◆前回のあらすじ

今日の日本における、英語教育に関する議論にはメディアリテラシーについての観点が欠けているように思われる。重要なのは英語をはじめとする他言語から情報を得て、多角的な観点を持つことである。多くの国の公用語である英語やスペイン語などとは異なり、日本語は日本一国でしか使用されない。日本語の情報の多くは日本から発信された情報であるため、日本的フィルタリングがかかってしまう。メディアリテラシーを高めるためにも、いくつも言語を理解できることは極めて重要である。 ※前回リンク

◆相対的に弱まる英語=西欧文明の覇権 諸文明の台頭と多言語化

さて、今後の状況を見ると外国語として英語だけ学ぶというのでは不十分かもしれない。近年、アメリカやヨーロッパの西欧文明が弱体化し中華文明・イスラーム文明・東方教会(ロシア)文明などが自身の論理を主張、「民主主義」「人権」といった西欧文明の理念を否定し、自分たちが望む体制の構築に取り組み始めた。西欧文明の英語だけではもはや不十分であり、中華文明の中国語やイスラーム文明のアラビア語といった各々の文明圏で有効な言語を学ぶことも重要になるのではないだろうか。

◆日本の学校のずさんな「英語教育」と外国人学校という選択肢

『平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果』

しかし誠に残念ではあるが今の日本の教育現場で多言語教育を期待するのはほぼ不可能であろう。英語をまともに話せて教えられるような教員はほとんどおらず、ひどい例では自称「英語教師」が駅前の英会話学校に通っている様である。

さらに文科省の2016年の調査によると、英検準1級・TOEIC730点以上の英語力のある「英語教師」は、中学教員で全体のわずか33.6%、高校教員でも65.4%しかいないことが分かっている。もっとひどい例では、2016年に京都市を除く中学校の英語科教員でTOEICを受験した74人中、730点以上を獲得したのは16人で、約2割にすぎなかった。最低点は280点で、500点未満が14人もいたという。京都府教育委員会は「英語科教員の資質が問われかねない厳しい状況だ」としている。

※参考URL
『京都府 中学英語教員、TOEIC「合格」わずか 疑問も』
『平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果』 

こんな状況で日本の学校(特に公立)で英語に加え、さらに第二言語として中国語や韓国朝鮮語などを学ぼうとするのは絶望的に不可能である。一部、まともな外国語教育をしている学校もあるがそれは例外である。私は日頃から「学校」という洗脳機関には、嫌悪感を抱かざるを得ない。教育委員会が生徒間のいじめ(という犯罪)による自殺事件の調査や事前防止をないがしろにしたこと、部活の顧問による生徒への体罰、そしてあまりにもずさんな「英語教育」の現状……。

本当に「センセー」方には生徒を教えようとする意志があるのだろうか。とりわけ公立学校の教員というのは公務員だから少しぐらい適当にしても、解雇されないと安心しているのではないだろうか。一体、これほど英語能力が低いのになぜ彼らはかつて英語教師を目指そうとし今は「英語教師」として私たちの税金で生活しているのか全く疑問である。

今のところ、一般的な日本人が多言語教育を期待できるのは外国人学校ぐらいしかないのかもしれない。日本の各地には台湾や韓国朝鮮、ブラジルやインドなどの様々な外国人学校がある。これらの学校なら、日本の学校よりもずっとまともな多言語教育が期待できるだろう。また一般的な日本人がこのような外国人学校に入ることで自らの社会における立ち位置を相対化できやすくなるのも長所と言える。

時代はまさに多言語化である。「日本語しかわからなくても生活できる」という意見は論外であるし、さらに「外国語は英語だけでよい」という意見も不十分である。私たちは様々な言語を身に付け、多角的な視野を養う必要がある。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

〈原発なき社会〉を目指して創刊5周年『NO NUKES voice』20号 6月11日発売【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

最近は外国からの移住者が増え、教育の現場でも外国にルーツを持つ児童が増えてきたし、地域によっては横浜のいちょう団地のように住民の4分の1が外国籍というところも出てきた。ここまで来ると、日本語だけわかればよいという状況ではもはや対応できない。

日本では言語教育については、ほとんど英語と日本語の2つだけについてしか論じられない。「グローバル化の急速な進展に伴い英語は必須」「国語力がしっかりしないとどっちもつかずになる」といった賛否両論がある。私にはこれらの類の議論には、メディアリテラシーを高めるためだという観点が決定的に欠けているように思えてならない。


◎[参考動画]10ヵ国の児童が学ぶ 驚きの多国籍小学校(SUMIYA Spa & Hotel 2019/1/13公開)

日本語で「韓国人 ムスリム」と検索した様子

◆言語とメディアリテラシー

そもそもなぜ外国語を学ぶのかというと、海外との接点を持ちそこから情報を集め、視野を広めるためである。英語はあくまでそのためのツールにすぎず、より本質を突き詰めると「他の言語を使いこなしそれによって多角的に物事を俯瞰できる」能力が重要になる。

言語が異なると同じテーマであっても、発信情報はかなり異なってくる。韓国について日本語で検索するとネガティブな内容が多い。例えば、Googleで「韓国人 ムスリム」と検索すると韓国人によるムスリムへの差別的な行為などがヒットする。韓国は悪い国だと言いたい内容が多い。

しかし、英語で「korean muslim」と検索すると韓国人の改宗者の話などがヒットする。中立的な立場から韓国におけるムスリムの状況が書かれている。同じことでも言葉が異なると、検索結果も異なるのである。これが日本語や英語だけではなく、中国語やフランス語などの検索結果なども含めると様々な視点を得ることができよう。

英語で「korean muslim」と検索した様子

(余談だが、日本人が想像している以上に韓国の国際的な評価は高いと思われる。あるチュニジア人女性と話した時に韓国について聞くと、アラブ世界では韓国は「礼儀正しい国」「イノベーションの国」と認知されているという。また韓国ドラマも多数アラビア語に翻訳され、チュニジアでも放送されているとのことであった。私たちはアラブ世界やヨーロッパといった第三者の観点から韓国を見ることが重要なのかもしれない)

日本語は日常生活から高度な学問用語まで網羅しており、日本で暮らすにあたっては日本語しか理解できなくてもビルの清掃員やバーテンダー、プログラマーや大学教授、ペットショップの従業員に至るまで様々な職に就くことが可能である。しかしメディアリテラシーの観点から考えると、日本語しかわからないということは極めて致命的なことである。

そもそも日本語を公用語している国は日本だけである。そのため、日本語で発信された情報の圧倒的多数は日本発になる。それは日本一国からの視点に偏りがちになる。英語ならば公用語とする国は米英の他にシンガポール、ケニア、フィジーと数多く、よって英語で発信された情報は様々な国からの視点を持つ。スペイン語にしても公用語とする国は、メキシコ、アルゼンチン、赤道ギニアなど数多く、やはりスペイン語で発信された情報も多くの視点を備えている。多くの日本人は日本語しか理解できないため、ネットで情報収集する時も日本語で検索しがちである。その結果、日本的視点でフィルタリングされた情報ばかりを取得することになる。

過去に話したことのあるシンガポールからの帰国学生の意見によると、日本政府は「日本人が海外の情報を閲覧しないように英語能力をあえて低くしているのではないか」とのことであった。真偽はともかく、これは政府にとっては極めて都合がよいことである。日本語しか理解できないゆえに国民が「自発的」に日本から発信された情報しか見ないとすれば、中国のようなファシズム大国のようにわざわざ高度な検閲システムを構築しなくてもすむからである。(つづく)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

〈原発なき社会〉を目指して創刊5周年『NO NUKES voice』20号 6月11日発売【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

今日は急激な技術発展があり、情報分野から生物学、工学に至るまで高度なテクノロジーが日々開発されている。発展のスピードは指数関数的であり、かつてSF映画で見たような技術が実用段階にあるというケースも少なくない。

◆テクノロジーを理解しようとする努力

だが、人間はそれらをうまく使いこなせているだろうか? ゲーム中毒やスマホ首などの症状、また手書きの時に文字を思い出せなかったり、GoogleMapに頼らなければ目的の場所にたどり着けなかったり……。人間が技術に操られていると思うような場面も少なくない。

しかし、人間は技術を適切に使いこなすべきであり、技術に操られるようなことがあってはならない。そのためにも人間が自らの能力を高めておく必要があるのである。

私たちの身の回りにあるスマートフォン、自動車、PC、エアコンといった高度な技術製品はその道の専門家でなければ分からない、ブラックボックスである。普通の人にはその内部構造や生産工程は全く理解できない。

しかし、可能な限り技術や製品について理解しておいた方がいい。文献やヒアリングで情報を得る、実物の中身に見てみるといった行為は理解する上で非常に重要である。また、移動する際も自動車や電車で移動するのではなく、自転車や徒歩で移動する機会を増やしたりすることで「体で考える」経験を増やす。アナログ的要素は古臭いと思われるかもしれないが、実はテクノロジーをコントロールする上で非常に重要なのである。

高度なテクノロジーを利用すること自体は悪いことではないが、それに過度に頼りすぎることはやがて自分の能力を低下させ、今度はテクノロジーに自分が操られるようになるのである。便利だからと楽だからとテクノロジーに依存しすぎるのは間違いである。

◆高度なテクノロジーも結局は道具である

技術自体に善悪はなく、善悪は常に人間の側にある。となれば、いかに高度で優れた技術があったとしても使い方を誤れば、悪い結果を引き起こす。いくら立派な包丁であっても、それで人を刺殺すればただの凶器になりさがる。一方、簡易な包丁であってもうまく料理を作れば人を喜ばせられるのである。

いい事例が中国だろう。近年、中国のICT技術は急速に発展しており自動運転技術、ドローン、キャッシュレス決済などで世界をリードするようになり、プログラミング雑誌を読んでいても時折中国を「IT先進国」と呼ぶ記述も目にすることが増えてきた。経済特区の深?は「中国のシリコンバレー」と呼ばれるほど高度なIT都市である。

 

監視カメラから見た街の様子。AIが個人や車を認識している緑の枠が出ている。参照『China: the world's biggest camera surveillance network - BBC News』

しかしその一方で小説「ビッグブラザー」をしのぐような、IT技術を駆使した徹底的なファシズム体制が完成しており、もはや国民が中国共産党を批判することはほぼ不可能になっている。反政府活動家がメールやSNSで連絡を取り合ってもすぐに削除されてしまうか、公安によって逮捕されてしまう。「金盾」というインターネット検閲システムで政府に都合が悪い単語は検索ができず、facebookやtwitterといった海外のSNSも利用できない。

極めつけは「天網(スカイネットと呼ばれることもある)」と呼ばれる監視ネットワークシステムであろう。これは全国に張り巡らした監視カメラとAIを連動させることで全国民を1人1人監視するという恐ろしいシステムである。

※参照『China: “the world’s biggest camera surveillance network” – BBC News』

「天網」について貿易の仕事で中国を行き来する知人の話によると、上海や北京のような大都市はもちろん、カシュガル(新疆ウイグル自治区)のような田舎町にも数十メートルおきに街角に監視カメラが設置されているという。さらにはモスクや教会の内部にも監視カメラが設置されているようである。「高性能」なAIによって対象人物の80か所以上の特徴を瞬時に判断し、特定できるという。近年はこのような監視システムがケニアなどの途上国にも輸出され始めており、それは中国流のサイバーファシズムが世界に拡散しているということに等しい。

◆いかにテクノロジーが発展しようと、それを使う人間はしっかりしなければならない

技術の使い方を間違えるとどのようなことになるのかと言うことについて、中国の監視システムはいい反面教師になるだろう。

つまるところ技術によって善い行いができるかどうかは、人間次第だということである。テクノロジーが高度になればなるほど、それを使う人間もみずからを向上させなければならないだろう。そのためにも人間がしっかりしなければならない。技術に対する倫理や理念の学習、運動能力や思考能力といった人間本来の能力の向上といったことは極めて重要である。高度な技術によって人間が怠けたり、またその使い方を誤るといったようなことがあってはならない。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

本日発売!月刊『紙の爆弾』7月号! 大義なし、争点なしの“解散風”「衆参ダブル選」の真相

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

◆前回のあらすじ

敗戦直後の伊豆大島は、GHQの命令によって日本本土から切り離される可能性があった。そこで島民たちが独立・建国について真剣に議論した時があった。この時に「大島大誓言」と呼ばれる憲法を、島民たちが作成した。彼らの職業は大工や茶屋の店主、教師などであり、法の専門がいない中でこのような大事を成し遂げたのは非常に注目に値する。最終的に伊豆大島は日本政府の統治領域に含まれることになり、独立論は消滅した。

◆今こそ伊豆大島独立論を再考すべき時

ナショナリズムの観点からしか独立・建国はできないのか?

ここまでで、戦後の伊豆大島で本気で新しい国を興そうとした動きがあったことを述べた。この伊豆大島独立論は、今を生きる私たちに何らかの示唆を与えてくれるかもしれない。

琉球諸島では、米軍基地問題に関する日本への不満から独立を模索する動きが出ているが私たちも独立や建国といった手段を考察してもいいはずである。それは原発再稼働や共謀罪の成立によって、「本土」にいる私たちも既に危険な状況にいるからである。

そのためには、今の「国際社会」の在り方を相対化する必要がある。今の主権国家体制にとらわれるままでは、建国は困難である。なぜなら、今日の国家はいわゆる「国民国家」でありナショナリズムによって形成されているからである。ナショナリズムとは「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とする政治原理である。この考えに基づくと、琉球諸島は琉球民族・先住民族という理由から独立できる。しかし、原発で苦しむ福島やあるいは安倍に不満を持つ日本各地の日本人が「独立」と主張しても、「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とするナショナリズムの観点から容認されない。国連などが支持しないばかりか最悪の場合は「テロリスト集団」と呼ばれる。

さらに主権国家体制は国家間のカルテルである。それぞれの国々が承認して初めて「正式に」国家と認められるのである。したがって、私たちが新しい国を建国して優れた行政機関や経済体制を構築しても、「正式に」国家と承認されなければ「国際社会」から排除される。例えば、台湾は領域・国民・政府を持ち事実上、国家である(それも先進国レベル)にもかかわらず、中国の圧力で「国際社会」で承認されないので国家と見なされない。一方、シリアのアサド政権のように自国民を平気で戦闘機で爆撃するような、ならず者国家であっても、この国家カルテルのおかげでシリアにおける「正当な」国家とみなされるのである。

そもそも他の国家が承認しないと、「正当な」国家と認められないとは非常におかしなことである。国家を構成する最低要素は、領域・国民・政府なのである。過去の歴史を見れば「承認」自体が存在しない事例の方が圧倒的に多い。

謁見を受ける太平天国の王・洪秀全

例えば、清末の中国で15年にわたり存続した革命政権の太平天国は、清朝政府からはもちろん容認されず、周辺の日本・朝鮮も太平天国を正式に国家と認めるようなことはせず、テロリスト集団のように見なしていた。しかし、長江流域を支配し何十万もの人民を従え、キリスト教思想に基づいた半場神権的な統治体制を敷いていたのであり、それはもはや国家であった。

時代は下って、イラクとシリアに跨る領域にカリフ制国家の再建を宣言したイスラーム国(IS)も、残虐行為から嫌悪され国家と見なされることはなかった。しかし、一時期イギリスに等しい領域を支配し、そこの住民を支配し、サラフィー主義=ワッハーブ主義に基づく政治体制を敷いており国家建設の計画書まで作成していた。その実態は国家であったと言える。以上、これらの理由から「承認」がなくても構成要素があれば国家は成り立つのである。

私たちは主権国家体制を徹底的に相対化し、これまでの国家体制とは違うオールタナティブなシステムの構築が必要である。パスポートの不要、移住の自由化、国家による教育禁止、国籍による生活における待遇の禁止、ナショナリズムの禁止など……。今の世界各地の状況を見ても、主権国家体制はほころびを見せ始めている。EUにおける反難民の動き、トランプによるメキシコとの国境での壁建設、破綻国家化したシリアやイラクからの住民の脱出……。

私たちが目指すべきは、抑圧のないアナーキズムな社会である。そのためにも今の日本国家から抜け出し、自分たちで新しい国を興すことを真剣に議論しなければならない時に来ていると言える。(完)

◎かつて存在した伊豆大島独立論 残されたのは”建国”か
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30013
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30022

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

現在沖縄県では、日本当局による辺野古新基地の建設強行やそれまでの歴史的経緯も踏まえ、「琉球独立」に関する議論が本格的な行われている。琉球独立党の系譜を受け継ぐ「かりゆしクラブ」は2015年に、他の独立派と共に日本政府に対して琉球の独立を主張。また、2013年は松島泰勝・龍谷大学教授や友知正樹・沖縄国際大学教授、桃原一彦・沖縄国際大学准教授らによって「琉球民族独立総合研究会」が設立されている。他にも、沖縄県民の中には日本社会への反発からか本土を「日本」と呼んで他国のように認識している人もいる。

今の日本では「独立」に関する議論は琉球列島のみで認知されているが琉球に限定せずに、今の安倍政権に不満を持つ者であれば誰であれ、独立・建国という手法について議論してもよいのではないかと思う。そもそも現状を見れば、共謀罪成立や裁判所の腐敗(極端に言うともはや存在意義なし)、主要メディアの大政翼賛会化、選挙での自公の連戦圧勝などでもはや政治参加による改革は絶望的と言わざるを得ない状況になっている。

伊豆諸島の地図。「大島」が伊豆大島

◆かつて存在した伊豆大島独立論

敗戦直後、ある島が日本からの独立について考えたことがあった。それは伊豆大島である。伊豆大島と言えば、川端康成の「伊豆の踊り子」や三原山の大噴火、椿の生産などで有名な島である。東京の竹芝桟橋から南に120㎞、夜行船で揺られること8時間、伊豆諸島のもっとも北に位置し、他の新島や式根島などに比べても人口も多く土地も広い島である。

伊豆大島の独立構想についての新聞記事(『幻の憲法「大島大誓言」が行方不明に』)や当時の関係者へのインタビューや資料の整理を実施した『伊豆大島独立構想と1946年暫定憲法』(榎澤幸広、名古屋学院大学論集 社会科学篇 第49巻 第4号 pp125-150)という論文がある。

この論文によると、1946年1月下旬~3月22日の間に島民たちが自力で伊豆大島暫定憲法(正式名称・大島大誓言。以下、大島憲法)を策定したという。当時は島内に法律専門家がおらず、一人一人が持てる知識を生かして考案したようである。

大島憲法が制定されるに至ったきっかけは、1946年1月29日のGHQ覚書(正式名・「日本からの一定の外辺地域の政治的行政的分離」)にあった。この中で、琉球諸島や小笠原諸島などとともに伊豆大島も日本政府の統治領域から除外されることになった。

この情報を得た伊豆諸島の各島では、異なる反応があった。利島では日本への復帰を求める運動が起き、式根島では日本からの分離については噂程度にとどまったので大きな運動はなかった。伊豆大島・八丈島・三宅島では独立を模索する方向に向かった。この中で、もっとも具体的に独立が議論されたのが伊豆大島であった。

1986年に大噴火を起こした伊豆大島の三原山。黒いのが溶岩の流れた痕跡

日本からの分離となると、米軍の支配を受ける可能性が高くなる。そうなるなら、自分たちで独立しようという考えであった。この流れの中で、島の関係者が集まって大島憲法が作成されていくことになる。

この大島憲法が考案されるより前に開かれた大島島民会では大島憲法につながる理念の整理が実施された。そこでは、「軍国主義が破滅への道を開いたこと」「戦争を疑わずに国家に協力したことで島を悲惨な状況に導いたこと」「理想郷を作り、世界平和に貢献すること」などといったことがまとめられていた。

その後、作成された大島憲法は島民を主権者とする統治体制、直接民主主義的な要素、議会解散や執政不信任に対する有権者による賛否投票、平和主義の強調などの趣旨を盛り込んでおり、日本国憲法との共通点を持つ。

驚くべきは憲法を作ったのは、島民たちでその中に法律の専門家は全くいなかったということである。作成に関わった者の職業は大工、茶屋の主人、教師などであり、彼らは文献や新聞で法律に関する知識を得て社会活動に関わっていたものの、決して専門家ではなかった。法律については「素人」といっても過言ではない彼らが、ましてや憲法を作ろうとすることは並大抵のことではなかった。

今日、高度な法知識を持ちながら、原発の再稼働を容認したり取り調べで被疑者の自白を「証拠」と認めるような「裁判官」や冤罪を度々引き起こしながら平気な顔をしている「検察官」がいるが、彼らは法の「専門家もどき」である。いかに法の知識を持っていようと、正しく法を運用できず正義を守れない者が「法の番人」を名乗る資格などない。大島憲法を作った者たちのように、素人であっても正義を重んじ、まさに「人の道」に沿った法の運用をしようと者たちこそ「法の番人」にふさわしい(つづく)。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

◆会社のサイトやパンフレットは「嘘のオンパレード」

さて「就活」にあたっては、会社のサイトを閲覧したり会社説明会に参加するというのが通例だが、そこで得られる情報など嘘ばかりである。サイトの会社紹介は嘘のオンパレードであり、いかに良く見せようとばかり考えている。会社説明会でも悪いところ(会社の真の姿)はまず言わない。実際入社してみると、給与や勤務時間などで言われていたのとは違ったという話は多い。

自殺した男性の遺族の記者会見

例えばニュースになったが、JAXAの人工衛星「いぶき」の管制業務を請け負っていた男性(当時31歳)が2016年10月に自宅で自殺したという事件があった。

※参照『JAXA管制業務の31歳男性が過労自殺 労災を認定』

男性は管制業務に就いてから、16時間半に及ぶ夜間勤務を月に約7回こなし、月の残業が70時間を超えることもあった。さらに管制業務に加えてソフトウェア開発まで命じられていた。仕事のことで、同僚の前で上司に厳しく叱責されることもあったという。土浦労基署は長時間労働やパワハラが自殺の原因だと判断し、労災と認めた。

男性が勤めていたソフトウェア開発の「株式エスシーシー(SCC)」(東京都 中野区)のサイト(https://www.scc-kk.co.jp/edcgroup/index.html)によると「従業員満足の実現」とは

・明るく健全な職場環境を維持し、働きやすい環境を維持しています。
・会社を支える社員を人財として大切にします。
・社員は常に誠実、真摯に業務に取り組み、自己向上に努め、会社に誇りと自信を持って行動しています。

だという。まったく皮肉である。実態は過剰労働やろくでなしの上司のパワハラで徹底的に搾取されていたのである。

もう一つの事例をあげよう。

私の友人の話によると、品川の西五反田にある会社で「ダイバーシティ(多様性)を重んじる」という会社・C社を受けた。C社は主に証券や金融システムを作っていて、AIやブロックチェーン(仮想通貨などに使われる最新技術)の研究にも取り組み、「働き方改革」に熱心であるとサイトでPRするなど一見「進歩的な」IT会社であった。友人はいざ受けたが、あっさり落とされたという。

私は友人が落とされた理由で思い当たる節があった。友人は吃音であった。その会社はプログラミング未経験の文系出身の学生も採用しているので、情報系の学科にいる友人は能力的に問題ない。また彼は自身のブログで制作した作品を公開しており、プログラミング能力や文章力も十分あることを第三者から判断できるようにしている。また友人は小さなIT企業でアルバイトをしていることも会社に伝えていた。となると、やはり吃音が影響したと考えざるを得ないのである。

「多様性を重んじる」というなら吃音者も受け入れることもダイバーシティだと思うが、結局C社はハンディキャップのある人間を排除した(つまり差別した)のである。

以上のように会社のサイトに書いてあることがいかに偽善や嘘で塗り固められたものであるかがよくわかる事例である。

「就活で多くの会社を見れていい」という意見もあるが、「就活」で会社が本当の姿を見せることはまずない。会社説明会や選考に参加した程度で、得られる情報量など知れている。また、何社受けようと入社するのは1社である。こんなばかばかしい活動に時間やカネをかけている暇はない。どうせ本当のことがわからないのなら、会社のパンフレットやサイトを見れば十分であろう。

◆「就活」現象の活性化によって得をした就活情報会社の犯罪

就活情報会社といえば、マイナビやリクルートが有名である。今の「就活」で得をするのはこれらの就活情報会社であろう。新卒ですぐに会社を辞めた者はまた、「マイナビ」や「リクナビ」などのサイトで「就活」を始めなければならない。会社としても人材を探すために再度、これらのサイトに登録料を支払う必要がある。

多くの会社と学生が「出会える」機会を提供しているのかもしれないが、その結果1つの会社に多くの学生が殺到し面接は「いかに落とすか」になっていく。その結果、2、3時間程度の面接で「判断」しなければならなくなる。学生としてはいい加減な「判断」で自分を「評価」され、そして否定される。これが内定をもらえない限り延々と続くのである。最悪の場合は自殺するケースもある。

就活情報会社はこれらの現実をどう考えているのだろうか?

◆様々な働き方

日本では就職=就社となっている。大学などの学生に対して、会社勤めを前提に就職活動をするように迫る。簡単ではないが、フリーランスや起業も考えてもいいのではないか?「働き方改革」と謳うが、会社勤めが前提なのは変わっていない。

また、会社勤めは安定しているようにみえるが実は不安定要素が多い。リーマンショックのような不況が起これば、普段まじめに勤務していても容赦なく解雇される。せっかく入社できても職場にあわなければやめ、別の会社を探す必要がある。また、会社がブラック企業なら徹底的にこき使われ人生の貴重な時間をうばわれる。最悪の場合はうつ病になるか過労死である。

どれだけ自分の仕事に愛着があっても、このような状況では集中して取り組むのは難しい。社会全体で、会社勤め以外の多様な働き方を考える必要がある。

日本はもはや社畜絶望社会である

◆お先真っ暗の「令和」

最後になるが、「令和」という時代は「平成」以上に悪い時代になると思う。「令和」という時代はより一層「平成」の時代に形成された矛盾(貧困・ひきもり人口の増加や原発事件、外国人労働者の搾取などの問題)が大きくなっていくことだろう。

会社などに振り回される人生ではあってほしくない。私もアフィリエイトやクラウドソーシングでのWebアプリ開発、発明などで会社に振り回されない、自立した生活を送りたいとつくづく思う。(完)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

「令和」になり、新天皇が即位した。マスコミも世間も「お祝い」モード一色である。しかし、現実は極めて厳しく「お祝い」とは全く無縁である。この島国はもはや「格差社会」から「階級社会」へと移行しつつある。その証左の一つとしてひきこもり人口の100万越えという現象がある。

※参照『「就職氷河期世代」の集中支援 高齢期の生活保護入りを阻止する考え』

※参照『40歳代が最多、中高年「引きこもり」層が53%に 島根県調査が浮き彫りにした日本の向かう未来』

◆人々を「ひきこもり」へ追い込んだ「就活」の犯罪

ひきこもり多い氷河期世代…「生活保護入り」阻止へ早期対応(2019年4月11日付産経新聞)

現在、「ひきこもり」と定義される人たちは約110万人いるという。100万都市である仙台市の人口よりも多い数がひきこもっているのは非常に衝撃的であった。仕事で失敗して嫌になりひきこもったなどがあるが、いわゆる「就活」での失敗でひきこもったという事実も決して軽視できない。ひきこもりは40~64歳の人が全国で61万3千人もいて、10代・20代のひきこもり人口もよりも多い。彼らは1993~2004年の就職氷河期の新卒時に「就活」に失敗し、その後ひきこもったという。

一度「就活」を経験した者ならわかるが、たかだか2、3時間の面接やペーパーテストで自分を「判断」されご丁寧な「お祈りメール」で「お前なんてうちはいらない」と決めつけられることはたとえ1回でも精神的にきつい。これが何十回も続くうちに、自分自身が嫌になり、やがてひきこもりたくなるのは当然だ。今でも「就活自殺」というものがあるくらい、「就活」による害悪は大きい。「就活くたばれ」デモなるものが行われるのも当然である。

※参照 https://www.j-cast.com/2010/01/24058578.html?p=all

「就活くたばれデモ」東京でも開催(2010年1月24日付J-castニュース)

今の採用制度は、たいてい面接官のフィーリングによったものであり最近は性格テストなどが導入されたとはいえ、極めて非科学的である。そもそも根本的に2、3時間の面接で人間の能力や将来性を「評価」すること自体がおかしいのではないだろうか? 付き合いが何年もある知り合いさえ、知らないことはたくさんある。自分の両親であっても知らないことはあるのだ。20数年にわたる人生の長さに比べれば、面接時間の2、3時間などあまりにも短すぎる。

口下手な者は専門技術などがあっても、面接が下手ならそこで「お前はダメ人間だ」と決めつけられて終わりである。一方、口達者な者は面接の時だけ「優秀な人間」を演じればそれでOKである。ましてや今やネットや本で面接のヒントは数多くあり、マニュアル化している。今の採用システムでは人材を正しく評価できない。芸能人のマツコデラックスも今の採用制度に疑問を投げかけている。

※参照『マツコ、候補者の長所を聞く採用面接に不信感「世の面接をしている人たちは本質を見抜けない」』

このようないい加減な採用の結果、ミスマッチによって入社3年以内でやめる者が多いも当然だ。企業にとっては選考に費やした費用・時間が無駄になるし、学生にとっても再び「就活」をはじめなければならない。まったくばかばかしい限りである

一層のこと、関係者からの推薦や縁故採用、アルバイトで判断してからの採用にした方がよいのではないだろうかと思う。こちらの方がミスマッチはかなり減らせるし、会社からしてみれば無駄に多くの人間を面接して「落とすため」の選考をする必要性は減る。学生としても、受ける会社は少なくなるが正しく評価されやすくすることで、何十回も「お前はいらない」と人間否定されることはなくなる(つづく)。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

◆前回のあらすじ

今日の学校では、いじめ(と言う名の犯罪)・外国にルーツを持つ児童への差別・教師の過剰労働など問題は多い。それらの問題の根源は近代の教育システムにあるのかもしれない。近代の教育システムは産業化や国民国家形成の中で同質的な「国民」を作るべく、構築された。本質的に国家の利益のために構成されているので、児童一人一人に対する教育という観点が欠如していると言える。

◆前近代の教育システムの再評価

ある意味では、前近代の教育システムの方が評価できるのかもしれない。

寺小屋の様子。少人数で個人指導が基本だった

日本では、寺小屋や鳴滝塾や適塾といった私塾、郷学や藩学という教育機関が各地にあった。それぞれの地域で独自のカリキュラムが組まれていたのであり、中央政府が一元的に教育内容を定めるといったことはなかった。他にもイスラームでは、国家が教育に干渉することを禁じており、教育は社会や地域、家庭に任せられるものであった。カリフやスルタンはマドラサと呼ばれる教育機関を設立することがあったが、それは個人での設立であって、国家による「公的な」設立ではなかった。

このような教育システムにおいては、それぞれがその状況に応じてカリキュラムを変更したり、授業速度を独自に調節できるので生徒一人一人に合わせての教育がしやすかった。実際、寺小屋では個人指導が基本だったという。

◆時代に適応できなくなった近代の教育システム

現代はグローバル化が進み、ハーフやクォーターの人も増え、児童の出自背景が極めて多様化している。このような状況でその出自背景を無視し、国家の定めた画一的なカリキュラムを子供たちに強制し、「日本人はこうだ」「日本の歴史はこうだ」といった考えを押し付けることは、その者たちを悩ますことになるのである。実際にアイデンティティで日本人であるか、外国人であるか揺れ動く者は少なくない。これは何も日本だけに限った話ではない。

大切なことは、一人一人に合った教育を行うことである。それを実践するには、国家の定めたカリキュラムに沿って一人の教師が教室で大勢の子供を相手に一斉に授業をする、といった形式は明らかな不都合である。また、1人で大人数の生徒を相手にしなければならないとなると、一人一人に対して目が行き届かなくなり、いじめの温床にもなる。

近年の日本の教育状況や自分自身の体験から考えると、今の教育制度(特に日本)に対しては、疑問を感じるところが多い。

日本史はたいてい旧石器時代から始まり、近代史に入る頃には受験がせまっているので早く授業を進めざるを得ない。そのため、しっかりと日本の海外侵略の過程を知ることはできない。語学ではほとんどの学校では英語のみで、近隣諸国の中国語や韓国・朝鮮語の授業はない。少数派のアイヌ語や琉球諸語の授業も同様である。唯一といってもよい英語でさえ、まともに話せず中には駅前の英会話教室に通っているような「英語教師」による、「英語の授業」が押し付けられる(外国人と話すにはまったく使い物にならない)。

受験が近づくと、学校によっては進学実績を上げるべく生徒には、「国公立大学に進んで当然」といったプロパガンダを吹き込まれる。学校側にとって、生徒は学校の評判を上げるための単なる「駒」である。生徒の人生設計のためには私立大学や専門学校、就職など多様な選択肢があっていいはずではないのか。近年は道徳の授業が「義務教育」で復活したが、道徳は家庭や地域で教えるものであり、わざわざ国家が教える内容まで決めるなどナンセンスである。ましてや文化の異なる外国人児童にも同じ「道徳」を教えるなど時代の流れに逆行もいいところである。そして、現場の教師はカリキュラムの変化によって中央政府に振り回される。

こんな状況で主体的に動き、批判的に考え、社会を深く理解できるような人間が育つはずがない。若年世代もその多くが安倍政権を支持するのは当然と言えよう。

時代はまさに、社会や地域、家庭が自分たちで教育について考える時なのではないのだろうか。近代以降、教育は国家が管理するものであった。それはまさに「国家の、国家による、国家のための」教育であった。むしろ「洗脳」と言うのが正しいのかもしれない。しかし、急激なグローバル化に伴い人間の移動が流動化、その結果として日本は明らかに「単一民族国家」ではなくなったし、多くの国々もその傾向にある。領域国民国家は国民の単一性を志向するが、社会は多様化・複雑化する傾向にある。

このような社会状況に、官製カリキュラムが対応するのは困難である。独自にカリキュラムを定めて教えるしかないのではないだろうか。地域や社会が自分たちで子供たちに教えるべきことを決めて、自分たちが子弟を教える。昔の寺小屋や私塾、マドラサが再評価されてもいいだろう。

近代教育システムはもはや時代に適応できていない。代替物が考案されてもいいはずである。国家の利益のための「教育」ではなく、一人一人が世界で生きるための本当の教育へ。「学校」などに絶対行かなければならないということの方がおかしいのである(了)。

◎学校は絶対行かなければならないのか? 「学校」という名の洗脳機関・国民生産工場
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=29526
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=29533

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

衝撃『紙の爆弾』4月号!

◆学校で起きる諸問題

今日、学校(この記事では主に小中高を指す)では様々な問題が起きている。いじめ(という名の犯罪行為)とそれによる自殺、外国にルーツを持つ子供たちへの差別、過酷すぎる教員の職場環境……。

『いじめは、なぜ学校で次々に起きるのか』(『月刊Wedge』2012年7月31日=2018/11/16筆者閲覧)

『「日本人」になれない外国ルーツの子供たち』(クーリエ・ジャポン2018年10月14日=2018/11/16筆者閲覧)

『公立小中学校の教員はブラック勤務が前提?!週60時間以上働いても残業代は支払われず』(東洋経済2017年3月3日=2019/3/2筆者閲覧)

去る2月19日に、大津市立中学2年の男子生徒=当時(13)=の自殺をめぐる損害賠償請求訴訟で加害者側に賠償請求が命じられた。この事件では、自己保身集団である教育委員会と学校はまともにいじめについて調査をしないばかりか隠ぺいまで行っていたという。これに限らず、学校でのいじめは後を絶たない。嫌がらせレベルから暴行・脅迫レベルまで範囲は広い。

外国にルーツを持つ児童に関しても問題は多い。昔から在日朝鮮人の子供たちが出自から学校で嫌な思いをするということはあった。これに加え、両親がブラジル人でその児童も日本語がうまく話せず学校に授業についていけなくなる、または両親のどちらかがインドネシア出身で、宗教的な違いから学校になじめず引きこもるか荒れるといった事例を見聞きしたことがある。

教室の様子。現代はこのような教室で国家が決めたカリキュラムに沿って授業が行われる

近年はこのようなことが増えている。そういえば残虐性で恐れられたイスラーム国の兵士には、フランスやイギリスなどヨーロッパ出身者が多くいた。彼らはアラブ諸国から移住したヨーロッパ社会で疎外感を抱き、やがてイスラーム国に加わることによって、その社会に対して牙をむくようになったのである。この事実は今後移民が増える日本社会に大きな示唆を与える。

教える側も大変である。2019年時点で、小中学校とも週当たりの労働時間が60時間以上が70%以上を占める。週60時間労働は、月残業時間が80時間強の状態に相当する。私のいとこは名古屋市内で小学校の教師をやっているが、非常に大変だという。剣道部出身にもかかわらずサッカー部の顧問をやらされ、指導要領の改訂で教える内容が増加したなどでいつも夜遅くまで残業をしていて、まったく生活に余裕がないようである。

◆「国家の、国家による、国家のための」近代教育システム

このような状況が続くと、「先生に問題がある」や「生徒の生育環境に問題がある」といった以上に、根本的に今の教育システム自体に何らかの問題があるのではないかと考えてしまう。

そもそも今の教育システムは近代の西欧で登場し、その後世界に広まったものである。近代の西欧では、国民国家の形成や産業化に伴い同質な文化を持つ「国民」労働者が必要となった。そのために「国歌」「国史」「国語」が形成されることになった。このように近代教育システムというのは、国家が効率的に人間を動員しやすくなるために作られたものであり、「子供のためにどう教育するか」という視点が根本的に欠けている。

それは「義務教育」(高校は義務教育ではないが指導形態は小中と同じである)の名で児童・生徒を強制的に教室に押し込めて、中央政府が定めたカリキュラムに従って、生徒の様々な特性(性格、民族出自、宗教など)を一般的には無視したうえで画一的なコンテンツを頭の中に叩き込む。その目的は同質的な「国民」という、国家にとって使い勝手の良い者を作り出すためである。

近代以降の日本でも「教育勅語」によって国家や天皇に対する忠誠や奉仕が徹底された。現代の世界でも学校などで実践される、掲げられた国旗に対して頭を下げたり国歌を歌うといった行為はまさに国家への忠誠心を示すものである。また、同質的な「国民」を「生産」すべく教育の場では「国語」や「国史」が教え込まれ、その過程でアイヌなど少数先住民の言語や文化が壊滅的なダメージを受けたのは有名である。このように近代の教育システムというのは、本質的に「国家の、国家による、国家のための」教育制度であり、そこでは生徒一人一人に応じた教育は軽視される傾向にある。(後編につづく)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

衝撃『紙の爆弾』4月号!

◆前回のあらすじ

日本はそれ一国で「日本文明」という、中華文明や西欧文明など大きな文明に匹敵する文明を形成している。しかし、今の日本はアメリカの「下僕」であり、「思いやり予算」、東京上空規制、辺野古移設など全く主体性は見られない。また、イスラームに友好的だった戦前とは異なり日本当局はアメリカの意向に従い日本国内のムスリムを敵視している。イスラームの祝祭会場への私服警官の派遣や在日ムスリムの尾行、モスクの監視、ムスリム家庭の調査、イスラーム学者のハサン・中田考氏の監視などを続けている。そんな中、トルコやインドネシア、インドではイスラームの復興が顕著であり、エルドアンへの支持が高まっている。エルドアンを支持するfacebookグループがあり、また過去にはジャカルタで大きなスタジアムで国際カリフ会議が開催されたこともあった。

◆日本の真の独立のために

このようなイスラーム諸国の動向を注意深く読み解く必要がある。決して軽視すべきではない。ムスリム圏の行動原理はイスラームという宗教であり、それは国家の枠組みに縛られることがない。イスラームの原理はイスラーム教徒である限り、ニューヨーク(アメリカ)にいようがチェチェン(ロシア)にいようがウルムチ(中国)にいようが適用されるのである。その効力は、影響が一国あるいは一民族に限定される西欧的なナショナリズムよりもはるかに強力である。

さて最近は、中国の超大国化が著しくまたいわゆる「北方領土」問題で日本と対立するロシアがこれに続こうとしている。しかし、中国はウイグル人との問題で、またロシアはチェチェン独立勢力との問題でムスリムと対立している。インターネットの発達で、これらの情報は瞬時にムスリム世界にも伝わり、一つの地域や一つの民族の問題ではなく、イスラーム世界全体の問題として認識されている。日本はイスラーム諸国とのつながりを強化し、相互扶助すべきである。

日本は戦前では、イスラームに対して国を挙げて支援していた。イスラームとの連携によって、超大化を目指す中国とロシアという二大ファシズム国家を、その背後からあるいはその足元から牽制することも可能になってくる。

アメリカに関しても、ムスリムの存在は大きい。アメリカでのムスリム人口は2000年時点で2.6%に過ぎない。しかし、その40%以上はアフリカ系アメリカ人の改宗者だという。プロボクサーだったモハメド・アリやマルコムXなどアメリカ社会に不満を持つアフリカ系アメリカ人の改宗者が多く、そのアメリカ社会への影響力は決して小さくない。ムスリムとの関係強化は、日本が対米従属状態にあるアメリカの内部にも影響を及ぼすことを視野に入れることができるのである。

また日本はイスラームに対して歴史的なしがらみがほとんどないため、スンニ派とシーア派の対話の場を提供することも可能である。さらに日本は仏教国でもあるので、ミャンマーやタイなどでの仏教徒とイスラーム教徒間の問題で、対話を取り持つことも可能になる。

西欧文明の衰退に伴う中で、中国やイスラーム諸国をはじめとする非西欧諸国が次々とその文明の独自性を主張している。既存の主権国家体制は崩れ始め、第二次大戦の戦勝国による「傀儡」組織だった国連も有効な手を打てずにいる。

人間の移動はICT技術や交通手段の発達でこれまで以上に流動的になり、それを防ごうとする領域国民国家との間で小競合いが頻発している。日本でも同様に排外主義的な運動が起こっている。日本も4月から入国管理法が改正される。それによって労働者や難民として今まで以上に外国人が入国すると予想されるが、それよって発生するトラブルや事件に対して心構えが必要であろう。

日本もこれまで通り何も変えずに、馬鹿の一つ覚えのように「日米同盟はゆるぎない」と繰り返しているようでは「時代の敗者」になってもしかたがない。日本は経済産業面で「デファクトスタンダード(国際標準化)が苦手」と言われるが、それは今の対米従属姿勢に見られるような、「長い物には巻かれろ」的志向が強くからとも言える。既存のスタンダード(アメリカ・西欧の覇権)に乗っかることは得意なのかもしれないが、ただそれに追従するのみでそこから自発的に「降りる」ということができない。今後はイスラーム諸国との関係強化、さらには「周辺的存在」であるラテンアメリカやサハラ以南のアフリカ諸国、南太平洋をも「重要なプレーヤー」として視野に入れる必要が出てこよう。

たとえ、国のトップが安倍という救いようがない馬鹿であっても、一般市民による「市民外交」は可能である。今や政治のプレーヤーは国家や政治家だけではなく、企業やNGO、個人も含まれる。市民の力で日本全体の外交関係を変えることは可能である。現代は本当に変化が早い。明日になって突然全てがひっくり返る、と言ったようなことがあっても不思議ではないのだ。(完)

◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈1〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈2〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈3〉

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

衝撃満載『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!

前の記事を読む »