たかさん
◆千葉中央児相が強制した「婦人科検査」と親子分離
2025年8月6日、千葉県庁の記者会見室で、千葉中央児童相談所による「一時保護」を経験した3人の子どもたち(いずれも少女)が、自ら書いた原稿を手に持ち、報道陣に向かって1行ずつ読み上げていった。「児相と親子の架け橋千葉の会」が主催した会見の様子はユーチューブで観ることができるが、新聞やテレビなど主要メディアがこの証言を報じた形跡は、私が確認した限り見当たらない。
「同意なき親子分離」を経験した3人が共通して訴えたのは、単純な「親を庇いたい」という話ではない。児童相談所による突然の一時保護で、学校にも行けず友だちとも家族とも連絡が絶たれる、何も悪いことをしていないのに人生の重大な決定を他人に勝手に決められる、「子どもの安心・安全」の名の下に子どもの尊厳と未来が削られているという、制度そのものへの深い違和感だった。
まず、それぞれの事例を簡単に整理しておきたい。
①小学1年生のとき、父親に叩かれたことを学校で話した結果、「今日だけお泊まり」と言われて一時保護となり、家族と話せない生活を強いられ、解除条件として「両親の離婚」「父に知られない転居」「ランドセル以外の思い出の品の処分」を求められた。「見ず知らずの大人が表面的なことから勝手に虐待家庭と想像して話を進められた」というのが彼女の目に映る児相の対応で、「使い古しの下着を渡された」「勉強はドリルを渡され、職員から勉強を教えてもらうことはなかった」と、辛い想いを口にした。兄は転校先でいじめに遭い自殺未遂に追い込まれたという。
②小学4年生のとき、ゲームに興じていると、構ってほしがった父親が後ろから抱きつき胸に触れてしまったことを学校で話した。それが「性的虐待」とみなされ、一時保護・父子分離にされた。保護解除後も「父と2人きりにならない」「父に触れない」「必ず腕1本分の距離を空ける」などの条件が課された。彼女は「保護してくれてありがとうと思ったことは1度もない」と言い切った。
③小学6年生のとき、養護教諭への相談をきっかけに「性的虐待の疑い」とされ、「数日お泊まり」と説明されながら約70日の身柄拘束と、産婦人科での検査。「お父さんと暮らしたい」と訴えるも、父との別居・通信制限を一時保護の解除条件とされた。
3人は連名の要望書で、次のようなことを千葉県に求めた。
1 一時保護で子どもたちがどのような扱いを受けているのか国民に正確に知らせ、制度を根本から見直すこと。
2 一時保護所で家族との面会・勉強・自分の服・運動や趣味など人間として当たり前の生活を保障すること。
3 児相職員・親・子どもが「同じ場」で話し合い、子どもの意見を反映できる仕組みをつくること。
どれも「本来なら最初から備わっているべき最低ライン」と言っていい。
本稿では3人のうち、小学6年生のときに千葉中央児童相談所に一時保護された前記③の少女(以下、Aさん)のケースについて詳述する。もはや「相談所」の看板がふさわしいとはいえない現実が、そこにはあった。
◆「相談」と「疑い」がきっかけだった
Aさんが千葉中央児童相談所に一時保護されたのは、2024年4月15日。小学6年生だった。会見で語った保護のきっかけは、こうだ。
Aさんが「お父さんがふざけて胸を触ってくるのが嫌」だと、学校の養護教諭に相談すると、学校から「性的虐待の疑い」として児童相談所に通告がなされた。児相の職員から「数日お泊まりするがいいか?」と聞かれ、「数日ならいいかと思って『わかりました』と答えた」。すると、そのまま車に乗せられ、一時保護所での生活が始まった。
同日に始まった一時保護が解除されたのは6月26日。「数日お泊まり」といわれて連れて行かれたAさんは、実際には2カ月以上、約70日間、家に戻れなかった。児相は最初の一言から、すでに子どもとの信頼関係を裏切っている。Aさんにとって、この制度との出会いは「保護」ではなく「ウソ」として刻まれた。
刑事手続きの世界なら、人の身柄を数日以上拘束するには、勾留請求・裁判官の審査・弁護人の関与という厳格なステップが必要だ。
児相の一時保護は、「数日」という柔らかい言葉を入り口にしながら、現実には裁判官の顔が見えないまま、長期拘束へと姿を変えていく。
◆婦人科検査という「二次被害」
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