【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書2】みんなグルだった!? 鹿砦社代表 松岡利康

直近の大きなニュースの一つは、東京高検トップ・黒川弘務(元)検事長の賭けマージャンスキャンダルでしょうか。そしてその賭けマージャンに産経新聞記者2人と朝日新聞社員(元検察担当記者)が同席していて、これが常習化していたそうです――また朝日新聞か! 

朝日といえば、先立って阿久沢悦子記者(大阪社会部から現在静岡総局)にまつわることを報じたばかりです。特段朝日を嫌いではありませんし、自宅で購読しているのは朝日ですが、15年前の「名誉毀損」出版弾圧事件での官製スクープ以来、くだんのリンチ事件での司法記者クラブ所属記者や朝日本社広報の対応(詳しくはリンチ本第4弾『カウンターと暴力の病理』を参照してください)など、なにかと因縁があります。そのどちらも私が悪いわけではありませんが、阿久沢記者、それに大阪社会部記者らには、とても日本でトップクラスの大新聞の「ジャーナリスト」とは思えない振る舞いに煮え湯を飲まされてきましたが、「またか」という思いが尽きません。

ちなみに、こういう大手新聞社・通信社の記者や社員が起こした事件を報じる場合、なぜか実名を出しませんが、いつも疑問に思っています。マスコミは「第四の権力」ですから、「第四の権力」者は(準)公人と言ってもよく、こんな大スキャンダルですから実名を出すべきでしょう。一般市民がささいな事件を起したら簡単に実名や住所(さすがに番地までは出しませんが)など掲載するのに、です。逆じゃないでしょうか?

さて、私が阿久沢記者を許せないのは、村八分状態にあったリンチ被害者M君が孤立していたさなか、あたかも味方のように近づき精神的にも弱っていたM君を弄んだからです。阿久沢記者は、自称「浪花の歌う巨人」ミュージシャン趙博をM君に紹介し、挙句趙博は、当時まだ公にされていなかったリンチ事件の貴重な資料を入手し、その後M君や、M君支援に関わり始めたばかりの私たちを裏切りました。私たちは趙博に直接裏切られましたので、彼がいろいろな運動や組織に近づき、いかがわしい動きをしていることに不信感を抱かざるをえません。私たちは彼に直接裏切られたのでハッキリ言いますが、「趙博に気をつけろ!」

 

阿久沢記者について、調べていくと、「ん、っ!?」と思わざるを得ない写真が出てきました。阿久沢記者の隣にはリンチ事件隠蔽のA級戦犯の一人・北原みのり、そしてリンチ事件隠蔽の表には登場しませんが、取材により関与が疑われた谷口真由美、また井戸まさえ(元衆議院議員)、らが写っています。

「石原燃さんの『白い花を隠す』の再演を池袋に観に行きましたら、井戸さん、谷口さん、北原さん、中安さん、なつきちゃん……知り合いがぞろぞろと客席に……いやー、びっくりしました」ということです。「いやー、びっくり」したのは私のほうです。なあんだ、みんなグルだったのでしょうか。極めて不愉快です。

谷口真由美が、リンチ事件について、あちこちで嗅ぎまわっているという噂がありましたので、「なぜだろう?」と思っていましたが、この写真で合点がいきました。

4月28日は、対李信恵第2訴訟、対藤井正美訴訟の期日でしたが、コロナウイルスによる非常事態宣言で延期になりました。どちらも代理人は神原元弁護士ですが、これらの裁判のために東京からやって来る神原弁護士のために、私たちなりに配慮して同日に開くことに同意しています。べつに配慮してやらなくてもいいんでしょうが、余裕です(笑)。他にも李信恵が高島章弁護士を訴えた訴訟も神原弁護士が代理人を務めていますが、これも同日で、神原弁護士は1日にダブルヘッダーならぬトリプルヘッダーで大車輪のご活躍です。

 

次のリンチ関連書籍や陳述書の準備のために、静かで長かったGW中にこれまでの資料などを整理していくと、新たに分かったこともありました。

M君の“元上司”に高橋直輝こと添田充啓という男がいましたが、不審な亡くなり方をして、もうどれほどになるのでしょうか。添田は「しばき隊」の中でもゲバルト部隊の感のある「男組」のトップで「組長」といわれていました。M君は添田の部下でしたので、添田への直撃取材も敢行しようとしていました。

添田と一緒に親しげに写っている著名人の写真が出てきました。あれっ、佐高信、社民党党首・福島みずほさんではないですか? 

 

福島が関わった集会のフライヤーも出てきました。この集会の司会は池田幸代(元福島みずほ秘書)、出席者に辛淑玉、金平茂紀、福島みずほらがいましたが、この集会の直後、執行猶予中でありながら、添田は、いわば“鉄砲玉”として沖縄に派遣され逮捕、のちに有罪判決を受けます。

その後、精神的に病んだという噂も耳に入ってきていたところ、謎の死を遂げます。しかし、死亡の報も、実際になくなってからずいぶん経ってからしばき隊の中心人物の一部から漏らされましたが、死の真相は公にならないまま現在に至っています。3回忌とか弔いの儀式などやったのでしょうか? 本当にこれでいいのでしょうか? 添田の死は「死人に口なし」でM君リンチ事件真相究明のためにマイナスになりました。

口封じのために殺られたとか精神的に追い詰められ自殺したとか……あれこれ噂が耳に入ってきていましたが、常識的に言って、添田を死に追い詰めたものは何だったのか、解明しないといけないのではないでしょうか? 

また、彼をやんややんやと煽り立て沖縄に派遣した辛淑玉、金平茂紀、福島みずほらは何を考えているのか、所信を表明すべきではないでしょうか? そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか?

 

その後、しばき隊は沖縄にはどう関わっているのか、これもどうなっているのでしょうか?

くだんのM君リンチ事件それ自体にも、その添田死亡のようにリンチ事件周辺にも不思議なことが少なくありません。

私たちが全く白紙の状態からこのリンチ事件の被害者支援と真相究明に関わってきて、多くのことを反面教師的に学んできました。一番疑問に思ったのは、朝日の記者ら「ジャーナリスト」らの醜態、かつては講演などにも招いたこともある池田香代子ら「知識人」のでたらめさです。

池田香代子は、ご存知のようにアウシュヴィッツの実態を記述したフランクルの『夜と霧』の新訳を出しています。学生時代に旧版を読んで衝撃を受けました。私よりも上の世代にとっては必読本でした。この頃、必読本は多く、一知半解ながら読み、このことが今になっても活きていると思います。

池田にとってアウシュヴィッツとは何なのか? アウシュヴィッツとは、ナチスによるユダヤ人大虐殺があった強制収容所ですが、これはもちろん他人事ではありません。われわれの心の中にも潜在的にアウシュヴィッツ的なものはあり、これと不断に対決していかなければなりません。池田さん、あなたは『夜と霧』を翻訳する過程でアウシュヴィッツがどのようなものか理解されたと思いますが、アウシュヴィッツ的なものはあなたの心の中にもあることを自覚すべきでしょう。

収容所の中で虐殺が行われていたことはドイツの国民や周囲の住民らは知っていたかうすうす感じていたとされますが、これをくだんのリンチ事件に当てはめると、池田らしばき隊に近い者たちは知っていたと推認され、だからこそ真相をたずねようとすると逃げ出したり沈黙したり、逆に開き直ったりするのでしょう。ここにアウシュヴィッツ的なものを感じますが、逃げ出すことなく事実を見つめアウシュヴィッツ的なものやリンチの思想と主体的に対決していかなければなりません。特に池田香代子にはその責任があります。

このかん資料を整理し書き連ねてきたことを、今後数回にわたり分載していきます。(文中敬称略)

◎松岡利康【「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書1】朝日新聞・阿久沢悦子記者の蠢きと、「浪花の歌う巨人」趙博の突然の裏切りについて(2020年4月27日)

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【「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書1】朝日新聞・阿久沢悦子記者の蠢きと、「浪花の歌う巨人」趙博の突然の裏切りについて 鹿砦社代表 松岡利康

4月22日の本通信で、朝日新聞・阿久沢悦子記者が「浪花の歌う巨人」こと歌手・趙博をリンチ被害者M君に紹介し、2人とも、あたかも親身になってM君の味方であるかのように振る舞い、趙博に至っては、当時まだ公になっていなかった貴重な資料を入手するや、突然にM君、そして私たちを裏切りました。阿久沢記者は、いつのまにかM君から離れていったそうです。かの橋下徹に勇ましく喧嘩を売るほどの御仁ですが、リンチ事件について説明責任があることは明らかです。

阿久沢記者の記事の訂正の告知。朝日新聞4月25日夕刊

阿久沢記者は、今は問題を起こしたTwitterはやっていないようですが、facebookはやっていて、直近の書き込みで、これみよがしにみずからの朝日の石井紀子さん追悼記事を上げていましたので、「この件について私も本日の『デジタル鹿砦社通信』で書いてみました。ご一読いただければ幸いです」と投稿したところ、みずからの書き込みもろとも速攻で削除されました。

その後、4月25日夕刊に訂正の告知が掲載されていました。あっ、そうか、私が投稿したから削除したのではなくて、記事に間違いがあったから削除したのでしょうか?(笑) 高い給料もらってんだから、しっかりした記事を書け!

◆裏切りは突然行われました

さて、趙博が裏切る数日前、M君や私たちは大阪・堂山の居酒屋で一献を傾け、今後、リンチ事件の真相究明とM君支援を約束したのでした。

先の拙稿で、趙博の裏切りについて何人かの方から「よくわからないので説明が欲しい」旨要請がありましたので、まずは趙博の裏切りについて書き記したリンチ本の部分をアップしておきます。

リンチ本第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』と第4弾『カウンターと暴力の病理』の該当部分をアップします。今、あらためて読むと怒りが込み上げてきます。

私が阿久沢記者と趙博に対して許せないのは、孤立し追い詰められたM君に心から寄り添うのではなく、逆に寄り添うように見せかけながら若いM君の気持ちを弄んだことです。

リンチ被害者M君が、リンチ現場に居合わせた李信恵ら5人を訴えた訴訟は(内容には不満が残るとはいえ)M君勝訴で終結しましたが、関連訴訟2件が係争中です。これらも含め、日本の反差別運動に汚点を残した、このリンチ事件の検証と総括が問われています。特に、隠蔽に加担し私たちの追及に逃げ回ったり沈黙するメディア関係者や「知識人」らの責任は厳しく問われるべきです。

このかん私たちは、鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』や記念行事(昨年12月、東京と関西で盛況裡に行われました)、先に全国の矯正施設(刑務所や少年院など)を回るプリズン・コンサート500回を達成したPaix2(ぺぺ)の記念出版『塀の中のジャンヌ・ダルク』(仮)の編集作業に追われ中断していましたが、決して忘れていたわけではありません。それらが一段落した今、リンチ本第6弾の編集作業を再開いたします。

◆阿久沢記者と趙博の責任は大きい!

朝日新聞・阿久沢悦子記者が書いた記事の署名が私の足を踏んでしまったようで、くだんのM君リンチ事件を思い出してしまいました。

阿久沢記者がM君に引き合わせた趙博の裏切りは、私たちが本件に関わり出して、わずか2カ月ほどの時点で起きました。関わり始めてすぐだったのでショックでした。私の人生で、人に裏切られたことは少なからずありましたが、こういう裏切りはありません。

趙博と私たちが大阪・堂山の居酒屋で会談を持った直後に『週刊実話』の記事が出て、しばき隊メンバーらからの激しい攻撃に『実話』は謝罪と記事撤回に追い込まれた事件がありましたので、このことも何らか作用しているのかもしれません。この頃のしばき隊/カウンターの勢いは凄まじかったようです。趙博も、まさかこれに怖気づいたわけではないでしょうが……。

阿久沢記者と趙博の責任は大きいと言わざるをえません。(文中敬称略)

『ヘイトと暴力の連鎖』(P74-P75)より
『ヘイトと暴力の連鎖』(P76-P77)より
『ヘイトと暴力の連鎖』(P78-P79)より
『カウンターと暴力の病理』(P100-P101)より
『カウンターと暴力の病理』(P100-P101)より
『カウンターと暴力の病理』(P104-P105)より
『カウンターと暴力の病理』(P106と表紙)より

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朝日新聞・阿久沢悦子記者は「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)と被害者M君に真摯に向き合え! 鹿砦社代表 松岡利康

去る4月18日朝日新聞夕刊に三里塚に住む女性・石井紀子さんの追悼記事が掲載されました。訃報記事をすべて目を通しているわけではありませんが、三里塚については、私の闘いの出発点の一つでもありますので、どうしても読んでしまいます。石井さんは私より一歳下の1952年生まれ、1971年法政大学に入学されました。70年安保闘争や学園闘争の波が引いた時期に大学に入った私たちの世代の大きな政治課題は三里塚闘争(第一次―第二次強制収容阻止闘争)と沖縄闘争(返還協定調印-批准阻止闘争)でした。

私が三里塚に関わり始めた1971年、天王山だった第二次強制収容阻止闘争を闘い、かの機動隊3人が亡くなった9・16にも現地にいました。その後、諸事情で三里塚を離れながらも、遠くから熱い眼差しで見てきました。こうしたことは、この「通信」でもたびたび述べています(最近では2月4日、同8日付け)。

聞くところによれば、石井さんは法政のノンセクトで学生運動に関わり、彼女が本格的に三里塚に入ったのはその後ということです。関西にいる私たちは、首都圏で集会やデモをやる時には法政大学のグループと連携することもたびたびありました。実際、法大に泊まらせてもらったこともありました(そこでバッタリ高校の同級生のHM君に会ったのを思い出します)。ノンセクトは組織動員できる党派と違い、どこもさほど人数も多くなく、一緒に部隊を組んだこともありました。三里塚で結婚し子どもを生み育て、土地に根づいて生きるということは、よほどの決意がなければできることではありません。時々報道されていましたので、知ってはいました。

記事の内容は石井さんの生き様について淡々と記述し、これ自体は特に問題ありません。熱っぽいものを感じる筆致ではありませんが……。三里塚を自らの生きた軌跡と重ね合わせる私と、取材対象としか見ない新聞記者との決定的な違いがあるように思います。まずは、三里塚の土地で生涯を全うされた石井紀子さんに頭(こうべ)を垂れて合掌。

朝日新聞4月18日夕刊

◆「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)で蠢いた阿久沢悦子記者の名を発見!

……とっ、記事の末尾に「阿久沢悦子」の署名が目に入りました。

去る4月1日の湖東記念病院冤罪事件の記事に、15年前の私の「名誉毀損」逮捕事件の官製スクープ記事を書いた平賀拓哉記者の名がありましたが、今度はリンチ事件に関係しつつも私たちの取材からひたすら逃げている記者の名があるとは……因果なものです。

このかん私たちはプリズン・コンサート500回を達成したPaix2(ぺぺ)の記念本編集作業に追われ、リンチ本続刊の作業が止まっていましたが、ようやくすべての原稿がそろい整理済みDTPに回しましたので、GW明けからはリンチ本第6弾の準備に取り掛かろうと思っていた矢先です。具体的には手の内は明かせませんが、今回も“隠し玉”があります。「弾はまだ残っとるぞ」ってなもんです。

◆リンチ被害者M君やわれわれを裏切った趙博を紹介

阿久沢悦子記者は、平賀拓哉記者同様、朝日新聞大阪本社社会部所属、リンチ事件で蠢動した時は、かの阪神支局に勤務していました。平賀記者はあたかも私たちの出版を理解しているかのように近づきましたが、阿久沢記者も、あたかも味方であるかのようにM君に接触し、M君もまだ私たちと知り合う前で孤立を強いられていた時期でしたので、藁をも掴む想いで阿久沢記者に対応したそうです。

また、これも味方のようにM君に近づいた趙博を引き合わせたのも阿久沢記者でした。趙博は言葉巧みにM君から、当時はまだ公になっていなかった多くの資料を入手しています。その後、急に掌を返したことはすでにリンチ本でも2度、記述し弾劾しています(第1弾『ヘイトと暴力の連鎖』の「『浪速の歌う巨人』趙博の裏切り」、第4弾『カウンターと暴力の病理』の「われわれを裏切った“浪速の歌うユダ”趙博に気をつけろ!」参照)。資料を返却もしていません。まさにS(スパイ)行為です。趙博は、多くの運動に顔を出したり近づいていますが、用心されたほうがいいでしょう。直接掌を返されたM君や私たちが言うのですから間違いありません。趙博よ、恥を知れ!

◆われわれの取材から逃げ回る阿久沢記者

阿久沢記者には、本を出すたびにその本を付けて何度も質問状(あるいは取材依頼)を行い、遂には電話取材も行いましたが、拒否されました。リンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』に報告していますので、ぜひご一読ください。

『真実と暴力の隠蔽』文中の阿久沢記者電話取材の様子
『真実と暴力の隠蔽』同上 続き

阿久沢記者について、彼女をよく知る関係者が証言してくれました。──

「阿久沢さんはいろいろとトラブルメーカーでかねてから会社から睨まれていました。阿久沢さんが引き起こしたトラブルは具体的には、2012年、当時の夫の不倫相手が阿久沢さんの職場まで直談判に来たこと(当時阿久沢さんは大阪本社社会部)。

橋下徹へ喧嘩を打ったツイッター

同じ年に阿久沢さんはTwitterで橋下徹大阪市長(当時)を誹謗中傷して逆襲され(会社に正式に抗議が来たそうです)謝罪、休職に追い込まれたこと。復職後、大阪本社社会部から阪神支局に転勤になりました。2017年、韓国に行って慰安婦像に『朝日新聞、阿久沢悦子』の名前で『謝罪文』をあちらに残してきたことが、いわゆる『ネット右翼』に見つかり騒ぎになったこと。この後阿久沢さんは静岡総局に転勤になりました」

かの橋下徹に喧嘩売るとは凄い! しかし、さすがに橋下、「ふざけんな出てこいとはどういうことですか? 記者ってそんなに偉いんですか?」といなされ、あえなく撃沈するとは、ヘタレやね。「朝日」の看板をバックにすれば、何も怖くないと勘違いされたのでしょうか!? 橋下徹のような稀代の三百代言を駆使する権力者に喧嘩売る時は、思いつきではなく全知全能、全身全霊、性根を入れてやらないと対峙できません。

◆因果はめぐるのか──

以前のこの「通信」でも記述しましたが、71年当時「全京都学生連合会」を結成し共闘、共に三里塚に現闘小屋を設置し活動していた京大「C(教養部)戦線」というグループにM君の父親がいました。これもなにかの因縁です。因果はめぐるのか──。

それはともかく、「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)に対して、なぜか朝日新聞は、メディアの責任を忘れ、頑なに取材を拒否してきました。もちろん報道もしません。まずは阿久沢さん、あなたの言葉を借りれば、「人間として怒りが抑えられません。ふざけんな。出て来い!」と言いたいですね。

さらにもう一つ申し述べておきたいと思います。阿久沢記者のFBでの石井紀子さん訃報記事について「いいね!」している人が多くいます。私の知っている方の名も少なからず目にしました。皆さんは、阿久沢記者のリンチ事件に対する、決して真摯とは言えない態度を知った上でのことでしょうか? 表面上の美辞麗句に騙されてはいけません。喝!

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

なんの因縁か ──「カウンター大学院生リンチ事件」被害者M君の父親と、学生時代に共に闘っていた! 鹿砦社代表 松岡利康

会場には、若き頃と最近の佐野さんの遺影が掲げられた

佐野茂樹という古い伝説的な革命家が亡くなり、偲ぶ会(3月22日)に出席してきました。会場は京都・キエフで、ここは歌手・加藤登紀子さんの実家が経営され、今はお兄さんが社長です。

登紀子さんのお連れ合いは、ご存知、藤本敏夫(元反帝全学連委員長)さんで、寮(同志社大学此春〔ししゅん〕寮)の大先輩です。この方も伝説的な方です(蛇足ながら、藤本さんはここ甲子園出身で、鳴尾高校から同志社の新聞学専攻に進まれました。この界隈出身の著名人としては、芦田愛菜、あいみょんらがいます。そうそう、私に手錠を掛けた神戸地検の宮本健志検事もこのあたりの出身)。

久し振りに本宅的なロシア料理を味わった

キエフは、寮関係の集まりや、同志社関係の集まりにもよく使われてきました。私のいた寮の学生も、藤本さんや、藤本さんの片腕で店長を務めていた寮の先輩の村上正和さんの縁で、よくアルバイトしていました。

佐野さんは、60年安保闘争で国会前で亡くなった樺(かんば)美智子さんと、神戸高校の同級生とのこと、佐野さんは京大、樺さんは東大(1浪して1957年入学)ですが、共に新左翼の始まりといわれる「ブント」を起ち上げたメンバーです。

1956年に京大入学ということで、すぐに学生運動に飛び込み、60年安保闘争の際の全学連主流派、これを支えたブントの幹部として歴史的な闘いの先頭に立ちます。佐野さんは58年には全学連副委員長に就き、樺さんは東大文学部学友会副委員長という要職にありました。

佐野さんの著書『帝国主義を攻囲せよ!』

樺さんが佐野さんに淡い恋心を抱いていたということは、当時のブントのトップ・島成郎(故人。精神科医。沖縄に渡り離島医療の先駆け)さんの著書にも記され、“公然の秘密”のようでした。この世代の方々が、ずいぶん出席されていました。

その後、ブント再建(第2次ブント)で議長に就任、60年代後半の学園闘争、70年安保―沖縄闘争を指導しました。

第2次ブントは、70年を前に分裂するのですが、京都では、同志社、京大を中心に、いわば“赤ヘルノンセクト”の学生運動は健在で、私たち同志社大学全学闘は京大C戦線(レーニン研。70年末に結成)と共闘し、「全京都学生連合会」(京学連)の旗の下、70年代初頭の沖縄―三里塚―学費闘争を闘いました。

数としては同大8、京大1、その他1という按配でした。人数としては同大が圧倒的に多かったのですが、京大は、まさに少数精鋭で、リーダーの吉国恒夫(故人。専修大学教授)さん、行動隊長にしてオルガナイザーの片岡卓三(現在医者)さんを中心に、理論的にも他の追随を許しませんでした。同大には卓越した理論家はいなくて(苦笑)、C戦線の機関誌から“密輸入”したりしていました。

同じく『佐藤政府を倒せ!』

吉国さんは、矢谷暢一郎さんと共に68年御堂筋突破デモを指導し共に逮捕・起訴されています(当時裁判官として、この判決文〔かなりの寛刑!〕を書かれた方で現在弁護士のA先生が、今、カウンターメンバーとの裁判で当社の代理人として神原元弁護士と一戦を交えています)。

このC戦線をバックで支えたのが佐野さんで、C戦線こそがブント解体後の学生運動や革命運動の未来を担うと考えられていた、と思います。吉国さんや片岡さん、他のメンバーらと交流し私もそう感じました。『帝国主義を攻囲せよ!』とか『佐藤政府を倒せ!』など佐野さんの著書やパンフレットも一知半解ながら熟読しました。

ところで、この通信をご覧の方には馴染み深い「カウンター大学院生リンチ事件」の被害者M君の父親がC戦線の当時のメンバーだということをM君から聞いていたのですが、複数の証言を得ることはできませんでしたので、確証がありませんでした。

その集会の呼びかけ人を務められた片岡卓三さんの号令一下、当時のC戦線のメンバーが数多く出席されていました。大体私と同じ70年入学でした。

樺美智子さんの遺稿集『人知れず微笑えまん』(三一新書)。われわれの世代の必読書だった

彼らにたずねると、みなさんM君の父親をご存知でした。「私たちはリンチされた息子の救済と支援活動をやって来た」と言うと、みなさん驚いていました。

C戦線(レーニン研)は、毛派(中国派)のグループと合体し全国党派を目指しマルクス主義青年同盟(マル青同)を結成しますが、これはあえなく崩壊します。片岡さんらは、この過程で離脱し、結成後すぐに内部抗争が起き、トップの吉国さんは「死刑宣告」を受け放逐されます(彼はその後、矢谷さん同様日本を離れ、アメリカ西海岸やジンバブエの大学に入学し、日本のジンバブエ研究の第一人者になります)。

他のメンバーも離脱し、各々の人生を歩み始めます。しかし、そこは“腐っても京大”、私たちと一緒に同大学費決戦で逮捕・起訴され、一念発起して一級建築士になったB君同様、弁護士になったりしています。組織が解体して司法試験を目指したCさんは、たった1科目しか取得しておらず再入学し30歳になって司法試験に合格、今は弁護士になっておられます。

また、もう一人のD弁護士は、15年前の私の逮捕事件で「憲法21条に則った、公正で慎重な審理を求める署名」に賛同人として署名をしてくれていました。あらためてお礼を申し上げました。

それにしても、まさか私たちが支援したリンチ被害者M君の父親が、学生時代に共闘していたとはビックリ仰天でした!

60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(1/3)
60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(2/3)
60年安保闘争の激闘と樺さんの死を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(3/3)

1970年代初頭の京都の学生運動を記録した『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

《鹿砦社特別取材班座談会》「カウンター大学院生リンチ事件」の「終結」について

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

松岡 ご苦労様です。われわれが「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、巷間では「しばき隊リンチ事件」と呼ばれる、大学院生M君に対するリンチ事件で、ようやく確定判決で認められた賠償金が、金良平氏の代理人に就任した神原元弁護士からM君の代理人大川弁護士に振り込まれました。当初の代理人は別の弁護士でしたが、今年になり、なぜか代理人が交替しましたけど、まずはこの事件の一つの区切りといえるでしょうから、きょうは皆さんの意見や感想も聞かせてください。

A  ともかく、お疲れさまでした、が正直なところですわ。判決内容はともかく賠償金が支払われへんのちゃうか、って本気で心配しよりましたよってに。

B  難しいですよね。これで法的には一応終わったわけですよね? 私は本質的なところでは何も終わってはいないと思っていますが……。

C  M君の事件はね。でも鹿砦社は対李信恵第2訴訟(李信恵氏が原告となった進行中の裁判、第1訴訟は鹿砦社が原告、李信恵氏が被告で既に鹿砦社の勝訴が確定。第2訴訟は第1訴訟の反訴として提起されたが、取り下げ、あらためて別訴として提訴された)と、対藤井正美訴訟を抱えているから、終わりとはいえないよ。

D  長かったですよね。誰が管理してるのか知らないけど「支援会」の活動には頭が下がりました。

松岡 支援会は私が責任を持つ形で、少人数で運営しています。口座は既に閉鎖しましたので、遠からず会計報告ができるでしょう。

B  結局「支援会」のメンバーは最後まで僕らにも秘密でしたね。

松岡 秘密主義じゃないですよ。最低限の人数で動かしただけです。お金が絡む問題でもあり、口座は大川弁護士に管理していただいていたことをTwitterでも公表していました。いまだに会計報告をしないで少なからずの方々から首を傾げられている、どこぞの支援会と違い、私たちは1円のお金も飲食には使っていませんし、厳密に管理してきました。また、鹿砦社はM君裁判とは別に、李信恵氏や藤井正美らと訴訟を行っていますが、こちらにはもちろんですが、1円も使っていません。鹿砦社関係は鹿砦社の資金から裁判費用を出しています。

リンチ直後に出された金良平(エル金)[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

C  これまで5冊だったっけ? この事件に関して出した本。最後にまとめみたいなことは必要だと思うな。

松岡 そうですね。今は緊急出版をいくつか抱えてきましたので後手になりましたが、早い時期に取り掛かりたいところです。

A  何年になるんやろ? まだ最初の頃、僕30歳やったもん。

B  もうすぐ4年やね。Aは突撃で下手ばかり打ってた(笑)。

A  そんなん、いきなり「国会議員Aのコメントとって来い!」言われても、東京の地理も知らん大阪人にできるもんちゃいますよ。

C  30歳超えてなにを甘っちょろいこと言ってるんだ!って怒ったよな、俺。

B  新聞や出版の経験があるのにね。たしかにAの詰めはいまだに甘いわ。

A  ……。

D  結局、僕らが問いたかったことが世の中に訴求したかどうか、その点は気になりますね。

C  最後はいつもそこで頭悩ますよね。でも、事実関係は確実でどこのマスコミも切り込まないアングルを維持したから、それは重要なことだったと思うね。おそらく、われわれがやらなかったら闇に葬られていたんじゃないかな。だってそうだろう、われわれが知ったのは事件から1年余り経っていたからね。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

B  そうですよね。不思議なのは後追いがまったくなかったことですね。世間で「リベラル」と言われている人で応援してくれた人といえば……?

A  元読売新聞記者の山口正紀さんくらい違います? あとは黒藪哲哉さんくらいやろか? 先頃亡くなった、『週刊金曜日』発行人だった北村肇さんら、ほんの一握りの方々ですよね。山口さんにしろ黒藪さんにしろ、当初はご存知なく、関心持たれたのは、われわれが資料を添えて説明してからですよね。『週刊金曜日』内部ではささやかれていて、北村さんは少しご存知のようでしたが、事件が起きた大阪と、遠く離れている東京では、事件に対するスタンスも温度差があって、われわれが事件を知って深刻になったのとはまた違う感じだったようです。

D  逆に想定外の「義絶」が相次ぎました。

C  そうそう。田所さんの「辛淑玉への決別」(田所敏夫「辛淑玉さんへの決別状」)にはじまり、社長の鈴木邦男への義絶(松岡利康「【公開書簡】鈴木邦男さんへの手紙」)へと。

A  社長の鈴木さんとの仲違いは、業界では話題になりました。

C  ちゃんと言葉をつかえ!「仲違い」じゃない!「義絶」だ、A!

A  あっ、すいません。

B  相変わらず詰め甘いな。

D  「踏み絵を踏ますな」という人もいたけど、そうじゃなかったですよね。「これ見てどうも思いませんか?」が僕らの原点。

松岡 最初に事件直後のM君の写真を見た時、単純に「これは酷い」と思いました。これが私の出発点でした。すぐに田所さんに連絡し、「これは黙っていたらアカン」と一致しました。まさか、こんなにたくさんのライターさんにお世話になって、5冊も出版することになろうとは思いませんでした。

B  社長を動かしてる動機ってなんなんでしょうか?

松岡 今も言ったように「これは酷いな」という単純なことですよ。もう少し込み入った事情もないわけではありませんが、そのあたりに興味のある人は『一九六九年 混沌と狂騒の時代』を読んでください。

A  読みました。ベトナム戦争で死んだアメリカ兵の死体洗いの話、びっくりでしたわ。

松岡 Aさんは私の原稿も読んでくれましたか?

A  はぁ。読んだんですけど、ちょっと難しくて……。

C  しっかりしろよ!

松岡 私は学生運動や社会運動内部で繰り返されてきた暴力の問題、いわゆる内ゲバやね。それを長年考えてきていて、かつて作家の高橋和巳先生らが警鐘を鳴らしたのに軽視され、多くの犠牲者を出しました。「まだこんなことやってるんだ!」という義憤もあったね。いわゆる内ゲバでは、私の行った大学では2人亡くなっていますし、亡くなりはしませんでしたが、あるノーベル賞作家の甥っ子の先輩が、一時意識不明になったり。なによりも私も「ゲバ民」と言われた共産党の集団に襲撃され病院送りになったことなどが悪夢のように甦ってきたりしてね。『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の後のほうに掲載している長文の拙稿(草稿)は、そうしたことについて、私なりに考え、書き連ねたわけです。

B  ともかく最後にまとめの、もう一本出すということですね。

D  新たな取材予定があるんだったら、社長早めにお願いします。

松岡 それは秘密です。

一同  えっ! まだあるんですか!

松岡 当たり前じゃないか。冒頭に述べたように、賠償金が払われ訴訟実務としては終結しただけで、本質的な問題は、まだ何も終わっていないんでね。特に、普段は元気がいいのに、この事件について質問したり取材すると、沈黙したり逃げたり開き直ったり隠蔽に加担したり豹変したり……「人間としてどうなの?」と言わざるをえない、いわゆる「知識人」の狡さに対しては徹底的に追及、弾劾しなくてはなりません。私のことを「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」と侮辱した徒輩がいましたが、「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」にも意地がありまっせ!

D  社長、若手使ってくださいね。俺もうフットワーク効かないし。

松岡 心配しないでください。無理は言いますから(笑)。この件だけでなく数々の直撃取材を成功させたHT君のような根性が欲しいよね。

B  これだから鹿砦社は……。

C  そうそう、忘れないように。M君から取材班にも「くれぐれもよろしく」ってメッセージありましたよね。

C  M君もこれを区切りに新しい未来を切り開いてほしいね。

B  きっといいことありますよ。

松岡 そう思います。自分で言うのも僭越ですが、何度も地獄に落とされたながらも浮上した私のように、人生、悪いことばかりではなく、きっと良いことがあるよ。M君も、国立大学の博士課程まで進んだ秀才だし、研究課題も、日本では珍しい分野なので、彼が必要とされることがきっと来ると私は信じています。アントニオ猪木じゃないけど、「苦しみの中から立ち上がれ!」と言いたいね。皆さん、あと少しよろしくお願いします。

A  社長、次あるんだったら、ちょっと前借りできまへんやろか?

松岡 それではAさんにはもうお願いしません。

A  キツー。

B  Aよ、HT君のように前借りできるくらいに仕事しろよ。

A  あっ忘れとった。こんなんあるんですけど。

C  お前なんで今まで出さなかったんだ! これ超ド級の資料じゃないか!

B  おいおい! また大騒ぎだぞ!

松岡 これはびっくりしました。使えますね。

(鹿砦社特別取材班)

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の賠償金を払わない金良平(エル金)の悪質

《6月12日、リンチ被害者M君が5名を訴えた上告について、却下の連絡が代理人の大川伸郎弁護士へあった。賠償を命じられた李普鉉氏からは「賠償金を支払いたいので口座を教えてくれ」と代理人から連絡があった。一方金良平からは何の連絡もないので、大川弁護士は金良平の代理人に「賠償金の支払い」を求める旨と、大川弁護士の銀行口座明細を記載したFAXを送付したが、7月2日現在大川弁護士には、金良平の代理人から何の連絡もないという》

上記の文章は本通信に本年8月14日掲載した内容である。その後、「一部40万円余りを払う。残りは分割にしてほしい」と代理人姜永守弁護士を通じて金良平(狼藉が度を超えるので、敬称は用いない)が申し出てきた。身勝手極まりない内容にM君並びに弁護団、支援会は対応を検討したが、金良平の申し出を受け入れ、一部金の支払いを待った。

ところが判決確定から半年たっても、金良平は自身が申し出た「身勝手な」支払い方法すら反故にして、いまだに一円たりともM君に対して支払いを行っていない。この間の経緯についてM君代理人の大川伸郎弁護士に確認したところ、「姜永守弁護士に電話で『支払いはどうなっているのか』と尋ねたところ、申し訳なさそうに『すいません。本人に伝えておきます』と切れ味の悪い回答があっただけです」とのことである。

代理人を通じて「分割払い」を申し出てきたのは繰り返すが、金良平だ。最高裁判所で支払い命令が確定した判決を無視し続ければ、時間を経るにしたがって支払い命令金額に利息が加わり、ますます支払いは困難になろう。

ここへきて、取材班は重大な疑念を抱かざるを得ない。

金良平、ならびに周辺で彼と行動をともにしている関係者は「賠償金を支払う」(金良平に支払わせる)意図がまったくないのではないか。口先ではきれいごとを並べて「人権」だの「反差別」だのといきがっていても、最高裁で確定した判決で命じられた賠償金の支払いすら「無視」しようとしているのではないか。この申し出は姜永守弁護士を通じてM君側に伝えられたのであるから、姜永守弁護士にも責任はある。このような事態を予測して、M君、弁護団、支援会は「姜永守弁護士が連帯保証人に就任する」ことを条件として求めたが、姜永守弁護士はそれを受け入れなかった。

リンチ直後に出された金良平(エル金)[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)
 
辛淑玉氏による2015年1月27日付け文書「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」(1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)

無責任で済む問題であろうか。M君が被害回復を求めた裁判に際しては、「M君の裁判を支援する会」に多くのかたがたからの支援(カンパ)が寄せられ、M君は裁判を闘い抜くことができた。しかし金良平がこのまま110万円を超える賠償金を踏み倒せば、M君は李普鉉氏から受け取った2万円に満たないお金しか受け取ることができなくなる。

冗談ではない!

彼らの悪質さはこれまでことあるごとに批判してきたが、あれだけの重傷を負わせた被害者に対して「賠償金を踏み倒す」?

これまで取材班は事実を紹介しながら、論評を行ってきたが、金良平と彼の取り巻きが取っている態度は、断じて許されるものではない。判決違反は不法行為と同義であるが「払う金がない」と金良平を逃げ切らせるつもりなのだろう。

こういった非道な行為を前田朗東京造形大学教授はどう評するであろうか?

彼はこの事件につきカメレオン的に、態度を変えた人物であるが、『救援』紙上で公式な見解を開陳した人物である。ことの成り行きについて今どう考えるのかを述べる道義的責任があろう。そして「リンチはなかった」、「あれは喧嘩だった」と散々嘘デタラメを吹聴した中沢けいや、本来関係ないのに横車を入れてきた香山リカ。終始加害者擁護にて徹した安田浩一らは、この事態をどう考えるのだ。

さらに許しがたいのは弁護士神原元の発信だ。この男はこれまで幾度も印象操作や、虚構の発信を続けてきたが、「しばき隊がリンチ事件を起こしたというのは虚偽の風説です」。この書き込みこそ「完全な虚偽の風説流布」ではないか。

神原弁護士のツイッターより

神原は「M君リンチ事件」の刑事記録を見ているだろうが! 罰金が課されたのは李普鉉と金良平の2名ではないか。そこに同席した李信恵に処分はくだらなかったが、上記3名はM君に謝罪文を書いているのはなぜだ? なにも問題がなかったらどうして謝罪文を書く必要があったのだ。

M君リンチ事件の賠償金を払わない金良平

さらに「現在、別途、名誉毀損訴訟が進行中です」との記載は鹿砦社が李信恵を提訴し、勝訴が確定した名誉毀損裁判に対する、反訴が認められず提訴に踏み切った李信恵原告、鹿砦社被告の裁判を示しているのかもしれないが、この係争では、鹿砦社が原告の訴訟で既に鹿砦社勝訴判決が確定していることを(神原がこのような印象操作をまだ続けているので)再度強く強調しておかなければならない。

取材を進める途中から取材班は、この事件の加害者及びその関係者の「悪質性」を認識していた。よって、このような異常事態も「連中」ならやりかねないだろうとも認識する。しかし、司法の判断も「無視」して被害者への賠償を「踏み倒す」連中を座視しているわけにはゆかない。このような行為が横行すれば「司法」の権威は失墜し、被害者は泣き寝入りするしかなくなってしまう。

そういった勢力をわれわれは、放置するつもりはない。


◎[参考動画]日本第一党 第七回神奈川県本部 川崎駅前東口街頭演説活動 2019年10月19日

(鹿砦社特別取材班)

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M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

対李信恵第1訴訟、李信恵氏が上告を取り下げ! 鹿砦社の勝利が確定!

10月28日、鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の発売を翌日に控え、予想外の大ニュースが飛び込んできた。

 
「反差別」運動のリーダー・李信恵氏が批判者に対して言い放ったツイート

鹿砦社は、Twitter上で李信恵氏から度重なる誹謗中傷を受け、弁護士を通じて「警告書」を送るなど、手を尽くしていた。だが、李信恵氏による鹿砦社に対する罵倒や虚言はいっこうに収まる気配がなかった。そこでやむなく鹿砦社は李信恵氏を相手取り、名誉毀損による損害賠償を求める民事訴訟を大阪地裁に起こした(その後李信恵氏も対抗上別訴を起こしてきたので、便宜上鹿砦社原告の裁判を「第1訴訟」、李信恵氏原告の裁判を「第2訴訟」と呼ぶこととする)。

「第1訴訟」の一審判決では、ほぼ完全に鹿砦社の主張が認められ、勝訴。大阪地裁は李信恵氏の悪口雑言を不法行為と認定したのである。原告、被告双方が控訴した大阪高裁では棄却(一審判決=鹿砦社勝利が維持された)。被告・李信恵氏側は判決を不服として、最高裁に上告していたが、10月25日付け(最高裁の受理は27日)で李信恵氏側は上告を取り下げ、李信恵氏代理人の神原元弁護士は鹿砦社の代理人・大川伸郎弁護士にその旨伝えてきた。

その連絡を28日(月)に受け、ようやくわれわれの主張が裁判の判決として確定したことを知るに至ったわけである。

再度、このかんわれわれの裁判闘争を、陰に陽に支援してくださった皆様方に、ご報告申し上げる!

鹿砦社は、対李信恵裁判闘争において、完全勝利した! と。

この勝利の意味は極めて重い。まず、本件訴訟でわれわれが主張した内容、つまり李信恵氏による鹿砦社への誹謗中傷が名誉毀損に当たり不法行為であることが全面的に認められたこと(逆に李信恵氏の主張はほぼ棄却されたこと)である。

別掲の書き込みをご覧いただければ、お分かりいただけるだろうが、こういった明らかな誹謗中傷を李信恵氏側は「論評」と主張していた。「クソ」という表現が論評に当たるか当たらないかは「常識的」に判断すれば、誰にでもわかることだ。

「李信恵という人格の不可思議」(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)
 

さらには(この点も非常に重要であるが)鹿砦社代表・松岡が、あたかも喫茶店で、会ったこともない李信恵氏に嫌がらせをしたかのような「まったくの虚偽」記述もあった。本人が一番よく知っているのであるから、こういった「虚偽発信」がどれほど、発信者の信用を貶めるものかを、自身も物書きである李信恵氏は知っているであろうに。

Twitterで李信恵氏が発信すると、支援者や仲の良い人々がすかさずリツイートなどで広める(最近はその影響力もかなり低下していると聞くが)。

 

まったくの虚偽事実であっても、かつては強大な影響力を保持した李信恵氏の発信はどんどん拡散されてゆき、「なかったこと」があたかも「あったこと」のように既成事実化に近い認識が形成される。まことに悪質な印象操作であると言わねばならない。そしてそのような印象操作に、神原弁護士や上瀧浩子弁護士も加担していた事実は見逃せない。

 

法廷内で荒唐無稽な主張を展開するにとどまらず、法定外、ことに拡散が容易なTwitter上で極めて無責任で名誉毀損に該当するような書き込みを、弁護士が行ってもよいものであろうか。

裁判の進行報告や支援の呼びかけなどは理解できるが、いくら係争中、あるいは終結した争いの相手であっても、「法の専門家」である弁護士が、一般市民を相手に感情に任せた乱暴な文章や、事実と異なる発信をしてもいいはずはないだろう。それも日頃「人権」がどうのこうの口にしている者が。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)
 

そして、再度確認しておかなければならないのは、このように著名人である李信恵氏が最終的に敗訴しても、一切のマスメディアはその事実を報道しはしない、という歪な状態である。

鹿砦社は、この係争に先立って争われた「M君リンチ事件」提訴以来、M君や松岡が何度大阪司法記者クラブ(大阪地裁・高裁内にある記者クラブ)に記者会見の実施の申し入れをしても、ことごとく拒絶された様子を近くで見てきた。

そして鹿砦社が原告となり(第1訴訟)、李信恵氏を提訴した際にも記者会見開催の申し込みは受け入れられることはなく、さらに、一審で勝訴した際にも記者会見を申し入れたが、開かせてはもらえなかった。

このどうみても「不公平」な扱いを、記者クラブに所属しているマスメディア各社はどのように弁明ができるのであろう。在特会を相手取り損害賠償請求事件を争った李信恵氏には毎回記者会見を用意し(そして記者会見に李信恵氏の仲間らの入場は許可しながら鹿砦社の社員が入ることを拒絶して)、M君や鹿砦社には記者会見の機会を与えない。「差別と闘った」として著名人になった李信恵氏が、このほど鹿砦社に対して、名誉毀損を犯したことが確定した。これはニュースではないのか?

鹿砦社はこれまで、刑事裁判を含め、数えきれないほどの裁判を闘ってきている。裁判闘争史の初期は大物(ジャニーズ事務所、タカラヅカ、阪神タイガース、日本相撲協会など)が多かったので、負けを覚悟での猪突猛進をしていた時期もあった。しかし鹿砦社とて成長するのだ。

ことに言論に関わる争いや係争には近年むしろ慎重に取り組むようになっている。法定外でも情報収集を幅広く行い、「どうすれば勝てるか」を学習もした。また弁護士だけでなくアドバイスを送ってくださる方々の存在も頼もしい。

 

李信恵氏側も、マスメディアも鹿砦社を見下していた印象は否定できないが、このままの姿勢を続けてもよいものであろうか。

「第1訴訟」の判決が確定した。繰り返すがわれわれの〈 完全勝利!〉であった。しかし、この裁判一審の後半になり、李信恵氏側が突如「反訴をしたい」と我が儘にも主張しはじめ、裁判所に認められなかったことから、李信恵氏は別の裁判を起こした(「第2訴訟」はそのような中で発生したものだ)。

その裁判では鹿砦社に損害賠償を迫っているだけではなく、「M君リンチ事件」に関連して出版した書籍の販売差し止めまでもを求めてきている。

とんでもない請求であるが、現在「第2訴訟」は大阪地裁で進行中である。「争点準備手続き」という一般の方が傍聴できない形式を裁判所は採っており、証人尋問までは、基本非公開の法廷で弁論が進む。

当初の裁判長は、李信恵氏が在特会らを訴えた訴訟で李信恵氏勝訴の判決を出した裁判官だった。あまりにも不公平なので裁判官忌避請求を出そうと、準備していたしたその日に、何かあったのか担当裁判長が急に交替した。

李信恵氏との間ではいまだに係争が継続中であるので、「第1訴訟」の完全勝利を喜びながら、気を緩めることなく、「第2訴訟」も完勝し、対李信恵氏裁判〈完全勝利!〉を勝ち取るべく、勝って兜の緒を締めて、さらに闘いは続く。読者の皆様方には引き続きのご支援をお願いしたい。

◆李信恵氏の仲間・金良平氏は直ちにM君に賠償金を支払え!

ところで「M君リンチ事件」で損害賠償110万円超の支払いが言い渡された金良平氏が、代理人を通して「総額のうち40万円余りを支払い、残金は月5万円の分割にしてほしい」と判決確定後に願い出てきた。

M君、弁護団と支援会が相談し、「40万円余りは受け取るが、残金の分割払いには連帯保証人を付けるように」と回答したところ、相手方は難色を示した。仕方なくM君並びに弁護団、支援会は譲歩し、40万円の受け取りを承諾した。そして金良平氏の代理人も「支払う」と回答してきた。

それから少なくとも3週間が経過しているが、いまだに、金良平氏(若しくは代理人)からの支払いはない。

金良平氏は一審の法廷でM君に謝罪したが、これは体のいい猿芝居だったのか!?

リンチ直後に出された金良平(エル金)氏[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)


◎[参考音声]日本第一党 第七回神奈川県本部 川崎駅前東口街頭演説活動 2019年10月19日

 

このことには金良平氏の良心が問われているのだ。「反差別」運動に関わり「人権」という言葉を口にする金氏に良心の一欠片があれば、今すぐにM君に賠償金を支払うべきである。

それどころか、金良平氏は、10月19日川崎で行われた日本第一党の街宣活動に対する抗議行動に赴き、両手をポケットに入れながらも明らかに何者かに、体をぶつけ、その後も聞くに堪えない罵声を、日本第一党関係者に浴びせている。

周囲に金良平氏同様抗議活動へ参加している人の姿が10余名ほど確認できるが、体をぶつけ(相手が警察であれば確実に公務執行妨害で現行犯逮捕だろう。そうでなくとも体をぶつけられた本人が申し出れば金良平氏は何らかの罰則を受ける可能性があろう)汚い罵声を飛ばしたりしているのは、金良平氏ひとりだ。

 

繰り返すが、金良平氏は大阪地裁の法廷で、M君に芝居がかった謝罪のポーズを演じて見せたが、あれはなんだったのだ?

集会結社・言論の自由は、憲法で誰にでも認められているから、どこへ行こうが、何をしようが基本的にはその人の自由である。しかし、金良平氏には損害賠償の支払いが命じられており、その義務をまだ一切履行していないではないか。

M君への110万円余りの支払いを「一時金40万円で、あとは分割にしてくれ」と身勝手な申し出をしておきながら、川崎まで出かけて行ってこんなことをしている場合か?

金良平氏の代理人及び、「M君リンチ事件」一審判決当日、敗訴にもかかわらず「勝訴」とまったく事実と異なる発信を写真入りで行った神原元弁護士も金良平氏を正しく指導する義務があるのではないか!?

鹿砦社は本年創業から50年を迎えた。記念出版物において、これまでの歩みを振り返り、いいところはさらに拡大し、反省すべきは反省しつつ、今後も、われわれが精査し、正しいと判断した道を粛々と進んでゆく。偽物や偽善者に対しては言論戦において容赦はしない。

(鹿砦社特別取材班)

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

松岡はなぜ「内ゲバ」を無視できないのか ──『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして〈3〉

権力闘争、あるいは権力奪取闘争のなかで、意見の対立から、元は同志として同じ目的に向かっていた勢力が、分裂を起こすと近親感が憎悪へ変わり、激烈なぶつかり合いから、果ては殺し合いにまで行き着く。

この歴史は何度も教科書の上にすら登場させられることを忘れはしなかった。人間史の深く悲しい惨事の繰り返し。地層のように世界史、闘争史どの断面を切り取っても、対立→分裂→衝突→潰し合いは、人間が保持する克服しがたい、特質のように悲嘆に暮れるしかないのであろうか。

 
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

そんな疑問や問題提起が、引き金になっているのかどうかはわからない。松岡利康はかねてより、日本の左翼(新左翼)運動内で発生した「内ゲバ」に、人一倍反応し、同志や弱者に向けられる「暴力」に対して、極めて敏感に反応を続けてきた。現在まで5冊の書籍を上梓する結果になった(最初はこれほど多数の出版を、松岡自身が想定してはいなかったであろう)「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」へ取り組む松岡の姿勢が、まさにその証左である。

松岡はどうして「内ゲバ」あるいは、同志や弱者に向けられる暴力に対して、黙していることができないのか。共に取材を進め方針を議論する中でも、この質問を、直接松岡にぶつけたことはない。なんらか、かなり大きな経験なり、思索が「確信」にまで高まり、この種の問題から目を逸らせることを、松岡は無意識に自身に禁じさせている。わたしにはそうであろうとしか推測できない。

そこにはもちろん松岡が学生時代、日本共産党=民青のゲバルト部隊に暴行を受け入院させられた、肉体的苦痛を伴う個人史が作用してもいよう。しかし、そういった経験のある個人は、日本にも世界にも相当数存命中であるはずであり、その点において松岡の体験がことさら特別のものかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。

◆リンチ事件への怒りと異議申し立て

4年ほど前になるであろうか「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」が複数筋から鹿砦社に持ち込まれた日(あるいは翌日だったかもしれない)松岡から受信した電話口での語り口調は、明らかに通常時通話のトーンと異なるものであった。あれ以来鹿砦社は自身も血を流す(比喩的な意味である)ことになる、「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」の解明と支援に向かい合うことになる。

松岡はリンチ事件を論じる際に、感情が高じると「常識的に考えて」という文言を繰り返し使う、としばしば感じた。「常識的」は穏やかな一般に共有される概念を指す言葉であるが、松岡が使う「常識的」には、一般的ではない複雑な思いが込められている、と感じたことが少なくない。

それは先に述べた通り、人間史で繰り返されてきた「人間の悪性」ともいうべき、近親憎悪が衝突→潰し合いへと向かうことが、当たり前であるかのような解釈に対する、怒りと異議申し立てではないだろうか。極言すれば松岡は、彼の人生史のなか、とりわけ学生運動に関わった時代の個的経験だけではなく、同時代に発生した幾つもの「内ゲバ」事件を「他人事」と呑気に過ごしていることができず、自身に向けられた「解決策を見出すべき至上命題」として受け取っていたのではないか。

◆高橋和巳と重なる松岡のベクトル

学生当時の松岡が、彼の周辺にさえ「反内ゲバ」を感情ではなく、論理として構成し説き伏せることなど、できようはずはない。しかし『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の最後の原稿として松岡が著した長文「死者を出した『7・6事件』は内ゲバではないのか?『7・6事件』考(草稿)」の冒頭で松岡は、一貫して「内ゲバ」に反対の意思を苦悶しながら表明し続けた高橋和巳「内ゲバの論理はこえられるか」から引いている。高橋和巳は苦悩する小説家として著名なとおり、内ゲバに対する論考も、常に原則的な否定論を維持しながら、しかし、ならば「いかなる論や行動が有効であるか」を示し尽くすことができないことに、重ねて苦悶する中で、人生を終えたのではないか……と、またこれも想像する。

おそらく、松岡を突き動かす原動力は、表現方法や行動において同一性は見られないかもしれないが、高橋和巳と重なる方向性とベクトルにあるのではないかと、わたしは感じている。

活動家ではなく研究者だった高橋と、一活動家だった松岡の反応とでは、当然大きな違いもある。そして、松岡が学生時代に生活していた学生寮が、卒業後に某悪質セクトに深夜襲撃され寮生が監禁・リンチされた際、松岡は即寮生支援に向かっている。まだ若かった松岡にとって「内ゲバ」あるいは同志、弱者に対する暴力は、許容できるものではなく、それへの怒りと反撃に激高するのは当然の生理的反応であったと理解する。その経験を松岡は否定はしまい。けれども、会社員から鹿砦社代表へ就任し、多くの出会いと出版物を編纂し、「暴露本」路線に一方では邁進しながら、突然の逮捕-勾留192日という辛酸を経て70歳近くの老境に至り、ふたたび松岡は彼特有の感性である「反内ゲバ」に立ち返ったのではないだろうか。

学生寮が襲撃された連絡を寮母さんから電話で受けた松岡の激高は、年月を経て「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」に初めて接したときの「落胆を伴う驚愕」(これまた推測である)へと質的な変化を遂げていたのではないだろうか。2つの事件に共通するのは表層的な反応の違いではなく、「内ゲバ」=同志、弱者への暴力を「生来徹底的に嫌悪する」松岡の人間性である。

◆「死者を出した『7・6事件』は内ゲバではないのか?『7・6事件』考(草稿)」

歴史と現状は、そのほとんどが闘争の歴史であることを証明している。闘争は必ずしも崇高なものではなく、私利や権力欲に由来する行為がむしろ主流であり、そこで振るわれる策謀、裏切りや寝返り、そして暴力や殺戮はそれこそ歴史的「常識」である。

ところが、松岡は本人が意識しているかどうか、まったく判然とはしないが歴史的「常識」に行動と言論で「異議あり!」との抗いを続けているように、私には思えて仕方がない。この壮大な作業に簡単な回答など準備されているはずもなく、したがって「死者を出した『7・6事件』は内ゲバではないのか?『7・6事件』考(草稿)」の最後にも「(草稿)」が付されているのではないだろうか。

本原稿は同志社大学の中心的活動家だった望月上史さんが1969年7月6日に、会議襲撃の報復として拉致され、約20日も監禁(軟禁)された末、脱出を試みた際に落下して、のちに死亡した事件を、関係者5名の証言(発言)を紹介しながら松岡が問題提起を行う形で構成されている。5名の証言(発言)をほぼカットなしで引用していることもあり長文となっているが、結論として「内ゲバ」について松岡がどう論を昇華させているかは、読者諸氏がお読みになって確認していただきたい。

人類史と必ず伴走する、闘争史。そしてそこに宿命的に付随するかのような「内ゲバ」と「排除の論理」への挑戦。無謀とも思われるが、人間にとっての一大命題への取り組みは松岡のライフワークなのかもしれない。

この他にも寄稿いただいた原稿はどれも力作の連続だ。松岡は(ストレスのためだろうと推測する)重篤な目の疾患の治療で、昨年秋から全く編集実務から遠ざかっていた。それにもかかわらず、片目1回4万5千円の注射を何度も打ちながら、ほぼ単独で編集した『一九六九年 混沌と狂騒の時代』は、明日10月29日発売だ。(つづく)

「望月君死ぬ」(1969年9月29日付け読売新聞夕刊)
「また内ゲバの学生死ぬ」(1969年9月29日付け朝日新聞夕刊)

◎鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈1〉鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈2〉ベトナム戦争で戦死した米兵の死体処理のアルバイトをした……
〈3〉松岡はなぜ「内ゲバ」を無視できないのか
〈4〉現代史に隠された無名の活動家のディープな証言に驚愕した!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

鹿砦社編集部編『一九六九年 混沌と狂騒の時代』10月29日発売!

戸田ひさよし前大阪門真市議からの「9・17見解」へ再返答します!  鹿砦社代表 松岡利康

6月30日付けの私からの戸田ひさよし前大阪門真市議への「ご質問」に対し戸田氏より、返答(「9・17戸田見解」)が届いています。ちょうどその頃は鹿砦社創業50周年記念出版の編集・製作作業に慌ただしく、その旨戸田氏に伝え再返答の猶予を要請、また私のFBでもお知らせしていました。ようやく記念出版の作業が校了いたしましたので、戸田氏へ再返答しようと「9・17戸田見解」を熟読し始めたのですが……。

6・7集会案内

まずは10月20日、別掲の再返答をメールにて戸田氏に送りました。戸田氏が私に「弾劾質問状」を本年6月9日に送ってきて以来、本件の議論を「公開でやろう」と合意し、私は、戸田氏が設定した期限6月30日に「弾劾質問状」に回答すると共に戸田氏へ「ご質問」を発しました。

戸田氏からの返答を待っていましたが、私も記憶がはっきりしないほど戸田氏からの返答に日にちが掛かりましたので(本心では、もう来ないのではないかと思ったぐらいです)、戸田氏からの返答文に言及する前に、まずこのかんのやり取りを振り返りたいと思います(当事者の私が覚えていないほどですので、直接関係のない方々はほとんど記憶にないでしょう)。そうして時系列を整理したのが戸田氏への再返答の冒頭のくだりです。

戸田氏からの返答(「9・17戸田見解」)では、もう私を「相手にしない」とか「(私からの)質問に答えない」とか、待たせた挙句、肩透かしであると共に非礼なことです。みなさん、そう思いませんか?

さらには、「人間としての信頼感も絶大」な前田朗教授や、「俄然信頼出来る仲間」の趙博氏や仲岡しゅん弁護士ら「信頼する仲間と共に進むのみ」と宣言しています。前田・趙・仲岡氏らについては、これまでさんざん述べていますので、ここではコメントを省きますが、まあ、言わせていただければ、「類は類を呼ぶ」ということでしょうか。人を信用させておいて平気で掌を返す者らを「信頼」し「共に進む」と言うのであれば、それは戸田氏の勝手でしょうが……。

『カウンターと暴力の病理』より
『人権と暴力の深層』より

そのように戸田氏は、私からの「ご質問」にはほとんど答えてくれませんでしたが、ただ私が借金で訴訟沙汰になったなどというデマに対しては到底許容できませんので、これについては10月31日までの期限で回答を求めています。

人間誰しも誤りはありますから、誤認なら誤認でも仕方ないと言えば仕方ありませんが、こうしたことに対する態度で戸田氏の人間性が現れると思います。戸田氏は私を攻撃する材料として松岡借金訴訟説をみずからのサイトに晒し、私への世間の評価を貶め、さらに鹿砦社の業務に悪影響を与えたといえますので到底許容できません。みなさんがもし、このようなことをされたらどうですか?

ご承知のように鹿砦社は、李信恵氏による「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」といった悪罵の連続に対し民事訴訟を起こし、李信恵氏の不法行為を裁判所が認めました。いやしくも「反差別」運動のリーダーがこんな汚い言葉を発し他人を攻撃してはいけないんですよ。戸田氏についても、氏のサイトの閲読者数や影響力などは鹿砦社の比ではありません。戸田氏に然るべき対処を求めます!
   

◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇

 
戸田ひさよし 様

[送信人]   
2019年10月20日 
株式会社鹿砦社 
代表取締役   
松岡利康    

冠省 失礼いたします。

さて、9月17日(修正版同月19日)に「鹿砦社・松岡代表の『6/30回答』への9/17戸田見解~反ヘイトの行政づくり運動等にネトウヨ並のイチャモン・デマ誹謗で敵対する松岡氏弾劾」を拝受いたしております。

折り返しメール差し上げましたように、ちょうどその頃、小社創業50周年記念出版(『一九六九年 混沌と狂騒の時代』。内容は別途広告参照)の編集・製作作業に追われ再返答の猶予を要請し失礼いたしました。お陰様でそれも16日に校了いたしましたので、あらためて戸田さんの「見解」を熟読しそれに再返答させていただきます。

[1]時系列の整理

かなり時間が経ってしまい、議論自体が消滅してしまった感がありますので、まずは時系列を整理しておきます。

・5月23日 「【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康」(http://www.rokusaisha.com/wp/?m=20190523)を「デジタル鹿砦社通信」に掲載。

・6月9日 戸田さんから松岡に対して「弾劾質問状」が届く。回答期限が6月30日とされていた。

・戸田さん要求の期限の6月30日松岡回答。同時に戸田さんに対して「ご質問」で、戸田さんが求めた期限同様3週間後の7月21日(日)までの回答を要請。7月1日 松岡デジタル鹿砦社通信に、「戸田ひさよし前大阪門真市議からの『弾劾質問』に回答します! また、私からの『ご質問』にもお答えください! 鹿砦社代表 松岡利康」(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=31283)掲載。

・7月11日 戸田さんから回答期限延期の申し入れ(1回目)。

・8月28日 戸田さんから再度の回答期限延期の申し入れ(2回目)。

・9月15日 戸田さんから3度目の回答延期申し入れ(3回目)。

・9月17日 戸田氏から回答(→9月19日修正版)届く。

このように私は戸田さんに要請された回答期限を守りましたが、戸田さんからは3度にわたる「回答延期の申し入れ」がありました。しかし、誰にも忙しい時期や手を抜けない仕事というのはあるものです(私もこのかん、そのような仕事に取り組んでいました)。戸田さんからの回答延期要請は「よほど大切なことでお忙しいのであろう」と思慮し、あえて問題にはしませんでした。戸田さんからのメールには「ちなみに、今回の『戸田都合による対応遅れ』に関して、松岡氏が戸田をどのように批判しようとも、それは松岡氏の自由に属する事だと、私は認識しております」(7月11日メール)との謙虚な見解表明もありましたが、前述の通り誰にでも「事情はある」との考えから、戸田さんの回答延期要請を受け入れました。

次いで8月28日には2回目の回答延期要請が戸田さんから届きました。その中で戸田さんは、「鹿砦社・松岡代表へ。私は下記の7/11発信メールで、『最も遅くとも8月下旬までの見解表明』、と言明しましたが、諸般の事情で、どうしてもそれがかなわなくなり、『9/15までには必ず』、と延期せざるを得なくなりましたので、ご連絡させていただきます。『これが最後の延期』であり、今度こそは必ず期限を守りますので、ご容認下さい。

なお、7/11メールに書きましたように、『戸田都合による対応遅れ』に関して、松岡氏が戸田をどのように批判しようとも、それは松岡氏の自由に属する事だと、私は認識しております。」と書かれていました。2回目の延期要請ということで、私には回答期限を区切っておきながら、少々自分の事情を戸田さんは優先しすぎるのではないか、との想いもありましたが、懇願調の文章をあげつらうのも大人げないと思い、再度の回答延期も受け入れました。

さすがに9月15日には戸田氏から回答を頂けるであろうと思っていましたが、9月15日当日になり、3度目の回答延期要請が来ました。言論の基本的なルールに立てば、みずからが最初に議論を提起し、その回答期限を設けたのですから、相手(この場合私です)の質問にも、同様に対応するのがルールではないでしょうか。

それでも、何回も繰り返しますが、人には絶対に外せない仕事や事情が、時としてあるものです。私は2回目の回答延期要請までは戸田さんの要請を、黙って甘受しましたが、さすがに3度目になると少し穏やかな気分ではいられませんでした。考えてもみてください、もし私と戸田さんの立場が逆であったら、私が1回目の「回答延期要請」するや、戸田さんは私を非難したのではないでしょうか(そのように感じさせるトーンの文面があります)。

[2]遅れに遅れて届いた「見解」──それでいて、私に対し「今後相手にしない」、「デタラメ主張する人物からの『質問』に回答する事もしない」との宣言はいかがなものでしょうか?

このような経緯を経て届いたのが、今回の戸田さんからの回答です。小社創業50周年記念本が校了し、あらためて熟読すると、回答内容は3度の延期(2カ月間)を私に強いたものとは思えない、誠に酷い内容です。戸田さんは私の質問にほとんど答えていません。それどころか、

《【5】愚劣な腐敗を進める鹿砦社・松岡氏を爾後相手にせず!私は私の信頼する仲間と共に進むのみ。
(1)この間、「カウンター大学院生暴行事件」を巡る松岡氏と前田先生の論議を見てきたが、私には圧倒的に前田先生の主張が腑に落ちるし、人間としての信頼感も絶大である。盟友の趙博氏にしても仲岡弁護士にしても断然信頼出来る仲間であり、その友誼は変わらない。
(2)逆に「6/30回答」によってその腐敗性が明らかになった松岡氏については、今後相手にしない。当然にもこれほどまでにデタラメ主張する人物からの「質問」に回答する事もしない。
(3)この「9/17戸田見解」に対して松岡氏がどのように対応しようとも自由であるが、私への新たな攻撃がなされた場合は、当方のやりやすいやり方で断固として反撃追及する。
(4)当方の「6/10弾劾質問状」記載の<「デジタル鹿砦社通信:5/23」における戸田に関してのデマ誹謗の記述を撤回、謝罪されたい。>という要求は、今後も継続する。~「ヘイト加担公務員N追及配転要求」が「公務員いじめ・迷惑行為・業務妨害である」というデマ~
(5)鹿砦社・松岡氏は、「6/30回答」で展開した愚劣で反動的な諸々の主張を撤回し、真摯な反省の姿勢を示せ。 
(6)ヘイト問題については、「ヘイトを許さない社会づくり」のための全国各地での実践や論理を鹿砦社組織として一から勉強した上で、適切有効な取材・報道が出来るように努力せよ。》

と、一方的に私(及び鹿砦社)を非難した挙句、「逆に『6/30回答』によってその腐敗性が明らかになった松岡氏については、今後相手にしない。当然にもこれほどまでにデタラメ主張する人物からの『質問』に回答する事もしない」と言い切っておられます。

戸田さん、いくらなんでも、紳士的に回答の延期を2カ月遅らせることを了承した相手に、「これほどまでにデタラメ主張する人物からの『質問』に回答する事もしない」とは失礼の度を越していませんか? 回答に窮して一方的に議論を打ち切られた前田朗教授と同じですね。

仮に私をそのように見なしているのであれば、2カ月も回答を延期せず「あなたとは今後一切のやり取りをしない」と直ちに通告いただければ済んだ話ということになりはしませんか? 私は末節で意見の違いがあろうとも、戸田さんとの議論の中で「反差別」とはいかにあるべきか、を深めたいとの想いもあって公開の討論を受けたのです。それを一方的に私(鹿砦社)を罵倒し尽くして、「『質問』に回答する事もしない」は、完全に言論のルール違反です。そうではないですか?

戸田さんのご回答は、私が質問した8項目のうち、「ご質問2」にしかお答えいただいておりません。「ご質問2」について戸田さんが、どのようにお考えかは理解しました。N氏に対する人物評価と、戸田さんの取った行動についての見解が、私と戸田さんとでは異なることは確認できました(戸田さんは大阪で「在特会」と思われる集団から、酷い暴行を受け、眼鏡を損傷されたご経験がおありであることを承知しています。あのような暴徒は私も断じて許せませんし、戸田さんが当時お感じになった、差別的暴徒への怒りも理解できます。

しかしながら、戸田さんが職場(児童相談所)を訪問されたN氏は、街頭で差別言辞を振りまく行動に参加したことのある人物ではありません。彼は在特会を明確に嫌悪しています。集団暴行と言っても差し支えないほどの酷い襲撃を経験なさった戸田さんが「街頭での明確な差別行動」に怒りを感じることには、私も共感します。でもN氏は保守的な考えの持ち主(時に差別的ととらえられることもあるでしょう)ですが、あくまでも、ネット上で自身の意見を開陳しているだけの人物です。私は、戸田さんがサイトで書かれたN氏へのイメージからコワモテの方と思っていましたが、裁判傍聴でたびたび会って話すと、まさに人の好い下級地方公務員でした。

そのような人物の職場に、戸田さんともあろう方が遙々赴く必要があったのかとの疑問は依然変わりません。戸田さんが嫌う“弱い者いじめ”としか私には思えません。戸田さんのような大物が訪問するのであれば、日本会議や神社本庁、あるいは首相官邸など、もっと明確に差別意識、及び権力を保持した対象があったのではないでしょうか。

他の質問についても「公開」の議論を相互に承諾したのですから、是非お答えいただきたい。繰り返しますが私は、戸田さんの要請を受け入れ期限から2カ月(6月30日に「ご質問」を発して2カ月半)も待ったのですよ。

[3]私が借金で訴訟沙汰になったとのデマに対しては厳重に抗議し明確な説明と撤回と謝罪を求めます!

特に、絶対にお答えいただかなければならないのは、

《ご質問3: 6月1日の戸田さんのサイトで、「『松岡氏の旧ブント仲間OBからの借金踏み倒し事件』を戸田が信頼する複数の被害関係者から話を聞いて」「『借金事件』は裁判になったけれども、原告(貸した側)が(不当に?)負けた」云々とありますが、この原告の名前、裁判所、事件番号を明らかにしてください。》

です。はっきり申し上げますが、これは事実無根の極めて悪質な名誉毀損です。この質問に対し戸田さんは「恫喝をかけてくる始末である」と述べられていますが、果たしてそうでしょうか?

この際、他の質問項目は度外視しましょう。戸田さんは明確に《松岡氏の旧ブント仲間OBからの借金踏み倒し事件』を戸田が信頼する複数の被害関係者から話を聞いて」「『借金事件』は裁判になったけれども、原告(貸した側)が(不当に?)負けた」》と記載されましたが、そのような事実はないのです。私の質問は「恫喝」でもなんでもありません。これがいかに重大な名誉毀損(鹿砦社に対しては「営業妨害」)に該当するかは、長年市会議員をなさってきた戸田さんであれば、おわかりでしょう。

現在警察をはじめ権力が「関西生コン」に対しでっち上げ弾圧をしています。でっち上げとは「事実のないこと」です。「関生」へのでっち上げ弾圧を糾弾する戸田さんが、私(と鹿砦社)に対して、非常に悪辣なでっち上げを明言されました。しかも戸田さんはそのことについて一切お答えにならない。

最後通告です。私(たち)はいたずらに、問題を係争案件にはしたくありません。ですから、

《ご質問3: 6月1日の戸田さんのサイトで、「『松岡氏の旧ブント仲間OBからの借金踏み倒し事件』を戸田が信頼する複数の被害関係者から話を聞いて」「『借金事件』は裁判になったけれども、原告(貸した側)が(不当に?)負けた」云々とありますが、この原告の名前、裁判所、事件番号を明らかにしてください。》

についてだけは、真摯な説明と撤回と謝罪を要求します。この件だけですからすぐに答えることができるでしょう、回答期限は10月31日とさせていただきます。

この件については、事実無根(悪質なデマ)ですから、戸田さんには、明確な説明責任があります。戸田さんが本件について、撤回と謝罪を明確にしていただければ、私はこれ以上戸田さんを追及するつもりはありません。考え方の違い、感性の違いといった問題ではなく、ことは重大な名誉毀損なのです。真摯なお答えをお待ちいたします。

[4]戸田さんが連携する人たちによるヘイトスピーチ、ヘイト行為について戸田さんのご意見をお聴きしたく存じます!

もう一つ、いい機会ですから、これは質問項目にはありませんが、ぜひお聴きしたいと思います。

戸田さんは今回の「9・17見解」において、私が「反ヘイト」分野になると「歪んだ判断と行動になってしまう」と批判されています。とんでもありません、私は原則的にいかなる差別にもヘイト行為にも反対しています。似非反差別主義者や似非反ヘイト主義者とは違い、いわば「左」からの差別やヘイト行動をも批判しています。

例えば戸田さんが連携する「カウンター/しばき隊」に私が疑問を覚えたのは、彼らによる、韓国から母子で研究に来日している鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン)さん(当時京大研修員)に対する激しいバッシングでした。さらに公立病院に勤める在日の金剛医師に対する攻撃、これは、あろうことか勤務先の病院にまで複数の人物によって激しい電凸攻撃がなされました。ことは人の生死に関わる病院ですよ、これをやった者らに「人権」という思想はないのでしょうか。戸田さんは当然、鄭さんや金医師に攻撃をやった者らを「お前ら、何をやってるんだっ!」と一喝し批判されますよね? 鄭さんや金医師は、差別主義者でも極右・ネトウヨでもレイシストでもありません。鄭さんや金剛医師への口汚い言葉こそ、言葉の真の意味でヘイトスピーチですし、そうした行為こそヘイト行為ですので、私はこのカウンター/しばき隊によるヘイトスピーチやヘイト行為をやった者たちを実際に批判しています。戸田さんが「反ヘイト」をおっしゃるのであれば、戸田さんが連携している者らによるヘイトスピーチ、ヘイト行為を人間関係とは関係なく批判されますよね? 私には戸田さんがカウンター/しばき隊によるヘイトスピーチ、ヘイト行為を批判されているのを見たことがありません。もし過去にカウンター/しばき隊メンバーの言動を、戸田さんが批判された事例があれば、その部分をご教示ください。

誰にでも勘違いや間違いはあります。無意識に差別的な言動を行う可能性は、私にも戸田さんにもあります。世界には私たちの知らない価値観が無限に存在するのですから。そういった場合には、いきなり人格否定ではなく、当該「行為」を批判すべきだと考えますがいかがでしょうか?  

以上 

◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇

【関連記事】
◎松岡利康「戸田ひさよし前大阪門真市議からの『弾劾質問状』に回答します! また、私からの『ご質問』にもお答えください!」(2019年7月1日付け本通信)

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【カウンター大学院生リンチ事件】金良平氏よ! M君に賠償金を払え!

《6月12日、リンチ被害者M君が5名を訴えた上告について、却下の連絡が代理人の大川伸郎弁護士へあった。賠償を命じられた李普鉉氏からは「賠償金を支払いたいので口座を教えてくれ」と代理人から連絡があった。一方金良平氏からは何の連絡もないので、大川弁護士は金良平氏の代理人に「賠償金の支払い」を求める旨と、大川弁護士の銀行口座明細を記載したFAXを送付したが、7月2日現在大川弁護士には、金良平氏の代理人から何の連絡もないという。》

ここまでは7月3日、本通信でお伝えした。その後さらにM君はがっかりさせられる経験に直面した。7月10日付で金良平氏の代理人、姜永守弁護士から、一方的に「分割払い」を前提とした「合意案」の提案がなされたのだ。その詳細は明らかにしないが、なんと月にわずか5万円の支払いで、2021年までかけて弁済をするという、身勝手極まりないものであった。

M君と支援会は即座に対応を検討し、「こんな我が儘は取り合えない」で速やかに一致した。7月12日にM君代理人の大川伸郎弁護士から姜弁護士に対して、「『分割払い』にするのであれば、姜永守弁護士が連帯保証人に就任することを条件にする」との逆提案をおこなった。ところが、姜弁護士は日弁連の定めた「弁護士職務基本規定」を盾に連帯保証人への就任を断る回答を返してきた。

「弁護士職務基本規定」は法律のような響きがあるが法律ではなく、日弁連が定めた、いわば「ガイドライン」のようなものである。そこには代理人就任した依頼者の保証人には就任しないほうが良い、という趣旨の文章は確かにある。しかし、法的には姜弁護士が金良平氏の連帯保証人になることは何ら問題はない。

代理人に就任したのであれば、どうして最後まで責任を取らないのだ、と姜弁護士には強く聞きたいところである。そこで取材班は姜弁護士の所属する「ポプラ法律事務所」に電話取材を試みた。ところが電話をかけ、鹿砦社を名乗ると、「姜弁護士は事務所にいる」と言いながら電話をつながず、事務員と思しき女性が氏名や電話の目的などを事細かく聞いてくる。

保留音のあと「この件ではお答えできません」とふざけたことを言うので「あなたは、わたしの個人情報と取材目的を聞きながら電話を繋ごうとしない。そんな不誠実な態度は社会的に容認されるものではない。すぐ姜弁護士に繋いでくれ」と要請すると、ようやく姜弁護士が電話口に出てきた。が、姜弁護士に何を質問しても「答えられない」の一点張りでまったくらちが明かない。挙句「話すことはないから切ります」と一方的に電話を切られた。

こういう対応をしているから、しばき隊関係者は社会的信用を失っていくのだ。争いの当事者であろうがなかろうが、一定の社会的関心が持たれている事件の、鹿砦社はいわば「告発者」である。警戒する気持ちは分からぬではないが、われわれは「M君リンチ事件」で無理難題を求めてきたことはない。この日の電話のテーマだって、通常は考えられない「賠償金の分割払い」を提案してきた非常識に対して常識的な質問をしようとしていただけである。どうして逃げるのだ! 姜弁護士!

そして姜弁護士が、「弁護士職務基本規定」を盾に取り、連帯保証人就任に難色を示すのであれば、金良平氏の代理人ではないが、鹿砦社を目の敵にする神原元弁護士が連帯保証人に就任すればよいではないか。下記写真の通り、一審判決の直後に「敗訴しながら祝勝会」を開くほど近しい中である。「エル金は友達」という不思議なツイッター上での印象操作も過去あった。「友達」だったら、困ったときには助けてあげるのが筋じゃないのか。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

あるいは事件後すぐに100万円でM君に刑事告訴を断念させようと、金を出した伊藤大介氏でも構わない。もちろん李信恵氏や、事件が「なかった」「喧嘩はあったけどリンチはなかった」と繰り返した中沢けい氏や、国会議員の有田芳生氏でも構わない。金良平氏が賠償金の「分割払い」を求めるのであれば、だれかが連帯保証人になることを真剣に検討する気が、どうしてわかないのであろうか。

それ以前に、たかが100数十万円の金である。なぜ金良平氏に貸したり、カンパでこんなはした金が集まらないのだ。金良平氏を早く「リンチ事件の債務者」という縛りから解放してあげようと思う人間はいないのか。

取材班は「しばき隊は嘘つきである」証拠を山ほど探し当ててきたし、直接対話でも経験しているので、彼らは結局、金良平氏の負債を「無きものにしよう」、「M君への賠償支払いを無きものにしよう」と良からぬ合議を済ませているのではないかとの疑いが強まる。その論の延長には、恐ろしいことであるが、金良平氏は「いてもらっては困る存在」という将来像が浮かび上がってくる。

よいか! 金良平氏よ! あなたは、しばき隊から「面倒扱い」されたある「男組」関係者がどのような結末をたどったか、知らぬわけではあるまい。金良平氏よ! あなたは証人尋問の際、M君に頭を下げて詫びたではないか。「友達」や弁護士が頼りにならないのであれば昼夜働いてでも、一刻も早く賠償金をM君に支払うのが、あなたの将来のためでもある。

鹿砦社は「ケジメ」をつけた一般人をしつこく追いかけたりはしない。金額には不満だが、裁判所が金良平氏に支払いを命じた金員をM君に支払えば、金良平氏に対する言及を行う必要は、基本的には消滅する(また違う悪さに手を染めれば別であるが)。しかし、そうでなければ、金良平氏、並びにその周辺にいる「エル金は友達」であったはずの連中が、どれほど悪辣な嘘つきであるかを、指弾し続けなければならない。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

(鹿砦社特別取材班)

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