報では「犯行現場に、李信恵氏はいなかった」との情報もある)が、伊藤大介氏が日付けが25日に変わった深夜、荒巻靖彦氏を呼び出し、諍いになり、伊藤大介氏が殴りかかり、逆に反撃に遭い伊藤大介氏が刺された、ということは事実である可能性が濃い。

この展開は、何かに似てはいないか? そうだ、「M君リンチ事件」」の際の展開と同様なのだ。当時は李信恵氏が在特会を相手取っての裁判が展開されていた。その期日のあと、韓国料理店、キャバクラ、ラーメン屋、カレー屋、ワインバーなど5軒ほどはしごをして「日本酒に換算して1升」(李信恵氏の発言)ほど飲酒したあとに、深夜M君を呼び出し「リンチ」に及んだのである。ここでも伊藤大介氏はリンチ現場に居合わせている。

われわれは、これまで「そのような行為は反差別を主張するものとしては、適切ではない」と主張してきたし、24日証人尋問でも田所敏夫は「そのような行為に及ぶのは『反差別』を闘う人への冒涜だと思う」と証言した直後だった。ちなみに、田所自身、広島被爆二世として差別と闘ってきている。

繰り返すが、事件の詳細は不明なのでこれ以上特別取材班は踏み込まない。しかしながら、そのようないきさつであったにせよM君が予言した通り「このままでは、また同様の事件が起こりますよ」が現実になってしまった。

鹿砦社ならびに、特別取材班は「あらゆる差別に原則的に反対」である。であるがゆえに、反差別界隈で発生した「M君リンチ事件」に、重大な関心を持ち取材してきたのである。そこには「このような体質の集団には、また同様の事件を起こす可能性が極めて高い」との懸念もあった。

どうやらわれわれの「懸念」が現実のものとなったようである。24日の期日を終え新横浜到着後「圧勝」宣言をした、李信恵氏の代理人・神原元弁護士は、この事態をどうとらえているのであろうか? 事件直後の11月25日に、「俺の大切な友人を刺したレイシストに抗議する」とツイートしたあとは黙している。同じく李信恵氏の代理人・上瀧浩子弁護士は今、何を考えているのだろうか? そして他ならぬ、李信恵氏ご自身は、再度発生した、深夜の不幸な事件についてどのようにお考えであろうか? 是非とも見解をお伺いしたい。

2020年11月25日の神原元弁護士のツイート
2020年11月27日の有田芳生議員のツイート

繰り返す。李信恵氏は24日の証人尋問で「自分が女だから攻撃された」などと、述べていたが、それは完全に失当である。李信恵氏はひとりぼっちではなく、常に周りに「屈強な」味方が寄り添っている(24日、傍聴席で見かけた伊藤大介氏の振る舞いや開廷中の「ヤジ」にはドスがいたものを感じた)。

11・24裁判後、事件前の伊藤大介氏と李信恵氏

われわれは「弱者」を狙って「攻撃」をしたりはしない。そんなことは自らを辱める行為に他ならず、そもそもそのような発想が浮かばない。このことは断言しておく。

そして、伊藤大介氏の事件を契機に、その周辺の方々は、是非一度立ち止まり、自身を振り返られることをお勧めする。「脚下照顧」という言葉もある。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【カウンター大学院生リンチ事件(別称・しばき隊リンチ事件)裁判報告】【後編】 2020年11月24日、鹿砦社対李信恵第2訴訟本人(証人)尋問行われる! 鹿砦社と李信恵らが直接対決!鹿砦社側「圧倒」!! 終了後の当日夜、傷害事件発生!! 鹿砦社特別取材班

◆午後:「反差別運動」の女帝・李信恵の本人尋問

昼休みを挟んで13時20分に再開した午後の弁論では、李信恵に対する本人尋問が行われた。李信恵の代理人は神原元と上瀧浩子弁護士。対する鹿砦社の代理人は大川弁護士である。さながらM君リンチ事件裁判における尋問の「再戦」の構図となった。

M君リンチ事件裁判尋問の際、李信恵は大川弁護士の反対尋問に答え「私はダウンタウンの漫才が好きなので日頃から死ねとか殺すとかいう言葉をよく使います」と自身の暴力性を白状する供述を引き出されていた。李信恵サイドからすれば大川弁護士は「紳士的な天敵」であったに違いない。

李信恵への尋問は、上瀧弁護士による主尋問からスタートした。上瀧弁護士はM君がリンチを受けた理由の「整合性」が、あたかもM君の「差別意識」にあるかのような質問を繰り返したが、本訴訟の争いとは全く関係がなく、M君に対するさらなる攻撃が繰り返された(その時傍聴席にM君は座っていた)。法廷におけるM君へのさらなる悪質な攻撃にほかならない。

2020年11月24日李信恵本人尋問の様子(画=赤木夏)

どのような「言い訳」を並べようが、金良平らの卑劣極まる暴力は決して許されるものではない。暴力の正当化や開き直りの口実に「差別」を持ち出すことは在日コリアン全てに対する侮辱である。

そのやり取りを聞いた傍聴席のM君は大きく溜息をついたが、李信恵側の傍聴人でリンチ事件の裁判の被告の一人でもあった伊藤大介が「てめえ何笑ってんだ」等と品性のない罵声を浴びせていた。現在コロナ対策のために、法廷では裁判官以下、傍聴人も含め全員にマスクの着用が要請されている。仮にマスクをしていなければ(個人を特定しやすいので)伊藤大介の「不正規発言」は「退廷」に値したかもしれない。

李信恵の主尋問への回答は、この事件を傍聴したことのある方々には聞き慣れた「被害者」ぶりに終始した。曰く「講演会やイベントに嫌がらせがあった」「周りの人にも迷惑をかけて辛かった」「性的な嫌がらせ記事を書かれて尊厳を傷つけられた」「在日で女だからターゲットにされた」「辛い」「涙が出た」「絶望的な気持ちになった」等々と並べ立てる(最後に述べた「鹿砦社の出版物やブログ記事を全て消してほしい」はまごうことなき本音であろうが)。李信恵は、これまでこうした自身の「差別被害」を声高に訴えてきた。その一方、仲間たちと何軒も飲み歩き(みずから言うところでは5軒、「日本酒に換算して1升」)、血まみれのM君に「まあ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう」と言い放った事実は本人も認めている。

この眩暈がするほど落差はなんなのであろうか?

11月24日の裁判の当日夜も、M君を呼び出してリンチに及んだ時と同様、伊藤大介と誰かを従えて飲みに繰り出していたようである(みずからのツイッターやインスタグラムで画像をアップしている)。こうした写真を目にするたびに、われわれは、李信恵が「反差別の旗手」ともてはやされている現実に、深刻な疑問を抱かざるを得ない。

大川弁護士による反対尋問に対しては、それまでの「被害者」ぶりとはまったく変わりのらりくらりとした回答になった。冗長な回答を繰り返そうとした李信恵だったが「イエスかノーで答えてください」とそれを許さなかった大川弁護士の法廷技術が光った。質問がリンチ事件や李信恵らが書いた「謝罪文」のこと、事後の隠蔽工作に及べば「知らない」「記憶にない」を繰り返した。主尋問においては、「謝罪文」は「エル金(金良平)を庇うために書いた」と述べた李信恵であるが、金良平による「謝罪文」や仲間宛のメール等については「知らない」「記憶にない」の一点張りであった。大矛盾である。大川弁護士による反対尋問により何かまずい発言を引き出されることを嫌ったのか、神原はしきりに「異議あり」「誤導だ」と言いがかりをつけようとしたが、結果そのことは遅延行為と見なされ鹿砦社側の反対尋問の時間が10分延長される結果となった。

神原元弁護士の2020年11月24日付けツイート
神原元弁護士の2020年11月24日付けツイート

◆鹿砦社代表・松岡が李信恵に怒りの直接尋問

最後に、時間がギリギリのところで鹿砦社社長の松岡利康が李信恵に被告(鹿砦社)代表による直接尋問を行った。時間も押しており裁判官の制止もあったが、松岡はそれを振り切り、

「私たちは、このリンチ事件で本質的に問うているのは一人の人間としてどう振る舞うかということですが、あなた(李信恵)はふだんから『反差別』とか『人権』というような言葉を声高に語っていますよね?リンチの現場にいて、『なんやねん、お前』とM君の胸倉を掴みリンチの口火を切り、リンチの最中も悠然とワインを飲んでましたよね? 暴行を止めたんですか? 救急車やタクシーを呼んだんですか? あの周辺はよく知っていますが、大きなタクシー会社が2軒ありますよね?」

と、時間もないので一気呵成に問いかけたが、李信恵はほとんど答えなかった。

松岡と裁判前に喫茶店で「偶然の遭遇」をしたという李信恵の虚偽のツイート

また、M君裁判の本人尋問の当日朝、松岡が近くの喫茶店で李信恵につきまとい恫喝したかのごときツイートに対し、「何という名の喫茶店ですか?」と尋ねたところ、「名は忘れた。裁判所を出て右のほうの店」と答えた。松岡はそんな喫茶店には行ってはいない。「フォロワー1万人以上いる人にそんな嘘をツイートしてもらったら困るんですよ!」と一喝。

最後に、リンチを受けた直後の変わり果てたM君の顔写真を李信恵に突きつけ、「あなたは今これを見てどう思いますか?」と問うた。李信恵は、終始目を背けて黙っていた。松岡は閉廷後「李信恵にはどうしてもあれを問わずにはいられなかった」と述べた。松岡の怒りの尋問は、李信恵の逃げの姿勢や、神原、上瀧弁護士らの制止、伊藤大介らのヤジを「圧倒」した。神原弁護士は終了後すぐに川崎に戻り、今回の尋問を「圧勝」したとツイートしているが、李信恵や伊藤陳述書の嘘(後述)も明らかになり、とても「圧勝」とは思えない。

広島被爆二世として、極めて体調の悪い症状に苦しみながら、今回の証人尋問を引き受けてくれた田所の鬼気迫る姿勢や、松岡みずから鹿砦社代表として会社を背負っての尋問などを見ると、鹿砦社側がの迫力が李信恵側を「圧倒」としていたといえよう。本通信昨日記事で述べたように、午前中の尋問では神原の誘導質問に、田所が時に法廷に響き渡る声で、反論し神原をおし黙らせた場面も印象的であった。

本来ならば、被告尋問は会社代表の松岡が尋問を受けるのだろうが、それでは受け答えするだけで李信恵を直接問い質せない。あえて松岡は証言には立たなかった。体調勝れないが取材責任者の田所を尋問に立て、松岡は大川弁護士の横に着席していた。そして尋問の最後に満を持して李信恵に尋問を行った── そうか、さすがの智恵者!これまで数々の修羅場をくぐってきただけのことはある。このことだけでも、狡知に長ける神原弁護士らを「圧倒」したと言えよう。松岡は「いやあ、特にそんな意図はないですよ」と言ったが……。
             
付言する。期日の数日前に伊藤大介が「陳述書」を出し「自分らには何の取材もしていないと」と主張してきた(伊藤はリンチ現場にいた人物であるので、「当事者に取材をしていない」と主張したかったのではないかと推測される)。しかしながら本件を追った第2弾本『反差別と暴力の正体』(書証として提出済み)、あるいは松岡の本年5月14日付け「第3陳述書」で、ジャーナリストの寺澤有が伊藤らを直接取材していることを記述している。

寺澤本人からも尋問期日前夜、取材詳細を明らかにするメールがあったことを田所が証言した。印象操作を企図したわけではないであろうが、動かぬ証拠が既に提出されているのに、提出期限を過ぎて、全く虚偽の陳述を出してきたのはなぜであろうか? 「しまった!」と感じたのか神原弁護士は「陳述書を撤回します」と、苦し紛れの言い訳を裁判官に求めたが、あえなく却下され伊藤大介による虚偽内容の陳述書は撤回されなかった。原告李信恵側の主張の真実性に、裁判所も疑義を抱くことであろう。

鹿砦社対李信恵第2訴訟はこれにて弁論が終結した。判決は年明け2021年1月28日13時10分に大阪地方裁判所1007号法廷にて言い渡される。李信恵ら「反差別運動」を騙る暴力勢力との戦いにおける重要な節目となるであろう。われわれは勝訴を確信する。(本文中敬称略)

【付記】
翌日25日、驚くべきニュースが飛び込んできた。李信恵と伊藤大介が24日裁判終了後、飲食を共にしていたことは李信恵みずからSNSで発信しているが、その後伊藤大介ら2人(うち1人が李信恵かどうかは現在不明)が極右活動家を呼び出し、逆に返り討ちされ刃物で刺されたというのだ(詳細は不明)。現時点では情報が錯綜しているので、これ以上のコメントは差し控えるが、考えさせられる事件である。

裁判後飲食を共にする李信恵と伊藤大介。この後、伊藤は極右活動家に刺される

◎カウンター大学院生リンチ事件(別称・しばき隊リンチ事件)裁判報告
 【前編】 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=37169
 【後編】 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=37209

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【カウンター大学院生リンチ事件(別称・しばき隊リンチ事件)裁判報告】【前編】 2020年11月24日、鹿砦社対李信恵第2訴訟本人(証人)尋問行われる! 鹿砦社と李信恵らが直接対決! 鹿砦社側「圧倒」!! 鹿砦社特別取材班

M君リンチ事件の真相究明のため鹿砦社特別取材班が結成され、取材と出版活動を開始してから4年あまりの時間が経過した。「しばき隊」「カウンター」などと自他称される「反差別運動」の内部において凄惨なリンチが行われ、事件後1年以上M君に対して事件を告発した報復のためネット上で誹謗中傷を殺到させるという異常きわまる光景。李信恵が「反ヘイトスピーチ裁判の旗手」としてマスコミ等に持て囃される一方で被害者M君は正当な救済をまったく受けていなかったという理不尽。──

以来4年余、M君の裁判は終結し、金良平の不誠実極まる対応に最後の最後まで迷惑をかけられながらも、M君にはようやく賠償金が支払われた。これについては社長の松岡以下、鹿砦社特別取材班の面々も安堵しているが、その一方でリンチ事件が本質的な解決をみたとは到底言うことができない。

なぜならば、リンチ事件やその裁判に直接かかわった者たちから、事件の隠蔽工作をした者たちや被害者M君を誹謗中傷した者たちから、どこからも事件に対する真摯な反省は微塵も見えないからである。換言すれば、この者らの関わる「反差別運動」やそれに関連する社会運動において、M君リンチ事件のような陰惨かつ卑劣きわまる事件が、今後も繰り返される可能性は極めて高いということだ。

鹿砦社特別取材班は、われわれの取材の成果が、こうした社会運動における暴力の根絶に向けての歴史の教訓となることを目的の一つとしている。鹿砦社と李信恵の裁判についても、そうした取材活動の一環として報告を続けてきた。

◆M君リンチ事件の概要

鹿砦社と李信恵の裁判の概要を改めて振り返ろう。M君リンチ事件が「しばき隊」「カウンター」関係者総出での隠蔽工作を破って明るみに出され、被害者M君が李信恵ら5人を相手に損害賠償を求める裁判を起こしたのが2016年7月。その後李信恵らその裁判の被告側および支援者(すなわちリンチ事件の加害者サイドの者たち)から、被害者M君や鹿砦社に対する誹謗中傷が繰り返されてきた。

李信恵本人とて例外ではない。「クソ鹿砦社」「鹿砦社の嫌がらせのせいで講演会の告知もできない」「お金目当て」「社長は中核派? 革マル派?」等の誹謗中傷を李信恵は繰り返した。

李信恵の「反ヘイトスピーチ裁判」はマスコミに取り上げられ、李信恵自身は「反差別運動の旗手」として著名であり著書も出版している。このような人物による誹謗中傷を重く見た松岡は、2017年9月、李信恵に対する名誉毀損による損害賠償請求の訴えを大阪地裁に提起した。

この訴訟自体は、2019年2月14日に大阪地裁で鹿砦社が完全勝訴。双方が控訴したが同年7月26日、大阪高裁は双方の控訴を棄却。李信恵側がいったん上告したものの、後にこれを取り下げたので鹿砦社の勝訴が確定している。

鹿砦社の提訴から半年以上が経過した2018年4月、李信恵から鹿砦社に対する反訴が提起された。損害賠償550万円の支払いに加え、なんとこれまで鹿砦社が出版したリンチ事件関連書籍の「販売差止め」が請求の内容となっている。

この反訴は鹿砦社が訴えを起こした訴訟と併合審理が認められず、李信恵側が別訴として改めて訴えを提起し直したという経緯がある。これまで鹿砦社が李を訴えた裁判を鹿砦社対李信恵第1訴訟、李信恵が損害賠償と販売差止めを求めて訴えたものを第2訴訟と便宜的に呼んできたが、去る11月24日に第2訴訟の人証調べが行われた。

第2訴訟は、李信恵が自身の不祥事を明るみに出された書籍を、みずからに都合が悪いから封殺したいという目的であり、この請求自体、憲法第21条が保障する「表現の自由」「言論。出版の自由」に対する重大な挑戦である。出版活動を行ってきた取材班としても絶対に看過することはできない。11月24日は鹿砦社と李信恵の〈直接対決〉の場であり、まさにこれまでの訴訟の天王山であった(李信恵は第1訴訟の時は一度も出廷せず、李信恵への尋問も行われなかった)。以下、当日の様子を報告する。──

◆午前:鹿砦社特別取材班キャップ、田所敏夫の証人尋問

11時に開廷した口頭弁論は、鹿砦社側の尋問から行われた。尋問には社長の松岡ではなく、鹿砦社特別取材班キャップとして取材の現場の陣頭指揮を執ってきた田所敏夫が証人として立った。鹿砦社代理人の大川伸郎弁護士による主尋問において、「あらゆる差別を許さない」という鹿砦社特別取材班の差別問題に対するスタンスを田所は改めて鮮明にした。その上で、李信恵のような人物が反差別運動の先頭に立つことは疑問があると述べた。

鹿砦社側代理人の大川伸郎弁護士による田所敏夫証人への主尋問の様子(画=赤木夏)

ここまでは過去にわれわれが明らかにしてきたことであるが、今回の尋問では田所はさらに踏み込んだ。尋問に先立って田所は広島原爆の被爆二世であり、さまざまな心身の不調があること。尋問中に不具合のある視力のため、サングラスを着用していること。遠近を見分けるために、複数のメガネをかけ替えてよいか?また「可能な限り大きな声で話すよう努力するが、のどにも不具合があるため、必要に応じて水分補給をしてもよいか」と裁判官に尋ね、いずれも許可された。

李信恵や神原元がこれまで鹿砦社による言論、出版活動における自分たちへの批判に「差別」ないしは「差別の助長」とレッテルを貼ろうと何度も試みてきた。しかし田所が証言席で自ら語った「広島原爆被爆二世」という事実は、「差別」が李伸恵や神原元らの専有物ではないことを、明らかにするものとなった。

主尋問は被告(鹿砦社)側代理人、大川伸郎弁護士が担当した。事件を知ったきっかけから、どのように取材班が結成されたのか、社長松岡と田所の関係性、取材方法-対象、どの時点で共謀があったと確信したか。など手際よく質問が展開され、田所はよどみなく回答した。

特筆すべきは大川弁護士による「ご自身は『差別』のようなものを、お感じになったことはありませんか?」との質問だった。

田所は「私は広島原爆被爆二世であり、若年の頃より様々な疾病や体の変調に見舞われてきた。外見上もそうだった。しかしその原因が『被爆二世』であると語ったことはこれまでなかった。そう語らなければ周囲の人間には、どうして体調崩すのかは理解されない。しかし、最近とみに内科・外科疾患の進行が速まっていることから、私が『広島原爆被爆二世』であること本年公開した。これまで経験してきたことの中には『差別』もあった」。田所は淡々と答えた。

 
李信恵側代理人、神原元弁護士による田所敏夫証人への反対尋問の様子(画=赤木夏)

李信恵側の反対尋問は、主として神原元が担当した。神原はM君が李信恵に顔を殴られたのは「平手か拳か?」と、枝葉末節な質問について書証を根拠に田所へしつこく聞いた。

しかし田所は「そんなことは、まったく問題ではない! 何十発も殴られ顔面骨折し、自分が蹴られたことすら記憶していない状態であったM君が、『手拳』か『平手』かを明確に覚えていなくても、全く不思議だとは思わない。今ここで、私が神原先生を私が殴れば、それが『手拳』であろうが『平手』であろうが問題になるのではないか! M君は当初『殴られた』としかわれわれに語っていなかった。刑事記録の中からM君が『蹴られていた』ことを見つけたのは私であり、それまで、彼の記憶の中からは『蹴られた』ことすら残っていなかったのだ」と強い語調で反論した。

慌てた神原はこの質問は得策ではないと考えたのか、突如質問の内容を変えた。

神原が田所に行った質問は、細かな勘違いや記憶違いを突いて供述全体の信用性を低下させようと企図されたものであったが、田所は全く動じず、むしろ質問の不当性をたびたび弾劾した。

これまでの神原であれば田所が展開したような「弾劾」にたいして、発言をさえぎる場面が多く見られたが、この日の神原の質問は、明らかに精彩を欠いており。田所が「圧倒した」と傍聴席の人々は感じたのではないだろうか。

ここ数年来田所は、広島被爆二世からくる宿命的とも推認されるさまざまな体調不良に見舞われてきた。それにもかかわらず、田所は鹿砦社特別取材班キャップとして陣頭指揮を執ってきた。この日の田所の証言は文字通り〈命がけ〉であった。鹿砦社特別取材班キャップとしてその責務を全うしようと、裁判を戦ったのである。──(本文中敬称略。つづく)

《余談》日頃裁判期日の後には、即座に自身のツイッターに「圧勝」を宣言する神原元は、神奈川への帰路新幹線の中で尋問とは無関係な発信を連発。ようやく新横浜に到着したと思われる時刻に「圧勝」宣言を書き込んだ。尋問直後に「圧勝」宣言を書けなかった神原の姿が、彼の心理状態を物語る。敗訴した裁判のあとでも「祝勝会」をあげる神原にして、尋問終了直後に「圧勝」とは書けなかったのである。敗北感があったのではないだろうか。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62