戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2026年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈1〉

鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎揮毫)

今年も8月6日がやって来ました。── ここ甲子園では平和の象徴ともいえる夏の高校野球が始まりした。

ウクライナでの戦火に加えパレスチナでもイスラエルによる無慈悲な攻撃により戦火は収まりません。日本にあっても、もはや‟対岸の火事”ではありません。解決の糸口はあるのでしょうか、絶望的になります。ほとんどの日本人にとっては今に至るも”対岸の火事”のように感じられます。果たしてこれでいいのでしょうか?

書家・龍一郎揮毫の書

かつて1960年代後半から70年代にかけて(75年のベトナム戦争終結まで)全世界にベトナム反戦運動が拡がりました。これが和平への後押しになったことはいうまでもありません。今はどうか?

戦後80年余、日本が曲りなりとも平和を維持できたのは、先の戦争の反省から、歴史の曲がり角にあった60年、70年の〈二つの安保闘争〉を中心として、これ以後も地道な抵抗運動があったからだと考えています。三里塚闘争はいまだに続いています。8月15日付けの本通信にて採り上げますが、私の従兄は異国で終戦を迎え必死で故郷熊本に戻り、その後大学生時代に60年安保闘争に参加しています。

異論もあろうかと思いますが、半世紀余り、時にみずから血を流し闘い、半世紀余り自分なりに社会の動向、反戦運動や社会運動の推移を見てきた上での感慨です。決して机上での平和談議ではありません。日本は、曲がりなりにも民主主義社会です(この規定にも異論はあるでしょうが、少なくとも独裁国家や専制国家ではありません)。まだ声は挙げれます。

大学に入った1970年、帰省の途中で広島に立ち寄りました。これまで長崎には何度か行っていましたが広島を訪れたのは初めてでした。8月6日に毎年広島で行われる抗議活動に参加し、その日は広島大学の寮に泊めていただきました。翌日は京都からやって来たべ平連の人たちと岩国の基地反対運動にも参加し右翼からの攻撃に広島大学の学生(中核派やね)らと一緒に対峙したことが、ついきのうのことのように蘇ります。もう56年かあ。この半世紀余りの間、日本の、そして世界の、言葉の真の意味での平和は維持されたのでしょうか ── もう50年余り前の若き日の記憶から思うところを書き記してみました。

翌年1971年の8・6は歴代首相で初めて当時の佐藤栄作首相が広島の慰霊祭に出席するということで荒れました。いまだに記憶に残るのは、ある女子大生が体当たりで佐藤首相に抗議したことです。これは報道写真でも残っています。この年の夏は三里塚闘争で仲間が逮捕されたり9月に予定されている第二次強制収容阻止闘争や沖縄返還協定批准阻止闘争の準備などで広島には行けませんでしたが、報道で観て非常に感銘を受けました。

1971年8月6日の広島平和公園に来た佐藤栄作首相(当時)に抗議の体当たりをする女子学生

今回は、4年前にウクライナ危機に触発されて、若き日に接した反戦歌について書き記した文章に加筆し、この4年間、状況がまったく変わらず、それどころかますます泥沼化し悲劇が拡大している中で、あらためて加筆、再掲載してみました。ぜひお読みいただければ幸いです。

◆矢沢永吉 『FLASH IN JAPAN』

私はこの曲を聴いて大変ショックを受けました。今こそみなさんに聴いて欲しい一曲です。日本のロック界のスーパースター矢沢永吉は広島被爆二世です。これも意外と知られていません。ご存知でしたか? 父親を被爆治療の途上で亡くしています。矢沢がまだ若い頃(1987年)、『FLASH IN JAPAN』という曲を英語で歌い、その映像(ミュージックビデオ)を原爆ドームの前で撮影し、これを全米で発売するという大胆不敵なことをしでかしています。

5万枚といいますから矢沢のレコードとしては少ないのでしょうが、矢沢にすれば原爆を人間の頭の上に落としたアメリカ人よ、よく聴け! といったところでしょうか。いかにも矢沢らしい話です。このエネルギーが、部下による35億円もの巨額詐欺事件に遇ってもへこたれず、みずから働き全額弁済し復活したといえるでしょう。やはりこの人、スケールが違います。私より2歳しか違いませんが、私のような凡人とは異なり超人としか言いようがありません。

『FLASH IN JAPAN』ジャケット

ちなみに私たちの世代にはカリスマ的存在である秋田明大(日大全共闘代表)さんも被爆二世で、毎年8月6日に開かれる抗議集会には必ず実行委員に名を務められたり参加されています。

アメリカで発売されたこの曲に正式な日本語訳はないようですが、ファンの方が訳されていますので以下に掲載しておきます(英文は割愛。藤井敦子補訳)。私も時間を見つけて、あらためて訳してみたいと思います。

 俺たちは学んだのか
 治せるのか
 俺たちは皆あの光を見たのか
 雷みたいに落ちてきて 世界を変えちまった
 稜線を照らし 視界を消し去った
 戦争は終わらないんだよ 誰かが負けるまでは
 人々の群れが塔をなぎ倒し
 敵がどこに隠れているのか知っている
 兄妹たちは炎の中をはいつくばったが
 出口に届くことはなかった
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 彼らに何と言えばよいのか
 子供たちよ聞いてくれ
 俺たちが全てを吹き飛ばしてしまったが
 君たちは再出発してくれ
 朝なのに今は夜のようで 夜は冬のようだが
 いくつか変わったこともある
 いつも忘れないでいてほしい
 戦争は終わらない 誰かが負けるまでは
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか

◆『花はどこへ行った』

ベトナム反戦の叫びは多くのメッセージソングを生み出しました。

当初電撃戦で一瞬にしてロシアの勝利と思われたウクライナ戦争が長引いています。電撃戦どころか、ウクライナの予想外の抵抗により(ウクライナとロシアの歴史を見れば、決して「予想外」ではないかもしれません)、もう4年余も続き、解決の糸口は見つからず、さらに長期化するのでしょうか。ウクライナの予想外の抵抗でロシア軍はなりふり構わず攻撃しウクライナの都市や大地を焦土化し泥沼化しています。かつてのベトナム戦争のように──。

1955年から20年続いたベトナム戦争は60年代に泥沼化し、同時に米国のみならず全世界的なベトナム反戦運動が拡がりました。あの頃の話が「遠い昔の物語」(忌野清志郎の詞)ではなかったことが今になって甦ってきました。ベトナム戦争は、私が幼少の頃に始まり、終わったのは大学を出る頃(1975年)でした。時の経過と生活に追われ長らく忘れていた悲惨な記憶が甦ってきました。

ピート・シーガーが作った『花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone ?)』もその代表作の一つでした。ベトナム戦争が始まった1955年に作られ、1962年にPP&M(Peter, Paul & Mary)が歌い大ヒットします。日本ではPP&M版が一番ポピュラーのようですが、このほか、キングストン・トリオ、ブラザーズフォー、ジョーン・バエズらが歌っています。曲の遠源はウクライナ民謡(子守唄)ともいわれますが、なにか因縁を感じさせます。

しばらくして日本にも輸入され、「反戦フォーク」として当時の若者の間でヒットし耳にタコが出来るほど聴き歌いました。私もそうでした。また、私と同じ歳の忌野清志郎(故人)もそうだったのでしょう、みずから意訳し歌っています。激動の時代を共に過ごし、時に原発問題とか社会問題にコミットする清志郎の想いがわかるような気がします。

ピーター・ポール&マリー(PP&M)

今、ウクナイナでの戦火に触発され加藤登紀子、MISIAらが、この曲を歌い始めました。加藤登紀子はともかく、ライブで『君が代』を歌うようなMISHAがこの歌を歌うのには違和感がありますが……。登紀子さんには、この際、今は全くと言っていいほど歌わなくなった『牢獄の炎』とか『ゲバラ・アーミオ』とかも歌ってほしいですけどね。

一昨年夏(2024年7月8日)、京都のキエフ(登紀子さんの実家経営)で、私がいた大学の学生運動、および寮の大先輩・藤本敏夫さんの23回忌が開かれました。私とは世代が全く異なり直接の面識はなかったので迷ったのですが、先輩に勧められ、資料コピー係(この世代の常として紙の資料が多いんです)を務め出席させていただきました。

その際、登紀子さんに「今はなぜ『牢獄の炎』を歌わないのですか?」と尋ねましたところ、「あなた、なぜこの曲を知っているの?」と驚かれました。「大学に入ってすぐに先輩に勧められ買いました」。私に言わせれば『百万本のバラ』もいいが、『牢獄の炎』や、さらには『美しき五月のパリ』も復活させていただきたく熱望します。

ちなみに藤本敏夫さんは、ここ甲子園の出身です(甲子園三番町。鹿砦社は八番町)。

さて、『花はどこへ行った』は、日本でも多くの歌手がカバーしていますが、異色なところでは、古くはザ・ピーナッツ』や、今ではミスチルら、数年前、フォーククルセダーズが再結成された際のコンサートでは、わがネーネーズも一緒に歌っています。

ベトナム戦争が始まってから70年余が経ち、終わってからも50年余が経ちますが、ウクライナやパレスチナに見られるように、残念ながら、決して「遠い昔の物語」ではなくなりました。この曲は、ベトナム戦争終結とともに次第に歌われなくなっていきました。今後ウクライナ戦争のような戦争が起きるたびに歌われる名曲でしょうが、ウクライナやパレスチナに一日も早く平和が戻り、「遠い昔の物語」として、この曲が歌われなくなることを心より祈ります。

ピーター・ポール&マリー(PP&M)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)
作詞・作曲:Pete Seeger、Joe Hickerson

Where have all the flowers gone
Long time passing?
Where have all the flowers gone
Long time ago?
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?
Where have all the young girls gone
Long time passing?
Where have all the young girls gone
Long time ago?
Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?
Where have all the husbands gone
Long time passing?
Where have all the husbands gone
Long time ago?
Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?
Where have all the soldiers gone
Long time passing?
Where have all the soldiers gone
Long time ago?
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?
Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?
Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

『花はどこへ行った』
忌野清志郎詞、ピート・シーガー作曲

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた
可愛い少女は どこへ行った
遠い昔の物語
可愛い少女は 大人になって
恋もして ある若者に抱かれていた
その若者は どこへ行った
遠い昔の物語
その若者は 兵隊にとられて
戦場の炎に抱かれてしまった
その若者は どうなった
その戦場で どうなった
その若者は死んでしまった
小さなお墓に埋められた
小さなお墓は どうなった
長い月日が 流れた
お墓のまわりに花が咲いて
そっと優しく抱かれていた
その咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
その咲く花は 少女の胸に
そっと優しく 抱かれていた
野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

※昨年8月6日に掲載のものを一部修正して再録。

日本の「防衛強化」は机上の空論 防衛費倍増で防衛産業は衰退する

清谷信一(紙の爆弾2026年8月号掲載)

高市早苗政権は年内の閣議決定を目指し、国家安全保障戦略などいわゆる安全保障(防衛)3文書の改定作業を進めている。だが現行の3文書は2022年12月に策定され、10年間を見通した内容となっていた。これを、わずか4年で見直すこと自体が異様だ。「直面する緊迫した国際情勢を踏まえての改定」というが、そのような変化は存在しない。高市首相の手柄づくりに利用されているのではないか。「軍事音痴」の高市首相の意向が強く反映された内容になれば、安全保障上の大きなリスクを抱えることになる。

高市首相に軍事・安全保障の素養はない。中国を相手に台湾有事問題で喧嘩を売り、その際に存在しない「中国の戦艦」に関する発言をして、これを批判されるとむきになって「存在する」と閣議決定。この件に関して筆者は6月2日の齋藤聡海上幕僚長の定例会見で質問したが、「(総理の発言の意図は)よくわかりませんのでこの件については発言を差し控えたいと思います。今、我々はその(戦艦の)定義をしておりません。(中略)今我々はそういったカテゴリーを持っておりませんので、言及することは控えたいと思います」と大変困った様子で回答した。

3月24日の報道官会見では安居院公仁報道官に、高市首相の「大変申し訳ないが、戦闘員には最後まで戦っていただく」との発言を質問した。

無論、戦闘員とはショッカーの戦闘員ではない。ハーグ条約やジュネーブ条約で定める「戦闘員」の資格を満たすのは、基本的に自衛官だけだ。首相の発言は自衛官に降伏を認めず、死ぬまで戦えという意図か。それは旧日本軍同様の人権侵害、国際条約無視ではないか、と尋ねたら、後日返答すると言いつついまだに返答がない。つまりは返答できない話だったのだろう。

これらのように高市氏は内閣総理大臣=自衛隊の最高指揮官にふさわしい軍事の常識や教養を、明らかに持ち合わせていない。その肝いりで防衛3文書を見直すということは、政治的・軍事的・外交的に極めてリスクが大きく、国を誤る可能性が極めて高い。

◆防衛費と円安

防衛費GDP比1%から大きく上げるきっかけを作ったのは安倍晋三である。現在の増大方針はその時からだ。安倍元首相は2022年に、GDP比2%に引き上げる、財源は国債を刷ればいくらでも手当できる、カネの使い道は増やしてから考えればいいと主張した。つまり、具体的な脅威の拡大も国際情勢の変化もなく、景気のいい話をぶち上げただけだ。

これに本来政治に中立であるべき、防衛省のシンクタンクである防衛研究所の幹部たちが「個人」の資格で礼賛する意見をテレビや新聞で表明した。世論誘導である。

当時、我が国周辺の安全保障環境の劇的変化はなかった。おそらくアベノミクスの失敗を悟っていたであろう安倍元首相は健康を理由に辞任して、菅義偉氏に後を譲った。だが再度首相に返り咲くための方便として「強い指導者」を演出するため危機感をあおったのではないか。

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酷暑の令和熊本大震災と広島

さとうしゅういち

2026年7月28日、熊本県を10年ぶりに震度7の大地震が襲いました。8月1日現在、36人が犠牲になられ、酷暑の中、1万人近くが避難されています。心からお悔やみ申し上げます。

◆帰省中に被災した広島県民一家

その令和熊本大震災が発生した7月28日。八代市内では、夏休みで帰省していた広島県安芸郡在住の会社員Kさん一家5人が被災した。
Kさんは8月1日、本紙のオンライン取材(Zoom)に応じ、当時の状況を語った。

◆死者が出たイオンモール宇城に「その日の午前中にいた」

地震当日の午前、Kさん一家はイオンモール宇城に遊びに出かけていた。
この施設では、崩落した壁の下敷きになり犠牲者が出ている。
「時間帯が違えば、どうなっていたか分からない」とKさんは振り返る。

◆地震発生の16時27分──ゆめタウン八代の駐車場で激震

地震が発生した16時27分、Kさんご夫妻、子どもさん三人、そしてKさんの母の計6人はゆめタウン八代の駐車場のスロープ(下記写真、Kさん提供)の車中にいた。
「激しい揺れで、何が起きたのか分からなかった。車が跳ね上がるようだった」と語る。
八代市は震度6強と発表されているが、Kさんは「体感は震度7のようだった」と話す。

◆実家は倒壊を免れたが、家財は散乱

Kさんの実家は八代城近くにあり、倒壊は免れた。しかし室内は家財道具が散乱し、生活空間は大きく乱れた。幸い、家族全員にけがはなかった。Kさんの父は仕事で不在だったという。

◆「平成熊本では壊れなかった煙突が折れた」

今回の地震では、日本製紙八代工場の巨大煙突が倒壊し、多数の死傷者が出た。
平成熊本地震(2016)では壊れなかった構造物が倒れたことについて、Kさんは「前回より明らかに破壊力が強い。断層がまた動いたのだろう」と語る。日奈久断層に近い九州新幹線や高速道路も大きな被害を受けた。

◆南下し、水俣へ──“ほうほうのてい”で広島へ帰還

地震後、Kさん一家は八代から水俣市へ南下。そこから国道268号を使い、伊佐市などを経由して宮崎県へ抜け、東九州自動車道に入り延岡市で一泊した。
「高速も一般道も寸断されていて、どこを通れるか分からなかった。酷暑の中、ほうほうのていで広島まで戻った」と語る。

◆「広島も他人事ではない。体験した人が伝えなければ」

最後にKさんはこう語った。
「広島も他人事ではない。体験した人が記憶し、伝えておかなければならない。」
2018年の西日本豪雨で広島が熊本に助けられた記憶は新しい。今回、広島からも警察・消防・水道、そして民間団体が支援に向かっている。
災害は忘れぬうちにやってくる。そして、体験者の言葉こそが、次の命を守る。

◆広島からも官民の応援続々

8月2日には、本紙も何度も取り上げてきた広島の民間団体「シェアリンク広島」が、八代市の障がい者支援センターに水と食料を届けました(下記写真、左はシェアリンクの井原代表。)。熊本支援のため広島を出発しました。

広島からは、警察・消防・水道などの公務労働者、そして民間の支援団体が続々と現地へ向かっています。

広島は2018年の西日本豪雨で、熊本の皆さんに本当に助けていただきました。
あの時の恩を、今度は私たちが返す番です。県民を代表して熊本へ向かう皆さんに、心からの感謝を。

どうか安全に、そして力を届けてください。

熊本地震 #広島からの支援 #恩返しの災害支援

また、外国人コミュニティー内部での相互支援の動きも出ています。熊本県八代郡氷川町のミャンマー人から広島ミャンマーコミュニティーに水がないとSOS。災害時に外国人労働者は孤立し、支援が回らない、災害弱者になります。                  
急きょ、Hiroshima Myanmar Communityの2人が車で広島から支援物資をつんで一路熊本へ。8月1日夜12時前、支援物資を届けたそうです。

さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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組織犯罪はもはや国家に挑むのではなく、国家の統治権を巡って競い合っている

ビクトル・M・ロドリゲス

この記事は、コロンビアの犯罪学者ウィリアム・ヒメネス・ガルシア氏へのインタビューをまとめたものである。日本の暴力団についても重複する部分がある。ヒメネス氏は、このところ組織犯罪の性質が大きく変化していると論じる。今日の犯罪組織は国家と正面から対立するのではなく、行政や経済、政治に浸透し、地域社会の統治そのものを担おうとしている。住民への「保護」の提供や恐喝、違法経済の支配を通じて国家の役割を代替し、民主主義を内部から弱体化させることが最大の脅威だという。そのため、安全保障政策は逮捕者数や押収した麻薬量ではなく、国家が支配を回復した地域の広がり、市民の司法への信頼、犯罪組織の政治・行政への影響力の低下などで評価すべきだと指摘する。また、警察や司法だけでなく、情報分析や行政機関を含めた国家全体の連携を強化し、犯罪組織が勢力を固める前に予防的に対応する必要性を強調している。最大の危険は組織犯罪そのものではなく、その存在を社会が「当たり前」と受け入れ、腐敗や恐喝との共存を常態化させてしまうことだと警鐘を鳴らしている。(ビクトル・M・ロドリゲス)

コロンビアの犯罪学者 ウィリアム・ヒメネス・ガルシア氏

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

ラテンアメリカは、公共の安全の枠を超えた静かな変容に直面している。特定の地域を支配し、組織機関に浸透し、経済を掌握し、政治的決定を左右する能力を持つ犯罪ネットワークの存在は、私たちに不快な問いを突きつける。国家は依然として民主主義を完全に統治しているのか、それとも様々なレベルで、その権力を犯罪組織と共有し始めているのか、という問いである。

何十年もの間、ラテンアメリカは「組織犯罪はあくまで警察の問題に過ぎない」と信じ込んでいたが、その過ちの代償としてこのところ、暴力、汚職、そして制度的権威の漸進的な喪失という代償を払わされている。

政府が刑法を厳格化し、刑罰を重くし、武器を購入し、新たな専門部隊を創設し、作戦を拡大する一方で、犯罪組織はまったく異なる動きを見せていた。彼らは単なるギャングとしての考え方を捨て、正真正銘権の力構造として振る舞い始めたのだ。彼らが征服したのは麻薬密輸ルートだけではなかった。まず領土を、次に市場を、 続いて制度を掌握した。そしてついに、金よりもはるかに価値のあるもの――すなわち、社会のあり方を決定する能力――を巡って争い始めたのである。

これこそが、コロンビアの研究者ウィリアム・ヒメネス・ガルシアが提示する、おそらく最も不穏な分析である。彼は、国境を越えた組織犯罪の変遷と、それが地域の民主主義に与える影響を長年にわたり研究してきたラテンアメリカ有数の専門家の一人だ。

彼の警告は、何十年にもわたって定着していた常識を覆すものである。「組織犯罪は、とっくの昔に司法や強制措置のみで扱える問題ではなくなった」と彼は主張する。その拡大により、この現象は政治的、経済的、教育的、文化的、そして制度的な側面を深く帯びた問題へと変貌したと彼は説明する。

この主張は単純に見える。しかし、その帰結は単純ではない。なぜなら、この前提を受け入れることは、ラテンアメリカの各国政府が過去30年間に用いてきた戦略の多くが、もはや存在しない組織に対抗するために設計されたものであったことを認めざるを得なくなるからだ。

◆犯罪のスピードは国家のスピードを上回る

このインタビューの中で展開された最も説得力のある考えの一つは、国家の機能と犯罪組織の機能との間に構造的な違いが存在するという点である。

国家は審議を行う。マフィアは決断する。政府は予算を可決し、政治的合意を形成し、行政手続きを遵守し、制度的な監視に応じ、その決定を公に正当化する必要がある。

それに対し、犯罪組織は、ルートを変更し、指導部を入れ替え、活動を移転させ、資金洗浄を行い、公務員を買収し、ビジネスモデルを再構築する――そのスピードは、いかなる民主的な官僚機構も追いつくことができない。

これは単なる運用上の違いではない。本質的な違いである。制度が法的枠組みの中で対応する一方で、組織犯罪は、まさにそうした制限の欠如を最大の優位性に変えているのだ。ヒメネスは、インタビュー全体に通底する一つの考えをもって、この非対称性を要約している。すなわち、犯罪組織は、ラテンアメリカ諸国政府自身よりもはるかに早く、グローバル化の仕組みを学び取ったのだ。

国境は依然として政府の行動を制約している。一方、マフィアにとって国境は、単なる物流上の変数に過ぎない。ある国が規制を強化すれば、活動は別の国へと移る。ある法律によって特定のビジネスが困難になれば、新たなルートが現れる。

ある港で監視が強化されれば、貨物は単に目的地を変えるだけだ。犯罪の論理は、もはや領土的なものではなく、完全に国境を越えたものとなった。それにもかかわらず、国家の対応は依然として、大部分が国内的なものに留まっている。

そこに、ラテンアメリカにおける大きなパラドックスの一つが現れる。政府は依然として政治的な地図に基づいて物事を考えている。一方、犯罪組織は経済的な地図に基づいて活動している。

◆コロンビア:領土の奪還がもはや力だけに依存しなくなったとき

ヒメネスの分析において、コロンビアの事例は中心的な位置を占めている。なぜなら、コロンビアで起きていることが、他の国々でも再現され始めている現象をより明確に観察できるからである。彼は、議論は単に、特定の治安政策や交渉政策がより良い結果をもたらしたか、あるいは悪い結果をもたらしたかを判断することだけにあるのではないと主張する。

真の問いは別にある。「領土の広範な地域が、国家を主要な権威として認めなくなったとき、何が起こるのか?」。彼は、コロンビアにおいて、犯罪組織の定着が約150の自治体で確認されていた状態から、その約3倍の規模へと拡大したと警告している。

数字に関する正確な議論はさておき、この現象は領土支配の著しい喪失を反映しており、その回復には長年の時間を要すると彼は考えている。しかし、問題はそれだけにとどまらない。一世代全体が、民主主義とは異なるルールの下で成長し始めている。

武装勢力の常在を当たり前だと受け入れる子供たち。商売を始める上で、恐喝は避けられないコストとして受け入れる商人たち。恐怖に支配された社会指導者たち。国家が実効的な権威としての役割を果たさなくなったため、結局は並行する仕組みを通じて紛争を解決せざるを得なくなったコミュニティ。

最も深刻な結果は、単に暴力だけではない。それは、国家の漸進的な置き換えである。犯罪組織が違法な税金を徴収し、非公式な司法を行使し、誰が働き、誰が投資し、誰が商業競争に参加し、誰が政治活動を行えるかを決定するようになれば、それはもはや単なる犯罪組織ではなくなる。国家の機能を果たし始めるのだ。

そして、その領域を取り戻すことは、軍隊を派遣することよりもはるかに複雑である。なぜなら、もはや単に武装した男たちを追い出すことだけではすまないからだ。それは、正当性を再構築することなのである。

◆日常生活が恐怖によって支配され始めたとき、民主主義は敗北し始める

このインタビューでは、同地域の政治的変遷を理解する上で特に重要な概念が紹介されている。組織犯罪の真の勝利は、殺人事件の数が増加したときではない。

それは、恐怖が集団の行動を変容させたときに起こる。ヒメネスは、市民が恐喝されることを恐れて起業を諦めるような状況を説明している。家族は、子供たちを守るために地域社会のリーダーシップを阻害してしまう。小規模な事業者は、収入の大部分が犯罪組織への資金源になってしまうことを知っており、投資を断念する。その時点で、組織犯罪はもはや暴力によって恒常的に支配する必要がなくなる。

共有された認識を定着させるだけで十分だ。社会的自己検閲が残りを引き受ける。この現象は民主主義に深刻な影響を及ぼす。なぜなら、恐怖が経済的、政治的、地域社会の決定を左右するとき、選挙の決定もまた左右されるからだ。

選挙運動は暗黙の脅威の下で展開され始める。地元の指導者は姿を消す。市民団体は動員力を失う。そして市民は、必ずしも信念に基づいてではなく、保護を求めて投票し始める。

こうして組織犯罪は、もはや単に縄張りを争うだけにとどまらなくなる。社会の政治的行動そのものを争うようになる。

◆単なる治安問題などとは比べものにならないほど深刻な問題である

ウィリアム・ヒメネスによる分析の最大の強みは、おそらく、ラテンアメリカの公的議論の大部分を依然として支配している単純化された説明を、まさに解体している点にある。組織犯罪を単なる警察の問題に還元することは、病気が拡大し続ける中で、症状だけを対処することに等しい。

犯罪組織の背後には、根強い不平等、機会の欠如、確固たる人生設計を築くことのできない教育制度、人材募集の場と化した非公式経済、そして問題がすでに深く根付いた段階で初めて反応することが多い民主主義が存在する。

この見方によれば、組織犯罪は内務省や治安部隊だけの課題ではない。それは民主主義国家全体にとっての課題である。そして何よりも、自らが直面している現象の真の規模をまだ十分に理解しきれていない社会にとっての課題である。

というのも、もはや問題は「いかにして組織犯罪を打ち負かすか」ではないからだ。問題は、はるかに居心地の悪いものになりつつある。「私たちの民主主義は、組織犯罪と共存することに、どこまで適応し始めているのか?」

◆組織犯罪が政治のやり方を学ぶとき

組織犯罪について語る際には、人々の想像を支配するあるイメージがある。武装した男たち。密造工場。コカインを積んだ船。報復。暴力。

しかし、そのイメージは、現実のものであるとはいえ、もはや不十分になりつつある。犯罪組織の真の力は、もはや暴力を振るう能力だけに依存しているわけではない。何よりも、ガバナンスを生み出す能力にかかっているのだ。

これこそが、ウィリアム・ヒメネスの考察において最も挑発的な論点の一つである。犯罪組織はもはや、国家を完全に置き換える必要はない。国家に浸透すれば十分なのである。選挙に勝つ必要もない。勝者に影響力を及ぼせばよい。すべての省庁を掌握する必要もない。

不処罰の保証、機密情報へのアクセス、制度的な保護、そして事業の継続性を確保できる場を確保できれば十分なのである。これは静かな変容である。そして、まさにそのために、その兆候を察知することははるかに困難になっている。

何十年もの間、公の議論は、どれだけの麻薬の積荷が押収されたか、どれだけの首謀者が逮捕されたか、あるいはどれだけの密造工場が破壊されたかに集中していた。しかし、そうした指標は、犯罪組織の真の強さについてはほとんど何も語っていない。ある組織は、数トンの麻薬を失っても、拡大し続けることができる。指導者を失っても、数週間のうちに後任を補充できる。一つのルートが摘発されても、新たに三つのルートを開拓できる。

もはや重要な問いは、国家がどれだけの犯罪を阻止できたかではない。重要なのは、国家がそれらの組織がどれだけの政治的権力を蓄積するのを阻止できたかである。ヒメネスは、組織犯罪が多くの政府よりも早く、現代の権力関係がどのように機能するかを理解していたと主張する。

各省庁、機関、検察、警察組織の間で制度が分断されたままである一方で、犯罪経済は、物流、情報、技術、資金調達、汚職、マネーロンダリング、政治的関係を単一の戦略の下に統合できる、真のグローバルな企業ネットワークとして機能している。彼らは即興で行動するわけではない。計画を立てる。反応するのではなく、先を見越す。そして何よりも、学ぶのだ。

この現象を解釈する上で、もうひとつよくある誤解がある。それは、汚職が組織犯罪の結果として生じるものだと考えることだ。ヒメネスは、この考え方を逆転させることを提案している。ラテンアメリカの多くの状況において、汚職は単なる「巻き添え被害」ではない。

それこそが、主要な運営メカニズムなのである。情報を売り渡すことを厭わない公務員がいなければ……。圧力に屈しやすい裁判官がいなければ…..。見ぬふりをする警察官がいなければ…。資金洗浄ができる金融業者がいなければ…..。資本を合法化しようとする実業家がいなければ….。こうした層がいなければ、ビジネスは今日のような規模には到底達し得ないだろう。

だからこそ、発砲する者たちだけを取り締まっても、そのシステムの機能を支える者たちが見えないままであれば、それでは十分ではない。現代の犯罪組織は、あらゆる制度に潜り込む必要はない。

必要なのは、戦略的な要所を特定することだ。ある事務所。一つの港。一つの司法事務所。一つの税関局。一つの公共調達機関。一つの銀行。時には、たった一つの行政決定が、1トンのコカインよりもはるかに大きな価値を持つこともある。

この視点の転換こそが、一部の国々で暴力発生率が低いにもかかわらず、制度的乗っ取りの水準が高い理由を説明している。殺人事件がないからといって、必ずしも組織犯罪が存在しないわけではない。むしろ、まったく逆を意味している可能性もある。すなわち、そのビジネスが十分な安定性を獲得し、もはや恒常的に暴力に訴える必要がなくなったということだ。

◆民主主義の見えざる乗っ取り

民主主義が一夜にして崩壊することはめったにない。通常、それは日々の些細な妥協によって徐々に蝕まれていく。進展しない捜査。不正な入札。出所不明の資金で賄われた選挙運動。捜査を遅らせる検察。捜査対象を選別する警察。管理を怠る国境。沈黙することを学ぶ地域社会。

ヒメネスは、このように違法な行為が例外ではなく当たり前のものとなり、制度の通常の運営を支える仕組みとして機能し始めることこそが、組織犯罪の最大のゴールの一つであると指摘している。

なぜなら、社会が汚職に憤りを覚えなくなり、恐喝がビジネスを行う上での避けられないコストとして受け入れ、あるいは特定の地域に並行する権力構造が存在することを当然のことと見なすようになったとき、制度の乗っ取りのプロセスはすでに始まっているからだ。

民主主義は依然として機能している。選挙も行われる。議会も存在する。裁判所も開かれている。法律も有効である。しかし、実効的な権力は、市民によって一度も選出されたことのない主体へと移り始めている。この現象こそが、一部の民主主義国家において、形式上はすべての制度を維持しているにもかかわらず、実際の統治能力が年々低下し続けている理由を説明している。

◆お金は「合法」に見えなければならない

組織犯罪について最も理解されていない側面の一つは、そこで得られた利益が最終的にどこへ向かうのかという点である。麻薬密売は、現金の山を積み上げるために富を生み出しているわけではない。目的は、その資金を合法的な経済へと組み入れるための資本を生み出すことにある。

違法に得られたドルは、遅かれ早かれ、外見上は正当な資産へと姿を変えなければならない。そこで登場するのが、金融システムであり、企業であり、不動産市場であり、投資であり、輸出であり、公共調達であり、デジタルプラットフォームである。

犯罪経済は、生き残るために正規の経済と溶け合う必要がある。そのため、ヒメネスは、議論はもはや麻薬の積み荷を摘発したり、殺し屋を逮捕したりすることだけにとどまってはならないと主張する。

むしろ、資金の流れを追跡できる仕組み(トレーサビリティ)の整備、透明性を確保する制度の強化、国際協力、そして違法資金が流れ込む分野に対する監督を議論に組み込まなければならない。

本当に問うべきなのは、誰が麻薬を売っているのかだけではない。その金を誰が受け取り、誰が動かし、誰が管理し、最終的に誰が利益を得ているのかもまた重要なのである。

こうした問いへの答えが公の議論の外に置かれたままである限り、組織犯罪の活動の大部分は、市民の目の届かないところで進行し続けるだろう。

◆マフィアは誰よりも早く「信頼」の価値を理解していた

逆説的ではあるが、犯罪組織もまた、自らの正当性を築き上げている。それは選挙によってではなく、成果を出すことによってである。多くの地域では、銀行が融資しない場所で貸し付けを行い、司法が何年もかけて解決するような紛争を迅速に処理する。

また、正規の雇用市場が消え去った地域では仕事を生み出し、地域活動に資金を提供し、特定の商店を保護し、ルールを定め、それに従わない者を処罰し、違法な「税」を徴収し、秩序を管理する。

それは彼らがより公正だからではない。国家が空白を残した場所で、人々の必要に応えることができるからである。

この現実は、単純化された見方を捨てることを私たちに迫る。民主主義と組織犯罪との戦いは、もはや警察の検問所や軍事作戦だけで繰り広げられているのではない。

その本当の戦場は、国家が市民の信頼を取り戻す能力にある。なぜなら、制度への信頼が失われるところには、その空白を埋めようとする者が必ず現れるからだ。そして犯罪組織は、多くのラテンアメリカ諸国の政府がこの問題の深刻さを認識し始めるよりもずっと以前から、その論理を理解し、活用する卓越した能力を示してきたのである。

◆手遅れになる前に国家を再建する

ウィリアム・ヒメネス・ガルシアの分析が明らかにしていることがあるとすれば、それは、組織犯罪をめぐる議論はもはや公共の安全保障という枠組みだけに限定できないということである。そうした見方にとどまることは、その変容する力が、国家が従来用いてきた枠組みではもはや捉えきれない現象であるにもかかわらず、その目に見える側面だけを追い続けることを意味する。

暴力は依然として組織犯罪の最も痛ましい表れの一つである。しかし、それが必ずしも最も決定的な要素とは限らない。殺人やテロ、武力衝突が起こるよりもはるか以前から、犯罪組織は、より目立たず、それゆえに一層戦略的な領域をめぐる争いを始めている。すなわち、市民の信頼、経済、国家機関、情報、公共調達、金融システム、そして場合によっては政治的代表性までもが、その対象となるのである。

こうした変化は、ラテンアメリカの多くの国々に深く根付いている一つの前提を見直すことを迫っている。それは、警察力を強化しさえすれば、経済・技術・政治・文化という複数の次元で同時に活動するこの現象を抑え込めるという考え方である。

ヒメネスは、必要とされる対応ははるかに包括的なものでなければならないと強調する。それには、国境を越えた脅威に直面する国家間の協力を強化すること、犯罪ネットワークを捜査・摘発する機関の専門性を高めること、違法資金の流れに対する透明性と監督の仕組みを強化すること、司法の独立を守ること、そして同時に、違法経済が最も拡大しやすい地域で国家が人々に機会を提供できる能力を取り戻すことが含まれる。

しかし、このインタビューで最も深い示唆は、おそらく警察活動の枠を超えたところにある。

このコロンビア人研究者は、組織犯罪との戦いは、教室や大学、報道機関、地域社会、そして民主的制度の質をめぐる場でも繰り広げられていると指摘する。

腐敗を当たり前のものとして受け入れ、司法への信頼を失い、国家が日常生活の問題を解決できるという期待を抱かなくなった社会は、結果として、そうした空白を違法な主体が埋めるための条件を自ら作り出してしまう。

このような状況では、予防はもはや安全保障政策を補完する手段ではない。それ自体が国家の基本政策となるのである。

市民意識の育成、法を尊重する教育、公的倫理の確立、そして民主主義文化の強化は、国境や制度の枠をもはや超えて活動するこの現象に真剣に立ち向かうための、いずれも切り離すことのできない要素なのである。

◆国家は、もはや同じルールのままで競争を続けることはできない

対話全体を通じて一貫して浮かび上がる懸念がある。それは、犯罪組織が絶えず革新を続けている一方で、国家はいまだに、その性質がすでに変化してしまった脅威を想定して作られた手段で対応し続けているということである。

犯罪ネットワークは、新たな技術を取り入れ、資金源を多様化し、経済のデジタル化を巧みに利用し、組織構造を柔軟に変化させ、さらには国境を越えた連携を通じて活動を拡大している。その速度は、公的機関の官僚組織が追いつくことのできるものではない。

その結果は明白である。対応が遅れるたびに、「絶えず適応すること」を最大の強みとする犯罪組織との力の差は、さらに広がっていく。

ヒメネス氏によれば、課題は単に既遂犯罪を摘発することだけではない。将来起こり得る事態を予測し、組織犯罪の新たな動向を理解し、犯罪組織が新たな領域支配、経済支配、あるいは制度支配を確立する前に、国家として連携して行動できる能力を構築することにある。

◆民主主義が直面する、最も静かな試練

ラテンアメリカの公共政策をめぐる議論には、しばしば一つの誘惑がある。それは、安全保障政策の成功を、逮捕者数、押収された麻薬の量、あるいは実施された捜査・摘発作戦の件数によって測ろうとすることである。

しかし、ウィリアム・ヒメネス氏との対話は、はるかに本質的で厳しい問いを私たちに投げかける。民主的な制度は、実際にどれほどその権限と統治力を取り戻したのか。どれほど多くの地域が、違法経済ではなく国家によって再び統治されるようになったのか。市民は司法への信頼をどれほど回復したのか。犯罪組織が政治、経済、行政に影響力を及ぼす能力は、どれほど弱められたのか。

これらの問いは、警察統計の範囲を超え、民主主義そのものの質に深く関わるものである。なぜなら、ラテンアメリカが直面する最大の危険は、単に組織犯罪の拡大ではないからだ。それは、組織犯罪との共存に慣れてしまうことであり、腐敗を避けられないものとして受け入れ、恐喝やみかじめ料の要求を日常の一部として当然視することである。

また、特定の地域が事実上、国家ではなく並立する権力によって支配されていることを受け入れたり、民主的制度が本来果たすべき役割――すなわち、権利を守り、司法を執行し、いかなる違法な権力よりも法の支配を優先させること――を果たす能力を次第に失っていくことを諦めてしまうことである。

おそらく、この警鐘こそが今回のインタビューの最大の意義である。組織犯罪は、市民の安全に対する脅威であるだけではない。それは、民主的統治、法の支配、そして私たちの社会が自由を守り続ける能力に対する、現代最大級の挑戦なのである。犯罪組織は、クーデターによって民主主義を打倒しようとしているのではない。民主主義を内側から少しずつ空洞化させようとしているのである。

そして、それこそが、おそらく今後数十年にわたりラテンアメリカが直面し、戦わなければならない最も困難な闘いなのである。

ビクトル・M・ロドリゲス(Víctor M Rodríguez)

▼ビクトル・M・ロドリゲス(Víctor M Rodríguez)
ジャーナリスト兼ディレクター:Píldoras Digitales、ウルグアイ報道協会編集委員:APU

Fuente:https://siquesepuede.jimdofree.com/2026/07/27/el-crimen-organizado-ya-no-desaf%C3%ADa-al-estado-compite-por-gobernarlo/

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月29日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

西側メディアと「草の根ファシズム」を牛耳っている米国政府系の資金、2025年度はラテンアメリカ向けが60億、アジア向けが87億円

黒薮哲哉

米国の対外戦略、特にメディア戦略と「草の根ファシズム」について考察する際、米国政府系の全米民主主義基金(NED)の活動を軽視するわけにはいかない。2025年度のラテンアメリカ向けの支援金額は3,680万ドル(60億3000万円)である。また、アジア向けの支援金額は5,320万ドル(87億2000万円)である。

ラテンアメリカ向けの支援金額のうち、最も大きな比重を占めるのは、ベネズエラ、キューバ、ニカラグアの反政府勢力に対する支援である。同基金のウェブサイトは、これら3カ国について、次のように述べている。

「NEDとその中核機関は、この地域全体で現地主導の取り組みを支援し、地域社会が民主化の好機を捉え、強まる弾圧に抵抗し、不可欠な活動を維持できるよう、戦略的な助成金を提供しました。キューバ、ニカラグア、ベネズエラでは、市民団体が厳しい制約の下でも独立した情報流通を維持し、人権侵害を記録し、市民の声を上げるために残されたわずかな場を保護しました。中国とロシアが同地域への関与を深める中、NEDの支援を受けた研究者やジャーナリストは、こうした影響が国内のガバナンスにどのような影響を及ぼし、国家主権を侵食し得るかを市民が理解できるよう支援しました。」

一方、アジア向けの支援資金のうち、最も大きな比重を占めるのは中国向けである。チベットや新疆ウイグル地区に関する根拠のないニュースの資金源となっていると言っても過言ではない。

◆NEDと4つの中核機関

NEDは1983年に、米国のロナルド・レーガン大統領によって設立された。CIAから戦略上のアドバイスを受け、USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)から資金援助を受けてきた。

同基金のウェブサイトによると、「NEDは、その4つの中核機関である国際民間企業センター(Center for International Private Enterprise=CIPE)国際共和研究所(International Republican Institute=IRI)全米民主国際研究所(National Democratic Institute=NDI)、およびソリダリティ・センター(Solidarity Center)とともに、中東欧、ラテンアメリカ、アジア太平洋地域、そしてアフリカ全域で高まる民主化運動のニーズに応えてきました」という。

引用した4つの関連団体については、今後調査する必要があるだろう。西側メディアや市民団体と深いつながりを持っている可能性が高い。メディアが世論誘導の道具へと変質したとき、最も直接的な被害を受けるのは、西側メディアが流す情報を過信している人々である。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月27日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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だれがニカラグアを孤立させてきたのか ── オルテガ大統領、選挙中止宣言の背景

黒薮哲哉

7月19日のニカラグアの革命記念日の演説で、同国のダニエル・オルテガ大統領が、今後、選挙は実施しないと発言したことが波紋を広げている。たとえばコスタリカ、グアテマラ、パナマといった近隣諸国は、抗議の意思を示すために自国の大使を召還した。オルテガ大統領夫妻による独裁が始まったというのが西側メディアの報道である。

ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領

これを受けて、ニカラグア国民議会のグスタボ・ポラス議長は、

「重要なのは、この国において、クーデター犯や祖国への裏切り者が参加する選挙、あるいは外国の資金や外国の勢力、外国の組織から資金提供を受けている政党や団体が参加する選挙は容認できないことを、憲法上の規定として明確にしておくことだ」(スペインの国際通信EFE)

と弁解した。

ラテンアメリカで刻々と議会制民主主義が成熟している状況の下で、ニカラグアの方針が歓迎すべからぬものであることは言うまでもない。が、同時に筆者は、深い同情を感じる。誰がニカラグアを孤立させているのかという問題である。

言論の自由に関するニカラグアの状況を、1979年の革命の時期まで遡って検証してみよう。

◆文盲を撲滅キャンペーン

革命後、ニカラグア政府は言論の自由を全面的に認める方針を取った。独裁政権の時代にニカラグアの人々が最も手にしたかった宝のひとつであるからだ。まず、文盲を撲滅するためのキャンペーンを展開した。仕事を終えた農民や労働者が、夜間に文字の指導を受ける光景が全国に広がった。指導しているのは、大学生たちである。教師の一人がこんなふうに話していた。

「これらの人々は知力が劣っているから、文字が読めないのではありませんよ。独裁政権が教育の機会を与えなかったからに文字を習得していないのに過ぎません。被害者ですよ。学習すれば、だれでも読み書きができるようになります」

◆ユージン・ハーゼンファス事件

当時、わたしは米国にいた。米国のメディアは、ニカラグアには言論の自由がないと報じていた。あるときダニエル・オルテガ大統領が、米国を訪問して、講演した。その時、1人の青年が、ニカラグアで言論弾圧が行なわれるとして、大統領に釈明を求めた。大統領は、「そんなことはしていない」と、強く否定して、青年をニカラグアへ招待することを約束した。何の制限もしないので、自分の眼で言論弾圧が行われているかどうかを確かめてほしいと告げた。

1986年10月5日、ニカラグアの反政府ゲリラの支配する地区へ、武器を空輸していた米軍機が、地対空ミサイルで撃墜された。米国人のユージン・ハーゼンファスが捕虜となった。ハーゼンファスは裁判にかけられ、禁錮30年の判決を受けえた。しかし、3か月後、クリスマスの前に、ニカラグア政府は恩赦でハーゼンファスを釈放して、帰国された。当時の政府は、米国との和解を希望していた。その一環としての釈放だったと思われる。

ラテンアメリカの左派政権の国は、ニカラグアだけではなく、キューバも、ベネズエラも米国との良好な関係を望んでいた。それを常に否定して、「反米」のレッテルを張ってきたのは、西側である。

◆香港の雨傘運動と同じパターン、背景にNEDの影

1990年、ニカラグアの大統領選で野党連合が勝利して、オルテガ大統領は下野した。革命政府が構築した議会制民主主義のルールを重視したのである。オルテガ大統領は下野したことで、米国はコントラへの支援を中止した。その結果、ニカラグア内戦は終わったのである。逆説的にみるとニカラグアの人々は、野党連合の大統領に投票することで、平和を獲得したのである。従って、客観的にみれば公平な選挙ではなかったが、オルテガ大統領は投票結果を受け入れたのである。

その後も、ニカラグアは2代にわたり保守派の大統領が続き、2007年に再びオルテガ大統領の政権になった。その後、何の根拠もなく、ニカラグアはオルテガ大統領による独裁国家だという報道が行なわれるようになった。とりわけオルテガ大統領の妻であるロサリオ・ムリンニョが副大統領になってからは、独裁政権というレッテル張が激化した。

こうした流れと並行して、米国政府系の全米民主主義基金からニカラグアの市民団体やメディアに資金提供が行われた。オルテガ大統領を追放するためのメディア戦略が展開されるようになったのだ。そして2018年、香港の雨傘運動とまったく同じ事が起きた。「草の根ファシズム」が広がり、政府に対する暴動が起きた。世論誘導やフェイクニュースで世論を誘導し、混乱を起こし、政権の転覆を企てる試みが行われた。これに対してオルテガ大統領も強引な対抗策を取った。452人のニカラグア人を国籍を剥奪したのである。その中には、国際的に著名な作家のセルヒオ・ラミレス氏も含まれていた。

◆だれがニカラグアを孤立させてきたのか?

トランプ政権は、ラテンアメリカに対する干渉を強めた。ホンジュラスやチリの大統領戦況にトランプ政権が介入したことは、ほとんど公知の事実となっている。2007年1月には、ベネズエラに軍事介入して、ニコラス・マドゥロ大統領夫妻を拉致した。その後、キューバを標的にすることも公言した。さらにキューバの次のニカラグアという見方が定着している。

こうした状況の下で、オルテガ大統領が選挙の中止を宣言したのである。

繰り返しになるが、選挙の中止は、憂慮すべき事態だが、その背景を歴史的にさかのぼると、一方的にオルテガ大統領を非難するわけにはいかない。事態は複雑だ。だれがニカラグアを孤立させてきたのかを再検証する必用がある。

【参考記事】米国政府系の反共謀略組織・NEDからラテンアメリカ諸国の市民団体やメディアに63億円

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月25日)掲載の記事「ニカラグア、選挙中止宣言の背景に何があるのか?」を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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ドイツが計画する8,000億ユーロ規模の再軍備を進める要因とは何か

アンドリュー・コリブコ

日本で急速に進む軍事大国化の流れは、ウクライナをめぐる紛争を媒体として、ヨーロッパでも起きている。次のアナリシスは、かつての日本の同盟国ドイツの動きに焦点を当てたものである。

イデオロギー上の動機、経済的利益、そして個人的な利害が、支配層であるリベラル系の支配層による重大な決定の背景にある。この決定によって、ドイツはロシアによって、アメリカに代わる最大の脅威と見なされる存在になるとされている。

英紙フィナンシャル・タイムズは7月初め、「ドイツ、歴史的な方針転換として再軍備のため8,000億ユーロを借り入れへ」と報じた(【黒薮注】8,000億ユーロは、約144兆円)。その背景には、アメリカが進める「NATO 3.0」という構想がある。この構想では、NATO加盟国であるヨーロッパ諸国に自国の安全保障についてより大きな責任を負わせようとしている。

実際には、EUが西ユーラシアにおけるロシア封じ込めの中心的な役割を担うことを意味している。これは、トランプ第2次政権が過去1年間でロシアの周囲に築いた新たな「緩衝地帯(コルドン・サニテール)」構想に沿ったものであり、この地域ではドイツが主導的な役割を果たす計画となっている。

現在ドイツは、ウクライナと協力して、中・東欧地域(CEE)の主導権をめぐりポーランドと競争している。仮にポーランドが独自の「勢力圏」を築くことに成功したとしても、ドイツが計画する8,000億ユーロ規模の再軍備によって、ドイツが依然として大きな影響力を持つことに変わりはない。

すでにEUは「ロシアがEUに対して感じている以上の脅威を感じている」とされている。一方、今後ロシアは、「アメリカよりも、ドイツの方がより大きな脅威と感じるようになる可能性がある」とも指摘されている。

ロシア前大統領で現在は安全保障会議副議長を務めるドミトリー・メドベージェフは5月初め、ドイツの再軍備が1941年を想起させる脅威になると警告した。また、ロシアの著名な専門家ドミトリー・トレーニンは最近、ロシアとの戦争の危険をあおっているのは、もはやアメリカではなくEUだと主張している。

EUの事実上の指導国がドイツである以上、現在モスクワが2030年前後に起こり得ると見ているNATOとロシアの軍事的衝突への流れを作るうえで、ドイツが最も大きな責任を負っていることになる、というのがこの記事の見方である。

この動きを進める主な要因は、イデオロギーと経済の二つだとされる。

イデオロギーの面では、支配層であるリベラル・エリート層は、新冷戦を「民主主義と独裁主義の対立」と捉えている。一方、経済面では、比較的慎重な政治家たちに対して、軍需産業がこの分野への大規模な投資によってドイツの産業空洞化を防ぐと説得しているという。

しかし実際には、産業空洞化を招いている主な原因は、高いエネルギーコストと中国との競争だとしている。

それにもかかわらず、支配層であるリベラル・エリート層は、中・東欧地域、そして「NATO 3.0」のヨーロッパ側全体で主導権を握るため、ポーランドと競争する方針をすでに決めている。

ただし、その代償として国内の社会・経済の安定が損なわれていることは明らかだとされる。実際、イギリスのメディアも最近、「ドイツは静かに崩壊しつつある」と報じている。

ロシアは、核兵器を保有するアメリカがNATO第5条の義務を本当に果たすかどうかを試そうとは全く考えていないにもかかわらず、現在のドイツ政府は国民の生活を改善することよりも、ロシアの封じ込めを優先している、というのがこの記事の結論である。

※【黒薮注】NATO第5条:「加盟国の一国が武力攻撃を受けた場合、それを加盟国全体への攻撃とみなし、各国が支援する」という集団防衛の規定。北大西洋条約の第5条に定められている。

支配層であるリベラル・エリート層が前述のイデオロギーを重視している背景には、その一部が、それこそが低迷する自国経済を立て直す鍵だと思い込まされていることがあるという。また、このような地政学的な役割を担うことで得られると考えている名声も、その姿勢に影響している可能性がある。

この役割を果たすことで、ヨーロッパ各国のエリートから評価されること、さらに、自分たちが憧れの対象としているアメリカのエリートから公に認められることは、彼らにとって個人的にも重要な意味を持っている、とこの記事は述べている。

ロシアの立場から見ると、ドイツは西ユーラシアにおいて最も深刻な安全保障上の脅威へと急速に変わりつつあり、この流れが変わると政策担当者は考えるべきではない、としている。

一方で、NATO第5条があるため、ロシアによる先制攻撃は現実的ではない。また、現在のドイツ政府の政策によって一般のドイツ国民がロシアの核攻撃の対象になっていると訴えたとしても、それによって状況が変わることはないとしている。

それでも、ドイツ主導のEUがロシアを攻撃するような事態になれば、ロシアは核兵器による報復を行うことに疑いの余地はない、というのがこの記事の結論である。

アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月22日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)
モスクワ在住のアメリカ人政治アナリスト。MGIMO(モスクワ国際関係大学)で博士号を取得。著書に『ハイブリッド戦争―カラー革命からクーデターまで』

Source:https://korybko.substack.com/p/whats-driving-germanys-planned-800?utm_campaign=post&utm_medium=web&triedRedirect=true

閉ざされた扉の向こうにある司法――日本における法廷アクセスの問題

黒薮哲哉

本記事は、世界ジャーナリスト評議会(GJC、トルコ)の国際誌『Global Media』に掲載した記事(筆者・黒薮)の日本語訳である。上写真 左ページはトルコ語、右ページは英語)

安倍晋三元首相を暗殺した罪に問われた山上徹也被告の裁判は、日本でこれまで十分に注目されてこなかった問題、すなわち一般市民による司法制度へのアクセスのあり方を浮き彫りにした。

2026年1月、奈良地方裁判所は山上被告に無期懲役を言い渡した。この事件は国内外から大きな関心を集めたが、実際に公判を傍聴できた人はごくわずかだった。

計15回の公判には、毎回700人から800人が傍聴を希望して裁判所を訪れた。しかし、用意された傍聴席はわずか64席だった。その半数は抽選で一般市民に割り当てられ、残りは裁判所の判断により、報道機関やフリーランスのジャーナリストに配分された。

外国人記者のうち、すべての公判に出席したのはただ一人、フランス人ジャーナリストで元AFP通信特派員のカリン・ニシムラ氏だけだった。ニシムラ氏は月刊誌『世界』への寄稿記事で、この裁判をきっかけに、日本の司法制度の透明性をめぐる、より広範な問題を提起した。

フランスでは、社会的関心の高い事件の裁判が行われる際、仮設法廷を設けたり、映像システムを使って複数の部屋をつないだりすることで、より多くの人が傍聴できるようにすることがある。2015年11月に発生したパリ同時多発テロ事件をめぐる裁判では、当局が約500席を備えた仮設法廷を設置した。それでも席が足りないことが明らかになると、映像中継と大型スクリーンを用いて、さらに11の法廷に審理の様子を中継し、数千人が裁判の経過を見守れるようにした。

日本では、社会的意義の大きな事件であっても法廷への入場が厳しく制限されているため、このような対応は想像しにくい。

◆福島原発事故とその法的余波

この問題は、山上被告の裁判に限ったものではない。原子力をめぐる訴訟でも、同様の傾向が見られる。

2011年の地震と津波によって引き起こされた福島第一原発事故の後、政府や東京電力を相手取った数多くの訴訟が提起された。その多くは現在も続いている。

例えば、福島県で実施された甲状腺検査では、子どもや若年層の間で多数の甲状腺がんが確認されており、その原因や法的責任をめぐる議論が続いている。日本が地震の多い国であることや、原子力エネルギーをめぐって長年議論が続いてきたことを考えれば、こうした訴訟に国民の関心が集まるのは当然だろう。

しかし、裁判へのアクセスは依然として制限されている。多くの市民は自ら公判を傍聴することができず、メディアの報道に頼らざるを得ない。小規模な週刊誌や月刊誌は、原告や被災地の視点に立った貴重な報道を行うことが多いものの、大手新聞やテレビ局ほどの発信力や影響力は持っていない。

◆法廷へのアクセスは問題の一部にすぎない

日本では、一般の傍聴人が法廷での審理を撮影したり、録音・録画したりすることは、原則として禁止されている。ジャーナリストも同様の制限を受ける。そのため、スマートフォンで社会のほぼあらゆる場面を即座に記録できる時代になっても、法廷スケッチは依然として裁判報道に欠かせないものとなっている。

さらに近年、新たな課題も浮上している。裁判所では、デジタルプラットフォームを通じて法廷と法律事務所をつなぎ、一部の手続きをオンラインで行うケースが増えている。こうした仕組みは効率を高める一方で、一般市民から裁判の過程を見えにくくする恐れもある。事件に直接関わっていない人にとっては、審理で何が起きたのかを知る現実的な手段がほとんどない場合も多い。

その結果、一般市民が裁判について理解するためには、審理への立ち入りを認められた比較的少数の記者に大きく頼らざるを得なくなる。重要な法的議論が、ごく限られた視点を通してしか伝わらないというリスクが生じるのである。

とはいえ、日本に表現の自由がないわけではない。法律上、言論の自由と報道の自由は強く保障されている。実際、第二次世界大戦後の日本は、概してジャーナリストを政治的迫害から守ってきた実績があり、この点では他の多くの国と比べても良好な状況にある。

◆国境を越えるジャーナリズム

民主主義社会は、法的に発言する権利だけでなく、情報を収集する能力によっても支えられている。裁判手続きへのアクセスが制限され、写真撮影や録音・録画が禁止され、公判がますます一般の人々の目の届かないところで行われるようになれば、市民は、自分たちの名の下に正義がどのように執行されているのかを理解するうえで、大きな障害に直面することになる。

こうした制限は長い間「当たり前」のものとして受け入れられてきたため、批判の対象になることはほとんどない。多くの日本人ジャーナリストは、キャリアを通じてこの制度の中で仕事をしてきた。慣れ親しんだ慣行は、時として問題として認識されにくくなるものだ。

だからこそ、ジャーナリスト同士の国際交流が重要になる。他国の制度に目を向けることで、自国では疑問を持たれないまま受け入れられている前提に気づくことがある。透明性、効率性、プライバシー、安全保障の間でどのようにバランスを取るかは、社会によって異なる。完璧な制度は存在しないが、他国との比較は、自国の制度を見つめ直すきっかけになる。

ジャーナリズムは、国境を越えることで豊かになる。他の民主主義国が共通の課題にどのように向き合っているかを検証することで、記者は自国社会に対する新たな視点を得ることができる。世界の相互依存がますます深まるなか、こうした知見や発想の交換は、ジャーナリズムが果たす最も価値ある役割の一つだと言えるだろう。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月24日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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ブダノフ氏、民族的に純粋な国家を目指すウクライナ民族主義者の幻想を打ち砕く

アンドリュー・コリブコ

皮肉なことに、彼らが実際に築き上げたのは「ファシストの理想郷」ではなく、リベラルな暗黒社会だった。

「ウクライナ民族主義者組織(OUN)」と、その武装部門である「ウクライナ蜂起軍(UPA)」は、民族的に純粋な国家を目指してポーランド人などを大量虐殺した組織であり、「マイダン」後のウクライナの建国の父と位置づけられている。

【黒薮注】マイダン:本来はキエフの独立広場を指すが、現在では一般に2013~2014年にウクライナで起きた大規模な反政府運動を意味する。

そのため、ウクライナの民族主義者たちは、2014年から続くロシアとの戦い、とりわけ2022年の特別軍事作戦開始後の戦いによって、この目標に近づけると考えていた。キエフ政権がロシア語、ロシア文化の一部、そしてウクライナ正教会を禁止したことも、彼らに希望を抱かせた。

しかし、その幻想は、ゼレンスキーの大統領府長官キリル・ブダノフによって打ち砕かれた。ブダノフは6月下旬、春にも述べていた、人口減少を補うために移民をさらに受け入れる必要があるという主張を改めて示した。彼は「今では私たちの人口は大幅に減っている。誰かを怖がらせたいわけではないが、本当に大幅に減っている」と述べた。

それより約6週間前の5月初め、社会政策相デニス・ウリューチンは、現在ウクライナ国内に暮らしている人は2,200万~2,500万人にすぎないと明らかにしていた。そのうち少なくとも1,000万人は年金受給者だと、ウクライナ年金基金が4月初めに推計している。

さらに懸念されるのは、ユニセフが昨年、18歳未満の子どもは660万人いると推計していたことだ。これらを合わせると、国内に残っている生産年齢の成人はわずか600万~900万人ということになる。

世界銀行が公表している2024年の最新データでは、人口に占める男性の割合は46%と推計されている。単純に計算すれば、ウクライナの生産年齢男性は約276万~414万人しかいないことになる。そのうち、正確な割合は不明だが、現在の戦闘によって死亡したり、恒久的な障害を負ったりした人も少なくない。

戦略国際問題研究所が2026年初めに示した、ウクライナ側の死傷者数は50万~60万人という推計を受け入れるなら、これはおそらく実際より低い数字だとしても、ウクライナに残る生産年齢の男性は最大でも約200万人強~350万人にすぎないことになる。

したがって、ブダノフが「今では私たちの人口は大幅に減っている」と述べたのは、決して誇張ではない。EU域内にいる430万人のウクライナ人のうち、成人男性は26%にすぎず、人数にすると100万人を少し上回る程度である。しかも、戦闘が終わった後も、その全員が帰国するわけではない。

そのためウクライナは、経済を支えるため、あるいは人口を補うために、文化的背景の異なる外国人の大量移住を進めざるを得なくなる。西ヨーロッパの例を見るかぎり、彼らが現地社会に同化することは期待できない。

さらに、移民の多くはウクライナ語を話せず、英語にも堪能とはかぎらないため、ウクライナ政府が彼らの言語を現実的に禁止することはできない。なお、2024年に成立した法律は、国家官僚機構全体で英語の使用を義務づけており、この動きも民族主義者たちを困惑させたに違いない。

民族主義者たちは、戦闘が終われば民族的に純粋な国家が実現すると夢見ていた。しかし実際には、ウクライナは西ヨーロッパでも特に多文化化が進んだ国々と同じような社会へ向かっている。

さらに、多様な住民同士の共通語として、日常生活では英語がウクライナ語に取って代わる可能性も高い。民族主義者の立場から見て同じように問題だったのは、ゼレンスキーが2022年5月の世界経済フォーラムで、西側の協力国に対し、「ウクライナの特定の地域、都市、自治体、または産業を支援・管理する役割」を提案したことである。

その結果、ウクライナは、民族主義者たちが自らの「犠牲」によって守れると考えていた国家のアイデンティティーと主権の両方を、この戦闘を通じて失うことになった。

そのため、民族主義者と国家の間で対立が生じる可能性は高い。ただし、これは十分に予想できる展開であるため、ウクライナ保安庁はすでに彼らを監視し、反対運動が表面化するのを事前に防ごうとしている可能性がある。特に、暴力的な形に発展する動きは警戒されているだろう。

皮肉なことに、ウクライナの民族主義者たちは、最終的に「ファシストの理想郷」ではなく、リベラルな暗黒社会を築くことになった。

アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月15日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)
モスクワ在住のアメリカ人政治アナリスト。MGIMO(モスクワ国際関係大学)で博士号を取得。著書に『ハイブリッド戦争―カラー革命からクーデターまで』

Source:https://korybko.substack.com/p/budanov-crushed-ukrainian-nationalists

しばき隊の弁護士が共産党の演説会に登壇

黒薮哲哉

7月2日に、『しんぶん赤旗』で、暴力的なカウンター運動との決別を発表したばかりの日本共産党の演説会に、なんとしばき隊の弁護士、神原元氏が登場した。下記の写真は、X上の画像のスクリンショットである。わけが分からないというのがわたしの実感だ。ようやく選挙の投票先を共産党へ戻せると思っていた矢先なので残念だ。

共産党は、今年の7月で結成104年を迎えた。100年の活動を経て、国民の支持率が10%(マスコミの調査では3%程度)に満たないのは、やはりどこかに問題があるからだろう。フィデル・カストロは、グランマ号の上陸から、約2年で独裁政権を倒した。エルサルバドルのファラブンド・マルティ民族解放戦線も早かった。時間を費やせば、運動が好調に進展するとは限らない。

共産党はかつては、「押し紙」問題にも熱心に取り組んでいたが、次第にこの問題から遠のいた。マスコミと正面から対峙することを避けたのではないか。

わたしが最初に同党の異変を感じたのは、2014年である。吉良よし子議員が、携帯電話基地局の設置を促進するように、国会で政府に要請した時である。

携帯電話基地局で癌の発生率が高いことを示す疫学調査は複数存在する。予防原則の立場から、規制すべきというのがわたしの見解だ。共産党の紙智子議員も、電磁波に警鐘をならしていた。

ところが、吉良議員がとんでもない言動に及んだのである。わたしの推測になるが、携帯電話が手放せない青年層にこびた結果ではないかと思う。小沢一郎との共闘も間違っていた。

共産党は暴力的なカウンター運動から距離を置くことを宣言しながら、2014年12月の大学院生暴行事件をなかったことにしようとして来た弁護士と共闘したのである。情報弱者なのだろうか?

神原弁護士が、しばき隊を擁護するために、過去にどのような裁判を起こしてきたかを正確に検証すべきだろう。わたしは、共産党の民主集中制を批判するつもりはないが、情報の分析そのものが間違っている場合がままあることに苦言を呈したい。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月22日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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