【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書[番外篇]】《取材班座談会》対李信恵訴訟に完勝し次のステージへ進もう!「反差別」の美名の下にやりたい放題やってきた徒輩に断罪を!鹿砦社特別取材班

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

松岡 お久しぶりです。取材班の皆さんとは一応お願いした仕事が終わりましたので、コロナもありお声がけしていませんでした。近く鹿砦社が勝訴した名誉毀損裁判で、反訴が認められなかった李信恵が別訴となった裁判の証人尋問があります(11月24日)。今回は発行人である私ではなく、取材班キャップの田所敏夫さんに証言していただくことになりました。田所さんは、あとで触れますが、このかん体調不良で、きょうは欠席です。皆さん思うところもおありだと思いますので、この問題の総括に向けてのお話ができれば、と思います。

A  まず確認しとかなきゃいけませんね。この裁判は李信恵が鹿砦社や松岡社長を誹謗中傷する書き込みをツイッターに多数書き込み、それを「やめてくれ」という弁護士さんを通じての要請も無視され、やむにやまれず訴訟に至った。もちろん原告が鹿砦社で被告が李信恵です。大阪地裁で李信恵の不法行為が認められ全面勝利し、双方控訴した大阪高裁でも鹿砦社が勝った。李信恵は上告しましたが、どういうわけか、それを取り下げ判決は確定した。このいきさつ、結構知らない人多いと思いますよ。

B  そうですね。でも大阪司法記者クラブ(大阪地裁、高裁の記者クラブ)は鹿砦社が「記者会見を開きたい」と申し入れてもすべて門前払いでしたね。だから鹿砦社が勝っても大手メディでは報道されないから、知らない人が多いのは仕方ない面はありますね。

李信恵の暴言の一部。ほんの一部でも、よくこんなにも暴言を吐けるものです(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)
松岡と裁判前に喫茶店で「偶然の遭遇」をしたという李信恵の虚偽のツイート

C  まったく不公平やな。「記者クラブ」が日本の報道を骨抜きにしてきたことはもはや議論の余地もない。記者クラブに入り浸っている連中は「御用メディア」「情報カルテル」の推進者ですわ。もうここまで来たから言うけど、じつは知り合いの現役朝日新聞記者(司法とは無縁)に事情を話したら、「そんなひどいことをやってるんですか! 載せたくなければ書かなきゃいいだけですよ。求めがあったら少なくとも会見の場所は確保しないと。記者クラブが恣意的に運用されればますますメディアは信頼失いますよ」って怒ってたし、同様に共同通信の記者も「最悪の対応ですわ。言葉ありません」って内緒でメッセージくれたもんな。せやから鹿砦社が自力で「事実」を伝えなあかんかった。ゆうたら失礼やけど、これでは限界がありますわ。

D  ぜんぜん反論はないな。最初の頃、取材班のメンバーの「軽さ」に、俺はしょっちゅうキレてたけど、最近はそんなこともなくなった。突然違う話のようだけど、日本学術会議への菅の介入も広義には同根なんだろうと思う。もうあちらこちらで問題が煮詰まりすぎて、鍋の底に「コゲ」が出来てる状態じゃないかと思う。もうすぐ底に穴が開くだろうよ。コロナが冬になったらまた活性化するのは、インフルエンザの流行をを見ればわかると思うけど。この国は何をやった? 「GO TOトラベル」でしょ。あとは個人の「お行儀任せ」。冬に向かって手を打たないと大拡散するのは素人でもわかる。この「素人でもわかる」常識(?)が通じないのが2020年の現実だな。だから鹿砦社の仕事を追うメディアは、今まで出てきていない。

松岡 そうでしょうか。われわれの問いかけに対しては、少数ながらも手ごたえのある反応はあったと思いますよ。元読売新聞の山口正紀さん、『週刊金曜日』元編集長・元社長の北村肇さん(故人)、大手新聞の「押し紙」告発で有名な黒藪哲哉さん、人民新聞の山田洋一さん…。企業ルポで有名な立石泰則さんも応援してくれていますね。北村さんや立石さんは少しご存知だったようですが、他の方々は私が知らせて初めて知るに至った次第です。

D  社長!

松岡 なんでしょうか?

D  そこが社長の甘さ、と言っては失礼だけど、優しさなんですよ。現状認識の上ではね。

A  ボク、ちょっと、バイトあるからこのへんで失礼します。

D  ド阿呆! こっからが本論やんか、逃げんと最後まで座っとけ!

A  は、はい(内心:やっぱりきょう来るんじゃなかったなぁ。松岡社長とDさんが議論し出すと、入っていかれへんもん)。

松岡 Dさん。続けてください。

D  少々失礼に当たるかもしれませんが、言いますよ。われわれはこの「リンチ事件」を通して「リンチはいけない」、「暴力はいけない」以上の思想的基盤を創造しえたか、否か。私の関心はそこにしかないんです。社長の純粋な思いというか、義侠心からリンチ事件・被害者M君支援は始まりましたよね。私は全く同感だしこの仕事には価値があったと今でも思っています。だけれども、5冊も本を出したわけでしょ。大手メディアには全く無視されながら。そのことに現代というか、今日この社会が包含する問題の本質が、奇しくも出たと思う。こういう仕事をやっていてこんなことを言うと、罰当たりだけど、私は大方の組織ジャーナリズムをほぼ信用していません。それがしっかり証明されたのが、李信恵の裁判では盛大に記者会見を開くけれども、リンチ被害者M君や鹿砦社が提訴しても、勝訴してもどこも取材に来ないし、記者会見すら開かせないマスメディアの姿勢。これはどう考えても〈差別〉だし〈村八分〉です。2005年に社長が「名誉毀損」容疑で逮捕された状況よりも、個別の事情はともかく、全体では明らかに悪化している。ちなみに、その「名誉毀損」事件を神戸地検からリークされて“スクープ”した、朝日の平賀拓哉という記者は、社長からの面談要請からも逃げ回ってます。自分の記事に責任を持てないのか、と言いたいですね。

B  Dさんちょっと待ってください。お説ごもっともとワシも思うし。けど今の話には重たい課題がごちゃ混ぜになってるように思うんですわ。かといって「ほなお前、わかりやすうに説明せい!」言われてもでけへん。それも事実です。

自分ら取材通じて、だいぶ勉強させてもらいました。本100冊読むよりいろんなことが頭に入ったし。あっ、本も読みましたよ。で、ワシはあれこれ言われへんから、やはりこの問題について再度問い直したいんです。そこはDさんと同じなんですわ。

D  B、おまえどっかの寺か大学院でも入って、修行したのか? どうしたんだよ、その鋭さ! 嬉しいな。若いスタッフの成長は何よりもエネルギーになりますよね社長。

松岡 そうですね。今、BさんとDさんから重い問いが投げかけられました。私もまだ不消化な部分があるので、できるだけ早い時期に“総括本”を出そうと考えていたところです。すでに賛同してくれた5人の方が寄稿してくれています。田所さんは広島被爆二世としての症状が出たのか、療養中で、先の5冊の本で、田所さんが草稿を書いてくれたのですが、今回はそれができなくて私が草稿から書かなくてはなりません。なので、すでに寄稿してくれた5人の方には申し訳ありませんが……。必ず“総括本”は出しますよ。

一同 異議なし!(拍手)

「反差別」運動の女帝の素晴らしいツイート
同上
同上

D  おいB。久しぶりに気持ちいいから、これ終わったら、お前の好きなキャバクラ連れって行ってやるよ。

B  なにゆうてるんですか! 東通り商店街も、曽根崎も、北新地も、ワシの好きやった店どこもやってませんがな!

D  そうなんかあ……

A  本当に飲食店や接客業の方々の苦労は言葉にできませんね。ところで24日、田所さんが証言するんですよね。体調大丈夫でしょうか?

松岡 田所さんには「無理をしないでください」と伝えてありますが、田所さんが「最後の仕事をしたい」と言ってくれましたので、あとは彼に任せます。責任感の強い人だし、これまでの彼の取材や記事の実績を見れば、いくら体調が悪くても、それなりの仕事をやってくれるものと信じています。それに彼は、広島原爆投下75周年の8月6日、みずからが被爆二世であることをカミングアウトされ、これまで受けてきた差別は想像を絶するものと察します。が、確かに体調は悪くても、最近の彼には鬼気迫るものがあります。「反差別」の美名の下に散々やりたい放題の李信恵やその守護神・神原弁護士らに堂々と対峙し断罪するものと信じてやみません。少なくとも私が尋問されるよりもいいと思いますよ。私なんか、ある銀行を訴えた裁判の本人尋問で、頭に血が上って書類を投げて「なんばしよっとか!」と郷里の言葉で怒鳴るほどですので(苦笑)。彼は、そんな私と違い、意外と冷静に対処する人だよ。

C  対李信恵裁判を完勝して、来年からは新しいテーマに取り組みたいですね。

松岡 そうですね。私も来年70歳になりますのでそろそろ引退を考えています。どなたか私の後継者に名乗り出てくれる人はいないでしょうか?

(一同無言のまま帰り支度を始める)

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

【お知らせ!】11月24日、 対李信恵第2訴訟(大阪地裁)、いよいよ最大のヤマ場、李信恵さんと田所敏夫(取材班キャップ。鹿砦社側証人)の尋問!

対李信恵第2訴訟(大阪地裁)、つまり李信恵さんが鹿砦社に「クソ鹿砦社」「鹿砦社はクソ」等々と散々誹謗中傷した訴訟(鹿砦社の勝訴)に対し、訴訟の最終局面になって反訴してきた訴訟(裁判所は別個の訴訟として処置)について次のように本人(証人)尋問が行われます。これまで、論点整理として非公開で審理が進められてきましたが、次回期日は公開の本人(証人)尋問です。多くの皆様の傍聴を要請します。

〈1〉尋問期日(11月24日火曜午前11時)
〈2〉法廷番号は1007号です。10階の法廷はちょっと大きめだったような気がします。
〈3〉裁判所書記官(24民事部合議2ニ係)yによれば、「整理券を配ったりする予定はない。」とのことでした。
〈4〉当日の予定は下記のとおりです。
  午前11時~   田所敏夫(取材班キャップ。鹿砦社側証人)尋問
  午後1時20分~ 李信恵本人尋問

李信恵さんが法廷に出て来るのは、おそらくこれが最後かな、と思います。
ぜひ傍聴お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

ふたたび、さらば反原連!秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱へ!── 反原連の「活動休止」について【後編】 松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志

◆大学院生リンチ事件加害者と繋がる反原連

さらに、偶然(必然か?)とはいえ、鹿砦社には「しばき隊/カウンター」内で発生した、極めて深刻な大学院生リンチ事件が持ち込まれました。反原連とリンチ事件は当初、別個の事案のように思われましたが、取材を進める中で反原連の人間と「しばき隊」の幹部連中が、相当数重なっていることが判明しました(今では常識ですが)。

結語から述べれば、その人々は“「リベラル」を纏った権力別動隊”でした。思慮に乏しく、排他的で、政治・行政権力との緊張関係に欠ける。この集団はリンチ事件発生時、「ヘイトスピーチ規制法」の立法化に力を入れており、それ故にリンチ事件が社会に知れ渡ることを、過剰に警戒しました。その数々の証拠はこれまで5冊の出版物(雑誌増刊号4冊+リンチ最中の音声CDを付けた書籍1冊)として上梓してきた中で詳述してありますが、とりわけ悪質であったのは、集団暴行被害者をあたかも「加害者」のように扱うメールを金展克氏に送付した師岡康子弁護士でしょう。すでに本通信6月25日号でも述べていますので、ここでは詳しくは述べませんが、師岡弁護士こそ、危険なイデオローグだと断じます。

もう一つ注目していただきたいのは、このリンチ事件が2014年12月に起き、加害者側の隠蔽活動で1年余りも隠蔽されてきたことです。この間、安保法制問題が大きく盛り上がり、リンチ問題など世間に公になりませんでした。この実態が公になっていたなら、反原連もSEALDsも、また安保法制反対の運動も、かなりの影響を受けたものと思われます。隠蔽は成功しました。しかし、こういうことはいつか露見します。実際に2016年3月以降露見しました。

◆必要以上に横文字を使い、なにかしら目新しさで人をごまかす反原連(~界隈)の人々

 
ミサオ(2015年6月7日福岡にて)

私たちは、このように人間の尊厳や多様性を無視し、集団暴行を容認・隠蔽する人々を人間として全く信用できません。反原連は横文字が好きで、今回も「ステートメント【活動休止のご報告】」と銘打った文章が公開されていますが、こういった言葉の使い方は使用者の自由であるものの、思考傾向を表わす特徴として捉えることも可能です。カンパと言えばいいものの「ドネーション」と馴染みのない言葉を意気揚々と使ったり……よほど頭のいいことをひけらかせたいのか!?

ラップを採り入れなにかしら目新しさを出し、マスコミの恣意的な報道により世間では評価が高かったSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)について、憲法9条改憲派としての本性を出し、私たちは次第に首を傾げざるをえなくなりましたが、このSEALDsがいまだに反原連にとっては「成果」であったように記されています。SEALDsは、「民主主義って何だ!」と叫んだだけで、その、憲法9条改憲を志向していた団体でした。SEALDsは9条改憲派だったのだ!! 世間の人たちも私たちも、このことに気づくのが遅過ぎました。

これまでの学生運動のイメージを覆したことで錯覚してしまいますが畢竟エセ学生運動としか言いようがありません。詰まる所、この学生たちは何がしたくて、何が言いたかったのか全く理解できません。理解しようとして松岡はSEALDsを代表する人物、奥田愛基君にインタビューしましたが(『NO NUKES voice』6号掲載)、松岡も年甲斐もなく、結局は目くらましにあったようです。唯一はっきりしていることは、SEALDsがしばき隊や、時には親御さんに見守られながら展開された事実でしょう。こんなもの評価するのも馬鹿らしい。

SEALDs奥田とミサオ(2015年9月22日帝国ホテル地下の和食屋にて)

◆活動をやめるためにカンパを集めるだって!?

そうして今回の反原連の「活動休止」声明(ステートメント)には以下のくだりがあります。いみじくも彼らの本音が表われています。

〈それは脱原発運動が市民運動の中心から外れてくるに従い寄付金が減少し、これまでの多岐にわたる活動内容に対し、運営資金の捻出が難しくなってきたことがあげられます。〉

福島原発事故の被災者は、金銭を理由に「被害者」であることをやめられるでしょうか。広島・長崎の被爆者や被曝2世、3世は経済理由から「被爆者」であることから自由になれるでしょうか。

私たち(鹿砦社)とて、会社がいつまで存亡できうるか、あるいは出版業界の今後は、コロナ禍の今日見通せません。ですから「未来永劫『NO NUKES voice』の発刊を死守する」などと宣言はできません。しかし、現編集委員会が生存している限り、何らかの方法で反・脱原発運動を微力ながら支えるべく『NO NUKES voice』を発行し続ける所存です。

反原連は活動の休止を告知しながら同時にこれまで通りカンパ(彼らの言葉でいえば「ドネーション」)を求めています。活動をやめるためにカンパを集めるなど聞いたことがありません。幹部の“退職金”にでもしたいのでしょうか!? 活動休止するのであれば、カンパ募集はやめるべきではないでしょうか。「脱原発運動が市民運動の中心から外れてくる」から活動をやめる? こういったジコチューな物言いはみっともないとしか表現できませんね。

反原連「活動休止のご報告」ステートメント(2020年10月2日)

「脱原発運動が市民運動の中心から外れてくる」にしてもしなくても、福島現地で頑張って日々生きている人々や、故郷から遠く離れて避難している人々は生きていかねばなりませんし、多くの方々が裁判闘争を頑張っておられます。私たちは、こういう人たちを見捨てて「活動休止」するわけにはいきません。反原連のみなさん、あなた方も、曲がりなりにも「反原発」の声を挙げたわけでしょう。ならば、「ステートメント」でも記しているように、口先だけではなく真に「初心に戻り」初志を貫徹していただきたいものです。

反原連に私たち鹿砦社は、多額の資金支援をしましたが(少しは感謝しろ!)、にもかかわらず、みずからの意に沿わないならば「絶縁」するぐらいなら、他力本願な「ドネーション」に頼らず、みずから汗を流して働いて資金を集めるという運動の原点に立ち帰ったらどうですか?(ちなみに、ミサオが言うところでは、当時活動をやるために共産党に頼んで生活保護を受けた人物がいました。共産党も、こんなことをやっていいのか!?)反原連の連中の、人の厚意を蔑ろにするような態度から、今日の姿はイメージできましたがね。

私たちは反原連的な社会運動に(それが社会運動であれば)、強烈な違和感しか感じませんし、こんな運動体が大手を振って歩くようになれば、日本のファシズム完成を早めるだけでしょう。

私たちは時に激しい言葉を使うことはありますが汚い言葉を使うことは滅多にありません。しかし今回はあえて使わせていただきます。やはりゴミはゴミでしかありませんでした。秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱に放り込まねばなりません。「お前はただの現在にすぎない」(トロツキー。テレビマンユニオン創設の頃の書籍のタイトルにもなっています。初版田畑書店刊、のちに朝日文庫)── むべなるかなです。

◎ふたたび、さらば反原連! 秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱へ!── 反原連の「活動休止」について(松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志)
【前編】http://www.rokusaisha.com/wp/?p=36691
【後編】http://www.rokusaisha.com/wp/?p=36698

月刊『紙の爆弾』2020年11月号!【特集】安倍政治という「負の遺産」他
『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

ふたたび、さらば反原連!秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱へ!── 反原連の「活動休止」について【前編】 松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志

◆反原連から「絶縁」された鹿砦社

10月2日、「反原連」(首都圏反原発連合。以下反原連と記します)は同団体のHPで、実質上の「活動休止」(口では「解散せず」と言っていますが、事実上の「解散」と見られます)を告知しました。

反原連「活動休止のご報告」ステートメント(2020年10月2日)

鹿砦社と反原連は、日本での初めての反・脱原発雑誌である『NO NUKES voice』発刊以来6号までは良好な関係を保っていましたが、2015年12月3日、一方的に反原連からの「絶縁宣言」により、関係を途絶していました。これには、反原連、いわば弟分的存在のSEALDs、「しばき隊」「カウンター」の全盛期、これに対し理路整然と批判した、韓国から母子で来日した研究者・鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン。当時京大研修員。日本キリスト教史、木下尚江研究)さんへの非人間的暴言攻撃、ネットリンチを複数の人たちから聞いた松岡が、2015年9月以降(これ以前は、いわば「金は出しても口は出さない」のスタンスでした)、この他の疑問などと併せ反原連のリーダー、ミサオ・レッドウルフに問い質してきたことが伏線としてありました。

蜜月状態の頃の懇親会写真。松岡の左右に野間(左端)とミサオ(右)が写っている貴重なショット

そうして「絶縁」の直接の導火線となったのが『NO NUKES voice』6号での松岡稿「解題 現代の学生運動」でした。これが「内容に関して許容範囲を超える」(絶縁宣言)とのことでした。ここでは詳細は省きます(関心のある方は同誌7号「さらば反原連! 私たちはなぜ反原連から絶縁されたのか」をお読みください)。

今となっては、反・脱原発雑誌を発刊するにあたり、反原連関連の人物を多数掲載したことは、致し方のない誤りであったとはいえ、松岡はじめ私たちとしては深く反省するところです。反原連からの一方的「絶縁宣言」とはいえ、6号で関係を途絶したのは、ある意味で正解でした。皮肉なことです。

反原連は、前記しているように「首都圏反原発連合」の略称ですが、その名称から想起すると、いくつもの運動体の“連合”のように聞こえますが、実態は違います。当初は「たんぽぽ舎」など複数の運動体が名前を連ねていました。このことに、東京から遠く離れた関西にいて彼らの活動や実態を直接につぶさに見れない松岡は誤認し、「たんぽぽ舎が入っているから大丈夫だろう」と考え、特段の厚意を持って接触しましたが、数年前から反原連は単独のセクトとなったようです。「たんぽぽ舎」とも事実上断絶しています。たんぽぽ舎にいた今井丈夫(ミサオ同棲者)と原田裕史が反原連に移行しています。

鹿砦社は、反原連に一時は年間300万円余りの資金援助もしてきました。その間会計報告もありませんでした(絶縁後強く催促して、ようやく間に合わせとしか思えない会計報告を行っています)。にもかかわらず、2015年12月3日の鹿砦社への言い掛かりとしかいえない失礼千万な「絶縁宣言」をするように、極めて「排他的」「独善主義」的な集団であることが明らかになっています。松岡も人を見る目がないとボヤいていました。高い“授業料”を払いました。

鹿砦社は今は「たんぽぽ舎」に毎月一定額の支援金をカンパし、チラシ配布や『NO NUKES voice』の販売などに協力していただいていますが(鹿砦社は、ホームグラウンドが関西で東京事務所も2人しかおらず人手不足なので)、最初からこうすればよかったわけです。たんぽぽ舎は、同舎のチラシと一緒に『NO NUKES voice』のチラシを撒いてくれていましたが、官邸近くでは反原連の連中から妨害されて撒けないということでした。これからは大丈夫です(笑)。

反原連が、唯我独尊で極めて排他的であることは、多くの人たちが異口同音に語るところですが、このことを象徴する出来事でした。反原連は共産党と親密な関係にあり、ミサオらが共産党の大会でスピーチしたり機関紙『しんぶん赤旗』にたびたび登場しています。共産党のスターリン主義的体質と同じ体質です。「類は類を呼ぶ」ということでしょうか。

◆警察との親和性が強く、闘う学生を背後から襲う反原連とこの界隈の人たち

 
ミサオ(2015年8月10日鹿児島にて)

実は、『NO NUKES voice』編集委員の中に、早期から反原連の危険性を説いていた人物がいました。当該人物は国会前集会で参加者が路上に溢れた時に、反原連のミサオ・レッド・ウルフが、なんと機動隊の指揮車の上によじ登り(そのような行為は、警察の同意なしに可能なことではありません)集会に参加した人々へ「継続的な首相官邸前抗議行動」ができなくなるから「解散」を要請した現場に居合わせたのです。

これにはジャーナリストの寺澤有氏も現場に居合わせ証言されています。この事実の他にも反原連と警察の癒着を明示する記事は、他ならぬミサオ・レッド・ウルフが、『NO NUKES voice』の中で述べている通りですから、間違いのない事実です。

私たちは、いたずらに警察権力との対立を望むものでは全くありませんが、あの時、国会前に集まった、数千、数万の群衆は「継続的な首相官邸前抗議行動」ではなく、大飯原発再稼働に心底怒っていたのではないかと推測します。

反原連やSEALDsらの警察との親和性(癒着)は、2015年夏の反安保法制運動の中でも見られます。今や有名となった「警察のみなさん、ありがとう」の言葉に象徴され、一部戦闘的な学生らが警察の壁を突破しようとして国会に向かって行動するや、逆に警察と一緒になって弾圧の尖兵にさえなっています。実際に逮捕された学生もいます。これに「警察のみなさん、ありがとう」などどういう神経でしょうか。これに対しては作家・辺見庸も批判し、逆に激しいバッシングに遭い、一時ブログを閉鎖するほどでした。

相手は巨大な国家権力です。必ずしも「一点突破、全面展開」が可能な情勢ではなかったかもしれません。しかしながら、機動隊の指揮車によじ登り、集会参加者に「解散」を求める行為、あるいは「警察のみなさん、ありがとう」と言って直接的抗議行動にはやる学生らへの弾圧に加担する行為を、私たちは断じて容認できないし、今後も容認しないでしょう。そんな行為を一度でも行えば、命懸けで反・脱原発運動に携わっている皆さんや、わが身をもって反安保法制の闘いを体現しようとした先進的学生らの背後から鉄砲を撃つようなものです。彼らは闘う学生を背後から襲うことはあっても、権力と闘うことはありません。(明日掲載の後編につづく)

月刊『紙の爆弾』2020年11月号!【特集】安倍政治という「負の遺産」他
『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
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定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

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    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

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【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)続報】対李信恵第2訴訟、いよいよ天王山へ! 11・24、本人尋問決定! M君リンチ事件検証・総括本も編集開始! この4年余りのM君支援―真相究明の〈総決算〉を勝ち取ろう! 鹿砦社代表・松岡利康

この「通信」前号(7月27日)において、くだんのM君リンチ事件にまで引き続く〈差別と暴力〉について忌憚なく申し述べました。特に私の大学の先輩が巻き込まれた1974年の「八鹿(ようか)高校事件」を引き合いに出して記述しました。以前だったら、タブーの中のタブーで、こうした形で述べることなどできなかった問題ですが、李信恵さんらによるM君リンチ事件を論じる際に、どうしても避けて通れない問題です。少なくとも私にとっては……。そうは言っても、やはり構えてしまいましたが、勇気を奮って書き綴りました。〈差別と暴力〉── 45年余り経ってもいまだにはっきり総括されていませんし、加えてM君リンチ事件(被害者M君支援と真相究明)に関わることになり、私なりに悩みながら真剣に考えてきたつもりです。

しかし、M君リンチ事件を本質的に検証・総括する際には、この〈差別と暴力〉の問題は避けて通ることはできません。ひいては、反差別運動、社会運動、市民運動の内部における暴力(言葉の暴力も含め)は決してあってはいけません。それを、M君リンチ事件では、いわゆる「反差別」運動の中心とされる者らがやったということで深刻であることは言うまでもありません。この問題を隠蔽したり逃げている人たちに、人間としての真摯さを見ることはできませんし、「八鹿高校事件」のように、この問題が将来的に運動に深刻な〈影〉を与えるとは思わないのでしょうか。

くだんの「通信」について、ノンフィクションライターの立石泰則氏はご自身のFBで次のように述べておられます。──

〈「目的は手段を正当化しない」とは、ずっと言われ続けてきたことだが、左右のイデオロギーに関係なく暴力に走る者は後を絶たない。「正義が暴走して何が悪い」と公然と言い放つ弁護士まで現れる始末で、世の中の腐敗・堕落が全体に進んでいるように思います。
「差別問題」はイデオロギーやどんな組織に所属しているかなどに惑わされることなく、「事実」と向き合うことがもっとも大切なことだと改めて実感させられています。〉

まったく同感です。

ところで、対李信恵第2訴訟(大阪地裁第24民事部)、この訴訟は、李信恵さんによる鹿砦社に対する止まることのない「クソ鹿砦社」「鹿砦社はクソ」等という誹謗中傷について不法行為が認定された訴訟の「反訴」として出され併合審理を求めながら裁判所に認められず独立した「別訴」とされたものです。李信恵さんは原告として鹿砦社に賠償金550万円と出版差止めを求めています。これまで非公開の弁論準備手続きが続いてきました。この間、李信恵さんはただ1回出廷したのみで、私は突然目が見えなくなるという急病で1度は休ませていただきましたが(この時、提訴の材料とされた証拠資料の原本を提出しようとして前任の裁判長は頑なに拒否するという事件が起きました。一部分のコピーでいいというのです)、こういうことが再びあってはいけないということもあり、これ以外は全回出廷し陳述書も4通も提出しましたが、ようやく来る11月24日(大阪地裁1007号法廷)に本人尋問が行われることが決まるところまで来ました。午前11時から被告(鹿砦社)側、こちらは取材班キャップ・田所敏夫さん、昼休みを挟んで午後1時20分から原告・李信恵さんの、それぞれ尋問となります。李信恵さんは、この訴訟のみならず、今さして訴訟も抱えていないようですので、おそらくこれが最後の尋問になるのではないでしょうか。

ちなみに、前任の増森珠美裁判長は、李信恵さんが在特会らを提訴した訴訟で、李信恵勝訴の判決を下した裁判長です。さすがに不公平は否めず(ですから、冒頭から証拠資料の原本を拒絶したり強権的で不可解な訴訟指揮をやったのでしょう)、私たちは裁判官忌避申し立てを行おうとした、まさに当日、急に京都地裁に異動になりました。新たな裁判長に交替になりましたが、増森裁判長のままだったら、「闘わずして敗北する」ことは必至だったでしょ

少し先になりますが、今から日程の都合を調整されぜひ傍聴をお願いいたします。おそらくカウンター/しばき隊側は、以前のようにいつもの顔ぶれを大挙動員してくるものと思われます。「俺を倒してから世界を動かせ!」(学生時代に学費値上げ阻止闘争で仲間と立て込もったバリケードに書いた言葉)という心構えで、常にたった一人ででも権力・権威や不条理と闘う気概を持った私や田所さんと違い、徒党を組まないと何もできない人たちですからね。M君裁判を支援する会も解散した今、支援されてきた皆様のどれほどが傍聴されるかわかりませんが、彼ら「反差別チンピラ」(森奈津子さんの規定)に対峙するには私と田所さんとで十分です。それでもできるだけ多くのみなさんが、李信恵さんの酒焼けした顔を見るぐらいの気持ちでご参集ください。

ちょうど田所さんは8月6日にみずからが広島原爆被爆二世であることをカミングアウトされました。被爆者やその二世、三世がどれほどの後遺症や差別に苦しめられてきたか、言うまでもありませんが、いつもは「差別」という言葉を“錦の御旗”にみずからが「被差別者」であることを殊更喧伝し、相手にカマシを入れ萎縮させる李信恵さん、あるいは彼女の熱烈支持者たる神原・上瀧両弁護士らが、在日コリアンとは違う被差別者の田所さんにどう対応するか──決戦は11月24日です。

さらには、この4年有余にわたる「カウンター大学院生リンチ事件」、別称「しばき隊リンチ事件」の検証・総括本(タイトル未定)の集稿。編集作業も開始しました。いちおう11月24日の上記尋問までの出版を目指しています。本質的に「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)とは一体何であったのかを広く深く探ります。加えて、M君訴訟の控訴審以降の最終報告と総括、鹿砦社vs李信恵/藤井正美訴訟の経過報告などてんこ盛りの内容です。執筆陣も特別取材班はじめ山口正紀、黒藪哲哉、森奈津子、合田夏樹、尾崎美代子さんら、もちろんM君も、多士済々の人たちによって、運動内部での激しいリンチを惹き起こした「反差別」―カウンター運動の問題を検証、総括いたします。これまでの5冊の本同様、期待を裏切りません。ご期待ください。

リンチ事件を隠蔽しても、一時的には事実をカモフラージュできるかもしれませんが、それは本来の反差別運動、社会運動、市民運動の正しい姿ではありません。私たちは、徹底した調査・取材によってリンチ事件の真相究明をなし遂げ、将来への〈生きた教訓〉にせねばなりません。私の言っていることは間違っているでしょうか? 「間違っている」と言うのであれば、「言論には(暴言・暴力ではなく)言論で」きちんと反論していただきたい。逃げても何も解決しません。

そのように春先から膨大な資料を整理してきましたが、目についた李信恵さんによる鹿砦社に対する倒錯したツイートのほんの一部をアトランダムに以下掲載しておきます。今読むと、怒りを通り越して笑止千万です。中でも、鹿砦社取材班のメンバーによる「嫌がらせ」や「妨害」で、警察に相談したとか(警察からは何の連絡もありませんし、これを李信恵さんは裁判で主張してもいません。おそらく虚言、カマシだと推察されます)、目が痛くなった、体調を崩した等々と、被害妄想もいい加減にしてほしいものです。李信恵さん、あなたの「被害」なるものよりも、酷いリンチを受けたM君の心身にわたる〈被害〉のほうが遙かに深刻です。もういい加減、血の通った人間の心を取り戻してください。

「反差別」運動の女帝の素晴らしいツイート
同上
同上

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書18】〈差別と暴力〉について 鹿砦社代表 松岡利康

あらためて申し述べておきたいのは、本件リンチ事件もその一つのケースである〈差別と暴力〉についてです。

ここでは、私の大学の先輩が実際に巻き込まれた、1974年11月、兵庫県山間部・但馬地方で起きた「八鹿高校事件」について少し申し述べます。こう言うだけで構えてしまいそうですが、あえて以下記述します。私の意見に反発や批判などあるやもしれませんが、誤解を恐れず、このまま記述を進めます。

◆「八鹿高校事件」のショック 先輩が暴行を受けた!

「八鹿高校事件」とは、部落解放同盟の一団が八鹿高校を襲い、みずからの主張に賛同しない教職員らに対し激しい暴力を加えた事件です。背景には、部落問題についての解放同盟と日本共産党の根深い対立があり主なターゲットは共産党員だったとのことですが、運悪く私の先輩は同校に勤務していました。解放同盟、共産党のどちらにも与しないにも関わらず激しいリンチを加えられています。今「どちらにも与しない」と述べましたが、先輩は学生時代、赤ヘルメットを被り、日本共産党(この下部組織・民青)と激しく対立する全学闘争委員会(文学部共闘会議)の一員で、60年代後半から70年代初頭の学生運動に関わりました。

共産党系のライターが書いた本で被害者リストに先輩の名を発見して大きなショックを受けた記憶があります。今でもネットでは判決文全文が載っていて被害者・加害者とも多くが実名で出ています(いいんでしょうか?)。

この事件はあまりにも有名な事件で書籍や記録なども多くありますので詳しくは述べませんが、残念なのは、解放同盟と共産党のどちらからのものがほとんどで、多かれ少なかれ主観や自己弁護が入り、誇張、歪曲されているので割り引いて読まなければなりません。被害者の大半の教師(とりわけ私の先輩のように共産党に所属しない人たち)の立場、解放同盟でも共産党でもどちらでもない中立の立場からのものはわずかしかありません。

この事件が、わが国の反差別運動に大きな汚点となったことは紛れもない事実です。それでも解放同盟は「暴力はなかった」「リンチはなかった」と言い張っています。本件リンチ事件に於ける李信恵らの詭弁とよく似ています。

この後解放同盟は、いわゆる「糾弾闘争」に走るのですが、これが誤りだということは、10年余り経った80年代半ばに私は、師岡佑行氏(京都部落史研究所所長。日本近現代史専攻。故人)や土方鉄氏(『解放新聞』編集長。作家。故人)ら解放同盟内部の幹部(良識派=非主流派)から「糾弾闘争は誤りだった」との聞き取りを直接得ています。そうした内部からの批判や社会的批判を受け、今では、さすがに暴力的糾弾闘争はなくなってきています。

同時に、当時から狭山裁判など解放運動は時に大きな盛り上がりを見せ、私もたびたび誘いを受け賛同するところはありましたが、実際に参加することはありませんでした。解放運動のみならず反差別運動に私が直接関われない大きな要因に、よく知る先輩が暴行被害を受けた「八鹿高校事件」が精神的な澱になっているからです。

このように、「反差別」運動内部で起きた、「八鹿高校事件」や本件リンチ事件など、暴力によって批判者を封じ込めようとすることは、逆に〈差別に反対する〉という崇高な営みを台無しにするもので、運動からの理解者の離反を招くものです。実際に、「八鹿高校事件」や「糾弾闘争」によって部落解放運動は社会の理解を得られず後退しました。八鹿高校でも、部落研(共産党系)も解放研(解放同盟系)も数年でなくなったといいます。

また、本件リンチ事件が私たちの真相究明(具体的には5冊の出版物など)によって〈真実〉が照らし出され、李信恵らによる「反差別」運動、「カウンター」活動から少なからずの人たちが離れたとも聞いています。

ですから李信恵には、彼女がリンチ被害者・M君に出した「謝罪文」(別掲。1~2ページのみを掲載。のちに撤回)に立ち返り真摯に反省していただきたいと心から願っています。いったんはリンチの存在を認め「謝罪」し活動自粛を約束しつつも、これを撤回するということは、いやしくも「反差別」や「人権」を叫ぶ者のやることではありません。李信恵さん、あなたの態度次第で、この国の「反差別」運動、いや社会運動全般の将来が決まると言っても過言ではありません。きちんとみずからの所業を見据え、胸に手を当て反省してください。

リンチ事件後、李信恵が被害者M君に出した「謝罪文」(2ページのみ掲載。全7ページ)

◆李信恵にリンチ事件への真摯な反省と、リンチ被害者M君への心からの謝罪を求めます

M君の写真を何者かが加工し拡散させた画像。“悪意”を超えて〈殺意〉さえ感じる。これこそ〈ヘイト行為〉ではないのか!?

私たちはこれまで、上記したようなことを対外的にあからさまに述べて来ませんでした。しかし李信恵が反省もなく、実際に李信恵らが関与し起きたリンチ事件(李信恵らは「リンチ」という言葉が嫌いなようですので「集団暴行」事件と言っても構いません)の存在を無かったことにしようとしていることを憂慮しています。間違いを犯したことを率直に認め、真摯に反省し、それを教訓化して今後の運動に関わっていくことを強く望みます。

そうでないと、かつての部落解放同盟の「八鹿高校事件」や「糾弾闘争」により「同和は怖い」というイメージを社会に植え付け、反差別運動(部落解放運動)の真の精神が誤解され、逆にその後退をもたらしたように、李信恵らの無反省な姿勢により、もうひとつの反差別運動(在日差別に反対し権利を獲得する運動)の後退をもたらすことを懸念します。李信恵らの心無い言動と暴力・暴言により、「在日は怖い」というイメージを植え付け(残念ながら、くだんのリンチ事件を見て実際にこう言った方もいました)、多くの在日コリアンの方々が迷惑を蒙っていることを自覚していただきたいものです。こうしたことに無自覚ならば、反差別運動や社会運動などから退くべきでしょう。

◆おわりに

前回も申し述べましたように、このたび、広島原爆被爆二世の田所敏夫さんが、体内被曝の影響と推認されるご自身の体調不良にもかかわらず、気力、体力を振り絞り陳述書を書き、尋問に出廷することを承諾され、また被爆二世ということを公にカミングアウトされたことに触発され、〈差別〉、そして〈差別と暴力〉について思うところをコンパクトに申し述べさせていただきました。

本件訴訟では、勝訴/敗訴ということが本質的な問題ではなく、李信恵が、みずから関与した大学院生リンチ事件について真摯な反省もなく、開き直りのような対抗訴訟を起こしたことを強く批判し、改めて真摯な反省を求めるものです。

私は歳と共に丸くなっていると言われますが(喜んでいいのか悪いのか、「好々爺」と言う人もいます)、李信恵に対しては声高に糾弾するのではなく、仏心から彼女が「反差別」運動のリーダーとして真に悔い改めることを願っています。

長い私の人生の中で、なかんずく破邪顕正の精神を持った出版人として、何がいいことで何が悪いことかの判断ぐらいはできます。そうであれば、李信恵が真摯に反省し公にも謝罪がなされるのならば、万が一私方が敗訴しても、本件リンチ事件(被害者支援と真相究明)やリンチ被害者M君訴訟、本件訴訟(前記した、この訴訟の元々の訴訟含む)に一所懸命に関わってきた目的の一つが達成されたといえるでしょう。

皆様方も血の通った人間ならば、私たちがこれまで申し述べてきた内容をどうか理解され、あれこれ屁理屈を付けた李信恵らの三百代言を歴史の屑カゴに投げ入れられるものと信じてやみません。

最後にもう一言述べさせてください。──

田所敏夫さんにしても私にしても、このリンチ事件を、あれこれ“解釈”しようとするものではなく、この4年余り、〈生きた現実〉から逃げ回る人たち(メディア人、国会議員、学者、弁護士、知識人、活動家ら)とはきっぱり距離を置き、ある時は義絶し、他人事ではなく自分自身の問題として関わり取材・調査に汗を流し事実を積み上げ〈真実〉に迫ってきたつもりです。出版人生の最終ステージでやるべきことだったかどうかは後々誰かが語ってくれたら、これでよしとしますが、目の前にリンチに遭った青年が助けを求めながら相手にされなかったり村八分にされ困っているのを見て黙ってはいられませんでした。果たしてあなたが、こういう場面に直面したらどうしますか? しかとお考えください。

釘バットで威嚇する有田芳生参議院議員。こんな徒輩が「人権」「反差別」を騙る国会議員とは!
取材班の直撃取材に逃げ回る岸政彦教授(李信恵さんの裁判を支援する会事務局長)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書17】あらためて〈差別〉について考える──鹿砦社特別取材班キャップで広島原爆被爆二世の田所敏夫さんのカミングアウトに触発されて 鹿砦社代表 松岡利康

対李信恵第2訴訟が大詰めに近づいています。ここにおいて当方は田所敏夫さん(ペンネーム。鹿砦社社員ではなく、下記に述べるようなことから畏敬の念を持って「さん」付けとしました)と私が陳述書を提出しました。

私は2018年9月5日、19年1月7日、2020年5月14日に続いて、去る8月20日、この日は裁判所が長い“休業”明けで久しぶりに期日が入り、4度目の陳述書を提出しました。

この陳述書に於いて私は、田所さんの陳述書と、8月6日付けの本通信での広島原爆被爆二世であるとのみずからの出自を公にカミングアウトされたことに触発され、この訴訟にも密接にリンクする、〈差別〉、そして〈差別と暴力〉について、私の体験や身近の出来事を中心に思う所を申し述べてみました。

そもそもこの対李信恵第2訴訟は、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」と誹謗中傷した訴訟の終盤になって突如「反訴」として提訴(賠償金550万円と出版差止め等)してきたものですが、裁判所にも考えがあってのことで、「反訴」とはならず「別訴」として独立した訴訟として係争中のものです。

尚、元々の訴訟は李信恵の不法行為が認定され〈鹿砦社勝訴─李信恵敗訴〉が確定しています。

以下は、この「第4陳述書」を下敷きにして、訴訟用語を排し一般向けに書き直したものです。2回に分けて分載します。

◆「反差別」は李信恵らの“専売特許”ではありません

そもそも李信恵らが殊更に「反差別」を叫ぶことで、一般的には「反差別」が李信恵らの“専売特許”のように広まっています。特に朝日新聞はじめ大手メディアが李信恵を、リンチ事件に関わったことを隠し、事あるごとに持ち上げることで、李信恵がリンチ事件に関わったことが隠蔽され、闇に葬られつつあることは遺憾なことです。

確かに私たちは実際に反差別の運動や組織に関わっているわけではありません。しかし、だからといって私たちが〈差別〉について考えていないということではありません。私たちなりに考え、悩み、差別解消へみずからの身の回りから努めてきたつもりです。世の中、ほとんどの人々が“もの言わぬ大衆”で、“もの言わぬ大衆”が〈差別〉について考えていないということではありません。

また、私たちが李信恵らの「反差別」運動を批判することをもって、私たちが〈差別〉について考えていないように意図的に喧伝する者がいますが、とんでもありません。私たちはあくまでも李信恵らの“歪曲された反差別運動”を批判しているのであり、だからといって、反差別運動全般を否定しているわけでも“反差別に反対”しているわけでもありません。これまでは「あらゆる差別に反対する」とファジーに述べてきましたが、このたび勇気を持ってみずからの差別体験をカミングアウトした田所敏夫さんらの存在を明らかにすることで、私たちの差別に対するスタンス、これを元に李信恵の「反差別」の言動に対する違和感を示します。

◆広島原爆被爆二世の田所敏夫さんの想いと怒り

今回、田所敏夫さんが、陳述書を書いてくれ、また尋問に出廷することを承諾されました。

彼の〈差別〉に対する想いと怒り、感情と認識は、彼が広島原爆被爆二世という出自に基づいています。私たちは内々に聞いていて、私たちの〈差別〉に対する考え方に大きく影響しています。つい最近、彼は李信恵の提訴の一部になっている「デジタル鹿砦社通信」に於いて、2020年8月6日、広島原爆投下75年の日に公にカミングアウトしました(同通信参照。この文をはじめ田所さんは常々ペンネームの「田所敏夫」を使っていますが、これは、実生活での不利益を最大限防止するためと、大学職員時代の上司〔故人〕の、権威に屈しない精神と遺志を継承するという決意から来ています)。

広島原爆被爆者や、その二世、三世は、戦後75年間ずっと〈差別〉に晒されてきました。「マイノリティ」という、李信恵らが頻繁に使う言葉を借りれば、原爆被爆者や、その二世、三世は日本の人口からすれば「マイノリティ」です。李信恵ら在日コリアンよりも圧倒的に少数です。

田所さんは、多くの病気を罹患され、最近ではがんを罹患されています。そうした症状は、原爆被爆二世(からくる体内被曝)から来ることは容易に推認されることで、容貌にも表われています(田所さんは白内障や顔面皮膚疾患も患っており、よほど親しい間柄でない限り写真の撮影を断っていました)。

こうしたことを顧みず、李信恵を支持し連携する野間易通という者が、田所さんの本名や職歴(大学職員)などと共に顔写真を意気揚々とネットに晒しましたが、田所さん本人や私たちの怒りは相当なものでした。

野間は、李信恵同様「反差別」運動界隈のリーダー的存在ですが、彼には田所さんの人権への配慮はなかったのでしょうか? また、この際に野間と親しい李信恵や彼女の代理人弁護士(神原元、上瀧浩子弁護士)らは叱責し止めさせたのでしょうか? 当時は田所さんが広島原爆被爆二世ということをカミングアウトしないのをいいことに、やんややんやと囃し立てていたんじゃないですか?

こうしたことからしても、李信恵らが語る「反差別」や「人権」が贋物だということが窺えます。「反差別」や「人権」に名を借りたまがい物です。偽物のメッキはいつかは剥がれます。

◆田所さんらから多くを学びました

被差別者である田所さんとの付き合いで、私は多くのことを学び、くだんのリンチ事件に対する認識や関わり方に於いても参考になることも多々ありました。李信恵の言動に対する受け止め方も、彼の違和感や意見に基づいています。

田所さんは、本件リンチ事件の調査・取材に中心になって奔走してくれましたが、彼の動きは私の期待以上でした。それは、生を受けて以来〈差別〉を身を持って体感し、身に付いた〈真に差別に反対する〉という意識が、李信恵らの“歪曲された反差別運動”に対する怒りとなって、これが基になっているのではないか、と私は思っています。

田所さんに加え、私たちの周囲や、取材に協力してくれた方々には、多くの在日二世、三世の方々や被差別部落出身の方々、さらに戦後から差別を受けてきた沖縄の方々や、2011年東日本大震災での原発事故以降避難先で差別を受けている福島の方々がおられます。ほとんどの方が生活に追われ日常的に何らかの差別を受け、しかし多くは実際の運動に関わっているわけではありません。前述したように、いわゆる“もの言わぬ大衆”です。

私たちは、田所さんはじめ、上記の心ある方々に多くの意見やサジェッションをいただき、これらは5冊の出版物に反映させています。

「反差別」は決して李信恵らの“専売特許”ではありません。なにか「自分らは差別されている」と殊更強調し、だからといって、過剰に批判者に対し汚い言葉で個人攻撃したり暴力を振るっていいわけではありません。

この第2訴訟に先立つ元の訴訟では、鹿砦社に対する暴言や誹謗中傷で裁判所は李信恵の不法行為を認定しています。また、リンチ関連本弾5弾『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビア「李信恵という人格の不可思議」には李信恵の暴言の数々(のほんの一部)が掲載されていて驚かされます。さらには、リンチの最中、被害者M君が痛めつけられているのを見ても、李信恵は、“名台詞”として有名になった「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という非人間的で冷酷な言葉を言い放つ──李信恵の非人間性を表わしています。本件リンチ事件を調べていって本当に驚きました。現代の「反差別」運動は、ここまで堕落しているのか、言葉がありませんでした。

李信恵の暴言の一部。これを見て、この人が反差別運動のリーダーにふさわしいと誰が思うのか!?

後述(次回に掲載)する「八鹿高校事件」や「糾弾闘争」から変わっていないじゃないか、と率直に感じました。

そのように、本件リンチ事件についての当該出版物や「デジタル鹿砦社通信」の記事に於いて、バックには、取材に協力してくれた多くの方々という“もの言わぬ大衆”の“声なき声”を取材者が拾い上げ、それが深く反映されているものと思っています。

本来なら、運動家、特にこのリーダー格の人間こそ、“もの言わぬ大衆”の“声なき声”を汲み取り、それを代弁しなくてはいけないわけですが、果たして李信恵にその姿勢があるかどうか、ここ4年余りのリンチ事件に対する取材や被害者支援の活動から大いに疑問を感じています。

リンチ直後の被害者M君の顔写真。この写真を見て平静でいられる人はいるのか?
5軒の飲食店を飲み歩き「日本酒に換算して一升近く飲んだ」と告白した李信恵のツイート。泥酔してリンチがあったのを知らなかったと弁解したつもりだが、「語るに落ちる」とはこのことで、5軒の飲食店を飲み歩き「日本酒に換算して一升近く飲んだ」ことを自己暴露

日頃から夜な夜な飲み遊び、くだんのリンチ事件の日も前日夕方から5軒飲み歩き「日本酒にして一升」を飲んだと豪語し泥酔、日付が変わった深夜、その勢いで集団でリンチに及ぶような者にリーダーとしての品格を見て取ることなどできるでしょうか。いやしくも「反差別」や「人権」運動のリーダーたる者は、日頃からみずからを律し、飲み遊ぶ時間を自己研鑽に当てるべきでしょう。そうではないですか? 私の言っていることは間違っているでしょうか?

私はこれまで、田所さんのことは知っていても、本人がカミングアウトしていないことで内に秘めてきました。このたび期することがあって公にカミングアウトされたことに強く衝撃を受けました。

次回に掲載する〈差別と暴力〉についても、これまで部分的に述べてはいても、まだまだ不十分さが否めませんでした。

私にしても田所さんにしても、〈差別〉や〈差別と暴力〉の問題、つまりそれと密接にリンクするM君に対するリンチ事件についても、薄っぺらい“コメント”や“評論”に終始してこなかったことだけは自信があります。被差別者である田所さんは勿論、私も田所さんらに学び、徹底して取材・調査し、私の能力の限り本質的に迫ろうと努めてきたつもりです。リンチ事件は私自身の問題として関わってきたことだけは申し上げることができます。(本文中、田所さんを除き敬称なし)
                     

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書16】「黒田ジャーナル」の流れを汲む『新聞うずみ火』は、リンチ事件を黙過し耳触りの良い記事を掲載する前に、凄惨なリンチ事件に対する見解を明らかにせよ! 「黒田精神」は何処へ? 鹿砦社代表 松岡利康

前回の通信(7月8日)後、あらい商店・朴敏用が反応したようだと知人がそのtwの魚拓を送ってくれました。

7月10日付けの朴敏用のtw

「あらい商店って屋号に反応するしょーもないやつらが多い」とは私たちのことでしょうか? 私たちが「あらい商店」に「反応」するのは、リンチ被害者M君を精神的に追い詰めた村八分運動=「エル金は友達」祭りをあらい商店店主・朴敏用が主唱し煽ったからです。そうでなければ、カウンター/しばき隊の面々がたむろする飲み屋のオヤジぐらいの認識で、さほど問題にはしません。

◆「黒田ジャーナル」の流れを汲む『うずみ火』

『新聞うずみ火』は、かつて毎年戦争展を開いたり関西で多大の社会的影響力を持った読売新聞大阪社会部長・黒田清が読売内の権力闘争に敗れ(いろいろ評価はありますが私はそう見なしています)不本意ながら同社を去った後に部下の大谷宏昭と創設した「黒田ジャーナル」の流れを汲んでいます。発行部数は1500部前後と少ないながら、ある意味で関西メディア界の「名門」の流れといえるでしょう。黒田死後、「黒田ジャーナル」は解散し、大谷は矢野らと袂を分かちフリーのジャーナリストとして大阪読売本社の近くに事務所を構え活躍しています。

一方、「黒田ジャーナル」のスタッフだった矢野宏(現・株式会社うずみ火の代表兼編集長)と、のちに「黒田ジャーナル」に参画した栗原佳子(上毛新聞出身。現・『新聞うずみ火』副編集長)らは「株式会社うずみ火」を設立し大阪駅北側の古いビルに事務所を構え月刊『新聞うずみ火』(以下『うずみ火』と略記)の発行を始めます。私が「名誉毀損」事件で逮捕され勾留中の2005年暮れのことで、前回記したように、創刊メンバーで戦場ジャーナリストの西谷文和が神戸拘置所を訪れ創刊号に私のインタビュー記事を掲載しました。義理と仁義を人生のモットーとする私は、このことにより、鹿砦社再建後『うずみ火』に有料広告を毎月掲載してきたわけです。もう7、8年になります。

なお、リンチ本で私は、矢野が読売から黒田、大谷と「黒田ジャーナル」にスライドしたと従前から誤認し、「元読売新聞記者」と記載していましたが、矢野の前職は読売ではなく『日刊新愛媛』でした。この場を借りて訂正します。

◆「あらい商店」に通い詰めた『うずみ火』矢野、栗原は、店主・朴敏用が主唱した村八分運動=「エル金は友達」祭りを知っているのか?

ところで、何の因縁か知りませんが『うずみ火』の矢野、栗原は旧「あらい商店」にはよく通ったようで、これまでも彼らのFacebookなどでその様子が記載されていました。一例を挙げておきます。

『うずみ火』代表兼編集長・矢野宏(左)/あらい商店がご贔屓の副編集長・栗原佳子のFB(右)

そうして今回の朴敏用のインタビュー記事、不本意ながら閉店し再起を期してキムチの通販を始め新店舗開店を準備しつつある朴を応援しようということでしょうが、その前に朴がリンチ被害者M君にやった陰湿きわまる「ネットリンチ」「セカンドリンチ」である村八分運動=「エル金は友達」祭りについて総括した上でやっていただきたいものです。M君を支援してきた私たちとしては不快感を覚えざるをえません。激しいリンチを受けたM君が今でもその後遺症(PTSD)に悩まされているのが判っているのでしょうか!?

◆黒田清が生きていればリンチ事件に毅然たる態度をとった! 私たちの「質問書」に真摯に答えない『うずみ火』代表・矢野と、逆ギレした副編集長・栗原

生前の黒田清

黒田清という人は、私個人としては、以前に対談をいったんは承諾しつつも謝礼が安いことで断られたことがありましたが、それはそれとしても、時に独善的に見える、その強権的体質(昔風に言えば「スタ官」)は好きではありません。しかし、彼の正義感というか、悪いことは悪いと断じる性格は高く評価しています。矢野らもその黒田の性格を継承し、くだんのリンチ事件に対しても断固たる態度をとるものと思っていましたが、実際はまったく優柔不断なものでした。

ある方は、次のように述べられました。──

「今にして思えば、『うずみ火』の矢野さんらも事件の後に比較的早い段階で、あらい商店や呉光現らから自分たちに都合のいいような説明を聞いていて、鹿砦社からの話や質問に耳を傾ける気など微塵もなかったのではないでしょうか。
 コリアNGOセンターのマスコミへの売り込み方も相当なものです。
 自分たちを正義の被害者とするためになりふり構わず売り込んで、それが現時点ではうまくいっているのでしょう。」

おっしゃるとおりかもしれないですね。

ある時は、旧知のジャーナリスト・山口正紀(元読売記者)が『うずみ火』主催の講演会に来られるというので、鹿砦社社員が挨拶に伺ったところ、栗原は、何をとち狂ったのか、当社社員に対し凄い勢いで怒り狂い詰め寄ったということです。幸い傍に知人(証人!)がいたこともあり大事には至りませんでした。この頃、リンチ加害者に繋がる人物やメディア関係者らに「質問書」(別掲)を送りましたが、これに「もし黒田さんが生きておられたら、どう対応されたとお思いでしょうか? 正義感を奮って採り上げられたか、逆にずるく立ち振る舞われたか、いかがお考えですか?」(質問書)という箇所があったことが気に触ったからだったようです。

『うずみ火』への「質問書」
ヌエ的な矢野の回答書

「質問書」への回答がまだでしたが、催促し、別掲のような回答書を送ってきました。う~む、黒田精神を継承した者にしては弱いし、誠意のない、ずるい対応だと思いますが、読者の皆様はどうお感じになりますか? 生来鈍愚な私は当時さほど敏感に感じることなく、「回答してくれたんだから、まあいいか」と思いましたが、今あらためて読むと、真摯さに欠け、人を小バカにした回答です。

先の栗原佳子の横暴や、この回答書を読み、普通だったらこれで広告掲載も関係も終わったのでしょうが、人の好い私は、金銭的にさほどの負担でもありませんし、「もうしばらく様子を見るか」と広告掲載を今に至るまで続けたのでした。さすがに関係は疎遠にはなりましたが……。

しかし、専らリンチ被害者を村八分にし精神的に追い詰めることを目的に「エル金は友達」祭りを主唱した「あらい商店」経営者・朴敏用を、あたかもあれほどの村八分行為をやったことなど度外視し、まるでコロナ解雇の被害者の如く持て囃すに至り、私も重大な決断をする決意をしています。遅きに失したかもしれませんが……。

ところで、黒田が生きていたら、どういう態度をとったでしょうか? 黒田の性格、正義感から、リンチやこの加害者らに対しきっぱりした態度をとったとのではないでしょうか。矢野や栗原らが真に黒田精神を継承するというのであれば、リンチという不浄な蛮行に対しては毅然とした態度をとるべきではないのか!? ここでも、私が言っているのは間違っていますか? はっきり答えよ!

ちなみに、講師として講演した山口正紀は、さすがに元新聞記者、その時までリンチ事件を知りませんでしたが、みずから調べM君訴訟で詳細かつ適格で長文の「意見書」まで書いてくれたのでした。ジャーナリストたる者、こうでないといけません。

矢野の回答に対する取材班のコメント(リンチ本第2弾『反差別と暴力の正体』より)

◆「鹿砦社、潰れたらええな」だって!?

呉光現の名誉毀損ツイート

さて、『うずみ火』に幾つか問題のある人物の記事が大きく掲載されています。

まずは、呉光現(オ・グァンヒョン。日本聖公会生野センター総主事/在日本済州4・3犠牲者遺族会会長)。この人はキリスト教団体の幹部ということですが、宗教が決して人格に影響しないことの見本のようなツイートをしています。「鹿砦社、潰れたらええな」だって!? 「文句あったら言ってこいやあ」だって!? 

そう言うから、かの香山リカの「どこに送ったか、ちょっと書いてみては?」と同じく、取材班スタッフが抗議したところ、あえなく謝罪し撤回。鹿砦社に限らずひとつの会社を「潰れたええな」と非難するなど問題ありと判断、鹿砦社として、彼が所属するキリスト教団体上部組織に正式に抗議の内容証明を送ろうと考えましたが、謝罪、撤回したので、心優しい私たちはこれ以上の追及はやめた次第です。

3ページにわたり呉光現が登場する『うずみ火』2018年5月号

◆リンチ事件解決に日和見主義的態度をとり続ける「コリアNGOセンター」を弾劾する!

コリアNGOセンターは、李信恵による「保守速報」らネトウヨに対する訴訟の事務局となり、郭辰雄(カク・チヌン。代表理事)、金光敏(キム・グヮンミン。事務局長)の2人はセンターの執行部を務めています。

リンチ直後には、李信恵ら加害者に対して事情聴取を行っています。当初は、李信恵らに「謝罪文」を書かせたり、それなりに常識的な態度をとり「中立」的立場をとっていたようですが、次第に日和見主義的態度をとり明確に加害者側に立つようになっていきました。

ですから、リンチ事件の真相究明のためにも解決のためにもコリアNGOセンターがどう対応するかが極めて重要だと考え、その2人には各々「質問書」と本を数度送り、その考えを聞こうとしました。

しかし、金光敏は電話取材に応じましたが、郭辰雄はナシの飛礫で一貫して無視しました。コリアNGOセンター、とりわけ幹部の2人が血の通った人間として対応し続けたら、事件の解決も可能だったと私は思っています(甘いかな?)。

なぜ、コリアNGOセンターは日和見主義的対応をとり続けたのでしょうか? 李信恵に弱みを握られているのでしょうか? 私たちが与り知らぬ利害関係があるのでしょうか? あなた方がしっかりしないから、訴訟は中途半端な形で終結したとはいえ、本質的解決には至らないのです。本質的解決には至らないとは、リンチ事件を起こした者たちも、その隠蔽に加担した者らも、M君を誹謗中傷した者らも何ら事件を反省せず、畢竟しばき隊/カウンターやその周辺の社会運動において今後同様の、あるいはもっと取り返しのつかない暴力事件が起こり得るということです。そうではないですか?

そうした中で、『うずみ火』は能天気に2人についてページを多く割きレポートを掲載しています。ジャーナリズムの大義に立ち、真に黒田精神を継承すると言うのなら、こんな偏頗でキレイ事ばかり書き記すのはやめるべきでしょう。

3ページにわたりコリアNGOセンター代表理事・郭辰徳が登場する『うずみ火』2020年1月号(左)/同じく3ぺージにわたりコリアNGOセンター事務局長・金光敏が登場する『うずみ火』2019年9月号(右)
取材班と金光敏との電話のやり取り
同上

矢野さん、栗原さん、あなた方が「反差別」とか「人権」を声高に叫ぶのであれば、リンチ被害者M君を村八分にし、一人の大学院生の人権を物理的に暴力で痛めつけた凄惨なリンチについて、また事後、社会的地位のある者らが多数関与し事件の隠蔽と被害者への不当極まる誹謗中傷が繰り返されたことについて、彼らがとった態度をまずしかと見据え、その上でインタビューなどやればいいでしょう。

また、あなた方も、私たちが投げかけたM君リンチ事件の内容を知り、もっと人間的な対応をとるべきではないでしょうか? すでに5冊のリンチ関連本も送っているので、知らないなどとは言わせません。黒田清の遺志を継ぎ黒田精神を体現するというのは、歯の浮くようなキレイ事を言うのではなく、身近に起きた具体的事件に対して毅然たる態度をとることから始まるのではないでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか? 答えてください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

4月から始めたこの連載も16回が済みました。M君の訴訟は一応終わりましたが、鹿砦社が抱える2つの対カウンター/しばき隊訴訟(対李信恵、藤井正美)は、このかんのコロナによる非常事態で一時休戦状態に入ったとはいえ、まだまだ続きます。それら訴訟の報告はじめリンチ事件の検証と総括を行うため、この連載も不定期ながら続けていく所存です。ぜひ続けてお読みください。(本文中敬称略)

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【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書15】 リンチ被害者M君を村八分にした「エル金は友達」祭りの首謀者・朴敏用が「あらい商店」再開! 再びしばき隊/カウンターの根城構築か?  鹿砦社代表 松岡利康

私の会社・鹿砦社が、ここ7、8年広告を出している月刊『新聞うずみ火』(代表・矢野宏)7月号が届き、ざっと開いてみて驚きました。別掲の通りですが、ここに見開き2ページに渡りインタビュー記事が掲載されている「あらい商店」と、この経営者・朴敏用(パク・ミニョン。日本名・新井俊秀)は、私たちが被害者救済・支援と真相究明に携わってきた「カウンター大学院生リンチ事件」に深く関わっているからです。

『うずみ火』ともあろうものが、あろうことかリンチ事件に深く関わっている者を大きく採り上げるとは……『うずみ火』代表・矢野宏には質問書も送り、リンチ本5冊も発行の都度送ってきました。私たちがこのリンチ事件の被害者M君救済・支援と真相究明に携わってきたことを知らないわけはありません。矢野さん、そうではないですか?

『うずみ火』については別途記述いたしますが、元読売新聞大阪社会部出身の黒田清(故人)が始めた「黒田ジャーナル」の流れを汲み、創刊は『紙の爆弾』と同じ2005年。その創設メンバーの一人、西谷文和が、神戸拘置所に勾留中の私に面会に訪れ、この記事が『新聞うずみ火』創刊号に掲載されました。西谷とは、彼がまだ大阪・吹田市の公務員で、その労組の雑誌に寄稿して以来面識がありました。この恩義もあり、鹿砦社が再起して以来、長年広告を出してきました(『うずみ火』に毎月有料広告を出しているのは鹿砦社のみ)。だからといって内容に口出ししたこともありませんし、くだんのリンチ事件に多少なりとも関わっている者(コリアNGOセンター理事・金光敏ら)が登場しても、これを詰ったこともありません。しかしあらい商店・朴敏用の場合は違います。「『うずみ火』も遂にしばき隊化したのか」との感が否めません。

矢野さん、なんだよ、このインタビュー記事は!? あなたも「反差別」とか「人権」とか言うのなら、朴敏用が首謀者となってリンチ被害者M君に行った村八分行為「エル金は友達」祭りの事実をきちんと踏まえた上でインタビューを行い記事を書くべきではなかったのか? 村八分が差別行為だということは分かっていますよね? 冒頭に記したように、『うずみ火』には、リンチ本は発行の都度送っていますしリンチ本の広告も出していて、知らないわけはないでしょう。知らないなどとは言わせません。朴敏用について耳触りの良い内容の一方で、度し難い村八分行為を黙過しているのなら偏頗な内容と断じざるをえません。

『新聞うずみ火』2020年7月号

◆リンチ事件に至る道程は「あらい商店」から始まった!

私たちが「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、一般に「しばき隊リンチ事件」といわれる集団暴力事件は、かつて「十三(じゅうそう)ベース事件」と呼ばれていました。これは、リンチの舞台が、大阪・十三のホルモン料理屋「あらい商店」で行われたと噂されていたことから発しています。

その後、この事件の全貌が私たちの真相究明の中で明るみに出るに従い、リンチが大阪最大の飲食店街「北新地」で行われていたことが明らかになり「十三ベース事件」は死語になっていきました。

しかし、このリンチ事件は、2014年12月16日、この日は李信恵が「保守速報」らネトウヨを訴えた民事訴訟の弁論の日で、これが終了し、李信恵ら5人はまず「あらい商店」から始め5軒目の北新地のワインバーに至るまで泥酔するほど飲み歩いています。リンチ事件は、日付が変わった17日深夜に起きました。

泥酔した李信恵らはM君を呼び出し激しいリンチを加えたのです。一説には、リンチの謀議をあらい商店で行ったと言った人もいました。リンチ事件はあらい商店で起きたのではありませんが、李信恵ら5人は、このあらい商店から飲み歩きに出発したのです。

また、あらい商店は、カウンター/しばき隊のメンバーらがたむろする根城になっていたことは自他共に認めるものです。有田芳生参議院議員は、なぜかリンチ事件の翌日に訪れています。このことはじめ、有田議員には、四国の自動車販売会社社長・合田夏樹脅迫事件への関与など聞きたいことが山ほどありますが、頑なに取材を拒否していますので確認は今のところできていません。国会議員たる公人は、合田脅迫事件に自らの宣伝カーが使われたという疑惑や、「反差別」運動の中心メンバー5人が行った集団リンチ事件について説明責任があるというのは当然です。私の言っていることは間違っていますか? 有田は「鹿砦社には答えない」と言っていますが、じゃあ鹿砦社以外の者がたずねたら答えるのか? どうですか?

あらい商店の経営者・朴敏用は、カウンター/しばき隊の中心メンバーと言ってよく、娘もかのSEALDs KANSAIの活動家で、名を出してメディアにも登場しています。あらい商店の屋号は、日本名の「新井(あらい)」から名づけているものと思われますが、朴みずから言っているように客を選び、客のほとんどはカウンター/しばき隊界隈の人間だったようで、いきおい一般の客は寄せ付けなかった、あるいは寄り付かなかったのではないでしょうか。あらい商店は、有田議員ら“上客”を常連としつつも3年半ほど前に潰れましたが、このことが要因になっているものと考えられます。

あらい商店閉鎖後、朴は、ある焼肉屋に就職しますが、これもみずから言っていますが厨房でタバコを吸っていて先輩に叱られたということで、勤務態度には疑問符が付くようです。このたびのコロナによる休業で解雇されたということですが、そんな勤務態度だと経営者としては渡りに船だったのかもしれません。

◆朴敏用が主唱した「エル金は友達」祭りとは?

朴敏用について、どうしても忘れられないのは、2015年5月初頭の「エル金は友達」祭りです。これは、朴敏用が主唱しカウンター/しばき隊関係者ぐるみで行ったもので、リンチの実行犯・エル金こと金良平は友達と多人数で発信することで、被害者M君に対し「お前の味方は誰もいない」と見せつけ、M君を村八分にするという陰湿極まる「ネットリンチ」「セカンドリンチ」でした。

M君いわく、「これだけ多くの人物らが自分一人に対し悪意を向けているのか……」と精神的にかなり参ったというものです。かつての仲間だった多くが「エル金は友達」祭りに加担し、M君は「あいつも」「こいつも」と仲間外れされ追い詰められていったそうです。この時期ITOKENこと伊藤健一郎(当時大学院生)が悪名高い「説明テンプレ」をカウンター/しばき隊関係者に送り共有し、M君を悪者にでっち上げる口裏合わせの済んだ後のことですから、「エル金は友達」祭りの参加者相互にM君に対する悪意が共有されていたと考えて間違いないでしょう。

「エル金は友達」祭りに加担した者はかなり多数にわたりますが、なかには、例によって中沢けい、金明秀らの名もありました。

朴が、「エル金は友達」祭りを主唱し、エル金やリンチ加害者らを応援しても、店の売上に貢献し経営を応援してくれる仲間はいなかったのか、旧あらい商店は2016年10月末日に閉店となります。有田芳生や中沢けい、伊藤大介ら高額所得者は金銭的応援はしなかったのでしょうか? 「エル金は友達」ならぬ「あらい商店は友達」なら、閉店するかどうかの正念場にはポンと50万円、100万円出して助けてやれよ。

リンチ被害者M君を村八分にした「エル金は友達」祭り。これに参加した者の人権感覚を問う!
同上
同上

◆「あらい商店」再開後は以前の言動を反省し、特に衛生面には留意してください! 

旧「あらい商店」厨房内でふざける朴敏用(左)と野間易通(右)。朴の後ろに吸い殻山盛りの灰皿が見える

朴は解雇後、キムチの製造・販売(通販)に乗り出し、遂に物件の契約も済ませ店舗の再開に漕ぎ着けようとしているということで慶賀の至りです。早速、西岡研介や中沢けいらがエールを送っています。まだオープンしていませんが、再開後は、以前の反省から、客を選んだり仕事中に厨房でタバコを吸ったりせずに広く愛される店になってほしいものです(以前のあらい商店の写真を見ると、調理台の上に吸い殻が山盛りになった灰皿が無造作に置かれているのが確認できますが、これも飲食店としては大いに問題があると言わざるを得ず、新店舗では、こうしたことも改善してくれるものと期待します)。

ところで、キムチの製造・販売(通販)ですが、値段は高くはありませんか? 相場よりちょっと高いんじゃないかとの声も聞かれますが、従前からの競合業者に割って入るには、まず値段が問題、高いと勝てません。いやいやオレには有田先生や中沢先生ら高くても買ってくれる人がいっぱいいる……とか思っているのかな? 有田先生、中沢先生、大量注文お願いしますね。

読者は目敏い! 吸い殻山盛りの灰皿を拡大しツイート

また、「食品衛生法」とか、こちらはクリアしているのでしょうか? キムチは、自宅の台所で製造して自家用とするのは問題ないとして、素朴な疑問ですが、対外的に販売用に製造するのには保健所の許可など要らないのでしょうか? 

「食品衛生法」は、かなり厳しく、対外的に販売用に家庭の台所で製造することはできないとされていて、「住居部分と完全に区画された専用の製造施設、販売施設が必要です」と定められていますし、また「容器包装に入れられた加工食品は正しく表示しなければ販売できません」と記されています。「正しく表示」していますか?

当初からあらい商店の通販サイトを見ていると、そうしたことは明示してありませんし、そんなことなど眼中になく製造と販売(通販)を始めたように思われますが、問題ないのでしょうか? 問題ないのならいいんですが、くれぐれも衛生面には留意し(作業中にタバコなど吸ったらいけません!)、食中毒とか出さないように頼みますよ。

あっ、それから、再開前にすでに仲間内で齟齬も発生しているようです(別掲画像参照)。なにか新生「あらい商店」の近未来を予兆させる齟齬です。商売人、特に飲食関係なら、もっと鷹揚に対応してほしいものです。(続く。本文中敬称略)

新生「あらい商店」の近未来を予兆させる齟齬

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【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書14】 闘いはまだ終わってはいない!(12) 平気で嘘をつく人たち(5) ~ 香山リカの場合 鹿砦社代表 松岡利康

私は、このかん標記の「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」の検証と総括作業に取り掛かっています。このブレーンストーミングを兼ねて、くだんのリンチ関連本5冊や「デジタル鹿砦社通信」の記事などを読み直し、資料を整理してきました。この作業の一端として4月からこの連載をやって来ました。

誰が撮ったか、ネットに出回る香山リカの雄姿!怖い!

今「平気で嘘をつく人たち」について記述していますが、やはり忘れてならないのが香山リカでしょう。彼女が鹿砦社に対して行った誹謗中傷ツイートはひときわ多いです。

本来なら名誉毀損で提訴するところ、今のところは対李信恵、対藤井正美との訴訟に集中するためにペンディングにしていますが、決して諦めたわけではありません。

「売られた喧嘩は買う!」「挑発には乗る!」を信条としてきた「棺桶に片足を突っ込んだ爺さん」(by藤井正美)としては、このままでは終われません。ここでは、香山のツイートを幾つか挙げてコメントしておくに留めます。

「ガチャ切り」されたとの大ウソ!

◆鹿砦社取材班が電話を「ガチャ切り」した!?

香山には、他のリンチ隠蔽に関わったと推認される者らと同様、質問書を送っています。当初は、自宅住所が把握できませんでしたので大学宛に郵送し回答がないので、彼女が業務委託している事務所に電話しました。ところが、「ガチャ切り」されたなどとの事務所の者の言葉か、香山自身が盛った言葉かわかりませんが、そうツイートしています。

しかし、これはウソです! 取材者は「ガチャ切り」などしていませんし、終始慇懃丁寧に対応しました。これは音声データがありますので、香山のツイートがウソだとわかります。

だってそうでしょう、相手が録音しているかもしれないのに「ガチャ切り」などするわけがありません。取材者は鹿砦社本社から電話しましたが、この場に私もいて聞いていましたので間違いありません。あまりに稚拙なウソです。

◆質問書を「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」というから素直に書いてみましたが……

次は、鹿砦社のツイッターアカウントが一時止められ有名になりましたが、質問書を「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」というから、素直に応じ送った住所を答えました。この頃には、各方面からの情報提供もあり自宅住所も把握でき直撃取材するかと思っていたところでした。

ところが香山は、自らの挑発に私たちが率直に対応したことに慌てふためき、神原元弁護士に連絡し助けを求めたのでした。香山先生、あなたが「どこに送付したか、ちょっと書いてみては?」と言ったんじゃなかったんですか!? 

[左]「どこに送付したかちょっと書いてみては?」というから書いてみました。[右]慌てふためいて守護神・神原元弁護士に事態収拾を依頼

◆鹿砦社が裁判を起こし「小口ビジネスモデルに活路を見出した」という大ウソを捏造した香山の「責任は重い」!

「小口ビジネスモデルに活路を見出した」?

さらに香山は、創業50年にわたり一貫として出版社としての矜持を堅持して出版活動を継続してきた鹿砦社に対し、あろうことか、「『裁判を起こす→支援者からカンパで費用を集める→本を出して支援者に買わせる』という小口ビジネスモデルに活路を見出したのだろうか」などと倒錯した記述をしています。

「カンパで費用を集める」? 「本を出して支援者に買わせる」? M君裁判は、あえて鹿砦社は費用は出さず、広く心ある皆様からのカンパで賄いましたが、そのカンパを鹿砦社が流用し、これで本を出したことは断じてありません。会計報告を出さず資金の行方に疑問譜が付く「李信恵さんの裁判を支援する会」と違い、M君裁判支援会では、弁護士が管理し、皆様方の前に収支を報告しています。

作った5冊の本の費用は鹿砦社が出しカンパ金は1円も使ってはいません。また、本は、広く関心のあるみなさんには任意で買っていただきましたが、(半)強制的に「支援者に買わせる」ことなどしてはいません。むしろ、取材や支援会運営に協力してくれた者には献本しました。さらに鹿砦社 vs 李信恵/藤井正美訴訟の費用は、M君訴訟へのカンパは1円も流用せず、全て鹿砦社自身の資金で遂行しています。

「小口ビジネスモデル」? いい加減なことを言わないでください。香山による、このツイートは鹿砦社に対する度し難い名誉毀損です。

◆私たちに「しつこく嫌がらせをされ続けている」とウソを公言している香山の「責任は重い」!

「お金取り尽くしたらそれで終わり」? 失礼なことを言わないでください!

香山の“毒舌”は続く──「その後しつこく嫌がらせされ続けている。私だけではない。今日、高裁でそれは『リンチ』ですらなかったと確定した。鹿砦社の責任は重い。」

私たちにいつ、どのような「嫌がらせされ続けている」のでしょうか? 具体的に明らかにしていただきたいものです。私たちは、あくまでも取材の範囲内でのアプローチであると認識していて「嫌がらせ」などやったことはありません。このかん特ダネを連発している「文春砲」の足元にも及びません。

裁判所は、判決文のどこに「『リンチですらなかった」と書いていますか? リンチがあったからこそエル金こと金良平らに罰金(刑事)や賠償金(民事)を課したのではないですか? リンチ被害者M君のリンチ直後の写真をしかと見よ! リンチの最中の音声データを聴け! 凄絶な殴る音を聴いて、香山先生、どう感じますか?

「鹿砦社の責任は重い」だって?── 私たちは(少なくとも私は)出版社(者)としての「責任」から、このリンチ事件の被害者救済/支援と真相究明に乗り出しました。これはリンチという現実に直面した時に、一人の血の通った人間として、また出版人の末席を汚す者として、私(たち)の選択は正しかったと今でも思っています。みなさん、そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか?

香山こそ、リンチ事件の隠蔽に加担し、逆に私たちの真相究明の作業に茶々を入れたり、「小口ビジネスモデル」など、ありもしないことを公言したりし、私たちを誹謗中傷し名誉を毀損しました。その「責任は重い」と断じざるを得ません。

「しつこく嫌がらせされ続けてる」というウソをつく香山先生の「責任は重い」!

◆高橋直輝こと添田充啓の死についても香山らの「責任は重い」!

同志・安田浩一と(沖縄にて取材班撮影)

最後にもう一言。高橋直輝こと添田充啓が、死因不明で亡くなり2年が経ちました。香山先生、三回忌はされましたか?

高橋(添田)は、執行猶予中で沖縄に、まさに“鉄砲玉”として送られ逮捕、勾留されました。精神的に追い詰められていたとも耳にしましたが、事実はどうなのでしょうか? 

高橋(添田)の死因が、彼を精神的に追い詰めたことにあるのならば、香山やしばき隊界隈の者らの「責任は重い」と言わざるをえません。

香山は精神科医として、精神的に病んだとされる高橋(添田)に親身になって寄り添うべきではなかったのか、この意味でも香山の「責任は重い」と言わざるをえません。(本文中敬称略)

この連載は今後も続きます。次回は、最近明らかになった“あること”に対し怒りを持って糾弾します。

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【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書13】闘いはまだ終わってはいない!(11) 平気で嘘をつく人たち(4) ~ 師岡康子の場合 鹿砦社代表 松岡利康

朝日新聞・北野隆一編集員渾身の連載、6月19日は第5回目で、これでお終いということです(やれやれ)。

師岡康子弁護士

最後を飾るのは、カウンターの東の理論的支柱で『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波書店)の著書もある師岡康子弁護士です。

師岡登場となると、私としては、やはり一言申し述べておかねばならないでしょう。

師岡、外面的なイメージは悪くはなく、カウンターのスポークスマンとして記者会見にもよく出ています。

しかし、M君リンチ事件について取材班からの質問書はことごとく無視、やむなく電話取材を試みたところ、記者会見での堂々とした態度とは異なり、逃げの一手でした。

師岡との電話のやり取りを再録しておきましょう。──

朝日新聞6月19日夕刊

師岡 はい、もしもし。
── お邪魔いたします。師岡先生の携帯電話で間違いございませんでしょうか?
師岡 はい、師岡です。
── お忙しいところを申し訳ございません。先生に鹿砦社から、郵送で『ご質問』を送らせていただいていると思うのですが、ご覧いただきましたでしょうか?
師岡 あの~、この携帯電話番号は、どちらで聞かれたんでしょうか?
── 取材の情報源は秘匿しなければいけないので、申し訳ございませんが、それは申し上げられません。
師岡 ああ、そうですか。
── はい。
師岡 ちょっと、あの~対応する気はありませんので。
── (『ご質問』は)ご覧はいただいているのでしょうか? 郵送したものは。
師岡 それについてもちょっとノーコメントで。
── 一応レターパック便で送らせていただいておりますので、こちらで届いたという記録は残っているのですけれども(注:レターパックは質問者の誤認で、正確には普通郵便)。
師岡 ええと、あの~私のほうでちょっと対応する気がありませんので、失礼します。
── 対応なさるおつもりがないと……。」(第3弾『人権と暴力の深層』より)

リライトは全然改ざんなどしていません。これを見て読者のみなさんは、私たちがいかに丁寧かつ穏やかに取材したかがイメージできるでしょう。どこに「恐怖」を感じるというのでしょうか?

なぜ、私たちは師岡に対して質問書を送り回答を求め、リンチについての意見を求めたのでしょうか──それは、カウンター運動の理論的支柱として著書もあり、そのスポークスマンとしての役割をし、たびたびマスコミに登場していること、それから、例の「師岡メール」といわれる書面の存在がささやかれていてリンチ事件隠蔽活動の一端を担っていたと推察されたこと、隠蔽のための会議(例えば辛淑玉文書への対応のため)を師岡の事務所で行ったとの情報が入ったこと等によります。「ヘイトスピーチ」を糾弾しながら、それでいてリンチ被害者M君への、カウンターやしばき隊メンバーらによる、まさに〈ヘイトスピーチ〉やネットリンチ、村八分行為を是認(黙認)してきたキーマンとして、ここはぜひ師岡の意見表明を求めなければならないと考えたのです。

「師岡メール」は、第5弾本を出すまで遂に見つけることができませんでした。存在の真偽もあやふやでしたし、『もうないのか』と思っていたところ、第5弾本出版直後、メールの相手・金展克みずからが暴露したのです。

予想した以上の衝撃でした。『やはり本当だったんだ』と思い、金展克はなんでもっと早く公にしてくれなかったのか、と金展克が秘してきたことを嘆いたものです。「師岡メール」がもっと早く公になっていたならば、リンチ事件をめぐる転回もM君の訴訟も、もっと違ったものになっていたとさえ思いました。こういうA級資料は、タイムリーに出さないと効果半減です(金展克さん、聞いてるか?)。

師岡は「人権派」の看板とは裏腹に、トンデモないことを金展克に求めています。歴史に残るほどの内容です。すでにこの連載の「7」(6月8日掲載)でも掲載し私見を申し述べておりますが、あらためて再録しておきますので、とくとご覧ください。これが「人権派」と持て囃される弁護士がやることか!?(喝)

いわゆる「師岡メール」

ヘイトスピーチ規正法の成立のために、凄絶なリンチ被害者M君を黙らせ泣き寝入りするように金展克に説得させようとしています。師岡は、リンチの被害者が刑事告訴すれば、「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たち(注:李信恵ら)を権力に売った人、法制化のチャンスをつぶしたという重い批判を背負いつづけることになります。そのような重い十字架を背負うことは、人生を狂わせることになるのではないでしょうか。」と言っています。

頭の中が倒錯していると言わざるをえません。「重い十字架を背負う」のはリンチ加害者の李信恵らでしょう。盛り上がってきた反ヘイトや反差別の運動に水を差したのですから。リンチ事件は、そうした運動の盛り上がりを「破壊」するに足る蛮行ですから、リンチの加害者が「反レイシズム運動の破壊者」というのならまだしも、なんでリンチ被害者が「重い十字架を背負」い「反レイシズム運動の破壊者」になるのでしょうか? そうならないために泣き寝入りを求めるとは常識的には到底考えられません。

この「師岡メール」、李信恵の「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という“名台詞”と同じぐらいの歴史的“名文”だと思います。みなさん、心して熟読されたい。

私は、この4年余り、全くの白紙の状態から、カウンターとかしばき隊とかいう人たちの「反差別」運動、その主な担い手の言動を見てきました。差別問題については、私なりに若い時から体験したり見聞きしてきました。いつかあらためて書き綴っておこうとも思っていますが、例えば、学生時代1年下の在日の学友と深夜飲んで騒ぎ自転車に二人乗りして警官に呼び止められ、私はすぐに解放されたのに、彼は延々長時間拘束され、幸いそれ以上にはなりませんでしたが、釈放後の彼の悄然とした表情が忘れられません。

また、これもこれまで公には話してはいませんでしたが、かの「八鹿高校事件」に先輩が巻き込まれたことがありました。彼は解放同盟(以下解同)側にも逆の側(共産党系)にもつかない立場を取り、どちらからも責められています(かつて共産党系のライターが書いた、この事件についての本に解同による暴行の被害者に実名で記されていたのを発見し驚きました)。これ以降、解同による激しい糾弾闘争が先鋭化していきました。

こうした事件から、私なりに差別について長年考えてきました。悩んでいた時期にアドバイスいただいたのは、師岡佑行(故人。歴史学者、元京都部落史研究所所長。同じ「師岡」でも師岡康子とは関係がないと思われますが、一時、師岡佑行の父親か縁者ではないかと思ったこともありました)と土方鉄(故人。作家、『解放新聞』元編集長)でした(お二人には対談していただき、これは記録として残っています)。お二人は、いわゆる「糾弾闘争」を批判されていました。

そうした中で、くだんのリンチ事件に遭遇し、現今の「反差別」運動の実態を具体的に知り、驚くと共に義憤、悲哀を感じました。全然進歩していませんし、逆行しているではないか、というのが長年、私なりに差別について考えてきたことからする感想でした。さらに悪いことには、このリンチ事件が起きたことを、真正面から真摯かつ主体的に対応するのではなく、事件をなかったものにしようと隠蔽活動に精を出しています。

本来なら、師岡康子らのような中心的な人物が率先して、人間的な解決の指揮を執るべきではなかったのか? 前田朗の言葉を借りれば、「今からでも遅くない」、真正面から真摯かつ主体的に対応することが必要ではないのでしょうか? 何度でも繰り返します、私の言っていることは間違っていますか?

この朝日の5回連載の執筆者の北野隆一、ちょっと調べてみると“確信犯”だったことが判明しました。けっこう執拗な取材もやり、かの小林よしのりのマンガにもなっているそうですが、北野さんもこれをお読みなっているのなら決して逃げないでください。関西の朝日の記者らは、都合が悪くなると「広報を通してくれ」と逃げましたが、北野編集委員についてはそういうことはないと信じます。今、調査・取材を始めましたので、後日、あらためてこの「通信」にて記述したいと考えています。(本文中敬称略)

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